Ⅰサムエル記3章

サムエル記第一3章から学びます。

 

Ⅰ.イスラエルの霊的状態(1-3)

 

まず、1~3節までをご覧ください。

「さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。」

 

少年サムエルはエリのもとで主に仕えていました。これはエリの二人の息子との対比として描かれています。2章で見たように、エリの二人の息子ホフニとピネハスはよこしまな者たちで、主を知りませんでした。そのために彼らは、人々が主に和解のいけにえをささげるためにやって来ると、まだ煮ていない肉を奪ったり、会見の天幕の入口で仕えていた女たちと寝るというようなことをしていたのです。そんな彼らに神のさばきが語られました。神の人がエリのところに来て、彼の家の者たちが祭司職から除かれ、長生きすることができなくなると預言しました。そのしるしは何か、それは、彼の息子ホフニとピネハスが死ぬということです。この後、それが実際に成就します。

 

一方、サムエルはというと、まだ幼い少年でしたが、主の前に仕えていました。その特徴は何でしょうか。3節にあるように、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていたということです。3:18には、彼は亜麻布のエポデを身にまとっていたとあります。彼は自分が祭司であるという自覚をしっかりと持っていたのです。そのような主のしもべサムエルに、主はご自身の言葉を語り、イスラエルの民の間に眠っていた霊的眼を開かせようとします。

 

「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。」これが当時のイスラエルの霊的状態でした。主が語られるということがほとんどありませんでした。なぜでしょうか。この時代は、モーセとヨシュアの時代が終わり、イスラエルがカナンの地に入ってからしばらく経っていました。人々はそれぞれ自分の目に良いと思われることを行い、主を求めることがありませんでした。それが士師記の時代です。その結果、敵に侵略されては主を求め、そのたびに主はさばきつかさ(士師)たちを遣わすのですが、それで少しでも状態が良くなるとまた自分の目に正しいことを行うということを繰り返していたのです。ですから、主のことばはまれにしかなく、幻も示されていませんでした。

 

エリを見てください。大祭司エリの目もかすんできて、見えなくなっていました。これは彼の肉眼が見えなくなっていたというだけでなく、霊的な眼がかすんでいたことも表しています。彼は霊的洞察力をなくし、自分の息子たちの暴走も止めることができなくなっていました。イスラエルの霊的状態は、「神のともしびが消される前」、つまり、風前のともしびのような状態でした。「神のともしびが消される前」とは、神の宮にあった燭台の火がかろうじて燃え続けていたことを表しています。イスラエルには、それでもまだ真の信仰者が残されていました。その一人がサムエルです。サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていました。これはサムエルが主のしもべとして主に仕えていたこと、そして、彼が預言者の時代を招き入れ、イスラエルに霊的なともしびを燃え立たせる器であるということを表しています。

 

これは現代の日本の霊的状態にも言えることです。それがどんなに暗くあろうとも、絶望する必要はありません。神はサムエルのような信仰者を起こし、神のみことばを通して、霊的ともしびが燃え立たせる日が必ずやってくるからです。私たちの使命は、それがどんなに小さなともしびであろうとも、その日が来るまで、それを灯し続けることなのです。

 

Ⅱ.主に召されたサムエル(4-14)

 

次に4節から7節までをご覧ください。

「主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。」

 

サムエルは、まだ主を知らなかったので、主のことばを聞き分けることができませんでした。彼は、主の宮で祭司エリの内弟子として仕えていました。その彼に、主からの呼びかけがありましたが主の声なのか、人間の声なのか聞き分けることができなかったのです。サムエルはエリのために忠実に働き、主の幕屋に仕えていましたが、それが同時に、彼が主のことを知っていたということではなかったのです。主と個人的な関係は、主の呼びかけを自分が聞き取ることから始まります。ただ神について聞くというだけでなく、神からの語りかけを自分に対する語りかけとして受け止め、それに応答することによって、そこに神との生きた、人格的で、個人的な関係を持つことができます。それが主を知るということです。それがなければ、子どもであっても、大人であっても、どんなに教会生活を送っていたとしても、主を知ることはできません。ですから、サムエルはまだ主を知らなかったのですが、その素地が整っていました。それは祭司エリの言うことにきちんと従っていたことです。神によって立てられた権威に従うことによって、幼子は神を知ることができるようになります。特に子にとっては、両親の言うことに聞き従うことが、とても重要です。

 

8節から14節までをご覧ください。

「主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。 わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」」

 

主が三度サムエルを呼ばれると、彼は前と同じようにエリのところへ行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言うと、エリは、これはどうもおかしいぞ、これは、主が彼を呼んでおられるに違いないと思いました。それでエリはサムエルに言いました。「行って寝なさい。そして、今度主がおまえを呼ばれたら、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と言うように、と言いました。

 

すると、主が再び彼のもとに来られ、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれたので、サムエルは、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と言いました。これは、「あなたが言われることは、何でも聞きます」という姿勢に他なりません。つまり、自分が聞きたいことと、聞きたくないことを選り分けるというのではなく、主が言われることならば何でも聞いて従います、ということです。これが、サムエルが召された時の応答でした。これは小さな応答でしたが、サムエルという信仰の偉人も、この小さな応答から主のしもべとしての生涯を歩み始めたのです。あなたはどうですか。主があなたの名を呼ばれるとき、どのように応答されるでしょうか。サムエルのように、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」という応答して、小さな一歩を歩み始めようではありませんか。

 

すると主はご自身のみこころをサムエルに伝えました。それは11節から14節にあるように、息子たちの罪と、親としてそれを放置した罪のために、エリの家は必ず裁かれ、その咎を償うことはできない、ということでした。11節の、「だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る」というのは、これがあまりにも衝撃的で、耳にこだまして残る、という意味です。それが非常に厳しい内容であったことを示しています。主はあわれみ深く、忍耐深い方ですが、その忍耐を軽んじてはなりません。時が来れば確実に裁かれることになります。ですから、その前に悔い改めて、神に立ち帰らなければなりません。

 

Ⅲ.預言者サムエル(15-21)

 

最後に15節から21節まで見て終わりたいと思います。

「サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。エリは言った。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」サムエルは、すべてのことをエリに知らせて、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。全イスラエルは、ダンからベエル・シェバに至るまで、サムエルが主の預言者として堅く立てられたことを知った。主は再びシロで現れた。主はシロで主のことばによって、サムエルにご自分を現されたのである。」

 

翌朝、少年サムエルは何もなかったような顔をして、いつものように主の宮の扉を開けていました。彼は、主から受けた預言のことばをエリに知らせるのを恐れていたのです。しかし、エリは何としてもそのことばを聞きたいと思ってこう言いました。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」(17)すごいですね、彼は神罰にかけてすべてを話すようにと迫ったのです。それでサムエルは、主から聞いたことを何も隠さずにすべて、エリに伝えました。

 

するとエリはどのように反応したでしょうか。エリはこう言いました。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」彼は、それを信仰によって受け止めました。彼はまず、「その方は主だ」と、主の権威を認めています。そして「主が御目にかなうことをなさるように。」と、その知らせをそのまま受け入れ、すべてを主の御手にゆだねたのです。

 

一方、サムエルは成長しました。主が彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはありませんでした。これは、サムエルが主にあって、肉体的にも霊的にも成長したということです。主がともにおられること、これが信仰者にとって最も重要なポイントです。そして、彼が語ることばは一つも地に落ちることがなかったというのは、彼の預言がすべて成就したということです。これは彼が真の預言者であったということのしるしです。申命記18:22には、真の預言者のしるしは、その語った預言が成就したということでした。主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは偽預言者です。

 

やがて全イスラエルが、彼が主の預言者として立てられたということを知るようになります。ダンからベエル・シェバに至るまでとは、イスラエルの北の端から南の端まで、すなわちイスラエル全体がという意味です。

 

主は再びシロでサムエルに現れました。主はシロでご自身のことばによってサムエルに現れたのです。そのころは、主のことばはまれにしかなく、幻も示されていませんでしたが、ここに、その回復が見られます。主はサムエルというひとりの預言者を立て、彼を通してご自身のことばを語り、ご自身を現してくださったのです。本格的な預言者の時代の到来です。サムエルは幼い頃から主の声を聞くことを学んでいましたが、主の声は聞けば聞くほどより鮮明に聞こえてきます。ですから、幼子たちの霊的訓練を怠ってはなりません。それは大人であっても同様です。大人であっても、救いに導かれた霊的幼子たちに対して、みことばによる訓練を怠ってはなりません。そして、主の声を聞く訓練というものを自らに課すことによって、霊的成熟を求めていく者でありたいと思います。

ヨハネの福音書10章1~10節 「わたしは門です」

きょうから10章に入ります。きょうは「わたしは門です」というタイトルでお話ししたいと思います。イエス様は、ご自身のことを「わたしは門です」と言われました。これはどういうことでしょうか。きょうはこのことについて三つのことをお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.わたしは門です(1-2)

 

まず1節と2節をご覧ください。イエス様がその門です。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。」

 

きょうの箇所は9章からの続きです。9章には、生まれながら目の見えなかった人が、イエス様によって見えるようになったことが記されてあります。しかし、それが安息日であったことからパリサイ人と論争になりました。41節には、「イエスは彼らに言われた。『もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、「私たちは目が見える。」と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」』とあります。パリサイ人たちは、イエス様のことばを正しく受けとめることが出来ませんでした。きょうの箇所は、そのパリサイ人たちの教えや考え方に注意するために、イエス様が語られたことです。

 

イエス様はここで、「まことに、まことに、あなたがたに言います。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。」と言われました。

イエス様が「まことに、まことに」と言われる時は、重要な真理を語られる時です。「羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者」とは、先ほども申し上げたように、これは9章の続きですから、パリサイ人たちのことを指していることは明らかです。

 

パレスチナでは、羊たちの囲いがありました。それは石などを積み上げた高い塀で囲まれており、夜になると羊飼いは羊たちをその囲いの中に入れました。野獣などから守るためです。その囲いには門があって、そこでは門番が門の戸の開け閉めをしました。しかし、彼らはこの門から入らないでほかのところを乗り越えて入り込み、羊たちを奪っていく者たちがいました。具体的にそれがどういうことかというと、7節に「わたしは羊たちの門です」とあるように、また、9節にも「わたしは門です」とあるように、イエス様を通らないでこの囲いの中に入ろうとする者たちのことです。これは、9章でイエス様に食ってかかったパリサイ人たちのことを指しています。彼らはイエス様を受け入れることができませんでした。安息日に盲人の目を癒すような者が、どうして神から遣わされた者だと言えるのか、そんなはずがないと言って、目が開かれた人を会堂から追い出してしまいました。彼らは門から入って来たのではなく、ほかのところを乗り越えて入って来たのです。彼らはイエス様を信じることができませんでした。イエス様こそ、旧約聖書の預言の通りに来られた方であり、恵みとまことによって羊たちを導かれる方なのに、そのイエス様を受け入れることができなかったのです。彼らはモーセの律法ではなく、先祖たちの言い伝えがまとめられた別の律法(ミシュナー)を振りかざしては、神の民である羊たちの囲いの中に入り込んでいました。それは門ではないほかのところから乗り越える行為でした。イエス様はそんな彼らのことを、「盗人であり強盗です」と言われたのです。

 

ちょうどこのメッセージを書いている時、同盟からメールが届き、クオンパという韓国系の異端が日本で活動しているので、警戒してくださいという連絡がありました。「クオンパ」という団体がどういう団体なのか詳しくはわかりませんが、「クオンパ」というのは日本語で「救援」という意味だそうですが、この救援(クオンパ)派のパク・オクス(朴玉洙)という人が主導している団体で、クリスチャン・リーダーズ・フォーラムという集会の案内(国立オリンピックセンターでの開催)を各教会に送っているとのことでした。韓国の主要教団ではすでに異端であると決議された団体です。日本ではグッドニュース宣教会・東京恩恵教会という団体になりましているそうですが、ちょっと聞いただけではキリスト教会と同じ団体のように思ってしまいます。しかし、これらは羊のなりをした狼であって、巧妙な手口で羊たちの囲いの中に入り、羊たちを奪っていくのです。その最大の特徴は何かというと、羊たちの囲いに、門から入らないで、ほかのところを乗り越えて来ることです。キリストという門から入らないのです。

 

イエス様は、世の終わりには、「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わします。」(マタイ24:5)と言われましたが、まさに世の終わりが近づいているということの兆候なのでしょう。その特徴は何かというと、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすことです。彼らはそのように言うものの羊の囲いの門から入るのではなく、ほかのところから乗り越えて入ってきます。しかし、門から入るのが羊たちの牧者です。私たちはそうした者に惑わされることがないように、その人がどこから入って来たのかをよく見極めなければなりません。

 

Ⅱ.羊たちはその声を聞き分ける(3-5)

 

では、どのようにしてそれを見分けることができるのでしょうか。それは「声」です。3節から5節までをご覧ください。

「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」

 

ここには、羊たちがどのようにして自分たちの牧者を見極めることができるのかが教えられています。それはその声です。門番が牧舎のために門を開くと、羊たちはその声を聞き分けます。羊たちはその声を知っているので、牧者のあとについて行きますが、ほかの人にはついて行きません。かえって逃げ出してしまいます。なぜなら、ほかの人たちの声は知らないからです。つまり、その声によって聞き分けるのです。

 

私は羊を飼ったことがありませんが、犬を飼ったことがあります。犬を飼っていたとき本当に不思議だなぁと思ったのは、犬は飼い主に忠実であることと、飼い主の声をよく知っていることです。真っ暗な闇の中でだれかが家の玄関に近づこうものなら「ワン、ワン」と激しく鳴きますが、私が近づくとすぐに泣き止みます。そして、私の姿を見ただけで尻尾を振って喜ぶのです。

ある時、声だけで私のことがわかるかどうか実験したことがあります。近くで物音を立てますが、姿を見せないで声だけ出すのです。やっぱりわかるのです。私の声がいい声だからではありません。かすれたような声でも私の声をすぐに聞き分けることができました。羊も同じです。たとえ姿が見えなくても、声を聞けばわかります。彼らは聞き分けることができるのです。

 

これは神の民であるクリスチャンにも言えることです。世の人々には不思議に思われるかもしれませんが、クリスチャンは霊的な直観力を持っているのです。それによって真の教えか偽りの教えかを識別することができます。彼らは健全でない教えを聞くと「これは間違っている」という内なる声を聞き、真理が語られる時には「これは正しい」という声を聞くのです。この世の人たちは、それぞれの牧師の説教にどのような違いがあるのかなんてさっぱりわかりませんが、クリスチャンにはその違いがわかるのです。何が違うのか、どのように違うのかを説明することができなくても、「あっ、ちょっと違う」と感じるのです。なぜそのように感じるのでしょうか。それは、クリスチャンには聖霊なる神が住んでおられるからです。

 

Ⅰヨハネ2章20節を開いてください。ここには、「あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。」とあります。「聖なる方からの注ぎの油」とは、聖霊のことです。クリスチャンにはこの聖霊の内住があるので、だれでも判別することができます。どんなに愚かな羊のようであっても、クリスチャンであるならこの聖なる油が注がれているのでわかるのです。ですから、偽りの牧者の影響から守られるように祈らなければなりません。苦みと甘みの区別ができなくなっているとしたら、それは健康を損なっていることの一つの兆候だと言えます。それと同様に、それが律法なのか、それとも福音なのか、それが真理なのか、それとも偽りなのか、それがキリストの教えなのか、それとも人の教えなのかを識別できないとしたら、それは霊的な健康を損なっているしるしであって、救いについて真剣に吟味する必要があります。もし救われているなら、その人には聖なる方からのそそぎの油があるので、それを聞き分けることができるはずだからです。

 

ところで、3節には、牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出すとあります。羊にはそれぞれ名前があるんです。太郎とか、花子とか、一郎とか、洋子とか・・。そして、羊飼いはその一匹、一匹の羊の名前を覚えているのです。忘れてしまったとか、思い出せないということはありません。一匹、一匹の名前を覚えていて、その名前を呼んで外に連れ出すのです。名前を呼ぶというのは、単に名前を呼ぶということだけでなく、その羊のことをよく知っているということでもあります。そうでしょ、「ええと、あなたの名前は何でしたっけ。思い出せない」というのは、その人のことをあまりよく知らないということです。だれも自分の夫の名前、妻の名前を忘れません。奥さんに向かって、「あなたの名前は何でしたっけ」というなら、特別な事情がない限り、そこには何の関係もないことがわかります。ということは、名前を呼ぶというのは、その人の性格や、長所や短所、喜びや悲しみといったことも含めて、よく知っているということなのです。

 

イザヤ書43:1には、「だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。」とあります。主はあなたの名前を呼ばれるのです。

私が数えたわけではありませんが、名、名前という単語は新約聖書に151回、旧約聖書には428回も出てくるそうです。聖書の世界において名前がとても重要なものであることがわかります。それは、名前というのは、その人の存在、個性、人格などと結び付いているからです。適当にほかの名に変えることはできません。

 

ですから、牧者がそれぞれの羊たちの名前を呼ばれるというのは、かけがえのない存在として呼びかけられるということなのです。名を呼んで、誰でもよいから返事をしろというのではなく、ほかの誰でもない、あなたを呼んでいるということなのです。イエス様はその羊の性質、長所、弱点といったすべてをご存知であられます。人には言えないようなことでも、イエス様はすべてをご存知なのです。その上で、決して私たちを見捨てることなく、祝福の野に連れ出されます。イエス様はあなたの名も呼んでおられます。ですから、その方の声を聞きイエス様ついて行ってほしいと思います。

 

ザアカイは、自分の名を呼ばれてイエス様について行きました。彼は当時の社会で嫌われていました。というのは、神の民であるユダヤ人から税金を取り立てて異邦人であるローマに納める取税人であったからです。そんなザアカイのいるエリコの町にある日イエス様がやって来られるというので彼は見に行きますが、群衆が彼をさえぎったためイエスの姿を見ることができませんでした。そこで彼はいちじく桑の木によじ登ります。すると、そこを通りかかったイエス様は、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」(ルカ19:5)

いったいどうしてイエス様はザアカイの名前を知っていたのかわかりません。もしかしたら、ザアカイのことを誰かから聞いていたのかもしれません。でもこのことはザアカイにとって予想外の大きな出来事でした。彼はイエス様を自分の家に招くと、悔い改め、自分の財産の半分を貧しい人に施し、だれかからおどし取った物があれば、四倍にして返すと言いました。するとイエス様はこう言われました。

「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を探して救うために来たのです。」(ルカ19:9-10)

イエス様はザアカイだけではありません。あなたも探しておられます。あなたを探して救おうとしておられます。イエス様はあなたの名も呼んでおられるのです。

あなたはこの方の声を知っていますか。あなたの名前を呼んでくださる主イエス様の声を聞いて、この方について行ってください。

 

Ⅲ.わたしを通って入るなら救われます(6-10)

 

第三のことは、その結果です。この門から入るならいのちを得、それを豊かに持ちます。6節から10節までをご覧ください。

「イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」

 

イエス様はご自分が羊たちの牧者であり、自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出すと言われましたが、パリサイ人たちは、イエス様が何のことを言っているのかさっぱり分からなかったので、イエス様は再び彼らに言われました。それは、イエス様が羊の門であり、だれでも、イエス様を通って入るなら、救われるということです。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。けれども、盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。イエス様が来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。つまり、イエス・キリストが救いに至る門であるということです。それ以外に道はありません。

 

イエス様はそのことを山上の説教でこう言われました。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイ7:13-14)

