Ⅱサムエル記14章

 Ⅱサムエル記14章から学びます。

 Ⅰ.ヨアブの計画(1-17)

 1~17節をご覧ください。まず7節までをお読みします。「ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブサロムに向いていることを知った。ヨアブはテコアに人を遣わして、そこから知恵のある女を連れて来て、彼女に言った。「喪に服している者を装い、喪服を着て、身に油も塗らず、死んだ人のために長い間喪に服している女のようになって、王のもとに行き、王にこのように話してください。」ヨアブは彼女の口にことばを与えた。テコアの女は、王に話したとき、地にひれ伏して礼をして言った。「お救いください。王様。」王は彼女に言った。「いったい、どうしたのか。」彼女は答えた。「実はこの私はやもめで、夫は亡くなりました。このはしためには二人の息子がおりましたが、二人が野原でけんかをして、だれも二人を仲裁する者がいなかったので、一人が相手を打ち殺してしまいました。すると、お聞きください、親族全体がこのはしために詰め寄って、『兄弟を打った者を引き渡せ。彼が殺した兄弟のいのちのために、彼を殺し、この家の世継ぎも消し去ろう』と言います。残された私の一つの火種を消して、夫の名だけではなく、残りの者までも、この地に残さないようにするのです。」

「王の心がアブサロムに向いている」とは、前回見たように、アムノンが殺されたことで王がアブサロムに敵意を向けているということです。ヨアブはそのことを知り、テコアに人を遣わします。何のためかというと、ダビデとアブサロムの関係を修復するためです。でも、どうしてヨアブはダビデとアブサロムの関係を修復しようと思ったのでしょうか。実はこの「王の心がアブサロムに向いていることを知った」とは、ただ敵意をいだいていることを知ったということではなく、ダビデがアブサロムとの和解を願いつつも、それができずにジレンマに陥っていることを知って、ということです。新改訳2017や口語訳ではそのように訳しています。ヨアブはそのことを知り、事態を打開する案を考えたのです。それがテコアに人を遣わすことでした。

テコアは、ベツレヘムとヘブロンの間にある町です。そこから知恵のある女を連れて来て、彼女にこう言いました。「喪に服している者を装い、喪服を着て、身に油も塗らず、死んだ人のために長い間喪に服している女のようになって、王のもとに行き、王にこのように話してください。」(2-3)そして、彼女の口にことばを与えました。

当時のイスラエルでは、王が裁判官の役目も果たしていました。地方の裁判官が自分の懇願を聞き入れてくれないとき、王に直訴することができました。彼女の訴えの内容は、次のようなものでした。すなわち、自分は既に夫はなくなっているが、二人の息子が野原でけんかをし、一方が他方を殺してしまった。それで、親族の者が殺害した者を引き渡し、死刑にしなければならないというがいったいどうしたら良いかということです。そんなことをしたら残された自分の息子の火種が消え、家系までも残らなくなってしまいます。そのようなことがないようにしてほしいというのです。

それに対してダビデは何と言いましたか。8節から11節までをご覧ください。「王は女に言った。「家に帰りなさい。あなたのことで命令を出そう。」テコアの女は王に言った。「王様。刑罰は私と私の父の家に下り、王様と王位は罰を免れますように。」王は言った。「あなたに文句を言う者がいるなら、その人を、私のところに連れて来なさい。もう二度とあなたを煩わすことはなくなる。」彼女は言った。「どうか王様。あなたの神、主に心を留め、血の復讐をする者が殺すことを繰り返さず、私の息子を消し去らないようにしてください。」王は言った。「主は生きておられる。あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない。」」

ダビデは、このことで彼女の息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない、と宣言しました。もしこのことで文句を言う者がいるなら、その人を、自分のところに連れて来るように・・と。

テコアの女は、ダビデの口からこの言葉が出てくるのを待っていました。すなわち、「あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない」という言葉です。その言葉を元に彼女は、いよいよ本題に入ります。12~17節です。

「女は言った。「このはしために、一言、王様に申し上げさせてください。」王は言った。「言いなさい。」女は言った。「あなた様はどうして、神の民に対してこのようなことを計られたのですか。王様は、先のようなことを語って、ご自分を咎ある者としておられます。王様は追放された者を戻しておられません。私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることができない水のようなものです。しかし、神はいのちを取り去らず、追放されている者が追放されたままにならないように、ご計画を立ててくださいます。今、私が、このことを王様に話しに参りましたのも、人々が私を脅したからです。このはしためは、こう思いました。『王に申し上げよう。王は、このはしための願いをかなえてくださるかもしれない。王は聞き入れて、私と私の息子を神のゆずりの地から消し去ろうとする者の手から、このはしためをきっと助け出してくださるから。』このはしためは、『王様のことばは私の慰めとなるに違いない』と思いました。王様は、神の使いのように、善と悪を聞き分けられるからです。あなた様の神、主が、あなたとともにおられますように。」」

彼女の訴えは、もし殺人者の息子を赦すというなら、追放されたままになっているアブサロムも赦すべきではないかということでした。というのは、人のいのちは水のようなものだからです。ここに「私たちは地面にこぼれて、もう集めることができない水のようなものです」とは、このことです。人のいのちは、地面にこぼれ落ちたらもう集めることができない水のようにはかないものであるということです。遅らせると手遅れになってしまいます。取り返すことができなくなってしまいます。だから、手遅れになる前にアブサロムを赦すべきです。なぜなら、ダビデもそうでしたが、神はいのちを取り去らず、追放されている者が追放されたままにならないように計画しておられるからです。ダビデ王に神の使いのように、善と悪とを聞き分ける能力が備わっているので、きっとこのことを理解してくださるはずです。事実、ダビデ王は自分のためにあわれみの判断を下されました。自分は王の判断力を信じたので、王から慰めのことばを得るためにこうしてやって来たのですと。すなわち、テコアの女は、そのあわれみの判決を自分自身にも適用するようにと迫ったのです。

このように知っていることと、それを実践することとは、別の問題です。聖書の真理を理解していることと、それを自分の生活に適用することとは、別の問題なのです。神の愛を理解したからといっても、それを自分の生活に適用できるかというとそうではありません。私たちはただ聖書を理解するだけでなく、それを自分の生活に適用しなければならないのです。神の愛と赦しを受け取り、その神の愛に生きなければなりません。神は私たちを愛し、そのすべての罪を赦してくださいました。もう過去の罪に悩む必要はありません。トラウマに捉われなくてもいいのです。私たちに必要なのは、この神の愛と赦しの約束に堅く立つことです。キリストにある新しい人生を歩むことなのです。

 Ⅱ.ダビデの赦し(18-22)

するとダビデは、この女の背後にヨアブの入れ知恵があったことを見抜いて、彼女にこう言いました。18~19節前半をご覧ください。「王は女に答えて言った。「私が尋ねることに、隠さずに答えなさい。」女は言った。「王様、どうぞお尋ねください。」王は言った。「これはすべて、ヨアブの指図によるのであろう。」」

すると女は答えて言いました。19節後半~20節です。「「王様、あなたのたましいは生きておられます。王様が言われることから、だれも右にも左にもそれることはできません。確かに王様の家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです。王様の家来ヨアブは、事の成り行きを変えるために、このことをしたのです。あなた様には、神の使いの知恵のような知恵があり、地上のすべてのことをご存じですから。」」

 そこでダビデはヨアブを呼び寄せて言いました。そして、彼の言葉を受け入れます。21~22節をご覧ください。「よろしい。その願いを聞き入れた。行って、若者アブサロムを連れ戻しなさい。ヨアブは地にひれ伏して礼をし、王に祝福のことばを述べて言った。「今日、このしもべがご好意を受けていることが分かりました。王様。王が、このしもべの願いを聞き入れてくださったのですから。」」

ヨアブは地にひれ伏し、王に礼をして、祝福のことばを述べました。彼はアブサロムの帰還があたかもダビデにとっての利益ではなく、自分にとっての利益であるかのように喜びました。元々これはダビデの心がアブサロムに向かっているのを見たヨアブが、自分に出来ることとして考えたことでした。そう思いながらもダビデがなかなか実践に移せないでいるのを見て、テコアの女を用いて解決を図ろうとしたのです。それを今、自分のことかのように喜びました。こうしたヨアブの心構えには、家来として大いに学ぶものがあります。

 かくして、アブサロムはエルサレムに戻されることになります。23~24節をご覧ください。「ヨアブはすぐゲシュルに出かけて行き、アブサロムをエルサレムに連れて来た。王は言った。「あれは自分の家に行ってもらおう。私の顔を見ることはならぬ。」アブサロムは自分の家に行き、王の顔を見ることはなかった。」

 ヨアブは王の決定を大いに喜び、直ちにゲシュルに行ってアブサロムをエルサレムに連れて来ました。しかしダビデは、アブサロムにエルサレムへの帰還を許しただけで、自分と面会することまでは許しませんでした。アブサロムは自分の家に引きこもったままで、王の顔を見ることができなかったのです。どうしてでしょうか。

 ダビデは、心の中では彼を赦していなかったからです。いや、赦すべきではないと思っていたのでしょう。そんなに簡単に赦しては王としての面子が立たないと思ったのかもしれません。しかしダビデは自分がバテ・シェバとの姦淫という罪を言い表わしたとき、神がその罪を赦してくださったので、神との交わりを回復することができたはずです。それなのに彼はアブサロムを赦すことができませんでした。もっと厳しくすべきだと考えたのです。こうしたダビデの態度には一貫性がありません。彼は厳しく対処しなければならないときに優柔不断な態度を見せ、赦しの心が必要な時には厳しい態度で接しました。なんともちぐはぐです。それがまた大きな問題を引き起こす火種となります。

 使徒パウロはこう言っています。「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ4:31)

私たちは、キリストによって罪を赦された者です。神が罪を知らない方を私たちのために罪とされたのは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。大切なのは、私たちも赦された者、神と和解させられた者であるということを覚えることです。あたかも自分が義であるかのように錯覚し、他の人をさばくことがあるとしたら、それは神のみこころではありません。神が私たちに願っておられることは、私たちが赦されたように、私たちも互いに許し合うことなのです。

Ⅲ.ダビデとアブサロムの和解(25-33)

最後に25~33節をご覧ください。27節までをお読みします。「さて、イスラエルのどこにも、アブサロムほど、その美しさをほめそやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで、彼には非の打ちどころがなかった。彼は毎年、年の終わりに、頭が重いので髪の毛を刈っていたが、刈るときに髪の毛を量ると、王の秤で二百シェケルもあった。アブサロムに、三人の息子と一人の娘が生まれた。その娘の名はタマルといって美しい女であった。」

アブサロムは、かつてサウルがそうであったように、容姿がすぐれていました。彼は後にダビデから王位を奪おうとしますが、容姿も民の心をつかむのに役立ったことでしょう。髪の毛は200シェケルもありました。これは約2.8キログラムです。彼には3人の息子と一人娘がいました。その娘には「タマル」という名が付けられました。アムノンによって犯された美しい妹と同じ名です。よほど妹のことを愛し、彼女のことが忘れられなかったのでしょう。

ここにはアブサロムの肉体的な美しさが記されてありますが、その信仰や知恵に関する言及は一つもありません。肉体的な美しさもまた神からの賜物ですが、多くの場合、それが高慢となって自分の身に滅びを招くことになります。アブサロムもその長い髪が破滅の一因となりました。この後のところで、彼は逃亡する際に、頭を樫の木に引っ掛け、宙づりになったところを、ヨアブによって殺されたことが記されてあります。(Ⅱサムエル18:9~15)。

Ⅰペテロ3章3~4節に「あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。」とありますが、私たちは自分の外見ではなく、心の中の人柄を誇る者でありたいと思います。

最後に、28~33節をご覧ください。「アブサロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王の顔を見ることはなかった。アブサロムは、ヨアブを王のところに送ろうとして、ヨアブのもとに人を遣わしたが、彼は来ようとしなかった。アブサロムはもう一度、人を遣わしたが、ヨアブは来ようとしなかった。アブサロムは家来たちに言った。「見よ。ヨアブの畑は私の畑のそばにあり、そこには大麦が植えてある。行って、それに火をつけよ。」アブサロムの家来たちは畑に火をつけた。ヨアブは立ち上がり、アブサロムの家に来て、彼に言った。「なぜ、あなたの家来たちは私の畑に火をつけたのですか。」アブサロムはヨアブに答えた。「ほら、私はあなたのところに人を遣わし、ここに来るように言ったではないか。私はあなたを王のもとに遣わし、『なぜ、私をゲシュルから帰って来させたのですか。あそこにとどまっていたほうが、まだ、ましでした』と言ってもらいたかったのだ。今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない。」ヨアブは王のところに行き、王に告げた。王はアブサロムを呼び寄せた。アブサロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブサロムに口づけした。」

アブサロムは2年間エルサレムに住んでいましたが、王の顔を見ることはありませんでした。それで彼は王へのとりなしを頼もうとして、ヨアブのところに人を遣わしましたが、ヨアブは来ようとしませんでした。何度遣わしても来ようとしなかったので、業を煮やしたアブサロムは非常手段に訴えました。自分の家来たちに、ヨアブの畑の大麦に火をつけさせたのです。驚いて駆けつけたヨアブが、なぜ自分の畑に火をつけたのかと言うと、アブサロムは言いました。何度もあなたのところに人を遣わして、ここに来るようにと言ったにもかかわらず、来なかったからだと。これでは何のためにゲシュルから戻って来たのかわからない。王の顔を拝したい。もし自分に咎があるなら、王に殺されても構わないと。つまり、はっきりしてほしいということです。ヨアブがこのことをダビデに告げると、ダビデはアブサロムを呼び寄せました。そして、アブサロムがダビデのところに来ると、アブサロムはダビデの前でひれ伏して礼をし、ダビデはアブサロムに口づけしました。つまり、アブサロムを赦し和解したのです。実にあの事件、あの事件とは、アブサロムが兄弟アムノンを殺害してゲシュルの地に逃亡したという出来事ですが、あれから5年後のことです。

しかし、この和解は真実なものではありませんでした。というのは、次の章を見るとわかりますが、アブサロムはダビデから王位を奪おうとする工作を始めるからです。彼はイスラエルの民の心を自分に向けさせようとします。いったいなぜアブサロムは和解できなかったのでしょうか。それは、ダビデがアブサロムを蔑ろにしたからです。彼をゲシュルから連れ戻したのに彼と会おうともしませんでした。そのため彼はいったい何のために戻って来たのかわからなかったし、そのことでヨアブがきちんとした対応を取らなかったので、ヨアブの畑に火をつけたほどです。表面上は和解したかのようでも、実際にはアブサロムの中に苦々しい思いが残っていたのです。

ここから私は、親に対するパウロの勧めを思い出します。エペソ6章4節には、「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」とあります。「怒らせない」とは、子どもを自由気ままに育てること、甘やかすこと、子どもに媚びることではありません。「怒らせる」(パロルギゾー)とは、文字通りの意味では、「何かによって怒らせる、挑発する」という意味です。英語訳ではirritateしない(いらいらさせない)となっています。コロサイ3章21節に、同じ命令の理由として、「気落ちさせないためです」と説明しています。つまり、「子どもをおこらせてはいけません」というのは、子どもたちが何らかの理由で「気落ちする」ことが無いように配慮することなのです。ダビデはアブサロムと会おうとしなかったことで彼を怒らせました。また、主の教育と訓戒によって育てることもしませんでした。彼はアブサロムに5年間も自分に会えなくするという、過度の懲らしめを与えてしまったのです。そのことで彼を気落ちさせてしまいました。

私たちはそのようなことがないように気をつけなければなりません。それは親子関係ばかりでなく、夫婦関係やすべての家族関係、また、教会や職場の人たちとの関係、さらには地域社会の人たちとの関係においても言えることです。言っていることとやっていることが違う一貫しない態度や不当な言動は、周りの人々にフラストレーションを与えることになります。子どもたちを怒らせてはなりません。そのためにはまず私たちが神のことばによって整えられ、みことばに従って生きることが求められます。そこに聖霊が働いてくださるからです。神の聖霊によって、私たちが神のしもべとしてふさわしく整えられるように祈りましょう。

Ⅱサムエル記13章

 Ⅱサムエル記13章から学びます。

 Ⅰ.アムノンの苦しみ(1-19)

 まず1~7節をご覧ください。「その後のことである。ダビデの子アブサロムに、タマルという名の美しい妹がいた。ダビデの子アムノンは彼女に恋をした。アムノンは、妹タマルのゆえに苦しんで、病気になるほどであった。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かをするということはとてもできないと思われたからである。アムノンには、ダビデの兄弟シムアの息子でヨナダブという名の友人がいた。ヨナダブは非常に知恵のある男であった。彼はアムノンに言った。「王子様。なぜ、朝ごとにやつれていかれるのですか、そのわけを話してください。」アムノンは彼に言った。「私は、兄弟アブサロムの妹タマルを愛している。」ヨナダブは彼に言った。「床に伏せて、病気のふりをなさってください。父君が見舞いに来られたら、こう言うのです。『どうか、妹のタマルをよこして、私に食事をとらせるようにしてください。彼女が私の目の前で食事を作って、私はそれを見守り、彼女の手から食べたいのです。』」アムノンは床につき、仮病を使った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか、妹のタマルをよこし、目の前で団子を二つ作らせてください。私は彼女の手から食べたいのです。」ダビデは、タマルの家に人を遣わして言った。「兄さんのアムノンの家に行って、病人食を作ってあげなさい。」」

 「その後」とは、ダビデが預言者ナタンによって罪を指摘されたとき、それを悔い改め、バテ・シェバを正式に妻として迎え入れ、ソロモンを生んだ後ということです。13章26~31節は取り上げませんでしたが、これは11章1節の続きで、ダビデがアンモン人のラバと戦い、この王の町を攻め取った時の様子のことです。彼はその町を攻め取ると、彼らの王の王冠を奪い取り、非常に多くの分捕り物を持ち去りました。そして、その町にいた人々を連れ出して、石ののこぎりや、鉄のつるはし、鉄の斧を使う仕事に着かせ、また、れんがの仕事をさせました。ここまでがダビデの生涯の絶頂期でした。これ以降、ダビデの生涯は坂道を転がり落ちるかのように破滅の一途をたどることになります。12章には、ダビデがバテ・シェバと姦淫をした結果、その生まれた子どもが病気で死にました。次にダビデを襲うのが、家庭内の不和です。近親相姦と兄弟殺しの悲劇です。

 1節には「ダビデの子アブサロムに、タマルという名の美しい妹がいた。ダビデの子アムノンは彼女に恋をしていた。」とあります。3章を振り返ってみましょう。3章2節には、ダビデがヘブロンで王であったときに、イズレエル人アヒノアムから産まれた子がアムノンであることが書かれています。つまりアムノンが、すべてのダビデの息子たちの中で長男でした。次男はカルメル人ナバルの妻アビガイルによって生まれたキルアブです。そして三男が、ゲシェルの王タルマイの娘マアカによって生まれたアブサロム、四男はハギテの子アドニヤ、五男はアビタルの子シェファテヤ、六男がダビデの妻エグラによって生まれたイテレアムです。これらの子は、ダビデがヘブロンにいたときに生まれた子どもたちです。そして、これにエルサレムでバテ・シェバによって生まれた子ソロモンがいました。ここに登場するのは長男のアムノンと、ゲシェルの王タルマイの娘マアカによって生まれた三男のアブサロムです。この異邦人の王の娘マアカは、アブさロムの他に娘タマルを産んでいました。そして、ダビデの長男アムノンが、このタマルに恋をしたのです。

アムノンは、妹タマルのゆえに苦しんで、病気になるほどでした。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かをすることはとてもできないと思われたからです。「何かをする」とは、何か手を出したりすることです。そんなことはできないと思いました。というのは、モーセの律法では、男が女と寝ることは、イコールめとることと同じことであったからです。性的な結びつきは、そのまま、霊的、精神的、社会的責任が生じる結婚であると考えられていたのです。しかし、姉妹との結婚は禁止されていました(申命記27:22)。タマルを恋い慕っていたアムノンは、それで病気になるほどでした。恋わずらいです。皆さんも、そういう時があったでしょう。胸がキュンとして苦しいのです。ちょっとだけキュンとする程度ならいいのですが、燃え上がるほどキュンとなると苦しくなります。今週の日曜日は雅歌2章からのメッセージでしたが、2章5節に「私は愛に病んでいるのです。」ありましたね。これはどういう意味ですかと、ある方からメールをいただきましたが、あまりにも愛しているので、体のエネルギーがそれに吸いとられるようで苦しいのです。それほど愛しているということです。ここでは愛ではなく恋ですが、恋の病は苦しいのです。

