使徒の働き16章11~18節 「心を開かれる主」

 きょうは、「心を開かれる主」というタイトルでお話したいと思います。きょうの聖書箇所は、「そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた」(11節)ということばで始まっています。パウロとシラスは、ルステラでテモテを、トロアスでルカをその伝道旅行の仲間に加えると、神様がマケドニヤで伝道するように自分たちを招いておられると確信して、トロアスから船に乗り、サモトラケに直行し、その翌日ネアポリスに到着しました。それから十数キロメートル離れたピリピへと向かうと、そこで二人の女性に出会います。一人はテアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという人で、もう一人は占いの霊につかれていた若い女奴隷です。この二人の女性から教えられることは、主に心を開くことの大切さです。ルデヤは主に心が開かれてパウロが語る事に心を留めるようになり、主を信じてバプテスマを受けました。そして、その喜びのゆえに彼らを自宅に招き、心からのもてなしをしました。一方の占いの霊につかれた女奴隷は、確かにいと福音を宣べ伝えていたパウロの伝道の働きを認めていたかのようでしたが、実際にはそうではありませんでした。そこには主イエスとの関わりや救いがなかったからです。

 きょうは、このところから主に心が開かれることについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、主に心が開かれたルデヤについてです。第二のことは、そのように心が開かれたルデヤがどのように変えられたについてです。そして第三のことは、パウロによって占いの霊を追い出された女奴隷の問題についてです。

 I.主に心を開かれたルデヤ(11-14)

 まず第一に、主に心を開かれたルデヤについて見ていきたいと思います。11~14節に注目していただきたいと思います。

「そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。」

 聖霊に導かれ、海を渡ってマケドニヤの土を踏んだパウロ一行は、ピリピという町に向かいました。それは、この町がマケドニヤ地方の第一の町で、植民都市であったからです。パウロの伝道のやり方をみますと、いつもこのようなやり方をしていることがわかります。すなわち、最初は大きな町で伝道し、そこから次第に中小都市へ、そしてやがて町々、村々へと及んで行くやり方です。マケドニヤ州の首都はテサロニケでしたが、彼がまず最初にこのピリピを伝道地として選んだのは、この町が上陸したネアポリスから十数キロメートルしか離れていない非常に近いところにありこのマケドニヤ州最大の都市であったということ、そして何よりもこの町がローマの植民都市であったからです。

 植民都市というのは、小さなローマがそっくりそのまま移って来たような町という意味です。このピリピは、その昔、アレクサンダー大王の父、フィリップ2世が作った町で、その名にちなんで「ピリピ」と呼ばれるようになりましたが、
のちに紀元前41年に、ローマのオクタビアヌス、アウグストがピリピ戦争で勝利すると、これを植民都市としてローマの軍人たちを住まわせ、ローマ市民がローマで受けていたのと同じ特権が受けられるようにしたのです。まさしく小ローマです。ヨーロッパでの伝道を目指していたパウロにとっては、この小ローマとも言うべきピリピは、かっこうの伝道の町だったのです。

 パウロは、このピリピにやって来ると、その町に幾日か滞在しました。そしてある安息日に、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話をしました。なぜそんな所にわざわざ行ったのかというと、会堂がなかったからです。ユダヤ人の男が十人もいればユダヤ教の会堂が建てられると言われていましたが、この町はピリピ戦争の退役軍人で作られた植民都市でしたから、ローマ色が圧倒的に強かったのに対して、ユダヤ人の数は微々たるものだったので、会堂がなかったのです。このようなとき、ユダヤ人はどうしたかというと、町の外の川岸に、祈りの場を作っていました。この祈りの場というのは、時には囲いがありましたが、その多くは囲いもなく、川のほとりを祈り場にしているだけでした。神を敬っていた敬虔な人たちは、安息日になると、この祈り場にやって来ては礼拝をささげていたのです。パウロたちがその祈り場を捜して行ってみると、そこにはほとんど婦人たちしか集まっていませんでした。そこでパウロは、そこに腰をおろし、集まっていた婦人たちに話をしたのです。

 するとそこに、「テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという」女性がいました。「テアテラ」というのは、以前パウロが伝道しようとして果たせなかったアジア州にある町です。この町は昔から染物工業が盛んで、特に「紫布」は、王侯、貴族、ローマの軍人、ローマ市民にちょうほうされた高級品でした。ローマ軍人が多かったこのピリピにかっこうの市場があるということで、商売のためにテアテラからやって来たのでしょう。なかなかやり手というか、行動的な婦人です。

 けれども、このルデヤについてもっと特徴的な点をあげるとすれば、それは彼女が「神を敬う」女性であったということです。この「神を敬う人」とは、ユダヤ人ではなくてもユダヤ教の唯一の神を信じ、安息日には会堂に行って神を礼拝していた異邦人のことです。おそらく彼女は、テアテラにいた時にユダヤ教に帰依していたのでしょう。積極的に商売をするといった忙しい生活の中にあっても、その中心を占めていたのは神礼拝でした。この日も安息日でしたので仕事を休み、神を礼拝するために、この祈り場に来ていたのです。何人集まっていたかはわかりません。まだ会堂もない小さな集会です。しかし、そこに何人集まっていようと関係ありませんでした。彼女にとっての関心は、聖書に記されてあるように、安息日を覚えてこれを聖なる日をすることでした。そのような敬虔な思いでこの祈り場にやって来たのです。そして、そのような敬虔な思いが、パウロとの出会いへと導きました。。

 パウロが腰をおろし、そこに集まった人たちに説教すると、この敬虔なルデヤは、じっと耳を傾けて聞いていましたが、主は彼女の心を開き、パウロの語る事に心を留めるようにしてくださいました。これは非常に重要なことです。そこには何人かの人がいました。そこにいた人たちはみな旧約聖書の神を信じていたはずです。みんな祈っていました。そして、みんな同じ説教を聞いていたのです。しかし、その説教によって救われたのは、主が心を開いて、みことばに心を留めるようにされた人だけでした。みんな同じ話を聞いても、みんなが信じるかというとそうではありません。主によって心が開かれた人だけなのです。

 この「心を開く」ということばは、ルカの福音書24章31節のところで「彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」とか、同じ ルカの福音書24章45節のところで「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いた」と記されてあることばと同じことばです。つまり、本当の意味で聖書を悟るためには、聖書を読み、説教を聞く人の心が開かれることがなければならないのです。というのは、聖書は、神がご自分のことを知らせるために与えられた神の霊感によって書かれた書だからです。ですから、この聖書がわかるためには、それを翻訳したり説教したりするといった外側からの働きかけと同時に、私たちの内なる心に神が働きかけてくださり、その心を開いてくださるということがなければ難しいのです。心が開かれることがなければそれはいつまでも封印された書であり、説教もつまらないただの講義にしかすぎないでしょう。しかし、聖霊によって心が開かれた人には、目から鱗、そこから日々新たに神の恵みを感じながら生きることができるようになるのです。復活の主イエスは、エマオに向かって歩いていたふたりの弟子たちの心を開いて聖書を悟らせたように、このピリピの町でもルデヤの心を開いて、パウロの話に心を留めるようにしてくださいました。それと同じように、今の私たちにも、心を開いてくださるのです。

 よく私たちは「礼拝において主に出会う」と言いますが、それは具体的にどういうことかというとそれは何よりも、説き明かされたみことばを通してその意味がわかるということです。そして、目が開かれてその中に記されているのは救い主イエスだとわかることなのです。たとえば、創世記の中に、石を枕にして寝ていたヤコブは眠りからさめると、「まことに主がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった。」と言った。」「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」(創世記28:16,17)と言ったことが記されてありすますが、このように、まさに「ここに主がおられる」ということがわかることです。あるいはエマオの途上で、あのふたりの弟子たちの目が開かれ、「イエスだとわかった」ように、私たちもこの封印された書の説き明かしを聞いて、「これはイエスである。イエスは私の救い主である」とはっきりわかることなのです。そのとき、私たちの心は、主の御手にふれられて開かれているのです。そういう主との出会い、主の御手のふれあいを求めながら、聖書を開き、説教を聞かなくてはなりません。

 イエス様は、そのような心について教えられたとき、種まきのたとえを話されました。種を蒔く人が種蒔きに出かけました。「蒔いているとき、道ばたに落ちた種がありました。すると鳥が来て食べてしまいました。別の種が土の薄い岩地に落ちました。すると土が深くなかったので、すぐに芽を出しましたが、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまいました。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまいました。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びました。(マタイ13:4~9)

 これはいったいどういう意味でしょうか。御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行ってしまいます。またみことばを聞いてすぐに喜んで受け入れても、自分のうちに根がないと、しばらくの間は大丈夫ですが、やがてみことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまうのです。土の薄い岩地だからです。またみことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐと、なかなか実を結ぶことができません。それらがいばらのように成長を塞いでしまうからです。しかし、良い地に蒔かれた種、すなわち、みことばを聞いてそれを悟る人は、ほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのです。(マタイ13:19~23)すなわち、聞き方に問題であるということです。

 説教者によってみことばが語られるとき、それに「応答」するような弾力性のある心には、主が必ず働いてくださいます。そして、その心を開いてくださるのです。逆に言うならば、どんな説教を聞いても、少しも感動しないというのは、その人の心が固く閉ざされているからなのです。そのような人はどこに問題があるのかを考えながら、そうしたかたくなな心が砕かれるように祈らなければなりません。そして、田んぼの土を耕すように心の畑を耕して、柔らかい心でみことばを聞かなければなりません。心に植え付けられたみことばをすなおに受け入れなければならないのです。そうすれば神が働き、そのみことばによってたましいを救ってくださるのです。

 Ⅱ.忠実な者(15)

 ところで、主によって心が開かれ、パウロが語ることに心を留めるようにされたルデヤはどうなったでしょうか。15節をご覧ください。

「そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください。」と言って頼み、強いてそうさせた。」

 主によって心が開かれ、パウロの語ることに心を留めたルデヤは、彼女も、またその家族もバプテスマを受けました。既にユダヤ教の唯一の神を敬い、そのユダヤ教に帰依していた彼女が、信じてバプテスマを受けるとはいったいどういうことなのでしょうか。それは、旧約聖書がずっと語り、彼らが待ち望んでいた救い主こそイエスであると信じることです。たとえ旧約聖書に記された全能の神を信じていても、そこに記されてあるメシヤこそイエスであると信じなければ、それはほんとうの意味で聖書に記されてある神を信じることではありません。なぜなら、イエス様ご自身が「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)とか、「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです」(同12:44)と言われたからです。だれでも、イエス様を通してでなければ救われません。神を信じるということは、このイエスを救い主として信じることなのです。この時パウロがどんな説教をしたかはわかりませんが、その中心はイエス・キリストだったはずです。あのユダヤ人が十字架につけて殺したイエスこそ、救い主であったということです。その十字架の死こそ、私たちの罪のための身代わりの死でした。おそらく、パウロの説教の中心は、この十字架につけられて死なれたキリストとはいったい誰だったのか?ということだったに違いありません。そして、ルデヤはその話に心開かれ、イエスを救い主として喜んで受け入れたのです。そして、彼女は自分だけでなく、自分の家族も信じるように配慮しました。ここには夫のことが出てきませんので、おそらく夫はもう死んでいなかったのかもしれません。その夫との間に生まれた子どもや、その家で働く人たちも、一緒に信じてバプテスマを受けました。

 信じてバプテスマを受けたルデヤはどうなったでしょうか。ここには「私を忠実な者だとお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と頼み、強いてそうさせた」とあります。彼女は、主の前に忠実な者として歩みたいと、パウロたちを強いて自分の家に招いたのです。パウロたちを自分の家に招くことが、どうして忠実な歩みだと言えるのでしょうか。それは、そのことがパウロとともに福音宣教にあずかることであり、パウロたちと同じように多くのの犠牲と苦しみを伴うことだったからです。

 パウロは初めからヨーロッパでの伝道を計画していたわけではありませんでした。ですから、そのための資金が十分あったかというとそうではありません。現に彼はコリントに行った時には天幕作りをしながら、その必要を満たしました。こうしたパウロたちの伝道にとって必要なものを、少しでも満たして助けたいと思うのは、この福音によって救われた人の自然な姿ではないでしょうか。彼女は、福音のすばらしさがわかりました。わかったからこそ、自分もまたその福音のために生きる者でありと願ったのです。自分をこのすばらしい救いに導いてくれたパウロを、もう全くの他人と考えることなどできませんでした。自分もパウロの宣教にあずかるために、パウロの犠牲と苦しみにあずからせてもらいたいと思ったのでしょう。それがこの「もてなし」という行為に表れたのです。

 これは、決して一時的な感激や感情にすぎなかったのではありません。パウロがのちにピリピ人への手紙の中で、「あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。」(1:5)と言っているように、その後もずっと続けられた愛の行為でした。それはまさに信仰から出た愛と献身の表れだったのです。信仰とは、実にそのようなものです。決して一時的な感激で終わってしまうものではないのです。「最初の日」から「今日に至るまで」ずっと続けられてきたことの中に、このルデヤがどれほどの救われた喜びが溢れていたかがわかります。そして、ここが根拠地となってピリピでの伝道は進んでいき、やがてここに立派な教会が建て上げられていったのです。

 今日、教会はご婦人の方々ばかりで、男性が少ないという嘆きをよく聞きます。しかし、キリスト教会にとって、ご婦人というのは、実は、きわめて大きな力でした。ご婦人パワーです。これがキリスト教会を支えてきたのです。たとえば、ローマ人への手紙16章2節には、ケンケレヤの女性執事であったフィベを、「多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です」と紹介していますし、4節では、アクラとプリスキラ夫妻のことを、「自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです」と紹介しています。ここではアクラとプリスキラとではありません。「プリスキラとアクラ」です。奥さんのプリスキラの方が先に名前が出てきています。それだけ熱心だったということでしょうか。また、13節では、ルポスの母を「私の母」とまで呼んでいます。おそらくルデヤは、こうしたパウロの働きを助けてくれた良き理解者、協力者、母、友となった人たちの最初の人だったのでしょう。実に美しい信仰に生きた女性でした。

 佐藤彰先生が書かれた「祈りから生まれるもの」という本の中に、あるご婦人のことが紹介されています。この方は由緒ある家に育ち、福島の古い家に嫁いで来ました。その家も由緒ある事業家の家で、お寺の檀家総代でもありました。田舎なので家族は二十人。その中で一人だけクリスチャンになったものですから、大変な反対がありました。姑に呼ばれて、「あなたは檀家総代の長男の嫁です。もしキリスト教信仰を続けるなら離縁するから出てゆきなさい」と、夜中の十二時まで説得されたそうです。そしてそれから半年の間は、家族から一言も口をきいてもらえなかったと言います。
 食事も別でした。もちろん教会にも行けません。祈りもできなかったそうです。トイレに入って聖書を読んでいると、偵察に来るのだそうです。そんな監視つきの生活にもかかわらず、このご婦人は決してあきらめませんでした。むしろ睡眠時間を三時間に削って、ゴミ一つ落とさないような完璧な家事をしたそうです。その結果、お姑さんの心が溶けたのです。「おまえが喜ぶのは、着物を買うことじゃなくて、教会に行くことだろう。教会に行ってもいいよ」と言ってくれました。
 やがてこの家もキリスト教の家になりました。インテリだったご主人も救われ、召される数時間前に奥さんの手を握りながら「僕はイエス様を信じているから心配するな。ありがとう」と言ったそうです。田舎の、固い岩地でも神様が壁を乗り越えさせてくださったのです。
 やがてこのご婦人が乳ガンになりました。リンパ腺まで取る大手術をしました。その後肺に転移し、抗ガン剤を用いて癌と闘いました。大手術のあと、月曜日から土曜日までを病院で療養し、日曜日には特急電車に1時間を揺られて教会にやって来て、礼拝に出席しました。退院するやいなや、再び礼拝の奏楽者として復帰し、ワープロや訪問などの奉仕にも勤しみました。さすがの牧師も気を使って、「姉妹、あまり奉仕しなくてもいいですから」と声を掛けると、「先生。私から奉仕を取らないでください」と嘆願されたそうです。それはこのご婦人の中に、イエス様によって救われた喜びが溢れていたからです。やがて小高という町と富岡という町にあった土地をささげ、そこには今、立派に教会堂が建っています。

 教会では、男であるかとか女であるかということが問題なのではありません。男でも女でも、主に「忠実な者」であることを願うなら、兄弟たちを助けて大いなる奉仕をするはずです。教会を建て、教会の土台としてふさわしい色どりを刻み付けるほどの貢献をすることができるのです。

 Ⅲ.主の愛にふれられて(16-18)
 
 ですから、第三のことは、この主イエスの愛にふれられてということです。16~18節までをご覧ください。

「私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです。」と叫び続けた。幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると即座に、霊は出て行った。」

 パウロたちのピリピでの伝道はルデヤが救われた後も幾日か続きましたが、その中でもう一つの不思議なことが起こりました。パウロたちが祈り場に向かっていた時、占いの霊につかれた若い女奴隷と出会いましたが、この女奴隷はパウロたちのあとを着いて来ては、「あの人たちは、いと高き神のしもべで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と大声で叫び続けるので困り果て、イエス・キリストの御名によって、その女から霊を追い出してしまったというのです。いったいパウロはなぜこの女から占いの霊を追い出したのでしょうか。一見、この女がしたことは悪いことでもなかったように見えます。それは、彼女が叫んでいたことが、パウロたちがいと高き神のしもべたちで、救いの道を宣べ伝えていたという内容のものだったからです。特に、パウロのピリピでの伝道の様子を見ると、それは必ずしも華々しいものではありませんでした。そこは小ローマといわれていたローマの植民都市で、ユダヤ教の会堂もない町でした。聖書の話をしても誰も見向きもしてくれませんでした。そんな時、よく占いが当たると評判の占い師がこのように宣伝してくれたとしたら、どんなにありがたいことかと思います。仮に、大田原で町中の人気をはくしている占い師がいて、その人が「皆さん。この大橋さんはいい人ですよ。この人はまことの神のしもべで、救いの道を皆さんに伝えていらっしゃるんですよ。ちょっとせっかちなところもありますが、言ってることはまともです。間違いないです。ですからよく聞いてくださいな。」とかと言って紹介してくれたとしたら、みんな心を開いて聞いてくれるのではないかと思って喜ぶのではないかと思います。なのにパウロはこの女の叫び声に困り果てて、彼女から悪霊を追い出してしまいました。どうしてでしょうか。

 それは第一に、うるさかったからです。ここで悪霊が女奴隷に叫ばせた言葉の内容は決して間違ったものではありませんでしたが、しかし、その動機が間違っていました。なぜなら、悪霊はその内容がどういうことかということよりも、パウロたちの宣教の邪魔をしようと企んでいたからです。もしそれが正しいことならば、彼女自身が主イエスを信じ、主のみこころに従って生きようとしたはずです。しかし、彼女の中にそのような気持ちは全くありませんでした。それこそ、それが主の霊によって語られたことではなく、悪しき霊によるものであることの証拠です。現代の恐るべき過りの一つは、このように中味が正しければだれが語ろうと、どんな動機で語ろうと構わないと考えてしまうことです。しかし、真理というのはそれが正しいというだけでなく、それを語ろうとしている人がどのような動機で語ろうとしているかも問われるのです。その真理に自分自身も従おうという気持ちがなければ、それはほんとうの真理とは言えないのです。

 もう一つのことは、このように異教的占いに関わってきた彼女が言い広めるかぎり、この「いと高き神の救いの道」も異教的な神々として理解される恐れがあったからです。「いと高き神」というような呼び名は、実はローマやギリシャの神々にも使われていました。「救い」も、ギリシャやローマの宗教でも唱えられていたものです。ですから、このような占いの霊にとりつかれている人が語ることによって、その神自体が異教の神と誤解される危険性があったのです。

 このように考えると、この占いの霊につかれていた女奴隷が叫んでいたことは間違ってはいなかったように見えますが、大きな問題がありました。それは、彼女が叫んでいたことはことばだけであって、中身がなかったということです。そこにはキリストの救いはありませんでした。主に心が開かれていなかったのです。
この女奴隷が叫んだ「いと高き神」と、パウロが語る救い主イエス・キリストとの間には大きなズレがあったのです。

 それはルデヤの場合も同じでした。彼女も前から「神を敬う」女性で、パウロに出会う前から、旧約聖書の教える天地の造り主なる神を信じていたはずです。けれども、そうした神知識だけでは十分ではなかったのです。そこには救いはありませんでした。救われるためにはイエス・キリストによって心が開かれ、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストによって迷信の心を追い出していただかなければなりません。キリスト教信仰というのは、そのようにイエス・キリストと出会い、イエス・キリストとふれあうことによってのみ持てるものなのです。「私も神様を信じている」という人は結構多くいますが、そのようなただの神信仰、いと高き神信仰、唯一の神信仰と、キリスト教信仰というのは全然違うのです。どのように違いますか?キリスト教信仰というのは、聖書が言っているようにただ「イエス様が私たちのために十字架にかかって死なれ、私の代わりに罪を贖い、私のためによみがってくださるほどに、イエス様は私を愛してくださった」という、イエス様と私とのかかわり合いが生まれた時にだけ、成立するものなのです。ルデヤは信仰に入るや否やあんなに献身的に献げ、奉仕をしたいと願ったのは、実に、この主イエス・キリストが私のために呪われた者となってまで死んでくださった。キリストが私のために贖いの死を成し遂げてくださった。主イエス・キリストが私のためによみがえってくださり、永遠のいのちを実証してくださった。主が私の心に手を差し伸べ、主が私の心を開いてくださった。この主イエスへの人格的、個人的な感謝が溢れていたからだったのです。このお方のためならわが身もわが家もささげても惜しくない、という思いを抱いたからだったのです。

「正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:7,8)

 まさにそのとおりです。私たちにしても、正しい神に対して、恐れおののきはしても、死ぬほどの愛を感じるということはありません。情け深い神のためなら、あるいは進んで死ぬ気にもなるかもしれません。しかし、私のために十字架にかかり、私の心に御手をふれるまでに愛してくださった主イエス・キリストのためになら、身もたましいも家もいっさいをささげて悔いはないのです。

 スウェーデンの作家ラーゲルクヴィストは、「バラバ」という小説を書いて、ノーベル賞をとりました。バラバについては、イエス様に代わって恩赦を受け釈放された囚人であったことが聖書に記されています。
 「クリスチャンたちは、キリストが全人類のために死んだと言っているが、それは違う。彼はおれのために死んだのだ。事実彼が死んだことにより命拾いしたのは、このおれだ」
 そして、それまで人を踏み台にして快楽を手にすることが人生だと思ってきた彼が、一番大事だったはずの自分の命をキリストのために投げ出して死んでいくのです。

 キリストの十字架の死に出会う時、「すべては自分のため」から、「すべてはキリストのため」に変えられるのです。ルデヤは、このキリストの愛に触れたのです。それは私たちも同じです。私たちが本当の意味で変えられるのは、イエス・キリストが私のためにしてくださったことがわかる時です。イエス様が十字架にかかってまで死んで、私を愛してくださったということがわかるとき、私たち自身も変えられ、「すべてはキリストのために」生きることができるようになるのです。どうか、この主イエス・キリストに対して心が開かれる者でありますように。そして神が私たちの心を開き、主の十字架の愛をもって救いの恵みを私たち一人一人に豊かに、そして確かに注いでくださいますように。そのとき、主のものとしての私たちの人生が、新しくこころから始まっていくのです。

