Ⅱテモテ4章9~22節 「最後まで忘れられない名前」

きょうは、第二テモテの最後の箇所、これはこの地上におけるパウロの最後の手紙ですので、パウロの最後の言葉となります。この最後の言葉からご一緒に学びたいと思います。

パウロの手紙の最後には、よく親しい人たちに向けてのあいさつが書かれていることが多いですが、ここにも同じようにあいさつが書かれています。しかし、ただ親しい人たちに向けてのあいさつばかりではなく、不名誉ながら、パウロを苦しめた人たちの名前も記録されています。いい意味でも、悪い意味でも、彼らはパウロにとって最後まで忘れられない名前でした。しかし、どうせ残るなら、いい意味で記憶に残る者でありたいと思います。きょうは、いい意味で最後まで忘れられなかった人たちとはどういう人たちだったのかを見ていきたいと思います。

Ⅰ.最後までパウロのそばにいた人たち(9-13)

まず9節から13節までをご覧ください。

「あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。私はテキコをエペソに遣わしました。あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。」

ここには、最後までパウロのそばにいた人たちの名前が記されてあります。パウロはここでテモテに、「何とかして、早く私のところに来てください。」と言っています。それは21節でも繰り返して書かれてあります。しかも「何とかして」とか、「早く」とあるように、その思いが強く表れているのです。いったいなぜパウロはそんなにテモテに会いたかったのでしょうか。それは、自分の死期が近いことを感じていたからです。だれでも自分の死が近づくと、「あの人に会いたいなぁ」とか、「この人に会いたいなぁ」と思う人がいるものです。普段はなかなか会えない人でも、最後の時だから何とかして会いたいと思うものなのです。パウロにとってテモテはそういう人でした。パウロはテモテを「信仰によるわが子」と呼んでいますが、彼は実際の家族以上のつながりを持っていたのです。これまでずっと忠実に主に従ってきたテモテに、自分の最期の時をともにいてほしいと思ったのです。だれかの死が近づいたとき、あなたに会いたいと願う人がいるでしょうか。そのような存在になるためには、どうしたらいいのでしょうか。考えさせられますね。

10節をご覧ください。10節にはデマスという人について語られています。「デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい」ました。ピレモンへの手紙24節を見ると、ここには「私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。」と書いてあって、彼は「同労者」と呼ばれていましたほどの人であったことがわかります。あれからわずか6~7年の間に、彼は信仰から脱落してしまいました。最後まで信仰の道を走りぬくことができなかったのです。なぜでしょうか?ここには、「デマスは今の世を愛し」とあります。彼は、キリストに対する愛をこの世に向けてしまったのです。キリストに対する愛をこの世に向けてしまうと、このように悲しい結果になってしまいます。しかしながらそれはデマスだけのことでしょうか。私たちも同じような弱さを抱えているのではないでしょうか。だから私たちは互いに集まることを止めたりしないで、かの日が近づいていることを知り、ますますそうしようではないかと勧められているのです。そうしようではないかというのは、互いに励まし合い、助け合おうではないかということです。私たちは強いようでも、実際は本当に弱い者であることを覚えておかなければなりません。一人では信仰を保つことさえもできないのです。だから互いに集まって、助け合い、励まし合うことが必要なのです。どんなに初めが良くても、最後が悪ければ、それまでのすべての行程が悪くなってしまいます。

次に出てくるのは「クレメンス」と「テトス」です。彼らはそれぞれガラテヤとダルマテヤ、これは今のユーゴスラビアのことですが、そこに行きました。この「行った」というのはデマスのようにパウロを見捨てて行ったということではなく、パウロに遣わされて行ったということです。なぜそこへ行ったのかはわかりませんが、テトスは次のテトスへの手紙の受取人ですので、彼はテモテと同じように、問題のある教会に遣わされてその立て直しのために尽力したのでしょう。

そして11節をご覧ください。ここには感動的な二人の名前が出てきます。一人はルカで、もう一人はマルコです。まずルカについてですが、ここには、「ルカだけは私とともにおります。」とあります。いったいルカはなぜパウロとともにいたのでしょうか?それは、彼は片時もパウロから離れたくないと思っていたからです。ここからルカがどういう人であったかがわかります。彼はパウロの最も愛すべき人物のひとりでした。というのは、この時パウロはローマの地下牢に捕えられ間もなく打ち首にされようとしていましたが、それでも彼はパウロから離れないで、使徒の働き27章1節を見ると、「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロはほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。」とあります。ここに「私たち」とあるのは、この時ルカも一緒だったということです。というのは、この使徒の働きはルカによって書かれたからです。パウロが囚人としてローマに行ったとき、ルカも同行したのです。当時はこのように逮捕された囚人がローマで裁判を受けるために送られるときには、二人の奴隷が同行することが許されていましたが、その一人がルカ自身だったのです。すなわち、彼はローマの獄中にパウロに同行するために自分を奴隷として登録したのです。だからパウロがこのルカのことを感動的な愛をもって語っているのも無理はありません。確かにこれ以上の献身はあり得ないからです。ルカはパウロから離れるよりもむしろ彼の奴隷となり、彼に仕えたいと願ったのです。

このルカについて新約聖書の中ではっきりと言及されている箇所は、他に二つしかありません。一つはコロサイ人への手紙4章14節ですが、そこには、「愛する医者」として紹介されています。ルカは医者でした。パウロは何らかの病気を抱えていてそれで苦しんでいましたが、そんなパウロを看護したのがこのルカだったのです。そして、パウロの苦痛を少しでも和らげるために、その持てる技術を駆使したのです。そうした看護のおかげで、パウロは働きを続けることができました。ルカは、ほんとうに親切な人でした。彼は大説教者でも大伝道者でもありませんでしたが、個人的奉仕という点から貢献した人だったのです。彼は医師として自分に与えられた賜物を通して主に仕えました。こうした親切心は、特に心に残るものがあります。雄弁は忘れられても、こうした親切心はいつまでも人々の心の中にしっかりと生き続けるからです。

私たちは明後日から渡米しますが、滞在する先はほとんど以前来日して交わりのあった人たちです。私たちは特に何かしたわけでもないのに多くの方々が「ぜひうちに来て泊まってください」と言っていただけるのはほんとうに感謝なことです。それはその人たちの中に、そのようなことを通して私たちと共に主にお仕えしたいという思いがあるからです。ピレモンへの手紙24節を見ると、パウロは彼を「同労者」と呼んでいますが、まさに彼はパウロの同労者だったのです。

ルカについてのもう一つの言及はⅡコリント8章18節と19にあります。そこには、「また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、そればかりでなく、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会かの任命を受けたのです。」とあります。この兄弟がだれのことなのかははっきり書かれてありませんが、これはルカのことでしょう。なぜなら彼はパウロに同行し、パウロの働きを助けていたからです。彼は、この福音の働きによって、すべての教会で称賛されていたのです。彼は誰からも慕われる存在でした。彼は死に至るまで忠実なパウロの友だったのです。そのルカについてパウロはここで言及しているのです。「ルカだけは私とともにいます。」

あなたはだれのそばにいますか。だれのそばにいて、その労苦を分かち合おうとしておられるでしょうか。ルカのようにパウロとともにいて、パウロの友となり、パウロの働きを担い、その奉仕に献身したいと思うような、そんな人になりたいとは思わないでしょうか。彼のように親切な心をもって主の働き人を支えていくような、そんな人になりたいとは思わないでしょうか。そういう人は、誰からも良く思われるようなすばらしい生涯を送ることができるのです。

11節には、もう一人感動的な人の名前が記されてあります。それはマルコです。このマルコはマルコの福音書を書いたマルコです。このマルコについてパウロは、彼を伴って、いっしょに来てください、とテモテに頼んでいます。彼はパウロの働きに役に立つからです。しかし、これまでの経緯を知っている人なら、パウロがこのように言うことに驚きを隠せないでしょう。というのは、マルコはパウロの第一次伝道旅行に同行しましたが、どういうわけか途中で働きを止め、さっさと家に帰ってしまったからです(使徒13:13)。思ったよりも大変だったのか、その危険と苦難に耐えられなかったのか、その理由ははっきりわかりません。しかし、数年後にもう一度伝道旅行に出かけることになった時、バルナバはこのマルコを連れて行こうとしましたが、パウロは働きの途中で仕事を投げ出してしまうような者は神の働きにふさわしくないと、断固として反対したのです。それでバルナバとパウロは激しい反目となり、結局バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて出かけて行くことになり、彼らは別々の道を行くことになったのです。あの時は「あいつは役に立たない」と言ったパウロですが、今は違います。ここには、「彼は私の務めのために役に立つからです。」と言っているのです。

これは私たちにとっても励ましではないでしょうか。かつては自分のわがままでその働きを途中でやめてしまうような中途半端な者でも、やがて立ち直って主のお役に立つ者となれるのです。過去においてどんなに失敗しても、それで終わりということはありません。失敗しても希望があるのです。この人がマルコの福音書を書いたマルコになりました。

次に12節をご覧ください。ここには「テキコ」という人のことが紹介されています。パウロはこのテキコをエペソに遣わしました。つまりエペソにいたテモテにこの手紙を届けさせたということです。彼はコロサイの教会にも手紙を届けました(コロサイ4:7)が、それは、それだけ彼がパウロに信頼されていたということです。信頼されていなかったら、自分の大事なものを託すことはしないでしょう。

そして13節には、「あなたが来るときには、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。」とあります。パウロは、テモテが来るときは、トロアスに残しておいた上着を持って来てほしいと頼んでいます。多くの学者はこの記述から、パウロはローマの軟禁生活から解放されイスパニヤにまで行ったあと、このトロアスに戻って来たときに再び捕えられたのではないかと考えているのです。だから急いでいたので、上着を持って来ることができなかったのだろうというのです。しかし、もうすぐ冬になるのでその前に何とか上着を持って来てほしいと頼んでいるのです。

それから書物も持ってくるようにと頼んでいます。この書物が何であったかはわかりませんが、おそらく旧約聖書だったのではないかと考えられています。というのは、ここに「特に羊皮紙の物を持って来てください」とあるからです。当時、羊皮紙に書かれたものは大切な文書か、神聖な書物であったからです。死を前にした彼は神のことばを読み、栄光の天の御国に思いを馳せたかったのでしょう。

パウロが、その人生の最期の瞬間に会いたいと願っていたのはこのような人たちでした。このような人がずっとパウロのそばにいて助けてくれた人たちでした。彼らはパウロの喜びだったのです。私たちもそのような人になりたいですね。ですから、最後まで信仰の道を走り続ける者でありたいと願います。

Ⅱ.パウロを助けてくれた主(14-18)

次に14節から18節までをご覧ください。まず16節までをお読みします。

「銅細工人のアレキサンデルが私をひどく苦しめました。そのしわざに応じて主が彼に報いられます。あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。」

パウロはその生涯の終わりに、自分に仕え、支えてくれた人たちばかりでなく、逆に自分を苦しめた人たちの名前もあげています。そのひとりがアレキサンデルです。彼についてはⅠテモテ1章20節にも、信仰の破船にあった人と紹介されていました。彼は違った教えを説いて、パウロに激しく敵対しました。しかしパウロは、そんなアレキサンデルに対して個人的に恨むようなことをせず、神の怒りに任せました。「そのしわざに応じて主が彼に報いられます。」と言っています。そして、彼のことを警戒するようにとテモテに勧めています。

