使徒の働き13章13~43節 「救いのことば」

 きょうは、「救いのことば」というタイトルでお話したいと思います。バルナバとパウロは、バルナバの故郷であったキプロス島での伝道を終えると、今度は、パウロの故郷であったキリキヤ地方に近いパンフリヤのペルガに向かいます。さらにペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行くと、パウロはそこで安息日に会堂に入り、同胞のユダヤ人と、神を恐れるかしこむ人たちにみことばを語りました。ここに記録されてあるパウロの説教は、使徒の働きの中でパウロが初めて語る本格的な説教です。彼はその中でイスラエルの長い歴史を振り返りながら次のように言いました。26節です。

「兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。」

 「この救いのことば」とは何でしょうか。23節、「神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。」です。この救いのことばが届いたのだと宣言したのです。そして、この救いのことばは今から二千年前にこのピシデヤのアンテオケの人たちにばかりではなく、あれから二千年経った今、この日本の大田原や那須にも届いたのです。

 きょうはこの「救いのことば」について、三つのことをお話したいと思います。 第一のことは、この救いのことばはどのようにして私たちのところに届いたのでしょうか。そこには多くの苦難や困難がありました。しかし、そのような苦難を乗り越えて今、私たちのところにももたらされたのです。第二のことは、この救いのことばとは具体的にどのようなものなのでしょうか。パウロが語ったこの救いのことば、その説教そのものについてみていきたいと思います。第三のことは、この救いのことばを聞いた人たちはどのように応答したかということです。彼らはただ聞きっぱなしではありませんでした。次の安息日にも来て、同じことについて話してくれるように頼んだのです。そこでパウロとバルナバは、彼らがいつまでも神の恵みにとどまっているようにと勧めました。

 Ⅰ.苦難を乗り越えて(13-14節)

 まず第一に、この救いのことばがどのようにしてもたらされたのかについて見たいと思います。13~14節をご覧ください。

「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。」

 ここで、この伝道旅行チーム一行は「パウロの一行」と呼ばれています。それは、この伝道チームのリーダーシップがこの時からバルナバからパウロに移っていたからでしょう。おそらく、キプロス島におけるパウロのめざましい活躍で、自然とそのようになったのだと思います。

 ところで、このパウロの一行がキプロス島のパポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った時に、一つの出来事が起こりました。それは、マルコとよばれていたヨハネが一行から離れて、エルサレムに帰ってしまったという事です。その原因はよくわかっていません。ある人は、ヨハネはこれまで自分のいとこであったバルナバについて来たのにこの時からリーダーがパウロに替わってしまったことで、彼のやり方についていけなくなったのではないかと考えていますし、ある学者は、いやいや、これから始まる小アジヤでの伝道に恐れをなして身をひいてしまったのだという人もいます。ある人は、そうじゃなくて単なるホームシックにかかったのだという人もいます。それがどうしてだったのかはわかりませんが、パウロとバルナバが後に第二回目の伝道旅行に出て行こうとした際に、このヨハネを連れて行くかどうかで大激論となり、その結果、二人が袂を分かつようになったことを考えると、これは決して小さな問題ではなかったようです。しかも、その時にパウロが語ったせりふを見ると、このヨハネの離反が、かなりヨハネ自身の弱さから生じたことであるかのように言っていますから、それは後々までしこりが残るような出来事だったのです。聖霊に導かれて行った伝道でも、このような前途多難を思わせるような出来事が起こったことを考えると、福音の宣教にはそうした困難も伴うのだということがわかります。

 それだけではありません。14節をご覧ください。ヨハネが彼らから離れて行った後で、一行はペルガから進んでピシデヤのアンテオケに向かいました。地図を見てもらうとわかりますが、このペルガからピシデヤのアンテオケまでは直線にして約150キロの距離ですが、その道のりは決して容易いものではありませんでした。そこには二千メートル級の山々が連なるタウロス山脈がそびえ立ち、旅人はこの険しい山を越えて行かなければなりませんでした。しかも途中の山道には山賊たちも潜んでいたと言われています。このピシデヤのアンテオケは、あのアンテオケ教会のあるシリヤのアンテオケから西はエペソに至る東西を結ぶ主要な幹線道路の中間点にあって、本来ならばこのルートを通って来るのが一般的なのに、わざわざ南の方から回ってこのタウロス山脈を越えて行こうとしたのですから不思議です。彼らがなぜペルガからピシデヤのアンテオケまで一気に北上するルートをとったのかはわかりませんが、後にパウロがⅡコリント11:26~27で語った言葉の背景には、こうした苦難の経験があったことがわかります。そして、このような苦難を乗り越えて、神の国の福音は彼らのところに伝えられて行ったのです。

「幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」

 このような福音宣教の旅路にあって彼らが経験した苦難は、実はいつの時代にも福音を携えて出て行こうとする人たちにとっては避けられない経験でもあります。しかし、だからといってその苦難を嫌い、避けて通っていたのでは、神の国の進展はあり得ないし、またそこに神の恵みの御業も起こり得ないのです。

 日本に同盟基督教団という団体がありますが、その団体は今から114~115年前にアメリカから渡ってきた15人の若き宣教師たちによって始められました。その宣教団は北米スカンジナビアン・アライアンスミッションと言います。そのミッションを創設したのはフレデリック・フランソンという人で、その使命はまだ福音が届けられていない地域、いわゆる未伝地に宣教するということでした。ですから、日本に派遣されてきた宣教師たちは、それ以前に来日していた多くの宣教師たちがまだ入っていない地域を選び、あえてそれらの地域の宣教に挑んでいったのでした。その当時は僻地と言われていた飛騨高山とか、伊豆とか、房総半島に入って行きました。雪の深い飛騨高山では、険しい山道を慣れないかんじきをはいて進んで行ったそうです。それは、ここでパウロが経験したスピリットと同じです。何とかしてまだ福音を聞いたことのないところに福音を伝えていきたいというスピリットが、このような困難を乗り越えて進ませて行ったのです。私たちもまた、そうした聖霊による宣教のスピリットに燃え、まだ福音が伝えられていない地域に出て行き、伝えていく者でありたいと思います。神の救いのことばはそのようにしてもたらされていくからです。

 Ⅱ.救いのことば(15~41節)

 では、そのようにしてもたらされた救いのことばとは、いったいどのようなものだったのでしょうか。15~41節までに注目したいと思います。まず15節から16節の前半までです。

「律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」 そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。」

 ユダヤ教の会堂における礼拝では、いつも旧約聖書がまず朗読されました。それから、説教者は、その時に読まれた聖書のみことばから説教するというのが通例であったようです。そして、説教者はあらかじめ定められていたか、さもなければ、その時になって、会堂の役員たちが指名しました。この時パウロが指名されたのは、そのような理由によるものです。パウロは指名されると、立ち上がり、手を振りながら説教を始めました。

 このようにして始まる説教は、使徒の働きの中でパウロが回心後に初めて語る本格的な説教です。16節の後半から始まる彼の説教の内容を見ると、大きく三つの部分に分けられているのがわかります。第一部は16節から25節。第二部が26節から37節。そして第三部が38節から41節です。まず第一部のところでは、アブラハムから始まる神の民イスラエルの歴史について語ります。中でもダビデ王とその子孫としてお生まれになったイエス・キリストとが結びつけられ、このイエスこそ、イスラエルに約束された救い主、メシヤであると語るのです。その中心は23節です。

「神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。」

 つまり、ダビデとその家についてなさった神のお約束が、このキリストにおいて成就したのだということです。それは神が人類を救ってくださると約束されたお約束に真実な方であるからです。そして、それほどまでに私たちを救うことに関心を持っておられたからなのです。そのような神のご真実と、私たちに対する神様の愛の大きさを思うとき、私たちはただ心砕かれて、信じる以外にはないのです。パウロはそのように言いたかったのです。

 第二の部分は26節から37節までですが、パウロはここで、その救いのことばの内容について語ります。それは十字架と復活です。そのようにして神がお遣わしくださった救い主イエス・キリストを、エルサレムに住む人々はどうしたかというと、罪に定め十字架につけて殺してしまったのです。しかし、そのようにして殺したイエスを、神はそのまま放っておくことはしませんでした。どうしたのでしょうか。そうです、よみがえらせたのです。30節をご覧ください。ご一緒にお読みしたいと思います。

「しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。」

 何ということでしょう。ユダヤ人たちはイエス・キリストを十字架につけて殺すことによって「してやったり」と思ったことでしょう。がしかし、そのイエスを神がよみがえらせることによって、ある一つの事実がさらに明らかにされたのです。それは、このイエスこそ神の御子であり、救い主であられるということです。なぜなら、イエスの復活こそ、神の救いの約束が成就したしるしだからです。イエスが墓を打ち破り、死人の中からよみがえられたことによって、生ばかりでなく死をも支配されるお方であるということが、はっきりと示されたのです。これが救いのことば、福音なのです。

