Ⅱ列王記15章

 今日は、Ⅱ列王記15章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王アザルヤ(1-7)

まず、1~7節をご覧ください。「1 イスラエルの王ヤロブアムの第二十七年に、ユダの王アマツヤの子アザルヤが王となった。2 彼は十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレム出身であった。3 彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。4 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。5 【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。6 アザルヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。7 アザルヤは彼の先祖とともに眠りについた。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子ヨタムが代わって王となった。」

話は、再び南ユダになります。イスラエルの王がヤロブアムの時、その27年目に、アマツヤの子アザルヤが南ユダの王となりました。彼の別名は「ウジヤ」と言い、ユダの王たちの中では善王に数えられています。彼は16歳で王となりました。というのは、彼の父アマツヤが北イスラエルとの戦いに敗れ連行されていたからです。アザルヤは、その時に王に即位しました。それは、B.C.767年のことです。

彼は、すべて父アマツヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いました。しかし、父アマツヤ同様、高きところは取り除きませんでした。高き所とは、偶像礼拝が行われていた場所のことです。そこを破壊せず放置しておいたのです。そのため民はなおも、その高き所でいけにえを捧げたり、犠牲を供えたりしていました。これは、律法に違反していたということです。モーセの律法では、主が定められた場所以外でいけにえを捧げることが禁じられていました(申命記12:2~7)。それをことごとく破壊しなければならなかったのにしませんでした。偶像礼拝のために用いたものを、神を礼拝するために用いることはできません。けれどもアザルヤは、それを取り除かなかったのです。これは私たちにも言えることです。私たちも過去の罪と決別しなければなりません。その上に信仰を築き上げることはできないからです。

その結果、アザルヤはどうなったでしょうか。5節には、「【主】が王を打たれたので、彼は死ぬ日までツァラアトに冒された者となり、隔離された家に住んだ。王の子ヨタムが宮殿を管理し、民衆をさばいた。」とあります。彼は主に打たれてツァラアトに冒されました。ツァラアトは重い皮膚病で、汚れているとされていたので、社会から隔離されなければなりませんでした。彼は隔離された家で生活することを余儀なくされたのです。それで息子のヨタムと共同で統治することになりました。それは10年間続くことになります。これは神のさばきによるものでした。最終的に彼は先祖たちとともに眠りにつき、その遺体は、ダビデの町の王たちの墓に葬られました。

アザルヤはユダの王たちの中で最も影響力のあった王のひとりです。彼の働きによってユダは領地を拡大することができました。主なる神の祝福を受けたのです。にもかかわらず、最終的に彼はツァラアトに冒されて隔離された生活を強いられました。いったい何が問題だったのでしょうか。そのような祝福の陰に高慢という落とし穴があったのです。箴言16:18には、「高慢は破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」私たちはこのアザルヤの失敗から学び、どんな時も主の御前にへりくだって歩みたいと思います。

Ⅱ.北イスラエルの王たちと第一次アッシリア捕囚(8-31)

次に、8~31節をご覧ください。ここには、ユダの王アザルヤの時代に北イスラエルの王たちはどうであったかが記録されています。北イスラエルでは、謀反が繰り返され、王たちが目まぐるしく交代し、ついにはアッシリアによって滅ぼされてしまうことになります。「8 ユダの王アザルヤの第三十八年に、ヤロブアムの子ゼカリヤがサマリアでイスラエルの王となり、六か月の間、王であった。9 彼は先祖たちがしたように、【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。10 ヤベシュの子シャルムは、彼に対して謀反を企て、民の前で彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。11 ゼカリヤについてのその他の事柄は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。12 【主】がかつてエフーに告げられたことばは、「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」ということであったが、はたして、そのとおりになった。13 ヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となり、サマリアで一か月間、王であった。14 ガディの子メナヘムは、ティルツァから上ってサマリアに至り、ヤベシュの子シャルムをサマリアで打ち、彼を殺して、彼に代わって王となった。15 シャルムについてのその他の事柄、彼が企てた謀反は、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。16 そのとき、メナヘムはティルツァから出て、ティフサフとその住民、その領地を討った。彼らが城門を開かなかったので、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂いた。17 ユダの王アザルヤの第三十九年に、ガディの子メナヘムがイスラエルの王となり、サマリアで十年間、王であった。18 彼は【主】の目に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。19 アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。20 メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。21 メナヘムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。22 メナヘムは先祖とともに眠りにつき、その子ペカフヤが代わって王となった。23 ユダの王アザルヤの第五十年に、メナヘムの子ペカフヤがサマリアでイスラエルの王となり、二年間、王であった。24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。25 彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカはペカフヤを殺し、彼に代わって王となった。26 ペカフヤについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。27 ユダの王アザルヤの第五十二年に、レマルヤの子ペカがサマリアでイスラエルの王となり、二十年間、王であった。28 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかった。29 イスラエルの王ペカの時代に、アッシリアの王ティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移した。30 そのとき、エラの子ホセアはレマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打ち殺して、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。31 ペカについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのことは、『イスラエルの王の歴代誌』にまさしく記されている。」

ここから、アザルヤすなわちウジヤがユダで王であったときの、イスラエルの王について書かれています。謀反から謀反へ、短い期間しか王たちは統治しませんでした。アザルヤの第三十八年に北イスラエルの王となったのは、ヤロブアムの子ゼカリヤでしたが、その治世はわずか六か月でした。それは彼が先祖たちがしたように、主の目の前に悪であることを行ったからです。彼はイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかったからです。彼はヤベシュの子シャロムの謀反によって殺されます。それでシャロムが、彼に代わって王になりました。

ここで注目したいことは、それはかつて主がエフーに告げた通りであったということです。12節に、そのことが記されてあります。主はエフーに「あなたの子孫は四代までイスラエルの王座に着く」(Ⅱ列王10:30)と告げられましたが、はたして、そのとおりになったのです。彼はアハブ家の者たちに対して主が心に定めたことをことごとく行いましたが、その後、ヤロブアムの道を歩んだことによって、神の祝福がとどめられてしまったのです。それで彼(エフー)に告げられた通り、彼の子孫は四代目までイスラエルの王座に着くことができましたが、その後、家系が途絶えてしまったのです。ゼカリヤはその王朝の四代目の王だったのです。

謀反を企てたヤベシュの子シャルムは、ユダの王ウジヤの第三十九年に王となりましたが、その治世はわずか一か月でした。ガディの子メナヘムによって殺されてしまったからです。これは北王国の歴史では2番目に短い記録です。最短は、ジムリの7日間です(Ⅰ列王16:15~20)。シャルム王朝は北王国では第六番目の王朝でしたが、彼一代で終わりました。

彼の後に王となったのは、シャルムを暗殺したメナヘムでした。メナヘムはティルツァから出て、ティサフとその住民、その領地を打ち、その中のすべての妊婦たちを打ち殺して切り裂くということをしました。ティサフの住民は彼を王として認めず、城門を閉じて抵抗姿勢を示したからです。それでメナヘムはこの町を攻撃し、徹底的に破壊したのです。それにしても自国民の妊婦を切り裂くなんて何とも残忍な男です。彼がこのような残忍な行為に及んだのは、抵抗する可能性のある他の町々を恐れされるためでした。今でも北朝鮮などでは公開処刑が行われていますが、同じようなことです。

メナヘムは、イスラエルの王となると、サマリアで十年間王として治めました。彼は主の目の前に悪であることを行い、一生の間、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。

19節と20節をご覧ください。ここにⅡ列王記では初めてアッシリアについての言及があります。「アッシリアの王プルがこの国に来たとき、メナヘムは銀千タラントをプルに与えた。プルの援助によって、王国を強くするためであった。メナヘムは、イスラエルのすべての有力者にそれぞれ銀五十シェケルを供出させ、これをアッシリアの王に与えたので、アッシリアの王は引き返し、この国にとどまらなかった。」

「アッシリアの王プル」とは、ティグラテ・ピレセル3世(Ⅱ列王15:29)のことです。当時、イスラエルに敵対していたシリアの力が弱くなり、代わりにアッシリアが台頭しつつありました。そのアッシリアが北王国に侵入して来たのです。それでメナヘムはどうしたかというと、アッシリアに犯行するのではなく、アッシリアの援助によって自らの統治を強くしようと考えました。それで彼はアッシリアの王プルに銀一千タラントを与えました。メナヘムはこれを、イスラエルのすべての有力者に銀五十シェケルを供出させることによって集めました。この五十シェケルというのは、当時アッシリアで奴隷ひとりの価格とされていた額です。そのことは、イスラエルの民がアッシリアの奴隷となったことを象徴しているかのようでした。真の神に仕えない人は、やがて別のものの奴隷となります。私たちはキリストにあって自由にされた者です。私たちが使えるのは真の王であり神であられるイエス・キリストだけであることを覚え、この方だけに仕えましょう。貢物を受けたプルは、満足してアッシリアに引き返し、北王国にとどまりませんでした。

メナヘムが死んだ後でイスラエルの王となったのは、その子ペカフヤでした。彼はユダの王アザルヤの第五十年にサマリアで王となり、2年間、北王国を治めました。彼は主の目の前に悪を行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪から離れませんでした。北王国の後半の王たちは、力によって王座に着いた者たちばかりですが、ペカフヤの場合は例外で、王位を父メナヘムから継承しました。しかし、彼の治世は二年間という短い期間で終わりました。彼もまた、謀反によって暗殺されたからです。

彼を殺したのは、彼の侍従、レマルヤの子ペカです。ペカは彼に対して謀反を企て、サマリアの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエを打ち殺しました。侍従とは、軍の司令官のことです。彼にはヨルダン川の東岸から来て加わった50人の部下がいました。彼らとともにペカフヤを打ったのです。「サマリアの王宮の高殿」は砦のようになっており、町の中では最も安全な場所ですが、彼はそこで殺されました。どんなに安全と思われる場所であっても、神から離れたら限界があります。ペカフヤの問題も、主の目の前に悪であることを行ったことです。神から離れたらどんなに安全だと思われる砦でも危険です。真の安全は、ただ全能者であられる神イエス・キリストの御翼の陰に宿ることです。

ペカフヤの後に北王国の王となったのは、彼を暗殺したペカです。ペカはサマリアでイスラエルの王になると、20年間イスラエルを治めました。彼もまた、彼以前の王たちと同じように、ネバテの子ヤロブアムの罪から離れることはありませんでした。

29節と30節をご覧ください。このイスラエルの王ペカの時代に、アッシリアのティグラト・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリアへ捕らえ移しました。第一次アッシリア捕囚です。B.C.734年のことです。サマリアの町は残っていましたが、次の王ホセアの時にサマリアも陥落し、北イスラエルは完全に滅びてしまうことになります。ここまで、イスラエルが悪を繰り返し、謀反に謀反を重ね、神に立ち返ることがなかったからです。

このとき、エラの子ホセアはペカに対して謀反を企て、彼を撃ち殺し、彼に代わって王になりました。そのホセアも後にアッシリアによって滅ぼされ、北王国は完全に滅んでしまうことになります。B.C.722年のことです。

悲しいことですが、主を立ち返ることをせず悪に悪を重ねる民は、滅びの道をたどるしかありません。今からでも決して遅くはありません。神は悔い改めてご自身の下に立ち返る者を赦し、受け入れてくださいます。悔い改めることの重要性とどこまでも忍耐してそれを待っておられる神の恵みを改めて覚えさせられます。

Ⅲ.信仰を試す神からのテスト(32-38)

最後に、32~38節をご覧ください。「32 イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となった。33 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼の母の名はエルシャといい、ツァドクの娘であった。34 彼は、すべて父ウジヤが行ったとおりに、【主】の目にかなうことを行った。35 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は【主】の宮の上の門を建てた。36 ヨタムが行ったその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。37 そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。38 ヨタムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにその父ダビデの町に葬られた。彼の子アハズが代わって王となった。」

イスラエルの王レマルヤの子ペカの第二年に、ユダの王ウジヤの子ヨタムが王となりました。ウジヤ王は52年間という長い間ユダを治めました。その後に王となったのがウジヤの子ヨタムです。彼は25歳で王になると、エルサレムで16年間、王でした。

彼はすべて父ウジヤが行ったとおりに、主の目にかなうことを行いましたが、高き所は取り除くことができませんでした。それで民はなおも、高き所でいけにえを捧げたり、犠牲をささげたりしていました。つまり、偶像礼拝の場をそのまま容認したということです。偶像礼拝はそれほど民の心に沁みついていたということです。それを取り除くことは並大抵のことではありません。それはヨタムに限ったことではありません。私たちの心の偶像を取り除くことも容易いことではありません。神の力が無ければ決して取り除くことはできません。神の力、聖霊の力をいただいて、心の偶像を取り除きましょう。

このヨタムが行った良い業の一つは、「主の宮の上の門を建てた」ということです。それは神殿の北の門を再建したということです。これは主を礼拝することを促すための行われた工事でした。彼は数々の良い業を行いましたが、肝心なことが抜けていたら、それらのことはすべてむなしいものになります。それは神を第一にして生きることです。神を愛し、神に信頼し、神に従うこと。これに勝る良い業はありません。主が求めておられることは、主に聞き従うことだからです。彼はこの肝心なことが抜けていたので、彼の良い業も何の意味もありませんでした。

37節をご覧ください。「そのころ、【主】はアラムの王レツィンとレマルヤの子ペカを、ユダに対して送り始められた。」

「そのころ」とは、ヨタムとその子アハズの治世のころのことです。南王国は、北方からの攻撃に悩まされていました。アラムの王レツィンと北王国の王のペカが、ユダに圧力をかけていたのです。彼らは南王国を味方につけて、アッシリアに対抗しようとしていたのです。ユダの王たちは困難な決断を迫られていました。アラムの王レツィンと北王国の王ペカの同盟に参加してアッシリアと戦うか、それとも逆に、アッシリアの援助を受けて、レツィンとペカの同盟国と戦うかです。37節には、これはユダに対して主が送り始められたことであるとあります。すなわち、主が期待していたのはそのどちらでもなく、ただ主だけに信頼して歩むことでした。すなわち、地上の権力に頼るのではなく、ただ主だけに信頼することです。そうです、こうした北からの脅威は、ユダの王の信仰を試す主からのテストだったのです。それは主が私たちにも送っておられるものです。こうした信仰の試練に会うとき、あなたはどのように対処していますか。試練の時こそ信仰の真価が問われます。人間的な考え、肉の思いで決断するのではなく、ただ神を見上げ、神に信頼しましょう。それが神が喜ばれる道であり、真に私たちが守られる道なのです。

Ⅱ列王記14章

 今日は、Ⅱ列王記14章から学びます。

 Ⅰ.ユダの王ヨアシュの子アマツヤ(1-14)

まず、1~7節をご覧ください。「1 イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの第二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となった。2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はエホアダンといい、エルサレム出身であった。3 彼は【主】の目にかなうことを行った。ただし、彼の父祖ダビデのようではなく、すべて父ヨアシュが行ったとおりに行った。4 すなわち、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。5 王国が彼の手によって強くなると、彼は、自分の父である王を討った家来たちを打ち殺した。6 しかし、その殺害者の子どもたちは殺さなかった。モーセの律法の書に記されているところに基づいてのことであった。【主】はその中でこう命じておられた。「父が子のゆえに殺されてはならない。子が父のゆえに殺されてはならない。人が殺されるのは、ただ自分の罪過のゆえでなければならない。7 アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を討って、セラを取り、その場所をヨクテエルと呼んだ。今日もそうである。」

舞台は再び北イスラエルから南ユダに移ります。イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの第二年に、ユダの王ヨアシュの子アマツヤが王となりました。ここには、イスラエルの王エホアハズの子のヨアシュと、ユダの王ヨアシュの子アマツヤと、ヨアシュという同名の王が北と南の王の名前に出てくるので混乱しないように注意が必要です。ここでは、南ユダの王ヨアシュの子のアマツヤのことが記録されています。彼は25歳で王となり、29年間南ユダを治めました。彼は父のヨアシュ同様主の目にかなうことを行いましたが、彼の父祖ダビデのようではありませんでした。どのようにダビデのようではなかったのかというと、高き所を取り除かなかったという点においてです。この「高き所」とは、偶像礼拝が行われていた場所です。彼は心を尽くして主を愛し主に仕えていましたが、高き所を取り除かなかったので、その結果、民は主を礼拝しながらも、依然として偶像礼拝を続けていたのです。

彼は王になってからその影響力が強くなると、自分の父であるヨアシュ王を討った家来たちを打ち殺しましたが、その子どもたちは殺しませんでした。通常なら、このような場合その子どもたちまで殺害するのが一般的ですが、彼はそのようにしませんでした。なぜなら、モーセの律法の書にこう記してあったからです。「父が子のゆえに殺されてはならない。子が父のゆえに殺されてはならない。人が殺されるのは、ただ自分の罪過のゆえでなければならない。」
  アマツヤは、この神のことばに従ったのです。たとえそれが一般的な習慣であったとしても、あくまでも主の前に正しく生きようとしていたのです。私たちも、あくまでも主のことばに基づいて、主の前に正しく生きることを選び取らなければなりません。

7節をご覧ください。アマツヤは塩の谷で一万人のエドム人を討ってセラを取り、その場所を「ヨクテエル」と呼びました。この時アマツヤは大勝利を収めましたが、Ⅱ歴代誌25:14を見ると、残念ながら、この時アマツヤはエドム人を討ち破って帰って来る時セイルの者たちの神々を持ち帰り、これを自分の神々として立て、その前に伏拝、これに香をたいたとあります。アマツヤはなぜこんなことをしたのでしょうか。エドムに勝利したことが、その大きな要因の一つでした。成功している時こそ主への信頼と謙遜を学ぶ必要があるのに、彼は高ぶってしまったのです。

次に、8~14節をご覧ください。「8 そのときアマツヤは、エフーの子エホアハズの子、イスラエルの王ヨアシュに使者を送って言った。「さあ、直接、対決しようではないか。」9 イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに人を遣わして言った。「レバノンのあざみが、レバノンの杉に人を遣わして、『あなたの娘を私の息子の妻にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。10 あなたはエドムを打ち破って、心が高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、あえてわざわいを引き起こし、あなたもユダもともに倒れようとするのか。」11 しかし、アマツヤが聞き入れなかったので、イスラエルの王ヨアシュは攻め上った。彼とユダの王アマツヤは、ユダのベテ・シェメシュで直接、対決した。12 ユダはイスラエルに打ち負かされ、それぞれ自分の天幕に逃げ帰った。13 イスラエルの王ヨアシュは、アハズヤの子ヨアシュの子、ユダの王アマツヤをベテ・シェメシュで捕らえ、エルサレムにやって来た。そして、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、四百キュビトにわたって打ち壊した。14 彼は、【主】の宮と王宮の宝物倉にあったすべての金と銀、すべての器、および人質を取って、サマリアに帰った。」

