Ⅰサムエル記12章

 今回は、サムエル記第一12章から学びます。

 Ⅰ.非難されるところがなかったサムエルの生涯(1-6)

 まず、1~6節までをご覧ください。
「サムエルは全イスラエルに言った。「見よ、あなたがたが私に言ったことを、私はことごとく聞き入れ、あなたがたの上に王を立てた。今、見なさい。王はあなたがたの先に立って歩んでいる。私は年をとり、髪も白くなった。そして、私の息子たちは、あなたがたとともにいる。私は若いときから今日まで、あなたがたの先に立って歩んできた。さあ今、主と主に油注がれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを虐げ、だれかを打ちたたいただろうか。だれかの手から賄賂を受け取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、あなたがたにお返しする。」彼らは言った。「あなたは私たちを虐げたことも、踏みにじったことも、人の手から何かを取ったこともありません。」サムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見出さなかったことについては、今日、あなたがたの間で主が証人であり、主に油注がれた者が証人である。」そこで、ある人が「証人は」と言うと、サムエルは「主である。モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせた方である」と民に告げた。

11章の終わりに、「サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。」(11:14-15)とありますが、サウルの王政が樹立した段階で、サムエルの士師としての役割は終わりを告げました。そこでサムエルは告別説教をします。この箇所はその冒頭部分にあたります。

サムエルがここで言っていることは、第一に、自分はイスラエルの要求を受け入れて、イスラエルの民の上に王を立てたということ(1)、第二に、そればかりか、若い時から今日まで、彼らの先頭に立って歩んできたが、その士師としての生活の中で、何か一つでも不当にその地位を利用して悪事を行うことがあったか、あったのなら、それを主と主に油注がれた者の前に出して、訴えてほしいということ(3)でした。たとえば、だれかの牛を取ったとか、だれかのろばを取ったり、だれかを虐げたり、だれかの手から賄賂を受け取って、自分の目をたくらませたりしたとかです。すると、イスラエルの民は、そういう事実はただの一つもない、と言いました。
権力の座について、それでいてなおかつ、それを乱用せずに生き抜くことはとても難しいことです。自分が置かれている立場を利用する誘惑はいっぱいあるからです。けれども、サムエルは最後の最後まで、非難されるべきところがなく生きてきました。最後まで主にお従いすることは、本当に栄誉あることです。

するとサムエルは言いました。「あなたがたが私の手に何も見出さなかったことについては、今日、あなたがたの間で主が証人であり、主に油注がれた者が証人である。」(5)
「油注がれた者」とはサウルのことです。サムエルに非がないことは、主と主に油注がれた者であるサウル王が証人である、ということです。5節のその後のところに、「そこで、ある人が「証人は」と言うと、」とありますが、新改訳第三版では、「すると彼らは言った。「その方が証人です。」となっています。この方がわかりやすいかと思います。つまり、彼らは、サムエルの言うとおり、主と、主に油注がれた方が証人であると認めたということです。

Ⅱ.サムエルの告別説教(7-18)

次に、7~18節までをご覧ください。
「さあ、立ちなさい。私は、主があなたがたと、あなたがたの先祖に行われたすべての正義のみわざを、主の前であなたがたに説き明かそう。ヤコブがエジプトに行ったとき、あなたがたの先祖は主に叫んだ。主はモーセとアロンを遣わし、彼らはあなたがたの先祖をエジプトから導き出し、この場所に住まわせた。しかし、先祖たちは自分たちの神、主を忘れたので、主は彼らをハツォルの軍の長シセラの手、ペリシテ人の手、モアブの王の手に売り渡された。それで先祖たちは彼らと戦うことになったのだ。先祖たちは主に叫んで、『私たちは主を捨て、バアルやアシュタロテの神々に仕えて罪を犯しました。今、私たちがあなたに仕えるため、敵の手から救い出してください』と言った。すると主は、エルバアルとバラクとエフタとサムエルを遣わし、あなたがたを周囲の敵の手から救い出してくださった。それで、あなたがたは安らかに住んだのだ。しかし、アンモン人の王ナハシュがあなたがたに向かって来るのを見たとき、あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに、『いや、王が私たちを治めるのだ』と私に言った。今、見なさい。あなたがたが求め、選んだ王だ。見なさい。主はあなたがたの上に王を置かれた。もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、自分たちの神、主の後に従うなら、それでよい。しかし、もし、あなたがたが主の御声に聞き従わず、主の命令に逆らうなら、主の手が、あなたがたとあなたがたの先祖の上に下る。今、しっかり立って、主があなたがたの目の前で行われる、この大きなみわざを見なさい。今は小麦の刈り入れ時ではないか。主が雷と雨を下されるようにと、私は主を呼び求める。あなたがたは王を求めることで、主の目の前に犯した悪が大きかったことを認めて、心に留めなさい。そしてサムエルは主を呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨を下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。」

そこで、サムエルは告別説教を語り始めます。彼はまず、イスラエルの歴史から語ります。彼がこのようにイスラエルの歴史から語るのは、主が、ご自分の民にどのように働かれたのかを思い起こさせるためです。その中心は、神がモーセとアロンを立てて、イスラエルの先祖をエジプトの地から導き出された方であるということです。
 それにもかかわらず、彼らの先祖たちは自分たちの神、主を忘れたので、主は彼らをハツォルの軍の長、シセラの手に、またペリシテ人の手、モアブの王の手に渡されました。しかし、彼らが悔い改めて主に叫んだので、主は士師たちを起こし、彼らを助け出されました。エルバアルとはギデオンのことです。また、バラクやエフタ、サムエルなどです。それで、彼らは安らかに住むことができました。

 これらのことからわかることは、イスラエルの民を解放したのは人間ではなく、士師たちを遣わされた主ご自身であるということです。私たちも今、自らの歩みを振り返り、ここまでの歩みを支えてくださったのが誰であるのかを思い起こし、この主イエス・キリストの父なる神に感謝して、ますます主に信頼して歩ませていただきたいと思います。

しかし、アンモン人の王ナハシュがイスラエルに向かって攻めて来たとき、彼らはどうしたでしょうか。イスラエルの神、主こそ彼らをその窮地から救い出してくださる方なのに、彼らはその主に助けを求めたのではなく、人間の王を求めました。「いや、王が私たちを治めるのだ。」と言って。それがサウルでした。
 サムエルは、主が王として民を救ってくださるのに、人間の王が欲しいと言い張ったのは罪であったことを指摘した上で、主は民の上に王を置くことを許されたのだということを説明します。それは明らかに彼らの罪でした。けれども主は、彼らが落ちていったそのレベルにまで降りてくださり、人間の王が統治する中で彼らを見守ることに決められました。そして、彼らがそれ以上落ちることがないように、主の律法に忠実に歩むようにと、サムエルはこう勧めるのです。14~16節です。
 「もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、自分たちの神、主の後に従うなら、それでよい。しかし、もし、あなたがたが主の御声に聞き従わず、主の命令に逆らうなら、主の手が、あなたがたとあなたがたの先祖の上に下る。」

そして、「今、しっかり立って、主があなたがたの目の前で行われる、この大きなみわざを見なさい。」(14-16)と言いました。それは、小麦の刈り入れの時に、サムエルが主に、雷と雨を下されるようにと祈ると、主はその祈りに応えてくださるので、それを見て、彼らが主の前に犯した悪がいかに大きかったかを認めて、心に留めるように、と言うのです。小麦の刈り入れ時期は、普通6月中旬から末にかけてです。雨は5月には止んでおり、6月は乾季に入りますから、その時期に雨が降るとしたら、それはサムエルの祈りに主が応えてくださったということになります。

そして、サムエルがそのように主に祈ると、主は彼の祈りに応えてくださり、その日に、雷と雨を下されたので、民はみな、主とサムエルを非常に恐れました。これ以外の方法では、自らの罪を実感できなかった民が大勢いたでしょう。私たちが頑なに一つのことを求めるなら、主はそのことを与えてくださる場合があります。しかし、それは神がただ許容されただけであって、実際には悲しませることになります。にもかかわらず、私たちはそれが叶うと、あたかも自分が正しい者であるかのように錯覚してしまいます。私たちは、自分の思いによって神を動かそうとする愚かな罪を犯していないかどうかを吟味しなければなりません。そして、いつも柔和な心で神の御声を聞き、主に従わなければなりません。

Ⅲ.ただ主を恐れて(19-25)

最後に、19~25節までをご覧ください。
「民はみなサムエルに言った。「私たちが死なないように、しもべどものために、あなたの神、主に祈ってください。私たちは、王を求めることによって、私たちのあらゆる罪の上に悪を加えてしまったからです。」サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従う道から外れず、心を尽くして主に仕えなさい。役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされたからだ。私もまた、あなたがたのために祈るのをやめ、主の前に罪ある者となることなど、とてもできない。私はあなたがたに、良い正しい道を教えよう。ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。 あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。」

すると民の心に主への恐れが生じ、彼らはサムエルに、自分たちが死なないように、主に祈ってほしいと、言いました。
それに対してサムエルは、彼らに「恐れてはならない」ということ、そして、主に従う道から外れないで、心を尽くして主に仕えるようにと言いました。主の恵みと選びとは変わることはありません。主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨てたりなさらないからです。これは主の契約に基づく不変の愛です。すばらしいですね。勿論、サムエルも彼らのために祈ることをやめたりしません。彼らに真理を伝えることを止めたりはしないのです。だから、王政になったとしても、主を恐れ、誠実に主に仕えるようにと勧めたのです。もし、彼らが悪を重ねるなら、彼らも彼らの王も滅ぼし尽くされることになります。

すばらしいですね。主の賜物と召命とは、変わることがありません(ローマ11:29)。私たちは、そのような不変の愛で愛されているのです。だからと言って、どう生きてもいいというわけではありません。神の愛は不変であり、私たちの救いは確かなものであるがゆえに、私たちは主を恐れ、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛し、主に仕えなければならないのです。それは私たちが愛されるためではなく愛されたから、神の大いなる愛を経験しているからです。

Ⅰサムエル記11章

 今回は、サムエル記第一11章から学びます。

 Ⅰ.アンモン人ナハシュの圧力(1-5)

 まず、1~5節までをご覧ください。
「さて、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷いた。ヤベシュの人々はみな、ナハシュに言った。「私たちと契約を結んでください。そうすれば、あなたに仕えます。」アンモン人ナハシュは彼らに言った。「次の条件でおまえたちと契約を結ぼう。おまえたち皆の者の右の目をえぐり取ることだ。それをもってイスラエル全体に恥辱を負わせよう。」ヤベシュの長老たちは彼に言った。「イスラエルの国中に使者を遣わすため、七日の猶予を与えてください。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたのところに出て行きます。」使者たちはサウルのギブアに来て、これらのことばを民の耳に語った。民はみな、声をあげて泣いた。ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。サウルは言った。「民が泣いているが、いったい何が起こったのか。」彼らは、ヤベシュの人々のことばを彼に告げた。」

サウルは王として油注ぎを受けたとき、神に心を動かされた勇者たちは彼について行きましたが、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼について行きませんでした(10:26-27)。彼は自分の町ギブアに帰り、農夫としての仕事を続けながら、神の時が来るのを待っていました。

すると、アンモン人ナハシュが上って来て、ヤベシュ・ギルアデに対して陣を敷きました。ヤベシュ・ギルアデは、ヨルダン川東岸にあるイスラエルの町です。アンモン人が住んでいるところのすぐそばにあった町です。そのヤベシュ・ギルアデに対して、アンモン人が戦いを挑んで陣を敷いたのです。

ヤベシュの人々は自分たちに勝つ見込みがなかったので、和平条約を申し入れます。それは、自分たちと契約を結んでほしいということでした。そうすれば、あなたがたに仕えます・・・と。するとアンモン人ハナシュは、無理難題を突き付けてきました。何と右の目をえぐり取ることを条件に契約を結ぼうというのです。右目をえぐり取られるとは、戦うことができなくなることを意味していました。それは非常に屈辱的な要求でした。それで、ヤベシュの長老たちは7日間の猶予をもらい、イスラエル全土にこの状況を伝え、救いを求めました。

彼らはまず、サウルのいるギブアに使者を遣わしました。ヤベシュからの使者たちの知らせを聞いたギブアの人たちはみな、声を上げて泣きました。自分たちに近いヤベシュの町があまりにも屈辱的な状況に直面していたからです。

すると、ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来ました。そして、民が泣いているのを見て、「何が起こったのか」と尋ねると、彼らはヤベシュの人々のことばを彼に告げました。ここから、サウルの王としての活動の火ぶたが切られることになります。神は思いもかけない方法で、その道を開いてくださいました。サウルは、自分が王になったことを言いふらさなくても、その機会が自然に向こうからやってきたのです。それは神の導きにほかなりません。このように、こうした機会は意外と問題を通してやって来ることがあります。しかし、問題が起こると私たちは恐れを抱いてしまうため、それを見逃してしまうことがあるのです。私たちは信仰によって恐れを克服し、神の機会を見失うことがないようにしなければなりません。

Ⅱ.アンモン人との戦い(6-11)

次に、6~11節までをご覧ください。
「サウルがこれらのことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。彼の怒りは激しく燃え上がった。彼は一くびきの牛を取り、それを切り分け、使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」と言った。主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出て来た。サウルはベゼクで彼らを数えた。すると、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言いなさい。「明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」使者たちは帰って行って、ヤベシュの人々に告げたので、彼らは喜んだ。ヤベシュの人々は言った。「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」 翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けの見張りの時に陣営に突入し、昼までアンモン人を討った。生き残った者は散り散りになり、二人の者がともにいることはなかった。」