 ですから第三の部分は38節から41節の結論になるのです。38節と39節をご覧ください。

「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」

 ここでパウロは、イエス・キリストを信じることによってもたらされるすばらしい恵みについて、二つのことを述べています。それは「罪の赦し」と「解放」です。あるいは「罪の赦し」と「義と認められる」ことです。「信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」と。なぜこれが恵みなのでしょうか。なぜなら、それは神にしかできないことだからです。ところが、私たち日本人には、この罪のことがよくわかりません。日本人には、「恥」の意識はあっても「罪」の意識がないからです。たとえば、なぜ悪いことをしないのかというと、それがそれは罪だからではなく、ほかの人に知られてしまったら恥ずかしいからなのです。そうした恥の文化にある日本人にとって罪を理解することはなかなか難しいことですが、しかし、病気とか貧乏とか、その他さまざまな人間関係の問題などの、すべての問題の根本的な原因は罪であって、この罪によって人間はとても苦しむのです。一番わかりやすいのは良心の呵責でしょう。人間は神によって造られたとき、人の歩むべき道が定められました。その道を踏み外すと、その仕打ちを受けなければならないのです。それが良心の呵責です。ですから、比較的に良心がとぎすまされている人なら、生まれてからこのかた、何一つ良心にやましいことをした覚えがなく、良心の呵責など感じたこともないと言える人はいないでしょう。もし良心の呵責を全く感じないという人がいたとしたら、それは、その良心がかなり麻痺しているとしかいいようがありません。人はみな生まれながらに良心を持っているので、何か悪いことをするとこの良心の呵責を受けるのです。そしてこの呵責が非常に強くなってくると、「赦し」ということが最も切実な願いとなってくるのです。

 かつて老婆殺しの犯人が十年の服役を終えてから何年もたったころ、その殺人罪が時効になる二日前に、「実は私が真犯人でした」と名乗り出たタクシーの運転手がいました。「もうこれ以上はうそをついてはいられない。被害者が夢まくらに現れて、苦しくてしかたがない」と言うので、取り調べてみたところ、その人が真犯人だと自白したというのです。もう二日我慢すれば時効にもなるし、身代わりの犯人もいて刑も終わっているのですから、その運転手は天下晴れて堂々と通りを歩けるというのに、何と良心の呵責とは恐ろしいものでしょうか。それほどに、良心のとがめというのは、ちゃんと有罪判決に基づく刑を受けて、正式に「赦し」の宣言をしてほしいものなのです。もちろん、だれも服役の苦労そのものをほしがりませんが、そのあとに聞く「赦し」の宣言は、何ものにもかえがたい救いなのです。ですから、ほんとうに良心的な人は、神から罪の赦しの宣言を受けたとき、「ああ、救われた」と叫ぶのです。いいか、悪いかはともかく、カトリック教会では告戒というサクラメント(秘蹟)があるのはそのためです。だれにも言えない罪を、小さな窓越しに相手の神父さんに告白する。そこで宣言される罪の赦しが、その人にどれほどの喜びをもたらしてくれるでしょう。

 しかし、神の要求を守りきれない人間が、神の要求する刑罰を完全に果たしうることかなどできるのでしょうか。できません。だれひとり、自分ひとりで服役し、人生のありとあらゆる苦労を背負っても、それで十分に罪の償いをしうる人などいないからです。それができるのは、神のみ子でありながら罪びとのひとりのようになって、あらゆる病気、貧乏、争い、問題、不幸の根源であるところの罪を我がことのようになって背負い、ついには、のろいの十字架にかかっていのちを償い、代価を払ってくださった方、イエス・キリストだけなのです。ですからキリストは、「あなたの罪は赦された」と宣言することができるのです。