今度は、北イスラエルの王ヨアシュが登場します。エドムに勝利したユダの王アマツヤは、父ヨアシュがそうであったように高ぶっていました。彼は北イスラエルの王ヨアシュに使いを送り、「さあ、直接、対決しようではないか。」と言いました。彼は、こともあろうに、北イスラエルに戦いを挑んだのです。なぜ彼はこんなことをしたのでしょうか。13章を見るとわかりますが、当時北王国は、アラムのハザエルに苦しめられていました(Ⅱ列王13:22)。ですから、エドムに勝利したアマツヤは、今だったら北イスラエルに容易に勝てると思ったのです。

それに対してヨアシュは何と応答しましたか。彼は、こう言いました。9~10節をご覧ください。「レバノンのあざみが、レバノンの杉に人を遣わして、『あなたの娘を私の息子の妻にくれないか』と言ったが、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじった。あなたはエドムを打ち破って、心が高ぶっている。誇ってもよいが、自分の家にとどまっていなさい。なぜ、あえてわざわいを引き起こし、あなたもユダもともに倒れようとするのか。」と言いました。

「あざみ」も「杉」も、レバノンでは有名です。この「あざみ」はアマツヤのことを、「レバノンの杉」はヨアシュを象徴しています。つまり、あざみであるアマツヤがレバノンの杉であるヨアシュに、『あなたの娘を私の息子の妻にくれないか』と身分不相応な要求をしたら、レバノンの野の獣が通り過ぎて、そのあざみを踏みにじってしまいました。あざみはそれほど弱い存在にすぎないということです。それなのに、あざみは高ぶって戦いを挑もうとしているのはおかしいというのです。そんなことは止めて家にとどまった方がいい。なぜ、そんなことをして、あえてわざわいを引き起こし、ユダとともに倒れようとするのか。ここでヨアシュは、アマツヤに戦いを思いとどまるように勧告したのです。

しかし、アマツヤはそれを聞き入れませんでした。それでイスラエルの王ヨアシュは攻め上り、ユダのベテ・シェメシュで直接、対決することになりました。その結果、ユダの王アマツヤはイスラエルの王ヨアシュに打ち負かされ、それぞれ自分の天幕に逃げ帰りました。ヨアシュはアマツヤをベテ・シェメシュで捕らえエルサレムにやって来ると、エルサレムの城壁をエフライムの門から隅の門まで、四百キュビトにわたって打ち壊しました。そればかりではなく、主の宮と王宮の宝物倉にあったすべての金と銀、および人質を奪い取りました。

いったい何が問題だったのでしょうか。アマツヤが高ぶったことです。彼の高慢が、南ユダを破滅に導きました。北イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤにちゃんと警告していました。誇ってもよいが、自分の家にとどまっているようにと。なぜ、あえてわざわいを引き起こすようなことをするのか。そんなことをすれば、あなたとともにユダもともに倒れてしまうことになると。それが実現したのです。

しかし、Ⅱ歴代誌25:20を見ると、この時アマツヤがヨアシュの忠告を受け入れなかったのは、神から出たことであった、と言われています。彼らがエドムの神々を求めたので、彼らを敵の手に渡すためです。つまり、アマツヤが敗北した最も大きな理由は、彼らが神に背いて偶像を求めことだったのです。神との関係が正しくなかったことが、その最大の原因だったのです。目に見える出来事の根底には、見には見えない霊的な要因があるということです。その根本的な要素が「神との関係」です。神との関係が正されることこそ、私たちの現実の生活が祝福される秘訣なのです。


Ⅱ.アマツヤの業績(15-22)

次に、15~22節をご覧ください。「15 ヨアシュが行ったその他の事柄、その功績、ユダの王アマツヤと戦った戦績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。16 ヨアシュは先祖とともに眠りにつき、イスラエルの王たちとともにサマリアに葬られた。彼の子ヤロブアムが代わって王となった。17 ユダの王ヨアシュの子アマツヤは、イスラエルの王エホアハズの子ヨアシュの死後、なお十五年生きた。18 アマツヤについてのその他の事柄、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。19 エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てた。彼はラキシュに逃げたが、人々はラキシュに追っ手を送り、そこで彼を殺した。20 彼らは彼を馬に乗せて運んだ。彼はエルサレムで先祖とともに、ダビデの町に葬られた。21 ユダの民はみな、当時十六歳であったアザルヤを立てて、その父アマツヤの代わりに王とした。22 彼は、アマツヤが先祖とともに眠った後、エイラトを築き直し、それをユダに復帰させた。」

ここには、北王国イスラエルのヨアシュ王の死に関することが記録されてあります。彼の死については13:13で既に言及されていたので、これが二度目の言及となります。彼は先祖とともに眠りにつき、イスラエルの王たちとともにサマリアに葬られました。そして、彼の子ヤロブアムが変わって王になりました。これはヤロブアム2世のことです。

一方、ユダの王アマツヤはどうなったかというと、彼はヨアシュとの戦いに敗れ北王国イスラエルの捕虜となっていましたが、北イスラエルの王ヨアシュが死んだ時に解放され、南ユダへの帰還が許されました。そしてヨアシュの死後、なお15年生きながらえましたが、彼の最期は実にあわれなものでした。19節にこうあります。「エルサレムで人々が彼に対して謀反を企てた。彼はラキシュに逃げたが、人々はラキシュに追っ手を送り、そこで彼を殺した。」

アマツヤは、エルサレムの城壁が壊され財宝が奪い取られた後、国民の信頼を失ってしまいました。そして、父と同じように謀反によって殺されてしまいます。彼はラキシュに逃れましたが、人々はラキシュまで彼を追って来て、彼を殺しました。主よりも偶像に頼ることを選んだアマツヤは、愚かな人生を歩んだのです。

彼の後に南王国の王となったのがアザルヤです。アザルヤはウジヤとも呼ばれます。ウジヤの方が有名ですね。彼は父アザルヤが捕虜としてイスラエルに連れて行かれた年に16歳で王になりました。そして、アマツヤが死んだ年に単独の王となりました。彼についての特徴的な言及が22節にあります。「彼は、アマツヤが先祖とともに眠った後、エイラトを築き直し、それをユダに復帰させた。」

「エイラト」とは、紅海に隣接している町で、ソロモンの時に貿易港として用いられていた町です。その「エイラト」が、アザルヤ(ウジヤ)によってユダに復帰したのです。

アマツヤという悪王の後に、アザルヤ(ウジヤ)という善王が登場するのは不思議なことです。ここに神の恵みとあわれみを思わずにはいられません。神は、アブラハムと結んだ契約のゆえに、また、ダビデと結んだ契約のゆえに、南ユダを守られたのです。イスラエルの神、主は、実に契約を守られる忠実な方なのです。

Ⅲ.北王国ヨアシュの子ヤロブアム(23-29)

最後に、23~29節をご覧ください。「23 ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリアで四十一年間、王であった。24 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れなかった。25 彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。26 イスラエルの苦しみが非常に激しいのを、【主】がご覧になったからである。そこには、奴隷も自由な者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。27 【主】はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。28 ヤロブアムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼が戦いであげた功績、すなわち、かつてユダのものであったダマスコとハマテをイスラエルに取り戻したこと、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。29 ヤロブアムは、彼の先祖たち、イスラエルの王たちとともに眠り、その子ゼカリヤが代わって王となった。」

イスラエルの王ヨアシュの死後、彼の子でヤロブアムが王となり、サマリアで41年間治めました。彼は北イスラエルの初代の王と同名ですが、彼とは何の関係もありません。しかし、彼は初代の王ヤロブアムと同じように主の目に悪であることを行い、ヤロブアムのすべての罪から離れませんでした。

「彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、【主】が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。」(26)

彼はレボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復しました。「レボ・ハマテ」とは、ガリラヤ湖の北東240キロの地点にあり、「アラバの海」とは死海のことですから、相当広い範囲を回復したことになります。

ここで重要なのは、これが預言者ヨナによって預言されていたことであったという点です。ヨナ書にはこの預言の記録がありません。でも大切なのは、ヨナが活動していた時期がこのヤロブアム2世の治世と重なるという点です。これがわかると、ヨナ書を読む時の時代背景がわかります。ヨナの奉仕によってアッシリアの首都ニネべの人たちは悔い改めましたが、それからわずか50~60年後に、このアッシリアが北イスラエルを滅ぼし、捕囚の民として連れて行くのです。これは本当に驚くべきことです。

26節には、なぜヤロブアム2世が登場したのかその理由が記されてあります。それは、イスラエルの苦しみが非常に激しいのを、主がご覧になられたからです。だれもイスラエルを助ける者がいませんでした。この時イスラエルはアラムの王ハザエルの侵攻によって苦しんでいました。その苦しみが頂点に達したとき、主はヤロブアム2世を送り、彼らを助けようとされたのです。主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとはしなかったのです。イスラエルがどんなに主に背き、主の目に悪であることを行っても、彼らを消し去ることを望まれていなかったのです。それは、ローマ書11章にて、イスラエルに対する神の賜物と召命は変わることがない、と書かれてあるとおりです。それで、主はまずヨアシュを送りイスラエルを助け、次にヤロブアム2世を送って彼らを救おうとされたのです。イスラエルもユダも最終的には滅ぼされてしまいますが、それが彼らの最後ではありません。聖書には、さらにそこからの回復が約束されています。これもまた主の憐れみによるものです。

本当に主は憐れみ深い方です。それは私たちに対しても同じです。主は私たちを救おうと今も憐れんでおられます。私たちが罪を犯したから終わりなのではなく、そこから回復できるように私たちのために救い主イエス・キリストを送ってくださいました。私たちが悔い改めて神の救いを受け入れるなら、私たちが私たちにも回復の希望があるのです。

「苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出しあなたはわたしをあがめる。」(詩篇50:15)

私たちも神の憐れみに拠りすがりましょう。苦難の日に主を呼び求めましょう。そうすれば、主は私たちを助け出してくださいます。私たちの救いは、この神の憐れみと神の救いの約束の確かさに基礎を置いているのです。

Ⅱ列王記13章

 私たちは前回、12章でユダのヨアシュ王の生涯について学びました。けれども、今回再び場面が北イスラエル王国に移ります。

 Ⅰ.イスラエルの王エホアハズ(1-13)

まず、1~7節をご覧ください。「13:1 ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間、王であった。13:2 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続け、それから離れなかった。13:3 そのため、【主】の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダドの手に絶えず渡しておられた。13:4 しかし、エホアハズが【主】に願ったので、【主】はこれを聞き入れられた。アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になったからである。13:5 【主】がイスラエルに一人の救う者を与えられたので、彼らはアラムの支配を脱した。こうしてイスラエル人は以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。13:6 それにもかかわらず、彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪から離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリアに立ったままであった。13:7 また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十、歩兵一万の軍隊しか残されていなかった。」

ユダの王アハズヤの子ヨアシュの第二十三年に、エフーの子エホアハズがサマリアでイスラエルの王となり、十七年間、王として治めました。彼はどのようにイスラエルを治めたでしょうか。2節には、「彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続け、それから離れなかった。」とあります。彼は、ネバテの子ヤロブアムの罪を犯し続けました。

ネバテの子ヤロブアムの罪とは、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えるという罪です。金の子牛は、ヤロブアムは北王国イスラエルの初代王でしたが、人々の心が「自分から離れないために」金の子牛をベテルとダンに置きました。そして、「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」と言ったのです(1列王記12:26~参照)。エホアハズは、そのヤロブアムの罪から離れませんでした。あのヤロブアムの罪が、ここでも悪影響を与えています。

そのため、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラムの王ハザエル、および、ハザエルの子ベン・ハダドの手に絶えず渡しておられました。でもエホアハズが主に願うと、主はこれを聞き入れました。これはすごいあわれみですね。ヤロブアムの道を歩む者が、主に願ったら主はそれを聞き入れられたのですから。その理由は、アラムの王の虐げによって、イスラエルが虐げられているのをご覧になり、見るに耐えなかったからです。

私たちは前回、南ユダのヨアシュ王が晩年に高慢になって、自分の信仰の父である祭司エホヤダの子ゼカリヤを殺すという蛮行を行ったことを学びました。幼い時から霊的な環境で育てられ神殿修復まで成し遂げた彼が、最終的に高ぶってアシェラ像を拝むようになり、それを警告したゼカリヤを殺したのです。それとは対照的に、ここにはどんなに悪人であっても、主は悔い改め、ご自分の名を呼ぶ者に、助けの御手を控えるような方ではないと言われています。

5節の「一人の救う者」とは、おそらくアッシリヤの王アダッド・ニナリ3世のことでしょう。彼がアラムを攻撃してきたので、アラムは自国防衛に専念せざるをえなくなり、イスラエルの支配を放棄しなければならなくなったのです。こうしてイスラエルは自分たちの天幕に住むようになったのです。つまり、平穏を取り戻すことができたのです。主があわれみのゆえに悪王エホアハズの願いを聞き入れられたからです。このタイミングも凄いですね。主はこのようにアッシリヤという国を用いて、エホアハズの祈りに応えてくださったのです。

それにもかかわらず、彼らは、イスラエルに罪を犯させたヤロブアム家の罪から離れず、なおそれを行い続け、アシェラ像もサマリアに立ったままでした。何ということでしょう。せっかく主がイスラエルに良くしてくださったというのに、そこから離れようとしないとは。私たちは、主のあわれみがあるときにその中に逃げ込むようにしなければなりません。そうでないと、本当に滅ぼされてしまうことになります。

それが7節にあることです。「また、アラムの王が彼らを滅ぼして、打穀のときのちりのようにしたので、エホアハズには騎兵五十、戦車十、歩兵一万の軍隊しか残されていなかった。」

「脱穀のときのちりのよう」とは、風に吹き飛ばされるもみ殻のように、二度と戻ってくることがない様のことです。まさに、脱穀のときのちりのように、過ぎ去っていくことになります。

次に、8~13節をご覧ください。「13:8 エホアハズについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、その功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。13:9 エホアハズは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をサマリアに葬った。彼の子ヨアシュが代わって王となった。13:10 ユダの王ヨアシュの第三十七年に、エホアハズの子ヨアシュがサマリアでイスラエルの王となり、十六年間、王であった。13:11 彼は【主】の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、なおそれを行い続けた。13:12 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、ユダの王アマツヤと戦ったその功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。13:13 ヨアシュは先祖とともに眠りにつき、ヤロブアムがその王座に就いた。ヨアシュはイスラエルの王たちとともにサマリアに葬られた。」

エホアハズの死後、彼に代わって王となったのは、彼の子のヨアシュでした。ヨアシュという同じ名前の王が南ユダにもいるので混同しないように注意してください。12章で見てきたのはその南ユダ王国のヨアシュでしたが、このヨアシュは北イスラエル王国のエホアハズの子のヨアシュです。彼は、その南ユダの王ヨアシュの第三十七年に北イスラエルの王となり、16年間、王として治めました。

彼は主の目の前に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れず、なおそれを行い続けました。ヨアシュもまた、父エホアハズと同じように、ネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れようとしませんでした。何という悲劇でしょうか。

12節には、このヨアシュの業績がまとめられています。これは、王たちの業績をまとめる際に使用する定型句ですが、ヨアシュの場合普通とちょっと違います。彼の治世はまだ続くのに、ここに早々と「まとめ」が記されている点です。なぜこのような書き方となったのか。それは彼の陰がうすくなったからです。13節の「ヤロブアム」とは彼の息子のヤロブアムⅡのことですが、彼はその息子のヤロブアムⅡと共同統治を開始すると、その存在価値が大幅に下がったのです。さらに、偶像礼拝の罪に留まり続けたヨアシュは、すでに死んだのも同然だったからです。

人生の岐路に立たされたとき、信仰の道を選ぶか、自分勝手な道を選ぶかで、その人の運命が変わってきます。先に行けば行くほど、両者の差は大きくなっていきます。前者の終着点は永遠のいのちですが、後者のそれは永遠の滅びです。私たちを救いに導いてくれるのは、ただ神の恵みだけです。この神の恵みに信頼して、信仰にしっかり留まり続けましょう。

Ⅱ.ヨアシュの不信仰(14-19)

次に、14~19節をご覧ください。「13:14 エリシャが死の病をわずらっていたときのことである。イスラエルの王ヨアシュは、彼のところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父、わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んだ。13:15 エリシャが王に「弓と矢を持って来なさい」と言ったので、王は弓と矢をエリシャのところに持って来た。13:16 エリシャはイスラエルの王に「弓に手をかけなさい」と言ったので、王は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上に置いて、13:17 「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「【主】の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす。」13:18 それからエリシャは、「矢を取りなさい」と言ったので、イスラエルの王は取った。そしてエリシャは王に「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。13:19 神の人は彼に激怒して言った。「あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。」」

ここに、エリシャが再び登場します。エリシャが死の病をわずらっていたとき、イスラエルの王のヨアシュは、エリシャのところに下って行き、彼の上に泣き伏して、「わが父、わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫びました。どういうことでしょうか。彼は、ネバテの子ヤロブアムの道から離れず、それを行い続けましたが、同時に、イスラエルの神にも信頼を置いていたので、イスラエルの神、主の預言者であったエリシャを尊敬していたということです。「イスラエルの戦車と騎兵たち」という呼びかけは、イスラエルを防衛する力は、エリシャの神にあると表明したものです。ヨアシュは、預言者エリシャが死ぬことは、イスラエルにとって大きな損失であることを知っていたのです。

すると、エリシャはヨアシュに「弓と矢を持って来るように」と言いました。それでヨアシュが弓と矢をエリシャのところに持って来ると、エリシャが「弓に手をかけなさい」と言ったので、王が手をかけると、エリシャは自分の手を王の手の上に置いて「東側の窓を開けなさい」と言いました。ヨアシュがそのようにすると、エリシャはさらに「矢を射なさい」と言いました。ヨアシュが矢を射ると、エリシャはこう言いました。

「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす。」

そうです、その矢は、主による勝利を象徴していました。エリシャが自分の手をヨアシュの手の上に置いたのは、勝利は預言者を通して主から来るということを示していました。

それからエリシャは「もっと多くの矢を取りなさい」と言ったので、ヨアシュは矢を取りました。するとエリシャは「それで地面を打ちなさい」と言ったので、ヨアシュ王がそれで3回止めてしまいました。彼は、手に持っているすべての矢を射るべきだったのに、3回で止めてしまいました。