またこの福音書の少し後でも、このように教えておられます。「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

つまり、イエス・キリスト以外に救われる道はないということです。特にここでは「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます」と、それ以外の所からは救いに入ることのできないことを明言されました。

 

このようなことを聞くと、排他性を嫌う日本人は、そんなことはないと、宗教についても、一休さんが作ったとされる次の歌を引き合いに、協調性、受容することの大切さを主張します。

「分け登る 麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな」

これは、真理は一つであっても、そこに至る道はいろいろあってよい。どの道から入ったとしても、それはその人の自由であって、要は究極の真理に到達することである、という意味です。

 

以前、福島にいた時、立正佼成会という仏教系の新興宗教の団体から招かれてお話ししたことがありました。その団体では、毎月1の付く日は他宗教から学ぼうということで、キリスト教からも学びたいのでぜひ来てお話ししていただけないかとお招きを受けたのです。畳敷きの広いスペースに300人くらいの方々が座っていました。みんな優しそうなお顔で、にニコニコして聞いてくださいました。当時私も33歳と若かったので、「自分の息子みたいな年の牧師さんが来てくれた」と喜んでいるようでした。私は何をお話ししようか悩みましたが、折角キリスト教の話を聞きたいというのだから、キリスト以外に救いはないという話をしたのです。そして、お話しの終わりに聖霊によって「祈りなさい」と促されたので、祈ることにしました。「皆さん、どうでしたか。キリスト教のことが少しでもわかってもらえたらうれしいですが、皆さんの祝福をお祈りさせていただいてもよろしいでしょうか」と言うと、皆さん「うん、うん」と首を縦に振るのです。「じゃ祈ります」と祈りました。そして、お祈りの中で、「どうでしょうか、皆さんの中できょうのお話しを聞いて、イエス様もいいな、イエス様を信じたいという方がおられますか、おられるなら、手をあげて教えてもらえますか」と言うと、3人くらいの方が手を上げたのです。それじゃ、その方のためにお祈りします」と祈ったとたん、そこの堂会長と言われる方がすかさず私のところに来て、皆さんにこう言われたのです。

「皆さん、とってもいい話でしたね。それぞれがそれぞれの宗教に従って歩むとは大事なことですよ。でもね、結局、みんな同じところに行くんですよ。ほら、こういう歌があるでしょ」と、この歌を歌われたのです。

その後で別室に招かれまして、この堂会長さんと昼食をいただきましたが、まさに日本の社会、精神風土は、排他性というものを極端に避ける文化なんだなぁということを痛感させられました。

 

しかし、ここでイエス様が言っておられることはそういうことではありません。イエス様は「わたしは羊の門です」とはっきり宣言されました。これはヨハネの福音書の中に7回出てくる「わたしは・・です」(エゴー・エイミー)というイエスの神性宣言の一つです。何が羊の門ですか?わたし様が羊の門です。それ以外に門はありません。イエス様が羊の門であって、イエス様を通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけることができます。これはどういうことかというと、この門から入るならたましいの救いが与えられるというだけでなく、そのたましいが満たされることを経験するということです。これが、イエス様がこの世に来られた目的です。つまり、イエス様が来られたのは、羊たちがいのちを得て、それを豊かに持つためです。ですから、私たちがこの門から入るなら、私たちはキリストの救いの中に入れていただくことができるだけでなく、真の意味で生き生きとした人生を送ることができるのです。すでにいのちを持っている人には、さらに豊かにいのちを与えていただけるのです。これは、キリスト抜きでは絶対に考えられないことです。

 

イエス様は私たちの人生に最高の生き方を与えてくださいます。それが、聖書が教えている救いであり、豊かないのちを持つことです。そのためには、キリストという門から入らなければなりません。門はいくつかあるかもしれません。また道もたくさんあるように見えるでしょう。しかし天国への門は一つしかありません。それは私たちのために天から下って来られ、いのちを捨ててくださったイエス・キリストだけです。この門を間違えてはなりません。

 

キリストという門を通ることなしに、本当のいのちはありません。キリストこそ、私たちが通らなければならない門です。あなたはこの門を通りましたか。まだ外側からただ眺めているだけということはないでしょうか。あるいは、キリスト以外のものに心が向いているということはないでしょうか。「豊かないのち」とは、単に物質的な豊かさを指しているのではなく、霊的な喜びも含めた全人的な祝福のことです。その祝福を実感しているでしょうか。もしそうでないとしたら、もしかしたら、この世のほかのものに魅力を感じているということがあるのかもしれません。キリストが門です。キリスト以外の門を通って出入りしてはいないかを点検し、キリストのことばがいつも私たちの心を支配するようにしましょう。そして、イエス様がくださる豊かないのちを体験させていただきたいと思います。

出エジプト記13章

きょうは、出エジプト記13章から学びます。

 

Ⅰ.わたしのために聖別せよ(1-10)

 

まず1節から10節までを見ていきましょう。イスラエルをエジプトの地から導き出された時、主は

モーセにこのように告げられました。2節、「イスラエルの子らの間で最初に胎を開く長子はみな、

人であれ家畜であれ、わたしのために聖別せよ。それは、わたしのものである。」(2)つまり、初子と

いう初子は、人であれ家畜であれ、主に聖別するようにということです。聖別するとは、主のため

にささげるという意味です。それは世俗的な目的のためではなく、ただ神のためだけに用いられま

す。なぜなら、それは神のものだからです。出エジプトの夜、神がイスラエルの初子を死から救い

出されました。彼らは、鴨居と二本の門柱に塗られた子羊の血によって贖い出されたのです。です

から、それは神のものであって、神のために聖別されなければならないのです。

 

それは、私たちも同じです。パウロは、コリント第一6:19-20で、こう言っています。「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。」私たちは、小羊の血によって買い取られました。それゆえに、私たちは神のものであり、神のために自分をささげなければならないのです。

 

3節から10節までをご覧ください。「モーセは民に言った。「奴隷の家、エジプトから出て来た、この日を覚えていなさい。力強い御手で、主があなたがたをそこから導き出されたからである。種入りのパンを食べてはならない。アビブの月のこの日、あなたがたは出発する。主は、カナン人、ヒッタイト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の地、主があなたに与えると父祖たちに誓った地、乳と蜜の流れる地にあなたを連れて行かれる。そのときあなたは、この月に、この儀式を執り行いなさい。

13:6 七日間、あなたは種なしパンを食べる。七日目は主への祭りである。七日間、種なしパンを食べなさい。あなたのところに、種入りのパンがあってはならない。あなたの土地のどこにおいても、あなたのところにパン種があってはならない。その日、あなたは自分の息子に告げなさい。『このことは、私がエジプトから出て来たときに、主が私にしてくださったことによるのだ。』これをあなたの手の上のしるしとし、あなたの額の上の記念として、主のおしえがあなたの口にあるようにしなさい。力強い御手で、主があなたをエジプトから導き出されたからである。あなたは、この掟を毎年その定められた時に守らなければならない。」

 

モーセは、イスラエルが約束の地に入った後で守らなければならないことを命じています。それは、過越しの祭りと種なしパンの祭りです。「この日」とは、イスラエルがエジプトを出た日のことです。この日、主が力強い御手で、彼らをエジプトから導き出されました。このことを覚えるために、過越しの祭りと種なしパンの祭りを行わなければならないのです。七日間種なしパンを食べなければなりません。この祭りの期間中は、パン種があってはなりませんでした。そして、この祭りの意味を、子供たちに教えなければなりませんでした。さらに、これを手の上のしるし、額の上のしるしとしなければなりません。それは、主の教えが彼らの口にあるためであり、主が力強い御手で、彼らをエジプトから導き出されたからです。ユダヤ人はこれを文字通り解釈し、皮ひもに小箱がついたものを腕と頭に巻きつけました。腕につけるものは「テフィリーン・シェル・ヤード」と言い、箱の中には羊皮紙の巻物が一つ入っていました。もう一つのものは「テフィリーン・シェル・ローシュ」は額につけました。その箱の中は四つに仕切られ、仕切られたそれぞれの中には四つの聖書のことばが記された羊皮紙が入っていました。ちなみに、その箇所は出エジプト記13:1-10,11-16,申命記6:4-9,11:13-21です。ユダヤ人たちは、週日の朝の祈祷の時にこれをつけて祈りました。安息日や祭礼にはつけませんでした。それは安息日や祭礼そのものが、彼らにとって神とイスラエルの契約の「しるし」だったからです。

しかし、このようなことは現代の教会で行っている洗足式と同様に形骸化しやすいものです。事実、イエス様の時代、彼らはそれを人々に見せびらかすために行っていたので、イエス様はそれを見て、「経札の幅を広くしたりする」と指摘されました(マタイ23:5)。大切なことはその精神であって、このような形式にとらわれる必要はありません。最初は良いものでも、いつしか見せかけのものになってしまうことがあります。私たちは、神がこの私のために何をしてくださったのか、こんなにも大きな救いを与えてくださったことを絶えず心に留めることが大切なのです。

 

Ⅱ.初子の聖別(11-16)

 

次に11節から13節までをご覧ください。 「主が、あなたとあなたの父祖たちに誓われたとおりに、あなたをカナン人の地に導き、そこをあ

なたに与えられるとき、最初に胎を開くものはみな、主のものとして献げなければならない。家畜から生まれ、あなたのものとなるすべての初子のうち、雄は主のものである。ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、首を折らなければならない。また、あなたの子どもたちのうち、男子の初子はみな、贖わなければならない。」

 

イスラエル人が約束の地、カナン人の地に導かれた時、最初に胎を開くものはみな、それが人

であれ、あるいは家畜であれ、主のものとして献げなければなりません。なぜなら、それは主のも

のだからです。主のものとしてささげるというのは、それをほふるということです。家畜の場合はそ

れができますが、ある特定の動物や人の場合はそれができません。そのような時はどうすれば良

いのでしょうか。

ここにはそのことが教えられています。13節を見ると、まずろばの初子はみな、羊で贖わければ

なりませんでした。なぜなら、ろばは汚れた動物とされていたからです。汚れた動物の初子はほふ

ることができません。それは羊で贖われなければなければならなかったのです。もし贖わない場合

は、その首を折らなければなりませんでした。ここにはろばのことしか書かれていませんが、それ

はろばが汚れた動物の代表として書かれているからです。おそらく、頭数が最も多かったのでしょ

う。その他に、馬、らくだなどもいました。

人の場合は、男子の初子はみな、贖われなければなりませんでした。贖いの代価は、民数記

18:6によると、5シェケルでした。1シェケルは3日分の賃金に相当すると言われていますから、5

シェケルは15日分の賃金に相当することになります。仮に1日5千円だとすると、現代の値で7

万5千円くらいになるかと思います。それを代価としてささげなければならなかったのです。

 

いったいなぜこのようなことをしなければならないのでしょうか。その目的が14節から16節まで

にあります。すなわち、「後になって、あなたの息子があなたに『これは、どういうことですか』と尋

ねるときは、こう言いなさい。『主が力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから導き出

された。ファラオが頑なになって、私たちを解放しなかったとき、主はエジプトの地の長子をみな、

人の長子から家畜の初子に至るまで殺された。それゆえ私は、最初に胎を開く雄をみな、いけに

えとして主に献げ、私の子どもたちの長子をみな贖うのだ。』このことは手の上のしるしとなり、あ

なたの額の上の記章となる。それは主が力強い御手によって、私たちをエジプトから導き出された

からである。」

つまり、子孫に出エジプトの出来事を伝えるためでした。その内容は、出エジプトの際に、主は

エジプトの初子という初子を人から家畜に至るまで打たれたということ、それゆえに、イスラエル人はみな初子を贖うのだということです。このことは、手の上のしるし、額の上の記章となります。

 

このことからわかることは、新約の時代に生きる私たちクリスチャンも、主の圧倒的な力によっ

て罪の中から贖い出された者であるということ、そして、そのために神の子羊であられるイエス・キリストの血が流されたということです。それゆえに、私たちは主のものであり、自分のからだをもって主の栄光を現さなければなりません(Ⅰコリント6:20)。自分のからだはすでに買い取られたと認めるなら、私たちの生き方はどのように変わるでしょうか。それを、次の世代にも伝えていかなければなりません。

 

Ⅲ.荒野の道に(17-22)

 

最後に17節から22節までをご覧ください。17節と18節には、「さて、ファラオがこの民を去らせたとき、神は彼らを、近道であっても、ペリシテ人の地への道には導かれなかった。神はこう考えられた。「民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけない。」それで神はこの民を、葦の海に向かう荒野の道に回らせた。イスラエルの子らは隊列を組んでエジプトの地から上った。」とあります。

 

こうして、主は彼らをファラオのちころから去らせ、約束の地へと導かれるとき、彼らを近道であっても、ペリシテ人の地には導かれませんでした。なぜでしょうか?なぜなら、民が戦いを見て心変わりし、エジプトに引き返すといけないと考えられたからです。カナンの地に至る最短のコースは、ペリシテ人の地を北上することでした。そこを通れば、10日もあればカナンの地に到着することができます。しかし、その途中にはペリシテ人の都市国家が点在していました。エジプトから出たばかりのイスラエルにとって強大なペリシテ人に立ち向かうことは「死」を意味していました。それで主はどうされたかというと、最短コースではなく、より安全な道に導かれたのです。それは葦の海に向かう荒野の道を回るルートでした。それはただ単に強大なペリシテ人との戦いを避けるためだけではなく、その荒野の中で主が先頭に立って戦ってくださること、主が彼らを導いてくださるということを、彼らが学ぶためでもありました。

 

19節から22節を見てください。

「モーセはヨセフの遺骸を携えていた。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせていたからである。彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営した。主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。」

 

モーセは、ヨセフの遺骸を携えていました。これは、創世記50:24~25にあるヨセフとの約束を実行するためでした。ヨセフはエジプトで死にましたが、ミイラになった自分の遺骸がエジプトに残っているのをよしとしませんでした。彼は、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。」と確信したのです。それが今、現実のものとなりました。

 

彼らはスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営しました。昼は、雲の柱が、夜は、火の柱が、彼らの荒野の生活を導きました。これは、主の臨在、つまり、主が彼らとともにおられることを示しています。雲の柱は、彼らが進むべき道の案内役となり、砂漠の中で彼らを灼熱の太陽から守りました。また、夜は民を照らす火の柱となりました。ですから、昼も夜も主が彼らとともにおられたので、彼らが荒野の中にいても迷うことなく、進んでいくことができたのです。

 

クリスチャンの生活は、この荒野の生活から始まります。罪の世界から救い出され、自分のすべてを神にささげる決断をしたわけですが、神が約束されたものを手に入れるまで、荒野の中を進んでいかなければなりません。けれども、主が昼は雲の柱で、また夜は火の柱によってイスラエルを導かれたように、私たちを聖霊によって導いてくださり、また主ご自身のみことばによって導いてくだるので、私たちは何も恐れる必要がありません。22節には、「昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。」とあります。主は、いつも私たちの前から離れることはないのです。イエス様は、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と約束してくださいました。私たちの人生にも、荒野を通る時があります。しかし、そこにも主がともにおられ、私たちを守り、導いてくださると信じて、主により頼みながら、この信仰の旅路を進んでいく者でありたいと思うのです。

ヨハネの福音書9章35~41節「見える人と見えない人」

きょうは9章の最後の箇所から、「見える人と見えない人」というタイトルでお話したいと思います。自分は見えると思っている人は見えない。見えない人と思っていた人が見えるようになるということです。皆さんの目は見えているでしょうか。

 

Ⅰ.探し出してくださる主イエス(35)

 

まず35節をご覧ください

「イエスは、ユダヤ人たちが彼を外に追い出したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」

 

生まれつき目の見えなかった人が、イエス様によって癒され、見えるようになった話が続いています。目が見えるようになった人は、「あの方が私の目を開けてくださったのです。あの方こそ、神が遣わされた方です」と言うと、ユダヤ人たちは彼を、会堂の外に追い出してしまいました。会堂から追い出されたとは、ユダヤ教から破門されたということです。それはユダヤ教の共同体からも追放されたことを意味していました。この世の中、本当に冷たいものだなぁと感じることがあります。人と人の心が通いません。みんなてんでばらばらです。ユダヤ人たちは威圧的であり、彼の言っていることが自分たちの意に添わないと、彼を社会から追放してしまいました。親も親で、そんなユダヤ人たちの顔色を伺っては逃げ腰になり、20,21節にあるように、「これが私たちの息子で、盲目で生まれたことは知っています。しかし、どうして今見えるようになったのかは知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」と言いました。知らない訳がないでしょう。自分の子供ですよ。生まれながら目が見えなかった息子のことで、これまで両親はどれほど悩み苦しんで来たことでしょう。その息子の目が見えるようになったのであれば、普通だったら手放しで喜ぶはずです。それなのに彼らは、「私は知りません。あれに聞いてください」と他人事のように言いました。本当にこの世の中薄情というか、冷たいですね。最終的にみんな自分がかわいいのです。自分に不利なことは言いたくありません。そんな中でも彼は、人が何と言っても最後まで真実を貫いた結果、そこから追い出されてしまったのです。彼はまさに孤立無援状態となり、窮地に陥りました。

 

しかし、そのような時です。彼がユダヤ人たちから追い出されたと聞くと、イエス様は、彼を見つけ出してこう言われました。「あなたは人の子を信じますか」。

 

 

どちらの方から近寄られたのでしょうか。イエス様の方からです。イエス様の方から彼に近づいてくださいました。イエス様は、「わたしは良い牧者です」(10:11)と言われましたが、まさに良い牧者のように、失われた小羊を探してくださる方なのです。私たちは助けを求めて神を呼び求めることがありますが、実に神は、ご自分の方から苦しんでいる私たちに近づいてくださるのです。

 

Ⅱ.主よ、信じます(36-38)

 

そんなイエス様のことばに彼はどのように応答したでしょうか。36~38節をご覧ください。36節には、「その人は答えた。「主よ、私が信じることができるように教えてください。その人はどなたですか。」」とあります。

「人の子」とはメシヤ、救い主のことです。人々が待ち望んできたメシヤ、救い主のことです。ですからそれは、「あなたはわたしを信じますか」と言うことと同じですが、イエス様は「わたし」と言わないで「人の子」と言われたので、彼は「その人はどなたですか」と答えたのです。

 

この問答を見ていると、まだるっこい感じがしないわけでもありません。というのは、イエス様がそこにいるのに、「その人はどなたですか」とか、「その人を信じることができるように教えてください」と言っているからです。でも、彼は今まで目が見えませんでした。声は聞いていたかもしれません。でも実際に見てはいませんでした。だから今、目の前にいる人がだれなのか分かりませんでした。自分の目を開いた人はイエスだということは知っていましたが、そのイエスがだれなのかは分からなかったのです。それで彼は「その人はどなたですか」と聞いたのです。

 

するとイエス様は彼に言われました。「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です。」(37)まさに「おったまげ」です。あなたの目の前にいて、あなたと話しているこのわたしが、その人だと言うのですから。

 

すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝しました。これはどういうことかというと、彼の心の目が開かれたということです。ユダヤ人が人間を礼拝することなど考えられないことです。しかし、彼は心の目が開かれたので、イエス様がどのような方なのかがはっきりわかりました。「あなたはその方を見ています。あなたと話しているのが、その人です。」と聞いた時、それをそのまま受け入れることができたのです。これが信仰です。皆さんは信じるということを複雑に考えてはいないでしょうか。信じるというのは実に単純明快です。イエス様を信じるということは、イエス様が言われたことをそのまま受け入れることです。イエス様が、「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です」と言われたその言葉をそのまま受けること、これが信仰です。その時、あなたの目も開かれ、心からイエス様を礼拝することができるようになるのです。

