使徒の働き3章1~10節 「イエス・キリストの名によって歩きなさい」

 きょうは「イエス・キリストの名によって歩きなさい」というタイトルでお話したいと思います。私たちは先週は、ペンテコステの時に最初の教会が誕生したことを学びました。その教会は、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていました。そのような麗しい教会だったので、主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださいました。それだけではありません。そこには多くの不思議なわざやしるしも伴いました。その一つが、きょう私たちが学ぼうとしているところです。しかし、それは単にそうした数々の奇跡の一つというだけでなく、実はこの奇跡を契機としてペテロの説教が語られ、ついには捕らえられて、教会に対する迫害が始まっていくわけです。あれほど好意的に教会を見ていた民が、教会のあまりにもめざましい働きと、妥協を許さないいのちのほとばしる働きに対して、ついに迫害せざるをえなくなっていくわけです。いわゆるここから新しい段階へと入っていくわけですね。しかし、それでも教会は前進していきます。そうした新しい段階へと進んでいった契機となったのがこの奇跡だったのです。

 ところで6節を見ると、この生まれつき足のなえた人をいやすにあたり、ペテロは「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」と言っています。イエス・キリストの力によってとか、イエス・キリストの恵みによってとかというのではなく、イエス・キリストの名によってというのです。そういえば、私たちが挨拶を交わすときにも、イエス・キリストの御名を賛美しますとか、主の御名をあがめますなどと言いますね。また、お祈りの時にも、主の御名によってお祈りしますと言って祈ります。いつでもこのイエス・キリストの名が出てくるのです。4章10節を見ると、「この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、・・・・ナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。」とあります。ですから、この御名がこの男の人を立たせたことがわかります。いったいこの御名とは何なのでしょうか。それはイエス・キリストご自身のことを指しています。名前は単なる固有名詞の記号ではなく、その実質を表すものだからです。ですから、イエス・キリストの名によってとは、イエス・キリストご自身によってという意味です。しかし、このキリストは今や天に昇って行かれました。そして今、神は「もうひとりの助け主」であられる聖霊を注いでくださり、教会を聖霊の宮とされました。ですから、イエス・キリストの名というのは、天におられるイエス・キリストのこの地上でのお働きを実際に行っておられるところの聖霊のことを指しているのです。
 かつてイエスは、カペナウムの中風の病人に「起きて歩け」と命じて、歩かせなさいましたが、その同じイエス・キリストが、今も聖霊を通して働いておられるということを、この奇跡は指し示しているのです。

 きょうはこの奇跡から三つのことを学びたいと思います。第一のことは、すべては愛から始まるということです。第二のことは、このイエス・キリストの名には、人をいやす力があるということ。そして第三は、イエス・キリストの名には人を救う力があるということです。

 Ⅰ.すべては愛から始まる

まず第一に、すべては愛から始まるということを見ていたいと思います。1~4節までをご覧ください。

「ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日『美しの門』という名の宮の門においてもらっていた。ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、『私たちを見なさい』と言った。」

 1節を見ると、ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行ったとあります。ユダヤ人は朝の九時とお昼の正午、そして午後三時と一日に三回祈りました。この三時というのは宮でいけにえがささげられたので、敬虔なエルサレム市民はみな、宮にもうでて祈っていました。ですから、その人出はたいへんなものだったと思います。ペテロとヨハネは、一度に三千人の人たちが救われてかなり忙しかったと思うのですが、それでも一に祈り、二に祈り、三、四がなくて五に祈りとありますように、どんなに忙しくても祈りを第一にしました。それまでのユダヤ教の習慣を踏襲して、午後三時の祈りの時間に宮に上って行ったのです。

 すると、そこで生まれつき足のなえた人と出会います。この男は宮に入る人たちから施しを求めるために、「美しの門」という門に置かれていました。この「美しの門」がどの門であったかのかははっきりわかりませんが、おそらく異邦人の庭から婦人の庭に通じる「ニカノル」と呼ばれる門のことではなかったかと言われています。ユダヤ人歴史家でヨセフォスという人がいますが、彼によると、この門はコリント産の真鍮(しんちゅう)で飾られていた物で、金銀でおおわれた物をはるかにしのぐ美しさであったと言っています。あまりにも美しかったので、「美しの門」と呼ばれていたらしいのです。

 しかし、そんな美しい門とは対照的に、そこに生まれつき足のきかない人が置かれていました。施しを求めるためです。ユダヤ教では、人に施しをすることは最大の得目の一つとされていましたから、こうした人に小銭を投げることで、神から報いが得られるのではないかと思っていました。そういうことをよく知っていたこの男は、参拝者が最も多く訪れるであろうこの時間帯に、最も人通りの多いこの美しの門の所で、「右や左の旦那様。一文恵んでおくなせい」と、施しを求めていたのです。

 ちょうどその時、ペテロとヨハネが宮に入ろうと彼の前を通り過ぎようとしました。そこでこの男は、いつもほかの人たちにしているように何のためらいもなく、彼らに施しを求めました。するとペテロとヨハネは、意外な行動を取りました。4節です。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめると、「私たちを見なさい」と言ったのです。どういうことでしょうか。5節を見ると、ペテロは「金銀は私にはない」と言っているのです。お金がないのに「私たちを見なさい」というのは何となくこの男をからかっているで、ひどい話のように感じます。しかし、ペテロは決して彼をからかっていたのではありませんでした。彼らは金銀はありませんでしたが、もっと違う何かを持っていたのです。彼らが持っていたものとは何でしょうか。

 ある人がふざけてこんなことを言いました。それは「と」です・・と。ほらここに「ペテロとヨハネ」とあるでしょ。ペテロとヨハネの間にあるのは「と」です・・と。おもしろいですね。しかし、ここではペテロとヨハネの間にあるものではなく、彼らが持っていたものとは何かということです。それは、ナザレのイエス・キリストの名です。彼らにはこの名があったので、この男に向かって「私たちを見なさい」と言うことができたのです。彼らはそれを見て欲しかったのです。

 しかし、彼らがどんなにすばらしいイエス・キリストの名を持っていたとしても、彼らの中にこの男に対する慈しみやあわれみの心がなかったら、「私たちを見なさい」とは決して言わなかったと思うのです。彼らがそのように言ったのは、美しの門に座りながら来る日も来る日も物乞いをしなければ生きていくことができないこの男を見て、かわいそうだと思ったからなのです。

 聖書の中に、皆さんもよくご存知の良きサマリヤ人の話があります。あるユダヤ人が旅をしている時、強盗に襲われて半殺しにされ瀕死の重傷を負ってしまいました。そこを祭司やレビ人が通りかかりましたが彼らはいろいろなことを口実に、見て見ぬふりをして通り過ぎて行きました。そこにサマリヤ人が通りかかりました。当時サマリヤ人はユダヤ人と付き合いをしていませんでした。しかし彼はその傷ついた人を見るとそれがかわいそうに思い、彼に近寄り、介抱してあげました。そして自分のろばに乗せ宿屋まで連れて行くと、ポケットからデナリ硬貨を二つ取り出し、宿屋の主人に渡して言いました。「これで介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」
 この三人の中でだれが、この強盗に襲われた人の隣人になったでしょうか。その人にあわれみをかけてやった人です。いったいなぜ彼はそのようにすることができたのでしょうか。見て見ぬふりが出来なかったからです。彼の中にある愛が深い同情となってそうした態度へとつながっていったのでした。

 ペテロとヨハネも同じです。彼らはこの男を見たときかわいそうに思いました。はらわたが痛むほど深く同情したのです。そのような思いが、こうした奇跡へとつながって行ったのです。これはまさにイエス様のお姿でもあります。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちはあわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15:16)

 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。私たちの痛みや苦しみ、悲しみのすべてをご存知であられ、深くあわれんでくださる方なのです。ですから私たちはそのあわれみを受け、恵みをいただくことができる。大胆に恵みの御座に近づくことができるのです。

 賛美歌312番(新聖歌209番)は、不朽の名曲「いつくしみ深き」です。これを書いたのはスクラヴィンという人ですが、そこには彼の痛ましい運命と、その苦しみの中にあっても感じることができた、神の不思議な慰めがあったと言われています。彼が20代のとき結婚式の前日に婚約者が溺死してしまい、長い苦しみの後、やっと41歳で新たな結婚をしようとしていたところ、今度はその婚約者が結核で天に召されてしまいました。彼の苦悩と絶望はいかばかりだったことでしょう。しかし、そうした絶望の中で、そうした憂いを取り去ってくださる主イエスの慰めを知ったのです。

 「いつくしみ深き 友なるイエスは
  罪とが憂いを 取り去りたもう
  心の嘆きを 包まず述べて
  などかは下ろさぬ 負えぬ重荷を

  いつくしみ深き 友なるイエスは
  われの弱さを 知りて憐れむ
  悩み悲しみに 沈めるときも
  祈りにこたえて 慰めたまわん
  
  いつくしみ深き 友なるイエスは
  かわらぬ愛もて 導きたもう
  世の友われらを 棄て去る時も
  祈りにこたえて 労りたまわん」
 
スイスの宗教改革者カルヴァンは、「人間は本当の苦しみを自分の中に押し隠し、包み隠さず神に告白しない本性を持っている」と言っています。勇気を持って、神様に「心の嘆きを包まず述べて、重荷をおろす」ことの大切さが教えられます。と同時に、このように神様に深く愛された人は、今度はその愛で愛する者へと変えられていくことがわかります。

  ペテロとヨハネの間に何があったのか?この愛があったのです。「と」じゃなくて、人々の悩みや苦しみを見て見ぬふりなどできない愛、はらわたが痛むほど痛む愛があったのです。彼らはそれを主イエスから学んだのです。
 ヨハネという人は愛の人だと言われていますが、昔からそういう人ではありませんでした。彼は「雷の子」(ボネルゲ)というあだ名がつけられていたほど、怒りっぽい人、けんか早い人、短気な人でした。なかなか人と仲良くできませんでした。すぐに頭にくる、キレるタイプの人間だったので、人々から敬遠されていたのです。そんな彼がイエス・キリストを信じ、神の聖霊を受けてから愛の人に変えられました。そこに悩み、苦しんでいる人がいれば何とか助けてやりたいと思うような、そんな愛の人になりました。また、ペテロが大胆に用いられている時でも、ヨハネはそのことでねたんだり、嫉妬したりせず、沈黙の証し人となり、主の御名があがめられるために、自分が水をくむ僕になることを喜ぶ人に変えられたのです。この奇跡はそのような中から生まれたのです。そのような愛があるところに、神様のすばらしいみわざが現されるのです。

 Ⅱ.イエス・キリストの名は人をいやす

第二のことは、イエス・キリストの名には、人をいやす力があるということです。6~8節をご覧ください。

「するとペテロは、『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい』と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。」

 ペテロが「私たちを見なさい」と言うと、男は何かもらえると思って、ふたりに目を注ぎました。するとペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、彼の右手を取って立たせました。するとどうでしょう。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだしたのです。これを書いているのは、医者であったルカです。ですから、ここで使われている「足」とか「くるぶし」といったことばは、新約聖書では他に例のない珍しいことばで、医者ルカらしい細かな観察が見られます。そして「おどりあがってまっすぐに立ち」という表現は、その次に出てくる「はねたりしながら」というより強い表現によって、うずくまっていたひざを伸ばして飛び上がった一瞬を表しています。これだけでも驚くべき奇跡なのに、四十年来一度も建ったことがない人が、はねまわったのですから、医者の目から見ると、たいへんな奇跡でした。私たちも病気で一、二ヶ月寝ていると、起きたとき、それも急に人込みの中にはいったとき、足がすくみ、ふらついて歩けないのを知っています。それを思うと、これは紛れもない奇跡的ないやしであったのです。ペテロも12節で「彼を歩かせた」、16節では「完全なからだにした」と言っていますが、この出来事は、イエス・キリストの名による肉体のいやし、それも完全ないやしの物語だったのです。この御名にはそのような力があるのです。

 私はこの神の力を信じます。ヤコブ5章14,15節には、「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます」とあります。信じます。ここに「オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい」とありますから、私はオリーブ油を買いました。いつでもオリーブ油を塗って祈れるように・・・と。しかし、ここで大切なのはオリーブ油を塗るとか塗らないということではなく、イエス・キリストの名によって、信じて祈ることです。そこに神様が働いてくださいます。かつてイエス様は、カペナウムの中風の人に「起きて歩け」と命じて、歩かせました(ルカ5:23)。その同じ主が、生まれつき足のなえた人をいやし、立ち上がらせ、飛んだりはねたりできる完全なからだにしてくださいました。その同じ主が、今も教会を通して働いておられるのです。

 Ⅲ.イエス・キリストの名には人を救う力がある

 第三のことは、イエス・キリストの名には人をいやすだけでなく、人を救う力があるということです。8,9節をご覧ください。

 「神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。人々はみな、彼
 が歩きながら、神を賛美しているのを見た。」

 いやされたこの男の喜びようは私たちの想像を越えるものでした。生まれてから一度も歩いたことのない男が、歩けるようになったのですから当然のことでしょう。しかし、この奇跡のすばらしさは、彼の足が単にいやされたというだけで終わらなかったことです。もっと根本的な変化が、彼の中に起こりました。それは、ここに「神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に行った」とか、「歩きながら、神を賛美しているのを見た」とあるように、彼のたましいが救われたことです。

 いったい誰がこんな力を持っているでしょう。美しの門は、確かにきらびやかに飾られていました。その奥には、目もくらむほどの金銀や大理石で飾られた宮が建っていました。祭りになると、そこに多くの人々が来てささげるお金は巨万の額に達したことでしょう。しかし、そうした物質的なきらびやかさも、巨万の額になる金銀も、決してこの男を救うことはできませんでした。宮でさえ救うことができませんでした。ただイエス・キリストの御名が、ペテロのうちにおられたイエス・キリストだけが、この男の人を救うことができたのです。

 ここで私たちは考えてみたいのです。本当に人を救うものは何かということです。
 NHKの特別番組の中で、ある末期ガンの方が日記の中に、「今あるすべてを失ったとしても、満足でいられる何かが欲しい」と書きました。やがて死ななければならない状況の中で、自分の死を予感したこの方は、本当に自分に必要なものを極限の中で求めておられたのだと思います。自分の地位や、名誉や、財産や、健康や、環境といった今あるすべてのものを失っても、満足していられるものが欲しいというのは、まさしく極限の求めだと思います。それはいったい何でしょうか。お金は大切なものですが、いつか失われることがあるでしょう。地位や名誉はどうですか。悪いことではありませんが、それらもまた失われる時がやってきます。芸術やスポーツ、教養、趣味、学歴はどうですか。これらもすべて良いものですが、必要なくなる時がやって来るのです。
 かつてフェリス女学院の院長であり、今は理事長をしておられる小塩節(おしおたかし)先生は、「この社会が神様によってつぶされるような時代が来るでしょう。でも、神様、ちょっと待ってください。この世にはモーツァルトがありますよ。もし赤く燃える西空に、モーツァルトの一節が鳴りましたら、神様も思わず耳をお傾けになるのではないでしょうか。」と言っています。小塩先生はモーツァルトが大好きで、モーツァルトのファンなんですね。ですから、モーツアルトがあれば・・・というようなことを言っているのですが、そのモーツアルトも滅びる時がやって来るのです。では、これらのすべてが無くなっても決して無くならない物とは何でしょうか。永遠のいのちです。これは、私たち人間にとって最もすばらしい神からの賜物なのです。

 神様は、人間に必要なすべてのものをただでくださいました。私たちが生きるために必要な水や、空気や、光といった自然の恵みをただで提供してくださいました。そして、私たちが永遠に生きるために必要ないのちも、ただで恵んでくださったのです。それがイエス・キリストです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
(ヨハネ3:16)

 イエス・キリストこそ、神が私たち人類に与えてくださった最もすばらしい賜物です。なぜなら、この方によって私たちは、永遠のいのちを持つことができるからです。今あるすべてを失ったとしても、この方がおられるなら、私たちは本当の満足を得ることができるのです。このイエス・キリストだけが、私たちに罪の赦しと永遠のいのちを与えることがおできになるからです。

 まことに悩めるたましいを救えるのは、お金でも、政治でも、この世のいかなる組織や団体でもありません。ただイエス・キリストの名だけなのです。それはキリストの教会である私たちにだけ与えられているものです。であるならば、私たちがしなければならないこと、私たちに与えられている使命とは、このイエス・キリストの御名によって人々を救いに導いていくことです。これは教会にしかできないことです。なのに教会がそれをしないで慈善事業や社会事業に没頭しているとしたら、それは本末転倒しているしか言えません。もちろん、そうした働きが福音宣教に結びついているものならば、あながち間違いだとは言えないかもしれませんが、しかし、私たちの意識の中に、本当に人をいやし、人を救いに導くものはこれしかないという確信があるでしょうか。もしあるとしたら、私たちは自分たちにどれだけの金銀があるかとか、どんなに立派な建物を持っているかとかといったことにとらわれるのではなく、このナザレのイエス・キリストの名が、今も生きて働き、立たせてくださると信じて、病んでる人に手を差し伸べ、その右手を取って立たせてやらなければならないのです。そこに本当の救いがあるからです。
 金銀は私たちになくても構いません。美しい門がそびえていなくてもいい。しかし、人を立って歩ませるナザレ人イエス・キリストの御名が私たちにはあるのです。この御名によって歩きなさいと言える、そういう教会でありたいものです。