サウルがヤベシュの人々のことばを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下りました。このように、旧約聖書においては、神がゆだねられたある使命を果たさせるために、その人物の上に激しく下ることがありました。その結果、サウルの怒りが激しく燃え上がりました。それはそうでしょう。同胞が敵に虐げられているのを見て黙ってなどいられるはずがありません。これは聖なる怒りとも言うべきものです。

それでサウルは一くびきの牛を取り、それを切り分けて,使者に託してイスラエルの国中に送ってこう言いました。「サウルとサムエルに従って出て来ない者の牛は、このようにされる」これによって、イスラエルの全部族を招集したのです。それにしても、なぜサウルはここでサムエルの名前を加えたのでしょうか。まだ自信がなかったのでしょう。まだサウルのことを認めていない人たちがいたので、サムエルの名前を出せば、民の敬意と服従を得られるのではないかと思ったのです。

すると主の恐れが民に下って、彼らは一斉に出てきました。その数を数えるとイスラエルの人々が30万人、ユダの人々が3万人でした。彼らは、やって来た使者たちにこう言いました。「明日、日が高くなるころ、あなたがたに救いがある。」ヤベシュの人たちはどれほど心強かったことでしょうか。使者たちが帰って行って、ヤベシュの人たちにそのことを告げると、彼らは非常に喜びました。

すると、ヤベシュの人々がサウルに、「私たちは、明日、あなたがたのところに出て行きます。あなたがたの良いと思うように私たちにしてください。」と言ったので、翌日、サウルは兵を三組に分け、夜明けに奇襲攻撃をかけて、昼までアンモン人を討ちました。その結果、アンモン人は散り散りになり、二人の者がともにいることはありませんでした。

サウルは戦争の経験がない王様でしたが、その彼がこの戦いに勝利することができたのはどうしてでしょうか。それは、神の霊が彼の上に下り、知恵と力を与えてくださったからです。「聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまでわたしの証人となります。」(使徒1:8)私たちも宣教においてアンモン人という敵の前にすぐに怖気着くような者ですが、神の聖霊によって勝利することができます。神の使命を果たそうとする時、恐怖心が湧いてくることがありますが、そのような時、聖霊の導きを信じて一歩踏み出すなら、聖霊が勝利をもたらしてくださるのです。

Ⅲ.サウルの王権の更新(12-15)

最後に、12~15節までをご覧ください。
「民はサムエルに言った。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」サウルは言った。「今日はだれも殺されてはならない。今日、主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださったのだから。」サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」民はみなギルガルに行き、ギルガルで、主の前にサウルを王とした。彼らはそこで、主の前に交わりのいけにえを献げた。サウルとイスラエルのすべての者は、そこで大いに喜んだ。」

イスラエルがアンモン人を討ち破ると、民はサウルに言いました。「『サウルがわれわれを治めるのか』と言ったのはだれでしたか。その者たちを引き渡してください。彼らを殺します。」この者たちとは、10:27に出てきた「こいつがどうしてわれわれを教えるのか」と言ってサウルを軽蔑した人たちです。その時サウルは黙っていました。言いたい者には言わせておこうと思ったのでしょう。しかし、そんな者たちにギャフンと言わせる絶好の機会が訪れました。

しかし、サウルは神に栄光を帰し、「きょうはだれも殺してはならない」と言いました。そして、彼らの提案を退けました。これは神の知恵による寛大な処置でした。悔い改めた敵対者たちを殺すよりは、自分の味方につけた方が何倍も良いからです。復讐は何の益ももたらすことはありません。

そして、イスラエルの民にこう言いました。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」王政を樹立するとは、王権を新しくすると言う意味です。サウルは既にミツパで王としての油注ぎを受けていました。それをギルガルで更新しようというのです。ギルガルは、かつてイスラエルの民が約束の地に入り、割礼の儀式を再開した場所です。そこで民は再びサウルを王としました。これは王権を確立したということでしょう。彼らはそこで、主の前に和解のいけにえをささげ、サウルが王になったことを喜びました。

この日の喜びは、サウルが神の知恵によって寛大な心を示し、また、この勝利を自分の手柄としないで「主がイスラエルにおいて勝利をもたらしてくださった」と語り、主に栄光を帰したことでもたらされました。サウルの王としての歩みは、最初は順調であったというか、非常に良かったのです。しかし、最初の思いを忘れてしまうことで、この後で致命的な失敗を犯してしまうことになります。黙示録2章には、主がエペソの教会に書き送った手紙がありますが、その中で主は、「あなたは初めの愛から離れてしまった。」(2:4)と言われました。「だから、どこから落ちたのかを思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。」(2:5)

これはサウルだけのことではありません。私たちも同じです。初めの愛から離れてしまうことがあります。ですから、どこから落ちたのかを思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなければなりません。そうすれば、主が赦してくださいます。問題は、私たちが何をしたかではなく、何をしなかったかです。悔い改めて、初めの愛に帰ることを神は願っておられるのです。

Ⅰサムエル10章

サムエル記第一10章から学びます。

Ⅰ.サウルの油注ぎと3つのしるし(1-9)

まず、1~9節までをご覧ください。

「サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自分のゆずりの地と民を治める君主とするため、あなたに油を注がれたのではありませんか。今日、私のもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばで、二人の人に会うでしょう。彼らはあなたに、『捜し歩いておられた雌ろばは見つかりました。あなたの父上は、雌ろばのことはどうでもよくなり、息子のためにどうしたらよいのだろうと言って、あなたがたのことを心配しておられます』と言うでしょう。そこからなお進んで、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く三人の人に会います。一人は子やぎを三匹持ち、一人は円形パンを三つ持ち、一人はぶどう酒の皮袋を一つ持っています。彼らはあなたにあいさつをして、あなたにパンを二つくれます。彼らの手から受け取りなさい。それから、ペリシテ人の守備隊がいるギブア・エロヒムに着きます。その町に入るとき、琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に、預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会います。主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。私より先にギルガルに下って行きなさい。私も全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げるために、あなたのところへ下って行きます。私があなたのところに着くまで、そこで七日間待たなければなりません。それからあなたがなすべきことを教えます。」サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。これらすべてのしるしは、その日のうちに起こった。」

サムエルは、サウルが君主に任じられていることを伝えるために、彼の頭に油を注ぎました。この油注ぎは、物や人を聖別するために行われたものですが、神が王を任命されるときだけでなく、祭司、預言者を任命する時にも行なわれました。ここでは、サウルを神に聖別された王として立てるために、油注ぎが行われました。へブル語の「メシア」という言葉は、「油注がれた者」という意味ですが、人類の救い主として登場するイエス・キリストこそ、究極的な意味で神から油注ぎを受けたお方です。

サムエルはサウルに油を注ぎ、彼に口づけして、彼が神から王として立てられていることを証明するために、三つのことが起こると預言しました。第一に、サウルがサムエルのもとを離れて行くとき、ベニヤミンの領内のツェルツァフにあるラケルの墓のそばでふたりの人に会い、彼らが、雌ろばが見つかったことを告げます(2)。また、サウルの父親がサウルのことを心配していることも告げます。

第二に、そこからなお進んで行き、タボルの樫の木のところまで行くと、そこで、神のもとに行こうとベテルに上って行く3人の人に出会います。彼らのうちの1人は子やぎを3匹持ち、もう1人は円形のパンを三つ、もう1人はぶどう酒の皮袋を3つ持っていますが、彼らはサウルにパンを2個くれるので、それを彼らの手から受け取りなさい、ということでした(3-4)。

そして第三に、サウルがギブア・エロヒムに到着すると、そこに琴、タンバリン、笛、竪琴を鳴らす者を先頭に預言をしながら高き所から下って来る預言者の一団に出会いますが、そのときサウルの上に主の霊が激しく下り、彼も彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられるというのです(5-6)。

これが、神がサウルとともにおられるしるしです。これらのしるしが起こったら、自分の力でできることをしなければなりません。「自分の力でできることをしなさい」は、新改訳第三版では「手当たりしだいに何でもしなさい」と訳されています。つまり、時に応じてなんでもしなさい、ということです。サムエルはサウルに、自分より先にギルガルに下って行くように命じました。しかし、彼はそこで七日間待たなければなりません。サムエルが全焼のいけにえを献げるために彼のところへ下って行くからです。それまでの間待たなければなりませんでした。サムエルがそこに着く時、サウルがなすべきことを教えるからです(8)。その結果どうなったでしょうか。サウルがサムエルから去って行こうとしたとき、神はサウルに新しい心を与えられました。これらすべてのしるしが、その日のうちに起こったのです(9)。

ここで問題なのは、6節に、「主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。」とありますが、サウルは新しく生まれ変わったのかということです。つまり、彼は救われていたのか、ということです。この箇所を見ると、「主の霊が彼の上に激しく下り」とあるので、彼は聖霊を受けたかのように見えますが、これが新訳聖書で教えている新生の体験と同じかどうかは疑問があります。というのは、彼は王権が確立されていくにつれて傲慢になり、ギルガルでサムエルが到着するまでそこで七日間待たなければなりませんでしたがその命令に従わず、サムエルに代わって全焼のいけにえをささげてしまうからです。確かに、聖霊を受けて新しく生まれるという体験をしても罪を犯します。しかし、16:14には、「主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。」とあるように、彼には主からの、わざわいの霊が送られていることを考えると、本当に彼が救われていたのかどうかは疑問があります。確かに救われていても罪を犯します。しかし、救われていれば、その人のすべき第一の反応はその罪を悔い改めることです。そして、そこから学ぶことは何であるのかを求めることです。

けれども、サウルは罪を悔い改めませんでした。結局、彼はダビデに嫉妬し、堕落の道を辿り、最終的に、ペリシテとの戦いの中で致命傷を負い、敵に追い詰められ、一緒にいた護衛兵に殺してくれるよう頼みますがためらわれ、自らの剣で自殺しました(Ⅰサムエル31:4)。彼の問題は何だったのでしょうか。それは、悔い改めなかったということです。彼の問題は、「した」からでなく「しなかった」からなのです。彼は二度にわたって神の命令に背きましたが、問題はそのように神に背いたことではなく、それを悔改めなかったことです。悔い改めるなら、神はすべての悪から清めてくださいます。
「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:8-9)つまり、サウルは元々救われていなかったのです。
 

このことについて、久保有政師がご自身の著書「レムナント」の中で次のように言っています。少し長いですが、引用したいと思います。  「多くの人は、「もし、私が天国に入れないとしたら、それは私が悪いことをしたからだ」とか「罪を犯したからだ」と思っていないでしょうか。しかし、この考え方は聖書の教えるところではありません。もしあなたが、不幸にも死後天国に入れないとしたら、それはあなたが何かを「した」かたではありません。むしろ、あなたがあることを「しなかった」からなのです。

これがダビデと決定的に違う点でした。ダビデも人生の中で罪を犯しました。ダビデの犯した罪は深刻で重いものでした。彼は人の妻を横取りし、姦淫したうえ、彼女の夫を戦闘の最前線に出して故意に死なせたのですから(Ⅱサムエル11章)。しかしダビデの罪は赦され、サウルの罪は赦されませんでした。それは、ダビデが心から悔改めたのに対し、サウルは悔改めなかったからです。彼は自分の罪が発覚したとき、預言者サムエルに「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で、私の面目を立ててください。どうか私と一緒に帰って、あなたの神、主を礼拝させてください」(Ⅰサムエル15:30)と言いました。しかし、それは表面的なことで、真実なものではありませんでした。というのは、そのすぐあとに「私の面目を立ててください」と言っているからです。自己保身をはかりました。「罪を犯しました」というのはタテマエで、「面目を立ててください」がホンネでした。ですから、神はこうした態度を、悔改めととしてお受けにならなかったのです。神はサウルを、王位から退けられました。サウルの晩年は、悲惨さを感じさせるものでした。一方、ダビデは、自分の罪を指摘されたとき、「私は主に対して罪を犯しました」(Ⅱサムエル12:13)と言い、自分のしたことが「主に対する」重大な罪であったということを表明しました。ダビデは自分の面目を保つことを求めず、神の懲らしめに身をまかせました。やがてダビデの家庭と王位には、様々の災いがふりかかりました。しばらくして、息子と家臣がダビデに反逆し、ダビデは王座とエルサレムを去らなければならなくなりました。そのとき、ベニヤミン人のある男がダビデに近寄ってきて、嘲笑とのろいの言葉を浴びせました。さらに、ダビデや家来たちに石を投げつけました。もしダビデが、家来に命じれば、家来はその男を捕らえて黙らせたり、斬り捨てることもできたでしょう。しかしダビデはそうせず、むしろ、その男ののろいの言葉を甘んじて受けてこう言いました。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私の命をねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほおって起きなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」(Ⅱサムエル16:11~12)。これは彼が真に悔い改めていたことを示すものです。ダビデのなした真実な悔改めは、神に知られるところとなり、神はダビデの罪を赦し、彼を再び王座に戻し、誉れと幸福をお与えになりました
サウルとダビデ――この二人の違いは、どこにあったのでしょうか。サウルもダビデも罪を犯しました。しかし、サウルは悔い改めなかったのに対しして、ダビデは悔い改めました。ですから、ダビデは赦され、サウルは神から退けられたのです。サウルが退けられたのは、彼が何かを「した」からではなく、悔改めを「しなかった」からなのです。

ですから、問題は罪の大小ではありません。そこに真の悔い改めがあったかどうかです。確かに、サウルは神に選ばれ、聖霊の油注ぎを受けたにも関わらず、悔い改めることをしませんでした。それが問題だったのです。つまり、彼は表面的には聖霊を受けていたかのように見えますが、実際には神から離れていたのです。彼は最初から救われていなかったのです。もし、自分の罪を悔い改めて主イエスを信じたなら、どんな罪でも神は赦していただけます。サウルは主の霊によって新しい人に変えられましたが、それは新約聖書が教えている新しく生まれるという体験ではなかったのです。

Ⅱ.サウルも預言者の一人なのか(10-16)

