使徒の働き13章4~12節 「神の救いのみわざ」

 きょうは、「神の救いのみわざ」というタイトルでお話したいと思います。4節をみると「ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った」とあります。いよいよここからパウロとバルナバの世界宣教が始まっていくわけです。それは聖霊に遣わされての、聖霊による宣教でした。聖霊に遣わされて彼らが最初に行ったところは、キプロス島でした。キプロス島へはセルキヤから船で100キロほど行ったところにありますが、なぜ最初に遣わされて行った先がキプロス島だったのかははっきりとはわかりません。おそらく、このキプロスがバルナバの出身地であって、バルナバにとってその土地の事情にも明るく、また親類縁者もたくさんいたことから、宣教の皮切りにはよい環境であると思ったのでしょう。しかし、そのような事情も含めて、やはり最終的には聖霊なる神によって導かれたところがこのキプロスだったということなのでしょう。というのは、その最初の宣教地において彼らは、輝かしい神の救いのみわざを拝するようになるからです。地方総督セルギオ・パウロという人が救いに導かれるのです。

 きょうは、この輝かしい神の救いのみわざについて三つのことを学びたいと思います。第一のことは、私たちの戦いは悪霊との戦いであるということです。第二のことは、その霊の戦いにおける神の勝利についてです。第三のことは、その輝かしい神の救いのみわざについてです。

 Ⅰ.悪霊との戦い(4-8節)
 
まず4節から8節までをご覧いただいきたいと思います。聖霊によって遣わされたバルナバとサウロは、セルキヤから船に乗ってキプロス島に渡りました。5節を見ると、ここにバルナバとサウロに加えてもう一人の同行者がいたことがわかります。ヨハネです。12章25節のところで、彼はバルナバとサウロが救援の物資を携えてエルサレムに上った時にアンテオケ教会に連れてきた人物で、初代教会で大切な役割を果たしたマリヤの家に生まれ育った青年でした。コロサイ書4章10節には、彼はバルナバのいとこであったと紹介されていますが、このマルコと呼ばれたヨハネこそ、やがてマルコの福音書を書いたマルコその人です。彼らがなぜこのヨハネを助手として連れて行ったのかはわかりません。バルナバのいとこであったということから助手として頼みやすかったのか、あるいは、主イエスが十字架につけられた時の様子をよく知っていたことから、福音の宣教において重要な役割を果たすことができると思ったのかもしれません。

 そんな彼らがキプロスに到着して最初に行ったのは、キプロス島東部にあった第一の町サラミスでした。サラミスに到着すると彼らは、ユダヤ人の諸会堂でみことばを語り始めます。あれっ、彼らが遣わされたのはユダヤ人のためではなく異邦人のためではなかったのですか?なのに彼らが最初に向かったのはユダヤ人の会堂であったということを聞くと、何とも拍子抜けしたような感じがします。しかし、この後のパウロの宣教旅行を追いかけて行ってわかることは、彼はどこに行っても最初に向かったのはまずユダヤ人の会堂であったということです。それは、彼がローマ人への手紙の中で明らかにしているように救いはまずユダヤ人に、そしてそれから異邦人にという神のご計画があることを理解していたからなのです。

 サラミスにあったユダヤ人の諸会堂で神の言葉を語ったバルナバとサウロは島全体を巡回しこの島の首都パポスまで行ったとき、そこで一人の人と出会いました。にせ預言者で、名をバルイエスというユダヤ人の魔術師です。この男は地方総督セルギオ・パウロのもとにいて、この総督がバルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていた時に、ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとしました。「バルイエス」とは「イエスの子」とか「救いの子」という意味です。彼はもともと「バルイエス」、救いの子であったはずなのにその道を踏み外してしまいました。彼にはもう一つの名前というかあだ名(ニックネーム)が付けられていましたが、それは「エルマ」です。ここには「エルマという名を訳すと魔術師」と訳してありますが、「エルマ」とはもともと「賢者」とか「知恵者」という意味があったようです。そんな自他共に賢い人と認められていた彼が、怪しげな魔術に身をゆだねてしまいました。迷信的邪教の魔術と違い、唯一の神からの啓示のように思い込ませるにはかなりの知恵を要したことでしょう。彼はその知恵(能力)を悪用して神からの啓示を受けもしなのにあたかも受けたかのように語っては、人々の心を盗んでいたのです。そのようにして彼は「イエスの子」、「救いの子」バルイエスから、悪魔の子、魔術師エルマへと堕落してしまったのです。

 まことに人間は、賢い人でも知恵者でも、宗教的には本当に暗く、愚かです。現代の日本には、博士や天才もたくさんいますが、しかし、そうした人の知恵によってはだれも「バルイエス」、イエスの子、救いの子となることはできません。ただ神の知恵である十字架のあがないの愚かさを信じる信仰によってのみ、どんな愚かな人でも救いに入れていただくことができるのです。

「知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(Iコリント1:20~24)

 なぜ、生まれながらの知恵や理性によっては救われることができないのでしょうか。それは人間の心がきわめて保守的で、これまでの生活を変えられることや、蓄積した知識を捨てることを好まないからです。このエルマも地方総督セルギオ・パウロのもとにいて、政策の助言をしたり占いをしたりして、自分の生活を守っていました。ところが、総督がバルナバたちの口から神のことばを聞こうとしたので、自分の生活が脅かされることを恐れたエルマは、「ふたりに反対して、総督を信仰の道から遠ざけようとした」のです。私たちもまた、今のままでは救いがないと知っていながらも、クリスチャンになれば、洗礼を受ければ、これまでの生活が変えられるのではないか、今までしていたことができなくなり、出入りしていたところに出入りができなくなるのではないかと心配し、あるいはそのことを極端に恐れては、クリスチャンになる決心を下しかねることがあります。あるいは、もうクリスチャンになっている人でも、今の生活では神様に喜ばれることがないので、何とかしなければならないと思いはするものの、じゃ主にすべてを明け渡し、献身の生活に踏み切ろうとすると、これまでの生活や習慣を変えなければならないのではないかと恐れ、躊躇してしまうのです。このように、生活と考え方が変わることを恐れる心、やっぱり自分の好みや楽しみを優先させたいというわがままな思いが、キリスト教に入る上で、あるいはクリスチャンがさらに成長していこうという時に直面する最大の障害なのです。

 しかし、この箇所をよくみると、人々が信仰に入るのを妨げたり、クリスチャンとして成長していこうとする思いを妨げるもっと根本的な問題があることに気づきます。それは霊的な戦いです。7節には、地方総督セルギオ・パウロという人物について紹介されています。彼は賢明な人であって、バルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと願っていました。彼は地方総督という高い地位にありながらも、そうした地位や名誉では心にある空洞を埋められないと自覚していました。ですから、近ごろ評判のバルナバとサウロを招いて、神のことばを聞きたいと思っていたのです。かつて聖霊がピリポをたった一人のエチオピア人の宦官のもとへ遣わされたように、バルナバとサウロをキプロスへ遣わされた最大の理由は、このセルギオ・パウロとの出会いのためであったと言えるかもしれません。

 しかし、そのように神の言葉を求める人がいる一方で、それを妨げて神の言葉から引き離そうとする力が働いていることもまた事実です。福音が宣教されるところでは、こうした働きに反対して、信仰の道から遠ざけようとする力が働くのです。魔術師エルマという高い地位にあった知識人が必死になって総督を信仰の道から遠ざけようとしていたのです。人間的に見ればセルギオ・パウロを巡ってキリスト教の伝道者と、一流の知識人である官邸お抱えの偽預言者との綱引きのように見えるような光景ですが、しかし、ここで起こっていた出来事の本質は聖霊なる神と悪しき霊の激しい霊的な戦いであって、その最前線で緊迫したつばぜり合いが成されていたのです。その霊の戦いの現実にしいてパウロは、後にエペソ書6章の中で次のように語っています。

「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。」(エペソ6:11~19)

 ですから私たちはいつでも、こうした宣教の働きは霊の戦いであるということを覚え、悪魔の策略に対して立ち向かうことができるように、神のすべての武具を身につけていなければなりません。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはき、これらすべての上に信仰の大盾を取り、救いのかぶって、御霊の剣である神のことばを受け取らなければなりません。そして、どんな時にも御霊によって祈らなければならないのです。最初の宣教地がなぜキプロスだったのか?その最大の理由はここにあったのではないでしょうか。すなわち、これから始まる彼らの福音宣教とはいったいどんなものなのか?結論的に言うならば、それは霊の戦いであるということです。それがこの最初の訪問地キプロスで明らかにしていきたかったのです。
 このことは、私たちの宣教、私たちのクリスチャンとしての歩みの本質にかかわることです。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、いつでも背後にはそうした力、働きがあることを覚え、目を覚まして祈りづけていくものでありたいと思うのです。うわべのことで一喜一憂するのではなく、すべてが祈りとみことばに、霊の武具によって対処していかなければならないのです。

 Ⅱ.聖霊に満たされて(9-11節)

第二のことは、そのような霊の戦いにおける神の勝利についてです。9~11節をご覧ください。

 神のことばを聞きたいと思っていた総督を、信仰の道から遠ざけようとしていた魔術師エルマに対して、サウロ、別名でパウロは、聖霊に満たされて、彼をにらみつけて言いました。「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵。おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。見よ。主の御手が今、おまえの上にある。おまえは盲になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」するとたちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回りました。

 ここからサウロというユダヤ風の名前は、パウロというギリシャ風の呼び名に変わります。これ以降彼の名は一貫してパウロと呼ばれるようになります。それはここから彼の伝道者としての生涯が真の意味で新たなスタートを切るようになるからです。その伝道者パウロの宣教のスタートは、この悪霊との戦いでした。彼は聖霊に満たされ、彼をにらみつけると、「ああ、あらゆる偽りとよこしまに満ちた者・・・・」と、激しいのろいのことばを言いました。しかもこのような激しい言葉と行動をルカは、それが聖霊に満たされた結果だと記したのです。このようなのろいのことばがいったいどうして聖霊に満たされた結果の言動であり得たと言えるのでしょうか。それは、このパウロの語ったことばの中に十分示されていると思うのです。つまり、彼があらゆる偽りとよこしまに満ちた者で、悪魔の子、すべての正義の敵であったということです。そして彼が、主のまっすぐな道を曲げることをやめないからです。神に敵対し、神の救いのみわざを妨げる者は、「バルイエス」、つまり「救いの子」なのではなく、「悪魔の子」です。彼らのわざが悪魔のわざだからです。実に救いとは、そうした悪魔のわざを打ち砕き、神の側に人を救い出すことにほかなりません。そしてパウロが、「見よ。主の御手がおまえの上にある。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができなくなる。」と言うと、たちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は手を引いてくれる人を捜し回らなければなりませんでした。これは、パウロ自身がダマスコ途上でキリストの幻に打たれ、しばらくの間、目が見えなくなった出来事に似ています。今まで見慣れた世界が閉ざされ、見慣れた世界、生活からいやおうなしに離されるのです。魔術師エルマは、日の光ばかりか、これまで出入りしていた総督官邸やこれまで歩んできた過去の栄光も何もかも見失ってしまったでしょう。それは、彼がいかなる力にも栄光にも乏しい哀れな罪人であるということを自覚し、悔い改めへと導かれていくために必要なことでした。けれどもそれ以上に重要なことは、このことが聖霊に満たされて神のことばを語る語り手の完全な勝利を表わすものであったということです。

 聖霊によって遣わされた者は、悪しき者に勝利するのです。ですから、福音宣教の戦いに勝利するためには、聖霊に満たされることが必要です。聖霊に謙虚に依り頼むことを忘れて、自分の力や、自分の言葉の巧みさにすがろうとするなら、私たちはこの厳しい戦いに勝利することはできません。日ごとに助け主なる聖霊の神を求め、この方に信頼し、この方との深い交わりの中で養われ、慰められ、励まされ、そして力を与えられてこそ、日々の霊的な戦いに勝利することができるのです。そしてそのように聖霊が勝利を勝ち取ってくださるとき、私たちを通して宣べ伝えられた神のことばは、豊かに実を結ぶことになるのです。

 Ⅲ.神の救いのみわざ(12節)

 ですから第三に、その結果としての輝かしい神の救いのみわざです。12節をご覧ください。

「この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った。」

 魔術師エルマの強力な妨げがありましたが、霊の戦いに勝利したパウロが、聖霊にみたされ、彼をにらみつけてのろいを宣言すると、魔術師エルマはたちまちのうちに、かすみとやみがおおったので、何も見えなくなってしまいました。手を引いてくれる人を捜し回らなければならなかったのです。一方、その出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入りました。当時、ローマの高級官僚がイエス・キリストを信じて信仰に入るということには、かなりの勇気と決断が必要だったはずです。クリスチャンになるということは、彼らに義務づけられていた皇帝崇拝やローマの偶像礼拝をしないことになるからです。しかし、そんなことをしたら自分の地位はおろか、生命の危険までも伴うことでした。しかし彼の良心は、それ以上の必要を感じていたのです。それ以上の必要とは何だったのでしょうか。それは神の恵みです。ひとりの人間が救いに入るのを妨げるいっさいのものを、必死でとりのけてくださる神の恵みを思えば、どうして信仰に入ることをためらう必要があるでしょうか。ですから彼は、敢然と信仰の道に入って行ったのです。