その他にもアレキサンデルのようにパウロを裏切り、彼を見捨ててしまった人はたくさんいました。16節には、「私の最初の弁明の最には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。」とあります。彼らはみな、パウロを見捨ててしまいました。けれども、パウロは、彼らが神によってさばかれることがないようにと祈っています。ここがパウロのすごいところです。人に恨まれても自分が恨むようなことはしませんでした。むしろ、そうした神のさばきから免れるようにと、罪の赦しのための祈りをささげているのです。なぜでしょうか?それは、彼も経験したことだからです。パウロはかつて主イエスを信じる人たちを迫害する者でした。そして、主の弟子であったステパノを殺す時には賛成もしたのです。そして、人々がステパノに向かって一斉に石を投げつけたとき、ステパノが祈った祈りを聞きました。ステパノはひざまずいて、こう叫びました。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」(使徒7:60)しかし、パウロはそんな声をかき消すかのように、その後ますます激しく迫害していくのですが、彼がダマスコに向かっていた時、復活の主イエスと出会いました。「あなたはどなたですか」「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」それを聞いたとき、彼はあのステパノの祈りを思い出したのです。

しかし、それは主イエスの祈りでもありました。主イエスは十字架に付けられたとき、その十字架の上でこう祈られました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でもわからないのです。」(ルカ23:34)ここでパウロも同じ祈りをしているのです。これは私たちの祈りでもあるべきです。人々があなたをさげすみ、あなたにひどいことをしたり、あなたを裏切って見捨てて行ってしまうとき、あなたは何を言うでしょうか。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でもわからないのです。」それでこそ、父なる神の子どもになれるのです。

また、そのように同労者に見捨てかられても、彼らのためにパウロが祈ることができたのは、真に助けてくださる方に信頼していたからです。17節と18節のところでパウロはこう言っています。

「しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私はししの口から助け出されました。主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。」

すべての人がパウロを見捨ててしまった。一番助けてほしい、一番証言してほしい、そのような時に助けてくれるどころかみな去ってしまった。「しかし、主は」これはパウロが好んで使う表現です。「しかし、あなたは」「しかし、テモテよ」という表現がたくさん出てきます。状況はこうであっても、確かにそれで苦しいことがあっても、しかし、主は、パウロを見捨てることはしませんでした。パウロと一緒に立つ人はいなかったかもしれませんが、しかし、主は、ともに立ってくださり、力を与えてくださいました。それはパウロを通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。現に、この時パウロはローマ皇帝ネロの前に立ち、主を証することができました。彼は大胆に福音を語ることができたのです。主は彼をすべての悪のわざわいから助け出し、天の御国に入れてくださるという確信がありました。たとえこの地上の裁判の判決がどうであれ、たとえそれによって打ち首にされようとも、主は栄光の天の御国に入れてくださるということを思うと、もう賛美せずにはいられませんでした。彼は勝利の思いに満たされてこう賛美しました。「主に、御栄がとこしえにありますように。アーメン。」

これが信仰者の姿です。たとえあなたを苦しめる人がいても、あなたを見捨てて去って行く人がいたとしても、あなたはそのことでがっかりする必要はありません。しかし、主は、あなたとともに立ち、あなたに力を与えてくださり、すべての悪のわざわいから助け出して、天の御国に救い入れてくださるのですから、大いに喜び、賛美することができるのです。むしろ、あなたはそうした人たちのためにとりなし祈ることができるのです。何ということでしょうか。このことを思うとき、あなたは勝利の雄叫びを上げることができるのです。

あなたはどうでしょうか。あなたをひどく苦しめる人がいますか。あなたのことばに激しく逆らい、あなたを口汚くののしる人がいるでしょうか。もしそのような人がいるなら幸いです。喜びなさい。喜び踊りなさい。天において、あなたの受ける報いは大きいからです。神はあなたのためにすべてを働かせて益としてくださす。この神に感謝し、賛美しようではありませんか。

Ⅲ.すべては主の恵み(19-22)

最後に19節から22節までを見て終わりたいと思います。

「プリスカとアクラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気のためにミレトに残して来ました。何とかして、冬になる前に来てください。ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤ、またすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。主があなたの霊とともにおられますように。恵みが、あなたがたとともにありますように。 」

ここには、パウロの最後の挨拶が記されてあります。ブリスカとアクラは、パウロが行くところどこにでも行って、パウロの働きを助けてくれた夫婦です。そのパウロが捕えられて、彼らは今どこにいるかというと、この手紙を送っているテモテが牧会していたエペソにいました。パウロがいなくなった今、彼らはエペソにいてテモテを助けていたのです。そのプリスカとアクラによろしくとあいさつを送っています。

つぎはオネシポロの家族によろしくと言っています。オネシポロについては1章16節にも出てきましたが、そこには、彼はローマにいたパウロを捜して見つけ出し、パウロが鎖につながれていることなど何のその、恥とも思わず、パウロに仕え、パウロを励ましてくれた、とあります。そして、パウロはそのことをとても感謝し、「かの日には、主があわれみを彼に示してくださいますように。」と言っているのです。おそらくこの時オネシポロはすでに召されていたのでしょう。でもその栄誉に報い、そのオネシポロの家族によろしくと言っているのだと思います。

そしてエラストにもあいさつを送っています。エラストはコリントの町の収入役でした(ローマ16:23-24)。彼はパウロの働きをよく助けてくれました。そんな彼をパウロはコリントにとどまらせていたのです

トロピモへの挨拶もあります。トロピモは病気のためにミレトに残してきました。パウロにはいやしの賜物が与えられていて、彼の前かけに触れただけで多くの人々がいやされましたが、トロピモはいやされませんでした。信仰があればすべての病気がいやされるわけではありません。いやされることもあれば、いやされないこともあります。でもいやされないからといって、必ずしもそれが不信仰だというわけではないのです。いやされるのは主ご自身であり、主が必要に応じてご自身の御業を行ってくださるので、その主にすべてをゆだねて祈ることが大切です。

その他、21節には、ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤ、またすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。彼らも最後までパウロに従い、パウロにとってかけがえのない信仰の友でした。

そして、パウロの最後のことばです。22節をご一緒に読みましょう。「主があなたの霊とともにおられますように。恵みが、あなたがたとともにありますように。」

これがパウロの最後のことばです。最後にパウロはテモテの内側が強められるように祈りました。主があなたの霊とともにおられますように。神が彼に与えてくださったのは臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。その霊があなたとともにありますように。それはテモテばかりではありません。あなたも同じです。私たちの人生にもいろいろな問題が起こり、その度に、心が弱くなり臆病になってしまいがちですが、力と愛と慎みとの霊が、あなたとともにあって、あなたの心が強められるようにと祈っているのです。

そして、主の恵みが、あなたがたとともにありますようにと祈っています。すべては主の恵みです。主の恵みによって私たちは救われました。また、主の恵みによって主の働きをすることができます。すべては主の恵みなのです。主の恵みに始まり、最後までこの恵みの中を歩ませていただきましょう。そしてこの地上での生涯を賛美と感謝をもって全うさせていただきたいと思います。そういう人こそ最後まで忘れられない人なのです。

民数記28章

きょうは、民数記28章を学びます。

Ⅰ.主へのなだめのかおりの火によるささげもの(1-8)

まず1節から8節までをご覧ください。

「1 主はモーセに告げて仰せられた。28:2 「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。28:3 彼らに言え。これがあなたがたが主にささげる火によるささげ物である。一歳の傷のない雄の子羊を常供の全焼のいけにえとして、毎日二頭。28:4 一頭の子羊を朝ささげ、他の一頭の子羊を夕暮れにささげなければならない。28:5 穀物のささげ物としては、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパとする。28:6 これはシナイ山で定められた常供の全焼のいけにえであって、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。28:7 それにつく注ぎのささげ物は子羊一頭につき四分の一ヒンとする。聖所で、主への注ぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。28:8 他の一頭の子羊は夕暮れにささげなければならない。これに朝の穀物のささげ物や、注ぎのささげ物と同じものを添えてささげなければならない。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」

ここには、イスラエルの民が約束の地に入ってから、ささげなければならない火によるささげものの規定が記されてあります。このささげものの規定については15章でも語られたばかりですが、ここで再び語られていす。なぜそんなに繰り返して記されてあるのでしょうか?なぜなら、このことはそれほど重要な内容だからです。イスラエルが約束に地に入ってからもどうしても忘れてはならなかったこと、それは彼らをエジプトから贖い出してくださった神を覚えることでした。私たちはすぐに忘れがちな者ですが、そのような中にあっても忘れることがないように、何度も何度も繰り返して語られているのです。しかも、ここでは語られている対象が変わっています。エジプトから出た20歳以上の男子はみなヨシュアとカレブ以外全員死にました。彼らは神のみことばに従わなかったので荒野で息絶えてしまったのです。今そこにいたのは新しい世代でした。以前はまだ小さくて聞いたことのなかった子どもたちが大きく成長していました。彼らが約束の地に入るのです。そんなさかれらが忘れてはならなかったのは、彼らの父祖たちが経験した神の恵みを忘れないことだったのです。

ここで主は、かおりの火によるささげものとして、神への食物のささげ物をささげるようにとあります。かおりの火によるささげものには、三つの種類がありました。一つは、全焼のいけにえ、もう一つは、穀物のささげもの、そしてもう一つが、注ぎのささげ物です。全焼のいけにえは、小羊をすべて祭壇の上で焼きます。穀物のささげものは、油をまぜた小麦粉です。それから、注ぎのささげ物は、ぶどう酒です。全焼のいけにえをささげて、このいけにえに、穀物のささげものと注ぎのささげものを供えます。これらは常供のいけにえです。常供のいけにえとは、日ごとにささげるいけにえのことで、それは毎日、朝と夕暮れにささげなければなりませんでした。

それにしても、ここには、「わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてささげなければならない」とあります。どういうことでしょうか?主はこのささげ物を食べるというのでしょうか?主は私たちからのこのようなささげ物を必要としているということなのでしょうか?そういうことではありません。それは、神によって罪の中から贖い出された者としてこの恵みに応答し、感謝して生きなさいということです。

パウロはローマ書12章1節でこのように言っています。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

「そういうわけですから」というのは、それ以前のところで語られてきたことを受けてのことです。そこには、神の恵みにより、キリスト・イエスを信じる信仰によって、価なしに義と認められたということが語られてきました。そのように罪から救われたクリスチャンに求められていることは、自分を神にささげることです。これこそ、霊的な礼拝なのです。神の喜びのために生きるということであります。神が求めておられるのは私たちの何かではなく、私たち自身です。私たちのすべてなのです。私たち自身が神と一つとなり、私たちを通して主の栄光があがめられること、それが主の喜びなのです。そして、それが現される手段が礼拝であり、ささげ物なのです。その時、私たち自身にも究極的な喜びがもたらされるのです。

