使徒の働き4章32~37節 「心と思いを一つにして」

 きょうは「心と思いを一つにして」というタイトルでお話したいと思います。ペンテコステの日以来、教会は驚異的に成長を遂げてきました。ペンテコステの日にペテロが大胆に説教すると一度に3,000人が救われ、生まれつき足のきかない男がいやされたことが契機となって再びペテロが説教すると、今度は男だけで5,000人もの人たちに教会に加えられるというようなことが起こりました。教会は外からのいろいろな迫害にも屈することなく大胆に神のことばを語ったので、力強く成長することができたのです。

 きょうの箇所には、そんな教会の内側はどうであったのかが描かれています。そして、教会はただ単に人々の数が増えて大きくなっていっただけだなく、そこにはまとこに麗しい愛の交わりがあったことがわかります。いや、そのような愛の交わりがあったからこそ、教会は大きく成長を遂げて行ったのでしょう。

 きょうは、そんなの初代教会の愛の交わりについてみことばから学びたいと思います。第一のことは、教会は愛の共同体であるということです。第二のことは、そのような愛の共同体は宣教の力につながっていくということです。そして第三のことは、愛の共同体の一員として生きようということです。

 I.教会は愛の共同体である 

まず第一に、教会は愛の共同体であるということです。32節をご覧ください。

「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」

 ここに、信じた者の群れがどのような生活をしていたかが紹介されています。信じた者の群れは、心と思いを一つにして、すべてを共有にしていました。ここに記されてあるのと同様のことが、2章43~44節にも記されてあります。信者となった者たちはみないっさいのものを共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していたのです。これらの記事を見て、中には、初代教会が自分の財産を売りその代金を分け合ってみんなが平等に生活していたように、クリスチャンもそのようにすべきだと、いわゆる共産主義的な考えや生活を主張する人がいますが、ここで言われていることはそういうことではありません。なぜなら、もしこれが財産の共有生活のことの勧めであったなら、どうしてここに、わざわざ「その持ち物」とは書句必要があったのでしょうか。ここには、「だれひとりその持ち物を自分のものと言わず・・・」とあります。もし自分の持ち物を共有していたのなら、ここでわざわざ「その持ち物」などとは言わなかったはずなのです。なのにここで「その持ち物」と書いたのは、それぞれがちゃんと自分の持ち物をもっていたからなのです。

 また、5章のところには、アナニヤとサッピラの話が出ていますが、彼らのあやまちはいったい何だったのでしょうか。彼らのあやまちは土地を自分のものとして取っておいたことではないのです。彼らのあやまちは、その売った土地の代金の一部を自分たちのために残しておいたことです。神の聖霊を欺いて、いかにも信仰深そうに振る舞っていたかのようでしたが、それが全部であるかのように偽ったことだったのです。別にそんなことをしなくてもよかったはずです。なぜなら、4節を見るとわかるように、それはもともと彼らのものであり、売ってからも彼らが自由にできたものなのです。別に嘘をついてまでささげるような性質のものではなかった。なのに彼らは代金の一部を自分のために残していた。それが問題だったのです。

 また、34節のところには、「彼らの中には、ひとりとして乏しい者がなかった」とありますが、もしこれが財産の共有生活を奨励していたのでしたら、何とも不自然です。というのは、もし財産の共有生活を表すとしたら、「彼らは平等であった」と書いた方が自然だからです。なのに「ひとりも乏しい者がいなかった」というのは、やはり富める者も貧しい者もいましたが、それでも生活に事欠くような人はだれもいなかったということを表しているのではないでしょうか。

 ですから、ここでは、いわゆる共産主義的な財産の共有制度について勧められているのではないのです。では、ここで言われていることはいったいどういうことなのでしょうか。それは考え方です。財産の共有生活を強制しているのではなく、自発的に、自分から進んで、だれひとり自分のもの自分のもと言わないような思いに溢れていたということなのです。そのような考え方をもっていたので、それが行動に表れていたのです。それが「心と思いを一つにして」ということばに現れているのではないでしょうか。彼らは、心と思いを一つにしていたので、だれひとりその持ち物を自分のもの言わず、必要に応じて分け合うことができたのです。貧しい人たちに物を分配したというのは、こうした心の思いの自然な表現であったわけです。私たちの行動が現実になって表れるためには、いつもそのような考えや思いを持っていなければなりません。