 それはここに、「主の教えに驚嘆して」と記されてあることからもわかります。この総督が信仰に入ったのは、彼が何かの奇跡を見たからではありませんでした。主の教えに驚嘆したからなのです。7節を見ると、もともと彼は「神のことばを聞きたいと思ってい」ました。その神のことば、すなわち主の教えに驚嘆したので、信仰に入ったのです。信仰とは、何か驚くばかりの奇跡を経験したら入れるようなものではありません。信仰とは、神のことばを聞いて驚き屈服し、そこにある驚くべき神の恵みのみわざにふれることによってもたられるものなのです。では奇跡は意味がないのかというとそうではありません。奇跡はこの神のことばがいかに驚くべきものかを証明するための手助けをしてくれるものです。そして聖書の中にはそうした奇跡の数々が記録されていることは、この神のことばがいかに驚くべきものであるかを証明し、現代に生きる私たちが信仰に入るために事欠かないものであることを証明するのに十分なものなのです。

 この後で賛美しますが、新聖歌428番の賛美歌は「キリストにはかえられません」という賛美です。この賛美はレア・ミラー(Mrs.Rhea F. Miller、1894~1966、経歴は不明)という女性の方が書いた詩に、ジョージ・ベヴァリ・シェー(George Berely Shea、1909~)という人が曲を付けたものです。 作詞家のレア・ミラーについての詳細は明らかではありませんが、この曲は1925年に作られました。夫は全米各地を回ったとあるので牧師であったかもしれないと言われていますが、44年間連れ添った夫に先立たれた5年後に、住んでいる家が全焼し、すべてを失ったとき、彼女は、「さあ、これでイエスと二人だけになることが出来た。」と娘に言ったそうです。そして、このように書いたのです。

1.キリストにはかえられません、世の宝もまた富も、このお方が私に代わっ
  て死んだゆえです。
  *世の楽しみよ去れ、世の誉れよ行け、キリストにはかえられません、     世の何ものも。
2.キリストにはかえられません、有名な人になることも、人のほめる言葉も
  この心をひきません。
  *(繰り返し)
3.キリストにはかえられません、いかにう美しいものも、このお方で心の満た  されてある今は。
  *(繰り返し)

 年を重ねるということは、持っているものを次から次へと失っていくことです。若い時は仕事をバリバリとやり、多くの人からも必要とされましたが、年をとるにつれてその仕事ができなくなったり、誰にも必要とされなくなる時がやってきます。健康を失い、人間関係も失い、ある人は、知識や情報量を誇っていたものも、すべてを忘れる時がやってきます。多かれ少なかれ、みんなそういう時がやって来るのです。年を取るということはそういうことです。しかし、それは恐怖ではありません。なぜなら、そのようなものをどんどん失っていってもそれと反比例するかのように、イエス・キリストというお方が、私たちの心の中にますます豊かになってくるからです。イエス様の存在が、私の内にますますはっきりしてくる。そして、天国の希望がますます豊かになってくる。だからすべてを失っても、キリストを持っている限り、すべてを持っていると言っても過言ではないのです。私たちの人生には必ず限りがあります。しかし、そんな限りのある人生の中で、ますます豊かにされていく秘訣があるのです。それが救い主イエス・キリストを信じる道なのです。何という恵みでしょうか。それがわかったら、その恵みに圧倒されて私たちもまたこの信仰に入って行くようになるのです。それが神の救いのみわざなのです。

 この「キリストにはかえられません」という曲を作曲したジョージ・ベヴァリ・シェー(George Berely Shea、1909~)も、そんな神の救いのみわざを体験した一人でした。彼は牧師の家庭に生まれ育ちましたが、ティーン・エイジャーになった時、神から離れます。彼の母親はそのことを深く悲しんで、そんな息子のために祈り始めました。するとジョージが23歳になったとき、自宅のピアノの上に置いてあったこの詩に出会うのです。そのとき教会やキリスト教のラジオ番組を続けるか、或いはニューヨークで高給が得られる歌手の道を選ぶかについて悩んでいた彼は、この詩が彼のその後の人生の指針となり、これに曲をつけて歌ったのです。1939年のことでした。その後彼は、かのビリーグラハムクルセードの音楽伝道者として60年あまりも奉仕するようになりましたが、95歳になった今もご健在だそうです。そして、彼はこう言うのです。

「23歳の時に、この歌は私の人生に大きな影響を与えたけれども、今振り返って見ると、私は23歳の時にはこの歌の持っている意味を本当は理解していなかったと思う。しかし、60年間歌い続けて、私はこの歌の意味が本当によく分かるようになってきた。」と。

 その意味とは何でしょうか。イエス・キリストは何物にもかえられないということです。このイエス・キリストこそ私たちを救い、私たちの生き方を決定づけるお方だからです。ジョージ・ベヴァリー・シェーは、その主の教えに驚嘆して信仰に入り、その生涯を歩んだように、この地方総督セルギオ・パウロもまた、この主の教えに驚嘆して信仰に入ったのでした。

 その主の教えは今、私たちにも届いているのです。皆さんもこの総督のように神のことばを聞きたいと切に願い、これを求めていくのなら、この神のことばが皆さんにも救いのみわざをもたらすのです。私たちに必要なことは、聖霊に信頼し、聖霊に励まされながら、この恵みのみことばを宣べ伝えていくことです。そうすれば、かつてキプロス島ですばらしい神様の救いのみわざが現れたようなみわざを拝することができるようになるのです。神のことばにはそのように人を変え、新しく生まれ変わらせる力があるのです。

使徒の働き13章1~3節 「世界宣教の始まり」

 きょうは「世界宣教の始まり」というタイトルでお話したいと思います。この使徒の働きは大きく分けて二つに分けられますが、一つは1章から12章まで、もう一つが13章から終わりまでの箇所です。いわばこの13章1節は、使徒の働きの分水嶺とも言われている箇所です。ここから第二部が始まっていくわけです。これまでも繰り返し確認してきましたが、この使徒の働きは1章8節で主イエスが語られたことばを軸に展開されてきました。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」

 このみことばに従って、これまではエルサレムを中心に、またペテロをはじめとする使徒たちが主役となって、ユダヤ人を対象に福音が語られてきましたが、ここからは宣教の舞台がアンテオケに移り、ペテロではなくパウロの働きが中心に、しかも宣教の範囲は地の果てまでです。このようにこの13章からの箇所は、世界宣教の進展を描いた使徒の働きの第二部の始まりであると言えるのです。

 いったいこの世界宣教はどのようにして始まっていったのでしょうか。きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、その世界宣教に大きく用いられたアンテオケ教会の信仰についてです。第二のことは、世界宣教の召しについてです。それはだれかにするようにと言われて始まったことではなく聖霊の召しによって始まった世界宣教でした。第三のことは、そのような召しに対して教会は、断食と祈りをして送り出したということ、すなわち、世界宣教は教会の祈りとともに始まっていったということです。

 Ⅰ.信仰の一致(1節) 

 まず第一のことは、この世界宣教に用いられたアンテオケ教会の信仰についてです。1節をご覧ください。

「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」

 アンテオケ教会の設立については11章19節からのところで見てきましたが、この教会は設立されてまだ日の浅い若い教会でした。しかし、バルナバとパウロによる一年間の指導によって、急速に成長していました。そして、この日の浅い教会に預言者や教師と呼ばれていた指導者が立てられいました。ここに紹介されている指導者たちを見るだけでも最初の異邦人教会であったこのアンテオケ教会は実にバラエティーに富んだ人たちの群れであったかがわかります。

 最初に紹介されているのは「バルナバ」です。彼についてはこれまでも何度か紹介されてきました。4:36には、「キプロス生まれのレビ人で、その名前の意味は「慰めの子」であるということ。そして、自分の畑を売ってはその代金を使徒たちの足下に置いたという敬虔で、信仰深い人物であったこと、さらには、9:26,27のところには、パウロが回心した際にエルサレムの仲間に入ろうと試みましたがだれも彼を信じることができず躊躇していたとき、その仲介役を買って出たのがこのバルナバでした。また、11:23には、このアンテオケ教会が誕生したときエルサレム教会から遣わされ、彼らが心を堅く保って、常に主に留まっているようにと励ましたのがこのバルナバです。バルナバはまさにアンテオケ教会の中心的な働きを担っていた人でした。彼がいなかったらアンテオケ教会はここまで成長することはではなかったのではないかと思われるほどの要の人物です。

 次に出てくるのは、「ニゲルと呼ばれるシメオン」です。「ニゲル」というあだなは現在の「ニグロ」と同じ意味で、肌の色が当時の中東の人よりもさらに黒かった人のことです。すなわち、アフリカ系の黒人であったと推測されます。多くの人はキリスト教が欧米の宗教だと勘違いしていますが、この福音がアフリカにも渡ったことを考えると、彼の果たした貢献は大きかったと思います。

 次は、「クレネ人ルキオ」です。クレネとは北アフリカにある町です。11:20には、そうした地方から当時ローマ第三の都市と言われていたこのアンテオケにやって来て救われると、彼らはユダヤ人以外にもギリシャ人にも福音を語りかけたと紹介されていますが、その一人であったのでしょう。ある人は、このクレネ人ルキオは、イエス様の代わりに十字架をかついでゴルゴタの丘まで歩いて行ったクレネ人シモンではないかという人がいますが、名前が違うので考えられないでしょう。いずれにしても彼は、そうした既成概念にとらわれない自由な考え方をもっていた人でした。

 次は「国主ヘロデの乳兄弟マナエン」です。このヘロデとはヘロデ大王の子のヘロデ・アンティパスのことですが、そのヘロデと乳兄弟であったということは、彼と同じ宮殿で育てられていたということです。今でいう皇族の一人という立場にあった人です。かなり身分の高い家柄の出身だったのでしょう。

 最後はサウロです。彼はキリキヤのタルソの出身で、きっすいのユダヤ人です。バリバリの律法学者で、中でもガマリエルという教師の門下生という非常に優秀な若きエリートでした。そんな彼がある日、キリスト者を捕らえようとダマスコに向かっていたときキリストに捕らえられました。「サウロ。サウロ。なぜわたしを迫害するのか」「あなたはだれですか」「わたしはあなたが迫害しているイエスである」復活の主イエスと出会い、彼は手のひらを返したかのように劇的に回心し、今度は熱烈なクリスチャンになったというのはあまりにも有名な話です。彼はクリスチャンになってからしばらくの間出身地のタルソで質素に暮らしていましたが、そんな彼をバルナバが捜し出しこのアンテオケ教会の霊的指導のために連れてきたのでした。

 このように見ると、このアンテオケ教会には実にいろいろな出身の、いろいろな立場の、いろいろな人たちがいたことがわかります。しかし彼らはそうした人種や社会的な地位を越えて、信仰にあって一致していました。しかもよく見ると、この指導者たちの中には、十二使徒と呼ばれる人たちはひとりもいません。そのアンテオケ教会が世界宣教へと乗り出して行くのです。一流の人物がいるから主の働きができるのではない。気の合った仲間がいれば、主の働きができるのでもありません。アンテオケ教会に集められた人たちは、主が集めてくださったという信仰があったからこそ、多くの人間的な偏見や障害を乗り越えて、驚くべき主の働きをすることができたのです。

 Ⅱ.世界宣教の召し(2節)

 それでは、このようなアンテオケ教会が世界宣教を開始するようになったのはどうしてなのでしょうか。次にそのいきさつ、経緯について見ていきたいと思います。2節をご覧ください。

「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。

 このアンテオケ教会が、それ以前に、世界宣教をしようという願いを持っていたかどうかはわかりませんが、彼らが世界宣教を始めるようになったきっかけは彼らがそのようなアイディアを持っていて、それを教会で話し合い、相談し、会議して決めたからではありません。聖霊が彼らに、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と命じられたからです。聖霊がどのようにして命じられたのかはわかりません。おそらく、ある預言者を通してそのように語られたのでしょう。

 しかし大切なことは、それがいつ、どんな時に語られたのかということです。ここには、「彼らが主を礼拝し、断食していると」とあります。聖霊が彼らに語られたのは、彼らが礼拝をしているときでした。考えてみたら、かつて主イエスが大宣教命令を語られた時も、弟子たちが主を礼拝していた時でした。ガリラヤに行って、イエスが指示された山に登り、そこでイエスにお会いしたとき、彼らは主を礼拝したのです。そのとき、主イエスは彼らに近づいて来て、こう言われました。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18~20)。

 世界宣教の任務は、常に主を礼拝する教会に示されます。罪赦された者が集まって、主を神として、また王として礼拝する時、主はご自分の救いの計画と目標をその教会に示さずにはおられないのです。

 ところで、ここにはただ「礼拝」とだけ書かれてあるのではなく、「礼拝し、断食していると」とあります。「断食」とは文字通り「食を断つ」ことを意味します。聖書にはこの断食がしばしば「祈り」との関係で記されてあります。3節にも「断食と祈り」とあります。それは祈りに専念するための補助手段であるからです。日常生活に必要なものであるにもかかわらずそれを一時中断して祈ることによって、神に心を集中する。祈りに専念するのです。ここで「礼拝して、断食していると」と記されてあるのも同じで、日常の生活から起こる雑念から解放され、心が主に向けられ、真に主を礼拝するために、断食して祈っていたということです。このように心が主にのみ向けられているとき、主の御霊である聖霊が語られることを聞くことができるのです。もちろん、今日御霊は常に、みことばとともに働いておられますから、私たちはそのみことばによって、聖霊が語ることを聞くことができるのです。

