使徒の働き18章1~11節 「恐れないで語り続けなさい」

 きょうは「恐れないで語り続けなさい」というタイトルでお話したいと思います。アテネを去ったパウロが、次に向かった町はコリントでした。コリントはアテネから西に60キロほど離れた所にある町で、アカヤ州の首都でした。地図を見ていただくたとわかりますが、アドリヤ海とエ-ゲ海に挟まれたギリシャの先端にあるペロポネソス半島の付け根に位置する町で、海と陸の交通の要所でした。ですから、商業と貿易で大変栄えていました。しかし、そのように商業が発展し、繁栄するところには必ずといってよいほど道徳的な乱れが蔓延するものです。このコリントも例に漏れず極めて堕落していて、特に性的な不品行が横行していました。「コリント風にふるまう」ということばが、不品行を行うことを意味するほどでした。パウロは、この町で1年半も腰を据えて伝道したのです。彼が一つの町でこんなに長い間滞在することは、あまり例のないことです。いったいどうして彼はそんなにも長い間伝道を続けることができたのでしょうか。

 きょうはその理由を三つのポイントで学んでいきたいと思います。第一のことは、そこに信徒による愛の励ましがあったからです。第二に、そこに多くの救われた人がいたからです。第三に、何よりもそこに神の励ましがあったからです。

 I.愛の励まし(1~5)

 まず第一に、そこに愛の励ましがあったことを見ていきたいと思います。1~5節までをご覧ください。

「その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。
そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。」

 コリントに行ったパウロは、そこで、アクラとプリスキラという夫妻の家に向かいました。彼らは、クラウデオ帝によるユダヤ人追放令によって近ごろイタリヤから来ていたのですが、パウロと同じ天幕作りをしていたことからそこに住んでいっしょに仕事をしながら伝道しようと思ったからです。ガマリエルの門下生で、バリバリの律法学者であったパウロが、アクラとプリスキラと同じ天幕作りをしていたというのは意外です。実は当時のユダヤ教の教師と呼ばれていたラビや多くの律法学者たちは、何らかの仕事をしながら奉仕していたと言われています。彼らはその働きに対して報酬を受けることは正しくないと考えていたからです。ですからパウロも律法学者でしたが、何かの仕事をしながら律法を教えていたのでしょう。彼の出身地のキリキヤ地方は昔からキリキウムと呼ばれる山羊の毛の織物で有名で、その生産地でもありましたから、こうした郷土の手工業を身につけていて、それを利用して天幕作りをしていたのでしょう。こうしたことは、すでにテサロニケでもしていました。Ⅱテサロニケ2:9には、

「兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。」

とあります。パウロは、テサロニケの人たちに負担をかけまいと、昼も夜も働きながら伝道しました。それは多くの労苦が伴うことでしたが、そうすることによって救われたばかりのテサロニケの人たちに勤勉であることの大切さと、福音を伝えていく者の姿勢を示そうとしたのです。しかしながら、Ⅰコリント9:11~12を見ると、一方でパウロは次のようにも言っています。

「もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。」

 どういうことでしょうか。昼も夜も働きながら、神の福音を宣べ伝えると言っておきながら、ここでは、働き人がその報酬を得るのは当然であるとも言っています。御霊のものを蒔いたのなら、物質的なものを刈り取るのは決して行きすぎではない・・・と。働き人にはそういう権利があるというのです。なのにその権利を用いないなかったのはどうしてだったのでしょうか?それはキリストの福音に少しの妨げも与えないためです。実はこのコリント教会の中には、パウロが伝道を名目に人々からお金を奪い取っているとか、だまし取っていると陰口を言う人たちがいたのです。本来ならば、働き人がその報いを受けるのは当然ですが、そうした批判や中傷が他の信者たちへのつまずきになるならばよくないと、彼は、一切の報酬を受け取らず、自分で働きながら伝道したのです。ですから、働きながら伝道するというのは本来の姿ではありません。本来神の福音に仕える者はその報酬を受ける権利があるし、受けてもいいのです。しかし、もしそのようなことで一人でも信仰がつまずくことがあるとしたら、そういう誤解がないように受けないというのがパウロの気持ちだったのです。ですから5節を見てください。ここには、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念しています。シラスとテモテがマケドニヤの諸教会からの献金を持ってきてくれたので、このコリントの人たちからお金を受け取らなくてもフルタイムでその働きに専念することができたのです。そのいきさつをパウロは、Ⅱコリント11:8~9の中で次のように言っています。

