ヨハネの福音書2章1~11節「最初のしるし」

きょうは、ヨハネの福音書2章1節から11節にあるカナの婚礼の出来事から、キリストの最初のしるしを学びたいと思います。11節に、「イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちも信じた。」とあります。これは最初のしるしでした。しるしとは何でしょうか。下の欄外の説明に、「証拠としての奇跡」とあります。ですから、これはキリストがこんなすごいことができるんだぞということを誇示するためではなく、キリストが神の子であるという証拠としての奇跡だったのです。ヨハネの福音書にはこの「しるし」が七つ記されています。そしてこのカナの婚礼の奇跡は、その最初のしるしでした。どのような点でこれがしるしだったのでしょうか。

きょうは、この最初のしるしからキリストがどのような方であるのかを、ご一緒に学びたいと思います。

 

Ⅰ.ぶどう酒がありません(1-3)

 

まず1節か3節までをご覧ください。

「それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。」

 

「それから三日目に」とは、イエスがナタナエルとお会いした時から三日目にということです。ガリラヤのカナで婚礼がありました。ガリラヤのカナは、イエス様が育ったナザレという町から約15キロメートル離れた所にありました。そこで婚礼が行われたのです。その婚礼にイエスの母マリヤとイエス、そして弟子たちが招かれていました。誰の結婚式だったのかはわかりません。もしかすると新郎新婦のどちらかが、イエスの母マリヤと親戚だったのかもしれません。というのは、結婚の宴会の席でぶどう酒がなくなったとき、イエスの母マリヤが気を遣っているからです。一般の招待客なら接待に気を遣うということはないでしょう。そのように接待に気を遣っていたということは、彼女がもてなしをする側にいたということ、つまり、新郎新婦ととても近い関係であったと考えられます。ですからイエス様も招かれていたのでしょう。そして、弟子たちも招かれていました。

 

さて、このすばらしい結婚式で一つのトラブルが起こりました。ぶどう酒がなくなってしまったのです。ユダヤの結婚式では、ぶどう酒がなくなるということは絶対にあってはならないことでした。なぜなら、それは祝いの象徴、喜びの象徴であったからです。

ユダヤでは、結婚のお祝いが一週間続きました。親戚、友人、そのまた友人と、とにかく大勢の人を招いてみんなでお祝いしたのです。最近は、婚姻届けを提出して終わりケースも少なくありませんが、当時のユダヤではそういうことはありませんでした。みんなを招いてお祝いしたのです。ですから、ぶどう酒も相当量用意しなければなりませんでした。結婚式においてぶどう酒がないということは考えられないことだったのです。「ぶどう酒がなければ喜びもない」ということわざがあったほどです。ぶどう酒はそれほど大切なものでした。そのぶどう酒がなくなってしまったのです。

 

すると、母マリヤはどうしたでしょうか。彼女はイエスのところに行き、こう言いました。「ぶどう酒がありません。」どういうことでしょうか?どうして彼女はイエス様の所へ行き、このように伝えたのでしょうか?他に方法がなかったのでしょうか。たとえば、他の人のところに行ってぶどう酒を借りてくるとか、急いで町へ行って買ってくるとか考えられたはずです。それなのに彼女はまずイエスのところへ行き、「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。ただその状態をそのまま報告したのです。

 

ここにはマリヤの夫ヨセフは全く出てきておりません。おそらくヨセフは若くして死んでいたのでしょう。ですから、マリヤにとって頼りになったのは長男であったイエス様だったのです。彼女は、困った時はいつでもイエス様に相談し、頼っていました。

しかし、それはイエス様が長男であったからというだけでなく、イエス様がどのような方であるかを、彼女はよく知っていたからです。すなわち、この方はいと高き神の子であるということです(ルカ1:32)。マリヤはそのことを心に留めていました。そして、イエス様と共に過ごす中で、確かにそうだという確信を持っていました。ですからこれをイエス様のところに持って行けば、イエス様が何とかしてくださると信じていたのです。それがこの「ぶどう酒がありません」という彼女の言葉だったのです。

 

このことはとても大切なことです。私たちの生活の中にも、時としてぶどう酒がなくなるということが起こります。そのような時、自分でどうしよう、こうしようと考えるのではなく、それをまずイエス様のところへ持って行き、そのまま申し上げればいいのです。しかし、それをイエス様のところに持っていくよりも、自分であれやこれやと考えてしまうことが多いのではないでしょうか。

 

先月末に起こった台風24号は、ものすごい強風で甚大な被害をもたらしましたが、我が家の物置も風にあおられて倒れてしまいました。ただ倒れただけならよかったのですが隣の家の方に倒れてしまったので、駐車場においてあった隣の車に傷ついてしまいました。

翌朝早く隣の奥さんが来られたので、「えっ」と思って駐車場に行ってみると、無情にも物置が隣の家の方に仰向けに倒れていました。

それを見たとき一瞬「どうしよう」という思いがよぎり、「保険がきくかなぁ」と思いました。本来であれば、「本当にごめんなさい。」と言うべきところなのに、保険がきくかどうかしか考えられなかったのです。気が動転していたのです。自分で何とかとなければならないと、あれやこれやと一瞬のうちに考えました。

でもこういう時こそマリヤのように言うべきです。「ぶどう酒がありません。」自分であれやこれやと考える前に、その状況をそのまま申し上げるべきだったのです。

後で自分の姿を思い起こして、本当に情けないなぁと思いました。イエス様を信じていると言いながらも、保険のことしか考えられませんでした。信仰は持っていても、いざとなったらその信仰を働かせることができないのです。霊的なことは神様に、でも実際のことは自分でと、自分で解決しようとする思いがあったのです。

 

Ⅰペテロ5章7節にはこうあります。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

私たちが心配するのではなく、その思い煩いをそのまま神様にゆだねなければなりません。「神様、私は今こんな問題を抱えているんです」と正直に申し上げなければなりません。

「我が家の家計が火の車です」

「うちの息子は言うことを聞きません」

「妻が私を敬ってくれないのです。」

「夫があまりにも身勝手です」

と、正直に申し上げればいいのです。とにかく、自分の中にある思い煩いをそのまま神にゆだねなればいいのです。

 

私たちはどうしてもこのことは人には話せないという思いがあります。特に日本では昔から武士道の精神がありますから、家の恥をさらけ出してはならないという思いがどこかにあります。「そんなことを人に言うもんじゃない」「恥さらし!」それで、自然に口をつぐんでしまうのです。

しかし、聖書は全く逆のことを教えています。あなたにもし思い煩いがあるなら、心配事があるなら、それをいっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 

マリヤは自分の心配事をそのままイエスに伝えました。そのように私たちもまずイエス様のところへ行き、自分の心配事を伝えなければなりません。神が私たちのことを心配してくださるからです。

 

Ⅱ.わたしの時はまだ来ていません(4)

 

次に4節をご覧ください。マリヤの訴えに対して、イエス様は何と言われたでしょうか。「すると、イエスは母に言われた。『女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。』」

 

どういうことでしょうか?自分のお母さんに向かって、「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」というのは・・。あまにも失礼じゃありませんか。日本語に訳された言葉を読むと、何ともぶっきらぼうで冷たく聞こえるかもしれませんが、実はそうではありません。

この「女の方」という呼び方は、当時、敬意をもって女性に呼びかけるときに用いられた言葉でした。また、「あなたはわたしと何の関係もありません」という言葉は、あなたとわたしは何の関係もないということではなく、あなたとわたしの関心は違いますという意味です。この言葉を直訳すると「あなたにとって何か、そして、わたしにとって」となります。

ぶどう酒の問題は、マリヤにとって最大の関心でした。ぶどう酒がなくなってしまったら結婚の宴会が台無しになってしまいます。ですから、マリヤはこの問題を何とかしなければなりませんでした。

しかし、イエス様の関心は違ったところにありました。イエス様の関心は、罪の赦しと永遠のいのちにありました。それがその次のイエス様のことばです。「わたしの時はまだ来ていません。」わたしの時はまだ来ていませんとは、どういうことでしょうか?

 

イエス様が「わたしの時」と言われるとき、それはご自分が十字架にかかる時のことを指していました。たとえば、ヨハネの福音書7章6節にはこの「わたしの時」が出てきます。仮庵の祭りというユダヤ人の祭りが近づいていたとき、ユダヤ人たちがイエス様を殺そうとしておられたので、イエス様はユダヤを巡ろうとはされなかったのですが、そのときイエス様の弟子たちが、「そんな隠れたことをしていないで、公に自分をこの世に示したらいいんじゃないか」と言ったとき、イエス様はこのように言われました。「わたしの時は来ていません。」

ところが、イエス様が十字架におかかりになられる直前になると、イエス様は、はっきりと、言われました。「人の子が栄光を受ける時が来ました。」(ヨハネ12:23)つまり、イエス様が言われた「わたしの時」というのは、十字架にかかられる時のことだったのです。これは単に奇跡を行うかどうかの時ではありません。十字架へとつながっていく時なのです。

 

ですから、ここでイエス様が最も関心を持っておられたのは、ご自分がすべての人の罪のために十字架で死なれることでした。イエス様は、人々を罪から解放し、罪の赦しと永遠のいのちを与えるためにこの世に来てくださいました。それがイエス様の最大の関心事でした。そして、ぶどう酒は、その十字架の血を象徴するものだったのです。

 

でもイエス様はマリヤの訴えに無関心ではありませんでした。イエス様の返事は、マリヤにとって不思議に思えたかもしれません。でもこれは、「愛し尊敬するお母さん、わたしの関心とあなたの関心は少し違います。わたしの関心を成就する時はまだ来ていませんが、でも心配しないでください。この問題をわたしに任せてください。そうすれば、わたしのやり方で解決しましょう。」ということだったのです。

 

ですから、イエス様は決してマリヤを冷たくあしらわれたのではなかったのです。それはマリヤがこのことばを聞くと、手伝いをする人たちに「あの方が言われることは、何でもしてください。」と言っていることからもわかります。それはマリヤがイエス様の言葉を聞いて、とにかくイエス様にこのことを任せておけば大丈夫だと思ったからなのです。

 

そうです、イエス様はそれがご自身の関心とは違ったことでも、それが片田舎の小さな村の、小さな結婚式の、しかもぶどう酒がなくなるという小さな問題であっても、ちゃんと配慮してくださる方なのです。

イエス様はあなたの人生の小さな問題にも関わってくださいます。そして、ご自分の栄光を現してくださるのです。だから、こんな小さなことを祈っても無駄だなんて言わないで、どんな小さなことでも、イエス様に祈るべきです。「イエス様、私は今、こういう状況なんです。こういう問題を抱えています。この問題を何とかしてください。私をあわれんでください。」そう祈ればいいのです。

 

Ⅲ.水がぶどう酒に(6-11)

 

さあ、イエス様の言葉を聞いたマリヤはどうしたでしょうか。5節をご覧ください。「母は給仕する者たちに言った。『あの方が言われることは、何でもしてください。』」

 

すると、イエス様は給仕する者たちに言われました。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」

そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つおいてありました。それは二あるいは三メトレテス入りのものでした。一メトレテスは約40リットルですから、80リットルから120リットルの大きさの水がめだったということです。

 

この水は手足を洗うために使われました。ここに「ユダヤ人のきよめのしきたりによって」とありますが、当時のユダヤ人たちは、外から帰って家に入るときや食事の時に、また、汚れた身をきよめるために、水で手足を洗う習慣がありました。それで各家庭には、きよめの水を入れる水がめが置かれていたのです。

それはどちらかと言うと、衛生的な理由からというよりも、宗教的な理由からでした。旧約聖書の律法には、汚れたものに触れて身を汚した者は、水で身をきよめなければならないという規定があったからです。それで彼らは、外出したときに知らないうちに汚れたものに触れて身を汚したのではないかと心配して、家に入る前に水で身をきよめていたのです。それは、神様に受け入れていただくために大切な宗教的な儀式だったのです。

 

イエス様はその水を用いられました。この水がめを水で満たしなさいと言われたのです。普通なら、こんなことをしてどうするのと思うところでしょう。なんでこんなことをしなければならないのかと思うかもしれません。「何で・・」これが私たちの反応です。

でも彼らはマリヤの言葉を聞いていました。そのことばを心に留めていました。「あの方が言われることは、何でもしてください。」だから、彼らはそのとおりしたのです。

 

80リットルから120リットルと言ったら相当の量ですよ。私の家では天然水を注文していますが、一つ12リットルです。それを2階まで運ばなければならないのですが、かなり重くて大変です。水って結構重いんですよ。それを汲みに行かなければなりませんでした。村から井戸までは2キロメートルくらい離れていたと言われています。その距離を何回も往復しなければならないのです。でも彼らはイエス様が言われた通りにしました。

 

そればかりではありません。8節、今度は、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行かなければなりませんでした。イエス様は次から次にすべきことを指示されましたが、彼らはイエス様が言われることを、すべてその通りに行いました。

 

するとどうなったでしょうか。9節と10節までをご覧ください。

「宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、 こう言った。『みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。』」

 

普通は、まず良いぶどう酒を出し、みんなの酔いが回ってくるとあまり質の良くない酒を出すものです。酔っぱらってお酒の味がわからなくなるので、もうどんな酒でもいいのです。ただ消費するだけですから。ですから、それを味見した世話役はびっくりして、「よくもまあ、こんな良いぶどう酒を取っておきました。」と言ったのです。イエス様に従った結果、花婿がほめられることになりました。

 

びっくりしたのは花婿の方だったでしょう。「えっ、俺は何にもしてないんだけれどなぁ・・・」彼は何も知りませんでした。舞台裏ではどんなことが起こっていたのかを全くしりませんでしたが、「よくもまあ、こんなに美味しいぶどう酒を取っておきましたね。」とほめられたのです。その鍵は何でしょうか。彼らがイエス様の言われたとおり行ったということです。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たかを知っていました。彼らがイエス様の言われた通りにした結果、そのようになったということを・・・。

 

私たちは時に「何でこんなことをしなければならないんだろう」「何であんなことを」と思うことがあるかもしれません。しかし、イエス様がおっしゃったとおりにするなら、神の栄光が現されるのです。ですから、たとえそれが自分にとって納得できないようなことであっても、期待をもって、「わかりました。イエス様、あなたがそのように言われるのならその通りにやってみます。」となると、次々と神の御業が展開していくようになります。

 

あるとき、イエス様はペテロにこう言われました。「深みにこぎ出し、網を下して魚を捕りなさい。」(ルカ5:4)

ペテロはびっくりしました。というのは、彼らは夜通し働きましたが、何一つ取れなかったからです。彼らは漁のプロでした。ずっとガリラヤ湖で魚を取っていました。だから魚のことは何でも知っていると思っていました。そんな彼らが夜通し働いてもだめだったのです。取れるはずがありません。時間的にも良くないし・・。

「でも、おことばですので、網を下してみましょう。」(ルカ5:5)

と従ったとき、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになりました。イエス様のおことばに従うとき、すばらしい神の御業が現されるのです。

 

ところで、この水がぶどう酒になったという奇跡は、ただ水がぶどう酒に変わってめでたし、めでたしということだけではありませんでした。ここにはもっと深い意味があります。それは何かというと、律法との対比の中で、イエス様は私たちに本当の喜びを与えてくださるということです。

先ほど、この水が何を意味していたのかを説明しました。それは旧約聖書の律法によると、汚れたものに触れて身を汚した者は、この水できよめなければならないということでした。しかし、どんなに外側を水で洗っても、自分の内側の汚れや罪を洗いきよめることはできません。だからといって、その儀式を怠れば、罪責感が生じてきます。自分がちゃんとやらなければ、神様に受け入れられないという恐れや不安が出てきます。ですから、こうしたきよめの水は決して人々を罪から解放することはできないのです。

 

しかし、イエス様はこの水をぶどう酒に変えてくださいました。そして、そのぶどう酒は、人々に喜びを与えるものとなりました。つまり、この奇跡は、人は、一生懸命に努力して律法の行いをしても、本当の意味で自分をきよめることはできないし、喜びを与えることもできませんが、イエス様がもたらしてくださった十字架の血によって、私たちの罪は赦され、きよめられ、新しいいのち、永遠のいのちという、最上の喜びを与えてくださるということを示していたのです。

 

これが最初のしるしでした。それで弟子たちはイエスを信じたのです。この弟子たちは既にイエスを信じていました。ではこの「信じた」とはどういうことでしょうか。彼らは、この奇跡を通して、この方が神の子であるというだけでなく、今までの律法や儀式によっては決して与えられなかった自由と喜びを与えてくださる方であるということを知った、ということです。ですから、彼らは「イエスを信じた」のです。

 

皆さんはどうでしょうか。まだ「こうしなければならない」「ああしなければならない」といったことに縛られて、本当の自由と喜びを失ってはいないでしょうか。一生懸命に努力することは大切なことです。でも、そうした努力が自分を本当にきよめることができるのかというとそうではありません。あなたの罪を赦し、あなたを罪から解放し、あなたに真の自由と喜びを与えてくださるのは、あなたのために十字架で死んでくださったイエス・キリストを信じる以外にはありません。それ以外にあなたが救われる道はないのです。これがこの奇跡の意味していることでした。イエス様はこれを最初の奇跡として、ガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現されたのです。

 

そういう意味で、私たちの人生にイエス様をお迎えするということが最も重要です。水がぶどう酒に変わることによって人々に喜びがもたらされ神の栄光が現されたのは、そこにイエス様がおられたからでした。この婚礼にイエス様が招かれていました。それで、こんなにすばらしいことが起こったのです。

 

大切なのは、あなたの人生の中にもイエス様をお迎えすることです。あなたのどうしようもないその状況の中に、イエス様をお迎えしていただきたいのです。

「イエス様、私はあなたを必要としています。私には無理です。私がどんなに頑張っても自分をきよめることなどできません。イエス様どうぞ私の心の内側にお入りください」と願うことです。

「私は今子育てで苦しんでいます。どうしていいかわかりません。あなたが助けてください。」

「私たちの夫婦関係は壊れています。もう修復困難です。どうしようもありません。これまで一生懸命努力しました。でも夫は私を愛してくれません。妻は私を尊敬してくれません。もううちは終わりです。助けてください。」と祈ることです。

「うちの職場ではもう自分の居場所がないんです。一生懸命働いてきましたが、私はもうボロボロです。雑巾のようです。これ以上ここでは働けません。もう死ぬしかないのです。どうかあわれんでください。」

 

多くの方が悩み苦しんでいます。表面的には何の問題もないようでも、しかし、心の内側を探ってみると、心を開いてみて見ると、みんな苦しみを背負って生きています。それをだれにも話すことができなくて一人で苦しんでいるのです。

 

だから、みんなイエス様が必要なんです。イエス様にその心の内側に入っていただく必要があります。あなたの心の内側にもイエス様を迎えてください。そして、イエス様のおことばにしたがうなら、あなたも本当の自由と喜びを持つことができるのです。

士師記10章

士師記10章からを学びます。まず1~5節までをご覧ください。

Ⅰ.アビメレクの後に立ちあがった士師たち(1-5)

「アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んでいた。彼は二十三年間イスラエルをさばき、死んでシャミルに葬られた。彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。彼らは三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていた。それらは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。ヤイルは死んでカモンに葬られた。」

「アビメレク」とはギデオンの息子です。彼は弟ヨタム以外のすべての兄弟を皆殺しにし、イスラエルの王として君臨しました。しかし神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に送られたので、彼もまたテベツの町でやぐらの上から一人の女が投げた石で頭蓋骨が砕かれて死にました。

アビメレクが死んだ後、イスラエルを救うために立ちあがったのがイッサカル人、ドドの子プアの息子トラでした。彼は6番目の士師としてイスラエルを治めました。彼はアビメレクの後のイスラエルの混乱期を鎮めた人物ですが、彼について聖書はあまり多くを語っていません。彼については、エフライムの山地にあるシャミルに住んでいたことと、23年間イスラエルをさばいていたということ、そして、死んでシャミルに葬られたということだけです。どうしてでしょうか。おそらく、士師記の著者にとってはその後に登場する勇士エフタに大きな関心があったからではないかと思います。エフタについては11章1節~12章7節まで続きます。そういう意味でこの10章は、エフタが登場するまでのエピソードがまとめられているのです。

3節にはヤイルが登場します。彼は7番目の士師です。彼についてはたった3節しか言及されていません。彼がギルアデ人の出身であったということ、また22年間イスラエルをさばいたということ、そして30人の息子がいたということ、また三十頭のろばと三十の町を持っていたということです。ろばは高貴な身分の人の乗り物ですから、彼の息子たちがろばに乗っていたということは、ヤイルがそれだけ富と権力を兼ね備えた人物であったということを示しています。また彼はギルアデの出身とありますが、ギルガルとはヨルダン川の東側の地域にあります。そこから士師が出たということは、主が東側の部族も忘れておられなかったことを表しています。