 

ところで、彼の心の目が開かれるようになるまでのプロセスを見ると、それなりに時間がかかったことがわかります。すぐに信じることができたわけではありません。最初は、イエス様の一行が道を歩いていた時に、声をかけられました。そして、唾で作られた泥を塗られたかと思ったら、「行って、シロアムの池で洗いなさい。」と言われたのでそのとおりにすると、見えるようになりました。すると彼は、そのことについて、ユダヤ人の指導者やパリサイ人たちからそのことについて問いただされます。彼の両親までも引っ張り出されて、その議論に巻き込まれました。彼の両親は我が身に害が及ぶことを恐れてその問題から身をひいてしまいましたが、この男性はイエスというお方が自分を癒してくれたという事実を曲げませんでした。そして、そのような自らの思いを、勇気を持って告白したのです。25節です。

「あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」

17節では、パリサイ人たちの質問に対し、「あの方は預言者です」と答えましたが、次第に「神から出ておられる」方だと言うようになり(33)、そしてついて「主よ、信じます」と信仰の告白に至り、主を礼拝するようになりました。

 

それは私たちも同じです。私たちもまたイエス様を信じ、イエス様を礼拝するようになるまでにはそれなりに時間がかかったり、多くのプロセスを通ったりします。しかし、どんなに時間がかかっても、どんなプロセスを通ろうとも、この目が開かれた人のように「主よ、信じます」と告白し、イエス様を礼拝する者になりたいと思うのです。どうしたらそのようになることができるのでしょうか。

 

この人の場合、会堂から追い出されたことが大きかったと思います。そして、そんな孤立無援となった彼に主が近づかれ、親しく語りかけてくださったことで、主の愛と慰めに触れることができました。それは私たちも同じです。この世にどっぷりと浸かっているうちは、救いの必要性を感じません。ピンとこないのです。家庭における暖かさ、職場での自分の能力が思う存分発揮できているような時、また学校でも成績がよく、みんなからチヤホヤされているような時、それ自体はとてもうれしく感謝なことですが、その中にどっぷりと浸かっていたりすると、なかなかそこから出て来ようという思いが出て来ないのです。そうした環境が悪いというではありません。なかなか気づきにくいということです。そうした人間関係の暖かさや生きていく上での快適さが、本当のものを求めるのを邪魔することがあるのです。しかし、何かのはずみでそうしたところからはみ出てしまったとか、苦難をなめる経験をする時、初めて本当の慰めと救いを求めるようになるのです。

 

先日、ケンさんご夫妻がバプテスマを受けられました。ケンさんは子供さんの健康のことから那須に移住することを決め、数年前に東京から引っ越して来られました。東京に住んでいた時はIT関係の仕事に携わり、仕事はいくらでもあり、それなりに稼ぐことができましたが、那須に来てからは環境が全く変わりました。IT関係の仕事は少なく、給料は激減しました。そうした状況に置かれたとき、初めて自分が高慢であったことに気付かされました。それまでは別に高慢だとは思っていませんでした。しかし、こうした状況に置かれて初めて気が付いたのです。快適な状況に浸かっていた時には全く気付きませんでした。それで教会に来るようになり、そこで聖書のみことばに触れました。すると、初めて自分が高慢だったことに気付かされたのです。これと同じです。ですから、この人もそうですが、そこから追い出されるという経験は辛く、悲しいことですが、そのようになって初めて気付かされるという世界があるのです。そして、それが契機となってイエス様に引き寄せられていくということを思うとき、それはある面で幸いなことでもあるのです。

 

まさにイエス様が山上の垂訓、山上の説教で言われとおりです。

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。

柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。

あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからで

す。

わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を

浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですか

ら。」(マタイ5:3-12)

 

あなたは、どうですか。心が貧しくされる経験をしておられるでしょうか。悲しんでおられますか。偽のために迫害されることがありますか。もしそのような中にあるなら幸いです。なぜなら、天の御国はその人のものだからです。その人は慰められます。そして、天において大きな報いを受けるようになるのです。イエス様はあなたがどのような中に置かれているのかをすべて知っておられます。そして、そんなあなたに近づいて、その心を真に慰めることがおできになるのです。人々があなたを見捨てるような時こそ、あなたが孤立無援の状態に置かれるときこそ、主が、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ41:10)と言ってくださる時でもあります。ですから、私たちが弱いと感じるとき、苦しみの中にもがきあえぐような中に置かれているとき、感謝しようではありませんか。なぜなら、私たちが弱い時にこそ、私たちは強いからです。

 

Ⅲ.見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となる(39-41)

 

ですから、第三のことは、見える者が見えなくなり、見えない者が見えるようになるということです。39節から41節までをご覧ください。

「そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」パリサイ人の中でイエスとともにいた者たちが、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、今、『私たちは見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」」

 

目が見えるようになった人が信仰を告白し、主を礼拝すると、イエス様はこう言われました。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」どういうことでしょうか?

ここでイエス様は、「わたしはさばきのためにこの世に来ました。」と言っています。でも、3:17では「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と言われました。一方には世を救うために来られとあり、もう一方にはさばくために来られたとあるのは矛盾しているのではないでしょうか。そうではありません。確かに、イエス様がこの世に来られたのは世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためです。しかし、イエス様がこの世に来られた結果として、人々の間にふるいにかけられるようになるのです。それをここでは「世をさばく」と言っているのです。それが「目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となる」ということです。

 

これはもちろん心の目、霊的目のことです。霊的に盲目であった人が開かれ、霊的な事柄がよく見えるようになるということであり、また、この世で何でも見えていると思っている人が、実は霊的事柄については何も見えないということがあるのです。まさに逆説的な真理です。痛烈な皮肉でもあります。というのは、40節にはパリサイ人の中のある人たちが、「私たちも盲目なのですか」と言うと、イエス様はこのように言われたからです。

「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、今、『私たちは見える』と言っているのですから、あなたがたの罪は残ります。」

もしあなた方が盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったが、今「私たちは見える」と言っています。だから、あなたがたの罪は残るのです。つまり、彼らが自分たちは盲目であると自覚していたら、まだ罪は軽かったというのです。しかし、自分たちは見えると思っているのですから、罪が残るのです。なぜなら、そう思っている限り、悔い改めることがないからです。ほらっ、自分は見えるのですから、自分には罪などないと言っているのですから・・。

 

それは私たちにも言えることです。自分の罪深い姿というものを本当に分かっている人は、その罪からの救い主であられるイエス・キリスト以外に頼るべきお方はないということがよくわかりますが、自分はよく見えると思っている人は、自分の罪深さが分からないので、この世の中で自分が少しでも認められたり、立身出世をしたりすると、自分は偉い人間だと思い上がり、イエス・キリストを求めようとするよりも、自分で何でもできると思い込んでしまうのです。それが、イエス様があの山上の説教の中で語っておられたことだったのです。ここに逆説的な真理があります。自分が見えると思う人は見えないのであり、自分は見えないと思っている人は見えるようになるのです。

 

では、どうしたらいいのでしょうか。私たちが見えるようになるためにはどうしたらいいのでしょうか。黙示録3:17~20を開いてください。

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

 

これは、ラオデキヤの教会に宛てて書き送られた手紙です。彼らは、自分たちは富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと思っていました。つまり、自分たちは見えると思っていたのです。その結果、彼らは冷たくもなく、熱くもありませんでした。生ぬるい信仰でした。それで主は、むしろ冷たいか熱いかであってほしい、と忠告したのです。そのためにどうしたらいいのか。自分の本当の姿が見えるように、つまり、自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であるということを知るために、目に目薬を塗らなければなりません。そうすれば、自分の姿がはっきり見えて、悔い改めるようになります。私もよく目がかすみます。それで目薬をさすのですが、そうするとよく見えるようになります。あなたがよく見えているかどうかは、イエス様の招きにどのように応答するかでわかります。有名な主のみことばです。

「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

主はあなたの心のドアを叩いておられます。あなたはこの主の招きにどう応答されますか。あなたが悔い改めてイエス様をあなたの心に迎え入れるなら、あなたはイエス様と食事をともにするようになります。主との麗しい交わりの中に、真の喜びの中に入れていただくことができるのです。

 

アメイジンググレースは、最も知られた讃美歌の一つです。1年間に1千万回演奏されると言われています。この讃美歌の歌詞は1779年、イギリス人のジョン・ニュートンによって書かれました。その歌詞を直訳すると、次のようになります。

「驚くべき恵み 何と愛らしい響きよ こんな悲惨な者が救われ

かつて迷い出ていたが、今は見出され かつて盲目であったが、今は見える

恵みにより畏れることを教えられ、恵みにより恐れから解放され

なんとすばらしいことだろう 私が最初に信じた時に 表されたその恵みは」

 

彼は船乗りで、言葉の汚いことで有名でした。特にその口汚さは船乗りたちの中でも並外れていたそうです。彼のニックネームは「偉大な冒涜者」というものでした。

ある時、彼は海で暴風に巻き込まれた際、神に憐みを祈り求めました。こうしてこの歌を生み出すほどに生き方を大きく転向させました。

人生の終盤に彼は友人たちにこう話しています。「私の記憶力はほとんど死んでしまったが、二つのことは覚えている。私が大罪人あるということと、イエス様はそんな大罪人をも救う大いなる救い主であるということだ。」

 

この歌は私たちが迷い出ている者であり、盲目であるということ、そしてその状況を恐るべきであるのに、それに気付いていないことを思い起こさせてくれます。しかし神様の恵みは私たちを見つけ、心の目を見えるようにし、神様を畏れさせ、最後には全てのことを正しくさせます。だから何も恐れる必要がないのです。

 

恵みは本来私たちが受ける資格のないほどの、良いものです。しかしながら神様は私たちをその良いもので溢れさせてくださいます。それは宝の山のようなもので、義と認めてくださるというものです。それゆえ、私たちもジョン・ニュートンのように告白しようではありません。「私の記憶力はほとんど死んでしまったが、二つのことは覚えている。私が大罪人あるということと、イエス様はそんな大罪人をも救う大いなる救い主であるということだ。」そのとき、あなたの目も見えるようになり、あなたは、この大いなる恵みの中で生きるようになるのです。

Ⅰサムエル記2章

サムエル記第一2章から学びます。

 

Ⅰ.ハンナの賛美(1-11)

 

まず、1~11節までをご覧ください。

「ハンナは祈った。「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。

主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。

おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。

勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。

満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。

主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。

主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。

主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。

主は敬虔な者たちの足を守られます。しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。

主は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果ての果てまでさばかれます。主が、ご自分の王に力を与え、主に油注がれた者の角を高く上げてくださいますように。」

エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。

 

これはハンナの祈り、あるいは賛歌です。サムエルが乳離れしたとき、ハンナは子牛3頭、小麦粉1エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携えてサムエルを伴い、シロにある主の家に上りました。サムエルを主にささげるためです。その時ハンナは主を賛美して祈りました。彼女は、まず、主にあって大いに喜びました。「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。」と言いました。「角」とは、力の象徴です。ハンナは、主によって力が与えられていることを誇っているのです。「私の口は敵に向かって大きく開きます」とは、敵に対しの勝利の宣言です。なぜ彼女はそんなにも主の力を喜び、主の勝利をほめたたえたのでしょうか。それは彼女が主の救いを喜んでいたからです。この場合の救いとは、直接的には不妊から解放されたことを指しています。彼女は、不妊のゆえにずっと苦しんできました。それが今、主によって解放されたのです。つまり、ハンナは主によって力が与えられ、主によって問題から解放されたことを喜んでいるのです。ただ息子が与えられたことを誇っているのではなく、それを可能にしてくださった主ご自身を喜び、ほめたたえているのです。時として私たちは祈りが叶えられると、そのことを喜んでもそれを可能にしてくださった主を忘れてしまうことがあります。大切なのは、与えられた恵み以上に、それを与えてくださった方を喜び、ほめたたえることです。

 

次にハンナは、主がどれほど偉大な方なのかを述べています。2節、「主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。」(2)

それは、主のように聖なる方はいないということ、また、主に比べ得る神など他にはいないということ、そして、神のような「岩」はいないということです。この「岩」とは、力強い方という意味です。詩篇18:2-3には、「主はわが巌 わが砦 わが救い主 身を避けるわが岩 わが神。わが盾 わが救いの角 わがやぐら。ほめたたえられる方。この主を呼び求めると 私は敵から救われる。」とあります。 この主を呼び求めると、私は敵から救われます。なぜなら、主は、わが岩、わが砦、わが救い主、身を避けるわが岩であられるお方だからです。圧倒的な力と栄光に満ちたお方だからです。あなたはどこに身を避けていますか。私たちが身を避けるべきお方は、この岩なる神なのです。

 

3節は、警告です。人はこの主の前で高ぶったり、横柄なことばを口にしてはなりません。なぜなら、主はすべてを知っておられる神だからです。「そのみわざは測りしれません」の意味が不明です。「その」という言葉は原文にはないからです。おそらくここでは、表面的にだまされることのない全地の神による「測り」つまり、神の審判が語られていると思われます。

口語訳ではここを、「あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、高ぶりの言葉を口にすることをやめよ。主はすべてを知る神であって、もろもろのおこないは主によって量られる。」と訳しています。

最も原文に近い意味としては、新共同訳の訳ではないかと思われます。新共同訳では、「驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神、人の行いが正されずに済むであろうか。」と訳しています。つまり、主は正しくさばかれる方であるということです。だからおごり高ぶったり、横柄なことばを口にしてはならないのです。

 

4節と5節では、主がもたらす人生の逆転劇について語っています。勇士が弓を砕かれとは、弱い者とされることを意味しています。逆に、弱い者が力を帯びるようになります。パンに満ち足りていた者が雇われるようになり、逆に飢えていた者が満ち足りるようになるのです。不妊の女が七人の子を産むようになり、逆に、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。これはハンナとペニンナのことを指しているのでしょう。ハンナにはサムエルを含めて6人の子どもが与えられましたが、ここに「七人の子」とあります。それはそれが完全数であり、多くの子を意味する言葉として用いられているからです。また、子だくさんであったペニンナは、ハンナに子が与えられることによって打ち砕かれてしまいました。

 

6節には、生と死の逆転が見られます。また、7節と8節では、貧富の逆転について語られています。ここに出てくる「ちり」「あくた」は、貧しい乞食がたむろする場所でした。主はそのような者に、栄光の座を継がせます。

「まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。」とは、この世界が主によって保たれていることを表しています。これがこの世の常識と、歴史の通念を破るどんでん返しが起こされる根拠です。

 

9節と10節をご覧ください。聖徒たちに対する神の守りと、悪者に対する神のさばきが預言されています。主は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果て果てまでさばき、ご自分の王に力を授け、主に油そそがれた者の角を高く上げられます。これはやがてキリストが再臨され、諸国の軍隊を打ち砕き、国々をさばかれるという預言です。「主に油注がれた者」とありますが、これが「メシヤ」ということばです。聖書の中でここに初めて出てきます。ハンナは、霊的暗黒の中にあるイスラエルを救い出すために立てられるサムエルのことを意識して語ったのでしょうが、それは究極的に世を救われる方の預言も語っていたのです。

 

Ⅱ.祭司エリの息子たち(12-21)

 

次に12節から17節までをご覧ください。

「 さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知らなかった。民に関わる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえを献げていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子弟が三又の肉刺しを手にしてやって来て、これを大鍋や、釜、大釜、鍋に突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。このようなことが、シロで、そこに来るイスラエルのすべての人に対してなされていた。そのうえ、脂肪が焼かれる前に祭司の子弟がやって来て、いけにえを献げる人に「祭司に焼くための肉を渡しなさい。祭司は煮た肉をあなたから受け取らない。生の肉だけだ」と言うので、人が「まず脂肪をすっかり焼いて、好きなだけお取りください」と言うと、祭司の子弟は、「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力ずくで取る」と言った。」

 

祭司エリの息子たちはよこしまな者たちで、主を知りませんでした。 主を知らないとは、救われていないということで、主と個人的な交わりがなかったことを意味しています。そういう人が祭司の務めをしていました。これは悲劇です。それはちょうど新生していない人が、牧師や伝道者になるようなもので、大変不幸なことです。彼らの特徴は「よこしまな者」であったということです。よこしまな者とは、主の律法に従って祭司の務めをしていたのではなく、自分の思いや考えによって勝手にそれを行っていたということです。

 

13節から16節までのところに、彼らがいかによこしまであったかが描かれています。まず彼らは、和解のいけにえの中から、祭司の取り分けられていた胸肉ともも肉だけで満足せず、だれかがいけにえをささげていると、まだ肉を煮ている間なのに、子弟に三又の肉刺しを手に持たせて遣わし、肉を奪っていたのです。そればかりではありません。脂肪は焼いて煙にすることが律法の求めていたことでしたが、その前に子弟を遣わして、生の肉さえもを要求したのです。煮た肉よりも生の肉を焼いて食べた方が美味しいからです。

 

こうして彼らは、主へのささげ物を侮りました。和解のいけにえは、本来、罪人が神との関係を回復するための恵みの手段として、神から与えられたものです。その手段を侮るなら、もうそこには罪が赦される道は残されていないことになります。これは、罪人を悔い改めに導く聖霊の働きを拒み、聖霊を冒涜する罪と同じです。それは、イエス様がマルコ3:28-29で言われたことと同じです。

「まことに、あなたがたに言います。人の子らは、どんな罪も赦していただけます。また、どれほど神を冒?することを言っても、赦していただけます。しかし聖霊を冒?する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」

彼らの問題は、主を知らなかったということ、つまり、霊的に生まれ変わっていなかったことです。私たちは今、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いを信じることによって新しく生まれ変わった者であることを感謝しましょう。そして、さらに深く主を知ることができるように、主を知ることを切に追い求める者になりましょう。バプテスマ(洗礼)を受けてクリスチャンになったということは感謝なことですが、そこに留まっているだけでなく、そこから一歩進みさらに主を知る者となるために、日々みことばを読み、祈り、主との交わりを持たせていただきましょう。私たちはどちらかというと、何かすることに関心が向きがちですが、主が求めておられることは、私たちが何かすることよりも、主ご自身を知ることであるということを覚えましょう。良いわざは、そこから生まれてくるからです。

 

一方、主にささげられたサムエルはどうだったでしょうか。18節から21節までをご覧ください。

「さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主の前に仕えていた。彼の母は彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに年ごとのいけにえを献げに上って行くとき、それを持って行った。エリは、エルカナとその妻を祝福して、「主にゆだねられた子の代わりとして、主が、この妻によって、あなたに子孫を与えてくださいますように」と言い、彼らは自分の住まいに帰るのであった。主はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは主のみもとで成長した。」

 

祭司エリの息子たちとは対照的に、サムエルは、忠実に主に仕えていました。彼はまだ少年でしたが、自分にできる範囲で主の前に仕えていたのです。「亜麻布のエポデ」は、祭司が身にまとう衣服です。彼は、自分が主に仕えるしもべとしての自覚をしっかり持っていたのです。

彼の母ハンナは、夫とともに、毎年、年ごとのいけにえを献げるために宮に上って行きましたが、その度に息子サムエルのために小さな上着を作り持っていきました。サムエルも育ち盛りだったのでしょう。年ごとに大きく成長していったので、サイズも大きくなっていったのです。

 

