使徒の働き5章33~42節 「御名のためにはずかしめられるに値する者」

 きょうは「御名のためにはずかしめられるに値する者」というタイトルでお話をしたいと思います。33節には、「彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った」とあります。これを聞いてというのは、使徒たちの弁明を聞いてということです。使徒たちの教え、すなわち、イエス・キリストの名こそ救われるべき唯一の御名であるという教えがエルサレム中に広まると、大祭司とその仲間たちはねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえて留置場に入れました。しかし、みことばが伝えられることの必要性をご存知であられた主は御使いを遣わしてその中から彼ら救い出し、このいのちのことばを語らせるわけです。すると早速当局から宮の守衛長や役人たちがやってきて彼らを再び捕らえ、議会の中に立たせて尋問しました。「あの名によって語ってはならないと命じておいたのに、いったいなぜ守らないのか」「そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている」と。

 それに対して使徒たちは、何と言ったでしょうか。29節です。人に従うよりも、神に従うべきです。あなたがたがだめだと命じても、神はこれをよしとし、いやむしろ語るようにと命じておられる。この神の命令に従うのです。また、私たちの神は、あなたがたが十字架につけて殺したイエスをよみがえらせ、救い主としてご自分の右の座に上げられました。それは、あなたがたが自分たちの悪事を悔い改め、罪の赦しを得ることが出来るためだったのです。そのように言いました。すると、この弁明を聞いていた人たちは怒り狂い、彼らを殺そうとしたのです。しかし、そうした中にあっても冷静沈着に対応した人もいます。ガマリエルという人です。また、使徒たち自身はというと、そうした中にあっても積極果敢に伝道を続けるわけです。ここにはそうした使徒たちの弁明に対して取られた三つの態度があったことが紹介されております。こうしたキリスト教への三つの対応というのは、いつの時代でも、どこの国においても見られるものですが、私たちは今朝、こうした三つの対応を学びながら、主が求めておられる態度とはどのようなものなのかをお話したいと思います。

 きょうお話する三つのことは、まず第一に、33節に見られる大祭司とその仲間たちの激しい敵対の態度です。第二は、34~40節に見られるガマリエルの提案です。それから第三は、41,42節に記されてある使徒たち自身の態度です。

 Ⅰ.怒り狂った人々

 まず第一に、怒り狂った人たちを見ていきたいと思います。33節をご覧ください。

「彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。」

 「彼ら」とは、大祭司とその仲間たちのことです。21節に「一方、大祭司とその仲間たちは集まって来て」とありますし、また、27節にも「大祭司は使徒たちを問いただして」とあることからもわかります。彼らは、使徒たちの弁明を聞くと、怒り狂い、使徒たちを殺そうとしました。この「怒り狂い」ということばには米印がついて、下の欄外の説明を見ると、「心をのこぎりで引き切る」と書かれてあります。怒り心頭に達するという意味で、頭も心も、のこぎりで引かれ切られるほど怒ったということです。皆さんの人生にも一度や二度はそういうこともあったでしょう。怒り心頭で、めまいがするくらい怒ったということが・・・。メスとサッと切られるのも痛いですが、そのような痛みとは違って、のこぎりでゴリゴリと引き裂かれるほどの苦痛が伴う激怒です。彼らはそれほど激怒したわけです。いったいなぜ彼らはそんなに怒り狂っていたのでしょうか。

 第一に、彼らの間違った教義的な先入観がありました。使徒たちは、自分たちの仕えているイエスこそメシヤであると主張しましたが、その根拠がどこにあるかというと十字架と復活でした。ですから30節のところで、「私たちの父祖の神は、あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。」と言っているのです。十字架で死んで、三日目によみがえられたイエスこそ救い主の証拠であるというわけです。ところが、そうした証拠が、彼らには全く通じませんでした。なぜなら、彼らはそうした奇跡を信じられない人たちだったからです。前にもお話したことがあるかと思いますが、サドカイ派の人たちというのは、合理主義的な立場に立っていて、自分たちの頭で理解できることは信じて受け入れましたが、そうでないことは神とモーセを除いてすべて否定したのです。ですから、イエスが復活したという話を受け入れることなど到底できなかっただけでなく、それこそ神に逆らう者たちであって、そういう人たちは殺すべきであると考えていたのです。死人の復活などあり得ないときめつけていたこうした彼らの先入観が、イエスの復活を否定し、イエスに従う道こそ神に従う道であるという論証全体を無意味なものとしていたのです。