「私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。
あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。」

 「他の教会から奪い取って」というのは皮肉です。コリント教会の中にそのように言ってパウロを非難する人がいたので、パウロはそれを逆手にとって皮肉っているのです。彼は決して他の人からお金を奪い取るようなことはしませんでした。そういうことがないように自分で働いたのです。だれにも負担をかけないようにと働きながら伝道したのです。しかし感謝なことにマケドニヤから来たシラスとテモテが、マケドニヤ地方の諸教会、ピリピ、テサロニケ、ベレヤの町の兄弟姉妹からの献金を持って来てくれたことで生活に必要なお金が満たされたので、みことばの宣教に専念したのです。

 それにしても、このような非難や中傷の中で主の働きを続けていくことがどんなに大変なことだったかと思います。なぜ自分がそんなことを言われなければならないのか。なぜ自分だけがこんなに苦しみに会わなければならないのかと、言いしれぬ悔しさで悩んだことでしょう。そのような彼を励まし、立ち上がらせてくれたものは何だったのでしょうか。それは、そんな自分を招き入れて一緒に住まわせ、仕事をしながら彼の働きを力強く支えてくれたアクラとプリスキラという夫婦の存在であり、遠く離れていても、物のやり取りを通してパウロの働きに参加し、福音を広めることに預かろうとしていたマケドニヤの諸教会の信仰と愛の励ましだったのです。

 このアクラとプリスキラ夫妻については、ここに当初ローマに滞在していたユダヤ人でしたが、クラウデオ帝のユダヤ人追放令によってローマを追われ、近ごろこのコリントにやって来たと紹介されていますが、おそらくその過程でクリスチャンになっていたのでしょう。同じ町で神の福音を熱心に伝えているパウロを見て、何とかして助けたいと思ったのです。そして自分たちと同じ天幕作りをしていたことがわかると自分たちの家に住まわせて、一緒に仕事をしながら彼の働きを支えたのです。これから先の生活のことで不安を感じていたパウロにとって、彼らの存在はどれほど大きな助けであったでしょう。このアクラとプリスキラについては、18節を見ると、その後、パウロがシリヤに向けて出帆した際に同行し、エペソでの宣教に協力したことがわかります。その後もエペソにとどまって良い働きを続けました。ローマ16:3~4では、このアクラとプリスキラ夫妻についてパウロは次のように言っています。

「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」

 彼らは自分のいのちの危険を冒してまで、パウロを守り助けてくれたました。何よりも折れかけていたパウロの心を支えたのです。最近、「しんぼう」という本を読みました。これは筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)という病気で、死を見つめて生きた川口武久さんという方の人生を綴った実話です。タイトルが「しんぼう」とひらがなで書かれてあったので、おそらく「辛抱」ということかと思って読み進めていったら、それは「辛抱」ではなく「心棒」であることがわかりました。川口さんが「しんぼう」とつけたのは、ご自分を支えてくれた人々に対する感謝の気持ちからでした。人はみなその心が支えられて生きています。「人生」というのはそういうことでしょう。「人生」とは人を生かし、自分を生かすと書きますが、まさにアクラとプリスキラ夫妻の存在はそのような存在であり、パウロの心を支えた「しんぼう」だったのです。

 また、シラスとテモテを通して届けられたマケドニヤの諸教会からの献金もまたパウロを支えた「しんぼう」でした。それはパウロがピリピ4:16で「私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。」と言っているように、この献金に彼らの信仰と愛が表されていたからです。そのような姿を見ることは、伝道者にとってと゜れほど大きな喜びでしょう。マケドニヤの諸教会から贈り届けられた献金は、本当にパウロを慰めてくれました。一家をあげて主に仕え、教会に仕え、牧師に仕えるそうした信徒たちの存在は、本当に尊いものがあるのです。このように自分にできることとして宣教の働きに参与していこうとする信徒たちの存在が、教会を力強く建て上げていくのです。その一つの証しをここに見ることができるのではないでしょうか。