 それにしても、この聖霊が語られたことはとても衝撃的なことでした。なぜなら、バルナバとサウロを主が召した任務につかせなさいというのですから・・・。なぜこの二人だったのでしょうか。バルナバといったらアンテオケ教会の筆頭格です。彼を送り出すというのはいわば教会の主任牧師を宣教師として送り出すようなものです。かたやパウロ。このアンテオケ教会の指導にはどうしても彼の存在が必要だと、わざわざバルナバがタルソから捜して連れて来たほどの人です。なのになぜこの二人が行かなければならなかったのでしょうか。それは教会にとっては戸惑いを呼び起こすようなサプライズ人事であったかもしれませんが、しかしこの後の伝道旅行を追いかけていく中で、私たちはこれぞ聖霊の導きの中での絶妙の組み合わせであったことがわかるのです。それは突き詰めて言えば、主が召してくださったものであったということです。聖霊を通して与えられる使命。これ以外に、人が主の務めのために聖別されることはありません。主によって召されたという事実が、人にその一生涯を主のために捧げさせ、主の務めに献身させるのです。

 特にここではサウロの召しということを考えておきたいと思うのです。あのダマスコ途上の回心の時に、復活の主イエスはアナニヤに、このサウロに対する召しの言葉をすでに語られました。9章15、16節です。

「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」

 しかし実際には、その召された務めに就くまでには多くの時を待たなければなりませんでした。ではその間はサウロにとっては意味のない単なる浪費に過ぎなかったのかというと決してそうではありません。むしろこの間の時は、サウロの召命が確かめられ、深められる時であり、また同時に彼が教会から信頼を勝ち取り、その賜物が認められ、信任される時でもあったのです。教会が教会の働き人をその任に任ずるためのプロセスは、本人に与えられた内的召命を深め、確かめていく大切な営みなのです。そういう意味では、神様は決して無駄なことをなさらず、すべて時にかなって美しいことをされたと言えるでしょう。

 Ⅲ.教会の祈りとともに(3節)

 第三に、この主の召しに対する教会の応答を見たいと思います。3節をご覧ください。

「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」
 
 聖霊によって「バルナバとサウロを、わたしが召した任務につかせなさい」と聞くと、彼らは断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、彼らを送り出しました。これはアンテオケ教会にとっては簡単なことではありませんでした。というのは、先ほども申し上げたように、この二人はアンテオケ教会の中心人物だったからです。いくら聖霊にそのように言われたからといっても、わざわざ彼らを送り出す必要はないと考えた人もいたでしょう。別の人を送った方がいいと言う人もあったかもしれません。しかし彼らはなぜバルナバとサウロを送らなければならないのかといったことを一切訊ねず、断食と祈りをして、ふたりを送り出したのです。このようにみことばに示されるままに行動する群れに、主は大きな責任と使命を与えてくださるのです。

 ところで、教会が彼らを送り出したとき、断食と祈りをして、ふたの上に手を置いてから送り出したとありますが、いったいこれはどういうことなのでしょうか。断食と祈り、これは礼拝と断食のところで説明したように、日常の生活を断って祈りと礼拝に専念するために行われるものです。特に断食は食を断つわけですからそこには苦しみが伴います。韓国には「三日飢えて泥棒しない人はいない」ということわざがあるそうですが、三日間断食するのはかなり苦しいことです。私も牧師である以上、最低三日は断食しようと思って始めたことがありますが、一色抜いた時点で食べ物のことしか考えられなくなり、二食抜いた時には生きる意欲がなくなり、三食目の時には主の再臨が待ち遠しくなったほどです。結局、一日ももったことがありません。それどに食を断つということは苦しいことなのです。その食を断って祈り、彼らを送り出したということは、送り出す側の教会もまた宣教の苦渋に共にあずかる決意をしたということです。教会はただバルナバとサウロの二人だけを宣教の旅に送り出すのではない。そこでは教会もまた彼らとともに遣わされて行くのであり、二人は教会から離れた存在ではなく、むしろ教会そのものの派遣をその身に担って遣わされていくのです。教会は彼らのために祈り続けていかなければならない。自らも食を断ち、祈りに集中してこれから遣わされていく伝道者たちのためにとりなして祈り続けていかなければならないのです。

 パット先生から聞いた話です。彼女が神学生の頃に、彼女の友人が通っていた教会で、いくつかのスモール・グループが宣教師を支える働きをしていたそうです。その教会では2~3の家族をチームで数年間アフリカに遣わしたのですが、その家族の生活をそれぞれのスモール・グループが支えていたというのです。スモール・グループといっても3~4の家族です。その家族が一つの家族を支えていくというのはかなり大変なことです。そこでメンバーは自分たちの生活費を切り詰めてその分を宣教師に送って支えたのです。

 それはこのアンテオケ教会が断食と祈りをして、バルナバとサウロを送り出したことと同じです。それは決して送り出される二人だけの働きではなく、教会もまた彼らとともに遣わされていたのです。遣わされていく人は教会から離れた存在なのではなく、むしろ教会そのものの派遣をその身に担って遣わされていくのです。バルナバとサウロは教会の祈りの中に遣わされていきます。それは遣わされていく二人にとっても、遣わす教会にとっても、そして遣わされた二人を通して福音を聞く人たちにとっても大きな祝福です。バルナバとサウロの二人にしてみれば、恐れや不安を抱く要素は数知れずあったことでしょう。けれどもその背後に教会の祈りがあるので、彼らは遣わされていくことができるのです。二人を遣わすアンテオケ教会にしても、教会を導く大切な牧者二人を送り出すことには大きな戸惑いがあったことでしょう。けれども、そのような犠牲を払うことなしに福音の進展はありません。そうやって神の国の進展のために祈りの中に遣わし、遣わされていくとき、主はそこで捧げられた多くの犠牲を補って余りあるほどの祝福をもって教会を祝福し、主にある働き人たちを祝福してくださるのです。

 パット先生を日本に遣わしてくださったアメリカの教会はカルバリー・バプテスト教会といいますが、かつてその教会の牧師をしておられたキュースター先生は、まさにそのようなスピリットをもっておられました。このキュースター先生は今から二、三年前に亡くなられましたが、私たちが結婚して日本で宣教することを聞いたとき、それを心から喜び、祈りで支えてくれました。大きな教会の牧師でありながら、私たちがアメリカに戻る時にはいつも大歓迎で迎えてくれました。最後にお会いした時には牧師を退いて15年ほど経っていましたが、同居していたカールソン牧師夫人が喘息で体調を崩し、多くの人とお会いできない中で「あなたたちだけは別だ。あなたたちは私の家族だ。あなたたちはスペシャルだから」と言って、ヨセミテの自宅に招いてくれました。そして、しばし談笑した後に、「何か祈りが答えられたものとか、新しいリクエストがあったらこれに追加してください」と言って、ボロボロになった1枚の紙を差し出しました。それは私たちが福島で開拓をして数年した頃に教会に送った祈りのリクエストが書かれてものでした。いつ送ったことさえ忘れてしまったものを、キースター先生は毎日祈りに覚えていてくれたのです。そのとき私は思いました。自分たちの働きは自分たちだけが担ってきたかのように思っていましたが、実は背後にある祈りによって支えられてきたんだということが。

 この神の国の不思議で、しかし確かでダイナミックな法則を、私たちもまたこの身をもって体験する者とさせていただきたいと思います。新しい年、この教会からもバルナバやサウロのように世界宣教に遣わされていこうとしている家族がいます。私たちはこの霊的な原則を体験できるすばらしい機会が与えられています。聖霊は人を召し出し、その務めをゆだねられ、教会を通して派遣される。そしてその祝福はさらに豊かになって教会を満たすようになるのです。

使徒の働き12章18~25節 「神に栄光を帰せて」

 きょうは、「神に栄光を帰せて」というタイトルでお話をしたいと思います。23節には、「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである」とあります。ここには神に栄光を帰さなかったヘロデと、それとは対照的に神に栄光を帰せた人たちの姿が、ドラマチックに対比されながら描かれています。きょうはこの対比を通して、神に栄光を帰することについて三つの点で学びたいと思います。まず第一に神に栄光を帰さなかったヘロデの姿です。第二に、それとは対照的にますます盛んに広がっていく神のことばについてです。第三のことは、そのように神の栄光を現して生きた人たちの姿です。

 I.神の声、人間の声

まず第一に、ヘロデの問題についてです。18~23節までをご覧ください。

「さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒ぎが起こった。ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下って行って、そこに滞在した。さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。」

 ヘロデ・アグリッパによって獄に捕らえられていたペテロは、教会の必死の祈りによって、奇跡的に獄中から脱出することができました。するとヘロデは、彼を捜しましたが見つけることができなかったので、番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じました。ヘロデにしてみれば、あれほど厳重な警備態勢を敷いて監禁していた囚人に逃げられたとあってはメンツ丸つぶれですし、万が一、身内の看守たちの中にペテロの脱獄に加担した者がいたとということになったら大問題になります。そもそも逃げ出したペテロをすぐにでも捕まえることができれば最低限の面目は保てたでしょうが、そのペテロをなかなか見つけることができないままに、まさか御使いが不思議な方法でペテロを連れ出したことなど夢にも思わなかったヘロデにとっては、自らの権威の失墜を避けるので精一杯でした。ローマ法には、このように囚人を取り逃がした番兵は、その責任を取って囚人に課せられた刑罰と同じ罰を受けなければならないという定めがあったので、ヘロデはペテロを取り逃がした看守たちを処刑することで自分の権力を誇示し、一連の騒動の幕引きを計ろうとしたのです。そして彼は、ユダヤからカイザリヤへと下って行き、そこに滞在しました。

 20節をご覧ください。そのカイザリヤにヘロデが滞在していた時のことです。ツロとシドンの人たちがやって来て、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めました。ヘロデがこれらの人たちに対して強い敵意を抱いていたからです。なぜヘロデが彼らに対して敵意を抱いていたのかはわかりません。しかし、それがどのような理由であったにせよユダヤから食料を得ていた彼らにとって王を怒らせることはその道が断たれることであり、死活問題でした。そこで彼らはヘロデのもとに陳情に上がり、王の侍従であったブラストに取り入って和解を求めたのです。そしてこの問題が解決されると、これを祝うための行事が催されました。21、22節です。

「定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。」

 この「定められた日」とは、ローマ皇帝の誕生日を祝う日のことでしょう。この日にローマの支配下にあった国々は、ローマ帝国の安泰と皇帝に対する忠誠を表明するためにこれを盛大に祝ったのです。この日にヘロデ(アグリッパ)は、自らの権力を誇示する絶好の機会として、あたかも自分が神であるかのように演説を始めたのでした。ユダヤ人の歴史家であったヨセフスは、その時の様子を次のように記録しています。

「アグリッパは銀の糸で織られたすばらしい布地で裁った衣装を着けて、暁の劇場へと入場した。太陽の最初の光が銀の糸に映えてまぶしく照り輝くその光景は、彼を見つめる人たちに畏敬の念を与えずにはおられなかった。すると突然、各方面から人々が、『陛下が私たちにとって吉兆でありますように。たとえこれまでは陛下を人間として恐れてきたとしても、これからは不死のお方であります。私たちはこのことを認めます』と。王はこれらの者たちを

使徒の働き12章1~17節 「祈る教会」

 きょうは「祈る教会」というタイトルでお話たいと思います。きょうの箇所はアンテオケから舞台を一転してエルサレムに移し、そこで起こった出来事を通して、教会の進展のためになくてはならない重要なことを私たちに教えています。それは祈りです。11章19節のところには「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまで進んで行ったが、ユダヤ人以外にはだれにもみことばを語らなかった」とありますが、このアンテオケは、主の御手がともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返りました。それだけではありません。弟子たちは、ここで初めて、「クリスチャン」と呼ばれるようになりました。それほどに信仰が生きて働いていたのでしょう。さらにこの教会は、ききんで苦しんでいたエルサレム教会のためにパウロとバルナバを遣わして救援物質を送りました。そんなめざましい活動がこのアンテオケで展開されていたのです。

 しかし、そのようなすばらしい御業はアンテオケ教会ばかりではありませんでした。母教会のエルサレム教会でも、それに勝るとも劣らない主の御業が展開されていたのです。それがここに記されてある祈りの姿です。この「使徒の働き」において、エルサレム教会のことが記されてあるのは、これが最後です。これからあとはアンテオケ教会を中心に、いかに福音が異邦人の世界に広がっていったのかが伝えられていきます。その最後の記録は、実にめざましいものでした。

 きょうはこのエルサレム教会の祈りについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、このエルサレム教会は祈る教会であったということです。第二のことは、その祈りに対する答えです。教会が心を一つにして熱心に祈り続けたとき、人間的には不可能だと思われるほどの神様の御業が起こりました。第三のことは、そこにまつわるエピソードを通して教えられることです。すなわち、たとえ確信のない祈りでも主は答えてくださるということです。だから祈りましょうということです。

 Ⅰ.祈る教会(1~6節)