次に10~16節をご覧ください。

「彼らがそこからギブアに行くと、見よ、預言者の一団が彼の方にやって来た。すると、神の霊が彼の上に激しく下り、彼も彼らの間で預言した。以前からサウルを知っている人たちはみな、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」そこにいた一人も、これに応じて、「彼らの父はだれだろう」と言った。こういうわけで、「サウルも預言者の一人なのか」ということが、語りぐさになった。サウルは預言を終えて、高き所に帰って来た。サウルのおじは、彼とそのしもべに言った。「どこに行っていたのか。」サウルは言った。「雌ろばを捜しにです。どこにもいないと分かったので、サムエルのところに行って来ました。」サウルのおじは言った。「サムエルはあなたがたに何と言ったか、私に話してくれ。」サウルはおじに言った。「雌ろばは見つかっていると、はっきり私たちに知らせてくれました。」しかし、サムエルが語った王位のことについては、おじに話さなかった。」

サムエルが預言した三つの預言は、その日のうちに起こりました。その中でも三番目の預言が最も重要だったので、そのことについてここで詳細に語られています。つまり、彼らがそこからギブアに行くと、そこで預言者の一団が出会ったということです。彼らがサウルの方にやって来ると、神の霊が彼の上の激しく下り、彼も彼らの間で預言しました。以前からサウルのことを知っている人たちは、彼が預言者たちと一緒に預言しているのを見て、びっくりしました。そして、互いにこう言いました。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルも預言者の一人なのか。」

サウルが預言を終えて帰宅すると、サウルのおじが彼とそのしもべたちに、「どこに行っていたのか」と尋ねました。サウルが、雌ろばを捜しに行っていたがどこにもいなかったので、サムエルのところに行って来た」と答えると、おじはサムエルが彼に何を言ったのかと聞きました。しかし、彼はただ雌ろばのことを告げただけで、自分が王として油を注がれたことについては話しませんでした。彼は、事態の進展を神とサムエルにゆだね、自分は状況が開かれるのを待とうと思ったのでしょう。なかなかの慎重さが伺えます。

しかし、サウルの変化を過大評価することはできません。なぜなら、先ほども述べたように、それは永遠に続く霊的変化ではなく、一時的で、表面的な変化にすぎなかったからです。使徒パウロも劇的な変化をしました。彼は以前サウルと同じ名前でしたし、ともにベニヤミンの出身でしたが、両者の変化の内容は全く違うものでした。パウロはキリストを信じて霊的に生まれ変わりましたが、サウロはそうではありませんでした。サウルも劇的に変えられましたがそれは聖霊による新生の体験ではなく、表面的で、一時的な変化にすぎませんでした。

Ⅲ.サウルの選出(17-27)

最後に17節から27節までを見て終わります。まず24節までをご覧ください。

「サムエルはミツパで、民を主のもとに呼び集め、イスラエル人に言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『イスラエルをエジプトから連れ上り、あなたがたを、エジプトの手と、あなたがたを圧迫していたすべての王国の手から救い出したのは、このわたしだ。』しかし、あなたがたは今日、すべてのわざわいと苦しみからあなたがたを救ってくださる、あなたがたの神を退けて、『いや、私たちの上に王を立ててください』と言った。今、部族ごと、分団ごとに、主の前に出なさい。」サムエルは、イスラエルの全部族を近づかせた。すると、ベニヤミンの部族がくじで取り分けられた。 そして、ベニヤミンの部族を、その氏族ごとに近づかせた。すると、マテリの氏族がくじで取り分けられた。そして、キシュの息子サウルがくじで取り分けられた。人々はサウルを捜したが、見つからなかった。人々はさらに、主に「あの人はもう、ここに来ているのですか」と尋ねた。【主】は「見よ、彼は荷物の間に隠れている」と言われた。彼らは走って行って、そこから彼を連れて来た。サウルが民の中に立つと、民のだれよりも、肩から上だけ高かった。サムエルは民全体に言った。「主がお選びになったこの人を見なさい。民全体のうちに、彼のような者はいない。」民はみな、大声で叫んで、「王様万歳」と言った。

サウルがイスラエルの王として立てられていることを公にするため、サムエルはイスラエルの民をミツパに集め、王を選出するための行事を行います。彼はまず、王を選出する前にイスラエルの神がどのような方であるかを確認します。すなわち、イスラエルの神はイスラエルの民をエジプトから救い出してくださった方であるということです。さらに彼は、イスラエルに王を立てるということは、この神を退ける行為であることを伝えます。その上で、くじによって王を選ぶ作業に入ります。するとベニヤミン部族が取り分けられ、マテリ氏族が取り分けられ、そして、キシュの子サウルが取り分けられました。そこでサウルを捜しましたが、見つかりませんでした。彼は荷物の間に隠れていたのです。なぜ彼は荷物の間に隠れたのでしょうか。

このサウルの態度は、一見、謙遜であるかのように見えますが、後になってわかるように、これは謙遜ではなく自信のなさの現われでした。自信のなさと傲慢さとは表裏一体です。荷物の間からサウルを連れて来ると、彼は民のだれよりも肩から上だけ高く、威風堂々としていました。それでイスラエルの民は非常に喜び、「王様万歳」と叫んで、彼を王として受け入れました。なぜ彼らはそんなに喜んだのでしょうか。それはただ、サウルの体格が良く、堂々としていたからです。

しかし、後にダビデが次の王として選ばれますが、ダビデはサウルとは違いそれほど背が高くありませんでした。しかし、その時主が言われたことはこうでした。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(16:7)私たちもうわべではなく心を見て判断する者となりましょう。

25-27節をご覧ください。ここには、「サムエルは民に王権の定めについて語り、それを文書に記して主の前に納めた。それから、サムエルは民をみな、それぞれ自分の家へ帰した。サウルもギブアの自分の家へ帰って行った。神に心を動かされた勇者たちは、彼について行った。しかし、よこしまな者たちは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って軽蔑し、彼に贈り物を持って来なかった。しかし彼は黙っていた。」とあります。

「神に心動かされた勇者たち」とは、その時代の真の信仰者たちです。彼らはサウルに傾倒していたというよりも、今サウルを盛り立てることが自分に与えられた主のみこころであると確信して、彼について行きました。

一方、「よこしまな者たち」とはは、「こいつがどうしてわれわれを救えるのか」と言って彼を軽蔑した者たちです。彼らはサウルに贈り物を持って来ませんでした。彼らは主のみこころを理解せず、いつも自分中心に判断し、動いていたからです。私たちは、よこしまな者にならないで、主に心動かされる者となり、主のみこころが実現するためにへりくだって仕える者となろうではありませんか。

Ⅰサムエル記9章

サムエル記第一9章から学びます。

 

Ⅰ.キシュの子サウル(1-10)

 

まず、1~10節までをご覧ください。1-2節をお読みします。

「ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。キシュはアビエルの子で、アビエルはツェロルの子、ツェロルはベコラテの子、ベコラテはベニヤミン人アフィアハの子であった。彼は有力者であった。キシュには一人の息子がいて、その名をサウルといった。彼は美しい若者で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。」

 

いよいよ、初代イスラエルの王となる人物が選ばれます。それはサウルです。ここには、サウルがどのような人物であったかが描かれています。

彼はまずベニヤミン人で、キシュという人の一人息子でした。そして彼は、美しい若者であったとあります。その美しさは、イスラエル人の中で彼よりも美しい者はいなかったと称されているほどです。それは彼の背の高さを見てもわかります。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かったのです。女の人たちが一番結婚したいと思う理想の男性、というところでしょうか。神は、イスラエルの民が王として望んでおられるような人物を用意されたのです。

 

3~10節までをご覧ください。

「あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子サウルに言った。「しもべを一人連れて、雌ろばを捜しに行ってくれ。」サウルはエフライムの山地を巡り、シャリシャの地を巡り歩いたが、それらは見つからなかった。さらに、シャアリムの地を巡り歩いたが、いなかった。ベニヤミン人の地を巡り歩いても、見つからなかった。二人がツフの地にやって来たとき、サウルは一緒にいたしもべに言った。「さあ、もう帰ろう。父が雌ろばのことはさておき、私たちのほうを心配し始めるといけないから。」すると、しもべは言った。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」サウルはしもべに言った。「もし行くとすると、その人に何を持って行こうか。私たちの袋には、パンもなくなったし、神の人に持って行く贈り物もない。何かあるか。」しもべは再びサウルに答えた。「ご覧ください。私の手に四分の一シェケルの銀があります。これを神の人に差し上げたら、私たちの行く道を教えてくださるでしょう。」昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は「さあ、予見者のところへ行こう」とよく言っていた。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである。サウルはしもべに言った。「それはよい。さあ、行こう。」こうして、彼らは神の人のいる町へ行った。」

 

あるとき、サウルの父キシュの雌ろば数頭がいなくなったので、キシュは息子のサウルに、若い者一人を連れて捜しに行くようにと言いました。それで彼はエフライムの山地からベニヤミンの地を巡り歩きましたが、見つかりませんでした。そして、彼らがツフの地に来たとき、サウルは一緒にいた若い者に、「もう帰ろう。父親が自分たちのことを心配するといけないから」と、言いました。

 

するとそのしもべが言いました。「ご覧ください。この町には神の人がいます。この人は敬われている人です。この人の言うことはみな、必ず実現します。今そこへ参りましょう。私たちが行く道を教えてくれるかもしれません。」(6)

 

「神の人」とはとはもちろんサムエルのことです。当時サムエルは、全イスラエルに神の預言者として認められていました。彼のもとに行けば、自分たちが行くべき道が示されるかもしれないと思ったのです。サウルは、その神の人のところに行くとしたら何かみやげを持って行かなければならないが、果たして何を持っていったら良いだろうかと心配します。するとそのしもべは、自分が持っていた銀4分の1シェケルを差し出しました。当時は、預言者という言葉の代わりに、「予見者」と言う言葉が使われていました。予見者は、助言を求めてやって来る人たちからの捧げ物によって生計を立てていたのです。サウルは、「それは良い」と言い、彼らは神の人がいる町へと行きました。

 

道に迷った時、あなたはだれに助けを求めますか。サウルと若者は、神の人サムエルを訪ねました。これは賢明な判断でした。私たちも人生の方向性が分からなくなったとき、神に尋ね求めましょう。聖書を開き、霊的指導者からみことばを通しての助言を聞きましょう。人にではなく、神に向かうようにしたいものです。

 

Ⅱ.神の不思議な導き(11-21)

 

11~14節をご覧ください。

「彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会った。彼らは「予見者はここにおられますか」と尋ねた。すると娘たちは答えて言った。「はい。この先におられます。さあ、急いでください。今日、町に来られました。今日、高き所で民のためにいけにえをお献げになりますから。町に入ると、あの方が見つかるでしょう。あの方が食事のために高き所に上られる前に。民は、あの方が来られるまで食事をしません。あの方がいけにえを祝福して、その後で、招かれた者たちが食事をすることになっているからです。今、上って行ってください。あの方は、すぐに見つかるでしょう。」彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。」

 

彼らがその町への坂道を上って行くと、水を汲みに出て来た娘たちに出会ったので、彼らはその娘たちに「予見者はここにおられますか」と尋ねました。すると、娘たちは、この先にいると教えてくれました。その日サムエルは、高きところでいけにえをささげるためにその町に来ていたのです。いけにえをささげた後、サムエルは招かれた者たちと食事をすることになっていたので、いますぐ上って行くようにと教えてくれました。すると、「彼らが町へ上って行き、町に入りかかったとき、ちょうどサムエルが、高き所に上ろうとして彼らの方に向かって出て来た。」のです。何というタイミングでしょう。サウルたちが町に入ったその日、サムエルがいけにえをささげるためにその町に来ていたというだけでなく、ちょうどそのときサムエルが彼らのところにやって来たので、彼らはその町で会うことができたのです。これはまさに神のタイミングでした。神は私たちの見えない所で働いておられ、このように必要な出会いを与えてくださるのです。

 

そればかりではありません。15節から21節までをご覧ください。

「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」サウルは、門の中でサムエルに近づいて、言った。「予見者の家はどこですか。教えてください。」サムエルはサウルに答えた。「私が予見者です。私より先に高き所に上りなさい。今日、あなたがたは私と一緒に食事をするのです。明日の朝、私があなたを送ります。あなたの心にあるすべてのことについて、話しましょう。三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないようにしてください。見つかっていますから。全イスラエルの思いは、だれに向けられているのでしょう。あなたと、あなたの父の全家にではありませんか。」サウルは答えて言った。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」」

 

サムエルは、前もってサウルのことを聞かされていました。「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」と。そして、サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられました。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」と。

そんなこともいざ知らず、サウルは門の中でサムエルを見つけると、「予見者の家はどこですか。教えてください。」と尋ねました。サムエルは自分がその予見者であることを告げると、いけにえをささげた後で一緒に食事をするようにと誘います。さらに、雌ろばは見つかっていることを告げ、サウルが本当に心配しなければならないことは、全イスラエルのことであると告げるのです。そして、イスラエルの王権は彼に与えられると預言しました。

 

するとサウルは何と答えたでしょうか。彼は驚いてこう言いました。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」

どういうことでしょうか。彼はイスラエル部族の中で最も小さな部族に属しているということ、そして、その部族の中でも一番つまらない者だと言うのです。サウルは非常に謙遜でした。いなくなったろばを捜しに出て、王権を発見したという人は、世界広しと言えども、彼しかいないでしょう。サウルは、最初は謙遜な器でしたが、やがてその性質を失ってしまいます。神は今でも謙遜に、神と人に仕える器を求めておられるのです。

 

Ⅲ.サウルをもてなすサムエル(22-27)

 