 イエス様は、マタイの福音書12章34節で、「心に満ちていることを口で話すのです」と言われましたが、大切なのは、私たちが何を語るかではなく、何を考えているかです。なぜなら、人は心に満ちていることを話すからです。同じように、私たちが物を共有していくためには、そのような考え方を持っていなければなりません。初代教会の人たちはそうでした。すなわち、彼らは心と思いを一つにしていたということです。そういう考え方、思想を持っていたのです。聖書に、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)とありますが、彼らの交わりというのは、喜びも悲しみもともにする交わりでした。ちょうど、からだが一つであるのようにです。私たちのからだは一つですが、そこに多くの器官があるように、私たちはキリストにあってひとりのからだに属している者なのです。虫にさされて足の先がかゆくてしかたがないとき、頭は「あっ、そう、かゆいの。我慢しなさいよ」と言うでしょうか。「手さん、足さんがかゆいって言ってるから、かいてあげなさい」と言うのではないでしょうか。それで真っ赤になるくらい赤くなるのです。私たちの体にはいろいろな器官があって、その一部が痛むとからだ全体が痛むように、教会も同じなのです。教会は、キリストのからだであり、私たちは互いにそのからだの器官なのです。それを結んでいる帯は愛なのです。初代教会は、この愛に溢れていました。彼らは心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にすることができたのです。そうしなければならないということではなく、その中にある愛が、そのように表れたのです。自分の生活さえ守られたらいいといった利己的な考えがはい込まないほど、愛の共同体としての信仰を持っていたということなのです。
 イエス様は、受けるよりも、与える方が幸いであると言われましたが、そのような考えを持った人がどれほど輝いているかを皆さんは想像することができるでしょう。自分のことしか考えていない利己的な生き方よりも、世のため、人のためと捨て身で生きておられる方にはいのちの輝きというか、エネルギーを感じます。

 先日、深いい話という番組で、島田紳助がゴルフのタイガー・ウッズの話を紹介していましたが、タイガー・ウッズはゴルフの試合の時、相手がこのパターを外せば自分が優勝するという時でも、決して「外すように」とは思わないそうです。そのように思うとマイナスのモチベーションが働いていいプレーができなくなるからです。ですから彼はそんな時でも、「入れ」と祈るようにしているのです。そうすると、プラスのモチベーションが働いて、自分自身に返ってくるのです。ですから、愛は力なんです。相手のことを慮る(おもんぱかる)ことは、自分の祝福にもつながることなのです。まさに初代教会はそうだっでした。心と思いを一つにして、だれひとり自分の持ち物を自分のものと言わないような思いが、彼らの祝福のかぎであったわけです。それは次の節を見てもわかります。33節には、

「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」

とあります。

 Ⅱ.愛の交わりは宣教の力となる

 すなわち第二のことは、こうした愛の交わりは宣教の大きな力になっていくということです。

 信じた者の群れが、心を一つにして、だれもその持ち物を自分の物と言わず、すべてのものを共有にしていた、そうした愛の交わりがあったとき、使徒たちは、非常に力強く主イエスをあかしすることができました。この「非常に強く」ということばは、教会における美しい愛の交わりこそ、福音宣教の原動力であったことを強調しています。かつてイエス様は、父がイエスにおり、イエスが父にいるように、キリストを信じる人たちがみな一つであるようにと祈られました。そのことによって、神がイエスを遣わされたということを、世が信じるためです。(ヨハネ17:21)

 いったい私たちはどれほど愛し合っているでしょうか。イエス様がこのように言われたことを私たちは知っています。

「『目には目を、歯には歯を』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。自分の隣人を愛し、自分の敵を憎めと言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:38~44)