 まず第一に、このエルサレム教会は祈る教会であったということを見ていきましょう。1~6節までをご覧ください。

「そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
ヘロデはペテロを捕えて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。」

 「そのころ」とは、バルナバとサウロがアンテオケから救援の物資を携えてエルサレムに遣わされていったころです。当のエルサレム教会ではヘロデ王による迫害の手が使徒たちの上にも及んでいました。11章30節をみると、その救援の物資は、バルナバとサウロの手によって長老たちに送ったとあり、使徒たちにと書かれていないことを見ると、使徒たちへの迫害がかなり深刻な状態であったことがわかります。今回の迫害は単にユダヤ教当局によるものではなく、ヘロデ王によるものであったと書かれてありますから、それは国家権力によるより大がかりな迫害でした。

 この「ヘロデ」という人物は、ヘロデ・アグリッパと言って、イエス・キリストが誕生したときにユダヤを支配していたヘロデ大王の孫にあたる人です。彼は祖母がハスモニア家出身であったことから、ユダヤ人に気に入られようと教会を苦しめ、迫害の手を伸ばしたのです。その最初の犠牲者が十二弟子の一人で、ヨハネの兄弟ヤコブでした。そしてヤコブを処刑するとそれをユダヤ人たちが気に入ったのを見て、今度はペテロをもとらえて投獄しました。ペテロは以前にもユダヤ人議会の手によって投獄されたことがありましたが、その時には御使いによって助け出されたことがあったので、今度はより厳重な警戒をして監視させました。ここには「四人一組の兵士四組」に引き渡したとあります。すなわち、四人一組になって6時間ずつ、四交代で監視したということです。しかも6節を見ると、彼は二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していたとあります。普通のローマ軍の牢屋では、ひとりの兵士が囚人を鎖でつなぐのが関の山でしたから、二人の兵士につながれ、しかもさらに二人の兵士が戸口を見張るというのは、異常なほどの用心深さであったことがわかります。そのうえ第一、第二の衛所があり、最後は「鉄の門」まであったのですから、完璧なまでの監視でした。もしかしたら彼らは、以前ペテロが捕らえられたとき獄をもぬけのからにした話を聞いていて、絶対にそんなことはさせないと躍起になっていたのかもしれません。しかし、今度の警戒はかなり厳重です。これでは手も足も出ないでしょう。絶体絶命のピンチです。このままでは教会の存続さえも危ぶまれます。エルサレム教会の指導者たちがねらい打ちにされるということは、そのまま教会の根幹に打撃を与えることであり、その存立を脅かすような重大な問題だったからです。このような教会存亡の危機的な状況のとき、教会はいったい何をしたのでしょうか。5節をご一緒に読んでみたいと思います。

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」

 教会は彼のために祈っていました。ヤコブの殉教、ペテロの逮捕といった絶体絶命の状態の中で、もはや何の成す術がなくなっても、ただ茫然としてしまうのではなく、最後の最後まで諦めずに、祈っていたのです。

 皆さん、クリスチャンのすばらしさは、このように人間的にはどうすることもできないという状態にあっても、祈ることができることです。医者にも見捨てられ、頼るべきものが何もなくなってしまったかのように見える病気の時でも、決して絶望することなく、ほんとうに頼るべき方に心を注いで祈れるということです。

 日本が生んだ大伝道者、内村鑑三の本に、こんな話があります。田んぼの中にいたカエルに、少年たちが石を投げて遊んでいました。子どもたちにとってはそれは単なる遊びですが、カエルにとっては命がけです。当たり所が悪ければ死んでしまうわけです。そこでカエルたちは、「こんなの嫌だ。わたしはもうカエル」と言って近くの池に逃げて行きました。その池に飛び込んで深くもぐり、傷をいやし、いたずら小僧がいなくなたころ、また出てくるわけです。

 実はこの話は、内村鑑三の無教会主義の信徒たちが迫害されたときのことをたとえて話したものです。外から見たら何やら戯れているかのように見える教会の中で、命がけの出来事が起こっている。しかし、そうした出来事の中にあってもクリスチャンにはそれをいやす池がある。それがイエス・キリスト様だ・・・と。

 私たちの人生には、初代教会のような迫害が襲ってくることはないかもしれませんが、絶望的な状況に陥ることがしばしばあります。そのような状況の中で、「もう無理だ」と思うことがどんなにあることでしょう。しかし、私たちは祈ることができる。ほんとうに頼るべき方に心を注いで祈ることができるのです。

「あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:28~31)

 この方が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちにはこのような方がついておられるのです。だから祈らなければならないのです。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば、見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7,8)初代教会は、実に、祈る教会でした。教会の中に問題が起こったら、それは祈りに導かれる素晴らしいチャンスだと受け止めたのです。

 オランダにヘンドリック・クレイマーという神学者がおられましたが、彼が日本の教会のリサーチを頼まれて調査したところ、日本の教会について次のように報告しました。「日本の教会は議論する教会です。問題が起こると議論します。韓国では祈ります。台湾では賛美します。しかし、日本では議論します。議論の教会です。」

 いろいろと議論して何が起こるのでしょうか。大切なのは祈ることです。問題があっても、なくても、熱心に祈り、神に求める教会、そういう教会となることを主は願っておられます。そういう教会は、驚くほどの御業を経験し、力強く前進していくことができるのです。

 Ⅱ.すべての災いから救い出してくださった主(7~11節)

 次に、祈りに対する答えをみていきたいと思います。7~11節までをご覧ください。

「すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」

 教会はペテロのために祈り続けていましたが、何の変化もないまま、とうとうペテロが処刑される前の日になってしまいました。ところが、その最後の瞬間に、奇跡が起こりました。それはペテロもクリスチャンも、信じられないほどの奇跡でした。何とあれほど厳重にとらえられていたペテロが解放されたのです。9節には、「彼には御使いのしている事が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた」とありますが、それほど不思議なことでした。ヨッパの皮なめしのシモンの家で幻を見ていたときのように、またもや幻を見ているのだと思ったのでしょう。その経緯とはこうです。

 7節、主の使いが突然現れたかと思うと、ペテロのわき腹をたたいて起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言いました。何だろうと思っていたら、突然、手から鎖がはずれ落ちたのです。すると御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うのでその通りにすると、今度は「上着を着て、私について来なさい」と言うではありませんか。そして、第一の衛所も第二の衛所も、また最後の第三の鉄の門も自動的に開いたので、彼は外に出ることができたのです。彼はまるであやつり人形のようにあやつられ、夢遊病者のように歩いてきましたが、外に出て、御使いが彼から離れて行ったとき、それが現実のことであり、主が御使いを通して、ヘロデの手から自分を救い出してくださったのだということがわかったのです。

 こういう話を読むと、現代人はクリスチャンでも首をかしげてしまいます。現代では、このような天使の実在や働きがあるなど信じることができないからです。しかし、神を信じるクリスチャンにとって、このような天使の存在とその働きを疑う必要はありません。人生を深く、しかも体当たりで生きてきた人なら、この時ペテロが体験したように、「今、確かにわかった」と我に返ることがあるからです。主が御使いを遣わして、私を救い出し、守ってくださったのだということを悟ることがあるのです。もちろん、肉眼で天使を見たわけではありませんが、信仰の目が開けて我に返るとき、「今、確かにわかった」ということがあるのです。ですから、ペテロも、「主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ちかまえていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」(11節)と言ったわけです。言い換えると、鎖が落ちたこと、立ち上がれたこと、帯を締められたこと、くつをはけたこと、上着を着られたこと、外に出られたことなど、自分の身の回りに起こった一つ一つの具体的な動きと自分の歩みのすべてのことが、祈りに対する答えであったということです。祈りに対して、主の御手が働いてくださったことの結果だったのです。そのようにたとえ目には見えなくても、確かにそこに主が働いておられることを信じ、その御業の数々を数え上げ、主をあがめて賛美しながら歩めることこそ、クリスチャン生活の醍醐味ではないでしょうか。それがクリスチャンの強さの秘密なのです。

 19世紀にロンドンのバプテスト教会の説教家だったチャールズ・スポルジョンは、しばしば「説教のプリンス」と呼ばれていました。スポルジョンは27歳の時から、ロンドンにあるメトロポリタン・タバナクルという教会で6千人の聴衆に説教しました。活字にされた3,561編の説教は、彼がこの世を去って1世紀以上が過ぎた今でも出版され続けています。
 1879年8月10日の聖日も、いつもと同じようにメトロポリタン・タバナクル教会で礼拝が行われました。信徒たちは、新来者たちに座席を譲るために、みな礼拝堂の外に出ることになりました。そして、しばらくると礼拝堂は6千人の聴衆で満員になりました。
 新しく教会を訪れたある人が信徒の一人にスポルジョンの成功の秘訣を尋ねました。するとその信徒は、「それでは教えて差し上げましょう。こちらにどうぞ」と訪問客を地下室に案内しました。するとそこには4百人もの信徒たちが、説教中の牧師のためにとりなしの祈りをしていたのです。
 そうです、スポルジョンが神の大いなる祝福を受け、神に用いられた秘訣は、まさにここにありました。神様は、そのようなとりなしの祈りに答えて、何千、何万という天使を送り、彼を支えておられたのです。教会はそれを信じていた。だから熱心に祈っていたのです。

 それは今日も同じです。私たちが祈るとき、主の御手が動きます。そして、何千、何万という天使を送り、守り、支え、導いてくださるのです。それがたとえどんなに頑丈な鎖や、強力な兵士の監視であっても、あるいは、どんなに堅固な門でも、問題ではありません。神にとって不可能なことは一つもありません。私たちの思いをはるかに越えた方法で、御業を行ってくださるのです。

 このように申し上げますと、中には、だったらヤコブの場合は何だったのかと疑問を持たれる方もおられるでしょう。教会はペテロだけでなく、ヤコブのためにも祈っていたのではないですか。なのに彼は殺されてしまいました。神様は教会の祈りに答えてくださらなかったのでしょうか。

 そうではありません。その時でも神は答えてくださいました。しかし、私たちが覚えておかなければならないことは、祈りとは必ずしも私たちの願いどおりになるこではないということです。こちらの願い、こちらの注文がどうであろうとも、神のみこころに私たちの願いや思いを合わせていくこと、それが祈りです。なぜなら、神様は完全だからです。私たちがいいことだと思っていることでも、必ずしもそれが良いことだとは限りません。私たちの判断は、私たちの限られた範囲でしか見ることができない狭く、誤りやすいものだからです。けれども、神のみこころは完全であり、最善です。すべてのものを正しくご覧になり、判断されるのです。ですから、神のみこころに従うことが一番いいのです。ヤコブの場合は、必ずしも教会の祈りがそのまま答えられたわけではありませんでしたが、神が最善に導いておられるということがわかるとき、それがどのような答えであったとしても、私たちはそれに満足することができるのです。そのことを悟り得ることこそ、祈りの応答なのです。

 Ⅲ.それでも祈りましょう

 さてこの話は、教会が熱心に祈り、その祈りが答えられたというだけで終わっていません。聖書はその後に起こった一つのエピソードを紹介しながら、それでも祈ることの必要性を教えています。12~17節をご覧ください。

「こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。彼らは、「あなたは気が狂っているのだ。」と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ。」と言っていた。しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください。」と言って、ほかの所へ出て行った。」

 ペテロは、今、確かに、主が御使いを遣わして、ヘロデの手から救い出してくださったということがわかったとき、マルコと呼ばれるヨハネの母マリヤの家へと向かいました。このマルコとはこの後25節のところで、バルナバとサウロと一緒にアンテオケに行った人で、マルコの福音書を書いたマルコです。彼の家はエルサレムにあって、初代エルサレム教会の働きにおいて重要な役割を果たしました。伝承によるとこのマルコの家、すなわちこのマルコの母マリヤの家こそ主イエスと弟子たちが最後の晩餐をし、信徒たちが集まっては祈っていた家であり、あのペンテコステにおいて聖霊降臨の舞台となった家ではないかと言われています。いわばエルサレム教会がまだ定まった場所を持っていなかった時の大切な集会場だったわけです。ですから、5節で、ペテロがとらえられた時に祈っていたのもこのマルコ、マリヤの家であり、ペテロが解放れたときにも夜を徹して祈っていたのも、このマリヤの家でした。初代教会の強さ、たくましさの陰には、こうした信徒たちの家庭を挙げての献身があったことを忘れてはなりません。このときもペテロがこのマリヤの家に行きますと、彼らは集まって、祈っていました。

 しかし、13節からのところを見ますと、このような緊張感溢れる描写の中に、何ともユーモラスな光景が描かれています。ペテロが入り口の戸をたたきますと、中からロダという女中が応対に出ました。ところが、それがペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、さささっと奥へ駆け込み、ペテロが門の外にいることをみなに知らせたのです。追っ手が迫るのを気づかいつつ、「早く開けてください」という気持ちで門をたたき続けるペテロ。過越の夜のエルサレムは冷え冷えとして、脱獄したばかりのペテロには冷えすぎます。そんなペテロを外に放っておいて家の奥の方に駆け込むとは、何と気が効かない女だろうと思われるかもしれません。しかし、ルカはそんな批判されてもしかたがない彼女をそのようなうわべの行動で批判しないで、彼女の失敗が「喜びのあまり」出たことだと、あたたかい目で心の奥まで読み取りました。そういえばルカは、イエス様が生前ペテロとヨハネとヤコブを連れてゲッセマネの園で祈ったとき彼らが眠りこけてしまったときも、「彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまった」(ルカ22:45)と描きました。信仰がないためすぐにこけてしまったなどと言わず、悲しみが深く、その果てに眠ってしまったんですよと紹介した。祈りにおいてイエス・キリストと交わり、キリストのやさしやあたたかさ、思いやりを学んだ人は、他人の行動に対しても、まず心をみて評価する思いやりを示すものです。

