創世記10章

創世記10章には、「諸民族の起源」が記されてあります。それによると世界のすべての民族は、ノアの三人の息子セム・ハム・ヤペテから分かれ出ました。大洪水の時ノアの箱舟に乗ったのは、ノアとその妻、および彼らの息子セム・ハム・ヤペテとその妻たちの合計8人でした。ですから、現在の人類は、すべてノアの子孫であり、またすべての民族はセム、ハム、ヤペテの3人を先祖として、分かれ出たことになります。

1.ヤペテ(10:2-5)

まず取り上げられているのはヤペテです。兄弟の順序からすればセム、ヤペテ、ハムですからセムが取り上げられなければならないのですが、以後、セムの歴史が中心に記されていくので、その前にヤペテとハムの歴史をまず取り上げて、その後で中心のセムについて書き記すという書き方をしています。

「ヤペテ」という名前の意味は「広い」です。事実、ヤペテ系の民族はその名のとおり、非常に広い範囲に移り住みました。ヤペテから出た諸民族は、「白人」と呼ばれる欧米人やロシア人、ペルシャ人、インド人などになりまた。聖書によるとヤペテの子は、「ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス」でした。まず「ゴメル」です。ゴメルの子孫は、「アシュケナズ、リファテ、トガルマ」(10:3)とあります。

「アシュケナズ」はおもに小アジア(今のトルコ)に移り住みましたが、さらに進んでヨーロッパに渡り、ドイツにも移り住んだようです。ユダヤ人はドイツ人を「アシュケナズ」という名で呼んできたのは、ここにその由来があるようです。

「リファテ」はパフレゴニヤ人、「トガルマ」はフルギヤ人のことです。(ヨセフスによると・・)今のアルメニア人の先祖です。彼らはいずれも小アジア(今のトルコ)に移り住みました。

次にヤペテの子「マゴグ」です。彼らはスキタイ人のことで、南ロシアの騎馬民族となりました。(ヨセフス「ユダヤ古代史1巻6:1)

ヤペテのもうひとりの子「マダイ」はメディア人のことです。彼らはメソポタミヤにメディア帝国を作り、のちに兄弟民族のペルシャ人と結託して、メディア・ペルシャ帝国を築き上げました。いわゆるアーリア人は、この「マダイ」の子孫です。アーリアの名は、メデア・ペルシャ帝国の人々が「アーリア人」と呼ばれたことから来ているのです。アーリア人はインド方面にも移り住み、インドの主要民族となりました。したがってインドの主要民族は、ヤペテ系です。

次に出てくるのは「ヤワン」です。「ヤワン」とは、ギリシャ人のことです。ギリシャは、ヘブル語で「ヤワン」なのです。ギリシャ人は自分たちのことを、イオニヤ人(ギリシャ語でイヤオ-ン)と呼んでいました。聖書にはヤワンの子は、「エリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人」(10:4)とあります。「エリシャ」はおそらくギリシャや、地中海のキプロス島に渡った人たちです。「タルシシュは、スペインに移り住んだ人たちです。スペインには、「タルテッソ」という港があります。(ヨナ1:3)キティム人は、キプロスに渡り、そこを占領した民族です。(ヨセフス、「ユダヤ古代史」1巻6:1)「ドニダム人は、おそらく北方ギリシャ人、タセルダネア人、ドーリア人、またはエーゲ海東のローデア人のことです。

次は「トバル」です。彼らは旧ソ連の中にあるグルジヤ共和国あたりに移り住みました。グルジヤ共和国の首都トビリシは、この「トバル」に由来しています。

ヤペテの子「メシェク」は、モスコイ人のことで、(ヘロドトス「歴史」3:94)旧ソ連のロシア共和国付近に移り住んだ民族です。モスクワの名は、この「メシェク」に由来しています。ヤペテの子「ティラス」は、エーゲ海周辺に移り住んだエトラシア人です。

このようにヤペテの子孫は、おもにヨーロッパ、ロシア方面に移り住み、インドにも移り住みました。ですからヤペテ系民族は、いわゆる「インド・ヨーロッパ語族」の人々と、ほぼ同じか、ほとんど重なるものです。

一般に言われている「インド・ヨーロッパ語族」というのは、

〔西方系〕スラブ系=ロシア人・ポーランド人・ユーゴスラビア人・ブルガリア人等 チュートン(ゲルマン)系=イギリス人・オランダ人・ドイツ人・ノルマン人 ラテン系=イタリア人・フランス人・スペイン人・ポルトガル人 ギリシャ系=ギリシャ人

〔東方系〕インド人(アーリア人)・イラン人(メデア・ペルシャ人)です。これまで見てきたことからを考えると、大まかに言って、スラブ系は、マゴグ・トバル・メシェク・ゴメル チュートン系(ゲルマン系)は、マダイ・ゴメル ラテン系・ギリシャ系は、ヤワン 東方系は、マダイの子孫ということになるでしょう。ヤペテ系の人々の肌は、大体において白色から、黄色かかったうすい褐色をしています。

2.ハムの子孫(6-20)

次にハムの子孫について見ていきましょう。10章6節には、「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。」とあります。はじめに「クシュ」は、旧約聖書の古代訳であるアレキサンドリヤ・ギリシャ語訳では「エチオピア」です。この「クシュ」から、アフリカ大陸に住んだヌビア民族が生まれ出ました。クシュの子孫のひとり「セバ」(10:7)、エチエピアの町メロイの旧名でもあります。(ヨセフス「ユダヤ古代史」第二巻10:2)

次に、ハムの子「ミツライム」からは、エジプト人が出ました。ミツライムの子孫「パテロス人」(同10:13)などは、今日のエジプトに定住した民族です。同じくミツライムの子孫「レハビム」(10:13)は、アフリカ大陸の北部のリビアあたりに定住しました。(同ヨセフス)

次にハムの子「プテ」も、アフリカ北西岸リビア地方に移り住みました。ハムの子孫の多くは、アフリカ大陸に広がったのです。彼らはアフリカ北部から次第に南下して、やがてアフリカ全土に広がったのでしょう。

したがって、いわゆるニグロイド(黒人)はハムの子孫ということになります。しかしハムの子孫のすべてが、アフリカ大陸に移り住んだというわけではありません。また、ハムの子孫のすべてが黒人というわけでもないのです。

ここにハムの子クシュの子孫に「サブタ」(10:7)という人がいますが、彼はアラビア半島の南端のハドラマウトというところに定住しました。同じく「ラマ」は、ハドラマウト北方に住んだランマニテ人のことです。

またクシュの子孫「サブテカ」(10:7)は、ペルシャ湾東側の都サムダケを建設した民族であり、「シェバ」は、アラビア半島南西部のマリブを都とする商業国の建設者、「テダン」は、北方アラビア人となった人々です。ハムの子孫の中には、アラビア半島に移り住んだ人々もいました。またハムの子「クシュ」の子孫の中から「ニムロデ」という人物も出ました。彼はメソポタミヤ地方に強大な王国をつくり、地上最初の権力者となりました。 ニムロデの王国は、「シヌアルの地」(10:10)にありました。歴史学のうえで有名なシュメール地方(メソポタミヤ)のことです。彼は都市国家バベル、エレク、アカデ(アッカド)を征服して支配しました。ニムロデの名はその後も伝説的に語り継がれ、のちに神格化されて、バビロンの守護神メロダク(マルズク)として崇められました。有名なハムラビ王(B.C.2000年頃)の時代には、世界最高の神として祭られました。

このようにハム系の民族の中には、メソポタミヤ地方や、アラビア半島方面に広がった人々もいました。さらに次に見るように、パレスチナ地方に移り住んだ人たちもいました。ハムの子ミツライムの子孫「カスルヒム人」は、ペリシテ人の先祖で(10:14)、「バレスチナ」という名は、彼ら「ペリシテ」の名に由来するものです。彼らは、イスラエル人とたびたび戦闘を交えたので、旧約聖書にもよく出てきます。

またハムの子「カナン」から出た民族のほとんども、パレスチナ地方から小アジア地方(今のトルコ共和国)に移り住みました。たとえば、カナンの子孫の「シドン人」(10:15)は、フェニキヤ人となった人々です。フェニキヤ地方(今日のシリア)には、今もシドンという町があります。カナン人の子孫「ヘテ人」は、ハッティ人のことです。彼らはのちに他民族、おそらくヤペテ系民族に征服され、いわゆるヒッタイト王国の住民となりました。 カナンの子孫「エブス人」は(10:16)、エルサレムの先住民族であり、「エモリ人」(10:16)は、スリヤ(今日のシリヤ)に移り住んだ民族です。ヒビ人は、パレスチナに移り住みました。 またカナンの子孫「アルキ人」(10:17)は、レバノン山麓テル・アルカ近辺の住民、「アルワデ人」(10:17)は都市国家アルワデの住人、「ツェマリ人」(10:18)は都市国家ズムラの住人、「ハマテ人」(10:18)は都市国家ハマテの住人と言われています。彼らはいずれも、パレスチナ、レバノン、シリヤあたのり町々の住人となったのです。