今週の礼拝のメッセージはテモテ第二の手紙4章からでしたが、その中でパウロは、「私は今や注ぎの供え物となります。」(4:6)言っています。彼はそのように生きていたということです。彼の生涯は、自分のすべてを主にささげる生涯でした。彼は全く主に自分をささげていたのです。これを献身というのです。主が求めておられたのはこの献身だったのです。イスラエルは今神が約束してくださった地に入ろうとしていました。そんな彼らに求められていたことは、主に自分自身をささげるということだったのです。

Ⅱ.安息日ごとのささげもの(9-10)

次に9節と10節をご覧ください。

「9 安息日には、一歳の傷のない雄の子羊二頭と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それにつく注ぎのささげ物とする。10 これは、常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えられる、安息日ごとの全焼のいけにえである。」

ここには安息日ごとのささげものについて記されてあります。安息日ごとのささげものは、常供のいけにえの他に加えてささげられます。ここで大切なのは「加えて」ということです。プラスしてです。私たちは日毎に、主の前に出ていかねばなりませんが、主の日にはそれにブラスして主の前に出て行かなければなりません。毎日礼拝していれば別に主の日だからといって礼拝する必要はないというのではなく、毎日礼拝していればなおのこと、主の日を大切にして、それに加えて主の前に出て行かなければなりません。あるいは、毎日忙しいので日曜日だけは礼拝するというのも違います。主の日が常供のささげものを代用することはできないのです。ですから、主の日に礼拝すれば自分の務めを果たしているとは言うことはできず、それは日ごとの礼拝の他にささげられる物で、むしろ日毎の礼拝の延長に、他の信者と集まっての礼拝があると言えるでしょう。

Ⅲ.新月の祭り(11-15)

次に、新月の祭りについてです。11節から15節までをご覧ください。

「11 あなたがたは月の第一日に、主への全焼のいけにえとして若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなければならない。28:12 雄牛一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパとする。28:13 子羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらはなだめのかおりの全焼のいけにえであって、主への火によるささげ物である。28:14 それにつく注ぎのささげ物は、雄牛一頭については二分の一ヒン、雄羊一頭については三分の一ヒン、子羊一頭については四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のいけにえである。28:15 常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物に加えて、雄やぎ一頭が、主への罪のためのいけにえとしてささげられなければならない。」

今度は、月の第一日、つまり新月にも供え物をするようにと命じられています。これは、民数記で新しく出てきた規定です。新月のささげものは全焼のいけにえが中心ですが、罪のためのいけにえもささげられます。しかしそれは全焼のいけにえと比べると非常に少ないことがわかります。この後のところに、例年行う祭りのささげ物の規定が出てきますが、そこでも同じです。罪のためのいけにえは全焼のいけにえと比べれば圧倒的に少なくなっています。これはいったいどうしてなのでしょうか?

それは、礼拝とは、「悔い改めにいくところ」ではないということです。毎日の生活で罪を犯してしまうので、その罪が赦されるために礼拝にいかなければいけない、ということではないのです。勿論、悔い改めるは重要なことですが、それが礼拝の中心ではありません。礼拝とは、自分自身を主にささげることであり、そこにある喜びと平和、そして聖霊による神の臨在を楽しむところなのです。イスラエルの民は新しく入るそのところで、自分たちを愛し、そのように導いてくださった主を覚え、日ごとに、週ごとに、そして月ごとに、すなわち、いつも主と交わり、主が良くしてくださったことを覚えて、主に心からの感謝をささげなければならなかったのです。

Ⅳ.春の祭り(16-31)

最後に、春の祭りの規定を見ておわりたいと思います。16節から31節までをご覧ください。まず16節から25節までをご覧ください。

「16 第一の月の十四日は、過越のいけにえを主にささげなさい。17 この月の十五日は祭りである。七日間、種を入れないパンを食べなければならない。18 その最初の日には、聖なる会合を開き、どんな労役の仕事もしてはならない。19 あなたがたは、主への火によるささげ物、全焼のいけにえとして、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。20 それにつく穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパをささげなければならない。21 子羊七頭には、一頭につき十分の一エパをささげなければならない。22 あなたがたの贖いのためには、罪のためのいけにえとして、雄やぎ一頭とする。23 あなたがたは、常供の全焼のいけにえである朝の全焼のいけにえのほかに、これらの物をささげなければならない。24 このように七日間、毎日主へのなだめのかおりの火によるささげ物を食物としてささげなければならない。これは常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えてささげられなければならない。25 七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。」

例祭、すなわち、毎年恒例の祭りは、過越の祭りからはじまりました。これがユダヤ人にとってのスタートだったのです。なぜ過越の祭りから恥じるのでしょうか?それは、これが贖いを表していたからです。私たちの信仰は贖いから始まります。だから、過ぎ越しの小羊を覚え、それを感謝しなければなりません。それは十字架に付けられたイエス・キリストを示していたからです。ペテロは、「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:18-19)と言いました。これが私たちの信仰土台です。それは新しいイスラエルの民が、新しい約束の地に入ってからも変わりません。彼らはこれまでと同じように、まず過ぎ越しの祭りから始めなければなりませんでした。

そして、この過ぎ越しの祭りに続いて、種なしパンの祭りが行われました。その時彼らは種を入れないパンを食べなければなりませんでした。なぜでしょうか?罪が赦されたからです。キリストの血によって罪が赦され、罪が取り除かれました。もうパン種がなくなったのです。だから、古いパン種で祭りをしたりしないで、パン種の入らないパンで祭りをしなければなりません。それが種を入れないパンの祭りです。すなわちそれは、キリストによって罪が取り除かれたことを祝う祭りのことだったのです。

次は、初穂の祭り、すなわち、七週の祭りです。26節から31節です。

「26初穂の日、すなわち七週の祭りに新しい穀物のささげ物を主にささげるとき、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。27 あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。28 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。29 七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。30 あなたがたの贖いのためには、雄やぎ一頭とする。31 あなたがたは、常供の全焼のいけにえとその穀物のささげ物のほかに、これらのものと・・これらは傷のないものでなければならない。・・・・それらにつく注ぎのささげ物とをささげなければならない。」

初穂の祭りは、過ぎ越しの祭りの三日目、つまり過ぎ越しの祭りの後の最初の日曜日に行われました。これはキリストの復活を表していました。キリストは過越の祭りの時に十字架で死なれ、墓に葬られました。そして、安息日が終わった翌日の日曜日に復活されました。日曜日の朝早く女たちが、イエスに香料を塗ろうと墓にやって来くると、墓の石は取り除かれていました。そこに御使いがいて、女たちにこう言いました。「この方はここにはおられません。よみがえられたのです。」そうです、初穂の祭りは、イエス・キリストの復活を表していたのです。使徒パウロはこう言いました。コリント人への手紙第一15章20節です。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」キリストは、私たちのために死んでくださり、その血によって罪を赦し、きよめてくださっただけではなく、よみがえってくださいました。よみがえって、今も生きておられます。そのことを覚えて、主に感謝のいけにえをささげるのです。それは全焼のいけにえ、穀物のささげもの、そして注ぎのささげ物です。

それは初穂の日だけではありません。ここには七週の祭り、すなわち、ペンテコステにもささげ物をささげるようにと命じられています。それは聖霊が下られたことを記念する祭りです。もちろん、ユダヤ人にとってはこれが何を意味しているのかはわからなかったと思いますが・・・。

このように、イスラエルが約束の地に入っからも忘れずに行わなければならなかったことは、火による全焼のいけにえ、穀物のささげ物、そして注ぎのささげ物をささげなければなりませんでした。それは神への献身、神への感謝を表すものです。

これが、イスラエルが約束の地に入る備えでした。約束の地に入るイスラエルにとって求められていたことは、神へのいけにえをささげることによっていつも神を礼拝し、神と交わり、神に感謝し、神の恵みを忘れないだけでなく、その神の恵みに応答して、自分のすべてを主におささげすることだったのです。日ごとに、朝ごとに、そして夕ごとに。また、週ごとに、新しい月ごとに、その節目、節目に、主が成してくださったことを覚えて感謝し、その方を礼拝することが求められていたのです。

私たちはどうでしょうか?新しい地に導かれた者として、いつも主を礼拝し、主に心からの礼拝をささげているでしょうか?神があなたのためにしてくださった奇しい御業を覚えて、いつも主に感謝し、心からの礼拝をささげましょう。

Ⅱテモテ4章6~8節 「走るべき道のりを走り終え」

きょうは、第二テモテ4章6~8節の箇所から、「走るべき道のりを走り終え」というタイトルでお話したいと思います。この手紙はパウロが書いた最後の手紙です。その最後のところでパウロがテモテに命じたことは、「みことばを宣べ伝えなさい」ということでした。「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」そのようにして、自分の務めを全うしなければなりません。

きょうの箇所には、パウロがそれをどのように果たしたのかを語っています。きょうはこのパウロの生き方を通して、私たちも自分に与えられた務めを十分に果たしたいと思います。

Ⅰ.私が世を去る時(6)

まず6節をご覧ください。ご一緒に読みたいと思います。

「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。」

ここでパウロは現在、過去、未来の三つの観点から自分の生涯を振り返っています。まず現在です。パウロは自分が今置かれている状況をよく理解していました。それは、もうすぐ打ち首にされるということです。そのことを彼は、「今や注ぎの供え物となります」と表現しています。

「注ぎの供え物」という表現はあまり聞かない言葉ですが、これは旧約聖書の中で自分を神様にささげるときに使われた表現です。その時には動物のいけにえとともに、ぶどう酒による注ぎの供え物を祭壇に注ぎました。それは神への香りのささげものです。パウロはもうすぐ死ぬことが決まっていましたが、それはこの注ぎの供え物だと言っているのです。どういうことでしょうか。

ローマ人への手紙12章1節にはこうあります。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ここには、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」とあります。なぜでしょうか?「そういうわけですから」です。つまり、人はみな生まれながらに罪人であり、神の御怒りを受けるべき者でしたが、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださったからです。神はこのキリストの上に私たちのすべての罪咎を負わせ十字架で死んでくださいました。そのことによって私たちのすべての罪を贖ってくださいました。だから、だれでもイエスを信じるなら救われるのです。それは私たちの行いによるのではありません。神からの賜物です。私たちは、この神の恵みのゆえに、信仰によって救われました。

「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23,24)

そういうわけだからです。そのようにあなたは神の一方的な恵みによって罪から救い出されたのですから、あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなければならないのです。

パウロはそのように生きました。そのことを彼はガラテヤ書2章20節でこう言っています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

彼は救い主イエス・キリストを信じたとき、古い自分に死に、キリストにあって生きると決めました。彼がこの世にあって生きているのは自分の喜びや満足のためではなく、自分を愛し、自分のために命までもお捨てになられた神の御子を信じる信仰によってでした。彼は自分のすべてを主に全くささげたのです。これ献身と言います。献身とはこのように神のために生かされていることを覚え、神にすべてをささげ、神のために生きることです。クリスチャンはみなそのように告白したはずです。献身こそ、私たちが神様に対してなすべき最も基本的な行為であり、最も大切な行為です。これがなかったら何も始まりませんし、何の変化も生まれてきません。私は神様によって贖われた者であり、神様のために生かされている者ですから、そのすべてはあなたのものであり、あなたにささげますという献身があるからこそ、私たちは神様のみこころにかなった歩みをすることができるのです。