 しかし、どれだけの人がこのことばを実行しているでしょうか。かつて公民権運動を展開したマルチンルーサー・キングは、このイエスの教えから非暴力によって、その権利を勝ち取りましたが、そうしたことはまれです。「目には目を、歯には歯を」に従って行動していることが少なくありません。
 聖書を学んでいる中で、求道者の方から一番多く受ける質問は何かというと、キリスト教が正しいなら、どうして世界中で戦争が起こっているのかということです。キリスト教が正しいのなら、聖書がいつまでも変わらない真理であるなら、そうした人を殺すようなことはしないで、その人たちのために祈るはずではないかと言うのです。その通りだと思います。戦争のことはとても深く、複雑な問題が絡んでいますので、それがいいか悪いかということをここで無論じることは難しいと思います。しかし、一つだけ言えることは、クリスチャンでない人たちは、クリスチャンの言動というものをよく見ているということです。そして、イエス様が言われた通りに、聖書が語っている通りに、私たちが実践し、互いに愛し合うなら、この世は、神がキリストを遣わしてくださったことを知るようになるのです。大きな恵みがその人の上にあるのです。なのに、もし私たちが互いに憎み合ったり、そねみあったりしていたらどうなるでしょうか。この世の人たちはますます混乱し、まことの神から遠ざかってしまうことになるのではないでしょうか。私たちが互いに愛し合うこと、それが神の命令なのです。そのように教会が互いに愛し合う群れであったら、非常に力強く主イエスを証しすることができるだけでなく、大きな恵みがそのすべての者の上にあるのです。

 韓国のオンヌリ教会の牧師であるハ・ヨンジュ先生が書かれた「使徒の働きの教会を目指して」という本の中に、先生がロンドン・インスティテュートで学んだ時のことが紹介されています。ロンドンインスティテュートでは、ジョン・ストット牧師の講義が終わると、みんな食卓に座り、一緒に朝食をとることになっていました。ある日ハ先生は奥様と息子さんとともに招かれ共に昼食をとっていた時のことです。その日ハ先生はジョン・ストットの隣に座って食事をしていました。すると急に奥様が食卓の下から派先生の足を蹴られたのです。その瞬間あわてて状況を見回すと、どうもハ先生が音をたてながらスープを飲んでいたようなのです。西洋では食事の時には音を立てないで食べるのがマナーです。ですから、私などはアメリカで食事をするとき大変です。ラーメンを食べる時のように音を立てるので、家内から「あなたは豚じゃないか」といつも注意されます。家内はラーメンを食べる時でさえ、決して音を立てません。それが食事のマナーだからです。
 ところで、ハ先生がそのように音を立ててスープを飲んでいたので、奥様が「あなた、みっともないわよ。やめなさい」とサインを送ってくれたのです。ところが、そのときジョン・ストット先生はどうしたと思いますか。ジョン・ストットはハ先生よりももっと大きな音を立ててスープを飲んだのです。そればかりではなく、何と器毎取り上げて飲み始めたのです。そして、「音を立てながら飲むと、もっとおいしいですね」と言ったのです。そればかりか、自分の皿の上にあったご飯をハ先生の皿の上に置いたのです。西洋ではそういうことはしません。ジョン・ストットは「たくさん食べてください。これは東洋式の愛の表現です」とさりげなく言われました。東洋から来た慣れない田舎牧師に恥を欠かせないようにと、西洋人が決してしないような食事のマナーを見せたのです。
 美しい話ではないですか。相手のことを慮るというか、相手の立場になって物事を考えておられるジョン・ストット牧師の信仰が、人柄が表れていると思うんです。