主は、そんな忠実なエルカナとその妻ハンナを祝福し、「主にゆだねられた子の代わりとして、主が、この妻によって、あなたに子孫を与えてくださいますように」と祈りました。すると主はその祈りに答えてくださりハンナを顧みて、彼女に3人の息子と2人の娘を与えてくださいました。サムエル以外に、5人の子どもが与えられたということです。サムエルを主の働きのためにささげたハンナは、主からその5倍もの祝福を受けたことになります。主にささげられたサムエルは、主のみもとですくすくと成長していきました。

 

Ⅲ.警告とさばき(22-36)

 

最後に22節から36節まで見て終わりたいと思います。まず26節までをご覧ください。

「さて、エリはたいへん年をとっていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。それでエリは彼らに言った。「なぜ、おまえたちはそんなことをするのか。私はこの民の皆から、おまえたちのした悪いことについて聞いているのだ。息子たちよ、そういうことをしてはいけない。私は主の民が言いふらしているうわさを聞くが、それは良いものではない。人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、主に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころだったからである。一方、少年サムエルは、主にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。」

 

再び、エリの息子たちの悪い行いと、それに対するエリの叱責が記されます。エリはたいへん年をとっていましたが、息子たちがイスラエル全体で行っていることの一部始終を、そして彼らが会見の天幕の入口で仕えている女たちと寝ていることを聞きました。彼らは和解のいけにえに関して大きな罪を犯していましたが、そればかりか、不品行の罪も犯していたのです。

 

それに対して父親であるエリは叱責の言葉を語ります。「なぜ、おまえたちはそんなことをするのか。私はこの民の皆から、おまえたちのした悪いことについて聞いているのだ。息子たちよ、そういうことをしてはいけない。私は主の民が言いふらしているうわさを聞くが、それは良いものではない。人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、主に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」

その言葉には力がなく、息子たちを悔い改めに導くことはできませんでした。人が人に対して罪を犯すなら神がその仲裁をしてくださいますが、主に対して罪を犯すなら、だれもその人のために仲裁に立つことができません。しかし、彼らは父親の言葉に耳を傾けようとはしませんでした。彼らを殺すことが主のみこころだったからです。

子供を育てるということは本当に難しいですね。親の考えがなかなか伝わりません。でもそのような中でも幼い時からしっかり育てていくなら、大きくなった時でもしっかりと立つことができます。大きくなってからでは遅いのです。幼い時ほど厳格に、そして成長とともにより緩やかにしていき、やがて自分で判断できるようにその範囲を広げていくことが望ましいのです。これは真実です。成人してから欠点を矯正しようとしても、それは困難なのです。鉄は熱いうちに打たなければなりません。エリの息子たちはもう手遅れだったのです。

 

一方、少年サムエルは、主にも人にも愛され、ますます成長していきました。この表現は、イエス様が成長していったに使われたものと同じです。ルカ2:52には、「イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。」とあります。これは霊的幼子である私たちにも言えることです。私たちもエリの子供たちのように頑なにならないで、サムエルのように、神と人に愛される人になるために、主にあって成長していきたいものです。

 

27節から36節までをご覧ください。

「神の人がエリのところに来て、彼に言った。「主はこう言われる。あなたの父の家がエジプトでファラオの家に属していたとき、わたしは彼らに自分を明らかに現したではないか。わたしは、イスラエルの全部族からその家を選んでわたしの祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたき、わたしの前でエポデを着るようにした。こうして、イスラエルの子らの食物のささげ物をすべて、あなたの父の家に与えた。なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。それゆえ──イスラエルの神、主のことば──あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や──主のことば──それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはあなたの腕と、あなたの父の家の腕を切り落とす。あなたの家には年長者がいなくなる。イスラエルが幸せにされるどんなときにも、あなたはわたしの住まいの衰退を見るようになる。あなたの家には、いつまでも、年長者がいない。わたしは、あなたのために、わたしの祭壇から一人の人を断ち切らないでおく。そのことはあなたの目を衰えさせ、あなたのたましいをやつれさせる。あなたの家に生まれてくる者はみな、人の手によって死ぬ。あなたの二人の息子、ホフニとピネハスの身に降りかかることが、あなたへのしるしである。二人とも同じ日に死ぬ。わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよう。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。あなたの家の生き残った者はみな、銀貨一枚とパン一つを求めて彼のところに来てひれ伏し、『どうか、祭司の務めの一つでも私にあてがって、パンを一切れ食べさせてください』と言う。」」

 

ここには、祭司エリの二人の息子たちに対するさばきが告げられています。神の人がエリのところに来て、そのさばきを告げます。28節の「その家」とは、エリの家系のことです。神は、イスラエル全部族の中からアロンの家系を選んで祭司としました。それは特別な祝福でした。他の11の部族は相続地が与えられましたが、彼らには与えられませんでした。なぜなら、主ご自身が彼らの相続地であったからです。それにも関わらず彼らは、その特別な祝福を台無しにしました。彼らは、主へのささげものを軽くあしらいました。また、エリは主ご自身よりも自分の息子たちを重んじて、それを見過ごしていました。そして、彼らは、イスラエルの民がささげるいけにえの最上の部分で、私服を肥やしたのです。

 

それゆえ、神のさばきが下ります。それは、エリの家系が大祭司として主に仕えることがなくなるということです。彼の氏族は衰退を見るようになります。そして、彼の二人の息子ホフニとピネハスは、同じ日に死ぬのです。これは、イスラエル軍がペリシテ軍に打ち負かされ、神の箱が奪われた時に成就します。その時、二人の息子は戦死します(Ⅰサムエル4:10-11)。また、神の箱が奪われたという知らせを受けたエリも、席から落ち、首を折って死にました(Ⅰサムエル4:12-18)。この時、エリは98歳でした。

 

アロンの家系が大祭司として仕えるというのが、神の約束でした。しかし、エリと二人の息子が神に従わなかったので、その一つの氏族が断ち切られることになったのです。結局、エリの家系が没落して後、大祭司職はエルアザル氏族に引き継がれます。アロンにはナダブ、アビフ、エルアザル、イタマルという4人の息子がいましたが、ナダブとアビブは規定に反したことによって死に、今、イタマルの氏族であるアロンの家系も没落してしまいました。残されたのはエルアザル氏族だけです。この氏族もアロンの家系に属していたので、アロンの氏族が祭司になるという神の約束は、保たれました。

 

このように、エリの家系が滅ぼされたのは、彼らが主を軽んじたからです。主は、「わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。」(30)と言われました。あなたはどうでしょうか。この原則は、昔も今も、また永遠に至るまで適用されるものです。家族を大切にすることは重要なことです。しかし、そのために主を軽んじることがあってはなりません。主に救われた者として私たちが何よりも優先しなければならないことは、主を愛し、主を恐れ、主に従うことなのです。

ヨハネの福音書9章13~34節「わたしたちが知っていること」

きょうは、ヨハネの福音書9章13~34節からお話したいと思います。今日の箇所は、前回の続きとなっています。前回は、生まれつき目が見えなかった人がイエス様によって癒され、見えるようになったことが記されてありました。きょうはその続きです。きょうの箇所には「知っている」という言葉が何回も繰り返して出てきます。イエス様によって目が開かれた盲人が知っていたこととはどんなことだったのでしょうか。ご一緒に見ていきたいと思います。

 

Ⅰ.あの方は預言者です(13-17)

 

まず13節から17節までをご覧ください

「人々は、前に目の見えなかったその人を、パリサイ人たちのところに連れて行った。イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。こういうわけで再び、パリサイ人たちも、どのようにして見えるようになったのか、彼に尋ねた。彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えた。すると、パリサイ人のうちのある者たちは、「その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来た者ではない」と言った。ほかの者たちは「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができるだろうか」と言った。そして、彼らの間に分裂が生じた。そこで、彼らは再び、目の見えなかった人に言った。「おまえは、あの人についてどう思うか。あの人に目を開けてもらったのだから。」彼は「あの方は預言者です」と答えた。」

 

生まれつき目が見えなかった人が見えるようになると、それを見ていた人々は、彼をパリサイ人たちのところに連れて来ました。なぜ連れて来たのかはわかりません。ただ14節を見ると、「イエスが泥を作って彼の目を開けたのは、安息日であった。」とあるので、彼らはそのことを問題にしたのかもしれません。こういうわけでパリサイ人たちのところに連れて来られると、彼らも、どのようにして見えるようになったのかと彼に尋ねました。すると彼は、「あの方が私の目に泥を塗り、私が洗いました。それで今は見えるのです」と答えました。

すると、パリサイ人たちの間に分裂が生じました。彼らのうちのある者たちは、そんなことはあり得ない。その人は安息日を守らないのだから、神のもとから来た者であるはずがないと言い、ほかの者たちは、いや、罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行うことができるだろうかと言いました。

 

私たちも、往々にして、前者の人たちのように「そんなはずはない」と否定することがあるのではないでしょうか。それは、聖書を間違って解釈したり、その意味なり、目的なりを間違って理解していることに起因します。たとえば、ここでは安息日のことが問題なっていますが、そもそも安息日とは何でしょうか。何のために設けられたのでしょうか。モーセの十戒にはこうあります。

「安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。」(出エジプト記20:8-11)

安息日とは、主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休まれたことを記念し、これを他の日と区別し、聖なる日とするようにと定められた日です。教会では、日曜日を聖日と呼ぶことがありますが、それはこのためです。これは聖なる日です。「聖なる」とは、他と区別された日という意味です。神のために他と区別された日です。これは土曜日にあたりますが、教会では、この安息が、イエス様が十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたことによって、イエス様を中心に考えるため、イエス様が復活された日曜日を安息日、聖日としているのです。ですから、この日に共に集まって主を礼拝し、互いに祈り、交わりの時を持っているのです。それはこの日が、仕事が休みだからというわけではありません。この日は主がよみがえられた日、主の日なので、私たちはこの日に集まって主を礼拝しているのです。

しかし、それはおかしいと、いう人たちがいます。安息日は土曜日なのだから、土曜日を安息日にしなければならないと。日曜日に礼拝をするのは間違っている、というのです。そればかりか、このパリサイ人たちのように、この日はいかなる仕事もしてはならないとあるのだから、何もしてはいけないのだ、というのです。

しかし、それはここにあるように必要なわざ、あわれみのわざを禁じているということではありません。ここでいうとそれは目が見えなかった人を癒すということですが、そういうことを禁じているわけではないのです。むしろ、生涯にわたってずっと苦痛にさいなまれ続けてきた人を癒すことこそ安息日にふさわしい行為だったのに、彼らにはそのことが理解できませんでした。私たちはこの安息日に関することだけでなく、私たちの信仰の歩みが神のみこころにかなったものであるために、いつもイエス様の目とイエス様の心を持って神のみことばを受け取らなければなりません。

 

ところで、彼らが再び、目の見えなかった人に「おまえは、あの人についてどう思うか。あの人に目を開けてもらったのだから。」と尋ねると、彼はこう言いました。「あの方は預言者です。」これは、旧約聖書で預言されていた「あの預言者」のことで、来るべきメシヤのことを意味しています。彼はパリサイ人たちの脅すような口調や、理由もわからずに呼ばれた法廷での威圧的な雰囲気の中でも、自分を癒してくださったイエス様についてこのように証言したのです。あなたならどうしたでしょうか。

 

Ⅱ.キリストのためにいのちを捨てる者はそれを見出す(18-23)

 

次に18節から23節までをご覧ください。

「ユダヤ人たちはこの人について、目が見えなかったのに見えるようになったことを信じず、ついには、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねた。「この人は、あなたがたの息子か。盲目で生まれたとあなたがたが言っている者か。そうだとしたら、どうして今は見えるのか。」そこで、両親は答えた。「これが私たちの息子で、盲目で生まれたことは知っています。しかし、どうして今見えているのかは知りません。だれが息子の目を開けてくれたのかも知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。すでにユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていた。そのために彼の両親は、「もう大人ですから、息子に聞いてください」と言ったのである。」

 

イエス様によって目が開かれた人は、自分を癒してくださった方はメシヤであると大胆に告白しましたが、ユダヤ人たちはその証言をなかなか受け入れることができなかったので、今度は両親を呼び出して尋問します。「この人は、あなたがたの息子か。盲目で生まれたとあなたがたが行っている者か。そうだとしたら、どうして今は見えるのか。」(19)

そこで、両親は答えて言いました。「これが私たちの息子で、盲目で生まれたことは知っています。しかし、どうして今見えているのかは知りません。だれが息子の目を開けてくれたのかも知りません。本人に聞いてください。もう大人です。自分のことは自分で話すでしょう。」(20-21)

両親は、どうしてこのように答えたのでしょうか。22節にその理由があります。それは、ユダヤ人たちを恐れたからです。それはすでにユダヤ人たちが、イエスをキリスト(メシヤ)であると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていたからです。いわゆる村八分です。今でも、ユダヤ人はイエスをメシヤであると告白する者がいれば村八分にされるそうです。ある人は家族関係が断ち切られ、ある人は仕事を失います。つまり生きるすべを失ってしまうのです。救いは神の恵みであり、キリスト・イエスの贖いのゆえに値なしに与えられますが、キリストの弟子として歩むということには、それなりの犠牲も伴います。しかし、それこそが喜びなのではないでしょうか。なぜなら、苦しみなくて栄光はないし、困難なくして祝福はないからです。本当の喜びや祝福というのは、そうした苦難や困難から生まれてくるものなのです。

 

来年アメリカの邦人宣教に遣わされる笹川雅弘先生が、大田原の祈祷会でメッセージをしてくださいました。その中でとても印象的だったのは、クリスチャンは何のために生きるのかということでした。それは今までとは全く違います。今までは私のために生きてきましたが、イエス様を信じ罪から救われてからは、主のために生きる者になりました。これが真の祝福です。イエス様を信じても自分が平安であればそれでいいと思っている人は不思議に平安が奪われてしまいますが、苦労があっても主のために、主のみこころに従って生きる時、そこに祝福がもたらされるのです。イエス様が言われたとおりです。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。」(マタイ16:24-25)

本当に不思議ですが、自分を捨て、主のみこころに生きるなら、そのような中で主は必要な力を与えてくだるし、心の傷のいやされるのです。

笹川先生はその話の中で一人のクリスチャンの姉妹のことをお話ししてくださいました。この方は主の恵みによって信仰に導かれましたが、教会に来られている中でいろいろな方との軋轢が生じ心に傷を負ってしまい、それからというもの教会から遠のいてしまいました。しかし、ご主人の転勤で海外に行くようになり、慣れない環境や日本人同士の交わりへの渇望から再び教会に行くようになると、渇いたスポンジが水を吸収するように信仰が回復していきました。それからまた次の赴任地、次の赴任地と海外を転々とするうちに、どこへ行ってもそこが自分の遣わされた所と信じて、いろいろな葛藤や困難な環境の中でも心から主に仕えるようになると、そのような中でご主人も救われ、家族で主に仕えることができるようになりました。すると本当に不思議ですが、かつて負った心の傷がいつの間にか癒されていることに気付いたのです。まさに、自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、主のためにいのちを失う者はそれを見出すのです。

 

あなたはそのいのちを見出しましたか。キリストのしもべとして十字架を負うことを恐れてはいないでしょうか。でもあなたが犠牲を恐れないで、自分を捨て、自分の十字架を負ってキリストに従うなら、あなたは真の祝福を受けるようになるのです。

 

Ⅲ.私たちが知っていること(24-34)

 

最後にその結果を見て終わりたいと思います。24節から34節までをご覧ください。

「そこで彼らは、目の見えなかったその人をもう一度呼び出して言った。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」 彼は答えた。「あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」彼らは言った。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしておまえの目を開けたのか。」彼は答えた。「すでに話しましたが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのですか。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」彼らは彼をののしって言った。「おまえはあの者の弟子だが、私たちはモーセの弟子だ。神がモーセに語られたということを私たちは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らない。」その人は彼らに答えた。「これは驚きです。あの方がどこから来られたのか、あなたがたが知らないとは。あの方は私の目を開けてくださったのです。私たちは知っています。神は、罪人たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、その人の言うことはお聞きくださいます。盲目で生まれた者の目を開けた人がいるなどと、昔から聞いたことがありません。あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。」彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。」

 

そこで彼らは、目の見えなかったその人をもう一度呼び出して言いました。「神に栄光を帰しなさい。私たちはあの人が罪人であることを知っているのだ。」彼らがこのように言ったのは、この人の目が開かれたということを否定できなかったので、たとえそれが事実であったとしても、イエスという男は安息日を破った男なのだから、そういう男のかたを持つのではなく、神に栄光を帰すべきだと言いたかったからです。

 

すると彼はこのように答えました。25節です。「あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」彼は、自分の目を開いてくれた方がどういう方であるかはわかりませんが、一つのことだけは知っていると言いました。その一つのこととは何でしょうか。それは、彼は盲目であったが、今は見えるようになったということです。彼はなぜこのように答えたのでしょうか。それは、彼がこのことを体験して知っていたからです。彼は、それがどのようにして起こったのかとか、それを行ったのがだれであるかということはわからなくとも、ただ自分の身に起こったことをそのまま伝えたのです。

 

すると、彼らはなおもしつこく問いただします。「あの人はおまえに何をしたのか。どのようにしておまえの目を開けたのか。」彼らがあまりにもしつこく聞くものですから、彼はあきれてこう言いました。27節です。

「すでに話しましたが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのですか。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」

すると彼らは彼をののしって言いました。「おまえはあの者の弟子だが、私たちはモーセの弟子だ。神がモーセに語られたということを私たちは知っている。しかし、あの者については、どこから来たのか知らない。」

ここでは形成が逆転しています。この目を開かれたか弱い男の方が、ユダヤ人指導者たちに「あなたがたも、あの方の弟子になりたいのか」と、尋ねたほどです。余裕を感じます。いったいこの余裕はどこから来たのでしょうか。それは、次の彼のことばをみるとわかります。30節から33節です。

「これは驚きです。あの方がどこから来られたのか、あなたがたが知らないとは。あの方は私の目を開けてくださったのです。私たちは知っています。神は、罪人たちの言うことはお聞きになりませんが、神を敬い、神のみこころを行う者がいれば、その人の言うことはお聞きくださいます。盲目で生まれた者の目を開けた人がいるなどと、昔から聞いたことがありません。あの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできなかったはずです。」

 

いったいなぜ彼はこんなにも堂々としていることができたのでしょうか。それは彼が知っていたからです。彼が盲目であったのに、今は見えるということを。それは、この方が神から遣わされた方であるということのまぎれもない事実です。そうでなかったら、このようなみわざを行うことなどできなかったはずです。それができるということは、この方こそ、神から出たお方であるということなのです。

 

クリスチャンにとってこれほど確かなことはありません。彼の知識はわずかであったかもしれません。また、その信仰は弱々しかったかもしれない。教理もさほど知らなかったと思います。しかし、彼はキリストが御霊をもって、自分の心に恵みのわざを成してくださったということを知っていました。「私は暗かった。しかし今は光を持っている。私は神を恐れていた。でも今は神を愛している。私は罪が好きだった。でも今は罪を憎んでいます。私は盲目だったが今は見えます。」この体験です。確かに感情は惑わされやすいかもしれませんし、それがすべてではありませんが、私たちが内側にこのような確信がなかったら、どんなに聖書を知っていたとしても証の力が出てこないでしょう。それは健全な信仰とは言えません。空腹な人は、食べることによって力がついたと感じます。渇いた人は、飲むことによって元気になったと感じるでしょう。同じように神の恵みを内に持っている人は、「私は神の恵みの力を感じる」と言うことができるはずであり、その事実がその人に何をも恐れない大胆さをもたらすのです。