トラとヤイルは、アビメレクのように王になろうとはしませんでした。彼らは主からゆだねられた使命を忠実に果たし、イスラエルに富と繁栄をもたらしました。それは特筆すべきことのない平凡な時代だったかもしれませんが、だから悪いわけではありません。それはむしろ歓迎すべきことです。私たちの人生のほとんどは特筆すべきことのない平凡な日々の積み重ねですが、それこそ神の恵みなのです。何気ない「当たり前」の中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。

Ⅱ.苦境に立たされたイスラエル(6-9)

次に6~9節までをご覧ください。「イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、十八年の間、ヨルダンの川向こう、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げた。アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされた。そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」」

ヤイルが死んでカモンに葬られると、イスラエルは再び主の目の前に悪を行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテ人の神々に仕え、主を捨て、主に仕えませんでした。ここには、彼らの霊的状況がさらに悪化していることがわかります。以前から拝んでいたバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々やモアブの神々、アンモンの神々、ペリシテ人の神々にも仕えるようになっているからです。アラムとは北の方のシリアのことです。また、シドンとは北の地中海沿岸地域、今のレバノンの地域です。それからモアブとはヨルダン川の東側の地域、アンモンは死海の東側の地域のことです。さらにペリシテ人の地域とは、地中海の沿岸地域のことです。つまりカナンのすべての神々に仕えていたと言ってよいでしょう。彼らは主を捨て、主に仕えるのではなく、こうした神々に仕えたのです。

それで主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に渡されました。ペリシテ人については13章からのところに出てきます。あの有名なサムソンが戦ったのはこのペリシテ人です。そしてアンモン人については、11章と12章に出てきます。

ペリシテ人とアンモン人はイスラエル人を打ち砕き、18年の間、ヨルダン川の川向う、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げ、アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされました。

ここにも士師記に見られるイスラエルのサイクルが見られます。これで6回目です。彼らが主に背いたのは。その度に彼らは苦しみ、主に叫び、何度も主に助けられたという経験をしてきたにもかかわらず、それでもまた同じことを繰り返しました。

これはイスラエル人に限ったことではありません。これは私たちにも見られることです。私たちも何度も主に背き、その度に苦境に陥り、主に助けを叫び求めることで、何度も主に助け出されたにもかかわらず、それでもまた同じことを繰り返してしまいます。まさに、のど元過ぎれば熱さ忘れる、です。背信、それに対する神のさばき、苦悩の中からの叫び、というのが士師記に見られるサイクルです。民が悔い改める時、神は必ず恵みをもって臨んでくださいます。この時のイスラエルの叫びに、主はどのように対応されたでしょうか。

Ⅲ.主のあわれみは尽きない(10-18)

10節から18節までをご覧ください。「10そのとき、イスラエルの子らは主に叫びました。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」11主はイスラエルの子らに言われた。「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人から、12また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだとき、あなたがたを彼らの手から救ったではないか。13 しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。14行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」15イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」16彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。17このころ、アンモン人が呼び集められて、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。18ギルアデの民や、その首長たちは互いに言い合った。「アンモン人と戦いを始める者はだれか。その人がギルアデの住民すべてのかしらとなるのだ。」

イスラエル人の叫びに対して主は、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない。」(13)と言われました。なぜなら、これまで何度もイスラエルが敵に虐げられて主に叫んだとき、主は敵の手から救い出してくださったのに、イスラエルは主を捨てて、ほかの神々に仕えたからです。だったら自分たちで解決すればいい、自分たちが選んだ神々に叫べばいいのではないか、そうすれば、そうした神々があなたがたを救ってくれるだろうから、というのです。何とも皮肉な話です。

ここで大切なのは、主がイスラエルを突き放したのは彼らを愛していないからではなく、救われた彼らが異国の神々のところに行ってしまったからです。もしそのようなことをするのであれば、救うということ自体に何の意味もなくなってしまいます。彼らが救われたのは彼らが主の民として主に仕えるためなのに、その主をないがしろにして他の神々に走っていくというようなことをするのであれば、そうした神々に助けを求めればよいと言うのは当然のことです。

神は真実な方であって、ご自身が約束されたことを破られる方ではありません。どんなことがあっても最後まで契約を守られる方です。しかしいくら神がそのような方であってももう一方がその愛に真実に応えるのでなければ、その契約自体が成り立ちません。不真実なのは神の側ではなく、イスラエルの側、私たち人間の側なのです。

するとイスラエルの民は、自らの罪の深さを悟り悔い改めました。「イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」

それが真の悔い改めであったことをどうやって知ることができるでしょうか。それは、彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に立ち返り、主に仕えたからです。真の悔い改めには、行動が伴わなければなりません。イスラエルの民は自分たちのうちから外国の神々を取り除き、主に仕えました。

これがただ悲しむことと、悲しんで悔い改めることの違いです。パウロはこのことをコリント第二コリント7章10~11節でこう言っています。「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。見なさい。神のみこころに添って悲しむこと、そのことが、あなたがたに、どれほどの熱心をもたらしたことでしょう。そればかりか、どれほどの弁明、憤り、恐れ、慕う思い、熱意、処罰をもたらしたことでしょう。」

後にイスラエルは平和な状況の中で、また主に背いてしまうかもしれません。すぐに心変わりするかもしれない。でも、この時、イスラエルは真剣に悔い改め、切実に助けを求めました。

するとどうでしょう。それをご覧になられた主は心を動かされました。16節の後半部分には、「主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなった。」とあります。神はその心の叫びを聞いてくださいました。また裏切られるかもしれません。いやきっとそうなるでしょう。でも何度裏切られても、イスラエルが苦しみ、心から悔い改めるなら、主はその姿を見て忍びなくなるのです。

主のあわれみは、尽きることがありません。それは時代でも同じです。主は悔い改めるにあわれみを注いでくださるのです。主は怒るにおそく、あわれみ深い方です。そのあわれみのゆえに、私たちも滅びないでいられるのです。私たちもイスラエルのようにどうしようもない弱さ、愚かさがありますが、そんな者でも悔い改めて神に助けを叫ぶなら神があわれんでくださるのです。

哀歌3章22~23節にこのようにあります。「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。」

それは朝ごとに新しい恵み、あわれみです。尽きることのないあわれみなのです。ヨハネの福音書1章16節にもあります。「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」「恵みの上にさらに恵みを受ける」とは、「恵みの代わりに恵みを受ける」という意味で、一つの恵みを受けたらそれで終わりということではなく、その代わりに新しい恵みを受けるということです。神の恵みは尽きることがありません。主の私たちに対する恵み、あわれみは尽きることがないのです。

だから私たちには望みがあるのです。私たちはこの神のあわれみによりすがり、いつも悔い改めて、新しい一歩を踏み出させていただきましょう。

ヨハネの福音書1章35~51節「キリストに会った人々」

ヨハネは、キリストが初めから神とともにおられた神であり、すべてのものを造られた創造主であると述べました。そして、この方は人となって私たちの間に住まわれました。それは神がどれほど恵みとまことに満ちておられるのかを示すためでした。ですから、この方を受け入れた人々には、神の子としての特権が与えられます。私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けるのです。彼はこのことをバプテスマのヨハネの証言をもって証ししました。

 

きょうは、この方と出会った人たちの証言、つまり、バプテスマのヨハネの二人の弟子たちとヨハネの子シモン、そしてピリポとナタナエルの証言を通してキリストを信じる者の幸いについて見ていきたいと思います。

 

Ⅰ.バプテスマのヨハネの二人の弟子(35-41)

 

まず、バプテスマのヨハネの二人の弟子たちの証言から見ていきましょう。35節から37節までをご覧ください。

「その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。」

 

「その翌日」とは、バプテスマのヨハネが証をした翌日のことです。前日、主イエスが自分の方に近づいて来られるのを見たヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(1:29)と叫びました。その翌日、彼が二人の弟子とともに立っていたとき、イエスが歩いて行かれるのを見たヨハネは、「見よ、神の子羊」と言ました。それを聞いたヨハネの二人の弟子は、イエス様について行ったのです。これが最初のクリスチャンです。

 

この「ついて行った」という言葉(原語のギリシャ語ではエーコルーセーサン)は、ただついて行ったということではなく、弟子としてついて行ったという意味です。つまり、イエス様の弟子になったということです。バプテスマのヨハネの二人の弟子は、キリストの弟子になることを決意したのです。このようにして彼らは、最初のクリスチャンとなりました。このように、最初のクリスチャンのほとんどはバプテスマのヨハネの弟子たちでした。彼らはヨハネの強力な証しによって、キリストの弟子となったのです。

 

38節と39節をご覧ください。

「イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊まりですか。」イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすれば分かります。」そこで、彼らはついて行って、イエスが泊まっておられるところを見た。そしてその日、イエスのもとにとどまった。時はおよそ第十の時であった。」

 

イエス様は、ご自分につい来た二人の人を見て言われました。「あなたがたは何を求めているのですか。」これはヨハネの福音書に記されているイエス様の語られた最初のことばです。イエスが「わたしに何を求めているのか」と言われた時、それはただ「私に何の用事があるのか」ということ以上の意味を持っていました。それは、あなたの人生においてあなたは何を求めているのか、ということです。だれでも何かを求めています。それが何であるかは自分でもよく分からないのですが、確かに何かを求めています。それはもしかすると自分の夢をかなえてくれるものかもしれませんし、自分が今必要としているものを満たしてくれるものであるかもしれません。それが何であるかは分かりませんが、確かに何かを求めています。この二人の弟子たちも何かを求めていました。それが何なのか、またどのようにして与えられるのかはわかりませんでしたが、ただ分かっていたことは、この方に従ってついて行けばきっと与えられるということでした。

 

それに対して、彼らは何と答えたでしょうか。38節には、「彼らは言った。『ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊りですか。』とあります。「ラビ」とは「先生」という意味です。敬称を込めた呼び方でした。彼らはまだこの時点ではイエスがどのような方であるかははっはりと分かりませんでした。それが分かるのはもうちょっと後になってからのことです。41節のところで、アンデレは「メシア」と呼んでいますが、これは「キリスト」、「救い主」という意味です。このように後で分かるようになるわけですが、この時点では分かりませんでした。分からなかったけれども、分かりたいと必死で求めていました。それが次の彼らの言葉に込められています。「どこにお泊りですか」どこに泊まろうとそんなのどうでも良いことではありませんか。なぜ彼らはこんなことを尋ねたのでしょうか?

 

これは彼らが単にイエス様が泊まっている場所を知りたかったということではありません。ヨハネ先生が証ししていた偉大な先生が泊まるところだからさぞかし立派な所だろうと、興味があったわけではないのです。彼らがこのように言ったのは、彼らがイエス様のそばにいて、イエス様のことばをじっくりと聞きたかったからです。イエス様がおられる場所を知り、イエス様の元にとどまり、イエス様と深い交わりを持ちたかったのです。

 

パウロは、ピリピ人への手紙3章7,8節で「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。」と告白していますが、この「イエス・キリストを知ることのすばらしさ」のゆえに、すべてを損と思うほどであったわけです。同様にこの二人の弟子も、キリストを深く知りたかったのです。そのためには時間がかかります。ちょっとした立ち話で分かるようなものではありません。どこまでもイエス様について行くことによって、得ることができると考えたのです。

 

果たして、私たちはこの二人の弟子のように、キリストとの交わりを真剣に求めているでしょうか。少年サムエルが、「主よ、お語り下さい。しもべは聞いています。」と言ったように、主が語られる言葉を一つももらさないで聞きたいという思いで聞いているでしょうか。

 

家内が育ったアメリカの教会では礼拝の時間が大体1時間と決まっていて、少しでも説教が長くなると会衆はいらいらし始めるのだそうです。なぜなら、礼拝に来る前に家のオーブンをセットして出てくるので、ちょっとでも遅くなるとチキンが焦げてしまうからです。そのような態度でじっくりと神の御言葉を聞くことができるでしょうか。そういう習慣があるからか、家内はよく「あなたの説教は長い。日本人はよくみんな黙って聞いているなぁ。すごい!」と言います。でもそれは日本人がすごいのではなく、礼拝前にチキンをオーブンでセットして礼拝に出てくるのがおかしいのです。

イエス様がもてなしのために気をもんでいたマルタに、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良い方を選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」(ルカ10:41-42)言われたことばはとても有名です。マリアが選んだ良い方とは何だったのか。どうしても必要な一つだけのこととは何だったのでしょうか。それは、主の足もとに座って、主のみことばに聞き入るということでした。

 

これが、私たちにも求められていることです。私たちがキリストの救いにあずかるために、また、救われてキリストを深く知るために、キリストがおられる場所に行き、そこでじっくりと御言葉を聞くこと、それがどうしても欠かすことができないことなのです。この二人の弟子たちが「どこにお泊りですか。」と尋ねたのはそのためでした。

 

さあ、それに対してイエスは何と言われたでしょうか。39節です。「イエスは彼らに言われた。『来なさい。そうすれば分かります。』」これは、とても大切な言葉です。「分かったら、来なさい」ではなく、「来なさい。そうすれば分かります」。この順序が大切です。しかし、多くの人々は、これを逆にとらえています。分かったら、行こうとするのです。つまり、分かるまでは行かないのです。その方が科学的だと思っています。でもどうでしょうか。私たちは自分では何でも知っていると思っていますが、実のところ、本当に知らなければならないことさえも分かっていないということがあるのではないでしょうか。たとえば、自分自身のことです。自分自身と関係ないことについては意外とよく見えるのですが、いざ自分自身のことになると、客観的に観察しているつもりでも、全然見えていないということがあるのです。なぜなら、自分のことになると冷静になれないからです。そんな者が「分かったら、行こう」としたら、いつまでたっても行くことなんてできません。私たちの小さな頭で、この天地を創造された大きな方を理解しようとしても限界があるのです。

 

ですから、イエス様は「来なさい。そうすればわかります。」と言われたのです。この方にすべてをゆだね、この方のもとに行くなら、分かるようになります。これが信仰なのです。

 

彼らは、イエスが言われたとおり、イエスについて行きました。そして、イエスが泊まっているところを見ました。そしてその日、イエスのもとに留まりました。時はおよそ第十時とあります。この「第十時」ですが、ヨハネの福音書における「時」はユダヤの時間なのか、それともローマの時間なのかはっきりわかりません。しかし、4章6節にも「第六時」とあり、これがユダヤの時間で正午のことを指しているとすれば、この「第十時」もユダヤ時間と考えるのが普通だと思います。そうするとこの「第十時」というのは「午後四時」ということになります。つまり、彼らは一日中イエス様と一緒にいたということです。たった一日でしたがイエス様と一緒にいたことによって、二人は変わりました。どのように変わったのでしょうか。

 

40節と41節をご覧ください。

「ヨハネから聞いてイエスについて行った二人のうちの一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」と言った。」

ここに二人がだれであったかが記録されてあります。一人はシモン・ペテロの兄弟で「アンデレ」であり、もう一人はだれであるかははっきりわかりませんが、多くの学者たちは、これを書いているヨハネではないかと考えています。しかし、わかることは、彼らはイエス様と一日中一緒にいて変えられたということです。それまで彼らはイエスのことを、敬称を込めて「ラビ」と呼んでいたのが、ここでは「メシア」と呼ぶようになりました。

 

「メシア」とは何でしょうか。メシアとは元々「油注がれた者」という意味ですが、旧約聖書では、預言者や祭司、王が任職する時に油が注がれたので、彼らのことを指して「油注がれた者」と呼ばれていました。しかし「メシア」という言葉が独特の意味を持ってくるのは、これが救い主を意味するようになったからです。つまり彼らはイエス様と一日中一緒にいたことによって、この方こそ来るべきメシア、救い主であると信じたということです。それは必ずしも完全な意味での霊的救い主としてのメシア観ではなかったかもしれません。キリストについての知識はまだ不十分だったでしょう。でも、私たちのあらゆる悩み、苦しみの根源である罪から救ってくださる救い主としてのメシアだと信じたのは確かです。

 

私たちもすぐにキリストについてのすべてを知ることはできないかもしれません。でもこの二人の弟子のようにイエスについて行き、そこでじっくりとイエスの御言葉を聞き、イエスにとどまるなら、必ず変えられていきます。「私たちはメシアに会った」という信仰の告白に導かれていくようになるのです。

 

Ⅱ.シモン・ペテロ(42)

 

次に、42節をご覧ください。

「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」

 

次にキリストに出会ったのは誰でしょうか?そうです、シモン・ペテロです。その

兄弟アンデレはイエスのところについて行き、イエスのもとにとどまって、イエスの御言葉を聞き、この方こそメシアであると確信しました。

 

そのアンデレが最初にしたことは何でしょうか。自分の兄弟をキリストのもとに連れて来ることでした。彼は兄弟シモンを見つけると、「私たちは、メシアに会った」と言って、シモンをイエスのもとに連れてきました。私たちがクリスチャンになってまずすべきことは、自分の家族や友人をキリストに連れて来ることです。聖書について説明しなければならないと言われたらできないかもしれませんが、自分の家族を教会に連れて来るということならできるはずです。アンデレはまず自分の兄弟シモンを見つけ、「私たちはメシアに会った」と言ってキリストに導きました。彼はイエスに会いたいと願う人を、イエスのもとに連れて来る奉仕をしたのです。すばらしい奉仕です。彼は決して表舞台で活躍する人ではありませんでしたが、キリストに会いたいと願う人がいればだれでもキリストのもとに連れて行ったのです。

 

イエスのもとに連れて来られたシモンはどうなったでしょうか。イエスはシモンを見ると、彼を見つめてこう言われました。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」これはどういうことですか?

 

これは、シモンもイエスを信じたということです。どのようにしてそれが分かりますか?彼の名前が変わったことで分かります。ユダヤ人にとって、名は体人を表していました。ですから、名前が変わったということは、その人が変わったということなのです。たとえば、アブラハムの名前がアブラムからアブラハムに変えられた時、またヤコブの名前がイスラエルに変えられた時、それは神との関係が新しく生まれたことを意味していました。同じようにシモンという名前がケファに変えられたということは、彼が主イエス・キリストとの関係において新しい関係が生まれたことを意味していたのです。

 

「ケファ」というのは「岩」を意味するアラム語です。イエス様の時代、ユダヤ人は日常会話としてアラム語を使っていたので「ケファ」と呼びましたが、当時は国際語としてギリシャ語を使っており、新約聖書もギリシャ語で書かれたので、これをギリシャ語で書く必要がありました。そこでこれを言い換えて「ペテロ」となっているのです。しかし「ケファ」も「ペテロ」も同じ意味で、「岩」を表しています。ペテロのもともとの名前は「ヨハネの子シモン」ですが、イエス様は彼を「ケファ」「ペテロ」と呼びました。

 

生来のシモンは、おっちょこちょいで、感情的というか、すぐに気が変わってしまいやすい性格の持ち主でしたが、イエス様は彼に、不動の岩を意味する「ケファ」「ペテロ」という名前を与えられました。これは、イエス様がペテロの中にある潜在能力とか可能性というものを見抜いておられたということではなく、また、そうした隠されていたものを引き出すというのでもなく、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストとの新しい関係が、彼をこのような不動の者に変えてくださるというのです。

 

私たちは、このことから本当に慰めを受けます。私たちが生来シモンのようにどんなに変わりやすい性格の者であっても、キリストとの出会いによって、キリストとの関係が生まれ、私たちもペテロのように変えていただくことができるからです。ですから、生まれながらの自分のうちに何もないのを見ても失望してはなりません。キリストと出会い、キリストとの新しい関係に入るなら、私たちも全く新しい器に変えていただくことができるからです。

 

私は、聖書からペテロの記事を見るたびに、何だか自分のことを見ているような感じがして嫌になることがあります。「あなたが行かれる所ならどこにでも」と言ったかと思えば、次の瞬間には「知~らない」と手のひらを返したような態度を取ってしまいます。いつもコロコロと変わりやすい感情的な人間だなぅぁと、がっかりすることがあるのです。しかし、そんなペテロも変えられて、あのペテロの手紙の中で、「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(Ⅰペテロ5:10)と言うくらいに変えられたことを思うと、本当に希望が湧いてきます。

私たちはキリストとの出会いによって、また、キリストの中にしっかりととどまることによって、全く新しい者に造り変えていただくことができるのです。

 

Ⅲ.ピリポとナタナエル(43-51)

 

最後にピリポとナタナエルを見て終わりたいと思います。43節と44節をご覧ください。

「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。」

 

「その翌日」とは、ペテロがキリストを信じた翌日のことです。イエスはユダヤに近いヨルダン川のほとりからガリラヤ湖の方へ行こうとしておられました。そして、そこでピリポを見つけると、「わたしに従って来なさい」と言われました。この「従って来なさい」という言葉は、37節の「ついて行く」という言葉と同じ言葉です。つまり弟子してついて行くということです。しかも現在形で書かれていますが、現在形で書かれているということは継続を表しています。つまり、弟子としてずっと従って来なさい、という意味です。するとピリポはすぐに従いました。おそらく、彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身だったので、彼らからイエス様のことを聞いていたのでしょう。ですから、イエス様からそのように言われた時に、すぐに従うことができたのでしょう。

 