使徒の働き2章37~47節 「最初の教会」

 きょうはペンテコステの時に出来た最初の教会からご一緒に学びたいと思います。イエス様は「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われましたが、その教会が、現実のものとして現れたのが「使徒の働き」の中に見られるこの教会です。教会によってはやり方や考え方はまちまちですが、どういう教会を建てるのかといったら、やはり最初に出来たこの教会のような教会ではないでしょうか。なぜなら、この教会こそイエス様が思い描いておられたイエス様の教会だからです。

 きょうはこの最初の教会から三つのことをお話したいと思います。第一のことはその土台です。教会の土台は何だったのか。もちろん、イエス様は、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます」と言われましたから、その土台はイエス様であることには間違いありません。年代はそのお言葉にどのように応答するかです。すなわち、悔い改めと信仰がその土台にあるということです。第二のことは、教会の本質についてです。初代教会の人々は救われて何をしていたのでしょうか。彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていました。そして第三のことは、教会の祝福です。そのような教会を神様は祝福してくださいます。毎日救われる人々を毎日仲間に加えてくださいました。

 Ⅰ.悔い改めと信仰

まず第一に、教会の土台は悔い改めと信仰であるということについて見ていきたいと思います。37,38節をご覧ください。

 「人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟た
 ち。私たちはどうしたらよいのでしょうか』と言った。そこでペテロは彼ら
 に答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくため
 に、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、
 賜物として聖霊を受けるでしょう。」

 ペテロの説教を聞いていた人々は心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいのでしょうか」と言いました。ペテロの説教を見る限り、必ずしも人々に感動を与えるようなメッセージではなかったようです。彼はただ淡々とイエスこそ主であり、このイエスが彼らが見聞きしている聖霊を注いでくださったこと、そしてこのイエスをあなたがたは十字架につけたのだと語っただけです。それでもそれを聞いていた多くの人たちは心が刺され、「私たちはどうしたらいいのか」と聞かずにはいられませんでした。なぜでしょうか。聖霊が働いていたからです。イエス様は「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:8)と言われましたが、聖霊によって彼らは、その心に深い罪の自覚がもたらされ、その罪からの救いというものを切に求めるようになったのです。

 旧約聖書に出てくるダビデは、預言者ナタンによってバテ・シェバとの姦淫の罪が示された時、ものすごい罪責感にさいなまれました。そして、「私は一日中うめいて、私の骨々は疲れ果てました。」と告白せざるを得ませんでした。そして、そのような罪の意識から「私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください」(詩篇51:14)という祈りへと導かれたのです。

 チャドウィックという英国の有名な説教者が「自分がどうしようもない罪人だと知ったら、自分から十字架を求めるようになるだろう」と言いました。これは言い換えると、罪の自覚がないと、十字架はその人にとって身近なものにはならないということです。

 私は高校時代かなりひどい生活をしていましたが、自分の中ではそんなに悪い人間だという意識がありませんでした。むしろいい人間だと思っていました。学校の成績はそんなに悪くないし、スポーツは万能で、性格も明るかったからか、いつもクラスの人気者で、みんなからよくほめられて育ちました。もちろん、人様に迷惑をかけることもなければ、警察に捕まるようなこともしたことはありませんでした。本当にいい人間だと思っていました。
 ところが、高校の卒業式が近づいてきた頃、もしかしたら卒業できないのではないかという事態に陥ったとき、初めて、自分は悪い人間なんだという意識が生まれました。そんな中で教会に導かれ、イエス・キリストの救いに預かることが出来ました。しかし、その時はまだ悪い人間かもしれないという程度であって、本当に罪深い者だというところまではいってませんでした。ですから、救われていたのですが、救いがよくわからなかった。救われていても救いがわからないという人が意外と多いですよね。信仰にあまり本気になれないという人の一番大きな問題はここにあるようです。罪がわからない。ですから、教会では50回にわたって聖書全体から「確かな土台」という学びをしているわけです。
 私も、クリスチャンになって聖書を学び、神様のことを知れば知るほど、自分の罪の大きさ、汚れ、愚かさ、足りなさ、弱さということがわかってきました。パウロは自分のことを「罪人のかしら」と言っていますが、私も本当に罪深い人間だということが示され、主の十字架の恵みにお便りするしかないという心境に導かれました。これはすべて聖霊の導きです。聖霊によって罪について目が開かれたので、そこから救われることを本気で求めるようになったのです。

 さて、このような人々の反応に対して、ペテロは何と言ったでしょうか。彼は、次のように言いました。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」

 救われるためにはどうしたらいいのでしょうか。ここでペテロは二つのことを勧めています。一つは悔い改めることであり、もう一つはバプテスマを受けることです。悔い改めるとはアイルランドのことばで「回れ右、前へ進め」という意味があるそうですが、180度方向を転換することです。それは単に後悔するだけではありません。今までの自己中心的な生活を止め、神中心の生き方に改めることです。またバプテスマを受けるとは、イエスの十字架の死が自分のためであったと信じ、その信仰を形で表すことです。ここには、「イエス・キリストの名によって」とありますから、イエス・キリストへの信仰が、このバプテスマの条件、あるいは前提であったことがわかります。それはイエスが十字架で死なれたように自分に対して死に、イエスが死からよみがえったように、神に対して生きることのしるしだからです。
 
 ですから、悔い改めることとバプテスマを受けることはキリストへの信仰の具体的な中味です。この二つのことは表裏一体になっていて、そのどちらを欠いても真の信仰からズレていることになります。悔い改めのない信仰は、結局のところ、今までの自分の生き方を是認していることになるわけですし、イエス・キリストへの信仰がなければ、その信仰はイエスを主と仰いでいるのではなく、単なる自分の思い込みでしかないからです。

 救われるためにはどうしたらいいのでしょうか。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。」そうすれば、賜物として、聖霊を受けるのです。教会は、神からのメッセージに対してこの悔い改めと信仰という形で正しく応答した人たちが集められ、建て上げられていくものです。これがなかったら教会になりません。なったとしても、それが真の意味での教会だとは言えないのです。イエス様は、「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15:16)と言われましたが、教会とはイエス様によって救いにえらばれている人たちが、悔い改めてイエスを救い主として受け入れた人たちが集まっている群れなのです。

 Ⅱ.教会の本質

 では、そのようにして集められた人たちはいったい何をしていたのでしょうか。第二に教会の本質について見たいと思います。41,42節をご覧ください。

 「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三
 千人ほどが弟子に加えられた。そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、
 交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」

 ペテロのことばを受け入れ、バプテスマを受けて弟子に加わった者たちは、この日だけで三千人もいました。三千人のバプテスマ式です。すごいですね。12人に分けてやったとしても、一人が250人にバプテスマを授けたことになります。仮に一人3分かかったとしたら250人にバプテスマを授けるには12時間もかかります。朝から晩まで「父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授ける」と言ってずっとバプテスマを授けるのです。日本で一番大きな教会はだいたい1500人くらいですから、この日一日で日本で一番大きな教会よりももっと大きな教会が誕生したことになります。これはものすごい神のみわざではないでしょうか。かつてイエス様は「わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行い、またそれよりも大きなわざを行います。」(ヨハネ14:12)と言われましたが、まさに、イエスを信じる人たちによって、イエス様が行った何倍もの大きなわざを行ったのです。

 問題はこのようにして始められた教会は、いったい何をしていたかです。42節をご一緒に読んでみましょう。

「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」

 このところを見ると、彼らは四つのことをしていたことがわかります。まず第一に、使徒たちの教えを堅く守りました。使徒たちの教えとは、使徒たちを通して伝えられた主の教えのことで、やがてこれが新約聖書としてまとめられていきました。ですから、これはどういうことかと言いますと、聖書の教えを堅く守っていたとうことです。「堅く」というのがいいですね。軟らかくでなく堅くです。どんなことがあっても使徒たちを通して教えられた主の教えを守ろうとしたのです。私たちも人々が何と言ってるか、この世の常識がどうかではなく、神のことばである聖書は何と言ってるのかが大切です。その聖書に堅く立つことが求めてられいるのです。

 第二に交わりです。彼らは使徒たちの教えを堅く守っていただけでなく、交わりをしていました。信仰生活においては交わりが大切です。この交わりとはいわゆる親睦会といったものとは違います。もともとこの「交わり」と訳されて言葉はギリシャ語で「コイノニア」という言葉です。この言葉には「共有」という意味があります。44節には「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいのものを共有にしていた」とありますが、彼らは自分たちに与えられたものを自分たちのものだと主張することをせず、お互いに与えられたものを共有していました。そのように表面的な交わりではなく霊的に深い交わりした。ローマ人への手紙12章15節には「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」とありますが、それはまさに家族のような交わりだったのです。このような交わりがいかに麗しいものであったかを想像するに難くありません。そのような交わりは人々を引きつける魅力があったに違いありません。

 ある外国の新聞に一枚の写真が載っていました。その写真には未熟児として生まれた双子が保育器の中で向き合って寝ている姿が映っていました。最初にこの双子が生まれたとき、医師たちは先に生まれた子供は大丈夫でも、後で生まれた子供は心臓が弱いのですぐに死ぬだろうと思いました。このとき、ある看護師が二人を一つの保育器に入れてはどうかと提案しました。これは病院の規則に反することでしたが、何とか許可がおりて、双子を一つの保育器の中に一緒に並べて寝かせてみました。
 すると健康な兄が腕を伸ばして、弱い弟を抱くではありませんか。すると隣に寝ていた弟の心臓が次第に安定してきて、血圧と体温も正常に戻りました。今ではすくすくと成長しているそうです。この双子の噂を聞いて尋ねて来た新聞記者は、保育器の中で二人が抱き合っている写真を撮り、「命を取り戻した抱擁」とタイトルをつけました。兄の手によって弟が元気になった理由ははっきりとわかりませんが、愛の抱擁はすばらしいものです。
 落胆したり絶望したりすることがあっても、自分のことを愛し、助け、祈ってくれる人がいるとき、私たちは勇気づけられます。生きていることはともに分かち合うことです。それぞれが持っているものを分かち合うことが大切です。初代教会の交わりは、実にそのような交わりでした。

 三つ目はパンを裂くことです。これは聖餐式のことです。私たちの教会でも先週行いました。月に1回行っています。それにしてもなぜ彼らは集まってはパンを裂いていたのでしょうか。なぜこんなことが聖書に記録されているのでしょうか。それはこの聖餐の持っている意味が重要だったからでしょう。聖餐はイエス・キリストが十字架で私たちの身代わりとなって死んでくださったことを覚えるために行うものです。バプテスマにおいて告白したキリストへの信仰をいつも覚えることは大切です。のど元過ぎれば熱さ忘れるということわざがありますが、それでは困ります。なぜなら、私たちの信仰の基礎はここにあるからです。罪のためにどうしようもなかった私たちのために、イエス様が十字架にかかって死んでくださったという神の恵みを覚えるとき、私はこんなにも愛されているんだという確信が与えられます。それが私たちのいのちであり、力なのです。いのちがない信仰はやがて形骸化していきます。そのいのちが絶えることがないように、私たちはいつも主の恵みにとどまっていなければならないのです。

 四つ目は祈りです。初代教会の人たちは集まって何をしていたのかと問うならば、彼らはいつも祈っていたという答えが最もふさわしいでしょう。それほど彼らは一つのところに集まっては祈っていました。しかも46節を見ると、それが「毎日」のことであったのがわかります。初代教会は、毎日、心を一つにして宮に集まり、家々ではパンを裂き、喜びと真心をもって食事をしていたのです。週に一回、わずか1,2時間の時間を割いて祈祷会に集まるのでさえ大変な現代の教会とはずいぶん違うように感じます。現代のクリスチャンに欠けているところがあるとしたら、このことではないでしょうか。いくら初代教会の人々が今日とは比べものにならないほど忙しくなかったとしても、毎日、みことばを学ぶために集まったり、祈るために集まるということは、決して容易なことではなかったはずです。それができたというのはどうしてなのか。それは、彼らの中に自分たちのために死んでくださった主への愛が溢れていたからということと、祈りによってもたらされる実がどんなに大きいものかということを、よく知っていたからではないでしょうか。

 詩篇127篇1節には「主が家を建てるのでなければ、立てる者の働きはむなしい」というみことばがあります。実というのは神様の御力の現れです。ですから、もし祈らなければすべてが徒労に終わってしまいます。祈りがあって初めて実が結ばれるのです。主が家を建てるのでなければ、立てる者の働きはむなしいのです。大事なのは、どのように立てるかではなく、だれが立てるのかということです。たとえば、人間が21日間卵を抱いていても、決してかえりません。腐るだけです。しかし、雌鳥(めんどり:a female bird)が卵を抱くと、21日後にはちゃんとひよこがかえるのです。抱くことが大事なのではなく、だれが抱くかが大事なのです。つまり、私たちの問題も、私たちが抱えていたら解決になりません。「私はこの問題を2年間も抱いていた」という人がいますが、もし私たちが抱いていたら10年後も100年後も同じでしょう。しかし問題を神様にゆだね、神に抱いていただくなら、その問題は解決されます。ですから本当に知恵のある人は、特に何かを成就したいという人は、神様にそれを抱いていただくのです。それが祈りです。「神様、この問題をあなたに明け渡します。あなたが代わりに抱いてください」と。ですから、どんな問題でも祈り、主に明け渡す人が、最も力のある人になれるのです。

 韓国のサミル教会の牧師が書いた「しかし倒れない」という本の中にチョー・ヨンギ先生とキム・ジャーン先生の違いについて記されてあります。この二人の牧師は親しい友人だそうですが、教会の大きさが明らかに違いました。当時、チョー・ヨンギ牧師が牧会していた純福音教会には10万人くらいの信徒がいましたが、キム・ジャーン牧師の牧会していた教会は3千名くらいでした。3千人でもたいしたもんですが、キム・ジェー先生は納得できませんでした。というのは、チョー先生は高校にも行くことができず、聖書学校だけを出られたそうですが、キム先生は一生懸命に勉強して博士号を持っていました。またチョー先生は目が小さくで決してハンサムだというわけではありませんが、キム先生はアラン・ドロンみたいな顔をしていて、目が大きく、とてもハンサムだったらしいのです。チョー先生は南方の方言を話すので少し聞き取りにくいですが、キム先生はソオルの正確な標準語を話していたらしいのです。いくら比較しても、自分がチョー・ヨンギ先生より劣る点はないと思いましたが、なのにチョー先生
は10万人で、自分は3千人とはどういうことなのか。そこでキム先生がチョー先生に尋ねたのです。
 「私はすべての面であなたに勝っているのに、どうしてあなたの教会には10万人いて、私の教会は3千人なんだろう」
 するとチョー先生はこのように答えました。
 「あなたは一日何時間祈るの?」
 「30分」 
 「私は3時間だよ」
 違いはそれだけでした。祈りの時間が一方は30分、もう一方は3時間。ただこの違いがすべてを物語っていたのです。この事実のみですべてが逆転していました。祈りにはすべてのことを逆転させる力があります。教会が祈る教会になれば、必ずリバイバルされるのです。それが初代教会の姿でした。彼らはそれを知っていたのです。ですから、どんなに忙しくても、祈るために集まることが大変であっても、そのために時間を割いたのです。毎日、宮に集まって、心を合わせて祈ったのです。

 Ⅲ.神の祝福

最後に、そのように毎日、心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美していた教会に、どのような神の祝福があったのかを見て終わりたいと思います。47節をご覧ください。ここには、

 「すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくだ
 さった。」

とあります。このような教会には、救われる人々が毎日仲間に加えられたのです。なぜなら、すべての民に好意を持たれたからです。みことばに基づく彼らの信仰と敬虔な祈りの生活、そして温かい交わりの生活には、まわりの人々の関心を呼び起こさずにはいませんでした。彼らは教会に人を集めようとはしませんでした。集めようとしたのではなく集まってきたのです。教会に魅力があったからです。すぐにその仲間に加わろうとは思わなくても、いつかそこに行ってみたいと思っていたのです。ですから、主もまた救われる人たちを毎日仲間に加えてくださったのです。ここで注目したいのは、このように教会に救われる人たちが仲間として加えられていったのは、彼らが何か大きな伝道キャンペーンを行ったからとか、特別な方法を用いて熱心に伝道を行ったからではなかったということです。このような教会に不思議な魅力があって人々が引きつけられていったからだったのです。すなわち、それはほかの何かによるのでもなく、ただ聖霊の働きによるものであつたということです。

 私たちに求められているのはこれです。すなわち、どのように教会を立てていくかではなく、だれが立てるかです。主が家を建てるのでなければ、その働きはむなしいのです。主が教会を立ててくださるために、私たちは主に喜ばれる者でなければなりません。それが使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていたということに含まれているのです。私たちの教会もみことばに堅く立ち、家族のような麗しい交わりをし、いつも主の恵みに感謝して、心を合わせて祈るなら、主もまた、救われる人々を仲間に加えてくださるのです。