 

先週、那須で小島さん夫妻がバプテスマを受けられました。すばらしいバプテスマ式でした。何がすばらしいかって、奥様の美紀さんが自分の救いを感謝して「アメージング・グレース」の賛美をしてくれました。自分が救われたのはまさにアメージング・グレースだ・・と。がむしゃらに自分の力で頑張ってきた頃は、自分がどう考えるのか、どうしたいのかが大事だと思っていました。しかし、その結果は人に認められ、人にどう思われるのかに焦点が当てられてしまい、結局のところ、事あるごとに一喜一憂したり、他人の活動が気になってしまったりして、疲れ果てていました。しかし、隠れたところで見ていてくださる神様が報いてくださることがわかったとき、神様を信じ、神様にすべてをゆだね、神様に従っていこうと思うようになりました。そして、イエス様が自分のために十字架で死んでくださったことがはっきりとわかったとき、このイエス様の導きに従って歌い、多くの人たちの一助になりたいと思うようになったとき、その心は空気にように軽くなり、自由になり、どんなことも肯定的に受け止められるようになりました。もうどのように歌うかなど、全く気にならなくなりました。それよりも、自分のために苦しみ、死んでくださったイエス様のために、何ができるのかと考えられるようになったのです。

 

それはちょうど初代教会において、使徒ペテロとヨハネがユダヤ人議会に連れて行かれた時に、彼らが取った態度に似ています。ユダヤ人議会が彼らに、今後一切イエスの名によって語ったり教えたりしてはならないと命じると、彼らはこう言いました。「しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」(使徒4:19-20)

ペテロとヨハネはなぜそんなにも大胆になることができたのでしょうか。それは、彼らがそれを実際に見、実際に聞いたことだったからです。つまり、彼らはキリストの恵みを体験していたのです。だから、人が何と言おうと、自分が見たこと、聞いたこと、つまり自分が体験したことを語らずにはいられなかったのです。このように、自分の体験に裏付けられた信仰は、たとえ権威や力によって抑えつけられることがあっても決して恐れることはなく、それに屈することはありません。

 

結局のところ、この男もついに会堂から追い出されることになります。会堂から追い出されるとは、ユダヤ教から追い出されること、村八分にされることです。でも彼は、そんなことに少しもめげませんでした。事実の上に立った体験、これこそ神が私たちに与えてくださるものであって、このような体験によって、私たちも力強くキリストを証しすることができるようになるのです。

 

「アメリカでもっとも愛されたゴスペル歌手」と称されたジョージ・ビバリー・シェーは、ビリー・グラハムクルセイドの初期から、クリフ・バローズが指揮するマスクワイアーをバックに、ソリストとして数多くの讃美歌やゴスペルを歌ってきた人ですが、彼は2011年、102歳で、グラミー賞功労賞を最高齢で受賞しました。彼が作曲した最も有名な歌は、新聖歌428番の「キリストには代えられません」でしょう。

①キリストには代えられません 世の宝もまた富も

このお方が私に代わって 死んだゆえです

世の楽しみよ 去れ 世の誉れよ 行け

キリストには代えられません 世の何ものも ②キリストには代えられません 有名な人になることも

人のほめる言葉も この心をひきません 世の楽しみよ 去れ 世の誉れよ 行け

キリストには代えられません 世の何ものも ③キリストには代えられません いかに美しいものも

このおかたで心の満たされてある今は 世の楽しみよ 去れ 世の誉れよ 行け

キリストには代えられません 世の何ものも

ビバリー・シェーもまた、ただ一つのこと、キリストの恵みによって捕らえられて

いたのです。もっと突きつめて言えば、その恵みの体験を通して、キリストを証ししていたのです。キリストにはかえられませんと。

 

そしてそれは、私たちも同じです。私たちも、かつては盲目でしたが、今は見えるようになりました。聖書のことはそれほど知りませんが、この一つのことは知っています。それゆえに、私たちも大胆に証しすることができます。これがキリストによって目が見えるようになった人なのです。そのことを忘れないでいただきたいのです。その恵みを体験した者としてこの目が開かれた人のように、私たちは知っています。私たちは盲目であったが、今は見えるようになったということをと、大胆に、そして勇敢に、証しする人になりたいと思います。これがキリストの恵みによって救われた人の姿なのです。

ヨハネの福音書9章1~12節「神のわざが現れるために」

きょうは、ヨハネの福音書9:1~12から、「神のみわざが現れるために」というタイトルでお話したいと思います。

 

Ⅰ.この人に神のわざが現れるためです(1-5)

 

まず1節から5節までをご覧ください

「さて、イエスは通りすがりに、生まれたときから目の見えない人をご覧になった。 弟子たちはイエスに尋ねた。「先生。この人が盲目で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」

 

イエス様は、仮庵の祭りでエルサレムに上っておられましたが、道を歩いていると、そこに生まれた時から目の見えない人がいるのをご覧になられました。

私たちは、毎日、いろいろなものを選び取って生活していますが、自分ではどうしても選ぶことができないことがあります。それは、どのように生まれてくるかということです。裕福な家に生まれる人がれば、貧しい家に生まれる人もいます。健康で生まれる人がいれば、病弱で生まれる人もいます。どのように生まれるかは、自分では選び取ることができないのです。それは生まれた時から決まっています。この人は生まれた時から目が見えませんでした。自分で選んで盲目になったのではありません。生まれた時からそうだったのです。そのために、いろいろな苦労がありました。8節には彼が物乞いをしていたとありますが、そのために彼は、物乞いをするほか生きる道がありませんでした。

 

すると、弟子たちがイエス様に尋ねました。2節、「先生。この人が盲目に生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。両親ですか。」

これが一般の人たちの考え方です。一般に人は今負っている悩みや苦しみには必ず原因があると考え、すぐにその原因を探ろうとします。そして、このような不幸の原因はその人が何か悪いことをしたからであって、そのバチが当たっているのだと考えるのです。いわゆる「因果応報」です。つまり、その人の過去にその問題の原因なり、理由なりを求めてその説明をしたがるわけです。

 

しかし、イエス様はこのように答えられました。3節です。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」弟子たちが不幸の原因を尋ねたのに対して、イエス様はそのことには直接触れずに「神のわざが現れるためです」と、その意味なり、目的についてお答えになられたのです。

 

私たちも、何か辛いことや苦しいことがあると「何でだろう、何でだろう、何で、何でだろう」としばしば後ろを振り返っては、そこで立ち止まってしまうことがありますが、イエス様は、こうした苦難に遭うときに「何でだろう」と問うよりも、「何のために神様はこのような試練をお与えになったのか」を考えて、信仰をもって神の目的のために生きていくことが大切であることを教えてくださったのです。そして、それがどんなに大きな悩みや苦しみがあっても、神様がそのことを通して驚くべきみわざを成してくださるということが分かれば、私たちはもはやそうした悩みや苦しみの中に沈んでしまうのではなく、やがてそれを益に変えてくださる神に期待して生きることができるのではないでしょうか。

4節と5節をご覧ください。ここに不思議なことが書かれてあります。「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければなりません。だれも働くことができない夜が来ます。わたしが世にいる間は、わたしが世の光です。」どういうことでしょうか。もちろん、私たちは人間ですから、神様のようなわざを行うことなどできません。では、「わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、昼のうちに行わなければならない」とはどういうことなのでしょうか。

 

ヨハネの福音書6章29節をご覧ください。ここには、「神を遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです。」とあります。つまり、神のわざとは、神が遣わした方を信じることです。私たちが過去に捉われて出口のないあきらめとむなしさの中で生きるのではなく、現実の苦しみの中にあっても、イエス様を信じて、イエス様が約束してくださった聖書の御言葉を信じて、神様が最善のことを成してくださると信じて生きていくことなのです。それが神のわざを行うということなのです。

 

ローマ人への手紙8章28節には、「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」とあります。

この「すべてのことがともに働いて」の「すべて」の中には、私たちにとってマイナスと思われるようなことも含めてすべてが含まれているのです。良いと思えることも、悪いと思えることも、すべてのことを含めて、神が働いてくださり益としてくださるのです。これを信じることが神のわざです。言い換えれば、すべてが恵みであると信じて受け止めることです。

 

また、コリント人への手紙第一10章13節には、「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」とあります。皆さんの中で、今、試練の中にある人がおられますか。もしそのような方がおられるなら、この御言葉を信じなければなりません。神は、あなたが耐えられないような試練を与えるようなさいません。むしろ、絶えることができるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださるということを。

 

また、エレミヤ書29章11節は、「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」とあります。とかく私たちは自分にとって良くないと思うことが起こると、自分は神に呪われているのではないかと思うことさえありますが、しかし、神の御言葉である聖書は何と言っているのかというと、神が私たちに立てている計画は将来と希望であることです。今はそのようには受け止められないかもしれません。しかし、私を愛し、私のためにご自身の御子をさえも惜しみなく与えてくださった主は、私たちのために最高の計画を持っておられるのです。それは将来と希望です。このことを信じなければなりません。これが神のわざです。

 

私たちは、少し前まで祈祷会でルツ記を学んでいましたが、そのことはルツとナオミの生涯を見てもわかります。ナオミは夫のエリメレクと、二人の息子マフロンとキルヨンと一緒にモアブの地へ行き、そこに一時滞在しました。それまで住んでいたベツレヘムが飢饉のため食べ物が少なかったからです。

しかし、そこで夫エリメレクは死に、何と二人の息子までも死んでしまいました。何と不幸な人生でしょう。ナオミはモアブの地からベツレヘムに帰ることにしましたが、そこで町の人たちは「あら、ナオミじゃないですか」というと、彼女は、「私をナオミとは呼ばないでください。マラと呼んでください」と言いました。「ナオミ」という名前は「快い」という意味ですが、どう見ても彼女の人生は快いものではありませんでした。それで「苦しむ」という意味の「マラ」と呼んでくださいと言ったのです。

しかし、そんなナオミを、神様は決して忘れてはいませんでした。彼女には息子の嫁の一人でモアブ人のルツがいました。ある日、畑に出て落ち穂を拾い集めると、そこははからずもエリメレク一族に属するボアズの畑でした。ボアズは正当な手続きを経てエリメレクの畑を買い戻すと、その嫁であったルツも買い戻したので、ルツはボアズの妻となりました。そして生まれたのがオベデです。オベデはダビデの父であるエッサイの父、すなわち、ダビデの祖父にあたります。そして、このダビデからこの人類を罪から救ってくださる救い主が誕生するのです。このようなことをいったいだれが想像することができたでしょうか。これが神のなさることです。神は、このような驚くべきことをなさいます。神を愛する人々のために、神がすべてのことを働かせて益としてくださるのです。このことを信じなければなりません。

 

先月、山形市のこひつじキリスト教会で献堂式が行われました。牧師の千葉先生は、同盟の伝道委員として3年間私たちの教会にも来てくださり、私が伝道委員だったとき会堂についていろいろお聞きしていましたので、ぜひ献堂式に出席したいと思っていました。

そこはちょうど蔵王めぐみ幼稚園という幼稚園の前にあるのですが、そこはかつてこのこひつじキリスト教会を開拓した蔵王キリスト教会が産声をあげた場所でもありました。この幼稚園はキリスト教系の幼稚園で、蔵王教会ではその一室を借りて日曜の礼拝が始まったのです。それから何年かして1996年に親教会ネットワークによってこひつじキリスト教会が誕生しました。あれから20年、教会は一軒家の借家で宣教の働きが進められてきました。2階に先生ご家族が住み、1階で集会が続けられてきましたが、こどもの伝道を中心に行っていたこともあって集会所のスペースは限界でした。それで先生は集会できるスペースを求めて祈っていたところ、とても良い物件が紹介されたのです。、それは国道13号線に面しているドライブインの跡地でした。土地と建物の広さも申し分なく、価格も格安でした。千葉先生は、それが神様の導きではないかと購入に向けて進もうとしたのですが、そこが山形市と上山市との境にあったこと、また、これまで行って来た子供たちの伝道には向いていないということで断念せざるを得なかったのです。千葉先生は本当にがっかりしました。やっといい物件が見つかったと思ったのに、話がまた振り出しに戻ったからです。

しかし、それからほどなくして示されたのがこの物件でした。それは車の整備工場の跡地でしたが、奇しくも、それが蔵王教会が産声をあげた幼稚園の前だったのです。場所的には最高の場所です。それをリフォームして献堂することができました。本当に神のなさることは不思議です。神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。

 

それは、私たちも例外ではありません。神はこのような小さな者をもご自身の救いの計画の中にしっかりと組み込んでいてくださり、偉大な御業を成さろうとしておられるのです。そのことを信じなければなりません。すべてのことをつぶやかず、疑わずに行わなければならないのです。だれも働くことができない夜が来るからです。

 

Ⅱ.シロアムの池で洗いなさい(6-7)

 

では、神のわざが現れるためにどうしたらいいのでしょうか。それは、神のみことばに従うことです。6,7節をご覧ください。

「イエスはこう言ってから、地面に唾をして、その唾で泥を作られた。そして、その泥を彼の目に塗って、「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗った。すると、見えるようになり、帰って行った。」

 

イエス様は、神のわざを、昼の間に行わなければならないと言うと、地面に唾をして、その唾で泥を作り、それを彼の目に塗って、「行って、シロアムの池で洗いなさい」と言われました。いったいなぜこのように言われたのでしょうか。イエス様は他の時にも何度か盲人の目を癒しておられますが、その時にはこのようには言いませんでした。ただ一言「エパタ」(開け)と言って癒されたり、盲人の目に直接触れることによって癒されました。このように唾で作った泥を目に塗って、池に行って洗うといった方法は採られませんでした。いったいなぜこのように言われたのでしょうか。別に唾で作ったこの泥に何らかの効用があったからとは思えません。ただはっきりわかることは、イエス様はどんな方法でも盲人の目を癒すことができるということです。お言葉一つでこの天地万物を創られたお方は、「エパタ」と言われるだけで癒すこともできましたし、直接触れることによっても、また、このように神秘的な方法によっても癒すことができたのです。ただそれがどのような方法であっても、イエス様の言われることに応答し、その御言葉に従うことが求められました。

 

いったいなぜこの盲人はイエス様の言葉に従ったのでしょうか。イエス様の言葉を聞いて「なるほど」と納得したからでしょうか。そうではありません。美容パックじゃあるまいし、こんなの目に塗っていったい何になるというのでしょう。私だったらそう思います。でも彼はイエス様が言われた言葉に従いました。このように、たとえそれが自分の思いや理解を超えていることであっても、主が仰せられたことに従うとき、神のみわざが現れるのです。

 

たとえば、あのシリヤの将軍ナアマンはそうでした。彼は重い皮膚病で苦しんでいましたが、その家にいたイスラエル人の召使いであった少女からイスラエルには驚くべき奇跡を行うエリシャという預言者がいるということを聞くと、早速出かけて行きました。その手にはたくさんの贈り物を持ち、しかも国王からの親書も持っていました。

ところがエリシャのところに行ってみると、エリシャは彼を出迎えることもせず、ただ召使いを送ってこう言わせただけでした。「ヨルダン川に行って、その水の中に七度身を浸しなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻りきれいになります」

これを聞いたナアマンは激怒しました。「なんということだ。私は預言者エリシャが出て来て、私の前に立ち、主である神様の名前を呼んで、この悪い所の上で手を動かして治してくれるものと思っていたのに。ダマスコの川の方が、イスラエルの川よりもよっぽど綺麗ではないか。こんなうす汚い川で洗ったところで、どうやって治るというのか。」

こうして彼はさっさと自分の国に引き上げようとしたのですが、部下の一人がやって来て、必至に説得しました。「将軍様、どうしてそんなにお怒りになられるのですか。あの預言者がもっと難しいことをせよと言われたら、それをしなければならなかったでしょう。それなのに彼は将軍様に「ヨルダン川で体を洗いなさい」と言われただけではありませんか。」

するとナアマン将軍はようやく思い直し、エリシャの言ったとおりにヨルダン川に行き、七度水に体を浸しました。すると彼の体は赤ん坊のように綺麗になったのです。

 

キリストの弟子たちがガリラヤ湖で漁をしていた時も同じです。その日はどういうわけか、夜通し網を降ろしても一匹の魚もとれませんでした。ペトロたちは疲れ切って岸で網を繕っていました。そこにイエス様が来られ、「深みに漕ぎ出して、網を下して魚を捕りなさい。」(ルカ5:4)と言われたのです。おそらくペテロは、「いくらイエス様だって、漁のことについては俺たちの方がプロだ」と思ったことでしょう。しかし、それにも関わらず、彼はこう言ったのです。

「先生、私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下してみましょう。」(ルカ5:5)

これが信仰です。「でも、おことばですので、網を下してみましょう。」それが自分の思いや考えと違っても、でも、おことばですので、網を下ろすのです。そして、せっかく繕った網をもう一度舟に積み込んで、沖に出ていったのです。そして、イエス様が言われたとおりに網を降ろしてみますと、網がはち切れんばかりの魚がとれたのです。

 

皆さん、私たちも聖書に書いてある教えが非現実的であったり、非論理的に思えたり、あるいはまったく無意味なことのように思えたりすることがあるかもしれません。自分の経験や、知識や、良識などから判断すれば、どうしてそんなことをしなければならないのか、そんなことで本当に大丈夫なのかと、疑いや不安が募ることもあるでしょう。しかし、生まれつきの盲人が「シロアムの池に行って洗え」と言われた時も、ナアマン将軍が「ヨルダン川で身を浸せ」と言われたときも、ペテロが「もう一度沖に出て網をおろせ」と言われたときも、きっとそういう人間的な不安や疑問にかられたと思うのです。けれどもその時、彼らは自分の思いではなく、神の思いに従ったので、神のみわざを見ることができたのです。

 

これが信仰です。私たちはいつも人間的な見方をしては、「自分たちにできるだろうか」と思って否定的になってしまいますが、大切なのは私たちにできるかどうかではなく、それが神のみこころなのかどうかということです。神様が御言葉で何と言っておられるのか、そして、それがみこころならば、信じなければなりません。それが神のわざを行うということです。イエス様がいるうちは、イエス様が働いてくださいます。しかし、だれも働くことができない夜が来ます。その時では遅いのです。ですから、イエス様がいる間に、イエス様の御言葉を信じて、神のわざを行わなければなりません。それが自分の常識を超えていることであっても、主がこれをせよと仰せられるならそれに信仰によって従っていく。そこに偉大な神の御業が現れるのです。

 

Ⅲ.イエスという方が(8-11)

 

第三に、その結果です。そのようにして生まれつきの盲人の目が見えるようになり、帰って行くと、どのようになったでしょうか。8節から12節までをご覧ください。

「近所の人たちや、彼が物乞いであったのを前に見ていた人たちが言った。『これは座って物乞いをしていた人ではないか。』ある者たちは、『そうだ』と言い、ほかの者たちは『違う。似ているだけだ』と言った。当人は、『私がその人です』と言った。そこで、彼らは言った。『では、おまえの目はどのようにして開いたのか。』」

彼は答えた。「イエスという方が泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」 彼らが『その人はどこにいるのか』と言うと、彼は『知りません』と答えた。」

 

この見えるようになった人に対して、近所の人たちや彼のことを知っていた人たちが、「お前の目はどのようにして開いたのか。」と問うと、彼は自分が経験したことを、ありのままに語りました。それは、「イエスという方が泥を作って、私の目に塗り、「シロアムの池に行って洗いなさい。」と言われたので、その通りにすると、見えるようになったということです。すなわち、イエスという方が自分に何をしてくれたのかということです。つまり、イエスはだれであるかということです。そして、イエスはメシヤ、キリスト、救い主であられるということです。