 もう一つのことは、プライドです。彼らは宮で最高の権力を持っていた人たちでしたが、そういう人たちに向かって使徒たちが、「あなたがたはイエスを十字架にかけて殺した」と非難したわけですから、怒り狂うのも無理もありませんでした。自分たちの権威が否定され、そのメンツが傷つけられたとき、罪深い人間が取る態度というのはこうした怒りなのです。先日テレビでタモリが敦という芸人と対談している中で、妻と夫婦げんかしたらどういう態度を取るかという話しの中で敦が一言、「自分からは絶対に謝らないですね」と言いました。相手から謝って来るまでは自分からは一切連絡を取らない。相手が謝って来たときに、「そうか、じゃ許してやるよ」と優しくいうと、効果があると言うと、それを聞いていたタモリが、それは未熟だとバッサリと切り捨てました。プロはそういう態度はしない・・・と。プロはどうするかというと、プライドを捨てる。夫としてのプライドを捨てて、自分の方から悪かったと謝る。実はそういう人こそ成熟しているプロが考えることだよ・・・と言うわけです。私はそれを聞いていて、タモリっていう人は意外とわかってるなぁと思いました。未熟な人は自分の権威、立場に固執しますが、本当に成熟している人というのはそれを捨てられる人なのです。キリストは神の御姿であられた方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、自分を無にして、仕える者の姿を取り、人間と同じようになられました。いや、人としての性質をもって現れただけでなく、自分を卑しくし、死にまでも従い、実に十字架の死にまでも従われました(ピリピ2:6~8)。

 それにひきかえこの大祭司やその仲間たちというのは、自分の立場や権威を捨てることかできませんでした。彼らは自分が否定されるようなことを言われるとそれを受け入れるどころか、そういう人たちを必死になって潰そうとしたのです。自分の意見や考えで、そうした事実を変えることができるのではないかといった錯覚さえ抱きました。そしてそれができないと怒り狂うというヒステリックな状態に陥ってしまったのです。私たちに出来ることは彼らのように自分たちの力や権威によって事実を変えようとすることではなく、神がなさっておられることを謙虚に受け止めていくことです。その出来事がいったいどういうことなのかを霊的に見つめて解釈し、そこで語られている神からのメッセージを受け止め、謙虚になって神のみこころに従うことです。その時、私たちの心に本当の平安が与えられるのです。自分の思いに執着し、思い通りにならないと嘆いているのは、ちょうどラジオで、周波数を違うところにあわせていて、自分の聞こうとしている放送が聞こえないで焦っているようなものです。そういう状態では、いつまでも平安を得ることはできません。ただ神のみこころに焦点を合わせ、みこころに従うことによってのみ得られるのです。

 皆さんが怒るときはどうい時でしょうか。人に無視されたときでしょうか。あるいは、嘘のうわさを立てられたとき、自分のものを勝手に使われたとき、約束を破られたとき、人に裏切られるとき、自分よりもほかの人が尊ばれている時でしょうか。しかし、それがどのような時でも自分を捨て、すべてを支配しておられる神にゆだね、その事実を謙虚になって受け入れていくとき、そうした怒りから解放されていくのです。もちろん、悪に対しては毅然した態度を取るべきだと思いますが、ここに出てくる大祭司やその仲間たちのように自分の立場を守ろうとするために怒るようなことがあるとしたら、それはまだ未熟であることを現しているのであって、そうしたことに固執しておりますと人間として成長していくことができません。どのような中にあってもそれを霊的に意義付けし、そこに流れている神からのメッセージをしっかりとキャッチし、その神のみこころにすべてをゆだねて歩む人、それが成熟を目指している人の取る態度なのです。

 Ⅱ.ガマリエルの提案

第二の対応は、ガマリエルという人に見られる態度です。34~39節をご覧ください。

「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。それから、議員たちに向かってこう言った。『イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、あなたがたに申し上げたいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたは彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。』」