 しかし、もっとひどいのは、そんなロダの報告を聞いた弟子たちの反応です。ロダが部屋の奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることと告げると、それを聞いた人たちは何と言ったでしょうか。15,16節です。彼らは「あなたは気が狂っている」と言いました。そして彼女がほんとうだと言うと、「それは彼の御使いだ」と言ったのです。「とうとう来たか」そう言ったわけです。それでも戸をたたく音がするのであけてみると、そこにペテロがいたので、彼は驚いて言いました。「ウッソ!」「ユウ、ア、キディング!」

 彼らはペテロが釈放されるようにと祈っていたのではないのですか。そのように祈ってはいても、信じていなかった。つまり彼らは、自分たちの祈りが答えられるという確信がないまま祈っていたのです。けれども、それだけに私たちは彼らの姿に、言いようもない親近感を覚えるのです。彼らもまた、祈ってはいたもののそれが答えられるとは信じられず、疑いながら祈っていましたが、にもかかわらず神は、あふれる恵みをもって彼らの「願うところ、思うところをはるかに越えて、あらゆることを」かなえてくださったのです。私たちと同じ弱さ、同じ不安、同じ疑いを抱えていた人たちが、そこにはいたのです。しかし、彼らの祈りは答えられました。それは彼らの祈りや信仰の熱心さが、国家権力に勝利したからではなく、主が勝利してくださったからです。ペテロが、「今、確かにわかったことは、主が・・・救い出してくださった」と言っているとおりです。

 しかし、それでも教会は祈っていました。祈り続けていた。私たちはこの朝、この事実をしっかりと心に刻んでおきたいと思うのです。完全な確信も持てないような弱い者であっても祈り続けていくのなら、主が救い出してくださるということを。とは言っても、そのような中で祈り続けていくことはそんなに優しいことではありません。しかし、私たちが経験する苦しみや試練を通して、私たちの教会もまた祈りの家とされていくのです。教会を挙げて祈らなければならないという苦難や試練は、私たちにとっては決して喜ばしいことではないかも知れませんが、しかしそのような経験を通して、教会は祈りの家として整えられ、築き上げられていくのです。ですから、もし私たちの家庭や教会に問題があるなら、祈りに導かれている時であると受け止め、感謝したいと思います。そして、その問題が解決できるという確かな確信がなくても祈り続けていく中で主が働いて御業を成してくださると信じ、祈り続けていく者でありたいものです。その答えの意味が今はわからなくとも、あとで分かるようになるからです。

使徒の働き11章19~30節 「アンテオケ教会に学ぶ」

 きょうは、アンテオケに誕生した最初の異邦人教会からご一緒に学びたいと思います。まず第一のことは、このアンテオケ教会の誕生に大きく貢献したキプロス人とクレネ人の信仰についてです。第二のことは、イエス・キリストを信じる弟子たちがここで初めてキリスト者、クリスチャンと呼ばれるようになったことについて、そして三つ目のことは、この教会が行った愛のわざについてです。

 Ⅰ.独創的なキプロス人とクレネ人

 まず第一に、このアンテオケ教会が誕生していった経緯の中で、キプロス人とクレネ人が果たした貢献について見たいと思います。19~21節までをご覧ください。

「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」

 ルカは、これまで異邦人コルネリオの救いについて記してきましたが、ここで一転して、教会による福音宣教がどのように前進していったのかという様子を描きます。それがこの「さて」という言葉に表されているわけです。この箇所の背景にあるのは8章1節と4節のみことばです。

「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」

「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」

 ステパノの殉教の死をきっかけとして起こった迫害によって散らされた人々は、みことばを宣べながら巡り歩きました。その結果がピリポのサマリヤでの伝道であり、カイザリヤにいた異邦人コルネリオの救いでありました。そのようにステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、サマリヤ、カイザリヤだけでなく、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまで進んで行きました。エルサレムからこのアンテオケまでは直線距離にして約500キロ、ここから大阪くらい離れていた所ですが、そんなところにまで福音が伝えられていったことに、福音の広がりと散らされながらも福音を語った人たちの信仰のすばらしさを見ます。しかし、そのように福音が広がっていっても、彼らはユダヤ人以外の人たちには、だれにもみことばを語りませんでした。それはユダヤ人以外に福音を語ることが禁じられていたからではありません。これまで持っていた古い固定概念からなかなか抜け出すことができず、異邦人が救われるというようなことをだれも考えることができなかったからです。

 しかし、アンテオケに来てからはギリシャ人にも、すなわち異邦人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えました。そこにキプロス人とクレネ人がいたからです。キプロスというのは地中海北東部にある島で、クレネとは、北アフリカの西方にある町です。このような所からアンテオケに来ていた人たちは、ユダヤ人だけという枠を取り払って、ギリシャ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えました。これはさりげない記述ですが、当時としては画期的な出来事でした。これまでもピリポによってサマリヤでの伝道とエチオピア人の回心が、またペテロによって異邦人コルネリオとその一家が回心するといった出来事がありましたが、ここでの出来事は今までのそれとは比較にならないほど質と規模において違うからです。確かにピリポはサマリヤで伝道しましたが、サマリヤというのは半分ユダヤ人であって、全くの異邦人ではありませんでしたし、あのエチオピア人も異邦人ではありましたがユダヤ教の改宗者でした。また、ローマの百人隊長コルネリオにしても「神を恐れかしこむ敬虔な者」と言われていた人たちで、いわば求道者のような存在だったわけです。ところが、このアンテオケにいたギリシャ人たちは、ユダヤ教とは全く無縁な人たちで、そういう人たちが集団で信じたのです。まさに異邦人伝道の幕開け、本格的な異邦人伝道の夜明けが訪れたのです。

 そして、このような本格的な異邦人伝道がどのようにして行われたのかというと、あのキプロスやクレネといった無名の信徒たちによってです。いやそういう人たちだったからこそ、このような思い切った伝道ができたのかもしれません。これがもしある程度の立場にある人だったらどうだったでしょう。どうしてもまわりの状況が気になり、常識的になって、この世のしがらみやメンツから抜けきれず、こうした斬新なアイディアや独創的な発想は生まれなかったかもしれません。神は伝道の新しい道を開くためにこうした名もない信徒たちを、世界宣教のパイオニヤとしてお用いになられたのです。

 それは今の時代でも同じです。神は今の時代でも、このような人たちを備えておられるのではないでしょうか。それはもしかすると私たち一人一人かもしれません。しかし、それがだれであっても、そういう人には共通した特徴があります。それは21節にあるように、「主の御手がともにある」ということです。主の御手がともにあるというのは、主の御手がその人の上に置かれていて、主の御霊のご支配のもとに、主に用いられる器になるということです。私たちがみことばを語るとき、私たちは、この世にあって有名な者でも、また有能な者でもなく、まことに無力な者にすぎませんが、そのような小さなものでも、神の御手の中にすべてをゆだねるとき、神はその人を用いて、驚くべきことをしてくださるのです。
 
 たとえば、アウグスティヌスは立派な学者でしたが、最初からそうであったわけではありません。若かった頃は放蕩に身を持ちくずした人間になりさがっていました。しかし、ひとたび神の御手の中に入れられると、彼は中世の歴史を動かす大指導者になったのです。また、マルチン・ルターが腐敗しきったローマ・カトリックに向かって宗教改革の火ぶたを切った時には、彼がまだかよわい一青年にすぎなかった時でした。しかし、神の御手に握られた時、彼はついに歴史の流れを変えたのです。あるいは、近くはアメリカに有名なD.L.ムーディーという伝道者がいましたが、彼は全く無学な人でした。小学校も3年生までしか行ったことがありませんでしたが、ひとたび神の御手の中にすべてをささげたとき、彼は全く変えられてしまいました。彼は大学はおろか、聖書学校も神学校も行ったことがありませんでしたが、神の御手の中にすべてをささげて自分で勉強した結果、偉大な伝道者になることができました。このように神の御手のもとに生きた人々は、神がその人々を通して大いなることを成し遂げてくださるのです。

 最初の異邦人教会もこのようにして誕生していきました。ほんとうに名もないキプロス人やクレネ人を用い、彼らが神の御手の中にすべてをゆだねてみことばを語った結果、大勢の人が信じて主に立ち返り、最初の異邦人の教会、アンテオケ教会が誕生したのです。

 Ⅱ.キリスト者と呼ばれるようになった人たち

 次に、キリストの弟子たちがここで初めてキリスト者、クリスチャンと呼ばれるようになったことについてです。22~26節までをご覧ください。

「この知らせが、エルサレムにある教会に聞こえたので、彼らはバルナバをアンテオケに派遣した。彼はそこに到着したとき、神の恵みを見て喜び、みなが心を堅く保って、常に主にとどまっているようにと励ました。彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」

 アンテオケにも教会が生まれたという知らせがエルサレム教会に届くと、彼らはバルナバをこの教会に遣わしました。それは、そのようにして出来た教会がどのような状態にあるのかを調べ、彼らが信仰に堅く立ち続けることができるように励ますためでした。そのために用いられたのがバルナバです。このバルナバについては、これまでも何度か記録されています。4:32には、彼は「キプロス生まれのレビ人」であったとあります。この新しい運動を始めたキプロス人とクレネ人でありましたから、このバルナバはそうした人たちと話し合うのにもっともふさわしい人だったのでしょう。そればかりではありません。4:36,37には、彼は自分の畑を売って、その代金を教会の必要のためにささげたという信仰に満ちたりっぱな人でした。この世では、このような人がとかく陥りやすい欠点は、お金は出すけど口も出すということになりがちですが、彼はそういう人ではなく、お金は出しても口はださないタイプの、陰に隠れて奉仕をするような人でした。それは彼の名前が「バルナバ」であったことからもわかります。それは「慰めの子」を意味しております。彼は、その名が示すように、愛の人でした。決して表に出て人々を引きつけ、グイグイと引っ張っていくような強引さはなかったかもしれませんが、隠れて、コツコツと良いわざを行っていくタイプの人間だったのです。ですからこの時も、異邦人たちの上に注がれた神の恵みを見たとき、心から喜ぶことができたのです。そして、生まれたばかりのアンテオケの兄弟姉妹に対して、「心を堅く保って、常に主にとどまっているように」と励ますことができました。彼はまさに的を得た励ましをしました。というのは、信仰生活において最も大切なことは一時的な感激やムードに酔うことではなく、常に主にとどまっていることだからです。そのような的を得たバルナバの励ましと指導があったからこそ、この教会には大ぜいの人が信仰に導かれたのです。

 アンテオケ教会に遣わされたバルナバがしたもう一つのことは、サウロを捜しにタルソに行ったことです。この「捜す」と訳された言葉は「アナゼーテーサイ」というギリシャ語ですが、これは、「苦労して人を捜す」場合に使われた言葉です。いったいなぜバルナバは、そこまでしてサウロを捜し出そうとしたのでしょうか。一つには、信じる者がどんどん増えてくる中でその人たちを励まし、教え導くためにはどうしてももっと多くの働き人を必要としていたからでしょうし、サウロこそその働きにもっともふさわしい人物であると思ったからです。おそらくバルナバは、自分の中にはサウロのような強力なリーダーシップがないことを認め、サウロこそそうした欠けを補うことができる人物であると認めていたのでしょう。ですからかつてサウロがダマスコで救われ、伝道者としてみことばを語り始めたとき、エルサレムの使徒たちは彼を弟子としてなかなか受け入れることができないでいたときにもわざわざその仲介役を買って出て、エルサレムの兄弟たちに紹介したのです。

 もう一つの理由は、サウロに与えられていた使命を彼はよく知っていたからでしょう。その使命とは、キリストの御名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶということでした。(9:15)クリスチャンになったことで同胞のユダヤ教とから裏切り者の烙印を押され命までねらわれたかと思うと、エルサレムの教会にもなかなかとけ込めず、寂しくエルサレムを去って故郷のタルソに戻り、不遇な生活をしていたサウロこそ、異邦人伝道にもっともふさわしい器であると判断したバルナバは、彼を伝道の最前線へと引き出したのです。

 このバルナバの判断は正しいものでした。バルナバはサウロをアンテオケに連れて来ると、そこで一年間みことばの宣教に励みましたが、そこで多くの実を結ぶことができました。このことは、これ以後の伝道にとって大きな意味を持つことになります。すなわち、ユダヤ人伝道を中心としたエルサレム教会から、異邦人伝道を中心とするアンテオケ教会へと、宣教の中心が大きく移行していくからです。そして、その中心人物こそサウロであり、13章からいよいよこのサウロによる世界宣教へと舞台が移っていくわけです。その大切な橋渡しをしたのがバルナバだったのです。
 