 

これがこの話の中でヨハネが本当に伝えたかったことなのです。ヨハネの福音書の中にはイエス様がメシヤであるということを証明する七つの「しるし」が記録されてありますが、これは6番目のしるしです。「しるし」とは証拠としての奇跡のことです。これは、イエス様がメシヤであるということの証拠としての奇跡だったのです。私たちはどうしても、生まれつき盲人だった人の目が見えるようになったことに焦点がいきがちですが、ヨハネが一番伝えたかったことはそこではなく、イエス様がメシヤであられるということだったのです。つまり、イエス様は私たちの心の目を開くことができるお方であるということです。

 

それは、7節の「シロアム」ということばの後の注釈を見るとわかります。ここにはわざわざ「訳すと、遣わされた者」とあります。神から遣わされた者とはだれでしょうか。そうです、イエス・キリストです。つまり、シロアムの池に行って洗うと目が開かれるというのは、イエス様の言葉を信じ、イエス様のもとに行って洗うなら、目が開かれる、という救いのメッセージだったのです。

 

イエス様はそれを十字架と復活を通して成し遂げてくださいました。イエス様が十字架で流された血は、私たちをすべての罪からきよめることができます。そして、三日目によみがえられたイエス様は、私たちに永遠のいのちを与えることができるのです。これが神の救いのご計画でした。それは常識では考えられないこと、アンビリバボーです。しかし、その神のみこころを信じて従うとき、私たちの心の目も開かれるようになるのです。常識や理性で理解できないことは絶対に信じないと思っている人は、決して心の目、霊的な目を開けていただくことはできません。主が「これをせよ」と言われることに対して、信仰をもって従う人だけが開かれるのです。

そして、このように私たちを罪から救うことができる方は、私たちをすべての問題から解放することができます。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

いろいろなことで疲れ果て、落ち込んでいる私たちを真に救うことができるのは、私たちを様々な不幸の原因である罪から救うことができるイエス様だけです。あなたもこの方を救い主として信じ、この方が命じられることに従う時、そこに大いなる救いのみわざが現れるのです。

 

あなたはどうでしょうか。シロアムの池に行って洗いましたか。イエス様はあなたを救うことができます。あなたの悩みや問題のすべてを解決することができる方です。「何でだろう」と過ぎ去った過去を見てくよくよして生きるのではなく、イエス様を信じて、イエス様が与えてくださる将来と希望を見つめて、前に向かって進んで行こうではありませんか。そこに神のわざが現されるのです。

出エジプト記12章

きょうは、出エジプト記12章から学びます。エジプトに、すでに9つのわざわいが下りました。そしてここに第10番目のわざわい、最後のわざわいが下ろうとしています。それは前の章において宣告されていましたが、エジプトの初子という初子はみな死ぬというものでした。しかし、イスラエル人は、そのわざわいを免れます。それを示したものが過越しの祭りと呼ばれるもので、旧約聖書にも、新約聖書にも、イスラエルの祭りの中ではこの祭りが一番多く出てきます。それだけ重要な祭りであるといえます。今回は、この過越しの祭りについて学んでいきましょう。

 

Ⅰ.過越の祭り(1-14)

 

まず1節から14節までを見ていきましょう。1節と2節をご覧ください。

「主はエジプトの地でモーセとアロンに言われた。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」

この月がイスラエルの国にとって1年の最初の月になります。この月とは、ユダヤ暦の「アビブの月」のことです。バビロン捕囚以降は、この月は「ニサンの月」と呼ばれるようになります。「アビブの月」も「ニサンの月」も、同じ月のことです。現代の暦では、3月か4月になります。なぜこの月が年の最初の月となるのでしょうか。それは、この月がイスラエルの国の始まりとなるからです。彼らは長い間エジプトに捕らえられており、自分たちの国がありませんでした。しかし、主はそこからご自分の民を解放し、約束の地へと導かれます。その最初の月がこの月なのです。ですから、ここから始めなければなりません。

 

さらに主はこのように命じられました。3節から5節をご覧ください。

「この月の十日に、それぞれが一族ごとに羊を、すなわち家ごとに羊を用意しなさい。もしその家族が羊一匹の分より少ないのであれば、その人はすぐ隣の家の人と、人数に応じて取り分けなさい。一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。:5 あなたがたの羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。」

ニサンの月の10日に、家族ごとに羊を用意します。その家族の人数が羊1匹の分より少ない場合は、隣の家の人と分かち合わなければなりません。すなわち、一人ひとりが食べる分量に応じて、その羊を分けなければなりません。

 

その羊は、傷のない1歳の雄でなければなりません。それを子羊かやぎのうちから取らなければなりませんでした。つまり、完全なものでなければならなかったということです。神へのいけにえは、傷や欠陥があってはならないのです。それは、私たちの罪のためのいけにえであるからです。Ⅰペテロ1:18-19には、「ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」とあります。私たちの主は罪のない完全ないけにえでした。だからこそ、神にささげることができたのです。

 

6節から11節までをご覧ください。

「あなたがたは、この月の十四日まで、それをよく見守る。そしてイスラエルの会衆の集会全体は夕暮れにそれを屠り、 その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と鴨居に塗らなければならない。そして、その夜、その肉を食べる。それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。生のままで、または、水に入れて煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは燃やさなければならない。あなたがたは、次のようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べる。これは主への過越のいけにえである。」

 

その羊をこの月の14日まで、すなわち、ニサンの月の14日まで、よく見守ります。なぜなら、その間に傷やしみがついてはいけなかったからです。それは、よく吟味することが必要でした。そしてイスラエルの民の全会衆は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の日本の門柱と鴨に塗らなければなりませんでした。

これは大体午後3時から日没までの間ということになります。日没になると、ユダヤの暦ではそこから一日が始まりますから、その前にほふったということになれます。ですからイエス様が十字架で死なれたのは、この14日のことだったのです。その日の夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の日本の門柱と鴨に塗らなければなりませんでした。

 

ここで重要なのは血を取ることと、それを家の門柱と鴨に塗ることでした。なぜなら、血を流すことがなければ、罪の赦しはないからです(へブル9:22)。これが、永遠の昔から、神が人を救われる時に用いられる方法でした。覚えていらっしゃいますか。たとえば、アダムとエバが罪を犯した時に彼らはいちじくの葉を綴り合わせたもので腰の覆いを作りましたが、そんな彼らのために神は、皮の衣を作って着せられました(創世記3:21)。なぜ皮の衣だったのでしょうか。それは、神様は彼らの罪を覆うために血を要求されたからです。皮の衣を作るには動物をほふり、皮をはがさなければなりません。当然、そこに血が流れます。この血が要求されたのです。

 

アダムとエバの最初の子どもはカインとアベルでしたが、カインは神がアベルのささげたささげものを受け入れましたが自分のささげものを受け入れなかったことで怒り、弟アベルを殺してしまいました。人類最初の殺人事件です。いったいなぜ神はアベルのささげものを受け入れられたのにカインのささげものを受け入れなかったのでしょうか。それは、アベルは自分の羊の中から、しかも最良のものをささげたのに対して、カインはそうではなかったからです。彼は地の作物の中から神にささげました。しかし、神が求めておられたのは動物でした。なぜなら、そこに血が流されなければならなかったからです。そのことは後でレビ記17:11に出てきますが、いのちとして贖いのするのは血だからです。血を注ぎ出すことがなければ罪の赦しはありません。これが、永遠の昔から神が人の罪を贖うために計画しておられた方法だったのです。ですから、イエス様は十字架にかかって死んでくださったのです。それは、イエス様が動物の血ではなく、ご自分の血によって、私たちが神に受け入れられるようになるためです。その血を取り、それを二本の門柱と鴨居に塗ることによって、すなわち、イエス様が流された血を私たちの心に塗ること(信じること)によって、私たちに対する神のさばきが過ぎ越すためです。この命令どおり血を塗る徒、十字架が2本連なったような形になります。

 

そして、その夜、その肉を食べます。日没から、すなわち、翌日に入ってから過越の食事が始まります。食べ方も定められていました。まずその肉を食べました。その肉は火で焼かなければなりませんでした。生のままや、水で煮るという方法は許されません。その頭も足も内蔵も火で焼かなければなりません。これは、献身は全的なものでなければならないことを象徴しています。それを種なしパンと苦菜を添えて食べなければなりませんでした。パン種の入っていないパンを食べるのは、出エジプトの夜、急いでいたのでパンを発酵させる時間がなかったことを思い出すためです。また、苦菜を添えるのは、エジプトでの奴隷の状態での苦みと汗を思い出すためです。

もし残ったものがあれば、朝まで残しておいてはなりませんでした。それらをすべて火で焼かなければならなかったのです。なぜなら、翌日に同じものを食するようなことがあってはならなかったからです。これはイスラエルがエジプトからあがなわれたことを表す特別の食事だったのです。

 

過越しの食事の仕方にも決まりがありました。それは腰の帯を固く締め、足に履き物をはき、手に杖を持って、急いで食べるということでした。まるで立ち食いそば屋のような景色です。これは主が「旅立て」と言われたら、すぐに従えるように準備しておくためです。ちなみに、約束の地に入ったユダヤ人たちは、横になって過越しの食事をするようになります。それは、自分たちが自由の身になったことを表しているからです。

 

12節から14節までをご覧ください。

「その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人から家畜に至るまで、エジプトの地のすべての長子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下す。わたしは主である。その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。 この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなければならない。」  イスラエル人たちが過越しの食事をしている時に、主はエジプトの地を巡り、さばきを下します。そのさばきとは、エジプトの地のすべての初子を打つ、というものでした。その中には、人の初子も家畜の初子も含まれていました。さらに主は、エジプト人のすべての神々にさばきをくだされます。しかし主は、イスラエル人の家々を通り越されます。なぜなら、その血がしるしとなるからです。「その血は、あなたがたがいる家の上で、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたのところを過ぎ越す。わたしがエジプトの地を打つとき、滅ぼす者のわざわいは、あなたがたには起こらない。」(13)この聖句から「過越しの祭り」という言葉が生まれました。主は、血を見て過ぎ越されるのです。本来であれば、神のさばきは、エジプト全地に対するものでした。それゆえ、イスラエル人も本来ならエジプト人と同じように滅びなければならなかったのですが、彼らにはそのさばきが下りませんでした。それは彼らが何か良い民族だからではありません。ただ、血によってのみ、さばきが通り越したのです。これは、何回強調しても強調しすぎることのない、大切な真理です。私たちの中には、何一つ救われるべき理由はありません。さばかれる原因はすべて持っていますが、救われる理由は私たちの側には何一つありません。ただ、キリストの血によって救われたのです。
Ⅱ.種なしパンの祭り(15-20)

 

次に15節から20節までをご覧ください。 「七日間、種なしパンを食べなければならない。その最初の日に、あなたがたの家からパン種

を取り除かなければならない。最初の日から七日目までの間に、種入りのパンを食べる者は、みなイスラエルから断ち切られるからである。また最初の日に聖なる会合を開き、七日目にも聖なる会合を開く。この期間中は、いかなる仕事もしてはならない。ただし、皆が食べる必要のあるものだけは作ることができる。 あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種なしパンを食べる。七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。すべてパン種の入ったものを食べる者は、寄留者でも、この国に生まれた者でも、イスラエルの会衆から断ち切られる。 あなたがたは、パン種の入ったものは、いっさい食べてはならない。どこでも、あなたがたが住む所では、種なしパンを食べなければならない。」

過越しの祭りに続いて、種なしパンの祭りに関する規定が続きます。過越しの祭りは1日だけで

すが、種なしパンの祭りは7日間続きます。小羊がほふられる14日の次の日、つまり過越の祭り

の次の日から、7日間祝われます。この二つの祭りは密接につながっているので、しばしば一つの

祭りとして祝われます。新約聖書の時代には、この8日間をまとめて「種なしパンの祝い」と呼ば

れていました。(ルカ22:1)なぜこれが種なしパンの祭りと呼ばれるのかというと、この祭りの期間は、

パン種を入れないパンを食べなければならないからです。それは、エジプトから出ることは緊急を

要していたので、パン種を発酵させる時間的余裕がなかったからです。もしこれを食べる者があれ

ば、イスラエルから断ち切られました。これはイスラエルの共同体から断ち切られることを、すなわ

ち死を意味していました。それだけ深い意味が、このパン種の中には含まれていたのです。

 

第一日目と第八日目に聖なる会合を開きました。この期間中は、いかなる仕事もしてはなりま

せんでした。ただし、料理だけは別です。なぜいかなる仕事もしてはいけなかったのでしょうか。それは、神が贖いのわざを成し遂げてくださったからです。天地創造において、神が天地創造のみわざを完成されたとき7日目を安息日として祝福したように、神の贖いの業を完成したその後の7日間を、主の安息の時としなければならなかったのです。そのことは17節にこう記されてあるとおりです。「あなたがたは種なしパンの祭りを守りなさい。それは、まさにこの日に、わたしがあなたがたの軍団をエジプトの地から導き出したからである。あなたがたは永遠の掟として代々にわたって、この日を守らなければならない。」 かくして、イスラエル人たちは過越しの祭り同様、主が彼らをエジプトから贖い出したことの記念として、これを永遠に守り行うようになりました。

 

いったいこのことは私たちにどんなことを教えているのでしょうか。パウロはコリント第一5:6-8で

こういっています。「あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた

粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。新しいこねた粉のままでいられる

ように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過

越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパ

ン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。」

パン種は、罪や不正を表しています。パンを作るときに、イースト菌のはいったパンの一部を残

します。そしてそれを新しい粉のかたまりに混ぜると、粉全体をふくらませます。そしてそこからまた一部種ありパンを残しておくと、他の新しい粉と混ぜて、全体をふくらませることができます。したがって、わずかなパン種で、全体をふくまらせることができるのです。罪も、わずかな罪で死をもたらすことができるほど、広がるものです。ですから、パウロはコリントのクリスチャンに、パン種のない生活をすることを勧めているのです。なぜなら、すでに過越しの子羊がほふられたからです。これは、過越の小羊イエス・キリストが流された血によって、罪が取り除かれ、完全に清められた者とされたことを意味しています。ですから、パンに種があってはならないのです。この勧めは、過越しの祭りの後には種なしパンの祭りが来ることを前提に語られています。私たちは過越しのキリストを信じて罪が赦されたのですから、種なしパンの祭りを実践しなければならないのです。

Ⅲ.過越しの祭りの実行(21-28)

モーセは、主が語られた過越しの祭りを実行するためにそれをイスラエルの長老たちに告げます。21節から28節をご覧ください。

「それから、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び、彼らに言った。「さあ、羊をあなたがたの家族ごとに用意しなさい。そして過越のいけにえを屠りなさい。ヒソプの束を一つ取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなさい。あなたがたは、朝までだれ一人、自分の家の戸口から出てはならない。主はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と二本の門柱にある血を見たら主はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のための掟として永遠に守りなさい。あなたがたは、主が約束どおりに与えてくださる地に入るとき、この儀式を守らなければならない。あなたがたの子どもたちが『この儀式には、どういう意味があるのですか』と尋ねるとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは主の過越のいけにえだ。主がエジプトを打たれたとき、主はエジプトにいたイスラエルの子らの家を過ぎ越して、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて礼拝した。こうしてイスラエルの子らは行って、それを行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。」

 

イスラエルの民は、家族ごとに過越しのいけにえをほふり、ヒソプの束を一つ取って、それを鉢の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなければなりませんでした。後にヒソプは、罪をきよめる象徴となりました。ダビデがバテ・シェバと姦淫の罪を犯した時、「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」(詩篇51:7)と言っています。私たちの罪を清めるのは、キリストの血なのです。  彼らは朝まで、自分の家の戸口から出てはなりませんでした。なぜなら、外では主がエジプトを打つために行き巡っておられるからです。主は敷居と二本の門柱にある血を見たら、その戸口を過ぎ越すので、滅ぼす者が彼らの家に入って彼らを打つことはありません。これは彼らとその子孫が永遠に守るべき祭りとなります。つまり、イスラエルの民が、約束の地に入った時、その祭りを世々限りなく行わなければならないということです。その時子どもたちが「この儀式には、どういう意味があるのですか」と尋ねるなら、「これは主の過越しのいけにえだ」と、その意味を彼らに教えなければなりません。

 

すると民はどうしたでしょうか。「すると民はひざまずいて礼拝した。こうしてイスラエルの子らは行って、それを行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。」

すばらしいですね。彼らはひざまずいて礼拝しました。そして、神の命じられたとおりに行ないました。イスラエルの民は、神からの命令を信じ、そのとおりに行ったので、死から救われました。私たちも、神が命じたとおり、キリストの福音を信じたので、滅びから救われました。大切なのは、神が命じたことを信じ、そのとおり行うことです。  Ⅳ.出エジプト(29-36)

 

次に29節から36節までをご覧ください。

「真夜中になったとき、主はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立って、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って主に仕えよ。おまえたちが言ったとおり、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。」

 

いよいよ第十番目のわざわいが下されます。これが最後のわざわいです。それはエジプト中に深い衝撃と悲しみをもたらしました。真夜中になって、主は、エジプトの地のすべての初子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までみな打たれたのです。それでエジプトのすべての家が何らかの被害を受けました。その結果、エジプト中に激し嘆き叫びが起こりました。

 

それでファラオはついに降参しました。彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて、エジプトから出て行くように、行って主に仕えるようにと言いました。そればかりではありません。モーセとアロンが言うように、羊の群れも牛の群れも連れて行くように、そして、自分たちのために祈れと言いました。それはファラオだけではありませんでした。エジプトの民も同様でした。彼らもイスラエルの民をせき立てて、この地から出て行くようにと迫ったのです。このままでは自分たちは死んでしまうと思ったからです。

 

「それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。イスラエルの子らはモーセのことばどおりに行い、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めた。主はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプト人は彼らの求めを聞き入れた。」(34-36)

それで、イスラエルの民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担ぎました。これは、彼らが練り粉をパン種を入れないまま取り、こね鉢を衣服に包み、肩に担いだということです。それは時間がなかったからです。また、彼らはエジプトを出てから数日間、種なしパンを食べなければなりませんでした。そればかりではありません。彼らは、モーセのことばのとおりに、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めました。これはイスラエルが後に荒野で導かれそこで幕屋を建設する際の資材となりました。

 

エジプト人は、イスラエルの民の要求に快く応じました。これまでの両者の関係を考えると、これは驚くべきことです。なぜエジプト人は快く応じたのでしょうか。それは何よりも、その背後に主の働きがあったからです。また、イスラエル人がすみやかにエジプトを出ることを、エジプト人が願ったからです。主への恐れが彼らをこのような行動へと駆り立てたのです。しかし、この出来事の最も特筆すべきことは、これが、かつて神がアブラハムに語られたことの成就であったということです。創世記15:14には、「しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。」とあります。その500年以上経ってから、その預言が成就しました。それは、神はご自分が語られたことは必ず成就させる真実な方であることを表しています。それゆえ、私たちが今どんなに辛い状況に置かれているとしても、主は、いつまでも私たちがそこにいることをお許しにはなりません。必ずそこから解放してくだいます。ですから、もし今自分が不当に扱われていると感じている人がいれば、このことを思い出しましょう。神はあなたのすべてをご覧になっておられ、あなたの行為に豊かに報いてくださいます。

 

Ⅴ.寝ずの番をされる主(37-42)

 