使徒の働き16章6~10節 「聖霊に導かれて」

 きょうは「聖霊に導かれて」というテーマでお話をしたいと思います。マルコを連れて行くかどうかで激しく対立したパウロとバルナバは、結局、互いに別行動を取るようになりました。バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを伴ってシリヤおよびキリキヤを通ってデルベに向かいました。第二回伝道旅行の始まりです。使徒の働きは、ここからパウロの姿が中心に描かれていきます。このようにしてデルベに向かったパウロは、次いでルステラに、さらにはイコニオム、ピシデヤのアンテオケと進んで行きましたが、そこからさらにアジアにも行ってみことばを語ろうとしたところ、聖霊によって禁じられるという経験をしました。仕方なくフルギヤ・ガラテヤ地方を通ってムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤの方に行こうと思いましたら、今度はイエスの御霊によってその道が閉ざされてしまいました。それで彼はトロアスという港町に下ったのですが、そこで一つの幻を見ました。それはひとりのマケドニヤ人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するものでした。そこでパウロはただちにマケドニヤに出かけていくことにしました。こうして福音が、アジアから海を渡ってヨーロッパへと進んで行きました。近代に至るまでのキリスト教の中心舞台がこのヨーロッパであったことを思うとき、この出来事は歴史上画期的なことだった言えます。そのような出来事がどのようにして起こったのでしょうか。それは神の特別な導きによるものでした。

 きょうはこの特別な神の導きについて三つの点から学びたいと思います。第一のことは、神は私たちの人生に計画を持っておられるということです。第二のことは、その神の計画は今はわからなくても、あとでわかるようになるということです。ですから第三のことは、聖霊に導かれて進みましょうということです。

 Ⅰ.神は私たちの人生に計画を持っておられる(6-9)

 まず第一に、神様は私たちの人生に計画を持っておられということを見たいと思います。6-9節をご覧ください。

「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、トロアスに下った。」

 パウロはシラスとともに、まずデルベ、次いでルステラに行き、そこでテモテを道連れにしてイコニオムへと進みました。おそらく次に、ピシデヤのアンテオケにも行ったでしょう。4節には、「さて、彼らは町々を巡回して、エルサレムの使徒たちと長老たちが決めた規定を守らせようと、人々にそれを伝えた」とありますから。これらの町々は、第一回目の伝道旅行の時に彼らが訪れた所でした。そうした町々を訪れて先の伝道で救われた人たちがどうしているかを見ながら、先のエルサレム会議で決まったことを伝えて、彼らを励まそうと思ったのです。これらの町々は、ローマ帝国の政治的区域名で、ガラテヤ州に属する町々でした。巻末の地図をご覧いただくとわかりますが、そのまま西に進んで行きますとアジア州と呼ばれる州があり、そこにはコロサイ、ラオデキヤなどの町々に加え、この州の州都であったエペソという大きな町がありました。このエペソはアンテオケによく似た町で、多くのユダヤ人が住んでいたギリシャ風の大都市でした。ですから、この町がパウロを引きつけなかったはずはないのです。おそらくパウロはそのエペソに行って伝道したいと思ったのでしょう。ところが、そのアジアでみことばを語ろうとしたら聖霊によって禁じられたのです。聖霊によって禁じられるとはどういうことなのでしょうか。このことを理解するために、もう少し先に進んでいきましょう。そのように聖霊によって禁じられた彼らは、フルギヤ・ガラテヤの地方を通ってムシヤに面した所にやってきました。フルギヤ・ガラテヤ地方を通ってムシヤに面した所にやってきたというのは、ピシデヤのアンテオケから西にではなく北に向かって進んだということです。そのムシヤに面したところに来たとき、彼らはさらに北上してビデ二ヤという地方に行こうとしましたが、、今度はイエスの御霊がこれをお許しにならなかったのです。何でしょうか?「イエスの御霊」とは?6節にある「聖霊」とは「イエスの御霊」のことですから、「聖霊がそれをお許しにならなかった」と言ってもよかったのに、ルカはここで「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」と言いました。「イエスの御霊」とは「聖霊」と同じ御霊のことです。なのにルカがこのようにわざわざ言い方を変えたのは、御霊の啓示の方法が異なっていたからではないかと思います。通常は「聖霊によって導かれた」というところをこのように「イエスの御霊によって導かれた」というとき、それは、昇天されたイエス様との関係で語られるという面が強いのだと思います。Iコリント15:45には、

「聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」

とありますが、この場合の「最後のアダム」とはイエス様のことを指しているのは明らかですから、この「生かす御霊」とは「イエスの御霊」のことを表しています。このように「聖霊」と「イエスの御霊」というのは言い方は違っても同じ御霊のことです。

 ところで、パウロはそのようにムシヤに面したところに来たとき、ビデ二ヤのほうに行こうとしたら、イエスの御霊によって禁じられたので、仕方なく北の方向ではなく西の方向に向かって進むことになり、結局、エーゲ海の港町トロアスに下ることになったのです。それにしても、あっちに行こうとしたら聖霊によって禁じられたり、こっちに行こうとしたらイエスの御霊によって禁じられたりというのは、いったいどういうことなのでしょうか。

 一つの可能性として考えられるのは、聖霊が直接、超自然的にパウロに語られたということです。この時代にはまだ聖書が完結していませんでしたから、神がご自身のみこころを示される時には、聖霊が直接語られることがありました。たとえば、10章に出てきたコルネリオの回心の出来事では、聖霊が御使いを通してペテロとコルネリオに直接語られました。そのように、聖霊が直接語られることがあったのです。それから、聖書がまだ完結していなかったこの時代、神は預言者を通してご自身のみこころを示されることがありました。たとえば、使徒13:2のところには、預言者を通して聖霊が、「パウロとバルナバをわたしのために聖別し、わたしが召した任務につかせなさい」と語られましたが、そのようにです。そのように、この時も聖霊が直接パウロに語りかけ、超自然的に告げられたのかもしれません。

 しかし、ここではそのような聖霊の具体的なことばは何も記されておらず、パウロたちがしようとすることに対してただ「こうするな」と禁じる否定的な不許可ばかりであることから考えると、聖霊が直接的にことばをかけたというよりも、何らかの事情で、そうせざるを得なかったとか、それが神のみこころではないということが示されたと考えた方がいいと思います。このように聖霊は、ことばだけでなく、ある事件や事情によって、パウロの計画を禁じたり、妨げたりされたのです。

 その事情とは何だったのでしょうか。はっきりはわかりません。しかし、10節のところに「私たち」ということばが記されてあるのはとても興味深いことです。というのは、ここからこの「使徒の働き」を書いたルカが同行していることがわかるからです。ご存知のようにルカは医者でした。そのルカがトロアスでパウロの一行に加わったということは、パウロかほかのだれかが病気にかかっていて医者であったルカの手当を必要としていたのかもしれないのです。事実、後に書いたガラテヤ人への手紙の中でパウロは、次のように言っています。

「ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。」(4:13~14)

 これはどのようにしてパウロがガラテヤに行って福音を伝えるようになったかということの理由ですが、この中でパウロは、それは「私の肉体が弱かったためでした」と言っています。これが最初の旅行の時なのか、この時のことなのかはわかりません。パウロ自身はあっちに行って、こっちに行って伝道しようと思っていたのですが、最終的に医者の手当てが必要だということで、トロアスにいたルカのもとに行かなければならなかったのではないかと思います。病気のために旅行の日程を変えなければならないということはよく起こることです。パウロにとっては「どうしてそのようなことが起こるのか」と随分思い悩んだことでしょう。それはサタンの妨げではないかと疑いがなかったわけではありません。しかし、後で振り返ってみたとき、そのことでかえって新しい道が開かれていったことを思うとき、それは確かに聖霊の導きであると結論付けることができたのです。なぜなら、このことによって、何と福音がヨーロッパにまでもたらされていくことになったのですから・・・。

 このようなことは、私たちの人生にもよくあることではないでしょうか。こっちに行こうとしていたのに急にその道が閉ざされたり、時には方向転換を余儀なくされるような事が起こります。そのようなとき私たちは「どうしてこんなことが起こるの」と思って悩んでしまいます。とりわけ主のためにと思ってやっているのに、その道が阻まれたりするような時はなおさら思うものです。そのようなとき私たちは、自分の思いはみこころと違うのではないかとか、自分の判断は間違っていたのではないか、サタンが自分の道を妨げているのではないか、時には自分は呪われているのではないかとさえ思い悩んでしまいます。しかし、聖書は「御霊によって禁じられたので」「イエスの御霊がそれをお許しにならなかった」というのです。時に足止めを食らったり、まわり道をさせられたり、試行錯誤を繰り返したりといったすべてのことが、御霊の導きの中で行われていくのです。
それは神は私たちの人生に計画を持っておられるからなのであって、そのことを通して新たな道へと導いておられるからなのです。であれば、私たちはそのことで思い悩まず、たとえ神のご計画の全貌がわからなくとも、この神にすべてをゆだねて進んでいかなければなりません。

 このあとで、パウロがピリピの町で占いの霊につかれた若い女性からイエスの御名によって霊を追い出すと、もうける望みがなくなった彼女の主人たちから訴えられ、牢に入れられるという出来事が起こります。キリストの御名によって悪霊を追い出し、その御名による救いを宣べ伝えていたパウロにとっては、どうしてそのようなことになったののかと思ったことでしょう。それでも彼らが牢の中で祈りと賛美をささげていると、突然、大地震が起こって、獄舎のとびらが全部開いてしまいました。それを見た看守はもうだめだと思って自害しようとしたとき、パウロが「自害してはいけない。私たちはみんなここにいる」と言いました。そこで看守が、「先生がた。救われるためにはどうしたらいいか」と尋ねると、パウロは言いました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と。すると看守はそのことばを受け入れ、その夜、彼と家族の者全部がバプテスマを受けたのです。パウロにとっては「どうして」と思うような出来事でしたが、そのことがむしろ、福音を受け入れるのが最も難しいとされていたローマの親衛隊が救われるという神の御業につながって行ったのです。それが神の計画だったのです。

 韓国サミル教会の牧師ジョン・ビョンウク師が書いた「パワー・ローマ書」という著書の中にこんな話が出てきます。ある漁村から沖へ出た漁船が、折りからの大風の中、真夜中になっても戻ってきませんでした。遭難したのです。いつ戻ってくるのかと心配した家族は、その家に集まって気をもみながら待っていました。ところが、そのように待っている間に、何と子供たちが遊んでいてろうそくを倒してしまい、その家が火事になってしまったのです。何という災難でしょうか。夫は遭難して行方不明、家は火事でまる焼けになってしまうとは・・・。
 ところが、一夜明けた翌朝、遭難したはずの船が戻って来たのです。船乗りたちの話では、大風で船が方向を失ったとき、突然、陸地の方から火の手が上がるのを見て、それで航路を定めて戻ることができたということでした。
 あの火事は災いだったのでしょうか。そうではありません。あの火事があったからこそ船は戻ることができたのです。それが神の計画だったのです。

 私たちの人生には「どうしてこんなことが・・・」と思うようなことがよく起こりますが、神を愛し、神のご計画に従って召された人にとってはそれは災いではありません。なぜなら、神がすべてのことを働かせて益としてくださるからです。大切なのは、神は私たち一人一人の人生に計画を持っておられることを知り、そのご計画に従って生きることです。

 Ⅱ.あとでわかるようになる(9-10)
 
第二のことは、あとでわかるようになるということです。9,10節をご覧ください。

「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。」

 アジアでみことばを語ることを禁じられ、ビテニヤに進もうと思ったら、今度はイエスの御霊によって禁じられ、仕方なくトロアスまで下って来たのは良いものの、パウロは伝道に対するある種の行き詰まりのようなものを感じ、一時的に失望していたことでしょう。そんな時、そのトロアスに滞在していたある夜、彼は一つの幻を見ました。それは、ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願しているものでした。

 この幻が何であったのかはわかりません。ある学者は、トロアスで一緒になったルカから対岸のマケドニヤの霊的貧困の状態をつぶさに聞かされたパウロが、それに刺激されて見た夢ではないかと考えていますが、その幻がどのようなものであれ一つだけ確かなことは、この幻がこれまでパウロが進もうとしていた道を聖霊によって禁じられ進路変更を余儀なくされたことの理由を明らかにするものであったということです。というのは10節のところでパウロは、その幻を見たとき、ただちにマケドニヤへ出かけていくことにしたからです。それは、神が彼らを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからです。

 この「確信する」と訳されたことばは、「いっしょに結び合わせる」という意味のギリシャ語で、いろいろな証拠から一つの結論を導き出すときに使われることばです。この時パウロは、これまでの事の成り行きに困惑していたことでしょう。アジアで伝道しようとしても、ビテニヤに行こうとしても、いろいろな理由でそれが妨げられて進んでいくことができなかったので、いったいこれはどういうことなのか?どうしたらいいのか?と思い悩んでいたに違いありません。そんな時、対岸マケドニヤ人の霊的貧困の話を聞き、伝道の必要性を痛感していたら、今度は夢の中でマケドニヤ人が「来て、助けてください」と叫んでいるのを見るのです。そうした一つ一つの出来事を結び合わせてみたら、そこに確かな一本の糸が見えてきたのです。それは、神が彼らをマケドニヤに招き、彼らに福音を宣べさせようとしておられたということでした。それで彼らはただちに出かけて行くことにしたのです。トロアスから船に乗ってマケドニヤのネアポリスまで。このようにしてイエス・キリストの福音が海を渡って初めてヨーロッパに伝えられていくことになったのです。聖霊によって道が閉ざされ、回り道をさせられたという出来事は、このためだったのです。パウロはそのことがはっきりわかりました。

 このように、私たちの人生に起こる様々な出来事は、神の国全体のご計画の中に組み込まれるとき、その一つ一つの出来事が大きな意味を持つようになるのです。それはちょうど巨大な壁画を飾るパズルのようです。最初はそれがどのような絵なのかはわかりませんが、一つ一つのパズルのピースが組み込まれていくとき、「ああ、こういうことだったのか」ということがあとで明らかになってくるのです。

 旧約聖書に出てくるエステルという女性もそんな経験をした人の一人です。舞台はペルシャという異国の地です。そこで美人コンテストが行われて見事に優勝。ペルシャの王アハシュエロスの妃になりました。それはエステルが望んでいたことではありませんでした。よりによってどうして異国の王妃にならなければならないのか、彼女にはさっぱりわかりませんでした。そのような境遇をどんなに呪ったことでしょう。
 そんなとき一つの事件が起こるのです。何とユダヤ人で彼女のおじさんのモルデカイが、王に仕えていたハマンという人物を拝まなかったことからユダヤ人を皆殺しにするということになってしまったのです。ユダヤ人絶滅の危機です。そのような絶滅の危機から救ったのがこのエステルでした。彼女はモルデカイからそのことを聞くも、王の許可がなければ王の前に出ることが許されていない中、自分がこのように王妃となったのはこのためだったのかもしれないと、命をかけて王の前に出て、ユダヤ人を救ってくれるようにと懇願するのです。そのエステルの願いは聞かれ、ユダヤ人は絶滅の危機から救われ、逆にユダヤ人を皆殺しにしようとしたハマンは木に掛けられて殺されました。
 エステルははじめ、自分がなぜペルシャの王妃にならなければならないのかがさっぱりわからなかったでしょう。しかし、そうした一つ一つの出来事を神の国のご計画の中で組み込んで見たとき、その意味がはっきりわかったのです。

 ルツもそうでした。ルツはモアブの女性でしたが、ききんのためユダヤのベツレヘムからやってきたナオミの子と結婚して一緒に暮らしていました。ところが、その夫が死んでしまいました。失意の中でユダの地に戻ろうとしていたナオミはルツに、自分の家に帰るように勧めましたが聞く耳を持たず、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」と言って、ユダの地について来ました。姑ナオミといっしょにユダに地にやって来たルツは、そこで落ち穂を拾ってナオミを助け、生計を保っていました。「15,16,17と私の人生暗かった」という歌がありますが、ルツの人生はお先真っ暗という感じの生活が続きました。なんのために生きているのかさえもわからなかったでしょう。しかし、やがて一つの転機が訪れました。落ち穂を拾っていた畑の主人ボアズと出会ったのです。やがて二人は結婚して子供が生まれました。それがダビデの父エッサイの父のオベデでした。やがてこのダビデから救い主が誕生してくるのです。マタイの福音書1章を見ると、あのキリストの系図の中にこの異邦人ルツの名前がちゃっかりと連ねているのがわかります。彼女も、自分がなぜナオミの息子と結婚しユダの地までやって来て彼女を養わなければならなかったのかさっぱりわからなかったでしょう。しかし、ボアズと出会って結婚したとき、「ああ、こういうことだったのか」ということがわかったのです。もっとはっきりわかったのは、おそらく死んで天国に行ってからのことでしょう。今ごろエステルも、ルツも、神様がなされた御業を見て、「神様ってすごいわね」と語り合っているのではないかと思います。

 娘がまだ小さい時、プラレールというおもちゃを買って遊んだことがあります。プラスチックのレールをいくつもつなげて大きなレールを作り、その上を新幹線を走らせるというものです。山あり、橋あり、トンネルありと、なかなかススリングなおもちゃでした。ずっと寝そべって見ているこどもは、トンネルから急に飛び出してくる新幹線に絶叫しました。そんな娘に私は、「いいかい。もうすぐ新幹線がトンネルから出てくるから見てて。3,2,1,ほら」というと、本当に新幹線が出てくるので、こどもたちがびっくりして「お父さん、すごい。どうしてわかったの?」と聞くのでした。調子に乗って、「いいかい。もう一回出てくるから見てて。3,2,1ほら。」というと、「なんだ。上から見てるからわかったのか・・・」とがっかりです。
 そうです。上から見ているのです。上から見てその全体像を見ている中で新幹線の動きを言っただけでした。

 神様も同じです。神様は私たちのような近視眼的な味方ではなく、神の国全体を見渡した中で最善の計画をもっておられるのです。それが今どのようなものなのかがわからなくても、やがてわかるようになります。パウロが「確信した」ように、私たちも「そういうことだったのか」と確信できる時がやってきます。ですから、たとえ今の時点ですべてのことがわからなくても、神様は最善に導いておられると信じて、神様が導いてくださるままに進んで行かなければなりません。

 Ⅲ.聖霊に導かれて(10)  

 最後に、このような聖霊の導きに対して私たちはどうあるべきなのかを見て終わりたいと思います。もう一度10節に注目してみましょう。マケドニヤに渡って来て、自分たちを助けてくださいと懇願する幻を見たパウロはどうしたでしょうか。ただちにマケドニヤへ出かけることにしました。パウロはこうした聖霊の導きにいつも敏感に従いました。それは彼がマケドニヤに出かけて行った時だけでなく、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた時も、あるいは、ビテニヤのほうに行こうとした時にイエスの御霊によってその道が閉ざされた時も同じでした。この時、もしパウロがアジアでの宣教にこだわっていたら、また、あくまでもビテニヤに行って伝道しようとしていたらどうだったでしょうか。ヨーロッパに福音がもたらされることはなかったでしょう。いや、もしかしたら別の方法でもたらされていったかもしれません。しかし、神が望んでおられた方法は、このようにパウロたちによって伝えられていくことだったのです。そのような聖霊の導きに対して、パウロは個人的な思いや人間的な感情にとらわれたりせず、絶えず神の御声に耳を傾け、その御声に従ったのです。その結果、福音が全世界に向かって前進して行ったのです。これがみこころに生きる者の姿です。

 アメリカン・フットボールのインディアナポリス・コルツの監督であるトニー・ダンジーは、息子さんが亡くなったとき深い悲しみに沈みました。しかし、彼は葬儀場で慰めに来た人々にこう言いました。
「皆さんにお伝えしたいことがあります。師はここで涙を見せていますが、この涙は悲劇の中でなされるお祭りです。なぜなら、私たちの人生の目的と意味は、ただイエス・キリストにあるからです。今、この瞬間にも主は私と皆さんの中にその愛を現してくださいます。なぜ私にこのようなことが起こったのかも、なぜ息子が死んだのかも私にはわかりません。しかし、神がその答えを持っておられることと、そして変わらずに私を愛しておられること、そして私のためにご計画があることを知っています。私は「なぜ」の代わりに、「何を」と質問するようになりました。「私がこれを通して何を学べるのか」「私がこれを通して神の栄光のために何をすることができ、ほかの人を助けるために何をすることができるのか」と質問しながら歩んでいます。」
 
 みことばを注意深く聞くとはこういうことです。どのようなことであっても、その出来事の本当の目的に気づき、いつも真実な心でみことばを聞くことなのです。そうすれば、信仰の年を重ねるごとに、私たちの人生にさらに多くのものが与えられる恵みを味わうことができるのです。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

 神が私たちに持っておられる計画は災いではなく、平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのものです。そう信じて、聖霊に導かれながら神様に示された道を一歩一歩踏みしめながら進んで行きたいと思います。

使徒の働き16章1~5節 「すべては福音のために」

 きょうは「すべては福音のために」というタイトルでお話したいと思います。1節には、「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。」とあります。「それから」というのは、エルサレム会議の後で、第二回目の伝道旅行にマルコを連れて行くかどうかでパウロとバルナバとの間に反目が生じ、結局、バルナバはマルコを連れてキプロスに、パウロはシラスを連れてシリヤ、キリキヤに向けて出発することになりましたが、「それから」ということです。それからパウロはデルベに行き、次いでルステラに行きました。「使徒の働き」の記述はこれ以降、バルナバの働きは姿を消し、もっぱらパウロの働きが中心に描かれていきます。それは、この使徒の働きを書いたルカがパウロの弟子であり、実際、彼と一緒に伝道旅行に同行していたからであって、バルナバが間違っていたからではありません。もしルカがバルナバと一緒に行動を共にしていたら、きっとバルナバが中心に描かれていたこでしょう。しかし、彼はパウロと一緒でした。ですから、パウロを中心に描いているわけです。そのパウロがデルベ、ルステラに行ったとき何があったのでしょうか。そこでテモテという青年に出会い、彼を伝道旅行に連れていくようになるわけですが、そこで一つの出来事が起こりました。このテモテに割礼を受けさせたのです。救われるためには割礼などの旧約聖書の律法は必要ないとあれほど主張していたパウロが、いったいどうして割礼を受けさせたのでしょうか。

 きょうは、このことについて三つのポイントでお話したいと思います。第一のことは、テモテの人となりです。彼はとても評判の良い人でした。第二のことは、パウロはなぜこのテモテに割礼を受けさせたのかについてです。そして第三のことはその結果です。すなわち、福音のために生きる時、そこに大いなる神の御業が現れるということです。

 Ⅰ.評判の良い人(1-2)

まず第一に、1,2節をご覧ください。

「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった。」

 二回目の伝道旅行に出かけたパウロは、故郷タルソのあるキリキヤ地方を通り、諸教会を力づけると、そこからタウルス山脈を越えて、デルベに向かいました。そこから第一回目の時に行ったピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラの町々を、今度は逆にたどって行ったのです。すなわち、デルベからあの石で打ち殺されそうになった思い出の地ルステラへとです。すると、そこにテモテという弟子がいました。彼は先の伝道旅行の時、母や祖母とともにイエス様を信じてクリスチャンになっていたのでしょう。パウロが二回目に訪れたこの時には、りっぱに成長していました。

 このところには、テモテは「信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシャ人を父としていた」とあります。すなわち、彼はギリシャ人の父親とユダヤ人の母親の間に生まれた子どもでした。ユダヤ人の婦人が異邦人のギリシャ人と結婚することは、当時は考えられないことでした。ユダヤ人は純血を重んじていたからです。あの異邦人と結婚したサマリヤのユダヤ人は、「サマリヤ人」としてユダヤ人と区別され、蔑視され、異邦人同様に扱われていたのはそのためです。ですからユダヤ人が異邦人と結婚することはほとんどありませんでしたが、パレスチナから少し離れた小アジアでは、パレスチナほどは厳しくなかったのでしょう。もちろん律法に忠実なユダヤ人たちは、異邦人と結婚することはしませんでしたが、小アジアのフルギヤという地方では、ユダヤ人の婦人がかなり、当地の有力な家柄の人と結婚していたようです。このテモテの母がどのようないきさつでギリシャ人と結婚するようになったかはわかりませんが、ある意味での妥協であり、決して純粋な信仰だったとは言いがたいものがあります。それでも彼女は後にパウロの伝道によってイエス・キリストを信じ、クリスチャンになりました。