そのアムノンにダビデの兄弟シムアの息子でヨナダブという従兄弟がいました。彼はアムノンの友人で、非常に知恵のある男でしたが、アムノンが苦しんでいるのを見て、「どうしてそんなに苦しんでいるのですか。そのわけを話してください。」と言いました。アムノンは自分の思いを彼に伝えました。「私は、兄弟アブサロムの妹タマルを愛している。」と。

すると、ヨナダブは何と言いましたか。彼はアムノンに、病気のふりをして床に伏せているようにと言いました。父ダビデ王が見舞いに来たら、妹のタマルに食事を作らせて、自分のところによこしてほしいと。仮病を装ってタマルをおびき寄せればいいと助言したわけです。ヨナダブは非常に知恵のある男でしたが、その知恵を悪のために利用したのです。私たちは、アムノンやヨナダブのように自分の欲望を満たすために知恵を悪用するのではなく、神の栄光のために知恵を用いていかなければなりません。

アムノンは、ヨナダブが言った通りにしました。彼は、自分の欲望を満たすために従兄弟のヨナダブの悪知恵を利用して犯行に及んだのです。しかし、これは本当の愛ではありませんでした。アムノンはタマルを愛していたのではなく、自分を愛していたのです。というのは、愛とは、自分の利益を求めず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに、真理を喜ぶからです(Ⅰコリント13章)。彼はただ、自分の欲望が満たされることしか考えていませんでした。それは、愛ではありません。むしろ、愛には程遠い行為です。

次に、8~14節までをご覧ください。「タマルが兄アムノンの家に行ったところ、彼は床についていた。彼女は生地を取ってそれをこね、彼の目の前で団子を作ってそれをゆでた。彼女は鍋を取り、それを彼の前によそったが、彼は食べることを拒んだ。アムノンが「皆の者をここから出て行かせよ」と言ったので、みなアムノンのところから出て行った。アムノンはタマルに言った。「食事を寝室に持って来ておくれ。私はおまえの手からそれを食べたい。」タマルは、自分が作ったゆでた団子を兄のアムノンの寝室に持って来た。彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女を捕まえて言った。「妹よ、おいで。私と寝よう。」彼女は言った。「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください。私は、この汚名をどこに持って行けるでしょうか。あなたも、イスラエルで愚か者のようになるのです。今、王に話してください。きっと、王は私があなたに会うのを拒まないでしょう。」しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、力ずくで彼女を辱めて、彼女と寝た。」

事は、アムノンが計画した通りに進みました。タマルが彼の家にやって来ると、生地をこねて団子を作り、それをゆでました。それからそれをよそいましたが、彼は食べることを拒み、部屋にいた者たちを全員外に出しました。そして、タマルの手から直接食べたいと、彼女を寝室に呼び寄せました。彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女を捕まえて、「妹よ、おいで。私と寝よう。」と迫りました。しかし、タマルは「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことはしないでください。」と言って拒みました。彼女はモーセの律法を知っていたのです。さらに彼女は、もしこのようなことをしたら、その汚名をどこにも持っていけなくなること、また彼も、イスラエルでいつまでも愚か者と呼ばれるようになることを伝えて、彼の思いをとどまらせようとしました。しかし、残念ながら、アムノンは彼女の言うことを聞こうとせず、力ずくで彼女を辱め、彼女を犯してしまったのです。

その結果、どうなったでしょうか。15~19節をご覧ください。「アムノンは、激しい憎しみにかられて、彼女を嫌った。その憎しみは、彼が抱いた恋よりも大きかった。アムノンは彼女に言った。「起きて、出て行け。」タマルは言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう悪いことですから。」しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうともせず、召使いの若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸を閉めてくれ。」彼女は、あや織りの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような身なりをしていたのである。召使いは彼女を外に追い出し、こうして戸を閉めてしまった。タマルは頭に灰をかぶり、身に着けていたあや織りの長服を引き裂き、手を頭に置いて、泣き叫びながら歩いて行った。」

アムノンはタマルと関係を持つと、激しい憎しみにかられ、彼女を嫌うようになりました。その憎しみは、彼が抱いた恋よりも大きかったのです。アムノンはタマルに言いました。「起きて、出ていけ。」

どういうことでしょうか。あれほど恋い慕っていたのに、いざ関係を持つとそれが憎しみに変わるのです。不思議ですね。しかもその憎しみは、彼が抱いていた恋よりも大きいものでした。彼はタマルのことを思うと病気になるほど恋していたのに、それがそれ以上に憎しみに変わったのです。まったく勝手な男です。でも、これが男というものです。これは、愛ではありませんでした。単なる欲望にすぎなかったのです。作家の有島武郎は「愛は惜しみなく奪う」と言いましたが、それは愛でなく恋です。愛とは惜しみなく与えるものだからです。愛だと思って関係を持った瞬間に彼が激しい憎しみにかられたのは、それは本当の愛でなく自分の欲望を満足させようとする恋にすぎなかったからです。ですから、欲望を満足させた彼は、それまでの恋心よりもさらに激しい憎悪を抱くようになったのです。満たされたら、もう用なしです。情欲によってついさっきまで愛していると言っていた男が、その女を打つことも十分ありえるのです。それが愛だと思い違いをすると大変なことになります。

アムノンはタマルに「起きて、出ていけ。」と言いました。しかし、タマルは「それはできません」と答えています。そんなことをすれば、罪の上に罪を上塗りすることになってしまいます。というのは、モーセの律法には、このように処女を犯した場合必ずめとらなければいけない、とあるからです。その男は一生涯彼女の夫とならなければなりませんでした。しかし、アムノンはそんなタマルの声に耳を貸そうとしませず、彼女を追い出してしまいました。彼女は処女の王女が着るあや織りの長を裂き、手を頭に置いて、泣き叫びながら帰って行きました。

 Ⅱ.アブサロムの復讐(20-22)

次に、20~22節をご覧ください。「彼女の兄アブサロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえと一緒にいたのか。妹よ、今は黙っていなさい。彼はおまえの兄なのだ。このことで心配しなくてもよい。」タマルは、兄アブサロムの家で、一人わびしく暮らしていた。ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。アブサロムはアムノンに、このことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブサロムは、アムノンが妹タマルを辱めたことで、彼を憎んでいたからである。」

 妹タマルが犯されたことを知り、アブサロムはタマルに「今は黙っていなさい。」と言いました。なぜこのように言ったのでしょうか。もしアムノンを暗殺する好機を狙っていたのであれば、それは秘密裏に決行されたでしょう。しかし、この後のところを見てわかるように、それは秘密裏に決行されたのではなく、王も知り、兄弟たちも臨席している場で正々堂々と行われています。そのように公然と部下たちを動員して殺害するのであれば、いつでも行うことができたでしょう。それなのに、二年間もその時を待ったのは、このアムノンの悪事に対してダビデ王がどのような対処をするのか様子をうかがっていたからです。つまり、王位継承権第一を占めていたアムノンを粛清することで、自分がその王位に着くことを淡々とねらっていたのです。

 しかしダビデは何の行動もとりませんでした。彼は事の一部始終を聞くと激しく怒りましたが、それ以上のことは何もしませんでした。それは、彼がアムノンを咎めれば家庭が崩壊するのではないかと思ったからです。何よりもダビデ自身バテ・シェバとのことがあったので、性的な罪に対して厳しい態度を取ることができなかったのです。

 ここに、彼の家庭環境の複雑さが見られます。それは元はと言えば、彼が神の御心に反して多くの妻を持ったことに原因がありました。それゆえに、こうした複雑な家庭環境が生まれ、様々な問題が生じたのです。そして彼自身の罪、彼自身の弱さもありました。すべての関係の最小単位は夫婦であり、家族です。その関係が壊れると、すべての関係に影響を及ぼすことになります。神のことばに従って夫婦関係、家族関係を構築していかなければなりません。そうでないと、こうした問題に発展していきます。

 ダビデが正しく問題の解決を図らなかった結果、どのようなことが起こったでしょうか。23~27節までをご覧ください。「満二年たって、アブサロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブサロムは王の息子たち全員を招いた。アブサロムは王のもとに行き、こう言った。「ご覧ください。このしもべは羊の毛の刈り取りの祝いをすることにしました。どうか、王も家来たちも、このしもべと一緒においでください。」王はアブサロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全員が行くのは良くない。あなたの重荷になってもいけないから。」アブサロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。アブサロムは言った。「それなら、どうか、私の兄アムノンを私どもと一緒に行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたと一緒に行かなければならないのか。」アブサロムがしきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全員を彼と一緒に行かせた。」

満2年がたって、アブサロムはアムノン殺害の計画を実行に移します。ダビデ王がアムノンの犯行を聞き激怒しながらも、決して罰しようとしないのを見て、アブサロムは自ら行動を起こします。自分の手でアムノンを殺すことにしたのです。

彼は、羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、王の息子たち全員を招待することにしました。まず王のもとに行き、この羊の毛の刈り取りの祝いに王と家来たちを招きます。しかし、このことでアブサロムに負担になってはならないと、王は行くことを断りました。そこで、では兄アムノンを代理として送ってほしいとしきりに願うと、ダビデは、アムノンと王の息子たち全員を一緒に行かせました。こうしてアブサロムの兄アムノン殺害の舞台が整いました。

28~33節をご覧ください。「アブサロムは、自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上機嫌になったとき、私が『アムノンを討て』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」アブサロムの若い者たちは、アブサロムが命じたとおりにアムノンにした。王の息子たちはみな立ち上がって、それぞれ自分のらばに乗って逃げた。彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに、「アブサロムは王のご子息たちを全員殺しました。残された方は一人もいらっしゃいません」という知らせが届いた。王は立ち上がり、衣を引き裂き、地に伏した。傍らに立っていた家来たちもみな、衣を引き裂いた。ダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王様。彼らが王のご子息である若者たちを全員殺したとお思いになりませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブサロムの命令によるもので、アムノンが妹のタマルを辱めた日から、胸に抱いていたことです。今、王様。王子たち全員が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」」

アブサロムは、自分に仕えている若い者たちに、アムノンが酔って上機嫌になったとき、自分が「アムノンを打て」と言ったら、彼を殺すようにと命じました。アブサロムの若い者たちは、彼が命じたとおりにアムノンにしました。かくして、アムノンは殺されてしまいました。

 アムノンが殺されたのは、羊の毛の刈り取りをする祝いのときでした。それは、本来は喜びと感謝の日です。喜びと感謝を表すべき場が、虐殺の現場となってしまったのです。これは、神に対する反逆です。さらに彼は、アムノンに酔いが回ったころ、彼を殺すようにと部下たちに命じました。彼は自分の手を下したのではなく、これに部下たちを巻き込んだのです。

 いつまでも憎しみを心に抱いてはなりません。憎しみはやがてこのような悲惨な結果を招くことになります。憎しみから解放される唯一の道は、さばきを主にゆだねることです。ローマ12章19節に、「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。」とあります。これが信仰者である私たちが取るべき態度です。それは私たちの力でできることではありません。しかし、主はそんな私たちのためにご自分のいのちを捨ててくださいました。神に敵対していた私たちを赦してくださったイエス・キリストの十字架を見上げるとき、その力が与えられます。十字架の主の恵みを覚えて感謝することが、さばきを主にゆだねる原動力なのです。

 アブサロムの若い者たちが、アブサロムが命じたとおりにアムノンを殺すと、王の息子たちはそれぞれ自分のろばに乗って逃げました。彼らがその道の途中にいたとき、ダビデのところに「アブサロムは王の息子たち全員を殺しました。残された方は一人もいらっしゃいません。」という知らせが届きました。うわさというのは、伝わるのが早いですね。すぐに素早く飛び交います。ダビデは、その知らせを聞くと立ち上がり、衣を引き裂き、地に伏しました。

 そこに、ダビデの兄弟シムアの子ヨナタブがやって来て、証言しました。その内容とは、アブサロムの家来たちが殺したのはダビデの子どもたち全員ではなく、アムノンだけであること、それはアブサロムの命令によるもので、アムノンが彼の妹のタマルを辱めた日からずっと、胸に抱いていたことであるということでした。

 このヨナダブは、タマルを強姦することについてアムノンに悪知恵を入れた人物です。彼はタマル強姦に関してはアムノンと同じ責任を負うべきです。また、アムノンの殺害に関しても、アブシャロムと同じ罪に問われるべきです。それなのに彼はここで、そうしたことには一切触れず、ただアムノンだけが殺されたということをダビデに得意げに報告しています。このような友人は最悪です。損得勘定で動きます。周りのことなどお構いなしです。常に自分の事しか考えません。自分のことだけを考えて行動するのです。箴言13章20節には「箴知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。」とあります。ヨナダブのような愚かな者の友となると害を受けることになります。注意が必要です。

Ⅲ.アブサロムの逃亡(34-39)

最後に34~39節をご覧ください。「アブサロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、うしろの山沿いの道から大勢の人々がやって来るところであった。ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」彼が語り終えたとき、見よ、王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。アブサロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、毎日アムノンの死を嘆き悲しんでいた。アブサロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。アブサロムのところに向かって出て行きたいという、ダビデ王の願いはなくなった。アムノンが死んだことについて慰めを得たからである。」

他の王の息子たちがらばに乗って、ダビデのところに戻ってきました。そして声をあげて泣きました。王も家来たちもみな、非常に激しく泣きました。ダビデは、毎日アムノンの死を嘆き悲しんでいました。一方、アブシサロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げました。このゲシュルの王アミフデの子タルマイですが、アブサロムとタマルは、ダビデとこの異邦人ゲシェルの王タルマイの娘マアカとの間に生まれた子どもですから、タルマイはアブサロムにとって祖父にあたります。アブサロムは、祖父のところに逃げて、そこに三年間いたのです。その後、彼はイスラエルに戻りますが、ダビデと再会するのはさらにその2年後になります。

39節は難解な節です。ダビデがアブサロムのところに向かって出て行きたいという願いがなくなったということが、どういうことなのかがわかりません。アブサロムを慕って会いに行くことをやめたのか、アブサロムを憎んで攻めに出て行くのをやめたのかがわからないからです。それは14章1節の「王の心がアブサロムに向いている」ということばで、さらに混乱します。新改訳2017ではこのように訳していますが、第三版では「王がアブシャロムに敵意を抱いている」と訳しているからです。英語の訳では「心配している」とか「慕っている」という訳です。全く反対の意味を伝えています。ここではダビデはアムノンが死んだことについて慰めを得ていたので、アブサロムに対する敵意がなくなったということでしょう。

注目すべきことは、息子に対するダビデの態度です。タマルが強姦されたときもそうでしたが、今回もアブサロムに対して何の対応もしませんでした。これが、後になって問題を作ることになります。子どもに対してどのように対応するかは、親として頭が痛いところですが、少なくとも毅然(きぜん)とした対応が求められます。それができなかったのは、ダビデ自身もまた同じ過ちを犯していたからです。ですから、子どもたちにどのように対応するかということの前に、自分自身が主の前にどのように歩まなければならないのかを教えられ、聖霊の恵みと力によってそれを実行できるように祈らなければなりません。

Ⅱサムエル記12章

 

 Ⅱサムエル記12章1節から25節までを学びます。

 Ⅰ.預言者ナタン(1-12)

 まず1~6節をご覧ください。「主はナタンをダビデのところに遣わされた。ナタンはダビデのところに来て言った。「ある町に二人の人がいました。一人は富んでいる人、もう一人は貧しい人でした。富んでいる人には、とても多くの羊と牛の群れがいましたが、貧しい人は、自分で買ってきて育てた一匹の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。子羊は彼とその子どもたちと一緒に暮らし、彼と同じ食べ物を食べ、同じ杯から飲み、彼の懐で休み、まるで彼の娘のようでした。一人の旅人が、富んでいる人のところにやって来ました。彼は、自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を奪い取り、自分のところに来た人のために調理しました。」ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死に値する。その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。」」

 ウリヤが死に、喪が明けると、ダビデは人を遣わして、バデ・シェバを自分の家に迎え入れました。彼女は彼の妻となり、彼のために息子を産みました。めでたし、めでたし、です。ダビデがした行為は、人々の目から消え去ろうとしていました。しかし、彼が行ったことは主のみこころを損ないました。

そこで主はナタンをダビデのところに遣わしました。ナタンにつては7章にも出てきましたが、彼は王宮付きの預言者でした。王宮付きの預言者とは、王の個人的な助言者でもありました。7章では、ダビデが杉材の家に住んでいるのに神の箱が天幕に宿っている現実を憂いたダビデが、そのことを彼に相談しました。するとナタンは、「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられるのですから。」(7:3)と即答しましたが、それは主のみこころではありませんでした。ナタンは預言者であったにもかかわらず主に伺うことをせず、個人的な判断をしてしまったのです。

そのナタンがダビデのところにやって来て、一つのたとえ話をします。それは富んでいる人と貧しい人の話でした。富んでいる人には多くの羊と牛の群れがいましたが、貧しい人には、一匹の小さな雌の子羊のほかは、何も持っていませんでした。そこへ一人の旅人がやって来ます。そこで富んでいる人はどうしたかというと、この旅人をもてなすために自分の羊や牛の群れから取って料理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を奪い取り、自分のところに来た人のために料理しました。

するとダビデはその男に怒りを燃やし、そんなことをした男は死に値すると死刑を宣告し、その貧しい男に雌の子羊を四倍にして償うようにと宣告しました。ダビデは、悪に対する義憤を抱いていましたが、それが自分のことであるということには気づきませんでした。これが私たち人間の姿です。私たち人間は、罪の中にいるとき罪に対して非常にきびしい態度をとるものの、それが自分の姿であることには全く気付かないのです。ダビデは他人の罪に対しては非常に厳しい態度を取りつつも、それを自分に適用することができませんでした。

私たちも同じです。他人の罪に対しては厳しい態度をとっても、自分に適用することはできません。自分だけはそのさばきを免れることができると思っているのです。私たちは、罪の認識が深くなればなるほど、神の恵みの深さも理解できるようになるのです。

するとナタンはこのように言いました。7~12節です。「ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう言われます。『わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とした。また、わたしはサウルの手からあなたを救い出した。さらに、あなたの主君の家を与え、あなたの主君の妻たちをあなたの懐に渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。どうして、あなたは主のことばを蔑み、わたしの目に悪であることを行ったのか。あなたはヒッタイト人ウリヤを剣で殺し、彼の妻を奪って自分の妻にした。あなたが彼をアンモン人の剣で殺したのだ。今や剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしを蔑み、ヒッタイト人ウリヤの妻を奪い取り、自分の妻にしたからだ。』主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で奪い取り、あなたの隣人に与える。彼は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。あなたは隠れてそれをしたが、わたしはイスラエル全体の前で、白日のもとで、このことを行う。』」

ダビデが憤って死刑を宣告するのを聞いたナタンは、そのたとえ話を適用して、「あなたがその男です。」と言いました。そして彼は次の三つのことを伝えます。

まず、主がいかにダビデに良くしてくださったかです。主はダビデを恵んでくださり、彼に油を注いで王としてくださいました。一介の羊飼いが王になるなど考えられないことです。しかし、主はそのようにしてくださいました。そればかりか、サウルからいのちを狙われていたときも、彼の手から救い出してくださいました。また、主君の妻までも与えられました。これは本当に感謝なことです。彼もそのことを思い出しては言葉にならない感謝をささげていたはずです。それなのに彼はむさぼったのです。「それでも少ないというのなら、わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。」(8)とナタンは言っています。私たちがむさぼることのないようにする方法は、主の恵みを知ることです。主がいかに自分たちの必要を満たしてくださるお方なのか、どれほどの祝福を与えてくださっているのかを知ることです。そしてそれを忘れないことです。

次にナタンはダビデに罪の結果を告げています。ダビデがウリヤをアンモン人の剣で殺したので、以後、ダビデの家から剣が離れることはない(10)と。これは、このあと13章以降で実現していくことです。