問題はもう一人のナタナエルという人です。45節と46節をご覧ください。「ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」ピリポは言った。「来て、見なさい。」」

 

ナタナエルという人はヨハネの福音書にしか出て来ないので、彼が誰なのかははっきり分かりません。ただ他の福音書を見ると、使徒たちについて記す時に、「ピリポとバルテマイ」というふうに、いつも二人ペアにして記していることから、バルトロマイではないかと考えられています。

 

そのナタナエルにピリポは、「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」と言いました。これはどういうことかというと、旧約聖書に記されているメシアと会ったということです。今のように、聖書が一人ひとりの手にまだ渡っていない時代において、救い主を人々に証しするとき、聖書に記されている点を強調することは重要なことです。私たちもキリストを証しするとき、聖書から離れて、ただ自分の体験を語るだけではなく、聖書に記されているキリストを示していく必要があります。

 

ピリポの証しを聞いたナタナエルは、どのように応答したでてしょうか。46節を見てください。彼はこう言いました。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」これはピリポが「ナザレの人」と言ったことに敏感に反応したのでしょう。「良いもの」とは救い主のことを指しています。旧約聖書のどこにナザレから救い主が出てくると書いてあるのか、というのです。なるほど、旧約聖書には救い主はナザレから生まれるとは書いてありません。ベツレヘムです。ナザレは救い主の両親が住んでおられたところでしたが、救い主はナザレから出るのではなくベツレヘムから出るのです。ですから、神は救い主の両親がナザレに住んでおられたにもかかわらず、旧約聖書に預言されていたように、彼らをわざわざベツレヘムまで旅をさせ、そこで生まれるようにはからわれたわけです。確かに、イエスはナザレの人で、ヨセフの子ですが、実際にはベツレヘムで、聖霊によって生まれました。

 

でもナタナエルにはそのことが理解できませんでした。自分では聖書をよく知っていると思っていたからです。だからそうでないことは全く受け付けられなかったのです。救い主がどのような方であるのかをきちんと調べないで、「ナザレ」という言葉を聞いただけで拒絶反応を示しました。このような人が意外と多くいます。聖書の話を聞く前からキリスト教は西洋の宗教だと決めつけているのです。それはここでナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言っているのと同じです。

 

しかし、ピリポはナタナエルの反論にくじけませんでした。彼はナタナエルに、「来て、見なさい。」と言いました。とてもシンプルですね。「来て、見なさい。」来て、見てみたらどうですか。多くの人々は、ただ食べず嫌いで反対しているだけです。キリスト教が西洋の宗教だという理由だけで反対したり、自分の家には別の宗教があるから信じられないと言ったりします。まだ何も知らないうちに、ですよ。あり得ません。もし信じられないというのであれば、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の手で触れて、実際に体験して決めるべきです。それなのに、まだ何も見ないうちに「キリストは信じられない」というのは変です。そういう人に必要なことは、来て、見ることです。

 

47節をご覧ください。ナタナエルがイエスの方に近づいて行くと、イエスは彼についてこう言われました。「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」

どういうことでしょうか。彼は今、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったんですよ。「そんなの信じられない」と軽くあしらったのです。そんな彼を、「まさにイスラエル人です」とか、「この人には偽りがありません。」というのはおかしいでしょう。

これはイエス様が彼にお世辞を言っているのでも、へつらっているのでもありません。主がそのように判断して言われたのです。どうして主はそのように言われたのでしょうか。

 

48節をご覧ください。ナタナエルも不思議に思ってイエスに尋ねました。「どうして私をご存知なのですか。」するとイエスはこう答えました。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」

主はナタナエルとお会いする前から、ナタナエルのことを知っておられました。ピリポが彼を呼ぶ前から、彼がいちじくの木の下にいたのをご存知であられたのです。それにしても、「この人こそイスラエル人です」とか、「この人には偽りがありません」というのは言い過ぎではないでしょうか?いちじくの木の下にいたということで、彼をそのように呼ぶのは不思議です。たとえば、「私はあなたが来る前に、あなたがマクドナルドにいるのを知っていました。」と言われても、感激してイエス様を信じるという人はいないでしょう。

 

実は、いちじくの木は、ユダヤ人にとって特別の意味がありました。それは、平和と静けさです。ですから、ナタナエルがいちじくの木の下にいたというのは、いちじくの木の下で昼寝をしたり、休んでいるのを見たということではなく、祈っていたのを見たということなのです。いちじくの木の下で祈りながら、人生の意味や真理を捜し求めていたということです。それこそほんとうのイスラエル人です。つまり、イエス様はナタナエルとお会いする前から彼の外的生活だけでなく、内的生活も含めた彼のすべてを見通しておられたということです。

 

その言葉を聞いた彼は、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と答えました。私の心の思いをすべて読み取り、理解しておられる方、私の心の奥底にあることを見抜くことができる方、言葉では言い表せない私の魂のうめきを聞き取ることのできる方こそ神の子であられ、神の民であるイスラエルを統治されるお方であると告白したのです。

 

皆さん、キリストはこのようなお方です。キリストは私たちの心の思いのすべてをご存知であられます。私たちの心の奥底まで見通すことができる方なのです。この方の前に出る時、私たちはキリストの御前にひれ伏さざるを得ませんが、それなのに多くの人はキリストの御前に出てようとしません。ですから、ピリポが言ったことはとても重要なことです。「来て、見なさい。」

 

あなたがキリストのところに来て、キリストがどのような方であるのかを見るなら、キリストこそ神の子であり、神の民を治められる王であると告白するようになるでしょう。いや告白しないわけにはいきません。

 

最後に50節と51節のイエス様のことばを見ましょう。

「イエスは答えられた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」どういうことでしょうか?

 

イエス様は、「それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」と言われました。「それよりも大きなこと」とは何でしょうか。それは51節で、イエス様が言われたことです。イエス様はこのように言われました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」

 

これは創世記28章にあるヤコブがベテルで体験した出来事が背景にあります。彼は霊的なことに長けていただけでなく、ずる賢い人間でしたから、兄エサウがおなかをすかせて猟から帰って来た時、一杯のスープと交換に、兄エサウの長子の権利を奪い取ってしまいました。そればかりでなく、彼は父イサクが自分の死が近いことを知り、愛するエサウを祝福しようとして、鹿を取って来て、それでおいしい料理を作って、持って来るようにと言うと、エサウを出し抜いて母リベカが造った料理を持って行って、エサウが受けようとしていた祝福を奪い取ってしまいました。

二度も弟にだまされたことを知ったエサウは、弟を殺そうとしますが、そのことを知った母リベカは、彼を助けようと、自分の実家へ逃がしてやります。こうしてヤコブはひとり旅をするようになりますが、彼がルズという所に来たとき、そこで野宿することになりました。最初の野宿ということでかなり心細かったことでしょう。石を枕にして寝たのですが、平安がありませんでした。

その時です。彼は一つの夢を見ました。それは天から地に向かってはしごがかけられている夢でした。そして、そのはじごの上を神の使いたちが上り下りしているというものでした。しかもその時、主がそばに立って、こう言われました。

「 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」」(創世記28:15)

それで彼は元気百倍、眠りから覚めると、「まことに主はこにおられるのに、私はそれを知らなかった。」と言って、そこを「神の家」という意味のベテルと呼んだのです。

 

イエス様が語られたのは、この出来事にちなんでのことでした。つまり、ヤコブがたったひとりぼっちだと思っていたその時に、主は天からはしごを送られ、彼のかたわらにいて、助けてくださいました。そればかりではなく、そのような時でも神との交わりが与えられているという事実です。つまり、主がここにおられる、主は生きておられるという体験です。ただ頭だけの知識ではなく、ほんとうに主はここにおられるという実体験です。そして、今やその天からのはしごとして、イエス・キリストご自身を備えてくださいました。それがここで言われている「神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」ということです。

 

イエス・キリストを信じる者は、イエス様によって神の子としての特権が与えられるというだけでなく、どんな時でもイエス様が仲立ちになってくださって、父なる神様とのすばらしい交わりを持つことができるのです。これこそ、イエス様が言われた「それよりも大きなこと」です。この体験は、クリスチャンに与えられている特権です。私たちがキリストによるこのすばらしい神との交わりを体験するなら、たとい孤独であろうとも、たとえ健康が損なわれることがあっても、たとい患難や迫害の中にあっても、またいばらの道や石を枕としなければならないような時でも、そこに驚くべき力が与えられるのです。神の臨在を体験できるからです。

 

これはクリスチャンのすべてに約束されていることです。51節を注意深く見ると、これは単にナタナエルだけでなく、すべての弟子たちに語られたことであるのがわかります。それはここに「まことに、まことに、あなたがたに言います。」と複数形で言われているからです。それは私たちクリスチャンのすべてに言われていることです。イエス様を信じて救いの入口にとどまっているだけでなく、もっと救いの奥深さを知り、日ごとにそのすばらしさを味わい知る者でありたいと思います。もっと大きなことを見させていただきましょう。イエス・キリストこそ、私たちと父なる神を結びつけてくださるその架け橋にほかなりません。

ヨハネの福音書1章14~18節「恵みとまことに満ちた方」

ヨハネの福音書からメッセージをしております。きょうはその第四回目となりますが、「恵みとまことに満ちた方」というタイトルでお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.恵みとまことに満ちた方(14-15)

 

まず、14節と15節をご覧ください。14節をお読みします。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

 

「ことば」とは、イエス・キリストのことです。そのことばが人となって、私たちの間に住まわれました。この「人」と訳されているギリシヤ語は「サルクス」という言葉で、下の欄外の説明にもあるように、直訳すると「肉」です。ことばが肉体を取って私たちの間に住まわれた。当時の人々にとって「肉」は弱いもので、すぐに朽ち果てていくものという考えがありました。ですから、ことばである神が人となるということは考えられないことでした。けれども、神は肉体を取って現われてくださいました。これを書いたヨハネは1章1節から5節までの箇所で、この方は永遠の初めから存在し、すべてのものを造られ、いのちの源、人の光であられたと言っておりますが、そのお方が人となって現われてくださったのです。これは奇跡です。私たちは毎年クリスマスをお祝いしていますが、それはこの奇跡をお祝いしているのです。神の栄光に満ちた方が人として生まれてくださり、実に飼い葉桶にまで下ってくださいました。これは奇跡できないでしょうか。いったい神はなぜ人となられたのでしょうか。

 

14節のその後のところにこうあります。「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

それはこの方の栄光を見るためです。ひとり子としての栄光です。その栄光を見るなら、この方がどんなに恵みとまことに満ちておられるかがわかるでしょう。それはちょうど旧約聖書の時代にイスラエルの民が荒野を旅していた時、栄光の雲として現れてくださったようにです。この「住まわれた」ということばには「幕屋を張る」という意味があって、そのことを表しています。つまり、神があの会見の天幕(幕屋)で彼らと共に住まわれ栄光の雲として現れてくださったように、キリストと人となって私たちの間に住んでくださることによって、神の栄光を見ることができるということです。キリストは、そのために人となって私たちの間に住んでくださいました。そのことによって神がどんなに栄光に輝いておられる方であるか、恵みとまことに満ちた方であるかを示すためです。この方を信仰の目をもって見る人々には、この神の栄光を見ることができます。そして、その栄光は、恵みとまことに満ちていました。

 

恵みとまことに満ちておられたとはどういうことでしょうか。この「恵みとまことと」という言葉は、旧約聖書の「ヘセッド」と「エメット」というへブル語が背景にありますが、この二つの言葉が一緒に出てくる箇所を見てみると、これらは、いずれも神との契約において用いられていることがわかります。そしてこれは、神は契約を守ることにおいて真実であられるということを表しているのです。

 

皆さん、神様は契約を守られる方です。約束されたことは必ず果たされます。神様は、私たち人間に対して救いの約束をしてくださいました。その救いの約束というのは、神が御子をこの世に遣わして私たちが受けなければならない罪のさばきを代わりに受けることによって、私たちを罪から救ってくださるというものでした。その驚くべき救いの約束を果たすために、神はご自身のひとり子をこの世に遣わしてくださったのです。ですから、キリストが人となって私たちの間に住まわれたということ自体、神が真実な方であるということを表しているわけです。神様は、約束されたことを必ず守られるのです。

 

皆さんもよくご存知の「あしあと」という詩があります。マーガレット・F・パワーズというクリスチャンが書きました。この詩を見ると、本当に主は真実な方であることを感じます。

 

あしあと

「ある夜、わたしは夢を見た。 わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。 暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。 どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。 ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

 

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、 わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。 そこには一つのあしあとしかなかった。 わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、 わたしはその悩みについて主にお尋ねした。 「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、  あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、  わたしと語り合ってくださると約束されました。  それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、  ひとりのあしあとしかなかったのです。  いちばんあなたを必要としたときに、  あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、  わたしにはわかりません。」 主は、ささやかれた。  「わたしの大切な子よ。  わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。  ましてや、苦しみや試みの時に。  あしあとがひとつだったとき、  わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

イエス様は、決してあなたを捨てることはありません。なぜなら、そのように約束してくださったからです。マタイの福音書の最後に書かれてある大宣教命令にはこうあります。

「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます。」(マタイ28:19-20)

これがイエス様の約束です。そして、イエス様は約束されたことを必ず果たしてくださいます。私たちはそうではありません。「こうします」「ああします」と約束しても、自分の都合が悪くなると簡単に約束したことを破ってしまいます。私たちの約束はいとも簡単に破られてしまいます。「約束は破るためにある」という言葉を聞いたことがありますが、本当にそうですね。破るためにあるようなものです。しかし、イエス様はそうではありません。約束されたことは必ず果たされるのです。なぜなら、この方は真実な方だからです。パウロは、こう言っています。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:13)

 

私たちもこのような人になりたいですね。箴言3章3節には、「恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。」とあります。いったいどうしたらこのような人になれるのでしょうか。この方を見てください。この方は恵みとまことに満ちておられます。この方は父なる神のみもとから私たちのところへ来てくださいました。私たちと同じ人となってくださり、私たちの間に住んでくださいました。だから、この方を見るとき、私たちも恵みとまことに満ちた者になることができます。

 

宗教改革者ジャン・力ルヴァンはこう言っています。「キリストこそは恵みとまことの泉であり、汲みつくされ得ないほどに豊かな泉である。私たちすべてはその泉から汲み取るべきである」  私たちが恵みとまことに生きたいと願うなら、キリストの元へ行かなければなりません。それは、イエス・キリストという泉から汲むことによって私たちに及んでくるからです。

 

ヨハネはこの方について証しして、こう叫んで言いました。15節です。「『私の後から来られる方は、私にまさる方です。私より先におられるからです』と私が言ったのは、この方のことです。」

この「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネのことです。彼については前回のメッセージでお話ししました。彼は、自分の後から来られる方は、自分よりもまさる方だと言いました。なぜなら、自分よりも先におられたからです。どういうことですか?

ヨハネは、イエスの従兄弟にあたり、イエス様がマリヤから生まれる6ヶ月前にすでに生まれていました。それなのに私より先におられたというのは、この方が永遠の初めからおられたということ、つまり、この方は神のひとり子であられるということです。ヨハネは偉大な預言者で、女の中から産まれた者の中で、彼よりも偉大な者はいないと認められていたほどの人物ですが、そのヨハネが、「私はその方のくつのひもを解く値打ちがない」と言わしめるほど偉大なお方、それが神のひとり子キリストだったのです。

 

この方には神の栄光がありました。この方は恵みとまことに満ちておられました。ですから、あなたもこの方の元に行くなら、あなたも恵みとまことに満たされることができるのです。

 

Ⅱ.恵みの上にさらに恵みを受ける(16-17)

 

次に、16節と17節をご覧ください。

「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」

 

キリストは恵みとまことに満ちておられる方なので、この方を信じて歩む私たちも、その満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けることができます。ところで、この「恵みの上にさらに恵みを受けた」とはどういうことでしょうか?これは原文では「恵みの代わりに恵みを受けた」となっています。これはどういうことかというと、一つの恵みを受けたらそれでおしまいということではなく、その代わりにまた新しい恵みを受けるということです。ちょうど泉から水がこんこんと湧き出て来るように、神の恵みは尽きることがありません。

 

しかし、そればかりではありません。私たちの人生には、次々と問題が起こってくるものですが、たとえどんなに問題が起こっても、その問題に対する解答としての恵みがとめどなく与えられるということでもあります。いや、問題そのものさえも恵みとなります。なぜなら、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すということを知っているからです。問題さえも恵みであればすべてが恵みとなります。皆さん、キリストに信頼して歩む人生は、すべてが恵みなのです。どうしてそのように言えるのでしょうか。その理由が17節にあります。「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」

 

皆さん、律法って何でしょうか?律法とは、神の「教え」や「戒め」のことです。内容的には、神に対して私たちが成すべき責任から、私たちがこの社会の中で生きていく上で守らなければならない道徳的、倫理的教えを包んでいます。申命記7章6節以下によると、イスラエルの民は神の一方的な恵みによって諸国民の中から特別に選ばれた神の民なので、この神の命令を守る者なら祝福を与えると約束してくださいました。

その代表的な律法に「十戒」と呼ばれるものがあります。もし彼らが神の声に聞き従い。神との契約を守るなら、彼らはあらゆる民族の中にあって、神の宝となると約束されました。出エジプト記20章3~17節に以下のようにあります。

①あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
②あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 ・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
③あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
④安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
⑤あなたの父と母を敬え。
⑥殺してはならない。
⑦姦淫してはならない。
⑧盗んではならない。
⑨あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
⑩あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

しかし、どうでしょう。どんなに神と約束しても、この命令を守ることのできる人がいるでしょうか。私は、いつも隣人の家を欲しがっていますから、もうアウトです。先日、アメリカの大学で学んでいる娘からラインで成績表が送られてきました。なぜ送ってよこしたのかわかりません。おそらく、これだけがんばっているよ!と伝えたかったのでしょう。何の科目なのかよくわかりませんが、ある科目は95.65%、別の科目は75.25%、他77.27%、80%、一つだけ57%というものがありました。その成績表はとてもわかりやすく、90%以上は鮮やかなグリーンの色で示してありました。80%以上は薄いグリーンの色です。70%以上は黄色。60%以下はレッドです。アメリカの大学では60%以下はレッドですが神の基準はとても高く、90%でないと鮮やかなグリーン色にはなりません。ちょっとでもミスをするとレッド色になってしまいます。まして神の律法は90点以上だけではだめなのです。常に100%でなければなりません。

 

しかし、どうでしょう。私たち人間の中で完全にこれを守ることのできる人などいるでしょうか。いません。私たち人間は自らの罪と弱さのために神の戒めを完全に守ることはできないのです。自分の力でどんなに頑張ってみても、神が求めておられる基準に達することはできません。律法は本来良いものであり、神の恵みとまことを受けるための手段として神が与えてくださったものですが、だれも行うことができないのです。

 

しかし、この律法とは別に、律法と預言者によって証しされた神の義が示されました。それがイエス・キリストです。キリストはこの律法を完全に行うことができた方であるというだけでなく、この律法が本来、指し示していた方でした。このキリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったことによって、この方を信じるすべての人の罪は赦され、神の前に義と認められるようになったのです。これが「恵み」です。「恵み」とは何ですか?恵みとは、受けるに値しない者に対する神の一方的な恩寵です。これはグッドニュース、福音です。

 

エペソ人への手紙2章1~5節にはこうあります。

「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」

 

私たちは、かつては背きと罪の中に死んでいた者です。死んでいたわけですから、自分ではもう何もすることができません。死んだ人がヨイショと起き上がって動き出すことができるでしょうか。できません。しかし、神はそのような者をあわれんでくださり、一方的に救いの御手を差し伸べてくださいました。背きの中に死んでいた者を、キリストとともに生かしてくださったのです。これが恵みです。この恵みは、イエス・キリストによって実現しました。それは私たちから出たことではなく、神からの賜物なのです。

 

そればかりではありません。この方を信じ、この方に結びつくことによって、恵みの上にさらに恵みを受けることができるようになりました。なぜなら、この方の恵みは満ち満ちておられるからです。この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを、尽きない恵みを受けるようになったのです。

 

Ⅲ.父のふところにおられるひとり子の神(18)

 

最後に18節を見て終わりたいと思います。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

 

これまで私はよく色々な人から「神がいるなら見せてくれ」と言われたことがあります。「神がいるなら見せてくれ」と言われても、神は霊ですから私たちの肉眼で見ることはできません。ではどうしたら神を知ることができるのでしょうか。ここでヨハネはこう言っています。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

 

神は私たちの肉眼で見ることはできませんが、そんな私たちでも神を知ることができるように、神はご自身の御子を人としてこの世に送られ、神がどのような方であるのかを私たち人間にはっきりと啓示してくださったのです。

 

ですから、もしだれかに「あなたが信じている神様はどういうお方ですか」と聞かれたら、「イエス・キリストを見ればわかります」と答えることができます。「いや、イエス・キリストご自身が私たちの信じている神様です」と答えることができます。なぜなら、キリストは父のふところにおられたひとり子の神なので、完全に神を説き明かすことができたからです。