アメリカの有名な伝道者D・L・ムーディは、ある時神の迫りを感じて、その献金皿が回ってきたとき、その上に、「D・L・ムーディ」と書いた紙切れを置いたと言われています。彼は、自分自身のすべてをささげたいという思いになったのでしょう。わたしのすべてをささげますと、そのように書いたのです。もう献金の皿の中に横になりたい気持ちだったのでしょう。私たちの献金袋は袋ですから、その中にもぐりこみたいという気持ちでしょうか。もぐりこむか、横になるかは別にしても、私たちのからだをささげるとはそういうことなのです。

パウロはそのように生きました。彼は自分の全生涯を神にささげたのです。そして今その生涯の最後の時を迎えようとしていました。そのように生きたパウロにとってふさわしい最後とはどのようなものだったのでしょうか。それは同じように注ぎの供え物となるということでした。彼にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益でした。彼の存在そのものが、香ばしい香としての神への注ぎの供え物だったのです。私たちもパウロのように、自分自身を神への注ぎの供え物としてささげ、神の栄光のために生き、また神の栄光のために死ぬ者でありたいと思います。

ところで、パウロは死をどのように受け止めていたのでしょうか。パウロはここで、「私が世を去る時はすでに来ました。」と言っています。この「去る」ということばは、農夫が一日の仕事を終えた牛やろばからくびきを外す時に使われた言葉です。一日の仕事を終えた牛さんに、「お疲れさん」と言ってそれから解放してあげる時に使われた言葉なのです。また、船が錨をあげて出航するときにも使われました。ともづなを「解く」という意味です。さらに、旅人がテントをたたんで次の目的地に向かう時にも使われました。テントのロープを緩めたり、解いたりする時に使われたのです。すなわち、パウロにとって世を去る時というのは、そうした労苦から解放され、主のみもとに凱旋すること、輝ける天の御国へ出発するときであると理解していたのです。

皆さんは「死」をどのように受け止めておられるでしょうか?一般的な日本人にとって死は悲しく不幸なものであり、忌むべきものです。なぜなら、すべてが終わってしまうからです。自分の存在が消えて無くなってしまうと思えばそれは悲しいことですが、パウロはそのようにはとらえていませんでした。パウロにとって死は肉体という地上のテントをたたんで、天にある家で永遠に住むために出発する時だったのです。だからそれは悲しいことではなく、むしろ喜びの時であり、感謝の時、希望の時だったのです。

皆さんはどうでしょうか。皆さんは死をどのように受け止めておられるでしょうか。これは100パーセント、だれもが経験することです。いわば私たちの生は死に向かって歩んでいるのです。その死に対する備えがなかったら、それほど恐ろしいことはないでしょう。なぜなら、私たちはそこで永遠を過ごすのですから・・・。そして、パウロはその死とは何なのかを、聖霊によってはっきり知っていました。それは永遠への入り口であるということを。救い主イエスを信じるものは、天国で永遠に過ごすのです。この地上のすべての労苦から解き放たれて自由になり、栄光の天の御国で神とともに永遠に生きるのです。それゆえに、死を恐れる必要はありません。たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても、わざわいを恐れなくてもいいのです。

先日、Fさんが78歳のこの地上の生涯を終えて天に帰られました。召される2週間前に病室を訪問したとき、彼女は「死ぬのが怖い」と言われました。ずっと前から教会に来てはいましたがイエス様を信じるには至りませんでした。しかし、今年2月にお見舞いに行ったとき、「イエス様を信じてください」と勧めたら、「はい」と素直に信じて洗礼を受けました。あれから4か月、なかなかお会いすることができず久しぶりの再会となりましたが、そこでイエス様の約束の言葉を読みました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)Fさんはこの言葉を信じました。すると翌週訪問したとき「どうですか」と尋ねると、「苦しいですが、平安はあります。」とお答えになられました。苦しいですが、平安があります。それは死に勝利されたイエス・キリストが与えてくださる天国の確かな希望だったのです。イエスを信じる人には、この平安と希望が与えられるのです。あなたもイエス様を信じてください。そして、苦しみの中にもある確かな平安をいただいていただきたいと思います。

Ⅱ.走るべき道のりを走り終え(7)

次にパウロの過去を振り返ってみたいと思います。7節をご覧ください。ここにはパウロの過去がどのようなものであったかが要約されています。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」 彼は立派なボクサーのように信仰の戦いを勇敢に戦い、また、目標を目指して走るアスリートのように、走るべき道のりを走り終えました。

ピリピ3章13節と14節を見ると、そこにはこうあります。「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」

これはテモテへの手紙が書かれる数年前に書かれたものですが、その時にはまだゴールしていませんでした。彼は、神の栄冠を目指して一心に走っていました。しかしここでは違います。ここでパウロは、「走るべき道のりを走り終えた」と言っています。また、信仰を守り通したとも言っています。これはただ単に自分の信仰を最後まで貫いたというよりも、ゆだねられた神のことばである福音を偽りの教師たちと戦って、最後までその真理を守り通したということです。

このようなパウロの確信は、何か凱歌のように私たちの胸に響いてきます。私たちもパウロのように凱歌の詩を歌いながら、永遠の御国に帰って行けるように、日ごとのわざに励もうではありませんか。信仰の生涯で最も難しいのはその終わり方です。始めることは易しいことですが、それを最後まで全うすることは並大抵のことではありません。いったいどうしたら最後まで信仰の戦いを戦い抜くことができるのでしょうか。

パウロは、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです」と言いました。ここにその答えがあります。彼はキリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して走りました。彼は今自分を取り巻いている現実がどれほど困難なものであるのかを見ていませんでした。彼が見ていたのは、やがてもたらされる神の栄冠がどれほどすばらしいものであるのかを見て、それを目指して走ったのです。そういう期待感でいっぱいでした。だから今を乗り越えることができたのです。

これが現実の困難を乗り越える大きな鍵です。もし目の前の困難ばかりを見ていたら、その重圧に押しつぶされてしまうでしょう。しかし、その先にある栄光を見るなら、それがどんな困難であっても必ず耐えることができるのです

このことについてパウロはすでに2章でキリスト・イエスのりっぱな兵士のたとえをもって語りました。また、アスリートにもたらされる栄冠のたとえによっても語りました。そして、労苦した農夫にもたらされる収穫のたとえによっても語りました。「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある」( 詩篇30:5)のです。この喜びに目をとめるべきです。そうすれば、信仰の戦いを勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、最後まで信仰を守り通すことができるのです。

Ⅲ.義の栄冠(8)

では、やがてもたらされる栄光とはどのようなものなのでしょうか。8節をご覧ください。

「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

ここでパウロは、「今からは、義の栄冠が私のために用意されているのです。」と言っています。彼は、義の栄冠を受けることを確信していました。義の栄冠とは何でしょうか?それは、イエス・キリストを信じる者すべてに与えられる永遠のいのちことです。パウロの生きた時代、運動競技の勝利者には月桂樹の冠やオリーブの花輪が与えられましたが、それと同じように、イエス・キリストを信じ、最後までその信仰を守り通した人には「義の冠」が与えられるのです。これは先週お話したキリストのさばきとは違います。キリストのさばきとは、イエス・キリストを信じた者がこの地上で成したことに対する評価のことでしたが、この「義の冠」は、イエス・キリストを信じるすべての人にもたらされる栄光です。ヤコブ1章12節には「いのちの冠」と表現されていますが、それと同じものです。また、Ⅰペテロ5章4節には「しぼむことのない栄光の冠」とありますが、それとも同じものです。これはパウロだけでなく、彼と同じようにイエスを信じ、全身全霊をもってイエスに従い、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいるすべての人にもたらされる栄冠です。私たちはやがてこの栄冠を受けるのです。

これはテモテにとってどれほど大きな励ましであったことでしょう。しかし、それはテモテばかりでなく、パウロと同じように最後まで信仰を守り通したすべての人に約束されていることです。やがて将来においてこのような義の栄冠が与えられるという約束は、今を生きる私たちにとって大きな力になるのです。

織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)が年内にも、マザー・テレサらと並ぶカトリック教徒の崇敬の対象である「福者(ふくしゃ)」としてローマ法王庁から認定されることになりました。高山右近は12歳で洗礼を受け、高槻城主時代の領民のうち約7割がキリスト教徒だったとされます。秀吉の側近、黒田官兵衛らに入信を勧めるなど、布教活動にも熱心でした。しかし、秀吉からのキリスト教を棄てるようにとの命令を受けそれを拒否したことから地位や領地を失い国外追放となりましたが、それでも信仰を捨てませんでした。彼は、「信仰のため国を追われた殉教者」となったのです。それが評価されて福者として認定されることになったのですが、福者として認定されるかどうかは別にしても、彼にはそれにふさわしい義の冠が用意されていることでしょう。彼は走るべき道のりを走り終え、最後まで信仰を守り通したからです。

ベルギーのダミアン神父もそうでした。ダミアン神父は、ハワイのモロカイ島でハンセン病患者を救うためにその生涯をささげました。当時ハンセン病は不治の病で伝染性が強いとされていたので、患者は家族から引き離され、モロカイ島に送り込まれていました。絶望的な患者で満ちていたこの島は、悲惨な様相を呈していました。そこへダミアン神父が単身でやって来たのです。彼は患者の心の友となり、伝道者、医師、裁判官、測量士、葬儀屋、墓堀りとして働きました。16年間に千六百人もの人々を葬り、千個の棺を自分の手で作りました。初めは冷たい目で彼を見ていた人々も、次第にダミアンの愛と偉大さがわかってきて、彼のことばを聞くようになって行きました。晩年、彼もハンセン病になりました。1889年4月15日朝8時、ダミアンは48年のこの地上の生涯を終えて天に召されました。死に臨んだ彼のことばが記録されています。「何もかも、持てる限りを与え尽くした私は幸福者である。今は貧しくて死んでゆく。自分自身の物と名の付くものは何もない。ああ何と幸福なことであろう。」

皆さん、どう思いますか。この地上の生涯を終えるとき、「私は幸福者だ」と言える人は本当に幸いではないでしょうか。人がその人生の最期に語る言葉というのは、その人の生きざまをよく表していると思います。最後に何を語るのかは、その人がどのように生きてきたのかということと深い関係があるからです。ダミアン神父のように、そしてパウロのように、「何もかも、持てる限りを与え尽くした私は幸福者である」と言えるような、また、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と言えるような、そんな生涯を全うさせていただこうではありませんか。今からでも決して遅くはありません。あなたがイエス・キリストを信じて、走るべき信仰の道のりを走り終えるなら、あなたにも栄光の義の冠が用意されているのです。

Ⅱテモテ4章1~5節 「みことばを宣べ伝えなさい」

きょうは、テモテ第二の手紙4章前半の箇所から、「みことばを宣べ伝えなさい」というテーマでお話します。これはパウロから弟子のテモテに、いや信仰によるわが子テモテに宛てて書かれた手紙です。この時パウロはローマの地下牢に捕えられていて、もう打ち首になることが決まっていました。そんなパウロがエペソの教会の牧会で疲れ果てていたテモテを励ますためにこの手紙を書いたわけですが、その最後の部分となります。自分がこの世を去って行く前に、父親として息子に残しておきたかった言葉とはいったい何だったのでしょうか。最後のことばですからとても重みのある、重要な言葉です。聖霊に動かされて書いたパウロの最後の言葉に、ご一緒に耳を傾けていきたいと思います。