 ここに、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルという名のパリサイ人が登場します。彼は派閥から言うとパリサイ派に属し、律法学者でありましたが、普通の律法学者と違い、この人はすべての人に尊敬されている人でした。使徒22:3を見ると、この人はあの大使徒パウロの先生でしたから、大大先生でありました。当時のユダヤ教学界では最も人気のあったヒルレル学派に属していましたが、そのヒルレル学派を開いたラビ・ヒルレルという人の孫に当たる人でした。普通のユダヤ教の律法学者を先生という意味の「ラビ」という敬称を用いましたが、特に偉大なラビは「ラバン」と呼ばれていました。このラバンと呼ばれた教師はユダヤ教の歴史においても数人しか存在していませんが、そのラバンと呼ばれた最初の人がこのガマリエルでした。ユダヤ教の古い伝承の本に、「ラバン・ガマリエルが死んで以来、もはや律法への尊敬はなくなってしまった。同時に、純潔と節制も絶えてしまった」と記されているほどの人なのです。彼はそれほど尊敬されていたのです。

 そのガマリエルが議会の真ん中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じてから、サドカイ派の議員たちに向かって、使徒たちをどう扱うかは、よく気をつけるようにと言いました。というのは、ユダヤの革命家であり、ヨルダン川を裂いてみせるなどといって人の心を引きつけていたチゥダという男がいましたが、ついにローマ総督に殺され、彼についていた人たちもあとかたもなくなってしまったし、また民衆を率いて反乱を起こしたガリラヤ人ユダも、結局は滅びてしまったわけですから、使徒たちのことも放っておいた方がいい。もし、それが人から出たものであれば自滅してしまうでしょうし、しかし、もし神から出たものであるならば、どんなに頑張ってもあなたがたに彼らを滅ぼすことはではないでしょう。そんなことをしたら、あなたがたが神に敵対する者になってしまいます。

 彼はすべての人に尊敬されている律法学者と紹介されているごとく、まことに的を得た提案をしました。第一に、そこには神への深い信頼が読み取れます。自分の力で処理しようとしないで、神の摂理にゆだねようとする、神への深い信頼と従順です。第二に、彼にとって使徒たちというのは全く性質を異にする人たちですが、そうした自分と意見や信条が違う人に対しても、あくまでも寛容な精神を失わないようにしています。第三に、憎しみの的になっていた使徒たちをしばらく間外に出させることによって議場に冷静さを取り戻そうとしたことは、自分の感情を抑制しようした点で評価できます。すなわち、彼の態度というのは、神への深い信頼と従順、意見の異なる人たちへの寛容、自分の感情を抑えるという、あらゆる面において慎重さと礼節さに貫かれているのです。さすがはラバン、大先生です。
 シュライエルマッハーという人は、「主は他のだれに対してよりも彼こそ、『あなたは神の国から遠くない』と言いたかったろう」と言いました。また、古い教会の伝承の中には、ガマリエルはひそかにクリスチャンになっていて、のちに息子アビブとラビ・ニコデモとともに、使徒ペテロとヨハネとから洗礼を受けた、という作り話も生まれたほどです(偽クレメンス文書「再会」1:55)。

 圧倒的多数の反対意見の中にあっても、正しいことを主張し、神のみこころかどうかわからない時には忍耐して待つといった彼の姿勢は見事なものです。それがみこころかどうかの確信がないうちに行動しては失敗を繰り返してしまうような私たちにとっては、学ぶ点が多いのではないかと思います。また、彼のそのような発言がみんなが説得するほど力があったのは、彼の意見がただ単に論理的にすぐれていたからというよりも、彼の日常の生活がすべての人に尊敬されるようなものであったからでしょう。そういう意味で、私たちは神のことばに聞き従うことによっていつも聖霊に満たされ、聖霊の知恵と力をいただくことにより、回りの人たちに良い証しを立てることができるようにと求めていくべきです。

 しかし、このガマリエルの態度というのは、手放しに称賛されるようなものだったのでしょうか。というのは、彼の意見が本当に受け入れられたものであったのなら、どうして40節に見られるように、使徒たちをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと厳しく命じたうえで彼らを釈放するというようなことがあったのでしょうか。それは放っておくことではありませんし、ガマリエルの提案に説得された人たちのすることではありません。いったいこれはどういうことだったのでしょうか。