 パウロがこのテモテを今回の伝道旅行に連れて行きたかったのは、このように彼がユダヤ人と異邦人の間に生まれた子どもで、両方の影響を受けていたからでしょう。異邦人伝道にとって大いに役立つ者と思われたのです。しかし、パウロがテモテを連れて行きたかったのはそれだけの理由ではありませんでした。2節には、パウロが連れて行きたかったことの、もっと深い理由が記されてあります。それは、彼が「ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった」からです。

 この「評判が良い」ということは、クリスチャンにとってとても大事なことです。エルサレム教会で最初に選ばれた役員たちは、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人」でした(使徒6:3)。また、Iテモテ3:7にも、「教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません」と、監督の職につきたいと思う人に求められていた条件の一つに挙げられていました。それは「評判が良い」ということが、クリスチャンの良いあかしの結果でもあったからです。こうした評判は人間的なものでいくらでもごまかすことができるのだから、そんなに重要ではないと考える人もいます。確かに、人間の目は神の目とは違って絶対的なものではありませんから、時としてごまかされることもあるかもしれませんが、それだけ信仰に歩んでいることの一つの目安と見ることができると思います。

 たとえば、「高齢者の希望の星」と言われている聖路加国際病院理事長の日野原先生は、信仰をベースにした積極的な生き方で良い証しをしておられます。98歳を超えた今でも、スケジュールは2,3,年先まで一杯だと言われているほどの多忙な生活を送っておられます。その生き方は、ご自身の著書『生きかた上手』に紹介されておりますが、1992年に新病棟を建設した際に広大なロビーや礼拝堂施設を備えたことで有名です。日野原先生は、東京大空襲の際に満足な医療が出来なかったという経験を教訓に、大災害や戦争の際などに大量の被災者が発生しても機能出来る病棟としてそのような施設を備えようとしましたが、それが「過剰投資ではないか」と批判されました。しかし、1995年に起きた地下鉄サリン事件の際にはそれが遺憾なく発揮され、通常時の機能に対して広大すぎると非難されたそのロビー・礼拝堂施設は緊急応急処置場として機能し、犠牲者を最低限に抑えることにつながったのです。そうした日野原先生の判断や生き方のベースには聖書のことばが中心となった信仰が生きて働いていたからだということが紹介され、良いあかしとなりました。

 具体的にテモテがどのような生き方をしていたかはわかりませんが、彼の生き方はルステラとイコニオムの兄弟たちの間で、評判が良かったのです。どうして彼は、そんなに評判の良い生き方ができたのでしょうか。パウロが晩年にテモテに書き送った手紙の中に、次のようなことばがあります。

「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」(Ⅱテモテ1:5)

 そうしたテモテの純粋な信仰は、幼い頃から母ユニケと祖母ロイスから受け継いだものだったのでょう。「ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン」(ジョン・クゥアン著)もまた、母親から受け継いだ信仰の影響が大きかったと言われています。母親のナンシーは、彼がまだ幼く、文字も読めないころから、毎日聖書を読んで、彼のために祈ってくれました。たとえ貧しい環境の中でも決して希望を失わないように、聖書の中に出てくる信仰の人の話をよくしてくれたと言います。その母親ナンシーは風土病でこの世を去る間際に、まだ9歳だったリンカーンにこのように言ったと言われています。

「愛するエイブ(リンカーンの愛称)!この聖書は私の両親からいただいたものです。私が何度も読んで随分古くなったけれど、私たちの家の勝ちある宝物よ。私はおまえに百エーカー(約12万2千坪)の土地を残すより、この一冊の聖書をあげることができて心からえれしく思うわ。エイブ!おまえは聖書をよく読み、聖書のみことば通りに、神を愛し、隣人を愛する人になりなさい。これが私の最後のお願いよ。約束できるわね?)」(P28)

 リンカーンはまだ幼かったですが、この母の遺言を心の奥深くに刻み、母との約束を堅く誓いました。リンカーンのすべてのものは、この天使のような母から受け継いだものだったのです。みことばを中心とした信仰の教育が、その人の人生にもたらす影響がどれほど大きいものかがわかります。世の中の他のことが何もわからなくても、聖書を通して神様の道がわかればそれで十分なのです。そのような人はみことばによって神様の知恵が与えられ、その人格的が整えられて、評判の良い人になることができます。そして、テモテがパウロの伝道の働きに用いられたように、神様の働きに用いられる人になるのです。

 Ⅱ.すべては福音のために(3-4)

 さて、このように評判の良かったテモテを連れて行こうとしたパウロは、奇異と思われるような行動を取ります。パウロは、このテモテを連れて行くにあたり、彼に割礼を受けさせたのです。3節をご覧ください。

「パウロは、このテモテを連れて行きたかったので、その地方にいるユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。彼の父がギリシヤ人であることを、みなが知っていたからである。」

 これまでパウロは、ユダヤ人が神の民のしるしとして信じていた割礼を受けなくても、イエス・キリストを救い主として信じるならそれだけで救われると、割礼を強要するユダヤ主義クリスチャンに対して、昂然と戦ってきたはずです。それなのに、ここでテモテに割礼を受けさせたのはどうしてだったのでしょうか。ある人はパウロのこうした態度に彼が二重人格者だったのではないかと考えたり、首尾一貫性に欠けるとまで非難しました。しかし、はたしてそうなのでしょうか。そうではありません。そのように考える人たちは、パウロを正しく理解していなかったり、彼を故意に陥れようとしているのです。確かに彼は、救われるためには割礼は必要ないと言いました。つまり救いはただ神の恵みによって、イエス・キリスト信じる信仰によるのであって、律法の行いによるのではないということを説き続けてきました。そして、そのために彼はいのちがけで闘って来たのです。それは4節にもあるように、今回の伝道旅行において、彼らが町々を巡回して、エルサレム会議で決まった内容を伝えていることからもわかります。それなのに、どうして彼はテモテに割礼を受けさせたのでしょうか。それは「その地方にいるユダヤ人の手前」です。彼の父がギリシャ人であることを、みなが知っていたからです。つまり、彼の父親がギリシャ人であることがよく知られているうえ割礼を受けていないということになると、ユダヤ人の間で問題になるからです。ユダヤ教の会堂では無割礼の者は説教することが許されませんでしたから、
どんなにテモテが彼らに伝道しようとしても彼は異邦人扱いされて、伝道できなかったでしょう。これでは福音の宣教もままなりません。パウロにとっては、割礼を受ける受けないは大事なことではありませんでしたが(ガラテヤ5:6)、そこにいたユダヤ人にも福音を聞いてもらうために割礼を受けさせた方がよいと判断したのです。もとよりパウロが、救われるためには割礼が必要であるなどと考えるはずもありません。そうした律法を強いるのろわれるべき律法主義に対しては福音の大敵であることは百も承知していましたし、絶対に譲歩するようなことはしませんでしたが、それがユダヤ人に福音を伝えるための有効な手段であるならば、割礼をあえて拒む必要はないと考えていたのです。すなわち、パウロがテモテに割礼を受けさせたのは、ユダヤ人を獲得するため、まさにこの一事のためだったのです。これはパウロがユダヤ人伝道において、ユダヤの文化と伝道、そして民族感情を福音伝達の経路として尊重していた姿でした。これがパウロの行動原理、基準だったのです。すなわち、ユダヤ人が救われるためにはユダヤ人のように、ギリシャ人が救われるためにはギリシャ人のようになるということです。そのことについて彼は、Iコリント9:13~23で次のように言っています。

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」

 パウロはだれに対しても自由でしたが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となったのです。ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のようにです。弱い人には弱い人のようにです。それは何とかして幾人かでも救うためです。彼はすべてのことをこの福音のために行ったのです。テモテに割礼を受けさせたのもその理由からでした。救われるためには割礼やその他いっさいの律法を行わなければならないといった条件は何もありませんが、そこにいたユダヤ人が幾人かでも救われるために、彼らの手前、そのようにしたのです。

 このことはパウロやテモテに限らず、私たちクリスチャンが抱く行動の原理、原則でもあります。私たちは尊いキリストの十字架の贖いによって救われた者として、幾人かでも救われるために、そのような原則の下に生きる者でなければならないのです。

 奥山先生が書かれた「宣教師入門」という本の中に、インドネシアの文化について紹介されてありますが、それによると、インドネシアでは、決して左手では物を渡さないそうです。それは軽蔑や侮辱の意味になるのだそうです。ですから物を渡す時には必ず右手を使います。大事な物をあげるとき、左手で渡したら相手は怒ってしまいます。なぜそうなのかはわかりませんが、仕方ありません。文化とはそのようなものだからです。大切なのは、その文化を変えようとすることではなく、その文化を尊重し、その文化に生きる者となることです。

 それはアラブの世界もそうです。こちらが善意だと思ってすることでも、必ずしも受け入れられるかというとそうではありません。東京外語大の牧野信也さんというアラブ語の先生が、若い頃アラブ語の勉強とアラブ世界の研究のために、アラブ諸国を旅行していたときに、そこでアラブ世界に関する貴重な資料のはいったかばんを盗まれて困ったことがありました。そこへひとりのアラブ人がやって来て、「何でそんなにがっかりしているのですか」と言うので、事情を説明すると、その方は親切に自宅へ招き、盛大なご馳走で歓迎してくれ、その家の一番立派な部屋に泊めてくれたというのです。
 感激した牧野氏は、翌朝、知っている限りのアラビヤ語で感謝を表すと、内ポケットから現金をつかみ出し、「これは感謝のしるしです」と言って彼に渡すと、そのとたんに、それまでニコニコしていたアラブ人の笑顔が消えて、顔がけいれんし、それから頭を押さえてうめき声を上げました。「なんという侮辱だ!」と。
 そのアラブ人は部屋に走り去ると、そのまま出てきなかったと言います。感謝のしるしにしたことでも、アラブ人にとってはもっともひどい侮辱の表現になることがあるのです。

 大切なのは、その文化を理解し、尊重し、それを受け入れることです。そのためには自分にしがみついていてはいけないのです。パウロのように、幾人かでも救うために、すべての人のようになるという姿勢が必要なのです。

 カルビン・ミラーという人が「空っぽの手」という本の中で、まさにイエス様がそうだったと言っています。イエス様は、私たちが最も大切にしている生命を差し出されることによって、この世を救ってくださいました。イエス様はご自分のいのちに対する執着を捨てることによって、渡したちにいのちをもたらしてくださったのです。神様は、イエスの空っぽの手にこの世を救うという賞をお与えになったのだと言うのです。だから、「手放しでつかみなさい」と。
 この声を聞いたダミアン神父は、皆が恐れていたハワイのモルカイ島へ行き、ハンセン病患者に仕えるため、自分の健康を放棄しました。
 「手放してつかみなさい」という声を聞いたウイリアム・ケアリは、イギリスの靴屋を離れ、インドに行って聖書翻訳の働きに従事し、40カ語のインド語の聖書を翻訳することができました。
 「手放してつかみなさい」という声を聞いたマザー・テレサは、アルバニアを放棄してカルカッタを与えられました。
 「手放してつかみなさい」という声を聞いたヒルトン大学の卒業生ジム・エリオットは、エクアドルに行き、いのちを投げ出して殉教者の栄光を受けました。 私たちも自分の手にあるものを放棄するとき、すばらしい祝福が与えられるのです。それがパウロの生き方だったのです。

 Ⅲ.こうして諸教会は・・(5)

 では、そのようなパウロの福音に対する姿勢によって、教会はどのようになったでしょうか。5節をご覧ください。

「こうして諸教会は、その信仰を強められ、日ごとに人数を増して行った。」

 「使徒の働き」は、これまで、聖霊の大きなみわざがあった後に、必ずそこに教会の増加と伸展を記してきました。たとえば、聖霊がペンテコステの日に下られ、教会が説教を始めたとき、「主も毎日救われて人々を仲間に加えてくださ」いました。(2:47)また、聖霊が、御霊と知恵に満ちた七人の役員を立てたときも、「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはい」りました。(6:7)大迫害者サウロがキリストの幻に打たれて盲目となり、聖霊に満たされて新しく働き出したときも、「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行」きました。(9:31)すなわち、このようなパウロの生き方の結果、教会は、その信仰が強められ、日ごとに成長していったのです。私たちの人生も同じです。私たちが自分の手にあるものを放棄し、すべてのことを福音のためにするなら、ともに福音の恵みを受けるようになるのです。

 日本のように神道、仏教、儒教といった異教と密接に結びついた文化や歴史の中で、これを適用していこうとすれば、いろいろな問題が起こってくるのは確かです。そこには妥協や迎合といったことに陥りやすいという危険もあるからです。福音に生きるとは、状況によっては、その真理を貫くために、文化や伝統、そして地域社会を後回しにしてでも、少しも妥協しないで戦っていかなければならないという一面があります。しかし、福音の根本的な原理にかかわる時には一歩も引かないといった態度を取りながらも、その置かれている文化や社会の中にあって、不必要な反発と抵抗を最大限に避けながら、福音を受け入れやすいように配慮することは重要なことであり、この日本の文化に生かされている私たちにも求められていることなのです。

 「リビングライフ」5月号に、キリスト者学生会の主事をしておられる大嶋さんが、「若者と生きる教会」というテーマで提言しておられます。現代において若者に最も関心のある宗教は何かと問うとキリスト教がトップに来るのに、なぜ彼らは教会を訪れないのかという問題意識中で、その一番大きな原因はクリスチャンの若者が自分の友人を教会に誘おうと思わないからだと言います。誘ってもその友人が教会に居心地の悪さを感じたり、あるいは礼拝中に退屈そうにしているのを見ると心が痛むのです。そして、「教会はもういいよ」なんて言われると、自分の存在まで否定されたかのように感じて、友達を教会に誘うことをしなくなるのです。
 では、どうしたらいいのか?大嶋さんは、若者を自分と同じような兄弟、つまり大人として扱うことが大事だと言っています。若者はその途上で大人になるべく信仰を得ていくために、教会の交わりの中で大人として認められることが必要だと、ご自分の経験を紹介しておられます。
 それは、大嶋さんが高校生の頃のことです。教会で牧師が辞任するという事態が起こったとき、その教会の役員で、日曜学校の教師をしていたご老人が、「しげちゃん、教会のために祈ってくれへんか」と言われました。「俺もな、良かれと思っていろいろやってきたんやけど、でも間違っていたこともいっぱいあると思う。俺のためにも祈って欲しいんや」と声をかけてきてくれたのです。そこで大嶋さんは拙い言葉でしたが、精一杯祈りました。祈った後で、その人がこう言ってくれました。
「ありがとう。しげちゃんは俺の友達やからな。」
 大嶋さんからしたら、友達だなんてとても言えないような存在です。むしろ、自分の信仰を育ててくれた人です。その人が自分を「友達」だと呼んでくれ、自分の祈りが教会の役に立っていることを味わせてくれました。そして、自分の友達を「この人なら安心して紹介できると」と、友達への伝道が始まったのです。
 だから、大切なのは若者に敬意を払い、尊敬の念を持っていることだと言います。「現代の若者は、ぱっとしない」と大人たちが言わないで、自分好みの若者クリスチャン像を押しつけるのでもなく、今すでに与えられている若者たちの存在を感謝し、彼らが教会が大好きになれるように関わることが大切です。要するに、彼らが友人を連れて来たくなるような存在に、私たち自身が「なる」ことが大切なのです。信仰の成功談は必要ではなく、必要なのは、失敗に満ちても尚、主のあわれみによって「何とかやっていける」クリスチャンをさらけ出してくれる存在です。そういう存在こそが、若者たちの傍らで大きな励ましとなるというのです。

 私は、この文章を読んで本当にチャレンジを受けました。若者だけに限らず、私たちが教会の伝道を考えるとき、このことが最も重要なのではないでしょうか。何か効果的なイベントに頼るのではなく、私たち自身がそのような存在であること。それが求められているのです。

 パウロは、幾人かでも救うためにすべての人のようになったと言いました。そ
れは今、私たちにも求められているのです。私たちも、だれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人のようになっていかなければなりません。そのとき、大いなる神様の御業が現されるのです。

使徒の働き15章36~41節 「すべてを越えて導かれる神」

 きょうは、パウロとバルナバが激しく論争したという出来事から、すべてを越えて導かれる神の御業について学びたいと思います。第一のことは、この論争の原因についてです。それは、ヨハネと呼ばれていたマルコを伝道旅行に連れて行くかどうかということに対しての考え方の違いでした。第二のことは、人の弱さや足りなさについてであります。マルコを連れていくかどうかについての考え方の違いはあったものの、パウロとバルナバがこれほどまでに反目し合った原因は、やはり彼らの弱さにありました。第三のことは、そうした人間の弱さや足りなさにも関わらず導いておられる神についてです。。神はすべてを越えて働かれる方なのです。

 Ⅰ. それぞれの考え(36-38)

 まず第一に、パウロとバルナバがこれほどまでに反目し合った原因から見ていきましょう。36~38節までをご覧ください。

「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。」

 異邦人のクリスチャンも律法を守らないと救われないのかという問題についてエルサレム会議で話し合われ解決が図られると、パウロとバルナバはアンテオケ教会にとどまり、ほかの多くの人たちとともに、教会を指導していました。するとそれから幾日が経って後、パウロがバルナバに、先の伝道で救われた兄弟たちのところに、また訪ねて行って、みんながどうしているかを見てこようではないかと提案しました。パウロは、子どもを産んで、産みっ放しの親がいないように、伝道して信じる人々が起こされると、その人たちのケアをすることを忘れませんでした。時には直接指導をしたり、時には人を送って、間接的に指導したり、また時には手紙を送って励ましたりしました。この時もパウロはそうした人たちを励ますために、教会を訪問して励まそうと思ったのです。

 ところが、だれを連れて行くかで問題が起こりました。バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行きたかったのですが、パウロは、先の伝道旅行でパンフリヤで一行から離れてしまったような者はいっしょに連れて行かないほうがよい考えたため、激しい反目となってしまったのです。このような記事を読むと、ある種の戸惑いを抱いてしまうのは私だけではないと思います。これほどのすばらしい神の器である二人が分裂するほどの激しい反目するなど考えられないからです。そこである人たちは、この二人の反目の背景にはもっと別の問題があったのではないかと考えたりします。たとえば、異邦人クリスチャンに対する考え方が違うといった根本的な意見の違いがあったのではないかということです。しかしこのところを見る限り、少なくともルカはそのようには描いてはいませんし、今回もパウロの方から「また出かけて行こう」と誘っていることから考えても、そうした問題があったからではないことがわかります。では問題は何だったのでしょうか。この二人の物事に対する考え方の違いと、性格の違い、そして、宣教に対する姿勢の違い、それが問題の原因だったのです。

 バルナバは、マルコと呼ばれていたヨハネもいっしょに連れていくつもりでしたが、パウロはそのようには考えていませんでした。なぜなら、マルコは先の伝道旅行の時パンフリヤで一行から離れ、帰ってしまったからです。この出来事は13章13節に記されてありますが、これがこんなに大きな問題に発展するということを誰が想像することができたでしょうか。このときヨハネ・マルコはなぜ一行から離れ、エルサレムに帰ってしまったのかについてはいろいろな憶測がなされています。たとえば、彼はホームシックになって落語したのだという意見や、あるいは、そもそも彼は最初からキプロスまでしか行く気がなかったのだいう説、あるいは、初めはいとこのバルナバがリーダーだったが、キプロスでパウロが頭角を現すとそのリーダーシップが自然にパウロに移ってしまったので、嫉妬のあまり身を引いたのだという説です。あるいは、次第に激しさを増してきた迫害に対して、その伝道の困難さに怖じけずき、失意のうちに戦列を離れてしまったのではないかという説です。
 しかし、ここでバルナバがパウロと対立してまでマルコをかばおうとしていることから考えると、道徳的、信仰的に、そんなに責められるような重大な理由があってのことではなかったと思います。もしかすると、その時マルコには、異邦人への伝道以上に緊急を要する用事が生じたかもしれませんし、母教会のエルサレム教会に迫害が迫っていた中で、秘密裏に行われていた母マリヤの家での集会で何か危険なことが起こったのではないかと心配して帰ったのかもしれません。どうしてマルコが帰ったのかはわかりませんが、理由はどうであれ、確かにマルコは途中で引き返しました。問題は、それに対してバルナバとパウロはそれをどのように受け止めたかです。

 バルナバは、このマルコもいっしょに連れて行くつもりでした。それは一つには、彼が自分のいとこであるということもあったでしょうが、もう一つには、たとえ彼が途中で引き返したとはいえ、異邦人伝道の経験者であり、少なくともキプロスの人たちとは顔見知りでしたから、伝道に役に立つと思ったのでしょう。そして最大の理由は、やはり彼はそういう人だったからです。バルナバという名前は「慰めの子」という意味ですが、かつて一度は失敗して途中で引き返すようなことをした人であっても、もう一度チャンスを与え初心を貫かせる経験をさせてやった方がいいといった思いがあったに違いありません。考えてみたら、かつて彼はこのパウロに対しても同じようにして励ましました。かつてはクリスチャンを迫害しクリスチャンから白い目で見られていたパウロを、エルサレムの教会に迎え入れたのはこのバルナバでした。また、タルソに引っ込んでいたパウロを、アンテオケ教会の表舞台に引っ張り出したのも彼だったのです。このように、バルナバという人物は「慰めの子」という名前のごとく、それが決定的な罪でないかぎりできるだけその人を励まし、支えていこうとするタイプの人間だったのです。

 しかし、パウロはそうではありませんでした。いかなる理由があったにせよ、宣教の働きを途中で投げ出すような者は、伝道者としてはふさわしくない。失格であるとしか考えられなかったのです。そこにはパウロ自身の伝道への厳しい姿勢があったからかもしれません。あるいは、イエス様が「手を鋤につけてから後ろを見る者は神の国にふさわしくない」と言われたことばが頭の中にあったのかもしれませんが、どうしてもマルコを連れていく気にはならなかったのです。それは彼が個人的にマルコが気に入らなかったというような理由からではなく、彼の竹を割ったような性格というか、伝道に対する姿勢という理由からだったのです。

 ですから、バルナバにしても、パウロにしても、いずれかが正しいか、間違っているかといった問題ではなく、それぞれの性格や考え方が違っていたのであって、二人とも自分の信じているところにおいて本気だったのだというのが真相のようです。二人とも、やはり諸教会のことを思うあまりに、一歩も引くことができなかったのでしょう。

 このように、同じクリスチャンでも性格や考え方の違いからこのような対立が生じることもあるのです。大切なのは、このように対立が生じても、互いに主にある兄弟として認め、受け入れていくという心です。事実、パウロはⅠコリント9:6で、「それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。」と言って、このバルナバを、自分の生活のすべてをささげた無二の戦友として紹介しています。これは、この時二人がケンカ別れした後で書いた手紙ですが、彼がバルナバのことをこのように紹介したのは、このときには既に心のわだかまりが消え、バルナバをそのような勇士として認めていたからではないでしょうか。また、マルコについても彼は、Ⅱテモテ4:11のところで、「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」と言っております。かつては仕事を途中で投げ出した卑怯者であるかのように考えていた彼も、このときにはマルコをパウロの働きに役に立つ者として認めていたのです。それぞれの信じるところに従って歩もうとするときには、一時的な意見の違いはあるかもしれませんが、大切なのは、その人もまた主によって立てられた人であることを認め、受け入れていくことなのです。