Ⅰ.みことばを宣べ伝えなさい(1-2)

まず1節と2節をご覧ください。

「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

パウロがその生涯の終わりに、どうしてもテモテに伝えたかったことは、みことばを宣べ伝えなさいということでした。「みことばを宣べ伝える」とは、神のことば、キリストの救いのメッセージを人々に宣言し、伝達することです。この「宣べ伝える」ということばは、王がその国民に何らかの布告を出したとき、それを宣言し、伝達することを表すのに用いられました。ですから、「私はこう思います」とか、「私はこのように感じます」といった自分の意見や考えを述べることではなく、神が言われることをそのまま脚色なしで伝えることなのです。

なぜ、みことばを宣べ伝えなければならないのでしょうか。なぜなら、人は神のみことばによって救いに導かれるからです。そのことをパウロはすでに3章15節でこのように語りました。「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」聖書は、あなたがキリストを信じるように、その救いに導いてくれるのです。

このことをペテロはこう言っています。Ⅰペテロ1章23~25節です。開いてみましょう。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草の花のようで、その栄は、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。」

あなたがたに伝えられた福音のことばがこれです。あなたが新しく生まれるのは、とこしえに変わることのない神のことばによってであるということです。このみことばによってあなたは救われるのです。だから、この救いのみことばを宣べ伝えなければなりません。

そればかりではありません。そのように救いに導かれた人が霊的に成長し、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためにでもあります。そのことをパウロは3章16~17節でこう言いました。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

また、使徒の働き20章32節にはこうあります。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」

何があなたがたを育成するのでしょうか。何がすべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのでしょうか。神のことばです。神のみことばはあなたがたを育成し、すべての聖なる人々の中にあって御国を継がせることができます。これ以外に私たちクリスチャンを霊的に成長させることはできません。だから私たちは神のことばを熱心に聞かなければならないのです。

ところで、第二テモテ4章に戻っていただきまして、1節を見ると、ここに、「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」とあります。どういうことでしょうか。何度も申し上げておりますように、この時パウロはローマの地下牢に捕えられていました。彼は自分がもうすぐこの世を去り、神の御前に出ることを知っていたのです。そして、キリストのさばきの座に出ることを知っていました。キリストのさばきの座とは何でしょうか?これは黙示録20章11節にある白い御座のさばき、すなわち、キリストを信じなかった者にくだされる最後の審判のことではありません。これは第二コリント5章10節にあるキリストのさばきの座のことです。ちょっと開いてみましょう。Ⅱコリント5章10節です。

「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」

ここに「キリストのさばきの座」という言葉が出てきます。私たちはみな、このキリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになります。それがいつなのかというと、キリストの現れの時です。これはイエス・キリストの再臨の日のことです。このとき、私たちクリスチャンがみなさばきを受けます。このさばきは、天国に行くのか、地獄に行くのかというさばきのことではありません。なぜなら、クリスチャンはみな天国に行くことが決まっているからです。イエス・キリストはこう言われました。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)

ですから、あなたがイエス・キリストを信じているのなら、絶対に地獄に行くことはありません。もう死からいのちに移っているのです。必ず天国に行きます。

ここで言われているさばきとはキリストのさばきのことです。キリストが再臨するとき、クリスチャンはみな天に引き上げらます。まずキリストにあって死んだ人たちです。彼らは墓から出て栄光のからだによみがえり、キリストのもとに引き上げられるのです。次にキリストを信じて生き残っている人たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に引き上げられ、空中で主と会うのです。それがいつなのかはわかりません。それがいつなのかはわかりませんが、キリストが再臨される時キリストにあって死んだ人たちと生き残っている人たちはみな天に引き上げられ、空中で主イエスと会うのです。そのことを、ここでは「生きている人と死んだ人とをとばかれる」と表現されているのです。私たちはみな、キリストが再臨されるとき、そのさばきの座で、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に報いを受けるのです。ですからこの「さばきの座」というのは、その人が天国にふさわしいのか、地獄にふさわしいのかというさばきのことではなく、天国にふさわしい人が、与えられたその命や人生をどのように使ったのかを評価される時のことなのです。

皆さんは美人コンテストを見たことがありますか。あの美人コンテストに参加している人はみな美人です。あれは、美人かどうかを決めるコンテストではありません。みんな美人ですが、その中からその人の持っている特技とか内面性をアピールして、美人にふさわしい人を決めているコンテストなのです。この「キリストのさばきの座」もよく似ています。そこに集まっているのは、みんな「義人」です。みんに義とされた人たちなのです。ただそのクリスチャンたちが、与えられた永遠の命を、この地上でどのように使ったかのかを評価されるのです。

パウロはこのことを第一コリント3章で建物のたとえを用いてこう言っています。「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」(Ⅰコリント3:10-15)

土台はキリストです。この土台であるキリストの上にどのように建てるかについては注意しなければなりません。もし、だれかがこの土台の上に、それぞれ金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするからです。どのように明らかになるのでしょうか。金、銀、宝石で建てるなら永遠に残りますが、木、草、わらなどで建てますと、それらは火によって燃えてしまいます。この材料の違いは、私たちが何かをする時の動機です。すなわち、神の栄光のためにしたのか、自分の名誉のためにしたのか。神を喜ばすためにしたのか、ただ自分が喜びたいからしたのか。その動機が問われているのです。クリスチャンとして神を信じてから天に帰るまで、この地上で何一つ神に喜ばれることをしたことがない人でも、イエス・キリストを信じたら必ず天国に行きます。アーメン。天使が大喜びであなたを天国に迎え入れてくれるでしょう。しかし、もし何もしなかったという人がいるとしたら、その人はちょうど家が火事になった時に 火の中をくぐるようにして助かるようなものです。家財道具はすべて焼け、着の身着のままに焼け出され、顔はすすだらけの状態になりです。でもその人は助かったのです。助かるのと助からないのでは雲泥のちがいです。天国と地獄はまったく違います。ですから、助かったということはそれだけでものすごい恵みなのです。どんな形でも天国に入ることができれば、その人は人生の成功者です。でも、そのようにして助け出されるよりも、無傷で助け出された方がいいに決まっています。ですから、金や銀、宝石といった火に燃えないもので家を建てる必要があるのです。

アメリカのリック・C・ハワードという人が「キリストの裁きの御座」という本を書きました。彼はこの本の最後の方に、ウィリアム・ブースという人が見た幻を紹介しています。ウィリアム・ブースという人は、イギリス人で、救世軍というクリスチャンの世界的な組織を建て上げた人です。救世軍は、世界の貧しい人々のために、あるいは身寄りのない子供たちのために、救いの手を伸ばそう、という主旨で始まった大きなグループです。彼は小さな時に、人と比べて、自分はかなり熱心なクリスチャンだと思っていました。毎週、日曜日の礼拝は欠かしたことがなく、毎朝聖書は読むし、祈るし、そして教会でもたくさんの奉仕をしているから、自分はもう十分に、立派なクリスチャンだと思っていたそうです。そんな時に、神は天国の幻を見せてくださいました。彼が天国に着くと、神の御座の回りで多くの人々が行進していく幻を見たそうです。神の軍隊のように、勝利の凱旋の行列のように、多くの人々が、目の前を通って行きました。その行進している人の顔を見たら、ほんとうに喜びと栄光に輝いていました。この人たちはずらしいクリスチャンだということが一目でわかり、この人たちと自分を比べた時に、もし自分が天国に着いたら、この義を行列にはふさわしくないと感じました。自分はこの人たちほど神を愛していないことに気がついたのです。がっかりしている時に、イエス様が彼のところにやって来て、こうおっしゃったそうです。

「地上に戻りなさい。私はおまえにもう一度チャンスを与えます。自分が、わたしの名にふさわしい者であることを証明してきなさい。おまえがわたしの聖霊を帯びていることを、行いによって、この世の人々に示してあげなさい。そして、わたしの代理者として、人々を救いに導きなさい。その勝利の戦いを済ませて、再び戻って来なさい。そうすれば、お前も、わたしが勝ち取ったこれらの者たちの行列の中に加えてあげよう。」

こうして彼は天国の幻から帰ってきました。そして、彼はその後、神のために一生懸命に働きました。

何度も言いますように、ただ、イエス様を信じるだけで救われます。救われて、天国に行くことができます。それは神の一方的な恵みなのです。そのために神は私たちには何の行いも要求されません。でも、「ただ自分が救われて良かった」「ああ自分の家族も救われて良かった。もうこれでいい。あとは天国に行くのを待とう」「罪も赦されたし、平安だし、問題もそんなにないし、あとは天国を楽しみにして待っていよう」といって座り込んでいるのではなく、やがてキリストが再臨され、そのさばきの座で正しくさばかれるその時に、神からの栄冠を受けるために、私たちはどうあるべきなのかを考え、そのように生きるべきだとチャレンジしているのです。そして、それにふさわしい生き方とはどのようなものなのでしょうか。それは、「みことばを宣べ伝えなさい。時がよくても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えずお家ながら、責め、戒め、また勧めなさい。」ということです。

これはテモテに対してばかりでなく、その後に続くすべてのクリスチャンにも命じられていることです。私たちは、みことばを宣べ伝えなければなりません。時がよくても悪くても、寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなければならないのです。

皆さん、今はどんな時ですか?良い時ですか?それとも悪い時でしょうか?テモテの時代は悪い時でした。外からはローマ皇帝ネロによる激しい迫害がありました。また、教会の内部にも違ったことを教えて混乱を引き起こす人たちもいました。みことばを宣べ伝えたくてもそれを妨げるさまざまな障害があったのです。しかし、そういう時でも、いやむしろそういう時だからこそ、しっかりとみことばを宣べ伝えなければなりません。なぜなら、みことばによって人は救いに導かれ、キリストが現れるその時に、神から正しい評価を受けることになるからです。そのみことばを伝えなければ、いったい人はどのようにしてそのことを知ることができるでしょうか。信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。その知らせを宣べ伝える人がいなければ、だれも聞くことができません。だからみことばを宣べ伝えなければなりません。時が良くても悪くても、寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなければならないのです。

Ⅱ.真理から耳をそむける時代(3-4)

なぜ、みことばを宣べ伝えなければならないのでしょうか。もう一つの理由が3節と4節にあります。

「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」

なぜ、みことばを宣べ伝えなければならないのでしょうか?積極的な意味では、それによって人々が救いに導かれ、霊的に成長していき、やがてキリストの現れの時に、正しくさばかれる神の御前で、その報いを受けるためですが、消極的な意味では、人々が健全な教えに耳を貸そうとしないからです。そういう時代がやって来ます。いや、もうすでにそのような時代が来ているのです。

このことについてパウロは前の章で、終わりの時代には、人々がどうなっていくのかについて語りました。その時に人々は「自分を愛する者」になります。世の終わりが近くなると、人々はまず自分を愛するようになるのです。神を愛するよりも自分を、隣人を愛するよりも自分を愛するようになるのです。不法がはびこるので愛が冷えてくるからです。牧師、伝道者が健全な教えを語っても、そういう話は聞きたくありません。なぜなら、そこには自分を捨てることが求められるからです。イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ8:34)と言われました。だれでもイエスについて行きたいと思うなら、自分を捨てことが求められます。もちろん、イエス様を信じたらその愛と恵みの大きさに感動し、喜んで自分を捨て神の道に従いたいと願うものですが、しかし、本質的に自己中心的な私たちは、このようなことを嫌がる傾向があるのです。健全な聖書の教えに耳をかしたくありません。そして、自分に都合の良いことを言ってもらう牧師や教師を次々に捜し歩き、自分たちのために寄せ集めるのです。すると真理ではなく、空想話にそれていくようになります。