 榊原康夫先生が書かれた注解書を見ると、ガマリエルが本当に理解のある人で、そのことばに彼らが本当に説得されていたのであれば、こんなことはしなかったのではないかと言っています。すべてを神様にゆだねて神様の導きを静かに待ち望んでいたはずだというです。彼らがこのようなことをしているのは、ガマリエルの放任政策というものが、実は私たちが考えているような物わかりのよい寛容政策ではなかったことを物語っているのではないかというのです。どういうことかというと、彼の寛容なまでのこの態度というのは、結局のところ、物分かりのいいように見える反面、実はそれは従う意志のない傍観主義にすぎなかったのです。というのは、もし使徒たちの働きが人から出たものなのか、それとも神から出たものなのかの二つに一つであったとしたら、そんなにのんきに「放っておきなさい」などと構えてなどいられなかったからです。もしそれが神から出たものであるならば、「あっ、そう、それは神から出たの。じゃ、どうしようかな。ちょっと待てよ。今は忙しいから、もう少し経ったら信じるから」なんて言えるでしょうか。言っていられないのです。少なくてもそうした可能性がある限り、それが神から出たものなのか、人から出たものなのかを必死に調べるのではないでしょうか。しかし、そうした態度が見られないということは、結局のところ彼もまた、従う意志がなかったことを表明していることになるのです。

 ですから、ガマリエルの態度というのは、一見、公平に見え、きわめてものわかりのいいように見えますけれども、実のところ、生ける神に対する敬虔さという点から見ると、問題があったのです。「放っておきなさい」といったひより見主義ではなく、「人に従うより、神に従うべきです」と使徒たちが言ったような、もっと積極的な関わりが求められていたからです。それは今日の私たちにも見られるのではないでしょうか。真理がはっきりと示されているにもかかわらず、そこから逃れるために、いつも第三者としてそのかたわらに立ち、それを傍観しているのです。その中に飛び込んでいこうとしないのです。それが日本人の姿でもあります。それは一見、良いようですが、しかし、真理に対してはそれに従うか拒否するかのどちらかであって、第三者の中立的な立場などはあり得ません。黙示録3章15~20節までを開いてみましょう。ラオデキヤにある教会に宛てて書かれた手紙の中で、主はこのように言っておられます。

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる。豊かになった。乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もまたわたしとともに食事をする。」

 主イエスは、私たちの心のドアを叩いておられます。自分に満足しないように。自分は富んでいる。豊かになった。乏しいものは何もないと言って、自分に満足したなまぬるい信仰から、真に豊かな者となるために、目薬を塗って、自分の姿をはっきりと見て、本当に乏しい者であることに気づきながら、熱心になって主にお頼りさせていただく。主はそのような者になることを願っておられるのです。そのために心のドアを叩いておられるのです。主が戸を叩いておられるのは、すでに救われたラオデキヤの教会の人たちが、自分の状態に甘んじて生ぬるい信仰でいることがないようにとの、主イエス様からの懲らしめでもあったのです。

 私は毎朝起きて最初にすることは熱いコーヒーを飲むことです。ソファーに座って一杯の熱いコーヒーを飲んでからその日の働きを始めます。祈ってからではないのです。コーヒーを飲んでからです。でも、そのコーヒーは熱くないとだめです。ぬるいコーヒーは飲めません。そういうコーヒーは「ブッ」と吐き出してしまいます。神様も同じです。 熱いか冷たいかであってほしいと願っておられる。傍観者的な信仰ではなく、主のチャレンジに積極的に応えていくような信仰を求めておられるのです。そういう意味では、ガマリエルの態度は一見、神への信頼と人への寛容、そして自分自身への冷静さという点で優れたものではありましたが、主が求めておられた対応ではなかったのです。では、主が求めておられた態度とはどのようなものだったのでしょうか。それが次に見る使徒たちに見られる態度です。

 Ⅲ.御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜  ぶ

 41,42節をご覧ください。
 「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされた
 ことを喜びながら、議会から出て行った。そして、毎日、宮や家々で教え、
 イエスがキリストであることを宣べ伝えた。」