ところで、そのようにバルナバとサウロという二人の指導のもとに、大きく成長していったアンテオケ教会は、周囲の異邦人社会からも一目置かれるというか、注目を集める存在となっていきました。26節後半をみると、ここに「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」とあります。これは2000年のキリスト教の歴史の中で、きわめて重要な証言です。すなわち、主イエス・キリストを信じる者たちが、ここに至って初めて「キリスト者」と呼ばれるようになったということです。この「キリスト者」と訳されている言葉は、今日私たちが用いている「クリスチャン」という言葉の語源となったものです。「クリスチャン」とはもともと、キリスト党員を表すあだ名、ニックネームでした。ヘロデを支持するヘロデ党員のことを「ヘロディアン」、カイザルを支持するカイザル党員を「カイザリアン」と呼ぶように、キリスト党員を支持するキリスト党員を「クリスチャン」と呼んだのです。もともとキリスト教はユダヤ教の一派であるかのように見られていましたが、このアンテオケにおいては、そうではなかったのです。このアンテオケにおいては、単なるユダヤ教の一派を超えて、キリストを合い言葉にし、その名を宣伝し、その名によって行動していた人たちが相当数いたのです。アンテオケは当時、ローマとアレキサンドリヤに次ぐ世界第三の都市で、人口は80万人くらいいたと言われていますが、その内の20万人、主な教会の会員だけでも10万人はいたであろうと言われています。実にこの町の25%くらいが教会と何らかのつながりを持っていた。クリスチャンが町全体の5%になればかなりの影響が生じると言われている中で、25%もの人たちがクリスチャンであったとしたら、町全体にどれほどの影響を与えていたかわかりません。ここには「キリスト者と呼ばれるようになった」と受け身で記されてあるのも、そうした影響の現れかと思います。

 この当時、アンテオケの町には、アルテミス神殿やアポロ礼拝という異教が盛んでした。この種の異教はきわめて不道徳なもので、その神殿には娼婦がいて、売春行為をお祭りとして行われていたと言われています。ですから、このような町における行事の多くは、こうした異教とも結びついていました。一見何でもないように見えるスポーツや劇場での催し物でさえ、こうした異教と無関係ではありませんでした。ですから、もしまじめにキリストを信じようと思えば、こうしたことに関わらなければなりませんでした。アンテオケのクリスチャンたちは、こうした行事に誘われるたびごとに、それを断り、それよりもむしろ愛をもって彼らに仕えようと試みました。そこで人々は、「ああ、クリスティアノスね。あの連中は誘っても無理だよ。絶対妥協しないから。気持ちは優しくて、いい人たちなんだけどね」と言っては、彼らを呼んだのです。それほどにアンテオケのクリスチャンは、「キリストの御名」を口にし、キリストの御名によって行動していたのです。

 「クリスチアノス」、「キリスト党員」「キリストの奴隷」「クリスチャン」、この世の人たちはまことに名誉ある名前を、つけてくれたものです。それはまことに私たちのことをよく表している言葉ではないでしょうか。私たちはキリストによって罪贖われ、キリストによって買い取られたキリストの奴隷です。私たちの主人は、もはや自分自身ではなく、キリストです。そのキリストのご意志のままに考え、語り、動くのがクリスチャンです。それこそ私たちの喜びであり、私たちの良心のほんとうの自由がそこにあり、真の安らぎを受けることができるのです。

 アンテオケのクリスチャンたちは、エルサレムからの指示によって動いていたわけではありません。彼らが動いていたのは、彼らが伝道していたのは、ただキリストの指令によったのです。これがクリスチャンです。それは彼らがエルサレム教会からの指導を拒否したということではありません。エルサレム教会とアンテオケ教会の主は、同じだからです。バルナバはバルナバで、異邦人たちの上に注がれた神の恵みを見て喜びました。また彼は、自分よりももっとふさわしい器を求めてタルソにサウロを捜しに行きました。そして、サウロを連れて来て、自分の足りない面での指導をもらいました。このように、キリストのみわざが進められ、キリストに人々が導かれるとき、キリストの御名があがめられ、キリストに栄光を帰するようになるのです。そういう人こそクリスチャンです。アンテオケの教会には、そのようにキリストによってとらえられ、キリストによって導かれ、キリストによって生きていた人たちが大ぜいいたのです。自ら名乗ることさえしなければ、誰も自分をクリスチャンだとは気づかない。そんなことが当然のように思ってしまっている私たちにとって、このアンテオケのクリスチャンたちの存在は大きなチャレンジとなるのではないでしょうか。

 Ⅲ.愛のわざ

 最後に、このアンテオケ教会の愛のわざについて見て終わりたいと思います。27~30節までをご覧ください。

「そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。」

 そのころのことです。何人かの預言者がエルサレムからやって来て、世界中に大ききんが起こると預言しました。「預言者」とは「言葉」を「預かる」と書きますが、神のみことばを預かっている人、つまり神のみことばを語る人のことです。新約聖書をみると、これは神からの賜物であり、神の直接的な働きかけによって行われるものでした。ですからここには、「御霊によって預言した」とあるわけです。聖書がまだ完結していなかった当時、神のみこころはこうした預言者によって示されていたのです。

 ところで、その預言者の中にアガポという人がいて、彼はこのアンテオケ教会にやって来ると、世界中に大ききんが起こると預言しましたが、果たしてそれがクラウデオの治世に起こりました。クラウデオ帝は、紀元41~54年までローマ帝国の皇帝でしたが、この間に何度もききんや凶作があったこが、多くの資料によって伝えられていますが、その中でも特に大きなききんがユダヤ全土で起こったのです。問題は、そのときこのアンテオケ教会はどのような態度をとったかです。29節をみると、このときアンテオケ教会がとった態度が次のように記録されています。

「そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。」

 彼らは自発的に、またそれぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物質を送ったのです。ここに彼らの信仰がいかに生き生きとしたものであったかが表されていると思います。本物の信仰とは、このように学んだ聖書の知識が自分の身についていくことであり、教えられたことが、現実に実を結んでいくことにほかなりません。彼らは、「受けるよりも与える方が幸いである」(使徒20:35)という主イエスのことばを学び、このような対外的な援助や献金を自ら進んで行ったのです。

 それにしてもまだできたばかりで日が浅く、開拓途上にあったこのアンテオケ教会が、こんなにも早く、こんなにも積極的に、遠くのユダヤの諸教会のために献金することができたのはいったいどうしてなのでしょうか。アンテオケからエルサレムまではゆうに500キロは離れていました。発足してわずか1年足らずのアンテオケ教会が、見も知らぬ遠方の兄弟たちの消息を案じ、ひとりびとりが自発的にささげようとしたその熱心さには、すごいものがあります。しかも彼らはそのためにバルナバとサウロという自分たちの最高指導者にそれを託しました。

 このことを考えると、アンテオケのクリスチャンが「キリスト者、クリスチャン」と呼ばれるようになった意味がわかるような気がします。彼らはただ単に「キリスト」という名を口にしていただけでなく、キリストの愛に生きていたのです。キリストを信じて生まれ変わるまでは、自己中心的な、きわめて利己的な考えで生活していたものが、キリストを信じ新しく生まれ変わることによって、自己中心から神中心へと変えられたのです。それまでは何でも自分のものにしたい、自分がだれかから何かをもらうことを喜びとしていたのが、キリストを信じてからは、神のためなら喜んでささげたいと思うようになる。なぜなら、神はそのようなお方だからです。

「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(Ⅱコリント8:9)

 神は、私たちを愛し、私たちのためにそのひとり子をお与えになりました。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。私たちはその神によって愛され、神の恵みを受けました。今、私たちがこの世に生きているのは、神の恵み以外の何ものでもありません。このことがわかると、私たちに属する一切の物は、それがお金であれ、才能であれ、時間であれ、すべてのものが神のものであることがわかり、その恵みのわざに加わりたいと思うようになるのです。

 マザー・テレサが生きていた時、こんな話をしました。ある時、彼女の修道院に、一人の女の子が食べ物を少し分けてくださいと言って来たそうです。それでシスターがほんの一握りのお米を袋に入れて渡しました。そして、その女の子がどういうところに住んでいて、どういう生活をしているのか、もっと助けることがないかを見るために、その後をついて行きました。
 すると、この女の子の家には父親がおらず、母親が一人で七人の子供を養っているのがわかりました。女の子は家に帰ると、もらってきたお米を母親に渡しました。それは八人家族の一食分にも足りない量でしたが、それを受け取った母親は、それを半分ずつにして二つの袋に分け、一つの袋を持ってどこかに出かけて行きました。しばらくしてこの母親は帰って来ましたが、その手にはもう袋はありませんでした。
 それでシスターが母親に聞きました。「あなたはどこに行ってきたのですか」すると母親は、このように言いました。「実は、近所に私たちの家族のように、母親一人でたくさんの子供を抱えて生活している貧しい人がいるのです。その人のところに行って、いただいたお頃の半分を差し上げたのです」
 その話をしたマザー・テレサは、次のように言いました。「ここは経済的には貧しいくても、なんと心の豊かな人たちが住んでいる町でしょう」と。

 お金があるかないかが捧げる理由ではありません。心が豊かであるかどうかが問題です。私たちが捧げることができるのは、私たちの中に神の恵みが溢れているからなのです。その心の内側に神の豊かな恵みが溢れていれば、それが恵みのわざとして外側にも溢れてくるようになるのです。まさにアンテオケ教会には、この神の恵みが満ちあふれていました。彼らはその恵みに生かされていたのです。その具体的な表れがこのような愛のわざ、献金だったのです。

 私たちの教会にできることは、ほんとうに小さなことかもしれません。しかし、大切なのはそれがどんなに大きいか小さいかということではなく、そこにキリストの愛によって生きて働く信仰があるかどうかです。「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」(Ⅰコリント12:26)という思いがあるかどうなのです。もしそこに神の恵みが溢れているなら、たとえそれがどんなに小さな物であっても、主はそれを用いてくださいます。それはさながら主イエスが五つのパンと二匹の魚を差し出した少年のようなものかもしれませんが、いつでも主のみこころに従う教会として、このアンテオケ教会のように主に喜ばれる群れとなることができるのです。そしてそのことによってこの町に住んでいる人々から「ほら、あそこにもクリスチャンがいる」「ここにもいるぞ」と名指しされるような、そんな存在感をもってこの地に仕えていく教会となることができるのです。私たちの教会もそんなアンテオケ教会のようになるために、みなが心を堅く保ち、常に主の恵みにとどまっている者でありたいと思います。

使徒の働き11章1~18節 「非難から賛美へ」

 きょうは「非難から賛美へ」というタイトルでお話したいと思います。2節をご覧いただきますとここに、「そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難し」たとあります。「そこで」というのは、異邦人たちも神のみことばを受け入れたとということを耳にしてということです。使徒たちやユダヤにいた兄弟たちは、異邦人も救われるということを想像することができませんでした。なぜなら、彼らは神の律法を持っておらず、割礼も受けていなかったからです。そんな彼らが救われるというようなことがあるはずがないと思っていました。しかし、ペテロを通して、そんな異邦人にも救いの御業が広がっていきました。そこで彼らはペテロを非難したわけです。そんな非難に対してペテロはどうしたでしょうか。彼は事の次第を順序正しく説明することによって、彼らの誤解と偏見を取り除いていきました。その結果18節にあるように、それまでペテロを非難していた人たちはそれを聞いて沈黙し、「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえたのです。ローマ5:3~4には、「艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」とありますが、避けられない艱難が一転して希望を生み出すように、ここには避けられない誤解と非難が賛美に変わっていった様子が描かれているのです。初めは興奮して非難の言葉を荒げていた人々が、いったいどうやってそれが沈黙に変わり、最後には神を賛美するまでに変えられていったのでしょうか。きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。

 第一に、ペテロが非難された理由です。第二のことは、その非難に対して、ペテロはどのように対応したかということです。第三のことはその結果です。ペテロの説明を聞いた人たちはその大いなる神の御業に圧倒され、また心を動かされて喜びに溢れ、神をほめたたえました。

 Ⅰ.ユダヤにいた兄弟たちの非難(v1~3)

 まず第一に、ユダヤにいた兄弟たちの非難について見ていきましょう。1~3節をご覧ください。

「さて、使徒たちやユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のみことばを受け入れた、ということを耳にした。そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、割礼を受けた者たちは、彼を非難して、『あなたは割礼のない人々のところに行って、彼らといっしょに食事をした。』と言った。」

 異邦人たちも神のみことばを受け入れたという知らせは、あっという間に使徒たちやユダヤにいた兄弟たちに、すなわちエルサレム教会を中心にしたユダヤ人クリスチャンの間に広がりました。彼らにしてみたら、主イエスが昇天される前に、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28:19)と命じられていましたし、また、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまでわたしの証人となります」(使徒1:8)と言われておりましたから、福音があらゆる国の人たちに、地の果てにまで宣べ伝えられることはある程度覚悟していましたが、それがあまりにも早く実現したのと、文字通りに異邦人も神のみことばに従ったという事実に、かなりの驚きと衝撃を覚えたのでしょう。

 ところが、そうした喜びの知らせが広がっていくにつれて、新たな疑問が人々の心にわき上がってきました。それは、どうやって異邦人が神のみことばを受け入れたかということです。そして話を聞くと、どうやら彼らの方から聞きたいとやって来たのではなく、ペテロの方から彼らのところに行き、彼らにみことばを伝えたらしいということが明らかになったのです。そこで、ペテロがエルサレムに上ったとき、彼らはペテロを非難してこう言いました。