だから、みことばを宣べ伝えなければなりません。そうした時代になっていくからこそ、真理のことばである神のことばをまっすぐに説き明かさなければならないのです。人がどう考え、どのように思い、何を言っているかではなく、神のことばである聖書は何と言っているのかを聞かなければならないからです。

Ⅲ.自分の務めを十分に果たしなさい(5)

ですから、結論としてはこうです。5節をご一緒読みましょう。

「しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」

「しかし、あなたは」とは、これまでパウロが語ってきたように、終わりの日が近くなると、人々は健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理からそれて、空想話にそれて行くようになりますが、しかし、あなたは、です。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たさなければなりません。テモテに与えられた務めとは何でしょうか?みことばを宣べ伝えることです。テモテに伝道者としての力があったかどうかはわかりません。彼が力強い牧会者であったかどうかもわかりません。ただわかることは、みことばを宣べ伝えることが、彼に与えられた務めであったということです。そのために彼は召されたのです。その務めを十分に果たさなければなりませんでした。

それは私たちも同じです。私たちも自分たちに与えられた務めを十分に果たさなければなりません。皆さんはどうでしょうか。皆さんに与えられている務めとは何でしょうか。皆さんは、その務めを十分に果たしておられるでしょうか?

私はここに一冊の記念誌を持ってきました。これは保守バプテスト同盟の山形福音伝道隊65周年を記念してまとめられたものです。現在山形には約20の保守バプテスト同盟の教会がありますが、その最初は1948年に山形で宣教を開始したジョセフ・G・ミーコ宣教師ご夫妻の働きによるものが大きいのです。先生は「いちご伝道」といって、いちごが実を結ぶとき、実を結ぶ前に次のところにつるを伸ばして実を結ぶように、開拓伝道を始めたら、同時に次のところの準備も始め、同時に実を結ばせようとして、その結果、多く教会を生み出して行ったのです。先生は持病で1948年から10年後に一時帰国し、再び来られたのは1973年でした。そして帰国した1979年までの16年間に、本当に多くの教会を生み出していったのです。私が実践している開拓伝道はこのいちご伝道がモデルになっています。それにしても、戦後の混乱期にあって、しかも持病を抱えながら伝道することはどれほどのご苦労があったことかと思います。

このミーコ先生と一緒に働いたジョー・グーデンという宣教師が、ミーコ先生についてこのように語っています。「私はあの日のことを決して忘れない。山形盆地、そこに教会が一つもない沢山の町々村々があった。小高い山からそれらの村々を見ながら、彼は32か所を指さしていた。私がもっと彼に近づいてよく見ると、彼の目には涙が浮かんでいた。彼の声は震えて、「私はあの一つ一つの所に教会でも、聖書研究会でも、あればと願っている。ジョー、私と一緒に働いてくれないか。あなたと私は人柄も才能も違う。私にはあなたが必要なのだ。お互いに助け合えばきっとよい成果がある。どうか私と一緒に働きに来てください。」そして、ジョー・グーデン宣教師は彼のもとに来たのでした。そして、ミーコ先生の宣教の情熱、一人の魂に対する愛、ねばり強さ、若者の心をとらえたい心、主のためなら何でも平気だという図太い神経、そして、彼の重荷を見たのでした。

ミーコ先生は天に召されるまで日本に残された、まだ福音の伝わっていない地のことを思っていました。もう痛みも絶頂に達していたとき、その痛みをおして、彼の伝道を背負っている日本の牧師たちと話し合うために来日しましたが、来るたびに、これが最後にかもしれないと思われた中で、最後の教訓を残して成田から去って行かれたのでした。ミーコ先生は、自分に与えられた務めを十分に果たしました。今ごろ天国で義の栄冠を受け、主イエスからこのような報いを受けておられるでしょう。

「よくやった。良い忠実なしもべただ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:21)

それはミーコ先生だけではありません。キリストのみことばに従って自分の務めを十分に果たしたすべてのクリスチャンにもたらされる約束でもあるのです。ここには、「自分の務めを十分に果たしなさい」とあります。それは途中であきらめるなという意味です。あきらめないで、最後まで走り続けなければなりません。神があなたにゆだねられた使命を果たし終えるまで、最後まで走り続けなければならないのです。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」「しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」これがこの世を去る直前にパウロがテモテにどうしても伝えたかったことであり、二千年の時を越えて、今もなお私たちに語り続けている命令なのです。お祈りしましょう。

民数記27章

きょうは、民数記27章から学びたいと思います。前回の学びで、モーセとアロンがシナイの荒野で登録したときのイスラエル人はみな荒野で死に、ヨシュアとカレブのほかには、だれも残っていなかったという現実を見ました。残された民が、神が約束してくだった地を相続します。そして、その相続の割り当てについて語られました。すなわち、大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならないということです。きょうの箇所には、その相続に関する神様のあわれみが示されます。

Ⅰ.ツェロフハデの娘たち(1-11)

まず1節から11節までをご覧ください。

「 さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たち・・ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子・・が進み出た。娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。彼女たちは、モーセと、祭司エルアザルと、族長たちと、全会衆との前、会見の天幕の入口に立って言った。「私たちの父は荒野で死にました。彼はコラの仲間と一つになって主に逆らった仲間には加わっていませんでしたが、自分の罪によって死にました。彼には男の子がなかったのです。男の子がなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」そこでモーセは、彼女たちの訴えを、主の前に出した。すると主はモーセに告げて仰せられた。「ツェロフハデの娘たちの言い分は正しい。あなたは必ず彼女たちに、その父の兄弟たちの間で、相続の所有地を与えなければならない。彼女たちにその父の相続地を渡せ。」あなたはイスラエル人に告げて言わなければならない。人が死に、その人に男の子がないとは、あなたがたはその相続地を娘に渡しなさい。もし娘もないときには、その相続地を彼の兄弟たちに与えなさい。もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えなさい。もしその父に兄弟がないときには、その相続地を彼の氏族の中で、彼に一番近い血縁の者に与え、それを受け継がせなさい。これを、主がモーセに命じられたとおり、イスラエル人のための定まったおきてとしなさい。」

ここに、ヨセフの子のマナセの一族のツェロフハデの娘たちが出てきます。彼女たちは、モーセと、祭司エルアザルと、族長たちと、全会衆との前、会見の天幕の入り口に立って、自分たちにも所有地を与えてください、と言いました。どういうことでしょうか?26章33節を見ると、ここにツェロフハデの娘たちの名前が記されてあります。彼女たちの父ツェロフハデには息子がなく、娘たちしかいませんでした。ということは、ツェロフハデには何一つ相続地が与えられないということになります。ですから、彼女たちは、そのことによって相続地が与えられないのはおかしい、とモーセに訴えたのです。

この訴えに対して主は何と言われたでしょうか。6節です。主は、この訴えは正しい、と言われました。そして、主は彼女たちの訴えに基づいて、父が子を残さなかったときについての相続の教えを与えられました。子がいないという理由で相続地がないということがあってはならないというのです。その相続地を娘たちに与えなければなりません。娘たちもいなければ、それを彼の兄弟たちに、彼に兄弟がいなければ、それを氏族の中で、彼に一番近い血縁の者に与えて、それを受け継がせなければならない、と言われたのです。

これはどういうことでしょうか?このことについては、おもしろいことに、ここで話が終わっていません。36章を見ると、マナセ族の諸氏族のかしらたちがモーセのところにやって来て、この娘たちが他の部族のところにとついだならば、マナセ族の相続地が他の部族のものとなってしまうので、彼女たちはマナセ族の男にとつぐようにさせてください、と訴えているのです。そしてその訴えを聞いたモーセは、「それはもっともである」と、彼女たちは父の部族に属する氏族にとつがなければならない、と命じるのです。そのようにして、イスラエルの相続地は、一つの部族から他の部族に移らないようにし、おのおのがその相続地を堅く守るようにさせました。そして、この民数記は、この娘たちが主が命じられたとおりに行ったことを記録して終わるのです。

つまり、彼女たちの行為は信仰によるもので、約束のものを得るときの模範になっているということです。そうでなければ、このことが聖霊に導かれてモーセが記録するはずがありません。主が、アブラハムの子孫に、この地を与えると約束されたので、彼女たちは、その約束を自分のものとしたいと願いました。けれども、相続するためには男子でなければなりません。しかし、そうした障害にも関わらず、彼女たちは主の前に進み出て大胆に願い出ました。ここがポイントです。ここが、私たちが彼女たちに見習わなければいけないところなのです。つまり、私たちは、その約束にある祝福を、自分たちの勝手な判断であきらめたりしないで、彼女たちのように信仰によって大胆に願い求めなければならないのです。

あのツロ・フェニキヤの女もそうでした。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません。」「子どもたちのパンくずを取り上げて、子犬にやるのはよくないことです。」と言われた主イエス様に対して、彼女は、「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタイ15:27)と言いました。そして、そのとおりになりました。信仰をもって、あきらめないで願い出るなら、主は惜しみなく与えてくださるのです。もちろん、その願いは自己中心的なものではなく、主のみこころにかなったものであることが重要ですが、しかし、あまりにもそれを考えすぎるあまり求めることをしなければ、何も得ることはできません。「求めなさい。そうすれば、与えられます。」(マタイ7:7)私たちは、キリストにあってすべてのものを施してくださるという神の約束を信じて、神に求める者でありたいと願わされます。

Ⅱ.モーセの死(12-14)

次に12節から14節までをご覧ください。

「ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。」

これは、モーセも他のイスラエルの民と同様に約束の地に入ることができないという、厳粛な主の宣告です。この宣告は、イスラエルの民以上に、彼にとってどんなに辛かったことでしょう。彼はこの120年間、ただイスラエルの民が解放され、約束の地に導かれることを夢見てきました。しかし、彼自身はそこに入ることはできないのです。なぜでしょうか?それは14節にあるように、ツィンの荒野で会衆が争ったとき、主の命令に従わなかったからです。

どういうことでしょうか?もう一度民数記20章を振り返ってみましょう。これはイスラエルがツィンの荒野までやって来たときのことです。そこでモーセの姉ミリヤムが死にました。そこには水がなかったので、彼らはモーセとアロンに逆らって言いました。それで主はモーセに杖を取って、彼らの目の前で岩に命じるようにと言われました。そのようにすれば、岩は水を出す・・・と。ところが、モーセは主の命令に背き、岩に命じたのではなく、岩を二度打ってしまいました。それで主はモーセとアロンに、彼らが主を信じないで、イスラエルの人々の前で聖なる者としなかったので、彼らは約束の地に入ることができないと言われたのです。