するとエリシャはヨアシュ王に激怒してこう言いました。「あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。」どういうことですか。

エリシャが激怒した理由は、ヨアシュが不信仰であったからです。シリヤに対して徹底的な打撃を加えることができたのに、ヨアシュはそのことばに完全に応答しませんでした。矢を三回打ったところで「もうこれで十分だ」と思ったのか「シリヤには勝つことができない」と思ったのかわかりませんが、彼はそれ以上打つのを止めてしまったのです。その態度に対してエリシャは怒ったのです。ただ怒ったのではありません。激怒しました。

私たちも同じように、神の約束に対して、自分の思惑や不安などによって、思いとどまるときがあります。主が門戸を開いて導いておられるのに、その道を前進するのではなく現状にとどまろうとすることがあります。主が開かれた扉は、徹底的に前進していかなければなりません。そして、主が用意されたすべてのものを受け取る必要があります。信仰生活における勝利は、主への従順の度合いにかかっているのです。

Ⅲ.エリシャの死(20-25)

最後に、20~25節をご覧ください。「13:20 こうして、エリシャは死んで葬られた。その後、モアブの部隊が毎年この地に侵入して来た。13:21 人々がある人を葬ろうとしていたとき、その部隊を見たので、彼をエリシャの墓に投げ込んで立ち去った。その人はエリシャの骨に触れると生き返り、自分の足で立ち上がった。13:22 アラムの王ハザエルはヨアハズの生きている間、絶えずイスラエルに圧迫を加えた。13:23 しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった。13:24 アラムの王ハザエルは死んで、その子ベン・ハダドが代わって王となった。13:25 ヨアハズの子ヨアシュは、父ヨアハズの手から奪い取られた町々を、ハザエルの子ベン・ハダドの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を撃ち破り、イスラエルの町々を取り返した。」

こうして、エリシャは死んで葬られました。彼の預言活動は、アハブの治世(B.C.853年に終わる)からヨアシュの治世(B.C.786年に終わる)まで、50年以上に渡って行われました。

その頃、モアブの略奪隊が、年が改まるたびにイスラエルに侵入していましたが、ある時、ひとりの人が死んだので、人々はその人を墓に葬ろうとしたとき、そこにそのモアブの略奪隊がやって来たので、彼らはその墓に遺体を投げ入れ、慌ててそこから立ち去りました。

すると、その人がエリシャの骨に触れるやいなや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がったのです。すごいですね。エリシャは死んでからも用いられました。死体になっているときでさえ、死人を生き返らせるという奇蹟を行なったのです。まあ、エリシャがというよりは主なる神がなさったわけですが。問題は、どうしてこの出来事がここに記されてあるのかということです。

おそらくこの奇跡は、ヨアシュを励ますために神様が行われたのでしょう。ヨアシュはエリシャが叱られてハッとして悔い改めたはずです。そのヨアシュに対して、人を生き返らせることができる主に信頼するなら、アラムとの戦いにおいても絶対に勝利することができると伝えたかったのでと思います。

アラムの王ハザエルはエホアハズの生きている間、絶えずイスラエルに圧迫を加えました。しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨てることはなさいませんでした。

アラムの王ハザエルは、エホアハズが生きている間中、イスラエルを虐げましたが、彼らを滅ぼし尽くすことはありませんでした。なぜでしょうか。ここには、「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、」とあります。主は、ご自分が結ばれた契約のゆえに、ご自分の名のゆえに、イスラエルに良くして下さったのです。これを聖書では「神のあわれみ」と言います。

私たちは、何か良いことが起これば、自分たちの今までのことを正当化する傾向があります。しかし、多くの場合、神がご自分の名のゆえにあわれんでおられるのです。例えば、ダビデはバテ・シェバと姦淫の罪を犯し、夫ウリヤを殺す罪を犯しましたが、彼はその後バテ・シェバと離縁することなく、むしろ彼女をいたわり、その子ソロモンをもうけました。このソロモンがダビデの王座を受け継ぐことになりました。それはただ神のあわれみによるものです。それは決して神の導きによるものではありませんでした。しかし、ダビデが自分の罪を悔い改め、砕かれた、悔いた心を持った時、神はダビデをあわれみ、バテ・シェバを妻とし続けることができるようにされ、そこから出てくる世継ぎの子ソロモンが王座を受け継ぐことができるようにされたのです。

自分が神の恵みによって今の自分がいるのだ、神のあわれみによって滅ぼされずに、生されているのだ、と知ることは非常に重要です。私たちの神は契約を忠実にお守りになられる方です。私たちの救いの確かさは、この変わることのない神の愛に基づいているのです。

アラムの王ハザエルが死に、その子ベン・ハダドが変わって王となりましたが、エホアハズの子ヨアシュは、その父エホアハズの手からハザエルが攻め取った町々を、ハザエルの子ベン・ハダドから取り返しました。ヨアシュは三度彼を打ち破って、イスラエルの町々を取り戻したのです。これは17節でエリシャが語った預言の通りです。神のことばは一つも滅びることなく、すべてが成就するのです。

Ⅱ列王記12章

 今回は、Ⅱ列王記12章から学びます。

 Ⅰ.高き所を取り除かなかったヨアシュ(1-3)

まず、1~3節をご覧ください。「12:1 ヨアシュはエフーの第七年に王となり、エルサレムで四十年間、王であった。彼の母の名はツィブヤといい、ベエル・シェバ出身であった。12:2 ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも【主】の目にかなうことを行った。12:3 ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。」

ヨアシュは、エフーが北王国で治めていた第七年目に南王国の王となり、エルサレムで40年間治めました。彼の父はアハズヤで、母はツィブヤです。彼女はベエル・シェバの出身でした。

ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えていた間は、いつも主の目にかなうことを行いましたが、彼は、エホヤダの養育から離れてからは変わってしまいます。しかし、エホヤダが教えていた間でも問題がありました。それは、高き所は取り除かなかったということです。「高き所」とは偶像礼拝が行われていた場所です。それは必ずしも彼らが偶像礼拝を行っていたということではありません。彼らはヤハウェーなる神を礼拝していましたが、その高き所で礼拝していたのです。それは明らかにモーセの律法に違反することでした。というのは、申命記12章2~7節、13~14節には、全焼のささげ物を自分勝手な場所で献げないように気をつけなさいとあるからです。彼らは全部族のうちから選ばれる一つの場所、すなわち、エルサレムの神殿で献げものをしなければならなかったのに、この高き所でいけにえをささげることが習慣になっていました。そしてそれを変えられずにいたのです。おそらく、彼は高き所が存在することをさほど問題視していなかったのでしょう。伝統的に、南王国の王たちは高き所を軽く扱ってきたので、ヨアシュも同じような対応をしたのだと思います。

このようなことは、私たちクリスチャンにも見られることです。昔からのしきたりや習慣、言い伝えといったものを取り入れたまま、それをなかなか変えられずにいる場合があります。それらが心の深くに入り込んでいるので、それを変えることが難しいです。けれども、本当に神の方法で礼拝をささげたいと思うなら、それを変えなければなりません。パウロはローマ12章1~2節でこう言っています。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

この世と調子を合わせてはいけません。神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられることなのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければならないのです。

Ⅱ.神殿の修復(4-16)

次に、4~16節をご覧ください。「12:4 ヨアシュは祭司たちに言った。「【主】の宮に献げられる、聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金や、自発的に【主】の宮に献げられる金のすべては、12:5 祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。」12:6 しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。12:7 ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」12:8 祭司たちは、民から金を受け取らないことと、神殿の破損の修理に責任を持たないことに同意した。12:9 祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、【主】の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに入れた。12:10 箱の中に金が多くなるのを確認すると、王の書記と大祭司は上って来て、それを袋に入れ、【主】の宮に納められている金を計算した。12:11 こうして、勘定された金は、【主】の宮で工事をしている監督者たちの手に渡された。彼らは、それを【主】の宮を造る木工と建築する者たち、12:12 石工、石切り工に支払い、また、【主】の宮の破損修理のための木材や切り石を買うために支払った。つまり、金は神殿修理のための出費のすべてに充てられた。12:13 ただし、【主】の宮のための銀の皿、芯取りばさみ、鉢、ラッパなど、いかなる金の用具、銀の用具も、【主】の宮に納められる金で作られることはなかった。12:14 その金は、工事する者たちに渡され、彼らはそれと引き替えに【主】の宮を修理したからである。12:15 また、工事する者に支払うように金を渡した人々が精算を求められることはなかった。彼らが忠実に働いていたからである。12:16 代償のささげ物の金と、罪のきよめのささげ物の金は、【主】の宮に納められず、祭司たちのものとなった。」

ヨアシュ王の最大の貢献は、神殿を修復したことです。これは列王記に出てくる最初の修復です。ヨアシュ王は、そのために主の宮に献げられるお金を充てようとしました。聖別された金のすべて、すなわち、それぞれに割り当てを課せられた金とは、登録されたすべての人が献げる献金のことです。出エジプト記30章11~16節には、それは半シェケルと定められていました。また、自発的に主の宮に献げられる金とは、レビ記27章が規定する特別な誓願を立てた者たちの献げた金のことです。当初、ヨアシュはそのお金で神殿の修復工事をしようと考えていました。それを担ったのは祭司たちです。

ところが、ヨアシュ王の23年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しませんでした。つまり、これらの金では、祭司やレビ人の生活を賄い、神殿での礼拝を維持するだけで精一杯で、神殿の破損か所を修理する余剰金は出なかったのです。それでヨアシュは新しい計画を立て、このプロジェクトから祭司たちを除外しました。

7節に着目してください。ヨアシュは、祭司エホヤダと祭司たちを呼んでそのことを告げました。祭司エホヤダは、彼の霊的な親でもあります。そのエホヤダに命じるほど彼は王として、また霊の人として成長していたことがわかります。彼は7歳で王となり、これはその23年目のことですから、この時彼は30歳だったことがわかります。彼はエホヤダの養育から離れ、霊的な事柄においても識別力を働かせるほど成熟していたのです。

その新しい計画が9節に記されてあります。「祭司エホヤダは、一つの箱を取り、そのふたに穴を開け、それを祭壇のわき、【主】の宮の入り口の右側に置いた。こうして、入り口を守る祭司たちは、【主】の宮に納められる金をみな、そこに入れた。」

要するに、エホヤダは、献金箱を設けることによって宮の修繕のための特別献金枠を設けました。その結果どうなったでしょうか。そうしたら、人々からどんどん金を入れたので、箱がいっぱいになりました。それで、箱の中に金が多くなると、王の書記官と大祭司は上って来て、それを箱から取り出して袋に入れ、主の宮に納められているかを計算しました。

こうして勘定された金は、主の宮で工事をしている監督者たちの手に渡されました。監督者たちはその金を、宮で働く木工や建築師たち、石工や石切り工たちに賃金として支払いました。 ただし、主の宮に納められる金で、主の宮のために銀の皿、心切りばさみ、鉢、ラッパなど、すべての金の器、銀の器を作ることはありませんでした。また、工事する者に支払うように金を渡した人々と、残高を勘定することもしませんでした。彼らが忠実に働いていたからです。すばらしいですね。忠実な者たちが働いていたので、公の会計報告をしなくても安心だったのです。エペソ6章7節には、「人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」とあるように、何事も主に仕えるように心を込めて、忠実に仕えるよう心掛けたいと思います。

Ⅲ.ヨアシュの死(17-21)

最後に、17~21節をご覧ください。「12:17 そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取った。さらに、ハザエルはエルサレムを目指して攻め上った。12:18 ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、【主】の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。12:19 ヨアシュについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。12:20 ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。12:21 彼の家来シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデが彼を討ったので、彼は死んだ。人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。彼の子アマツヤが代わって王となった。」

そのとき、アラムの王ハザエルが上って来てガテを攻め、これを取りました。ハザエルはさらにエルサレムを目指して攻め上って来ました。このハザエルについては、8章で見たように、主君ベン・ハダデを殺して王となりました。それはエリシャが預言した通りでした。その時エリシャは、彼が残虐な仕打ちをイスラエルに対して行なうことを預言しましたが、果たしてそれが今、実現することになります。彼はイスラエルを攻め、さらにユダにまで攻めて来ました。ガテは、イスラエル南部の沿岸地域にある町で、ペリシテ人の町として有名なところでした。ハザエルはそこを攻め、今度はエルサレムを目指して攻め上って来たのです。

それに対してヨアシュはどのように対応したでしょうか。18節をご覧ください。「ユダの王ヨアシュは、自分の先祖であるユダの王ヨシャファテ、ヨラム、アハズヤが聖別して献げたすべての物、および自分自身が聖別して献げた物、【主】の宮と王宮の宝物倉にあるすべての金を取って、アラムの王ハザエルに送った。するとハザエルはエルサレムから去って行った。」

なんとヨアシュは、自分たちの神である主(ヤハウェ)に敵からの救いを祈り求めるのではなく、主の宮にある金をかすめ奪い、それをハザエルに贈り、和平を求めました。霊的堕落です。エルサレムの財宝を手に入れたハザエルは、そのまま去って行きました。

2歴代誌24章には、ヨアシュがどのように堕落したかその経緯が書かれています。祭司エホヤダが死ぬと、ヨアシュはユダの高官たちの影響を受け、アシェラ像とその他の偶像を礼拝するようになりました。それで主は彼と高官たちに預言者たちを送りましたが、ヨアシュと高官たちはそれを無視しました。最後に、祭司エホヤダの子ゼカリヤが立ち上がり、偶像礼拝の罪を糾弾しますが、ヨアシュはそのゼカリヤを石打にして殺すのです。

いったいなぜヨアシュは、このように堕落してしまったのでしょうか?幼い頃から非常に霊的な環境の中に育てられ、大人になってからも霊的な改革を行なっていたのに、どうしてこんなにも堕落してしまったのでしょうか?一言でいえば、「高ぶり」が大きな原因の一つでした。これはヨアシュだけでなく、他のユダの王たちも言えることですが、最初のころは、主に対して熱心だったけれども、主が国を繁栄させ力を増し加えてくださるにしたがって、主ではなく自分を誇るようになり、自分の力でこの国が成り立っているのだと考えるようになったのです。北王国イスラエルでは完全に主から離れているという問題がありましたが、南ユダでは、その霊的な力が逆に仇となって、主の前におけるへりくだりを忘れてしまうという問題があったのです。

それは私たちにも言えることです。私たちも自分が信仰に歩んでいると思うあまり、いつの間にか高慢になり、神さまの恵みに拠り頼み、必死にあわれみを請う謙虚さを失ってしまう危険があります。私たちはいつも、自分が主のみを自分の分け前としているのか、それとも、主に関する霊的環境に満足して、それに依存してしまっているかを吟味してみる必要があります。主を愛する牧者がいること、互いに愛する兄弟がいること、健全な教会形成なされていること、立派な会堂が与えられていることといった霊的な環境ではなく、ただ主のみを自分の分け前とし、日々、その新しいあわれみにすがっているかが問われているのです。

そんなヨアシュの最後はどうだったでしょうか。20節をご覧ください。「ヨアシュの家来たちは立ち上がって謀反を起こし、シラに下って行くヨアシュをベテ・ミロで打ち殺した。」

彼は彼の家来たちの謀反によって殺されてしまいます。手を下したのは、シムアテの子ヨザバデとショメルの子エホザバデです。この謀反自体は悪です。しかし、それを招いたのはヨアシュ本人でした。正義に支配された王のところに謀反は起こりません。みなが平和に暮らすことができるからです。支配者や指導者が道をそれますと、必ずこのような混乱が生じることになるのです。

21節には、「人々は彼をダビデの町に先祖とともに葬った。」とありますが、彼は王たちの墓には葬られませんでした。2歴代誌24章25節には、「人々は彼をダビデの町に葬ったが、王たちの墓には葬らなかった。」とあります。なぜなら、彼は神のさばきを受けて死んだからです。

何ということでしょう。彼は神殿の修復工事に情熱を燃やすほど信仰的な王でしたが、最後は、神殿の財宝を敵に与えても痛みを感じない王になっていました。人生の最後を信仰者として生きるのはなんと難しいことでしょうか。日々、クリスチャンとしての自分の立ち位置を確認しながら歩まなければなりません。

Ⅱ列王記11章

 今回は、Ⅱ列王記11章から学びます。

 Ⅰ.ヨアシュの保護(1-3)

まず、1~3節をご覧ください。「11:1 アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族全員を滅ぼした。11:2 しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。人々が彼をアタルヤから隠したので、彼は殺されなかった。11:3 彼は乳母とともに、【主】の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤが国を治めていた。」

場面は南ユダ王国に移ります。アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族全員を滅ぼしました。アハズヤは南ユダ王国の王でしたが、戦いで傷を負っていたイスラエルの王ヨラムを見舞うためにイズレエルにやって来ていましたが、彼もまたエフーによって殺されてしまいました。それでアタルヤは、ただちに一族全員を滅ぼしたのです。なぜ彼女はそんなことをしたのでしょうか。自分が南王国ユダを支配する王になるためです。
   彼女は、北王国イスラエルの王であったアハブとイゼベルの娘です。彼女は、南王国の王ヨラムと結婚し妻となり数人の子を儲けましたが、ペリシテ人とアラビア人の攻撃を受け、末子アハズヤ(別名エホアハズ)以外は、皆殺されてしまいした(2歴代21:17)。そのアハズヤが殺されたので、彼女が王の実権を握るには一族全員を滅ぼさなければならなかったのです。それにしても一族全員を殺すとはおぞましいことです。彼女がこのような恐ろしいことができたのは、彼女の中に母イゼベルの性質が宿っていたからです。イゼベルはかつてヤハウェの預言者を次々と殺し、もはや主に忠実な者がほとんど残されていないのではないかと思われたほど殺しました。そしてアタルヤもその残虐性を受け継いで、目的のためには手段を選ばない女になっていたのです。

しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れました。エホシェバは、ヨラム王の娘で、死んだアハズヤの腹違いの姉妹です。彼女は、アタルヤが殺そうとした孫たちの中からヨアシュを盗み出し、寝具をしまう小部屋に隠したのです。この時ヨアシュはわずか1歳でした。こうして彼は乳母とともに、主の宮に六年間、身を隠していました。その間、アタルヤが国を治めていました。彼女は南王国で唯一の女王であり、ダビデの家系ではない唯一の王です。もし、アタルヤがヨアシュを殺していたら、ダビデの家系は完全に途絶えてしまい、メシヤ誕生の約束が挫折するところでした。しかし、神はそれをお許しになりませんでした。

