きょうは、「心を開かれる主」というタイトルでお話したいと思います。きょうの聖書箇所は、「そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた」(11節)ということばで始まっています。パウロとシラスは、ルステラでテモテを、トロアスでルカをその伝道旅行の仲間に加えると、神様がマケドニヤで伝道するように自分たちを招いておられると確信して、トロアスから船に乗り、サモトラケに直行し、その翌日ネアポリスに到着しました。それから十数キロメートル離れたピリピへと向かうと、そこで二人の女性に出会います。一人はテアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという人で、もう一人は占いの霊につかれていた若い女奴隷です。この二人の女性から教えられることは、主に心を開くことの大切さです。ルデヤは主に心が開かれてパウロが語る事に心を留めるようになり、主を信じてバプテスマを受けました。そして、その喜びのゆえに彼らを自宅に招き、心からのもてなしをしました。一方の占いの霊につかれた女奴隷は、確かにいと福音を宣べ伝えていたパウロの伝道の働きを認めていたかのようでしたが、実際にはそうではありませんでした。そこには主イエスとの関わりや救いがなかったからです。
きょうは、このところから主に心が開かれることについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、主に心が開かれたルデヤについてです。第二のことは、そのように心が開かれたルデヤがどのように変えられたについてです。そして第三のことは、パウロによって占いの霊を追い出された女奴隷の問題についてです。
I.主に心を開かれたルデヤ(11-14)
まず第一に、主に心を開かれたルデヤについて見ていきたいと思います。11~14節に注目していただきたいと思います。
「そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。」
聖霊に導かれ、海を渡ってマケドニヤの土を踏んだパウロ一行は、ピリピという町に向かいました。それは、この町がマケドニヤ地方の第一の町で、植民都市であったからです。パウロの伝道のやり方をみますと、いつもこのようなやり方をしていることがわかります。すなわち、最初は大きな町で伝道し、そこから次第に中小都市へ、そしてやがて町々、村々へと及んで行くやり方です。マケドニヤ州の首都はテサロニケでしたが、彼がまず最初にこのピリピを伝道地として選んだのは、この町が上陸したネアポリスから十数キロメートルしか離れていない非常に近いところにありこのマケドニヤ州最大の都市であったということ、そして何よりもこの町がローマの植民都市であったからです。
植民都市というのは、小さなローマがそっくりそのまま移って来たような町という意味です。このピリピは、その昔、アレクサンダー大王の父、フィリップ2世が作った町で、その名にちなんで「ピリピ」と呼ばれるようになりましたが、
のちに紀元前41年に、ローマのオクタビアヌス、アウグストがピリピ戦争で勝利すると、これを植民都市としてローマの軍人たちを住まわせ、ローマ市民がローマで受けていたのと同じ特権が受けられるようにしたのです。まさしく小ローマです。ヨーロッパでの伝道を目指していたパウロにとっては、この小ローマとも言うべきピリピは、かっこうの伝道の町だったのです。
パウロは、このピリピにやって来ると、その町に幾日か滞在しました。そしてある安息日に、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話をしました。なぜそんな所にわざわざ行ったのかというと、会堂がなかったからです。ユダヤ人の男が十人もいればユダヤ教の会堂が建てられると言われていましたが、この町はピリピ戦争の退役軍人で作られた植民都市でしたから、ローマ色が圧倒的に強かったのに対して、ユダヤ人の数は微々たるものだったので、会堂がなかったのです。このようなとき、ユダヤ人はどうしたかというと、町の外の川岸に、祈りの場を作っていました。この祈りの場というのは、時には囲いがありましたが、その多くは囲いもなく、川のほとりを祈り場にしているだけでした。神を敬っていた敬虔な人たちは、安息日になると、この祈り場にやって来ては礼拝をささげていたのです。パウロたちがその祈り場を捜して行ってみると、そこにはほとんど婦人たちしか集まっていませんでした。そこでパウロは、そこに腰をおろし、集まっていた婦人たちに話をしたのです。