いよいよイスラエルの民はエジプトを出て行きます。37節から42節までをご覧ください。

「イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人であった。さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。四百三十年が終わった、ちょうどその日に、主の全軍団がエジプトの地を出た。それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。」

 

イスラエル人は、ラメセスから、スコテに向かって旅立ちました。人数は、幼子を除いて、徒歩の壮年の男子だけで約六十万人です。ものすごい人数です。女と子どもを加えたら、おそらく200万人は超えていたでしょう。ヤコブがエジプトに入ったときはわずか70人です。でも、そのときヤコブは神の約束を信じました。神の約束は確かに実現されましたが、ヤコブはその信仰のゆえに、大いなる報いを天において受けているのです。  エジプトを出たのは、イスラエル人だけではありませんでした。多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上りました。というのは、片親がイスラエル人の人、イスラエルと同じく奴隷になっていたセム系の民族であったと思われます。彼らはこの混乱に乗じてイスラエル人といっしょにエジプトを脱出しました。

この入り混じって来た外国人たちは、やがて問題を起こすようになります。民数記11:4-5には、彼らは激しい欲望にかられ、イスラエル人も彼らに釣られて、「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。」と言いました。このため、神は激しい疫病で彼らを打たれました。彼らはイスラエル人たちと目的を共有しませんでした。価値観や使命感を共有できない人たちと共に進むことは危険なことです。最初はよくても、逆風が吹き始めると、彼らは不平不満を言うようになります。自分がどのような人たちと協力関係に入ろうとしているのかを、もう一度吟味する必要があります。彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れていないパン菓子を作りました。それにはパン種が入っていませんでした。というのは、彼らは、エジプトで追い出されて、ぐずぐずしてはおられず、また自分たちの食料の準備も出来ていなかったからです。

 

イスラエル人がエジプトに滞在していた期間は430年でした。430年が終わったとき、ちょうどその日に、主の全集団はエジプトの国を出ました。モーセがこのように書くことができたのは、エジプトに入った年月を、誰かが記録し、それを覚え、指折り数えていた人がいたからでしょう。イスラエルの民のほぼ全員が失望と不信仰の中にあっても、神の約束を信じ続けていた人々がいたのです。神のわざは、このように人たちによって前進するのです。神はご自身の約束を覚えておられます。まだ祈りが応えられなくとも、神は必ずご自身の約束を実現してくださると信じて、信仰によって歩みましょう。

 

それにしても、エジプトから出るのになぜこんなにも時間がかかったのでしょうか。わかりません。ただ、モーセというリーダーが登場するためにも、80年という年月を要しました。神の器ができるためには時間がかかるのです。でもそれは、神の約束が否であるということではありません。神の約束は必ず実現します。ですから、それがまだ起こっていなくても、神が約束したことは必ず実現すると信じて前進しましょう。そうすれば、驚くべき神のみわざを体験するようになるのです。

 

42節をご覧ください。

「それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、主が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのである。」

 

この夜、主は寝ずの番をされました。それは、そこに主の特別な守りがあったということです。それゆえ、イスラエル人は、代々にわたり、主のために寝ずの番をするのです。つまり、子々孫々と過越しの祭りを守るということです。「主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。」(詩篇121:3-4)主は、私たちのために寝ずの番をされます。それゆえ、たとえ今の状況が受け入れられない、喜ぶことができないようなものでも、そこに主の守りがあることを信じて、感謝しようではありませんか。

 

Ⅵ.過越しに関する追加規定(43-51)

 

最後に、43節から51節までをご覧ください。 「主はモーセとアロンに言われた。「過越に関する掟は次のとおりである。異国人はだれも、これ

にあずかってはならない。しかし、金で買われた奴隷はだれでも、あなたが割礼を施せば、これに

あずかることができる。居留者と雇い人は、これにあずかってはならない。これは一つの家の中で

食べなければならない。あなたは家の外にその肉の一切れでも持ち出してはならない。また、そ

の骨を折ってはならない。イスラエルの全会衆はこれを行わなければならない。もし、あなたのとこ

ろに寄留者が滞在していて、主に過越のいけにえを献げようとするなら、その人の家の男子はみ

な割礼を受けなければならない。そうすれば、その人は近づいてそれを献げることができる。彼は

この国に生まれた者と同じになる。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはならない。このお

しえは、この国に生まれた者にも、あなたがたの間に寄留している者にも同じである。」

イスラエルの子らはみな、そのように行った。主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。 まさにこの日に、主はイスラエルの子らを、軍団ごとにエジプトの地から導き出された。」  過越しの規定に関する追加規定です。追加規定が書かれたのは、多くの外国人が入り混じって来たからでしょう。基本的に、外国人はだれも食べる事はできませんでした。けれども 奴隷は割礼を施せば食べることができました。居留者(短期滞在者)と雇い人は、これに与ることができませんでした。これは、神の民となった者だけが、あずかることができました。

 

また、過越しのいけにえは、一つ家で食べなければなりませんでした。肉の一切れでも家の外に持ち出してはなりません。その骨を折ってはなりませんでした。これは詩篇34:20でメシヤ預言として引用されています。すなわち、それはイエス・キリストの十字架を預言していました。そしてそれは、ヨハネ19:33の「イエスのところに来ると、すでに死んでいるのが分かったので、その脚を折らなかった。」によって成就しました。

 

もし、寄留者が滞在していて、主に過越しのいけにえをささげようとするなら、その家の男子はみな割礼を受けなければなりませんでした。そうすれば、その人は近づいてささげることができました。彼はこの国に生まれた者と同じとなるからです。しかし無割礼の者は、だれもそれを食べてはなりませんでした。旧約の時代でも、信仰を持つなら異邦人でも招かれていたのです。すなわち、主はすべての人が救われることを願っておられたということです。

 

このように、イスラエル人が過越しの食事を行うのは、彼らが主の圧倒的なみわざによってエジプトから救い出されたことを記念するためでした。同じようにクリスチャンは、キリストが私たちを罪から贖ってくださるために十字架で死んでくださったことを記念するために聖餐式を行っています。それが主の定められた礼典でした。私たちは、そのことによって神の愛と恵みを思い出すことができます。神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを願っています。すなわち、心に割礼を受けることを望んでおられるのです。私たちの救いのために主イエスが成し遂げてくださった救いのみわざを覚えて感謝しましょう。

ヨハネの福音書8章47~59節 「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』なのです」

今日は、58節のイエス様のことば、「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」から、ご一緒に学びたいと思います。

 

Ⅰ.死を見ることがない人たち(48-51)

 

まず48節から51節までをご覧ください。48節には、「ユダヤ人たちはイエスに答えて言った。「あなたはサマリア人で悪霊につかれている、と私たちが言うのも当然ではないか。」とあります。

 

このヨハネの福音書8章は、姦淫の現場で捕らえられた女に対して、律法学者とパリサイ人がイエス様に、「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じていますが、あなたは何と言われますか」と質問したのに対して、「わたしもあなたを罪に定めない」と言われたことから、彼らとの長い論争が続きます。

12節のところでイエス様は、「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」と言われました。しかし、彼らは、そのイエス様のことばを受け入れることができませんでした。なぜなら、真実な証言には二人の人以上の証言が必要とされていたからです。

そんな彼らに対してイエス様は、「わたしが「わたしはある」であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになる」(24)と言われました。なぜなら、イエス様を信じなければ、彼らの罪が残ることになるからです。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。しかし、真理はあなたがたを自由にします。イエス様こそその真理であり、そのみことばに従うことによって、私たちは本当の自由を得ることができるのです。

しかし、彼らはイエス様を受け入れることができませんでした。自分たちはアブラハムの子孫であって、何の奴隷でもない、と主張したのです。でも、もし彼らがアブラハムの子孫であるなら、アブラハムのわざを行うはずです。それなのに、彼らはイエス様を殺そうとしていました。それは、彼らがアブラハムの子孫ではなく、「悪魔から出た者」であり、悪魔の欲望を成し遂げたいと思っているからです。

 

するとそれを聞いていたユダヤ人たちは、「あなたはサマリア人で悪霊につかれている、と私たちが言うのも当然ではないか。」と言いました。どういうことでしょうか。これは、ひどい言葉です。おそらく、当時、考えられる限りの最悪の言葉だったでしょう。

「サマリア人」というのは本来サマリアに住んでいる人を指して使われる言葉でしたが、次第に、相手が誰であろうと関係なく軽蔑して言う時に使われるようになった言葉です。というのは、B.C.931年に、イスラエルは北王国イスラエルと南ユダ王国に分裂するのですが、B.C.722年にその北王国イスラエルがアッシリア帝国によって滅ぼされると、アッシリア帝国は多くの人々を捕虜して連れて行った代わりに他国の人々を連れて来て住まわせたため、彼らは混血族になってしまったからです。純血を重んじるユダヤ人にとって、それは考えられないことでした。それ以来、混血族になってしまったサマリア人を、神の祝福を受けられなくなってしまった人々として蔑視するようになったのです。それでユダヤ人はサマリア人を徹底的に嫌っていました。話もしなければ、その土地も通りませんでした。完全にシャットアウトしていたのです。そのサマリア人だと言ったのです。

 

また、悪魔というのは悪の霊のことです。それは神と正反対の存在で、神からもっとも遠く離れた存在です。神様がきよく正しい方であるならば、悪魔はもっとも汚れた不正な存在です。彼らはイエス様を、「お前はそのような悪魔に取りつかれたやからに違いない」と決めつけたのです。リビングバイブルでは、このところを次のように訳しています。「あんたはサマリア人だ!よそ者だ!悪魔だ!そうとも、やっぱり悪魔に取りつかれているんだ!」ユダヤ人の指導者たちはわめき立てました。」非常によく、その雰囲気を捉えているのではないでしょうか。神の子イエスを前にして、彼らは全く何も見えていなかったのです。何と驚くべきことでしょう。

 

それに対してイエス様はこのように答えられました。49節と50節です。「わたしは悪霊につかれてはいません。むしろ、わたしの父を敬っているのに、あなたがたはわたしを卑しめています。わたしは自分の栄光を求めません。それを求め、さばきをなさる方がおられます。」

そして、こう言われました。51節、「まことに、まことに、あなたがたに言います。だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません。」

イエス様はいつも重要なことを言われるとき、「まことに、まことに、あなたに告げます。」と前置きして言われますが、ここでもそうです。そしてその重要なことと

は何かというと、だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがないということでした。この「死」とは、もちろん「霊的死」のことです。霊的死とは、創造主なる神との関係が切れている状態を指します。人は神のかたちに造られ、神と関係を持って生きるように造られたので、それによって真の喜びと幸福を味わうことができるのに、それを永遠に味わうことができないとしたらどんなに不幸なことでしょう。その人の行き着く所は永遠の死です。これが聖書で言っている第二の死のことです(黙示録21:8)。しかし、イエス様を信じる者は、肉体的には死ななければならなくても、霊的に死ぬことはありません。その霊は永遠に生きるのです。イエス様は言われました「まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。」(ヨハネ6:47)

 

アメリカフロリダ州にある大きな長老教会の牧師で、「爆発する伝道」という世界的に用いられている伝道教材を作ったジェームズ・ケネディ牧師は、2007年に天に召されましたが、彼はクリスチャンの死生観について次のような言葉を残しています。

「いつか、私にも人生の終わりというものが来ます。私は箱に入れられ、教会の前のちょうどそのあたりに安置されるでしょう。周りには人が集まって、泣いている人もいるかもしれません。ただ、これまで言ってきたように、そうしないでいただきたい。皆さんに泣いてほしくないのです。告別式は、頌栄(神に栄光を帰する賛美歌)で始めて、ハレルヤコーラスで締めくくってください。私はそこにはいないし、死んでなんていないのですから。私は、今まで生きてきたどの時よりも生き生きとしていて、かわいそうな皆さんを上から眺めています。死にゆく世界にとどまっている皆さんは、生ける世界にいる私のもとにはまだ来ることができません。そして私は、私自身も、だれも経験したことがないほどの健康と、活力と、喜びにあふれ、いついつまでも生き続けるのです。」

何と希望に満ちた言葉でしょうか。人は皆、死に対して恐れや不安を持っていますが、このような希望が約束されていることがわかれば、私たちの死は確実に安らかなものとなるのではないでしょうか。仏教では、悪い行いを一切しないように努力し、できる限りよい行いをして功徳を積んでいれば、安らかな死を迎えることができると説きますが、悪い行いを一切しないで生きることができる人がいるでしょうか。いません。ですから、私たちは行いによっては決して罪が消えることはなく、いつも死に対して不安を抱えて生きなければなりませんが、キリストを信じ、キリストのことばに生きる人は、いつまでも決して死を見ることはありません。

 

教会では今、マクペラの墓に墓地を求めることになりました。この礼拝堂くらいの広さがあります。できれば、その入口に教会の名前とみことばの入った墓石を置きたいなぁと思っていますが、もし置くとしたら、どんなみことばがいいだろうと勝手創造しています。そして、このみことばがいいんじゃないかなぁと思うんです。それは、ルカの福音書24:6「ここにはおられません。よみがえられたのです。」です。私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に なって、あの大きな空を 吹きわたっています、ではないですが、もうそんなところにはいない。今まで生きてきたどの時よりも生き生きとしていて、かわいそうな皆さんを上から眺めています、と言えるのは、本当にすばらしい希望です。

 

先週、さくらのNさんの義母様が召されました。もうダメだというとき、Nさんからメールをいただきました。これまでなかなか母に心を開くことができず、福音を語ることができなかったのですが、先週のメッセージで、赦すというのは感情の問題ではなく信仰の問題だとお聞きし、あれからイエス様に祈ってみたら、やって心を開くことができるようになりました。それで、明日の昼、ちょうど母と二人きりになる時間が与えられるので、母に福音を伝えたいのですがどのように伝えたらよいか端的に教えてください、ということでした。

それで私は、五つのポイントがあります。一つは、これまでお母さんに心を開けなかったことをお詫びし、二つ目に、お母さんにも天国に行ってほしいことを伝え、三つ目に、そのためにイエス様が十字架にかかって死んでくださったということ、そして、四つ目に、このイエスを信じるならすべての罪が赦されて永遠のいのちが与えられるということ、その約束のことば、ヨハネ6:47の「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持っています。」を伝えること、最後に、この福音を信じるようにお勧めすることです。信じるなら、「アーメン」と言って応答するなり、首を縦に振って示してほしいということを伝えて、祈ってください、と伝えました。

後でメールが来ました。言われたとおりに福音を伝えることができました。しかし、すぐに昏睡状態に陥ったため、どのように受け止めたかはわかりませんということでした。でも、その後も何度も祈り、賛美する時間が与えられました、ということでした。

お母さんは、その三日後に召されましたが、結果はすべて神におゆだねし、この救いのみことばをはっきりと伝えることができたことに感謝することができました。先週の月曜日に行われたお別れの会は、急遽「感謝会」となり、お母さんを心から見送ることができました。「だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません。」私たちには、この救いのみことばがゆだねられているのです。

 

ところで、ここには「わたしのことばを守るなら」とあります。この「守る」という言葉は、宝物を保管して大事にするという意味があります。そのように主イエスのことばをいいかげんに扱うのではなく、それに心から従う態度で守るということです。つまり、信仰を持ってみことばを心から受け入れ、それを心にたくわえ、また自分自身の生活に適用し、そのみことばの意味しているところに従って生きるということです。ですから、守るということは、ほかの人が守っているかどうかを問題にすることではなく、自分がそのみことばに生きているということにほかなりません。このようにキリストのことばに生きる人は、いつまでも決して死を見ることがないのです。

 

Ⅱ.アブラハムよりも偉大なのか(52-56)

 

次に、52節から56節までをご覧ください。この主の言葉を聞いて、ユダヤ人は何のことを言っているのかさっぱりわからず、このように言いました。52節、53節です。

「あなたが悪霊につかれていることが、今分かった。アブラハムは死に、預言者たちも死んだ。それなのにあなたは、『だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を味わうことがない』と言う。あなたは、私たちの父アブラハムよりも偉大なのか。アブラハムは死んだ。預言者たちも死んだ。あなたは、自分を何者だと言うのか。」

 

彼らには、肉体の死と、霊的死、永遠の死の区別がつきませんでした。イエス様が「わたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を見ることがありません」と言われると、「何を言うか、自分たちの父祖であるアブラハムも、昔の預言者たちも神のことばを守っていたのに死んでしまったではないか。それなのにあなたは、「だれでもわたしのことばを守るなら、その人はいつまでも決して死を味わうことがない」と言う。自分を何様だと思っているのか。父祖アブラハムよりも偉大な者であるとでも言うのか。」と反論しました。

 

するとイエス様はこう言われました。54節から56節です。

「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光は空しい。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方を、あなたがたは『私たちの神である』と言っています。あなたがたはこの方を知らないが、わたしは知っています。もしわたしがこの方を知らないと言うなら、わたしもあなたがたと同様に偽り者となるでしょう。しかし、わたしはこの方を知っていて、そのみことばを守っています。あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました。そして、それを見て、喜んだのです。」

 

ここでイエス様が言っておられることは、父なる神と御子イエスとの親しい関係です。しかもその関係というのは、父なる神が、御子イエスに栄光を与えられるという関係です。これはどういうことかというと、父なる神がイエスをはっきり御子として認めておられるということです。ですから、この御子イエスをどのように見るかということで、私たちが父なる神にどのように評価されるかが決まるのです。それはユダヤ人たちが信仰の父と仰ぐアブラハムが、主イエスをどのように見ていたかをみればわかるでしょう。「アブラハムは、わたしの日を見るようになることを、大いに喜んでいました。そして、それを見て、喜んだのです。」これはどういうことでしょうか。

 

これは大きく二つの解釈に分けられます。一つは、アブラハムは実際にメシヤを見たわけではなかったが、いつかその日が来るということを信仰によって見ていたということです。

もう一つは、創世記18章においてアブラハムのところに三人の御使いが現れたという出来事が記されてありますが、あの出来事のことを指していると考えています。あのマムレの樫の木のそばで三人の御使いがアブラハムに現れたあの出来事です。そのうちの一人は主ご自身でした。受肉前のキリストですね。アブラハムは、この時実際に主を見て喜んだというのです。

この中で最も適切だと思われる解釈は、先のものでしょう。というのは、主は、「アブラハムはわたしを見た」と言われたのではなく、「わたしの日を見た」と言っておられるからです。アブラハムにとっての喜びは、彼の子孫からメシヤ、救い主が出るという約束に対して、それを信仰によって遠くから見ることでした。アブラハムは、それを見て喜んでいたのです。

 

また、同じヨハネの福音書12章41節に、「イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであり、イエスについて語ったのである。」とありますが、ここでの言い方とこの表現とが調和していることから考えても、これは、アブラハムがやがて来られるメシヤの日を喜び、それを信仰によって見て、喜んでいたと解釈するのが自然です。

 

また、ここでイエス様がこのように言われたのは、アブラハムがわたしを見たのだということを告げることにあったとは思えません。そうではなく、むしろ、わたしはあなたがたの父祖アブラハムに約束された「その末」なるメシヤである、と告げることが目的だったのではないかと思われます。ユダヤ人たちが、「あなたはアブラハムよりも偉大なのか」と尋ねた時、主は「そうである」ということの根拠をここに示そうとしておられたのです。つまり、「わたしはそうである。わたしは、アブラハムがメシヤの日のことを聞いて喜び、信仰によってそれを遠くに見たそのメシヤそのものなのである。もしあなたがたがアブラハムのようであったなら、あなたがたもわたしを見て喜んだであろう。」と言いたかったのです。