「あなたは割礼のない人々のところに行って、彼といっしょに食事をした。」

 彼らのところに行っていっしょに食事をすることが、どうして問題だったのでしょうか。それは律法を破る恐れがあったからです。異邦人は律法を持っていませんでしたから、当然、そこにはきよい動物と汚れた動物の区別もなく、そのような動物の肉を料理して食べることがありました。そうしたことは律法を持っていたユダヤ人にとってはたいへん危険なことだったので、彼らが異邦人の家に行くことは考えられないことでした。10:28でペテロが、「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。」と言っているのはそのためです。ユダヤ人にとっては律法を守ることが神の民としての聖さを保ち、ユダヤ民族としての自覚とアイデンティティーを保つことの表れだったのです。中でもとりわけ割礼を受けることと、食物についての規定を守ること、安息日の規定を守ることが重要視されていました。ですから、異邦人がユダヤ教に改宗するためには割礼を受けることが必要とされていたのです。ユダヤ人クリスチャンたちは皆、そうしたユダヤ教の規定に従って割礼を受け、その上でクリスチャンになった人たちでしたから、彼らの中では異邦人が救われるためには彼らも律法のそうした規定を重んじ、割礼を受け、安息日を守り、食物の清さも厳格に守る必要があると考えていたのです。にも関わらず、ペテロはまだ割礼を受けていなかった異邦人のところに行って、いっしょに食事をしたのです。ということは当然そこには律法の規定を破ったのではないかという疑念が生じます。彼らはそのことを問題にしたのです。

 このことは単に人種差別とか偏見といった次元ではなく、信仰の本質にかかわる死活問題でした。すなわち、人は信じるだけで救われるのか、それとも信仰とともに律法を守る必要があるのかということです。まだ聖書が完結しておらず、教理体系が整っていなかった初代教会にとっては非常に難しい問題だったと思います。ですから、この問題はアンテオケの教会やガラテヤの教会など、多くの教会で共通に抱えていた問題でした。それを体系化したのがパウロです。パウロは神から啓示を受けて、この問題について律法が与えられたことの意義を考えながら、このように明言したのです。ガラテヤ5:6です。

「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事です。」と。

 ガラテヤの人たちは、イエス・キリストを信じてせっかく自由を得させていただいたのに、「それではまだ足りない」と言って律法に逆戻りしていました。そのしるしが割礼だったのです。すなわち、いくらイエス・キリストを信じても、割礼を受けなければ救われないと考えていたのです。しかし、それでは律法に逆戻りしてしまうことになります。そして、キリストが十字架で死なれ、三日目によみがえられたことが全く無駄になってしまいます。なぜなら、そうなれば、彼らは再び天国に入るための資格試験を受け直すことになるからです。しかし、それほど困難なことはありません。だれもこの試験において100点満点を取ることなどできないからです。できないからこそキリストが代わりにその道を備えてくださったのです。なのに「割礼だ」「割礼だ」と言うとしたら、それはキリストの福音をだめにしてしまうことになってしまいます。キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないということは大事なことではなく、大事なことは、愛によって働く信仰なのだと、彼は言ったのです。これが福音なのです。

 私たちはこのことをよく理解していなければなりません。そうでないと、ここでペテロを非難した人たちのようになってしまうからです。彼らの時代にはまだ聖書が完結していませんでしたし、こうした救いの教えが確立されていませんでしたから、こうした混乱もある面では避けられなかったと思いますが、こうして聖書が完結し、まとまった形で福音について学ぶことができる今、何よりも福音を正しく理解することがこうした誤解を防ぐうえで重要なことなのです。

 Ⅱ.順序正しい説明(v4~17)

 では、そうした人たちの非難に対して、ペテロはどのように対応したでしょうか。4節をご覧ください。

「そこでペテロは口を開いて、事の次第を順序正しく説明して言った。」

 事の次第を順序正しく説明するというのは、単に起こった出来事を時間的な順序で語るということではありません。むしろそこで起こった出来事を、その意味に即し、その事柄の本質に沿った仕方で語るということです。ルカはその最初の書であるルカの福音書の冒頭でもこのように書きました。

「私も、すべてのことを初めから綿密に調べておりますから、あなたのために、順序を立てて書いて差し上げるのがよいと思います。尊敬するテオピロ殿」(ルカ1:3)

 異邦人であったルカが、同じ異邦人に福音を伝えようとしたとき、一番に心掛けたことは、順序立ててお話するということでした。それはキリスト教の背景を持たない彼らに対する配慮だったのでしょう。同じようにペテロは、福音が異邦人に伝えられていった経緯を、彼らが理解できるように順序正しく説明したのです。このときもしペテロが、「私のやったことが気に入らないのか」と高飛車に出たらどうだったでしょうか。心理的な不完全燃焼の排気ガスを充満させていたことでしょう。権威者はしばしばこのような点で間違いを犯しやすいものです。しかし、ペテロは賢明でした。彼は謙遜になって、面倒くさがらずに、そうした非難に対して順序正しく、一つ一つ説明したので、事の次第を彼らによく理解してもらうことができました。

 ではその事の次第とはどういうことだったのでしょうか。5節からその内容が記されてありますが、この中で特に重要だと思われること二つのことです。一つはペテロに示された幻そのものであり、もう一つのことは、ペテロの説教中にコルネリオたちに聖霊が下られたという事実です。まずペテロが見た幻についてみてみましょう。5~10節です。。

「私がヨッパの町で祈っていると、うっとりと夢ごこちになり、幻を見ました。四隅をつり下げられた大きな敷布のような入れ物が天から降りて来て、私のところに届いたのです。その中をよく見ると、地の四つ足の獣、野獣、はうもの、空の鳥などが見えました。そして、『ペテロ。さあ、ほふって食べなさい。』と言う声を聞きました。しかし私は、『主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。』と言いました。すると、もう一度天から声がして、『神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。』というお答えがありました。こんなことが三回あって後、全部の物がまた天へ引き上げられました。」

 これはペテロが見た幻です。彼がうっとりと夢心地になったときに見た幻は、四隅をつり下げられた大きな敷布のようなものが天から降りてきたというものです。その中には地の四つ足の動物、野獣、はうもの、空の鳥などが入っていましたが、突然、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえてきたわけです。「主よ。そんなことできません」というと、「神がきよめたものを、きよくないと入ってはならない」という声があり、そういうことが三回繰り返された後、全部のものがまた天に引き上げられていったというものです。

 ここを見ると、問題はきよくない物、汚れた物を食べてはならないという律法に関することのようですが、実は、そうではありません。これは神に選ばれた民族であるユダヤ人が異邦人を受け入れなければならないことが教えられていた幻でした。というのは、ペテロがこのことについて思い巡らしていたとき、コルネリオから遣わされた使者たちがやって来て、御霊が「ためらわずにその人たちといっしょに行くように」と命じられているからです。それは、神が受け入れ、神がきよいとした異邦人をきよくないと言ってはならないし、受け入れなければならないということでした。つまり、どんな人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神は受け入れてくださるということです。そこには割礼の有無は関係ありません。だれでもイエス・キリストを信じるなら、その名によって罪の赦しが受けられるのです。そのように、救いは一方的な神の恵みなのです。

 もう一つペテロが言いたかったことは、彼がコルネリオの家で説教していたとき、聖霊が下られたという事実です。15~16節です。

「そこで私が話し始めていると、聖霊が、あの最初のとき私たちにお下りになったと同じように、彼らの上にもお下りになったのです。私はそのとき、主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、聖霊によってバプテスマを授けられる。』と言われたみことばを思い起こしました。」

 異邦人のコルネリオたちが聖霊を受けるために必要だったのは説教だけであって、割礼その他の儀式は何一つ必要ありませんでした。同様のことは、14節のコルネリオに対して語られた御使いのことばに表れています。御使いはコルネリオに、「その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます」天使は初めから、コルネリオに、救われるために必要な儀式を告げたのではなく、救われるために必要なことばを期待させたわけです。そうです、救いは、救いのことばを信じる信仰によるのであって、何らかの行いによるのではありません。そして、ペテロは17節のところで、「こういうわけですから、私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう」と言っています。すなわち、あのペンテコステの聖霊降臨の出来事が、同じように異邦人にも起こったというのです。なぜでしょうか。彼らが割礼を重んじていたからではありません。ユダヤ人であったからでもないのです。彼らにも聖霊が降ったのは、彼らがイエス・キリストを救い主として信じたからです。信仰という唯一の条件が満たされたからなのです。神は信仰という唯一の条件が満たされるかぎり、何の差別もなく、神の賜物である聖霊を与えてくださるのです。これがペテロの言いたかったことなのです。

 そして、このように、「どんな人でも、悔い改めて福音を信じだけで救われる」というメッセージは、単に外側に向けられたメッセージだけではなく、私たち一人一人のクリスチャンが、あるいは教会が、救われてからも、それに基づいて生き、行動し、判断し続けていかなければならない土台でもあるのです。すべての人はイエス様を信じるだけで救われると人々に宣べ伝えるからには、私たち自身がそのように生きていなければなりません。悔い改めて主を信じる人ならば、そこにどれほど生活や思想の上で違いがあったとしても、兄弟姉妹と認め愛し抜かなければならないということです。ローマ14:1~3には、

「あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはならないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。」

とあります。ただ信じるだけで救われるという福音のメッセージは、救われる条件を示しているだけではなく、救われてからの生き方や考え方、交わりの仕方などのいっさいを支配する原理でなければなりません。私たちも、「神がきよめたものを、きよくないと言わない」で、神に服従して、兄弟愛と一致とを求めていくべきなのです。

 Ⅲ.沈黙、そして賛美へ(v18)

 最後に、このように非難に対してペテロが順序正しく説明した結果、どうなったかを見て終わりたいと思います。18節です。

「人々はこれを聞いて沈黙し、『それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。』と言って、神をほめたたえた。」

 ペテロの説明を聞いたユダヤ人たちの反応は、沈黙と賛美でした。この「沈黙した」と訳されていることばは、「ヘースカゾー」というギリシャ語が使われています。この「へースカゾー」という言葉は、新約聖書の他のところでは、「静かにする」とか「休む」(ルカ23:53)、「落ち着く」(Iテサロニケ4:11)と訳されています。すなわち、ペテロを非難し、いったいこれから先どうなるのだろうと心配し、心を騒がせていた人たちが、ペテロの弁明を聞いて納得し、「ほっとした、安心した」という意味です。それは神の大いなる御業に圧倒され、また深く納得させられたことによる沈黙であり、また神の大いなる御業に心を突き動かされ、喜びに満ちあふれた賛美でした。世間では、このような非難の後に続くのは反目であり、ののしりですが、神の教会ではそうではありません。神の教会では非難のような激しい言葉のやりとりはあっても、それは真理を求めていく上でのプロセスであり、その真理によって明らかにされた神のご真実、神の御業を見て、感動と賛美、喜びへと変えられていくのです。

 このように考えますと、今回の一連の出来事を見るとき、そこには実に、聖霊なる神のきめ細やかな配慮と行き届いた導きがあったことがわかります。本来ならば、人間には一言も有無を言わさないような出来事をもって一方的にご介入されもよかったものを、わざわざペテロに幻を見させ、コルネリオにも夢の中で語りかけ、両者を不思議な導きの中で出会わせ、事の次第を明らかにしていき、それが周囲の人々の中に深い納得をもって受け入れられるように時間をかけ、あらんかぎりの言葉を尽くして説明させ、そうやってこの異邦人の救いという、神の民であるイスラエルにとっては決して開きやすくはなかった重い扉を開いて、乗り越えるには決して低くない壁を乗り越えさせて、福音の前進を計っておられたのです。それはまさにペテロの説教以上に、この一連の出来事そのものが、主なる神ご自身が事の次第を順序正しく説明して導いてくださった出来事だったのです。

 時として私たちにもなかなか理解できなくて困惑し、あのユダヤのクリスチャンたちのように「それはどういうことか」と非難したくなるようなこともあるかもしれません。いや非難までいかなくとも、自分の置かれている状況の意味がわからなくてもがき苦しむことがあるかもしれません。しかし、こうした主ご自身が語られる言葉、あるいは、生身の人間を通して語られる主の言葉を聞くとによって、そうした疑問のあれこれや、悩みや苦しみのあれこれの一切が斥けられ、ただ圧倒されて沈黙させられるのです。そして、その言葉を心から信じ、受け入れ、従っていくならば、そのような不平やつぶやきが神への賛美と変えられていくのです。

 愛する兄弟姉妹の皆さん、今、皆さんを苦しめているものは何ですか。艱難ですか。迫害ですか。飢えですか。裸ですか。危険ですか。剣ですか。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私たちは、主が語ってくださるみことばを聞き、そのみことばに従っていくことによって、そうした苦しみからも解放されるばかりか、むしろそのことが神を賛美する材料へと用いられていくのです。

 ですから私たちは、このみことばを聞く教会として、主なる神のみことばの前に心を開き、耳をそばだてながらこれを聞く者でありたいと思います。そして、神の大いなる御業に圧倒され、またその御業に心突き動かされながら、神を賛美する生涯を歩ませていただきたいものです。