 

「父のふところにおられるひとり子の神」とは、イエス・キリストが父なる神と不断の親しい交わりを持っておられたということを表しています。父なる神といつも一緒にいて親しく交わっておられたので、父なる神がどのような方かがよくわかりました。人間の親子でもそうでしょ。子どもであれば、親がどのような人かがよくわかります。いつも一緒にいるからです。うちの娘は私のことをよく知っています。いつも一緒にいてみているからです。でもその交わりにも限界があります。知っているつもりでも知らないこともあるのです。「親の心、子知らず」ということわざのとおりです。けれども、三位一体の神の交わりはそうではありません。神は完全な交わりを持っておられます。ですから、ひとり子の神が、神を完全に神を説き明かすことができたのです。

 

イエス様の弟子の一人ピリポはイエス様にこう言いました。

「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」(ヨハネ14:8)これは私たちの持っている願いと同じですね。それに対して、イエス様はこのように言われました。

「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」(ヨハネ14:9)
私たちも、神を見ることができたらと思うことがあります。しかしイエス様は、「わたしを見た人は、父を見たのです。」と言われました。キリストを見れば、父なる神を見ることができるのです。キリストを見るということは神を見るということ、キリストを知るということは神を知るということなのです。

 

あなたはどれだけ神を知っておられるでしょうか。私たちの信仰生活は、この神をどれだけ深く知っているかにかかっています。ですから、私たちはこのイエス・キリストをよく知らなければなりません。イエス・キリストについては聖書の中に、特に四つの福音書に詳しく書かれています。聖書を通してキリストをよく知り、この方との生きた交わりを通して、まぐみとまことを豊かに頂き、さらに大きく成長させていただきたいと思います。

士師記9章

 士師記9章からを学びます。

 Ⅰ.アビメレクとシェケムの住民の悪(1-21)

 まず、1~21節までをご覧ください。6節までをお読みします。「1 さて、エルバアルの子アビメレクは、シェケムにいる母の身内の者たちのところに行き、彼らと母の一族の氏族全員に告げて言った。2 「どうかシェケムのすべての住民の耳に告げてください。『あなたがたにとって、エルバアルの息子七十人全員であなたがたを治めるのと、ただ一人があなたがたを治めるのとでは、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こすがよい』と。」3 アビメレクの母の身内の者たちが、彼の代わりに、これらのことをみな、シェケムのすべての住民の耳に告げたとき、彼らの心はアビメレクに傾いた。彼らが「彼は私たちの身内の者だ」と思ったからである。4 彼らは、バアル・ベリテの神殿から銀七十シェケルを取り出して彼に与えた。アビメレクはそれで、粗暴なならず者たちを雇った。彼らはアビメレクに従った。5 アビメレクはオフラにある彼の父の家に行って、自分の兄弟であるエルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。しかし、エルバアルの末の子ヨタムは隠れていたので生き残った。6 シェケムのすべての住民とベテ・ミロのすべての人々は集まり、行って、シェケムにある石柱のそばの樫の木の傍らで、アビメレクを王とした。」

「エルバアル」とはギデオンのことです。ギデオンには七十人の息子がいましたが、その中の一人の子アビメレクが、シェケムにいた母の身内の者たちのところに行き、母の一族全員にギデオンの七十人の息子全員でイスラエルを治めるのと一人が治めるのとではどちらがよいかと告げると、シェケムのすべての住民の心はアビメレクに傾きました。なぜなら、彼はシェケムの出身だったからです。そこでシェケムの住民とベテ・ミロのすべての人々は集まり、アビメレクを王としました。

ここで「シェケム」の場所を確認しておきましょう。巻末の「地図4:イスラエルの各部族への土地の割り当て」を見ると、エフライムの境界線に近いマナセの領地にあることがわかります。ここは、かつてヨシュアがイスラエルの全部族を集め民と契約を結び、彼らのために掟と定めを置いた所です。(ヨシュア24:1-24)ヨシュアはそれらのことばを神の教えの書に記し、大きな石を取り、主の聖所にある樫の木の下に立てました(ヨシュア24:25)。この石こそ6節にある「石柱」のことです。その後、ヨシュアは百歳で死に、隣のエフライムの相続地にあるティムナテ・セラフに葬られました。また、エジプトから携え上ったヨセフの遺骸を、シェケムの地に葬りました。ですから、「シェケム」というのは地理的にもそうですが、信仰的にもイスラエルの中心であったことがわかります。そこであった出来事がこれなのです。

ギデオンが死んだ後、彼の一人の息子アビメレクが王となります。彼らはアビメレクからの提案を受けると、彼が自分たちの身内の者であるという理由で、彼を王にしようとしました。それで、彼らはアビメレクにバアル・ベリテの神殿から銀七十シェケル(798グラム)を取り出して与えました。するとアビメレクは、それで粗暴ならず者たちを雇い、ギデオンの七十人の息子たちのうち、末の子ヨタム以外の兄弟全員を殺しました。

すると、そのことが末の子ヨタムに告げられ、ヨタムは預言します。7~21節までをご覧ください。

「7 このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、彼らに叫んだ。「私に聞け、シェケムの人々よ。そうすれば神はあなたがたに耳を傾けてくださる。8 木々が出かけて行って、自分たちの上に王を立てて油を注ごうとした。木々はオリーブの木に言った。『私たちの王となってください。』9すると、オリーブの木は彼らに言った。『私は、神と人をあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』10 木々はいちじくの木に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』11 しかし、いちじくの木は彼らに言った。『私は、私の甘みと良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』12 木々はぶどうの木に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』13 しかし、ぶどうの木は彼らに言った。『私は、神と人を喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』14 そこで、すべての木が茨に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』15 茨は木々に言った。『もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすだろう。』16 今、あなたがたは誠意と真心をもって行動して、アビメレクを王にしたのか。あなたがたはエルバアルとその家族に良くして、彼の手柄に報いたのか。17 私の父は、あなたがたのために戦い、自分のいのちをかけて、あなたがたをミディアン人の手から助け出したのだ。18 しかし、あなたがたは今日、私の父の家に背いて立ち上がり、その息子たち七十人を一つの石の上で殺し、また、あなたがたの身内の者だからというので、女奴隷の子アビメレクをシェケムの住民たちの上に王として立てた。19 もしあなたがたが、今日、エルバアルとその家族に対して誠意と真心をもって行動したのなら、あなたがたはアビメレクによって喜ぶがよい。彼も、あなたがたによって喜ぶがよい。20 もしそうでなかったなら、アビメレクから火が出て、シェケムの住民とベテ・ミロを焼き尽くし、シェケムの住民とベテ・ミロからも火が出て、アビメレクを焼き尽くすだろう。」21 それから、ヨタムは逃げ去ってベエルに行き、兄弟アビメレクの顔を避けてそこに住んだ。」

このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、シェケムの人たちに叫びました。ヨタムは、ギデオンの末の子でしたが、アビメレクが自分の兄弟七十人を殺したとき隠れて難を逃れていたのです。

彼は、まずたとえを語ります。木々が自分たちの王になってくれるようにとオリーブの木に、次にいちじくの木に、次にぶどうの木にお願いします。「木々」とは、シェケムの人々のことです。オリーブの木やいちじくの木、ぶどうの木とは、ギデオンの後に出たイスラエルの勇士たちのことでしょう。ところが、これらはいずれもその願いを退けます。それで最後に、茨に向かって「あなたが来て、私たちの王になってください。」と言いました。すると、茨は木々に言いました。「もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすだろう。」(15)

この「茨」とはアビメレクのことです。彼は王にふさわしくない、野心に満ちた危険な存在であるとヨタムは警告しているのです。そして、これはあなたがたに善意を尽くしたギデオンに真実を尽くした結果なのかと問います。いや、そうではありません。ギデオンは良いことをしたのに、彼と彼の家族に感謝して誠意と真心をもって行動したかというとそうではなく、むしろ彼らは自分たちの欲望を満たすためにそむきの罪を犯したのだと断罪するのです。そして、もしそうでないなら、アビメレクから火が出て、シェケムの住民とベテ・ミロを焼き尽くすと宣言しました(20)。これはどういうことかというと、アビメレクとシェケムの人々は、今は悪い考えで一致しているが、その関係は決して長続きしないということです。彼らは、やがて互いに食い合い、滅ぼし合って、さばきをもたらし合うようになります。これを聞いたアビメレクやシェケムの人々は、そんなことはないと笑っていたことでしょう。事実、3年間はこの状態が保たれたようです。しかし、時が経過して、このヨタムの宣言は現実のものとなって行きます。

Ⅱ.暴虐への報い(22-49)

次に、22~49節までをご覧ください。25節までをお読みします。「22 アビメレクは三年間、イスラエルを支配した。23 神は、わざわいの霊をアビメレクとシェケムの住民の間に送られたので、シェケムの住民たちはアビメレクを裏切った。24 こうして、エルバアルの七十人の息子たちに対する暴虐への報いが現れ、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに手を貸してその兄弟たちを殺したシェケムの住民たちの上に降りかかった。25 シェケムの住民たちは、アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、また道を通り過ぎるすべての者から略奪した。やがて、このことがアビメレクに告げられた。」

まず、シェケムの人々がアビメレクを裏切りました。それは、神がわざわいの霊をアビメレクとシェケムの住民の間に送られたからです(23)。シェケムの住民たちは、アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、そこを通り過ぎるすべての者から略奪したのです。これはどういうことかというと、シェケムの人たちが略奪を繰り返すことによってシェケムの治安を悪化させ、アビメレクの支配を揺るがそうとしたということです。こうしてアビメレクとシェケムの人たちの間に亀裂が生じました。前述のヨタムの言葉で言えば、シェケムから火が出たわけです。

そればかりではありません。今度はエベデ人ガアルが加わります。26~29節までをご覧ください。「26 エベデの子ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムを通りかかったとき、シェケムの住民たちは彼を信用した。27 住民たちは畑に出て行って、ぶどうを収穫して踏み、祭りを催して自分たちの神の宮に入って行き、食べたり飲んだりしてアビメレクをののしった。28 そのとき、エベデの子ガアルは言った。「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。彼はエルバアルの子、ゼブルは彼に仕える者ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えよ。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。29 だれか、この兵を私の手に与えてくれないものか。そうすれば、私はアビメレクを追い出すのだが。」彼はアビメレクに「おまえの軍勢を増やして、出て来い」と言った。」

エベデ人ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムの住民たちのところに来ると、シェケムの人たちは彼を信用しました。そして、畑に出て行って、ぶどうを収穫して踏み、食べたり飲んだりしたとき、アビメレクをののしりました。するとガアルは、「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。彼はエルバアルの子、ゼブルは彼に仕える者ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えよ。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。だれか、この兵を私の手に与えてくれないものか。そうすれば、私はアビメレクを追い出すのだが。」と言いました。

このところからわかることは、彼はハモルと深いつながりがあったということです。「ハモル」とは、ヤコブがまだ生きていた頃、ラバンのところから約束の地に帰ってくるとき、シェケムにとどまっていたときの首長です。もともと、ここにはヒビ人ハモルとその子シェケムらが住んでいましたが、シェケムがディナを見てこれを捕らえ彼女と寝て辱めるという事件が起こったため、ヤコブの息子たちは一つの民となる約束を交わし、相手方に割礼を受けさせました。そしてその傷が痛んでいる間に襲って、すべての男子を殺したのです(創世記34章)。そのシェケムの父ハモルの血を引く者たちが残っていたのでしょう。ガアルもその一人だったと考えられます。その彼がシェケムの父ハモルの人々に仕えよ、と叫んだのです。先にアビメレクが自分はシェケム出身であると訴えて、シェケムの人々の心を勝ち取りましたが、今度はガアルがこの町のより深い歴史に訴えて、アビメレクに対する謀反を煽ったのです。こうしてアビメレクは自分がしたように他の人にもされることになりました。

 その結果どうなったでしょうか。30~40節までをご覧ください。「30 この町の長ゼブルは、エベデの子ガアルの言ったことを聞いて怒りを燃やし、31 ひそかにアビメレクのところに使者を遣わして言った。「今、エベデの子ガアルとその身内の者たちがシェケムに来ています。なんと、彼らは町をあなたに背かせようとしています。32 今、あなたとあなたとともにいる兵が、夜のうちに立って、野で待ち伏せし、33 朝早く、太陽が昇るころ、町に襲いかかるようにしてください。すると、ガアルと、彼とともにいる兵があなたに向かって出て来るでしょう。あなたは手当たり次第、彼らを攻撃することができます。」

34 そこで、アビメレクと、彼とともにいた兵はみな、夜のうちに立って、四隊に分かれてシェケムに向かって待ち伏せた。35 エベデの子ガアルが出て来て、町の門の入り口に立ったとき、アビメレクと、彼とともにいた兵は、待ち伏せしていたところから立ち上がった。36 ガアルはその兵を見て、ゼブルに言った。「見よ、兵が山々の頂から下りて来る。」ゼブルは彼に言った。「あなたには、山々の影が人のように見えるのです。」37 ガアルはまた続けて言った。「見よ、兵がこの地の一番高いところから下りて来る。さらに一隊がメオンニムの樫の木の方から来る。」38 ゼブルは彼に言った。「『アビメレクとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは』と言ったあなたの口は、いったいどこにあるのですか。あなたが見くびっていたのは、この兵ではありませんか。さあ今、出て行って、彼と戦いなさい。」39 そこで、ガアルはシェケムの住民たちの先頭に立って出て行き、アビメレクと戦った。40 アビメレクが彼を追ったので、ガアルは彼の前から逃げた。多くの者が刺し殺されて倒れ、門の入り口にまで及んだ。」

 このことを聞いたアビメレクは、怒りを燃やし、夜のうちに立って、野で待ち伏せし、翌朝早く、町に襲いかかり、ガアルと、彼とともにいた者たちを打ちました。しかし、アビメレクの怒りはこれで収まりませんでした。裏切ったシェケム人に対する復讐心に燃え上がります。

41~45 節をご覧ください。「41 アビメレクはアルマにとどまったが、ゼブルは、ガアルとその身内の者たちを追い払って、彼らをシェケムにとどまらせなかった。42 翌日、兵が野に出て行くと、そのことがアビメレクに告げられた。43 そこで、アビメレクは自分の兵を引き連れ、三隊に分けて、野で待ち伏せた。彼が見ていると、見よ、兵が町から出て来た。そこで彼は立ち上がって彼らを討った。44 アビメレクと、彼とともにいた一隊は町に襲いかかって、その門の入り口に立った。一方、残りの二隊は野にいたすべての者を襲って打ち殺した。45 アビメレクは、その日一日中、町を攻め、この町を占領して、その中の民を殺した。彼は町を破壊して、そこに塩をまいた。」

アビメレクは、自分の兵を引き連れてシェケムの町に襲いかかり、すべての者を打ち殺しました。彼はこの町を破壊して、そこに塩をまきました。「塩をまく」という行為は、もう二度と再建されないという意味です。そればかりではありません。46~49節にあるように、エル・ベリテの神殿の地下室に逃げ込んだ者たちを滅ぼすため、この地下室に火をつけて一千人を皆殺しにしました。まさにギデオンの末の子ヨタムが預言したように、アビメレクから火が出て、シェケムの者たちを食い尽くしたのです。

 Ⅲ.アビメレクの死(50-57)

 それからどうなってでしょうか。最後に50~57節までをご覧ください。55節までお読みします。「50 それからアビメレクはテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領した。51 この町の中に堅固なやぐらがあった。すべての男女、町の住民たち全員はそこへ逃げて立てこもり、やぐらの屋根に上った。52 アビメレクはやぐらのところまで来て、これを攻め、やぐらの入り口に近づいて、これを火で焼こうとした。53 そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。54 アビメレクは急いで、道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私にとどめを刺せ。女が殺したのだと私について人が言わないように。」若者が彼を刺したので、彼は死んだ。55 イスラエル人はアビメレクが死んだのを見て、一人ひとり自分のところへ帰って行った。」

アビメレクの怒りはそれでも収まりませんでした。シェケムの一部の人たちがテベツに逃れると、今度はテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領しました。そして、やぐらに火を放ちそこへ逃げ込んだ住民たちを滅ぼそうとしました。しかし、そのとき一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕きました。ひき臼は、直径30cmくらいの石です。そのような石がうまく命中して死ぬというのも、まさに神の御手によると言えます。

ここにも皮肉があります。アビメレクはギデオンの子らを一つの石の上で殺しましたが、その彼が、今度は石を投げつけられ、石の傍らで死ぬことになるのです。自分がしたようにされたのです。ヨタムはアビメレクを呪いましたが、彼が自ら手を下すことなくアビメレクは葬り去られたのです。

これらの出来事は、いったい私たちに何を教えているのでしょうか。この章の結論は56~57節です。「56 こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返された。57 神はまた、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返された。エルバアルの子ヨタムののろいが彼らに臨んだ。」

ここには「報い」という言葉が強調されています。こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返されました。また、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返されました。これは神の報いなのです。神に背いて王となったアビメレクと、それに共謀したシェケムの住民がともにさばきを受けることになったのです。

私たちも神にそむき、自分の欲望と満足に生きるのであれば、必ずその報いを受けることになります。現実的にはそう見えない時があってもそこに神の支配があり、時至って一人一人にふさわしい報いが与えられることになるのです。仮にこの世でそうしたことが成されなくても、来たるべき世において、必ずもたらされることでしょう。

ですから、私たちに求められているのは、神の恵みに心を留めるということです。神はギデオンがイスラエルのためにいのちをかけてミディアン人と戦い、彼らをミディアン人の手から救い出したように、ご自分のいのちをかけて、私たちを罪の中から救い出してくださいました。そのことを心に留めなければなりません。そのことから離れると、すぐに元の生活に逆戻りし、神の前に悪を行うことになってしまいます。悪は悪の報いをもたらします。その悪は必ず自分に戻ってくることになるのです。そういうことがないように、いつも主の恵みに心を留め、真実と全き心をもって主に応答し、主に喜ばれる生活をささげていかなければなりません。主の前に正しく生きる者の恵みは大きいのです。

ヨハネの福音書1章9~13節「神の子どもとされる特権」

今日は、ヨハネの福音書1章9節から13節までの箇所から、「神の子どもとなる特権」というタイトルでお話ししたいと思います。12節をご覧いただくと、ここに

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」とあります。

よく「人類、みな兄弟」とか、「だれでもみな神の子ども」といった標語を聞くことがありますが、ここで言われている「神の子ども」とはそういうことではありません。聖書は、私たちはだれも生まれながら神の子どもである人はいないと教えています。もともとは神のかたち、神の子どもとして造られましたが、最初の人アダムが罪を犯したことで、人はみな神の子どもとしての資格を失ってしまいました。ですから、聖書は、私たち人間は新しく生まれ変わらなければ神の子どもとしての資格が与えられないと教えています。しかもその資格はただの資格ではありません。ここには「特権」とあります。これはものすごい特権なのです。きょうは、この「特権」についてご一緒に考えていきたいと思います。

 

Ⅰ.すべての人を照らすまことの光(9)

 

まず、9節をご覧ください。

「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」

 

ヨハネは、4節で「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった」と述べました。キリストは人の光です。もし光がなかったらどうなるでしょうか。光がなかったら大変なことになってしまいます。

 

今月6日、北海道で震度7の地震が発生しました。それは明け方3時頃の出来事で、一時北海道全域の295万戸が停電となりました。それまでついていた明かりが一瞬に消え、あたり一帯が真っ黒になりました。街を歩いていた人は暗闇の中でどこを歩いているか分からなかったので不安だったと言います。また、停電は一部で復旧はしたものの多くの地域では停電が続いたため、さすがに夜は暗くて怖かったと言います。水と合わせて電気がないと生活ができません。光がないと生きることができません。その光こそイエス・キリストです。キリストは、すべての人を照らすまことの光なのです。

 

確かにこの世界には、私たちの生活を明るくする光のようなものがいくつもあります。たとえば、科学はその一つでしょう。科学技術が進歩したおかげで生活が非常に便利になりました。病気で死ぬ人の数も減り、日本は世界でも有数の長寿国となりました。しかしながら、いくら科学技術が進歩しても、それで人間が幸せになったのかというとそうではありません。今日の日本ほど自由で平和な国はありませんが、それなのに、日本人のみなが幸福な生活をしているかというと決してそうではないのです。古き良き時代を思い返して、「あの時は良かった!」ということも少なくないのではないでしょうか。

ですから、物質的には豊かになり、思想的には自由になっても、それが人間を本当に幸福にするのかというとそうではなく、人間を幸福にするには、これとは別のもっと重要な面があることを知らなければなりません。それは何でしょうか。それは永遠のいのちです。

 