結論としてハムの子孫は、アフリカ大陸や、アラビア半島、メソポタミヤ、パレスチナ、シリヤ、小アジア(今のトルコ)の地域に移り住みました。古代史に名だたるエジプト帝国、フェニキア人、またフェニキア人の植民都市カルタゴなどはみな、ハム系です。ハム系の人々の肌の色は、大体において黒色から、黄色かかったうすい褐色まであります。

ニューギニア人、フィリピン原住民、マライ半島(マレーシア原住民)、オーストラリア原住民、そのほか「東南アジア・ニグロイド」とか「オセアニア・ニグロイド」と言われる人々も、ハム系の血が濃いのではないかと思われます。つまりハム系の人々は、かなり東の方まで進出し、東南アジアや、ニューギニヤ、オーストラリア方面にも移り住んだようです。「ハム」という名前の意味は「暑い」という意味で、実際に彼らは、おもに暑い地方に移り住んだようです。

3.セムから出た民族(21-31)

10:22には、セムの子孫は、「エラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム」とあります。はじめに三番目のアルパクシャデから見ていきましょう。10:24によると、彼の孫に「エベル」という人物が出てきますが、この「エベル」は、「ヘブル人」の先祖です。(11:14)すなわち、「エベル」から、イスラエル人とかユダヤ人と呼ばれる人々が出たのです。またねこのアルパクシャデの子孫の中には、「シェレフ」や「ハツァルマベテ」「ウザル」といった人たちが出ていることがわかります。「シェレフ」は、アラビア南部に定住した民族です。

「ハツァルマベテ」は、今日のアラビア半島南端の、ハドラマウト地方に定住した民族です。名前が似ているのは、この地方に移り住んだのが彼らだったからです。「ウザル」、アラビア半島に移り住みました。イエメンあたりに移り住みました。イエメンの首都サヌアの旧名は「ウザル」であって、これは彼らの先祖の名に由来するものです。このようにセムの子「アルパクシャデ」からは、ヘブル人以外にも、アラビア半島に住む諸民族が出たわけです。

セムの他の子についてはどうでしょうか。セムの子「エラム」は、メソポタミヤの北部(今のシリヤ)付近に定住した民族です。有名な「アッシリア」の名は、彼らに由来しています。しかし、歴史学の上で言ういわゆる「アッシリア帝国」がセム系だったかというと、そうではありません。アッシリア帝国の支配階級となった人々は、ハムの子カナンの子孫であるエモリ人だったからです。彼らはアッシリア一帯を征服し、そこの支配者となりました。

セムの子「ルデ」は「リディア人」(リュディア人)のことで、やはりメソポタミヤに住みました。リディアは、B.C.七~六世紀頃には強国となりました。またセムの子「アラム」も、メソポタミヤやスリヤ(今のシリヤ)地方に定住しました。彼らの言葉「アラム語」は、紀元前一千年頃には全メソポタミヤ地方に広まり、アッシリア帝国やペルシャ帝国の公用語になりました。イエスや弟子たちも、アラム語を話しました。考古学者の意見によると、紀元前7世紀に新バビロニア帝国(聖書でいうバビロン帝国)を建てた「カルデヤ人」は、今のところアラムの一派と思われています。そうであれば、新バビロニア帝国はセム系であったということになりますが、一方ではハム系であるという意見もあり、はっきりしていないところがあります。

いずれにせよ、このようにハムからは、ヘブル人やアラビア人、そのほか、中近東に住む人々が出ました。ただし、これは今日、中近東に住む人々がみなセムの子孫である、ということではありません。今日、中近東にはセムの子孫以外にもハムの子孫やヤペテの子孫なども住んでいます。ここで述べているのは、おもにセムの子孫は中近東に移り住んだということです。

創世記9章

きょうは、9章から学びたいと思います

1.新しい命令(1-7)

まず1節から7節までをご覧ください。箱舟から出たノアは、主のために祭壇を築き、その祭壇の上で全焼のいけにえをささげました。すると神は、そのなだめのかおりをかがれ、再びこの地をのろうことはしないと約束されました。それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、言われました。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」

 

これは神がアダムを創造された時に与えられた祝福と同じことばです。しかし、その後にある動物の支配に関する命令は、初めの創造の時とは異なっていることがわかります。初めの創造の時には、「海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」とありましたが、ここでは、「野の獣、空の鳥、地の上を動くすべてのもの、それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。」とあります。何が違うのかというと、動物たちが、人を恐れるようになると言われていることです。動物たちが本能的に人間に対して恐れを示すようになったことです。どういうことでしょうか?人間と動物の関係が根本的に変わったということです。どういうふうに?それまでは人の心をなごませ、いやし、友のような存在であった動物が、食用として食べられるようになったということです。この時になって初めて、人間が動物の肉を食べることが許されたのです。しかし、人が肉を食べる時には一つの決まりが定められました。何でしょうか?「肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。」(4)ということです。どういう意味でしょうか?血のあるままで食べてはならないというのは、生で食べてはならないということでしょう。人が動物の肉を食べる時には、血を適切に処理しなければなりませんでした。なぜでしょうか?人のいのちは血にあるからです。その血は、被造物のいのちを表していました。ですから、人が犠牲をささげるときには、この血が用いられたのです。(レビ17:11)いのちの象徴であるこの血を尊ぶことが求められたのです。ですから6節には、「人の血を流す者は、人によって血を流される。」とあるのです。人の血を流すこと、あるいは自分の血を流すことは、その中にある神のかたちを傷つけることであり、神に反逆することなのです。それゆえに自殺も殺人、神のみここにかなわない罪なのです。つまり、神が新しい人類に肉を食べるそのとき、血のあるままで食べてはならないと言われたのは、人のいのちの尊さを教えるためだったのです。ですから、これは単に生で食べてはならないという衛生的なことや、輸血をしてはならないといった医学的なことが言われていたのではなく、人のいのちに対する考え方を教えることが意図されていたのです。

2.契約のしるし(8-17)

続いて神はノアと、彼といっしょにいた息子たちに告げて言われました。「さあ、わたしはわたしの契約を立てよう。あなたがたと、そしてあなたがたの後の子孫と。」その契約の内容とはどんなものだったでしょうか?11節です。それは、「すべての肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない。」ということです。この神が立てられた契約の特徴は、万物をその範囲としていることと、すべての歴史をその時間としていることです。もはや二度と洪水でこの地上が滅ぼされることはない・・・と。そして神は、この契約を覚えさせるために、一つのしるしを与えてくれました。何でしょうか。虹です。神は雲の中に虹を立てることによって、それをご覧になられ、すべての息ある者との間に交わされた契約を思い出されるというのです。つまり神は、ご自分が立てられた契約を実証するために、虹によって署名捺印されたのです。これは、神のあふれる恵みの行いです。

聖書は、実に神の契約です。ですから、旧約・新約聖書と呼ぶわけです。この神の契約(救いについての契約、約束)が真実であることを、神は確証し、イエス・キリストを十字架の上で死なせ、さらに復活させられたのです。これが神の契約に対する書名捺印です。ノアの場合の契約はこれをさし示していたのです。あるいは、このように言うこともできます。神の契約はイエス・キリストの十字架による契約です。そのしるしとして神は聖餐式を制定されました。その聖餐を受ける度に、神が「私のために」その契約を覚えておられると確信することができます。したがって、ノアへの神の契約とそのしるしの虹は、この聖餐を指し示していたとも言えるでしょう。神はそれをご覧になる度に、永遠の契約を思いおこすと言われましたが、それと同様に、神は聖餐によって、私たちへの契約を思い起こされるのです。

ここで注意しておきたいことは、この契約のしるしとしての虹が雲の中に現れる時、永遠の契約を思い起こされるのは私たちではなく、神の側であるということです。すぐに物事を忘れてしまうような弱い私たち人間の記憶には、契約の土台のひとかけらも置かれていないのです。神が思い起こしてくださいます。これだけで十分ではないでしょうか。太陽と黒雲の交錯する中から、虹が輝き出す時、明るい神の愛が、どす黒いさばきに打ち勝った勝利の象徴として描き出されるのです。天から地へとかけられた美しい虹のかけ橋に、神が人間に対して平和のメッセンジャーを送って来られたかのようです。しかし現実には、視界をはるかに越えて、神の恵みの契約がすべてのものを包んでいることを宣言していたのです。

4.洪水後の人類の歴史の始まり(18-19)

次に18,19節をご覧ください。「箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。」

ここから、洪水後の人類の歴史が始まります。最初の人間アダムによってすべての人間が始まったように、洪水後の人類は、ノアの息子たちによって始まり、全世界の民は彼らから分かれ出ました。それぞれの子孫については来週見ていきたいと思いますが、ここでは「ハムはカナンの父である」と付け加えられていることについて少し考えてみたいと思うのです。なぜここにいきなりカナンが出てくるのでしょうか。これは22節でもそうですし、25節にも記されてあることです。カナンとは、10章6節を見てもわかるように、ハムの四人の子供の末っ子ですが、ここからカナン人の諸氏族が分かれ出るようになります。おそらく、後にイスラエルがカナンを占領するようになった原因が、布石として、ここに記されてあるのではないかと思われます。それはハムの問題でしたが、同時に父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす(民数記14:18)ということが表されているのではないかと思います。