 Ⅱ.多くの救われる人々(6-7)

第二のことは、そこに多くの救われる人々がいたことです。6~8に注目してみましょう。

「しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」と言った。そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」

 シラスとテモテがマケドニヤからの献金を携えてくると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであること、すなわち、イエスが旧約聖書に記されてある救い主であることをはっきりと宣言しました。すると、多くのユダヤ人たちは、パウロに反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払ってこう言いました。

「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く。」

 これは主イエスによって遣わされた弟子たちが、伝道のために町々村々に行って伝道したとき、彼らを受け入れないときには、そこを立ち去るときに、足のちりを払い落とすように命じられましたが、それと同じ事ことです(マタイ10:14)。その人たちと絶縁するという意味です。みことばを語るように神から責任をゆだねられている者が、みことばを語る責任を果たしたことを表わしているわけです。その語られたみことばを受け入れるかどうかは、それを聞いた人たちの責任なのです。語る者の責任は解かれます。ですから、そのようなしぐさをした後でパウロは、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ」と言っているのです。これは旧約聖書の預言者エゼキエルが語った言葉の引用ですが、イスラエルの滅びはイスラエル自身が刈り取ったものであって、決して神の責任ではないという意味です。こうしてパウロは、その宣教の対象をユダヤ人から異邦人へと変えていくのです。それはまさに福音が全世界に広げられていくための神のご計画であったと言えるでしょう。

 ところが、そのように激しいユダヤ人たちの反抗の中にも、主を信じる人たちもいたことを聖書は記しています。7節と8節です。「今から私は異邦人のほうに行く」と言ったパウロは、その会堂を出てどこに行ったかと思うと、その隣のテテオ・ユストという人の家に行きました。おもしろいですね、パウロという人は。それほど豪語したのですから、もうコリントの町から出ていくのかと思いきや、その隣の家に移っただけでした。すると何と会堂管理者であったクリスホ゜という人が、一家をあげて信じたのです。また、多くのコリント人も信じて、バプテスマを受けました。

 多くの非難や反抗で苦しんでいたパウロにとって、こうした多くの救いの実がどんなに大きな慰めとなったことでしょう。まさにそれは砂漠の中のオアシスだったに違いありません。伝道者がその働きを続けていくためには次の二つのうちのどちらかがあればやっていけると言われています。一つはこのような多くの実で、もう一つは、安定した報酬です。どんなに経済的に苦しくても、救われる人がどんどん与えられたら、元気百倍、苦しくても乗り越えていけるものです。また、教勢が伸びず思うような成果を得られなくても経済的に安定していたら、何とかやってもいけるものです。しかし、そのどちらもなかったらやっていくことがなかなか困難です。日本の牧師さんの多くはそのような中でも働きを続けているのですから、まあ、それだけでもすばらしいと言えるでしょう。パウロはそうした経済的な苦しさや多くの人たちからの非難や中傷に悩まされる中でも、このように多くの救われる人たちを見ることがでたのですから、どんなに励まされたことかと思います。どんなに状況が厳しくてもそうした多くの救霊の実は、彼に喜びと希望を与えたに違いないのです。

 Ⅲ.神の励まし(9-11)

 しかし、何よりも大きな励ましは、そこに神の励ましがあったことです。9~11節をご覧ください。

「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」

 このようにパウロがコリントで伝道を続けていた時、ある夜、主が幻によってパウロに言われました。「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」と。「恐れないで」と言うのには、この時パウロが何かに恐れていて、そのために祈っていたからでしょう。アクラとプリスキラという伝道の協力者が与えられ、マケドニヤの諸教会からは励ましの献金が届けられる。激しいユダヤ人たちの抵抗の中にも会堂管理者クリスポは一家をあげて主を信じたばかりでなく、多くのコリント人も信じて、バプテスマを受けました。これ以上の励ましはありません。いったいこのときパウロは何を恐れていたのでしょうか。