 Ⅱ. 激しい反目(39)

 とはいえ、彼らの対立は激しいものでした。39節には、「そして、激しい反目となり」とあります。パウロはパウロの考えに従って厳しく、バルナバはバルナバの考えに従って優しくしていこうと考えたのは良かったものの、その意見の違いが激しい反目を生んでしまいました。パウロやバルナバほどの信仰者が激しく反目するなどあり得ないと、ある人たちはこの時の問題はよくある意見の対立程度のものと考えている人たちもいますが、しかしこの時の反目はそのような程度のものではありませんでした。やはり激しい反目だったのです。ルカはそれを決して美化したり、きれいごとのように見せたりせずに、ありのままに描こうとしました。それは、たといパウロやバルナバのようなすぐれた信仰者であっても、やはり人間であって、そうした弱さや足りなさを持ち合わせていたということです。それゆえに、多生感情に走ることもあって、お互いに受け入れることができませんでした。彼らはそうした感情のもつれを起こすことのない完全な人間ではなく、私たちと同じように、弱さや足りなさを持っていた不完全な人間にすぎなかったのです。聖書のすばらしさは、このように決してきれいごとばかりを書き並べているのではないところにあります。失敗も、成功も、きちんと書き記す中で、その中に働いておられるところの、いや、それを越えて働いておられる主の御手に焦点が合わせて記されているのです。

 たとえば、アブラハムはユダヤ人から信仰の父と言われていますが、その生涯は決して完全なものではありませんでした。創世記20:2には、

「アブラハムは、自分の妻サラのことを、「これは私の妹です。」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、使いをやって、サラを召し入れた。」 とあります。

 信仰の父と呼ばれたアブラハムの生涯の中で、自分の妻サラを「これは私の妹です。」と言い、相手をだました行為は2度もありました。一度はエジプトに滞在していた時で、もう一度がこのゲラルに滞在していたときです。なぜ愚かにも同じことを判で押したように繰り返したのでしょうか。またなぜ聖書は丁寧にもアブラハムの失敗の出来事を事細かに記したのでしょうか。それは、聖書は現実をありのままに述べているからです。アブラハムをこと更に立派な人物として仕立て上げようとせず、また後の人々がアブラハムを信仰の父として崇めすぎないように、彼もまた私たちと同じ弱さを持った人間であることを伝えようとしていたのだと思います。信仰者が何一つ失敗をしない聖人であるかのような誤解を与えないようにしているのです。私たちはアブラハムの姿の中に信仰者のモデルを見ることができます。それは信仰者とは決して完璧な人ではなく、弱さを持ち、同じ失敗を何度も繰り返すような者ですが、それでも神を信じて生きる人です。

 また、このことは神様が私たち人間をどのように見ておられるのかということも示しています。神様はアブラハムが繰り返し同じ弱さで失敗することに驚いていません。アブラハムの失敗は、女奴隷ハガイに入り子どもをもうけることによって、サラを通して約束の子イサクを与えるという神様のご計画をぶち壊すものでした。しかし神様はアブラハムに対する特別な使命を彼から取り上げず、むしろ彼の失敗を上手に受けとめて、彼が再び神様の使命に立ち返れるように助けてくれたのです。神様はアブラハムに対して繰り返しそうされたのです。

 私たちもみな弱さのゆえに繰り返し失敗し、罪を犯すものであり、これは生涯に渡って私たちにつきまとうものですが、そんな者でも神は愛してくださり、イエス・キリストの十字架のゆえに赦してくださり、ご自身の栄光のために用いてくださるのです。

 かつて榎本保郎師は「信仰の世界では、失敗を恐れる必要はありません。大事なことは、失敗なく従うことではなくて、ただ従うことなのです。何もしない人は、失敗もしないし、神に従うこともできないのです。アブラハムは失敗の故に恥をかき、罪を重ねても、なお神の約束に頼ったから、彼は、信仰の父と呼ばれたのです」と言いました。私たちにとって大事なことは、自分の過ちを素直に認めることです。そして、神のあわれみにすがることです。罪あるままで、主の赦しと救いが必要であることを認めて、神の前に出ることなのです。

 それは、偉大な神の人モーセも同じでした。彼もまた弱さのゆえにエジプトで虐げられていた同胞ユダヤ人を見たとき、相手のエジプト人を石で打ち殺してしまいました。そしてそれによって40年もの間、ミデヤンの荒野での生活を余儀なくされました。しかしそんなモーセを神は召し出され、ご自身の民の救いのために用いてくださいました。その40年の荒野での生活は、後にイスラエルがエジプトを出てからカナンに向かうまでの40年の備えとなったのです。

 450人のバアルの預言者と戦って勝利したエリヤはどうだったでしょうか。彼もまた預言者として、神様のために大いに用いられた人でした。神様は彼を通して、3年間イスラエルの人々に語られました。また、神様はこの時、彼を通して、いろいろな奇跡を行いました。そのため、罪を犯していたイスラエルで、霊的なリバイバルが起りました。しかし、イスラエルの女王イゼベルはエリヤを嫌っていました。なぜなら、イゼベルはエリヤが信じている神様よりも、バアルという他の神々を礼拝したかったからです。けれどもエリヤはそのことに反対したので、イゼベルはエリヤを憎んでいました。エリヤがある奇跡のわざを行った後、イゼベルの主人アハブ王は、イゼベルにエリヤがしたことを伝えました。そのことを聞いて、彼女はとても怒りました。そして、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わしてこう言いました。

「すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」(Ⅰ列王19:2)

 つまり、イゼベルは24時間以内に、エリヤを殺すと脅迫したのです。その言葉を聞いたとき、彼は恐れました。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言いました。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちに勝っていませんから。」エリヤはとても疲れていて、イゼベルに殺すと脅迫されて、落ち込んだのです。いわゆる「うつ」です。うつ病の問題を持っていました。エリヤは死にたいぐらい、すっかり落ち込んでしまったのです。あれほどの信仰深いエリヤがどうしてうつになったのか。私たちはうつ病になりやすい人は、ほとんど弱い人だと思っています。あるいは、信仰が薄い人だと思うかもしれません。でもこのエリヤもまたうつの状態になってしまったのです。しかし神は、そんなエリヤに食べ物と十分な休息を与え、彼のようにバアルにひざをかがめない預言者がほかに七千人もいることを知らせ、彼の考え方を変えることによって励まし、回復へと導き、再び預言者としての働きへと押し出してくださいました。そのような弱さを抱えた人をも、神様は励まし、用いてくださったのです。

 このように完全な人はひとりもいません。パウロとバルナバも同じです。人はみな弱さや欠点を抱えながら生きているのです。それはどんなに立派な信仰者であっても同じです。ですから大切なことは、神以外の人間を殊更に美しく取り上げようとしたり、完全であるかのようにとらえたりするのではなく、どんな人でもそうした弱さや欠点を抱えているのだということを認めながら、それでも主に信頼して歩んでいく中で愛され、赦され、生かされているのだということを覚えていることなのです。

 Ⅲ. すべてを越えて導かれる神(39-41)

 第三のことは、人間のこのような弱さにも関わらず、それを越えて導いておられる神の恵みです。39~41節をご覧ください。

「そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。」

 このように、パウロとバルナバが激しく反目することによって、いったいどういうことになってしまったのでしょうか。39節を見ると、「その結果、互いに別行動をとることになっ」たとあります。バルナバはマルコを連れて、船でキプロスへ、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発し、シリヤのアンテオケ、キリキヤを通り、諸教会を力づけました。結果的に、パウロとバルナバは別々の道を歩むことになりました。最初の計画では、パウロとバルナバの一つのチームが出発する予定でしたが、このことで二つのチームが出発することになりました。一方は、バルナバの故郷キプロス島へ、他方は、パウロのふるさとであったキリキヤを通ってシリヤへとです。また、元々は二人の伝道者しかいなかったのに、このことで、バルナバとマルコ、パウロとシラスという四人の伝道者が生まれました。こうして倍の人数、倍の伝道団が、倍の地域で同時に働くという、すばらしい結果が生まれたのです。争いによって分裂したことは喜ばしいことではありませんでしたが、神はそのことさえも福音の前進のために用いてくださったのです。何よりも、あれほど非難されたマルコが、後にパウロから「私の務めに役に立つ」と評価されるほどの器に変えられるようになったことも、注目しなければなりません。また、パウロ自身もローマ人への手紙の中で、

「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」(14:4)

と言っておりますが、弱いしもべを受け入れ、励まし、立たせることの大切さを学んだのです。

 こうしてみると、パウロとバルナバの間に生じた争いは決してほめられるものではありませんでしたが、神はそれさえも用いて最善に導いてくださいました。神は人間の弱さや足りなさを越えて、それさえも益に変えてみわざを進めておられる方なのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

 このみことばを信じるクリスチャンには、恐れや心配に落ち込むことがありません。そして決して焦ることもありません。なぜなら、主に召された人の人生は、すべてを働かせて益としてくださる神のみわざの中にあることを、信じているからです。病気や失敗、困難が襲って来ても、それらすべては神の愛だと確信しているからです。であれば私たちは、小さなことにくよくよしないで、すべてを最善に導いてくださる神に感謝し、この方にすべてをゆだねるべきです。自分の愚かさや足りなさのゆえに起こってしまった悲しい出来事さえも神は益に変えてくださると信じ、すべてを越えて導いておられる神に目を向けて進むべきなのです。

 私のすきな話にこんな話があります。ミケランジェロの最高傑作の一つに「青年ダビデ像」というのがあります。ダビデが裸でぐるっとゴリヤテをにらんでいる像です。実はこの作品には一つのエピソードがあります。ミケランジェロはフィレンツェ市から一つの彫刻作品を制作してほしいと頼まれました。そこで彼はすぐに石を探し始めましたが、なかなか見つかりませんでした。ある日カララの採石所に行ったら大きな石がありました。ある彫刻家が失敗して転がしてあった石でした。彼はその石を見たとき「これだ」と思いました。その石をもらってきて、のみを打ってできたのが「青年ダビデ像」です。失敗作が傑作になったのです。

 私たちの人生も同じです。私たちの人生も、自分でのみを打っているときは失敗だらけです。しかし、もしイエス様にささげたら、最高の傑作になるのです。大切なことは、自分の人生を主にささげることです。そうすれば、失敗昨も傑作になります。私たちの主は、すべてを越えて働いておられる方であって、失敗さえも益に変えてくださるからです。パウロとバルナバは、それぞれ自分の弱さ、足りなさから相手を受け入れることができずケンカ別れのようになってしまいましたが、神はそのことさえも福音の前進のために用いてくださいました。私たちの主は、すべてを越えて導いておられる方です。そのことを信じて、すべてを主にゆだね、示された道を進んで参りたいと思います。

使徒の働き15章22~35節 「互いに励まし合って」

 きょうは、「互いに励まし合って」というタイトルでお話したいと思います。異邦人が救われるためにはイエス・キリストを信じるだけでなく、モーセの慣習に従って割礼を受けなければならないのか、すなわち、救われるためには信仰だけでなく律法の行いも求められるのかについて話し合われたエルサレム会議は、28節に「聖霊と私たちは・・・決めました」とあるように、聖霊の導きの中で、救いはただイエス・キリストを信じる信仰によってであるということを全会一致で決議しました。ただそのように信じているユダヤ人たちもいるので、そうした人たちを配慮することも大切なので、彼らが堅く信じていた律法の中心的な四つのことには注意しようということになりました。きょうのところには、その知らせがアンテオケ教会を中心とした異邦人教会に伝えられた様子が記されてありますが、その知らせを聞いた異邦人のクリスチャンたちは励まされ、大いに喜び、さらに福音宣教に励むようになりました。このような「励まし」がもたらす効果がいかに大きいかを感じます。

 きょうはこのことから互いに励まし合うことの大切さについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、なぜエルサレム教会はユダとシラスをアンテオケ教会に送ったのかということです。それは彼らを励まし、力づけるだめでした。第二のことは、エルサレム教会が書き送った手紙の内容です。それはまさに励ましの手紙でした。そして第三のことは、そのような励ましを受けたアンテオケ教会の人たちは、どのように変えられていったかです。彼らはその励ましによって強められ、次の宣教へと向かっていきました。

 Ⅰ.励ましのことば(22)

 まず、22節をご覧ください。

「そこで使徒たちと長老たち、また、全教会もともに、彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケへ送ることを決議した。選ばれたのは兄弟たちの中の指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスであった。」

 エルサレム会議で御霊によって一致し、救いの問題について決議すると、教会は彼らの中から人を選んで、パウロやバルナバといっしょにアンテオケに送ることを決めました。選ばれたのは兄弟たちの指導者たちで、バルサバと呼ばれるユダとシラスでした。このユダとシラスの身元は不詳ですが、ここには兄弟たちの中の指導者であったこと、そして32節を見ると、二人とも預言者であったことがわかります。エルサレム教会は、この二人をアンテオケに遣わしたのです。会議の決定を伝えるだけなら手紙だけで事足りるのに、こうしてわざわざ二人の使者たち、しかもエルサレム教会の指導者であったユダとシラスを遣わしたのにはそれなりの意味があったからだと思います。それは、彼らがアンテオケの人たち(クリスチャン)を励ますためでした。もしただ単に会議で決まった内容を伝えるだけだったら、こうしてわざわざ二人の指導者を遣わすことまではしなかったでしょう。しかし彼らが願っていたことはそれだけではありませんでした。彼らはこうして二人の指導者を遣わし直接アンテオケの人々と会い、彼らの顔を見て、懇切丁寧に語ることによって、自分たちの思いというものを伝えたかったのではないかと思います。そしてそれをもって異邦の地にあってこの信仰に生きる人たちに具体的な励ましを与え、力づけたかったのだと思います。このような信仰の営みは、時には無駄なことかと思われることで、何もそこまでしなくてもと思われるようなことですが、実は大きな意味を持つのです。事実32節を見ると、「ユダとシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけた」とあります。彼らは、この手紙には書き切れない多くの内容をみことばをもって語り、そこにいた多くの兄弟たちに励ましを与えることができたのです。今であればメール一通で住むところを電話をかけて声を聞き、手紙一つで済むところを直接訪ねて行っては顔を見て安否を問う。そういう血の通った交わりの中で人は愛され、覚えられ、大切にされていることを感じ、具体的に励まされていくものです。まさに教会の交わりは、そうした具体的な励ましの中で豊かにされていくのではないでしょうか。Ⅰテサロニケ5:11には、

「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」

とあります。テサロニケの人たちは眠った人々のことについて正しい知識がなかったため、悲しみに沈んでいました。死んだらすべてが終わると思っていた彼らは生きる望みを失い、投げやりな生活に陥っていたのです。そんな彼らに対してパウロは、よみがえりの希望を語ることによって、彼らを慰め、励ましました。やがて主が再臨されるそのとき、まずキリストにあって既に死んだ人が、続いて生き残っている人たちが雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです・・・と。それは彼らにとって大きな慰めでした。神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになられたのではなく、イエス・キリストにあって救いを得るように定めておられた。その主が死なれたのは、私たちが目覚めていても、眠っていても、この方とともに生きるためであるということがわかったのです。であればもはや死は怖くありません。生きることも希望です。彼らはこのことばによって励まされ、喜んで信仰に生きることができるようになったのです。

 このように、励ましはお互いが慰められ、励まされて、建て上げます。それを聖書では何と言ってるかというと「徳を高める」と言います。お互いの足を引っ張り合うのではなく、あるいはお互いが破壊するのでもなく、お互いに建て上げられるのです。。お互いの徳が高められる。それが励ましや慰めの目的です。まさに預言者はそのために立てられたのでしょう。聖書のみことばをもって勧め、励まし、慰めて、その人を建て上げていくのです。ユダとシラスも預言者であったので、多くのことばをもって兄弟たちを励まし、また力づけたのです。

 「アン・ビリーバボー」というテレビの番組がありますが、しばらく前にアメリカのリネイ・ポイリアーさんという方が紹介されました。彼はクリスチャンの方ですが、その彼の生涯にあるときアン・ビリーバボーな出来事が起こりました。
 彼は電気工事の技師ですが、あるとき工事中に誤って高圧電線に触れ、「バーン」と吹き飛ばされてしまい、そのショックで失明し、両目とも完全に見えなくなってしまいました。もちろん、電気工事士という仕事も失いました。そして経済的にも精神的にも深刻な淵に立たされたのです。そのとき彼はこう思いました。「どうして自分の身にこんなことが起こってしまったんだろう。どうして神は守ってくれなかったのだろう。どうして・・・」そんな時彼が通っていた教会の仲間からこんなアドバイスをもらいました。

「私たちの状況には関係なく神様は完全なお方なので、神様はあなたを最善に導いてくださいます。ですから聖書に書いてあるように、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。これが、神が私たちに望んでおらることです。」

 彼はそのことばを聞いて「そうだ」と素直に思いました。そして、彼はただ自分の身に起こったことを嘆いていても何も始まられないと感じ、最善に導いてくださる神様を信じて感謝し、賛美をささげ、仕事を探すことにしたのです。
 それから彼は、リハビリの仕事、理学療法に携わるべく学校に通い始めました。やがて資格を得て、ある病院で働き始めました。それは身体障害者のリハビリを手伝う仕事でしたが、彼は人を助ける仕事に就くことができてとても喜んでいました。しかし、事故からちょうど10年目の2000年5月23日に、仕事中に突然、頭が痛くなり、意識を失って倒れてしまったのです。一瞬、心臓麻痺だと思いました。気がついたとき、そこはものすごく明るい光が飛び込んできました。「ああ、天国だ。天国に来たんだ」と思いました。それで、天国ってどんなところかをよく見ようと思って、ぐるっと見回したところ、そこは自分が働いていた病院の9階のフロアだということに気づきました。驚くべき事に、彼はそのときに、また目が見えるようになったのです。彼は喜びの余り、「目が見える。目が見える」と言って、病院中を駆けめぐりました。どうして突然見えるようになったのかはわかりません。医学的には説明できないことだそうです。そんなことは普通はあり得ないことだからです。でもそういうことが実際に起こったのです。彼はこのように言っています。

「私は見えなくなった時に、しばらくは神に文句を言い、神を恨みました。しかし、どんな時にも神を賛美することが私たちの取るべき道である、ということを学びました。そしたら、私の心の中にいつも賛美と喜びが溢れるようになりました。神はその賛美の中に来てくださったのだろうと思います。これを奇跡と呼ぶならば、まさに奇跡です。私がささげた賛美の中に、神は来てくださったのです。そうして私は、もう一度見えるようになったのです。」

 私たちの心は、一度不信仰に陥ると、それを信仰的な心に回復するには時間がかかります。不満な心を感謝に満ちあふれた心にするには時間がかかるようにです。しかしそのような不満な心が感謝に変えられ、その人の中に神の国が形づくられるために用いらるのは、そうした信仰の友による励ましのことばでした。

 時として私たちもいろいろな出来事で動揺し、心が乱されることがありますが、そのような心が守られ、徳が高められるために、お互いにみことばによって励まし合っていかなければならないのです。

 Ⅱ.励ましの手紙(23-31)

 次に23~29節までに注目したいと思います。
「兄弟である使徒および長老たちは、アンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」

 この手紙の内容をよく見てみるとられます。この手紙にはアンテオケ教会にいた異邦人クリスチャンへに対する配慮といったものが随所に見られます。23節には、「兄弟である使徒および長老たち」とありますが、エルサレム教会の使徒や長老たちが自分たちりことをそのようにんだのは、彼らがアンテオケ、シリヤ、キリキヤにいる異邦人たちと同じ立場にいるクリスチャンであるということを伝えたかったのでしょう。子供と話す時には膝を折って同じ目の高さで話すように、
それは24節にありますように、彼らの中のある者たちが、何の指示も受けていないのに、いろいろなことを言って彼らを動揺させ、その心を乱してしまったという経緯があったからです。彼らの中のある者たちとは、15:1に出てきた「ユダヤから下って来」た人たちのことで、彼らはアンテオケの異邦人クリスチャンたちに「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言っては、彼らの心を動揺させていたのです。
 
 この「心を乱した」と訳されていることばは「破壊する」という意味の言葉で、建っていた家を壊してしまうという意味です。9章31節に「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち・・・」とありますが、その「築き上げられ」という言葉とちょうど反対の言葉です。つまり、彼らはせっかく建て上げられたアンテオケ教会を解体しかけ、異邦人クリスチャンに大きな動揺を与えてしまいました。そこで会議ではどんなことが決められたかというと、三つのことでした。一つは28節にあるように、異邦人クリスチャンの方々に、どんな重荷も負わせないということ。第二に、29節にあるように、ユダヤ人クリスチャンたちのことを配慮して、偶像に備えられた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とは避けるようにお願いすること。そして三つ目のことは、この決まったことを彼らに伝えるために人々を選び、バルナバやパウロといっしょに彼らのところに送るということです。すなわち、その二人からなる使節団のねんごろな言葉によって、彼らの崩れかけた心を立て直そうとしたのです。そういう意味でこの手紙は会議で決まったことのただの議事録や、これこれこのようにするようにということを指示した使徒教令ではなく、彼らの心を立て直すための「励まし」の手紙だったということがわかります。

 ですから、その手紙を読んだ人たちはどうなったかというと、喜んだのです。31節をご覧ください。「それを読んだ人々は、その励ましによって喜んだ。」それを読んだ人たちは、そのことばで落ち込んだとか、悲しんだというのではなく、その励ましによって喜んだのです。振り返ってみればそもそもの事の発端は1節にあるように、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という一部のユダヤ人クリスチャンが発したことばでした。もしその主張が正しければ異邦人の中ですでにイエス・キリストを信じている人たちの救いの確かさが揺るがされることになってしまいます。なぜなら、彼らは救いはただイエス・キリストの十字架を信じる信仰によってのみということを聞いて信じたからです。それが割礼も必要だった、律法のあれも、これも必要だったということになると、彼らは救われていなかったのかということになってしまいます。ですから彼らはこの問題について真っ向から反論し、彼らと大激論を交わしたのです。その結論が今、エルサレムでの公式な会議を経て彼らのもとにもたらされたのです。それがこの手紙の内容です。ですから、その内容を読んだ人たちにどれほどの喜びがもたらされたかが想像できると思います。彼らは「その励ましによって喜んだ」のです。

 一通の手紙が人々に大きな励ましを与え、喜びをもたらす。それは今、私たちがこうして聖書を開き、その御言葉を一生懸命に読んで、そこから励ましを受け、喜びが与えられていることとも、深い関係があります。というのは、聖書は、神から私たちに向けられた愛の手紙だからです。聖書にはたくさんの手紙が収められていて、その手紙によって養われ、導かれ、建て上げられているのです。であれば、私たちはますますこの神からの手紙を読んで、そこから励ましと慰めをいただいて養われ、建て上げられていかなければならないのです。