5.ノアの失態(20-21)

さて、ノアはぶどう畑を作り始めた農夫でしたが、ぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていました。ぶどう酒を飲んで酔っぱらったり、天幕で裸になったりすることが問題なのではありません。問題は、彼が明らかに分別を失ってしまったことです。エペソ5章18節には、「酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。」とあるのはそのためです。酒を飲むことが問題なのではなく、酒に飲まれてしまうのが問題なのです。裸になっていたというのはその現れでしょう。それにしても、いったいノアはどうして失敗を犯してしまったのでしょうか。かつて箱舟を作った信仰深いノアとは、全く別人のような印象を受けます。やはりそこには気のゆるみ、安心感といったものがあったのではないでしょうか。もう二度と洪水で滅ぼされることはないという神の約束をいただいて、安心しきっていたのかもしれません。そんな心の隙に悪魔が入り込み、お酒という手段を用いて誘惑してきたのです。そのお酒が分別を失わせてしまいました。信仰深いノアでしたが、お酒によって霊的な感覚を失ってしまい、その人生に大きな傷をもたらすことになってしまったのです。

6.ハムの罪(22-23)

さて、そのような父の姿を見た三人の子どもたちは、どのような態度を取ったでしょうか?まずハムです。彼は、父の裸を見て外にいる二人の兄弟たちにそのことを告げました。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たち二人の肩に掛け、父の裸を見ないようにして、うしろ向きに歩いて行き、父の裸を覆ったのです。彼らは顔を背けて、父の裸を見ませんでした。この三人のした行為とは、いったいどういうことだったのでしょうか。この後でそのことでハムはのろわれ、セムとヤペテは祝福されています。ハムがのろわれてしまったのはいったいどうしてだったのでしょうか。

まずハムが父の裸を見て、それを外にいたふたりの兄弟に告げたとはどういうことなのでしょうか?このような彼の態度には、父に対する軽蔑(見下げた思いと態度)と、父親の失敗を他人に告げ、それを広げ、批判した(攻撃)したこと。さらには、彼が思っていた父親に対する不満に、兄弟の同調を求めたということが考えられます。それは罪です。出エジプト記20章12節には、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」とあります。また、21章17節にも、「自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。」とあります。あるいは、ヤコブ4章11節には、「兄弟たち。互いに悪口を言い合ったりしてはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。」とあります。彼は尊敬し、愛すべきはずの父親の醜態を見たとき他の人にその恥ずかしい姿を見せないように、あるいは、風邪を引いたりしないように配慮してそれを覆うというようなことをしないで、その醜態を嘲笑し、それを兄弟に告げ口して傷口を広げたのでした。

このようなことは、時として私たちにもよくあるのではないでしょうか。他人の欠点、弱点をすぐにあばきたてようとする。人を責め立てるのです。自分の中には大きな梁があるのに、他人の中の小さな塵に目を留めようとする。ガラテヤ6章1節には何と書いてあるでしょうか。「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人をただしてあげなさい。」とあります。「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」とあります。すなわち、神様がご覧になられるようにほかの人を見、神様が為さるように行動する。それが求められているのです。

それをしたのは他の兄弟セムとヤペテでした。彼らはうしろ向きに歩いて行って、父の裸を見ないように顔を背け、着物で覆ったのです。なぜ彼らはそのようにしたのでしょうか?父の弱さに同情したからです。「何だって父さんもこんな失敗しちゃったけど、回復するように祈ろう」という態度です。父の態度を見て行動したのではなく、神を仰ぎながら父親に近づいたのです。まさに愛はすべての罪を覆うとあるようにです。

7.のろいと祝福(24-27)

さて、そのような三人の息子たちの態度に対して、どのような結果がもたらされたでしょうか?酔いから覚めたノアは、そうした一連の出来事を聞いて、まずハムにいました。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」

ノアは自分の気分や感情、体面からのろったのではありません。神から罪を赦されなければならない者が、ほかの罪人に対してこれを責めることなどできないからです。彼は、神のさばきを伝達する預言者として、ここでハムに神の御旨をとりついだのです。そして、その内容は、彼はのろわれ、しもべらのしもべとなるということでした。これは後にヨシュアがカナンを征服したとき、カナン人がイスラエルに服従したことや、ソロモンが彼らを奴隷の苦役に徴用したということによって成就しました。

しかし、これは民族としてのカナンというよりも、霊的な意味でのカナンととらえた方がよいと思います。このハムというのは今日の黒人の祖先たちとなった人たちですが、アジア・アフリカの人々の生活の低さというものが、ノアのこののろいから来ているということではありません。というのはこのカナンというのは民族としてのカナンのことではなく、霊的カナンのことだからです。すなわち、霊的なことを軽んじ、神に反逆する者は、神ののろいの中にいるということです。それは今日のヤペテの民族的子孫である白人たちの中にもいるし、逆に霊的ヤペテは、ハムの民族的子孫の中にもいるのです。つまり、こののろいは、神に反逆し、神を神として歩もうとしない人たちすべてに告げられているのろいなのです。 また、セムに対しても言いました。「ほめたたえよ。セムの神、主よ。カナンは彼らのしもべとなれ。」これはセムから後に救い主が誕生することの預言でもあります。このセム系の子孫からアブラハムが生まれ、イエス・キリストが生まれ、人類に救いの祝福がもたらされていくようになるのです。また、ヤペテには、「神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。」と言いました。このヤペテ系の民族から、神の福音を伝える働きをした欧米のキリスト教圏の人々が生み出されました。

このようにてみると、神に従う者への祝福と神に従わない者へののろいがどんなに大きいものかがわかります。始めはそれほど大きな違いがないようですが、三代、四代と続くその子孫の中で、それが大きな広がりをもって現れてくるのです。そういう意味では、この神の祝福の系図が今から広がっていくように、まず私たちがセムやヤペテのように、神のみことばに歩む、信仰の歩みを始めていきたいものです。

ところで、ここでハムではなくハムの子カナンがのろわれているのは、カナンが神の系統であるセムと密接なつながりがあるということと、(地理的、人種的に)末っ子であったハムの、そのまた末っ子であったカナンにまでのろいが相続したことで、カナンがハムの相続者であることが凶兆されているからではないかと思われます。

創世記8章

創世記8章を学びます。神様はノアに仰せられたように、ノアの生涯の600年目の第二の月に、天の水門を開かれ、この地上のすべての生き物を消し去られました。ただ箱舟に入ったノアとその家族、そして地上の動物で一つがいずつの動物たちが生き残りました。それから水は150日間、地の上に増え続けました。

1.心を留められる神(1-5)

まず1節から5節までをご覧ください。「1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。3 そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、4 箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。5 水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。」

そのとき神は、ノアと箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とに心を留められました。「心を留める」とは、神が約束でその心を一杯にしておられるということです。神は真実なお方ですから、ご自分が民との間に立てた契約に対して誠実で、懲らしめの中にもご自分の民を覚えておられたことを表しています。神が民との間に立てた契約とはどのようなものだったでしょうか?それは6章13節から21節までのところにあります。神はノアに箱舟を作り、その中に入るように言われました。その約束の通りに神は、この地上のすべての生き物を滅ぼされました。しかしそれは同時に、箱舟に入ったノアたちにとっては、やがて神が洪水の水を退けて、再び乾いた土地で生活することをゆるされるということでもありました。そして神は時至ってそのとおりにされたのです。それは神のあわれみによるものでした。神は、そうした洪水の苦しみの中でもご自分の民を覚えていてくださり、顧みておられたのです。神がいかに真実な方であるかが表されていると思います。

さて、神がそのように心を留めておられたので、地の上に風を送って水を引かせました。この「風」とは神の霊をも表しています。神は風をとおして、新しい創造を始められました。大いなる水の源と天からの大雨がとどめられると、水は、しだいに地から引いていき、150日の終わりに減り始め、ついに箱舟がアララテ山の上にとどまったのです。おそらく、この大洪水の水は、海へ流れ出たのではないかと思いますが、そのように水が海に流れ出れば、後は水かさが次第に減っていくだけです。そのようにして陸が現れ、箱舟も地にとどまったのです。

2.ノアの従順(6-14)

それでノアは陸地から水をひいたことを確かめます。6節から12節までをご覧ください。「6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、7 烏を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。8 また、彼は水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。9 鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰ってきた。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。12 それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。13 ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。14 第二の月の二十七日、地はかわききった。」