 このハ先生が、ある日、講義が終わり、ロビーで本を読んでいたとき、そのジョン・ストット牧師が再び現れ、「はい。ラブレター」と一つの封筒を渡してくれたさうです。何だろうと思って中を見てみると、簡単な手紙とともに50ポンドのお金が入っていたのです。「勉強が大変でしょう。このお金は私が書いた本の著作料の一部です。どうぞこれで本を買ってください」と書いてありました。ジョン・ストットはすでにその場から立ち去っていましたが、ハ先生は、しばらくその場を離れることができないほどの深い感動を覚えました。「ああ、こういうお金の使い方もあるんだ」と大変教えられたというのです。

 愛は深い感動をもたらします。そしてそのところには大きな恵み現れるのです。主イエスの復活を証する力になるのです。私たちはジョン・ストットのような偉大な者ではありませんが、ジョン・ストットが持っていた心は持つことができるはずです。それが愛の心です。それが、私たちのすべての働きにおいて、大きな祝福をもたらしていくかぎなのです。

 Ⅲ.愛の共同体の一員として
 
ですから第三のことは、愛の共同体の一員として生きようということです。34~37節までをご覧ください。まず、34節と35節です。

「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。」

 そのように、初代教会の人たちはみんな心と思いを一つにしていたので、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていました。教会の中で乏しい人がいると思ったら、地所や家を売って、その代金をささげたからです。ささげられたお金は、必要に応じて分けられました。そのようにして、乏しい人にも分けられたので、足りない人がだれもいなかったのです。乏しい人がひとりもいなかったというのはすごいことだと思いますが、そうした表面的な状態がどうのこうのというよりも、彼らがかそうした愛に生きようとしていたということがすばらしいことだと思います。

 ところで、続く36節と37節には、バルナバと呼ばれるヨセフについて紹介されています。「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」

 このバルナバと呼ばれるヨセフという人物は、やがてあの大使徒パウロを教会に紹介し、彼を表舞台に引っ張り出した人です。教会を迫害して教会から恐れられていたサウロを、教会に受け入れてもらえるように働きかけることは、並大抵のことではなかったと思います。そこで彼はエルサレムの教会ではなく、アンテオケの教会に迎え入れてもらいました。というのは、彼はエルサレムの教会からアンテオケ教会に遣わされていたからです。そして、このアンテオケ教会がやがて世界宣教に人を遣わしていこうとしたとき、彼は迷わずこのパウロを推薦しました。そのことによって、福音が世界へと宣べ伝えられていったのです。パウロこそキリスト教を世界宗教へと広めていった張本人ですが、そのパウロをそのような働きの場に導いたのがバルナバだったのです。そういう意味でも、彼は「慰めの子」と呼ばれるにふさわしい人です。

 しかし、これを書いたルカは、いったいどうして彼のことをここに記したのでしょうか。一つには、今申し上げましたように、後にたびたび出てくるこのバルナバつにいて、あらかじめここに紹介しておきくというねらいがあったからでしょう。ご存じのように、使徒の働きはペテロ中心の歴史からパウロによる世界宣教へと舞台が移っていきます。その中で、その橋渡しをする重要な人物がこのバルナバでした。彼がいなかったら、福音がこのように世界に広がっていくことはなかったでしょう。それほど重要だった彼を、ここで紹介しておきたかったのだと思います。バルナバという人物の特質である「慰め」を、ここで紹介しておきたかったのだと思います。

 もう一つの理由は、34節と35節に書かれてあるすばらしい愛の交わりの例としてバルナバを取り上げ、彼がいったいどうしてそのような愛のわざを行うことができたのかを伝えたかったのではないかと思います。すなわち、この初代教会にはそのように自分の地所や家を売り、その代金を携えて来る人たちがいたけれども、その中にあのバルナバもいたんですよ。いったいレビ人である彼が、いったいどうやってそんな愛のわざができたのかということです。