するとそこに、「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという」女性がいました。「テアテラ」というのは、以前パウロが伝道しようとして果たせなかったアジア州にある町です。この町は昔から染物工業が盛んで、特に「紫布」は、王侯、貴族、ローマの軍人、ローマ市民にちょうほうされた高級品でした。ローマ軍人が多かったこのピリピにかっこうの市場があるということで、商売のためにテアテラからやって来たのでしょう。なかなかやり手というか、行動的な婦人です。
けれども、このルデヤについてもっと特徴的な点をあげるとすれば、それは彼女が「神を敬う」女性であったということです。この「神を敬う人」とは、ユダヤ人ではなくてもユダヤ教の唯一の神を信じ、安息日には会堂に行って神を礼拝していた異邦人のことです。おそらく彼女は、テアテラにいた時にユダヤ教に帰依していたのでしょう。積極的に商売をするといった忙しい生活の中にあっても、その中心を占めていたのは神礼拝でした。この日も安息日でしたので仕事を休み、神を礼拝するために、この祈り場に来ていたのです。何人集まっていたかはわかりません。まだ会堂もない小さな集会です。しかし、そこに何人集まっていようと関係ありませんでした。彼女にとっての関心は、聖書に記されてあるように、安息日を覚えてこれを聖なる日をすることでした。そのような敬虔な思いでこの祈り場にやって来たのです。そして、そのような敬虔な思いが、パウロとの出会いへと導きました。。
パウロが腰をおろし、そこに集まった人たちに説教すると、この敬虔なルデヤは、じっと耳を傾けて聞いていましたが、主は彼女の心を開き、パウロの語る事に心を留めるようにしてくださいました。これは非常に重要なことです。そこには何人かの人がいました。そこにいた人たちはみな旧約聖書の神を信じていたはずです。みんな祈っていました。そして、みんな同じ説教を聞いていたのです。しかし、その説教によって救われたのは、主が心を開いて、みことばに心を留めるようにされた人だけでした。みんな同じ話を聞いても、みんなが信じるかというとそうではありません。主によって心が開かれた人だけなのです。
この「心を開く」ということばは、ルカの福音書24章31節のところで「彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」とか、同じ ルカの福音書24章45節のところで「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いた」と記されてあることばと同じことばです。つまり、本当の意味で聖書を悟るためには、聖書を読み、説教を聞く人の心が開かれることがなければならないのです。というのは、聖書は、神がご自分のことを知らせるために与えられた神の霊感によって書かれた書だからです。ですから、この聖書がわかるためには、それを翻訳したり説教したりするといった外側からの働きかけと同時に、私たちの内なる心に神が働きかけてくださり、その心を開いてくださるということがなければ難しいのです。心が開かれることがなければそれはいつまでも封印された書であり、説教もつまらないただの講義にしかすぎないでしょう。しかし、聖霊によって心が開かれた人には、目から鱗、そこから日々新たに神の恵みを感じながら生きることができるようになるのです。復活の主イエスは、エマオに向かって歩いていたふたりの弟子たちの心を開いて聖書を悟らせたように、このピリピの町でもルデヤの心を開いて、パウロの話に心を留めるようにしてくださいました。それと同じように、今の私たちにも、心を開いてくださるのです。
よく私たちは「礼拝において主に出会う」と言いますが、それは具体的にどういうことかというとそれは何よりも、説き明かされたみことばを通してその意味がわかるということです。そして、目が開かれてその中に記されているのは救い主イエスだとわかることなのです。たとえば、創世記の中に、石を枕にして寝ていたヤコブは眠りからさめると、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。」「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」(創世記28:16,17)と言ったことが記されてありすますが、このように、まさに「ここに主がおられる」ということがわかることです。あるいはエマオの途上で、あのふたりの弟子たちの目が開かれ、「イエスだとわかった」ように、私たちもこの封印された書の説き明かしを聞いて、「これはイエスである。イエスは私の救い主である」とはっきりわかることなのです。そのとき、私たちの心は、主の御手にふれられて開かれているのです。そういう主との出会い、主の御手のふれあいを求めながら、聖書を開き、説教を聞かなくてはなりません。