このように神の働きが失敗し、悪魔が勝利しているように見えるときがありますが、決してそんなことはありません。主は必ずご自分のみこころを成就するために、一人の赤ん坊を守られたように守ってくださいます。アタルヤは悪魔の手先ですが、神はそんな敵の攻撃からヨアシュを守り、悪魔の策略を砕かれたのです。

Ⅱ.祭司エホヤダの計画(4-16)

次に、4~8節をご覧ください。「11:4 七年目に、エホヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵それぞれの百人隊の長たちを【主】の宮の自分のもとに来させ、彼らと契約を結んで【主】の宮で彼らに誓いを立てさせ、彼らに王の子を見せた。11:5 彼は命じた。「あなたがたのなすべきことはこうだ。あなたがたのうちの三分の一は、安息日に務めに当たり、王宮の護衛の任務につく。11:6 三分の一はスルの門に、もう三分の一は近衛兵舎の裏の門にいるように。あなたがたは交互に王宮の護衛の任務につく。11:7 あなたがたのうち二組は、みな安息日に務めに当たらない者であるが、【主】の宮で王の護衛の任務につかなければならない。11:8 それぞれ武器を手にして王の周りを囲め。その列を侵す者は殺されなければならない。あなたがたは、王が出るときにも入るときにも、王とともにいなさい。」」

7年目とは、アタルヤの治世の第七年目ということです。祭司エホヤダがヨアシュを王にするために動きます。彼は、ヨアシュが主の宮で隠されていることを知っていました。そして、その時を待っていたのです。彼は密かに人を遣わして、カリ人と近衛兵それぞれの百人隊の長たちを主の宮の自分のもとに来させ、彼らと契約を結んで主の宮で彼らに誓いを立てさせ、彼らに王の子を見せました。つまり、正当な後継者が存在していることを彼らに示したのです。カリ人とは、ケレテ人のことです。彼らはダビデに忠誠を誓った兵士たちです(2サムエル20:23)。彼らは ダビデの子孫が王にならなければいけないことをよく知っていました。彼らはアタルヤにくみしていない忠実な兵士たちでした。ですから、彼らがそのことを聞いた時どれほど喜んだことでしょう。そして、エホヤダは彼らと契約を結び、王位奪還計画を開始するのです。それが5~8節にある内容です。

彼らのうちの三分の一は安息日の務めに当たり、王宮の護衛の任務につきます。三分の一は東のスルの門を固め、残りの三分の一は近衛兵舎の裏の門の護衛に当たります。王宮の護衛は交代制とし、三組の二組は安息日には勤務しないが、主の宮の王子の護衛に当たります。それぞれ武装して王子の身辺警備を厳重にするようにと。これは王の戴冠式に備えるための準備です。

祭司エホヤダの信仰と勇気はすごいですね。彼は個人的な理由でアタルヤを殺害し、ヨアシュを王にしようしたのではありません。彼はあくまでも神のみこころが成就するために動いたのです。つまり彼は主の代理人として、悪魔が送り込んだ強奪者を排除しようとしたのです。彼は信仰により、いのちがけで王位奪還に動き出しました。

9~16をご覧ください。「11:9 百人隊の長たちは、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行った。彼らは、それぞれ自分の部下たちを、安息日に務めに当たる者も、安息日に務めに当たらない者も、祭司エホヤダのところに連れて来た。11:10 祭司は百人隊の長たちに、【主】の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与えた。11:11 近衛兵たちはそれぞれ武器を手にして、神殿の右側から神殿の左側まで、祭壇と神殿に向かって王の周りに立った。11:12 エホヤダは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、さとしの書を渡した。こうして人々は彼を王と宣言し、彼に油を注ぎ、手をたたいて「王様万歳」と叫んだ。11:13 アタルヤは近衛兵と民の声を聞いて、【主】の宮の民のところに行った。11:14 彼女が見ると、なんと、王が定めのとおりに柱のそばに立っていた。王の傍らに隊長たちやラッパ奏者たちがいて、民衆がみな喜んでラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫んだ。11:15 祭司エホヤダは、部隊を委ねられた百人隊の長たちに命じた。「この女を列の間から連れ出せ。この女に従って来る者は剣で殺せ。」祭司が「この女は【主】の宮で殺されてはならない」と言ったからである。11:16 彼らは彼女を取り押さえた。彼女が馬の出入り口を通って王宮に着くと、彼女はそこで殺された。」

百人隊の長たちは、すべて祭司エホヤダが命じたとおりに行いました。それぞれ自分の部下たちを、安息日に務めに当たる者も、当たらない者も、祭司エホヤダのところに連れてきました。

すると祭司エホヤダは百人隊の長たちに、主の宮にあったダビデ王の槍と丸い小盾を与えました。これらの槍と小盾は国家行事の際に用いられるもので、この戴冠式が正式なものであることを示すものでした。近衛兵たちはそれぞれ武装し、主の宮の正面に向かって王の周りに立って護衛しました。エホヤダは王の子を連れ出し、王冠をかぶらせ、モーセ五書を渡しました。こうして人々は彼を王と宣言し、彼に油を注ぎ、手をたたいて「王様万歳」と叫んだのです。

アタルヤはヨアシュの存在について知りませんでした。彼女は近衛兵と民の声を聞いて、主の宮にいる民のところに行ってみると、なんと、王が立つ定位置にヨアシュが立っているではありませんか。それはヨアシュが新しい王として即位したことを示していました。そして、民が喜んでラッパを吹き鳴らしていました。それを見たアタルヤは自分の衣を引き裂き、「謀反だ、謀反だ」と叫びましたが、だれも彼女に加勢する者はいませんでした。

すると祭司エホヤダは、百人隊の長たちに、彼女を捕らえ、王宮まで連行するように命じました。そして、彼女に従って来るものは剣で殺すようにと命じました。主の宮は礼拝する場所であって、処刑所ではないからです。そこで彼らは彼女を取り押さえ、王宮の馬の門に着くと、彼女はそこで処刑されました。

アタルヤは、栄華の絶頂期の中で突然の死を迎えました。詩篇49篇20節に「人は栄華のうちにあっても悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい。」とありますが、たとえどんな栄華の中にあっても悟ることがなければ、それは滅び失せる獣と何ら変わりありません。日々主のみことばを通して悟りが与えられ、主の御前に誠実に歩まなければなりません。

Ⅲ.バアル神殿の破壊(17-21)

最後に、17~21節をご覧ください。「11:17 エホヤダは、【主】と、王および民との間で、彼らが【主】の民となるという契約を結ばせ、王と民との間でも契約を結ばせた。11:18 民衆はみなバアルの神殿に行って、それを打ち壊した。彼らはその祭壇と像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司エホヤダは【主】の宮に管理人を置いた。11:19 彼は百人隊の長たち、カリ人、近衛兵たちと民衆すべてを率いた。彼らは王を【主】の宮から連れて下り、近衛兵の門を通って王宮に入った。王は王の座に着いた。11:20 民衆はみな喜んだ。アタルヤは王宮で剣で殺され、この町は平穏となった。11:21 ヨアシュは七歳で王となった。」

エホヤダは、主と、王および民との間で、彼らが主の民となるという契約を結ばせ、また、王と民との間でも契約を結ばせました。これは、モーセの律法に従って、主の民として生きるという再献身の表明です。また、王はモーセの律法に従って民を統治し、民はその王に従うという内容の契約です。すばらしいですね、私たちは主の所有の民である、主のものであるということを再認識することは。ある時には神様のものだけれども、ある時には自分の好きなようにということではなく、いつでも、どこでも、自分たちは主の民、その牧場の羊であり、そこに立てられた王の統治に従って生きると認識することは大切なことです。

それで民はどうしたかというと、バアルの神殿に行って、それを打ち壊しました。エルサレムになんとバアルの神殿が建っていたのです。これはアタルヤが南王国にバアル礼拝を広げるために建てたたものです。民は、それを打ち壊したのです。そればかりでなく、彼らはその祭壇と像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺しました。アタルヤによって持ち込まれたバアル礼拝が、この時点で一掃されたのです。そして祭司エホヤダは、バアル礼拝者たちがそこに入らないように主の宮を管理する管理人たちを置きました。エホヤダは百人隊の長たち、カリ人、近衛兵たちと民衆を率いて、王を主の宮から連れ下り、王宮に導きました。そこでヨアシュは王の座に着きました。ヨアシュが7歳の時です。ヨアシュは7歳で王になりました。

一方アタルヤはどうなったかと言うと、彼女は王宮で殺されました。それでこの町は平穏になりました。この町とはエルサレムのことです。エルサレムは再び平穏になりました。アタルヤが南王国にバアル礼拝を持ち込んで以降、エルサレムは霊的混乱が蔓延していましたが、それが解消されたのです。北王国ではイゼベルがバアル礼拝を推進し、南王国ではイゼベルの娘のアタルヤがその役割を果たしました。しかし、南王国は北王国ほどバアル礼拝の影響を受けていませんでした。それはダビデの血筋に属する南王国の王たちの中に主を恐れる者たちが何人かいて、南王国を霊的堕落から守ったからです。私たちも祭司エホヤダに導かれた民を見習って、主の民であるという身分が与えられたことを感謝し、主に喜ばれる歩みを求めていきたいと思います。

Ⅱ列王記10章

 今回は、Ⅱ列王記10章から学びます。前回は、エフーがイスラエルの王ヨラムに謀反を起こし、彼を殺して王なったこと、また、アハブの妻イゼベルを殺したことを学びました。

 Ⅰ.エフーによる粛清(1-17)

まず、1~17節をご覧ください。11節までをお読みします。「1 アハブにはサマリアに七十人の子どもがあった。エフーは手紙を書いてサマリアに送り、イズレエルの長たちや長老たち、および、アハブの子の養育係たちにこう伝えた。2 「この手紙が届いたら、あなたがたのところに、あなたがたの主君の子どもたちがいて、戦車や馬も、城壁のある町や武器も、あなたがたのところにあるのだから、すぐ、3 あなたがたの主君の子どもの中から最も善良で真っ直ぐな人物を選んで、その父の王座に就かせ、あなたがたの主君の家のために戦え。」4 彼らは非常に恐れて言った。「二人の王たちでさえ、彼に当たることができなかったのに、どうしてこのわれわれが当たることができるだろうか。」5 そこで、宮廷長官、町のつかさ、長老たち、および養育係たちは、エフーに人を送って言った。「私どもはあなたのしもべです。あなたが私どもにお命じになることは何でもいたしますが、だれも王に立てるつもりはありません。あなたのお気に召すようにしてください。」6 エフーは再び彼らに手紙を書いてこう言った。「もしあなたがたが私に味方し、私の声に聞くのなら、あなたがたの主君の子どもたちの首を取り、明日の今ごろ、イズレエルの私のもとに持って来るように。」そのころ、王の子どもたち七十人は、彼らを養育していた町のおもだった人たちのもとにいた。7 その手紙が彼らに届くと、彼らは王の子どもたちを捕らえ、その七十人を切り殺し、その首をいくつかのかごに入れ、それをイズレエルのエフーのもとに送り届けた。8 使者が来て、「彼らは王の子どもたちの首を持って参りました」とエフーに報告した。すると彼は、「それを二つに分けて積み重ね、朝まで門の入り口に置いておけ」と命じた。9 朝になるとエフーは出て行き、立ってすべての民に言った。「あなたたちに罪はない。聞きなさい。私が主君に対して謀反を起こして、彼を殺したのだ。しかし、これらの者を皆殺しにしたのはだれか。10 だから知れ。【主】がアハブの家について告げられた【主】のことばは一つも地に落ちないことを。【主】は、そのしもべエリヤによってお告げになったことをなされたのだ。」11 エフーは、アハブの家に属する者でイズレエルに残っていたすべての者、身分の高い者、親しい者、その祭司たちをみな打ち殺し、一人も生き残る者がないまでにした。

きょうのところでは、エフーによる粛清がさらに続きます。それは、イスラエルの王ヨラムやアハブの妻イゼベルの死だけでなく、アハブの家のすべての者を抹消するまで続きます。

エフーは自らの統治を強固なものにするために、サマリアに手紙を送りました。サマリアにはアハブの子どもたち70人が住んでいたからです。彼はイズレエルの長たちや長老たち、および、アハブの養育係たちにこう伝えました。2~3節です。「この手紙が届いたら、あなたがたのところに、あなたがたの主君の子どもたちがいて、戦車や馬も、城壁のある町や武器も、あなたがたのところにあるのだから、すぐ、3 あなたがたの主君の子どもの中から最も善良で真っ直ぐな人物を選んで、その父の王座に就かせ、あなたがたの主君の家のために戦え。」

どういうことでしょうか。彼らには主君アハブの子どもたちがいるのだから、主君に忠誠を示すために、息子たちの中から新しい王を立てて、自分と戦えということです。これは脅迫状です。そうすれば、北イスラエルの王ヨラムにしたように、また、南王国のアハズヤにしたようにおまえたちもしてやるというのですから。

それに対して、彼らはどのように応答したでしょうか。4節には、彼らは非常に恐れ、ヨラムとアハズヤという二人の王でさえできなかったのに、どうして自分たちに出来るだろうかと言ったとあります。

そこで、宮廷長官、町のつかさ、長老たち、および養育係たちは、エフーに手紙を送って言いました。「私どもはあなたのしもべです。あなたが私どもにお命じになることは何でもいたしますが、だれも王に立てるつもりはありません。あなたのお気に召すようにしてください。」

するとエフーはこう言いましたか。6節です。「もしあなたがたが私に味方し、私の声に聞くのなら、あなたがたの主君の子どもたちの首を取り、明日の今ごろ、イズレエルの私のもとに持って来るように。」

もし本当に彼らが自分に味方し、自分の声に聞き従うというのであれば、明日の今ごろまでに、アハブの子どもたちの首を取り、イズレエルの自分のもとに持って来るように、と言うのです。厳しい暗殺によって王が王位から退けられた場合、その王と血縁関係にある親族を生かしておくことは、将来の内戦を招きかねなかったので、そうならないように、王の親族を抹殺するという行為は、古代においては、イスラエルだけでなく中近東の諸国においても、一般的に行われていました。ですから、アハブの70人たちの子どもたちの首を取り、それを自分のところに持って来るようにと言ったのです。

これは、非常に厳しい要求でした。なかなか受け入れがたい要求です。いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょうか。エフーの要求に対して、長老たちは、自分たちはだれも王を立てないというところで終わっていればよかったのに、それ以上のことを約束してしまったからです。「あなたがお命じになることは何でもいたします。」というのがそれです。狡猾なエフーは、その機会を見逃しませんでした。しかし、人に対して完全な忠誠を誓うのは愚かなことです。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」( 箴言29:25)とある通りです。私たちが全面的に従うのは、神のみだからです。

その手紙が届くと、彼らはどうしましたか。7節です。彼らは王の子どもたちを捕らえ、その70人を切り殺し、その首をいくつかのかごに入れ、それをイズレエルにいたエフーのもとに届けました。するとエフーは、それを二つに分けて積み重ね、朝まで門の入り口に置いておくように命じました。すごい光景ですが、これは当時の社会ではよく見られた光景でした。当時の社会では、このように負けた者たちの首を陳列することによって、自分たちが勝ったことを示すことがよくあったのです。いわゆる見せしめですね。

イスラエルの民は、このような首さらしの光景を見て動揺していたのでしょう。翌朝、エフーは出て行き、何が起こっているのかをすべての民に説明します(9)。それは、主君ヨラムを殺したのは自分であって、イスラエルの民には責任はないということ、しかし、この70人の首については、誰が殺しにしたのかはわからないということ、その上で、これらの悲劇は、主が預言者エリヤを通して語られたことの成就であり、主がそのしもべエリヤに告げられたことが成就したのだと。これは半分本当で半分嘘です。半分本当であるというのは、これは預言者エリヤを通して語られたことが成就するためであり、主が告げられたことばは一つも地に落ちることはないということです。しかし、半分は嘘というのは、アハブの70人の子どもを殺したのはエフー自身であって、それを知らないというのは全くの嘘です。エフーは本当に狡猾な人間でした。このような嘘をついてまで、自分のやっていることを正当化しようとしたわけです。

そうした彼の残虐さは、その後の悲劇を生みます。11節をご覧ください。エフーは、アハブの家に属する者でイズレエルに残っていたすべての者、身分の高い者、その祭司たちをみな打ち殺し、一人も生き残る者がないまでにしました。エフーは、ヨラム王朝に仕えた高官、親友、祭司たちまで皆殺しにしてしまったのです。いったいなぜ彼は罪のない人まで大量に虐殺したのでしょうか。それは彼の傲慢さのゆえです。彼は「イスラエルの王」として担ぎ出され、物事全てが自分の思うままに進むと、いつしか傲慢になっていきました。傲慢な人は、自分が神であるかのように振る舞います。自分に傲慢な思いがないかどうか、聖霊に吟味していただかなければなりません。

エフーによる悲劇は、それだけにとどまりませんでした。12~14節をご覧ください。ここには、もう一つの悲劇が記されてあります。「12 それから、エフーは立ってサマリアへ行った。その途中、羊飼いのベテ・エケデというところで、13 エフーはユダの王アハズヤの身内の者たちに出会った。彼が「おまえたちはだれか」と聞くと、彼らは、「私たちはアハズヤの身内の者です。王の子どもたちと、王母の子どもたちの安否を尋ねに下って来ました」と答えた。14 エフーが「彼らを生け捕りにせよ」と言ったので、人々は彼らを生け捕りにした。そして、ベテ・エケデの水溜め場で彼ら四十二人を殺し、一人も残さなかった。

それから、エフーは南下してサマリアに向かいました。その途中に羊飼いのベテ・エケデというところがありましたが、そこでユダの王アハズヤの身内の者たちに出会いました。彼らはエフーが起こしたクーデターのことを知りませんでした。それでエフーが「おまえたちはだれか」と聞くと、彼らは、自分たちがアハズヤの身内の者で、王の子どもたちと王母の子どもたちの安否を尋ねに下って来たと答えると、エフーは「彼らを生け捕りにせよ」と言ったので、人々は彼らを生け捕りにしました。そして、ベテ・エケデの水溜め場で彼ら42人を殺し、一人も残しませんでした。この42人の中には殺す必要のなかった者もいました。というのは、直接アハブの家と血縁関係になかった人たちだったからです。それなのに彼は、無惨にも42人全員を殺したのです。