最後に22節から27節までを見て終わります。

「サムエルはサウルとそのしもべを広間に連れて来て、三十人ほどの招かれた人たちの上座に着かせた。サムエルは料理人に、「取っておくようにと渡しておいた、ごちそうを出しなさい」と言った。料理人は、もも肉とその上にある部分を取り出し、サウルの前に置いた。サムエルは言った。「これはあなたのために取っておいたものです。あなたの前に置いて、食べてください。その肉は、私が民を招いたと言って、この定められた時のため、あなたのために取り分けておいたものですから。」その日、サウルはサムエルと一緒に食事をした。彼らは高き所から町に下って来た。それからサムエルはサウルと屋上で話をした。彼らは朝早く起きた。夜が明けかかると、サムエルは、屋上にいるサウルに叫んだ。「起きてください。あなたを送りましょう。」サウルは起きて、サムエルと二人で外に出た。二人が町外れへと下っていたとき、サムエルがサウルに「しもべに、私たちより先に行くように言ってください」と言ったので、しもべは先に行った。「あなたは、ここにしばらくとどまってください。神のことばをお聞かせしますから。」」

 

サムエルは、サウルとそのしもべを広間に連れて来て、30人ほどの招かれた人たちの上座に着かせ、最高のもてなしをしました。というより、すでに彼を王になる人として、丁重に接しています。他に招待された人たちの中に彼らを座らせ、上等のももの肉を与えました。これは、サムエルがサウルのためにわざわざ取り分けておいたものです。サウルは破格の扱いを受けました。同席した者たちはさぞ驚いたことでしょう。しかし、一番驚いたのは誰よりもサウル自身であったと思われます。

 

食事が終わると、サムエルとサウルは、ある町の屋上で二人だけで話をしました。おそらくこのときサムエルは、主から受けていた啓示を彼に伝えたことでしょう。そして翌朝早く、サムエルはサウルを起こすと、彼を町外れまで見送りますが、しもべに先に行ってくれるように言ったので、しもべは先に行きました。それでサムエルは神のことばを彼に聞かせました。

 

この時、サムエルはどんな気持ちだったでしょうか。8:6には、このことはサムエルの目には悪しきことでした。これまで自分が必死に主に仕えてきたのに、そのことを認めないで民が勝手に求めた王を今、目の前にして複雑な気持ちだったことでしょう。それなのに、ここにはそんな彼の迷いは微塵も見られません。彼は神のことばをサウルに告げ、彼に油を注いでイスラエルの王とするのです。どこまでも主に忠実なサムエルの姿を見ます。私たちも、自分の目には悪しきことがたくさんあっても、あるいはそれが受け入れられないことでも、そのことにも主の摂理と導きがあると信じて、自分の思いや感情ではなく、主のみこころに歩ませていただきたいと思うのです。

Ⅰサムエル記8章

サムエル記第一8章から学びます。

 

Ⅰ.王を求めたイスラエルの民(1-9)

 

まず、1~3節までをご覧ください。

「サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。長男の名はヨエル、次男の名はアビヤであった。彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていた。しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。」

 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばきました。彼は年ごとにベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばきました。そのサムエルが年老いたとき、彼は息子たちをイスラエルのさばきつかさとしてベエル・シェバに遣わしました。巻末の地図を見るとわかりますが、ベエル・シェバはイスラエル南部の地方です。年老いてイスラエル中を巡回することができなくなったのでしょう、自分は北部地方の責任を持ち、南部地方を息子たちに任せたのです。二人の息子たちの名は、長男が「ヨエル」で、次男が「アビヤ」でした。「ヨエル」という名前の意味は「主は神である」です。また、「アビヤ」は「主は私の父」という意味があります。しかし、彼らはその名とは裏腹に、恥じるような行動をしていました。彼らは父サムエルの道に歩まず、利得を追及し、賄賂を受け取り、さばきを曲げていました。サムエルもまた彼の師エリと同じ問題がありました。息子の養育に失敗したのです。

 

4~9節をご覧ください。それでイスラエルの民はどうしたでしょうか。

「イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、彼に言った。ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」」

 

そこでイスラエルの長老たちはみなラマにいたサムエルのもとに集まって、ほかのすべての国民のように、自分たちをさばく王を立ててほしいと言いました。それは、サムエルが高齢となり彼の息子たちが彼の道、すなわち、主の道を歩んでいないからです。彼らの要求は、一見妥当なものでした。確かにサムエルが、よこしまな息子たちをさばきつかさにしたことは間違っていました。けれども間違っていたのは、ほかの国民のように王を立ててください、と世的な方法によってこの問題を解決しようとしたことです。主にこの問題を解決していただくように、祈り求めませんでした。

 

サムエルがそれを聞いたとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことでした。第三版には「気に入らなかった」とあります。なぜなら、それは彼の働きを否定するようなことだったからです。彼はこれまでイスラエルが混乱し、ペリシテとの戦いにおいても預言者として、またさばきつかさとしてイスラエルを霊的に建て上げることによって勝利と祝福をもたらしてきました。それなのに今、そのことについて何の感謝もないばかりか、自分たちをさばく王を立ててほしいと言ったのでから。それでサムエルは主に祈りました。すると、主はサムエルに、彼らが言うことを聞き入れるようにと言われました。なぜなら、彼らはサムエルを拒んだのではなく、イスラエルの神、主が王として彼らを治めることを拒んだのだからです。どういうことですか。イスラエルはこれまで預言者であるサムエルを通して語られた主のことばを受け入れ、主に信頼して歩んできましたが、今、その主に支配されることを拒み、人間の王に支配されて生きることを求めたということです。主によって支配される政治形態を神制政治と呼びます。これは神が王である政治形態です。それに対して人間の王によって支配される政治形態を王制と呼びます。彼らは神によって支配される政治ではなく、人間の王によって支配される政治を望みました。これが問題だったのです。彼らの問題は、間違ったところに信頼を置いたことにありました。でもそれは今に始まったことではありません。彼らがエジプトを出た日からずっとそうでした。彼らがしたことと言えば、主を捨て、他の神々に仕えることでした。あなたはどうですか。神に信頼して歩んでいますか。あなたの日々の判断や決断は、神のみことばに導かれたものとなっているでしょうか。イスラエルの失敗から教訓を学びましょう。

 

Ⅱ.王の権利(9-18)

 

そこで主はサムエルにこう言いました。「今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」その権利とはどんなことでしょうか。10-18節をご覧ください。

「サムエルは、自分に王を求めるこの民に対して、主のすべてのことばを話した。彼は言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。あなたがたの息子たちを取り、戦車や軍馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。また、自分のために千人隊の長や五十人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、自分の刈り入れに従事させ、武具や戦車の部品を作らせる。また、あなたがたの娘たちを取り、香料を作る者や料理する者やパンを焼く者とする。あなたがたの畑やぶどう畑や良いオリーブ畑を没収し、自分の家来たちに与える。あなたがたの穀物とぶどう畑の十分の一を取り、廷臣や家来たちに与える。あなたがたの奴隷や女奴隷、それにあなたがたの子牛やろばの最も良いものを取り、自分の仕事をさせる。あなたがたの羊の群れの十分の一を取り、あなたがた自身は王の奴隷となる。その日、あなたがたが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、その日、主はあなたがたに答えはしない。」」

 

どういうことでしょうか。イスラエルの民は王を求めましたが、王によって敵から守られるという利点がある反面、王によって自分たちのものが取られていく不利益を被らなければいけません。その王が民に要求するものがどれほど厳しいものであるかを理解していませんでした。そこでサムエルは彼らを治める王の権利を宣言しています。

 

まず、王は彼らの息子たちを取り、戦士として戦場に送り出します。また、王のために千人隊の長や百人隊の長として任命し、自分の耕地を耕させ、刈り入れに従事させ、武器や戦車の部品を作らせます。さらに、彼らの娘たちを取り、王宮で仕えさせるでしょう。また、彼らの畑やぶどう畑、オリーブ畑を没収して、家来たちに与えます。いわゆる税として徴収するのです。つまり重税で苦しむようになるでしょう。日本もそうでしょう。最近消費税も10パーセントになりましたが、それ以外に固定資産税や住民税、所得税、介護保険料と、かなりの税金が徴収されています。時々何のために働いているのかさえ分からなくなる時があります。そればかりではありません。彼らの奴隷や女奴隷、子牛やろばなどの家畜を取り、自分の仕事をさせたりします。それまで彼らが持っていた自由は、かなり制限されるようになります。その日、彼らが自分たちのために選んだ王のゆえに泣き叫んでも、主は彼らに答えることはしません。それでも良いのかということです。

 

主イエスはこう言われました。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められている者たちは、人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。」(マルコ10:42-45)

まことの王は、私たちを支配し、私たちのものを搾取される方ではなく、私たちのためにご自身のいのちをささげられる方です。その方こそ主イエス・キリストです。私たちが信頼し、従わなければならないお方は、この方なのです。それなのに、そうしたことを良く考えないで、自分たちの利益ばかりを追及し、他の国のようにこの世の王を求めるとしたら、そこには奴隷のような束縛と犠牲しかありません。そのことをよく考えなければなりません。

 

Ⅲ.民の応答(19-22)

 

このサムエルの忠告に対して、イスラエルの民はどのように応答したでしょうか。19~22をご覧ください。

「しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れた。主はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。」

 

これほどの忠告に対しても、民はサムエルの言うことを聞こうとしませんでした。彼らは、「いや、どうしても、私たちの上には王が必要です。」と言って、サムエルの忠告を拒みました。そうすれば、他の国民のようになれると思ったのです。つまり、王が自分たちをさばき、自分たちの先頭に立って戦いに出て行き、自分たちの戦いを戦ってくれると思ったのです。彼らは自分たちのアイデンティティーというものを完全に失っていました。自分たちが神から特別に選ばれた民であることを、自ら放棄したのです。かつて主はイスラエルに、「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。」(出エジプト19:5)と言われました。彼らはあらゆる国民の中から、選び別たれた神の民であるのに、ほかのすべての国民のようになることを求めたのです。

 

それで、サムエルが民のすべてのことばを聞いて、それを主の耳に入れると、主はサムエルに、「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」と言われました。これは許容的指示と呼ばれるものです。民のかたくなさのゆえに、主が許容されたという意味です。それでサムエルはイスラエルの長老たちを、それぞれ自分の町に帰しました。

 

このことからわかることはどんなことでしょうか。先ほど申し上げたように、これは神のみこころではありませんでした。彼らが求めなければならなかったのは人間の王ではなく、神が王として彼らを支配することでした。けれども、そればかりではなく、彼らはその時を待つことができませんでした。神はイスラエルに王が必要になることをご存知であられ、そのための人材を用意しておられました。それがダビデです。しかし、当時ダビデはまだ若すぎたため、その時を待たなければなりませんでした。それでサウル王が選ばれるのです。神の時を待てないと、このように墓穴を掘ってしまうことになります。神からの究極的な答えは、ホセア13:9~11にあります。

「イスラエルよ、あなたは滅ぼされる。あなたの助け手である、わたしに背いたからだ。では、あなたの王はどこにいるのか。すべての町のうちで、あなたを救う者は。あなたをさばく者たちはどこにいるのか。かつてあなたが『私に王と高官たちを与えよ』と言った者たちは。わたしは、怒ってあなたに王を与え、また憤ってこれを奪い取る。」

これは、バビロン捕囚の時に成就します。私たちを支配する王はだれでしょう。それは私たちのためにご自分のいのちを与えてくださった救い主イエス・キリストであることを覚え、この方に信頼して歩みましょう。

Ⅰサムエル記7章

サムエル記第一7章から学びます。

 

Ⅰ.主にのみ仕えなさい(1-4)

 

まず、1~4節までをご覧ください。

「キルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運んだ。そして、主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別した。箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。サムエルはイスラエルの全家に言った。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」イスラエル人は、バアルやアシュタロテの神々を取り除き、主にのみ仕えた。」

 

主の箱がベテ・シェメシュに戻って来たとき、ベテ・シェメシュの住人はそれを見て非常に喜びました。しかし、彼らはしてはならないことをしてしまいました。それは、主の箱の中を見るということです。それで主は、民のうちの70人を、それはベテ・シェメシュの人口の5%にあたる人々ですが、激しく打たれました。しかし、彼らは自分たちの問題を悔い改めるよりも、それを他の地に追いやることによって解決を図ろうとしました。それで彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わし、「下って来て、運び上げてください。」と言いました。

 

するとキルヤテ・エアリムの人々は来て、主の箱を運び上げ、丘の上のアビナダブの家に運びました。そこはキルアテ・エアリムで一番高い所でした。彼らはベテ・シェメシュの人々が犯した間違いから学んでいたようです。そこに主の箱を安置しました。そして主の箱を守るために彼の息子エルアザルを聖別したのです。これは、祭司として聖別したということではなく、人々が主の箱に対して不敬虔な行為をすることがないように監視させたということです。

 

キルヤテ・エアリムに主の箱がとどまってから20年が経ちました。それはダビデ王の時代まで続きますから、実際はおよそ100年ということになります。この間イスラエルはペリシテ人によって苦しめられてきました。そして彼らの中にはペリシテ人の神々や異国の神々を礼拝する者たちもいました。しかし、そのような中でイスラエル人たちの中に霊的飢え渇きが生まれていました。2節をご覧ください。ここには「イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」とあります。

 

そのとき、サムエルがイスラエルの全家に言いました。「もしあなたがたが、心のすべてをもって主に立ち返るなら、あなたがたの間から異国の神々やアシュタロテを取り除きなさい。そして心を主に向け、主にのみ仕えなさい。そうすれば、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出してくださいます。」