イエス様は、そのような心について教えられたとき、種まきのたとえを話されました。種を蒔く人が種蒔きに出かけました。「蒔いているとき、道ばたに落ちた種がありました。すると鳥が来て食べてしまいました。別の種が土の薄い岩地に落ちました。すると土が深くなかったので、すぐに芽を出しましたが、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまいました。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまいました。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びました。(マタイ13:4~9)
これはいったいどういう意味でしょうか。御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行ってしまいます。またみことばを聞いてすぐに喜んで受け入れても、自分のうちに根がないと、しばらくの間は大丈夫ですが、やがてみことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまうのです。土の薄い岩地だからです。またみことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐと、なかなか実を結ぶことができません。それらがいばらのように成長を塞いでしまうからです。しかし、良い地に蒔かれた種、すなわち、みことばを聞いてそれを悟る人は、ほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのです。(マタイ13:19~23)すなわち、聞き方に問題であるということです。
説教者によってみことばが語られるとき、それに「応答」するような弾力性のある心には、主が必ず働いてくださいます。そして、その心を開いてくださるのです。逆に言うならば、どんな説教を聞いても、少しも感動しないというのは、その人の心が固く閉ざされているからなのです。そのような人はどこに問題があるのかを考えながら、そうしたかたくなな心が砕かれるように祈らなければなりません。そして、田んぼの土を耕すように心の畑を耕して、柔らかい心でみことばを聞かなければなりません。心に植え付けられたみことばをすなおに受け入れなければならないのです。そうすれば神が働き、そのみことばによってたましいを救ってくださるのです。
Ⅱ.忠実な者(15)
ところで、主によって心が開かれ、パウロが語ることに心を留めるようにされたルデヤはどうなったでしょうか。15節をご覧ください。
「そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。」
主によって心が開かれ、パウロの語ることに心を留めたルデヤは、彼女も、またその家族もバプテスマを受けました。既にユダヤ教の唯一の神を敬い、そのユダヤ教に帰依していた彼女が、信じてバプテスマを受けるとはいったいどういうことなのでしょうか。それは、旧約聖書がずっと語り、彼らが待ち望んでいた救い主こそイエスであると信じることです。たとえ旧約聖書に記された全能の神を信じていても、そこに記されてあるメシヤこそイエスであると信じなければ、それはほんとうの意味で聖書に記されてある神を信じることではありません。なぜなら、イエス様ご自身が「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)とか、「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです」(同12:44)と言われたからです。だれでも、イエス様を通してでなければ救われません。神を信じるということは、このイエスを救い主として信じることなのです。この時パウロがどんな説教をしたかはわかりませんが、その中心はイエス・キリストだったはずです。あのユダヤ人が十字架につけて殺したイエスこそ、救い主であったということです。その十字架の死こそ、私たちの罪のための身代わりの死でした。おそらく、パウロの説教の中心は、この十字架につけられて死なれたキリストとはいったい誰だったのか?ということだったに違いありません。そして、ルデヤはその話に心開かれ、イエスを救い主として喜んで受け入れたのです。そして、彼女は自分だけでなく、自分の家族も信じるように配慮しました。ここには夫のことが出てきませんので、おそらく夫はもう死んでいなかったのかもしれません。その夫との間に生まれた子どもや、その家で働く人たちも、一緒に信じてバプテスマを受けました。