人はどんなに知的に優れていようが、経済的に豊かであろうが、自由を享受しようが、それだけでは幸福になることはできません。なぜなら、前回のメッセージでもお話ししたように、人は神のかたちに造られているからです。神のかたちとは何でしょうか?覚えていらっしゃいますか?それは、神につながる部分、つまり霊のことです。人は肉体と精神だけで造られているのではなく、霊を持つものとして造られました。ですから、神から離れたら本当の満足を得ることはできません。それが動物と決定的に違う点です。私たちが人間として幸福に生きるためには神を礼拝し、神との交わりを欠かすことはできないのです。

 

神は、そのために必要な光をこの世に与えてくださいました。それがイエス・キリストです。この光はすべての人を照らす光です。そして、この光はまことの光です。そのまことの光が、世に来ようとしていたのです。

 

Ⅱ.この方を受け入れなかった人々(10-11)

 

次に10節と11節をご覧ください。

「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」

 

それに対して、この世はどのように応答したでしょうか?この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知りませんでした。この方はこの世界を造られた創造主であられるのに、この世の人々はキリストがこの世に来られた時、この方を受け入れませんでした。

 

なぜこの方を受け入れることができなかったのでしょうか?それは人には罪があるからです。罪があるので神を認めたくないのです。真理を真理として認めるためには、その人の心の態度が重要です。初めから偏見を持っていたのでは、決して真理を真理として認めることができません。そうした偏見を捨てて、真理の前に虚心坦懐になることが必要です。しかし、神から離れている人は、自分では虚心坦懐になったつもりでも、なかなかそのようになれません。霊的に盲目になっているからです。霊的に盲目な人は、自分でも気づかずに偏見を持っていて、真理に対して敵対してしまうのです。ですから、キリストはご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこれを受け入れなかったのです。

 

11節には「この方はご自分のところ来られたのに」とありますが、この「ご自分のところ」とは、下の注釈にもあるように、「ご自分のもののところ」のことで、イスラエルの民のことを指しています。イスラエルの民は、神が特別に選ばれた神の民として特別な恵みが与えられていたのに、この方が来られると、受け入れないどころか、十字架につけて殺してしまいました。キリストはそのことを、ぶどう園の農夫たちのたとえでお話しなさいました。

「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。

収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。

その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。すると農夫たちは、その息子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」」(マタイ21:33-40)

 

このように、イスラエルの民がキリストを十字架につけて殺したことについては、もはやは何の言い訳もできないことでした。イスラエルの民にしてそうなのです。ましてやそのほかの民はなおさらのことです。

 

「親の心子知らず」ということわざがあります。子供は親がどれだけ配慮してくれているか、犠牲を払ってくれているのかなかなか分かりません。自分一人で大きくなったと思っていますが、決してそうではありません。親がいてくれるからこそ、ここまで大きくなることができたのです。それなのに、だんだんと成長するに従い反抗的になってきます。

 

恥ずかしい話ですが、私にもそういう時がありました。小さい頃はかわいくて、本当にいいだったのに、中学生になった頃から少しずつ反抗的になり、母親に対してひどいことを言うようになりました。「あんたなんて親でもない。だれも生んでくれなんて頼んだことなんてないし・・・。」ひどい言葉ですね。これは子どもが親に対して言う最低の言葉でしょ。本当に罪です。結婚して子供が生まれたとき、それがどれほどひどい態度であることがわかりました。

赤ちゃんにおっぱいを飲ませ、おむつを交換し、さまざまな愛の配慮をするわけですが、それがどれほど大変なことか・・。自分の子どもを育てて初めてわかりました。その子どもから、「だれもあんたに生んでくれなんて頼んだことなんかない」とか、「あんたなんて親でも何でもない」と言われたら、どれほど悲しいでしょう、苦しいでしょうか。けれども、私たちはそうなんです。神様に対して反抗し、一人で大きくなったかのように思い込んでいるのです。これはとんでもない錯覚であり、思い違いです。

 

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世は、この方を知りませんでした。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこれを受け入れなかったのです。

 

ヨハネの福音書1章1節と2節からのメッセージで紹介したギュツラフ訳では、11節をこう訳しています。「彼は自身の屋敷へ参った。ただし、自身の人間は彼を迎えでなんだ。」

何とも味がありますね。「自身の屋敷へ参った」とか、「自身の人間は彼を迎えなんだ」という表現は、庶民的というか、すーっと入ってきます。

でも想像してみてください。皆さんが、家族のために一生懸命働いて家に帰って来たとして、玄関のドアをあけたとたん、「あなたは誰ですか?」「あなたのことなど知らないし、必要でもないです」と言われたとしたらどうでしょう。

イエス様は、ご自身の民のところへ来られたのに、そのように言われたのです。それは本当に悲しいというか、悲しいを越えてどれほど苦しかったことかと思います。

 

Ⅲ.この方を受け入れた人々(12-13)

 

けれども、そのような中にあっても、この方を受け入れた人々がいます。12節と13節をご覧ください。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

多くの人々が罪のゆえに、また偏見に基づいてキリストを毛嫌いし、受け入れないという中にあっても、謙虚になって神を求め、キリストを受け入れる人もいます。そのような人には、神の子どもとされる特権が与えられると約束されてあります。

 

先ほども申し上げたように、この神の子どもとされるというのは「人類、みな兄弟」とか、「だれでもみな神の子ども」といったことではありません。罪のために断絶していた神との関係が回復され、新しい絆で結ばれるようになるということです。また、罪のために死んでいた状態にあった人が神の御霊によって新しく生まれ、神のいのちによって生かされることです。

 

ルカの福音書15章に、有名な放蕩息子の話があります。ある人に二人の息子がいましたが、弟のほうが父親から財産を譲り受け、すぐに父親の元を離れ、遠い国に行って、そこで放蕩して、財産を湯水のように使い果たしてしまいます。

しかし、その地方全体に激しい飢饉が起こると、食べることにも困り始めたので、ある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせたのです。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれませんでした。

その時です。彼ははっと我に返るのです。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が、大勢いるではないか。それなのに、私はここで飢え死にしそうだ。」そうだ、父のところに帰ってこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」(ルカ15:18-19)

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かうと、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけしたのです。そして、息子がお父さんに、「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前にも罪を犯しました。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」

するとどうでしょうか。父親は、しもべたちに言いました。

「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。」(ルカ15:22-23)

 

いったいなぜこの父親はこんな息子のために祝宴まで開いたのでしょうか?うれしいかったからです。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったからです。

そうです、私たち人間は神様の目で死んでいた者であり、いなくなっていました。神様によって造られたのに、その神のもとを離れて自分勝手な生活を送っていました。つまり、霊的に失われた者、死んでいたのです。しかし、神は、そんな私たちを探し出してくださり、もう一度子どもとしての資格を与えてくださるのです。

 

神様は、私たちが神様のもとに帰ることを待ち望んでおられます。そして、その道を備えてくださいました。それがイエス・キリストです。キリストは神とともにおられた神であり、このいのちを持っておられました。それは人の光です。イエス様は、父なる神様がどんなに愛に満ちた方であるかを示し、私たちの心を照らし私たちの惨めな状態、罪の心を悟らせて、神様のみもとに返る道を照らしてくださいました。すべてを照らすそのまことの光が、この世に、私たちのところに、来てくださったのです。ですから、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、この神の子どもとなる特権を与えられるのです。

 

ヨハネ黙示録3章20節には、こう書かれています。「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

 

イエス様は私たちの心の戸をたたいておられます。その音を聞いて、戸を開けるなら、イエス様がその人のところに入ってくださいます。そして一緒に食事をしてくださいます。一緒に食事をするというのは、イエス様と親しく交わることができるということです。これまでは神に敵対していました。神よりも自分の考えや思いを中心に生きていました。そのため、神との関係が断たれ、霊的には死んでいたのですが、神の呼びかけに応答して扉を開けるなら、神はあなたの中にも入ってくださり、食事を共にするという幸い、つまり、神の子どもとしての特権を与えてくださるのです。

 

いったいそれはどのようにして成されるのでしょうか。13節をご覧ください。ご一緒に読みましょう。

「この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

 

ここには、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである、とあります。どういうことでしょうか?「血によってではなく」とは、「血筋によってではなく」ということです。それは、先祖や親の身分、地位によってではなくということです。

ユダヤ人たちは、自分たちの先祖がアブラハムであり、そのアブラハムの偉大さのゆえに、その子孫である自分たちは神の子どもになれると考えていました。しかし、そうではないのです。

「あなたは血筋が良いから、家柄が良いから」神の子にしてあげよう、ではないのです。「健康だから、頭がよいから、姿形が整っていて美しいから」神に子になれるということではないのです。

 

また、「肉の望むところでも人の意志によってでもなく」というのは、私たちの願望とか熱意によってではなくということです。「あなたは一生懸命に頑張ったから」神の子になれるとか、「そのために努力したから」なれるということでもありません。ただ神によって生まれたのです。

 

考えてみれば、確かにそうではないでしょうか。私たちはこの時代に生まれようと思って生まれてきたのでしょうか。どこか他の国ではなく日本に生まれようと思って生まれてきたのでしょうか。男として生まれよう、女として生まれようと計画して生まれてきたのでしょうか。この家庭に生まれよう、あの家庭に生まれようと願って、生まれたのでしょうか。そうではありません。こうしたことは、自分の力ではどうすることもできないことです。私たちの人生には、自分の願いや努力ではどうすることもではないことがあるのです。

 

三浦綾子さんがこのようなことを書いておられます。「自分は若い頃、海に入って自殺しようとしたが、人に助けられて死ぬことができなかった。しかし今は生きたいと願うようになったのに、肺結核となり、いつ死ぬか分からない状態である。」

死にたいと思う時には死ねないで、生きたいと思う時には死にそうになっている。私たちの人生とは、このようなものです。私たちの人生は、決して自分が思うようにはならないで、大きな方の意志によって動かされていることがわかります。

 

それは私たちの救いに関しても言えることです。私たちが教会に来て、神を信じるようになったのは、自分がそう願ったから、そのように努力したからというよりは、その背後に神の導きがあったからです。そこにはいろいろな人との出会いもあったでしょう。しかし、そうした出会いもまた神様が導いてくださったものです。

 

私は18歳の時イエス様を信じましたが、よく考えてみると、本当に不思議なことだと思います。信じたくて信じたわけではありません。私の家族や親戚にはクリスチャンは一人もいませんでしたし、そういう環境でもありませんでした。ただ幼稚園がキリスト教の幼稚園で、小さい頃からイエス様へのあこがれがあったのは事実です。死に対する恐怖心がありました。あまりにも怖くて電車の線路の上を、「母ちゃんが死ぬなんて嫌だ!」と泣きながらずっと走ったのを覚えています。だからと言って、それで必ずしもイエス様を信じられるかというとそうと、そうではありません。しかし、神様はその後も私の人生において様々な人との出会いや出来事を通して私を捕らえてくださいました。何か見えない糸に導かれるようにして信仰に導かれたのです。本当に不思議なことです。

 

ですから、私たちが神の子どもとなるのは、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ神によってなのです。「神によって」とは、「神を信じることによって」ということです。もしあなたが今、そのように導かれているなら、どうかこの方を信じてください。信じて、あなたの心に受け入れてください。この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権が与えられるのです。

それはことばを変えて言うなら、キリストの懐に飛び込むということです。キリストを受け入れることとキリストの懐に飛び込んで行くことは丁度逆のようですが、全く同じことです。というのは、キリストを受け入れるとは、キリストを全面的に自分のうちに迎えるということで、キリストの中に飛び込んで行くことにほかならないからです。

 

そのことさえも、実は神の恵みなのです。自分で飛び込みたくても怖くて飛び込めないという方もおられるでしょう。しかし、この方の懐に飛び込むなら、この方がしっかりと受け止めてくださいます。ですから、あなたのすべてをキリストにゆだね、清水の舞台から飛び降りるように、キリストの懐に飛び込んでください。そのとき、あなたは神によって新しく生まれます。神の子どもとしての特権が与えられるのです。

 

また、私たちが今ここに存在して生きていること、キリストを信じていること、教会に集うことができること、これらすべてのことは神の恵みであり、ただ神によって導かれていることを覚え、神に感謝しつつ、さらにこの信仰に歩ませていただきたいと思います。

士師記8章

士師記8章からを学びます。

Ⅰ.仲間からの敵対心(1-9)

まず、1~9節までをご覧ください。まず、3節までをお読みします。「1 エフライムの人々はギデオンに言った。「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」こうして彼らはギデオンを激しく責めた。2 ギデオンは彼らに言った。「あなたがたに比べて、私が今、何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが良かったではありませんか。3 神はあなたがたの手にミディアン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べて、私が何をなし得たというのですか。」ギデオンがこのように話すと、彼らの怒りは和らいだ。」

「エフライムの人々」とは、イスラエル12部族の一つですが、彼らはギデオンに対して激しく責めました。それは、ギデオンがミディアンとの戦いに出て行ったとき、彼らに呼びかけなかったからです。このような人が意外と多くいます。たとえそれがどんなにすばらしいことでもそこに自分が関わっていないと喜ぶことができないのです。逆に、うまくいくと苦々しい思いを抱いてしまいます。それは生まれながらの肉の性質です。

それに対してギデオンは何と言いましたか。2節と3節には、「あなたがたに比べて、私が今、何をしたというのですか。アビエゼルのぶどうの収穫よりも、エフライムの取り残した実のほうが良かったではありませんか。神はあなたがたの手にミディアン人の首長オレブとゼエブを渡されました。あなたがたに比べて、私が何をなし得たというのですか。」 とあります。

どういうことでしょうか。彼らの手柄に比べたら、自分の働きなど何でもないということです。アビエゼルとは、ギデオンが属していた家系のことです。つまり、ギデオンのぶどうの収穫よりも、エフライムの人たちのぶどうの収穫の方がずっと良かったではないか、というのです。それは何を意味しているのかというと、彼らが殺したミディアン人の二人の首長オレブとゼエブのことです。つまり、ギデオンが倒した相手よりもエフライムの人たちが殺した二人の首長たちの方が、ずっと価値があったということです。

すると、彼らの怒りは和らぎました。ギデオンは、彼らの自尊心を傷つけないように細心の注意を払ったからです。すごいですね。同胞からこんな非難をされたらすぐにカッとなってしまうところですが、彼はそうしたことに対して忍耐し、寛容な心で受け止めました。箴言15章1節にはこうあります。「柔らかな答えは憤りを鎮め、激しいことばは怒りをあおる。」彼は柔らかな答えで怒りを鎮めたのです。私たちもこうした状況の中で怒りを鎮めるというのは難しいことですが、自分の感情をしっかりとコントロールし、主に喜ばれる人間関係を求めていきたいですね。

しかし、いつもそうした態度だけが望ましいのではなく、時としては毅然とした態度で臨まなければない時があります。それが4~9節で言われていることです。「4 それからギデオンは、彼に従う三百人とヨルダン川を渡った。彼らは疲れていたが、追撃を続けた。5 彼はスコテの人々に言った。「どうか、私について来た兵に円形パンを下さい。彼らは疲れているからです。私はミディアン人の王ゼバフとツァルムナを追っているのです。」6 すると、スコテの首長たちは言った。「おまえは今、ゼバフとツァルムナの手首を手にしているのか。われわれがおまえの部隊にパンを与えなければならないとは。」7 ギデオンは言った。「そういうことなら、【主】が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野の茨やとげで、おまえのからだを打ちのめす。」8 ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように彼らに話した。すると、ペヌエルの人々もスコテの人々と同じように彼らに答えた。9 そこでギデオンはまたペヌエルの人々に言った。「私が無事に帰って来たら、このやぐらを打ち壊す。」

次に、ギデオンに心無い態度を取ったのはスコテの人々でした。スコテの人々とは、ガド族の割り当て地の中、ヨルダン川を渡ってすぐの所にあります。ギデオンは確かに大勝利を収めましたが、まだミディアン人の王ゼバフとツァルムナを追っていました。ギデオンは、彼に従う三百人とヨルダン川を渡り、かなり疲れてはいましたが、追撃を続けていたのです。そこでスコテの人々に、この三百人の兵に円形のパンを下さい、とお願いると、スコテの人々は「おまえは今、ゼパフとツァルムナの手首を手にしているのか。」と言って、その申し出を断わりました。ゼバフとツァルムナの首を手にしているのなら与えてもよいが、そうでないのに与えることなどできないというのです。たかが三百人の兵士で敵を打ち破ることができるという考えは甘い。ゼバフとツァルムナが武装していつ逆襲してくるかわからない。パンを与えるとしたら完全に敵に勝利してからであって、それまでは少しのパンでも分けてやることはできないと、見下すような態度を取ったのです。考えてみると、彼らは、デボラとバラクの戦いの時にも参戦しませんでしたが(5:15-17)、この戦いに勝算があるかどうかわからなかったからでしょう。

このように、彼らはいつも日和見的な判断に終始し神のみこころに積極的に関わろうとしないばかりか、そういう人たちを軽んじては神の民の一致を破壊していました。そのような者は、神のさばきを受けることになります。7節には、このような彼らの態度に対して、ギデオンはこう言いました。

「そういうことなら、主が私の手にゼバフとツァルムナを渡されるとき、私は荒野の茨やとげで、おまえのからだを打ちのめす。」

厳しいことばです。パンを与えなかっただけでどうしてこれほどのさばきを受けなければならないのでしょうか。それはただギデオンを見下げたというよりも、神を見下げたことになるからです。というのは、ギデオンをイスラエルの士師としてお立てになったのは神ご自身であられるからです。そうしたリーダーへの不平不満、非難は、神への非難であって、そのような態度には神の厳しいさばきが伴うということを覚えなければなりません。神は高ぶる者には敵対視、へりくだった者には恵みを与えられる。」(Ⅰペテロ5:5)のです。

それは、ペヌエルの人たちも同じでした。ギデオンはそこからペヌエルに上って行き、同じように言うと、彼らはスコテの人々と同じように答えました。そこでギデオンはペヌエルの人々にも言いました。「私が無事に帰って来たら、このやぐらを打ち壊す。」

ペヌエルは、かつてヤコブがエサウに会う前に神と格闘した場所です。その時ヤコブは顔と顔とを合わせて神を見たので、その場所を「ペヌエル」と名付けたのに、そのペヌエルの人たちもギデオンの要請に応じませんでした。それでギデオンによりその町は破壊され、住民は虐殺されることになりました。

Ⅱ.報復(10-21)

次に10~21節までをご覧ください。まず、17節までをお読みします。「10 ゼバフとツァルムナはカルコルにいたが、約一万五千人からなる陣営の者もともにいた。これは東方の民の陣営全体のうち、生き残った者のすべてであった。剣を使う者十二万人が、すでに倒されていた。11 そこでギデオンは、ノバフとヨグボハの東の、天幕に住む人々の道を上って行き、陣営を討った。陣営は安心しきっていた。12 ゼバフとツァルムナは逃げたが、ギデオンは彼らの後を追った。彼は、ミディアンの二人の王ゼバフとツァルムナを捕らえ、その全陣営を震え上がらせた。13 こうして、ヨアシュの子ギデオンは、ヘレスの坂道を通って戦いから帰って来た。14 彼はスコテの人々の中から一人の若者を捕らえて尋問した。すると、その若者はギデオンのために、スコテの首長たちと七十七人の長老たちの名を書いた。15 ギデオンはスコテの人々のところに行き、そして言った。「見よ、ゼバフとツァルムナを。彼らは、おまえたちが私をそしって、『おまえは、今、ゼバフとツァルムナの手首を手にしているのか。おまえに従う疲れた者たちに、われわれがパンを与えなければならないとは』と言ったあの者たちだ。」16 ギデオンはその町の長老たちを捕らえ、また荒野の茨やとげを取って、それでスコテの人々に思い知らせた。17 また彼はペヌエルのやぐらを打ち壊して、町の人々を殺した。」

ゼバフとツァルムナはカルコルにいたが、約1万五千人からなる陣営の者もともにいました。すでに12万人がギデオンによって倒されていました。残されたのはたった1万五千人でした。ギデオンは果敢に彼らの天幕に上って行き、陣営を打ちました。ゼバフとツェルムナは逃げましたが、ギデオンはその後を追って行き、ついにこの二人の王を捕らえ、ヘレスの坂を通って帰って来ました。

すると、ギデオンはスコテの人々の中から一人の若者を捕らえて、スコテの首長たちと長老たちの名前を尋問したので、彼はその名前を書きました。すると、ギデオンはスコテに行き自分たちをそしった者たちと長老たちを捕らえ、荒野の茨やとげを取って、スコテの人々に思い知らせました。また彼はペヌエルのやぐらを打ち壊して、町の人々を殺しました。

18~21節です。「18それから、ギデオンはゼバフとツァルムナに言った。「おまえたちがタボルで殺した者たちはどんな人たちだったか。」彼らは答えた。「彼らはあなたによく似ていました。どの人も王子のような姿でした。」19 ギデオンは言った。「私の兄弟、私の母の息子たちだ。【主】は生きておられる。おまえたちが彼らを生かしておいてくれたなら、私はおまえたちを殺しはしなかったのだが。」20 そしてギデオンは自分の長男エテルに「立って、彼らを殺しなさい」と言ったが、若者は自分の剣を抜かなかった。彼はまだ若く、恐ろしかったからである。21 そこで、ゼバフとツァルムナは言った。「あなたが立って、私たちに討ちかかりなさい。人の勇気はそれぞれ違うのだから。」ギデオンは立って、ゼバフとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取った。」。