 日本にも大きな影響を与えている韓国のオンヌリ教会が目指している教会も使徒の働きに見られるような教会です。使徒の働き的な教会、これがハ先生のビジョンであり、オンヌリ教会のビジョンです。すばらしいですね。そしてハ先生はそのような牧会哲学を抱えながら、あるとき「二千/一万」ビジョンを持つようになりました。これは西暦2010年までに二千人の宣教師を派遣し、1万人の働き人を立てるというものです。ハ先生がこのビジョンを掲げると、ある長老がハ先生にこう言ったそうです。
「先生、本当にそのビジョンは神様が与えてくださったものですか」
 全く不可能のように思えることだったのです。しかし、その後その長老は、何とその宣教師を送る働きをするようになって、ある時、ハ先生にこう言ったそうです。
 「先生、本当にそのようになって行きますね。」
誰もが出来ることなら、神様は必要ありません。そのまま人間が一生懸命に努力し、最善を尽くせばできることです。不可能なことでも、神様ご自身が行われることが神様の夢なのです。
 そして、2007年のイースターに、オンヌリ教会では千人目の宣教師を派遣することができたのです。それはただ神様だけがおできになることです。オンヌリ教会では「Acts29」というビジョンがあります。ご存じのように、Actsとは使徒の働きのことですが、この使徒の働きは全部で28章までです。それが29とあるのは、オンヌリ教会が目指しているのは、この使徒の働きに見られるような教会であり、それが聖霊によって今も続いていることを現しているのです。
 私たちが目指している教会もそうです。この使徒の働きに見られるような、そういう教会を目指していこうではありませんか。
 
 このオンヌリ教会もすばらしいですが、韓国にはほかにもすばらしい教会がたくさんあります。その中の一つが釜山にある教会です。この教会はドイツのクリスチャン・シュヴルツという人が「自然に成長する教会」という本を書きましたが、健康な教会は自然に成長するという本で、そのモデル教会として注目されている教会です。すなわち、もっとも健康的な教会です。この教会の牧師であるジョン・ピルドという牧師は、「教会は祈りで建てられる」という本を書いていますが、彼はその中で次のように行っています。
 「涙が、祈りの涙が礼拝堂に満たされれば、礼拝堂は人で満たされます。涙があふれれば、礼拝堂が……」
その日から徹夜の祈りを始めた。「私の祈りの涙が礼拝堂をすべて満たすことはできないが、小さな講堂ひとつぐらいは、何とか満たすことができるはずだ」。そう思い、講堂の前で泣き始めた。死んでいく霊を救ってくださいと祈り、羊の群れを送ってくださいと祈り、みことばを与えてくださいと祈り、すでに教会に訪れた羊の群れに祝福を与えてくださいと祈った。そうしてしばらく泣きながら祈ったあと、体の角度を変えて座り直し、また泣きながら祈った。講堂を私の祈りの涙ですべてを満たしたかったからだ。
次の日は、他の場所に座って祈った。「神様、この礼拝堂を満たしてしてください」。そう祈りながら礼拝堂をひとまわりし、徹夜で祈った。
そして本当に驚くべきことが起こった。開拓牧会してから三ヶ月目に百五人が集まったため、その礼拝堂で礼拝をささげることができなくなったのだ。仕方なく、もう少し大きい場所に引越した。広い場所に移ればそこは狭くなり、そのためまた引越さなければならないことが一年に三回も続いた。
牧会者はどのような人だろうか。牧会者はたましいを思い、泣く人である。礼拝堂を涙で満たす人である。」

 すごいですね。ジョン・ピルド先生は祈りの人です。涙の預言者エレミヤのように、滅び行くたましいのことを思って泣くのです。私はそんな牧師でありたいと思います。涙が会堂に満ちるとき、教会は成長していきます。この教会は二組の信徒とともに釜山水営路で開拓伝道をはじめて33年の間に、教勢が増加の一途をたどり、教会堂はさらなる拡張を繰り返しています。現在日曜礼拝の出席者は2万人を超えていると言われています。なぜこの教会がこんなに勢いおく成長を続けているのでしょうか。ピルド僕はこう言っています。教会の目に見える外的な成長とシステムに目を奪われないで、教会を成長に導く霊的生命、聖霊の恵みに着目しているからなのです。

 私たちが目指しているのはそういう教会です。そうすれば、最初の教会のような教会がこの日本にも必ずできるはずです。今も働いておられるご聖霊に信頼し、初代教会のような教会ができるように、共に祈っていきましょう。

使徒の働き2章22~36節 「イエスは主です」

 きょうは「イエスは主です」というタイトルでお話をしたいと思います。ペンテコステの日に聖霊に満たされた弟子たちが、突然、外国語で神様の力あるみわざについて語り始めますと、それを聞いていた人たちは、彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだとあざけりました。それに対してペテロは、彼らが外国語で話しているのは酔っぱらっているからではなく、旧約聖書に書かれてある預言者ヨエルの言葉が成就したからだと言いました。すなわち、終わりの日に、神の霊がすべての人に注がれると、青年は幻を見、老人は夢を見るということです。その終わりの時代が始まったのだ・・・・と。きょうのところには、それに続いてこの聖霊が注がれるとはどういうことなのかをイエス様との関係から語っています。いわゆるペテロの説教の本論にあたる部分です。彼はこのところで、イエスとはいったい誰なのかということを、これまでの主イエスの歩みから順を追って説明したのです。

 イエスはだれなのかは、私たちの信仰の中心的なことであり、とても重要なことです。そして、イエスこそ主であるというのが私たちの信仰の確信なのです。いったいなぜそのように言えるのか。ペテロはその理由について三つの点から論じています。第一のことは、このイエスが神であるということは彼の生前の生き方によってあかしされており明らかであったにもかかわらず、彼らはこのイエスを十字架につけて殺してしまったからです。第二のことは、しかし、イエスは死人の中から復活されました。この方が死につながれていることなどあり得ないからです。そして第三のことは、復活されたイエスは天に昇られ、神の右の座に着かれました。なぜ?御父から聖霊を受けて、その聖霊をお注ぎになるためです。すなわち、このイエスこそ主であられるということです。そのイエスを彼らは十字架で殺してしまったのです。

 Ⅰ.十字架につけられて殺されたイエス

 まず第一に、このイエスは神であるということは、彼の生前の生き方を見ればわかります。22節と23節をご覧ください。

 「イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエス
 によって、あなたがたの間で力ある不思議なしるしを行われました。それら
 のことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これ
 は、あなたがた自身がご承知のことです。あなたがたは、神の定めた計画と
 神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架に
 つけて殺しました。」

イエスが神から遣わされたメシヤであることは、イエスがこの地上で生きておられた時になされた力あるわざや不思議なしるしを見ればわかります。イエスは中風をわずらっている人をいやしたり、12年も長血を煩っていた女の人をいされました。また、病気で死んでしまったヤイロの娘やマルタとマリやの弟らラザロも生き返らせました。また、男だけで五千人もの人たちの空腹を五つのパンと二匹の魚で満たされました。イエスのことばには権威があって、すべての悪霊も追い出すことができました。その口から発せられることばは実に恵みのことばで、みんな神様をあがめたほどです。イエスが神であるということは、彼の地上でのこのような力あるわざと不思議なしるしをみればわかります。しかもこれらのことは、彼らの間で行われたことであり、だれよりも彼ら自身がよく知っていたことでした。ところが、彼らはこのイエスをどうたかというと、不法者の手に渡し十字架につけられて殺してしまいました。彼らは、イエスの目を見張るような奇跡や力あるわざを見ても、そこに神のあかしを認めようとせず、むしろ、それを拒絶したのです。

 しかし、それは決して偶然の出来事でも、神の番狂わせの出来事でもありませんでした。ここには、これらのことは神の定めた計画と神の予知とによるものだったと書いてあります。当時、イエスを十字架につけた人たちにとっては、してやったりと思えたに違いありません。人間はしばしば、自分が主導権を握ってすべてを思い通りに動かしているかのように思い込みがちですが、実はそうではありません。そうした人間の思い上がりを越えたところに、この世界を支配しておられる神がおられ、ご自分の永遠の目的と計画を着々と進めておられるのです。まさに十字架はその現れでありました。だれがこの十字架から救いのみわざがなされるなんて考えることができたでしょうか。十字架はローマの処刑方法の一つであり、人間の敗北の極みであるかのようなものですから、この十字架から神の救いのみわざが成し遂げられるなんて、だれも想像することができなかったでしょう。しかし、イエスが十字架につけられて殺されることは、永遠の昔から神が定めておられた計画だったのです。

 これこそ「深いい!」でしょう。先日、横浜にある教会の牧師からこんなお話を聞きました。その教会はかつてダイヤモンドの研磨工場だったところを購入して教会にしていますが、門扉が古くてさびているのでどうしようかと思い、もし新しくしたらどのくらいかかるのか見積もったそうです。そしたら門扉を交換するだけで300万円もかかると言われたそうです。門扉で300万出すのはもったいないと祈っていたましたら、教会で登山を計画しておりまして、ある70歳の男性がそれに参加されました。ところが、登山の後というのは足の感覚が狂うのか、教会から車で帰ろうとしたとき誤ってアクセルを思い切り踏んでしまったのです。それで、その門扉にぶつかってしまったのです。しまった!と、今度はギヤをバッグに入れてアクセルを踏んだら、気が動転していたのもあったのでしょう。また思い切り踏んでしまったのです。それで後ろも別の門扉にぶつかってしまい、車は前と後ろがぴっちゃんこにつぶれてしまいました。車内を見たらエアバッグが出てたので、もう死んだのではないかとだれもが思いましたが、幸い左手の中指をちょっとけがした程度で助かったのです。そればかりではなく、その車にかけていた対物保険で、その門扉が全く新しいものに交換できてしまったのです。
 そればかりでなく、その左手の中指のところは、その方は詩吟をやってるらしく、詩吟ではそれは奥様を愛していないという意味があるそうで、それで、悔い改めて奥さんをも愛するようになったというのです。

 不思議ですね。神様は不思議なことをされます。天が地から遠く離れているように、私たちの思いと神様の思いも遠く離れています。そして神様は、私たちの思いをはるかに超えたすばらしいことをなさるのです。

 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知ってい
 ます。」(ローマ8:28)

 すばらしい約束ではないでしょうか。私たちの思いをはるかに超えたところですべてを支配しておられる神様が、すべてのことを働かせて益としてくだるように働いておられるのです。ですから大切なことは、私たちがどう思うかではなく、聖書に何と書かれてあるかです。私たちは聖書を見れば、イエスがどんなことをされたのかがわかります。それは神の証です。その証を受け入れ、そこにある神の真理を見い出し、それを素直に受け入れることです。そうすれば、イエスが神であることがわかるようになるのです。

 Ⅱ.死から復活したイエス

 第二のことは、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせたということです。なぜでしょうか。この方が死につながれていることなどあり得ないからです。この方は死にも勝利することができる神だからです。人間はこの死の前に何の成すす術もありません。医学がどんなに進歩しても、この死を克服することはできません。ポップ界のスーパースターであったマイケル・ジャクソンの死も止めることはできませんでした。人類の医学がどんなに進歩しても、人は100%死ぬのです。しかし、この方はその死からよみがえられました。24節を見るとペテロは、「この方が死につながれていることなど、ありえないからです。」と言っています。ここに神は人間の判断というものを逆転させたことがわかります。人間はイエスがあくまでも死刑に当たると判断して十字架につけて殺しましたが、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせることによって、この方が正しいお方であるとしてくださっただけでなく、この方こそメシヤであるとの太鼓判を押されたのです。ペテロはこのことを裏付けようと、旧約聖書の詩篇に出てくるダビデのことばを引用しました。25~28節です。

 これは、詩篇16章8~11節の引用ですが、ここでダビデは「あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。」と言ってますが、これはいったいだれについて言ってたのでしょうか。イエスです。ダビデは主イエスについて預言してこう言ったのです。なぜなら、29~31節を見るとわかりますが、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあるからです。彼は預言者でしたから、神が彼の子孫のひとりを彼の王位に着かせると誓って言われたことを知っていて、それで後のことを予見して、キリストの復活について、『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない』と語ったのでした。つまり、これはメシヤ預言だったんですね。ダビデは紀元前1,000年頃のイスラエルの偉大な王様でしたが、同時に、預言者でもありましたから、やがて来るであろうメシヤが復活することを知っていてそう言ったのです。つまり、死んで復活する方こそ、メシヤであるということです。そして、そのとおりに神はこのイエスをよみがえらせました。彼らはみなそのことの証人です。死からよみがえられたイエスこそ旧約聖書で預言されていたメシヤであり、救い主、神ご自身なのです。

 それにしてもペテロはすごいですね。キリストが誰なのかということについて旧約聖書から引用しながら力強く証言しています。以前の彼はそうではありませんでした。約3年間主イエスと一緒に生活していたのに、真の意味でイエスがどういう方なのかがわかりませんでした。イエスが十字架と復活について度々語られたのに、その意味を理解することができなかったのです。なのに今は違います。今は旧約聖書から自由にみことばを引用して力強く証ししています。いったいどうして彼はそんなに大胆にキリストを証しすることができたのでしょうか。聖霊を受け、聖霊に満たされたからです。

 「しかし、その方、すなわち、真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての
 真理に導き入れます。」(ヨハネ16:13)

 彼らは、聖霊によって目が開かれていったのです。25節のところでペテロは、ダビデのことばを引用して、「私はいつも、自分の目の前に主を見ていた」と言っていますが、それは同時に彼の信仰告白そのものでした。聖霊によって彼は、イエスを主であると確信し、いつも自分の目の前に主を置いて歩めるようになったのです。皆さんはいかがですか。いつも自分の前に主を見ているでしょうか。それとも、この世の様々なものを見ているでしょうか。聖霊だけが、私たちに主を鮮やかに見させてくださいます。ですから、聖霊を受け、聖霊に満たされ、聖霊と共に歩んでいきましょう。そのとき、主イエスの復活を信じることができるようになり、大胆にキリストの証人になることができるのです。

 Ⅲ.昇天して神の右の座に着かれたイエス

 第三のことは、今彼らが見聞きしている聖霊は、このイエスが御父から受けてお注ぎになられたということです。33節をご覧ください。

 「ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受け
 て、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。」

これは、このペテロの説教の結論であり、一番たいせつなところです。すなわち、今、起こっているペンテコステの出来事はどういうことなのかについて答えているのです。そしてそれは、死からよみがえり、天に昇られ、神の右に上げられたこのイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、お注ぎになられたということです。聖霊が注がれることについては先ほども見たように旧約の預言者によって預言されていたことであり、イエス自らがかねてから約束していたことでした(ヨハネの福音書14~16章)。また、使徒の働き1章4節のところに、「父の約束を待ちなさい」とあるように、それは父なる神の約束でもありました。しかし、そのことについていろいろなことが記されてあっても、ある一つのことが起こらなければ実現しませんでした。何でしょうか。主イエスの昇天です。聖霊は、イエスが昇天し、父なる神の右の座に着かれて、御父から聖霊を受けて、その聖霊を注いでくださることによって実現したのです。それがなかったら実現しなかったのです。

 これまでも天に昇った人がいなかったわけではありません。たとえば、エノクやエリヤは、死を経験せずに天に挙げられました。(創世記5:24,Ⅱ列王記2:11)また、これまで死んでその霊魂が神のみもとに召されている信仰の先祖たちは無数にいます。なのになぜ約束の聖霊はそうした死人や聖人の取り次ぎでは降られなかったのでしょうか。なぜなら、それらの人々は、ずっと昔から神が約束しておられた救い主、メシヤではなかったからです。ただこの方が天に昇られ、神の右の座に着かれることによってのみ、実現することができたのです。というのは、この方は神であり、いにしえの昔から聖書の中で預言されていたメシヤだからです。

 ですからペテロは34節と35節のところで、ダビデのことばを引用してこう言っているのです。「ダビデは天に上ったわけではありません・・・・」ダビデが言った「私の主」とは誰のことでしょうか。イエスのことです。なぜなら、ダビデは天に上ったわけではないからです。この「私の主」こそ、十日ほど前に人々の目の前で天に挙げられたイエスのことでした。イエスは神の右の座に着くために天に上げられたのです。それこそ彼がメシヤであることのもう一つの強力な証拠だというのです。

 ですから、イエスこそ主であり、キリストなのです。イエスこそ神であり、救い主です。このイエスが天に上げられて、約束の聖霊をお注ぎになったのです。

 ある歴史学の教授が何人かの大学生たちに「今年は1985年ですが、この数字は何を現していますか」と尋ねました。「人類の歴史を意味するHistoryとは、どういう意味ですか」と聞くと、誰も答える学生がいなかったそうです。
 1985年という数字はイエス・キリストがお生まれになられてから1985年が経ったという意味ですね、B.C.はBefore Christ、主が来られる前という意味で、A.D.とはラテン語のAnno Domini、主が来られてからという意味です。
 歴史を現すHistoryという言葉はもちろんギリシャ語のヒストリアから来ていますが、またこういうこともできるでしょう。His Story 彼、イエス・キリストの物語、つまり、一人の生涯を通してできあがった物語という意味です。
 イエス・キリスト、このお方は歴史上で何をしたのでしょうか。彼はいったい誰であり、何をしたので、歴史は彼を中心としてA.D.とB.C.に分かれ、彼の一生の物語であるHistoryになったのでしょうか。