次に、15~17節までをご覧子ください。「彼がそこを去って行くと、彼を迎えに来たレカブの子ヨナダブに出会った。エフーは彼にあいさつして言った。「あなたの心は、私の心があなたの心に対してそうであるように、真っ直ぐですか。」ヨナダブは、「そうです」と答えた。「そうなら、こちらに手を伸ばしなさい。」ヨナダブが手を差し出すと、エフーは彼を戦車の上に引き上げて、16 「私と一緒に来て、【主】に対する私の熱心さを見なさい」と言った。エフーは彼を自分の戦車に乗せて、17 サマリアに行った。エフーは、アハブに属する者でサマリアに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。【主】がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。」

エフーがそこを去って行くと、彼を迎えに来たレカブの子ヨナタブに出会いました。レカブ人については、民数記10章29節、士師記1章16節、Ⅰサムエル記15章6節にあります。彼らはケニ人とつながっています。ケニ人はモーセの舅の子であり、いわばモーセの従兄弟にあたります。彼らはユダ族と共にカナンに入国しながらも、カナンの宗教に染まることなく、ユダの荒野で独自の共同体を形成していました。そのケニ人の系譜の中にレカブの子ヨナダブという人物がいたのです。彼はオムリ王朝打倒のために、エフーの軍勢に加わった人物です。このヨナダブの行動に端を発し、これを受け継ぐ少数の人々が「レカブ人」と呼ばれるようになりました。

ですから、当然、バアル礼拝には反対の立場を取っていました。彼はアハブ王朝の崩壊も歓迎していました。そのレカブの子ヨナタブにエフーが、「あなたの心は、私の心があなたの心に対してそうであるように、真っ直ぐですか」と尋ねると、ヨナタブが「そうです」と答えたので、彼はヨナタブを自分の戦車の上に引き上げ、一緒にサマリアに向かいました。アハブに属する者でサマリアに残っていた者を皆殺しにするためです。サマリアに着くと、エフーはアハブ王朝の親族全員を皆殺しにしました。

それは、主がエリヤにお告げになったことばのとおりでした。エフーは、神のさばきを行う代理人として神に立てられたのです。しかし、それはあまりにも残虐でした。その熱心さは異常なものでした。16節に、エフーがヨナタブを戦車に招き入れた時に語った言葉が記されてありますが、彼はこう言っています。「私と一緒に来て、主に対する私の熱心さを見なさい。」彼は、主の御心を行うのに熱心でしたが、彼自身が救われていたかどうかはわかりません。少なくても、彼の信仰には問題があったのは確かです。というのは、29節に、彼はイスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることから離れようとしなかったしあるからです。

信仰に熱心であればいいというわけではありません。問題は、その熱心がどこから出ているかということです。エフーの問題は、主の働きについては熱心だったけれども、主との関係においては弱かったことです。今日の教会に当てはめれば、伝道や教会活動には熱心だけれども、本当の意味で、主を知っていなかった、主との親しい交わりを持っているわけではないという感じです。バアルの偶像礼拝については、非常に怒りを覚えているのに、ヤロブアムの金の子牛は捨てることができなかった、ということは、一つの使命感は強く感じていて、それを、とことんまでやっているのに、他の主の命令には無頓着であったということです。私たちも、自分の熱心さについて吟味しましょう。エフーのように(いびつ)な信仰でないかどうかを。

Ⅱ. エフーによるバアル撲滅運動(18-28)

次に、18~28節をご覧ください。「18 エフーはすべての民を集めて、彼らに言った。「アハブは少ししかバアルに仕えなかったが、エフーは大いに仕えるつもりだ。19 だから今、バアルの預言者や、その信者、およびその祭司たちをみな、私のところに呼び寄せよ。一人も欠けてはならない。私は大いなるいけにえをバアルに献げるつもりである。列席しない者は、だれも生かしてはおかない。」エフーは、バアルの信者たちを滅ぼすために、策略をめぐらしたのである。20 エフーが、「バアルのためにきよめの集会を催せ」と命じると、彼らはこれを布告した。21 エフーが全イスラエルに人を遣わしたので、バアルの信者たちがみなやって来た。残っていて、来なかった者は一人もいなかった。彼らがバアルの神殿に入ると、バアルの神殿は端から端までいっぱいになった。22 エフーが衣装係に、「バアルの信者すべてに祭服を出してやれ」と命じたので、彼らのために祭服を取り出した。23 エフーとレカブの子ヨナダブは、バアルの神殿に入り、バアルの信者たちに言った。「よく見回して、ここには【主】のしもべがあなたがたと一緒に一人もおらず、ただバアルの信者たちだけがいるようにせよ。」24 こうして彼らは、いけにえと全焼のささげ物を献げる準備をした。エフーは八十人の者を神殿の外に配置して言った。「私がおまえたちの手に渡す者を一人でも逃す者があれば、そのいのちを、逃れた者のいのちに代える。」25 全焼のささげ物を献げ終えたとき、エフーは近衛兵と侍従たちに言った。「入って行って、彼らを討ち取れ。一人も外に出すな。」そこで、近衛兵と侍従たちは剣の刃で彼らを討って投げ捨て、バアルの神殿の奥の間にまで踏み込んだ。26 そして、バアルの神殿の石の柱を運び出して、これを焼き、27 バアルの石の柱を打ち壊し、バアルの神殿も打ち壊し、これを便所とした。それは今日まで残っている。28 このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。」

エフーは、アハブ家を根絶やしにするだけでは終わりませんでした。アハブ家が残した最悪のもの、バアル信仰を滅ぼすことに着手しました。彼は自分が熱心なバアル礼拝者であることを装い、バアルのためのきよめの集会を催せというお触れを出しました。これはエフーがバアルの信者たちを滅ぼすために、めぐらした策略です。

そのお触れに従って、イスラエル全土からバアルの信者たちがやって来ました。残っていて、来なかった者は一人もいませんでした。彼らがバアルの神殿に入ると、バアルの神殿は端から端までいっぱいになりました。

エフーは衣装係に、バアルの信者すべてに祭服を出してやれと命じたので、衣装係は彼らのために祭服を取り出しました。これは、誰がバアルの信者かを見分けるための策略です。

さらにエフーとレカブの子ヨナタブは、バアルの神殿に入り、神殿の中に主のしもべが一人も紛れ込まないように細心の注意を払い、ただバアルの信者だけがいるように告げました。これは、誤って主のしもべたちを殺してしまわないためです。

こうして彼らは、いけにえと全焼のささげ物を献げる準備をしました。そしてエフーは80人の者を神殿の外に配置し、それらの者に、全焼のいけにえをささげ終わったとき、「入って行って、彼らを打ち取るように。一人も外に出さないように」と命じました。それで彼らはバアルの神殿の奥の間にまで踏み込んで、バアルの信者たちを剣の刃で打って投げ捨てました。そして、バアルの神殿を破壊し、それを便所にしました。

こうした一連のエフーの行動の結論は、28節にあります。「このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。」

エリヤが始めたバアル礼拝撲滅運動は、エフーによって終わりを迎えました。エフーは、北王国のバアル礼拝の罪を裁く神の道具として用いられました。しかし、彼自身は救われていなかったか、救われていたとしても、その信仰はかなり(いびつ)なものでした。というのは、29節に、「ただしエフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることから離れようとはしなかった。」とあるからです。

彼はバアル礼拝撲滅運動には熱心でしたが、彼自身は信仰的にはかなり(いびつ)でした。なんという皮肉でしょうか。彼はただイスラエルをさばく道具としてアッシリヤが用いられたように、また南ユダをさばくためにバビロンが用いられたように、バアル礼拝をさばく道具として用いられただったのです。

Ⅲ.エフーの評価(29-36)

最後に、エフーに対する評価です。29~36節をご覧ください。「29 ただしエフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることから離れようとはしなかった。30 【主】はエフーに言われた。「あなたはわたしの目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に就く。」31 しかしエフーは、心を尽くしてイスラエルの神、【主】の律法に歩もうと心がけることをせず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。32 そのころ、【主】はイスラエルを少しずつ削り始めておられた。ハザエルがイスラエルの全領土で彼らを打ち破ったのである。33 すなわち、ヨルダン川の東側、ガド人、ルベン人、マナセ人のギルアデ全土、つまり、アルノン川のほとりにあるアロエルからギルアデ、バシャンの地方にまで及んだ。34 エフーについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、彼のすべての功績、それは『イスラエルの王の歴代誌』に確かに記されている。35 エフーは先祖とともに眠りにつき、人々は彼をサマリアに葬った。彼の子エホアハズが代わって王となった。36 エフーがサマリアでイスラエルの王であった期間は二十八年であった。」

エフーは、バアル礼拝を撲滅しましたが、北王国の伝統的な偶像礼拝はそのまま保持しました。それは、ベテルとダンにあった金の子牛を礼拝することでした。エフーの宗教改革は中途半端なもので終わってしまったのです。

そんなエフーに対して主はこう言われました。「あなたはわたしの目にかなったことをよくやり遂げ、アハブの家に対して、わたしが心に定めたことをことごとく行ったので、あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に就く。」

不思議ですね。あれほど傲慢で身勝手にアハブの家と関係ない人まで殺したエフーに対して主は、「あなたはわたしの目にかなったことをよく成し遂げ・・・」とエフーの従順をほめました。これはアハブの家を滅ぼすという主の御心を、エフーが最後まで行ったということです。実際のところ、エフーは北王国の中では一番熱心に主に従った王です。それゆえ主は彼に、「あなたの子孫は四代目まで、イスラエルの王座に就く。」と約束されました。つまり、彼が第5番目の王朝の創始者となり、その後に4代の王(エホアハズ、ヨアシュ、ヤロブアム2世、ゼカリヤ)が続くということです。北王国は、このエフー王朝の時に最も繁栄し、ヤロブアム2世の時代に黄金期を迎えます。(北王国イスラエルの年代表参照)

しかし、エフーの信仰は中途半端なものでした。彼は自分に与えられた使命に対しては熱心でしたが、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうとせず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れませんでした。彼はモーセの律法に関心を払わず、ヤロブアムが始めた金の子牛礼拝に心を向けていたのです。彼はすでに主から祝福のことばを受けていました。もし彼が、心から主に従っていたら、彼はどれほど偉大な王になっていたことでしょうか。

そうしたエフーの中途半端な信仰の結果、どんな悲劇がもたらされたでしょうか。32節には、「そのころ、【主】はイスラエルを少しずつ削り始めておられた。ハザエルがイスラエルの全領土で彼らを打ち破ったのである。」とあります。アハブの家を裁く器としてエフーが用いられましたが、今度はエフーを裁く器としてアラムの王ハザエルが用いられることになります。彼は先祖たちとともに眠りにつき、人々は彼をサマリアに葬りました。

エフーがサマリアで王として治めた期間は、38年間でした。北王国が弱体化していく中で彼がこれほど長く北王国を治めることができたのは、ただ神のあわれみによるものであると言えます。ハザエルとエフーの働きについて見ました。どちらも主君に謀反を起こした形でさばきが行なわれましたが、時に神様はご自身の目的のために、人間の怒りや罪さえもお用いになることが分かります。神はこの歴史を支配しておられます。そのお方の前にひれ伏し、心から信頼して歩ませていただきましょう。

Ⅱ列王記9章

 今回は、Ⅱ列王記9章から学びます。

 Ⅰ.エフーへの油注ぎ(1-13)

まず、1~13をご覧ください。「1 預言者エリシャは預言者の仲間たちの一人を呼んで言った。「腰に帯を締め、手にこの油の壺を持って、ラモテ・ギルアデに行きなさい。2 そこに行ったら、ニムシの子ヨシャファテの子エフーを見つけなさい。家に入って、その同僚たちの中から彼を立たせ、奥の間に連れて行き、3 油の壺を取って、彼の頭の上に油を注いで言いなさい。『主はこう言われる。わたしはあなたに油を注いでイスラエルの王とする。』それから、戸を開け、ぐずぐずしていないで逃げなさい。」4 その若者、預言者に仕える若者は、ラモテ・ギルアデに行った。5 彼が来てみると、ちょうど、軍の高官たちが会議中であった。彼は言った。「隊長、申し上げることがございます。」エフーは言った。「このわれわれのうちのだれにか。」若者は「隊長、あなたにです」と答えた。6 エフーは立って、家に入った。そこで若者は油をエフーの頭に注いで言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしはあなたに油を注いで、主の民イスラエルの王とする。7 あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流されたすべての主のしもべたちの血の復讐をする。8 それでアハブの家はことごとく滅び失せる。わたしは、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまでを絶ち滅ぼし、9 アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家のように、またアヒヤの子バアシャの家のようにする。10 犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、彼女を葬る者はだれもいない。』」こう言って、彼は戸を開けて逃げた。11 エフーが彼の主君の家来たちのところに出て来ると、一人が彼に尋ねた。「何事もなかったのですか。あの気のふれた者は何のために来たのですか。」すると、エフーは彼らに答えた。「あなたたちは、あの男も、あの男の言ったこともよく知っているはずだ。」12 彼らは言った。「?でしょう。われわれに教えてください。」そこで、彼は答えた。「あの男は私にこんなことを言った。『主はこう言われる。わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とする』と。」13 すると、彼らはみな大急ぎで自分の上着を脱ぎ、入り口の階段にいた彼の足もとに敷き、角笛を吹き鳴らして、「エフーは王である」と言った。」

預言者エリシャは、預言者の仲間たちの一人を呼んで、腰に帯を締め、手に油の壺を持って、ラモテ・ギルアデに行くようにと言いました。何のためでしょうか。ニムシの子ヨシャファテの子エフーに油を注いで王とするためです。エフーは、イスラエルの王ヨラムの家臣として、ラモテ・ギルアデでシリヤ(アラム)の王ハザエルと戦っていましたが、そこへ行って彼に油を注げというのです。そして注ぎ終わったら、そこから急いで逃げるようにと言ったのです。

ラモテ・ギルアデは、つい先ごろアラムとの戦いが行われた場所です。負傷したヨラム王はすでにイズレエルに帰っていましたが、将軍であったエフーはまだヨルダン川の東にあるラモテ・ギルアデに留まっていました。

預言者の仲間がラモテ・ギルアデに行ってみると、エフーは軍の高官たちと会議中でした。彼がエフーに個人的に伝えたいことがあるというと、エフーは彼とともに家に入ったので、彼はエフーの頭に油を注いで言いました。それが6~9節までの内容です。「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしはあなたに油を注いで、主の民イスラエルの王とする。7 あなたは、主君アハブの家の者を打ち殺さなければならない。こうしてわたしは、わたしのしもべである預言者たちの血、イゼベルによって流されたすべての主のしもべたちの血の復讐をする。8 それでアハブの家はことごとく滅び失せる。わたしは、イスラエルの中の、アハブに属する小童から奴隷や自由の者に至るまでを絶ち滅ぼし、9 アハブの家をネバテの子ヤロブアムの家のように、またアヒヤの子バアシャの家のようにする。10 犬がイズレエルの地所でイゼベルを食らい、彼女を葬る者はだれもいない。」

アハブの家の滅亡については、すでにエリヤによって預言されていました(Ⅰ列王21:17~24)。それが延期されていたのは、アハブが一時的に主の前にへりくだったからです(Ⅰ列王21:29)。しかし、主によって語られたことは必ず成就します。ヤロブアムの家がバシャによって滅ぼされたように、また、バシャの家がジムリによって滅ぼされたように、アハブ家も滅ぼされます。そのために用いられるのがエフーです。エフーはアハブの子ヨラムを討つことによってアハブの家を滅ぼすのです。エフーのような狂暴な人物が主の器として用いられることに違和感を覚えますが、神様は、ご自身の目的のためにはこうした悪人さえも用いられるのです。預言者の仲間は、エリシャに言われた通りに告げると戸を開けて逃げました。クーデターのとばっちりを受ける恐れがあったからです。

エフーが彼の主君の家来たちのところに出て来ると、あの若い預言者が何を告げに来たのかを知りたがりました。「あの気のあふれた者」という表現は、その預言者が、さっさと走り去って逃げていくという奇妙な行動を指しているのでしょう。エフーは「あなたたちは、あの男も、あの男の言ったこともよく知っているはずだ」と話をそらそうとしましたが、家来たちが教えてほしいとしつこく迫って来たので、本当のことを話しました。12節です。「あの男は私にこんなことを言った。『主はこう言われる。わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とする』と。」

すると彼らは大急ぎで自分の上着を脱ぎ、入り口の階段にいた彼の足もとに敷き、角笛を鳴らして、「エフーは王である」と言いました。これはエフーが王となったという公の宣言です。こうして、エフーはイスラエルの王ヨラム、彼の主君に対して謀反を起こすことになります。

これはエリヤによってすでに預言されていたことでした。主によって語られたことは必ず成就します。まさか家臣のエフーによってとは誰も想像できなかったと思いますが、主によって語られたことは必ず成就するのです。

Ⅱ. エフーの謀反(14-29)

次に、14~29節をご覧ください。「14 こうして、ニムシの子ヨシャファテの子エフーは、ヨラムに対して謀反を起こした。先にヨラムはイスラエル全軍を率いて、ラモテ・ギルアデでアラムの王ハザエルを防いだが、15 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰っていたのである。エフーは言った。「もし、これがあなたたちの本心であるなら、だれもこの町から逃れ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」16 それからエフーは車に乗ってイズレエルへ行った。ヨラムがそこで床についていて、ユダの王アハズヤもヨラムを見舞いに下っていたからである。17 イズレエルのやぐらの上に、一人の見張りが立っていたが、エフーの軍勢がやって来るのを見て、「軍勢が見える」と言った。ヨラムは、「騎兵一人を選んで彼らを迎えに送り、元気かどうか尋ねさせなさい」と言った。18 そこで、騎兵は彼を迎えに行き、こう言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」一方、見張りは報告して言った。「使者は彼らのところに着きましたが、帰って来ません。」19 そこでヨラムは、もう一人の騎兵を送った。彼は彼らのところに行って言った。「王が、元気かどうか尋ねておられます。」すると、エフーは言った。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」20 見張りはまた報告した。「あれは彼らのところに着きましたが、帰って来ません。しかし、車の御し方は、ニムシの子エフーの御し方に似ています。狂ったように御しています。」21 ヨラムは「馬をつけよ」と命じた。馬が戦車につけられると、イスラエルの王ヨラムとユダの王アハズヤは、それぞれ自分の戦車に乗って出て行った。彼らはエフーを迎えに出て行き、イズレエル人ナボテの所有地で彼に出会った。22 ヨラムはエフーを見ると、「エフー、元気か」と尋ねた。エフーは答えた。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んに行われているのに。」23 それでヨラムは手綱を返して逃げ、アハズヤに「裏切りだ、アハズヤ」と叫んだ。24 エフーは力いっぱい弓を引き絞り、ヨラムの胸を射た。矢は彼の心臓を射抜いたので、彼は戦車の中に崩れ落ちた。25 エフーは侍従のビデカルに命じた。「彼を運んで、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。思い起こすがよい。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブの後に並んで従って行ったときに、主が彼についてこの宣告を下されたことを。26 『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた─主のことば─。わたしは、この地所であなたに報復する─主のことば。』それで今、彼を運んで、主が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」27 ユダの王アハズヤはこれを見ると、ベテ・ハ・ガンの道へ逃げた。エフーはその後を追いかけて、「あいつも討ち取れ」と叫んだので、彼らはイブレアムのそばのグルの坂道で、車の上の彼に傷を負わせた。それでも彼はメギドに逃げたが、そこで死んだ。28 彼の家来たちは彼を車に乗せて、エルサレムに運び、ダビデの町の彼の墓に先祖とともに葬った。」