信じてバプテスマを受けたルデヤはどうなったでしょうか。ここには「私を忠実な者だとお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と頼み、強いてそうさせた」とあります。彼女は、主の前に忠実な者として歩みたいと、パウロたちを強いて自分の家に招いたのです。パウロたちを自分の家に招くことが、どうして忠実な歩みだと言えるのでしょうか。それは、そのことがパウロとともに福音宣教にあずかることであり、パウロたちと同じように多くのの犠牲と苦しみを伴うことだったからです。
パウロは初めからヨーロッパでの伝道を計画していたわけではありませんでした。ですから、そのための資金が十分あったかというとそうではありません。現に彼はコリントに行った時には天幕作りをしながら、その必要を満たしました。こうしたパウロたちの伝道にとって必要なものを、少しでも満たして助けたいと思うのは、この福音によって救われた人の自然な姿ではないでしょうか。彼女は、福音のすばらしさがわかりました。わかったからこそ、自分もまたその福音のために生きる者でありと願ったのです。自分をこのすばらしい救いに導いてくれたパウロを、もう全くの他人と考えることなどできませんでした。自分もパウロの宣教にあずかるために、パウロの犠牲と苦しみにあずからせてもらいたいと思ったのでしょう。それがこの「もてなし」という行為に表れたのです。
これは、決して一時的な感激や感情にすぎなかったのではありません。パウロがのちにピリピ人への手紙の中で、「あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。」(1:5)と言っているように、その後もずっと続けられた愛の行為でした。それはまさに信仰から出た愛と献身の表れだったのです。信仰とは、実にそのようなものです。決して一時的な感激で終わってしまうものではないのです。「最初の日」から「今日に至るまで」ずっと続けられてきたことの中に、このルデヤがどれほどの救われた喜びが溢れていたかがわかります。そして、ここが根拠地となってピリピでの伝道は進んでいき、やがてここに立派な教会が建て上げられていったのです。
今日、教会はご婦人の方々ばかりで、男性が少ないという嘆きをよく聞きます。しかし、キリスト教会にとって、ご婦人というのは、実は、きわめて大きな力でした。ご婦人パワーです。これがキリスト教会を支えてきたのです。たとえば、ローマ人への手紙16章2節には、ケンケレヤの女性執事であったフィベを、「多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です」と紹介していますし、4節では、アクラとプリスキラ夫妻のことを、「自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです」と紹介しています。ここではアクラとプリスキラとではありません。「プリスキラとアクラ」です。奥さんのプリスキラの方が先に名前が出てきています。それだけ熱心だったということでしょうか。また、13節では、ルポスの母を「私の母」とまで呼んでいます。おそらくルデヤは、こうしたパウロの働きを助けてくれた良き理解者、協力者、母、友となった人たちの最初の人だったのでしょう。実に美しい信仰に生きた女性でした。
佐藤彰先生が書かれた「祈りから生まれるもの」という本の中に、あるご婦人のことが紹介されています。この方は由緒ある家に育ち、福島の古い家に嫁いで来ました。その家も由緒ある事業家の家で、お寺の檀家総代でもありました。田舎なので家族は二十人。その中で一人だけクリスチャンになったものですから、大変な反対がありました。姑に呼ばれて、「あなたは檀家総代の長男の嫁です。もしキリスト教信仰を続けるなら離縁するから出てゆきなさい」と、夜中の十二時まで説得されたそうです。そしてそれから半年の間は、家族から一言も口をきいてもらえなかったと言います。
食事も別でした。もちろん教会にも行けません。祈りもできなかったそうです。トイレに入って聖書を読んでいると、偵察に来るのだそうです。そんな監視つきの生活にもかかわらず、このご婦人は決してあきらめませんでした。むしろ睡眠時間を三時間に削って、ゴミ一つ落とさないような完璧な家事をしたそうです。その結果、お姑さんの心が溶けたのです。「おまえが喜ぶのは、着物を買うことじゃなくて、教会に行くことだろう。教会に行ってもいいよ」と言ってくれました。