 ペテロは、それは彼がこの地上で神としてのみわざをなし、神のご計画に従って十字架で死なれ、死なれただけでなく、三日目によみがえり、天に昇って行かれ、約束の聖霊をお祖ぞきになられたからであると言いました。イエス様は旧約聖書に書かれて通りに生きられました。この方こそ約束されていたメシヤ、救い主、キリスト、神であられたのです。ですから、この方を救い主として心に受け入れなければなりません。

 なのに、彼らはどうしたでしょうか。彼らは主ともキリストともされたこの方を何と十字架につけて殺してしまったのです。しかし、それは彼らだけのことではありません。もし私たちがイエスを救い主として受け入れ、主として歩んでいなかったとしたら、たとえ直接的に手を下していないとしても、彼らと同じことをしていることになるのです。イエスを十字架につけていると同じです。イエスから救い主としての称号を奪っているのですから・・・。ではどうしたらいいのでしょうか。ペテロはこのように言いました。38節です。

 「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・
 キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖
 霊を受けるでしょう。」

悔い改めるとは、これまでの自己中心的な生き方を止め神中心に生きることです。ダビデは「私はいつも、私の目の前に主を置いた」と行っておりますが、そのような生きることです。すなわち、信仰に生きるということです。

 もう一つのことは、バプテスマを受けることです。バプテスマを受けるとは、イエスの死が自分のためであったことを知り、そのことを感謝し、今度はイエスを主として行きますということをこ形で表すことです。それはイエスが十字架で死なれたように自分に対して死に、また、イエスが死の中からよみがえったように、神に対して生きることの信仰の表明でもあります。

 皆さんは罪を悔い改め、イエスをその罪からの救い主として信じ、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けておられますか。それは形だけで、まだ自分の我、自我に支配されているということはありませんか。ダビデが、「私はいつも、私の目の前に主を置いた」と告白したように、いつも自分の目の前に主を置いていますか。神に立ち返り、神の栄光があがめられることを求めていらっしゃいますか。悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるのです。

 アメリカの南北戦争の時、有名な将軍で小説家でもあった、リュー・ウォレスは、キリスト教の神話を永遠になくそう本を書いて、人類をキリストの鎖から解放しようではないかと、もう一人の友人と堅く約束しました。
 彼は中東、ヨーロッパ各地の図書館を回りながら、多くの資料を集め、深く研究し、イエス・キリストの物語や聖書の話が嘘であると証明する本を書きました。やっと、その本の第一章を書きましたが、第二章の第一ページを書き始めたところで、到底否定できない真実の前で、彼はひざまずきました。キリストの復活について調べれば調べるほど、それが真実であるということがわかったのです。彼は涙を流しながらイエス・キリストにこう叫びました。
「あなたはわが主、わが神です。」
 彼はその事件の後、あの有名な歴史小説、イエス・キリストの物語、「ベン・ハー」を書いたのです。

 私たちも自分に問うたらいいと思います。「イエス・キリスト、あなたはどなたですか」と。イエスこそ、ずっと昔から旧約聖書で約束されていたあの救い主、メシヤでした。それがペテロの証言だったのです。この証言に対して、あなたはどのように応答されますか。ベン・ハーのように、「イエス様、あなたはわが主、わが神です」と告白する人は幸いです。聖書はそのように証言しているのですから。

使徒の働き2章14~21節 「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」

 きょうは「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」というタイトルでお話をしたいと思います。14節をみると「そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。」とあります。「そこで」というのは、ペンテコステといってユダヤ教の三大祭りの一つである七週の祭りの日に、聖霊に満たされた弟子たちが、外国のことばで神様の力あるみわざについて語り出すと、それを聞いていた人たちが驚き「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのではないか」と言ってあざけっていたので、ということです。そこでペテロは十二人の弟子たちを代表して、それがどういうことなのかを説明しました。このペテロの説明は、14節から36節まで続きます。まず14~21節までのところには、彼らをあざけった人たちに対してそれがどういうことなのかということの説明が、この説教全体の序論として語られ、それから22~35節までのところで、どうしてこのようなことが起こったのかということが本論として展開されていき、最後の36節のところでその結論が語られているという構成になっています。

 きょうはさきほど読んでいただいたこの箇所から、「主の御名を呼ぶ者はみな救われる」ということについて三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、主の御名を呼ぶようになるためにそこに妨げがあるとしたら、それを取り除いていこうという配慮が求められるということです。第二のことは、主の御名を呼び求めるためには、それがどういうことなのかが正しく説明されなければなりません。そして第三のことは、その結論です。すなわち、主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるということです。

 Ⅰ.この人たちは酔っているのではありません

 まず第一に、主の御名を呼ぶ者になるためには、それなりの配慮が求められるということについて見たいと思います。聖霊に満たされて神の力あるみわざについて語った弟子たちに対して、「いったいこれはどういうことか」と驚き惑ったり、「彼らは甘い酒に酔っているのだ」とあざける人たちに対して、弟子たちはそれを黙って聞いていたわけではありませんでした。ペテロは他の十一人の弟子とともに立って、それがどういうことなのかを、はっきりと説明したのです。もちろん、売られたけんかは買わなきゃならないといって、けんかを受けて買ったというわけではありません。彼らの戸惑いに対して、正しく答えようという弁証が試みられたということです。これは、キリスト教に対するある種の誤解や先入観を持っている人々が、正しい信仰に入るためには配慮が求められるということです。今起こっていることがどういうことなのかがわからないために、キリスト教に対していろいろな誤解と偏見を持っている人が少なくありません。そういう人たちがキリスト教信仰を持つために、そうした誤解や偏見を取り除いていこうとすることは大切なことです。ペテロは、今目の前で起こっていることがどういうことなのかがわからなくて戸惑ったり、誤解している人たちが正しい理解を持つために、声を張り上げて、このように言いました。14,15節です。

 「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知
 っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してくださ
 い。今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔
 っているのではありません。」

 ペテロは、人々が「彼らが酒に酔っているのだ」とあざけっていたのに対して、そうではない、今は朝の九時だから、あなたがたが思っているようにこの人たちは酒に酔っているのではないと言いました。朝の九時だと、どうして酒に酔っているのではないと言えるのでしょうか。日本で一番の飲兵衛はおそらく「小原庄助さん」でしょう。この人については実在した人物なのかどうかもわかりませんが、この人についてこんな歌があります。「小原庄助さん、なんで身上つぶした?朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上つぶしたあ、あ~もっともだ、もっともだ」これは民謡「会津磐梯山」に出てくる歌詞ですが、この歌詞によると小原庄助さんは朝から避けを飲むのが好きで、それで身上をつぶしたようです。ですから、彼のように朝から酒を飲むのが好きな人もいるのです。なのにペテロは、今は朝の九時ですから、この人たちは酒に酔っているのではないと言っているのはどうしてなのでしょうか。それはユダヤ人の祈りの時間と関係がありました。ユダヤ人は一日に三度祈ることになっていましたが、そのうちの一度はこの祈りの時間でした。祈ってからでないと食事を取らないというのが習慣になっていたユダヤ人たちが、朝食前から酒を飲んでいるということなどあり得ないというわけです。ですから、あの人たちは酒に酔っているのだと批判する人たちに対しては、そうではない「今は朝の九時ですから」と指摘するだけで十分だったのです。

 何気ないことのようですが、人々が信仰に入るためにはこのようなちょっとした配慮が必要ではないでしょうか。人は多かれ少なかれ、キリスト教に対して誤解や偏見、あるいはある種の先入観といったものを持っています。そういう人たちに対して「今は朝の九時ですから」とさりげなくもはっきりと、大胆に語ることによって、それを取り除いていこうとする努力が求められるのです。人々とイエス様について話していると、聖書ついて全く知らないという人が少なくありません。あるテレビで「あなたはイエス・キリストを知っていますか」というインタビューに対して、ほとんどの人が知らないとか、聞いたことがないと答えているのです。そうした異教の国で福音を伝えていこうとする時には、こうした理解できるような配慮が求められるのです。

 先日、ケイリーンのお父さんが来られてお話していたら、ある文章を手渡され、「これは日本人にとってどうか」と尋ねられました。そこにはなぜイエス・キリストなのかということがわかりやすく説明されていました。しかし、聖書のバックボーンが全くない日本人にはなかなかわかりにくいものでした。良かったのは何かというと、字が大きかったということと、意外と短いものであったということでした。そこで日本で出版されている星野富広さんのトラクトを紹介して、全く聖書のことがわからない日本人にはこういう馴染みやすいものから入った方がいいと思うとアドバイスをしました。それから少しずつなぜイエス様なのかといった説明に入った方がいい・・・・と。それは決して福音を曲げることではないのです。むしろ人々が福音をもっと理解できるように、提示してあげることなのです。それにしても、そうしたトラクトをいつも持ち歩きながら、機械があったら福音を伝えたいという姿に感動しました。

 ペテロは信仰の妨げになるかもしれない現象に対して「今は朝の九時ですから、この人たちは酒に酔っているのではありません」と言ってから説明を試みましたが、そうした配慮というのは私たちにも求められているのではないでしょうか。

 Ⅱ.終わりの日に

 では、もしこの人たちが酒に酔っているのではないとしたら、いったいこれはどういうことなのでしょうか。ペテロは次のところで、その説明を試みようとしています。16~21節です。 ここでペテロは、今起こっている現象が、旧約聖書のヨエル書に記されてある預言の成就だと説明しました。「ヨエル」というんだから、やっぱり酔ってるんじゃないかという人もいますが、そうではありません。これは旧約の預言者が預言したことの成就であるということです。その預言とは、17節からのところに記されてある内容です。

 「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、
 あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、
 わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預
 言する。」

これは、旧約聖書ヨエル書2:28~32までの引用です。ヨエルは、紀元前800年頃にエルサレムで活躍した預言者ですが、この時代にパレスチナを襲ってあらゆるものを破壊してしまったいなごの災害を見て、これはどういうことなのかを預言しました。そしてそれは、イスラエルが真の神を捨て、偶像礼拝に走った罪のゆえであるということ、それゆえに神様は、イスラエルをさばかれたのだということでした。しかし、そのいなごの災害は、そればかりではなく、遠い将来に起こるであろう出来事をも象徴していたのでした。それがこの「終わりの日」に起こることでした。終わりの日に、すべての人に聖霊が注がれるということです。この「終わりの日」とは、イエス・キリストがこの世に来られてから、再びこの世に来られるまでの時代を指します。それは旧約時代とは違った時代に突入したことを示すものです。旧約時代には、特定の神の人にだけが聖霊に満たされましたが、この「終わりの時代」には「すべての人」に注がれます。ここに「息子」、「娘」、「青年」「老人」とあるように、老若男女(ろうにゃくなんにょ)の区別なく、すべての人にです。また、「わたしのしもべ」「はしため」にもとあるように、身分や国籍のいかんを問わずすべての人にです。すべての人に聖霊が注がれる。それが旧約時代と違う点です。ヨエルはそういう時代がやって来ると言ったのです。それがこの時でした。この出来事だったのです。この時からこれまでとは違った新しい時代が始まりました。すべての人に神の霊、聖霊が注がれたのです。

 さて、そのように聖霊が注がれるとどのようなことが起こるのでしょうか。ここには「すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」とあります。聖霊が注がれると、青年は幻を見、老人は夢を見るのです。老人は夢を見るなんて、素敵じゃないですか。夢見る老人・・・・・。そんなご老人になりたいです。ところで、この青年は幻を見、老人は夢を見るとはどういうことなのでしょうか。旧約時代にはよくそのようなことがありました。たとえば、ヨセフは夢見る青年でした。彼は17歳の時に一つの夢を見ました。それは彼が畑で束をたばねていると、彼の束が立ち上がり、兄弟たちの束が回りに来て、おじぎをしているというものでした。また、太陽と月と十一の星が彼を伏し拝んでいるというものでした。それは後に彼の両親と兄弟が彼を拝むようになるという夢でしたが、果たせるかな、それが実現する時がやってきます。彼がエジプトでパロに次ぐ第二の地位に着いた時、ききんでイスラエルからエジプトに下ってきた彼の家族が彼の元に来てひれ伏して拝むのです。それは彼が30歳になった時でした。彼が夢を見て13年後にそれが実現したのです。このように旧約時代にはよくこのような夢とか幻によって神のみこころが示されることがありました。

 では、ここではそういう夢とか幻のことが言われているのでしょうか。確かに、夢とか幻とかといったこのような超自然的なしるしは、新約聖書が完成するまではありました。しかし、新約聖書が完成してからはそういう形でみこころが示されるということはなくなったのです。いや、あるかもしれません。しかしあったとしても、そのような夢や幻は聖書に記されてあることと必ず一致しなければ、それが本当に神からのむものであるとは言えないのです。なぜなら、聖書は神のみこころが示された啓示の書ですから、この聖書に書かれてあることと違うことが示されるというみとは絶対にないからです。ですから、神様のみこころを知りたいと思うなら、聖書を読まなければなりません。神様からの御声としての聖書からのメッセージを聞かなければならないのです。そうすれば、神様はご自身のみこころを示してくださるでしょう。この時代に夢や幻が示されたのは、まだ新約聖書ができあがっていなかった時代だからであって、新約聖書が完結すると同時にそうした夢や幻は必要がなくなったのです。では何が必要なのでしょうか。預言です。終わりの日に、聖霊が注がれると息子や娘は預言するとあります。また、18節の後半にも、「すると、彼らは預言する」とあります。この預言です。皆さん、「預言」とは何でしょうか。この漢字をよく見ていただきたいのです。これは言葉を預かると書きます。先のことを予見する予言とは違います。予言は先のことを語ることですが、預言とはそれも含めて神の言葉を神の言葉として預かることです。いわゆる聖書の言葉を神の言葉としてしっかりと受け止められるようになるということです。そのようにしてみことばをみことばとして受け入れられるようになるとどういうことが起こってくるのでしょうか。「青年は幻を見、老人は夢を見る」ようになるのです。ですから、このところの「夢」とか「幻」というのは、今日のいわゆる「ヴィジョン」とか「理想像」、「将来の夢」といったものを意味していると言えるでしょう。もしそうだとしたら、そうした夢や幻といったものは排斥すべきではなく、むしろ大いに語られるべきです。 箴言29:18には「幻がなければ、民はみなほしいままにふるまう」とあります。幻がなければ、民は自分勝手にふるまってしまいます。幻がなかったら、民はみな滅びるのです。夢や幻があるからこそ、そこにどんな障害があっても乗り越えていくことができるのです。その夢や幻はどのようにしてもたらされるのでしょうか。預言が与えられることによってです。みことばがみことばとしてはっきりとわかる。みことばを神の言葉として受け止めることができるとき、そのような夢や幻が与えられるのです。そしてそのような預言は、聖霊に満たされることによってもたらされるのです。そのような夢や幻はむしろ大いに語られるべきなのです。

 かつてマルチン・ルター・キングは「I Have a Dream」(私には夢がある)と言って公民権運動を展開しその実現に至りましたが、私にも夢があります。それはこの日本中のすべての町々、村々に教会があって、そこで福音が宣べ教えられ、何千、何万という人たちが救われることです。私には夢があります。日本中どこに行っても教会があって、すべての国々の人たちがともに集まり、王の王、主の主であられる神様を共に礼拝するようになることです。先日、テレビを見ていたらコンビニの店舗は全国で40,889店舗あるそうです。どこに行ってもコンビニがあります。あのコンビニのように、日本中どこに行っても教会があったらいいですよ。そして、何とそのコンビニの数をしのぐものがあるのです。何だと思いますか。仏教の寺院の数です。仏教の寺院は全国に何と7万7千もあるそうです。コンビニの数をはるかに上回る数です。ですから、私は、当初はコンビニの数だけ教会があったらいいと思っていましたが、今は違います。今は仏教の寺院よりも多くの教会が建つことを願っています。そしてそこで福音が語られ、多くの人々が救われていったらすばらしいではありませんか。
 私はこの夢を1994年に「福島から七つの教会を生み出す」というヴィジョンとして与えられました。先日、教会開設祝賀会でTBCのジョエル牧師が、ヨハネの福音書12:24から「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」というみことばを紹介してくださいましたが、この麦とは、イエス様のことを指しています。イエス様が十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたので、それを信じる人たちに罪の赦しと永遠のいのちがもたらされました。しかし、その麦とは同時に家内のことではないかと思いました。日本の宣教のために一粒の麦のようになって死んでいく姿を見て、死ねば実を結ぶと言われた神様に、それがどのようなことなのかを求めて祈りました。すると神様は、使徒1:8のみことばを示してくださいました。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります。」

 神様は、かつて家内が日本に来て、その死によって福島に教会が生まれたように、そこで救われた私たちが、今度は地の果てまで出て行って福音を伝え、教会を生み出すことを願っておられるのではないかと思いました。それは今から15年前の私が34歳の時でした。ですから、65歳になる2025年までに、少なくても七つの教会を生み出すいう目標を掲げたのです。そして、それが神様から出たことならば、神様は必ずそれを実現させてくださると信じました。
 先日は那須でもその働きがスタートしました。今年は2009年ですから、あと16年の間に最低でもあと四つの教会が生まれていることでしょう。そして、やがて日本の至るところに教会が出来て、そこで福音が宣べ伝えられ、こぞって教会にやって来ては何千、何万という民が救いに導かれることでしょう。そして、多くの民が共に主を礼拝するようになるのです。これが私の夢です。