40日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、烏を放ちました。水が地の表から引いたかどうかを見るためです。ノアは、神が啓示されたさばきが行われている間に、窓を開いたりしませんでした。ロトの妻のように神のさばきを振り返って塩の柱になるような悲劇を求めず、飢えに耐えかねて長子の権利を売ったエサウのように軽々しい態度をとったりすることなく、神が言われることをしっかりと待ち望んだのです。彼は徹底して神のみことばに従い、真っ暗な箱舟の中で、40日間が過ぎてから窓を開けたのです。まだ神が箱舟から出るようにと言われていなかったので、鳥たちの助けを得て、水が引いたかどうかを調べたのでした。それは本当に慎重な信仰者の姿ではないでしょうか。時として私たちはこうした態度を忘れて、軽々しく行動してしまうことがあります。何かしないと悪いのではないかという焦りから、自分の思いで語ったり、動いたりしてしまいがちなのです。神が何を願っておられるのかを知り、そのために祈り、船底の暗闇の中にあってただ神を待ち望むことも必要なのです。いや、このバランスが必要なのです。

柏木哲夫先生の本に、動物と植物の名前の由来が書かれてありました。動物は動く物であるのに対して、植物は植えられる物。私たちの人生にはこの両面が必要だ・・・と。しかし、マルタではないけれども、どちらかというと動物的な面が強いのではないかと思います。そしてイライラしたりして・・・。そうではなく、時には船底の暗闇の中でじっと祈って待つことも必要です。孤独に思えるそのような中で、主が語ってくださることがあるのです。まさにノアはずっと神のさばきを待ち望み、神の時が来るまで慎重に行動したのでした。

それから七日経ったとき、ノアは再び鳩を箱舟から放ちました。するとむしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるのを見て、ノアは水が地から引いたのを知りました。そしてそれから七日経ってもう一度鳩を放ったところ、その鳩はもう彼のところには戻ってきませんでした。それでノアは箱舟のおおいを取って外を眺めてみると、地の表は乾いていたのです。

3.箱舟から出なさい(15-19)

そこで神はノアとその家族に、箱舟から出るようにと命じられました。15節から19節のところです。「15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。」

実に40日ぶりにノアに示された神からの啓示です。ノアの生涯というのは、まず主の命令があり、それに従うというものでした。5章32節と6章13-22節のところで、彼が500歳になったとき、箱舟を造るようにと命じられました。次に啓示があったのは約100年後の彼が600歳になったときでした。(7:1-5)、そして、洪水があり、地上のすべての生き物が滅ぼされ、新しい創造の中で、いよいよ箱舟から出るようにとの啓示があって、彼は地に降り立ったのです。神の啓示が与えられる度ごとに、人生の大きな目印が立てられました。ですから私たちもいつもこの神からの啓示を受けるために、みことばを黙想する者でなければなりません。みことはを黙想する人の人生の方向性は実にはっきりとしていて、その確信の中で進んでいくことができるのです。

4.ノアの礼拝(20-22)

さて、箱舟から出たノアたちは、最初に何をしたでしょうか?20節から22節までをご覧ください。「主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちからいくつかを選び取って、祭壇の飢えで全焼のいけにえをさげた。21 は、そのなだめのかおりをかがれ、は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

アダムの新しい創造であるノアは、礼拝によって新しい人生を始めました。ノアの心は、神が自分と自分の家族を守ってくれたことに対して、感謝の気持ちでいっぱいだったに違いありません。この「祭壇」についてしるされているのは、聖書の中でここが最初です。祭壇を築くということの中に、ノアの信仰がよく表現されていると思います。全焼のいけにえをささげるというのは、自分のすべてを神にささげることを表しています。つまり、ノアが箱舟から出て真っ先に行ったのは、神への礼拝だったのです。彼にとっては、確かに住居の問題や、衣服の問題、食物の問題、つまり生活の問題が差し迫っていたはずです。しかし、そうした中で彼は、神を礼拝することを第一にしたのです。

これは私たちの生活の中において何を第一にすべきかが教えられています。つまり、神の国とその義とを第一に求めていくことこそ、神が最も喜んでくださることなのです。私たちの生活の節目、節目に神を覚え、神に感謝して礼拝をささげていくこと、そのような信仰を神がどれほど喜ばれ、受け入れてくださることでしょうか。

事実、21節を見ると、「主は、そのなだめのかおりをかがれ、心の中でこう仰せられた・・・」とあります。もう決して再び人を滅ぼすまい・・と。すべての生き物に対する神のあわれみが約束されたのです。そしてこの神の約束は拡大され、一定の季節の移り変わりがもうけられ、人間や動物の食物を十分に保証すると言われたのです。神はこの約束を今日もなお守っておられることを考えますと、このときのノアの信仰、神礼拝というものが、いかに重要なことであるかがわかると思います。私たちも、私たちの生活の中に祈りの祭壇、礼拝の祭壇をもうけていつも神を覚え、神に感謝と礼拝をささげるものでありたと思います。そのとき神が働いてくださり、私たちに恵みを持って導いてくださるのです。

創世記7章

1.箱舟に入りなさい(1-5)

まず1節から5節までをご覧ください。

「1 はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。2 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいづつ、3 また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。4 それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」5 ノアは、すべてが命じられたとおりにした。6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。」

神の命令に従って箱舟を作ったノアに対して、神は箱舟の入るようにと命じられました。その際には、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取らなければなりませんでした。それは、その種類が全地で生き残るためです。ここで七つがいという言葉が初めて出てきます。6章19-20節、それからこの後の9節と15節では雄と雌二匹ずつとあるのに、ここでは七つがいずつとなっているのはどういうことなのでしょうか。6章では、それらの動物が「生き残るために」とありますから、それらの動物の種が絶やされることがないために連れて来られたのです。では、ここで七つがいずつと言われているのはどういうことなのでしょうか。創造主訳聖書ではここを、「食用といけにえ用とするために、清い動物の中から七頭ずつ、また清くない動物は一つがいずつ、鳥は七羽ずつ入れなさい。これは、洪水後、あらゆる種類の生き物が、全地に生き残るためである。」(7:3-4)と訳しています。つまり、これは洪水の後に、人間が地上で新たな生活を始めるのに必要な食用の動物であり、また、その主にささげものをささげための動物であったというのです。雄と雌の二匹ずつではノアたちの食べ物がなくなってしまうので、それ以外に入れられたのでしょう。

ところで、4節には、「それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」とあります。この七日とは何のための期間だったのでしょうか。これは最後の七日です。神様はそのさばきを遅らせようとしておられたのではなく、ノアとその家族が箱舟に入るために準備の期間を与えられたのです。いわばこれは神から与えられた最後のチャンスの時でもあったのです。やがてこの恵みの期間が終わり、入りたくても入れない時がやってきます。それが16節に記されていることです。「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」ということです。これはその不信の世に与えられていた時が終了し、ノアとその家族の者たちがヤーウェイの守りのもとにおかれたことを示しています。ノアは多くの人々に来たるべき神のさばきと、罪を悔い改めて、神に喜ばれる生活をするようにと勧めてきましたが、その時代の人は誰もそれを聞き入れませんでした。ペテロの第一の手紙によると、大洪水が起こるまでノアが説教をしていたことが記されています(4:20)。人々は、箱舟が造られるのを見て、また、ノアの説教を聞いて、悔い改める機会が十分に与えられたのに、ひとりとして悔い改めませんでした。今の時代もノアの時代に似ています。聖書を読めば読むほど、聖書が定義している暴虐の行いを、現代社会で見る事ができます。救い主キリストを宣べ伝える者が現れても、それを空想話のようにしかとらえません。しかし、ノアの洪水と同じように、キリストがふたたび来られる時さばきが行われます。イエスは言われました。「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、嫁いだりしていました。そして、洪水が来てすべてのものをさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのもそのとおりです。」(マタイ24:37-39)

2.箱舟に入ったノアとその家族(7-10)

けれども、ノアとその家族は、神が命じられたとおりに箱舟に入りました。7節から10節までをご覧ください。

「7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、9 神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。10 それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。」

彼は、次の神の御声を待ち、その神の命令に従って箱舟に入ったのです。この神の恵みの時に、箱舟にはいった敬虔な人たちは、ノアとその家族のわずか8人のみでした。それ以外の人は入りませんでした。やがて後ろの戸が閉められる時がやって来ます。Ⅱコリント6章1,2節には、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」とあります。この終わりの時代にもこの七日が残されています。恵みの戸はまだだれに対しても開かれています。やがて神がその戸を閉ざされる前に、この箱舟に入らなければならないのです。この箱舟こそイエス・キリストであり、キリストのからだなる教会のことです。だれでもイエスを通って入るなら救われます。

3.大洪水(11-24)

その結果どういうことになったでしょうか?11節から24節までをご覧ください。

「11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。12 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。13 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟に入った。14 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、入った。15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところに入った。16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、は、彼のうしろの戸を閉ざされた。17 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき。箱舟を押し上げたので、それは地から浮かび上がった。18 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。19 水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。21 こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。22 いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。23 こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。24 水は、百五十日間、地の上にふえ続けた。」

ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日に、巨大な大いなる水の源が、ことごことく張り裂け、天の水門が開かれました。「巨大な大いなる水の水源」とか「天の水門」というのは、創世記1章にある大空の上にある水のことです。神はこの時のために、大空の上にも水を用意しておられたのです。そして、大雨は四十日四十夜降り続きました。どしゃ降りの雨で、水かさが増していき、ついには箱舟が水面を漂うまでになりました。そして、水はいよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべて覆われました。現在ヒマラヤ山脈に海洋生物の化石が発見されているのですから、これは本当に起こったのです。これは彼らの不信に対する神の審判の雨にほかなりませんでした。こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も、またすべての人も死に絶えました。 現代の文献にはさまざまな地域で大洪水の記録が残されていますが、私たちの生きている世界は一も滅ぼされているのです。私たちは、現在自分がおかれている状態がずっと続くというような錯覚に陥りますが、世界は、神の直接の介入によって大異変を起こすようなもろいものなのです。この時、天の下にあるどの山々も、すべておおわれ、ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残ったのです。

これはまさに終末に起こることの型なのです。今の時代においてもこの終末的現実を読み通す洞察力をもっている人がどれだけいるでしょうか。ノアの洪水直前の末期的な様相が、そのまま今日の有様に通じることを覚えます。それはまさにⅡペテロ3章でペテロが警告していることです。彼らは、「自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」(3-4)しかし、やがて必ず終わりの時がやってきます。主の日は盗人のようにやって来て、その日には、天は大きな響きをたてて消え失せ、天の万象は焼けて崩れ落ち、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされるのです。

ですから、今の私たちに必要なことは、いつでも平安をもって御前に出られるように励むことです。主の忍耐は救いなのです。私たちの主であり救い主であられるイエス・キリストの恵みと知識において成長していけますように。

創世記6章

きょうは創世記6章から学びたいと思います。

Ⅰ.人の悪の増大(1-7)

「さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。」

まず1節と2節をご覧ください。最初の人アダムとエバが造られてからどのくらいの時が経っていたでしょうか。おそらく2に専念くらいが経過していたと思われます。地上には多くの人々が増え始めていました。そのように地上に人が増え始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻としたとあります。いったいこれはどういうことでしょうか。

ここには「神の子ら」と「人の娘たち」という二種類の人たちが出てきていることがわかります。ある人たちはこの「神の子ら」を「天使たち」と解釈する人もいますが、これは天使のことではありません。天使と人間が結婚することなどないからです。また、天使には性もなく、肉体もないからです。ましてや、天使と人間との間から子どもが生まれるということなどあり得ないのです。ではこの「神の子ら」とか「人の娘たち」とはいったいだれのことを指しているのでしょうか。それは、アダム-セツ-ノアという系統と、アダム-カイン-レメクという系統のことです。すなわち神を信じて歩む神の民と、そうでない人々のことです。同じ人間でも信仰によって歩む人たちのことを「神の子たち」と表現しているのです。いったい神の子たちに何があったのでしょうか。

ここには、「神の子ら」が、人の娘たちの、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻としたとあります。すなわち、信仰によって歩むはずの神の子たちが、神に向けていたその目を、人の娘に向けたということです。このようなことがあると、いったいどういうことが起こるのでしょうか。信仰から離れるということが起こってきます。これまでは神を中心に歩んでいた人たちが、この世を中心に生きるようになってしまうのです。その一番大きな原因が結婚なのです。結婚によって信仰から離れてしまうというケースが少なくありません。それゆえに神は、未信者との結婚を禁じているのです。あの知恵者ソロモンでさえその王国が分裂した直接の原因は、千人のそばめを置いたことです。それによって彼の心が、真の神から離れ偶像へと向かっていったのです。ですから、誰と結婚するかというのはとても重要なことです。聖書は一貫して未信者との結婚を禁じています。ここでも神の子たちが人の娘たちの中から妻を選んで結婚したことが、彼らが悪の道に走っていく一番大きな原因だったのです。

そこで主はどうされたのでしょうか。3節をご覧ください。「そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう」と仰せられた。」

神様は人の齢を120年と定められました。それまではほとんど900歳くらいまで生きることができました。なぜなら、そこに神の祝福があったからです。もちろん、環境も、食物も、良かったでしょう。けれども、何といっても神の祝福があったのです。ですから人は長く生きることができました。しかし、地上に人が増え始め、その悪が増大し、その心に量ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になられた主が、人の齢を120年としたわけです。その人の悪が増大した一つの例が、この神の子らが人の娘たちを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻としたということだったのです。

次に4節をご覧ください。 ここには、「ネフィリム」がいたとあります。「ネフィリム」とは何でしょうか?何だか恐竜かのような名前ですが、これは恐竜のことではありません。「ネフィリム」とは、「ナファル」ということばから派生したもので、「攻撃する」という意味があります。ですから、「ネフィリム」とは「攻撃者」とか「略奪者」というような意味なのです。つまり、神を畏れることを知らない権力者たちのことです。政治的にも経済的にも力を持っている巨人のことです。このような存在はその当時だけでなく、今もたくさんいるでしょう。いや、そうした人たちで満ちています。まさにこの「ネフィリム」の存在は、現代の社会そのものを現しているようです。人の目から見る時、そのような人々は「勇士」であり、「名のある者」たちです。しかしどんなに名があり、力があっても、あるいは美しくても、そこに神がいなければ悪なのです。そうした悪がこの地上に増大した、それがノアの時代だったわけです。

このように、地上に人の悪が増大したことをご覧になられた主はどうされたでしょうか。5節から8節までをご覧ください。「それで主は、地上に人をつくったことを悔やみ、心を痛められました。」「悔やまれた」ということばは「後悔する」という意味ではありません。「悔やむ」とは、「痛む」とか「悲しく思う」という意味で、結果を見て後悔する人間のそれとは全く違うのです。Iサムエル15章2節に、「この方は人間ではないので、悔いることはない」とあるとおりです。神様は人の悪が増大するのを見て、深く心を痛められたのです。ですから、この悔やみというのは、神様の深いあわれみが示されていることばなのです。人は罪の中にあって、罪の恐ろしさを知らずに、かえって罪を誇りとしています。その罪を自分の問題として悲しみ、心を痛められたのです。それがやがてイエス・キリストの救いへとつながっていくわけですが・・・。神様は、人間の罪をご覧になられて、本当に心を痛められたのです。

その結果、どうされたでしょうか。7節です。「そして主は仰せられた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」

人の罪を痛み、あわれんでおられるなら、いったいどうして人を地の表から消し去るようなことをされるのでしょうか?それは、神は罪や悪と共存できるお方ではないからです。正しく、きよい神様は、少しの汚れとも共存することができません。だからこそ、そうした人の悪、罪に対しては、怒りを持たれるのです。しかし、その怒りとは私たちの怒りとは違います。心に痛みの伴う怒りです。それは「わたしが創造した」ということばに表れているのではないでしょうか。「わたしが創造した人」、私たちは神によって造られたものなのです。神と深く結びついているものなのです。ですから、そのような人を滅ぼすということには、神の深い苦しみと痛みがあったのです。ご自分で造られたものを、ご自分で打ち壊さなければならない神の心痛はいかばかりであったかと思うのです。

Ⅱ.主の心にかなっていたノア(8-14)

しかし、そのような中で、ノアだけは違いました。彼は主の心にかなっていました。彼は、たとえまわりの人たちが自分勝手に生きていても、神を敬い、神に信頼して歩んでいたのです。9節を見ると、「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」とあります。彼は他の人たちと同じように罪人の一人にすぎませんでしたが、他の人たちのように自分の思うようにではなく、神に信頼して生きたのです。

地上に人の悪が増大する中で、そのように信仰によって歩むことには大きな戦いがあったかと思いますが、神はその信仰を受け入れられ、喜ばれ、彼とその家族を救われ、後の新しい人類の礎とされました。それは今の時代も同じです。今の時代も人々は神を敬うことをせず、自分勝手に歩んでいますが、それでも私たちはノアのように、神とともに歩む、神に信頼して生きる、そういう者でありたいと思います。

13節と14節をご覧ください。「そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らと地とともに滅ぼそうとしている。あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。」

ここには「そこで、神は・・・」とあります。神がノアに箱舟を造るようにと命じられたのは、地が神の前に堕落し、暴虐で満ちていたからです。そこで神は、彼らを地とともに滅ぼそうとされたのです。しかし、9章18~27節を見ると、洪水の直後にノアがぶどう酒を飲んで酔っぱらい、天幕の中で裸になったとき、それを見たハムが罪を犯したことを考えると、もしこの地上の悪を一掃することが洪水の目的であったとしたら、それは元の木阿弥(もとのもくあみ)となり、目的を達成することができなかったということになるのではないでしょうか。いったい洪水の目的は何だったのでしょうか。

マタイの福音書24章37~39節のところには、イエス様がこのノアの洪水について言及しています。 「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。の子が来るのも、そのとおりです。」

これは世の終わりのことです。イエス様が再臨されることについて預言しているのです。その預言の中でイエス様は、人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだと言っています。つまり、このノアの時の洪水の出来事は、世の終わりの時のことの型だったのです。キリスト再臨される時の警告であったわけです。

Ⅲ.ノアの箱舟(15-22)