 レビ人というのは、イスラエル12部族の一つの部族に属していましたが、彼らはもともと自分たちの地所を持っていませんでした。神に仕える者として、神ご自身が相続だったからです。ですから、彼らは他の11部族がそれぞれささげる10分の一を受けることによって、それを相続財産として神から受けていたのです。しかし、そうした中でこうしたレビ人の中でも相当の不動産を持っている人たちがいました。たとえば、エレミヤも祭司の子で預言者でしたが、彼はアナトテにあるおじの畑を買ったと書かれてありますし(エレミヤ32:9)。ですから、それから500年も経ったこの初代教会の時代には、相当の不動産を持っている人がレビ人の中にいたのです。バルナバはそうしたレビ人の中の一人だったのでしょう。相当の不動産を持っていたようです。そうした不動産を、彼は売って、その代金を使徒たちのところへ持って来たのです。いったいなぜ彼はそのようなことができたのでしょうか。

 それは、そのように貧しい人、生活に苦しい人を見てかわいそうに思ったからではありません。彼のそうした莫大な献金は、ただセンチメンタルな同情心や博愛主義の精神から出たものではないのです。じゃ何なのか?それは彼が、主イエスの愛に生かされていたからなのです。主イエスの愛に生かされながら、神が愛してやまない教会という枠組みの中で、心と思いを一つにして祈っていたからなのです。福音を宣べ伝え弁証し論じ合うといった中で、確かに教会にそれだけの必要があると判断し、聖霊によってそのように示されたからこそ、こうした大決断ができたのです。そうでなかったらこのようなことはできないのです。その人がどれだけ財産を持っているかということと全く関係がないのです。その人がどれだけ神の愛に生かされ、心と思いを一つにして祈っていたからなのです。
 
 聖書の中に、イエス様がベタニという所におられたとき、ひとりの女の人が、非常に高価なナルドの香油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエス様の頭に注いだという話しがあります。それを見ていた何人かの人は、「何のためにこんなむだなことをするのか」と憤慨して言いました。「この香油なら300デナリ以上に売れて、貧しい人に施しをすることができたのに・・・」そう言ったのです。
 ところがイエス様は、このように言われました。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。この人は、私の埋葬のためにと、前もって油を塗ってくれたのです。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のしたことが語られて、この人の記念になるでしょう」(マルコ14:6~9)

 このような愛のわざは、計算してはできません。愛は計算を度外視するのです。そこに実際的な神の愛を必要としている人がどれだけいるか。そのような状況を見て、必要とあらば、そのために喜んで自分をささげることができました。そこに働いていたのはただ、滅びるしかなかった者が神によって愛され、生かされていることの恵みでした。実際、当時のエルサレム教会には、それだけの必要があったのです。それほど貧困者が救済の手を待ちわび、人々の切り売りくらいではとうてい間に合わないくらいの需要の声が、満ちていたのです。

 バルナバはそれに答えたのでした。彼のそうした愛のわざは、だれからも、何からも強制されることがなかった、主イエスの愛によって揺り動かされた信仰から生まれたものだったのです。ルカはそれを伝えたかったのです。彼らはただ持ち物を共有していたのではない。それは彼らが心と思いを一つにしたところから生まれた感謝の心からにじみ出たわざであったということです。それがバルナバという名前だったのでしょう。ここではわざわざその意味まで紹介されています。訳すと、慰めの子です。この「慰め」ということばには米印がついておりますが、そこには、別役で「勧めの子」です。つまり、彼は単に慰めるだけの人ではなかったのです。彼は勧めの子、奨励をする人でもありました。パウロとともに最初の伝道旅行をし、ユダヤ主義という異端と論争し、あのパウロとさえ激論を交わすほど気性の激しい人でした。そのバルナバのこうした献金の姿というのは、単なる同情心や人間的なものから出たのではなく、神の愛に突き動かされたところから生まれた愛と信仰によるものであったのです。

 ですから、私たちがバルナバのような生き方をしたいと思うなら、教会が愛の共同体であることを理解し、その教会の中に流れている神の愛に生かされ、動かされていることが必要なのです。そのためにも私たちは、主イエスの心を心とし、主イエスの思いを思いとして歩んでいきたいと思います。また、私たちがその主の愛の共同体の一員であることを覚え、心と思いを一つにして祈る者でありたいと思います。