 それは必ず実現するのです。なぜなら、みことばによって示されたことであり、神様のみこころだからです。聖霊が注がれるとき、彼らは預言するとあります。聖霊が注がれると神様のみことばが神様のみことばとしてわかるようになり、そうした夢と幻を見、その実現に向けて大きく動き出すようになるのです。

 最近、若い人たちの間に、このような夢や幻がないと言われています。どこか小市民的で、マイホーム主義の旗のもとにこじんまりしているというのですが、クリスチャンまでもその域を出ないとした残念なことです。なぜなら、クリスチャンにはみことばが与えられているからです。聖霊が注がれ、聖霊に満たされるなら、息子や娘は預言するようになるのです。そして、青年は幻を見、老人は夢を見るようになります。そうした力が神様から与えられているのです。すばらしいことではないでしょうか。私たちは、この終わりの時代に神の言葉である聖書に生き、神の言葉を預かることによって燃やされていく。そういう者でありたいと思います。

 Ⅲ.主の御名を呼ぶ者はみな救われる

 すべての人に聖霊が注がれる終わりの時代が来ると、息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見るようになります。しかし、それだけではありません。19,20節を見ると、もう一つのことが起こると預言されてあります。それは天変地異です。

 「また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。
 それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、
 太陽はやみとなり、月は血に変わる。」

これは特に、主のご再臨の時に起こる超自然的な出来事を指して言われていると思われます。それはすでにルカが福音書の21章の中で語ってきたことです。終わりのときには聖霊が注がれ、息子や娘は預言するだけでなく、そのような恐ろしいしるしが天でも地でも起こるのです。太陽はやみとなり、月は血に変わるのです。しかし、ヨエルはそれだけを語って終わりませんでした。ヨエルは、そのような混乱した中にあっても救われる道があることを示しました。それは何かというと、主の御名を呼ぶことです。21節をご覧ください。

 「しかし、主の御名を呼ぶ者は、みな救われる。」

 すなわち、天地万物がその根底から揺り動かされるような時があっても、主イエス・キリストを信じて神により頼む者には救いがあるということです。今の時代は、本当に何が起こるかわからない時代です。しかし、どんなことが起こっても、私たちは何も恐れる必要がありません。イエス様を主と告白して救われている私たちには、その恐ろしいさばきから逃れる恵みが与えられているからです。

 ベン・パターソンという人が「The Grand Essentials」という本の中で、マサチューセッツ州沿岸に沈んだ潜水艦について次のようなことを語っています。その潜水艦が沈んだとき、海軍の将兵が全員、その中に閉じこめられてしまいました。彼らを救出するためにあらゆる手を尽くしましたが、すべて無駄に終わりました。そうした中、深海にいたダイバーの耳に、沈んだ潜水艦の壁をたたく音が聞こえてきました。そこでそのダイバーは潜水艦の上に自分の耳を当て、中から打たれるモールス信号を読み取りましが、中にいた将兵たちが伝えてきたのは「希望はありますか」ということでした。救われる希望がありますか。もちろんですとも。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。ここに希望があります。そして、この希望は失望に終わることはないのです。

 聖書に、姦淫の現場で捕らえられたひとりの女性がイエス様のもとにつれて来られたときのことが記されてあります。罪のために生きる希望を失い、石で打たれて滅びるしかなかったその女に、イエス様はこのように言われました。
「あなたを罪に定める人はいなかったのですか。わたしもあなたを罪に定めなさい。行きなさい。今からは決して積みを犯してはなりません。」(ヨハネ8:10,11)絶望の中にあった彼女は希望を持つことができました。

 会堂管理者ヤイロの娘が亡くなったとき、その死の前に絶望していた彼らに対してイエス様は、こうも言われました。
「恐れないで、ただ信じていなさい。そうすれば、娘は直ります。」(ルカ8:50)

 主イエスを信じる人は、みな救われるのです。ここに真の希望があります。そして、この希望は失望に終わることはありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

 荒れ狂う大洪水の中でも、箱舟に入ったノアとその家族は救われました。彼らはその大洪水のゆえにとても生き残れないと思ったかもしれません。しかし、それがどんなに激しい嵐でも、主のみことばにしたがって箱舟に入った者はみな救われたのです。やがて、一羽の鳩が箱舟から放たれると、むしり取ったばかりのオリーブの若枝がそのくちばしにありました。それで、ノアは水が地から引いていったのを知りました。私たちにはその希望の若枝があるのです。終わりの日に、太陽がやみとなり、月が地に変わるような時がやって来ても、主の名を呼ぶ者はだれでも救われるのです。これがペンテコステに起こった出来事でした。私たちは、この終わりの日に生きています。一寸先は闇のような何が起こるかわからない時代に生きているのです。しかし、時代がどんなに暗く、不安な日々を歩んでいても、このような確かな希望が与えられているのです。この神様の恵みに感謝して、主の御名を呼び求め、主に信頼して歩んでまいりたいと思います。

使徒の働き2章1~13節 「聖霊が臨まれるとき」

 きょうは「聖霊が臨まれるとき」というタイトルでお話します。イエス様から地の果てにまでわたしの証人となるという使命が与えられた弟子たちは、その使命を果たすためイエス様がお命じになられたように、父が約束してくださった聖霊を待ち望んで心を合わせて祈りに専念していました。そればかりではありません。先週見たように、彼らは外的に準備をすることも怠りませんでした。イエス様を裏切ったイスカリオテのユダの代わりに新しい使徒を補充して組織を整えることも忘れませんでした。この二つのことは、彼らがキリストの証人としての使命を果たしていくために、彼らがどうしてもしておかなければならないことでした。こうして彼らは、上から与えられる聖霊の降臨を待ち望んでいたのです。

 そしてきょうのところには、その聖霊が降臨された出来事が記録されてあります。彼らの働きのためには、どうしてもこの聖霊を受けなければなりませんでした。その聖霊が下られたのです。この聖霊を受けてから、彼らの宣教の働きは目覚ましい進展を遂げて行きます。この出来事がなかったら、福音がこれだけ世界中に広がっていくことはなかったでしょう。それほどにこの聖霊降臨の出来事は重要な出来事だったのです。

 19世紀のアメリカの偉大な伝道者D・L・ムーディは、彼の働きを回想して、その働きのすべては聖霊の力強い力によるものであったと言っています。同じ説教、同じ方法でみことばを伝えたにもかかわらず、聖霊充満の体験をする前とその後とでは結果が明らかに違ったからです。以前は何人かの人々が関心を示すぐらいでしたが、聖霊に満たされるという体験をしてからは、人々が群れをなして集まるようになりました。何が違ったのでしょうか。ただ聖霊なる神が、ムーディーに臨まれたのです。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力をうけます。ムーディーはその聖霊の力を受けたのです。

これこそ私たちが求めていかなければならないものです。きょうはこの聖霊が臨まれた出来事から三つのことをお話したいと思います。第一のことは、聖霊が臨まれた時です。聖霊はどんな時に臨まれたのでしょうか。第二のことは、その意味です。聖霊が臨まれるとはどういうことだったのでしょうか。そして第三のことは、その結果です。聖霊が臨まれたことによってどのような影響がもたらされていったのかについてです。

 Ⅰ.聖霊が臨まれたとき

 まず第一のことは、聖霊はどのようなときに臨まれたのかについて見たいと思います。1節をご覧ください。

 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。」

聖霊が降臨したのは五旬節の日のことでした。「五旬節」とはペンテコステとも呼ばれますが、五十日目の祭りという意味です。何から数えて五十日目かというと過ぎ越しの祭りからです。過ぎ越しの祭りから数えて七週目のことでしたので、この日は「七週の祭り」とも言われていました。そしてこの日は小麦の初穂をささげる感謝の日でもありました。1節を見ると、この五旬節の日に、みなが一つ所に集まっていたときに、聖霊がひとりひとりの上にとどまったとあります。いったいなぜこの五旬節の日に聖霊が下ったのでしょうか。二つの理由があったと思います。第一の理由は、この日に多くの人たちが集まっていたからです。七週の祭りは過越の祭りと仮庵の祭りと合わせてユダヤ教の三大祭りの一つでした。この日には、ユダヤ人の男子は、みなエルサレムの宮で礼拝をしなければなりませんでした。ですから、この日には当時のローマ世界の至るところから大勢の人たちが集まっていました。しかもそこに集まっていた人たちというのはそうしたユダヤ教の決まりをちゃんと守っていた人たちでしたからとても敬虔な人たちであったと言えます。そういう時に聖霊が下られたのです。

 そればかりではありません。ここには「みなが一つ所に集まっていた」とあります。この「一つ所」がどこであったのかははっきりはわかりません。1:13にある「屋上の間」であったのかもしれませんし、あるいは、ルカ53:24にある「宮」であったのかもしれません。しかし、それがどこであったのかはともかく、彼らが一つになって集まってたいとき聖霊が下ったのです。もちろん、彼らが一つのところに集まっていたのは祈るためでした。心を合わせて祈っていました。そういう時に聖霊は下ったのです。

 そうです、聖霊はそれを待ち望む人たちに注がれるのです。イエス様はルカ11:9~13のところで、次のように言われました。

 「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかり
 ます。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は
 受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。・・・してみると、
 あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えること
 を知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
 どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(ルカ11:9,10,13)

求めるなら、与えられます。この時の弟子たちのように神を慕い求め、敬虔な思いで一つの所に集まり、心を合わせて祈り求めるなら、神は約束の聖霊を注いでくださるのです。そしてそれは今で言うなら礼拝の時ではないでしょうか。いったいなぜ私たちは毎週日曜日に集まって主を礼拝しているのでしょうか。聖書にそう書いてあるからです。安息日を覚えてこれを聖なる日とせよ・・・と。安息日とは土曜日ですが、私たちはこの安息がイエス・キリストによってもたらされると信じています。なぜなら、人の子は安息日の主だからです。ですから、私たちはどこまでもイエス様中心です。であれば、旧約聖書の律法では土曜日が安息日でしたが、イエス様が復活された日曜日こそ私たちが真の安息をいただける日として神を礼拝する日としてふさわしい日です。そこで教会は日曜日に礼拝をささげるようになりました。いずれにせよ、このように聖書の定めに従って主を礼拝しようと集まっている人たちに、しかも心を一つにして祈り求めている人たちに聖霊が注がれるのは当然のことでしょう。私たちはますます主のみこころにかなう者として、また、主のご臨在を求めて祈るために、この日の礼拝を大切にしたいものです。そういう人に聖霊が豊かに注がれるのです。

 Ⅱ.聖霊が臨まれるとは

 では聖霊が注がれるとはどういうことなのでしょうか。第二に、聖霊が臨まれるとはどういうことなのかについて考えてみたいと思います。あまりにも多くの人が聖霊のバプテスマについて語りますが、その意味を正しく理解している人は多くありません。そのため聖霊のバプテスマについて少し混乱しているケースも少なくありません。このことについて聖書を正しく理解することは重要だと思います。2~4節をご覧ください。

 「すると突然、天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのい
 た家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひと
 りの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくだ
 さるとおりに、他国のことばで話し出した。」

 このところを見ると、聖霊が下られたときに、次の二つのしるしが伴ったこということをルカは記しています。一つは、天から、激しい風が吹いてくるような響きです。もう一つは、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまったということです。これはいったいどういうことでしょうか。これは聖霊が下られたことのしるしであって、このこと自体が聖霊だったのではありません。これは聖霊が下られたことに伴うしるしです。なぜ天からの激しい風のような音であったり、炎のような分かれた舌のようなものだったのかというと、それは一つには耳に聞こえるものであり、もう一つは、目に見えるものだったからです。このようなことを通して、聖霊が確かに下られたということを示したかったのだと思います。

 そしてもう一つのことは、このように聖霊がくだることによってどんなことが起こったのかということに焦点を当てて生きたかったのだと思います。その焦点とは4節に書いてあることです。

 「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国
 のことばで話し出した。」

なるほど、天からの激しい風の響きといい、火のような舌といい、いかにもこれから後に起こるであろう出来事にふさわしいしるしであったと言えます。その出来事とは、みなが聖霊に満たされ、御霊が話せてくださるとおりに、他国のことばで話し出したということです。いったいこれはどういう意味でしょうか。

 二つの意味があると思います。一つは、あのバベルの塔の事件以来、人類にもたらされていた混乱が取り除かれたということです。バベルの塔の事件とは創世記11章に記されてありますが、それまで一つのことばであった人類のことばが混乱し、互いに通じなくなってしまったという事件です。シヌアルという所にやって来た人たちはそこでれんがを作ったかと思うと、その頂が天まで届くような塔を建て、名を上げようとしましたが、そのことに心を痛められた主は、ことばを混乱させることによって彼らが町を建てることができないようにしました。ことばが通じないようになった人類は分裂し、混乱してしまいました。その時以来、今日に至るまで、そま混乱は続いています。それでま人類は、何度もこの問題に対する解決を考えて取り組んできましたが、その混乱は解決されないまま、今日に至っているのです。しかし、このペンテコステの時に、聖霊に満たされた弟子たちが、他国のことばで話し出したことによって、それまで混乱していたことばが理解できるようになり、それぞれが一致できるようになったのです。まことに、分裂した人類を、社会を一つにするのは、この聖霊以外にはあり得ないということです。パウロはエペソ人への手紙の中で、ユダヤ人と異邦人が一つになることができるのは、キリストによって、両者がともに一つの御霊においてであると言っています(2:18)。たとえ人間的に仲良くしましょうと言ったところで、肉に支配された人間に残されているのは敵意であり、争いでしかありません。ただキリストによって、同じ御霊が与えられることによってのみ、敵意が廃棄され、真の平和がもたらされるのです。ペンテコステの日に彼らが他国のことばで話し出したのは、その一致の始まりがここにあることを示すためだったのです。

 もう一つのことは、彼らが他国のことばで話し出したのは、この霊は証の霊であったことを表しています。この後でみますが、5節からのところを見ますと、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来ていました。あらゆる国から来ていたということは、いろいろなことばがあったということです。ところが、聖霊に満たされた彼らはそれぞれの国のことばで話したので、それを聞いた人たちは理解することができたのです。つまり、彼らが聖霊に満たされて、御霊が話させてくださるとおりに他国のことばで話し出したというのは、教会に与えられた使命を再確認させるためだったのです。教会には、地の果てにまで、キリストの証人になるという使命が与えられています。(使徒1:8)。いったいどのようにしてその使命を果たしていくことができるのでしょうか。聖霊に満たされることによってです。聖霊に満たされると私たちは力を受けるのです。このときに彼らが他国のことばで話し出したように、それぞれの民族に理解できるように伝えていくことができるのです。それは単にことばだけのことではありません。生活や文化も含めて、その民族の体質に合った形で福音が宣べ伝えられていくということです。

 パット先生が宣教師として来日したのは今からちょうど30年前のことです。当時、日本の宣教を祈っていた彼女は母教会の熱心な祈りによって日本に送られてきました。それが、奇しくも私が住んでいた町の高校の英語教師としての仕事でした。来日してすぐに私と出会い、私を救いに導いてくれました。ですから、私はパット先生の働きの実の最初であり、最後なのです。あとはどうなったかというと、皆さんがよくおわかりになることです。私が救われて間もない頃、家内は私にこういうことを言ったことがあります。「私は日本語があまり上手じゃないので、あなたが話してください。あなたはアロンです。私はあの口べたなモーセのように、あなたのために祈ります」簡単に言うと、あなたがお話しなさいということです。あなたはよくしゃべるし、話が止まらないから、神様の福音を語る人になってくださいということでした。賢いと思いました。自分に出来ないことをできる人を通して行っていけば、何倍もの働きができると思ったのでしょう。どのようにして行うかは別として、大切なのは聖霊を受け、聖霊に満たされることです。そうすれば、聖霊が知恵を与えてくださいます。何とかして、すべての人に福音を伝えていく力を与えてくださるのです。

 ですから、ペンテコステの日に起こった出来事を、今日の私たちがただまねるということは全く意味がないことです。大切なことはまねることではなく、その意味を正しく学ぶことです。そして、その意味とは、この聖霊を受け、聖霊に満たされることによって、キリストの証人として証をしていく力が与えられるということです。それがペンテコステの出来事だったのです。

 ところで、このことは彼らが「みなが聖霊に満たされた」結果のことでしたが、聖霊に満たされるとはどういうことを言うのでしょうか。1章5節のところには、「もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」とありますので、これは聖霊のバプテスマのことだったのでしょうか。答えはイエスであり、ノーです。イエスというのは、確かにこの時彼らは聖霊を受けたということは確かであるという点でイエスです。この聖霊は旧約時代にある特定の人が、特別な働きをする時にだけ受けていたような限定的なものではなく、すべての人に注がれました。そういう意味でこの時聖霊による新しい時代が始まったのです。それを求めるすべての人が受けることができるようになったのです。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエ
 スを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救わ
 れるからです。」(ローマ10:9)