 アメリカ第16代大統領のアブラハム・リンカーンは、この聖書によって大いに養われた人の一人です。彼は、1809年にケンタッキーの貧しい丸太小屋で生まれました。両親は無学な貧しい農民でしたが、このリンカーン家には、大声で聖書を読む習慣がありました。それでリンカーンは自然に聖書に親しみ、聖書が教える真理に従うようになりました。
 働きながら苦学して弁護士になったリンカーンは、村民からも尊敬されるようになりました。特に奴隷制度をめぐっては南部の人たちと激しく対立し、その反乱に悩まされました。それでもリンカーンは、神への信頼を失わず、「現在のあらゆる困難の中にも、知識を愛し、国を愛し、キリストを愛するこの国を、神様は決して忘れることなく愛しておられる」と言うのでした。
 11歳になる息子が天に召されると、リンカーンは、ますます神様を求めるようになり、神様のみこころを求めて生きるようになりました。そしてあるときこう語りました。「私は大きな苦難に出逢っているけれど、私の上に置かれている神様の御手を強く感じています。だから、神様の導きの中にすべてをゆだねているのです。神様は道を開いてくださるでしょう。私たちは、そこを歩きさえすればよいのです。神様の助けにすがり、そのすばらしい知恵に信頼して・・」こうして神様は、ご自身に信頼して従うリンカーンの信仰に応えて、アメリカの奴隷解放を成功させてくださいました。
 バルチモアの黒人代議士から聖書を贈られたとき、リンカーンは、それを受け取りながらいう言いました。「これこそ、神様が人類に与えた最上の贈り物です。人類の幸福を願うなら、それを聖書から見いだすべきです。
 リンカーンは、この聖書を愛し、聖書を通して受け取った神の愛と恵み、励ましを通して、その人生を建て上げていったのです。

 「さよなら、さよなら、さよなら」の台詞で有名だった映画評論家の淀川長治さんは、毎朝、こんな言葉を唱えたそうです。「今日は25日。25日は、1年に12回ある。きょうは4月25日。1年に1回しかない。今日は1997年の4月25日。私の人生にたった1回しかない。たった1回しかない日だから、今日もニコニコしていよう。」
 朝から機嫌が悪ければ、一日中嫌な気持ちで過ごすことになります。そんな気持ちは友達や家族にも伝染するばかりか、何をしても、うまくいくはずのこともうまくいかなくなってしまいます。1日をどのように始めるかはとても大事なことなのです。

 アンドリュー・マーレーという人は、朝早く起き、聖書を読んでいました。そして、イエス様の愛が心の中にいっぱいになるまで立ち上がらなかったといいます。人生は、1日1日の積み重ねです。そして、一生に1回しかない大切な日をどのように過ごすかは、朝一番のデボーションで決まります。朝ごとに神様の前に静まって聖書を読み、その日のためにみことばの糧をいただくことが大切です。なぜなら、聖書は神からの励ましのことばだからです。

 Ⅲ.互いに励まし合って(33-35)

 第三のことは、そのようにして励まされたアンテオケのクリスチャンたちはどうなったのかを見て終わりたいと思います。33~35節をご覧ください。

「彼らは、しばらく滞在して後、兄弟たちの平安のあいさつに送られて、彼らを送り出した人々のところへ帰って行った。パウロとバルナバはアンテオケにとどまって、ほかの多くの人々とともに、主のみことばを教え、宣べ伝えた。」

 ユダとシラスはエルサレム教会からの手紙を手渡し、そこで多くのことばをもって兄弟たちを励ますと、エルサレムへと帰って行きました。彼らが与えた励ましは、アンテオケ教会の人たちが信じ、拠って立っている福音に対する確信を与えただけでなく、彼らが今後も引き続き宣べ伝える福音の宣教の力にもなりました。それはアンテオケ教会にとどまって、みことばを教え、宣べ伝えたパウロとバルナバにも現れています。彼らもまたアンテオケにとどまって、ほかの多くの人たちともに、主のみことばを教え、宣べ伝えたのです。このように真の慰めは人の徳を高め、その人を立たせ、建て上げる力があります。それはその人の内に慰める力があるからというよりも、その人の内に働く神が慰めに満ちた方だからです。元々、聖書の語る「慰め」や「励まし」ということばにはは「傍らに呼ぶ」という意味がありますが、それは相手を自分の傍らに呼んで慰めてあげるということではなく、その人を自分の傍らに呼んで、真の慰めと励ましを与えてくださる神の御前に一緒にデルことです。それが聖書の語る慰めであり、励ましなのです。そのようにエルサレムから遣わされたユダとシラスはアンテオケにやって来てこの主の慰めによって励まし、彼らを力づけて去って行きました。また、一方のパウロとバルナバはアンテオケにとどまり、そこでみことばを教え、福音を語ることによって彼らを励ましました。そこから帰って行っても、とどまっていても、大切なのは主にあって励ますことなのです。

 ところで、このところをよく見てみると、34節がないことがわかります。欄外に34節として「しかし、シラスはそこにとどまることに決めた」とありますが、この文章は後の40節の文章と辻褄を合わせるために後の時代に挿入した文章だと言われています。元々の写本にはありません。では34節はどこに行ってしまったのでしょうか。何冊もの注解書を見ましたが、不思議なことにこのことについて触れているものが一つもありませんでした。だれもわからない。ただないからないとしか言いようがないということなのでしょう。わからないことはわからないでいいのかもしれませんが、あえて大胆に想像することが許されるならば、この34節には、ユダやシラスによる励ましやパウロやバルナバの励ましの源であった神の慰めが描かれていたのではないでしょうか。この方こそ真に慰めを与えることかでぎる方なのです。

「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。」(Ⅱコリント1:4~6)

 もしかするとこの中には大きな試練の中におられる方がいらっしゃかもしれません。どうして自分だけがこのような問題を抱えなければならないのかと嘆いておられる方もいらっしゃるかもしれません。そのような苦しみがあるとしたら、それはその人が神から慰めを受けるためです。神から慰めを受けその慰めによって、同じような苦しみの中にいる人をも慰めるためです。神は私たちに、そのように他の人々を慰める人になってほしいのです。

 「瞬きの詩人」と呼ばれた水野源三さんは、9歳の時に赤痢になり、脳膜炎を起こし、全身が不自由になりました。この大きな苦難の中で、水野さんは聖書に出会います。毎日聖書を読み続ける中で、神様の愛を知り、慰められ続けたのです。やがて、源三さんはその生き方や詩を通して、慰めを受ける人から、慰めを与える人に変わっていったのです。
 ある時、姪の美雪さんが源三さんに「病気をしたことをどう思っているの?」と聞きました。すると源三さんは即座に「感謝している。キリストを信じることができたから」と答えたそうです。これは苦しみの中で慰めを受けた人にしか言えない言葉ではないでしょうか。その水野さんが書かれて詩の中に、「苦しまなかったら」という詩があります。それはこの後で賛美する新聖歌292番の歌詞にもなっている詩です。

「もしも私が苦しまなかったら
 神様の愛を知らなかった
 もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
 神様の愛は伝えられなかった
 もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
 神様の愛はあらわれなかった」

  「わが恵み汝に足れり  水野源三第一詩集」(アシュラムセンター発行)

 苦難の中で神に望みを置くとき、神様は必ず慰めの種を蒔いてくださいます。この種を受け取り、この種を咲かせる人は幸いです。私たちもこの神に身をゆだねて、「慰め」のという名の花を咲かせたいものです。

 少し前にフジテレビで三谷幸喜さん脚本の「わが家の歴史」というテレビドラマが放映されました。これは激動の昭和の歴史を生き抜いた家族の姿を描いたドラマですが、このドラマの最後にナレーターがこう言うのです。「ここには歴史を動かした偉大な人は一人もいない。しかし、これが戦後の昭和に生きた家族の姿なのである」と。激動の昭和を生き抜いた家族とはどんな家族だったのでしょうか。このドラマの最後のところに女で一つで育てられた息子、実の運動会のシーンが出てきます。夫を亡くし働かなければ生きていけない母親は、その運動会に行ってやることができなませんでした。そこで他の家族5人が連絡を取り合って応援にやって来る。また、夫と親交があった人の好意によって彼女も務めていた工場から運動会に駆けつけることができ、家族全員が見守る中で実るは一等賞を取るのです。これが激動の昭和を生き抜いた家族の姿だった。つまり、そのような激動の昭和を生き抜くことができたのは、そこに家族の助け合い、励まし合いがあったからなのです。

 私たちは神の家族です。それぞれの人生には実にいろいろな出来事が起こるでしょう。そうした激動の人生を生き抜く力は、互いに愛し合い、助け合い、励まし合うところから生まれてくるのです。ここには偉大な人は一人もいないかもしれません。しかし、神によって愛され、励まされ、慰められた人たちが集められている。そのような人たちが互いに励まし合うとき、その励ましによって私たちは生き抜いて行くことができるのです。

使徒の働き15章1~21節 「エルサレム会議」

 きょうは、世界で初めて行われたキリスト教会の公式な会議であるエルサレム会議からご一緒に学びたいと思います。パウロとバルナバによって異邦人にも福音が伝えられていくと、エルサレムを中心としたユダヤ人クリスチャンたちとの間にいろいろな論争や対立が生じるようになりました。歴史には過渡期と言われる時期があり、そういう時には多少なりのぎくしゃくが起こることがありますが、それはキリスト教の歴史においても同じでした。福音が異邦人にも伝えられていくという転換期を迎えていく中で、ユダヤ人クリスチャンとの間に意見の相違や軋轢が生じたのです。しかもその問題は福音とは何かというキリスト教の本質に関わる重要な問題でした。その問題について話し合ったのがこのエルサレム会議です。教会はこの会議での話し合いを通して福音とは何かを正しく理解し、新たな宣教へと進んで行ったのです。

 きょうはこのエルサレム会議から三つのことを学びたいと思います。まず第一に、この会議が開かれるようになったきっかけです。それは、ユダヤ人クリスチャンが古い自分の考えにとらわれていたことに起因しました。第二のことは、この会議で確認された一つのことです。それは救いはただ神の恵みによるということです。そして第三のことは、この会議で確認された福音のもう一つの真理についてです。それは、つまずきを与えてはならないということです。

 Ⅰ.自分の考えにとらわれないで(1-5節)

 まず第一に、エルサレム会議が開かれるようになったきっかけから見ていきたいと思います。1~5節までをご覧ください。まず1節と2節です。

「さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。」

 事の発端は、アンテオケに下ってきたユダヤの人々のことばでした。彼らはアンテオケにいたクリスチャンたちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と言ったのです。割礼とは男子の性器を覆っている皮を切り取る儀式で、それは旧約時代の選民のしるしでした。それを受けなければ救われないというのは、救いにはイエス・キリストを信じる信仰だけでは足りないということです。信仰プラス割礼が必要だと言うことになります。彼らにしてみたら、主イエスの福音によって救われたとはいえ、ずっと長い間守り続けてきた律法の生活はなお残っていたのでしょう。ですから、後から救われてきた異邦人クリスチャンたちも自分たちと同じような道を通るべきだと考えたのです。

 しかしそのことでパウロやバルナバとの間に激しい対立と論争が生じました。というのは、パウロたちが宣べ伝えた福音は、人はたとえどんな人であってもその罪を悔い改めイエス・キリストを救い主と信じるなら救われるというものだったからです。救われるためにはユダヤ教の伝統や律法を守らなくても、異邦人が異邦人のままで救われると教えていたのです。この福音に少しでも何かを付け加えることがあるとしたら、それはもう福音ではありません。ですからこれは救いの本質に関わる重要な問題であり、異邦人クリスチャンたちとユダヤ人クリスチャンたちの一致を脅かす大きな問題でした。そこでパウロとバルナバはこの問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになりました。3~5節です。

「彼らは教会の人々に見送られ、フェニキヤとサマリヤを通る道々で、異邦人の改宗のことを詳しく話したので、すべての兄弟たちに大きな喜びをもたらした。
エルサレムに着くと、彼らは教会と使徒たちと長老たちに迎えられ、神が彼らとともにいて行なわれたことを、みなに報告した。しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。」

 エルサレムに到着したパウロとバルナバは、教会と使徒たち、長老たちに迎えられると、神が彼らとともにいて行われたすべてのことを報告しました。それは彼らが第一次伝道旅行を終えてアンテオケ教会に戻った時に報告したことと同じです。14章27節には、「神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」とありますが、ここでもそのように報告したのでしょう。

 しかし、パリサイ派の者で信者になった人々は、パウロとバルナバたちが語ることを受け入れることができませんでした。彼らは、異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守らせるべきだと主張したのです。彼らは異邦人がイエス・キリストを信じて聖霊を受けたということを聞いても、相変わらず古い契約に固執し、それに縛られていたのです。彼らがしていたことはすべての人がキリストの福音によって救いに導くことではなく、キリストを信じるユダヤ教徒を作ることだったのです。このように自分の考えにとらわれてしまうと、ともすると神の働きを妨げてしまうことがありますから注意しなければなりません。大切なのは、神の働きに敏感であるために、いつも自分の考えにとらわれないようにすることです。

 Ⅱ.ただ恵みによって(6-19節)

 では次に、この問題をどのように解決したかを見ていきましょう。6節をご覧ください。

「そこで使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まった。」

 パウロやバルナバたちとユダヤ主義クリスチャンたちとの間に対立が生じたとき、使徒たちと長老たちは、この問題を検討するために集まりました。ここに世界で初めてのキリスト教界における公式な会議が開かれました。これがエルサレム会議です。このように重要な事柄を会議で決めるという伝統は、教会がこの長い歴史の中で大切に培い、養ってきたことです。それは、人間の知恵を出し合い、合意を目指すということよりも、教会のかしらであられる主イエス・キリストのみこころを尋ね求め、それを受け取り、それに従うために開かれるものです。ある人にとっては教会の中にこのような争いが起こると自体が受け入れられないという方もいますが、教会が真理を究明し、自分たちが信じていることを極めていこうとする時には、このような論争が避けられないこともあるのです。そのうよな時にはどうしたらいいのでしょうか。みことばを中心にして、聖霊の導きを祈りながら話し合うことです。教会に問題が起こることが問題なのではなく、それをどのように解決していくのかが重要なのです。初代教会はこのような問題が起こったとき、その問題の解決のために話し合いました。その内容が7~19節までに記されてあることです。まず11節までのところをご覧ください。激しい論争があって後、ペテロが立ち上がってこう言いました。

「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」

 ここでペテロが指摘したことは二つの事実です。一つは、使徒の働き10章に出てきたあの異邦人コルネリオが救われた出来事です。彼が救われたのはどのようにしてだったのでしょうか。彼が救われたのは、彼が割礼を受けたり、律法を守ったからではありませんでした。彼はただペテロの語った福音のことばを聞いて信じただけでした。そのとき自分たちと同じように聖霊を受けるということを経験したのです。すなわち、神は彼らの心をユダヤ人たちと何の差別もつけずに、ただ信仰によってきよめてくださったのです。

 ペテロが取り上げたもう一つのことは、自分たちが負いきれなかったくびきのことです。その「くびき」とは律法のことです。それはユダヤ人の先祖たちも、自分たちも負いきれなかったくびきでした。それを守ろうとしても、自分にはそんな力などなく、それは重荷でしかなかったというのがペテロの抱いた率直な気持ちでした。律法を完全に守れる人間などひとりもいないからです。ではどういうことになりますか。律法によっては救われなかった私たちがどのようにして救われたのかというと、それはただ主イエスの恵みによるのです。であればなおのこと、異邦人が救われるのも主イエスの恵みによると言えるのではないでしょうか。なのにそのくびきを彼らの首に掛けるようなことをしてはいけない。それは神を試みることになるのだ、というのです。

 ウォーフィールドという人は、「事実というものは、なかなか手ごわいものである」と言いましたが、このペテロの語った事実というのは、なかなか説得力がありました。人間の学説や解釈をあざ笑うかのように、一見理屈に合わないようなことでも立証してしまう力がありました。しかもペテロの論じ方は単なる事実ではなく、あらかじめ神が幻によってみこころを示された解釈付きの事実でした。だからこそ、彼はこの出来事を「神が・・・お決めになり」「神があかしをし」と断言することができたのです。それを聞いていた全会衆が沈黙するほどの説得力がありました。 

 そして、彼の主張を裏付けるかのように、パウロとバルナバが、先の伝道旅行において、神が彼らを通して異邦人たちの間でなされたしるしと不思議なわざについて話しました。12節です。事実に基づいたペテロの経験に加えて、しるしと不思議なわざの伴ったパウロとバルナバの働きを通して、異邦人もまた信じるだけで救われるということが、少しずつ理解できるようになりました。

 極めつけはヤコブの発言です。このヤコブとは主イエスの実際の兄弟で、ヤコブの手紙を書いたヤコブです。この時にはエルサレム教会の牧師をしていたのではないかと思われていますが、彼は次のように言いました。13~19節です。

 「兄弟たち。私の言うことを聞いてください。神が初めに、どのように異邦人を顧みて、その中から御名をもって呼ばれる民をお召しになったかは、シメオンが説明したとおりです。預言者たちのことばもこれと一致しており、それにはこう書いてあります。『この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。大昔からこれらのことを知らせておられる主が、こう言われる。』そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。」

 彼の発言は、この会議の総括とも言える重要なものでした。彼はまず、ペテロをユダヤ名で「シメオン」と呼び、彼が語ったことを全面的に支持すると、さらにその根拠として旧約聖書を引用して、異邦人の救いは旧約時代からの約束であったことを示しました。ここに引用されているのはアモス書9:11~12のみことばですが、これはアモスが、滅び行くイスラエルの未来を預言して、後の日にもたらされるダビデ王国の復興を終末における神の国の成就の幻と重ね合わせて語ったことです。そこでは単に王国が立て直されるばかりではなく、「わたしの名で呼ばれるすべての異邦人がみな、主を求めるようになる」ということでした。つまり異邦人の救いがイスラエルの再建とともに、その王国の拡大をもたらす終末的な祝福として位置付けられていたのです。

 もちろん、このような預言を語ったのはアモスが最初ではありませんでした。ずっと遡っていくと、創世記の中でアブラハムにも語られていたことがわかります(創世記17:4~5)。このように異邦人が救われるということはずっと昔から旧約聖書で預言されていたことであり、神のみこころだったのです。ですから、ヤコブはこう結論しました。19節です。

「そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。」

 この「悩ませる」という言葉は、ペテロが10節で語ったように、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、異邦人クリスチャンたちの首にかけるようなことをしてはならないということです。つまり、ユダヤ人クリスチャンは異邦人の回心者たちに、割礼やユダヤ教にかかわる律法を課してはならないということです。だれであれ、救い主イエスキリストを信じて神に立ち返るなら、救われるのです。そこには何の条件もありません。私たちを縛り付けるための律法は何一つないのです。ただイエス・キリストを信じるだけで救われる。それが福音です。これがこの会議で確認されたことでした。であれば私たちはこの恵みに生きる者でなければなりません。だれひとり、くびきを負わせて悩ませるようなことをしてはならないのです。

 「だれも知らなかった恵み」という本を書いたフッリップ・ヤンシーは、その本の中で、クリスチャンは頭ではそのことが分かっていますが、実際の生活はというと、強迫的なまでの努力を繰り返していると指摘しています。人の心はもちろん、神の心まで引こうと必死に努力しているというのです。神のもとに行くには何かをしなければならないと本能的に思ってしまうというのです。しかし神の恵みとは、私たちのどんな行いをもってしても、神の愛を大きくすることでも小さくすることでもありません。恵みとは、救われるに値しない者が救われること。ただ救い主イエスを見上げることでしかないのです。

 それにしても、このヤコブのすばらしかった点は、彼がこの福音の真理に導いていく上で御言葉を通して神のみこころを求めたことです。なぜなら、このような会議において重要なことは、ただ人間の知恵を出し合い、合意を目指すということではなく、神のみこころを求め、それを受け取り、それに従うことだからです。そのために必要なことは、こうした話し合いが神の御言葉と聖霊の導きの中で、神のみこころに聞き従うというへりくだった姿勢のもとで行われることであり、そのようにして決められたことでも絶えず御言葉によって検証され、後で誤りが認められたなら、いつでもそれを修正し撤回することができるという柔軟な姿勢を持つことです。ヤコブは、旧約聖書を通して異邦人がみな主を求めるようになることが神のみこころであり、であるならば、そうした異邦人を悩ませてはいけないと結論することができたのです。それはまさに28節にあるように、「聖霊と私たちが・・決めた」ことだと言えるでしょう。がゆえに、この会議で確認されたことはとても重要なことであり、私たちがしっかりと守り続け、立ち続けていなければならない真理です。それは、私たちが救われれるのは私たちが何かをすることによってではなく、主イエスの恵みによってであるということだったのです。

 Ⅲ.つまずきを与えないように(20-21節)

 第三のことは、つまずきを与えないようにということです。このようにして導き出された結論ですが、ヤコブの勧めはそれだけで終わっていません。彼は「ただ」と言葉をつないで、次のように言いました。20~21節です。

「ただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。昔から、町ごとにモーセの律法を宣べる者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」

 どういうことでしょうか。ここで取り上げられている避けるべき四つの事柄は、どれも旧約の儀式律法に関することです。いましがた、異邦人は異邦人のままてで、ただイエス・キリストを信じるだけで救われるのであって、そのような律法の要求を異邦人につきつけることによって彼らを悩ませてはいけないと言ったばかりのヤコブがこのようなことを言うことは、一見矛盾しているかのように感じます。このようなことを言うことは、それもまた異邦人を悩ませることになるのではないでしょうか。彼はなぜこのようなことを言ったのでしょうか。その理由は21節に記されてあります。それは「昔から、町こどにモーセの律法を宣べ伝える者がいて、それが安息日ごとに諸会堂で読まれているからです。」つまり、異邦人クリスチャンの周囲には、安息日ごとにユダヤ諸会堂で律法の朗読を聞いているユダヤ教の人たちがいるので、そういう人たちのつまずきにならないようにする必要があったということでするというのは、この四つの事柄は特に目立つ規定だったからです。救われるためにこのような律法を守らなければならないのではありません。私たちが救われるためには、ただイエス・キリストの十字架の贖いと復活を信じるだけでいいのです。このような律法を守るか守らないかは全く関係ありませんが、しかし、世間の人々のつまづきになるか否かという点から考えると、この四つの項目は心して避けるべきものだったのです。パウロはIコリント9:19~22で次のように言っています。

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです」

 ここでパウロは、自分はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となったと言いました。ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のようにです。弱い人々のためには、弱い者になりました。それは何とかして幾人かでも救うためです。具体的には、偶像に備えた肉を食べてもよいかどうかと言うときも、偶像の神なんていないのだから、備えられた肉を食べても別に問題はないという見解を持っていましたが、彼は食べることをしませんでした。なぜなら、偶像に備えた肉を食べたら汚れるのではないだろうかとか、悪霊につかれてしまうのではないだろうかと、心配する人たちがいたからです。そういう人たちにつまずきを与えないために、あえて食べないことにしたのです。彼の言動の基準はいつも、福音のために生きるということでした。何とかして、幾人かでも救われてほしいという願いがあったからです。

 かつて、日本にスイスからとても有名な一人の神学者がやって来ました。その人の名前はエミール・ブルンナーです。彼は日本の大学や神学校で教えるために約2ヶ月間日本に滞在しました。実は彼は大変な愛煙家なのです。彼の著書の表紙にはよく写真が載っているのですが、だいたいは口にパイプをくわえています。ところが彼が日本にいた二ヶ月間、彼は一本のたばこも吸いませんでした。それで、心配したある人が聞きました。「博士。日本のたばこはお口に合いませんか」すると彼はこういい言いました。「私は日本に来る前に、日本のクリスチャンたちの多くは、禁酒、禁煙をモットーにしていると聞きました。それがスタンダードな日本の教会の考えだと。だから、私がたばこを吸うとによってつまずく人がいるかもしれない。もちろん、いないかもしれない。でもいるかもしれない。もし一人でもそういう人がいる可能性があればと考えたので、私は日本にいる間は一本のたばこも吸わないことに決めたのです。」そう言って彼は本当に吸わなかったのです。すごいですね。でも、これが福音に生きる大人のクリスチャンの考え方です。すべては福音のために。それゆえに彼は弱い人のためには、弱い人のようになったのです。