 もちろん、だからと言って、もう二度と罪を犯さないという保証はありません。自分の弱さと醜さを知っている人は、「あなたの罪は赦された」と宣言されただけでは不十分であることは、明らかです。がしかし、幸いなことに、「義と認められる」ということの中には、もう一つすばらしい約束があるのです。それは、もうすでに合格しているということです。天国の入学試験に落第した者が、落第しなかったことにしてやるから、もう一度白紙で試験を受け直してみろというのが赦しです。それは、落第した私たちでも合格したと認めてやるから、もう受験の規定から免除されているということと同じです。なぜなら、イエス様が私の罪の罰を身代わりに受けてくださっただけでなく、もっと積極的な意味で、本来なら私が守るはずの神のおきてを代わりに全部守ってくださったからです。イエス様を信じるということはそういうことなのです。イエス様が私たちの代わりに合格点を取り、私たちの代表として天国の切符を手に入れてくださったので、私たちはこの方によって義と認められたのです。ですから、過去の問題集を見て、たとい「自分にはもうこんな問題は解けない」と思っても、それで学外に追放されることがないように、たとえ誤って罪を犯すことがあったとしても、それで天国から追放されるということはないのです。もう入試のおきての届かない別の世界に入っているからです。「信じる者は、この方によって、解放されるのです」というのはそういうことなのです。

 自由主義神学の影響を受け、十字架を信じられないまま牧師になったウィリアム・クーパーは、ある年の受難週を控えた土曜日に、自分の教会の週報を見て救われたといいます。聖日礼拝でのメッセージのテーマを「誰がイエスを殺したのか」という題名にした彼は、ちょうどその題名の下に「ウィリアム・クーパー」という自分の名前が書いてあるのをじっと見ているうちに、自分の罪がイエスを死なせたのだということに気づき、大声で泣きました。そして身を伏せて、主を自分の救い主であり、主であると告白したそうです。

「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」何というすばらしい約束でしょうか。パウロが説教したのは、この救いのことばでした。

 Ⅲ.神の恵みにとどまって(42~43節)

 第三に、このようにパウロを通して救いのことばを聞いた人たちは、どのような反応をしたかをみたいと思います。42~43節をご覧ください。

「ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。」

 パウロの説教を聞いた多くの人たちは、深い感銘を受け、「次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼」みました。「同じような説教はしないでください」「あの話は何回も聞いた」という私たちとは違いますね。「次の安息日にも同じことについて話してください」と願ったわけですから・・・。それほどに深い感銘を受けたというか、霊的に飢え渇いていたのでしょう。

 ところが、このところを見るとそのような彼らに対して、パウロとバルナバが次のように勧めたことが記されてあります。それは「いつまでも神の恵みにとどまっているように」ということです。「いつまでも神の恵みにとどまっているように」いったい彼らはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか。それは、主イエスを信じて救われるということは大きな祝福であるばかりでなく、それは同時に主イエスに従うことにおいては苦難の始まり、キリストの苦難にあずかることも意味していたからです。ピリピ1:29に、「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。」と書かれてあるとおりです。私たちは、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。ですから、一時の救いの喜びの高揚感に浸っているばかりでなく、それがしっかりとした救いの確かさに結びついていなければならないのです。事実、その次の安息日にパウロとバルナバが宣教した時には、ユダヤ人たちの激しい抵抗や反発に会っているのです。主イエスを信じて進み行く道には、苦難が絶えず伴うことを覚えておきたいと思うのです。

 では、そのような苦難に直面したとき、私たちクリスチャンはどうあるべきなのでしょうか。神の恵みにとどまっていることです。いつまでも神の恵みにとどまり続けることです。それは具体的に言うならば、神のみことばにとどまることを指しています。なぜ、神のみことばにとどまっていることが必要なのでしょうか。それは、みことばが私たちを育成し、御国を継がせることができるからです。使徒20:32に、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」とあるとおりです。この地上の歩における様々な苦しみを抱え、救いの喜びが消え失せ、罪の力が再び私たちを縛り始めようとするとき、いったい私たちは何を見つめ、どこに足場を置き、何にとどまったらいいのでしょうか。みことばです。みことばは、私たちは育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって、御国を継がせることができるからです。

 イエス様はこのように言われました。
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15:4~7)

 キリストにとどまるとは、キリストのことばにとどまることです。そういう人は、多くの実を結ぶのです。枝だけでは実を結ぶことはできません。神の恵みにとどまらせるもの、それが神のことばなのです。私たちはいつも真実な神のことば、生ける神のことば、確かなみことばにとどまり続ける者でありたいと思います。その時に、みことばが私たちを育み、養い、恵みの中にさらに恵みを増し加え、栄光から栄光へとすすすませてくださり、そしてついには御国を継がせてくださるのです。この神の恵みにとどまって、共に御国を継がせていただきたいと思います。このすばらしい救いのことば、神の国の福音が、私たちのところにも届けられたからです。