 もしあなたが、あなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるのです。簡単にいうと、私たちのために十字架で死んでくだり、三日目によみがえってくださったイエス様を信じて心に受け入れるなら救われるということです。その救いの保証として聖霊が与えられるのです。ですから、イエス様を信じるすべての人に、この聖霊が注がれるようになったのです。私たちはこの聖霊によって救われているという確信を持つことができるのです。すばらしいことではないでしょうか。これがペンテコステの出来事だったのです。

 しかし私が、イエスであり、ノーだというノーという意味は、この聖霊のバプテスマと聖霊の満たしは違うということです。聖霊のバプテスマとは一回限りの出来事であるのに対して、聖霊に満たされるとは、何度も何度も繰り返して行われる経験だからです。ですからパウロは、Iコリント11:13のところでこのように言っているのです。

 「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一
 つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてす
 べての者が一つの御霊を飲むものとされたからです。」

 パウロはここで、すべての者が一つの御霊を飲むものとされたと言っていますが、これが聖霊のバプテスマのこどす。私たちはみな、イエス様を信じるとき、一つの御霊を飲む者とされるのです。つまり、聖霊のバプテスマを受けるのです。
しかし、聖霊のバプテスマを受けたからてといっても、必ずしも聖霊に満たされているとは限りません。エペソ4:30には、「神の聖霊を悲しませてはなりません」とあります。聖霊が悲しまれることがあるのです。また、Iテサロニケ5:19には「御霊を消してはなりません」という表現もありますが、御霊が消されるということもあるのです。もちろん、この御霊を消すというのは消えて無くなってしまうという意味ではなく制限してしまうということです。御霊の働きを制限してしまうことがあるというのです。ではどういう時に聖霊は悲しんだり、制限されたりするのでしょうか。そこには、「悪いことばをいっさい口に出してはいけません」(エペソ4:29)とか、「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしり、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。」(同4:31)とあります。私たちがこのような状態になりますと、神の聖霊が悲しんだり、消されたりするのです。
 ですから、御霊によって歩まなければなりません。そうすれば、決して肉の欲求を満足させることはないからです。もし、私たちの中にそうした思いがあるとしたら、悔い改めなければなりません。悔い改めて、どこで道を踏み外したのかを思い起こし、主に立ち返らなければならないのです。そうすれば、主は赦してくださり、その瞬間から聖霊に満たしてくださるのです。

 ですから、聖霊のバプテスマを受けることと、聖霊に満たされることは違うのです。もちろん、イエス様を信じて聖霊のバプテスマを受けるときは、聖霊に満たされますから、この時は同時に起こります。この時の弟子たちはそうでした。彼らは聖霊バプテスマを受けたとき、同時に、聖霊に満たされました。そして、その聖霊の力で大胆に福音を語っていったのです。

 Ⅲ.聖霊が臨まれると

 では聖霊が臨むとどうなるのでしょうか。最後に、聖霊が臨んだときに彼らがどうなったかについて見て終わりたいと思います。5節からのところに注目してみましょう。聖霊が臨まれ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだすと、そこにはそれが確かに外国のことばであることをあかしする証人たちがいました。天下のあらゆる国から祭りのためにエルサレムに集まっていた人たちは、自分たちの国のことばで弟子たちが語るのを聞いて、驚きました。ルカは、彼らがいかに驚いたのかを、いろいろなことばを使って表現しています。6節では「驚きあきれてしまった」、7節では「驚き怪しんで」、12節では「驚き惑って」と言っています。これらのことばは、それを聞いた人たちが、いかにもとまどっていた様子を表しているものです。彼らには、何事が起こっているのかがさっぱりわかりませんでした。しかし、この驚きこそ、実はこの後でなされるペテロの説教を聞くための心の準備となっていったのです。このことはとても重要なことです。

 私たちがいくらイエス様を信じるようにと説得しても、人はそう容易に信仰に導き入れられることはありません。少なくとも人は皆それまで自分が生きてきた知識や経験、考え方といったものがあって、そうしたものを人生の哲学として持っているからです。そうした人生哲学なり人生観というものがたといチャチなようなものであっても、自分なりにそれがいいと思い込んでいるわけですから、そんなに簡単に他のものを受け入れることはできません。そのためには、それまで持っていた人生観といったものが崩され、新しい人生観が打ち立てられなければなりませんが、一度打ち立てられた人生観というものは、そんなに容易に崩されるものではないのです。ではどうしたら崩されるのでしょうか。そのためには、それまで自分が立っていた人生観というものが揺るがされるような出来事にぶつからなければならないのです。何年か前に未曾有の被害をもたらした阪神大震災は、まさにそうした経験をさせられる時でもありました。これまで安全だ、安心だと思っていたものが脆くも崩れ去るのを見たとき、それまで大丈夫だと思っていた自分の考えが間違っているのではないかと言うことに気付き始めるのです。このときに人々が驚いたり、戸惑ったりしたのは、そういう意味で重要な出来事でした。このように驚いたり、戸惑ったりしますと、そのまま歩んでいくことを許さないからです。今までの歩みのペースが乱されます。それは必ずしも心地よいことではありませんが、ほんとうのものをつかむためには、時としてこのような不快なことだと思えることでも必要なことがあるのです。このときの「驚き」とか、「戸惑い」というのは、そういう意味で重要なものでした。伝道の第一歩と申しますか、人の幸福の第一歩は、ここから始まっていくのです。

 こうしたことを十分ご存知であられた神は、弟子たちを聖霊に満たし、外国語を語らせることによって、そこに集まっていた人たちに驚きと戸惑いを抱かせました。しかし、彼らはただ単に驚いたり、戸惑ったりしたのではありません。11節をみると、ここに「あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」とあります。彼らはただ外国語を話していたのではなく、その外国語で、神を証していました。その証にしるしが伴ったのです。これはペンテコステの時にだけ起こった特別な経験であって、今日、私たちが、同じようなことを試みる必要はありません。そこに記されてあることの意味というか、原則が大切だからです。そして、その原則というのは、聖霊に満たされると私たちは力をいただいて、現代の人々を驚かせ、当惑させるほどの不思議なことをされるということです。

 アメリカのカルバリー・チャペル牧師のチャック・スミスが、「収穫の時代」という本を書いています。それはその教会がどのように歩んで来たかがまとめられたものです。そてし、それをみると、神様が用いられた人というのは決して一流の大学を優秀な成績で卒業した人とか、博士課程に進むようなトップクラスの人たちだけではないことがわかります。ちょっと前までヒッピーのような生活をしていた人でも、救われて聖書を学び、神様に従って生きているような人を用いられるのです。そういうことがわかるとき、人は驚き惑います。

 たとえば、中にラウル・リースという人について紹介されています。この人は後で映画にもなったほど有名ですが、奥さんと喧嘩をして、銃で殺そうとした人です。怒って部屋中を荒らし回っていたとき、たまたまついていたテレビを観たら、そこでチャック・スミスが説教していました。何だろうと思って聞き入っているうちに、聖霊が彼をとらえました。彼は悔い改めて主イエス様を信じました。そして、聖書学んで牧師にもなりました。やがてウエストコビナと町にあるスーパーマーケットを購入して立派な教会を作りましたが、すぐに一杯になってまた新しい教会を作りました。これは驚きです。夫婦ゲンカして奥さんを殺そうとしていた人が牧師なって、こんなに大きな教会を作ったのです。それはまさに神業でしょう。聖霊の働き以外の何ものでもありません。

 またマイク・マッキントッシュという人はピストルで自殺を図った人ですが、そのピストルの玉が、たまたま急所から外れて死ねませんでした。ところが脳がやられてしまったので、それから何年も精神病院に入れられていたのです。しかし、主のあわれみによって救われ、毎日チャック・スミスの語るメッセージを聞くようになりました。すると不思議なことに、変になったはずの脳が完全にいやされたのです。後に彼は牧師になりましたが、アメリカでも最も用いられる牧師になりました。サンディエゴにある最大の映画館を借り切って礼拝をしてたかと思ったらすぐに入りきれなくなり、公立の中学校をグランドごと借り切って礼拝するようになりました。
 驚きです。いったい何がこんなことをもたらしたのでしょうか。聖霊です。聖霊が彼らのうちに臨んだので、彼らを力を受けたのです。そして、大胆に福音を語ることができるようになりました。
 この教会の牧師であるチャック・スミスは、最初17人の小さな教会の牧師でした。あまりにも小さいので、もう牧師も辞めようかと思ったほどです。しかし、神様はそんな彼を用いて偉大な働きをしてくださいました。彼は、自分の働きを振り返って次のように言っています。
「100万年たっても、こんな大収穫が私に訪れることはないと思っていました。しかし、神様の方法は、私たちの方法とは違うことを感謝します。私たちが夢を見るよりもはるかにすごいことを、私たちを通して成し遂げることができるのです。」

 これが神様の御業です。聖霊が私たちの上に臨まれるとき、私たちは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまにまで、キリストの証人となるのです。そのとき、私たちが想像している以上のすばらしいことを主はしてくださるのです。ヘンリー・ナーウェンは次のように言いました。

「キリストの聖霊が助けてくださるのでなければ私たちは祈ることはできません。キリストの聖霊が私たちにこの世のものでない平和と喜びを満たして下さるのでなければ、私たちは、平和と喜びを創りだすことはできません。私たちは、人種、性別や国々を分けている多くの障壁を打ち破ることは出来ません。キリストの聖霊のみがすべてを包み込む神の愛において、すべての民を一致へと導きたまいます。キリストの聖霊こそは、私たちの恐怖や不安を焼き払い、私たちを自由にして、行くべきところに送りたまいます。これこそがぺンテコステの偉大な解放なのです。」

 私たちが求めていかなければならないことはこれです。聖霊に満たされ、聖霊に助けられながら、この愛と平和と喜びの福音をこの世に伝えていくことです。そのとき聖霊が偉大なことを成し遂げてくださるでしょう。捕らわれている人が解放され、虐げられていた人々が自由にされ、病で苦しんでいた人にいやしがもたらされるのです。これがペンテコステの約束なのです。

 最後に一つのお話をして終わりたいと思います。テキサス州にエーツプールという有名な油田があります。1930年代、エーツという人が牧場を営んでいましたが、借金に追われていました。そしてついに借金を返せなくなり、牧場を手放さなければならないほどになりました。国からの生活保護を受けるようになり、どうにかその日暮らしをしていました。
 ところがある日、石油会社からの地質観測団が、どうやら彼の牧場に石油が埋まっているようだと調査を申し出ました。エーツは何もあてにせず、契約したのですが、驚くべきことが起こりました。何と石油が吹き出てきたのです。1日に8万バーベル、金額にすると250万ドル、約30億円ぐらいになります。一日にですよ。そして、石油会社の推定では、およそ30年間石油が出続けるだろうということでした。エーツはとてつもない大金持ちになりました。彼は石油の湖の上に住んでいながら、貧しく暮らしていたのです。彼の問題は、自分の土地の下に石油が埋まっていることを知らなかったことです。私たちクリスチャンも同じです。私たちの中にはとてつもない力を持っておられる聖霊がおられるのに、それを知らないために、毎日毎日、つらく苦しく生きているのです。しかし、私たちの中におられる御霊により頼むなら、勝利の日々を送ることができるのです。また、まだこの御霊を受けておられない方は、罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として心に信じて受け入れるなら、賜物として受けることができるのです。

 何というすばらしい約束でしょう。それがペンテコステにおいて現実のこととなったのです。私たちはこの御霊の満たしを求めて、御霊の力、神の力をいただき、キリストのすばらしい福音を宣べ伝えていきたいと思います。 

使徒の働き1章15~26節 「ヨセフか、それともマッテヤか」

 きょうは、「ヨセフか、それともマッテヤか」というタイトルでお話したいと思います。23節を見ますと、「そこで彼らは、バルサバと呼ばれる別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた」とあります。イスカリオテのユダに代わる新しい使徒としてだれが、どのようにして選ばれていったのかということです。イエス様が昇天し、聖霊が降臨するまでの十日間の間に、教会がしなければならない第一のことは祈りに専念することでした。父が約束してくだった聖霊を待ち望むために、彼らは心を合わせて祈ったのです。しかし、それだけではありませんでした。ここにはその間に彼らはもう一つのことをしたことが記録されています。それが使徒を補充するということでした。

 このルカの福音書では6:12からのところで、イエス様は12人の使徒たちを選ばれたことが書かれてあります。「使徒」とはギリシャ語で「アポストロス」い言いますが、意味は「遣わされる者」とか、「使節」、「大使」という意味があります。エペソ2:20をみると、「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスがその礎石です。」とあります。イエス様はこの12人の使徒たちによって新しいイスラエルであるご自身の教会を建て上げようとされました。ですから、これらの使徒たちが選ばれるということは極めて重要なことでした。そのためにイエス様は夜を徹して祈られたほどです。そのようにして選ばれた12人の使徒たちのうち、イスカリオテのユダが脱落してしまった。なぜなのかわかりません。イエス様の選択が間違っていたからではありません。ただ言えることは、それが神様のみこころであったということです。ユダが裏切ったことによってイエス様が十字架につけられ、全人類のための救いの道が開かれていったのですから。しかし、今申し上げたように、この12人の使徒たちは新しいイスラエルである教会の土台となる人たちです。ですから、これらの中から1一でもかけるようなことがあると大変なことになるのです。そこで、新しい使徒が選ばれる必要がありました。いったい彼らはどのようにして新しい使徒を選んでいったのでしょうか。

 きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一に、その理由です。なぜ新しい使徒が選ばれなければならなかったのでしょうか。第二のことは、その資格です。どのような人が使徒としてふさわしい人だったのでしょうか。第三に、その方法です。ではその人はどのようにして選ばれていったのかということについてです。

 Ⅰ.使徒補充の理由

まず第一に、なぜ新しい使徒が選ばれなければならなかったのかということについて見たいと思います。15~20節までをご覧ください。15節には、「そのころ、120名ほどの兄弟たちが集まっていた」とあります。この「そのころ」というのは、6:1や11:27にも出てくる言葉で、使徒の働きの中では大きな区切りを示す言葉になっています。ですから、この出来事は14節までの祈祷会のときの出来事とは別の出来事を記しているわけです。とは言っても、イエス様が天に昇って行かれ、もう間もなく約束の聖霊様が降られる間の10日間の出来事であったのは間違いありません。その間に教会は、大切なもう一つのことをしておかなければなりませんでした。それは、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダに代わる新しい使徒を選ぶということでした。ルカは、14節までの祈祷会とは別に、教会がわざわざ新しい使徒を選んで教会の組織を充実していこうとしていたことを記しています。いったいなぜ弟子たちはこんなことをしたのでしょうか。別に1人くらい欠けたっていいじゃすか。ユダがいなくなったとしても残りの11人で何とかなったのではないですか。なぜわざわざこんなことをする必要があったのでしょうか。それはペテロの次の言葉から明らかとなります。16節です。

 「兄弟たち。イエスを捕らえた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊が
 ダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就しなければならなかっ
 たのです。」

ここでペテロが言ってることは、あのユダがイエス様を裏切ったことは決して偶然のことではなく、聖霊がダビデの口を通してあらかじめ預言されていたことであって、それが成就したのだということです。その預言とは20節に書いてあ詩篇の言葉です。一つは詩篇69:25の「彼らの陣営を荒れ果てさせ、彼らの宿営にはだれも住む者がないようにしてください。」という言葉であり、もう一つは、詩篇109:8の「彼の日はわずかとなり、彼の仕事は他人が取り」という言葉です。この二つの言葉はともに、ダビデが身内の者に裏切られ敵をのろったことばでしたが、それが、ダビデの子であられるイエス・キリストの体験を預言的に歌っていたとペテロは考えたのです。事実、この二つの言葉は他の福音書にも引用されていて、イエス・キリストの受難の歌として初代教会では衆知のものでした。復活の主イエス様は、「わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就する」(ルカ24:44)と言われましたが、その詩篇の中にこの二つのみことばもまた含まれていたわけです。それがこのような形で成就したのです。そして、特に詩篇109篇の方では「その職は、ほかの人に取らせよ」とありますから、ここにユダに代わる新しい使徒を立てる必要があったのです。
 つまり、初代教会がここでユダの代わりにわざわざ新しい使徒を立てたのは、ペテロの個人的な考えや意見ではなく、あるいは、教会の便宜的な都合からではなく、旧約聖書のみことばに照らし合わせて判断した結果から出たことだったのです。

 このことは現代の私たちにとっても重要なことではないでしょうか。大切なことは私たちがどう思うかではなく、聖書は何と言っているかです。そして、私たちのすべての行動と決定はこれを基準にして求めていくべきです。なぜなら、聖書は、いつまでも変わることのない神のことばだからです。いつの時代においても、私たちが取るべき基本的な態度は、この変わることがない聖書は何と言ってるかであり、そこに記されてあることは必ず実現すると信じて従っていくことなのです。

 Ⅱ.使徒の資格

では、いったいどのような人が使徒としてふさわしい人なのでしょうか。次に、使徒としてふさわしい人の条件、あるいは資格です。21,22節をご覧ください。

 「ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、すなわち、ヨハ
 ネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天にあげられた日までの間、
 いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとと
 もにイエスの復活の証人とならなければなりません。」