ここからサムエルの公の活動が始まります。彼は士師たちの時代と預言者たちの時代の中間にあって、その橋渡し役を果たしました。イスラエルの民は直ちにその勧めに応答し、バアルやアシュタロテの神々を取り除きました。バアルはカナン人の神で、雨と雷を支配し、豊穣をもたらす神とされていました。また、アシュタロテはバアルの妻で、愛と戦争の神であり、やはり豊穣をもたらす神です。サムエルの勧めは、こうした異国の神々を取り除き、主に心を向け、主にのみ仕えなさいということでしたが、イスラエルの民は、そのことばに応答したのです。

 

神のみことばに心から従うとき、主なる神との本当の関係を持つことができます。どんなに表面的に、あるいは形式的に宗教的行為を行っていても、主との関係は生まれません。主との本当の関係は、自分の生活のど真ん中から、自分と神との間に立ちはだかっているものを取り除くことから始まります。どんなに大きな集会に行っても、どんなに大声で賛美をささげても、家の中で罪を犯していたら何の意味もありません。何時間もの賛美よりも、家の中での一言の悔い改めて祈り、神のみことばをいただいて自分を変えるほうが有効なのです。  それにしても、彼らがこのようになるまでに20年という年月がかかりました。このような期間の中で彼らの心が徐々に溶かされてきたのでしょう。私たちも、表面的な信仰ではなく、こうした深く、人格の奥にまで探ってくださる御霊の働きを通して心が溶かされ、霊的飢え渇きが起こるように祈らなければなりません。

 

Ⅱ.エベン・エゼル(5-12)

 

次に5~12節をご覧ください。

「サムエルは言った。「全イスラエルを、ミツパに集めなさい。私はあなたがたのために主に祈ります。」彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。イスラエル人がミツパに集まったことをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテ人の領主たちはイスラエルに向かって上って来た。イスラエル人はこれを聞いて、ペリシテ人を恐れた。イスラエル人はサムエルに言った。「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」サムエルは、乳離れしていない子羊一匹を取り、焼き尽くす全焼のささげ物として主に献げた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。すると主は彼に答えられた。サムエルが全焼のささげ物を献げていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来た。しかし主は、その日ペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされた。イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってベテ・カルの下にまで行った。サムエルは一つの石を取り、ミツパとエシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。」

 

サムエルは全イスラエルをミツパに招集しました。ミツパはエルサレムの北10㎞に位置する町で、ベニアミン族の領地にありました。ミツパは、イスラエル人たちがしばしば集まるところでした。士師の時代から、イスラエル人が国民的な集会を招集する場所として用いられていたようです。たとえば、イスラエルがアモン人と戦うとき、このミツパに陣を敷きました(10:17)。また、イスラエルで女が強姦され殺害されるという恥ずべきことが行ったとき、どうすれば良いかを話し合うためにこのミツパに集まりました(20:1)。

 

全イスラエルはミツパに集まると、水を汲んで主の前に注ぎ、断食しました。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です。」と言いました。どういうことでしょうか。彼らは罪を告白し、悔い改めたのです。サムエルをとおして神のみことばが語られたとき、聖霊によって彼らの心に罪が示され、それを告白したのです。これらの行為は、主の前にへりくだっていることを示しています。聖霊の働きによって民の中に霊的飢え渇きが起こされ、サムエルをとおして神のことばが語られたとき、そこに悔い改めが起こりました。彼らは心をかたくなにせず、神ことばに応答したのです。これがリバイバルの第一歩です。

 

イスラエル人がミツパに集まったということをペリシテ人が聞いたとき、ペリシテの領主たちはイスラエルに向かって上って来ました。それを戦争の準備と見たので、先制攻撃を仕掛けてきたのです。リバイバルが起こると、サタンの攻撃も激しくなります。それまでは安心して眠っていたサタンが、主の民が飢え渇いて主を求めるようになると、とたんにそれを阻害しようとして躍起になるのです。

これを聞いたイスラエル人は恐れ、「私たちから離れて黙っていないでください。私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。主が私たちをペリシテ人の手から救ってくださるようにと。」熱心にとりなしの祈りを捧げるように願い求めました。

 

するとサムエルはその願いに答え、乳離れしていない子羊を一匹取り、全焼のいけにえとして主に捧げて祈りました。それは祈りというよりも叫びでした。すると主は彼に答えてくださいました。そして、サムエルがいけにえを捧げていたちょうどその時、イスラエルに対するペリシテの攻撃が始まりましたが、主はペリシテ人の上に大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエルに打ち負かされてしまいました。

 

イスラエルの人々は、ミツパから出てペリシテ人を追い、彼らを討ってガテ・カルの下にまで行きましたが、サムエルはそこで一つの石を取り、それをミツパとエシュンの間に置き、それにエベン・エゼルという名を付けました。意味は、「主はここまで私たちを助けてくださった」です。つまり、「助け石」です。ペリシテ人に対する勝利は、主の勝利でした。サムエルはそのことを忘れないために、また主に感謝を表すために記念の石を置いたのです。この「エベン・エゼル」という言葉は、代々神の民が解放を経験する時に語る合言葉のようなものなります。私たちはどうでしょうか。主が与えてくださった勝利を記念して主に感謝を表しているでしょうか。パウロは、「神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。」(Ⅱコリント1:10)と言って、ここに将来の希望と確信を置いています。私たちもエベン・エゼルの石を置きましょう。そして、神への感謝とともに、この神に将来の希望と確信を置こうではありませんか。

 

Ⅲ.取り戻された平和(13-17)

 

その結果はどうなったでしょうか。13-17節をご覧ください。

「ペリシテ人は征服され、二度とイスラエルの領土に入って来なかった。サムエルの時代を通して、主の手がペリシテ人の上にのしかかっていた。ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに戻った。イスラエルはペリシテ人の手から、その領土を解放した。そのころ、イスラエルとアモリ人の間には平和があった。サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。彼は年ごとに、ベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばき、ラマに帰った。そこに自分の家があり、そこでイスラエルをさばいていたからである。彼はそこに主のために祭壇を築いた。」

 

その結果、ペリシテ人は征服され二度とイスラエルの領土に入って来ませんでした。そして、ペリシテ人がイスラエルから奪い取っていた町々は、エクロンからガテまでが、イスラエルに取り戻されました。サムエルが生きている間、ペリシテ人との戦いが止みました。再開されるのは、サウル王の時代に入ってからです。そればかりでなく、イスラエルはアモリ人との間にも平和がありました。アモリ人とは、イスラエルの東側に住む人たちです。つまり、東の国境地帯も平和であったということです。この時期イスラエルは西のペリシテ人とも、東のアモリ人とも戦う必要がない平和な時代を過ごすことができたのです。

 

ミツパでのリバイバル(宗教改革)は主を喜ばせ、結果としてイスラエルに平和をもたらしました。「恵みとまことによって、咎は赦され、主を恐れることによって、人は悪を離れる。主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。」(箴言16:6-7)こうした平和はどこからもたらされるのでしょうか。それは、主との平和によってです。恵みとまことによって、咎は許され、主を恐れることによって、人は悪から離れ、それを主が喜ばれるとき、そこに主の平和がもたらされるのです。すべてはミツパでのリバイバルから始まっているのです。私たちも目の前の問題が問題なのではなく、主との関係がどうなのかが問われています。イスラエル人が主の前にひざまずき、主の前に悔い改めたとき、そこに主の喜びがあり、主が彼らを祝福したように、私たちも主の前にへりくだり、罪を悔い改め、主にのみ仕えるとき、私たちにもこうした祝福がもたらされるのです。

 

サムエルは、一生の間、イスラエルをさばきました。これは、サムエルの生涯のまとめです。彼は生涯現役を貫きました。彼は年ごとにベテル、ギルガル、ミツパを巡回し、これらすべての聖所でイスラエルをさばきました。つまり、イスラエルの民が難問題を抱えて彼のもとにやって来たとき、

それを解決したということです。これら三つの町には、預言者のための学校が設立されました。巡回して後、彼はラマにある家に帰り、そこでもイスラエルをさばいていました。ラマは彼の出身地です。彼の両親もその町の出身でした。彼はレビ族の出身でもあったので、そこで祭壇を築き、祭司としていけにえを捧げました。ラマに祭壇が築かれたのは、幕屋があったシロの町が破壊されてから、エルサレムがイスラエルの都となるまでの間です。私たちもサムエルのように生涯信仰の現役者として、自分に与えられた使命と役割を果たしたいものです。

Ⅰサムエル記6章

サムエル記第一6章から学びます。

 

Ⅰ.祭司たちと占い師たちの進言(1-9)

 

まず、1~9節までをご覧ください。

「主の箱は七か月間ペリシテ人の地にあった。ペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び寄せて言った。「主の箱をどうしたらよいでしょうか。どのようにして、それを元の場所に送り返せるか、教えてください。」彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。神に対して償いをしなければなりません。そうすれば、あなたがたは癒やされるでしょう。また、なぜ、神の手があなたがたから去らないかが分かるでしょう。」人々は言った。「私たちが送るべき償いのものは何ですか。」彼らは言った。「ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、つまり五つの金のねずみです。彼ら全員、つまりあなたがたの領主たちに、同じわざわいが下ったのですから。あなたがたの腫物の像、つまり、この地を破滅させようとしているねずみの像を造り、それらをイスラエルの神に貢ぎとして献げなさい。もしかしたら神は、あなたがたと、あなたがたの神々、そしてあなたがたの地の上にのしかかっている、その手を軽くされるかもしれません。なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。今、一台の新しい車を用意し、くびきを付けたことのない、乳を飲ませている雌牛を二頭取り、雌牛を車につなぎ、その子牛は引き離して小屋に戻しなさい。また、主の箱を取って車に載せなさい。償いとして返す金の品物を鞍袋に入れて、そのそばに置きなさい。そして、それが行くがままに、去らせなければなりません。注意して見ていなさい。その箱がその国境への道をベテ・シェメシュに上って行くなら、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのはあの神です。もし行かないなら、神の手が私たちを打ったのではなく、私たちに偶然起こったことだと分かります。」

 

神の箱がペリシテの五つの町のいくつかの町々、アシュドデ、ガテ、エクロンに運ばれると、主の手がその町々の住民に重くのしかかり、非常に大きな恐慌を引き起こし、彼らを腫物で打ちました。5:12には、「助けを求める町の叫び声は天にまで上った。」とあります。主の箱は七カ月間ペリシテの領地にありました。それでペリシテ人は祭司たちと占い師たちを呼び集め、この主の箱をどのようにしたらよいかを協議します。どのようにして、それを元の場所に送り返せるかを、尋ねたのです。

 

すると彼らは、イスラエルの神を送り返すのなら、何もつけないで返してはならないと言いました。神に対して償いをしなければなりません。そうすれば彼らは癒され、なぜ神の手が彼から去らないのかがわかるだろうと言いました。「償い」は、新改訳第三版では「罪過のためのいけにえ」と訳しています。要するに、彼らは自分たちが罪を犯したことを認めているのです。イスラエルの物を奪ってしまったという罪です。何を盗んだんですか?神です。彼らは何とイスラエルの神を盗んでしまったのです。それを送り返すには、何もつけないでというわけにはいきません。その償いをしなければならない。ペリシテ人がしなければならない償いとはどんなものでしょうか。

 

4節には彼らが送るべき償いとはどんなものかが記されてあります。すなわち、ペリシテ人の領主の数に合わせて、五つの金の腫物、つまり五つの金のねずみです。ここに彼らが苦しんだ腫物がどのようなものであったかがわかります。すなわちそれは、ねずみが感染源となって引き起こされる腫物であったということです。それがリンパ腺の腫物であれば、最終的には卵くらいの大きさになったでしょう。彼らが償いとして五つの金のねずみを送ったのはそのためでした。それらをイスラエルの神に貢ぎとして送れば、もしかしたら、イスラエルの神は、彼らと彼らの神々、そして彼らの地にのしかかっている、神の手を軽くしてくれるのではないかと考えたのです。

 

なぜ彼らはそのように考えたのでしょうか。6節をご覧ください。ここには、「なぜ、あなたがたは、エジプト人とファラオが心を硬くしたように、心を硬くするのですか。神が彼らに対して力を働かせたときに、彼らはイスラエルを去らせ、イスラエルは出て行ったではありませんか。」とあります。ここで彼らは400年以上も前の出来事を取り上げています。すなわち、イスラエルの民がエジブトから出た出来事です。400年以上も前のあの出来事が、彼らの心に鮮明に記録されていたのです。彼らはその歴史に言及して、だから心をかたくなにしてはならないと進言したのです。

 

では、具体的にどうしたらいいのでしょうか。7節を見てください。彼らの提案は、神の箱を新しい車に乗せ、まだ乳離れしていない子牛を持つ2頭の雌牛に引かせるというものでした。勿論、償いとして返す金の品物を添えてです。そしてその牛を行くがまま、去らせるのです。もしその箱が国境を越えてベテ・シェメシュに上って行くのなら、自分たちにこの大きなわざわいをもたららしたのはイスラエルの神であるということがはっきりとわかります。もし行かないのなら、それは神の手が打ったのではなく、偶然に起こったことだと分かります。どういうことかというと、雌牛は本来子牛のところに行きたいという本能がありますから、もしその本能に逆らってイスラエルの地に向かうとしたら、そのわざわいはイスラエルの神によってもたらされたものであることがわかるということです。ベテ・シェメシュという町はイスラエルの町ですがこの町はレビ人たちの町ですから、神の箱がそこに行けば、彼らはどうしたら良いかがわかるでしょう。

 

これらのことからどのようなことが言えるでしょうか。苦難の中から神の声が聞こえてきたら、ただちに悔い改めるべきであるということです。ペリシテ人たちは、自分たちに神の手が重くのしかかっていても、七カ月間もそれを放置しておきました。その原因がイスラエルの神の箱にあるということがわかっていても、です。その結果、ペリシテ人の町中に助けを求める叫び声が絶えませんでした。苦難の中から神の声が聞こえてきたなら、ただちに悔い改めるべきです。そうすれば、主は赦してくださいます。罪の悔い改めこそ、神との和解を土台とした希望と喜びに満ちた人生の出発点となります。へブル3:15には、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」とあります。あなたは、主の御声を聞くとき心を頑なにしていませんか。主の御前にへりくだり、ただちに悔い改めましょう。