そればかりではありません。ダビデの家にわざわいが引き起こされます。ダビデの妻たちが奪い取られ、白昼公然と置かされることになります(11)。これも16章22節で成就することになります。

ダビデは一時的な欲望を満足させるために罪を犯しましたが、その結果、悲劇をもたらすことになってしまいました。人は種をまけば、その刈り取りもするようになるのです。

Ⅱ.ダビデの悔い改め(13-23)

次に13~14節をご覧ください。「ダビデはナタンに言った。「私は主の前に罪ある者です。」ナタンはダビデに言った。「主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる息子は必ず死ぬ。」」

ナタンのことばを聞いたダビデは、すぐに自らの罪を認め告白しました。すると主も、彼の罪を取り去ってくださいました。しかし、彼はこのことで、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、バテ・シェバによって生まれてくる子供は死ぬと宣告されました。

ここには、二つの大事なことが教えられています。一つは、神は私たちの罪を赦すのに早い方であるということです。ダビデは、ナタンから罪を指摘されると、すぐに罪を認め悔い改めました。ここがダビデのすばらしい点です。彼はここでナタンを殺すことも出来ましたがそのようにはせず、すぐに悔い改めました。すると、主もまたすぐに彼を赦されました。13節に「主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。
」とあります。Ⅰヨハネ章9節に、「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」とある通りです。

ダビデは罪が赦されたことの喜びを、詩篇32篇で次のように言っています。「幸いなことよ その背きを赦され罪をおおわれた人は。幸いなことよ 主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。私が黙っていたとき私の骨は疲れきり 私は一日中うめきました。昼も夜も御手が私の上に重くのしかかり 骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。セラ 私は自分の罪をあなたに知らせ 自分の咎を隠しませんでした。私は言いました。「私の背きを主に告白しよう」と。するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。セラ」

彼は、隠していた罪を主に言い表わすことにより、罪の赦しと解放を体験することができたのです。

しかし、もう一つ大切なことがあります。それは、罪の告白をすればその罪は赦されますが、その結果を刈り取ることもなる、ということです。ここには、ダビデに生まれる息子は必ず死ぬ、とあります。ダビデが罪を犯したことで、彼の家から剣が離れないこと、彼の妻が白昼公然と置かされるようになることについては見ましたが、ここではバデ・シェバによって与えられる息子が死ぬとあります。こんなに悲しいことがあるでしょうか。罪の結果、このような悲惨な結果も刈り取るようになるということを忘れてはなりません。

しかし、ここでダビデがすばらしかった点は、このような罪の中にあっても神の恵みを忘れなかったことです。彼は、神の恵みによって神に立ち返ることができると信じました。私たちはクリスチャンになるともうどんな罪も犯してはならないと思い、それを隠したくなる傾向がありますが、クリスチャンになっても完全になるわけではありません。大切なのはその罪を認め、悔い改めることです。そうすれば、主は赦してくださいます。ヒソプによってではなく、イエスの血潮によってきよめてくださいます。大切なのは、主は赦してくださる方であると信じ、その恵みにお頼りすることです。

15節から23節までをご覧ください。「ナタンは自分の家へ帰って行った。主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。ダビデはその子のために神に願い求めた。ダビデは断食をして引きこもり、一晩中、地に伏していた。彼の家の長老たちは彼のそばに立って、彼を地から起こそうとしたが、ダビデは起きようともせず、彼らと一緒に食事をとろうともしなかった。七日目にその子は死んだ。ダビデの家来たちは、その子が死んだことをダビデに告げるのを恐れた。彼らは、「聞きなさい。王はあの子が生きているとき、われわれが話しても、言うことを聞いてくださらなかった。どうして、あの子どもが死んだことを王に言えるだろうか。王は何か悪いことをされるかもしれない」と言ったのである。ダビデは、家来たちが小声で話し合っているのを見て、子が死んだことを悟った。ダビデは家来たちに言った。「あの子は死んだのか。」彼らは言った。「亡くなられました。」ダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、衣を替えて主の家に入り、礼拝をした。そして自分の家に帰り、食事の用意をさせて食事をとった。家来たちは彼に言った。「あなたのなさったこのことは、いったいどういうことですか。お子様が生きておられるときは断食をして泣かれたのに、お子様が亡くなられると、起き上がり食事をされるとは。」ダビデは言った。「あの子がまだ生きているときに私が断食をして泣いたのは、もしかすると主が私をあわれんでくださり、あの子が生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、あの子は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。私があの子のところに行くことはあっても、あの子は私のところに戻っては来ない。」」

主が宣告したように、ウリヤの妻バテ・シェバによって生まれた子は、主に打たれたので病気になりました。ダビデはこの病気が主によるものであることを知っていましたが、それでも、もしかすると主があわれんでくださり、生きるかもしれないと、その子の癒しを求めて、ひたすら主に祈りました。自分の罪のゆえにその子が死のうとしているのを知って、ダビデは相当苦悩したことでしょう。彼は断食し、徹夜で祈り、地にひれ伏して主に願い続けました。

しかし、7日目にその子は死にました。家来たちは、ダビデの悲しみがその死を告げ知らされることによって増し加わると心配していました。けれどもダビデは、正反対の反応を取ります。子どもが死んだことを悟ると、彼は起きて身を洗い、主を礼拝して、食事を取ったのです。息子が生きているときには断食し、死ぬと食事です。いったいどういうことでしょうか。驚いた家来たちがその理由を尋ねると、ダビデはこう言いました。「あの子がまだ生きているときに私が断食をして泣いたのは、もしかすると主が私をあわれんでくださり、あの子が生きるかもしれない、と思ったからだ。しかし今、あの子は死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか。あの子をもう一度、呼び戻せるだろうか。私があの子のところに行くことはあっても、あの子は私のところに戻っては来ない。」生きているときは、もしかすると主があわれんでくださり、あの子が生きるかもしれないと思ったが、子どもが死んだ以上、その事実を受け入れなければならないというのです。あの子をもう一度呼び戻すことはできません。自分があの子のところに行くことはできても、あの子が自分のところに戻ってくることはできません。この事実を受け止めなければならないのです。彼は信仰者として、主がなされたことをそのまま受け入れようとしました。

自分の祈りが聞かれないとき、その祈りに反してこのようなことが起こるとき、私たちはなかなかその事実を受け取ることができないときがあります。そして、「主よ、どうしてですか」と嘆きです。しかし、主がなさることは完全です。たとえ、自分が祈ったとおりにならなくても、主がなさることはいつも最善であって、それ以下ではありません。ですから、たとえ自分が祈った通りにならなくても、主の答えをそのまま受け止めることが大切です。私は、昨日、改めて「祈りのノート」を作りました。A5のノートを三つに区切り、祈った日と、祈りの課題、答えられた日を書き込むことができるようになっています。主は祈りを聞いておられます。私たちの祈りの答えが何なのかを、ノートを取ることによってはっきりとわかります。もしそれが、私たちが祈ったことと違ったとしても必ずしも祈りが答えられなかったというのではなく、別の形で答えられたということかもしれないし、もしかすると、まだ聞かれていないということかもしれません。時が来れば明確な答えがわかるでしょう。いずれにせよ、そのことによって主が何を語ろうとしていのかを、耳を澄ませて聞かなければなりません。それが、次に進ませる力となるからです。

Ⅲ.ソロモンの誕生(24-25)

最後に24~25節をご覧ください。「ダビデは妻バテ・シェバを慰め、彼女のところに入り、彼女と寝た。彼女は男の子を産み、彼はその名をソロモンと名づけた。主は彼を愛されたので、預言者ナタンを遣わし、主のために、その名をエディデヤと名づけさせた。

ここでソロモンが生まれます。産まれた子どもが死んだことは、ダビデだけでなくバテ・シェバにとってもショックなことでした。それでダビデは彼女を慰め、彼女のところに入り、彼女と寝ました。ここで初めてバテ・シェバのことが「妻」と呼ばれていることに着目してください。ここで彼女は、ダビデの正式な妻となりました。こうした正式な夫婦関係の中でソロモンが生まれたのです。「ソロモン」という名前は、「平和な」とか「平和を好む」という意味があります。この名前は、彼と神との間に平和が与えられたことを示しています。そして、ソロモンの治世が平和なものとなることを表しています。主はその子を愛されたので、預言者ナタンを遣わし、主のために、その子は「エディデヤ」と名づけさせました。意味は「主に愛される者」です。

ソロモンによってもたらされる平和な治世は、イエス・キリストによってもたらされる「平和」の予表でした。イエス・キリストこそ神との平和をもたらしてくださいました。イエス様はご自身の血によってそれを成し遂げてくださいました。キリストによる全世界の平和がやがてこの地上に実現します。イスラエルとパレスチナをはじめ、いま世界中で戦争が繰り広げられています。20世紀は二つの大きな世界戦争がありましたが、それは20世紀にはじまったことではありません。この人類の歴史は、まさに戦争の歴史です。有史以来この地上に戦争がなかった時代はありませんでした。今もアメリカと中国の関係が微妙です。一刻即発の様相を呈しています。

いったいどこに平和があるのでしょうか。イエス・キリストです。イエス・キリストは、私たちに真の平和をもたらすために来られました。そして、それを十字架によって成し遂げてくださいました。それゆえ、この方を信じる者は神との平和が与えられ、この地上で平和をつくることができるのです。「平和をつくる者は幸いです。天の御国はその人たちのもみのだからです。」(マタイ5:9)イエス・キリストを通して神との平和が与えられていることを感謝しましょう。

Ⅱサムエル記11章

 きょうは、Ⅱサムエル記11章の「ダビデの罪」について学びたいと思います。

 Ⅰ.ダビデの罪(1-5)

 まず、1~5節をご覧ください。「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエル全軍を送った。彼らはアンモン人を打ち負かし、ラバを包囲した。しかし、ダビデはエルサレムにとどまっていた。ある夕暮れ時、ダビデが床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、一人の女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。ダビデは人を送ってその女について調べさせたところ、「あれはヒッタイト人ウリヤの妻で、エリアムの娘バテ・シェバです」との報告を受けた。 ダビデは使いの者を送って、その女を召し入れた。彼女が彼のところに来たので、彼は彼女と寝た──彼女は月のものの汚れから身を聖別していた──それから彼女は自分の家に帰った。女は身ごもった。それで彼女はダビデに人を送って告げた。「私は子を宿しました。」」

 「年が改まり」とは、冬が過ぎて春が来た、ということです。イスラエルの暦では、アビブの月(ニサンの月)が新年の始まりとなります。この月はイスラエルがエジプトから脱出した月ですが、イスラエルでは出エジプトが民族の歴史の始まりであり、新しい年の始まりでもあったのです。これは太陽暦の3~4月にあたり、レバノン山の雪解けの水でエリコやヨルダン平原が潤され、大麦の収穫が始まる時期でもあります。冬の間が雨の日が続くので戦うこともできませんが、この時期になると戦いも再開します。この時の戦いは、アンモン人との戦いです。その戦いについては10章で学びましたが、アンモン人が、ダビデの送った使者たちに侮辱を加えたことで、ダビデはヨアブと勇士たちの全軍を送り出し、アンモン人とアラム人の連合軍を打ち破りました。そして年が改まった今回は、今度はアンモン人の首都ラバを包囲する戦いに臨んでいます。アンモン人の首都ラバは、現在のヨルダン王国の首都アンマンです。アンマンという地名は、このアンモンから来ているのです。しかしダビデはこの戦いに出て行かず、エルサレムに留まっていました。もはや勝敗の行方は明らかで、出向くまでもなかったのでしょう。彼は戦いの全てを、軍の司令官ヨアブに委ねました。

2節をご覧ください。そんなある日の夕暮れ時に、ダビデが床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、一人の女が、からだを洗っているのが見えました。彼女は律法に従って月のものの汚れを清めていたのです。おそらく、周囲に配置されている家臣の家の一つの庭でのことではないかと思います。ダビデはそれを見て「これはいけない!」と思ったでしょうが、その美しさにまいってしまい、それをじっと見てしまいました。これが、人が罪に陥る最初のステップです。見なくても良いものを見てしまうのです。凝視してしまいました。「これはいけない!」と思った時点で見るのを止めればよかったのに、ずっと見てしまいました。Ⅰヨハネ2:16には「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」とあります。彼はこの目の欲にすっかり魅了されてしまったのです。

それだけではありません。3節には、ダビデはその女について調べさせたとあります。その結果、彼女がヒッタイト人ウリヤの妻でバデ・シェバであることがわかると、使いを送って彼女を召し入れました。ヒッタイト人とは、カナンの先住民の一つです。つまり彼女はイスラエル人ではないヒッタイト人という異邦人出身の人の妻だったのです。しかしダビデはそんなことを全くお構いなしに召し入れてしまいました。彼はただ自分の肉の欲に従って行動したのです。

さらに4節を見ると、ダビデは彼女を召し入れ、彼女と寝ました。これは部下の妻との不倫、姦淫の罪です。彼は自分が王であることを利用し、その権威を自分の欲望を成し遂げるために用いたのです。特に、このとき夫のウリヤは戦争に出かけていました。王の命令によっていのちがけで戦っている時に、その家臣の妻に手を出したのです。これは赦されないことです。いったいなぜ彼はこのようなことをしまったのでしょうか。

ダビデは、主なる神を信じている信仰者として、そんなことをしてはいけないということくらい分かっていたはずです。しかも彼は、神が一介の羊飼いにすぎなかった自分をイスラエルの王とされたことを感謝し、その恵みを誰よりも深く体験した人です。しかし、バテ・シェバへの欲情に突き動かされていく時、そのようなことは全く歯止めにもならなかったのです。いったいなぜ彼は罪に陥ってしまったのでしょうか。ダビデほどの信仰者がこのように罪に陥っていくのであれば、私たちごときはどんなに注意したとしても、罪を犯さずにいられるという保証は一つもありません。罪の力というのはそれだけ大きく、不気味なものなのです。神様を信じていれば、神様に従おうと努力していれば、それを防ぐことができる、罪に陥らないで済むなどという甘いものではありません。「私たちはダビデのような罪を犯さないように気をつけましょう」というだけでは追いつかないほど、恐ろしいものなのです。いったい彼はどうしてこんなことをしてしまったのでしょうか。

このことを考えるとき、この時彼がどのような状況に置かれていたのかを考えるのは有益なことだと思います。前章で私たちは、アラムを打ち破ったダビデは祝福の絶頂にあったことを学びました。その戦いによってダビデは、その勢力をユーフラテス川のかなたにまで広げたのです。それは主がアブラハムやモーセ、ヨシュアに約束されたことの成就でした。主は、彼らに約束されたことを、一つもたがわず、みな実現してくださいました。しかし、そうした祝福の絶頂にあって、彼らの中に高慢が生じていたのです。箴言16章8節に「高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」とありますが、まさに高慢になったことで、破滅の一途をたどることになったのです。

私たちが霊的に一番危険なときというのは、試練や困難、弱さの中にある時ではなく、このように祝福されている時です。イスラエルに対して主はモーセを通して、「約束の地で祝福されたイスラエルが、高ぶって「自分たちの手で、このように繁栄しているのだ」と言うことがないように、そして他の神々に従うことがないように」と戒められましたが、自分たちが祝福されていると、自分たちは正しい者であると錯覚し、あたかも自分の手で何かを成し遂げたかのような思いになってしまうことがあるのです。ダビデも、主がこの国を立ててくださったことに安住し、一心に走ることを怠って、高慢になっていました。このような時は注意が必要です。私たちはいつも主の御前にへりくだり、謙虚に歩まなければなりません。そして、イエス様が教えられたように、誘惑に陥らないように祈らなければならないのです。

ダビデは、他人の妻と寝たとき、それだけのことだと考えていたかもしれませんが、そうではありませんでした。5節にあるように、バテ・シェバは身ごもってしまったのです。彼女はそのことをダビデに告げます。そして、そこからさらに深刻な話へと展開していくことになるのです。

Ⅱ.罪の隠蔽しようとしたダビデ(6-25)

次に6~25節をご覧ください。13節までをお読みします。「ダビデはヨアブのところに人を遣わして、「ヒッタイト人ウリヤを私のところに送れ」と言った。ヨアブはウリヤをダビデのところに送った。ウリヤがやって来ると、ダビデは、ヨアブは無事でいるか、また兵たちは無事か、さらに戦いはうまくいっているかと尋ねた。ダビデはウリヤに言った。「家に帰って、足を洗いなさい。」ウリヤが王宮から出て行くと、王からの贈り物が彼の後に続いた。しかしウリヤは、王宮の門のあたりで、自分の主君の家来たちみなと一緒に眠り、自分の家に帰らなかった。ダビデに「ウリヤは自分の家に帰らなかった」という知らせがあった。ダビデはウリヤに言った。「あなたは遠征して来たのではないか。なぜ、自分の家に帰らなかったのか。」ウリヤはダビデに言った。「神の箱も、イスラエルも、ユダも仮庵に住み、私の主人ヨアブも、私の主人の家来たちも戦場で野営しています。それなのに、私が家に帰り、食べたり飲んだりして、妻と寝るということができるでしょうか。あなたの前に、あなたのたましいの前に誓います。私は決してそのようなことをいたしません。」ダビデはウリヤに言った。「今日もここにとどまるがよい。明日になったら、あなたを送り出そう。」ウリヤはその日と翌日、エルサレムにとどまることになった。ダビデは彼を招いた。彼はダビデの前で食べて飲んだ。ダビデは彼を酔わせた。夕方、ウリヤは出て行って、自分の主君の家来たちと一緒に自分の寝床で寝た。しかし、自分の家には下って行かなかった。」

ダビデはバデ・シェバが身ごもったことを知ると、ヨアブのところに人を遣わし、ウリヤを自分のところに来させます。そして、戦況について尋ねると、「家に帰って、足を洗いなさい」と言いました。どういうことでしょうか。これは、ダビデが行ったことを隠蔽するための工作です。バデ・シェバの妊娠が通常の夫婦生活によるものと見せかけようとしたのです。ウリヤがバテ・シェバのところに入れば、生まれてきた子はウリヤの子であるとごまかすことができます。8節の「家に帰って足を洗いなさい」とありますが、これは「ご苦労だった。奥さんの所に帰ってゆっくりくつろげ」ということです。しかもダビデはウリヤに贈り物までしています。妻と共に楽しむためのご馳走か何かだったのでしょうが、いつになく親切な、愛想のよい態度の背景には、こうした魂胆があったのです。

ところが、このウリヤという人は実に忠実で、実直な人でした。彼は自分の家に帰ろうとせず、王宮の門のあたりで寝たのです。神の箱も、イスラエルも、ユダの仮庵に住み、主人ヨアブも、その家来たちも戦場で戦っているというのに、自分だけが家に帰り、食べたり飲んだりして、妻と寝るようなことはできるだろうか、そんなことは決してできないと思ったからです。その隠蔽工作が失敗に終わると、次にダビデが考えたことは、ウリヤに酒を飲ませて、何とか家に帰らせようとすることでした。酒を飲ませて酔わせれば、気分がよくなって帰るのではないかと思ったのでしょう。しかし、ウリヤはそれでも自分の家に帰ることをせず、自分の主君の家来たちと一緒に自分の寝床で寝ました。彼はどこまでも忠実に主君に仕えようとしていたのです。しかし今、ダビデにとって、その実直さが邪魔になっていました。なんという皮肉でしょうか。

ちなみに、このウリヤはヒッタイト人でしたが、改宗して神の民に加えられていました。ウリヤという名前の意味は「主は私の光です」です。ウリヤは神に愛された者として、忠実に神に仕えたいと思っていたのです。何と実直な信仰でしょうか。彼はダビデの下で、その良い霊的影響を受けていました。それなのにダビデは、そんなウリヤと殺そうとしたのです。