それから、ギデオンが、ゼバフとツァルムナに、「おまえたちがタボルで殺した者たちはどんな人たちだったか。」と尋ねると、彼らが「彼らはあなたによく似ていました。どの人も王子のような姿でした。」と答えたので、それが自分の兄弟であることを知り、彼らを殺します。ギデオンは自分の長男エテルに「立って彼らを殺しなさい」といいましたが、彼らは剣を抜くことができませんでした。彼はまだ若く、恐ろしかったからです。そこでギデオンが彼らを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取りました。

Ⅲ.罠(22-35)

最後に、22~35節までを見て終わりたいと思います。まず、22~23節をお読みします。「22 イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたの子も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミディアン人の手から救ったのですから。」23 しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。【主】があなたがたを治められます。」

ギデオンがミディアン人に完全に勝利すると、イスラエルの人々が彼にいました。「あなたも、あなたの子も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミディアン人の手から救ったのですから。」

これはどういうことかというと、世襲制による支配のことです。政治でも政治家の世襲というのが話題になっていますが、ここでもギデオンの世襲による支配が求められたのです。

これに対してギデオンはきっぱりと断りました。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子も治めません。」なぜなら、彼らを収められるのは主であられるからです。これはすごいことです。だれでも成功を収めると、それを自分の支配に置きたいと思うものです。そして、自分だけでなく、自分の子孫に継がせたいと考えるものですが、ギデオンは、そのようには考えませんでした。なぜなら、神の民を治められるのは神ご自身であられるからです。

ここに真のリーダーの姿を見ることができます。ギデオンは、イスラエルを守り導いたのは自分ではなく、神の恵みであることをよくわかっていました。だから自分が治めるのでも自分の子孫たちでもなく神が治めるべきであって、その神に目を向けさせたのです。自分の地位に執着するのではなく、そうした支配欲から解放されていたギデオンの態度は立派であったと言えます。

しかし、そんな彼にも弱さがありました。24~28節までをご覧ください。「24 ギデオンはまた彼らに言った。「あなたがたに一つお願いしたい。各自の分捕り物の耳輪を私に下さい。」殺された者たちはイシュマエル人で、金の耳輪をつけていた。25 彼らは「もちろん差し上げます」と答えて、上着を広げ、各自がその分捕り物の耳輪をその中に投げ込んだ。26 ギデオンが求めた金の耳輪の重さは、金千七百シェケルであった。このほかに、三日月形の飾りや、耳飾りや、ミディアンの王たちの着ていた赤紫の衣、またほかに、彼らのらくだの首に掛けてあった首飾りなどもあった。27 ギデオンは、それでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。イスラエルはみなそれを慕って、そこで淫行を行った。それはギデオンとその一族にとって罠となった。28 こうしてミディアン人はイスラエル人の前に屈服させられ、二度とその頭を上げなかった。国はギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。

どういうことでしょうか?敵の部族はイシュマエル人で、金の耳輪をつける風習がありました。イスラエル人は、それらをたくさんぶんどってきていたのです。人々は、「もちろん差し上げます」と、金の耳輪をどっさり差し出しました。その重さは金千七百シェケル、約20㎏もありました。このほかにも、いろいろな飾り物類や、ミディアンの王たちが着ていた豪華な服や首飾りなどが差し出しました。

いったい何のためにギデオンはこうした物を求めたのでしょうか。27節には、「ギデオンは、それでエポデを一つ作り、彼の町オフラにそれを置いた。」とあります。エポデとは、大祭司の装束の一部であって、胸当てのようなものであったり、占いの道具であったり、様々な形で使われたものです。大祭司でもなかったギデオンが、なぜエポデを作ろうと考えたのかはわかりません。おそらく、勝利のしるしに記念に残したかったのではないかと思います。偉そうに王様として君臨することは望まなかったギデオンでしたが、神が自分に語り、自分を通して勝利を与えてくださったことを記念に残しておきたかったのでしょう。

しかし、そのことがギデオンとその一族にとって大きな罠となりました。イスラエルの人々はみなそれを慕って、そこで淫行を行うようになったからです。つまりイスラエルの民は神の与えてくださった定めとおきてから目を背けてしまい、神に示された正しいことではなく、間違ったこと、おぞましい行いをするようになってしまったのです。

この「罠となった」という言葉は、「落とし穴となった」という意味です。第三版にはそのように訳されてあります。気づかないうちにいつのまにか深く掘られ、普通に歩いているつもりで一歩を踏み出した先に待ち受けていて人を飲み込んでしまいます。私たちは日々神に守られています。ですから、信仰によって歩むなら、神が勝利を与えてくださいます。けれども、油断してはなりません。喜びに気持ちが高ぶる時こそ、静かに祈ることが大切なのです。日々、神さまが示してくださるみことばに淡々と従い、自分や自分の過去、役割に執着しないで、いつも新しい道を示してくださる神に従うことが求められているのです。

それだけではありません。29~35節までをご覧ください。「29 ヨアシュの子エルバアルは帰り、自分の家に住んだ。30 ギデオンには彼の腰から生まれ出た息子が七十人いた。彼には大勢の妻がいたからである。31 シェケムにいた側女もまた、彼に一人の男の子を産んだ。そこでギデオンはアビメレクという名をつけた。32 ヨアシュの子ギデオンは幸せな晩年を過ごして死に、アビエゼル人のオフラにある父ヨアシュの墓に葬られた。33 ギデオンが死ぬと、イスラエルの子らはすぐに元に戻り、もろもろのバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。34 イスラエルの子らは、周囲のすべての敵の手から救い出してくださった彼らの神、【主】を、心に留めなかった。35 彼らは、エルバアル、すなわちギデオンがイスラエルのために尽くしたあらゆる善意にふさわしい誠意を、彼の家族に対して尽くさなかった。」

ギデオンの支配した40年間、イスラエルは平和でしたが、彼の死後、悲劇が起こりました。彼には大勢の妻がいたため、息子が70人もいました。そのうちの一人が、国を我がものにしたいという欲望にかられ、残りの兄弟を皆殺しにしたのです。名前はアビメレクです。そればかりか、ギデオンが死ぬと、イスラエルの子らはすぐに元に戻り、あっと言う間にバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分の神とし、主を、心に留めることはありませんでした。

何ということでしょうか。主が、周囲のすべての敵の手から彼らを救い出してくださったというのに、また元の状態に戻ってしまったのです。いったいどうしてでしょうか?どんなに信仰の勝利を体験したとしても、そのような体験はすぐにどこかへ吹っ飛んで行ってしまうからです。大切なのは、神のみことばに従い、神の霊、聖霊に満たされ、聖霊に従って生きることです。

パウロは、このことを次のように言っています。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。」(ガラテヤ5:24-25)

パウロはここで、キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたといっています。十字架につけたというのは、もう死んでいるということです。死んでするのですから何もすることができません。そのとき、自分ではなく神の御霊に支配されて生きることができます。それが御霊によって生きるということです。そうするなら、一時的な平穏ではなく、永続する平和を見ることができるでしょう。神は私たちにそのように歩むことを願っておられるのです。

ヨハネの福音書1章6~8節、19~34節「ヨハネの証し」

今日は、ヨハネの福音書1章6節から8節、19節から34節までの箇所から、「光について証しする人」」というタイトルでお話ししたいと思います。

ヨハネは、この福音書を書いた目的を20章31節でこのように述べています。すなわち、「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」

それでヨハネは、前回の箇所でイエスが信じるに値する方であることのいくつかの理由を述べました。それは、イエスが初めから神とともにおられた神でありこの天地万物を造られた創造主であるということ、そして、この方にはいのちがありました。それは人の光であって、その光は闇の中に輝いています。どんな闇をも打ち破ることができるのです。

 

そして、きょうのところでは、バプテスマヨハネの証言を取り上げています。きょうは、このヨハネの証言からイエスが神の子キリストであるということを、ご一緒に学びたいと思います。

 

Ⅰ.光について証しするために来たヨハネ(6-8)

 

まず、6節から8節までをご覧ください。

「神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。」

 

ここに登場する「ヨハネ」とはこの福音書を書いているヨハネではなく、別のヨハネ、バプテスマのヨハネのことです。彼は、イスラエルの人々が悔い改め神に従って生きるようにとヨルダン川でバプテスマを授けていたので、バプテスマのヨハネと呼ばれていました。

 

このヨハネが登場した時代は、沈黙の時代と呼ばれていました。旧約聖書の最後の預言者はマラキですが、そのマラキが登場してからイエス様が登場するまでの約四百年間は、預言者らしい預言者はほとんど登場していませんでした。その期間の出来事は聖書に全く記録されていないので、沈黙の時代と呼ばれていたのです。  しかし、四百年が経ってその沈黙を破るかのように、一人の預言者が登場しました。それがバプテスマのヨハネです。彼は、荒野に住み、らくだの毛の衣を着て、腰には革の帯を締め、野密といなごを食べていたので、もしかするとこの人がキリストではないかと人々から思われていました。というのは、彼の格好と生活のスタイルは、昔の預言者そのものだったからです。

 

そのバプテスマのヨハネに対して、この福音書を書いているヨハネは何と言っているかというと、こうです。7節と8節です。

「この人は証のために来た。光について証するためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。」

 

彼は光(キリスト)ではありませんでした。ただ光について証するために来たのです。26節と27節には、「私は水でバプテスマを授けていますが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」と言っています。人々からキリストではないか、光ではないかと思われていた人が、「私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもない」と言うとしたら、人々は、果たしてこれから来られる方は、どれほど偉大な方なのだろうと思ったに違いありません。人々の目は自然と、今まさに現れようとしていたイエス・キリストに向かって熱く注がれたことでしょう。

 

これがバプテスマのヨハネに与えられていた使命でした。彼は光ではありませんでした。ただ光について証しするために来たのです。つまり光の先駆者にすぎなかったのです。太陽が昇ると月がその光の中に消えていくように、キリストが来られると、バプテスマのヨハネは消えていくのです。それはバプテスマのヨハネが、「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3:30)と言ったとおりです。彼は光ではありませんでした。ただ光について証するために来たのです。それが彼に与えられていた使命であり、目的、役割だったのです。

 

皆さんは、何ために生まれてきましたか。そして、今、何のために存在しているのでしょうか。その答えがここにあります。それは、光について証しするためです。これがバプテスマのヨハネが来た目的であり、私たちすべての人に与えられている目的でもあります。私たちは光について証しするために来たのです。その証しによってすべての人が光を信じるために遣わされているのです。その方法はいろいろあるでしょうが、目的は一つです。それはキリストを証しすることです。

 

1640年代にまとめられた小教理問答書に「ウエストミンスター小教理問答書」というものがあります。これはプロテスタントの偉大な教理の宣言であるとみなされているものです。

その第一の設問にはこうあります。「人の主な目的は何ですか。」皆さん、考えたことがありますか?これを言い換えるとこうなるでしょう。「あなたは何のために生きていますか」何のために生きていますかって、食うためですとか、生きるためです、といった声が聞こえてきそうですが、答えはこうです。「人の主な目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです 。」

 

すばらしい答えです。これが、私たちが造られた主な目的です。私たちは生まれてから死ぬまでに、力を尽くして立ち向かうべき様々な課題が与えられます。勉強や育児、仕事など、課題は尽きることがありません。

けれども、その時々の課題に身をすり減らし、ベルトコンベアーで運ばれるようにいつの間にか死という終着点に辿り着くのであれば、それは本当に空しい一生ではないでしょうか。

また現代では、様々な課題を抱えた老後の生活も長いのです。その時々の課題だけが生きる目的であるならば、長い老後の生活は何の意味もなくなってしまいます。  人間として生きている限り、生き甲斐のある人生を送るためには、どんな時も変わらない「人の主な目的」を知る必要があります。それが、神の栄光を現し、永遠に神を喜ぶことです。

 

どうしたら神の栄光をあらわすことができるでしょうか。二つあります。一つは、こうして賛美や祈り、礼拝、証し、教会での奉仕といった信仰生活によってです。もう一つは、私たちの生活全体そのものによってです。言うならば、私たちの置かれている場所は神によって遣わされている場であり、神の栄光を現す場であるということです。いったい私たちはなぜそれぞれの場所に遣わされているのでしょうか。それは「この方」を証しするためです。私たちはそのために遣わされているのであり、私たちの証しによってすべての人が信じることを神様は願っておられるのです。

 

皆さんは、「クリスチャン」という言葉を聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。もともと「クリスチャン」というのは、「キリストさん」という意味のあだ名です。

使徒の働き11章26節には、このように記されています。「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」  アンティオキアはエルサレムの北、シリヤにありますが、パウロやバルナバはそこにあった教会から世界宣教へと遣わされました。弟子たちは、このアンティオキアに来て初めて、キリスト者と呼ばれるようになりました。なぜこのように呼ばれるようになったのかというと、彼らが口を開けば「キリスト」「キリスト」と言っていたからです。どこを切ってもキリストなので、「キリストさん」と呼ばれるようになったのです。それだけ彼らはキリストに夢中だった、キリスト信仰が板についていたということです。彼らはそのように生きていました。それが彼らの生き方だったのです。

 

先日の祈祷会にIさんというクリスチャンの方が参加されました。祈祷会の終わりに小さなグループに分かれてお祈りの時を持っているのですが、たまたま同じグループになったので一緒にお祈りをさせていただいました。お祈りの後で、「ところで、Iさんはどのようにしてクリスチャンに導かれたのですか」と尋ねると、彼女がこう言われました。

「私は、小さい時に小学校の校門のところで宣教師の人たちが聖書の紙芝居をしているのを見ていたので、あまり聖書に違和感がありませんでしたが、中学校、高校、大学と進んで行く中でそういう世界とは無関係な日々を過ごしていました。けれども、大学を卒業後職場で行き詰ったとき、同じクラスの中にクリスチャンという人が三人いることがわかったのです。思い返すと、その人たちはクリスチャンだということで教授からいろいろな嫌がらせ受けていましたが、そのような中でも明るく、親切に、みんなと接していました。それを思い出して自分も教会に行くようになったんです。」

「どうやってその人たちがクリスチャンだとわかったんですか。」と尋ねると、「それは風の便りで・・」と答えられました。

風の便りで彼らがクリスチャンだということがわかり、それで彼女も教会に行くようになりました。それは、風の便りで伝わってくるくらい、彼らがよく証ししておられたということでしょう。それこそクリスチャンの特徴です。

 

私たちもどこを切ってもキリストが出てくるような、キリストについて証しするために来たということをしっかりと覚えながら、それぞれの場所に遣わされていきたいものです。

 

Ⅱ.ヨハネの証し(1:19-28)

 

では、ヨハネはどのように証ししたのでしょうか。次に、その内容について見たいと思います。1章19節から28節をご覧ください。ここには彼の証しが゛のようなものであったかが記されてあります。

「さて、ヨハネの証しはこうである。ユダヤ人たちが、祭司たちとレビ人たちをエルサレムから遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねたとき、ヨハネはためらうことなく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。彼らはヨハネに尋ねた。「それでは、何者なのですか。あなたはエリヤですか。」ヨハネは「違います」と言った。「では、あの預言者ですか。」ヨハネは「違います」と答えた。

それで、彼らはヨハネに言った。「あなたはだれですか。私たちを遣わした人たちに返事を伝えたいのですが、あなたは自分を何だと言われるのですか。」

ヨハネは言った。「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」

彼らは、パリサイ人から遣わされて来ていた。彼らはヨハネに尋ねた。「キリストでもなく、エリヤでもなく、あの預言者でもないなら、なぜ、あなたはバプテスマを授けているのですか。」

ヨハネは彼らに答えた。「私は水でバプテスマを授けていますが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」

このことがあったのは、ヨルダンの川向こうのベタニアであった。ヨハネはそこでバプテスマを授けていたのである。

 

19節の「ユダヤ人たち」とは、国家的、宗教的に権威を持っていた人たちのことです。そうした人たちが、エルサレムから祭司やレビ人たちを遣わして、彼にこのように尋ねさせたのです。

「あなたはどなたですか」なぜこのように尋ねたのかというと、ヨハネが非常に大きな影響力を持っていたからです。イスラエルの全土から人々が彼のところにやって来てバプテスマを受けていました。彼の説教は力強く、人々は悔い改め、神に立ち返りました。ですから、多くの人々が、もしかしたら、この人がキリストではないかと思っていたのです。それで、指導的な立場にあったユダヤ人たちが、祭司とレビ人を遣わして、はたしてそうなのかどうか尋ねさせたのです。

 

その質問に対してヨハネとどのように答えたでしょうか。彼はためらうことなく告白して、こう言いました。20節、「私はキリストではありません。」

それでは何者なのか。彼らはヨハネに尋ねました。21節です。「あなたはエリヤですか」

エリヤというのは、旧約聖書に出てくる代表的な預言者で、後に来られるキリストの先駆者でもありました。旧約聖書の最後の部分に、こう書かれてあります。「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、この地を聖絶の物として打ち滅ぼすことのないようにするためである。」(マラキ4:5-6)

ん?この預言を見る限り彼はエリヤではないのですか?彼は主の前に遣わされ、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせるわけですから。しかし、彼は「違います」と答えました。確かに、その役割についてはそうなのですが、それはイエスを信じる人たちにとってはそうであるということであって、そうでない人たち、すなわち、イエスを拒んだ宗教的指導者たちにとってはそうではありません。それは、マタイ11章14節のイエス様の言葉からわかります。イエス様はこう言われました。「あなたがに受け入れる思いがあるなら、この人こそ来るべきエリヤです。」

ですから、確かに主が来られる前触れをするという点ではエリヤなのですが、どんなに彼がエリヤであってもそれを受け入れない人たちにとっては、そうではないのです。それでヨハネは、「違います」と答えたのです。

 

それでは彼はだれなのか?彼らは続いて尋ねます。「では、あの預言者ですか。」「あの預言者」とは、モーセが語った預言者のことです。申命記18章15節で、モーセはこのように言いました。「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。あなたがたはその人に聞き従わなければならない。あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のようなひとりの預言者をあなたのために起こされる。彼に聞き従わなければならない。」ですから、「あの預言者」というのは、モーセのような預言者のことです。モーセのように神からのメッセージをそのまま語る預言者のことです。しかし、ここでは単なるモーセのような預言者のことではなく、やがて神から遣わされる神の御子イエスのことを指していました。つまり、モーセがイスラエルをエジプトから救い出したように、人々を罪から救う救い主のことです。ですから、これはメシヤ預言だったのです。これに対しても、ヨハネは否定しました。

 

それで彼らはヨハネに言いました。「あなたはだれですか。・・・あなたは自分を何だと言われるのですか。」

するとヨハネはこう言いました。23節です。ご一緒に読みましょう。

「「私は、預言者イザヤが言った、『主の道をまっすぐにせよ、と荒野で叫ぶ者の声』です。」

どういうことですか?これは、イザヤ書40章3節の御言葉からの引用です。彼はこの御言葉を引用して、自分に与えられている使命がどのようなことであるかを述べたのです。それは、キリストが来られる前に、人々の心をまっすぐにして、神に立ち返らせるために荒野で叫ぶ声にすぎない、ということです。

これは、当時、王がある地方を通るときに前もってその地方にやってくる人のことです。王が来る前にやって来て、王が通る道をまっすぐにします。石が転がっていたら取り除けて、くぼみがあったからそれを埋めます。こうして、王が通る準備をしたのです。

 

かつて福島で国体が行われた時、道路がすばらしく整備されたことがありました。こんなところにと思われるところにも、片側二車線のすばらしい道路ができました。それはその道を天皇陛下が通られるからです。そのためでこぼこ道は平らに舗装され、曲がった道もまっすぐなりました。天皇陛下が通る前にやって来て道路を整備したからです。ヨハネも同じです。彼は、預言者イザヤの書に書いてあるように、キリストの前に遣わされ、主の道を用意し、主が通られる道をまっすぐにするという使命が与えられていたのです。

 

それにしても、彼は、自分のことを「荒野で叫ぶ者の声」と言いました。「ことば」ではなく「声」です。なぜ「声」だと言ったのでしょうか?あくまでも「ことば」はキリストであられるからです。この書の最初にこうありましたね。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」

彼は「ことば」ではありませんでした。あくまでも、「ことば」について証しする声でしかなかったのです。

ここに、人がわきまえなければならない立場があります。ヨハネは、「私は王なるキリストを指し示す声にすぎない。大切なのは私ではなく、神のことばであられるキリストだ」と言っているのです。

 

作者不明ですが、このような詩があります。

私ではなく、キリストがあがめられ、愛され、高められますように。

私ではなく、キリストが見られ、知られ、聞かれるように。

私ではなく、キリストがすべての行動の中にいますように。

私ではなく、キリストがすべての思いと言葉の中にいますように。

私ではなく、キリストが謙遜で静かな働きの中にいますように。

私ではなく、キリストがつつましく熱心な労苦の中にいますように。

キリスト、キリストだけです!