さて、ノアが造るように命じられた箱舟がどのようなものであったかについて、15節以降に記されてあります。その長さは300キュビト、幅は50キュビト、高さは30キュビトです。1キュビトはだいたい44㎝ですから、長さ132㍍、幅22㍍、高さ13㍍となります。近代の船でいえば1万5千トンぐらいの船に相当する大きな船であっただろうと考えられています。

そして、箱舟に天窓が作られました。神様はどうして天窓を作るようにされたのでしょうか。それは洪水を見ないで神様だけを見るためです。祈りの窓を通して、神だけを待ち望まなければならなかったのです。それから、箱舟の側面には戸口を設けました。この箱舟の戸口はイエス・キリストの救いを表しています。ヨハネの福音書10章9節には、「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」とあります。

これはイエス・キリストの門を表しています。だれでもイエスを通って入るなら救われます。そして安らかに出入りし、牧草を見つけるのです。いやぁ、ここには戸口が1階と2階と3階と3つもあるのだから、これがイエスの救いを示しているとは言えないのではないかと考えられますが、実はそうではありません。新改訳聖書では1階から3階にそれぞれ戸口が作られたかのように記されてありますが、実際には戸口は一つしかありませんでした。戸口が一つしかない船で、1,2,3階のある船を造るようにと命じられたのです。ですから、口語訳には次のように訳されてあるのです。

「あなたは糸杉の木で箱舟を造り、その中に部屋(複数)を設け、ピッチでその内外を塗りなさい。その造り方は次のとおりである。箱舟の長さは300キューピット、幅は50キューピット、高さは30キューピットとし、箱舟に屋根を造り、上へ1キューピットにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に設けて、1階と2階と3階のある箱舟を造りなさい」

これが正しい訳です。戸口は一つしかありませんでした。それはイエス・キリストを表していたのです。イエスが門です。だれでもイエス様を通って入るなら救われますが、そうでなければ救われることはありません。イエス・キリストを通って入るなら救われます。そうでなければ救われないのです。

ノアはその箱舟の中に入りました。妻と息子たちと一緒に・・・。神様は今日でも私たちに、「あなたとあなたの家族とは皆箱舟に入りなさい」と語っておられます。誰も信じないような時代にあって、ただ聖書のみことばに従ってイエス・キリストの箱舟に入るなら、救われるのです。この世にはいろいろな船があって、いろいろなドアがあって、どの船、どのドアから入ったらいいのか迷ってしまいますが、聖書は、救いに至る船、戸口は、イエス・キリストであるとはっきりと告げているのです。皆さんはこのみことばを信じますか。そうであればご自分だけでなく、妻、息子たち、すなわち家族といっしょにこの箱舟に入ってください。

さて、この神の命令に対してノアはどのように応答したでしょうか。22節をご覧ください。「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」

ここには「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った」とありますが、これはなかなか簡単なことではありません。まず時間がかかったでしょう。創世記5章32節にはノアが500歳のとき、セム、ハム、ヤペテが生まれたとあります。そして7章11節には彼が600歳のときに洪水がありました。ですから、箱舟を作るにはかなりの期間がありました。そうした歳月をかけて作ったのがこの箱舟です。雨などあまり降らないような時に、これだけの歳月をかけて箱舟を造ることがどれだけ大変であったかを想像することは容易いことです。人々に馬鹿にされ、あざけられる中でも、彼はコツコツと箱舟を造り続けました。

第二に、このためには多額の資金が要でした。おそらく彼は、このために自分の全財産を使ったのではないかと思います。それなのにもし洪水が起こらなかったとしたら、今までやってきたことが全部無駄になってしまいます。それでも彼は、神様が命じられたとおりにしたのです。

第三に、かなりの労力が必要でした。猫の手も借りたいくらいの状態だったでしょう。実際これをノアと三人の息子たちだけで作ることはできなかったでしょうから、多くの人たちを雇ったに違いありません。しかし、そうした彼らも、ノアの行ったことをそのまま信じることはできなかったのです。

こうした困難な中で、どうしてノアは箱舟を造ることができたのでしょうか。信仰があったからです。ノアは神様が言われたことは必ずそうなると信じたのです。

「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」(へブル11:7)

彼は信仰によって生きたので、まだ見ていないことでしたが、神が洪水によってこの世をさばかれるということを聞いたとき、それを信じてそのように行ったのです。

皆さん、キリストが再臨されるときも同じなのです。キリストが再臨されるのも、ノアの日のようです。洪水が来て、すべてのものをさらってしまうまで、彼らはわかりませんでした。思いがけない時にやってくるのです。しかし、違う点が一つだけあります。それは、ノアの日は洪水によってこの地が滅びましたが、キリストの再臨の時はそうではないということです。黙示録などを見ると、もうありとあらゆることが起こるとあります。天変地異から、疫病、原子力災害のようなもの、大混乱が地上に起こるのです。それらのことは前兆なのです。そういうのを見たら、世の終わりが近いということを悟るようにとあります。そういう面から見ると、確かに世の終わりは近いのです。私たちはノアのように、いつキリストが再臨されてもいいように、いつ世の終わりがあり、どのようなことになってもいいように、神様が語られたことをそのとおり行っていく、そういう信仰をもって日々歩んでいきたいと思います。

創世記5章

きょうは、5章に記されてあるアダムの歴史の記録からご一緒に学んでいきたいと思います。

Ⅰ.人類最初の人アダム(1-2)

まず1~2節をご覧ください。「これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。」

これは系図の形として書かれた歴史です。ユダヤ人の習慣として、彼らはよくこのような書き方をしました。マタイの福音書1章に記されてある系図もそうです。この系図の最初に述べられていることは、アダムが造られた時の経緯、要約です。神は人を造られた時どのように造られたかというと、神に似せてであります。神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを造られました。神が彼らを創造された時、神は彼らを祝福し、その名を「人」(アダム)と呼ばれました。3節以降は、その神の祝福がどのように展開(成就)していったかが記録されています。

Ⅱ.アダムの歴史(3-5)

3節からのところには、アダムの系図として10人の名前が出てきます。アダム、セツ、エノシュ、ケナン、マハラルエル、エレデ、エノク、メトシェラ、レメク、ノアです。この系図の叙述には、ある一定の型があることがわかります。それは、

①「・・は・・才になって、・・を生んだ。」→父になった時の年齢

②「・・は・・を生んだのち、・・年生きて、息子、娘たちを生んだ」→残りの 年数と他の子供の誕生

③「・・の一生は・・年であった。こうして彼は死んだ。」→合計した年齢(寿命)、死

というパターンです。これがこの系図の強調点なのです。この系図を見てまず第一に気づくことは、ここに出てくる人々の寿命が今日と比べて著しく長いということです。6章3節になって人の寿命が120歳と定められますが、それと比較しても、それ以前の人たちの寿命はことのほか長いことがわかります。これは、洪水前の気象や環境、食べ物など、今よりもずっと良かったということがその理由に上げられます。放射線による汚染なども、その当時は全くありませんでした。しかし、それ以上に、そこに神の祝福があったということが表されているのでしょう。この地上に人が増え始め、人の悪が増大したのがノアの時代であった(6:1-5)ということを考えると、ある程度は納得できます。現代は科学が進歩しているようですが、実際には退化しています。一つ一つの技術は進化しているようでも、社会的には逆に悪くっています。それはこの地上に人の悪がもっと増大しているからです。このままでは、この地球はいったいどうなってしまうことでしょう。それに比べこのアダムの時代からのしばらくの時代は、そうした悪が少なかったことを考えると、このように長く生きることができたということも理解できます。しかし、たとえ人の寿命がいくら長いとはいえ、その最後は「こうして彼は死んだ」ということばで結ばれていることを思うと、最初の人アダムによってもたらされた罪の結果人類に死がもたらされたことは、本当に悲しいことです。

ところで、ここにはそれぞれの人の年齢がしるされていますが、アダムの創造からノアの洪水までの年数が記録されているのではありません。これらの数を合計すると、大体2000年くらいになります。ですから、多くの人たち、特にファンダメンダリストと言われる人たちは、ここからアダムからノアの時代までを2000年、ノアからアブラハムの時代までを2000年、アブラハムからイエス・キリストの時代までを2000年、そして、今日まで2000年と計算し、人類が誕生してから今日までの年数を8000年だと主張しますが、それには注意が必要です。というのは、これはあくまでも系図を記しているのであって、年代記ではないからです。多くの系図がそうであるように、そこには省略されている人たちもいるからです。

Ⅲ.神とともに歩んだエノク(21-24)

この系図の中でもう一つ際だっていることは、24節の記録です。ここには、「エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」とあります。5章の系図に記されてあるほかの人たちが「そして彼は死んだ」と結ばれているのに対して、エノクだけは例外です。彼だけは「死んだ」ではなく、「彼はいなくなった」とあるのです。神が彼を取られたので、彼はいなくなったのです。これはいったいどういうことでしょうか?