 インドネシアのボルネオ島に21世紀のシュバイツァーと言われるお医者さんがいます。この方の名前は、ドクター・ゲーリーと言いますが、彼は医療宣教師としてそこで働いておられます。
 ドクター・ゲーリーは、アメリカのミネソタ州の小さな村で生まれました。15歳の時、イエス・キリストを自分の救い主として信じました。そして16歳の時に、アフリカから帰国した宣教師が各地の教会を回って報告した話を聞いて、自分も大きくなったら医者になって、宣教師として海外で神様のために働きたいと思うようになりました。やがて医師の資格を取り、宣教師の訓練を受けてから、今いる西カリマンタンのボルネオ島に遣わされました。そこには50万人もの人が住んでいるのに、医者はたった3人しかいませんでした。最初に遣わされた町には、電気も、ガスも、水道もありませんでした。そういうところで彼は、36年間も奉仕したのです。その36年の間に、彼も、また彼の家族もマラリヤなどのさまざまな風土病にかかりながらも、その奉仕を続けてきたのです。なぜそういう生き方をしてきたのか。その理由はたった一つだけです。キリストの福音のためにです。彼は医師としてアメリカにとどまり、そこで医師として奉仕することもできましたし、それもまたすばらしい方法であったに違いありません。しかし、あえてこのような道を選んだのは、パウロのように幾人かでも救いたいと思ったからなのです。彼はそこにいる人たちの救いのために、彼らのようになりました。祖国の快適な生活を捨てて、宣教師になって、ガスも、電気も、水道もないような所に行って仕えたのです。

 考えてみたら、私たちの主イエス様もそうされました。イエス様は神でありながらも、神であるという考え方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それは罪人を救うためです。イエス様は罪人を救うために罪人のようになられたのです。それが神のみこころであり、福音に生きる者の姿です。私たちはだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷になるべきです。ユダヤ人にはユダヤ人のように。ギリシャ人にはギリシャ人のように。だれひとり、つまずかせてはならないのです。

 ですから、ヤコブがここであれこれの行状を慎むべきだと言ったのは、そのように多くの人を救うことが神とキリストのみこころであるという大前提の下で語られた忠告であって、ある人たちが考えるように、ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンが互いに歩み寄り、妥協を図ったからではないのです。それはただキリストの福音に表された神のみこころを第一に求めた結果導き出された結論だったのです。
 
 もし私たちが、ほんとうに、神のみこころを第一に求めるならば、だれひとり、くびきを負わせて悩ませてはなりません。また、もし私たちが、ほんとうに、キリストの福音に表された神のみこころを第一に求めるならば、だれひとり、信仰以前の問題でつまずかせてはならないのです。パウロのように、ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のようにと、喜んで自分の生活を律し、すべての人に対してすべての人のようになることを求めていかなければならないのです。このどちらかを忘れて、兄弟をさばいても平気、いや、つまずかせても平気、というのであれば、それはほんとうの意味で、キリストの福音を正しく理解していないことなのです。それは兄弟愛の欠如とか教会観の間違いということではなく、福音を福音としてつかんでいないからなのです。

 どうか、私たちの教会の一致というものもまた、この世の知恵とか常識といったものから出たものではなく、あるいは、互いが歩み寄って譲歩することによってもたらされるというものでもなく、福音を福音として正しく受け止め、この福音によって救われ生かされた者であるから、すなわち、主イエスの恵みによって生かされているからところから生まれたものでありますように。この福音のいのちが、私たちの教会にいつも脈々と流れていきますように。これこそ、このエルサレム会議を通して明らかにされた福音の奥義だったのです。

使徒の働き14章19~28節 「神の恵みにゆだねられて」

 きょうは「神の恵みにゆだねられて」というタイトルでお話をしたいと思います。シリヤのアンテオケから遣わされたパウロとバルナバは、その伝道の旅を終えてアンテオケ教会に戻ります。そこはかつて彼らが主の恵みにゆだねられて送り出された所です。彼らはアンテオケを出てから、キプロス、ピシデヤのアンテオケ、イコニウム、ルステラを巡って福音を伝えました。きょうのところにはその伝道の旅の終わりに彼らがしたことと、そのアンテオケ教会に戻ってからしたことについて記されてあります。きょうはこのところから、教会が生み出され、建て上げられていくために必要な三つのことを学びたいと思います。第一のことは、信徒には励ましが必要であるということ。第二のことは、彼らが教会ごとに長老を選び出したことについて。そして第三のことは、神の恵みを数え上げることです。

 I.信仰には励ましが必要(19-22)

 まず第一に、信仰には励ましが必要であるということについて見ていきたいと思います。19~22節までをご覧ください。

「ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町にはいって行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。彼らはその町で福音を宣べ、多くの人を弟子としてから、ルステラとイコニオムとアンテオケとに引き返して、
弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。」

 ルステラの町でギリシャの神々と崇め奉られそうになったパウロとバルナバは、そうしたむなしい偶像を捨て生ける神に立ち返るようにと語りましたが、今度は一転して死の危険にさらされるような出来事が起こりました。19節です。アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちがやって来て、群衆を抱き込んで、パウロを石打ちにしたのです。彼が瀕死の重傷を負ったことは、群衆がパウロは死んだものと思って、彼を町の外にひきずり出したという言葉からもわかります。恐れていたことがついに現実になってしまいました。しかし、死んだものだと思って取り囲んでいたら、突然彼が立ち上がり、町に入っていきました。聖書は、このときのパウロの心情を語ってはいませんが、傷だらけの体を押して再びルステラに入って行った彼の姿を見た弟子たちは、主に従うとはどういうことなのかをまざまざと見せつけられたに違いありません。そして彼は、その翌日バルナバとともにデルベに向かうと、その町で福音を宣べ伝え多くの人を弟子としました。

 問題は、その後どうしたかです。デルベで福音を宣べ伝えたパウロとバルナバは、事もあろうに、少し前にあんなに迫害されたルステラ、イコニオム、アンテオケの町々に引き返しているのです。地図をみるとわかりますが、このデルベから南東に進んで行けばパウロの生まれ故郷のタルソがあって、そのまま進んで行くとすぐに母教会のあるアンテオケに戻れるのです。なのに彼らはわざわざ逆の道を引き返して行きました。いったいどうしてそんなことをしたのでしょうか。その理由は22節に記されてあります。それは、「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりととどまるように勧め」るためでした。つまり、伝道して救われたクリスチャンたちを励ますためだったのです。

 パウロたちの伝道をみると、畑に種を蒔くだけのいわゆる「種まき伝道」ではなかったことがわかります。そこには種を蒔いて芽が出た人への信仰の教育と牧会的配慮が伴っていました。なぜ種まきだけで終わってはならないのでしょうか。それは、信仰にとどまるということが、そう簡単なことではないからです。人は福音を聞き、ここに救いがあると確信して洗礼を受けますが、だからといって、そこにずっととどまっていることができるのかというとそうではありません。実際には、何度も何度も手を変え品を変えて、心を強め、勧められなければ全うできることではないのです。そう、信仰には励ましが必要なのです。支えが必要です。そのようなクリスチャンの交わりの中で励まされ、支えられてこそ、信仰にとどまっていることができるのです。

 なぜでしょうか。なぜなら、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」からです。おそらく、アンテオケ、ルステラ、イコニオムでパウロが受けたような迫害が、もうすぐこれらのクリスチャンにも迫ってくることでしょう。こうした人たちの信仰が強くなり、彼らが大胆に証しされるようになると、それに伴ってもっと多くの苦しみも襲ってくるのです。そのような中でもこの信仰にしっかりととどまっているためには、こうした励ましが欠かせなかったのです。

 私たちが住むこの日本では、こうした迫害や苦しみはないかもしれませんが、それとはまた違う形の困難があるのではないでしょうか。イエス様はマタイ7:13,14で、「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」と言われました。圧倒的大多数の人たちがクリスチャンを無視して正反対の道に殺到していくのを見るだけでも、焦りとか劣等感といった精神的苦痛を味わうものです。そしてこのような葛藤ほど苦しいものはありません。時代のバスに乗り遅れたら人間失格者になりかねないという焦りから、多くのクリスチャンが、一度は踏み入れた狭い道から、引き返すことも少なくないのです。ですから、私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならないということと、この信仰の道こそ、神の国に入る正しい道なのだということを、繰り返し繰り返して確認していかなければなりません。

 「ジャックと豆の木」という童話がありますが、私たちが天に登る道は、豆の木ではありません。私たちが登る木はばらの木のようないばらの道で、その途中には多くのとげがあります。しかし、その途中にどんなに苦痛に満ちたとげがあっても、その頂には、きれいな花が、すばらしい栄光の花が咲いているのだということを、いいえ、このような針やとげがない茎には、ばらの花は咲くことがないのだということを、よく理解していなければなりません。

 バイオリンを作るある職人がいました。彼は最上のバイオリンを作るために、質のよい木を探そうとあらゆる力を尽くしました。そして、最良の国産の木を選び、また良質の外国産の木も取り寄せたりしましたが、そうした努力にも関わらず、自分の望むバイオリンを作ることができませんでした。
 ところがある日、樹木の境界線で苦労して育った木を発見しました。その木は節が多く、ねじれていました。冬の厳しい風と山頂から吹きおろす荒涼とした風雨に打たれて育ったため、形はまっすぐではありませんでしたが、とても頑丈でした。彼はその木でバイオリンを作りました。すると、そのバイオリンは、それまで作ったどのバイオリンよりもすばらしい音を奏でたのです。

 それは私たちの信仰も同じです。信仰という困難な環境の中で厳しい試練と苦しい経験を通って生きた人は、やがて神の国という栄光を見るようになるのです。私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければなりません。ある人は信仰に無理解な家族から、ある人は職場の同僚や上司から嫌がらせを受けることもあるかもしれない。またある人は教会の中であらぬ誤解を受け心に痛みを抱えてしまうこともあるでしょう。しかし、私たちの道は間違っているのではありません。私たちは確実に、いのちに至る狭い門、狭く細い道から入っているのです。そしてやがていのちに至るまでの間に様々な苦難を通し、それにふさわしく整えられているのです。このことを覚えて互いに励まし合い、支え合っていかなければなりません。信仰は決して孤独な営みではないのです。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)

 雲のように私たちを取り巻いている多くの証人たちをはじめ、同じ信仰に歩んでいる友がたくさんいるのです。そうした人たちとともに、励まし合って、御国に向かって進んでいく。それが教会なのです。

 Ⅱ.教会ごとに長老たちを選び(23)

第二のことは、パウロとバルナバが教会ごとに長老たちを選んだことです。23節をご覧ください。

「また、彼らのために教会ごとに長老たちを選び、断食をして祈って後、彼らをその信じていた主にゆだねた。」

 パウロは、これまで伝道して救われたクリスチャンを励ますためにそれが危険なことだと分かっていても、引き返して、弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりととどまるように励ましましたが、彼がしたことはそれだけではありませんでした。教会ごとに長老たちを選び、断食して祈った後、彼らをその信じていた主にゆだねたのです。どういうことでしょうか。異邦人に福音を伝えるという使命が与えられていたパウロは、いろいろなところを巡回しながら福音を伝えていかなければならなかったので、ずっと一つの群れにとどまっていることはできませんでした。彼が教会のためにできることは限られたことであり、教会にいられる時間も限られていました。ですから、主イエスを信じた人たちがずっと信仰にとどまっているために彼がしたことは、彼らをその信じていた主にゆだねるということでした。その具体的なことが、教会ごとに長老たちを選ぶということだったのです。

 教会ごとに長老たちを選ぶということが、どうして主にゆだねることにつながるのでしょうか。それは主にゆだねるということが、具体的にはそのように長老たちを選び、彼らの指導にゆだねることだからです。そのようにすることによって、教会の主であり、かしらであられるイエス・キリストが、御言葉と聖霊によってご自身の教会を治め、守り、建て上げてくださるのです。ですからパウロはここで、教会ごとに長老たちを選び、・・・彼らをその信じていた主にゆだねたのです。教会の組織や政治といったものをいかにも俗っぽいもののように毛嫌いし、ただ、みことばの説教を味わい、祈りに逃避するだけの個人主義的信仰は、このような意味からも間違っていると言えます。教会が一定の秩序と組織に整えられているということは、私たちが抱える様々な苦しみを克服し、この信仰にしっかりととどまっているうえで重要なことであり、福音宣教という神様からゆだねられている使命を果たしていくためにも必要なことなのです。

 ところで、このように牧師、長老、役員が選ばれるということはどういうことなのでしょうか。まずここでは、教会ごとに長老たちが選ばれたとあります。信仰が長く、しっかりしていれば、ルステラでもイコニオムでもアンテオケでも長老として通用するかというとそうではなく、ルステラではルステラの会衆から、イコニオムではイコニオムの会衆の中から立てられる必要がありました。それはどんなに小さな教会であっても、それそへれの置かれていた状況は様々で、そうした状況に適応した人たちが必要だったからです。そうした違う教会のそれぞれの個性が生かされ、会衆の総意というものが反映されていくためにも、それぞれの教会ごとに長老たちが選ばれたのです。

 そればかりではありません。ここには、「長老たち」と複数で選ばれたことがわかります。それは言うまでもなく教会が一人の人の独裁を避け、個人が持っている短所や癖といったものを補い合って、個人的好みや主義主張を避けるための工夫でもありました。能率的な面から言えば、有能な牧師や役員がひとりで何もかもした方がやりやすいかもしれませんが、それでは教会に牧師や長老を立てることの意義を見失ってしまうことになります。その意義とは、教会が主の御声を聞くことです。教会が長老を立て、このように組織することの最も重要なことは、このように牧師や長老を立てることによって主のみことばを聞くことなのです。それは単なる組織上の利便性を考えてとか、会員たちの声が教会の運営に反映されるといった人間的な理由によるのではなく、あるいは、そのようにして教会が風通しがよくなるといったことでもなく、このことによって主の御声を聞くことができるためなのです。主の御声を聞いて、主のみこころが明らかにされ、この方にお従いするためです。それが主にゆだねるということだったのです。

 私たちの教会も二週間後には総会が行われますが、この総会において最も重要なことはこのことではないではないかと思います。すなわち、教会は私たちの考えや好みがどうのこうのではなく、主の御声を聞いて、主のみこころがどこにあるのかを知り、それに従っていくことです。それが主にゆだねていくということなのです。イエス様は、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)と言われましたが、そのような教会こそ、決して揺れ動くことのないイエス・キリストを頭としたご自身の教会なのです。

 Ⅲ.神の恵みを数えて(24-28)

 第三のことは、パウロとバルナバが母教会のアンテオケ教会に戻り、そこでどのような報告をしたかです。24~28節までをご覧ください。

「ふたりはピシデヤを通ってパンフリヤに着き、ペルガでみことばを語ってから、アタリヤに下り、そこから船でアンテオケに帰った。そこは、彼らがいま成し遂げた働きのために、以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった。そこに着くと、教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったこととを報告した。そして、彼らはかなり長い期間を弟子たちとともに過ごした。」

 パウロとバルナバはもと来た道を引き返して、弟子たちを励まし、教会ごとに長老たちを選び、彼らをその信じていた主にゆだねると、パンフリヤ、ペルガ、アタリヤへと進み、そこからようやくのことで船に乗り込み、アンテオケに帰りました。そして、そこで教会の人々を集め、神が彼らとともにいて行われたすべてのことと、異邦人にも信仰の門戸を開いてくださったことを報告したのです。

 ここで注目したいことは、このアンテオケが、「以前神の恵みにゆだねられて送り出された所であった」と記されてあることです。彼らの伝道の旅を振り返ってみると、それは必ずしも神の恵みとは言えないことがたくさんありました。キプロス島では魔術師エルマとの戦いがあり、勝利してさあ次へ向かおうとしたら今度は同行していたヨハネ・マルコが脱落して離れて行ったり、ルステラではギリシャの神々に奉られることもありました。かと思ったら、ユダヤ人たちの陰謀によって、激しい敵対のために、石打ちにあって死にそうになったこともありました。こうした彼らの旅を振り返ってみると、それは神の恵みというよりも苦難の連続であったわけです。しかし、パウロにとってはこの旅全体を振り返ったとき、確かにそれは神の恵みにゆだねられて始まった旅であり、その旅を終えた今も、そのように言うことができたのです。なぜなら、彼らはこの伝道旅行の中で行われたすべてのことが、神がともにいて行われたことと信じていたからです。実際に汗水流して働いたのはパウロとバルナバですが、そうした働きの背後には、神がともにいて行ってくださったと理解していたのです。そういう意味では、パウロもバルナバも、徹頭徹尾、自分たちは主なる神のしもべであって、教会の働きもその主のみわざであるという意識に貫かれていたのです。

 それはちょうどラグビーのようではないでしょうか。ラグビーは前進しながらもボールを後ろに回して行きます。前に投げることはできません。そして前に進もうとすると相手にタッグルされて倒されてしまいます。倒れれば相手が折り重なってつぶされる。けれども、それをまた次の選手が拾い上げ、受け取って、再び走り出し、ゴールへと向かって進んでいくわけです。この地上の教会の歩みはまさにそうです。いろいろな困難に直面し、倒され、つぶされ、奪われ、前に進んでいるのか、後ろに後ずさりしているのか時には分からないような経験を通されることがありますが、しかしボールは確実に手から手へと受け渡され、全体として神の国の完成へと向かって進んでいくのです。後退しているようでも、倒され、つぶされ、もみくちゃにされながらも、ボールは確実にゴールを目指して進んでいるのです。それがわかるからこそ、その置かれた状況、状況の中でも全力を出し切ることができるのです。

 パウロとバルナバもそうでした。彼らの伝道の旅には多くの困難があって、時には倒され、本当に福音が前進しているのかさえもわからなくなる時もありましたが、今、こうやって振り返ってみたとき、そこに神の御手がともにあり、すべてが神の恵みによるものであったということが分かったのです。

 ですから、たとえそこに失敗や挫折があったとしても、主の恵みとそのみわざを数えるという冷静な心を失ってはなりません。主の恵みを正しく数えるならば、私たちは必ず、第二、第三のもっと意欲的なみわざに取り組んでいくことができるようになるでしょう。今、私たちは新しい年度の歩みに入りますが、このことを忘れないでいたいものです。すなわち、昨年度のすべてのことは神がともにいて行ってくださったことであり、そこには失敗も成功もいろいろありましたが、それらすべてのことは神の恵みであったということです。そのように人にではなく神の恵みに期待する人は、さらに大きな力を得ることができるのです。主の恵みを豊かに数え上げた上で、新しい年度も大いなる幻を描きながら前進していきたいものです。

使徒の働き14章1~18節 「生ける神に立ち返って」

 きょうはこの聖書の中から、「生ける神に立ち返って」というタイトルでお話したいと思います。きょうの話は、パウロとバルナバがイコニオム、そしてルステラという町に行って伝道した時の話です。そこに生まれつき足のきかない人がいて、その人に向かってパウロが、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言うと、その人が飛び上がって歩き出したので、それを見た人たちがびっくりして、パウロとバルナバをギリシャ神話に出てくるゼウスとヘルメスにしてしまいました。そこでパウロは、そういう彼らに向かってパウロは次のように言いました。15節です。

「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。」

 これは、旧約聖書を知らない異邦人に語ったパウロの話ということで、たいへん興味のある話です。現人神や生き仏さまを祭ってきた日本人にとって、最も必要な話かと思います。きょうはこの生ける神に立ち返るまことの信仰について三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、この世の中にはみことばを聞いて信じる人と信じない人の二種類の人たちがいるということです。第二のことは、いやされる信仰についてです。いやされる信仰とはどういう信仰なのでしょうか。第三のことは、ですから神に立ち返ってということです。

 Ⅰ.信じる人、信じない人(1-7)

 まず1節から7節までを見ていきましょう。1~3節をご覧ください。

「イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂にはいり、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。
それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行なわせ、御恵みのことばの証明をされた。」

 ピシデヤのアンテオケからパウロとバルナバが次に向かった町は、東の方に約100キロメートルほどの所にあったイコニオムという町でした。彼らはこのイコニオムでもまずユダヤ人の会堂に入ってみことばを語ります。すると、ユダヤ人もギリシャ人も大ぜいの人々が信仰に入りました。しかし、ここでもまた信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、新しく信じたばかりの兄弟たちに対して悪意を抱かせました。こうして見ると、ユダヤ人は福音に敵対し、異邦人は福音を受け入れる人というようなイメージがありますが、しかしそのように単純な図式化はできないことがわかります。前回見たピシデヤのアンテオケでは、確かにパウロとバルナバたちはユダヤ人から迫害され、追放されましたが、その地においても喜んで福音を聞き、受け入れたユダヤ人もいましたし、また、今回のイコニオムでも、パウロが語ったみことばを聞いて信仰に入ったユダヤ人やギリシャ人がいたかと思うと、一方では、悪意を抱く人々もいました。結局のところ、ユダヤ人かギリシャ人かといった区別ではなく、信じる人と、信じない人といった区別が生じたということです。ユダヤ人でも信じる人は信じるし、信じない人は信じません。それは異邦人もまた然りで、信じる人もいれば、そうでない人もいるのです。

 そうであれば、パウロたちのなすべきことはより鮮明になります。それは、主によって大胆にみことばを語ることです。3節を見ると、「それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語」ったとあります。相手が誰であろうと、福音宣教の働きに必要なことは、主によってみことばを大胆に語ることです。そうすれば、語られたみことばがそれを信じる人たちのうちに働き、救いの御業を起こしてくださいます。それだけではありません。ここには、「主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばを証明された」とあります。「しるし」とは、サインや印鑑のことです。主は、ふたりの手を用いてしるしと不思議なわざを行うことによって、彼らの語ったことばが主のことばであるとのサインをし、印鑑を押してくださったという意味です。そのような神様の後押しもあることを思うとき、本当に励ましを感じます。

 ところが、そのようにパウロが行く先々でこのように福音がもたらされますと、そこには救いの喜びだけでなく、大きな波紋や軋轢(あつれき)も生じました。4~7節です。

「ところが、町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた。異邦人とユダヤ人が彼らの指導者たちといっしょになって、使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てたとき、ふたりはそれを知って、ルカオニヤの町であるルステラとデルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた。」

 その町の人々が、ある人たちはユダヤ人の側につき、ある人たちは使徒たちの側につくというように、二派に分かれるといった事態が起こったのです。そして異邦人やユダヤ人たちが役人たちといっしょになってパウロとバルナバの排斥運動を起こし、使徒たちを石打ちにしようとしたので、彼らは、ルカオニヤの町々に避難し、そこで福音の宣教を続けることになりました。

 このことからわかることは、このようにみことばが語られるところには分裂も起こるということです。ピシデヤのアンテオケではそこにいた人々が「救いのことば」を聞いたとき、それをどのように受け止めたかによって、「永遠のいのちに定められていた人」とそうでない人とに二分されましたが、ここでも、パウロとバルナバによって語られたみことばに対してどのような態度を取るかによって、ユダヤ人の側につくか、使徒たちの側につくかで、町の人々が二派に分かれたのです。パウロはコリントの人々に、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」(Iコリント1:18)と言いました。十字架のことばは、人を「滅び」か「救い」かのどちらかに二分するのです。その中間はありません。光がやみと交わることがないように、神のみことばを聞く人は、それを信じ受け入れる人とそうでない人とに分かれるのです。

 イエス様は、「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」と言われました。「なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。」「さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」(マタイ10:34~37)と言われました。