 

見栄や、見せびらかせがあってはいけない。

キリスト、キリストだけが魂を集めてくださる方です。

キリスト、キリストだけが遠からず私のビジョンを満たされるでしょう。

すばらしい栄光を私はすぐに見るでしょう。

キリスト、キリストだけが私のすべての願いを満たすのです。

キリスト、キリストだけが私のすべてとなられるのです。

 

私たちは、しばしばイエス様よりも自分が評価されることを求めることがあります。しかし、バプテスマのヨハネは、ただキリストだけがあがめられることを願いました。

 

それは彼の26節と27節のことばからもわかります。ここもご一緒に読んでみましょう。

「ヨハネは彼らに答えた。「私は水でバプテスマを授けていますが、あなたがたの中に、あなたがたの知らない方が立っておられます。その方は私の後に来られる方で、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもありません。」

つまり、ヨハネは、「私よりもはるかに偉大な権威を持っておられる方があなたがたの中に来ておられる。私は、ただその方の到来を知らせている声にすぎないのであって、私にはその方の履き物のひもを解く値打ちもない」というのです。

 

当時、家の主人のくつのひもを解いていたのはその家のしもべたちでした。しかしヨハネは、そのくつのひもを解く値打ちもない者、値しない人間であると告白したのです。なぜなら、自分はただの人にすぎないが、この方は神の子であられるからです。

 

彼がこのように証しすることで、人々のキリストに向かって注がれる思いは、どれほど大きなものだったかと思います。ただキリストだけがあがめられますように!ヨハネの証しは、このキリストだけがクローズアップされるものだったのです。

 

私は今、こうして説教していますが、このような説教や証しは自分の体験談や自慢話をするのではありません。また、説教や証しを聞くというのは、証しする人のことを知るためではなくキリストを知るため、あるいは、キリストをより身近に感じるためにするのです。時々キリストよりもそれを話している人に注目が向けられて、肝心のキリストがどこかへ行ってしまうことがありますが、証しするというのはそういうことではないのです。聖書を通してキリストを人々に伝え、それを聞いた人々がキリストに心が向くようにするためなのです。それが証しの本来の目的です。ただキリストだけがあがめられますように!そう願いながら、私たちもキリストを証しする者でありたいと思います。

 

Ⅲ.神の子である証し(29-34)

 

第三に、ヨハネはキリストが単に偉大な方であるというだけでなく、この方が神の子、救い主であることを証ししました。29節から34節までをご覧ください。

「その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。 『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。私自身もこの方を知りませんでした。しかし、私が来て水でバプテスマを授けているのは、この方がイスラエルに明らかにされるためです。」

そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。私自身もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けるようにと私を遣わした方が、私に言われました。『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』私はそれを見ました。それで、この方が神の子であると証しをしているのです。」」

 

29節に、「その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」とありす。その翌日とは、ユダヤ人たちから遣わされた祭司たちとレビ人たちの質問に答えた翌日のことです。ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見ました。すると彼は何と言ったでしょうか。彼はこう言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」ヨハネはなぜこのように叫んだのでしょうか?

 

当時、ユダヤの人にとって、「子羊」には特別な意味がありました。それは「過ぎ越しの子羊」を表していたからです。イスラエル人がエジプトで奴隷として苦しんでいたとき、神はモーセを遣わして、イスラエル人をエジプトから脱出させようとされました。イスラエル人を行かせまいとするエジプトの王パロに対し、神は十の災いをお下しになりましたが、十番目の災いは、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプト中の初子という初子を殺すというものでした。ただし、子羊の血を取って二本の門柱とかもいに塗れば、主はその血を見て、災いを通り越してくださる、と約束されたのです。

それで、エジプト中の初子からすべての家畜の初子に至るまで死んでしまいましたが、神様が言われたとおり子羊の血を取って、それを二本の門柱とかもいに塗ったイスラエルの家だけはこの災害を免れました。

それ以来、イスラエル人は毎年この出来事を記念して「過越の祭り」を祝っているのです。ですから、「子羊」という言葉には、神の災いから救うものというイメージがあるのです。

 

また「子羊」という言葉には、罪を贖うというイメージもありました。神殿では毎日、人々の罪が贖われるために、罪のためのいけにえである子羊がささげられていました。子羊は、人々を罪から解放するためのいけにえだったのです。

 

ここでヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」と叫んだのは、こうした背景があってのことです。つまり、イエスこそ、私たちの罪を贖うための犠牲となって死なれる神の子羊である、ということです。

 

これが彼の証しでした。彼はキリストを信じれば病気が治るとか、心に平安が与えられるとか、商売が繁盛するとか、すべての願いが叶えられるとか、人生が豊かになると証言したのではなく、キリストは、私たちを罪から救ってくださる救い主であると証言したのです。勿論、イエス様を信じればすべての罪が赦され神との平和が与えられるわけですから、その結果、心に深い平安と喜びがもたらされるのは当然のことです。これまでは人の顔色ばかり気にしながら生きていたのが神を恐れて生きるようになるので、誠実な人となり、周りの人からも信頼され、仕事もうまくいくようになるでしょう。家族の中に喜びと楽しさがあふれるようになります。しかし、それはイエス様を信じた結果であって目的ではありません。私たちの人生の幸福の根源は罪が赦されることであって、それはこのキリストにあるということです。イエスこそ、世の罪を取り除く神の子羊であり、そのために永遠の昔から神によって備えられていた方だったのです。

 

ヨハネは、「その方は私にまさる方です。私より先におられたからです。」と言いました。この「先におられた」というのは、先に生まれたということではなく、初めからおられたということです。つまり、永遠の初めからおられたということ、永遠の神であるということです。その方こそイエス・キリストであると言っているのです。

 

ヨハネはこの方のことを知りませんでした。バプテスマのヨハネは、イエスの従兄弟に当たりますから、面識がなかったということではありません。面識はありました。しかし、見識がなかったのです。見識というのは、物事の本質を見通すことです。ヨハネはイエスの従兄弟としてイエスのことを知っていましたが、その本質がわからなかったのです。イエスが神の子キリストであることを知らなかったのです。

 

このことが、私たち一人一人にも問われています。イエス様のことを聞いているかもしれません。しかし、イエスが神の子キリストであるということ、この方が私たちを罪から救ってくださる方であるということを知っているかというと、意外に知らないということがあります。

 

いったい彼はどのようにして知ったのでしょうか。32節をご覧ください。「そして、ヨハネはこのように証しした。「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。」

神の御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見たのでわかったのです。なぜなら、水でバプテスマを授けるようにと彼を遣わされた方が、彼にこう言われたからです。33節、「『御霊が、ある人の上に降って、その上にとどまるのをあなたが見たら、その人こそ、聖霊によってバプテスマを授ける者である。』」彼はそれを見たのです。それで彼は、この方こそ神の子であると証ししたのです。

 

これは何を表しているのかというと、イエス様のバプテスマの出来事です。イエス様は、バプテスマを受けるためにヨハネのところにやって来ました。勿論、ヨハネは罪のないキリストがバプテスマを受けるなんてとんでもないと断るのですが、そのときイエスが、「今はそうさせてもらいたい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにふさわしいのです。」(マタイ3:15)と言われたので、ヨハネはイエスが言われたとおりにしました。

するとどうでしょう。イエスがバプテスマを受けて、すぐに水から上がられると、天が開け、神の御霊が鳩のようにイエスの上に降られるのを見たのです。それで彼は、この方こそ、神の子キリストだと確信したのです。そのことです。ヨハネはそれを見ました。それで、この方が神の子であると証ししているのです。

 

皆さんはどうでしょうか。皆さんは、それを見たでしょうか。この方の上に、神の御霊が降られたのをご覧になられたでしょうか。確かに、ヨハネのようにそのことを以前から聞いていたかもしれません。しかし、実際にこの方の上に神の御霊が降られるのを見ていないかもしれません。この方が、私たちを罪から救ってくださる方であるということを確信しなければなりません。水でバプテスマを受けているかもしれませんが、聖霊のバプテスマを受けなければなりません。聖霊のバプテスマとは、イエスを信じて、新しく生まれ変わることです。

 

ニコデモとの会話の中でイエス様がこう言われました。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれければ、神の国に入ることはできません。肉によって笑まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」」(ヨハネ3:5-6)

 

この方こそ、聖霊によってバプテスマを授けることができる方です。この聖霊のバプテスマを受けておられるでしょうか。聖霊のバプテスマを受けること、つまり、キリストを信じて心に受け入れることで、すべての罪が赦され、神の聖霊があなたの心に住まわれるようになります。そして、この聖霊に支配され、満たされると、キリストの香り放つようになります。その結果、主が共におられるという確信が与えられ、聖霊の実である愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が実っていきます。イエス様は、そのような人生の変革をもたらしてくださいます。それはこの方のことを聞いたことがあるというだけでなく、この方の上に御霊が降られるのを見たからです。この方が私たちを罪から救ってくださり、聖霊によってバプテスマを授けてくださったからなのです。

 

ヨハネはこのことを証ししました。私たちも罪から救われた者としてこのことを証ししましょう。ヨハネの「声」が荒野に響き渡ったように、あなたの「声」があなたの周りにキリストの恵みの声となって響き渡っていきますように。

ヨハネの福音書1章1~5節「闇の中の光」

先週までヨハネの手紙から学んできましたが、今週からヨハネの福音書から学んでいきたいと思います。きょうはその第一回目となりますが、「闇の中に輝く光」というタイトルでお話しします。

 

Ⅰ.初めにことばがあった(1-2)

 

まず初めに1節と2節をご覧ください。

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」

 

このヨハネの福音書は、何とも不思議な始まり方をしています。果たして初めてこれを読んで理解できる人がいるでしょうか。私も初めてこれを読んだ時、いったい何のことを言っているのかさっぱりわかりませんでした。しかし、分からなくても、そのまま読み進んでいくうちに、「ああ、これはイエス様のことだ」と分かるようになりました。というのは、1章14節に、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」とあるからです。

ことばは人となられました。そして、私たちの間に住まわれました。私たちは、父のみもとから来られたひとり子としての、この方の栄光を見ました。このお方は、恵みとまことに満ちておられました。

ここまで読めば、分かってきます。それは、イエス・キリストのことです。そしてこの福音書を読み進んでいくと、そのことがさらにはっきりと分かっていくように書かれています。

 

ヨハネはまず、イエス・キリストを、「ことば」として紹介しました。なぜ「ことば」と紹介したのでしょうか。

ことばは、コミュニケーションをする上で大切な手段です。私たちは言葉によって自分の考えを表現したり、説明したりします。確かに、「目は口ほどに物を言う」ということわざがあるように、目を見ればその人が何を言いたいのか、何を考えているのかがある程度わかる時もありますが、やはりことばで言わないとわからないこともあります。そういう意味で、ことばはとても重要です。

 

しかし、それ以上に、ことばはその人の性質を表しています。その人がどのようなことばを発するかによってその人がどのような人であるかがわかります。汚いことばを発する人はそのような性質を持っており、丁寧なことばを発する人は、そのような性質を持っています。どのようなことばを発するかで、その人がどのような人であるかをある程度判断することができるのです。キリストは神の子として、完全なことばを持っていました。キリストは、神の人格として現れた方だからです。

 

また、ことばには大きな力があります。創世記1章3節には、「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」とありますが、神は、ご自身のことばをもって天地万物を創造されました。それは天地を創造する力があるのです。

 

また、ことばは、人を傷つけたり、破壊したりする力を持っているかと思えば、逆に、傷つき、苦しんでいる人を慰め、励まし、力づけ、絶望から救い出すこともできます。キリストは神のことばとして、私たちを人生のさまざまな苦しみから解放するだけでなく、罪によって死と絶望の淵にある私たちを、そこから救い出すことができるのです。

 

しかし、ヨハネがここでキリストをことばとして表現したのは、それ以上の意味があります。それは、キリストは神の知恵、神ご自身であられたということです。このヨハネの福音書もそうですが、新約聖書は、当時の共通語であったギリシャ語で書かれていますが、この「ことば」と訳されている語はギリシャ語の「ロゴス」で、これは、神を啓示するために、神の人格として現れた方であるという意味があります。神の知恵、神ご自身が現れたということです。

 

どういうことかというと、当時のギリシャの哲学者たちは、すべての物は、形が存在する前に「考え」において存在していた、と考えていました。その考えをロゴスと呼んだのです。つまり、その考え、もしくはそれを考えることのできる存在、それを「ロゴス」ということばで表現したのです。

聖書を一番初めに日本語に訳したのは、オランダ伝道協会の宣教師カール・ギュツラフという人です。彼は、遠州灘で遭難し奇跡的に助け出された3人の日本人がマカオに到着した時彼らから日本語を学び、最初の日本語訳を学び、翻訳作業を開始しました。そして、ついに、約一年かけて、「ヨハネ伝」が翻訳されたのです。これが「ギュツラフ訳」聖書です。

このギュツラフ訳には、ヨハネの福音書1章1節と2節が次のように訳されています。

「はじまりに かしこいものござる

このかしこいもの ごくらくともにござる

このかしこいものは ごくらく

はじまりに このかしこいもの ごくらくともにござる」

これによると、「初めに、ことばがあった」という文章が、「はじまりに かしこいものござる」と訳されています。「ことば」をどのように訳したらよいのか相当悩んだことがわかります。ただのことばではなく、賢いもの、知恵ある者としての神、それを「かしこいもの」と訳したのです。また、「神とともにあった」を、「ごくらくとともにござる」と訳しました。神をごくらくと表現したところに、当時の日本人の神に対して抱いていた思いが伝わってくるかのようです。

 

ですから、この「ことば」がどのようなものであったのかが、その後のところでこのように紹介されているのです。すなわち、この「ことば」は神であったということです。なぜなら、この方は「初め」に神とともに存在しておられたからです。この初めとは永遠の初めのことです。この方は永遠の初めから存在しておられました。すべてのものが存在する前に、すでに存在しておられたのです。最初に父なる神がおられて、その後にイエスが存在したということではありません。初めから存在しておられ、父なる神とともにおられました。この方は神とともにおられた神なのです。

 

したがって、「初めに、ことばがあった。」というのは、すべての物の存在の前に、それを考える方がおられた、と言うことです。ヨハネは、世界を創造し、すべての人に知恵を与える神のことば、神御自身がおられたということ、そして、この神のことばはイエスにおいてあなたがたの間に来られたのです、と宣言しているのです。

 

 

Ⅱ.すべてのものはこの方によって造られた(3)

 

そればかりではありません。3節をご覧ください。3節には、「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。」とあります。どういうことですか?

創世記1章1節に戻ってください。聖書の一番初めのことばは、神の天地創造について私たちにこのように告げています。「はじめに神が天と地を創造された。」

 

確かにここには、神が天と地を創造されたとありますが、どこにもキリストが創造されたとは書いてありません。実はこの「神」ということばは、ヘブル語で「エロヒーム」ということばですが、これは複数形です。複数形ということは、2人以上おられるということです。しかも「創造した」ということばは単数形が使われていることから、複数の神が全く一つとなってこの天地を創造したことがわかります。どういうことかというと、神は唯一ですが、その神は父と子と聖霊という三つの位格を持っておられるということです。位格というのは存在とも言えます。神は三人おられ、これら三つの存在が完全に一つであるということです。これを三位一体といいます。

 

聖書には三位一体ということばは出てきませんが、この創世記の1章1節は、三位一体の神が天地を創造したということを表しています。ですから、創世記1章26節には、神が人を創造されたとき、「われわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。」と言われたのです。何ですか、「われわれ」とは?神はご自身のことを「われわれ」と言われました。普通、私たちが「われわれ」というとき、それは2人以上の時です。英語では「We」です。なぜ神はご自分のことを「われわれ」と言われたのでしょうか。それは、神は三人おられるからです。父と子と聖霊です。

 

エホバの証人は、これは尊厳の複数だと言います。神はあまりにも威厳に満ちておられる方なので「わたし」とは言わないで、「われわれ」という複数形で表現しているのだと言うのです。そうでしょうか。違います。神がここでご自身を「われわれ」と表現されたのは、神は2人以上おられるからです。神は3人おられ、その神が人をご自身に似るように、ご自身のかたちに人を造られたのです。

 

それは、このヨハネの福音書でも言われていることです。1章1節には、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。」ことばであられたキリストは神とともにおられた神であったとあります。そうです、キリストは初めから神とともにおられた神として、この天地を創造されたのです。

 

パウロは、この事実を確認して、コロサイ人の手紙1章15節でこのように言っています。

「なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。」

このようにして読むと、イエスがなぜ病人を癒したり、嵐を静めたり、悪霊を追い出したり、死人をも生き返らせることができたのかが分かります。なぜなら、この方は天地万物を創造された神だからです。

 

ところで、ここにはキリストについては書かれてありますが、もう一人の神である聖霊についは書かれてありません。聖霊についてはここで詳しくお話しすることはできませんが、聖霊も神であるということが聖書にはっきりと記されてあります。たとえば、コリント第二3章18節には、「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」とあります。御霊とは聖霊のことです。ここではこの聖霊について、「御霊なる主」と言われています。

 

また、創世記1章2節には、「地は茫漠として何もなく、闇がおお水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。」とあります。地は茫漠として何もなかったとき、神の霊、これは御霊、聖霊のことですが、神の霊が水の上を動いていました。この地に何もなかったとき、神の御霊が水の上を動いていたのです。そのとき、神のことばがありました。「光よ、あれ。」と。そのとき、光ができたのです。ですから、聖霊も永遠の存在であり、この天地創造に関わっておられたことがわかります。

 

ですから、イエス様は復活後天に昇っていかれる直前、弟子たちにこう言われたのです。「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」」(マタイ28:19-20)

有名な大宣教命令です。ここには、「父、子、聖霊の御名」と言われています。何ですか、父、子、聖霊の御名とは?父、子、聖霊という神の名のことです。神は三つにして一つなる方なのです。

この神が天地万物を創造されました。ことばであられたキリストが、この天地を創造されました。

 

この歴史上最も偉大な人物として日本人に人気があるのは、織田信長や坂本龍馬です。坂本龍馬はちょうど今、大河ドラマ「Segodon」に登場していますが、薩長同盟を結ばせ幕末を終わらせて新しい日本の礎を築いた人物として有名ですが、キリストはそれどころではありません。キリストは神ご自身であられるからです。

世界で人気がある有名な偉人は、レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)とか、アインシュタインです。ダ・ヴィンチは、芸術家であり数学者であり発明家でもありましたが、様々な分野ですばらしい功績を残してきたことから「万能人」と称されました。

しかし、キリストはこうした世界の偉人と呼ばれる人たちとは全く比較にならないほどものすごいお方なのです。なぜなら、キリストはこの天地を創造された神ですから。

 

かつてJ.B.フィリップスが「あなたの神は小さ過ぎる」という本を書きましたが、私たちが考え、想像している神様はあまりにも小さすぎるのではないでしょうか。私たちが考えたり、想像したりするキリストはあまりにも小さすぎます。ヨハネはキリストを紹介するに当たり、まず初めにキリストは永遠のはじめから存在しておられた方であり、この天地を創造された神ご自身であると告げているのです。

 

Ⅲ.光は闇の中に輝いている(4-5)

 

さらにこれを読み進めていくと、ヨハネは印象深いイメージをもってキリストを私たちに紹介していることがわかります。4節と5節です。

「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

 

すべての物を造られた神は、人のいのちも造られました。すべてのいのちの源は、この方にあります。この「いのち」とは何でしょうか。「いのち」というと、普通肉体のいのちを考えますが、ここで言われている「いのち」とは、永遠のいのちのことです。

 

神が初めに人を造られた時、単に肉体が生きるというだけでなく、また精神的に生き生きとしているというだけでなく、霊的に生きるように造られました。それが「神のかたち」、霊的いのちです。創世記1章26節と27節にこうあります。

「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」

それは神につながることによって、初めて可能となります。ですから、人類はどの時代の、どの民族でも、それがまことの神であるかどうかは別として、神を慕い求めて手を合わせてきたのです。

 

以前、青森に行く機会がありました。その時三内丸山遺跡を見学に行ったことがあります。それは縄文時代の竪穴式住居などの遺跡です。その集落の真中にこの遺跡のシンボル的な3層の大きな掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が再現されていたので、これは何のために造られたのですか?とガイドさんに尋ねたら、ガイドさんが教えてくれました。「これは祭り櫓です。この村落の中心に櫓が建てられ、神への祈りがささげられていたのです。」

紀元前五千年の時代に生きていた人たちも、神への感謝と祈りを中心に生活が営まれていたのです。それはいつの時代の、どの民族も同じで、神につながることを求める人間の自然な姿だと言えるでしょう。なぜなら、人はそのように造られているからです。それが人間にとって最も自然な姿で、幸福な瞬間なのです。それは、パスカルのこのことばからもわかるでしょう。「私の心には、本当の神以外にはとても満たすことのできない、真空がある。」