 

Ⅱ.ベテ・シェメシュに運ばれた神の箱(10-18)

 

次に、10-18節をご覧ください。

「人々はそのようにした。彼らは乳を飲ませている雌牛を二頭取り、それを車につないだ。子牛は小屋に閉じ込めた。そして主の箱を車に載せ、また金のねずみ、すなわち腫物の像を入れた鞍袋を載せた。雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一本の大路をまっすぐに進んだ。鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後について行った。ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の刈り入れをしていたが、目を上げると、神の箱が見えた。彼らはそれを見て喜んだ。車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまった。そこには大きな石があった。人々は、車の木を割り、雌牛を全焼のささげ物として主に献げた。レビ人たちは、主の箱と、そばにあった金の品物の入っている鞍袋を降ろし、その大きな石の上に置いた。その日、ベテ・シェメシュの人たちは全焼のささげ物を献げ、いけにえを主に献げた。ペリシテ人の五人の領主は、これを見て、その日エクロンに帰った。ペリシテ人が償いとして主に返した金の腫物は、アシュドデのために一つ、ガザのために一つ、アシュケロンのために一つ、ガテのために一つ、エクロンのために一つであった。すなわち、金のねずみは、五人の領主に属するペリシテ人の町の総数によっていた。それは、砦の町と城壁のない村の両方を含んでいる。彼らが主の箱を置いたアベルの大きな台は、今日までベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑にある。」

 

ペリシテ人たちは、祭司たちや占い師たちの助言を受け、新しい車に神の箱と金のねずみを乗せ、2頭の雌牛につないで引かせました。雌牛は、子牛恋しさに泣きながら進み続け、右にも左にもそれることなく、ベテ・シャメシュの方へまっすぐに進んで行きました。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、その後をついて行きました。神の箱が国境を越えベテ・シェメシュに行った時、彼らは、イスラエルの神がこの雌牛を導いていることがはっきりとわかりました。

 

ベテ・シェメシュは、エクロンから南東に10㎞、ガテからは北東に10㎞にある国境の町です。ベテ・シェメシュの人たちは、谷間で小麦の刈り取りをしていました。しかし、目を上げると、神の箱が見えるではありませんか。彼らはそれを見て大いに喜びました。彼らは小麦の刈り入れ以上に、神の箱が戻って来たことを喜んだのです。

 

車はベテ・シェメシュ人ヨシュアの畑に来て、そこにとどまりました。そこに大きな石があったからです。それで人々は、車の木を割り、その雌牛を全焼のいけにえとしてささげました。全焼のいけにえは血の犠牲が必要であることを知っていたからです。彼らにとってどれほどうれしかったでしょう。ペリシテ人に奪われていた契約の箱が戻って来たのですから。しかし、その喜びとは裏腹に、この町もまた神のさばきを受けることになります。

 

Ⅲ.神に打たれたベテ・シェメシュの人たち(19-21)

 

19-21節をご覧ください。

「主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。主の箱の中を見たからである。主は、民のうち七十人を、すなわち、千人に五人を打たれた。主が民を激しく打たれたので、民は喪に服した。ベテ・シェメシュの人たちは言った。「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」彼らはキルヤテ・エアリムの住民に使者を遣わして言った。「ペリシテ人が主の箱を返してよこしました。下って来て、あなたがたのところに運び上げてください。」」

 

19節には、「主はベテ・シェメシュの人たちを打たれた。」とあります。どうして主はベテ・シェメシュの人たちを打たれたのでしょうか。ここには、その理由として「主の箱の中を見たからである。」と述べられています。しかし、ベテ・シェメシュの人たちが打たれたのは、ペリシテの人たちに下った神のさばきとは違います。彼らは主の箱を見たので打たれたのです。これは明らかにモーセの律法に違反することでした。民数記4:17-20を開いてください。ここには、「主はモーセとアロンにこう告げられた。「あなたがたは、ケハテ人諸氏族の部族をレビ人のうちから絶えさせてはならない。あなたがたは彼らに次のようにして、彼らが最も聖なるものに近づくときに、死なずに生きているようにせよ。アロンとその子らが入って行き、彼らにそれぞれの奉仕と、運ぶ物を指定しなければならない。彼らが入って行って、一目でも聖なるものを見て死ぬことのないようにするためである。」」とあります。モーセの律法によると、主の箱を取り扱うことができたのはレビ人だけでした。そのレビ人の中でも神の箱をかつぐことができたのはケハテ族だけでした。しかも、それを手で触れてはならなかったので、かつぐ時には所定の棒を用いなければならなかったのです。ゲルション族とメラリ族は、神殿の用具を運ぶことさえ許されていませんでした。そのケハテ族でさえ、その中を見ることは許されていませんでした。それに触れるなら、一目でもそれを見るなら死んでしまうからです。神は、人間が見ることも触れることもできないほど聖いお方なのです。ベテ・シェメシュの人たちは、この神の箱の中を見てしまいました。彼らは、神の前に不敬虔な態度を取ったので、神のさばきが彼らの上に下ったのです。その日打たれた人数は70人です。それは1,000人に5人ですから、ベテ・シェメシュの人口は14,000人であったことがわかります。

 

それでベテ・シェメシュの人たちはどうしたでしょうか。彼らは、「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。私たちのところから、だれのところに上って行くのだろうか。」(20)と言って、キルヤテ・エアリムの住民に使いを送り、彼らのところに下って来て、この主の箱を運び上げてほしいと言いました。だから違うというのに、わかっていません。問題は、この神の箱がベテ・シェメシュに来たことではなく、彼らが神の命令に背いて、神の箱の中を見てしまったことです。神の箱が問題だったのではありません。むしろ、神の箱は神の臨在の象徴であって、神が共におられることのしるしでしたから、すばらしい祝福なのです。彼らはこのすばらしい祝福を自ら放棄してしまうことになってしまいました。なぜでしょうか。自分たちの過ちには目をつぶり、ただ神の箱がもたらす恐ろしいさばきだけを見ていたからです。もし彼らが敬虔な態度で神の箱を守っていたら、彼らの町は大いに祝福されたのです。彼らが成すべきことは神の箱を追放することではなく、悔い改めることだったのです。

 

でも、私たちもこのような過ちを犯していることがあるのではないでしょうか。問題は自分の中にあるのにそれを見ないというか、それに蓋をして見えないようにし、原因を他の何かになすりつけようとするのです。神のことばによって罪が指摘されたのにそれを悔い改めるのではなく、神のことばそのものを通さげようとします。このような態度ではいつまでも祝福されることはありません。原因は自分の中にあることをしっかりと受け止め、それを悔い改め、神のことばに従って歩もうではありませんか。

Ⅰサムエル記5章

サムエル記第一5章から学びます。

 

Ⅰ.アシュドデに運ばれた神の箱(1-8)

 

まず、1~5節までをご覧ください。

「ペリシテ人は神の箱を奪って、エベン・エゼルからアシュドデまで運んで来た。それからペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運んで来て、ダゴンの傍らに置いた。アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。それで今日に至るまで、ダゴンの祭司たちやダゴンの神殿に入る者はみな、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。」

 

イスラエルがペリシテ人との戦いのときに、自分たちの形勢が不利になったとき、契約の箱を自分たちの陣営に運び入れました。彼らは神の箱が来たことで大歓声を挙げ、それは地がどよめくほどでしたが無惨にも戦いに敗れ、神の箱はペリシテ人に奪われてしました。ペリシテ人は神の箱を奪うと、エベン・エゼルからアシュドデに移しました。エベン・エゼルはイスラエルがいた陣営です。そこからアシュドデに移したのです。アシュドデは、ペリシテ人の五大都市のうちの一つです。「力強い」という意味があります。

 

それからペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び、ダゴンの傍らに置きました。ダゴンとはペリシテ人が拝んでいた神です。アシュドデという所にこのダゴンの神殿がありました。ダゴンというのは「魚」という意味で、上半身は人の姿をしており下半身は魚で半魚のような格好をしていました。ペリシテ人たちはもともと地中海の暮れた島から来た民ですから、海と関わりのある神ということでこのような偶像を神としていたのです。

 

しかし、「ダゴン」にはもう一つ「穀物」という意味もありました。それは穀物をもたらす神、すなわち、豊穣の神ということにもなります。魚と穀物では全く相いれないものであるように感じますが、もともと彼らは海から来た民族でしたし、カナンの地に定着したこともあるので、その両面を備えてくれるものとして称えていたのでしょう。すなわち、自分たちの願望をかなえてくれる神、それがダゴンでした。

 

3節をご覧ください。「アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。」

驚くべきことが起こりました。ダゴンは主の箱の前にうつぶせになって倒れていたのです。これはまさにひれ伏している格好です。ダゴンというペリシテ人の神が、イスラエルの神の前でひれ伏していたのです。それで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻しました。ダゴンは自分で起き上がれないのでペリシテ人たちの助けがなければ動けなかったのです。起こして欲しいのはこちら側なのにこちら側で起こしてあげなければならないというのは滑稽です。彼らは、倒れてしまったら自分で起き上がれない神を信じていたのです。人間に起こしてもらわなければ起き上がれないような情けない、ふがいない神を信じていました。それが偶像礼拝の実態です。偶像は全く無力です。人間が助けてあげないと何もできません。それは本物の神ではありません。全く頼りになりません。にもかかわらず人々は、それでも偶像を慕います。それでも偶像礼拝を止めようとしないのは不思議ですね。

 

4節をご覧ください。次の日、朝早く起きて見ると、やはりダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていました。しかも今度は頭と両手が切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残されていました。胴体だけがそこに残っていたというのは、魚が半身になって残されていた状態です。想像してみてください。彼らが信じていた偶像がいかに空しいものであるかがわかります。

 

詩篇115:4-8には次のようにあります。「彼らの偶像は銀や金。人の手のわざにすぎない。口があっても語れず目があっても見えない。耳があっても聞こえず鼻があっても嗅げない。手があってもさわれず足があっても歩けない。喉があっても声をたてることができない。これを造る者も信頼する者もみなこれと同じ。」

これが偶像の実態です。こんなものに信頼してどうなるのでしょう。どうにもなりません。ただ空しいだけです。ダゴンはまさに人間が作った偶像にすぎません。倒れても自分の力では起き上ができません。首も両腕も切り取られても元に戻すことはできません。彼らはこうした神を本気になって信じていたのです。いったいどうして彼らはこのような偶像を神として信じていたのでしょうか。二つの理由があります。

 

一つは、それでも彼らには神への恐れがあったからです。5節には、「それで今日に至るまで、ダゴンの祭司たちやダゴンの神殿に入る者はみな、アシュドデにあるダゴンの敷居を踏まない。」とあります。ダゴンの頭と両手が切り離されて敷居のところにあったのでそこを神聖な場所とし、敷居をまたがないようにしたのです。私たちも「敷居をまたがない」ということを聞くことがあります。それは、敷居が昔から人の頭を表しているからです。その敷居を踏むということはその家の主人の頭を踏みつけるということ、すなわち、主人の顔に泥を塗るということなので、敷居は踏まないのです。しかし、ここでは少し意味が違います。そこに頭と両手が転がっていたので、そこを神聖な場所としたので踏まないようにしたのです。いわゆる神への恐れがあったからです。普通ならこんな無力な神を信じるなんて全くナンセンスなことですが、それでも彼らは神の祟りを恐れて、逆にそこを神聖な所としました。

 

もう一つとして考えられるのは、このダゴンが豊穣をもたらす神であったということです。すなわち、自分たちの願望を叶えてくれる存在であったということです。それゆえ人々は、どんなことがあっても残しておきたかったのです。すなわち、自分たちに都合の良いものから離れることができないのです。これが人間の性です。そのような意味では、私たちも同じではないでしょうか。コロサイ3:5には、「ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。」とあります。何が偶像礼拝ですか?こうした貪欲が偶像礼拝です。むさぼりが偶像礼拝なのです。であれば、私たちにもこうしたむさぼりがあります。あれが欲しい、これが欲しいと、神よりもそれを一番大事にしたいのです。そこから離れることができなくて苦しむのです。その首が取れ、腕が取れても、そこからなかなか離れられないのはそのためです。そこから離れると都合が悪いのです。自分にご利益をもたらしてくれるものを神としたいと思うのは昔も今も変わりません。

 

でも、こした偶像には力がありません。倒れてもだれも起こしてくれません。自身があったらだれかに助け手もらわなければなりません。情けないです。そんな偶像を神とすることがないようにしましょう。もし私たちの中に貪欲があるなら、それを取り除きましょう。

 

6節に戻ってください。主の箱がアシュドデにある間、アシュドデの人たちは大きな災難に見舞われます。6節から8節までをご覧ください。

「主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかり、アシュドデとその地域の人たちを腫物で打って脅かした。アシュドデの人たちは、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱は、われわれのもとにとどまってはならない。その手は、われわれとわれわれの神ダゴンの上に厳しいものであるから。」それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか」と言った。領主たちは「イスラエルの神の箱は、ガテに移るようにせよ」と言った。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。」

 