 東京恩寵教会名誉牧師の榊原康夫先生は、「使徒の働き」の注解書の中で、このときパウロが二つのことを恐れていたのではないかと言っています。
 一つは、ユダヤ人の激しい迫害です。精力的なパウロの伝道によって多くの人が主を信じてバプテスマを受けるようになると、そのことでねたんだユダヤ人たちが反抗し、激しく迫害しました。パウロはこうした迫害を恐れていたのです。ですから10節のところで主は、「だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない」と語っておられるのです。パウロともあろう人間がそんな迫害におびえるなんて情けないと思う人がいるかもしれませんが、そういう人は本当の意味で迫害の恐ろしさを知らない人です。特にユダヤ人の迫害は中途半端なものではありませんでした。神を冒涜するということで、彼らは命がけで襲いかかってきたのです。それはユダヤ人して同じ神に仕えていたパウロだからこそよく知り得ていたことでもありました。彼はそうした人たちの迫害を恐れていたのです。

 パウロが恐れていたもう一つのことは、登り詰めた山頂からいつ転がり落ちるかという不安です。パウロは、マケドニヤの諸教会から献金が届けられると全生活を伝道にささげられるようになりましたが、そうなると今度は全面的に献身し教会が公にバックアップしてくれる仕事に、不安が生じるようになったというのです。いわゆる成功すればするほど、かえって落ち目になるのが恐ろしい、という心理です。皆さん、わかりますか。人は成功すればするほど、逆に、いつ落ちるかと逆に心配になるものです。人はたびたび、困難と苦労の中にいる時にはそこからはい上がろうと緊張し、必死になって頑張っているので、あまり怖さを感じません。先のことを考える余裕がないからです。しかし、ある程度成功し、心にゆとりが生じると、考えることというのは、意外と否定的なことなのです。ここから落ちたらどうしようとか、この先いったいどうなるのだろうかとか、そういったことを考えやすいのです。旧約聖書に出ているあの預言者エリヤはそうでした。彼は、カルメル山でバアルの預言者たちに圧勝した直後、どうしようもない不安と恐れに直面しました。イスラエルの王アハブの妻イゼベルの脅迫におびえて、自殺を願うほどに落ち込んだのです。えにしだの木の陰にすわり、「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」(Ⅰ列王19:4)と。鬱です。ちょっと前にあれほどの大成功をおさめた彼が、鬱的状況に陥ったのです。人は、成功して余裕ができ名声を博した時こそかえって、不安に陥りがちなのです。それは、伝道者も、教会も同じではないでしょうか。おそらくパウロは同じような不安と恐れにさいなまれていたに違いありません。そんなパウロがそうした恐れに打ち勝ち伝道を続けることができたのはどうしてでしょうか。そこに神の励ましがあったからです。力強い主の御声を聞いたのです。皆さん、私たちがどんなに恐れ不安に陥っても、その中で主の御声を聞くいて励ましを受けるなら、その不安や恐れに打ち勝つことができるのです。では、主はどのようにパウロを励ましたのでしょうか。

 まず第一に主は、ともにいてくださると約束してくださいました。10節です。主は、「わたしがあなたとともにいるのだ。」と言われました。このことばは、恐れの中にいたパウロにとってどんなに大きな励ましだったかわかりません。たとえどんなに厳しい迫害の渦中にあっても、苦しんでいるのは自分だけではない。主がともにいて、ともに苦しんでおられることを知ることは大きな勇気が出てきます。私たちが苦しみを耐えがたいと思うのは、自分ひとりだけが苦しんでいると思うからです。しかしクリスチャンにとっては、いつも主がともにいてくださいます。たとい苦しみのただ中においても、自分ひとりだけが放り出されているのではなく、そこに主もともにいてくださるのです。

 孤独に苦しんでおられる方がおられるでしょうか。主は、世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいますと約束してくださいました(マタイ28:20)。この麗しい主イエス様の御腕の中に飛び込みましょう。そのときに皆さんは、孤独のさなかにあって、主が最愛の友となってくださるということを発見するでしょう。62年と5ヶ月の間、連れ添った奥様を天に送られ、独りぼっちになってしまったある牧師が、この真実に目が開かれたとき、こう祈ったと言います。