やがてこの家もキリスト教の家になりました。インテリだったご主人も救われ、召される数時間前に奥さんの手を握りながら「僕はイエス様を信じているから心配するな。ありがとう」と言ったそうです。田舎の、固い岩地でも神様が壁を乗り越えさせてくださったのです。
やがてこのご婦人が乳ガンになりました。リンパ腺まで取る大手術をしました。その後肺に転移し、抗ガン剤を用いて癌と闘いました。大手術のあと、月曜日から土曜日までを病院で療養し、日曜日には特急電車に1時間を揺られて教会にやって来て、礼拝に出席しました。退院するやいなや、再び礼拝の奏楽者として復帰し、ワープロや訪問などの奉仕にも勤しみました。さすがの牧師も気を使って、「姉妹、あまり奉仕しなくてもいいですから」と声を掛けると、「先生。私から奉仕を取らないでください」と嘆願されたそうです。それはこのご婦人の中に、イエス様によって救われた喜びが溢れていたからです。やがて小高という町と富岡という町にあった土地をささげ、そこには今、立派に教会堂が建っています。
教会では、男であるかとか女であるかということが問題なのではありません。男でも女でも、主に「忠実な者」であることを願うなら、兄弟たちを助けて大いなる奉仕をするはずです。教会を建て、教会の土台としてふさわしい色どりを刻み付けるほどの貢献をすることができるのです。
Ⅲ.主の愛にふれられて(16-18)
ですから、第三のことは、この主イエスの愛にふれられてということです。16~18節までをご覧ください。
「私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。」
パウロたちのピリピでの伝道はルデヤが救われた後も幾日か続きましたが、その中でもう一つの不思議なことが起こりました。パウロたちが祈り場に向かっていた時、占いの霊につかれた若い女奴隷と出会いましたが、この女奴隷はパウロたちのあとを着いて来ては、「あの人たちは、いと高き神のしもべで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と大声で叫び続けるので困り果て、イエス・キリストの御名によって、その女から霊を追い出してしまったというのです。いったいパウロはなぜこの女から占いの霊を追い出したのでしょうか。一見、この女がしたことは悪いことでもなかったように見えます。それは、彼女が叫んでいたことが、パウロたちがいと高き神のしもべたちで、救いの道を宣べ伝えていたという内容のものだったからです。特に、パウロのピリピでの伝道の様子を見ると、それは必ずしも華々しいものではありませんでした。そこは小ローマといわれていたローマの植民都市で、ユダヤ教の会堂もない町でした。聖書の話をしても誰も見向きもしてくれませんでした。そんな時、よく占いが当たると評判の占い師がこのように宣伝してくれたとしたら、どんなにありがたいことかと思います。仮に、大田原で町中の人気をはくしている占い師がいて、その人が「皆さん。この大橋さんはいい人ですよ。この人はまことの神のしもべで、救いの道を皆さんに伝えていらっしゃるんですよ。ちょっとせっかちなところもありますが、言ってることはまともです。間違いないです。ですからよく聞いてくださいな。」とかと言って紹介してくれたとしたら、みんな心を開いて聞いてくれるのではないかと思って喜ぶのではないかと思います。なのにパウロはこの女の叫び声に困り果てて、彼女から悪霊を追い出してしまいました。どうしてでしょうか。
それは第一に、うるさかったからです。ここで悪霊が女奴隷に叫ばせた言葉の内容は決して間違ったものではありませんでしたが、しかし、その動機が間違っていました。なぜなら、悪霊はその内容がどういうことかということよりも、パウロたちの宣教の邪魔をしようと企んでいたからです。もしそれが正しいことならば、彼女自身が主イエスを信じ、主のみこころに従って生きようとしたはずです。しかし、彼女の中にそのような気持ちは全くありませんでした。それこそ、それが主の霊によって語られたことではなく、悪しき霊によるものであることの証拠です。現代の恐るべき過りの一つは、このように中味が正しければだれが語ろうと、どんな動機で語ろうと構わないと考えてしまうことです。しかし、真理というのはそれが正しいというだけでなく、それを語ろうとしている人がどのような動機で語ろうとしているかも問われるのです。その真理に自分自身も従おうという気持ちがなければ、それはほんとうの真理とは言えないのです。