14節から25節までをご覧ください。「朝になって、ダビデはヨアブに手紙を書き、それをウリヤに託して送った。彼は、その手紙に次のように書いた。「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が討たれて死ぬようにせよ。」ヨアブは町を見張っていて、その町の力ある者たちがいると分かっている場所に、ウリヤを配置した。その町の者が出て来てヨアブと戦った。兵のうちダビデの家来たちが倒れ、ヒッタイト人ウリヤも死んだ。ヨアブは人を遣わして、戦いの一部始終をダビデに報告した。そのとき、ヨアブは使者に命じて言った。「戦いの一部始終を王に報告し終えたとき、もし王が憤って、おまえに、『どうして、おまえたちはそんなに町に近づいて戦ったのか。城壁の上から彼らが射かけてくるのを知らなかったのか。エルベシェテの子アビメレクを打ち殺したのは、だれであったか。一人の女が城壁の上からひき臼の上石を投げつけて、テベツで彼を殺したのではなかったか。どうして、そんなに城壁に近づいたのか』と言われたら、『あなたの家来、ヒッタイト人ウリヤも死にました』と言いなさい。」使者は出かけて行き、ダビデのところに来て、ヨアブの伝言を、すべて伝えた。使者はダビデに言った。「敵は私たちより優勢で、私たちに向かって野に出て来ましたが、私たちは門の入り口まで彼らを攻めて行きました。城壁の上から射手たちがあなたの家来たちに矢を射かけ、王の家来たちが死に、あなたの家来、ヒッタイト人ウリヤも死にました。」ダビデは使者に言った。「あなたはヨアブにこう言いなさい。『このことに心を痛めるな。剣はこちらの者も、あちらの者も食い尽くすものだ。あなたは町をいっそう激しく攻撃し、それを全滅させよ。』あなたは彼を力づけなさい。」」

ウリヤがなかなか家に帰らないのを見て、ダビデが次に考えたことは実に恐ろしいことでした。彼を戦いの最前線に送り込み、彼が死ぬようにさせたのです。朝になって、ダビデはヨアブに手紙を書き、それをウリヤ本人の手に託しました。その手紙には、ウリヤを激戦の真正面に出し、打たれて死ぬようにせよ、と書いてありました。ヨアブはダビデの命令を実行し、ウリヤが戦死するように仕向けました。案の定、ウリヤは戦いで死んでしまいました。ダビデが殺したのです。ダビデは自分の罪を隠し切れないと知るや、それを責める立場になるウリヤを抹殺することで自分の身を守ろうとしたのです。姦淫の罪を取り繕うために、何の罪もない、忠実な部下を殺すというさらに大きな罪を重ねました。罪はこのように新たな罪を生み、ふくれあがっていきます。一つの嘘をつくと、それを隠すために第二、第三の嘘をつかねばならなくなり、嘘がふくれ上がっていくのです。

18節をご覧ください。ヨアブは人を遣わして、このことをダビデに報告しました。これはあまりにも稚拙な作戦だったので、本来であれば司令官の責任問題になることでしたが、ヨアブはこの戦闘の一部始終をダビデに報告する際に、もし王がそれを聞いて憤り「何故そんなバカな作戦を行ったのか」と怒るようなら、「あなたの家来、ヒッタイト人ウリヤも死にました。」と言えと命じました。

21節にある1人の女が城壁の上からひき臼の上石を投げつけて、テベツでアビメレクを殺したというのは、士師記9章にある出来事です。勇将アビメレクが敵を追ってやぐらに近づきそれに火をつけようとしたとき、一人の女がやぐらの上から石を落とし、アビメレクの頭蓋骨を砕いたという出来事です。このことから「城壁に近づきすぎてはならない」というのが戦いの鉄則でした。しかし、ヨアブはこの鉄則をやぶり城壁に近づいたことで、敵が射かけてくる矢を防ぐことができませんでした。しかし、そのことでダビデが激怒したら、こう言えばいいのです。「あなたの家来、ヒッタイト人ウリヤも死にました。」

するとダビデはどのように反応したでしょうか。25節をご覧ください。「あなたはヨアブにこう言いなさい。『このことに心を痛めるな。剣はこちらの者も、あちらの者も食い尽くすものだ。あなたは町をいっそう激しく攻撃し、それを全滅させよ。』あなたは彼を力づけなさい。」」どういうことでしょうか。心配するな、戦争なんだから、人が死ぬのは仕方がない。だから、これ以後頑張って敵を攻撃し、全滅させよ、と激励しているのです。ダビデはヨアブに何も言うことができませんでした。だってそのようにするようにと命じたのはダビデ本人なのですから。何という欺瞞でしょうか。ウリヤはダビデの意志によって、その命令によって殺されたのです。ダビデが彼を殺しました。それを「戦争なんだから仕方がない」と装っているのです。ダビデのこの罪は単なる人殺しでは終わらない、さらに深いもの、さらに大きな罪だったのです。どこかで、この罪のサイクルを断ち切らなければなりません。もし断ち切らなければ、取り返しのつかない結果に陥ってしまいます。いったいどうしたらいいのでしょうか。

Ⅲ.主のみこころを損なったダビデ(26-27)

ですから、主イエスを信じなさい、ということです。主の救いを受けなさい、主の恵みを受けなさい、ということです。26~27節をご覧ください。「ウリヤの妻は、自分の夫ウリヤが死んだことを聞き、自分の主人のために悼み悲しんだ。喪が明けると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、彼のために息子を産んだ。しかし、ダビデが行ったことは【主】のみこころを損なった。」

ウリヤの妻バデ・シェバは、自分の夫が死んだことを聞き、悼み悲しみました。喪に服する期間は七日間です。喪があけると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れ、自分の妻としました。時間が経つと、姦淫によって彼女が身ごもっていたことが明るみに出てしまうからです。それで彼は喪が明けるとすぐに彼女を自分の家に迎え入れて自分の妻としたのです。その後、彼女は男の子を生みます。

すべてが計画通りでした。ダビデと数人の使いの者、またヨアブ以外はだれも、このことについての真実を知りませんでした。しかし、彼が行ったことは主のみこころを損ないました。人間的には上手に罪を覆い隠すことができたかもしれませんが、主は決してそれを見過ごしにはならず、みこころを痛められたのです。神様はそこで何をなさったかについては、この後でⅡサムエル記を読んでいく中で見ていきますが、ここで特に覚えておきたいことは、このことが神のご計画全体の中でどのようになったのかということです。

マタイの福音書1章1~17節をお開きください。これはイエス・キリストの系図です。その中に、本日のこのダビデの罪のことが語られています。6節です。ここには「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」とあります。ダビデ王の後継ぎとなったソロモンは、このバテ・シェバから生まれました。それは今回のⅡサムエル記11章で生まれた男の子ではありません。ソロモンはその後、バテ・シェバがダビデの正式な妻となってから生まれた子です。しかしこの系図には、ソロモンの母は「ウリヤの妻」であると記されてあります。ダビデは部下のウリヤから妻を奪った、その罪が、忘れられることがないように、ここにちゃんと記されてあるのです。このようにことさらにダビデの罪を強調しているこの系図は、主イエス・キリストの系図です。主イエス・キリストは、このような人間の罪の歩みを受けて、神様のご計画によってこの世にお生まれになられたと、この系図は語っているのです。ダビデとバテ・シェバの、あのどろどろとした、決して赦され得ない罪の末裔として、主イエス・キリストはお生まれになったのです。それは、主イエスが私たちの罪を、信仰者をも容赦なく飲み込んでいく不気味な罪の力を、十字架の苦しみと死とにおいて引き受けて下さり、ご自分の命をいけにえとしてささげることによって、私たちを赦して下さるためでした。私たちがこの強力な罪の力から救われるのは、ダビデのような罪を犯さないように気をつけることによってではなく、このイエス・キリストの十字架の死による赦しの恵みの中に置かれることによってなのです。「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」という主イエスの系図は、私たちが確かにその恵みの中に置かれていることを示しているのです。(日本基督教団富山鹿島町教会ホームページから転用)

Ⅰヨハネ1章9節にはこうあります「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」

ここに私たちの希望があります。私たちの希望は主イエス・キリストです。もし私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。そのとき、神が聖霊を注いでくださり、この聖霊の力によって、私たちの肉によってはできない罪との戦いに勝利を与えてくださるのです。これがパウロがローマ7章で見出した真理です。ローマ7章24~8章4節にはこうあります。「私は本当にみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。こうして、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。」

私たちは、私たちの主イエス・キリストを通して、神に感謝します。神は私たちができないことを、してくださいました。ご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わしてくださり、肉において罪を処罰してくださったからです。それゆえ、私たちは神の恵みに置かれることによって、この救い主イエス・キリストの十字架の贖いにより、その名を信じた者にもたらされる聖霊の力によって、この強大な罪の力にも勝利することができるのです。イエス・キリストはあなたのために生まれ、あなたの罪の身代わりとして十字架で死んでくださいました。このイエスを信じるならあなたも救われます。神の確かな恵みの中に置かれるのです。この神の恵みによって罪に勝利する人生を歩ませていただきましょう。

Ⅱサムエル記10章

Ⅱサムエル記10章から学びます。

 Ⅰ.ダビデへの侮辱(1-5)

 まず、1~5節をご覧ください。「この後、アンモン人の王が死に、その子ハヌンが代わって王となった。ダビデは、「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように」と言った。そして家来たちを通して彼の父の悔やみを言うために、ダビデは彼らを遣わした。ダビデの家来たちがアンモン人の地に着いたとき、アンモン人の首長たちは、主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとにお悔やみの使者を遣わしたからといって、彼が父君を敬っているとお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来を遣わしたのではないでしょうか。」そこでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分剃り落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返した。ダビデにこのことが告げられたので、ダビデは彼らを迎えに人を遣わした。この人たちが非常に恥じていたからである。王は言った。「ひげが伸びるまでエリコにとどまり、それから帰って来なさい。」」

 9章のところでダビデは、サウルの子ヨナタンの子で、足の不自由なメフィボシェテに神の恵みを施しましたが、今回はアンモン人の王ハヌンに真実を尽くそうと考えます。それは2節にあるように、彼の父ナハシュがダビデに真実を尽くしてくれたからです。そのように真実を尽くそうというのです。アンモンとはヨルダン川のちょうど東に面しているところですが、ダビデとの関わりについてはよくわかりませか。

このナハシュについてはⅠサムエル記11章に記されてあります。彼はイスラエルの町ヤベシュ・ギルアデと戦うために上ってくると、ヤベシュ・ギルアデの人たちは勝てないと思い彼と契約を結ぼうとします。そのナハシュはとんでもない条件を提示しました。それは、彼らの右の目をえぐり取ることでした。その条件で契約と結ぶと言ったのです。とても受け入れられない条件です。それで彼らは七日の猶予をもらい、自分たちを救う者を探します。

 その時ちょうど現れたのがサウルでした。彼は牛を追って畑からかえって来たところでしたが、そのことを聞くと、主が必ず救ってくださると言ってアンモン人たちと戦い、これを打ったのです。以後、サウルはイスラエルの王としての地位を不動のものとしていくわけです。いわば、これはサウルにとってのデビュー戦のようなものでした。しかし、その頃ダビデはまだ若く、羊飼いをしていた少年でした。ダビデが表舞台に登場するのは、この出来事からかなり後のことです。ですから、ダビデとアンモン人ナハシュとの間には接点は見られないのです。

 おそらく、ナハシュがダビデに真実を尽くしたというのは、その後ダビデがサウルの妬みを買い逃亡生活を送っていた時のことかと思われます。その時ダビデはアンモンの南にあるモアブの地にも行っています。その時にアンモンのナハシュのところにも逃れた際に、彼からよくしてもらったのでしょう。ダビデはその時のことを忘れていませんでした。そして今、そのナハシュの子ハヌンに真実を尽くそうと考えたのです。

それに対してアンモン人の首長たちはどのように応答したでしょうか。3節をご覧ください。彼らは主君ハヌンに、ダビデが遣わした使者はスパイだと言いました。それでハヌンはダビデの家来たちを捕らえ、ひげを半分そり落とし、衣を半分に切って尻のあたりまでにして送り返したのです。当時の習慣では、ひげをそり落とすこと自体屈辱的なことでしたが、半分だけそり落とすのは、もっと悪いことでした。また、衣を半分に切ってお尻が見えるようにするというのも受け入れがたい行為です。

いったいなぜ彼らはそのようなことをしたのでしょうか。信じることができなかったのです。彼らは猜疑心に満ちていました。というのは、8章12節を見ていただくとわかりますが、この時ダビデはアンモン人に勝利しており、彼らから分捕り物を奪っていました。つまり、アンモンはダビデに隷属していたのです。そのダビデが真実を尽くすわけがないと考えたのです。これは、神の恵みを拒む人に共通している心理です。持っていない人は持っている物まで取り上げられるようになるのです。

ダビデの真実を拒み、このような酷い仕打ちをするハヌンたちは、まさにキリストにある神の恵みを受け入れないで、それを踏みにじるようなことをする者たちと同じです。ヘブル人への手紙10章29節には「まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものと見なし、恵みの御霊を侮る者は、いかに重い処罰に値するかが分かるでしょう。」とあります。そのように、神の恵みの御霊を侮る者には、重い処罰が下ることを覚えておかなければなりません。神の恵みの御霊を侮ることがないように、神の御子を素直に受け入れ、神の恵みに預かる物となりたいと思います。

そのことを聞いたダビデはどうしましたか。彼は人を遣わし、使者たちのひげが伸びるまでエリコに留まるように命じました。彼らがそのことを非常に恥じていたからです。ダビデの部下に対する思いやりを感じますね。と同時に、私たちもたとえ隣人に誤解され侮辱されるようなことがあっても、主に信頼して歩み続けるなら、使者たちのひげが伸びたように、必ず名誉が回復する時が来ます。失望しないで、主に信頼して歩み続けようではありませんか。

Ⅱ.アンモン人に対する勝利(6-14)

次に6~14節をご覧ください。8節までをお読みします。「アンモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見てとった。そこでアンモン人は人を遣わして、ベテ・レホブのアラム人とツォバのアラム人の歩兵二万、マアカの王の兵士一千、トブの兵士一万二千を雇った。ダビデはこれを聞き、ヨアブと勇士たちの全軍を送った。アンモン人は出て来て、門の入り口で戦いの備えをした。ツォバとレホブのアラム人、およびトブとマアカの人たちは、彼らだけで野にいた。」

アンモン人は、自分たちがダビデに憎まれるようになったのを見て取って、アラム人(シリヤ)の歩兵二万人、マアカの王の兵士一千、トブの兵士一万二千を雇ました。地図をご覧ください。アラムとはシリヤのことです。アンモン人の地のはるか北方に位置していた民です。また、マアカとトブもアンモンの北方に位置していた民族です。アンモン人はこの戦いのために彼らを雇い入れたのです。この戦いにかける彼らの意気込みを感じます。

このアンモンとシリヤの連合軍に対して、ダビデはヨアブを将軍とした勇士たち全員を送りました。敵は二手に分かれて戦いに備えました。アンモン人は門の入り口に、アラム人とマアカ人たちは別の野に陣を敷きました。つまり、イスラエル軍を前後から挟み撃ちにする作戦に出たのです。

9~12節をご覧ください。「ヨアブは、自分の前とうしろに戦いの前線があるのを見て、イスラエルの精鋭全員からさらに兵を選び、アラム人に立ち向かう陣備えをし、残りの兵を兄弟アビシャイの手に託して、アンモン人に立ち向かう陣備えをした。ヨアブは言った。「もしアラム人が私より強かったら、あなたが私を救ってくれ。もしアンモン人があなたより強かったら、私があなたを救いに行こう。強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主が、御目にかなうことをされるのだ。」」

ヨアブは自分の前とうしろに戦いの前線があるのを見て、イスラエルの精鋭の中から兵を選び、アラム人に立ち向かう備えをし、残りの兵を兄弟アビシャイの手に託して、アンモン人に立ち向かう備えをしました。二手に分かれて敵と対峙したのです。すごいですね。彼がすごかったのは12節にあるように、「強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために、奮い立とう。主が、御目にかなうことをされるのだ。」と言って兵士たちを鼓舞した点です。

ここにヨアブの優れた二つの点が記されてあります。一つは、彼はこの戦いが「神の町々のために」と言っていることです。彼は、この戦いが神の町々を守るためのものであることを知っていました。つまり、信仰に基づく戦いであるという確信をもっていたのです。そしてもう一つのことは、主が、御目にかなうことをされると、結果のすべてを主にゆだねたことです。主はみこころにかなったことをされるということばは、信仰から出たことばです。私たちの信仰の戦いも同じです。大切なのは、結果ではなくプロセスです。それが自分たちの力でできるかどうかということではなく、それが何のためであるかということであり、その結果をすべて主にゆだねることです。それが主のみこころならば、主は必ず御目にかなったことをされると信じて全力で戦うことなのです。

その結果はどうだったでしょうか。ヨアブ率いるイスラエル軍の大勝利でした。13~14節には、「ヨアブと彼とともにいた兵たちがアラム人と戦おうとして近づいたとき、アラム人は彼の前から逃げた。アンモン人はアラム人が逃げるのを見ると、アビシャイの前から逃げて町に入った。そこでヨアブはアンモン人を討つのをやめて、エルサレムに帰った。」とあります。私たちも主の戦いに召されています。この戦いにおいて重要なのは、それが主の戦いであると信じて、結果のすべてを主にゆだね、全力で戦うことです。主は、御目にかなったことをされると信じて、私たちに与えられている信仰の戦いを全力で戦おうではありませんか。

Ⅲ.アラム人への勝利(15-19)

最後に15~19節をご覧ください。「アラム人は、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て、集結した。ハダドエゼルは人を遣わして、ユーフラテス川の向こうのアラム人に出て来させた。彼らは、ヘラムにやって来た。ハダドエゼルの軍の長ショバクが彼らを率いていた。このことが報告されると、ダビデはイスラエル全軍を集結させ、ヨルダン川を渡って、ヘラムへ進んだ。アラム人はダビデと対決する備えをし、彼と戦った。アラム人はイスラエルの前から逃げた。ダビデはアラムの戦車兵七百と騎兵四万を殺し、軍の長ショバクも討ったので、彼はそこで死んだ。ハダドエゼルに仕えていた王たちはみな、彼らがイスラエルに打ち負かされたのを見て、イスラエルと和を講じ、イスラエルに仕えるようになった。アラム人は恐れて、再びアンモン人を助けようとはしなかった。」

アラム人(シリヤ)たちは、自分たちがイスラエルに打ち負かされたのを見て、再び集結しました。そのアラム人を率いたのはハダドエゼルです。彼は人を遣わして、ユーフラテス川の向こうにいたアラム人に呼びかけて、出て来させました。彼らがヘラムまでやって来たとき、その軍を率いていたのはハダドエゼルの将軍ショバクでした。

このことがダビデに報告されると、ダビデはイスラエル全軍を集結させ、彼らと戦うためにヨルダン皮を渡り、ヘラムへと進んで行きました。アラム人たちはダビデ軍と対決しましたが、イスラエルの前から逃げることになりました。ダビデ軍の大勝利です。軍の長のショバクも、そこで死にます。ハダドエゼルに仕えていた王たちはみな、彼らがイスラエルに打ち負かされたと聞いて、イスラエルと戦うことをやめ、イスラエルと和を講じ、イスラエルに仕えるようになりました。もちろん、アラム人は恐れて、再びアンモン人を助けようとはしませんでした。イスラエルにとってはもう向かうところ敵なしです。

いったいこのことから、聖書は私たちに何を教えているのでしょうか。二つのことがあります。一つは、主はご自身が約束されたことを実現される真実な方であるということを示されたということです。

この戦いによって、ダビデはその勢力をユーフラテス川のかなたにまで広げました。これは創世記15章18節の約束の成就でした。「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで」

さらにこれは、ヨシュア記1章3~4節の成就でもありました。主はカナンの地を戦略しようとしていたヨシュアにこう告げました。「わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたに与えている。あなたがたの領土は荒野からあのレバノン、そしてあの大河ユーフラテス川まで、ヒッタイト人の全土、日の入る方の大海までとなる。」それはアブラハムを通して約束されたことをモーセが引き継ぎ、モーセによって主が語られたことの実現に向けて、ヨシュアが行動することを意味していました。

結果はどうだったでしょうか。ヨシュアはその生涯を終えるとき、このように告白しました。「あなたがたの神、主があなたがたについて約束されたすべての良いことは、一つもたがわなかったことを。それらはみな、あなたがたのために実現し、一つもたがわなかった。」(ヨシュア23:14)主は、イスラエルに約束されたことを、一つもたがわず、みな実現されました。それは実際にはヨルダン川西岸の地、カナンの地を指していましたが、このダビデの時代になって、アブラハムとモーセを通してイスラエルに約束されたことが完全に実現したのです。