ガマリエルに説得された議会の人たちは、使徒たちを呼ぶと、彼らをむちで打ち、今後イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放しました。釈放された使徒たちはどうしたかというと、御名のためにはずかしめられるに値するものとされたことで喜び、議会から出て行くと、いつものように、宮や家々でみことばを宣べ伝えました。本当に不思議です。彼らは御名のためにはずかしめられるようなことをされても、それを悲しむどころか、むしろ喜びました。それは、御名のためにはずかしめられるということが、いかにも難しい貴重な体験であるという考え方がありました。イエス様がそのように教えられたからです。

「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。」(ルカ6:22,23)

また、ペテロもこう言っています。
「キリスト者として苦しみを受けるなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。」(Iペテロ4:14、16)

 御名のためにはずかしめを受けるということは、クリスチャンにとっては喜びなのです。なぜなら、それが神のみこころだからです。私たちにとっての喜びというのは、この神が与えてくださる喜びです。この神によって心が満たされることによってもたらされるものです。一般的に喜びというのは、自分が得をしたり、ほめられたりしたときにするもので、利己的なものです。そうした喜びというものは、自分の欲望が満足している時は喜べますが、そうでなくなるとすぐに消え去ってしまいます。しかし、イエス様が与えてくださる喜びはそうしたものとは違い、自分の置かれた状況などによって奪われたりするものではありません。パウロはピリピ人への手紙の中で、「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(4:11)と言っていますが、彼がそのように言うことができたのは、彼の喜びがこうした利己的なものとは違う神が与えてくださるものだったからなのです。彼はその秘訣を次のように言っています。

「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する欠を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:12,13)

 彼の勝利の秘訣、それはイエス・キリストでした。イエス様によって心が満たされていることが喜びでした。サンヘドリンの人たちのように、自分の主張が通るとか自分の権威が認められることが喜びではなく、また、ガマリエルように、中立的な立場に立ってどちらからも悪く思われれないそつのなさが嫁媚びなのでもなく、ただただ「御名のため」にだけ生きることが喜びだったのです。

 これこそクリスチャンの特質であり、醍醐味です。たといどんなに大多数に受け入れられることがなく、歴史の動きに取り残されてはずかしめられているかのようであっても、イエス・キリストのためにはりんとして動揺しない確かさこそ、クリスチャンの喜びり根源なのです。この確かさに基づく喜びにおいて、クリスチャンは、世に勝つ者なのです。

 日本ホーリネス教団の村上宣道(むらかみのぶみち)先生のお父様も牧師であられたそうですが、時はちょうど戦時中、検挙されて留置されたことがありました。教会は解散させられ、集会は禁じられました。当時村上先生は青森に疎開しておられましたが、お母さんがリンゴの袋はりなどをして、留守の家庭を支えておられたそうです。村上先生はそのお母さんの苦労を間近で見て育ちましたが、子供心に不思議に思ったのは、お父さんが捕らえられ留置場に入れられているというのに、いつもお母さんの口からは賛美があふれ、その顔がにこにこしていることでした。別にお父さんのことが嫌いだったからではありません。そうじゃなくて、そうした苦しみがイエス様の御名のためだったからです。お母さんはよく言ったそうです。「お父さんは、イエス様のために苦しめられて、きっと喜んでいるよ。」時代が時代だけに、村上先生も学校では「スパイの子」とののしられたり、石を投げられたりしたそうですが、そんな時でもお母さんは、「きょうもイエス様のためにひどい目に遭ったね。でも、天国でのごほうびがまたたまったね。」と言って励ましてくれたそうです。お父さんは病弱だったこともあって数ヶ月で出所することができましたが、何人かの牧師は獄死した方もおられます。平和で自由な今の日本では考えられないことですが、戦時中はこういうことが実際にありました。

 これから将来、このようなことが起こらないとは限りませんし、また、そのようなはずかしめでなくとも、別の形で私たちもまたはずかしめを受けることがありますが、そのような時でも耐え、いや、使徒たちのように御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、しっかりとそれに備えていく者でありたいと思います。それこそどの時代でも、どこにおいても、主イエスが私たちに求めておられる態度なのです。