 だからキリスト教は嫌いなんだと言う方がおられます。キリスト教を信じると、そういういさかいが絶えないから・・・と。しかし、本当にそうでしょうか。もしそうだとたら、その人は「平和」ということを誤解しています。というのは、本当の平和とは、単に争いのない状態のことではなく、もっと積極的なものだからです。本当の平和とはつくり出されるものであり、神様との関係によってもたらされるものなのです。ですからイエス様は、「平和をつくる者は幸いです。」と言われたのです。私たちの抱えている罪が取り除かれ、神との関係が正しくされることによって、私たちは本当の平和を受けることができる。そのためにはもしかしたら一時的な対立や争いが生じることがあるかもしれませんが、それは、本当の平和が築かれていくための一つのプロセスなのであって、神のことばはそこに一石を投じているのです。今まで何事もなかった人々でも、この神のことばに対する姿勢で二分されることがありますが、このみことばに従い、神の側につくのなら、最終的には必ず祝福へと導かれるのです。

 かつて東京の深川にヤソの材木屋さんと呼ばれた川端京五郎という方がおられました。この方はイエス様を信じてから、「体に悪いから」と、お酒とたばこをスパッとやめましたが、山から切り出された材木を運ぶ舟の船頭たちはみんなお酒が大好きで、材木をお店に届けたらお酒をごちそうになるのをいつも楽しみにしていたそうです。しかし、そういうわけで川端さんは材木を運んでくる船頭たちにもお酒を出すのをやめましたので、荷主さんからよく文句を言われたそうです。
「川端のじっちゃん。じっちんがお酒を飲まないのはいいけれど、船頭さんたちには飲ませて下さいよ。あんまり頑固なことを言うと、船頭たちが嫌がりますよ。」
 しかし、川端さんは頑として自分の信念を曲げませんでした。
 すると1923年9月に、関東大震災があり、深川の材木置き場は火の海になりました。東京だけでも30万の家が焼けたというのですから、材木がたくさん必要担ったわけです。そこで材木屋たちは競って材木を注文しました。いつもおいしいお酒をごちそうしていた材木屋は、自分のところには真っ先に材木を届けてもらえるだろうと思っていましたが、船頭たちが真っ先に材木を届けたのは、この川端さんのお店でした。
「こんなにたくさんの注文を受けても、もし材木の代金を払ってもらえなかったら大変だ。その点、川端さんなら安心だ。川端さんは正しい神様を信じている人だから間違いない。ちゃんとお金も払ってくれるだろう」と、みんな川端さんのお店に納めたのです。
 川端さんの日頃の生活を見て、信用できる人だということを、船頭たちはちゃんと知っていたのです。

 私たちは、いったいどちらの側について生きているでしょうか。あるいは生きようとしているでしょうか。神の側に、すなわち使徒たちの側なのか、それともユダヤ人で神のことばを受け入れない人たちの側なのか・・・。その中立などはないのです。どちらかの側につくかです。もし神のことばを聞いて、そのことばに聞き従う、すなわち、使徒たちの側につくのなら、そこには確かに争いが起こることもあるかもしれませんが、最終的には神の子どもされ、神の祝福を受け継ぐ者とされるのです。

 Ⅱ.いやされる信仰(8-13)

 第二のことは、信じる人にもたらされる偉大な神の御業です。8~13節のところですが、まず10節までのところをご覧ください。

「ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。」

 イコニオムで迫害を受けたパウロとバルナバが、次に向かった地はルステラという町でした。このルステラはイコニオムから南に30キロメートルほどの所に位置していた町ですが、この町にはユダヤ教の会堂はなかったようです。ですから、彼らは人々が集まる町の中心で宣教を試みたようです。そこで彼らは、ある足のきかない人で出会いました。その人は生まれつき足のなえた人で、歩いた事がありませんでした。この人がパウロの話すことに耳を傾けていたのです。パウロは彼に目を留めると、彼にいやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言いました。すると彼は飛び上がって、歩き出したのです。

 生まれつきの足がきかない人がいやされたという出来事は、過去にもありました。3章には、「美しの門」という名の門に置いてもらっていた生まれつき足のなえた人が、ペテロによっていやされたことが記されてあります。この人は施しを求めてペテロとヨハネに目を注ぐと、ペテロが彼に、「私には金銀はない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と命じると、たちまちのうちに彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出しました。

 このルステラでの出来事は、その美しの門での出来事に非常によく似ています。しかし、よく見ると、そのように似ている出来事の中にも、いくつかの点で違った点があることが分かります。たとえば、ペテロにいやされた人は乞食でしたが、このパウロにいやされた人はそうではなく、パウロの話を聞いていた聴衆の一人にすぎませんでした。また、ペテロの場合は、「ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と命じ、彼の右手を取って立たせたのに対して、このパウロの場合は、ただ彼に「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と命じただけです。しかしその中でも最も大きな違いは、ペテロにいやされた人は、いやされた結果として神を賛美する信仰に目覚めたのに対して、このパウロにいやされた人は、説教を聞いているうちに、すでにいやされる信仰が生まれていた点です。彼にはいやされる信仰があったのでいやされたという点です。では、このいやされる信仰とは、いったいどのような信仰だったのでしょうか。

 使徒の働きの注解書を書かれた岸義紘先生は、このことについて次のように言っておられます。

「同じ通りの少し離れた所で、パウロの路傍伝道が始まった。かつて聞いたこともない、キリストの生涯の物語が語られていた。男は聞き耳をそばたてて聞き入っていた。その真剣な姿、その集中した眼差しが、これもまた情熱的に、大胆に、語り続けていたパウロの目に留まった。男の目には、一生懸命な求道の光があった。それは促すまでもなく、すでにイエス様を信じて救われる状態にあるように見えた。」(p.444)

 なるほど、ここで岸先生が言っておられることは、パウロの話を聞いていたこの男の人の聞き方が真剣そのもので、すでにイエス様を信じて救われる状態にあったのを、パウロが見て取ったというわけです。すなわち、彼には熱心な求道心があったというのです。

 日本ホーリネス教団坂戸キリスト教会で長年牧会しておられた村上宣道先生もその注解書の中で同じようなことを言っておられます。つまり、「彼の内に、みことばに対して率直に反応する信仰の純粋さのようなものがあるのを」パウロが見て取ったのだ・・・と。(p201)すなわち、彼には乾いた砂が水を吸収するような神のみことばに対する飢え渇きがあったのだというのです。

しかし、それだけなのでしょうか。確かにみことばの聞き方という点ではそうだったと思いますが、みことばを熱心に聞いていれば必ずしもいやされるというものではありません。ではこの「いやされる信仰」とはどのような信仰だったのでしょうか。この「いやされる信仰」と訳されたことばは、もともとのことばでは「救われるための信仰」です。彼はどういう点で救われるための信仰をもっていたのでしょうか。

 それは、この後で起こる出来事を見るとわかります。この後で、このことがきっかけとなって一つの事件が起こります。それは、パウロとバルナバがギリシャ神話の神々に祭り上げられるという事件です。11~13節です。

「パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。」

 パウロのしたことを見た群衆は、驚いて、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、自分たちのところにお下りになった」と言って、バルナバをギリシャ神話の最高神であるゼウスと同一視し、パウロはよく話す人だったので、その神々の使者であるヘルメスと同一視し、雄牛数頭と花飾りを持って来て、彼らにささげようとしたのです。

 実は、その昔、このルステラ地方には、ゼウスとヘルメスという二人の神が、人の姿に変装してフルギヤ山地を訪ねたという伝説がありました。彼らは正体を明かさずに旅をしたので、家に泊めてもらおうとしても、誰も泊めてくれる人がいませんでしたが、葦ぶきのみすぼらしい小屋に住んでいた老夫婦が彼らを泊めてくれました。彼らは貧しくとも、初めて会う客をもてなしたということで、ゼウスとヘルメスは自分たちの正体を明かし、この夫婦だけを残し自分たちを侮辱したこの町を洪水で流してしまった、という言い伝えがあったので(ローマの詩人オウィディウス「メタモルフェーシス」8:611-724)、これは大変だとパウロとバルナバにいけにえをささげたのです。

それに対して、パウロとバルナバは、衣を引き裂きながら、群衆に次のように言いました。「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るうに、福音を宣べ伝えている者たちです。」(15節)

 パウロとバルナバは自分たちも他の人と同じ人間であり、このようなしるしは、神が人をご自分に立ち返らせるためになされたことであって、自分たちに何か特別な力があったからではないのだと言ったのです。すなわち、この生まれつき足のきかなかった男の人は、パウロの話を聞いている中で、この生ける神への信仰が芽生えていたのです。ルステラの町に蔓延していた宗教心、それは結局のところ、人間が作り上げた偶像に仕え、いけにえをささげ、そこに様々な御利益を求め、目に見える物質的な繁栄を見出し、そのために必要と思われることに熱心に取り組む、そのような宗教心でしたが、そのようなむなしい偶像の神ではない、この天と地と海とその中のすべてのものをお造りになった生けるまことの神に対しての信仰があったからなのです。パウロの話を聞いている中で彼は、そのような信仰を持つに至っていたのです。それが救われるための信仰です。そして、この生けるまことの神への信仰が私たちのたましいを救うだけでなく、私たちのからだもいやしてくださるのです。それが「いやされる信仰」なのです。

 そしてそれは、今から2千年前のパウロの時代だけでなく、今の時代も同じです。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じ」(ヘブル13:8)だからです。もし私たちがきょう神のみことばを聞き、そこにこの生まれながら足がきかなかった人のように生ける神への信仰を持つなら、救われるのです。そして、この足なえの人が経験したような驚くべき神の御業を経験することができるのです。それは生まれつき足のきかなかった人が飛び上がって、歩き出したということよりも、もっとすばらしい御業なのです。

 Ⅲ.生ける神に立ち返って(14-18)
 
 ですから第三のことは、生ける神に立ち返ってということです。14~18節までをご覧ください。

「これを聞いた使徒たち、バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら、言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。」

 パウロとバルナバにいけにえをささげようとした群衆に対して、彼らは、自分たちの衣を引き裂きながら、叫んで言いました。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。」と。そして、「人によって造られた神ではなく、人と世界をお造りになられた生ける、まことの神に立ち返るように」と。このルステラの人たちの行動を私たちは笑うことができるでしょうか。むしろ人の手で造った偶像を拝み、御利益を求め、何か災いが起こると先祖のたたりだと言っては過去に縛られ、何か良いことが起こるとゲンをかついでみたり、家を建てると言えば方角がどうのこうの、生まれたこどもに名前をつけると言えば画数がどうの、何か事を為そうとするとその日がどうのと、いろいろなものに縛られ、不自由さの中に支配されている私たちの生活は、このルステラの人たちのそれと何ら変わりがありません。けれども聖書は、そのような生活は「むなしい」と言い切ります。そして、そのようなむなしいことを捨てて、生ける神に立ち返るようにと迫るのです。

 なぜでしょうか。なぜなら、今は恵みの時、救いの日だからです。過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。もちろん、そのような彼らに対しても神は、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、彼らの心を満たしてくださいましたが、今の時代には、それとともに、それとは比較にならないほどの特別な恵みをもたらしてくださいました。何でしょうか。そうです。神の御子イエス・キリストをこの世に送り、信じる者がみな、この方にあって罪の赦しと永遠のいのちを受けることができるようにしてくださったのです。ご一緒に読んでみましょう。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 今は恵みの時、今は救いの日です。このような恵みが与えられているのですから、その神が私たちに賜った御子イエス・キリストを信じてこの神に立ち返り、の神とともに生きることが求められているというのです。これが聖書のいう「救い」なのです。

 O・ヘンリーの短編小説「賢者の贈りもの」の話は、皆さんもよくご存じのことだと思います。若い夫婦のジムとデラは、それぞれにクリスマス・プレゼントをしたいのだがお金がない。しかし、ジムには父親の形見の金時計が、デラには長く美しい髪がありました。そこでジムは金時計を売ってデラへの贈り物に櫛を買い、デラは、ジムに内緒で長い髪を売って時計の鎖を買いました。当然、互いに贈り合ったときには、ジムには鎖をつけるべき時計はなく、デラにも、櫛で飾るべき長い髪はありませんでした。
 結果的に無駄な贈り物をし合った貧しい夫婦の物語が「賢者の贈り物」です。自分のいちばん大切なものを売ってまでも、相手を喜ばせたいという気持ちこそ、お金やモノでは表すことの出来ない高価なものなのだ、と作者は訴えたかったのです。愛とは、何を贈るかによって測られるだけでなく、どのような心で贈るかということによっても測られるのです。
 そして、この天地万物を造られた神様が私たちに贈ってくださったものは、何にも代えることのできない、神の御子イエス・キリストでした。

 このようなすばらしい恵みを受けているのですから、私たちはこのイエス・キリストを信じて、神に立ち返らなければならないのです。確かに今は恵みの時、救いの日です。罪から神への方向転換、虚しい偶像崇拝から生ける神への方向転換を、この朝、共にさせていただきたいと思います。

使徒の働き13章44~52節 「永遠のいのちに定められていた人たち」

 きょうは、「永遠のいのちに定められていた人たち」というタイトルでお話をしたいと思います。44節には、「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た」とあります。ピシデヤのアンテオケでパウロは、「信じる者はみな、この方によって罪から解放されるのです」(13:39)と説教すると、それを聞いた多くの人たちが感銘を受けました。そして、次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きにやって来たのです。しかし、だからといってすべての人が信じたかというとそうではありませんでした。中にはそれに反対した人たちもいました。それはいつの時代も同じです。そこには対照的な二種類の人たちがいるのです。すなわち、みことばを聞いて受け入れ、それを信じる人たちと、そうでない人たちです。それはこう言うこともできるでしょう。永遠のいのちに定められていた人たちとそうでない人たちです。聖書には、人が主イエスを信じて救われることは、永遠の昔から定められていたことであると記されてあります(エペソ1:4,5)が、しかし、それはある人たちが考えているような宿命論や決定論的なものとは違うのです。すなわち、ある人は最初から救われるように選ばれていたり、あるいは滅びるように選ばれていたということではないのです。

 これは歴史上、神学的にも大きな論争がありました。16世紀にフランスに生まれたジョン・カルヴァンという神学者は、この神の絶対的な主権というものを強調し、同時に人間の全的堕落を唱え、ゆえに人間は神を信じることさえもできず、救いはただ神の一方的な恵み、これを「不可抗的恩恵」と言いますが、そのように神は無条件に人を救いに選んでくださったと主張しました。しかし、このカルヴァンの主張はあまりにも極端すぎたため、それに異議を唱える人が出てきました。それがアルミニウスという人です。この人は、カルヴァン同様、人間の全的堕落、全的無能力の教理を受け入れていましたが、だからといって人間に信じる意志がないのかというとそうではなく、少なくとも神の呼びかけ、救いへの招きに応答する能力はあると主張したのです。この救いの教理については、それぞれの教派によって多少の温度差がありますが、大切なのは、聖書では何と言ってるかということです。

 きょうは、このことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、いつまでも神の恵みにとどまってということです。永遠のいのちに定められているかどうかということを、いったいどうやって知ることができるのでしょうか。それは、最後まで神の恵みにとどまっていたかどうかです。永遠のいのちに定められている人と、いつまでも神の恵みにとどっている人なのです。第二のことは、神のことばを喜び、賛美することです。永遠のいのちに定められている人の特徴は、神のみことばを喜び、賛美しているかどうか、みことばに生きようとしているかどうかでわかります。第三のことは、聖霊に満たされてということです。この世にあってはいろいろな困難があります。そのような中にあって人は、どのようにして信仰にとどまることができるのでしょうか。聖霊に満たされることによってです。聖霊に満たされ、神の力と助けによってこそ、私たちは信仰にとどまっていることができるのです。そういう人こそ、永遠のいのちに定められていた人たちだと言えます。

 Ⅰ.神の恵みにとどまって(44-47節)

では、このことをみことばから見ていきましょう。まず44~47節をご覧ください。このところを見ると、永遠のいのちにふさわしい人、永遠のいのちに定められている人とは、いつまでも神の恵みにとどまっている人であることがわかります。

「次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来た。しかし、この群衆を見たユダヤ人たちは、ねたみに燃え、パウロの話に反対して、口ぎたなくののしった。そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」

 ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの説教は、そこに住む人たちにかなりの衝撃を与えました。43節には、それを聞いた多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来ましたし、次の安息日には、ほとんど町中の人が、神のことばを聞きに集まって来たほどです。しかし、一週間前にはあれほど感激して信じたはずのユダヤ人が、多くの群衆がパウロとバルナバのところに神のみことばを聞くために集まって来たのを見て態度を翻し、パウロの話に反対して口ぎたなくののしったのです。あれほど感激したはずの彼らが、どうして手のひらを返したかのように変わったしまったのでしょうか。それは、この群衆を見て、ねたみに燃えたからです。一週間前には、パウロの語った神のことば、すばらしい福音を聞いて信じた彼らが、異邦人たちがやって来て、信仰に入っていくのを見て、快く思わなかったのです。なぜでしょうか。彼らはいつも自分たちを中心に考えていたからです。救いについてもそうでした。異邦人が救われるためには彼らが割礼という儀式を受け、モーセの律法を守ることによって、すなわち、実質的にはユダヤ人になってからであると信じていました。つまり、異邦人が救われるにはまずユダヤ人になって、それから救われるという経路をたどったわけです。ところが、パウロが語った福音はそうではありませんでした。パウロが語った福音は、そうした経路をたどらずとも、イエスを救い主として信じるならだれでも救われるというものでした。異邦人が異邦人であるがままに救われるというのが福音の本質です。過去においてどんなに大きな過ちを犯しても、あるいは数え切れないほどの罪を犯した人でも、悔い改めて、ただイエス・キリストを救い主として信じるなら救われるということです。しかし、彼らにはそれがおもしろくなかった。自分よれも劣っていると思われていた異邦人が、自分たちを通り越して信仰に入って行くのを見て、心に穏やかならぬものを感じたのです。人間はどこまで罪深い者なのでしょうか。自分の思う通りにならないとこのようにねたみを持ち、そのねたみによって、一度は信じたはずの神の救いのメッセージさえも捨ててしまうということさえも起こりうるのです。いや、このように口ぎたなくののしって、反対に回るということさえある。ねたみというのは、本当に恐ろしいものです。

 そのような彼らに対して、パウロとバルナバは何といったでしょうか。46節です。パウロとバルナバは、はっきりとこう宣言しました。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます。なぜなら、主は私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。』」

 神のことばは、「まず」ユダヤ人に語られなければなりませんでした。それから異邦人です。まずユダヤ人に語られ彼らがそれを受け入れることによって、今度は彼らを通して異邦人に語られなければなりませんでした。それが神の計画だったのです。しかし、ユダヤ人はそれを拒みました。ですから、パウロは「私たちは、これからは異邦人のほう向かいます」と言っているのです。なぜなら、旧約聖書にそのように書かれてあるからです。この47節のみことばは、イザヤ書42章6節と49章6節からの引用ですが、ここで言われていることは、「あなた」なるユダヤ人が異邦人の光として選ばれ、立てられたのは、彼らが地の果てまでも救いをもたらすためであったということです。実に「選民」というのは、自らが救われるために選ばれたというよりも、その救いを他の人に宣べ伝えるために選ばれた民なのです。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Iペテロ2:9)

 ユダヤ人は、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、彼らをやみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、宣べ伝えるためでした。なのに、異邦人の救いをねたむということは、この神のみこころとは全く相容れないことで、ユダヤ人たちが神の恵みにとどまっていないことの歴然たる証拠だったのです。それは、46節のところでパウロとバルナバが語った「あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めた」ことなのです。

 私たちは、神の救いに選ばれていたかどうかということを論じるときに、どうもそれが宿命論や決定論であるかのように誤ってとらえてしまうことがあります。すなわち、私たちが救われていることは永遠の昔から定められていたことであって、そうでない人は救われることはないと考えてしまいがちです。しかし、このところで言われていることはそういうことではありません。ここで言われていることは、彼らが、自分自身で永遠のいのちにふさわしくない者と決めたということです。すなわち、永遠のいのちに定められていた人というのは神が定めておられたというよりも、自分自身に責任があったということです。もちろん、神はそのような決断を人間が下すということを永遠の昔から知っておられた上でそれを許されたことは確かです。だからこそパウロは、43節のところで、彼の話を聞いて信じた人たちに、「いつまでも神の恵みにとどまっているように」と勧めたのです。いつまでも神の恵みにとどまっている人こそ、まさに永遠のいのちに定められていた人たちなのです。いつまでも神の恵みにとどまっているという息の長い信仰のマラソン・レースを考えると、この波風の多い一生涯の中で、その恵みから落ちないで、最後まで信仰を全うした人こそ、全く選ばれた人だと言えるのではないでしょうか。永遠のいのちに選ばれ定められていたからこそ、信仰に踏みとどまることができたのだ・・というのが、おそらく、信仰を全うした人の抱く正直な実感ではないかと思います。そこから「選び」とか「予定」といったことが生まれてくるのは、むしろ当然のことなのです。そうした信仰者の姿をみるとき、「ああこの人も、神の救いに選ばれていた人だったんだ」と確信を持って言うことができるのです。

 やがてこの世の生涯を終えて天の御国に帰って行かれるその人に、私は牧師としてこう宣言できることは大きな恵みだと思っています。すなわち、この世にあってはいろいろなことがあっても、最後の最後まで神の恵みにとどまり、信仰を全うした兄弟姉妹に、「兄弟、姉妹、あなたはこの世で信仰の生涯を立派に全うしました。今、あなたは天の御国を継ぐのです。インマヌエルの神が、いつまでも共におられますように。」と。

 このように、いつまでも神の恵みにとどまっている人、どんなことがあっても最後まで信仰に歩んだ人こそ、そういう人こそ永遠のいのちに定められていた人だと言えるのです。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)

 あのユダヤ人たちのように、一度は信じたものの、ねたみによって自分の態度を翻して信仰から離れてしまうのではなく、どんなことがあっても、信仰の創始者であり、完成者であられる主イエスから目を離さず、いつも神の恵みにとどまっている者でありたいものです。

 Ⅱ.神のことばを喜び、賛美する

 第二のことは、神のことばを喜び、賛美することです。48~49節をご覧ください。

「異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。こうして、主のみことばは、この地方全体に広まった。」

 このようにパウロとバルナバを通して語られた福音のメッセージに怒りとねたみを燃やすユダヤ人たちがいる一方で、その福音のメッセージを聞いて喜びに溢れた人たちがいたことを聖書は記しています。それは、異邦人たちです。彼らは主のことばを聞くとそれを喜び、賛美しました。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入ったのです。この「永遠のいのちに定められていた」ということばは、「自分自身を整えていた」とも訳せることばです。それは、永遠のいのちに定められている人とは同時に、そのために自分自身を整えていた人だと言えるでしょう。そういう人たちは、みな、信仰に入って行ったのです。

 では、どういう点で彼らは自分自身を整えていたのでしょうか。福音のメッセージを聞いてそれを喜び、賛美する人です。本物の信仰とは、主のみことばを喜び、賛美する信仰なのです。教会のすばらしさを喜んだり、牧師や説教者の能力をほめたたえたりするのではなく、主のみことばそのものを喜び、賛美する信仰です。どんなに激しい迫害の嵐が教会に吹き荒れても、そのために牧師が取り去られるようなことがあっても、あるいは、それぞれの人生の中に思いもよらない不幸が襲いかかるようなことがあったとしても、それでも神のみことばから離れず、みことばによって勝利する人です。みことばを喜び、賛美し、みことばによって生きる人なのです。 詩篇1:1~3には、