主は約束されたことを実現される良い方です。私たちは平気で約束を破りますが、主はそのようなことはされません。約束されたことを最後まで実現してくださるのです。まことに真実な方なのです。このような方に信頼して歩める人は何と幸いでしょうか。それはパズルの一つ一つのピースのように、それ自体では神のご計画全体のどの部分なのかを知ることは困難かもしれませんが、パズル全体が組み合わされるとき、それがどれほど完璧な計画であったかを知るようになるのです。神のご計画によってすべては益に変えられるからです。

もう一つのことは、このダビデの大勝利は、同時に彼の苦難の始まりでもあったということです。この勝利によって彼は絶頂期を迎えましたが、この後で彼の人生における大きな汚点へとつながっていくからです。11章1節には、ダビデが自分の家来たちとイスラエル全軍を送ったとき、そして、彼らがアンモン人を打ち負かしたとき、ダビデはエルサレムにとどまっていましたが、そこで彼はウリヤの妻バデ・シェバと姦淫を犯してしまう罪を犯すことになるのです。これはダビデだけでなくすべての人に言えることですが、人は苦難の中にある時はひたすら神に信頼しへりくだって歩もうとしますが、このように大きな祝福の中にあるとき、高慢になりがちなのです。こうした勝利の時こそ慢心を生み、それが大きな危機をもたらしいくのです。ですから、そのことをいつも心に刻み、どんな時でも主の御前にへりくだり、謙虚に歩ませていただきたいと思うのです。逆に、逆境の中に置かれるとき、それは確かに受け入れがたいことではありますが、その時こそ神が共にいてくださる祝福の時であることを覚え、神からの助けと力をいただき信仰によって乗り越えさせていただきましょう。

Ⅱサムエル記9章

 サムエル記第二9章から学びます。

 Ⅰ.ヨナタンとの契約のゆえに(1)

 まず、1節をご覧ください。「ダビデは言った。「サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか。私はヨナタンのゆえに、その人に真実を尽くしたい。」

 主はダビデとともにおられたので、ダビデが行く先々で、彼に勝利を与えられました。主は周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えてくださいました。ダビデもまた、そのようにして与えられた全イスラエルを、主のさばきと正義によって治めていました。

 そのような時ダビデは、サウルの家の者で、まだ生き残っている人はいないか、と尋ねました。それは、ダビデが親友ヨナタンと結んだ契約のゆえです。彼はヨナタンに真実を尽くしたいと思ったからです。その契約とはⅠサムエル記20章12~17節にある内容ですが、ヨナタンは自分の父サウルがダビデを殺さないというのを聞いていたのに、実際はそうでないのを見て、もしサウルがダビデを殺そうとしているのを知ったなら、そのことを必ずダビデに告げ、ダビデが殺されることがないように無事に逃がしてやる代わりに、自分の家族をあわれんで、恵みを施してほしいということでした。たとえ自分が死ぬようなことがあっても、どうか自分の家族だけは助けてやってほしい、彼の家が断たれることがないようにしてほしいということだったのです。ダビデはこのヨナタンのことばを受け入れ、主の前で契約を結びました。それが今、実行に移されようとしていたのです。ダビデは、そのヨナタンとの契約のゆえに、その真実を尽くそうとしたのです。

日本のことわざに、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」ということわざがあります。苦しい時に人を助けてやっても、その苦しみが過ぎ去るとその恩を忘れてしまうということです。ルカの福音書17章には、イエス様にツァラートを癒してもらった10人の人の話があります。しかし、そのうちで感謝するためにイエス様のところに戻って来たのはたった1人だけでした。しかもそれはサマリヤ人だけ、外国人だけでした。それを見られて嘆かれたイエス様はこう言われました。「10人きよめられたのではないか。9人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがるために戻って来た者はいなかったのか。」(ルカ17:17-18)

このように、私たちは往々にして人から受けた恵みを忘れ、感謝の心をなくしたり、神に対する感謝や約束を忘れてしまったりすることがあります。しかし、ダビデはそうではありませんでした。彼は、ヨナタンと交わした契約を忘れることなく、その契約のゆえに、彼の家族を助けようとしたのです。ここにダビデの誠実な信仰を見ることができます。私たちもダビデのように、主の前で契約したことを最後まで果たそうとする誠実な信仰者でありたいと思います。

Ⅱ.メフィボシェテへの恵み(2-8)

次に、2~8節をご覧ください。「サウルの家にツィバという名のしもべがいて、ダビデのところに呼び出された。王は彼に言った。「あなたがツィバか。」彼は言った。「はい、あなた様のしもべです。」王は言った。「サウルの家の者で、まだ、だれかいないか。私はその人に神の恵みを施そう。」ツィバは王に言った。「まだ、ヨナタンの息子で足の不自由な方がおられます。」王は彼に言った。「その人は、どこにいるのか。」ツィバは王に言った。「お聞きください。ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家におられます。」ダビデ王は人を送って、ロ・デバルのアンミエルの子マキルの家から彼を連れて来させた。サウルの子ヨナタンの子メフィボシェテは、ダビデのところに来て、ひれ伏して礼をした。ダビデは言った。「メフィボシェテか。」彼は言った。「はい、あなた様のしもべです。」ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」彼は礼をして言った。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは。」

サウルの家にツィバという名のしもべがいました。彼はダビデのところに呼び出されると、ダビデは彼に、サウルの家の者で、まだだれかいるかどうかを尋ねました。その者に恵みを施すためです。あのヨナタンのゆえにです。そこでツィバは、ヨナタンの息子で足の不自由なメフィボシェテが残っていることを知らせます。覚えているでしょうか、Ⅱサムエル記4章で、このヨナタンの子について紹介されていました。彼がメフィボシェテです。サウルとヨナタンがペリシテ人との戦いによって死んだとき、メフィボシェテの乳母があまりにも急いで逃げたので、その子を落としてしまいました(Ⅱサムエル4:4)。それで彼は足なえになってしまったのです。彼は今、名も明かさずに、マキルという人の家で世話になっていました。

メフィボシェテは、いのちが奪われるのではないかと恐れながらダビデのもとに来て、ひれ伏して礼をしました。するとダビデは彼に信じられないことを言いました。何でしょうか。7節です。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。あなたの祖父サウルの地所をすべてあなたに返そう。あなたはいつも私の食卓で食事をすることになる。」

何とベニヤミンの地にある祖父サウルの土地をすべて自分に返すというのです。そればかりではあふりません。いつもダビデの食卓で食事をすることになるというのです。

これは考えられないことです。当時の世界では、王が他の王によって滅ぼされたとき、新しい王は、自分に反逆して自分の国を乗っ取ることがないように前の王の家族全員を皆殺しにしました。ですから、サウルの家からダビデの家にイスラエルの統治が移ったのであれば、メフィボシェテは殺されて当然でした。その彼のいのちが守られるというだけでなく、先祖の土地まで返してもらうことができ、さらに、王の食卓で食事をすることまで許されたのです。その恵みがどれほど大きいものであったかがわかるかと思います。これが神の恵みです。Amazing Grace! 驚くばかりの恵みです[o1] 。罪過と罪との中に死んでいた私たちは滅ぼされても当然の者でした。にもかかわらず、神は十字架のキリストにその敵意を置いてくださることによって、私たちの罪を赦してくださいました。そればかりか、私たちを神の子として御国を相続する者としてくださったのです。そしてキリストとの食事、親密な交わりを持つ特権に預からせてくださいました。これは大いなる恵みです。それは、アブラハムを通して約束してくださったことであり、またモーセを通して約束してくださったことであり、このダビデを通して約束してくださったことです。神はその約束のゆえに、それを実現してくださったのです。神は約束を実行される真実な方なのです。その契約のゆえに、私たちも神の尊い救いに与る者となったのです。

メフィボシェテは、感謝してダビデの申し出を受け取りました。感謝して受け取るしかなかったのでしょう。足なえの身ですから、かつてイシュボシェテがダビデと戦ったように、戦うことはできません。また、このようなすばらしい恵みが用意されているのに、それを受け取らない理由はないからです。

 彼は自分のことを、「死んだ犬のような者」と言っています。私たちにはあまりこの言葉の持つ重みを理解していません。「犬」というのは聖書の中で非常に恥ずべきもの、卑しいものを呼ぶときの呼称として用いられた言葉です。彼は、自分がいかに卑しい者であるかを知っていました。

 神の恵みを受け入れる人は、それが恵みであることが分からないと、受け入れることができません。自分はすでに豊かであり、満足していると思っていると、罪の赦しや永遠のいのの必要性を感じなくなってしまうからです。ですから、恵みが恵みであることを知るには、本当の自分の姿、心の貧しさを知る必要があります。イエス様は、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)と言われましたが、自分がいかに貧しく、惨めな者であり、さばきと死に値する者であることを認めることが救いの入口です。このメフィボシェテのように、そのことを認めることができなければ、その恵みの大きさを知ることはできないのです。

Ⅲ.王の食卓で食事をしたメフィボシェテ(9-13)

次に、9~13節をご覧ください。「王はサウルのしもべツィバを呼び寄せて言った。「サウルと、その一家の所有になっていた物をみな、私はあなたの主人の息子に与えた。あなたも、あなたの息子たちも、あなたの召使いたちも、彼のために土地を耕し、作物を持って来て、それがあなたの主人の息子のパン、また食物となる。あなたの主人の息子メフィボシェテは、いつも私の食卓で食事をすることになる。」ツィバには息子が十五人と召使いが二十人いた。 ツィバは王に言った。「わが主、王がこのしもべに申しつけられたとおりに、このしもべはいたします。」メフィボシェテは王の息子たちの一人のように、王の食卓で食事をすることになった。メフィボシェテには、ミカという名の小さな子がいた。ツィバの家に住む者はみな、メフィボシェテのしもべとなった。メフィボシェテはエルサレムに住み、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足がともに萎えていた。」

メフィボシェテへの約束を実行するために、ダビデはサウル王のしもべであったツィバを呼び寄せて言いました。サウルと、その一家が所有していた物はみな、メフィボシェテに返還されるということ、そして、ツィバも、ツィバの息子たちも、またツィバの召使いたちも、返還されたサウル家の土地を耕して、サウル家の生計を立てなければならないということです。そして、メシュボシェテは、いつもダビデの食卓で食事をするようになるということです。ツィバには15人の息子と20人のしもべがいたので、かなりの広い土地を耕すことができました。

ツィバはダビデの命令を受け入れ、それを実行しました。そして、メフィボシェテは王の息子たちの一人のように、王の食卓で食事をするようになりました。メフィボシェテには、ミカという名の小さな子がいました。この子は成長して多くの子孫をもうけ、彼によってサウルの家系が何世紀にもわたって存続するようになります(Ⅰ歴代誌9:41~44)。

かくしてメフィボシェテは、まるで王の息子たちのように、ダビデの食卓に連なるようになりました。彼はダビデと食事を共にするために、先祖の地ではなく、エルサレムに住みました。このダビデの姿はイエス様の姿を、メフィボシェテは私たちクリスチャンの姿を表しています。ダビデはメフィボシェテを恵みによって取り扱いました。また、常に自らの食卓に連なることを許しました。これは一方的な恵みによるものです。恵みとは、受ける価値のない者が受けるようになることです。メフィボシェテはまさに受ける価値のない者でした。滅ぼされてもしょうがない者でしたが、ダビデ王の恵みによって慈しみとあわれみを受けただけでなく、ダビデと同じ食卓にあずかるという光栄に預かる者となったのです。私たちも同じです。私たちは神に敵対していた者、どうしようもない罪人であったのに、神があわれんでくださり、神との食卓に与るという栄光を受ける者とされました。何という恵みでしょうか。これは人知を超えた祝福です。このような恵みと祝福を与えてくださった主に心から感謝します。そして、その恵みに生きる者でありたいと思います。


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Ⅱサムエル記7章

今日は、Ⅱサムエル記7章からお話します。ここはとても重要な箇所です。というのは、ここには「ダビデ契約」について書かれてあるからです。旧約聖書には、罪によって失われた神の国を回復するために、キリスト、メシヤを送るということが予言されていますが、その中でも重要な予言が3つあります。一つはアブラハム契約と呼ばれるもので、これは創世記12章にありますが、アブラハムの子孫からキリストをこの世に送り、地上のすべての人を祝福するというものです。もう一つは、シナイ契約と呼ばれるもので、これはモーセの時代になってイスラエルが民族にまで成長したとき、主は彼らを律法によって聖別し、ご自身の民とすると約束してくださったものです。そしてもう一つがこのダビデ契約です。主はダビデと契約を結び、ダビデの家系から出るキリストによって、とこしえまでも続く神の国を立てると約束されました。7章13節に、「彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」とあります。 きょうは、このダビデ契約からご一緒に学びたいと思います。

Ⅰ.預言者ナタン(1-7)

まず、1~7節までをご覧ください。3節までをお読みします。「王が自分の家に住んでいたときのことである。主は、周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えておられた。王は預言者ナタンに言った。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられるのですから。」

ダビデは30歳で王となり、40年間イスラエルを治めました。ヘブロンで7年6カ月ユダを治め、エルサレムで33年間イスラエルとユダ全体を治めました。ダビデは王となるとエブス人を攻略してそこを攻め取り、それを「ダビデの町」と呼びました。これがエルサレムです。そして、そこを政治的、軍事的拠点としたのです。すると、ツロの王ヒラムがダビデのもとに使者と、杉材、木工、石工を送り、ダビデのために王宮を建てました。5章11節に記されてあります。万軍の主がダビデとともにおられたので、ダビデはますます大いなる者となりました。

そんなある日のことです。主が周囲のすべての敵から彼を守り、安息を与えてくださいましたが、彼は一つのことに気付きました。それは、自分は杉材の立派な家に住んでいるのに、神の箱は天幕に安置されたままになっているということです。確かに、天幕の内側は純金でできていて神の栄光に満ち溢れていましたが、外側はじゅごんの皮でできたみすぼらしいものでした。じゅごんというのは地中海に生息していたアザラシみたいな動物です。自分が住んでいる杉材の王宮と比べると、それはくらべものになりませんでした。

そこで彼は預言者ナタンに相談しました。「見なさい。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中に宿っている。」(3)ナタンは宮廷に出入りする預言者でした。宮廷に出入りしていた預言者は、王の個人的な助言者でもありました。ナタンはダビデから相談されると、即座に答えて言いました。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられるのですから。」

どうですか、何だか力が湧いてくるようなことばじゃないですか。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられますから。」しかし、これは主のみこころにかなったものではありませんでした。あくまでもナタンの個人的な見解にすぎなかったのです。確かに、主がダビデとともにおられるというのは真理でしたが、ダビデが主のために家を建てるというのは間違いでした。彼はこれほど重要なことを、全く主に伺いも立てずに、個人的な判断で即答したのです。

それは、4~7節までのことばを見るとわかります。「その夜のことである。次のような種のことばがナタンにあった。『行って、わたしのしもべダビデに言え。『主はこう言われる。あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか。わたしは、エジプトからイスラエルの子らを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕、幕屋にいて、歩んできたのだ。わたしがイスラエルの子らのすべてと歩んだところどこででも、わたしが、わたしの民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、「なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか」と、一度でも言ったことがあっただろうか。』」(4-7)

「その夜」とは、ナタンがダビデに告げた日の夜のことです。主はナタンを通してダビデに言われたことは、主は、エジプトからイスラエルの民を連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、幕屋にいて民を導いて来られたということ、そして、これまでどのイスラエルの部族にも、ご自身のために杉材の家を建てるように命じたことはなかったということです。つまり、ナタンが告げたことばは間違っていたということです。それは彼の思いにすぎず、主のみこころではなかったのです。

ナタンは預言者であり、とても善良で正しい人物でした。しかし、そのような人物でも自分の判断によってことばを発するなら、間違いを犯してしまうことがあります。善良で正しいだけでは人々を正しく導くことはできません。大切なのは主に祈り、主の導きを求めることです。これはナタンだけでなく、私たちに対する教訓でもあります。

Ⅱ.ダビデ契約(8-17)

次に、8~11節前半までをご覧ください。「今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。』

主は続いてこう言われました。「万軍の主はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。」

どういうことでしょうか。主は一介の羊飼いにすぎなかったダビデを選び、イスラエルの王としたということです。そして、ダビデがどこに行っても、彼とともにいて、勝利を与えてくださいました。すべての敵を絶ち滅ぼしてくださったのです。そのようにして主は彼を、地の大いなる者たちの名に等しい名を与えてくださいました。

そればかりではありません。10節と11節前半には「わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。」とあります。

主はご自身の民のために一つの場所を定め、そこに住まわせてくださいました。どこですか?エルサレムです。ダビデの町エルサレム。それは彼らが敵の恐怖から守られ、安心して暮らすことができるようになるためです。士師の時代のように、周囲の敵に圧迫されて暮らすことがないようにするためです。

それはせかりではありません。ここで主はとても重要なことを告げられました。それが11節後半から17節までにあることです。「主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。」

主はダビデのために一つの家を造る、と言われました。ダビデは主のために家(神殿)を建てようと考えていましたが、そうではなく、主がダビデのために一つの家を造られる、と言われたのです。それはどのような家でしょうか。それはとこしえまでも堅く立つ王国です。12~13節には、「あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」

とあります。

それは、ダビデの身から出る世継ぎの子が、ダビデの死後に、彼の王国を確立させるということです。ダビデの世継ぎ子とはだれでしょう。そうです、ソロモンです。ソロモンが主の御名のために一つの家を建て、主は彼の王国をとこしえまでも堅く立てるのです。しかし、それはソロモンだけでなく、ダビデの子孫として生まれ、永遠の神の国を建てられるメシヤ、キリストのことを預言していました。それはここに「彼の王国をとこしえまでも堅く立てる」とあることからもわかります。このことは16節にもあります。そこにはこのことが2回も繰り返して言われています。それは、この約束がダビデの息子ソロモンを超えて、来るべきメシヤのことを指していたからです。

預言者イザヤは、この方について次のように預言しました。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」(イザヤ9:6-7)イスラエルを治めるひとりの男の子が、ダビデの王座に着いて、その王国を治めますが、それは今より、とこしえまでです。それはやがて来られるメシヤ、救い主キリストのことだったのです。そして、この預言のとおり、主はこのダビデの家系から救い主を送ってくださいました。それが今から2000年前の最初のクリスマスです。主は、この王国を立てるために救いのみわざ、十字架と復活のみわざを成し遂げてくださいました。そして今、神の右に着座しておられます。そして神の家である教会のかしらとなってこの御国を治めておられます。そしてやがて主が再び地上に戻って来られるとき、この約束が完全に成就することになります。この方はダビデの座に着いて、とこしえに神の国を治めてくださるのです。

ところで、14節を見ると不思議なことが記されてあります。それは、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。」ということです。これは父なる神と子なる神の麗しい親子関係が描かれています。しかし、もしこれがメシヤのことであるならば、彼が不義を行うなど考えられないことです。ましてや、神がむちをもって彼を懲らしめるなどあり得ません。勿論、これは第一義的にダビデの子ソロモンのことを指しているとすれば、ソロモンが罪を犯すことはあり得るし、その場合、神がソロモンを懲らしめることもあります。

ある人は、この「彼が不義(罪)を行ったとき」を「彼が罪を負うとき」のこと解釈し、これはイザヤ書53書にある、「彼は罪を負った」というメシヤの受難のことを指示していると考え、それで彼はむちを受けることをよしとされた、と言っています。

しかし、ここではそういうことではなく、ダビデの子ソロモンに焦点があてられていたため、ソロモンが罪を犯す可能性があったのでそのことが戒められているのです。ですから、並行箇所のⅠ歴代誌17章にはこのことに関する記述がないのです。ちょっと開いてみましょう。Ⅰ歴代誌17章10~15節です。ここには、Ⅱサムエル記に書いてあることとほとんど同じことが記されてあります。しかし、Ⅱサムエル記にあるこの記述が抜けているのです。どうしてか?Ⅱサムエル記7章ではダビデの直接の子であるソロモンに焦点を絞った内容になっているのに対して、このⅠ歴代誌17章は、メシヤであるイエスに焦点を絞った内容になっているからです。メシヤであるキリストが罪を犯すことなどあり得ないからです。