イスラエルの王ヨラムは、ラモテ・ギルガルとアラムの王ハザエルとの戦いで負傷したため、イズレエルで療養していました。それでエフーは、このことをイズレエルにいるヨラムに伝えてはならないと言いました。つまり、自分が王座に着いたことをイズレエルにいるヨラムに知らせてはならないというのです。なぜでしょうか?エフーがヨラムを暗殺するためにイズレエルに、これからイズレエルに向かうからです。

それからエフーは車に乗ってイズレエルに行きました。ヨラムはアラムとの戦いで負った傷を癒すために床についていましたが、そこへユダの王のアハズヤが彼を見舞いに下って来ていました。

イズレエルのやぐらの上にいた見張り人が、遠方からエフーの軍勢がやって来るのを見て、そのことをヨラムに告げました。するとヨラムは不安に思ったのか、騎兵一人を遣わして様子を探らせます。騎兵がエフーに、「王が、元気かどうか尋ねておられます」と言うと、エフーの答えは素っ気のないものでした。「元気かどうか、おまえの知ったことではない。私のうしろについて来い。」これは、元気かどうかなんてお前に関係のないことだ。お前は俺に着いてくれば良いということです。

最初の使いがなかなか帰って来ないので不安に思ったヨラムは、もう一人の騎兵を遣わしました。するとエフーは、最初の騎兵に言った言葉と同じことを言いました。

すると見張り人から、どうやらその軍勢はニムシの子エフーが先導しているようですという報告が入ると、ヨラムは「馬をつけよ」と命じました。少しでも早く対処すべきと考えたのです。自分が直接エフーと会って話を聞くため自ら戦車に乗って出て行きました。そのときユダの王アハズヤも一緒でした。

するとどうなりましたか。彼らはイズレエルのナボテの所有地でエフーに会いました。そこでヨラムが「エフー、元気か」と尋ねると、エフーの答えは、敵対的なものでした。「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術が盛んにおこなわれているのに。」

ここに至ってようやく、ヨラムはエフーの謀反に気付きました。それでヨラムは手綱を返して逃げ、ユダの王アハズヤに「裏切りだ、アハズヤ」と叫びました。

エフーが力いっぱい弓を引くと、ヨラムの胸を射たので、彼は戦車の中に崩れ落ちました。するとエフーは侍従のピデカルにこう命じました。「彼を運んで、イズレエル人ナボテの所有地であった畑に投げ捨てよ。思い起こすがよい。私とあなたが馬に乗って彼の父アハブの後に並んで従って行ったときに、主が彼についてこの宣告を下されたことを。『わたしは、昨日、ナボテの血とその子たちの血を確かに見届けた─主のことば─。わたしは、この地所であなたに報復する─主のことば。』それで今、彼を運んで、主が語られたとおり、あの地所に彼を投げ捨てよ。」(25-26)

両者がナボテの所有地で会ったのは、人間的には偶然のように見えます。もしエフーの進軍速度が少しでも遅かったり、ヨラムが出てくるタイミングが少しでもズレていたら、両者がそこで会うことはあり得えなかったからです。しかし、そうではありません。ここには驚くべき神の摂理が働いていました。神はアハブの罪をナボテの所有地で裁くと預言したおられました(Ⅰ列王21:1~29)が、その通りそれが実現したのです。神のことばは必ず成就するのです。

そのとき、ユダの王アハズヤもヨラムと一緒にいましたが、アハズヤはこれを見ると、ベテ・ハ・ガンの道へ逃げました。エフーはその後を追いかけて、「あいつも討ち取れ」と命じたので、彼らはイブレアムのそばのグルの坂道で、車の上の彼に傷を負わせました。それでも彼はメギドに逃れましたが、彼はそこで死にました。28~29節には、彼の家来たちは彼を車に乗せて、エルサレムに運び、ダビデの町の彼の墓に先祖とともに葬ったとあります。彼は善王ヨシャパテの子であったので、王家の墓に葬られることになったのです。アハズヤの治世はわずか1年(2列王8:26)でしたが、彼はエルサレムにすでに自分の墓を用意していたのです。彼の家来たちはその墓に彼の遺体を葬りました。そこは先祖の王たちが埋葬された場所でもありました。

Ⅲ.イゼベルの死(30-37)

最後に、30~37節をご覧ください。「30 エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていた。31 エフーが門に入って来たので、彼女は「お元気ですか。主君殺しのジムリ」と言った。32 彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言った。二、三人の宦官が彼を見下ろしていたので、33 彼が「その女を突き落とせ」と言うと、彼らは彼女を突き落とし、彼女の血が壁や馬にはねかかった。エフーは彼女を踏みつけた。34 彼は中に入って食べたり飲んだりし、それから言った。「あののろわれた女の世話をしてやれ。彼女を葬ってやれ。あれは王の娘だから。」35 彼らが彼女を葬りに行ってみると、彼女の頭蓋骨と両足と両手首しか残っていなかったので、36 帰って来てエフーにこのことを知らせた。するとエフーは言った。「これは、主がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、37 イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれもこれがイゼベルだと言えなくなる。』」

エフーがイズレエルに着いたとき、アハブの妻イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていました。目の縁を塗り、髪を結い直してとは、彼女が王女としての威厳を保ちながら死ぬための準備です。

エフーが門に入って来ると、彼女は「お元気ですか。主君殺しのジムリ」と言いました。これはイゼベル流の皮肉です。ジムリについては1列王16章8節以降にありますが、彼はバアシャの子エラがイスラエルの王であったとき、彼に謀反を企ててエラを打ち殺し、彼に代わって王となりました(1列王16:9-10)。イゼベルはここでバシャがやっていることはそのジムリがやっていることと同じだと言っているのです。ジムリもまた謀反人でしたが、彼の統治はたった7日間で終わりました。イゼベルはエフーに、自分の主人に謀反を働いて平安があるのかと問うたのです。

するとエフーは窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか」と言うと、2~3人の宦官が彼を見下ろしたので、彼は「その女を突き落とせ」と言いました。それで彼らは彼女を突き落としたので、彼女の血は、壁や馬に跳ね返りました。

エフーは中に入って食べたり飲んだりしましたが、それから彼はこう言いました。「あののろわれた女の世話をしてやれ。彼女を葬ってやれ。あれは王の娘だから。」それで彼らが彼女を葬りに行ってみると、彼女の頭蓋骨と両足と両手首しか残っていなかったので、そのことを帰ってエフーに伝えると、エフーはこう言いました。36~37節です。

「これは、主がそのしもべティシュベ人エリヤによって語られたことばのとおりだ。『イズレエルの地所で犬がイゼベルの肉を食らい、イゼベルの死体は、イズレエルの地所で畑の上にまかれた肥やしのようになり、だれもこれがイゼベルだと言えなくなる。」

どういうことかというと、これはエリヤが語ったことばの通りになったということです。エフーがこのことをどれだけ意識していたかどうかはわかりませんが、彼が意識しようとしまいと、神によって語られたことばは必ずその通りに実現するのです。それはイゼベルの死ばかりでなく、アハブの家がエフーによって滅ぼされることや、それがナボテの所有地で行われることなども、すべてのことに及びます。ここではかつてエリヤに語られた主のことばがどのように成就したのかが描かれているのです。つまり、主が言われたことは必ず実現するということです。

であれば、私たちに求められていることは、主が語られたことばにを聞き、それに従うということです。そうすれば主がご自身のみことばにあるように私たちを祝福してくださいます。

それにしても、このイゼベルの死に方はあまりにも悲惨です。彼女は、殺人と盗みの罪を犯したその場所で、このような死に方をしました。それは彼女の行ったことがそれほど神の目で悪であったからです。私たちもイゼベルのような悲惨な死を遂げることがないように、いつも主のことばに聞き従う者でありたいと思います。

Ⅱ列王記8章

 

 今回は、Ⅱ列王記8章から学びます。

 Ⅰ.あのシュネムの女(1-6)

まず、1~6をご覧ください。「1 エリシャは、かつて子どもを生き返らせてやったあの女に言った。「あなたは家族の者たちと一緒にここを去り、とどまりたいところに、しばらく寄留していなさい。主が飢饉を起こされたので、この国は七年間、飢えに見舞われるから。」2 この女は神の人のことばにしたがって出発し、家族を連れてペリシテ人の地に行き、七年間滞在した。3 七年たった後、彼女はペリシテ人の地から戻って来て、自分の家と畑を得ようと王に訴え出た。4 そのころ、王は神の人に仕える若者ゲハジに、「エリシャが行った大いなるわざを、残らず私に聞かせてくれ」と話していた。5 彼が王に、死人を生き返らせたあの出来事を話していると、ちょうどそこに、子どもを生き返らせてもらった女が、自分の家と畑のことについて王に訴えに来た。ゲハジは言った。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです。」6 王が彼女に尋ねると、彼女は王にそのことを話した。すると王は彼女のために、一人の宦官に「彼女のすべての物と、彼女がこの地を離れた日から今日までの畑の収穫のすべてを、返してやりなさい」と命じたのであった。」

「かつて子どもを生き返らせてやったあの女」とは、シュネムの女のことです。彼女のことについては、Ⅱ列王4章8~37節にあります。エリシャのために、自分たちの家の屋上に休んだり、勉強することができるような部屋を作った人です。彼女には子どもがいませんでしたが、エリシャの祈りによって男の子が与えられました。しかし、その子が父親のところに行ったとき、「頭が、頭が」と言ったかと思うと死んでしまいました。エリシャは主に祈り、その子を生き返らせました。そのシュネムの女に、家族の者たちと一緒にそこを去り、留まりたいところに、しばらく寄留していなさい、と言ったのです。主が飢饉を起こされたので、北イスラエル王国は七年間、飢えに見舞われることになるからです。今、アラムの包囲から解かれて、飢饉から脱したかと思いきや、それとは別の七年間の厳しい飢饉がやって来るというのです。しかも、ここに主が飢饉を起こされたとあるので、それはイスラエルに対する神のさばきによるものであったことがわかります。

そこでこの女はエリシャのことばに従って、家族を連れてペリシテ人の地に行き、そこに七年間滞在しました。なぜペリシテ人の地に行ったのでしょうか。そこは地中海沿岸の地で平地でしたから、比較的肥沃だったのでしょう。彼女はそこに七年間滞在し、七年後にそこからサマリアに戻ってきましたが、自分たちがいない間に家と畑を他の人に取られていました。そこで彼女は自分の家と畑を取り戻そうと王に訴え出ました。

ちょうどその頃、イスラエルの王ヨラムはエリシャの奇跡に興味を持ち、エリシャに仕えていたゲハジから話を聞いていました。基本的に彼はエリシャを嫌っていましたが、エリシャが行った数々の奇蹟には興味があったようです。そこでエリシャに仕えるゲハジが、ヨラム王に死人を生き返らせたあの出来事を話していると、ちょうどそこにそのシュネムの女がやって来たのです。自分の家と畑について王に訴えるためにです。そこでゲハジは驚いて王に言いました。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです。」そこで王が彼女に尋ねると、彼女はその出来事について話しました。すると王は彼女のために一人の宦官に命じて、彼女のすべての物と、彼女がこの地を離れた日から今日までの畑の収穫のすべてを、返してやりました。

本当に不思議ですね。神様のなさることは。ちょうど良い時に、ちょうど良いことを行なってくださいます。これが私たちの信じている神の御業です。神は、神を愛する者には、すべてのことを働かせて益としてくださる方なのです(ローマ8:28)。

Ⅱ. ベン・ハダドに代わる新しい王ハザエル(7-15)

次に、7~15節をご覧ください。「7 さて、エリシャがダマスコに行ったとき、アラムの王ベン・ハダドは病気であった。すると彼に「神の人がここまで来ている」という知らせがあった。8 王はハザエルに言った。「贈り物を持って行って、神の人を迎え、私のこの病気が治るかどうか、あの人を通して主のみこころを求めてくれ。」9 そこで、ハザエルはダマスコのあらゆる良い物をらくだ四十頭に載せて、贈り物として携え、神の人を迎えに行った。彼は神の人の前に来て立ち、こう言った。「あなたの子、アラムの王ベン・ハダドが、『この病気は治るであろうか』と言って、あなたのところへ私を遣わしました。」10 エリシャは彼に言った。「行って、『あなたは必ず治る』と彼に告げなさい。しかし、主は私に、彼が必ず死ぬことも示された。」11 神の人は、彼が恥じるほどじっと彼を見つめ、そして泣き出したので、12 ハザエルは尋ねた。「ご主人様はなぜ泣くのですか。」エリシャは答えた。「私は、あなたがイスラエル人に害を加えようとしていることを知っているからだ。あなたはイスラエル人の要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを切り裂くだろう。」13 ハザエルは言った。「しもべは犬にすぎないのに、どうして、そんな大それたことができるでしょう。」しかし、エリシャは言った。「主は私に、あなたがアラムの王になると示されたのだ。」14 彼はエリシャのもとを去り、自分の主君のところに帰った。王が彼に、「エリシャはあなたに何と言ったか」と尋ねると、彼は「あなたは必ず治ると言いました」と答えた。15 しかし、翌日、ハザエルは厚い布を取って水に浸し、王の顔にかぶせたので、王は死んだ。こうして、ハザエルは彼に代わって王となった。」

エリシャがダマスコに行ったとき、アラムの王ベン・ハダドは病気でした。ダマスコはアラム(シリヤ)の首都です。いったいなぜエリシャはダマスコへ行ったのかはわかりません。エリシャは北イスラエル王国を中心に活動していたので、敵国であるアラムの首都ダマスコまで行くのは稀なことです。おそらく、アラムの王ベン・ハダドからの促しがあったのではないかと思われます。というのは、当時彼は病気になっていたからです。数々のエリシャが行った奇跡を聞き、彼に治してもらうことを期待していたのではないかと思います。そのベン・ハダドに、「神の人」がここまで来ているという知らせがありました。

そこでアラムの王ベン・ハダドは、ハザエルに贈り物を持って行き、神の人を迎え、自分の病気が治るかどうか、主のみこころを求めるようにと言いました。ここには「神の人」という言葉が強調されています。異教の王がイスラエルの神、主の預言者を「神の人」と呼ぶことは珍しいことです。彼はそれほどエリシャを尊敬していたということです。

そこでハザエルはダマスコのあらゆる良い物をらくだ四十頭に載せて、贈り物として携え、エリシャを迎えに行きました。らくだ四十頭ですよ。それは相当の贈り物でした。ベン・ハダドはそこまでしてエリシャを迎えたかったのです。そこまでして病気が治りたかったのです。

ハザエルはエリシャの前に立つと、こう言いました。「あなたの子、アラムの王ベン・ハダドが、『この病気は治るであろうか』と言って、あなたのところへ私を遣わしました。」

ここでハザエルはアラムの王ベン・ハダドのことを、「あなたの子」と言っています。これは、ベン・ハダドの意志を表明しています。彼はエリシャが語る神のことばを主のみこころと認め、その判断に従うという意思を示したのです。

すると、エリシャは彼にこう言いました。10節です。「行って、『あなたは必ず治る』と彼に告げなさい。しかし、主は私に、彼が必ず死ぬことも示された。」

エリシャは彼に二つのことを告げました。一つは、ベン・ハダドの病気は必ず治るということ、そしてもう一つのことは、しかし、彼は必ず死ぬということです。これは病気によって死ぬということではなく、別の形で死ぬということです。

するとエリシャはハザエルが恥じるほどじっと彼を見つめ、急に泣き出しました。どうして泣きだしたのか驚いたハザエルはエリシャに尋ねました。「ご主人様はなぜ泣くのですか。」するとエリシャはその理由を彼に告げました。それは、このハザエルがイスラエル人に害を加えようとしていることを知っていたからです。彼はイスラエルの要塞に火を放ち、その若い男たちを剣で切り殺し、幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを切り裂くようになります。

それを聞いたハザエルは驚きました。なぜなら、犬にすぎない自分が、そんな大それたことなどできるはずがないと思っていたからです。表面上は。しかし、エリシャは彼にこう告げます。「主は私に、あなたがアラムの王になると示されたのだ。」彼はベン・ハダドに代わってアラムの王になるというのです。

彼はエリシャのもとを去り、自分の主君のところに帰り、主君ベン・ハダドにそのことを報告しましたが、翌日、彼は厚い布を取って水に浸し、王の顔にかぶせたので王は死に、彼が代わって王になりました。彼の治世はB.C.841~801年までの40年間です。その間、彼はイスラエルを大いに苦しめることになります。エリシャが涙したのは(11)、このことを示されてのことだったのです。

ハザエルは、犬にすぎない自分に、そんな大それたことができるはずがないと言いましたが、その翌日にはエリシャが預言した通り、自分の主君ベン・ハダドをいとも簡単に殺してしまいました。彼はただ自分の内に潜む邪悪さに気付いていなかっただけだったのです。しかし、機会が到来すると、その邪悪な思いが一気に化け物のような姿を取ることがあります。それは私たちにも言えることです。私たちも罪赦された罪人にすぎず、私たちの内にはそうした罪の性質が残っているのです。パウロはそんな自分の肉の性質を嘆いて、「私は本当に惨めな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ:24)と言ったのです。私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています(同7:19)と。そこで彼はイエス様に目を向けます。イエス・キリストにある者は罪に定められることは決してありませんと。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの道間の原理が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にはできないことを、神はしてくださいました。神はご自身の御子を、罪深い肉と同じような形で、肉において罪を処罰されました。そのいのちの御霊によって、罪と死の原理から解放していただくことができる。これは私たちも同じです。私たちの肉の力によってではなく、いのちと御霊の原理によってそうした罪と死の原理から解放され、主のご性質に似た者となるように祈り求めていきたいと思います。