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

 貧しい無名の画家がいました。さまざまなコンクールに何度も応募したが、いつも落選でした。しかしその人は、貧しくても画家への道をあきらめませんでした。彼の絵の題材はいつも農村の風景でした。それは故郷への恋しさと農村の人々への愛によるものでした。ある日、彼の友達が金持ちを連れて来て、こう言いました。「農村の風景を描くのもいいけれど、今どきそんな絵など売れないよ。これからはヌード画を描いてみてはどうだい。こちらの紳士がすべて買ってくれるそうだから。」彼はたき木を買うお金さえなかったので、毎日じぶんの作品をたき木の代わりに使うほどでした。
 一瞬、彼の心が揺れました。しかし彼は目を閉じて、しばらく祈った後で、このように言いました。「神様が喜ばないのでお断りします。芸術で尊いのは愛の心です。私が田舎の風景と農夫を好んで描くのは、彼らの偽りのない姿を愛しているからです」
 その無名の画家は自分の信仰と願いのままに絵を描き続けました。深い信仰から出てくる敬虔で厳粛な雰囲気の絵でした。愛する仕事への執念を捨てませんでした。その画家とは「晩鐘」や「落ち穂拾い」などを描いた有名なミレーでした。貧しい中にも正しい信仰を守る人は祝福されるのです。主の教えを喜び、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、水路のそばに植わった木のように栄えるのです。

 Ⅲ.聖霊に満たされて(50-52節)

 第三のことは、聖霊に満たされてということです。50~52節をご覧ください。

「ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出した。ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへ行った。弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」

 神のみことばを喜び、信仰に入っていった人たちがいた一方で、そうでない人たちもいたことがここには記されてあります。ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町の有力者たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出しました。追い出された二人はどうしたでしょうか。ふたりは、彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオムへと向かって行きました。足のちりを落とすとは、かつてイエス様が弟子たちを遣わされた時にも言われたことですが、それは、神を敬わない罪人たちの汚れから自分たちを清めることを象徴的に表していました。ここでパウロとバルナバが福音を拒否し、宣教師を排除しようとしたユダヤ人にそれをしたというのは、彼らが真にイスラエルを構成する者たちではなく、不信者と変わらない者たちであることを示すものでした。人々が福音を信じて受け入れ、その話をもっと聞きたいとか、みんなしっかりと神のみことばに聞き従っていたというのならまだしも、ののしりや迫害、果てには追放されるという出来事の中で、彼らはどんなにか辛い思いをしたかわかりません。しかし、聖書はそんな彼らの姿を次のように描いているのです。ご一緒に読んでみましょう。52節です。

「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」

 そんな中にあっても、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていたのです。たとえいっしょにみことばを聞いて信じた友が去って行ったとしても、どんなに激しい迫害の嵐が押し寄せても、度重なる苦難に直面しても、それでもなお喜んでいられるとしたら、それこそ、まことの信仰ではないでしょうか。いったいどうしたらそのように喜んでいることができたのでしょうか。聖霊によってです。彼らは聖霊に満たされていました。つまり、神が彼らの中に住み、彼らの心を支配しておられたということです。ここにすべての勝利の秘密が隠されています。つまり、彼らが神の恵みにとどまり、神のみことばを喜び、賛美することができたのは、実に、この聖霊によるものであったということです。どんな恵みにとどまっているようにと勧められても、また、永遠のいのちにふさわしく身を整えようと神のみことばを喜び、これを宣べ伝え努力しても、結局のところそれは自分の力でできることではありません。実は、これらいっさいのことは、神の聖霊がが私の心を支配し、助け、支えてくださることによってできるのです。神の聖霊が私の中に臨在し、この御霊によって生かされているからこそ、しっかりと立っていることができるのです。イエス様はこのように言われました。

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:16,17)

 この聖霊に満たされていることこそ、私たちが永遠のいのちに定められていることの最大の証拠なのです。はじめに紹介したカルヴァンの神学を継承する改革派神学という学派がありますが、その第一人者であられる榊原康雄という先生は、「『永遠の選び、あるいは予定、それは要するに、私の入信にも救いにも私は指一本ふれていません。すべては神の御手のわざでございます。神には失敗はございません。失敗はすべて人間の罪でございます。』という告白こそ、私どもの救いのすべてなのです。」と言っておられますが(「使徒の働き」p60)、こうした神の絶対的な主権を認めながら、その神の聖霊によって生かされていく。その中で神のみことばを喜び、賛美しつつ、いつまでも神の恵みにとどまっている。そういう人こそ永遠のいのちに定められていた人だと言えるのです。

 愛する皆さん、皆さんの人生にも多くの艱難があるでしょう。しかし、そうした艱難の狭間にあっても、喜びと聖霊に満たされながら歩んでいくことができるのです。なぜなら私たちは、その時々の置かれた状況に従って生きていくのではなく、どのような状況にあっても根本的に私たちを喜びの道に歩ませてくださる変わらない神のみことばに導かれ、聖霊に満たされて歩んでいくからです。そして、私たちの信仰生活とは、そのような状況を超えて進んで行かれる救い主イエス・キリストの後ろ姿を見つめながら進んでものだからです。この救い主イエス・キリストへの信頼こそが、この地上における私たちの歩みの勝利の秘訣なのです。

 最後に、今月の「リビングライフ」の中に、あのサーカスのトラやライオンはどうして火の中をくぐり抜けることができるのか、というジョン・ビョンウク牧師が書いたコラムを紹介して終わりたいと思います。トラやライオンのように毛の多い動物というのは本能的に火を嫌います。毛に火が付くと焼け死んでしまうからです。なのにどうして火の中を飛び越えることが出来るのか。ジョン・ビョンウク牧師は、それは何度も何度も訓練したからだと思っていましたが、実はそうではなかったのです。調教師の話によると、それは何度も訓練したからではなく、主人に対して信頼しているからだと言うのです。ですから、トラやライオンが火の中をくぐろうとする時には、必ず主人の目を見るらしいのです。たとえ本能的に拒否することであっても、主人に対する信頼のゆえに、飛び越えることができ。主人に対する信頼こそ、トラやライオンが火に向かって飛び越える力の源だったのです。

 それは私たちの信仰生活にも言えることです。私たちは世にあっては艱難があります。しかし、勇敢であることができる。それはすでに世に勝った主イエスが聖霊を通してともにいてくださるからです。これこそ私たちがこの世での信仰を全うしていくことができる秘訣です。どんな境遇にあってもこの聖霊に満たされて、その生涯の最後まで神の恵みにとどまっていることができますように。そのような人こそ永遠のいのちに定められている人なのです。

使徒の働き13章13~43節 「救いのことば」

 きょうは、「救いのことば」というタイトルでお話したいと思います。バルナバとパウロは、バルナバの故郷であったキプロス島での伝道を終えると、今度は、パウロの故郷であったキリキヤ地方に近いパンフリヤのペルガに向かいます。さらにペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行くと、パウロはそこで安息日に会堂に入り、同胞のユダヤ人と、神を恐れるかしこむ人たちにみことばを語りました。ここに記録されてあるパウロの説教は、使徒の働きの中でパウロが初めて語る本格的な説教です。彼はその中でイスラエルの長い歴史を振り返りながら次のように言いました。26節です。

「兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々、ならびに皆さんの中で神を恐れかしこむ方々。この救いのことばは、私たちに送られているのです。」

 「この救いのことば」とは何でしょうか。23節、「神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。」です。この救いのことばが届いたのだと宣言したのです。そして、この救いのことばは今から二千年前にこのピシデヤのアンテオケの人たちにばかりではなく、あれから二千年経った今、この日本の大田原や那須にも届いたのです。

 きょうはこの「救いのことば」について、三つのことをお話したいと思います。 第一のことは、この救いのことばはどのようにして私たちのところに届いたのでしょうか。そこには多くの苦難や困難がありました。しかし、そのような苦難を乗り越えて今、私たちのところにももたらされたのです。第二のことは、この救いのことばとは具体的にどのようなものなのでしょうか。パウロが語ったこの救いのことば、その説教そのものについてみていきたいと思います。第三のことは、この救いのことばを聞いた人たちはどのように応答したかということです。彼らはただ聞きっぱなしではありませんでした。次の安息日にも来て、同じことについて話してくれるように頼んだのです。そこでパウロとバルナバは、彼らがいつまでも神の恵みにとどまっているようにと勧めました。

 Ⅰ.苦難を乗り越えて(13-14節)

 まず第一に、この救いのことばがどのようにしてもたらされたのかについて見たいと思います。13~14節をご覧ください。

「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。しかし彼らは、ペルガから進んでピシデヤのアンテオケに行き、安息日に会堂にはいって席に着いた。」

 ここで、この伝道旅行チーム一行は「パウロの一行」と呼ばれています。それは、この伝道チームのリーダーシップがこの時からバルナバからパウロに移っていたからでしょう。おそらく、キプロス島におけるパウロのめざましい活躍で、自然とそのようになったのだと思います。

 ところで、このパウロの一行がキプロス島のパポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った時に、一つの出来事が起こりました。それは、マルコとよばれていたヨハネが一行から離れて、エルサレムに帰ってしまったという事です。その原因はよくわかっていません。ある人は、ヨハネはこれまで自分のいとこであったバルナバについて来たのにこの時からリーダーがパウロに替わってしまったことで、彼のやり方についていけなくなったのではないかと考えていますし、ある学者は、いやいや、これから始まる小アジヤでの伝道に恐れをなして身をひいてしまったのだという人もいます。ある人は、そうじゃなくて単なるホームシックにかかったのだという人もいます。それがどうしてだったのかはわかりませんが、パウロとバルナバが後に第二回目の伝道旅行に出て行こうとした際に、このヨハネを連れて行くかどうかで大激論となり、その結果、二人が袂を分かつようになったことを考えると、これは決して小さな問題ではなかったようです。しかも、その時にパウロが語ったせりふを見ると、このヨハネの離反が、かなりヨハネ自身の弱さから生じたことであるかのように言っていますから、それは後々までしこりが残るような出来事だったのです。聖霊に導かれて行った伝道でも、このような前途多難を思わせるような出来事が起こったことを考えると、福音の宣教にはそうした困難も伴うのだということがわかります。

 それだけではありません。14節をご覧ください。ヨハネが彼らから離れて行った後で、一行はペルガから進んでピシデヤのアンテオケに向かいました。地図を見てもらうとわかりますが、このペルガからピシデヤのアンテオケまでは直線にして約150キロの距離ですが、その道のりは決して容易いものではありませんでした。そこには二千メートル級の山々が連なるタウロス山脈がそびえ立ち、旅人はこの険しい山を越えて行かなければなりませんでした。しかも途中の山道には山賊たちも潜んでいたと言われています。このピシデヤのアンテオケは、あのアンテオケ教会のあるシリヤのアンテオケから西はエペソに至る東西を結ぶ主要な幹線道路の中間点にあって、本来ならばこのルートを通って来るのが一般的なのに、わざわざ南の方から回ってこのタウロス山脈を越えて行こうとしたのですから不思議です。彼らがなぜペルガからピシデヤのアンテオケまで一気に北上するルートをとったのかはわかりませんが、後にパウロがⅡコリント11:26~27で語った言葉の背景には、こうした苦難の経験があったことがわかります。そして、このような苦難を乗り越えて、神の国の福音は彼らのところに伝えられて行ったのです。

「幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」

 このような福音宣教の旅路にあって彼らが経験した苦難は、実はいつの時代にも福音を携えて出て行こうとする人たちにとっては避けられない経験でもあります。しかし、だからといってその苦難を嫌い、避けて通っていたのでは、神の国の進展はあり得ないし、またそこに神の恵みの御業も起こり得ないのです。

 日本に同盟基督教団という団体がありますが、その団体は今から114~115年前にアメリカから渡ってきた15人の若き宣教師たちによって始められました。その宣教団は北米スカンジナビアン・アライアンスミッションと言います。そのミッションを創設したのはフレデリック・フランソンという人で、その使命はまだ福音が届けられていない地域、いわゆる未伝地に宣教するということでした。ですから、日本に派遣されてきた宣教師たちは、それ以前に来日していた多くの宣教師たちがまだ入っていない地域を選び、あえてそれらの地域の宣教に挑んでいったのでした。その当時は僻地と言われていた飛騨高山とか、伊豆とか、房総半島に入って行きました。雪の深い飛騨高山では、険しい山道を慣れないかんじきをはいて進んで行ったそうです。それは、ここでパウロが経験したスピリットと同じです。何とかしてまだ福音を聞いたことのないところに福音を伝えていきたいというスピリットが、このような困難を乗り越えて進ませて行ったのです。私たちもまた、そうした聖霊による宣教のスピリットに燃え、まだ福音が伝えられていない地域に出て行き、伝えていく者でありたいと思います。神の救いのことばはそのようにしてもたらされていくからです。

 Ⅱ.救いのことば(15~41節)

 では、そのようにしてもたらされた救いのことばとは、いったいどのようなものだったのでしょうか。15~41節までに注目したいと思います。まず15節から16節の前半までです。

「律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」 そこでパウロが立ち上がり、手を振りながら言った。」

 ユダヤ教の会堂における礼拝では、いつも旧約聖書がまず朗読されました。それから、説教者は、その時に読まれた聖書のみことばから説教するというのが通例であったようです。そして、説教者はあらかじめ定められていたか、さもなければ、その時になって、会堂の役員たちが指名しました。この時パウロが指名されたのは、そのような理由によるものです。パウロは指名されると、立ち上がり、手を振りながら説教を始めました。

 このようにして始まる説教は、使徒の働きの中でパウロが回心後に初めて語る本格的な説教です。16節の後半から始まる彼の説教の内容を見ると、大きく三つの部分に分けられているのがわかります。第一部は16節から25節。第二部が26節から37節。そして第三部が38節から41節です。まず第一部のところでは、アブラハムから始まる神の民イスラエルの歴史について語ります。中でもダビデ王とその子孫としてお生まれになったイエス・キリストとが結びつけられ、このイエスこそ、イスラエルに約束された救い主、メシヤであると語るのです。その中心は23節です。

「神は、このダビデの子孫から、約束に従って、イスラエルに救い主イエスをお送りになりました。」

 つまり、ダビデとその家についてなさった神のお約束が、このキリストにおいて成就したのだということです。それは神が人類を救ってくださると約束されたお約束に真実な方であるからです。そして、それほどまでに私たちを救うことに関心を持っておられたからなのです。そのような神のご真実と、私たちに対する神様の愛の大きさを思うとき、私たちはただ心砕かれて、信じる以外にはないのです。パウロはそのように言いたかったのです。

 第二の部分は26節から37節までですが、パウロはここで、その救いのことばの内容について語ります。それは十字架と復活です。そのようにして神がお遣わしくださった救い主イエス・キリストを、エルサレムに住む人々はどうしたかというと、罪に定め十字架につけて殺してしまったのです。しかし、そのようにして殺したイエスを、神はそのまま放っておくことはしませんでした。どうしたのでしょうか。そうです、よみがえらせたのです。30節をご覧ください。ご一緒にお読みしたいと思います。

「しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。」

 何ということでしょう。ユダヤ人たちはイエス・キリストを十字架につけて殺すことによって「してやったり」と思ったことでしょう。がしかし、そのイエスを神がよみがえらせることによって、ある一つの事実がさらに明らかにされたのです。それは、このイエスこそ神の御子であり、救い主であられるということです。なぜなら、イエスの復活こそ、神の救いの約束が成就したしるしだからです。イエスが墓を打ち破り、死人の中からよみがえられたことによって、生ばかりでなく死をも支配されるお方であるということが、はっきりと示されたのです。これが救いのことば、福音なのです。

 ですから第三の部分は38節から41節の結論になるのです。38節と39節をご覧ください。

「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」

 ここでパウロは、イエス・キリストを信じることによってもたらされるすばらしい恵みについて、二つのことを述べています。それは「罪の赦し」と「解放」です。あるいは「罪の赦し」と「義と認められる」ことです。「信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」と。なぜこれが恵みなのでしょうか。なぜなら、それは神にしかできないことだからです。ところが、私たち日本人には、この罪のことがよくわかりません。日本人には、「恥」の意識はあっても「罪」の意識がないからです。たとえば、なぜ悪いことをしないのかというと、それがそれは罪だからではなく、ほかの人に知られてしまったら恥ずかしいからなのです。そうした恥の文化にある日本人にとって罪を理解することはなかなか難しいことですが、しかし、病気とか貧乏とか、その他さまざまな人間関係の問題などの、すべての問題の根本的な原因は罪であって、この罪によって人間はとても苦しむのです。一番わかりやすいのは良心の呵責でしょう。人間は神によって造られたとき、人の歩むべき道が定められました。その道を踏み外すと、その仕打ちを受けなければならないのです。それが良心の呵責です。ですから、比較的に良心がとぎすまされている人なら、生まれてからこのかた、何一つ良心にやましいことをした覚えがなく、良心の呵責など感じたこともないと言える人はいないでしょう。もし良心の呵責を全く感じないという人がいたとしたら、それは、その良心がかなり麻痺しているとしかいいようがありません。人はみな生まれながらに良心を持っているので、何か悪いことをするとこの良心の呵責を受けるのです。そしてこの呵責が非常に強くなってくると、「赦し」ということが最も切実な願いとなってくるのです。

 かつて老婆殺しの犯人が十年の服役を終えてから何年もたったころ、その殺人罪が時効になる二日前に、「実は私が真犯人でした」と名乗り出たタクシーの運転手がいました。「もうこれ以上はうそをついてはいられない。被害者が夢まくらに現れて、苦しくてしかたがない」と言うので、取り調べてみたところ、その人が真犯人だと自白したというのです。もう二日我慢すれば時効にもなるし、身代わりの犯人もいて刑も終わっているのですから、その運転手は天下晴れて堂々と通りを歩けるというのに、何と良心の呵責とは恐ろしいものでしょうか。それほどに、良心のとがめというのは、ちゃんと有罪判決に基づく刑を受けて、正式に「赦し」の宣言をしてほしいものなのです。もちろん、だれも服役の苦労そのものをほしがりませんが、そのあとに聞く「赦し」の宣言は、何ものにもかえがたい救いなのです。ですから、ほんとうに良心的な人は、神から罪の赦しの宣言を受けたとき、「ああ、救われた」と叫ぶのです。いいか、悪いかはともかく、カトリック教会では告戒というサクラメント(秘蹟)があるのはそのためです。だれにも言えない罪を、小さな窓越しに相手の神父さんに告白する。そこで宣言される罪の赦しが、その人にどれほどの喜びをもたらしてくれるでしょう。

 しかし、神の要求を守りきれない人間が、神の要求する刑罰を完全に果たしうることかなどできるのでしょうか。できません。だれひとり、自分ひとりで服役し、人生のありとあらゆる苦労を背負っても、それで十分に罪の償いをしうる人などいないからです。それができるのは、神のみ子でありながら罪びとのひとりのようになって、あらゆる病気、貧乏、争い、問題、不幸の根源であるところの罪を我がことのようになって背負い、ついには、のろいの十字架にかかっていのちを償い、代価を払ってくださった方、イエス・キリストだけなのです。ですからキリストは、「あなたの罪は赦された」と宣言することができるのです。

 もちろん、だからと言って、もう二度と罪を犯さないという保証はありません。自分の弱さと醜さを知っている人は、「あなたの罪は赦された」と宣言されただけでは不十分であることは、明らかです。がしかし、幸いなことに、「義と認められる」ということの中には、もう一つすばらしい約束があるのです。それは、もうすでに合格しているということです。天国の入学試験に落第した者が、落第しなかったことにしてやるから、もう一度白紙で試験を受け直してみろというのが赦しです。それは、落第した私たちでも合格したと認めてやるから、もう受験の規定から免除されているということと同じです。なぜなら、イエス様が私の罪の罰を身代わりに受けてくださっただけでなく、もっと積極的な意味で、本来なら私が守るはずの神のおきてを代わりに全部守ってくださったからです。イエス様を信じるということはそういうことなのです。イエス様が私たちの代わりに合格点を取り、私たちの代表として天国の切符を手に入れてくださったので、私たちはこの方によって義と認められたのです。ですから、過去の問題集を見て、たとい「自分にはもうこんな問題は解けない」と思っても、それで学外に追放されることがないように、たとえ誤って罪を犯すことがあったとしても、それで天国から追放されるということはないのです。もう入試のおきての届かない別の世界に入っているからです。「信じる者は、この方によって、解放されるのです」というのはそういうことなのです。

 自由主義神学の影響を受け、十字架を信じられないまま牧師になったウィリアム・クーパーは、ある年の受難週を控えた土曜日に、自分の教会の週報を見て救われたといいます。聖日礼拝でのメッセージのテーマを「誰がイエスを殺したのか」という題名にした彼は、ちょうどその題名の下に「ウィリアム・クーパー」という自分の名前が書いてあるのをじっと見ているうちに、自分の罪がイエスを死なせたのだということに気づき、大声で泣きました。そして身を伏せて、主を自分の救い主であり、主であると告白したそうです。

「ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。」何というすばらしい約束でしょうか。パウロが説教したのは、この救いのことばでした。

 Ⅲ.神の恵みにとどまって(42~43節)

 第三に、このようにパウロを通して救いのことばを聞いた人たちは、どのような反応をしたかをみたいと思います。42~43節をご覧ください。

「ふたりが会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合って、いつまでも神の恵みにとどまっているように勧めた。」

 パウロの説教を聞いた多くの人たちは、深い感銘を受け、「次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼」みました。「同じような説教はしないでください」「あの話は何回も聞いた」という私たちとは違いますね。「次の安息日にも同じことについて話してください」と願ったわけですから・・・。それほどに深い感銘を受けたというか、霊的に飢え渇いていたのでしょう。

 ところが、このところを見るとそのような彼らに対して、パウロとバルナバが次のように勧めたことが記されてあります。それは「いつまでも神の恵みにとどまっているように」ということです。「いつまでも神の恵みにとどまっているように」いったい彼らはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか。それは、主イエスを信じて救われるということは大きな祝福であるばかりでなく、それは同時に主イエスに従うことにおいては苦難の始まり、キリストの苦難にあずかることも意味していたからです。ピリピ1:29に、「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。」と書かれてあるとおりです。私たちは、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。ですから、一時の救いの喜びの高揚感に浸っているばかりでなく、それがしっかりとした救いの確かさに結びついていなければならないのです。事実、その次の安息日にパウロとバルナバが宣教した時には、ユダヤ人たちの激しい抵抗や反発に会っているのです。主イエスを信じて進み行く道には、苦難が絶えず伴うことを覚えておきたいと思うのです。

 では、そのような苦難に直面したとき、私たちクリスチャンはどうあるべきなのでしょうか。神の恵みにとどまっていることです。いつまでも神の恵みにとどまり続けることです。それは具体的に言うならば、神のみことばにとどまることを指しています。なぜ、神のみことばにとどまっていることが必要なのでしょうか。それは、みことばが私たちを育成し、御国を継がせることができるからです。使徒20:32に、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」とあるとおりです。この地上の歩における様々な苦しみを抱え、救いの喜びが消え失せ、罪の力が再び私たちを縛り始めようとするとき、いったい私たちは何を見つめ、どこに足場を置き、何にとどまったらいいのでしょうか。みことばです。みことばは、私たちは育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって、御国を継がせることができるからです。

 イエス様はこのように言われました。
「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」(ヨハネ15:4~7)

 キリストにとどまるとは、キリストのことばにとどまることです。そういう人は、多くの実を結ぶのです。枝だけでは実を結ぶことはできません。神の恵みにとどまらせるもの、それが神のことばなのです。私たちはいつも真実な神のことば、生ける神のことば、確かなみことばにとどまり続ける者でありたいと思います。その時に、みことばが私たちを育み、養い、恵みの中にさらに恵みを増し加え、栄光から栄光へとすすすませてくださり、そしてついには御国を継がせてくださるのです。この神の恵みにとどまって、共に御国を継がせていただきたいと思います。このすばらしい救いのことば、神の国の福音が、私たちのところにも届けられたからです。