「最愛のイエス様。また独りぼっちになってしまいました。しかし独りでありながら、独りではありません。あなたがともにいて下さるからです。あなたは絶えず私の友となってくださいました。ですから、主よ、私を慰めてください。憐れんで、力づけてください。この貧しい僕に、あなたが必要だと思われているすべてをお与えくださいますように。」

 皆さん、これは現実です。きれいごとやおとぎ話ではなく、主イエスは私たちの最愛の友なのです。主イエスは私たちを見捨てることも、見離すこともありません。常にどのような状況にあっても、主イエスは確かに私たちの友であることを実証されます。旧約のダビデも次のように告白しました。

「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたがわたしとともにおられますから。」(詩篇23:4)

 次に主は次のように言われました。「だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。」迫害の恐ろしさを経験していたパウロにとって、こうした具体的な約束は、どんなに大きな安心感をもたらしてくれたでしょうか。このように主は、私たちが抱く恐れに対して具体的な約束を与えて守ってくださるのです。

 そして、主はさらに「この町には、わたしの民がたくさんいる」とも約束してくださいました。大勢のコリントの人々が信じたのちにも、まだ多くの「わたしの民」がいるのです。わずかな人々に福音を語り、その人々が救われたからといって、それで満足してしまうのではなく、救われる人々は、主がまだまだ大勢備えておられるのです。であれば、私たちは語り続けていかなければなりません。そのようにまだ大勢の神の民がいるという約束は、神の福音を宣べ伝えている牧師、伝道者、教会にとって何よりの喜びであり、励ましです。孤独にさいなまれていたあのエリヤが立ち上がることができたのも、バアルにひざをかがめず、それに口づけしない人7千人を残しているという約束でした。そうした人たちがこの町にはまだたくさんいるのです。

 であれば、私たちはどうしたらいいのでしょうか。であれば私たちは、語り続けなければなりません。黙ってはいけないのです。恐れないで、語り続けなければならないのです。
 先週、愛喜恵が埼玉の施設にいた時にお世話になった北本の教会の青年会の方々が来られましたが、礼拝後、私の家に来てしばし雑談しておりましたら、その中の一人の姉妹が、「あの、一つだけお聞きしてもいいですか」というのです。何だろうと思って「いいですよ」と言うと、「先生は落ち込む時がないのですか」と言うのです。愛喜恵のお友達なのにちゃっかりその中に私が混ざり、あまりにも情熱的に、楽しくおしゃべりをしていたので、「この牧師は落ち込んだことがないのではないか」と思ったのでしょう。一瞬ドキッとしましたが、この方が何かに悩んでいて、その解決を祈っているんだなぁと察しながら、こう応えました。

「いいえ、私も落ち込むことがありますよ。それもどうしようもない深い悲しみに陥ることがあるんですよ。そういう時にはどうしたらいいかわかりますか。そういう時に一番いいのは淡々と続けることなんです。辛いから、苦しいから、少し休もうと思うと、そのことにばっかり目がいってなかなかそこから脱出できないけれど、そのような苦しみがあっても何でもないかのように続けていくこと。それが1週間続くか、1ヶ月続くか、1年、2年続くかわからないけれど、それを続けていく中で、神様は何らかの解決を与えてくださるから、それを信じて淡々と続けていくことが大切だと思います」

 するとその方は目を大きくして、「ああ聞いて良かった」と言われました。みんな同じように悩んでいることがわかって安心したんでしょう。でも止まってはいけない。その悩みや苦しみの中で淡々と続けていく。それが解決につながっていくのです。

 皆さんも時には悩み、悲しみ、疲れ果て、落ち込むようなことがあるかもしれません。やってもむだだと思えてしょうがない時もあるでしょう。しかし、そのような中でも主は、兄弟姉妹の励ましや救われる民を備えていて励ましてくださいます。また、何といっても神がみことばによって励ましていてくださるのです。ですから、恐れないで、語り続けなければなりません。私たちが覚えておかなければならないことは、「語り続けること」が私たちの役割であるということです。そして救いは主の御業であるということなのです。激しい迫害の中にあってもパウロがこの町で1年半もみことばを語り続けることができたのは、そのような励ましをしっかりと聞き取っていたからでした。私たちもこのような励ましに耳を傾けながら、恐れないで語り続ける物でありたいと思います。