 ペテロは、ユダに代わる新しい使徒が選ばれるにあたり、ここで二つの条件をあげています。一つは、イエス様がこの地上で生活をしておられた時、いつも自分たちと一緒に行動をともにした人であるということ、そしてもう一つのことは、イエスの復活の目撃者であるということです。それは、使徒としての務めがどういうものであるかがわかれば当然のことだと言えるでしょう。ここには「イエスの復活の証人とならなければなりません」とあります。「証人」とは事実を証明する人のことです。そのためには、イエス様がこの地上におられた時からイエス様と行動をともにし、その教えとみわざというものにつぶさに触れながらイエス様と親しく交わり、その恵みを知っている人でなければなりませんでした。また、それはイエスの復活の証人ですから、イエス様の復活を目撃して、自分の体験として知っている人でなければなりませんでした。使徒としてふさわしい人とはそういう人でした。

 イエス様は、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤ、および地の果てまで、わたしの証人となります。」と言われました。私たちにはみな、キリストの証人としての使命が与えられています。いったいどうしたらその使命を果たしていくことができるのでしょうか。聖霊に満たされ、聖霊の力を受けることによってです。そのためには、日々、イエス様と共にいてイエス様と交わり、イエス様と共に歩まなければなりません。そして、イエス様が十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえることによって、その名を信じる者に罪の赦しと永遠のいのちが与えられているということを確信しなければなりません。いわゆる、救いの確信です。私たちがイエス様によって救いを確信しているなら、聖霊に満たされ、大胆にキリストの証人となることができるのです。

 ここに出てきた二人の候補者をはじめ、イエス様によって先に選ばれた弟子たちのリストをみると、そのだれもが必ずしもこの世的にみて立派な人たちではありませんでした。彼らは無学の普通の人でした。しかし、ただ一つの点だけでは共通しいました。それは何でしょうか。4:13を見てください。

 「彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、またふたりが無学な普通の人である
 のを知って驚いていたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということが
 わかって来た。」 

彼らがイエスとともにいたということです。彼らは無学で普通の人ででした。特別な身分や能力、賜物があったわけではなかったのです。そんな彼らが用いられていったのは、それはイエスとともにいたからだったのです。

 それは私たちも同じです。私たちも何の取り柄も力もない普通の人です。いや、普通以下かもしれない。しかし、私たちがどのような者であるかなんて全然関係ないのです。大切なのは、このちっぽけな私が誰といっしょにいるか、誰と歩んでいるかということです。イエスとともにいて、イエスと交わり、イエスの恵みにあずかっていたら、私たちは何も恐れる必要はありません。主が用いてくださる人とはそういう人たちなのです。

 Ⅲ.使徒補充の方法

 最後に、ではどのようにして使徒が選ばれていったかを見たいと思います。使徒になるべき条件にかなう人物としてあげられたのはバルサバと呼ばれる別名をユストというヨセフと、マッテヤのふたりだけでしたが、このふたりの中から最終的にどちらかを選ぶに当たり、彼らはいったい何をしたのでしょうか。彼らは、そこで協議をしたり、選挙をしたりはしませんでした。彼らがしたことは二つのことです。一つは祈ることであり、もう一つはくじです。24節をご覧ください。

 「そしてこう祈った。すべての人の心を知っておられる主よ。この務めと使
 徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちにどちらをお選びになる
 か、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きました
 から。」

彼らはいつでも、ここ一番という時には祈りました。そうでなくても事あるごとに、主の導きと助けを求めて祈っているのです。なぜでしょうか。なぜなら、主はすべての人の心を知っておられ、最善に導いてくださる方であると信じていたからです。ですから、そのように祈ったのです。

私たちは多くの点で失敗をしてしまうものですが、その主な原因は三つあります。一つは道がわからないということ、もう一つは真理がわからないこと。そして三つ目がいのちがないことです。形はあっても中身がなかったり、姿はあってもいのちがないのです。祈らないからです。ただ形だけで進んでしまう。何とも無味乾燥な歩みをしてしまうのです。いったいどこに向かって、何ためにやっているかも考えないで、ただ走り続けているのです。ある人は、「道を見失っている時に限って猛烈なスピードで突き進んでしまうのが、人間の悲しい性分である」と言いました。

 第二次世界大戦中のことです。ひとりのパイロットが太平洋上空に飛び立ちました。彼が無線で連絡を入れると、管制官がこう尋ねました。「いったい君はどこを飛んでいるんだ?」。するとパイロットは答えました。「わかりません。けれども、最高速度の記録を塗り替えました!」。多くの人々がこれと同じようなことをしています。行き先がわからないまま、猛烈なスピードで人生を駆け抜けようとしているのです。しかし、神様はこのように言われます。「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)。私たちは、イエス様がそうであられたように、毎朝神様の前に静まることから一日を始め、事あるごとに立ち止まって祈り、神様のみこころを求めていくことが大切です。

 このように祈っていくと、どのようなことが起こるでしょうか。26節をご覧ください。「そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は11人の使徒たちに加えられた。」とあります。おもしろいですね。彼らは主のみこころを求めて祈ったかと思ったら、くじを引いて、どっちがふさわしいかを決めているのです。この重大な務めにふさわしい人を選ぶのをくじ引きで決めるなんて、今日的に見たらずいぶんずさんなやり方のように思われないこともありません。しかし、この時はこれしかなかったのです。というのは、イエス様が地上におられ、イエス様に直接聞くことができたなら、その言葉によって正しく判断することもできたでしょうし、また、イエス様の代わりに約束の聖霊が来られたならば、その聖霊の導きにより頼んで、選ぶということもできでしょう。けれども、この時はイエス様が昇天し、聖霊もまだ降っていなかった十日間の出来事でした。ですから、彼らがみこころを知る方法はただ一つ、旧約時代から行われていたくじ引きで決めるということしかなかったのです。箴言16章33節に「くじは、ひざに投げられるが、そのすべての決定は、主から来る」というみことばがありますが、彼らはその信仰によって、くじをひいたのです。しかし、キリスト教会でくじ引きが行われたという聖書の記録はここだけです。聖霊が降ってからはくじをひいて決める必要はなくなりました。神様が与えてくださった聖書を基準に、聖霊によって祈るとき、神様は確かな保証として深い平安を与えてくださり、何がみこころなのかを悟ることができるようになったからです。しかし、この時は特別の時でした。このような方法によっても主は答えてくださり、ご自身のみこころを示してくださったのです。

 なぜそれが神様のみこころであったと言えるのかというと、ここでだれが選ばれているのかをみるとわかります。選ばれたのはマッテヤでした。この結果をみると、中には「ちょっとマッテヤ」と思われる方もいるかもしれません。というのは、ヨセフと比べたらこのマッテヤの方はあまり人気がなかったように見えるからです。23節を見ると、ヨセフにはいろいろな肩書きが付いています。まず「バルサバ」です。彼には「バルサバ」というあだなが付いていました。「バルサバ」とは「安息の子」という意味です。彼はよほどきちょうめんに安息日の礼拝と律法の教えを守っていたのでしょう。あるいは「誓いの子」という意味もあるそうですが、それほどに義理堅い人物だったに違いありません。また、彼は別名を「ユスト」と言われていました。これは「正直者」とか「正義感の強い人」という意味です。それだけ人々からの人望も厚かったと言えるでしょう。ところが、すべての人の心を知っておられる主のくじは、マッテヤに落とされたのです。ヨセフにしても、マッテヤにしても、甲乙つけがたい人物だったに違いありません。いっそのこと二人とも使徒にして、使徒を13人にした方がよかったかもしれません。しかし、それは主のみこころではありませんでした。どちらか一方だけが使徒として選ばれるのにふさわしい人物だったのです。そして間的に見たらヨセフのほうがはるかにそれにふさわしい人物であるかのように見えたでしょうが、神様のみこころはマッテヤだったのです。最初のうちはどうしてマッテヤなのかと思った人も多かったでしょう。しかし、次第に「ああ、やっぱりマッテヤだったんだ」という確信がもたらされていったことでしょう。このように、すべての人の心を知っておられる主の前に祈るとき、主は、最善に導いてくださるのです。私たちの教会も別に役員を選ぶという時だけでなく、事あるごとに「すべての人の心を知っておられる主」の前に祈ることが大切です。そのとき主は、私たちの思いをはるかに超えて、みこころにかなった道を示してくださるのです。

 ある人は、ここでマッテヤが選ばれたのは誤りであったという人がいます。その後彼のことが聖書には全く出てこないからです。確かにマッテヤの名前はその後全然出て来ませんが、出てこないからといってそれが誤りであったということにはなりません。というのは、マッテヤだけでなく、他の使徒たちについてもほとんど出て来ていないからです。だいたいルカは、はじめから12使徒すべての働きをここに記そうしたのではなく、使徒1:8のみことばに従って福音がどのように全世界に広がって行ったのかを中心に書き記そうとしていたのです。ですから、どうしてもペテロやパウロにスポットが当てられる形で描いているのです。だからといってマッテヤが何もしなかったとか、彼が選ばれたのは誤りであった考えることは、正しいことではありません。マッテヤは主のみこころによって選ばれ、使徒として立てられ、その働きを十分にしていったはずです。何よりも、彼がすべての人の心を知っておられる主のみ前に、選ばれていったということが何よりも大きなしるしではないでしょうか。

 要するに、誰がどのように選ばれるのかとか、何をどのようにしていくのかということよりも、その心がどこにあるのかが問われていたのです。すなわち、すべての人の心を知っておられる主の前に、私たちの心がどうなのかということです。もし、私たちの心が神様の前にひざまずき、神様のみこころを求めて祈っていくのなら、神様は私たちが進むべき正しい道を示してくださるのです。神様はかつてイスラエルを荒野で導かれたときに昼は雲の柱、夜は火の柱によって導かれましたが、現代において神様は約束のみことばである聖書と聖霊を通して導いておられるのです。私たちはそのような尊い神様の導きを確信するために祈らなければなりません。そのとき神様は私たちの心に深い平安を与えてくださるでしょう。それが神様の導かれる方法なのです。私たちは神様が示してくださった方法によってみこころを求め、それに従いながら、一歩一歩前進していきたいと思います。

使徒の働き1章1~14節 「キリストの証人となるために」

 いよいよ今日から那須での第一回目の礼拝が始まりました。きょうはその記念すべき最初の礼拝ですが、この使徒の働きから「キリストの証人となるために」というタイトルでお話をしたいと思います。今読んでいただいた使徒の働き1章には、教会が誕生するにあたってどのような準備がなされていたのかが記されてあります。2章にはペンテコステの出来事が記されてありまして、聖霊が降ることによって教会が誕生するわけですが、その前のこの1章を見ると、そのためにどんな準備がなされていたのかを知ることができます。

 何事をするにも準備は大切です。大きな働きをしようとする場合はなおさらです。今日から始まったこの那須での働きのためにも、1年以上にわたる準備の時がありました。どこでやるのか、どういうふうに進めていくのか、そのために何が必要なのかを話し合うために、毎月、那須準備祈祷会という祈り会をもって進めてきました。そして、この6月からスタートすることが決まると、今度はその準備に着手しました。その中でTBCの方々の協力もあって、チラシを作成していただき、また、昨日のゴスペルコンサートも開いていただきました。本当に感謝です。それにしても、このためにどれだけの準備が必要であったかと思います。まして今から二千年ほど前の紀元30年の当時、この地上に最初の教会を生み出し、ましてや世界に向けての福音宣教の火ぶたが切られようという歴史的な瞬間の時には、どれほどの準備が必要であったかと思うのです。よく段取り八分と言われますが、それだけの大事業のために、神様はどのような準備をされたのでしょうか。その最大の準備は、その福音を宣教していく人を整えることでした。キリストの証人とするために、彼らを聖霊で満たし、聖霊の力を与えることでした。

 きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、待つということです。彼らは宣教に遣わされる前に、父が約束してくださった聖霊に満たされるのを待たなければなりませんでした。第二のことは、その理由です。なぜ聖霊に満たされるのを待たなければならなかったのでしょうか。なぜなら、キリストの証人としてその働きを担っていくためには力が必要だったからです。そして、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたき力を受けるのです。ですから第三のことは、祈りなさいということです。どうしたら聖霊に満たされるのでしょうか。祈りによってです。心を合わせ、一つになって祈るとき、神様は聖霊を注いでくださいます。その聖霊に満たされるとき私たちは力を受け、キリストの証人としての使命を果たしていくことができるのです。

 Ⅰ.父の約束を待ちなさい

 まず第一のことは、父の約束を待ちなさいということについて見てみましょう。1節と2節を見てください。

 「テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべての
 ことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天
 に上げられた日のことにまで及びました。」

この使徒の働きは、「テオピロよ」という書き出しで始まっています。「テオピロ」というのは「神に愛された者」とか、「神の友」という意味ですが、その名のごとく、ローマの役人でありながらキリストの教えを求めてきた求道者の一人でした。そのテオピロに宛ててこの書が書かれたのです。書いたのは誰でしょうか。ここには「私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き」とあります。前にテオピロに書いた人といったらルカです。ルカの福音書1章1~4節のところを見るとわかりますが、ルカはイエス様がなされた行いや教えられたことについて、それまでも多くの人が記事にまとめていましたが、あくまでもそれらがユダヤ人に向けて書かれたものだったので、異邦人であったテオピロが理解するためにはもう少し順序よく説明する必要があると思って、ルカの福音書を書いたのです。一人の人のためにわざわざ書くのも大変だったかと思いますが、そんな彼の労苦が報われてこのテオピロはクリスチャンになりました。そのルカがテオピロに宛ててもう一冊の本を書いて贈呈したのです。それがこの使徒の働きです。つまりこの使徒の働きはルカの福音書の続編である
わけです。いったいルカはなぜ前の書の続編であるこの使徒の働きを書いたのでしょうか。二つの理由があったと思います。

 一つのことは、ここに「イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました」とありますが、じゃ、その後どうなったのか、その後のことについてルカは伝えたかったのです。すなわち、イエス様のみわざはそれで完結したのではなく、なおも継続していることを示したかったということです。ルカが書いた前の書は、イエス様の行いと教えの「始まり」にすぎず、それはこの後もさらに継続し発展しているのです。そのことを伝えたかったのです。

 第二の理由は、そのようにイエス様によって行い始め、教え始められた福音の進展にあたって、その基礎となっているのは何なのかということを、彼はもう一度ここで書き留めておきたかったのではないかということです。つまり、それはイエス・キリストの十字架と復活、そして昇天といった神がすでに成し遂げてくださったことであるということです。それが土台となってこの宣教が成されているという事実です。それは3節のところに、「イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きておられることを使徒たちに示された。」と繰り返して記されてあることからもわかります。これは何のことかというと、十字架と復活のことです。ルカがこの書の書き出しのところでこのことに言及したのは、これがなかったら何も始まらないということを知っていたからです。ということはどういうことかと言いますと、私たちの宣教における最大の準備は、すでに神様の方でしてくださったということです。私たちは、ただそれを伝えて行くだけにすぎないのです。

 では、私たちは何もしなくてもいいのでしょうか。そうではありません。物事にはいつも二面性があります。たとえば、私たちの救いについて考えてもわかりますが、私たちの救いは一方的な神様の恵みなのです。行いによるのではありません。ただ神様がイエス・キリストをこの世に送り、私たちの代わりに罪として十字架にかかって死んでくださることによって成し遂げてくださいました。しかし、それだけでは救われないのです。その神様の恵みに対して、信仰をもって応答する、すなわち、それを受け入れるということによって自分のものになるわけです。私たちにゆだねられた福音宣教も同じです。そのわざは神様がすでにイエス様によって成し遂げてくださいました。しかし、私たちはそのみわざに対して応答していくということが求められます。どのように応答していったらいいのでしょうか。4節と5節をご覧ください。

 「彼らはいっしょにいるとき、イエスは彼らにこう言われた。『エルサレム
 を離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプ
 テスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受ける
 からです。』」

イエス様はかつて、十字架にかかられる前の晩に弟子たちに次のように言われました。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は真理の御霊です。」(ヨハネ14:6,7)この「もうひとりの助け主」こそ、このところで言われている「わたしから聞いた父の約束」のことです。昇天していなくなられるイエス様の代わりに、いつまでも私たちとともにいてくださる聖霊のことです。そして、彼が前の書で書いたことはイエスの行いと教えの「始まり」にすぎませんでしたが、そのようにして始められたみわざは、この「もうひとりの助け主」であられる聖霊に満たされた人によって成し遂げられていくです。そのためにはイエス様の昇天を待たなければなりませんでした。そして、聖霊が臨まれるのを待たなければならなかったのです。

 聖霊の臨むということについては、聖書全体を見ますと、これまでもなかったわけではありません。たとえば、復活されたイエス様は、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言われました(ヨハネ20:22)。また、旧約聖書を見ても、聖霊が人に臨んだという記事がいくつか見られます。たとえば、士師記3章10節には、「主の霊が彼(オテニエル)の上にあった」とありますし、同じ士師記6章34節にも「主の霊がギデオンをおおった」とあります。ですから、これまでも聖霊が人々に臨むということはあったのです。にもかかわらず、イエス様がここで「父の約束を待ちなさい」と言われたのは、そうした特殊な人物に対する特殊なケースとして一時的にもたらされるような聖霊の働きとは違った意味での聖霊の臨在のことでした。つまり、それは待ち望むすべての人に与えられるものであり、しかもそれは一時的なものではなく、ずっととどまり続け、働き続けてくださるところの神の力としての聖霊のことだったのです。そのような人が集められた群れが「教会」です。神様は、かつてイエス様によって行い始め、教え始められたみわざを、この聖霊に満たされた人々の集まりであり、キリストのからだである「教会」を通して成し遂げようとしておられたのです。