 

このようにして見ると、イエス様の偉大さが際立っています。ユダヤ人たちは、あなたは、私たちの父祖アブラハムよりも偉大なのかと言いましたが、主はアブラハムとは比較にならないほど偉大な方なのです。なぜなら、主はそのアブラハムが信仰によって見ていたメシヤそのものであられるからです。そのことはアブラハムだけでなく、すべてのクリスチャンにとっても同じです。イエス・キリストこそ、私たちにとっての生きがいであり、喜びであり、希望そのものなのです。

 

あなたはどこに希望を置いていらっしゃいますか。あなたの生きがい、喜びは何でしょうか。信仰の父アブラハムが喜びとしたイエス・キリストこそ真の喜びであり、生きがい、希望ではないでしょうか。

 

Ⅲ.アブラハムが生まれる前から「わたしはある」なのです(57-59)

 

最後に、57節から59節までをご覧ください。57節には、「そこで、ユダヤ人たちはイエスに向かって言った。「あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか。」とあります。

 

ユダヤ人たちにはまだイエス様が言っておられることの意味が分かっていませんでした。彼らは、目に見える肉体の姿で地上におられるイエス様だけを見ていたので、「あなたはまだ五十歳になっていないのに、アブラハムを見たのか」と言いました。そんなことあり得ません。なぜなら、アブラハムは二千年も前に生きていた人物だからです。そのアブラハムを見るなんてできるはずがないだろう、と詰め寄ったのです。

 

するとイエス様はこのように言われました。58節です。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」これは驚くべきことです。イエス様はイエス様の時代よりも二千年も前に生きていたアブラハムが生まれる前からおられたというのですから。それだけでなく、この「わたしはある」という表現は、ユダヤ人ならば誰でも思い出す旧約聖書の表現でした。

旧約聖書の出エジプト記3章14節に、神はモーセに、「わたしは『わたしはある』という者である。」と言われたことが記されてあります。これは聖書の神が他の何ものにも依存しないでも存在することができる方であるということ、すなわち、すべての存在の根源であることを示しています。そうです、聖書の神は、すべてのものを創られた創造主であられるのです。

 

そして、イエス様が「わたしはある」と言われるとき、それはイエス様がこの「わたしはある」という者であることを示しています。これはギリシャ語では「エゴー・エイミー」という言葉であることは以前お話ししたとおりです。ヨハネの福音書には、この「エゴー・エイミー」という言葉を何かと組み合わせてイエス様がこの世の救い主であることを示している箇所が7回出てきます。

「わたしは命のパンです。」(6:35,41,48,51)

「わたしは世の光です。」(8:12)

「わたしは門です。」(10:7,9)

「わたしは良い羊飼いです。」(10:11,14)

「わたしはよみがえりです。いのちです」(11:25)

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(14:6)

「わたしはまことのぶどうの木です。」(15:1,5)

つまり、イエス様が「アブラハムが生まれる前から『わたしはある』なのです」と言われたのは、ご自身が神であり、永遠の存在者であるという宣言だったのです。ですから、それを聞いたユダヤ人たちは、イエス様に石を投げつけようとしたのです。イエス様がご自分を神に等しい方とされたからです。もしイエス様が実際にそうでなかったとしたら、それは神を冒涜することになり、石打ちにされても仕方ないでしょうが、しかし、イエス様はまことの神であり、神と同等であらる方なので、神を冒涜する罪は犯しませんでした。イエス様はまことの神であられ、アブラハムが生まれる前からおられた永遠なる神なのです。

 

イエス様はこの天地を創造された時にも、アブラハムの時代にも、モーセやイザヤの時代にも、いつの時代も存在しておられた方であり、今、この時も存在して、あなたの傍らにおられます。そして、あなたを無力さや失望から救い出してくださいます。なぜなら、すべての存在の根源であられるキリストがあなたの人生に目的と意味を与えてくださるからです。

 

この方を信じるとき、あなたはあらゆる虚しさや絶望から解放され、本当の生きがいを見いだすことができます。あなたを創造しどんな時もあなたとともにおられるキリストこそ、あなたに真の喜びと希望、そして生きがいを与えることができる方なのです。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」

Ⅰサムエル記1章

きょうから、サムエル記第一を学んでいきたいと思います。きょうはその第1章です。

 

Ⅰ.ハンナの痛み(1-8)

 

まず、1~8節までをご覧ください。

「エフライムの山地ラマタイム出身のツフ人の一人で、その名をエルカナという人がいた。この人はエロハムの子で、エロハムはエリフの子、エリフはトフの子、トフはエフライム人ツフの子であった。エルカナには二人の妻がいた。一人の名はハンナといい、もう一人の名はペニンナといった。ペニンナには子がいたが、ハンナには子がいなかった。この人は、毎年自分の町から上って行き、シロで万軍の主を礼拝し、いけにえを献げることにしていた。そこでは、エリの二人の息子、ホフニとピネハスが主の祭司をしていた。そのようなある日、エルカナはいけにえを献げた。彼は、妻のペニンナ、そして彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えるようにしていたが、 ハンナには特別の受ける分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。また、彼女に敵対するペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。そのようなことが毎年行われ、ハンナが主の家に上って行くたびに、ペニンナは彼女の怒りをかき立てるのだった。こういうわけで、ハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか。」

 

舞台は、エフライムの山地です。ラマタイム出身のツフ人の一人で、エルカナという人がいました。第三版には「エフライムの山地ラマタイム・ツォフィムに、その名をエルカナというひとりの人がいた。」とあります。こちらの方がわかりやすいですね。「ラマタイム・ツォフィム」とは「ラマ」のことです。ですから、エフライムのラマという町にエルカナという人がいたとなります。

彼には二人の妻がいました。一人は「ハンナ」といい、もう一人は「ペニンナ」といいました。「ハンナ」とは「恵み」という意味があります。また、「ペニンナ」という名には「真珠」という意味があります。なぜエルカナには二人の妻がいたのでしょうか。当時の習慣や律法の教えを考慮すると、ハンナに子が与えられていなかったので、さらにペニンナを妻として迎えたのではないかと考えられます。というのは、当時、不妊であるというのは、神ののろいが下ったものと考えられていたからです。申命記7章14節にこうあります。

「あなたはあらゆる民の中で最も祝福される。あなたのうちには、子のいない男、子のいない女はいなくなる。あなたの家畜も同様である。」

それはハンナの存在価値を失わせるようなことでした。それで夫のエルカナは、ハンナによって得られなかった子供をペニンナによって得ようとしたのではないかと思われます。それはハンナのことを思ってのことです。

 

しかし、すべての不妊がそうなのではありません。神の時が来るまで、一時的に不妊の状態に置かれた婦人たちもいました。ハンナはその良い例です。また、神によってあえてそのような状態に置かれる場合もあります。その場合、たとえば、子供がいてはできないような奉仕に導かれることがあります。ですから、すべての不妊が神ののろいによるのではありません。人間的に不幸と思えることの背後にも、神の深いご計画があることを覚えておかなければならないのです。

 

では、ハンナの場合はどうだったのでしょうか。神は彼女にどんなご計画を持っておられたのでしょうか。3節には、「この人は、毎年自分の町から上って行き、シロで万軍の主を礼拝し、いけにえを献げることにしていた」とあります。

イスラエル人の男性は、年に3度、主の宮に上って、主を礼拝し、いけにえを捧げるように命じられていました。エルカナは神に対して非常に忠実な人であったので、毎年シロに上り、主を礼拝し、いけにえをささげていたのです。そして、そのいけにえの中から自分の受ける分を取り、家族とともに祝いの食事をしていました。ここには「受ける分」とあります。これは、和解のいけにえをささげる場合に行なわれときにささげる者が受ける分のことです。祭壇でいけにえを焼くとき、脂肪分は完全に焼き、それを主のものとしてささげると、胸と右肩の肉は祭司のものとなりました。そして残りがそのささげた人のものとなるわけですが、それがその「受ける分」です。これを共に食べることによって、神と交わりを持つことができるとされていました。

エルカナは、妻のペニンナとその息子たちと娘たち全員に、それぞれ受ける分を与えるようにしていましたが、ハンナには特別の受ける分を与えていました。この「特別の受ける分」とは、下の欄外の説明にあるように、直訳では「二つの鼻」のことです。これは2倍の量、あるいは最良の部分を意味します。それを与えていたのです。それは、彼女の胎が閉ざされていましたが、彼がハンナを愛していたからです。おそらく、不妊で苦しむ彼女を慰め、自分の愛を伝えたかったのでしょう。また、もう一人の妻ペニンナが、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせているのを見て、慰めようとしたのだと思います。

 

しかし、そのようなことが毎年行われるので、ハンナが主の宮に上って行くたびに、悲しみのあまり、主との交わりである特別の食事でさえ喉が通らなくなりました。そこで夫のエルカナは、ハンナを励ますためにこう言いました。「ハンナ、なぜ泣いているのか。どうして食べないのか。どうして、あなたの心は苦しんでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないか。」つまり、あなたは私の愛を得ているのだから、それは10人の息子を得る以上のことではないか。だからがっかりしなくてもいい、と言っているのです。だったらなぜペニンナを妻にしたのか、と言いたくなるところですが、彼は自分にできる限りの愛をもって彼女を励まそうとしているのです。彼は自分の存在は彼女のためであり、そのすべてを得ていることが彼女の癒しになると考えていたのです。

彼の存在が10人の息子以上の者であるかどうかはわかりませんが、間違いなく言えることは、私たちの主イエスの存在は、息子10人以上の価値があるどころか、私たちの心の痛みを完全に癒すことができるということです。私たちの心の痛みや嘆きは、エルカナ以上のお方、私たちの主イエス・キリストによって完全に癒されるのです。パウロはピリピ人への手紙の中で、「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてのことを損と思っています。」(ピリピ3:8)と言っています。キリストを知っているということは、すべてを得ていることなのです。ですから、私たちにもハンナのような痛みやイライラがあるかもしれませんが、息子10人にもまさる方、いや、すべてのすべてであられるイエス様が与えられていることを感謝し、この方を見上げながら前進しようではありませんか。

 

Ⅱ.ハンナの祈り(9-20)

 

次に9節から20節までをご覧ください。11節までを読みます。

「シロでの飲食が終わった後、ハンナは立ち上がった。ちょうどそのとき、祭司エリは主の神殿の門柱のそばで、椅子に座っていた。ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず、男の子を下さるなら、私はその子を一生の間、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりを当てません。」

 

さて、シロでいけにえをささげ、食事が終わると、ハンナが立ち上がりました。ただ立ち上がったということではありません。主の宮に行って祈るために立ち上がったのです。彼女の心は痛んでいました。それで彼女は主の宮で激しく泣き、心を注いで祈ったのです。祭司エリは、その様子を主の宮の門のそばで、椅子に座って見ていました。

ハンナは誓願を立てて言いました。「もし神がはしためを顧みてくださり、男の子を与えてくださるのなら、その子を一生涯、主にお渡しします。そしてその子の頭にかみそりをあてません。」これはナジル人の誓願です。(民数記6:5)士師記に登場したサムソンも生まれながらのナジル人でした。この両者の違いは、サムエルは母の誓願によってナジル人になったのに対して、サムソンは神の命令によってナジル人になったという点です。聖書には、生まれながらのナジル人として登場する人が3人います。このサムエルとサムソン、そして、バプテスマのヨハネです。主はこのような祈りを通して、ご自身のみわざを現そうとしていたのです。

 

ヨハネ第一の手紙5章14節には、「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」とあります。主が人の心に、ご自分の願いを起こされます。そして、神がその祈りを聞かれることによって、ご自分のわざをその祈った人を通して行なわれます。祈りは、私たちの願いではなく、神のみこころがこの地上で行なわれるための手段なのです。

 

詩篇50篇15節には、「苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出しあなたはわたしをあがめる。」とあります。ハンナの祈りに答えてくださった神に、私たちも祈る特権が与えられています。私たちも、私たちを苦難から助け出してくださる主に、心を注いで祈ろうではありませんか。

 

次に12節から18節までをご覧ください。

「ハンナが主の前で長く祈っている間、エリは彼女の口もとをじっと見ていた。ハンナは心で祈っていたので、唇だけが動いて、声は聞こえなかった。それでエリは彼女が酔っているのだと思った。 エリは彼女に言った。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」ハンナは答えた。「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」エリは答えた。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。」

 

ハンナは主の前で長く祈っていましたが、それは言葉に出さずに心の中で祈っていたので、唇だけが動いていただけで、声は聞こえませんでした。そこでそれを見ていた祭司エリは、彼女がぶどう酒を飲んで酔っているのだと思ってこう言いました。「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい。」

 

するとハンナは、自分が酔っているのではなく、心に悩みがあるので、主の前に心を注いで祈っていると説明しました。

 

それを聞いたエリは、「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いがかなえてくださるように。」と言いました。これは祈りなのか、それとも預言なのか、あるいは単なるあいさつなのかわかりません。しかし、それがどのようなものであったとしても、彼女はそれを神からの約束の言葉として信じて受け取りました。このように信仰によって神の約束を受け取ることが重要です。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」(へブル11:6)とあるからです。

 

彼女はどれほどうれしかったでしょう。そのうれしさは、18節の次の言葉によく表されています。「それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。」

彼女は、祭司エリを通して語られた主の言葉を信じて、帰路に着きました。すると、食事が喉を通り、その表情も以前のように悲しみに満ちたものではなくなりました。これが心を注ぎだす祈りをした結果です。彼女の顔は変わりました。祈りは周りの状況を変える前に、自分の内面を変えるのです。たましいの創造者に自分を任せることができるようになるからです。

 

19節、20節をご覧ください。主は彼女の内面を変えただけでなく、その実際的な必要にも応えてくださいました。「彼らは翌朝早く起きて、主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家に帰って来た。エルカナは妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。年が改まって、ハンナは身ごもって男の子を産んだ。そして「私がこの子を主にお願いしたのだから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。」

 

ここの「知った」というのは、もちろん夫婦関係を持った、ということです。そして主が彼女を心に留めておられたので、彼女は身ごもって男の子を産みました。それが「サムエル」です。「サムエル」とは、「神が聞いてくださった」という意味です。ハンナは、自分の祈りが聞かれたことをいつまでも覚えておくために、自分の息子に「サムエル」という名前を付けたのです。あなたは自分の人生の中で主が祈りをきかれ、あなたに良くしてくださったことを、どのように覚えておられますか。今もう一度、主の恵みを思い起こして、主の御名をほめたたえましょう。

 

Ⅲ.子どもを主にささげたハンナ(21-28)

 

最後に21節から28節まで見て終わりたいと思います。

「夫のエルカナは、年ごとのいけにえを主に献げ、自分の誓願を果たすために、家族そろって上って行こうとした。しかしハンナは、夫に「この子が乳離れして、私がこの子を連れて行き、この子が主の御顔を拝して、いつまでもそこにとどまるようになるまでは」と言って、上って行かなかった。 夫のエルカナは彼女に言った。「あなたが良いと思うようにしなさい。この子が乳離れするまでとどまりなさい。ただ、主がそのおことばを実現してくださるように。」こうしてハンナはとどまって、その子が乳離れするまで乳を飲ませた。その子が乳離れしたとき、彼女は子牛三頭、小麦粉一エパ、ぶどう酒の皮袋一つを携えてその子を伴って上り、シロにある主の家に連れて行った。その子はまだ幼かった。彼らは子牛を屠り、その子をエリのところに連れて行った。ハンナは言った。「ああ、祭司様。あなたは生きておられます。祭司様。私はかつて、ここであなたのそばに立って、主に祈った女です。この子のことを、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主におゆだねいたします。この子は一生涯、主にゆだねられたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。」

 

夫のエルカナは、毎年主の宮に上ることを習慣としていました。しかし、息子が誕生するとハンナは、上って行くことを拒みました。それは彼女が幼子を主にささげたくなかったからではなく、幼子が乳離れするまではその子を手元に置き、それから主の働きのためにささげようとしたからです。当時の習慣では、幼子が乳離れをするのは大体3歳くらいであったようです。夫のエルカナはその申し出を受け入れました。

ですから、サムエルは人生の基礎づくりとなる3年間を敬虔な母親の下で、母親の愛によって育てられることになるわけです。それはやがて信仰の偉人となるサムエルにとっては、欠かせないことでした。昔モーセも乳離れするまで実母の下で育てられたことを覚えていますか。それによって彼はへブル人としてのアイデンティティーをしっかりと持つことができました。同じように、サムエルも信仰と祈りに満ちた母ハンナに育てられることによって、将来主のために用いられる礎をしっかりと築くことができたのです。それにしても、敬虔な母親によって育てられた人は、何と幸いでしょうか。

 

古代キリスト教の偉大な神学者の一人アウグスティヌスも、敬虔な母モニカによって育てられました。16歳の時からカルタゴで修辞学を学んだアウグスティヌスは、19歳で母の同意もなく同棲し2人の子供をもうけます。常に襲い来る肉の誘惑と自分が描く理想の姿とのギャップに苦しむアウグスティヌスは、善悪二元論を唱えるマニ教に帰依して、ますます神様から離れていきます。心配した母モニカは、主教のアンブロシウスに相談しました。アンブロシウスは、「安心して帰りなさい。涙の子は決して滅びることはない。」と言って励ましました。モニカは、息子のために、涙を流して何年も熱心に祈り続けました。そして、天に召される1年前に、モニカの祈りは答えられたのです。すでに32歳になっていたアウグスティヌスが、アンブロシウスによってバプテスマを受けると、モニカは、「私がこの世に少しでも生き永らえたいと思った望みは、一つだけでした。それは死ぬ前に、クリスチャンになったあなたを見ることでした」といって喜んだということです。そしてアウグスティヌスは、やがて初期キリスト教会最大の思想家といわれるほどになったのです。

このことからも、幼児期の信仰の教育がどれほど重要であるかがわかります。それと、涙の祈りが・・。最近は、母親が毎日忙しく子どもとの時間がとりにくい時代になりました。しかし、三つ子の魂百までも、ということわざがあるように、3歳までの幼児教育は、その後のその子の人生にって大きな影響をもたらすということを考えると、まず自分自身がしっかりと主に向き合い、そして自分の子どもに向き合うことがいかに重要であるかを思い知らされます。

 

24節をご覧ください。いよいよその子が乳離れする時がやって来ます。ハンナは子牛3頭、小麦粉1エパ、ぶどう酒の革袋1つを携えてその子を伴って上り、シロにある主の家に連れて行きました。

ハンナは祭司エリに、自分は息子を一生涯主に捧げるが、それは主に約束したとおりであると伝えます。26節から28節にある彼女の言葉に注目してください。ここで彼女は、自分がかつてエリのそばで祈った女であること、そして、その祈りのとおりに、主は彼女の願いをかなえてくださったということ、それゆえに彼女もまた、その子を主におゆだねする、と言っています。つまり、彼女がその子を主におゆだねするのは、主が彼女にその子を与えてくださったからです。私たちも何かを主にささげるのは、主から与えられているからです。主から与えられていないものをささげることなどありません。

 

こうしてサムエルは、生涯ナジル人として主に仕えることになります。そして彼はやがて、イスラエルを導く偉大な祭司、預言者、士師となるのです。ここに王制がスタートすることになります。彼はその王に油を注ぐ任務が与えられます。重大な使命を担う訓練が、ここに始まりました。すべてはこのハンナの祈りから始まりました。祈り深い母の影響力が、いかな大きいかということを痛感させられます。