Ⅲ.ユダの王ヨラム(16-29)

最後に、16~29節をご覧ください。まず24節までをお読みします。「16 イスラエルの王アハブの子ヨラムの第五年、ヨシャファテがまだユダの王であったとき、ユダの王ヨシャファテの子ヨラムが王として治めるようになった。17 彼は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。18 彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。彼は主の目に悪であることを行った。19 しかし、主そのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。20 ヨラムの時代に、エドムが背いてユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。21 ヨラムは、すべての戦車を率いてツァイルへ渡って行き、夜襲を試みて、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを討った。ところが、ヨラムの兵たちは自分たちの天幕に逃げ帰った。22 エドムは背いてユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもそのときに背こうとした。23 ヨラムについてのその他の事柄、彼が行ったすべてのこと、それは『ユダの王の歴代誌』に確かに記されている。24 ヨラムは先祖とともに眠りにつき、先祖とともにダビデの町に葬られた。彼の子アハズヤが代わって王となった。」

ここから、話は再び南ユダ王国に関する記述に戻ります。列王記には、北王国と南王国の歴史が交互に記録されているので、どちらの記録なのかをよく見分けなければなりません。これは南王国の記録です。

北イスラエルの王ヨラムの第五年に、南王国で王となったのはヨシャパテの子のヨラムです。どちらの王も「ヨラム」なので紛らわしいですが、それぞれ別の人物です。彼は32歳で王となり、8年間ユダを治めました。

彼について特筆すべきことは、彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだということです。アハブの娘が彼の妻だったのです。南ユダ王国にバアル礼拝を導入したこの北イスラエルのアハブ王の娘です。アハブ王に関してはⅠ列王記16~22章に記されてありますが、彼の妻はイゼベルといって、シドン人の王エテバアルの娘でした(Ⅰ列王16:31)。彼女によってイスラエルにバアル礼拝が持ち込まれました。バアルだけではありません。アシェラ像も造りました。ですから、アハブは、彼以前の、どのイスラエルの王たちにまして、主の怒りを引き起こしたのです。その娘がヨシャファテの子ヨラムと結婚したのです。南ユダがどうなるかは目に見えています。ここには「彼は主の目に悪であることを行った。」とあるように、彼は悪を行いました。悪王でした。彼の父ヨシャパテは善い王でしたが、彼は悪い王だったのです。妻の影響を受けてバアル礼拝者となったからです。18節に「彼はアハブの家の者がしたように」というのは、そういう意味です。

しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれませんでした。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからで(19)どういうことでしょうか。

これはⅡサムエル記7章にあるダビデ契約のことです。Ⅱサムエル7章11b~16節にはこうあります。

「主はあなたに告げる。主があなたのために一つの家を造る、と。12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」

これは、主がダビデに約束されたことです。主はダビデのために一つの家を造る、と言われました。それはとこしえまでも堅く立つ王国です。それは、ダビデの身から出る世継ぎの子が、ダビデの死後に、彼の王国を確立させるということです。ダビデの世継ぎ子とはソロモンのことです。しかし、それはソロモンのことでなく、ダビデの子孫として生まれ、永遠の神の国を打ち立てられるメシヤ、キリストのことを預言していました。それはとこしえまでも堅く立つ王国です。ですから、15~16節には、「しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」と言われているのです。サウルからは恵みが取り去られましたが、ソロモンからは取り去られることはありませんでした。確かにソロモンも罪を犯しました。サウルとソロモンの罪を比べたら、偶像礼拝に走ったソロモンの方がはるかに大きなものでした。しかしソロモンの王座が奪われることはありませんでした。なぜなら、これが永遠の契約に基づいていたからです。

これが神の救いです。神の救いは、私たちの不信仰によって取り去られるものではありません。神はこの救いの恵みを、イエス・キリストを通して私たちに約束してくださいました。ヨハネ10章29節には、「だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。」とあります。どんなことがあっても、キリストにある神の愛から、私たちを引き離すことはできないのです。私たちはイエス・キリストによって決して滅ぼされることのない救いを受けたのです。これが新しい契約です。一度救われたら、その救いを失うことは絶対にありません。もし罪を犯したなら、神に告白することによって赦していただくことができる。つまり、南ユダが滅びることはないということです。彼らが滅びないのは、ただ神の恵みによるのです。

列王記の著者は、このヨラムの時代を特徴づける出来事として二つのことを記しています。一つは、エドムの反乱と、もう一つはリブナの反乱です。20~22節にあります。「20 ヨラムの時代に、エドムが背いてユダの支配から脱し、自分たちの上に王を立てた。21 ヨラムは、すべての戦車を率いてツァイルへ渡って行き、夜襲を試みて、彼を包囲していたエドムと戦車隊長たちを討った。ところが、ヨラムの兵たちは自分たちの天幕に逃げ帰った。22 エドムは背いてユダの支配から脱した。今日もそうである。リブナもそのときに背こうとした。」

エドムはヨラムの父ヨシャパテの時代にユダに征服され、傀儡王によって統治されていましたが、ヨシャパテが死ぬと、彼らはユダに背き、エドム人を王として立てました。それでヨラムはエドムの反乱軍を制圧するためにツァイルに進軍しましたが、そこでエドム軍に包囲され、いのちからがらエルサレムに逃げ帰りました。リブナはエルサレムの南西、ペリシテの地の国境に位置する町です。リブナもエドムの反乱に刺激されたのか、そのときに背こうとしました。

最後に、25~29節をご覧ください。「25 イスラエルの王アハブの子ヨラムの第十二年に、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。26 アハズヤは二十二歳で王となり、エルサレムで一年間、王であった。彼の母の名はアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘であった。27 彼はアハブの家の道に歩み、アハブの家に倣って主の目の前に悪であることを行った。彼自身、アハブ家の婿だったからである。28 彼はアハブの子ヨラムとともに、アラムの王ハザエルと戦うため、ラモテ・ギルアデに行った。アラム人はヨラムを討った。29 ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにラマでアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰った。ユダの王ヨラムの子アハズヤは、アハブの子ヨラムが弱っていたので、彼を見舞いにイズレエルに下って行った。」

北イスラエルのヨラム王の第12年に、アハズヤがユダの王になりました。「アハズヤ」という王も北イスラエルと南ユダにいたので紛らわしいですが、これもまた別人です。これは南ユダの王ヨラムの子のアハズヤです。北イスラエルでは、アハブ→アハズヤ→ヨラムと続きますが、南ユダでは、ヨシャパテ→ヨラム→アハズヤと続きます。

この南ユダの王アハズヤは22歳で王となり、エルサレムで1年間治めました。その治世はたったの1年間でした。彼の特質すべきことは、彼の母親の名がアタルヤといって北イスラエルの王オムリの孫娘であったということです。つまり、アハブとイゼベルの娘です。そのアタルヤが南ユダにバアル礼拝を持ち込みました。今、礼拝でエレミヤ書からお話していますが、南ユダが偶像礼拝に陥った最大の原因は、このアタルヤだったのです。彼はそうした母アタルヤの影響を受けてバアル礼拝を採用し、アハブの家にならって、主の目の前に悪を行ったのです。

アハズヤは、イスラエルの王ヨラムとともにアラムの王ハザエルと戦うために、ラモテ・ギルアデに出て行きましたが、アラム人はヨラムを打ちました。ユダの王アハズヤは、アハブの子ヨラムが弱っていたので、彼を見舞いにイズレエルに下って行きましたが、これは愚かな選択でした。というのは、Ⅰ列王記22章でもこれと同じ出来事があったからです。彼の祖父ヨシャパテはアハブの同盟軍としてラモテ・ギルアデに出向いてアラムと戦いましたが、そこでアハブは戦死し、ヨシャパテも殺されそうになりました。今、その時と全く同じことが行われているのです。アハズヤは、彼の祖父ヨシャパテがかつてどうだったのかを思い起こし、その教訓から学ぶべきだったのに学びませんでした。全く同じ失敗を繰り返しました。

それは私たちにも言えることです。歴史は繰り返します。それは聖書を見てもわかります。人間の本質は変わらないからです。それゆえ、その失敗から学ばなかったら同じ結果になってしまいます。聖書の歴史を学び、同じ轍を踏まないように、そこからしっかりと教訓を学びたいと思います。

Ⅱ列王記7章

 

 今回は、Ⅱ列王記7章から学びます。

 Ⅰ.ツァラアトに冒された四人の人の決断(1-9)

まず、1~9をご覧ください。まず1~2節をお読みします。「1 エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリアの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」2 しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、エリシャは言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」

1節のエリシャのことばは、6章33節でイスラエルの王ヨラムの使者のことば対して語ったことばです。ヨラムの使者はエリシャに、「見よ、これは主からのわざわいだ。これ以上、私は何を主に期待しなければならないのか」と言いました。それは、サマリアが飢饉でハイパーインフレに陥っていたからです。6章25節には、飢饉のため、ろばの頭一つが銀80シェケル、約7万千円で、鳩の糞一カブの四分の一が銀5シェケル、約4千5百円で売られていたとあります。また、6章29節には、子どもを煮て食べたという話がありますが、それほどの飢えで苦しんでいたのです。これは主からのわざわいであって、これ以上、何を期待することができるというのか。そんな偽りを言う者のことばなど信じられるかとエリシャに詰め寄ったのです。それに対してエリシャが言ったことはこうでした。

「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリアの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」  

明日の今ごろとは、数時間後にはということです。数時間後には上質の小麦粉1セア(約7.6㍑)が1シェケル(11.4g)で、大麦も2セア(約15㍑)が1シェケルで売られるようになるというのです。1シェケルは、現代の価値に換算すると、仮に銀1gが80円だとすると、 912円となります。今朝の聖書日課の箇所は創世記37章でしたが、ヨセフは銀20枚、つまり、20シェケルイシュマエル人に売られました。ですから、現代の価値に換算すると、1シェケルは1,000~2,000円くらいでしょうか。エリシャは、小麦7.6㍑が1000円くらいで売られるようになると言ったのです。大飢饉でかなりのインフレの中にあったサマリアにおいては考えられないほど安い価格です。

しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、エリシャにこう言いました。「たとい、主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」「王が頼みにしていた者」とは、親衛隊の隊長のことです。彼はエリシャに、絶対にそんなことはあり得ないと言ったのです。神にはそのような奇跡を行う力はないし、もしあったとしても、そうはされないだろう、というのです。そこで、エリシャは言いました。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」

このことばを覚えておいてください。これが後に実現することになります。信仰がない人は、現実的にしか物事を見ることができません。神様なんているわけがないし、いたとしても、そんなことができるはずがないと考えるのです。それゆえ、目に見ていないものを自分のものにすることができません。

しかし、それが現実のものとなります。どのようにそれが実現したかについて、3節以降で展開されていきます。3~9節をご覧ください。「3 さて、ツァラアトに冒された四人の人が、町の門の入り口にいた。彼らは互いに言った。「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。4 たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」5 こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。すると、なんと、そこにはだれもいなかった。6 これは、主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、彼らが口々に「見よ。イスラエルの王が、ヒッタイト人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲って来る」と言い、7 夕暮れに立って逃げ、自分たちの天幕や馬やろば、陣営をそのまま置き去りにして、いのちからがら逃げ去ったからであった。8 ツァラアトに冒されたこの人たちは、陣営の端に来て、一つの天幕に入って食べたり飲んだりし、そこから銀や金や衣服を持ち出して隠した。また戻って来てはほかの天幕に入り、そこからも持ち出して隠した。9 彼らは互いに言った。「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」

ここにツァラアトに冒された4人の人が登場します。3節の町の門とは、サマリアの町の門のことです。彼らはサマリアの門の入り口にいました。というのは、ツァラアトに冒された人はイスラエルでは共同体から隔離されて生活していたからです。ですから彼らは町の門の入口にいて、そこで捨てられるゴミから自分の食料となるものを探して生きていたのです。 

彼らは互いに話し合っていました。ここに座っているだけならただ死ぬだけだし、かといって町に入ったところで、町は食糧難だから、そこで死んでしまうことになるだろう。だったら、いっそのことアラムの陣営に入り込んでみたらどうか。もし彼らが自分たちを生かしておいてくれるなら生き延びることができるし、もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。

こうして彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端までやって来ました。すると、そこはどうなっていましたか。そこにはだれもいませんでした。まさにもぬけの殻だったのです。何があったのでしょうか。6~7節をご覧ください。これは主がなさったことです。主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、彼らが口々に「見よ。イスラエルの王が、ヒッタイトの王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲ってくる」と言って、自分たちの天幕や馬やろば、陣営をそのまま起き去りにして、いのちからがら逃げ去ったのです。

それでツァラアトに冒されたこの人たちは、歓喜しながら、思う存分飲み食いしました。そしてそこから銀や金や衣服を持ち出して隠しました。また戻って来てはほかの天幕に入り、そこからも持ち出して秘密の場所に隠しました。あとで来て取り出せるようにするためです。

しかし、彼らはだんだん不安になってきました。こんなに良い知らせなのに、これを秘密にしていたら、いつか誰かが発見した時にばれて、なぜ秘密にしていたのかと、自分たちの責任を問われることになるだろう。だったらこの発見を伝えた方がいい。だから今すぐ、この良い知らせを王の家にも知らせようと思ったのです。

福音伝道もこれと同じですね。パウロは、Ⅰコリント9章16節で、「もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。」と言っています。伝道とは、食べ物のありかを見つけた乞食が、他の乞食に、そのありかを教えてあげるようなものです。良き知らせを伝える者の足は、何と美しいでしょうか(ローマ10:15)。

Ⅱ. 疑ったイスラエルの王ヨラム(10-15)

次に、10~15節をご覧ください。「10 彼らは町に入って門衛を呼び、彼らに告げた。「われわれがアラムの陣営に入ってみると、なんとそこにはだれの姿もなく、人の声もありませんでした。ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」11 そこで門衛たちは叫んで、門内の王の家に告げた。12 王は夜中に起きて家来たちに言った。「アラム人がわれわれに対して謀ったことをおまえたちに教えよう。彼らはわれわれが飢えているのを知っているので、陣営から出て行って野に隠れ、『イスラエル人が町から出たら生け捕りにし、それから町に押し入ろう』と考えているのだ。」13 すると、家来の一人が答えた。「それでは、だれかにこの町に残っている馬の中から五頭を取らせ、遣わして調べさせてみましょう。どうせ、この町に残っているイスラエルのすべての民衆も、すでに滅んだイスラエルのすべての民衆と同じ目にあうのですから。」14 彼らが二台分の戦車の馬を取ると、王は「行って確かめて来い」と命じて、アラムの軍勢を追わせた。15 彼らはアラム人を追って、ヨルダン川まで行った。ところが、なんと、道はいたるところ、アラム人が慌てて逃げるときに捨てていった衣服や武具でいっぱいであった。使者たちは帰って来て、このことを王に報告した。」

ツァラアトに冒された4人の人たちは、急いで町に入って門衛を呼び、事の次第を告げました。それを聞いた門衛たちは驚き、早速その知らせを王の家にいた人たちに伝えました。それを聞いたヨラム王はどのように反応したでしょうか。12節にあるようよ、彼はそれを聞くと疑い、それはアラム人たちが自分たちをおびき寄せるための罠だと言いました。彼らは自分たちが飢えていることを知っているので、陣営から出て来て野に隠れ、自分たちが喜んでで町を出たとたん、攻撃をしかけてくる考えだと言ったのです。これがヨラムの判断でした。不信仰は、あるものを手に入れなくさせてしまいます。

すると、それを聞いた家来の一人があることを提案します。それは、サマリアに残っている馬の中から5頭を取らせ、遣わして調べさせてみたらどうかということでした。どうせこの町に残っている民衆も、すでに滅んだイスラエルの民衆と同じ目に遭うのだからです。すでに滅んだイスラエルの民衆とは、飢えで死んでいった人たちのことです。創造主訳聖書はこれをわかりやすく訳しています。「それではこういたしましょう。この町に残っている馬の中から五頭を使って、偵察にやらせましょう。そうすれば、事情は判明いたします。ここにいても、どうせ同じ運命をたどるのでございますから。」わかりやすいですね。こういう意味です。

ヨラム王はこの提案を受け入れ、「行って確かめて来い」と命じて、偵察隊を派遣しました。彼らはアラム人を追って、ヨルダン川まで行きました。ところが、なんと、道はいたるところ、アラム人が慌てて逃げるときに捨てて行った衣服や武具でいっぱいでした。サマリアからヨルダン川までの距離は、約40キロあります。その間、アラム人が残していった衣服や武具が散乱していたのです。

ヨラムが敵の策略だと疑ったのは、人間的には合理的なことです。しかし、信仰の視点からは、誤った判断だったと言えます。エリシャはヨラムに主の解放を預言していたのに、それを無視していたからです。サマリアの解放は、主の御手によってたなされたものであって、人間の知恵や力によるものではありませんでした。

イスラエルはエジプトを出た後、バアル・ツェフォンの前にあるピ・ハヒロテで、海辺に宿営していたとき、追って来たエジプト軍を前に大いに恐れて、主に向かって叫びました。その時、モーセが民に言ったことばがこれでした。「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい。あなたがたは、今日見ているエジプト人をもはや永久に見ることはない。主があなたがたのために戦われるのだ。あなたがたは、ただ黙っていなさい。」(出エジプト14:13-14)

主が戦ってくださいます。ですから、私たちはそう信じて、主のなさる御業を、ただ黙っていなければなりません。

Ⅲ.主のことばのとおり(16-20)

最後に、16~20節をご覧ください。【16 そこで、民は出て行ってアラムの陣営をかすめ奪ったので、主のことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られた。17 王は例の侍従、頼みにしていた侍従を門の管理に当たらせたが、民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたことばのとおりであった。18 かつて神の人が王に、「明日の今ごろ、サマリアの門で、大麦二セアが一シェケルで、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる」と言ったときに、19 侍従は神の人に答えて、「たとえ主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、エリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。20 そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。」

この知らせが事実であることを知ったヨラム王は、サマリアの町の門を開きました。すると民は出て行ってアラムの陣営をかすめ奪ったので、主のことばのとおり、上等の小麦粉1セアが1シェケルで、大麦2セアが1シェケルで売られました。