しかし、たとえソロモンが罪を犯すことがあっても、サウルのように恵みが取り去られることはありません。これはとこしえの契約だからです。そのことが15~16節でこのように言われています。「しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」(15-16)

すばらしい約束ですね。サウルからは恵みが取り去られましたが、ソロモンからは取り去られることはありません。確かにソロモンも罪を犯しました。サウルのように恵みが取り去られることはないのです。サウルとソロモンの罪を比較すると、サウルよりもソロモンの方がはるかに大きな罪を犯しました。サウルは、預言者サムエルに「待て」と言われたのに、民が自分から離れ去ってしまうのではないかと恐れて、サムエルが到着する前に、サムエルに代わって自分で主に全焼のいけにえをささげてしまいました(Ⅰサムエル13:8-9)。また、アマレクとの戦いにおいてこれを討ち、そのすべてのものを聖絶するようにと明治ら楡田にもかかわらず、肥えた羊とか牛とかのうち最も良いものを惜しんで聖絶しまぜんでした。ただ、つまらない値打ちのものないものだけを聖絶しました(15:7-9)。そのことをサムエルから指摘されると彼は、「いや、自分はちゃんと聖絶しましたよ」と答えるも、その後ろから「モー」と鳴く牛の声が聞こえるというありさまでした。でも、ソロモンの罪と比べたらかわいいものですよ。ソロモンは何をしたんですか?ソロモンは1000人の妻と多くのそばめを持ち、彼女たちが持ち込んだ偶像の神を拝んだのですから。それは赦されないことでしょう。もちろん、罪に大きいも小さいもありませんが、でも、サロモンが犯した罪はサウルのそれに比べたらはるかに大きなものでした。それなのに彼は、サウルのように王座を奪われることはありませんでした。なぜなら、これが永遠の契約に基づいていたからです。これが神の愛です。神の愛は無条件の愛なのです。私たちがどのようなものであるかは全く関係ありません。私たちがどんなに罪深い者であっても、神の御前にへりくだり、自分の罪を悔い改めて、神の救い、イエス・キリストを信じるなら、どんなものでも救われるのです。そして、どんなことがあっても見捨てることはありません。ヨハネ10:29で、イエスはこのように言われました。「だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。」(ヨハネ10:29)

私は、福島で牧会していたとき10年間刑務所の教誨師をしていました。教誨師というのは毎月1回刑務所に行き、聖書からイエス様についてお話するのですが、そこに出席している人はみんな乾いた砂が水を吸収するように話を聞きますか。そこで、あのミッションバラバのビデオを見せたことがありました。ミッションバラバというのは、元ヤクザが悔い改めてイエス様を信じ、親分はイエス様!と証しするようになった人たちです。

それを見た一人のヤクザが、「先生。自分もヤクザだけど、こいつらはちょっと甘いです」というのです。一度信じた親分を裏切るなんて中途半端なヤクザだ。俺はヤクザを続けながらイエス様を信じます。それでもいいですか?」と言われたのです。「ヤクザを続けながらイエス様を信じるというのは難しいんじゃないかと思い、「ちょっと難しいと思いますよ。イエス様を信じたら、ヤクザができなくなると思います。でも、やってみてください」と勧めたら、もう一人のヤクザとイエス様を信じたのです。

そして出所後、一人は神戸に、もう一人は群馬県高崎の家に戻ったのですが、一年前に連絡があり、久しぶりにこられたんですね。25年ぶりの再会でした。それはちょうどこの方の奥さんが癌で闘病していて、余命いくばくかというときでした。あの時のように「いつくしみ深き」を賛美して、聖書からお祈りをしました。もう涙、涙です。隣にティッシュを置いてその時間ずっと鼻をかんでいました。

それからひと月くらいして奥様がなくなるのですが、こんなメールをくれました。 「先生。今日、医師から時間の問題です、と言われました。俺みたいな渡世人が祈ってもイエスは聞く耳持たないと思いますので、先生、自分も妻を愛し、そしてイエスを愛しました。自分の祈りが届きますように、先生、祈ってください。お願いします。わが愛しい妻。そしてわが愛するイエス・キリスト。十字架の愛を心より永遠に。」

あれから1年近くになりますが、先週、また二人で来られたのです。また3人で讃美歌を歌い、聖書からお話をして、お祈りをしました。一緒に讃美歌を歌ったり、お祈りをしながら感じたことは、彼らがどういう人たちであろうとも、イエス様はこういう人たちを愛しておられるだろうなぁということです。というのは、Ⅰテモテ1章15節に「「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」とあるからです。イエス様は罪びとを救うために来られたのです。そして、この方を信じるなら永遠のいのちをいただき、どんなことがあっても最後までイエス様が守ってくださるということです。

私たちもこの無条件の愛を受けたのです。どんなことがあっても、キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。私たちはこの神の愛によって、神の恵みを受けたのです。

Ⅲ.ダビデの感謝の祈り(18-29)

最後に18~29節までをご覧ください。まず21節までをお読みします。「ダビデ王は主の前に出て、座して言った。「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。神、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。神、主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。ダビデはこの上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。神である主よ、あなたはこのしもべをよくご存じです。あなたは、ご自分のみことばのゆえに、そしてみこころのままに、この大いなることのすべてを行い、あなたのしもべに知らせてくださいました。」

ダビデは、主のために神殿を建てたいと願っていましたが、主の答えは、ダビデが主のために家を建てるのではなく、主がダビデのために家を建てるということでした。主の約束を聞いたダビデは、主の御前に座して祈りました。

彼はまず、「神、主よ、私は何者でしょうか。私の家はいったい何なのでしょうか。あなたが私をここまで導いてくださったとは。神、主よ。このことがなお、あなたの御目には小さなことでしたのに、あなたはこのしもべの家にも、はるか先のことまで告げてくださいました。主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。」と言っています。

ダビデは、取るに足りない小さな者を選び、ここまで導いてくださるとは何ということかと驚きを隠せません。その上、はるか先のことまで告げてくださいました。このはるか先のこととは、とこしえまでの約束、メシヤの約束、神の国の約束のことです。主はそのことまで告げてくださったのです。「主よ、これが人に対するみおしえなのでしょうか。」とは、「自分にはそのような祝福を受ける資格はない」という意味です。そして彼は、「この上、何を加えて、あなたに申し上げることができるでしょうか。」と言っています。非常に言葉巧みな人であったダビデが、今、言葉を失っているのです。人はあまりにもすばらしいことが行なわれたときに言葉を失いますが、そのような状態になっているのです。

これは私たちクリスチャンにも言えることです。エペソ人への手紙2章1~5節にはこう

あります。「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」

私たちは、罪過と罪との中に死んでいた者です。自分で自分のことがわからない、自分が何をしているのかさえもよく分かっていませんでした。まさに、マルコの福音書5章に出てくるあのゲラサ人の男のようでした。彼は悪霊につかれ、墓場に住み着いていて、夜も昼も墓場や山で叫び続けていました。石で自分のからだを傷つけていたのです。もはやだれも、鎖をもってしても押さえることができませんでした。

しかし、そんな者を神は愛してくださいました。そして、罪過と罪との中に死んでいた私たちを生かしてくださったのです。それはまさに神の愛によるものです。私たちが救われたのは、ただ神の恵みによるのです。

私たちももう一度、自分がどのようなところから救われたのかを思い起こしましょう。神はこのような者を選び、贖い、神の子としての特権を与えてくださったことを思う時、ダビデのような感謝が溢れてくるのではないでしょうか。

私の恩師の一人に尾山令仁という先生がおられますが、この方は94歳にして現役で牧師をしておられます。神学書など、信仰に関する書物を200冊以上書いておられる方で、日本を代表する神学者のおひとりです。創造主訳聖書も刊行されました。驚くべきことは、90歳近くになってから厚木での開拓伝道に出られたことです。今も現役の牧師として仕えておられるのです。

この尾山先生が昨年ユーチューブ配信を始められました。その名も「93歳るんるんおじいちゃんねる」です。日本最高齢のユーチューバーと言われています。それは、クリスチャンの街を作りたい、クリスチャンの学校もできる、クリスチャンの病院もできる。ありとあらゆるものが備わったそういう愛の共同体を作りたいというお考えからのようです。そういうものを作ることによって日本を変えていきたいと思っているのです。この尾山先生が動画の中でイエス様の十字架について語るとき、涙ぐむシーンがあるんですね。イエス様が十字架で死なれたのは私の罪のためだったんだと。尾山先生のすばらしはいところはここだと思うんですね。日本を代表する神学者であることは間違いないですが、その尾山先生が、イエス様はこんな汚れた者のために死んでくださったという感激がいつも心にあるのです。

奇しくも、今週は受難週です。イエス様が私たちのために十字架で死なれたことを思い、悔い改めと感謝をささげるときです。グッドフライデー。なにゆえ、死ぬことがグッドなのか。もともとは「ゴッズ・フライデー(God’s Friday)」とされていたのが次第に変化したのではないかという説や、グッドにはホーリー(holy=聖なる)の意味が含まれていることから、聖金曜日という意味でグッドフライデーと呼ばれるようになったのではないかともいわれています。しかし、そればかりでなく、イエス・キリストはすべての人々の罪を背負い、人々の身代わりとなって死を迎えたとされ、つまりこの金曜日は、救い主キリストが死によって人類への愛を示し、祝福を捧げた日でもあるとのこと。さらに死から3日目、キリストは『復活』することになりますが、これは、新しい生命の誕生を意味するものです。ですから、キリストが死を迎えた金曜日は、『復活』を導いた良き日と解釈されるとのことから、この日が悲しみの日ではなく『良い金曜日』と呼ばれるようになったのではないかともいわれています。

いずれにせよ、イエス様はこんなに罪深くちっぽけな者のために死んでくださったということを思うと、ここでダビデが言っているように、それは、本当に感謝ではないでしょうか。

それゆえ、ダビデの祈りは賛美に変わります。22~24節をご覧ください。「それゆえ、申し上げます。神、主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。また、地上のどの国民があなたの民イスラエルのようでしょうか。御使いたちが行って、その民を御民として贖い、御名を置き、大いなる恐るべきことをあなたの国のために、あなたの民の前で彼らのために行われました。あなたは、彼らをご自分のためにエジプトから、異邦の民とその神々から贖い出されたのです。そして、あなたの民イスラエルを、ご自分のために、とこしえまでもあなたの民として立てられました。主よ、あなたは彼らの神となられました。」

この賛美は圧倒的な力をもって私たちに迫ってきます。22節では、「主よ、あなたは大いなる方です。まことに、私たちが耳にするすべてにおいて、あなたのような方はほかになく、あなたのほかに神はいません。」と告白しています。ダビデは、主がこれまでにイスラエルにしてくださったことを思い起こし、イスラエルの神こそ比類なきお方であると告白し、その神をほめたたえたのです。

次に、ダビデは、神が地上の民族の中から特にイスラエルを選び、その民をエジプトから救い出し、その上にご自身の名を置かれたことを覚えて、その神を賛美しています(23)。そして、神がイスラエルを選ばれたのは、永遠に彼らを立て、彼らの神となるためであった、と言っています(24)。

それは私たちも同じです。私たちもまた、地上の諸民族の中から選ばれ、キリストを信じて神の民とされた者です。私たちはイエス・キリストを通してこのイスラエルの神を「天の父」と呼べるようになりました。このお方は、永遠に私たちの神なのです。何という恵みでしょうか。ダビデがこの神を心から賛美したように、私たちもイエス・キリストを通して、この神に感謝と賛美をささげようではありませんか。

最後に、25~29節をご覧ください。ダビデはこう言っています。「今、神である主よ。あなたが、このしもべとその家についてお語りになったことばを、とこしえまでも保ち、お語りになったとおりに行ってください。こうして、あなたの御名がとこしえまでも大いなるものとなり、『万軍の主はイスラエルを治める神』と言われますように。あなたのしもべダビデの家が御前に堅く立ちますように。イスラエルの神、万軍の主よ。あなたはこのしもべの耳を開き、『わたしがあなたのために一つの家を建てる』と言われました。それゆえ、このしもべは、この祈りをあなたに祈る勇気を得たのです。今、神、主よ、あなたこそ神です。あなたのおことばは、まことです。あなたはこのしもべに、この良いことを約束してくださいました。今、どうか、あなたのしもべの家を祝福して、御前にとこしえに続くようにしてください。神である主よ、あなたがお語りになったからです。あなたの祝福によって、あなたのしもべの家がとこしえに祝福されますように。」

ダビデは、イスラエルの神、万軍の主が、彼のために家を建てると約束されたことを思い起こし、それが成就するようにと祈っています。27節には、「それゆえ、このしもべは、あなたに祈る勇気を得たのです」と言っています。なにゆえ、ダビデは祈る勇気を得たのでしょうか。「それゆえ」です。27節の『』にある主のことばを受けてのことです。「わたしがあなたのために一つの家を建てる」と言われたからです。つまり、ダビデの祈りは、主のみことばと約束に基づくものだったのです。それが主の御前に祈る勇気となったのです。私たちも主のみことばの約束に基づいて祈らなければなりません。主のみことばは真実であり、必ず成就します。そう堅く信じて、神の祝福を大胆に祈り求めましょう。信仰による祈りには力があるのです。

Ⅱサムエル記8章

サムエル記第二8章から学びます。

 

Ⅰ.ペリシテとモアブを討ったダビデ(1-2)

 

まず、1~2節までをご覧ください。「その後のことである。ダビデはペリシテ人を討って、これを屈服させた。ダビデはメテグ・ハ・アンマをペリシテ人の手から奪い取った。

8:2 彼はモアブを討ち、彼らを地面に伏させ、測り縄で彼らを測った。縄二本で測った者を殺し、縄一本で測った者を生かしておいた。モアブはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となった。」

 

「その後」とは、主がナタンを通してダビデに告げられた後のことです。主はダビデに、彼が主のために家を建てるのではなく、主が彼のために一つの家を建てると言われました。それは彼の身から出る世継ぎの子ソロモンを通して立てられる王国のことですが、そればかりではなく、ダビデの子孫から出るメシヤによって立てられる王国のことを指していました。それはイエス・キリストによって立てられる神の国のことです。主はダビデにダビデの子孫から出るメシヤによってその王国を立て、それをとこしえまでも堅く立てると約束されたのです。

 

その後、ダビデはペリシテ人を討って、これを屈服させました。ペリシテ人は長年にわたってイスラエルの脅威となっていましたが、ついにそのペリシテ人を打ち、彼らを屈服させたのです。「メテグ・ハ・アンマ」とは、ペリシテ人の主要都市のガテとそれに属する村落のことです(Ⅰ歴代誌18:1)。ガテはペリシテ人の五大都市の一つでしたが、そのガテを倒したということは、ペリシテ人全体を屈服させたということです。

 

次に、ダビデはモアブを討ちました。モアブはもともとダビデと友好関係にありました。サウルから追われ逃亡生活をしていたダビデは、自分の両親をモアブの王にゆだねたほどです(Ⅰサムエル記22:3~4)。そのモアブに対して、どうしてこのような殺戮を行ったのかはわかりません。もしかすると、彼らが何らかの謀反を起こしたのかもしれません。ユダヤ教の古代誌によると、モアブの王が、ダビデの父母を殺したからとありますが、その真意はわかりません。

 

このモアブを討ったとき、ダビデは彼らを地面に伏させ、測り縄で彼らを測り、縄二本で測った者を殺し、縄一本で測った者を生かしておきました。これはどういうことかというと、大きな体の者は殺し、そうでないものを生かしておいたということです。なぜこのようなことをしたのでしょうか。本来であれば、すべての者にきびしいさばきがあって当然なのに、小さな者に対してあわれみが示されたのでしょう。それは私たちも同じです。私たちも自分の罪のために神にさばかれて当然の者なのに、神はこんな者をあわれみ、慈しんでくださいました。私たちは、神の慈しみを受けた者として、その中にしっかりとどまっている者でありたいと思います。そうでないと、切り取られてしまうことになります。神の恵みを侮ることがないように注意しなければなりません。

 

Ⅱ.シリヤの連合軍を征服したダビデ(3-8)

 

次に、ダビデが討ったのはシリヤの連合軍です。3~8節までをご覧ください。「ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようとして出て行ったとき、ダビデは彼を討った。ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、そのすべての戦車の馬の足の筋を切った。ただし、そのうち戦車百台分の馬は残した。 ダマスコのアラムがツォバの王ハダドエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を討った。ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となった。【主】は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。ダビデは、ハダドエゼルの家来たちが持っていた金の丸い小盾を奪い取り、エルサレムに持ち帰った。またダビデ王は、ハダドエゼルの町ベタフとベロタイから、非常に多くの青銅を奪い取った。」

 

3節には、ツォバの王、レホブの子ハダドエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようとして出て行ったとき、ダビデは彼を討った、とあります。巻末の地図5「サウル」、ダビデ、ソロモン治世下のイスラエル」を見ると「ツォバ」がどこにあるかがわかります。何とイスラエルの北にあるシリヤのはるか北に位置しています。実は「ツォバ」はアラム人の王国で、ユーフラテス川流域にまでその勢力を広げていました。そのツォバの王ハダドエゼルが一度失ったユーフラテス川流域にその勢力をもう一度回復しようとして出て行ったのです。そのときダビデは彼を討ちました。そんな遠くの国などどうでもいいのにと思うかもしれませんが、このことにも主の深い意味がありました。創世記15章18~21節までをご覧ください。

「その日、【主】はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヒッタイト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の地を。」

つまり、これは、神がアブラハムに与えると約束された地であったのです。それがこの時に実現したのです。神が約束されたことは必ず実現します。神はこのように真実なお方なのです。

 

ダビデはハダドエゼルを討つと、彼から騎兵千七百、歩兵二万を捕虜として取りました。また、そのすべての戦車の馬の足の筋を切りました。ただし、そのうちの戦車百台分の馬は残しました。どうしてこのようなことをしたのでしょうか。馬に拠り頼むのではなく、主に拠り頼むためです。そのことが、次のところに記されてあります。

 

次に、ダビデが討ったのはダマスコのアラムでした。ダマスコのアラムとはシリヤのことです。彼はツォバの王ハダドエゼルがダビデによって打たれたと聞くと、彼を助けるために出て来たわけですが、ダビデはそのアラムの軍勢二万二千人を討ったのです。ダビデはダマスコのアラムを打つと、北方の守りを固めるために、そこに守備隊を置きました。かくして、ペリシテと並ぶ仇敵であったシリヤはダビデのしもべとなり、貢ぎ物を納める者となったのです。

 

いったいダビデはどうしてこんなに勝利を収めることができたのでしょうか。聖書はその理由を次のように述べています。6節後半です。「主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」主がダビデに勝利を与えられたのです。ダビデはそのことをよく知っていました。そのことのゆえに、ツォバの王ハダデエゼルを討ったときも、そのすべての戦車の馬の足の筋を切ったのです。ダビデは詩篇33篇16~18節でこう言っています。「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。軍馬も勝利の頼みにはならず軍勢の大きさも救いにはならない。見よ【主】の目は主を恐れる者に注がれる。主の恵みを待ち望む者に。」

私たちはもう一度、私たちに勝利を与えてくださる方がだれであるかを覚えましょう。そして、私たちが計画している主のみわざも、すべてこの主の力によって成し遂げられることを覚え、主に信頼して祈る者でありたいと思います。

 

Ⅲ.行く先々で勝利したダビデ(9-18)

 

最後に、9~18節までをご覧ください。まず12節までをお読みします。「ハマテの王トイは、ダビデがハダドエゼルの全軍勢を打ち破ったことを聞いた。トイは、息子ヨラムをダビデ王のもとに遣わし、安否を尋ね、ダビデがハダドエゼルと戦ってこれを打ち破ったことについて、祝福のことばを述べた。ハダドエゼルがトイにしばしば戦いを挑んでいたからである。ヨラムは銀の器、金の器、青銅の器を携えていた。ダビデ王は、それらもまた、【主】のために聖別した。彼が征服したすべての国々から取って聖別した銀や金、すなわち、アラム、モアブ、アンモン人、ペリシテ人、アマレクから取った物、およびツォバの王、レホブの子ハダドエゼルからの分捕り物と同様にした。」