ここには、「エノクは神とともに歩んだ」とあります。ヘブル11章5節には、「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれることが、あかしされていました。」とあります。彼は神に喜ばれることがあかしさていたので、神に移されて、みえなくなったのです。

また、ユダ1章14節、15節には、「アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。すべての者にさばきを行い、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」とあります。

これは主の再臨の預言です。エノクは、やがて主が千万の聖徒を引き連れて来られ、不敬虔な物たちをさばかれることを預言していたのです。ということは、これらのことからエノクがどのような歩みをしていたかがわかると思います。それは一言で言うなら、「神とともに歩く」歩みです。エノクの時代にはすでに多く人々がこの地上に増え広がっており、そうした人々の心が悪に傾いていた中で、彼は神とともに歩んだのです。後にノアの記述が出てきますが、ノアも同じです(6:5)。罪の中に生まれた人間の歩みというのはこの世の流れにしたがい、何の迫害もない、安易な道に歩みがちですが、それは放っておけば地獄へと堕ちていく道であります。こうした中で信仰に目覚め、つねに信仰の決断をもって歩もうとすれば、そこには多くの戦いも生じますが、実に、そうした歩みこそ神とともに歩む道なのです。エノクの人生はそういうものだったのです。彼は神を仰ぎ、永遠に変わることのない真実な神、全能であられる神により頼みながら、信仰によって生きたのです。彼が主の再臨と最後のさばきについて宣べ伝えていたということは、そのことを表しているのではないでしょうか。

そのように神とともに歩む者の最後は、「死を見ないように天に移される」ということです。これは「神とともに歩む者」の姿であり、一つのひな型です。すなわち、神とともに歩む人は、主イエス・キリストの再臨の時に必ず携え上げられ、永遠に主とともにいるようになるのです。エノクは肉体の死を見ませんでした。神とともに歩む私たちもやがて最後の死を見ることなく、永遠のいのちを受け継ぐようになるのです。

[分かち合いのために]

  1. アダムは何歳の時セツが生まれましたか。またセツを生んでから何年生きましたか。アダムの一生は何年でしたか。その後、彼はどうなりましたか。アダムの後の系図を見ると、そこにどのような書き方(パターン)がありますか。
  2. この系図をみると、多くの人たちが900歳くらい生きました。なぜそんなに長く生きることができたのでしょうか。
  3. この系図の中でエノクは他の人たちと違いがあることがわかります。どのような違いがありますか。彼はなぜ神に取られたのでしょうか。神とともに歩むとはどういうことでしょうか。そのような人にはどんな祝福が約束されていますか。

創世記4章17~26節

前回は4章1~16節までのところから、カインとアベルについて学びました。信仰によってアベルは神が喜ばれるささげ物をささげましたが、カインはそうではありませんでした。カインは自分の考えによってささげ物をささげました。それは自分の手によるささげ物を表していました。ですから、神はアベルのささげ物には目を留められましたが、カインのささげ物には目をとめられませんでした。

そしてそのことで嫉妬したカインはアベルに襲いかかり、彼を殺してしまったのです。しかも殺しておいて、今度は自分が殺されると嘆いているのです。神様はそんなカインをあわれみ、彼が殺されることがないように、彼に一つのしるしを与えてくださいました。それが何であったのかははっきりわかりませんが、それは彼が悔い改めようにという神からの機会でもあったわけです。しかしながら彼は悔い改めることをせず、エデンの東、ノデの地に住み着きました。「ノデ」それは「動揺」です。「さすらい」です。神から離れて人生はさすらいなのです。きょうのところには、その彼の人生がどのようになったのかがしるされています。

1.文化の起源(17-22)

まず17節をご覧ください。「カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。」

ノデの地に住み着いたカインは、そこで妻を得ます。アダムとエバにはカインとアベルしかいなかったのに、いったいこの妻はどこからやって来たのかという疑問が起こりますが、それはここには書いていないだけで、アダムとエバには他に多くのこどもがいたようです。そのひとりが25節に出てくるセツですが、他にも多くいたのです。この17節には「町を建てた」とありますから、町を建てるくらいのこどもたちがいたということです。1:28のみことばから考えると、それは不思議なことではありません。

さて、カインはその妻を知り、子供を設けました。彼はその町の名にちなんで「エノク」という名をつけました。意味は「開始する」です。おそらく彼は、自分の思うような人生を、自分の計画を開始するという意味で町を建て、そういう名前にしたのだと思います。そして、それと同じような考えを持っていた人たちがたくさんいたのです。それがエノクという町です。

そのエノクにイラデが生まれ、イラデにはメフヤエルが生まれ、メフヤエルにはメトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクが生まれました。19節を見ると、このレメクはふたりの妻をめとったとあります。ひとりはアダで、もう一人がツィラです。これがカインの道を歩む者の姿、神から離れた者たちの結末です。つまり、このレメクは今日まで続いている一夫多妻制の原型となったのです。男女の一夫一婦の関係は創造のはじめから定められていて、これは神聖なものなのに、神を信じないで、自分の欲望のままに歩む者は、この男女の神聖な関係を破り、神に反抗したのです。唯一の神を信じない者は、このように自分の欲望のままに生きようとするのです。

さて、20節を見ると、この二人の妻のうちアダはヤバルとユバルを、そしてツィラはトバル・カインを産みました。まずヤバルは天幕に住む者となり、家畜を飼う者、すなわち農業に従事する者の祖先になりました。そしてユバルは竪琴と笛を巧みに奏でる奏者、すなわち芸術の祖先、そしてトバル・カインは青銅と鉄のあらゆる用具を作る鍛冶屋、すなわち産業の祖先となりました。いわゆる文化の起源がここにあるわけです。しかし、このように文化がカインと彼の子孫たちから出たからといって、それ自体が悪であるということではありません。文化自体はすばらしいものであり、罪の結果、あるいは罪をおおう手段として生まれたものではありません。というのは、もし文化が悪であるとしたら、文化の進歩自体が悪になってしまいますし、人間の文化的努力のいっさいが無意味なものになってしまうからです。ですから、文化そのものは悪ではなく、それは神から与えられた恵みであり、人間の生活を潤すものであり、自然と社会に対して人間がなす真善美の活動とその成果なのです。問題は、こうした文化活動を営む人間がどうであるかということです。せっかく神様から恵みとして与えられたこの文化を自分たちの知恵や力を誇るものとして用いようとしたら、本末転倒になってしまいます。もしそうだとしたら、すなわち、それが神の栄光のためではなく、自分のたちの力を誇る道具になるとしたら、それは神への反逆の有力な武器と科してしてしまうのです。まさに現代の文化はこの神なしの文化であり、本当に罪に満ちた文化です。私たちに求められているのはこうした文化ではなく、神のための、神の栄光を現す聖書に基づいたキリスト教の文化をうち建てることです。

2.レメクの歌(23-24)

次に、23~24節をご覧ください。「さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」

これはレメクがその妻アダとツィラに言ったことばです。レメクはここで何を言っているのでしょうか。これはレメクが、自分の残忍さを誇っているのです。カインを殺す者がいれば七倍の復讐を受けるのであれば、自分を殺す者にはその七十七倍の復讐を受けるということです。つまり、神様がカインに約束された七倍の復讐では足りないとして、七十七倍も報いようとしてるのです。それは自分の力が神以上のものであることを誇示しているのです。このように、人間は堕落すると、自分の残忍さを誇ったり、自分の不道徳を平気で人に誇ったりするようになるのです。これがカインの道、これが罪深い人間の姿です。

3.主の御名によって祈ったエノシュ(25-26)

それに対してここに、そうしたカイン、レメクとは違うもう一つの系統が現れます。それが信仰の系統、セツです。25~26セツには、「アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。人々は主の御名によって祈ることを始めた。」とあります。

先にアベルを失ったアダムとエバは、神様の前に深い悲しみと嘆きの日々を過ごしていたことでしょう。この悲嘆に暮れていた家庭にも、新しい喜びが訪れます。「セツ」の誕生です。「セツ」とは「基礎」という意味です。詩篇11:3には「正しい者」と訳されています。他に「柱」という意味もあります。おさらく、アダムとエバは新しく与えられた子どもとその子孫によって、自分たちの生活の基礎を正しく据えようとしたのではないかと思います。セツこそアベルに代わるべきものであり、アベルの足跡を踏むべき者と考えたのです。それがこの「カインはアベルを殺したので、彼の代わりに、神はもうひとりの子を授けられたから」という意味に込められているわけです。ですから、セツにもまた子供が生まれたとき、その子はエノシュと言いますが、そのとき、人は主の名で祈ることを始めたとあるのです。セツこそは、アベルに代わるべきもの、信仰の系統となるべき者として、神が与えてくださいました。そしてやがてこのセツの系統からアダらハムから始まるイスラエル民族が、そして、イエス・キリストにつながる系統が出てくるのです。ルカ3:38は、そのことを記しています。「エノス」とは「この「エノシュ」のことです。自分の町を建て、物から物に生きようとしたカイン、レメクの系統に対して、神様はアベルに代わる新しい信仰の系統として、ここにセツと、その子孫エノシュから始まる系統を備えてくださったのです。そして、エノシュは主の名によって祈り始めました。レメクが傲慢不遜にも大手をふっていた時に、このように主の御名によって祈ることは、決してやしいことではありません。しかしこのような人々を、神様はいつもわずかながら残しておられるのです。この尽きない神の恵みに感謝して、この信仰の道を歩み続ける物でありたいと願わされます。