主の手はアシュドデの人たちの上に重くのしかかりとは、それが神のさばきであったことを表しています。本当の神ではないものを神とする者には、神のさばきがくだります。それはどんな災いだったでしょうか。アシュドデとその地域の人たちを腫物で打って脅かしたのです。この腫物がどのような病気であったのかはわかりません。へブル語では「オーフェル」という語で、「盛り上がっているもの」を意味しています。人間の体にできる盛り上がるものといったら腫物なので、腫物と訳されているのです。英語のキングジェームズ訳ではこれを「hemorrhoid」と訳しています。「hemorrhoid」とは「痔」のことです。なぜ「盛り上がるもの」が「痔」となるのかわかりません。まあ「痔」にもいろいろあって盛り上がるものもあります。でも実際にこれが何であるかはわかりません。何が盛り上がったのか、皮膚が盛り上がったのか、お尻の穴が盛り上がったのかわかりませんが、いずれにせよ、それは神のさばきでした。それでも彼らは真の神に立ち帰ろうとはしませんでした。偶像の神になど何の力もないということがわかっていても、そこから離れられなかったのです。

 

そこでアシュドデの人々はどうしたでしょうか。アシュドデの人々はこの有様を見て、こう言いました。「イスラエルの神の箱は、われわれのもとにとどまってはならない。その手は、われわれとわれわれの神ダゴンの上に厳しいものであるから。」

彼らは神の箱を別の町に移そうと計画しました。それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員そこに集め、イスラエルの神の箱をどうしたらよいか話し合った結果ガテに移すように決め、そのようにしました。ガテもペリシテ人の五大都市の町ですが、その中でも最大の都市です。そこに移せば大丈夫だろうと思ったのです。

 

Ⅱ.ガテに運ばれた神の箱(9)

 

それで神の箱がガテに移されるとどうなったでしょうか。9節をご覧ください。

「それがガテに移された後、主の手はこの町に下り、非常に大きな恐慌を引き起こし、この町の人々を上の者も下の者もみな打ったので、彼らに腫物ができた。」

 

神の箱がガテに移されると、主の手はこの町に下り、非常に大きな恐慌を引き起こし、この町の人々を上の者も下の者もみな打ったので、彼らも腫物ができました。ガテの領主には、ペリシテ人最大の都市としての自負心があったのでしょう。あるいは、アシュドデの人々のふがいなさを見下して、主の箱など怖くないという傲慢な思いがあったのかもしれません。けれども、ふたを開けてみるとアシュドデに起こったのと同じことが起こりました。この町に恐慌が引き起こされ、彼らはみな腫物で打たれました。それで彼らはどうしたかというと、今度はそれをエクロンに送りました。

 

Ⅲ.エクロンにやって来た神の箱(10-12)

 

10-12節をご覧ください。

「ガテの人たちは神の箱をエクロンに送った。神の箱がエクロンにやって来たとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言った。「私と私の民を殺すために、イスラエルの神の箱をこっちに回して来たのだ。」それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員集め、「イスラエルの神の箱を送って、元の場所に戻っていただきましょう。私と私の民を殺すことがないように」と言った。町中に死の恐慌があったのである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。死ななかった者は腫物で打たれ、助けを求める町の叫び声は天にまで上った。」

 

ガテの人たちが神の箱をエクロンに送ったとき、エクロンの人たちは大声で叫んで言いました。「私と私の民を殺すために、イスラエルの神の箱をこっちに回して来たのだ。」今度はペリシテの領主たちの会合によって決まったのではなく、ガテの住民たちの一方的な決定によって送り込まれたようです。エクロンもまたペリシテ人の姉妹都市で、五大都市の一つです。エクロンの町でも死の恐慌がありました。死ななかった者も腫物で打たれ、助けを求める町の叫び声は、天にまで上りました。それでエクロンの人たちは人を遣わして、ペリシテの領主たちを集め、イスラエルの神の箱を、元の場所に戻すようにと言いました。

 

これが偶像を拝み、偶像に仕える者たちの結果です。偶像は何も彼らを助けることができませんでした。そこにあったのは神のさばぎでした。神の箱が運び入れられたどの町でも主の手が重くのしかかり、その地域の人たちを腫物で打ちました。そこには死の恐怖が迫りました。こんなにひどい目に合うのならまことの神を信じたらいいのに、それもしませんでした。むしろ、本物の神に背を向け、自分たちから遠ざけようとしました。ダゴンの神がただの偶像であることがわかっていても、真の神に背を向け、それを遠ざけてしまったのです。なぜでしょうか。なぜなら、神よりも自分を愛していたからです。それが罪の本質です。罪とは神中心ではなく、自分中心であることです。だから自分の欲望を満足させようとしてこうした偶像を作るのです。ダゴンの神がただ偶像であるということがわかっていても、そこからなかなか抜けきれないのはそのためです。人はみな自分を愛しているからです。

 

それは何もダゴンの神を信じていた人たちだけのことではありません。私たちにも言えることではないでしょうか。私たちも真の神を信じているはずなのに自分に都合が悪いと神に背を向け、神を遠ざけようとすることがあります。わかっているのに教会に行かなかったり、わかっているのに聖書を読もうとしません。わかっているのに神の家族の交わりよりも自分の好むことを優先することがあります。わかっているのに快楽を求めてしまいます。私たちも残念ながら同じような過ちを犯してしまう弱さを持っているのです。わかっているのにやめられない、わかっているのに認めたくない、そしてわざわざ本物の神に背を向け、神を遠ざけようとしているのです。悔い改めることをしません。この神の前にへりくだることをしません。そして自我を通そうとします。それは悲劇だということはこの箇所からもわかることです。でも神に立ち帰ろうとしないのです。

 

いったいどうしたらいいのでしょうか。神の箱をあなたの心に運び入れることです。神の箱がダゴンの神殿に運び入れられた時どうなったでしょうか。ダゴンはだんごのように倒れてしまいました。同じように、あなたの心に神の箱を運び入れるなら、あなたのダゴンも倒れます。たとえば、ギャンブルがやめられない、お酒がやめられないという方がおられますか。それはあなたのダゴンです。でもそんなダゴンも神の箱が運び入れられたら、倒れてしまいます。この神には力があるのです。この神の箱をあなたの心に運び入れられるなら、そのとたんにダゴンは倒れて主の前にひれ伏すようになります。あなたはなかなか離れられないで苦しんでいたさまざまなむさぼりから解放されるのです。神の聖霊にあなたの心を支配していただきましょう。そうすれば、あなたもダゴンから解放され、神の絶対的な力に満たされるようになるのです。そして、真の神だけを拝み、真の神に仕えましょう。

 

Ⅰサムエル記4章

サムエル記第一4章から学びます。

 

Ⅰ.ホフニとピネハスの死(1-11)

 

まず、1~11節までをご覧ください。

「サムエルのことばが全イスラエルに行き渡ったころ、イスラエルはペリシテ人に対する戦いのために出て行き、エベン・エゼルのあたりに陣を敷いた。一方、ペリシテ人はアフェクに陣を敷いた。 ペリシテ人はイスラエルを迎え撃つ陣備えをした。戦いが広がると、イスラエルはペリシテ人に打ち負かされ、約四千人が野の戦場で打ち殺された。兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「どうして主は、今日、ペリシテ人の前でわれわれを打たれたのだろう。シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、その箱がわれわれの間に来て、われわれを敵の手から救うだろう。」兵たちはシロに人を送り、そこから、ケルビムに座しておられる万軍の主の契約の箱を担いで来させた。そこに、神の契約の箱とともに、エリの二人の息子、ホフニとピネハスがいた。主の契約の箱が陣営に来たとき、全イスラエルは大歓声をあげた。それで地はどよめいた。ペリシテ人はその歓声を聞いて、「ヘブル人の陣営の、あの大歓声は何だろう」と言った。そして主の箱が陣営に来たと知ったとき、ペリシテ人は恐れて、「神が陣営に来た」と言った。そして言った。「ああ、困ったことだ。今までに、こんなことはなかった。ああ、困ったことだ。だれがこの力ある神々の手から、われわれを救い出してくれるだろうか。これは、荒野で、ありとあらゆる災害をもってエジプトを打った神々だ。さあ、ペリシテ人よ。奮い立て。男らしくふるまえ。そうでないと、ヘブル人がおまえたちに仕えたように、おまえたちがヘブル人に仕えるようになる。男らしくふるまって戦え。」

こうしてペリシテ人は戦った。イスラエルは打ち負かされ、それぞれ自分たちの天幕に逃げ、非常に大きな打撃となった。イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスは死んだ。」

 

サムエルが主の預言者として全イスラエルに知れ渡っていたころ、イスラエルにとっての最大の敵はペリシテ人でした。ペリシテ人は、地中海沿岸地域に住む海洋民族であり、ヨーロッパや北アフリカの地中海沿岸地域にもいた民族です。彼らは当時、イスラエルが持っていなかった、鉄で出来た武器を持っており、非常に強い民でした。イスラエルは、このペリシテとの戦いに出て行きます。彼らはエベン・エゼルあたりに陣を敷き、ペリシテ人は、シロの西方30㎞あたりにあったアフェクに陣を敷きました。戦いが広がると、イスラエル人はペリシテ人に打ち負かされ、約4,000人が戦場で打ち殺されました。

 

兵が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは、どうしてペリシテに打たれたのかを考え、その原因が主の契約の箱が無かったからではないかと結論付けました。それで彼らは、シロから主の契約の箱を自分たちの陣営に持って来ることにしました。そうすれば、その箱が、自分たちを敵の手から救ってくれると思ったのです。ここには大きな誤解がありました。主の契約の箱を持ってくれば、自動的に勝利がもたらされるということはないからです。主はそのような箱に縛られるお方ではありません。主はどこにでもいることができる方であって、そのようなものにとらわれるお方ではありません。それなのに彼らは、その箱さえ運び込めば主が助けてくれると勘違いしました。もともと契約の箱は、神の臨在を象徴するものです。イスラエルの民が神に忠実であったら、契約の箱があるなしにかかわらず、主は彼らを勝利に導いてくださったはずです。それなのに、それがなかったら、たとえ契約の箱を運び込んだからと言って勝利が与えられるはずかありません。それは彼らの大きな誤解でした。

 

4節をご覧ください。イスラエルの兵たちはシロに人を送り、そこからケルビムに座しておられる万軍の主の箱を担いで来させます。そこには、エリの二人の息子、ホフニとピネハスがいました。主の契約の箱がイスラエルの陣営に運ばれて来ると、全イスラエルは大歓声をあげました。それは地がどよめくほどのものでした。これは、実にむなしいことです。大歓声をあげ、どんなに地がどよめいても、そこに神の息吹はなければむなしいのです。熱心さや勢いはあっても、主の御霊がおられなければ何の意味もないからです。宗教的に熱心であることは良いことですが、それが必ずしも主の臨在を保証するものではありません。

 

ペリシテ人はその歓声を聞いて動揺しました。そして、神の箱が陣営に来たことを知ると、ペリシテ人たちは恐れて、「神が陣営に来た」と言いました。ペリシテ人たちはなぜそれほど恐れたのでしょうか。それは、かつてイスラエルの神がありとあらゆる災害をもってエジプトを打ったことをうわさで聞いて知っていたからです。これはすごいですね。なぜなら、その出来事は300年以上も前の出来事だからです。彼らはそれを記憶していたのです。彼らは、イスラエルの神が力ある神であることを知っていて、恐れたのです。それでペリシテ人のリーダーたちはどうしたかというと、「男らしくふるまえ」と叱咤激励しました。

 

その結果どうなったでしょうか。こうしてペリシテ人が戦うと、イスラエルは打ち負かされ、それぞれ自分たちの天幕へ帰って行きました。その日倒れたイスラエルの兵は30,000人で、それはイスラエルにとって大きな打撃となりました。そればかりでなく、神の箱も奪われ、エリの二人の息子、ホフニとピネハスも死にました。これは2:23で預言されたとおりのことです。それがここで成就したのです。主が語られたことばは一つも地に落ちることがありません。すべてが成就します。

 

しかし、神の箱が奪われたからと言って、イスラエルの神が捕虜になったわけではありません。主はすべての神々にまさって大いなる方であり、大いに賛美されるべきお方です。この方は、人間によって支配されるようなことは全くありません。ペリシテ人がイスラエル人よりも優位に立つのはサウル王の時代までで、その後ダビデの時代には完全に制圧されることになります。神の箱が奪われたからといって神が死んでしまったわけではありません。やがて時が来れば、それが明らかになるでしょう。私たちはそのことを覚えて、たとえ今、神が見えなくなっているような時でも、この神の臨在と力を覚えて、ひれ伏し、伏し拝む者でありたいと思います。

 

Ⅱ.エリの死(12-18)

 

次に12節から18節までをご覧ください。

「一人のベニヤミン人が戦場から走って来て、その日シロに着いた。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。彼が着いたとき、エリはちょうど、道のそばの椅子に座って見張っていた。神の箱のことを気遣っていたからであった。この男が町に入って来て報告すると、町中こぞって泣き叫んだ。 エリがこの泣き叫ぶ声を聞いて、「この騒々しい声は何だ」と言うと、男は大急ぎでやって来てエリに知らせた。エリは九十八歳で、その目はこわばり、何も見えなくなっていた。男はエリに言った。「私は戦場から来た者です。私は、今日、戦場から逃げて来ました。」するとエリは「わが子よ、状況はどうなっているのか」と言った。知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、兵のうちに打ち殺された者が多く出ました。それに、あなたの二人のご子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。エリは四十年間、イスラエルをさばいた。」

 

ひとりのベニヤミン人が戦場から走って来てシロに着きます。戦場となっていたアフェクからシロまでは30㎞の上り坂です。その距離を一気に走って来たわけですから、それがいかに緊急のものであったかがわかります。その使者は、衣が裂け、頭には土をかぶっていました。これは、ユダヤ人たちが嘆き悲しんでいたことを表しています。

 

彼がシロに着いたとき、エリはちょうど、道のそばにいすに座って見張っていました。つまり、戦況の報告が届くのを待っていたのです。神の箱のことを気遣っていたからです。そして、この男が町に入って報告すると、町中こぞって泣き叫びました。イスラエル軍はペリシテ軍の前から逃げ、多くの戦死者が出たからです。そればかりではなく、エリのふたりの息子も死に、神の箱も奪われてしまいました。