 

ハマテの王トイは、ダビデがハダドエゼルの全軍勢を打ち破ったことを聞くと、息子ヨラムをダビデ王のもとに遣わして、祝福のことばを述べました。ハマテはダマスコから北に約150㎞のところにある都市国家ですがハダドエゼルと敵対関係にあり、これまでしばしば戦いを挑まれていたからです。そのハダドエゼルが打ち破られたことを聞いたトイは喜び、ダビデに祝福のことばを述べただけでなく、銀の器、金の器、青銅の器を贈りました。ダビデは、それらの物を主のために聖別しました。「聖別」とは、主のものとすることです。最近、この聖別することについて考えさせられています。時間でも、お金でも、奉仕でも、すべては聖別することから始まります。主のために取っておくのです。礼拝が大切なのはどうしてかというと、自分を主のためにささげる時だからです。だからその時間はこの世との一切の関わりを断ち、主に向かうのです。これが聖別です。ダビデは、他の分捕り物と同様に、ハマテの王トイから贈られた物を、主のために聖別してささげました。かつてダビデは敵が残していった偶像を破壊したことがありましたが(5:21)、ここでは、それらを聖別して主にささげたのです。どういうことでしょうか。この世のものでも主のために用いられると言うことです。但し、偶像礼拝的な要素は退けなければなりません。それ以外のものは、たとえこの世の物であっても、主のために聖別して用いることができます。

 

さくらチャーチでは今度の日曜日に教会総会が行われます。今度の日曜日が、開所式をしてさくらでの働きを始めてちょうど5年になる記念日になります。そのとき、F兄御夫妻が娘のために買ったピアノが残っているので主にささげたいと献品してくれました。しかし、あれから5年間奏楽者がいなかったのでずっとヒムプレーヤーで賛美をささげていたのですが、音大でピアノ科を専攻されたクリスチャンの方が加えられ、そのピアノを礼拝で弾いてくださることになりました。最初は家にあるピアノですがという動機からでしたが、それが信仰によって聖別されたとき、主のために用いられることになったのです。

 

あなたはどうですか。キリストのからだを建て上げるために何をささげておられますか。まず自分自身を聖別し、自分に与えられた賜物を主にささげ、主の栄光のために用いていただこうではありませんか。

 

最後に13~18節までを見て終わります。「ダビデが塩の谷でアラム人一万八千人を討って帰って来たとき、彼は名をあげた。彼はエドムに守備隊を、エドム全土に守備隊を置いた。こうして、全エドムはダビデのしもべとなった。【主】は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。ダビデは全イスラエルを治めた。ダビデはその民のすべてにさばきと正義を行った。ツェルヤの子ヨアブは軍団長、アヒルデの子ヨシャファテは史官、アヒトブの子ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクは祭司、セラヤは書記、 エホヤダの子ベナヤはクレタ人とペレテ人の上に立つ者、ダビデの息子たちは祭司であった。」

 

さらにダビデはエドム人一万八千人を討ち、エドム全土に守備隊を置きました。エドムは死海の南東、モアブの領地の下にある地です。ダビデは初め、南西のペリシテ人と戦って勝利すると、次に東方のモアブと戦い、一気に北上してシリヤの連合軍と戦い、そして今度は南下してエドム人と戦って勝利しました。彼は、このように、行く先々で勝利を収めました。彼がこのように勝利することができたのは、主がそのようにしてくださったからです。14節にはこうあります。「主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」ダビデは自分の背後には主がおられ、行く先々で勝利を与えてくださったことを認めていました。詩篇44篇3節には、「自分の剣によって彼らは地を得たのではなく自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手あなたの御腕あなたの御顔の光がそうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。」とあります。彼は自分の剣によって地を得たのではなく、自分の腕で勝利したのでもない、ただ主の右の手が彼に勝利をもたらしてくれたと確信していました。

 

あなたは今どのような生活が与えられていますか。もし安定した生活、祝福された生活が与えられているのなら、それは主が与えてくださったものでることを認め、主に感謝し、主の御名をほめたたえるべきです。

 

また、ダビデが行く先々で勝利を収めることができたもう一つの理由は、彼がその民のすべてにさばきと正義を行っていたことにあります。15節には、「ダビデは全イスラエルを治めた。ダビデはその民のすべてにさばきと正義を行った。」とあります。国にとってもっとも大切なことは、正義です。経済力でも軍事力でもありません。「正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」(箴言14:34)と箴言に書かれています。ダビデは、正義によって国を治めました。それは後に来られるメシヤのひな型でもありました。ダビデの子孫から出られるキリストは、正義によって国を治められるのです。  そして、ダビデが行く先々で勝利することができたもう一つの理由は、彼には有能な補佐官たちがいたことです。16節をご覧ください。「ツェルヤの子ヨアブは軍団長、アヒルデの子ヨシャパテは参議、アヒトブの子ツァドクとエブヤタルの子アヒメレクは祭司、セラヤは書記、エホヤダの子ベナヤはケレテ人とペレテ人の上に立つ者、ダビデの子らは祭司であった。」

私たちにもこのような補佐官、戦友、協力者が与えられていることを感謝します。それゆえ、共に主に信頼して、この世の敵である悪魔との戦いに出て行き、キリストに仕える者とさせていただきたいと思います。

Ⅱサムエル記6章

きょうは、2サムエル6章から「神の臨在を求めて」というテーマでお話しします。私たちの信仰生活にとって最も大切なのは、神が共におられること、神の臨在を求めることです。きょうは、その神の臨在を求めたダビデからそのことについて学びたいと思います。

Ⅰ.神の臨在を求めたダビデ(1-5)

まず1~5節までをご覧ください。「ダビデは再びイスラエルの精鋭三万をことごとく集めた。ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上げようとして、自分とともにいたすべての兵と一緒に出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の【主】の名でその名を呼ばれている。彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。それを、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに移したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。ダビデとイスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、【主】の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った。」

これはちょうどダビデかがイスラエル全体の王となりエルサレムを首都とした直後のことです。ダビデは30歳で王となり、40年間イスラエルの王でした。ヘブロンで7年6カ月ユダを治め、エルサレムで33年間イスラエルとユダの全体を治めました。そのエルサレムでの統治にあたり、ダビデはまずエブス人を攻略し、そこを攻め取りました。これが「ダビデの町」、エルサレムです。そして、彼はそこに王宮を建て、神の都としました。

その後、ダビデが真っ先に取り掛かったのが、神の箱をエルサレムに運び入れることでした。神の箱はペリシテ人との戦いによって奪い取られると、7年6カ月の間ペリシテ人の神ダゴンの神殿に置かれていましたが、ダゴンがうつぶせになって倒れたり、アシュドテの人たちを腫物で打ったりと災いをもたらしたので、彼は相談してイスラエルに送り返すことにしました。それで彼らは二頭の雌牛を取り、それを車につなぎ、主の箱を載せてイスラエルにあるベテ・シェメシュに運びましたが、ベテ・シェメシュの住民は、主の戒めに反して神の箱を見たので主の怒りが彼らの上に下り、主が民を激しく打たれたのです。

それでベテ・シェメェシュの人たちはどうしたかというと、「だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろうか。私たちのところから、だれのところに上って行くだろうか。」(Ⅰサムエル6:20)と言って、結局、彼らはキルアテ・エアリムのアビナダブの家に運びました。(Ⅰサムエル7:1)それから50~60年が経っていました。

キルアテ・エアリムは、エルサレムから北西に15㎞くらいの所にありますね。ど巻末の聖書の地図を見て確認しましょう。それにしても、どうしてダビデはこの神の箱をエルサレムの自分の町に運び入れようとしたのでしょうか?それは、主の臨在を求めていたからです。ここに彼の信仰がどのようなものであったかが表われています。彼はイスラエルを統一してエルサレムに都を定めたとき、主の臨在がなければイスラエルを治めることはできないと思ったのです。それは私たちも同じです。私たちも主の臨在がなければ信仰の歩みをすることはできません。私たちの信仰生活にとって最も重要なのは、主が私たちとともにおられるということなのです。

人生には何事にも秘訣があります。長寿の人に「長生きの秘訣は何ですか」と尋ねると「な〜に、簡単なことだよ。死なないことだよ」とか「息をするのを忘れないことです」とか答えが返ってきますが、どうやら長生きの秘訣はユーモアを忘れないことなのかもしれません。聖書は私たちが力強く生き生きと生きる秘訣を教えています。その秘訣とは神と共に歩むこと、そして、神に導かれて歩むことです。ダビデは、この神の臨在を求めたのです。

いったい彼はどのように神の箱を運び入れたでしょうか?1節を見ると、精鋭三万をことごとく集めた、とあります。精鋭三万というのは、ペリシテ人との戦いで動員した兵士の数と同じです。高さ66㎝、長さ110㎝の机くらいの大きさの箱を運ぶのに3万人もの精鋭を集めたのです。それは、このように大規模な隊列を組むことによって、この事業がどれほど大切なものであるかを民に示そうとしたからです。この事業はダビデにとってそれほど重大な出来事だったのです。

また3節には、「彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。」とあります。いったいなぜ彼らは神の箱を新しい車に載せて運ぼうとしたのでしょうか。というのは、民数記4章15節には、神の箱を運ぶ時には、神輿のように、担いで運ばなければならないとあるからです。「宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。これらは、会見の天幕でケハテ族が運ぶ物である。」

しかも、それを運ぶことができたのはレビ人の中でもケハテ族に属する人たちだけでした。それ以外の人は運ぶことができませんでした。彼らが担いで運ぶことができるように箱の四隅には金で出来た環が取り付けてあり、そこにアカシヤ材で出来た棒が通されてあったのです。

彼らが新しい車に乗せて運ぼうとしたのは、ペリシテ人が神の箱をイスラエルに戻したとき、そのようにしたからです(Ⅰサムエル6:7-8)。彼らはそれを真似て運ぼうとしたのです。つまり、の臨在を求め、神を礼拝しようとしたことはすばらしかったのですが、その方法は間違っていました。神のみこころではなく、この世の方法を取り入れてしまったのです。

このようなことが私たちにもあるのではないでしょうか。主の臨在を求め、心から神を礼拝しようとしていながらも、この世の方法を取り入れているということが。主に従っているようでも、このような点で間違っていることがあるのです。自分では信仰に歩んでいると思っていても、それが神のみこころからズレていることもあるのです。動機は良くても方法が間違っていることがあります。4~5節を見ると、彼らは、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに運び出したとき、歌を歌い、立琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らして、主の前で、力の限り喜び踊りました。すばらしいことです。しかし、どんなに楽器を奏で、主の御前で喜び踊っても、それが主の示された方法によるのでなければ、主に喜ばれることはありません。それが次のところに出てくるウザの事件です。私たちがしていることがすべての点で主のみこころにかなっているかどうかを点検しなければなりません。

Ⅱ.ウザの死(6-11)

次に6~11節までをご覧ください。「彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それをつかんだ。牛がよろめいたからである。すると、【主】の怒りがウザに向かって燃え上がり、神はその過ちのために、彼をその場で打たれた。彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。ダビデの心は激した。【主】がウザに対して怒りを発せられたからである。その場所は今日までペレツ・ウザと呼ばれている。その日、ダビデは【主】を恐れて言った。「どうして、【主】の箱を私のところにお迎えできるだろうか。」ダビデは【主】の箱を自分のところ、ダビデの町に移したくなかった。そこでダビデは、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。【主】の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。【主】はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。」

ここで一つの事件が起こります。彼らが神の箱を運んでナコンの打ち場まで来たとき、ウザが神の箱に手を伸ばして、それをつかみました。牛がよろめいたために、神の箱がひっくり返りそうになったからです。すると主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼はその場で打たれて死んでしまいました。何が問題だったのでしょうか。7節には「神はその過ちのために」とあります。いったい彼はどんな過ちを犯したのでしょうか。彼が神の箱に手を伸ばしたのは、牛がよろめいてひっくり返そうとしたからです。そういう意味では、彼がやったことは、むしろ正しいこと、すばらしいことです。それなのに彼は神に打たれて死んでしまいました。

ここで、先ほどの間違いが問われることになります。すなわち、神の箱はレビ人が肩にかついで運ばなければならないのであって、牛車に乗せて運ぶのは律法違反であったということです。しかも、これを運ぶのはレビ人の中でもケハテ族に属する人たちだけでした。また、たといケハテ族であっても、この聖なる箱に触れるなら必ず死ぬという警告が与えられていました(民数記4:15)。この警告が与えられたのは、この箱が聖なる神の臨在を象徴していることをイスラエルの民に教えるためでした。ウザは、善意で箱に触れたのですが、それは人間的な善意に過ぎず、神のみこころではなかったということです。神への正しい恐れがなかったのです。神の臨在に対する畏れです。長い間神の箱とともに生活しているうちに、神の臨在に対する畏怖の念を失っていたのです。彼が安易に神の箱に手を伸ばしたのは、彼の中にそうした思い上がりの心があったからだと考えられます。いわゆる、なれ合いですね。

一方、オベデ・エドムの人たちは違いました。それを見たダビデの心は激しました。主がウザに対して怒りを発せられたからです。それで彼は、神の箱を運び上がることによって多くの人が死ぬのではないかと恐れ、それをガテ人オベデ・エドムの家に回しました。主の箱はオベデ・エドムの家に三カ月とどまりましたが、その間、主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福されました。それは、彼らが主の御前にへりくだり、謙遜な態度で神の御前に出ていたからです。彼らは、神の箱を自分の家に安置することを断りませんでした。すなわち、彼は謙遜な態度で神の箱を自分の家に迎え入れたのです。不敬虔な態度でキリストに近づくことは危険なことですが、敬虔な態度でキリストを求めるなら、そこに大きな祝福をもたらされます。

コロナウイルスで礼拝に来られなかったフィリピン人の姉妹があることで相談に来られました。コロナウイルスの中でも英語礼拝は休まずに行われていましたがズームでも礼拝をしているので別にいいだろうと、自分のアパートでオンラインで礼拝をささげていました。いざ礼拝が始まり、ズームを観ているうちに、別に向こうからは見えないだろうと、朝食を食べながら観ていたのですが、そのとき彼女の心が主の御霊によって刺されました。自分はいったい何をしているんだろう。食事をしながら礼拝するなんて。教会にいたらそんなことは絶対に出来ないのにそれができるというのは、自分の中に神への思いがズレでいるからではないか・・。」それで翌週から礼拝に来るようになりました。

別に自分のアパートでも礼拝ができます。どこで礼拝するかが問題なのではありません。問題はどのような心で礼拝しているかです。そのような状態が続くと霊的にも麻痺してしまい、神への恐れるのではなく自分中心の信仰に陥りがちになりますが、そうした彼女の心が聖霊様によって刺されたのは、彼女に神を慕い求め、神を恐れる心があったからでしょう。神を恐れ、神の御前にへりくだり、敬虔な態度で主を求め、主の祝福に与るものでありたいと思います。

Ⅲ.神の箱をダビデの町に運ぶ(12-19)

次に12~19節までをご覧ください。「「【主】が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせがダビデ王にあった。ダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げた。【主】の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとして献げた。ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上げた。【主】の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていた。彼女はダビデ王が【主】の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ。人々は【主】の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の定められた場所にそれを置いた。ダビデは【主】の前に、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。ダビデは全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ終えて、万軍の【主】の御名によって民を祝福した。そしてすべての民、イスラエルのすべての群衆に、男にも女にも、それぞれ、輪形パン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えた。民はみな、それぞれ自分の家に帰った。」

ダビデは、「主が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせを聞くと、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げました。どのように運び上げたでしょうか。13節には、「主の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとしてささげた」とあります。今度は、モーセの律法が命じるとおりに、レビ人たちが主の箱を担ぎました。彼は前回の失敗から教訓を学んだのです。ここがダビデのすばらしいところですね。彼も完全ではありませんでした。失敗もしました。でも、彼はそこから学びました。

そして、なんと主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、肥えた牛をいけにえとしてささげたのです。やせている牛ではなく肥えた牛です。彼はなぜそのようにしたのでしょうか。主からの怒りが下って来ないことを確かめるためです。彼はこの神の業を慎重に進めて行ったのです。また、神が守ってくださることを感謝し、最後まで導いてくださるようにと祈りつつ神を礼拝したのです。

それは、ダビデの服装や態度にも表れていました。14節には「ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」とあります。ダビデは王服を脱いで亜麻布のエポデをまとっていました。これはどういうことかというと、ダビデが主の御前にへりくだったということです。この亜麻布のエポデとは祭司が着る服でした。それはダビデが祭司の役を果たしたということではありません。そんなことをしたらあのサウルと同じ罪を犯してしまうことになります。そうではなく、彼は王としての自分の立場を忘れ、まことの王であられる主の御前にへりくだっていたということです。それは彼が主の前で力の限り踊った、跳ね回ったということからもわかります。ダビデは全身全霊をもって主を礼拝したのです。

主の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘でダビデの妻となっていたミカルが窓から見下ろしていました。彼女はダビデが主の前で跳ねたり、踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑みました。ミカルはダビデの心を全く理解することができなかったのです。

一方ダビデはというと、主の箱を運び込んで、天幕の真中の定められた場所に置くと、主の前に、全焼のいけにえをささげました。彼は全焼のささげものと交わりのいけにえを献げ終えると、万軍の主の御名によって民を祝福しました。そして、すべての民、イスラエルのすべての群衆に、男にも女にも、それぞれ、輪形のパン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えました。それによってすべての民もまた、この日が特別な喜びの日であることを確認することができました。

神の箱があることが大きな喜びであり、祝福であるなら、イエス・キリストが心におられることはより大きな祝福です。イエス・キリストを信じてすべての罪が赦され、神が私たちとともにおられることは、何にもまして大きな祝福なのです。私たちもダビデのように、救い主イエスを、全身全霊をもって礼拝しようではありませんか。

Ⅳ.ダビデを侮辱するミカル(20-23)

最後に20~23節を見て終わりたいと思います。「ダビデが自分の家族を祝福しようと戻ると、サウルの娘ミカルがダビデを迎えに出て来て言った。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」ダビデはミカルに言った。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前だ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」サウルの娘ミカルには、死ぬまで子がなかった。」

イスラエルのすべての民を祝福したダビデは、次に自分の家族を祝福しようと王宮に戻ると、ダビデの最初の妻であったミカルが出迎えて、水を差すようなことを言いました。「イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」

どうしてミカルはこのように行ったのでしょうか。プライドがあったからです。彼女はサウルの娘として、王としての威厳を保つには軽々しく踊り回ってはならないと考えていました。ダビデが着ていたあの服(エポデ)は、彼女の目では裸同然だったのです。彼女にはダビデのような信仰はありませんでした。彼女は、自分は王家の娘であるというプライドだけは人一倍持っていました。また、父の影響によるのか、群衆を見下げるような態度も身に着けていたのです。

それに対してダビデは何と言ったでしょうか。21節です。彼はミカルにこう言いました。「あなたの父よりも、その全家よりも、むしろ私を選んで、【主】の民イスラエルの君主に任じられた【主】の前だ。私はその【主】の前で喜び踊るのだ。私はこれより、もっと卑しめられ、自分の目に卑しくなるだろう。しかし、あなたの言う、その女奴隷たちに敬われるのだ。」

つまり彼は、主はプライドの高いサウル家ではなく、自分のような卑しい者を選んでくださったことを感謝し、その主の御前で踊るのであるということ、そして、ミカルが言うような卑しめられている女奴隷たちから敬われたいのだ、と言ったのです。

「サウルの娘ミカルには、死ぬまで子がなかった。」これは、ダビデがそれ以降、ミカルと夫婦関係がなかったことを意味しています。そのため、ミカルには生涯子供が与えられませんでした。当時のイスラエルでは恥辱とみなされていた不妊を、彼女は生涯耐え忍ばなければならなかったのです。本来ならば、ミカルの息子が王位を継承するはずでしたが、彼女には子供がいなかったので、バデ・シェバの子が王位継承権を手に入れることになりました。