創世記4章1~16節

きょうは創世記4章から人類で最初に起こった殺人事件について学びたいと思います。アダムとエバの最初の子であったカインが、その弟アベルを殺したという出来事です。

 Ⅰ.カインとアベルのささげもの(1-7)

まず1節~5節をご覧ください。

「人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。ある時期になって、カインは、値の作物から主へのささげ物を持って来たが、アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。」

アダムとエバに最初の子どもが与えられました。名前は「カイン」です。意味は、「わたしは得た」です。アダムとエバが神に背いて罪を犯し、エデンの園を追放された時、神は彼らに「女の子孫」から救い主を与えると約束してくださいました(3:15)。ですから、彼らに長男が生まれたとき「得た」と思ったのでしょう。しかしながら、それが間違っていたことがわかると、次に生まれた子どもを「アベル」と名付けました。意味は「空虚」です。神の救いがないことは本当に虚しいことだと悟ったのです。

さて、そのカインとアベルが成長して大人になった時、カインは土を耕す者に、アベルは羊を飼う者になりました。日が経って、神にささげ物をささげる時期になった時、カインは地の作物の中から主へのささげ物を持ってきましたが、アベルは羊を飼うものとして、彼の羊の中から、しかも羊の初子の中から、最上のものを持ってきました。すると神様は、アベルとそのささげ物に目を留められましたが、カインとそのささげ物には目を留められませんでした。いったいなぜ神様はアベルとそのささげ物には目を留められたのに、カインとそのささげ物には目を留められなかったのでしょうか。

その後で、そのことで怒り、顔を伏せていたカインに、神様は「あなたが正しく行ったのであれば受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口に待ち伏せしていて、あなたを恋い慕っている。」と言われました。すなわち、彼は正しく行なわなかったのです。いったいどういう点で彼は正しく行っていなかったのでしょうか。

このところをよく見ると、彼は土を耕す者になったのですから、その収穫の中から主へのささげ物を持って来たことは問題ではないかのように感じます。そこで多くの人はそのささげる態度に問題があったのではないかと考えます。アベル場合は最上のものを持ってきたのに対して、カインはそうではなかった。つまり彼は適当にささげたというのです。しかし、問題はささげ物の質で決まるのではありません。結果としてはそれも原因の一つであったかもしれませんが、ここでの問題は別のところにありました。それは、彼らがささげた物が何であったのかということです。つまり、血による犠牲であったかどうかが問われているのです。アベルは血による犠牲をささげたのに対して、カインは血のないささげ物をささげました。彼らはアダムとエバの子どもとし、神が受け入れられるささげ物とはどのような物であるのかを聞いて、それを知っていたはずです。すなわち、神が受け入れられるささげ物とは罪を贖うべきものであり、そこには動物の血が流される必要があったということです。なぜなら、罪の支払うべき報酬は死であり、命は血の中にあるからです。レビ記17:11とヘブル9:22に、次のように記されてあります。

「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」(レビ17:11)

「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル9:22)

血を注ぐことがなければ、罪の赦しはありません。彼らはそれをアダムとエバから聞いてちゃんと知っていたはずなのです。なぜなら、アダムとエバが罪を犯したとき、自分たちが裸であることを知り、それで神の前に出るのが恥ずかしいと思いいちじくの葉で腰の覆いを作って着ましたが、その着物は神の御前には何の役にも立たず、そのために神様は別の着物を着せてくださいました。どういう着物だったでしょうか?そうです、「皮の衣」(3:21)です。それは動物の血の犠牲が伴うものでした。彼らはそのことを知っていたのです。アベルはそのことをわきまえて血の犠牲としてささげ物をささげましたが、カインはそうではありませんでした。それが問題でした。彼らはともに堕落したアダムとエバの子どもとしてエデンの園の外で生まれましたから、ともに罪人であるという点では同じでした。しかし、その罪の赦しを請うために、すなわち、神に受け入れられるための手段、方法は違っていました。アベルは神の方法に従って、神のあわれみによりすがり、血の犠牲をささげたのに対して、カインは罪の赦しを受けることなしに、自分の手のわざをささげたのです。しかし、自分のわざによっては神に近づくことはできません。ただ神のあわれみによらなければ、神に近づくことも、罪の赦しも受けることはできないのです。このことをわきまえないで、自分のわざによって神に受け入れられようとすることは、神の御前には傲慢以外の何ものでもありません。

このことは、神の小羊であられるイエス・キリストを信じる信仰を表していたことは明らかです。神はイエス・キリストの十字架で流された血潮によって、その名を信じる者を義としてくだり、はばかることなく、大胆に恵みの座に近づくことができるようにしてくだったのです(ヘブル4:16)。

神がアベルのささげ物を顧みてくださりカインのささげ物に目を留められなかったのは、そういう点でカインが正しく行っていなかったからであって、決して神が人をかたよって見ておられたからではありませんでした。神はかたよって見られる方ではないからです(ローマ2:11)。そういう意味では、ささげ物が受け入れられなかったとしてもその責任は神様にあるのではなくささげた側にあるのだから、神に対して憤ったり、顔を伏せたりすべきではないのに、カインは自分の罪をわきまえずにやたら腹を立て、ついには弟を殺してしまいました。罪深い人間の本性が、ここによく表れているのではないかと思います。

 Ⅱ.カイン、アベルを殺す(8-14)

では、その人類最初の殺人事件を見ていきましょう。8節から14節です。

「しかし、カインはアベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれてりう。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」

ささげ物が受け入れられなかった責任は自分にあり、そのことを示されたカインは、神の言われることに耳を傾けるどころかアベルに嫉妬し、彼に襲いかかって、殺してしまいました。ここに最初の殺人事件が起こったのです。神に背き、神の言われることを拒んでいる罪人は、みなこのカインのようです。他の人を傷つけてしまうのです。それがこのような暴力的な犯罪につながることがあれば、暴力として表れなくても、苦々しい態度や、わがままな行動になってあらわれることもあります。しかし、それは結果的には悲惨的で、誰かを傷つけてしまうことになるのです。そして、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われても、そうした殺人の責任をとろうとするどころか、「知りません。私は弟の番人なのでしょうか」とうそぶいくことになるのです。カインは、神様が自分の罪のすべてを知っておられることがわかっていても、あるいは、その罰からのがれられないことがわかっていても、それでもなお悔い改めて赦しを得ようとしませんでした。むしろ自己憐憫から、自分の運命をのろい、神の罰が厳しいと言って、不平を述べているのです。そして、罰からのがれられないと見てとると、今度は深く絶望してしまいます。今度は、アベルを殺した報復として、だれかが自分を殺しはしないかと思い、心配しているのです。まさにこれが罪人の姿です。どこまでも頑ななのです。神は、ひとりも滅びることを願わず、すべての人が救われることを望んでおられます(Iテモテ2:4)。ですから、どんな罪を犯したとしても、ただ神の前に悔い改め、へりくだって歩めばいいのに、なかなかそれができないのです。そして、もっと、もっと意固地になって神をのろい、不平を並び立てながら、自分の人生をのろうのです。それが罪深い人間の姿なのです。

 Ⅲ.一つのしるし(15-16)

そんなカインに対して、神はどうされたでしょうか。15節と16節をご覧ください。

「主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。それで、カインは、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。」

 

なんと、そのようなカインの嘆きに対して、神様は「それだから・・」と、だれも彼を殺すことがないように一つのしるしを下さいました。このしるしが何であるかはわかりませんが、いったいなぜ神様はこのようなしるしを彼に与え、彼を守ろうとされたのでしょうか。それは、神様はあくまでも彼が悔い改めることを願っておられたからです。そのために彼を守られる手段を講じてくださったのです。にもかかわらず彼は、そんな神様の愛の思いを悟ることができず、主の前から去って、エデンの東、ノデの地に住み着きました。「ノデ」とは「動揺」という意味です。神を離れてからのカインの毎日は、動揺にほかなりませんでした。それはさすらいであり、さまよいです。くる日もくる日も不安な動揺に終始しなければならない生活は、どんなに悲惨であったかがかります。

スタインベック原作の映画「エデンの東」は、ここにその名のルーツがあります。厳格な父に受け入れてもらえないジェームス・ディーン扮する主人公が、父に受け入れてもらうことを願いつつも、かえって背を向けて葛藤する様を描いています。

殺人の罪を犯しても、カインは真に悔い改めることをしませんでした。ところが、そんな彼の上にも、神様は「保護」という恵みを与えられました。神様はそれほどに人類が悔い改めて神に立ち返ることを願っておられるのです。私たちはカインの道、すなわち神様から離れた自己中心の道ではなく、アベルの道、すなわち、自分の罪を悟り、そのままの姿では聖なる神様の御前には出ることができないことを知り、信仰によって身代わりの犠牲をささげる。つまり、来るべき救い主イエス・キリストに信頼する道、信仰の道を歩む者でありたいと願います。