Ⅰコリント10章4節には、この岩がキリストのことであると言われています。その岩から飲むとは、キリストにあるいのちを受けることを示しています。そのためには、その岩に向かってただ命じればよかったのです。しかし、彼らは岩を打ってしまいました。モーセとアロンは、主が仰せになられたことに従いませんでした。彼は自分の思い、自分の感情、自分の方法に従いました。それは信仰ではありません。それゆえに、彼らは約束の地に入ることはできない、と言われたのです。あまりにも厳しい結果ですが、これが信仰なのです。信仰とは、神のことばに従うことです。そうでなければ救われることはありません。私たちが救われるのはただ神のみことばを信じて受け入れること以外にはないのです。御霊の岩であるイエスを信じる以外にはありません。彼らは神と争い、神の方法ではなく自分の方法によって水を得ようとしたので、約束の地に入ることができませんでした。それは他のイスラエルも同様です。彼らもまた不信仰であったがゆえに、だれひとり約束の地に入ることができませんでした。ただヨシュアとカレブだけが入ることができました。彼らだけが神の約束を信じたからです。神の約束を得るために必要なのは、ただ神のことばに聞き従うということなのです。

Ⅲ.モーセの後継者(15-23)

しかし、話はそれで終わっていません。それでモーセは主に申し上げます。15節から23節までをご覧ください。

「それでモーセは主に申し上げた。「すべての肉なるもののいのちの神、主よ。ひとりの人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、彼らに先立ってはいり、また彼らを連れ出し、彼らをはいらせるようにしてください。主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。」主はモーセに仰せられた。「あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために主の前でウリムによるさばきを求めなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって、はいらなければならない。」モーセは主が命じられたとおりに行なった。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。」

モーセは、自分が約束の地に入れないことを思い、であれば、イスラエルの民がそこに入って行くことができるように、だれか他のリーダーを立ててくださいと言いました。そうでなかったら、彼らは羊飼いのいない羊のようにさまよってしまうことになるからです。皆さん、羊飼いのいない羊がどうなるかをご存知でしょうか?羊飼いのいない羊はどこに行ったらよいのかがわからずさまよってしまうため、結果、きちんと食べることもできないので、死んでしまいます。それは霊的にも同じです。牧者がいない羊たちはめいめいが勝手なことをするようになり、その結果、滅んでしまうことになるのです。士師記を見るとよくわかります。彼らは指導者がいなかったときめいめいが勝手なことをしたため、霊的に弱くなり、たえず敵に脅かされてしまいます。それで彼らが叫ぶと主はさばき司を送られたので立ち直ることができました。ですから、リーダーがいないということは群れにとっては致命的なことなのです。モーセはそのことを心配していました。

それに対して主は何と言われたでしょうか。主はモーセに、ヌンの子ヨシュアを取り、彼の上に手を置き、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼をその務めに任命するように、と言われました。

主はヨシュアを、モーセの後継者としてお選びになりました。主はヨシュアが「神の霊の宿っている人」と言っています。ヨシュアにはどのように神の霊が宿っていたのでしょうか?このヨシュアについてそのもっとも特徴的な表現は、出エジプト記24章13節の、「モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり」という表現です。彼はいつもモーセのそばにいて、彼に従い、彼を助けました。出エジプト記17章には、イスラエルがエジプトを出て荒野を放浪していたときにアマレクと戦わなければなりませんでしたが、その実働部隊を率いたのがこのヨシュアでした。また、彼はあのカデシュ・バルネヤから12人の偵察隊を遣わした中にもいて、カレブとともに他の10人の偵察隊が不信仰に陥って嘆いた時も、「ぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」と進言しました。彼はとくに、めざましい働きをしていたわけではありませんでしたが、常にモーセのそばにいて、モーセの助手として彼を支え、彼に仕えていたのです。いわば彼は、モーセのかばん持ちだったわけです。モーセに言われたことを守り行ない、モーセが猫の手を借りたいときには猫の手になり、難しい仕事も不平を言わずにこなし、とにかくモーセを助けていました。Ⅰコリント11章28節には、「助ける者」という賜物がありますが、ヨシュアには、こうした助けの賜物が与えられていて、モーセに仕えていたのです。ですから、ヨシュアこそモーセの後継者としてふさわしい人でした。

モーセは主が命じられたとおりに行ないました。彼はヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命しました。彼は約束の地に入ることはできませんでしたが、アバリム山に登り、イスラエル人に与えられた約束の地を見て、その後を後継者にゆだねたのでした。

創世記16章

今日は、創世記16章から学びたいと思います。

1.不信仰による失敗(1-3)

前回は、アブラハムの信仰について学びました。アブラハムは老年になって、サラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まるどころかますます強くなり、神には約束されたことを成就する力があると信じました。主が彼を外に連れ出して天の星を見上げさせ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われたとき、アブラムはその神の言葉を信じました。それゆえに神は、それを彼の義とみなしてくださったのです。ところが、きょうのところにはそれほどの信仰をもっていたアブラハムが不信仰に陥ったことが記されてあります。まず、1~4節前半のところをご覧ください。

「アブラハムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が小どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。アブラムはサライの言うことを聞き入れた。アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。」

ここでサラはアブラハムに、女奴隷ハガルのところに入るようにと言っています。なぜでしょうか?彼女は、主が自分には子どもを産むことができないと考え、だったら自分の女奴隷によって子をもうけようとしたのです。彼女は神のことばに信頼してその御業を待ち望むというより、人間的な方法によって子どもを得ようとしました。一方、アブラハムはどうだったでしょうか。彼はサラがそのように言うのを聞いて、あったさりとそれを受け入れました。なぜでしょうか?3節には、「アブラムがカナンに住んでから10年後に・・・」とあります。彼もまた神が約束してくださったことが実現しないのを見て、自分たちで何とかしなければならないと思ったのです。

しかし、それは大きな間違いでした。神は私たちの助けを必要とされる方ではないからです。私たちにとって必要なことは、ただ黙って神を待ち望むことです。しかし、神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐なのです(ヘブル10:36)。

2.不信仰の結果(4-6)

さて、その結果どんなことが起こったでしょうか。4b~6節までのところをご覧ください。

「彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。5 そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」6 アブラムはサライに言った。「ご覧。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。」

アブラムがハガルの所に入ったので、彼女はみごもりました。すると彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになりました。そこでサライはアブラムに言います。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。」つまり、彼らが不信仰に陥った結果、彼らの関係に亀裂が生じたのです。アブラハムとサライは、ハガルから子孫をつくることは良い考えだと思っていたでしょう。けれども、どんなに優れた考えでも、それが神のみこころでなければ、そこには混乱や争いが生じます。私たちの生活の中で、そのようなプレッシャーを感じている部分はないでしょうか。それは多くの場合、肉の行いが原因で起こります。ですから、神に心を尽くしてより頼む事が最善なのです。箴言には、「心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)とあります。

3.女主人のもとにかえりなさい(7-12)

ところで、女主人のもとから去ったハガイはどうなったでしょうか?7~9節をご覧ください。

「7 主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、8 「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」9 そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」

神様は人生の裏街道を歩いている者をも、決して見過ごされる方ではありません。ハガルは主人の家から、実に理不尽なやり方で追い出され、ひとり寂しく生まれ故郷のエジプトに向かっていました。そこは荒野で、途中にオアシスがあり、泉がわき出ていましたた。ハガルはそこで旅路の疲れをいやそうと腰をおろすと、そこに主の使いが現れて、こう言いました。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」なぜなら、彼女はサライの女奴隷だからです。これは、彼女がどのような者であり、どこから来たのか、どこに行くのかを告げている言葉です。彼女はサライの女奴隷であって、彼女のもとに戻り、身を低くして仕えることが彼女に与えられていた使命であり、彼女にとって最も幸福な道だったのです。

それにしても、なぜ主はそのようにハガイに言われたのでしょうか?それは、どんな理由があるにせよそのように主人を見下げることは主のみこころではなかったからです。確かに問題はアブラムとサライにありました。彼らが神のことばを疑って人間的になってしまったことがすべての間違いの原因です。しかし、だからといって奴隷の立場であったハガルが自分の立場を忘れ愚かにも女主人を見下げるということは、奴隷としてあってはならないことでした。彼女はどんなことがあってもりっぱに行動すべきだったのにそれができませんでした。だから悔い改め、女主人サライのもとに戻って、彼女のもとで身を低くし、その手に自分の身をゆだねるように、と言われたのです。

そればかりではありません。主はそんなハガルを見捨てることをせず、彼女を顧みてくださる方だからです。10~12節をご覧ください。

「10 また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」11 さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。12 彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」

ここで主は彼女の子孫を数え切れないほどに増やしてくださると約束してくださいました。胎の実は神からの報酬であると信じられていた時代にあって、この約束はどれほど大きな慰めであったことかわかりません。そればかりではありません。そして、その名を「イシュマエル」と名づけるようにと言われました。意味は、「神は受け入れられる」です。人が彼女を見捨てても、神は見捨てる方ではありません。神はどこまでも受け入れてくださいます。

しかし、神はこのイシュマエルについて、次のようなことも言われました。「彼は野生のろばのようになり、その手は、すべての人の手も、彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵対して住むようになる」どういうことでしょうか?「野生のろば」は、荒々しい性質を表しています。彼はすべての人に逆らい、敵対して住むというのです。なぜ神がこのようなことを預言されたのかはわかりませんが、おそらく、ハガルによって生まれてくる子がサラによって生まれてくる子供と本質的に違っていることを示したかったのでしょう。すなわち、サラの子どもが神の約束のこどもであったのに対して、ハガルの子どもそうではないということです。

このイサクとイシュマエルの対比は、パウロがガラテヤ人への手紙4章28~31節までのところで論じられています。すなわち、イシュマエルが女奴隷の子どもであり肉の子どもであったのに対して、イサクは約束の子どもであったということです。つまりハガルの子どもは肉の子どもであったのに対して、サラの子どもは御霊によって生まれた子どもだったということです。すなわちハガルは肉的な誕生しかしていない人の象徴であるのに対して、イサクはイエス・キリストの十字架の贖いによって新しく生まれた人を現していたのです。

このイシュマエルはアラブ民族の祖先となりました。イシュマエルの子孫は、歴史を通じて他の民族に、とくにイスラエル民族に敵対して生きてきたことを思うと、この預言が確かなものであったことがわかります。しかし、これは単にアラブ民族に対する預言というよりも、イエス・キリストを信じないすべての人のことを指し示しているのであり、イエス・キリストを信じない肉のままの人は、霊的な意味でこのアラブの系統にある人なのです。それは逆に、たとえアラブの人であってもイエス・キリストを信じて約束の子どもとされた人は、みなイサクの子どもになるのです。

そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼びました。エル・ロイとは、神は見ておられるという意味です。ベエル・ラハイ・ロイは、生きて見ておられるお方の井戸、という意味です。彼女は苦しみの中で、神が自分を見ておられることを知りました。また、神が自分の叫びを聞き入れてくださるのも知ったのです。私たちが苦しみを持っているとき、だれも自分を省みてくれない、神でさえも省みられないと思ってしまうことがありますが、神は私たちに聞き入り、その苦しみをご覧になっておられるのです。

 

民数記26章

きょうは、民数記26章から学びます。

Ⅰ.人口調査をせよ(1-4a,52-56)

まず1節かと2節をご覧ください。1節、2節にはこうあります。「1この神罰の後、主はモーセと祭司アロンの子エルアザルに告げて仰せられた。2 「イスラエル人の全会衆につき、父祖の家ごとに二十歳以上で、イスラエルにあって軍務につくことのできる者すべての人口調査をせよ。」26:3 そこでモーセと祭司エルアザルは、エリコをのぞむヨルダンのほとりのモアブの草原で彼らに告げて言った。26:4a 「主がモーセに命じられたように、二十歳以上の者を数えなさい。」

「この神罰」とは、バラムの企みによって、イスラエルにモアブの女たちを忍び込ませ、彼らが彼女らと不品行を行い、偶像礼拝を行ったことで、二万四千人が死んだという出来事です。その神罰の後に、主はモーセと祭司エルアザルに、イスラエルの全会衆の中から、父祖の家ごとに二十歳以上で、イスラエルにあって軍務につくことのできる者すべての人口調査をするようにと命じられました。いったいなぜここで人口を調査しなければならなかったのでしょうか?