 その記録がこの「使徒の働き」です。ですから、ある人はこれは「使徒の働き」ではなく「聖霊の働き」なんだから、「聖霊行伝」にした方がいいのではないかという人もいます。キャンベル・モルガンという有名な註解者は、「これは、生けるキリストが、そのからだなる教会を通し、聖霊によって継続される行いと教えの書」と題すべきだと主張しましたが、それではちょっと長いのではないかと思います。やはり「聖霊の働き」というのがその内容に一番ピッタリくるのではないかと思います。

 タイトルや題はともかく、この神様のみわざが聖霊を受け、聖霊に満たされた人によって成し遂げられていくものであるとしたら、それを担っていこうとしている人たちに求められていることはどんなことなのでしょうか。そうです。この聖霊に満たされることを待ち望むことです。イエス様がここで命じられたように、「エルサレムも離れないで、わたしから聞いた父の約束を待」たなければならないのです。待つということは、ある時が来るまでじっとしていることです。それは楽なようですが、意外と大変なことです。私のように体育系の人間にとっては、待つことは苦手で、それよりは動き回っていた方がたやすいことがあります。たとえば、誰かと待ち合わせをしていて時間になっても来なかったりすると、私はイライラしてだめなのです。待つということは簡単なようですが、意外と難しいことなのです。それはこの時の弟子たちも同じだったでしょう。復活したイエス様に出会った彼らとしては、とてもじっとなどしていられなかったでしょう。できるだけ早く伝えたかったと思います。しかし、イエス様はそんなはやる気持ちを抑えながら、ご自身のみわざを継続していくための母体とも言える教会の誕生のために、待つようにと言われたのです。むしろ動いてはいけないのです。なぜなら、聖霊を受けずして働く人間の力は当てにならないし、また決して長続きはしないからです。

 たとえば、ペテロのことを考えてもそうでしょう。彼は、最後の晩餐の席で、「たとい、ご一緒に死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決してもうしません」と豪語したにもかかわらず、その舌の根が乾かないうちに、ものの見事にイエス様を裏切ってしまいました。鶏の鳴く声を耳にした彼は「出て行って、激しく泣いた」のです。それは彼にとっても心外なことであったでしょうし、自分が信じられなかったと思います。しかし、人間の力や勢いというものはそんなものなのです。そのような経験を通して彼は、人間的なものがいかに頼りないものであるかということを、いやというほど知らされました。だからこそ主は、そのような失敗を二度と繰り返さないために、そして宣教の使命を果たすためにも、エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい、と言われたのです。

 Ⅱ.聖霊があなたがたの上に臨まれるとき

 第二のことは、その理由です。なぜ聖霊を待たなければならなかったのでしょうか。それは今申し上げたとおり、この福音宣教のわざは人間によって成し遂げられるものではなく、聖霊によって成し遂げられていくものだからです。8節をご覧ください。

 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けま
 す。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤ、および地の果てにまで、わた
 しの証人となります。」

 これが聖霊によって成し遂げられていくものだから、父が約束してくだった聖霊を待ちなさいというと、弟子たちはイエス様にこう尋ねました。6節です。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」どういうことでしょう。彼らは、イエス様が言ってることを正しく理解することができませんでした。イエス様がこの地上に神の国を再興してくれるものと思ったのです。というのは、当時、彼らはローマ帝国に支配されていましたから、彼らが考えていたメシヤというのは、その支配から解放し、メシヤを中心とする新しい国を樹立してくださる方だと思っていたからです。そんな彼らに対してイエス様は、彼らが考えていることの是非を論じたりしないで、彼らが進むべき新しい方向を示されたのです。それが、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤ、および地の果てにまで、わたしの証人となります」ということでした。

 イエス様はここで弟子たちに、「あなたがたは、わたしの証人となります」と言われました。皆さん、「証人」とは何でしょうか。証人とは事実を証言する人のことです。この事実ほど説得力のあるものはありません。たとえば、この後4章のところで、ペテロとヨハネが「美しの門」と呼ばれるところで生まれつきの足なえをいやしたことでユダヤ教の指導者たちから尋問を受けている様子が記されてありますが、ペテロは、大胆にも民の長老たちに「この人が直って、あなたがたの目の前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせてくださったナザレ人イエス・キリストの御名によるのです」(4:10)と言いました。無学な、普通の人であったペテロとヨハネがこんなにも大胆になれたのはどうしてでしょうか。それは彼らが、イエス・キリストの十字架と復活の目撃者だったからです。それを体験した証人だったのです。しかし、彼らはただの目撃者、体験者ではありませんでした。彼らは聖霊に満たされた証人でした。聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けるのです。この「力」という言葉は、ダイナマイトの語源になった「デュナミス」という言葉です。周りにあるものを粉々に破壊するほどの力です。かつてイエス様の弟子たちは、イエス様が十字架につけられた後、いつ当局者たちに捕まるかと脅えてはびくびく震えていましたが、この後に登場する彼らはそうではありませんでした。本当に大胆でした。なぜですか?聖霊が彼らの上に臨んだからです。あのペンテコステにおいて聖霊が臨んだので、力を受けたのです。もともとは無学で、普通の人であった彼らが、神の器に変えられたのです。

 クライスト・フォー・オール・ネーションズの創設者で、代表のライハルト・ボンケは、アフリカの宣教師として仕えた方ですが、かつてはいつもブルブル震えていたような少年だったそうです。5人兄弟の5番目として生まれてきた彼は、学校の成績も最低でした。そんな彼が10歳の時にイエス様に出会い、11歳の時に、突然聖霊から「あなたは、いつかアフリカで福音を語るようになる」と語られたので、それを伝道者であった父親に報告したところ、父親は何と言ったと思いますか。父親は「それはマーチンだ。マーチンは頭もよく成績もいいから、彼が私の後継者だ」と言いました。ところが、その兄のマーチンは今でも救われていないのです。神様が引き出されたのは、この出来の悪いボンケでした。彼は全く何もできない少年でしたが、イエス様が呼んでくださったとき、自分から前に来ました。そして「あなたはわたしの証人である」と言われたのです。彼の価値がゼロであっても、神様は彼に聖霊を注がれて価値あるものとし、尊い器として用いられたのです。
 そんな彼が神学校を卒業して遣わされたのが、アフリカのレソトという人口100万人ほどの小さな国でした。彼はそこで説教し、説教し、説教するのですが全然救われないのです。これでは5千年かかってもアフリカ中に福音を語ることはできないと失望していたとき、一つの夢を見ました。そこにはアフリカ大陸があり、その全土がイエス様の血によって洗われているのです。そして「アフリカが救われる」という声を聞くのです。すばらしい夢でしたが、現実を考えたら、それは不可能なことでした。しかし、あわれみ深い神様は、同じ夢を3日も見せてくださいました。それで彼はその国を出て、クルセードを始めました。
 彼は今まで一度もスタジアムで説教したことがなかったのに、大きなスタジアムを借りました。もう膝ががくがくしていました。しかし、100人くらいしか集まりませんでした。ところが、最初に来られた100人の方に聖霊が下りました。足が動かなかった人が動くようになり、目の見えない人が見えるようになったのです。そのため次の日からスタジアムが満員になりました。そして、彼は生まれて始めて体験したのです。何千人もの人たちが、救いを求めて、泣きながら前に走ってくるのを。また、神様が同時に、何千、何万という人々に聖霊を注がれるのを見たのです。
 神様は、終わりの日にすべての人にわたしの霊を注ぐと言われました。これが神様の処方箋です。それは、彼が特別な器だからではないのです。彼が聖霊に満たされたので変えられたのです。力ある神の器に変えられたのです。

 ところで、聖霊が臨むことによって与えられる力とは、どのような力なのでしょうか。それは言うまでもなく、キリストの証人となるための力です。パウロは「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」(Iコリント12:10)と言っています。「イエスは主です」と証させてくださるのが聖霊なのです。また、イエス様は「御霊はわたしの栄光を現します」(ヨハネ14:6)と言われました。聖霊による証は主の栄光のみを現すのです。ですから、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を説き明かす力などといった御霊の賜物が与えられているとしても、それはその人自身の力を誇示するためのものではなく、あくまでも主の栄光を現し、イエス様の証人としての任務を全うするものでなければならないのです。して、聖霊は必ずそれを成し遂げてくださいます。福音宣教の原動力は聖霊様ご自身だからです。私ちに必要なのは、この聖霊の力を受けることです。聖霊が私たちの上に臨まれるとき、私たちは力を受け、エルサレム、ユダヤとサマリヤ、および地の果てまだキリストの証人となることができるのです。

 Ⅲ.祈りに専念していた

 ではどのようにして聖霊を待ち望んだらいいのでしょうか。最後に、それは祈りによってであるということをお話して終わりたいと思います。12-14節までをご覧下さい。

 「そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエル
 サレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。彼らは町に入
 ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤ
 コブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤ
 コブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。この人たちは、婦人たち
 やイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、
 祈りに専念していた。」

イエス様は「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます」と言われると、彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられました。すると、白い衣を着た人がふたり彼らのそばに立って、このイエス様は、いまあなたがたが見たときと同じ有様で戻ってくると言いました。このことは、これから世界宣教に遣わされていく彼らにとってどれほど大きな励ましであったことでしょう。宣教には激しい戦いや困難が予測されるからです。その戦いに出で立つ時を目前にして、このイエスが再び帰って来られるという約束は、彼らにとっては希望となり、その働きの原動力になったに違いありません。

 そこで彼らはどうしたかというと、オリーブ山からエルサレムに戻り、泊まっていた屋上の間に上がりました。この屋上の間がどこであったのかはわかりませんが、原語にはこれに定冠詞がついていることから、おそらく、イエス様が弟子たちと最後の食事をされた所で、それ以来そこによく集まっていたのではないかと考えられています。それよりもおもしろいと思うことは、そこに集まっていた人たちです。そこにはユダを除いた11人の弟子たちの他に、ガリラヤからずっとつき従ってきた女たち、そしてイエス様の母マリヤもいました。そして注目すべきことは、イエス様の兄弟たちもいたことです。彼らは、イエス様が生きておられた時にはイエス様を主と信じてはいませんでした。父親は別として本当の兄弟なのに・・・。単なる兄貴くらいにしか考えていなかったのです。しかし今ではその弟たちも、イエス様を信じてここに集まっている。その中のヤコブなどは、後に手紙の中で自分のことを、主イエスの弟とは呼ばず、わざわざ「主イエス・キリストのしもべヤコブ」と呼んでいます。よっぽど自分たちの罪深さを自覚していたのでしょう。ルカはそうしたことをここに書いているというのは、あのイエス様の弟たちもイエス様を信じる者に変えられていたという事実をここに伝えたかったのでしょう。

 ところで、こうした人々は、いったい何のためにこの屋上の間に集まっていたのでしょうか。14節をみると、「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。」とあります。祈るために集まっていたのです。彼らは、そこで、今後の自分たちの身の振り方について協議したり、これからどうするかということについて話し合うために集まっていたのではありません。祈るために集まっていたのです。みな心を合わせて、祈りに専念していたのです。

 まず、それは信仰の祈りでした。11節を見ると、彼らは「ガリラヤの人たち」であったことがわかります。しかし、12節を見ると、彼らが帰ったのはガリラヤではありませんでした。エルサレムでした。本来なら、帰ると言ったらガリラヤへ帰るのが本当なはずです。なのに彼らが帰ったのはガリラヤではなくエルサレムでした。なぜでしょうか。なぜなら、主イエス様から「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい」と言われていたからです。彼らはその命令に従って、自分たちが帰るところはガリラヤではなく、エルサレムであることをわきまえていたのです。
 そこで彼らは、主が命じられたとおりに、父が約束を待ちました。待つということがどういうことなのかをも、彼らはちゃんと知っていました。「果報は寝て待て」ということわざがありますが、それ式にただ寝て待っていたのではありません。祈って待ち望んでいたのです。その祈りとは、もう間もなく、約束の聖霊が与えられるということを信じて待つ祈りでした。

 それから彼らの祈りは、一致した祈りでした。ここに「心を合わせ」とあります。心を合わせとは、みな同じ思い、同じ気持ちになることです。このことばは新約聖書では全部で11回遣われていますが、そのうちローマ15:6を除くと、ほかのすべてはこの使徒の働きにおいてしか使われていない言葉です。初代教会がどれほど心を合わせて祈っていたかがわかります。そして、このような祈りの後には、きまって教会が大きく発展しているのがわかります。

 そして彼らの祈りは真剣な祈りでした。ここには「祈りに専念していた」とあります。これは直訳すると、「祈りに打ち込んでいた」とか、「祈りに忙しかった」という意味です。祈りに忙しいなんて、何とすばらしいことでしょう。現代は忙しい時代です。牧師も信徒もみんな忙しく走り回っています。祈る暇がないほど忙しいのです。しかし、よく考えてみると、私たちがどんなに忙しく走り回ったとしても、だからといって多くの実を結ぶのかというとそうではないのです。本当に重要なことは、祈ることに打ち込む、祈りに専念することなのです。なぜ彼らはそれほどに祈りに専念することができたのでしょうか。それは、祈りこそ突破口を開く鍵であると信じていたからです。しかし、そのためにはかなりの忍耐も強いられました。「もう間もなく」とは言うものの、四、五日経っても何事も起こらない。一週間経っても別段代わったことがなければ、途中で止めてしまいたくもなったでしょう。しかし、それでも彼らは祈りに打ち込み、祈りに専念しました。そして祈り始めて十日後に、ついに約束の実現を見たのです。彼らが集まっていたところに、突然、激しい風が響きわたるかのように、聖霊が降られたのです。

 皆さん、聖霊が私たちの上に臨むとき、私たちは力を受け、キリストの証人としての使命を果たしていくことができます。いったいどのように私たちはこの聖霊を待ち望んだらいいのでしょうか。祈りによってです。心を合わせ、真剣に、また、信仰をもって祈るとき、神様がその祈りに答えてくださいます。これが教会の真の姿です。教会はみんながいいと思うことを、みんなの総意で行っていく団体ではありません。そうではなく、祈りによって神のみこころが何であるのかを知り、それを行っていく群れなのです。教会がどのように進み、今何が必要で、何をしなければならないのかを知るためには、祈らなければなりません。祈りが欠けた教会は、教会という名前は持っていたとしても、それは教会ではなく、単なるサークルにすぎなくなってしまいます。教会は、本来、神様のものであり、その神様のみこころを行っていくために、常に心を合わせて、祈ることが求められているのです。そのとき主は聖霊で満たしてくだり、キリストの証人としての務めを果たしていく力を与えてくださるのです。

 これから始まっていくこの那須のぞみ教会に神様が期待しておられることは、このことではないでしょうか。自分たちにできることといったらそんなに多はありません。大きなこともできないでしょう。しかし、祈ることはできるのです。

 デイビット・ジェレマイアーの書いた「生命力のあるクリスチャンの歩み」という本の中にこんな話があります。
 1829年2月26日、ブッテンハイムのバイエルンという小さな村に、レープ・シュトラウス(Loeb Strauss)という男の子が生まれました。青年になったレープは、リーヴァイ・ストラウスという名前に改名し、カリフォルニアに渡り、サンフランシスコで紡績会社を営みました。
 そんなある日、彼のもとに金を掘る仕事をしていた労働者がやって来て、自分のはいているズボンを見せながら「ちょっとこれ見てくれよ」と言いました。6か月前にこの店で買ったんだけど、今は穴だらけでまともな部分がないというのです。「ちょっと見せて」とよく見てみると本当にズボンは穴だらけでした。「どうしてこんなふうになったのかな」と尋ねると、その労働者はこう答えました「俺たちは一日中膝をついて座って仕事をしているからね。」するとリーバァイは、「じゃもっと丈夫な素材で作ってみたらどうだろう」と、テントで使うキャンバ地を切ってきて、それで即席でズボンを一つ作りました。それがリーバイス・ジーンズの始まりです。しばらくして西部全域の鉱夫たちは、みんなリーバイスジーンズをはくようになりました。
 このことからジェレマイアーは、今日のクリスチャンたちも当時の鉱夫たちのように、すり減ったジーンズをはくべきではないかと言いました。膝がすり減るほどに祈ることが必要だというのです。なぜなら、神の国の働きは、膝をついてする働きがほとんどだからです。

 ヘルマン・ホイベルズの「人生の秋に」という本の中に「最上のわざ」という題の詩がありますが、彼はその詩の中でこんなことを言っています。この世における最上のわざとは何か。それは祈ることではないか・・・と。年を老い、何もできないと思えるような人生の最期に、神様はいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだというのです。愛するすべての人のために、神の恵みを求めて祈ることができる。それこそ私たちの人生における最上のわざではないかと。
なぜなら、神はその祈りに答えてすばらしいことをしてくださるからです。

 私たちはこのことを神様からのおことばであると受けとめ、きょうから始まった那須での新しい働きのために心を合わせ、志を一つにして祈るものでありと思います。そして聖霊に満たされながら、キリストの証人としての使命を全うしていきたいと思います。