家族が信仰のことを理解しないために、苦しんでいる人は多くいます。霊的な人と、人間的なことしか考えていない人の間には亀裂が生じ、わだかまりが生じます。ダビデもまたそのひとりでした。しかしダビデはミカルから侮辱されたとき、彼女に反撃を加えようとはせず、そのさばきをすべて主にゆだねました。これは信仰のことを理解できない家族に対してどのように接したらよいかの教訓となります。すなわち、家族が信仰に対して反対したとしても、それで何か反撃を加えたり、傷つけ合ったりするのではなく、すべてを神にゆだねなければならないということです。神はすべてをご存知であられます。その神が最善に導いてくださいます。そう信じて、キリストの香りを放ちつつ、忠実に福音を語り続けたいと思います。

それは、私たちにはこの神の箱があるからです。主イエスは、「見よ、わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)と言われました。実に、この神の箱はイエス・キリストの象徴でもありました。私たちには神の箱よりもすばらしい祝福が与えられているのです。私たちには、私たちのために十字架で死なれ、その死から復活し、今も生きておられるキリストが共にいてくださるのです。そのことを覚え、この主の臨在を求め、主の御前にへりくだり、主を喜ぼうではありませんか。これこそ私たちが最も求めていかなければならないことなのです。

Ⅱサムエル記5章

Ⅱサムエル5章に入ります。まず、1~5節までをご覧ください。

 

Ⅰ.イスラエルとユダ全体の王となったダビデ(1-5)

 

「イスラエルの全部族は、ヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。「ご覧ください。私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが私たちの王であったときでさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。【主】はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」イスラエルの全長老はヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで、【主】の御前に彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王とした。ダビデは三十歳で王となり、四十年間、王であった。ヘブロンで七年六か月ユダを治め、エルサレムで三十三年イスラエルとユダの全体を治めた。」

 

サウル家の王であったイシュ・ボシェテは、2人のベニヤミン人レカブとバアナによって殺されたため、サウル家にはヨナタンの子でメフィボシェテはいましたが、足が萎えていたため王や将軍がいなくなりました。

そこでイスラエルの全部族は、ヘブロンにいたダビデのもとに来て言いました。「ご覧ください。私たちはあなたの骨肉です。これまで、サウルが私たちの王であったときでさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした。主はあなたに言われました。『あなたがわたしの民イスラエルを牧し、あなたがイスラエルの君主となる』と。」(2-3)

彼らは、サウルが自分たちの王であった時でさえ、イスラエルを動かしていたのはあなたでした、と告白しています。彼らはこのことに気づいていました。主の御霊がサウルから去り、ダビデに臨まれたということを。第三者的に見ても、それを認めることができたのです。私たちの働きも同じです。御霊の働きがなければ、どんなに体裁を整えても、他の人から認められることはありません。けれども主の御霊の注ぎがあれば、その人がどのように低められていようと、だれもが認めるようになります。大切なのは、自分がどのような立場にあるかということではなく、主の御霊の注ぎがあるかどうかということです。それは、主がダビデに語られた預言のことばでもありました。かくして、ダビデは彼らと契約を結び、彼らはダビデに油を注いでイスラエルの王としました。

 

ダビデが油注ぎを受けるのは、これで3回目です。一度目はサムエルによって(Ⅰサムエル16:13)、二度目はユダの人々によって(Ⅱサムエル2:4)、そして三度目が今回です。ダビデがイスラエルの王となったのは、彼が30歳の時でした(4)。ヨセフがエジプトで支配者となったのも30歳の時でした。なぜ30歳だったのでしょうか。それは、ダビデもまたヨセフも、後に来られるキリストを指し示していたからです。イエス様がその働きを始められたときも、およそ30歳でした(ルカ3:23)。ダビデは、とこしえの神の国の王となられるキリストを指し示していたのです。

 

先月の聖書同盟の「みことばの光」の聖書通読の箇所は民数記でした。民数記の4章には、おしろいことに、主の幕屋で奉仕することができる祭司の年齢が記されてあります。それは30~50歳までの人です。私は今年60歳になりますから、アウトです。それはどうでもいいとして、なぜ30歳からだったのかというと、この祭司もまたキリストを表していたからです。イエス様は、王としても、祭司としても、油注がれたメシヤ、キリストであられたのです。

 

ダビデは30歳で王となり、40年間、イスラエルを治めました。ヘブロンで7年6か月ユダを治め、エルサレムで33年間イスラエルとユダの全体を治めました。それにしても、何と忍耐を強いられたことでしょう。30歳でユダとイスラエルの王となるまで、実に様々な試練を通らされました。しかし、こうやってみると、それは彼が王としての働きを全うしていくために必要な訓練の時であったことがわかります。主の働きに召される者には多くの責任が伴いますが、それを成し遂げていくためには、信仰や判断力、人格などあらゆる面で整えられる必要があるのです。ダビデが王になるまでの試練は、そのための訓練の時だったのです。彼が王としてふさわしい姿になったとき、神は彼に統一王国の王としての働きをゆだねられました。へブル12章7~11節にこうあります。「訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練しましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」

私たちも、どうしてこのようなことが・・と思うことがありますが、訓練と思って耐え忍びましょう。神がちょうど良い時に引き上げてくださり、平安な義の実を結ばせてくださるからです。

 

Ⅱ.ダビデの町(6-10)

 

次に、6~10節までをご覧ください。「王とその部下は、エルサレムに、その地の住民エブス人のところに行った。すると彼らはダビデに言った。「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」彼らは「ダビデがここに攻めて来ることはできない」と考えていたのである。しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これがダビデの町である。その日ダビデは、「だれでもエブス人を討とうとする者は、水汲みの地下道を通って、ダビデの心が憎む『足の萎えた者どもや目の見えない者ども』を討て」と言った。それで、「目の見えない者や足の萎えた者は王宮に入ってはならない」と言われるようになった。ダビデはこの要害に住み、これを「ダビデの町」と呼んだ。ダビデはその周りに城壁を、ミロから一周するまで築いた。ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、【主】が彼とともにおられた。」

 

ダビデとその部下は、エルサレムに、その地の住民エブス人のところに行きました。遊びに行ったわけではありません。その地を占領するためです。ヘブロンは統一王国を治めるためにはあまりにも南に位地していたので、もう少し北に移そうと思ったのでしょう。また、そこはユダ族の領地でもあったので、統一王国の首都としてはふさわしくありませんでした。そこでダビデが新しい首都として選んだのが、シオンの要害、エルサレムでした。そこはユダ族とベニヤミン族の境に位地していたので、どの部族にも偏らないところにあったのです。

 

エルサレムは、300年ほど前に、主がヨシュアを通して語られた命令に従い、ユダ族が攻め取った町でした(士師1:8)。しかし、ユダ族が攻め取った後も、彼らはそこを自分たちのものとしなかったので、エブス人がいつまでも居座り、紀元前約1000年になっていたダビデの時代にも、まだエブス人の手の中にあったのです。エブス人がダビデに、「おまえは、ここに攻めて来ることなどできない。目の見えない者どもや足の萎えた者どもでさえも、おまえを追い出せる。」と侮辱していますが、それもそのはず、エルサレムはその地形からして三方を山に囲まれた、難攻不落の天然の要塞だったからです。

 

しかし、ダビデはこのシオンの要害を攻め取りました。これが「ダビデの町」です。ダビデは、ユダのベツレヘムの出身ですので、ダビデの町とはそのベツレヘムのことを指しますが、この時ダビデがエルサレムを攻め取り、そこを政治的、軍事的な中心地としたことから、これを「ダビデの町」と呼ぶようになったのです。こうして、この時からエルサレムはユダヤ人のものとなりました。

 

どうして彼らはこのエルサレムを攻め取ることができたのでしょうか。その理由が10節にあります。「ダビデはますます大いなる者となり、万軍の神、主が彼とともにおられた。」万軍の神、主が彼とともにおられたからです。主がともにおられることこそ、クリスチャンの力であり、祝福の源です。私たちのすべての行為は私たちが行っていても、神が行っているとも言えるのです。神はそのような者を祝福してくださいます。

 

一方、エブス人たちはどうだったかというと、大変傲慢でした。ダビデがエルサレムに攻めても、目の見えない者どもや足の萎えた者どもでも追い出せると豪語しました。このような自信過剰な態度は大変危険であると言えます。彼らはダビデの力と知恵を侮っていました。しかし、最後はそのダビデによって滅ぼされる結果となってしまいました。いつの時代でも、神を恐れない者たちは、どんなに危険が迫っていても、傲慢で油断しています。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、この暗闇の世界の支配者たち、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。その霊の戦いにおいて勝利するために、主の御前にへりくだり、主とともに歩ませていただきましょう。万軍の神、主がともにおられることで勝利ある者とさせていただきましょう。

 

Ⅲ.ダビデの家族(11-16)

 

次に、11~16節までをご覧ください。まず11~12節です。「ツロの王ヒラムは、ダビデのもとに使者と、杉材、木工、石工を送った。彼らはダビデのために王宮を建てた。ダビデは、【主】が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」

 

神の都エルサレムにイスラエルの新しい都が確立されました。次に必要なのは、その都にふさわしい王国です。しかし、当時のイスラエル人は主に農業と牧畜に従事していたので、木材や石材を加工して建物を建築するのに慣れていませんでした。そのような時に、ダビデのもとに素晴らしい知らせが届きました。ツロの王ヒラムが、ダビデのもとに使者と、杉材、木工、石工を送ってきたのです。ツロは今のレバノンにある町です。エルサレムからは120㎞ほど北方にある外国の町でした。そのツロからこれだけの資材が送られて来たというのは、ヒラムがダビデと友好条約を結ぼうとしていたということです。彼はダビデの偉大さを認め、敵に回すよりも友人になった方が得策だと考えたのです。

 

ヒラムは異邦人でした。この異邦人のヒラムがイスラエルと契約を結ぶ姿は、新約の時代になって異邦人クリスチャンがユダヤ人クリスチャンと一つになることを予表していました。これはパウロを通して表された神の奥義でもありました。パウロはこの奥義を次のように語っています。エペソ3章5~6節です。「この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。それは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」

これは、旧約の時代には知らされていなかった奥義です。しかし、このような形で示されていたのです。キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということを。これがキリストの教会です。

私たちも、ヒラムがダビデにしたように、ダビデの子であられる主イエスを信じ、この契約の中に入れられた者です。ですから、ともに同じからだ、キリストのからだにつらなって、このからだを立て上げ、教会を通して神の栄光を現すものとなりたいと思います。

 

12節には、「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」とあります。ダビデはよく知っていました。主が自分をイスラエルの王として立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったということを。それはすべて主から与えられたものであるということを知っていたのです。自分は神に用いられている器にしかすぎないのであって、したがって自分はただ主を恐れ、主に言われていることを行なうだけであるということを知っていたのです。サウルのときと比べてみてください。彼はイスラエルを自分の所有物であるかのように考え、自分の国が栄えることだけを考えていました。自分の縄張りを作っていました。しかしダビデはそうではなく、それは主のものであり、主がご自身のために自分を立ててくださったと、認識していたのです。彼にあったのは、ただ主を慕うその心だけでした。

 

とは言え、彼もまた完全な者ではありませんでした。次のところを見るとそれがわかります。13~16節をご覧ください。「ダビデは、ヘブロンから来た後、エルサレムで、さらに側女たちと妻たちを迎えた。ダビデにはさらに息子たち、娘たちが生まれた。エルサレムで彼に生まれた子の名は次のとおり。シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモン、イブハル、エリシュア、ネフェグ、ヤフィア、エリシャマ、エルヤダ、エリフェレテ。」

 

ここには、ダビデがヘブロンから来た後、エルサレムで、さらに側女たちと妻たちを迎え、彼女たちによって生まれた子どもたちの名前が記されてあります。3章には、ダビデがヘブロンにいた時に生まれた子どもたちのことが記されてありましたが、そこには6人の妻たちがいました。これでも多すぎるのに、エルサレムに来てからさらに多くの妻と側女たちをめとりました。これは3章でも述べましたが、主の戒めに背く行為です。申命記17章17節には、王は、多くの妻を持ってはならない、とあります。心がそれることがないためです。それなのに彼は、さらに多くの側女たちと妻たちを迎えました。ダビデのこの罪は、やがて深刻な呪いを招くことになります。その子ソロモンもまた、やがて同じ罪を犯すようになります。これは、慢心というか、彼の心に隙が生じたからです。サウルの家との間に激しい葛藤があったときには主に信頼していたダビデでしたが、統一王国を成し遂げた後に、こうした落とし穴が待っていたのです。人は成功を手に入れることよりも、成功したあとをどうするかのほうが難しいように感じます。成功は人を慢心と油断に陥れます。主の祝福を受けた後でも主を愛し、主に信頼し、へりくだって主に従うことができる人は幸いです。

 

ところで、エルサレムで生まれた子どもたちのうち、最初の4人、シャムア、ショバブ、ナタン、ソロモンは、バテ・シェバによって生まれた子どもです。この中で特にナタンとソロモンに注目してください。ダビデの王位を継承し、エルサレムに神殿を建設するのはソロモンです。ソロモンはその名が示す通り、「平和の子」です。一般的には、ソロモンがメシヤであられるイエスの先祖となったと考えられていますが、実際はソロモンではなくナタンです。マタイの福音書にある系図を見ると、確かに1章6節に「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」とあります。そして、その子孫にイエスの父ヨセフが生まれ、ヨセフによってイエスが誕生しました。しかし、本当の父はだれかというと、聖霊です。イエスは聖霊によって母マリヤの胎に宿ったのです。ですから、正確にはヨセフはイエスの義父であったということになります。血のつながりはありませんでした。

一方、ルカの福音書にあるイエスの系図を見ると、イエスはソロモンではなくナタンを通して生まれたとあります(ルカ3:31)。いったいこれはどういうことでしょうか。

 

この二つの系図にはいろいろな違いが見られますが、これはこの系図が間違っていたということではなく、イエスは二つの家系を通して生まれてきたことを示しているのです。そして、ルカはマリヤの家系を、マタイは、ヨセフの家系をたどって記録したのだろうと考えられています。マタイはイエスの法律上の父であるヨセフの家系を、ダビデの息子ソロモンを通して、だどったのに対して、ルカはマリヤ(イエスの血肉の親戚)の家系をダビデの息子ナタンを通して、たどったということです。「義理の息子」というギリシャ語はないので、ヨセフはエリの娘マリヤと結婚することで、エリの息子と考えられたわけです。どちらの家系をたどっても、イエスはダビデの子孫であり、かつメシヤとしての資格があるということです。母方の家系をたどった系図というのは普通ないことですが、処女降誕も普通なかったことです。ルカの説明は、イエスはヨセフの息子「と考えられていた」のです。(ルカ3章23節)

このように見ると、神の計画は人知をはるかに超越したものであり、同時に、完璧なものです。この全地全能の神に全面的に信頼しようではありませんか。

 

Ⅳ.ペリシテ人との戦い(17-25)

 

最後に、17~25節を見て終わりたいと思います。まず17~22節までをご覧ください。「ペリシテ人は、ダビデが油注がれてイスラエルの王となったことを聞いた。ペリシテ人はみな、ダビデを狙って攻め上って来た。ダビデはそれを聞き、要害に下って行った。一方、ペリシテ人はやって来て、レファイムの谷間を侵略した。ダビデは【主】に伺った。「ペリシテ人のところに攻め上るべきでしょうか。彼らを私の手に渡してくださるでしょうか。」【主】はダビデに言われた。「攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」ダビデはバアル・ペラツィムにやって来た。ダビデはそこで彼らを討って、「【主】は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」と言った。それゆえ、その場所の名はバアル・ペラツィムと呼ばれた。彼らはそこに自分たちの偶像を置き去りにした。そこでダビデとその部下はそれらを運び去った。」

 

ダビデが油注がれて王となったことを聞いたペリシテ人は、ダビデを狙って攻め上って来ました。彼らはこれまでダビデを自分たちの家来だと思っていましたが、そのダビデが、エルサレムを攻め取り、そこを新都と定め、王宮まで建設したということを聞いて、そのダビデの権力が強大なものにならないうちに、早急に彼を討っておこうと思ったのです。不思議ですね、ダビデが王位に就くとすぐに、敵が彼を滅ぼそうと動き出しました。これは、ダビデの場合だけでなく、いつの時代でも言えることです。イエス様もヨルダン川で洗礼を受けるとすぐに悪魔の攻撃を受けました。私たちクリスチャンも霊的な祝福を受けた途端、こうした悪魔の攻撃を受けることがあります。しかし、主とともに歩むなら、必ず、圧倒的な勝利がもたらされます。

 

ダビデの場合はどうだったでしょうか。それを聞いたダビデは、要害に下って行きました。彼は、ペリシテ人たちがレファイムの谷間を侵略したと聞いたとき、まず主に伺いを立てました。彼は、自分で勝手に判断して動くことをしませんでした。ペリシテ人がやって来ているのだから、攻めに行くのは当たり前です。けれども当たり前だと思われることさえ、彼は主に伺ったのです。彼はいつも、自分の前に主を置いていたのです。

 

すると、主はダビデに言われました。「攻め上れ。わたしは必ず、ペリシテ人をあなたの手に渡すから。」この主の答えは、ダビデにとってどれほど心強かったことでしょう。主は必ず、ペリシテ人を彼の手に渡すと言われたのです。それでダビデは、バアル・ペラツィムにやって来て、彼らを討ちました。そのときダビデはこう言いました。「主は、水が破れ出るように、私の前で私の敵を破られた」。それで、その場所の名は、「バアル・ペラツィム」と呼ばれるようになりました。意味は、「偶像が討ち破られた場所」です。ペリシテ人たちが置き去りにした偶像は、運ばれ、捨てられ、焼却されました。主が約束されたとおりに、圧倒的な勝利がもたらされたのです。

 

次に、22~25節までをご覧ください。「ペリシテ人は、またも攻め上り、レファイムの谷間を侵略した。ダビデが【主】に伺うと、主は言われた。「上って行くな。彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かえ。バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、そのとき、あなたは攻め上れ。そのとき【主】はすでに、ペリシテ人の陣営を討つために、あなたより先に出ているからだ。」ダビデは【主】が彼に命じられたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を討った。」

 

ペリシテ人たちは、またもレファイムの谷間から攻め上って来ました。執拗な攻撃です。悪魔の攻撃も、このように執拗です。一度勝利したらそれでおしまいというのではなく、何度も攻撃してきます。

ダビデはそれにどう対応したでしょうか。彼は再び主に伺いました。彼は、前回勝利したときと同じ戦略を実行しようとしませんでした。ここが、ダビデの偉大なところです。彼は再び主に伺いを立てました。彼は、戦略ではなく、主の臨在こそが勝利をもたらす秘訣であると知っていたのです。

 

すると、今度は前回とは全く違う戦略が示されました。上って行くのではなく、彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みの前から彼らに向かうようにと言われたのです。そして、バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、そのとき、攻め上るようにと言われたのです。そのとき主はすでに、ペリシテ人の陣営を討つために、ダビデの先に出ているからです。それでダビデは主が命じられたとおりにし、ゲバからゲゼルに至るまでのペリシテ人を討ったのです。

 

ダビデが二度目の戦いに勝利できたのは、彼が主の方法とタイミングに従ったからです。バルサム樹の茂みの上で行進の音が聞こえたら、その時に攻め上れ、というのは、それは主の軍勢がダビデの先に立って行進していることを暗示していました。その音を聞くまで待たなければなりませんでした。その音を聞いたとき、すなわち、主の軍勢が戦いのために行進するのを聞いたとき、彼は攻め上らなければなりませんでした。そのとおりにしたとき、ダビデは圧倒的な勝利を収めることができました。

 

これはビジョン2025に向かって進んでいる私にとって大きな示唆を与えてくれます。ビジョン2025とは、2025年までに新しい教会を生み出すというものですが、これまでのやり方ではだめです。これまでは真正面から攻め上って戦ってきました。でも今度は違います。今度は上って行くのではなく、彼らのうしろに回り込み、バルサム樹の茂みから彼らに向かわなければなりません。いつまでですか?そのサインは行進の音です。行進の音が聞こえたら、そのとき、攻め上ればいいのです。

 

皆さんはどうですか。「主の軍勢の行進の音」が聞こえるでしょうか。それとも、その時を待つべき時でしょうか。今がどのような時なのかを聞き分け、行動しなければなりません。主の戦いに勝利するには、主の方法とタイミングによらなければならないのです。私たちも主の時を見極めて、主の勝利を体験させていただきたいと思います。