人口調査については1章ですでに行われていました。それはエジプトを出て二年目の第二の月のことでしたが、イスラエルがシナイの荒野に宿営していたとき、やはり氏族ごとに二十歳以上の男子で、軍務につくことができる人数が数えられました。それは何のためであったかというと戦うためです。戦うためには軍隊を整えなければなりません。それで主はイスラエルの軍隊を組織させ、その戦いに備えました。部族ごとにリーダーが立てられ、それぞれの人数が数えられたのです。

しかし、ここで人口調査が行われたのは戦うためではありません。あれから38年が経ち、イスラエルは今ヨルダン川の東側までやって来ました。彼らはもうすぐ約束の地に入るのです。いわば荒野での戦いは終わりました。それなのにいったいなぜ人口を調査する必要があったのでしょうか。

それは約束の地に果てる備えるためです。52~56節までをご覧ください。ここで主は、これから入る約束の地において、その血をそれぞれの部族の数にしたがって相続するようにと命じています。大きい部族には大きい相続地を、小さい部族にはその相続地を少なくしなければなりませんでした。彼らはその人数によって相続地を割り当てたのです。

このように主は、荒野で戦いに備える前に人口を調査し、今度は約束の地で相続地を割り当てるのに人口調査をしました。それは決して自らの数を誇るためではなく、これから先の行動に備えるためでした。彼らが約束の地に入るには、まだ原住民との戦いがありました。その後で相続地の割り当てが行われます。しかし、主はそれに先立ち、すでにこの時点で相続地の分割を考えておられました。それはまさに先取りの信仰ともいえるものです。主の約束に従い、それを信じて、いまそれを行っていくのです。そうなると信じて、たとえ今はそうでなくとも、そのように行動していかなければならないのです。

先日、今月の支払いのことで会計担当の方から連絡をいただきました。献金が足りないので支払に支障をきたしているとのことでした。いったいこれはどういうことかと思って祈っていたら、主はこのみことばを私に与えてくださいました。Ⅱ列王記3章16~18です。特に、16節の「みぞを掘れ。みぞを掘れ。」という言葉です。水がなくて困っているというのに、主は「みぞを掘れ」と仰せになられる。いったいこれはどういうことなのかと祈っていると、たとえ今はそうでなくても、主は必ず満たしてくれるので、それを信じてみぞを掘るようにということであることがわかりました。実際にはそれは祈れということでしょう。神が満たしてくださると信じて、神が与えてくださると信じて祈りなさいということです。18節には、「これは主の目には小さなことだ。主はモアブをあなたがたの手に渡される。」とあります。これは主の目には小さいことなのです。そのことで思い悩む必要はありません。そう思ったら、目の前の霧がパッと晴れたようになりました。

私たちの信仰の歩みには自分の思うようにいかないことがたくさんありますが、そのような中でも主の約束を信じ、必ずそのようになると信じて祈り備えていかなければなりません。

Ⅱ.イスラエルの人口(4b-51,57-62)

さて、そのイスラエルの人口ですが、38年前と比較してどうなったかを見てみたいと思います。5節から51節までにそれぞれの部族の人口が記録してあります。

部  族 シナイの荒野 モアブの草原 増  減 割  合
ルベン族 46,500 43,730 -2,770 -6%
シメオン族 59,300 22,200 -37,100 -63%
ガド族 45,650 40,500 -5,150 -11%
ユダ族 74,600 76,500 +1,900 +3%
イッサカル族 54,400 64,300 +9,900 +18%
ゼブルン族 57,400 60,500 +3,100 +5%
マナセ族 32,200 52,700 +20,500 +64%
エフライム族 40,500 32,500 -8,000 -20%
ベンジャミン族 35,400 45,600 +10,200 +29%
ダン族 62,700 64,400 +1,700 +3%
アシェル族 41,500 53,400 +11,900 +29%
ナフタリ族 53,400 45,400 -8,000 -15%
レビ族 数に含まれず 数に含まれず
合  計 603,550 601,730 -1,820 -0.3%

 

 

 

 

 

 

 

 

コラの反乱に加担した者は、このルベン族のダタンとアビラムでした。ダタンとアビラムは会衆に選ばれた者でしたが、コラ(レビ族ケハテの子)の仲間に入り、モーセとアロンに逆らいました。その結果、彼らはコラとともに滅びましたが、コラの子らは死にませんでした。コラの子たちは、後世に礼拝の賛美奉仕者となっていきます。

ところで、38年前にシナイの荒野で数えられた時と比較すると、興味深いです。その時の合計がほとんど同じなのです。以前は603,550人でしたが、今回は601,730人です。ここからも、荒野の生活がかなり過酷であったことがわかります。イスラエルは神の祝福によってたちまち増え続けてきましたが、この荒野の40年は全然増えませんでした。かろうじてほぼ同じ人口は保つことができました。

次にレビ族の人数が記されてあります。レビ族にはゲルション、ケハテ、メラリという三つの氏族がありました。ここで特筆すべきことは、ケハテから生まれたアムラムとその妻ヨケベテとの間にアロンとモーセとその姉妹のミリヤムが生まれたということです。そして、このアロンにはナダブとアビフ、エルアザルとイタマルという四人の息子がいましたが、ナダブとアブフは主の前に異なった火をささげたので死に(レビ16:1:大祭司しか入ることができなかった至聖所に入っていけにえをささげた)、その弟エルアザルが大祭司となりました。

それから、このレビ族の記録でもう一つ重要なことは、彼らの場合は二十歳以上の男子ではなく一か月以上のすべての男子が登録されたということです。そして、彼らは、ほかのイスラエル人の中に登録されませんでした。なぜなら、彼らはイスラエル人の間で相続地を持たなかったからです。

Ⅲ.シナイの荒野で登録された者はひとりもいなかった(63-65)

そして63節から終わりまでがまとめです。「63 これがモーセと祭司エルアザルが、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、イスラエル人を登録したときにモーセと祭司エルアザルによって登録された者である。64 しかし、このうちには、モーセと祭司アロンがシナイの荒野でイスラエル人を登録したときに登録された者は、ひとりもいなかった。65 それは主がかつて彼らについて、「彼らは必ず荒野で死ぬ。」と言われていたからである。彼らのうち、ただエフネの子カレブとヌンの子ヨシュアのほかには、だれも残っていなかった。」

これがこの章のまとめであり、民数記全体の要約でもあります。イスラエルの民は約束の地に入るためにエジプトから出てきたのに、その地に入ることができたのはヨシュアとカレブ以外は誰のいなかったという事実です。彼らは、約束のものを受けていたのに、その約束にあずかれなかったのです。なぜでしょうか?「彼らは必ず荒野で死ぬ」(14章)と言われたからです。神は彼らを約束の地に導くと行ったのに、彼らはそれを信じないで十度も主を試みたので、主はそのように言われたのです。

これは本当に厳粛な話です。私たちがどんなに信仰の恵みに預かっても、不信仰になって主を何度も試みるようなことがあれば、約束の地に入ることはできないのです。パウロはこのことを第一コリン10章でこう言っています。

「そこで、兄弟たち。私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの先祖はみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。にもかかわらず、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。これらのことが起こったのは、私たちへの戒めのためです。それは、彼らがむさぼったように私たちが悪をむさぼることのないためです。あなたがたは、彼らの中のある人たちにならって、偶像崇拝者となってはいけません。聖書には、「民が、すわっては飲み食いし、立っては踊った。」と書いてあります。また、私たちは、彼らのある人たちが姦淫をしたのにならって姦淫をすることはないようにしましょう。彼らは姦淫のゆえに一日に二万三千人死にました。私たちは、さらに、彼らの中のある人たちが主を試みたのにならって主を試みることはないようにしましょう。彼らは蛇に滅ぼされました。また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:1-13節)

パウロはここで、彼らの父祖たち、すなわち、イスラエルの民が御霊によって神の約束のものを手に入れたのに、最終地まで到達することなく、荒野で滅ぼされてしまったのは、私たちへの戒めのためであると言って、7節からその要因を列挙しています。それは金の子牛を造ってそれを拝んだことや、バラムのたくらみによってモアブの女たちと姦淫を行い、その結果、モアブの神々を拝んでしまい、一日に二万三千人が死んだという出来事、さらには、ある人たちがつぶやいたのにならって、つぶやいたりしたことです。これはコラたちの事件のことでしょう。私たちはこれらの出来事一つ一つを見てきました。それらのことによって、イスラエルの民はせっかく神から約束のものを手に入れていたのに、それを受けることができなかったのです。そしてそれは私たちへの教訓のためでした。ですから、立っていると思う者は、倒れないように気を付けなければなりません。

私たちは今世の終わりに生きています。世の終わりになると困難な時代がやって来るということをイエス様も、またパウロも語っています。いつ倒れてもおかしくない状況に置かれているのです。自分は大丈夫だと思っていても、そうした傲慢な思いが神様のみこころにかなわない場合があります。それなのにいつまでもかたくなになっていると、この時のイスラエルのように約束の地に入ることかで゛きなくなってしまいます。倒れてしまう可能性が十分にあるのです。けれども神は倒れないようにするための約束も与えておられます。それが13節です。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

神が与えておられる試練は必ず耐えることができるものです。耐えられないような試練は与えません。耐えることができるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。この約束を信じて、いつまでも神様の道に歩まなければなりません。もしその道から外れてしまうことがあったら、すぐに悔い改めて、もう一度立ち返る必要があります。そうすれば、主はあなたを赦し、あなたを受け入れてくださいます。いつまでもかたくなになって悔い改めないなら、かつてイスラエルが荒野で滅びたように、約束のものを手に入れることはできません。それがヘブル人への手紙3章13節から19節までのところに進められていることです。
「「きょう。」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」と言われているからです。聞いていながら、御怒りを引き起こしたのはだれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た人々の全部ではありませんか。神は四十年の間だれを怒っておられたのですか。罪を犯した人々、しかばねを荒野にさらした、あの人たちをではありませんか。また、わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。」

私たちは、この世の歩みの中でいろいろな試練を受けますが、しかし、「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしたいと思います。そして信じた時に与えられた最初の確信を最後まで保ちたいと思います。聞いていてもその御言葉が信仰によって結び付けられることなく滅んでしまうことがないように、いつも柔らかな心をもってみことばに聞き従う者でありたいと思います。