 

それを聞いた時、エリはその椅子からあお向けになって倒れ、首を折って死んでしまいました。年寄りで、からだが重かったからです。しかし、何といっても、神の箱が奪われてしまったのがその大きな理由です。エリは、イスラエルが敗北することと、ふたりの息子が死ぬことはある程度予期していましたが、まさか神の箱が奪われるとは思っていませんでした。彼はそのことのショックで椅子から倒れ落ち、死んでしまったのです。98歳でした。

 

彼は40年にわたってイスラエルをさばきましたが、その最後はあまりにも悲惨なものでした。それは彼が息子たちへの訓戒を怠ったための悲劇でした。しかし、こうした悲劇的な死の中にも希望があります。サムエルという後継者を育てたことです。また、彼は二人の息子たちよりも、神の箱が奪われたことに深い関心を持っていました。つまり、確かに彼は死にましたが、彼は霊的な人物であり、霊的救いに与っていた人であったということです。エリの死は確かに悲惨で突然のものでしたが、それでも、霊的救いに与っているなら、永遠のいのちの希望があるのです。

 

私たちもいつ来るかわからない死に備えて、自らの救いを確認しておく必要があります。教会では今、墓地の取得に向けて動いていますが、自分の死のことについてはなかなかピンと来ないかもしれません。でも、それは確実にやって来ます。しかもある日突然やって来るのです。それがいつのことであっても、救い主イエス・キリストを信じることによって永遠のいのちが与えられたという確信を持って、主に最後まで従う者でありたいと願わされます。

 

Ⅲ.「イ・カボテ」栄光はイスラエルから去った(19-22)

 

最後に19節から22節まで見て終わりたいと思います。

「彼の嫁、ピネハスの妻は身ごもっていて出産間近であったが、神の箱が奪われて、しゅうとと夫が死んだという知らせを聞いたとき、陣痛が起こり、身をかがめて子を産んだ。彼女は死にかけていて、彼女の世話をしていた女たちが「恐れることはありません。男の子が生まれましたから」と言ったが、彼女は答えもせず、気にも留めなかった。彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは、神の箱が奪われたこと、また、しゅうとと夫のことを指したのであった。彼女は言った。「栄光はイスラエルから去った。神の箱が奪われたから。」」

 

神の箱が奪われたという知らせを受けてエリはショックを受け、倒れて死んでしまいましたが、その悲劇は、臨月を迎えていたピネハスの妻にまで及びました。ピネハスの妻は身ごもっていて出産間近でしたが、神の箱が奪われ、しゅうとと夫が死んだと聞いたとき、陣痛が起こり身をかがめて子どもを産みました。出産後彼女は死にかけていて、彼女の世話をしていた女たちが「恐れることはありません。男の子が生まれましたよ」と励ましましたが、それは彼女にとって何の慰めにもなりませんでした。彼女は何も答えず、気にも留めず、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子を「イ・カボテ」と名付けました。それは栄光がないという意味です。それは神の箱がイスラエルから奪われたからです。

 

エリの死同様に、ピネハスの死も悲惨なものでした。しかし、このような中にも希望が見られます。それは、彼女も自分の夫やしゅうとの死よりも、神の箱が奪われたことに衝撃を受けていたことです。つまり、彼女は夫のピネハスよりも霊的な人物であったのです。エリ同様、彼女もまた霊的救いを体験していました。彼女は、「栄光はイスラエルから去った」と二度叫んでいますが、それはある意味で正しいことですが、ある意味では間違っています。なぜなら、確かに神の箱はペリシテ人によって奪われましたが、それがペリシテの領土にとどまるのは一時的なことだからです。神ご自身が働きを始め、ペリシテ人をさばかれるとき、それはイスラエルの地に戻るようにされるのです。

 

自分の思いや感情の中に、主の大きさを制限することがないようにしましょう。また、一時的にそうなったからと言って、それですべてが終わってしまったわけではありません。神は私たちの知性や感情の中に閉じ込めておけるような方ではありません。今、栄光の御座に座しておられる主は、この天地の造り主であられ、すべてを支配しておられる方であることを認め、やがて必ずみわざをなしてくださると信じて、すべてをおゆだねしようではありませんか。

Ⅰサムエル記3章

サムエル記第一3章から学びます。

 

Ⅰ.イスラエルの霊的状態(1-3)

 

まず、1~3節までをご覧ください。

「さて、少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。」

 

少年サムエルはエリのもとで主に仕えていました。これはエリの二人の息子との対比として描かれています。2章で見たように、エリの二人の息子ホフニとピネハスはよこしまな者たちで、主を知りませんでした。そのために彼らは、人々が主に和解のいけにえをささげるためにやって来ると、まだ煮ていない肉を奪ったり、会見の天幕の入口で仕えていた女たちと寝るというようなことをしていたのです。そんな彼らに神のさばきが語られました。神の人がエリのところに来て、彼の家の者たちが祭司職から除かれ、長生きすることができなくなると預言しました。そのしるしは何か、それは、彼の息子ホフニとピネハスが死ぬということです。この後、それが実際に成就します。

 

一方、サムエルはというと、まだ幼い少年でしたが、主の前に仕えていました。その特徴は何でしょうか。3節にあるように、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていたということです。3:18には、彼は亜麻布のエポデを身にまとっていたとあります。彼は自分が祭司であるという自覚をしっかりと持っていたのです。そのような主のしもべサムエルに、主はご自身の言葉を語り、イスラエルの民の間に眠っていた霊的眼を開かせようとします。

 

「そのころ、主のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。」これが当時のイスラエルの霊的状態でした。主が語られるということがほとんどありませんでした。なぜでしょうか。この時代は、モーセとヨシュアの時代が終わり、イスラエルがカナンの地に入ってからしばらく経っていました。人々はそれぞれ自分の目に良いと思われることを行い、主を求めることがありませんでした。それが士師記の時代です。その結果、敵に侵略されては主を求め、そのたびに主はさばきつかさ(士師)たちを遣わすのですが、それで少しでも状態が良くなるとまた自分の目に正しいことを行うということを繰り返していたのです。ですから、主のことばはまれにしかなく、幻も示されていませんでした。

 

エリを見てください。大祭司エリの目もかすんできて、見えなくなっていました。これは彼の肉眼が見えなくなっていたというだけでなく、霊的な眼がかすんでいたことも表しています。彼は霊的洞察力をなくし、自分の息子たちの暴走も止めることができなくなっていました。イスラエルの霊的状態は、「神のともしびが消される前」、つまり、風前のともしびのような状態でした。「神のともしびが消される前」とは、神の宮にあった燭台の火がかろうじて燃え続けていたことを表しています。イスラエルには、それでもまだ真の信仰者が残されていました。その一人がサムエルです。サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていました。これはサムエルが主のしもべとして主に仕えていたこと、そして、彼が預言者の時代を招き入れ、イスラエルに霊的なともしびを燃え立たせる器であるということを表しています。

 

これは現代の日本の霊的状態にも言えることです。それがどんなに暗くあろうとも、絶望する必要はありません。神はサムエルのような信仰者を起こし、神のみことばを通して、霊的ともしびが燃え立たせる日が必ずやってくるからです。私たちの使命は、それがどんなに小さなともしびであろうとも、その日が来るまで、それを灯し続けることなのです。

 

Ⅱ.主に召されたサムエル(4-14)

 

次に4節から7節までをご覧ください。

「主はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。主はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。サムエルは、まだ主を知らなかった。まだ主のことばは彼に示されていなかった。」

 

サムエルは、まだ主を知らなかったので、主のことばを聞き分けることができませんでした。彼は、主の宮で祭司エリの内弟子として仕えていました。その彼に、主からの呼びかけがありましたが主の声なのか、人間の声なのか聞き分けることができなかったのです。サムエルはエリのために忠実に働き、主の幕屋に仕えていましたが、それが同時に、彼が主のことを知っていたということではなかったのです。主と個人的な関係は、主の呼びかけを自分が聞き取ることから始まります。ただ神について聞くというだけでなく、神からの語りかけを自分に対する語りかけとして受け止め、それに応答することによって、そこに神との生きた、人格的で、個人的な関係を持つことができます。それが主を知るということです。それがなければ、子どもであっても、大人であっても、どんなに教会生活を送っていたとしても、主を知ることはできません。ですから、サムエルはまだ主を知らなかったのですが、その素地が整っていました。それは祭司エリの言うことにきちんと従っていたことです。神によって立てられた権威に従うことによって、幼子は神を知ることができるようになります。特に子にとっては、両親の言うことに聞き従うことが、とても重要です。

 

8節から14節までをご覧ください。

「主は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、主が少年を呼んでおられるということを悟った。それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『主よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。主はサムエルに言われた。「見よ、わたしはイスラエルに一つのことをしようとしている。だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る。その日わたしは、エリの家についてわたしが語ったことすべてを、初めから終わりまでエリに実行する。 わたしは、彼の家を永遠にさばくと彼に告げる。それは息子たちが自らにのろいを招くようなことをしているのを知りながら、思いとどまらせなかった咎のためだ。だから、わたしはエリの家について誓う。エリの家の咎は、いけにえによっても、穀物のささげ物によっても、永遠に赦されることはない。」」

 

主が三度サムエルを呼ばれると、彼は前と同じようにエリのところへ行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言うと、エリは、これはどうもおかしいぞ、これは、主が彼を呼んでおられるに違いないと思いました。それでエリはサムエルに言いました。「行って寝なさい。そして、今度主がおまえを呼ばれたら、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と言うように、と言いました。

 

すると、主が再び彼のもとに来られ、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれたので、サムエルは、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と言いました。これは、「あなたが言われることは、何でも聞きます」という姿勢に他なりません。つまり、自分が聞きたいことと、聞きたくないことを選り分けるというのではなく、主が言われることならば何でも聞いて従います、ということです。これが、サムエルが召された時の応答でした。これは小さな応答でしたが、サムエルという信仰の偉人も、この小さな応答から主のしもべとしての生涯を歩み始めたのです。あなたはどうですか。主があなたの名を呼ばれるとき、どのように応答されるでしょうか。サムエルのように、「主よ、お話しください。しもべは聞いております」という応答して、小さな一歩を歩み始めようではありませんか。

 

すると主はご自身のみこころをサムエルに伝えました。それは11節から14節にあるように、息子たちの罪と、親としてそれを放置した罪のために、エリの家は必ず裁かれ、その咎を償うことはできない、ということでした。11節の、「だれでもそれを聞く者は、両耳が鳴る」というのは、これがあまりにも衝撃的で、耳にこだまして残る、という意味です。それが非常に厳しい内容であったことを示しています。主はあわれみ深く、忍耐深い方ですが、その忍耐を軽んじてはなりません。時が来れば確実に裁かれることになります。ですから、その前に悔い改めて、神に立ち帰らなければなりません。

 

Ⅲ.預言者サムエル(15-21)

 

最後に15節から21節まで見て終わりたいと思います。

「サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。エリはサムエルを呼んで言った。「わが子サムエルよ。」サムエルは「はい、ここにおります」と言った。エリは言った。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」サムエルは、すべてのことをエリに知らせて、何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。全イスラエルは、ダンからベエル・シェバに至るまで、サムエルが主の預言者として堅く立てられたことを知った。主は再びシロで現れた。主はシロで主のことばによって、サムエルにご自分を現されたのである。」

 

翌朝、少年サムエルは何もなかったような顔をして、いつものように主の宮の扉を開けていました。彼は、主から受けた預言のことばをエリに知らせるのを恐れていたのです。しかし、エリは何としてもそのことばを聞きたいと思ってこう言いました。「主がおまえに語られたことばは、何だったのか。私に隠さないでくれ。もし、主がおまえに語られたことばの一つでも私に隠すなら、神がおまえを幾重にも罰せられるように。」(17)すごいですね、彼は神罰にかけてすべてを話すようにと迫ったのです。それでサムエルは、主から聞いたことを何も隠さずにすべて、エリに伝えました。

 

するとエリはどのように反応したでしょうか。エリはこう言いました。「その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」彼は、それを信仰によって受け止めました。彼はまず、「その方は主だ」と、主の権威を認めています。そして「主が御目にかなうことをなさるように。」と、その知らせをそのまま受け入れ、すべてを主の御手にゆだねたのです。

 

一方、サムエルは成長しました。主が彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはありませんでした。これは、サムエルが主にあって、肉体的にも霊的にも成長したということです。主がともにおられること、これが信仰者にとって最も重要なポイントです。そして、彼が語ることばは一つも地に落ちることがなかったというのは、彼の預言がすべて成就したということです。これは彼が真の預言者であったということのしるしです。申命記18:22には、真の預言者のしるしは、その語った預言が成就したということでした。主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは偽預言者です。

 

やがて全イスラエルが、彼が主の預言者として立てられたということを知るようになります。ダンからベエル・シェバに至るまでとは、イスラエルの北の端から南の端まで、すなわちイスラエル全体がという意味です。

 

主は再びシロでサムエルに現れました。主はシロでご自身のことばによってサムエルに現れたのです。そのころは、主のことばはまれにしかなく、幻も示されていませんでしたが、ここに、その回復が見られます。主はサムエルというひとりの預言者を立て、彼を通してご自身のことばを語り、ご自身を現してくださったのです。本格的な預言者の時代の到来です。サムエルは幼い頃から主の声を聞くことを学んでいましたが、主の声は聞けば聞くほどより鮮明に聞こえてきます。ですから、幼子たちの霊的訓練を怠ってはなりません。それは大人であっても同様です。大人であっても、救いに導かれた霊的幼子たちに対して、みことばによる訓練を怠ってはなりません。そして、主の声を聞く訓練というものを自らに課すことによって、霊的成熟を求めていく者でありたいと思います。