 

しかし、最初の人アダムとエバは、神の命令に背いて罪を犯したことで、神との関係が断たれてしまいました。すなわち、霊的に死んでしまったのです。それゆえ、神はその罪から私たちを救い永遠のいのちを与えるために、ご自身の御子をこの世に与えてくださいました。それが救い主イエス・キリストです。キリストはこう言われました。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。」(ヨハネ10:10)イエスが来られたのは、このいのちを私たちにもたらすためだったのです。

 

このいのちが私たちを生かします。ですからヨハネはここで、「このいのちは人の光であった。」と言っているのです。つまり、イエス様のいのちは、私たちの人生に欠くことのできない光のようなものとして注がれているということです。

 

「光」が注がれるとどうなるでしょうか。光が注がれると、それまで見えなかったものが見えるようになります。真っ暗の中では、どこをどう進んで行ったらよいかわかりません。しかし、闇が照らされることで、進むべき道がはっきりと見えます。また、今まではっきりわからなかったことが、わかるようになります。たとえば、かなり汚れていた部屋が、光に照らされることによってこんなにひどかったのかということがわかると愕然とすることがあります。しかし、光であられるイエス様が私たちの心の中に来てくださることによって、どんなに汚れた心も新しくしてくださり、喜びと感謝の中を生きることができるようになるのです。

 

つまり、このいのちは人の光であったという時、そのことが意味していたことは、光であられるイエス様は、闇を消し去ることができるということです。このことをヨハネは5節でこう言っています。「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

「光」の反対は、「闇」です。キリストは闇ではなく、光なのです。キリストと共に人生を歩むということは、闇の中ではなく光の中を歩むことです。

 

ヨハネがキリストを紹介しながら、私たちに伝えようとするメッセージがここにあります。「いのち」という言葉は、ヨハネ福音書の中に何と50回も出てきます。また、「光」という言葉は、23回も出てきます。キリストは「いのち」であり、「光」であるということをヨハネは何回も繰り返し強調することによって、キリストはどのような闇をも消し去ることができる方であるということを伝えたかったのです。

 

皆さん、イエス・キリストにはいのちがあります。そして、このいのちは人の光です。どんなに闇が襲ってきても、これに打ち勝つことはできません。どんな闇があっても、キリストが私たちを照らしてくれます。この方にいのちがあり、このいのちが人の光であるからです。

 

たとえば、先ほど「ことば」についてお話ししました。それは人を傷つけたり、破壊したりしてしまうほどの実に恐ろしい力をもっています。しかし、生涯忘れられないほど傷つけられたことばを投げつけられたとしても、ことばであられるイエス様は、それをはるかに超えて、私を慰め、励まし、力づけてくれることがおできになります。この方は神とともにおられた神で、すべてのものを造られた創造主であられるからです。この方にいのちがあり、このいのちは人の光として、あなたの心の中で輝くからです。

 

あなたには今、どのような闇がありますか。それがどのようなものであっても、闇はこれに打ち勝ちません。ヨハネは語っています。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。これこそ、ヨハネがこの福音書を通して私たちに語りかけようとしているメッセージです。これがあなたの希望となり、生きる力となります。私たちは闇の中で右往左往するような者ですが、そのような私たちにキリストが光となってくださるということを信じ、この方に信頼して歩んでいきたいと思います。まことのことばであり、まことのいのち、まことの光であられるキリストは、今ここに、私たちと共にいてくださるのです。

Ⅲヨハネ1章1~15節「真理のうちに歩む」

これまでヨハネの手紙からずっと学んできましたが、きょうは、そのヨハネの手紙全体の最後の説教です。この手紙は第二の手紙同様、短い内容になっています。この中にガイオとディオテレペス、デメテリオという三人の名前が出ておりますので、きょうはこの三人にスポットを当ててお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.真理のうちに歩んだガイオ(1-8)

 

まずガイオについて見ていきましょう。1節から8節までを注目してください。まず4節までをお読みします。

「長老から、愛するガイオへ。私はあなたを本当に愛しています。愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」

 

この手紙は長老ヨハネから、ガイオに宛てて書き送られました。「ガイオ」という名前は、当時はありふれた名前で、新約聖書にも何人か出てきます。

まず、ローマ16章23節に、「私と教会全体の家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。」とあります。このガイオはコリントでパウロからバプテスマを受け(Ⅰコリント16:23)、後に教会全体の家主になっていました。

次に、パウロの第三回伝道旅行に同伴し、エペソにある期間滞在していたマケドニヤ人ガイオです。エペソにデメテリオという銀細工人がいて、アルテミスの神殿の模型を作りかなりの収入を得ていましたが、パウロがエペソで伝道したことで自分のたちの評判が悪くなることを恐れ、その仲間たちといっしょにパウロに同行していたこのマケドニヤ人ガイトとアリスタルコを捕らえ、一団となって劇場になだれ込みました(使徒19:29)。

それから、同じくパウロの第三回伝道旅行に同行していたデルベ人ガイオです(使徒20:4)。この手紙の受取人であったガイオがこの三人のうちのだれかなのか、それともこの三人以外のガイオなのかはっきりわかりません。ただ一つだけ言えることは、この手紙を書いたヨハネと親しい間柄にあったということです。それは間違いないでしょう。

 

では、このガイオはどのような人物だったのでしょうか。2節には、「愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。」とあります。

もしかすると彼はたましいに幸いを得ていましたが、健康に問題があったのかもしれません。そんな彼のためにヨハネは、たましいたけでなく、すべての点で幸いであるように、また健康であるようにと祈るのです。どちらかというとクリスチャンは、貧しくて下っ端でいることが美徳であるかのように考え、このようにすべての点で幸いを得るようにと祈ることに罪悪感というか、抵抗を覚えている人も少なくないのではないかと思います。けれども、そのような中にあっても、良い環境にあることを願うことは何も悪いことではありません。もちろん私たちの信仰はご利益宗教ではありませんが、むしろそうした中にあって、すべての点で幸いを得るように、また健康であるようにと祈ることは大切なことなのです。

 

2節と3節をご覧ください。

「兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいることを証ししてくれるので、私は大いに喜んでいます。実際、あなたは真理のうちに歩んでいます。私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」

 

「兄弟たちがやって来ては」とは、巡回伝道者たちのことです。そうした人たちがヨハネのところにやって来ては、このガイオについて証してくれたので、ヨハネは大いに喜んでいました。なぜなら、ガイオが真理のうちに歩んでいたからです。ヨハネにとって、自分の子どもたちが真理のうちを歩んでいるということを聞くこと以上に大きな喜びはありませんでした。

 

私が福島で伝道していた時最初に信仰を決心してバプテスマを受けたのは、私と同じ当時22歳の女性でした。彼女は市内のデパートに勤めていましたが、毎週金曜日の夜、私の家で開いていた聖書研究会に参加していたので、仕事の帰りに彼女の職場に迎えに行き聖書研究会に連れて行き、終わってからは自宅まで送って行くということを続けていました。

そんなある晩のこと、聖書研究会が終わって自宅まで送る車の中で、彼女がこう言ったのです。「私、イエス様信じたいと思っているんだけど、信じると華やかな生活ができなくなるんじゃないかと思うと信じられないんです。」彼女は、どうもイエス様を信じる=貧しくなるというイメールを持っていたようなのです。「そんなことないよ。イエス様を信じて豊かになることは全然問題ないし。華やかな生活もいい。大切なのは、どういう生活であってもイエス様と一緒に歩むことだよ。」と言うと、彼女はあっさりと「じゃ信じます!」と言ってイエス様を受け入れました。

私はその晩のことを忘れることができません。それは私を通してイエス様のもとに導かれた最初の人だったからです。彼女を送って帰宅してから家内に話すと、家内もとても喜んでくれました。それで私たちは教会を設立することにしたのです。それは1983年11月23日のことでした。

それから20年が経ち私たちが大田原に移転した年、彼女は山形の教会の兄弟と結婚しました。時々、その教会の牧師とお会いすることがありますが、その度に、「いや、いい姉妹を送ってくれてありがとうございました。教会のためによく仕えてくださっています。」と言ってくださいます。私たちにとってそのようなことをお聞きすることは、本当にうれしいことです。

先日、久しぶりにお電話があり、なんだろうと思って出てみたら、「間違いました。すみません。」と言うので、「間違うくらい慕われているんだなぁ」と感謝しました。

ヨハネはここで、「私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。」と言っていますが、その気持ちがよく分かるような気がします。ガイオは真理のうちを歩んでいたのです。

 

でもそれは具体的にどのような歩みだったのでしょうか。5節から8節までにはこうあります。

「愛する者よ。あなたは、兄弟たちのための、それもよそから来た人たちのための働きを忠実に行っています。彼らは教会の集まりで、あなたの愛について証ししました。あなたが彼らを、神にふさわしい仕方で送り出してくれるなら、それは立派な行いです。彼らは御名のために、異邦人からは何も受けずに出て行ったのです。私たちはこのような人々を受け入れるべきです。そうすれば、私たちは真理のために働く同労者となれます。」

 

「兄弟たちのための、それもよそから来た人たちのための働き」とは、巡回伝道者たちへのもてなしのことです。6節には、「あなたが彼らを、神にふさわしい仕方で送り出してくれるなら、それは立派な行いです。」とありますが、ガイオは巡回伝道者たちをそのような仕方で送り出していたのです。今のように旅館やホテルが整っていた時代ではありません。旅人をもてなすことは現代以上に必要なことであり、大切な愛の業だったのですが、ガイオはそれを喜んで行っていたのです。

 

ですから、へブル13章2節には、「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、知らずに御使いたちをもてなしました。」とあるのです。

この「ある人たち」とはアブラハムのことです。創世記18章にあります。主が二人の御使いとともにアブラハムに現れたとき、アブラハムはそれが御使いであるとも気が付かず丁重にもてなしました。それが板についていたのです。それほど信仰に生きていました。だからこそ主はアブラハムにご自身がしようとしていたことを話さずにはいられなかったのです。またアブラハムも親しい友に話すかのように、甥のロトのために必死でとりなしの祈りをしました。それゆえに彼は神の友と呼ばれたのです。旅人をもてなすというアブラハムの姿を、主がとても喜ばれたのです。

 

旅人をもてなすことを忘れてはいけません。ガイオもまたそのような信仰を持っていました。その立派な行いが、ここで称賛されているのです。それはガイオだけに限らず、主イエスを信じ、その真理に歩むすべてのクリスチャンにも求められていることです。というのは、そのようなことによって、私たちも真理のために働く同労者となれるからです。

 

8節に、そのように約束されてあります。「私たちはこのような人々を受け入れるべきです。そうすれば、私たちは真理のために働く同労者となれます。」これはどういうことかというと、たとえ自分が宣教に出かけて行けなくても、そのために祈り、またささげることによって宣教師の同労者になることができるということです。ガイオは、そういう人々を迎え、もてなし、送り出すという地味な黒子に徹した働きをしていました。実際に各地を巡回して福音を伝える人たちも必要でしたが、その人々を背後で支援するガイオのような働きもなくてはならないものでした。福音が伝えられていくためには、伝える人とその人を支え送り出す人の両輪が必要であるということです。宣教の第一線に立つ働きもあれば、その働きを背後で支える働きもあります。何も伝道に出て行くことだけが伝道ではありません。ガイオのようにその働きを陰で支えることもまた立派な伝道の働きであり、そのことによって真理のために働く同労者となれるのです。

 

Ⅱ.ディオテレペスに警戒して(9-10)

 

次に9節と10節をご覧ください。ここには、ディオテレペスという人物について書かれてあります。

「私は教会に少しばかり書き送りましたが、彼らの中でかしらになりたがっているディオテレペスが、私たちを受け入れません。ですから、私が行ったなら、彼のしている行為を指摘するつもりです。彼は意地悪なことばで私たちをののしっています。それでも満足せず、兄弟たちを受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人たちの邪魔をし、教会から追い出しています。」

 

このディオテレペスの特徴は、彼らの中でかしらになりたがっていたということです。人間はだれでも人の上に立ちたがるものですが、教会の中にもそのような人がいるということはまことに残念なことです。ディオテレペスは、そういう人でした。彼は人々の言うことを聞き入れず、他の人をののしり、相手を受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人たちの邪魔をし、教会から追い出していました。言うまでもないことですが、人間社会は人と人との関わりによって成り立っています。そこには秩序があり、ルールがあります。ところがかしらになりたがる人はこのルールを無視し、秩序を乱します。それは自分の思いや欲望のままに事をなそうとするからです。

 

たとえば、天使が堕落して悪魔になったときもそうでした。明けの明星、暁の子であった天使が、どうして天から堕ちたのでしょうか。それは彼が心の中で、「天に上ろう。・・・いと高き方のようになろう。」(イザヤ14:13-14)と言ったからです。すなわち、高ぶったからです。彼はもともと神の栄光を現すために造られたのに、その目的、秩序を逸脱し、混乱をもたらしました。ルールを守られないところには当然混乱が生じます。なぜなら、神は混乱の神ではなく、平和の神だからです。この神に反逆し神のルールに従わなければ、そこには当然混乱が生じるのです。

 

民数記16章にこの秩序を無視し、モーセとアロンを非難した人たちがいました。誰でしょうか?そうです、コラの子たちです。彼らはイスラエルが荒野を彷徨っていたとき、モーセとアロンに詰め寄ってこう言いました。「あなたがたは分を超えている。全会衆残らず聖なる者であって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは主の集会の上に立つのか。」(民数記16:3)これはどういうことかというと、モーセとアロンだけが特別な存在なのではなく、主の民残らず聖なる者なのだから、あなたが人々の上に立っているのはおかしいというものです。なるほど、民主主義という観点からすればそうでしょう。特に会衆政治を重んじるバプテスト派の強調点の一つは皆同じということですから、そういう意味では彼らが言っているのも理解できます。

しかし、ここに欺瞞があります。ローマ13章1、2節には、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。 したがって、権威に反抗する者は、神の定めに逆らうのです。逆らう者は自分の身にさばきを招きます。」とあります。それは神によって立てられた権威であって、それが神によって立てられたものであるなら、それを神からのもとして尊重し、また尊敬することが必要であり、これを無視することこそ、高慢そのものなのです。

ですからモーセがコラの子たちに言いました。「レビの子たちよ、あなたがたが分を超えているのだ。」(民数記16:7)それはコラの子たちが一番になりたくて言ったことであり、コラの子たちがかしらになりたがっていたことが問題だったのです。

それゆえ神はお怒りになり、コラとその家族に属する者たちをさばかれました。地面が割れ、地は口を開けて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての所有物をのみ込んだので、彼らに属する者はみな、生きたまま、よみに下って行きました。神の権威に反抗し、その定めに逆らう者に対して、主はそのようにされたのです。

 

教会は、キリストをかしらとする秩序ある群れであると同時に、主の御旨を行うキリストのからだという有機体です。このキリストのからだには調和があります。けれどもサタンは癌細胞が調和のとれた体の組織を破壊するように、ディオテレペスのような人物を用いて、教会の働きや成長を妨げようとするのです。そのような人は、ディオテレペスのように人の言うことを聞こうとせず、人との調和も考えず、自分の意見や考えのとおりに行動しようとします。その結果、教会の中に混乱とが引き起こされるのです。教会がなかなか成長しない要因の一つには、このような背景があるからです。

ヨハネはここで、「私が行ったなら、彼のしている行為を指摘するつもりです。」と言っていますが、教会の健全な成長を願うなら、ディオテレペスのような人物が出ないように常に警戒しておくことが求められます。

 

感謝なことに、私たちの教会は主の恵みによって守られてきました。それは私たちの伝道と牧会の中で、常にこのことを大切にしてきたからだと思います。ディオテレペスのようなクリスチャンが出ないように、あるいはディオテレペスのようにならないようにみことばから学び、警戒してきました。キリストにある自由の中で、主のみことばにはへりくだって従うこと、自分を主張しないで、兄弟姉妹と心を合わせること、神の秩序を重んじること、教会形成のために一致を大切にすることを強調してきました。それはこれからも同じです。教会には絶えずいろいろな形の自由が入り込んできますが、かしらになりだったディオテレペスのような出現によって教会の秩序が乱されることがないように注意したいと思います。

 

Ⅲ.善を行ったデメテリオ(11-15)

 

最後に11節から15節までを見て終わりたいと思います。ここにはもう一人の人デメテリオについて記されてあります。11節と12節をお読みします。

「愛する者よ。悪を見習わないで、善を見習いなさい。善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことがない者です。デメテリオについては、すべての人たちが、また真理そのものが証ししています。私たちも証しします。私たちの証しが真実であることは、あなたも知っています。」

 

ここでデメテリオについてはどのようなことが言われているでしょうか。それは、彼は善を行っている良い模範であるということです。どうしてそのように言えるのでしょうか。12節には、それはすべての人が証ししていることであり、また真理そのものが証ししていることです。さらに、私たちも証ししています。イスラエルでは、二人また三人の証言によって真実であると証明されました。このデメテリオの正しさは、すべての人たちから、また真理そのものから、さらにヨハネたちからその正しさが証言されていました。彼は模範的なクリスチャンだったと言えるでしょう。彼とその前のディオテレペスを比較すると、同じクリスチャンでも、本当にピンからキリまでいろいろな立場のクリスチャンがいるものだなぁと驚かされます。

 

いったい彼はなぜすべての人が認めるほど善を行うことができたのでしょうか。その鍵は11節にあると思います。すなわち、「愛する者よ。悪を見習わないで、善を見習いなさい。」とあるように、善を模範としていたことです。もし皆さんが健全なクリスチャンとして成長したいと願うのなら、良い模範を見習う必要があります。

 

今年の6月末、パット先生を宣教師として送り出してくださった時のアメリカの教会の教育牧師であったカールソン先生が天に召されました。このカールソン先生ご夫妻は、主任牧師のキュースター先生と30年以上その教会を牧会されました。キュースター先生とカールソン先生ご夫妻は、生涯一つの家族のように過ごされました。というのは、キュースター先生がまだ若い頃奥様が癌で召されたとき、カールソンご夫妻はキュースター先生家族といっしょに生活し、キュースター先生の子どもたちも育てられたからです。

キュースター先生も、カールソン先生も、そして今は既に天に召された奥様のグレース・カールソンも、本当にすばらしいクリスチャンでした。約千人の教会の牧師として本当に多忙であったでしょうに、私たちがアメリカに行くたびに温かくもてなしてくれました。忙しいことを感じさせないくらい個人的に時間をとって祈ったり、励ましてくれました。それは私たちにだけではなく、すべての人に対してそうでした。特にグレース・カールソンは教会のお母さんのような存在で、教会で悩んでいる人たちがいればいつも耳を傾け、励ましておられました。

そればかりか、宣教の情熱は衰えることなく、教会を退職後もヨセミテ国立公園近くのオーカーストという町で過ごしておられましたが、地元の教会に仕えるだけでなく、世界宣教のために熱心に祈っておられました。

ある晩、このキュースター先生が1枚のボロボロになった紙切れをもってリビングにいた私たちのところにやって来て、「これはずっと前にパットからもらった祈りのリクエストだけど、答えられたものがありますか。もっと付け加えるものがあったら教えてください。祈りたいから。」と言いました。私たちはびっくりしました。もう何十年も前に渡した祈りのリクエストを、ボロボロになるまで毎日祈っていてくれたと言うことを思うと、あついものがこみ上げて止まりませんでした。

どんなに離れていても、祈りによって励ましと祝福を与えてくれる。こんなすばらしい生き方があるだろうか。ここに私たちの信仰の模範があります。私たちは、イエス・キリストの生きた証人であるキュースター先生やカールソン先生ご夫妻のように、祈りとみことばによって、人々に励ましと祝福を与える人になりたいと思っています。

 

愛する者よ。悪を見習わないで、善を見習いなさい。へブル12章1節、「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

私たちの回りにはすばらしい証人たちが昔も今もいます。デメテリオのように悪を見習わないで、善を見習ったように、私たちも善を見習って、善を行う者となろうではありませんか。

 

最後に13節から15節までをご覧ください。

「あなたに書き送るべきことがたくさんありますが、墨と筆で書きたくありません。近いうちにあなたに会いたいと思います。そうしたら、直接話し合いましょう。平安があなたにありますように。友人たちが、あなたによろしくと言っています。そちらの友人たち一人ひとりによろしく伝えてください。」

 

結びのことばです。墨と筆で書きたくないというのは第二の手紙と同じです。ヨハネはガイオと顔と顔を合わせて直接語りたかったのです。それは主にあって愛し合っている者同士であれば当然のことでしょう。一人ひとりのクリスチャンの間にこの麗しい交わりが深められ、主の弟子としてのあかしがこの世に対してなされていくことを強く願うものです。

ヨハネがガイオと会う日を強く待ち望んでいるように、私たちの愛する主イエスは、私たちに会いに来られることを強く望んでおられます。「しかり、わたしはすぐに来る。」(黙示録22:20)と言われる主に、私たちも「アーメン。主イエスよ、来てください。」という切に待ち望むものでありたいと思います。