もう一つのことは、このように異教的占いに関わってきた彼女が言い広めるかぎり、この「いと高き神の救いの道」も異教的な神々として理解される恐れがあったからです。「いと高き神」というような呼び名は、実はローマやギリシャの神々にも使われていました。「救い」も、ギリシャやローマの宗教でも唱えられていたものです。ですから、このような占いの霊にとりつかれている人が語ることによって、その神自体が異教の神と誤解される危険性があったのです。
このように考えると、この占いの霊につかれていた女奴隷が叫んでいたことは間違ってはいなかったように見えますが、大きな問題がありました。それは、彼女が叫んでいたことはことばだけであって、中身がなかったということです。そこにはキリストの救いはありませんでした。主に心が開かれていなかったのです。
この女奴隷が叫んだ「いと高き神」と、パウロが語る救い主イエス・キリストとの間には大きなズレがあったのです。
それはルデヤの場合も同じでした。彼女も前から「神を敬う」女性で、パウロに出会う前から、旧約聖書の教える天地の造り主なる神を信じていたはずです。けれども、そうした神知識だけでは十分ではなかったのです。そこには救いはありませんでした。救われるためにはイエス・キリストによって心が開かれ、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストによって迷信の心を追い出していただかなければなりません。キリスト教信仰というのは、そのようにイエス・キリストと出会い、イエス・キリストとふれあうことによってのみ持てるものなのです。「私も神様を信じている」という人は結構多くいますが、そのようなただの神信仰、いと高き神信仰、唯一の神信仰と、キリスト教信仰というのは全然違うのです。どのように違いますか?キリスト教信仰というのは、聖書が言っているようにただ「イエス様が私たちのために十字架にかかって死なれ、私の代わりに罪を贖い、私のためによみがってくださるほどに、イエス様は私を愛してくださった」という、イエス様と私とのかかわり合いが生まれた時にだけ、成立するものなのです。ルデヤは信仰に入るや否やあんなに献身的に献げ、奉仕をしたいと願ったのは、実に、この主イエス・キリストが私のために呪われた者となってまで死んでくださった。キリストが私のために贖いの死を成し遂げてくださった。主イエス・キリストが私のためによみがえってくださり、永遠のいのちを実証してくださった。主が私の心に手を差し伸べ、主が私の心を開いてくださった。この主イエスへの人格的、個人的な感謝が溢れていたからだったのです。このお方のためならわが身もわが家もささげても惜しくない、という思いを抱いたからだったのです。
「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:7,8)
まさにそのとおりです。私たちにしても、正しい神に対して、恐れおののきはしても、死ぬほどの愛を感じるということはありません。情け深い神のためなら、あるいは進んで死ぬ気にもなるかもしれません。しかし、私のために十字架にかかり、私の心に御手をふれるまでに愛してくださった主イエス・キリストのためになら、身もたましいも家もいっさいをささげて悔いはないのです。
スウェーデンの作家ラーゲルクヴィストは、「バラバ」という小説を書いて、ノーベル賞をとりました。バラバについては、イエス様に代わって恩赦を受け釈放された囚人であったことが聖書に記されています。
「クリスチャンたちは、キリストが全人類のために死んだと言っているが、それは違う。彼はおれのために死んだのだ。事実彼が死んだことにより命拾いしたのは、このおれだ」
そして、それまで人を踏み台にして快楽を手にすることが人生だと思ってきた彼が、一番大事だったはずの自分の命をキリストのために投げ出して死んでいくのです。
キリストの十字架の死に出会う時、「すべては自分のため」から、「すべてはキリストのため」に変えられるのです。ルデヤは、このキリストの愛に触れたのです。それは私たちも同じです。私たちが本当の意味で変えられるのは、イエス・キリストが私のためにしてくださったことがわかる時です。イエス様が十字架にかかってまで死んで、私を愛してくださったということがわかるとき、私たち自身も変えられ、「すべてはキリストのために」生きることができるようになるのです。どうか、この主イエス・キリストに対して心が開かれる者でありますように。そして神が私たちの心を開き、主の十字架の愛をもって救いの恵みを私たち一人一人に豊かに、そして確かに注いでくださいますように。そのとき、主のものとしての私たちの人生が、新しくこころから始まっていくのです。