ヨラムは、あの頼みにしていた侍従を門のところで整理に当たらせましたが、熱狂した人々がそこへ殺到したので、侍従は転倒し、踏みつけられ死にました。いったいなぜこのようなことが起こったのでしょうか。それは、エリシャが明日の今ごろ、サマリアの町は解放され、その門のところで、上等の小麦粉1セアが1シェケルで、大麦2セアが1シェケルで売られるようになるという預言を、彼が信じなかったからです。彼は、たとい、主が天に窓を作るにしても、そんなことがあるだろうか」と言って、エリシャの権威をあざけりました。つまり、これは不信仰の代価であったということです。私たちには、信仰の目が与えられています。信仰によって見える世界があります。そして、その世界を実際に、自分のものとして楽しむことができます。その反対に不信仰であれば、あらゆる機会を自分で失ってしまうことになります。

主が語られたことは必ず実現します。これはその預言が実現したということです。エリシャは彼に言いました。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」(19)その預言が成就したのです。私たちは信じない者にならないで、信じる者になりましょう。主が語られたことは必ず実現するからです。

Ⅱ列王記6章

 

 今回は、Ⅱ列王記6章から学びます。

 Ⅰ.浮かんだ斧の頭(1-7)

まず、1~7をご覧ください。「1 預言者の仲間たちがエリシャに、「ご覧のとおり、私たちがあなたと一緒に住んでいるこの場所は狭くなりましたので、2 ヨルダン川に行きましょう。そこから各自一本ずつ梁にする木を切り出して、そこに私たちの住む場所を作りましょう」と言うと、エリシャは「行きなさい」と言った。3 すると一人が、「どうか、ぜひ、しもべたちと一緒に来てください」と言ったので、エリシャは「では、私も行こう」と言って、4 彼らと一緒に出かけた。彼らはヨルダン川に着くと、木を切り倒した。5 一人が梁にする木を切り倒しているとき、斧の頭が水の中に落ちてしまった。彼は叫んだ。「ああ、主よ、あれは借り物です。」6 神の人は言った。「どこに落ちたのか。」彼がその場所を示すと、エリシャは一本の枝を切ってそこに投げ込み、斧の頭を浮かばせた。7 彼が「それを拾い上げなさい」と言ったので、その人は手を伸ばして、それを取り上げた。」

エリシャの奇跡の物語が続きます。1節には、預言者の仲間たちがエリシャに、一緒に住んでいる場所が狭くなったので、ヨルダン川から各自一本ずつ梁にする木を切り出して、そこに住む場所を作りましょう、と提案しました。おそらくここはエリコだったと思われます。というのは、エリコには預言者の学校があったからです。エリコからヨルダン川まではすぐ近くです。約10㎞くらいです。ですから、預言者の仲間は、その宿舎が手狭(てぜま)になったので、ヨルダン川から木を切り出して宿舎を建てようと提案したわけです。

エリシャが「行きなさい」と言うとその中の一人が、自分たちと一緒に来てくださいと言ったので、エリシャは彼らと一緒に行くことにしました。彼らはヨルダン川に着いて木を切り倒し始めると、一人が使っていた斧の頭が水の中に落ちてしまいました。オ、ノー!です。小さな出来事ですが、当事者にとっては大変なことでした。なぜなら、それは借り物だったからです。

それでエリシャは「どこに落ちたのか」と言うと、彼がその場所を示したので、エリシャは一本の枝を切ってそこに投げ込みその斧の頭を浮かばせたのです。エリシャが「それを拾い上げなさい」と言ったので、その人は手を伸ばして取り上げました。

斧の頭を取り戻したその人は、どれほど安堵したことでしょうか。この人が預言者の仲間たちであったことに注目してください。すなわち、預言者学校の生徒たちです。バアル礼拝がはびこっていた当時のイスラエルにあって、彼らは真の神に仕えていました。それがどれほど容易なことではなかったことは想像できます。しかし、そうした中にあって彼らは、この奇跡によって主が生きておられることを体験的に学んだのです。私たちの神は、どんな小さなことにも目を留めてくださり、その必要に応えてくださるお方なのです。

Ⅱ.目をくらまされたアラムの軍勢(8-23)

次に、8~23節をご覧ください。14節までお読みします。「8 さて、アラムの王がイスラエルと戦っていたとき、彼は家来たちと相談して言った。「これこれの場所に陣を敷こう。」9 そのとき、神の人はイスラエルの王のもとに人を遣わして言った。「あの場所を通らないように注意しなさい。あそこにはアラム人が下って来ますから。」10 イスラエルの王は、神の人が告げたその場所に人を遣わした。神の人が警告すると、王はそこを警戒した。このようなことは一度や二度ではなかった。11 このことで、アラムの王の心は激しく動揺した。彼は家来たちを呼んで言った。「われわれのうちのだれがイスラエルの王と通じているのか、おまえたちは私に告げないのか。」12 すると家来の一人が言った。「いいえ、わが主、王よ。イスラエルにいる預言者エリシャが、あなたが寝室の中で語られることばまでもイスラエルの王に告げているのです。」13 王は言った。「行って、彼がどこにいるかを突き止めよ。人を遣わして、彼を捕まえよう。」そのうちに、「今、彼はドタンにいる」という知らせが王にもたらされた。14 そこで、王は馬と戦車と大軍をそこに送った。彼らは夜のうちに来て、その町を包囲した。」

アラムの王とは、ベン・ハダド2世です。そのアラムの王がイスラエルと戦っていました。このイスラエルの王とはヨラム王です。5章では、アラムとイスラエルの関係は平和で、アラムの将軍ナアマンがツァラアトに冒された時、アラムの王ベン・ハダドがイスラエルの王ヨラムに宛てて手紙を書き送ったほどです。しかし、ここでは両国が対立し戦っています。アラムとイスラエルの間には、戦争の時と平和の時が交互に訪れていたのです。この時は戦争の時でした。

その時、アラムの王が家来たちと相談して、「これこれの場所に陣を敷こう」と言うと、神の人エリシャはイスラエルの王のもとに人を遣わして、「あの場所を通らないように注意しなさい。あそこにはアラム人が下って来ますから。」と警告していました。それは一度や二度ではありません。何度も、です。いわゆる筒抜けの状態だったのです。それでアラムの王は激しく動揺して、自分たちのうちにだれかイスラエルの王と通じている者がいるのではないかと疑いました。

すると一人の家来が、イスラエルにいる預言者エリシャの存在を告げます。彼がアラムの王が寝室で語っていることばまでもイスラエルの王に告げていると。すごいですね、寝室というのは最もプライベートな領域です。そこで語られることはそこにいる人しか知らないことです。そのことまで知っているということは、何でも知っているということです。そうです、イスラエルの神、主は何でもご存知であられる方です。寝室で語っていることでさえ知っておられるお方なのです。

そこでアラムの王は、エリシャの居場所を突き止めて彼を捕らえようとしました。そして彼がドタンにいるという知らせを受けたとき、そこに馬と戦車と大軍を送り、夜のうちに来て、その町を包囲しました。

15~23節をご覧ください。「15 神の人の召使いが、朝早く起きて外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若者がエリシャに、「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょう」と言った。16 すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言った。17 そして、エリシャは祈って主に願った。「どうか、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。18 アラム人がエリシャに向かって下って来たとき、彼は主に祈って言った。「どうか、この民を打って目をくらませてください。」そこで主はエリシャのことばのとおり、彼らを打って目をくらまされた。19 エリシャは彼らに言った。「こちらの道でもない。あちらの町でもない。私について来なさい。あなたがたの捜している人のところへ連れて行ってあげよう。」こうして、彼らをサマリアへ連れて行った。20 彼らがサマリアに着くと、エリシャは言った。「主よ、この者たちの目を開いて、見えるようにしてください。」主が彼らの目を開き、彼らが見ると、なんと、自分たちはサマリアの真ん中に来ていた。21 イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ち殺しましょうか。私が打ち殺しましょうか。わが父よ。」22 エリシャは言った。「打ち殺してはなりません。あなたは、捕虜にした者を自分の剣と弓で打ち殺しますか。彼らにパンと水を与え、食べたり飲んだりさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」23 そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして、彼らが食べたり飲んだりした後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それ以来、アラムの略奪隊は二度とイスラエルの地に侵入しなかった。」

エリシャの召使いが、朝早く起きて外に出ると、なんと、馬と戦車と軍勢がその町を包囲していました。それで慌ててエリシャにそのことを告げると、エリシャはこう言いました。「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」

すばらしいですね。これは真実です。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのです。それを信仰によってしっかりと見なければなりません。今、エリシャのところで仕えている若者は、アラムの大軍しか目に見えていません。この大軍と自分たちを比べて、もうだめだ、と思ったのです。けれども、エリシャが祈ったように、私たちがしなければいけないのは、自分と敵を比べるのではなく、神と敵を比べることです。自分たちの味方の軍勢が、敵の軍勢よりも圧倒的に優勢であることを知ることです。このことによって、私たちの目に見える生活の中でも影響が与えられ、勝利することができるのです。

それで、エリシャは主がその若者の目を開いて、見えるようにしてくださいと祈ると、彼の目が開かれました。彼が見ると、なんと、火の戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていました。私たちの神は万軍の主です。エリシャを護衛するために、主の軍勢が町を取り巻いていたのです。

私たちもまた、霊の目が開かれるように祈るべきです。苦難の日には主の軍勢が私たちを取り囲み、敵の攻撃から守ってくださることをしっかりと見なければならないのです。

パウロは、エペソ人への手紙1章17~19節でこう祈っています。「17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、19 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」

パウロはここで、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますようにと祈っています。そのためには、心の目がはっきり見えるようにならなければなりません。でからパウロは、主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださるようにと祈ったのです。

そればかりではありません。アラムの軍勢がエリシャに向かって下って来たとき、エリシャは主に祈って言いました。彼らを打って目をくらましてくださいと。すると主はエリシャのことばの通り、彼らを打って目をくらませたので、彼らをイスラエルの首都であるサマリアへ連れて行きました。

サマリアに着くと、エリシャが彼らの目を開いて見えるようにしてくださいと祈ると、主が彼らの目を開けてくれたので、彼らは見えるようになりました。そして、なんと、彼らは自分たちがサマリアの真ん中にいることを知りました。

イスラエルの王ヨラムは彼らを見て、エリシャに「私が殺しましょうか。私が殺しましょうか。わが父よ。」と言いました。これまでヨラムはエリシャの存在を毛嫌いしていたのに、ここでは「わが父よ」と呼びかけています。これまでの経緯を見て、ヨラムはエリシャに敬意を表するようになったのでしょう。

それに対してエリシャは何と言いましたか。22節です。「打ち殺してはなりません。あなたは、捕虜にした者を自分の剣と弓で打ち殺しますか。彼らにパンと水を与え、食べたり飲んだりさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」

なんとエリシャは全く逆のことを言いました。打ち殺すどころか、彼らにパンと水を与えて、彼らの主君のもとに送り返しなさいというのです。捕虜の扱いとしては前代未聞です。そこでヨラムは大宴会を催しました。彼らのために盛大なもてなしをして、彼らが食べたり飲んだりした後、彼らを家に帰したのです。するとどういうことになったでしょうか?するとそれ以来、アラムは二度とイスラエルの地に侵入しませんでした。

多くの犠牲を払っても達成できなかった平和を、主は平和的に行われたのです。イエス様は「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」(マタイ5:9)と言われました。神は平和の神です。私たちは争いではなく平和をつくる者でなければなりません。そこに平和の神が臨在してくださるからです。

Ⅲ.サマリアに起こった大飢饉(24-33)

最後に、24~33節をご覧ください。「24 この後、アラムの王ベン・ハダドは全軍を召集し、サマリアに上って来て、これを包囲した。25 サマリアには大飢饉が起こっていて、また彼らが包囲していたので、ろばの頭一つが銀八十シェケルで売られ、鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルで売られるようになった。26 イスラエルの王が城壁の上を通りかかると、一人の女が彼に叫んだ。「わが主、王よ。お救いください。」27 王は言った。「主があなたを救わないのなら、どのようにして、私があなたを救うことができるだろうか。打ち場の物をもってか。それとも、踏み場の物をもってか。」28 それから王は彼女に尋ねた。「いったい、どうしたというのか。」彼女は答えた。「この女が私に『あなたの子どもをよこしなさい。私たちは今日、それを食べて、明日は私の子どもを食べましょう』と言ったのです。29 それで私たちは、私の子どもを煮て食べました。その翌日、私は彼女に『さあ、あなたの子どもをよこしなさい。私たちはそれを食べましょう』と言ったのですが、彼女は自分の子どもを隠してしまったのです。」30 王はこの女の言うことを聞くと、自分の衣を引き裂いた。彼は城壁の上を通っていたので、民が見ると、なんと、王は衣の下に粗布を着ていた。31 彼は言った。「今日、シャファテの子エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」

32 エリシャは自分の家に座っていて、長老たちも彼と一緒に座っていた。王は一人の者を自分のもとから遣わした。しかし、その使者がエリシャのところに着く前に、エリシャは長老たちに言った。「あの人殺しが、私の首をはねに人を遣わしたのを知っていますか。気をつけなさい。使者が来たら戸を閉め、戸を押しても入れないようにしなさい。そのうしろに、彼の主君の足音がするではありませんか。」33 彼がまだ彼らと話しているうちに、使者が彼のところに下って来て言った。「見よ、これは主からのわざわいだ。これ以上、私は何を主に期待しなければならないのか。」」

その後、アラムの王ベン・ハダドは全軍を召集し、サマリアに上って来て、これを包囲しました。ちょっと待ってくださいよ。23節には、アラムの略奪隊は二度とイスラエルに侵入しなかったとあるのに、24節にはそのアラムの王ベン・ハダドが全軍を召集してサマリアに上って来て、これを包囲したとあります。これはどういうことでしょうか。

この23節と24節の間には、どれくらいの期間があったのかはわかりませんが、おそらく何年もの時間が経過していたのでしょう。その間に彼らは、超自然的に盲目とされ、最後は盛大なもてなしを受けて本国に戻されたことを、すっかり忘れてしまったのです。感謝の記憶が薄れることは、危険なことですね。

そして、私たちにもそのようなことがよくあります。神様はイエス・キリストを通して一方的な恵みによって私たちを救ってくださったのに、その恵みを忘れて、自分勝手に行動し、神の愛から離れてしまうことがあるのです。詩篇103篇2節には、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の欲してくださったことを何一つわすれるな。」とあります。主が良くしてくださったことを忘れないで、いつも主に感謝と賛美をささげなければなりません。

さて、アラムの王ベン・ハダドがサマリアに上って来てこれを包囲したとき、サマリアはどうなったでしょうか。25節を見ると、サマリアには大飢饉が起こっていました。この飢饉は自然環境によってもたらされたものではありません。これはアラムがサマリアを包囲したことによってもたらされたものです。つまり、アラムがとった戦法は包囲戦で、いわゆる兵糧攻めにしたということです。その結果、サマリアに大飢饉が起こったのです。

それは想像を絶するほどひどいものでした。ろばの頭一つが銀80シェケルで売られ、鳩の糞一カブの4分の1が銀5シェケルで売られるようになっていました。ろばの頭は、不浄の動物の頭なので、平時であれば食べる人などいません。それが80シェケルで売られていたのです。1シェケルは、現代の価値に換算すると、仮に銀1g80円だとすると912円となります。ですから、ろばの頭が72,960円ということになります。普通はたべないろばの頭が72960円もするのです。鳩の糞とは、通常は家畜の餌になるものでしたが、その一カブの4分の1が4,500円もしたのです。かなりのハイパーインフレです。

そんな時、イスラエルの王が城壁の上を通りかかると、一人の女が彼に叫んで言いました。「わが主、王よ。お救いください。」

すると彼はこう言いました。27節です。「主があなたを救わないのなら、どのようにして、私があなたを救うことができるだろうか。打ち場の物をもってか。それとも、踏み場の物をもってか。」つまり、自分は王であっても、何もあげるものはないよと言うことです。それほど飢饉がひどい状態であったということです。どれほどひどい状態であったかは、この女の訴えを聞くとわかります。ヨラムが彼女に「どうしたのか」と尋ねると、彼女は答えました。知り合いの女の提案で、今日は自分の子どもを煮て食べ、明日は彼女の子どもを煮て食べることになっていましたが、彼女の番になったとき、彼女はその子を隠してしまったというのです。こんな悲惨なことが起こるほどに、サマリアの町の飢饉は激しかったのです。

それを聞くと王は、衣の下に荒布を来ていましたが、「今日、シャファテの子エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」と言いました。荒布は、悔い改めを表現するために着用するものですが、彼は主に立ち返るどころかそれをエリシャのせいにして、イスラエルの罪を指摘するエリシャに腹を立て、彼を殺そうとしたのです。彼は、主がなされた数々の奇跡を目撃しながら、悔い改めようとしませんでした。今回の試練は、主がイスラエルの民を悔い改めるために与えたものです。私たちも、試練に会ったとき、神が何を語っておられるのか、そこから神の御声を汲み取らなければなりません。

エリシャはそのことを知っていました。彼は自分の家に座っていて、長老たちと一緒にいました。そして、長老たちに、イスラエルの王ヨラムが自分の首をはねに人を遣わしたことを告げ、使者が来ても、だれも中に入れないように、戸を閉めておくようにと言いました。案の定、エリシャが話していると、イスラエルの王の使いがやって来ました。その使いはエリシャのところに来ると、「見よ、これは主からのわざわいだ。これ以上、私は何を主に期待しなければならないのか。」と言いました。どういうことでしょうか。

ヨラム王は、エリシャから今回の事は主からの裁きであると聞いていたのでしょう。だから、主が解決してくださるのを待つようにと助言されていたのです。けれどもヨラムは待ちきれなくなり、悔い改めるよりも自分で問題を解決しようとしたのです。エリシャを殺せば、彼が語った呪いの言葉が効力を失うと思ったのです。

ヨラムはどこまでも身勝手な人間でした。自分の身に起こるわざわいを自分以外の者は環境のせいにして、その本質を見ることができませんでした。その本質とは神との関係です。神との関係が崩れることで、私たちの人生にさまざまな問題が起こりますが、その最大の解決は悔い改めて神との関係を回復することなのです。それ無しには何も解決することはありません。それ無しに人間的に動いても、それはかえって逆の結果をもたらすことになります。静まって神を待ち望み、神の御前に悔い改めて神にすべてをゆだねること、それが、私たちが苦難の時に生きる道なのです。