レビ記11章1~23節

 レビ記は、この11章から新しい段落に入ります。1章から7章までは、会見の天幕における犠牲のささげものについて教えられていました。それはイエス・キリストを表すもので、私たちはイエス・キリストの犠牲によって神に近づくことができるということが教えられていました。また、8章から10章までのところには、その犠牲のいけにえをささげる祭司について語られていました。その祭司もまたイエス・キリストを表すもので、そのキリストの働きによって私たちは神に近づくことができるということでした。そして、この11章以降には、主がモーセとアロンに、きよいものと汚れたものについて区別することを命じられています。

1.食べてもよい動物(1~8)

 それではまず1~8節までをご覧ください。まず、最初に出てくる区別の規定は、イスラエル人が食べてよい動物と、そうではない動物についての規定です。
「1 それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
2 「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。
3 動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。
4 しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
5 それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
6 また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。
7 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。
8 あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。」

 このところによると、食べてもよいきよい動物は、「ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するもの」(3)です。「ひづめ」(英語 : Hoof, 複数形 : Hooves)とは、哺乳動物が四肢端に持つ角質の器官で、爪の一種です。扁爪や鉤爪と比べると厚くて大きく、固い。指先を幅広く被って前に突き出しています。この爪を持つものは指も柔軟ではなく、先端の爪で体を支えるようになっていて、指の腹は地面に着かないものも多くあります。扁爪が指先の保護器官、鉤爪がひっかけるための器官であるのに対し、ひづめは歩行の補助器官として使われます。すなわち、土を蹴るのに使われる器官なのです。これを持つ群れでは、ひづめのみが地面について体を支え、残りの指やかかとは高く地面から離れます。その結果として地面を速く走ることに優れていますが、指を使った細かい操作などは苦手とされています。このひずめがあり、かつ反芻するものが、きよい動物です。

 反芻(はんすう、rumination)とは、ある種の哺乳類が行う食物の摂取方法で、まず食物(通常は植物)を口で咀嚼し、反芻胃に送って部分的に消化した後、再び口に戻して咀嚼する、という過程を繰り返すことで食物を消化します。一度飲み下した食物を口の中に戻し、かみなおして再び飲み込むことから、よく繰り返し考え、よく味わうことのたとえに用いられています。

 足にひずめがあり、かつ反芻するものは、きよい動物です。ひずめがない動物とは、足の裏がふくらんでいるもので、例えば、犬や猫は足の裏がふくらんでいますが、それは汚れているとされました。そして、反芻しない動物とは、肉食動物のことです。反芻するのは、草食動物だけです。しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはいけませんでした。すなわち、らくだです。これは反芻しますが、そのひづめが分かれていないので、汚れたものです。それから、岩だぬき。これも反芻しますが、そのひづめが分かれていないので、汚れたものでした。また、野うさぎ。これも反芻しますがそのひづめが分かれていないので、汚れたのでした。それに、豚です。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものですが、反芻しないので、汚れたものとされました。福音書の中に、イエスさまが悪霊レギオンを豚の群れの中に移された話が出てきますが、彼らは不法なビジネスを行なっていたということが、ここから分かります。

 こうした汚れた動物は食べてはいけないし、その死体にも触れてもいけませんでした。しかし、これらの規定は2節にあるようにイスラエル人に対するものであり、私たちクリスチャンに対するものではありません。むしろ、イエスさまは、すべての食物はきよい、と言われました。また、神はペテロに、「神がきよいと言われたものを、きよくないから食べないと言ってはならない」と言われました。ですから、私たちはこの律法の規定に文字通り従わなければならないということではなく、この律法で言わんとしていることがどういうことなのかを、よく理解しなければなりません。そのことを理解するために、もう少し先を見てみましょう。

2.食べてよい水の中の生き物(9-12)

 次に9~12節までをご覧ください。
「9 水の中にいるすべてのもののうちで、次のものをあなたがたは食べてもよい。すなわち、海でも川でも、水の中にいるもので、ひれとうろこを持つものはすべて、食べてもよい。
10 しかし、海でも川でも、すべて水に群生するもの、またすべて水の中にいる生き物のうち、ひれやうろこのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである。
11 これらはさらにあなたがたには忌むべきものとなるから、それらの肉を少しでも食べてはならない。またそれらの死体を忌むべきものとしなければならない。
12 水の中にいるもので、ひれやうろこのないものはすべて、あなたがたには忌むべきものである。」

 ここには、水の中にいるすべての生き物で食べてよいものと、そうでないものとが区別されています。そして、食べて良いものは、ひれとうろこを持つもの、つまり、鯛やさんまや、普通の魚です。しかし、海でも川でも、すべて水の中にいる生き物のうちで、ひれやうろこのないものは食べてはなりませんでした。うろこやひれがないものと言ったら、かに、うなぎ、貝など、数多くの種類の生き物が該当します。そして、これらは「忌むべきもの」なのです。「忌むべきもの」という言い方は、汚れているよりもさらに強い表現です。イエス様は地引き網のたとえの中で、網にかかった魚のうちで良いものは器に入れ、悪いものは捨てると言われましたが(マタイ13:47-48)、それはこの規定が背景にあったからです。イスラエル人の漁師は、ひれとうろこのあるものを器に入れ、ひれとうろこのないものを捨てたのでした。

 ここで教えられていることも、こうした魚介類を食べてはならないということよりも、このことが指し示していることがどういうことなのをよく理解する必要があります。それを理解するために、もう少し先に話を進めていきたいと思います。

3.鳥のうちで食べてよいもの(13-23)

 次に、13~23節までをご覧ください。
「13 また、鳥のうちで次のものを忌むべきものとしなければならない。これらは忌むべきもので、食べてはならない。すなわち、はげわし、はげたか、黒はげたか、
14 とび、はやぶさの類、
15 烏の類全部、
16 だちょう、よたか、かもめ、たかの類、
17 ふくろう、う、みみずく、
18 白ふくろう、ペリカン、野がん、
19 こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもりなどである。
20 羽があって群生し四つ足で歩き回るものは、あなたがたには忌むべきものである。
21 しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、それ
で地上を跳びはねるものは、食べてもよい。
22 それらのうち、あなたがたが食べてもよいものは次のとおりである。いなごの類、毛のないいな
ごの類、こおろぎの類、ばったの類である。
23 このほかの、羽があって群生し四つ足のあるものはみな、あなたがたには忌むべきものであ
る。」

 ここには、鳥のうちで忌むべきものはどのようなものかが教えられています。このリストを見ると、忌むべき鳥として上げられているのは、主に猛禽類です。猛禽類とは、他の動物を食べる鳥のことです。そのような鳥は忌むべきものであり、食べてはいけません。しかし、はね足があって、地上を飛びはねるものは、食べてもよいとされていました(20-22)。

 さて、このように地上の動物の中で食べてよいものと汚れているもの、また、水の中の生き物の中で食べてよいものと汚れたもの、空中を飛ぶものの中で食べてよいものと汚れているものの区別を見てきましたが、いったいどのような理由から区別されているのでしょうか。それは衛生的な理由からでありません。確かに、汚れているものとされている動物の中には、例えば、豚などは今でも寄生虫が付いているのでよく焼かなければなりませんが、だからといって、それが区別の理由や根拠になっているのではないのです。

 そこで、この3つに分類された動物について、汚れた動物の共通点を探してみたいと思います。まず第一に、地上の動物は肉食が汚れているとされています。そして、空の鳥では猛禽類(肉食)が、汚れています。なぜでしょうか?それは、その肉に血がついているからです。神が初めに天と地が初めに創造されたとき、人も含め、すべての地上の動物は草食でした。つまり、神は、どの動物も肉を食べないように創造されたのです。実は、イエスさまが再臨されてからの千年王国においても、熊やライオンが草を食べると預言されています(イザヤ11:6-7)。だから、これが理想の状態なのですが、ノアの時代に洪水があってから神は、人に動物を食べてもよい、と言われました。けれども、そこには一つの条件が付いていました。それは、「肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。」(創世9:4)ということでした。これは、律法において定められたことですが、たとえ動物を食べるときにも、いのちを尊重しなければならないということです。したがって、神は生き物のいのちをとても大切にされており、ご自分のかたちに造られた人のいのちは、何物にもまして尊いものとされていることが分かります。

 ですから、イスラエル人が肉食動物を食べないのは、神が人間や生き物を大切にされているように、自分たちも大切にすることの現われなのです。広い意味での暴力をふるわないということでもあります。私たちクリスチャンにとっては、神を畏れかしこんで、相手を自分よりも優れたものとみなし、慎み深く生きることであろうと思われます。高ぶったり、無慈悲になったり、そしったり、陰口を行ったりするとき、私たちは、相手の心を傷をつけ、いわば「血を流す」ようなことをしてしまうのです。けれども、私たちが生きているこの世では、そのような暴力が当たり前のようにまかり通っています。けれども、クリスチャンの間では、決してそのようなことはあってはなりません。そのような価値観から、相手を食い物にし、相手の心を突き刺すような価値観を、いっさい共有してはいけないのです。それを汚れたものとみなし、忌み嫌わなければなりません。
 
 そして、汚れた動物に共通しているもう一つのことは、地上に、あるいは水に、直接、接していることです。地上の動物で、ひづめが割れているものがきよいとされたのは、足が直接、地面に接していないものです。それに対して、足の裏のふくらみで歩くものは、地面に接しているので汚れているとされました。同様に、水の中の生き物でうろこやひれがないものは、直接水に接するので、汚れているとされました。あるいは、水底に接しているものもそうです。四つ足の這うものは、もちろん地面に接していますが、はね足のある者は、基本的に地の上ではねているだけで、這うことはないので、汚れてはいません。つまり、汚れているかどうかは、地に属しているかどうかで区別されていたのです。

 コロサイ人への手紙3章には、こうあります。「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。…ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。(3:1-2,5)」不品行、汚れ、情欲は地に属するものです。そうではなく、クリスチャンは天にあるものを求めなければなりません。
 
 また、ヤコブはこう言っています。「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。…しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。(ヤコブ3:14-17)」

 ねたみや敵対心は地に属しているが、純真、平和、寛容、温順は上からの知恵です。ですから、私たちは、何が汚れているかを見分け、そこから袂(たもと)を分つ決断を、常に行なっていかなければならないのです。パウロは、こう言っています。

「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」(Ⅱコリント6:14~18)

 あなたはどこに属していますか。この地上でしょうか、それとも天でしょうか?私たちは、神の一方的な恵みによってこの世から救い出された者です。ですから、この世に属するものではなく神に属するものとして、自らを聖別しなければなりません。彼らの中から出て行かなければならないのです。食べてよいきよい動物と汚れた動物の区別の規定が意味していたのは、まさにこのことだったのです。

使徒の働き10章34~48節 「すべての人の主」

 きょうは「すべての人の主」というタイトルでお話したいと思います。私たちは先週、ローマの百人隊長コルネリオとペテロが聖霊によって出会ったことについて見てきました。いよいよこのところからユダヤ人だけでなく異邦人の救いが展開してまいります。すなわち、イエス・キリストはすべての人の救い主であられるということです。きょうはこのイエス・キリストがすべての人の主であるという大いなる恵みについて三つのポイントでお話したいと思います。

 まず第一のことは、イエス・キリストはすべての人の主であられるということ、第二は、ではこのイエスとはどのような方なのかについて、すなわち、福音の内容についてです。そして第三のことはその証拠としての聖霊の注ぎです。異邦人にも聖霊が注がれたという事実こそ、この方がユダヤ人だけでなく異邦人も含むすべての人の主であられるということです。

 Ⅰ.はっきりわかりました(34-36)

 まず34-36節を見てみましょう。

「そこでペテロは、口を開いてこう言った。『これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受入られるのです。神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。』」

 29節のところでペテロが、「いったいどういうわけで私をお招きになったのですか」と言うと、百人隊長コルネリオが自分に起こった事の次第を告げました。それは彼が三時の祈りをしていたとき、御使いを通して、ヨッパに人をやってシモンを招くようにと語られたということでした。そこでペテロは口を開いてこう言ったのです。「これで私は、はっきりわかりました。・・・」ここでわざわざ「口を開いて」と言われているのは、おごそかに語ることを表す慣用句です。腹話術でもあるまいし、口を開かないで語る人などいません。語る時はだれでも口を開くのです。なのにわざわざそのように記したのは、これからペテロが語ろうとしていたことがきわめて重要な内容だったからです。では、その内容とはどんなことだったのでしょうか。それは、神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるということです。人をその民族や血筋といったもので差別したり偏見を持ってみたりすることをせず、どの国の人であっても、神がお遣わしなさったイエス・キリストを信じるなら、神の民として受け入れてくださるというのです。ユダヤ人は長い間、自分たちこそ神に選ばれた民族であり、神の祝福を受ける資格がある者だと思いこんでいましたが、神様はそういうことをなさるお方ではなく、どの民族であっても、神を恐れ、正しいことを行う人なら受け入れてくださるのです。この世ではある人たちをVIPと呼んで特権を与えます。そのようなことから羨望や諦めが生じ、差別や偏見が日常化します。そして一度植え付けられた優越感や劣等感というものは先入観や固定概念となって根を張るので、それを取り除くことがなかなか困難となります。ユダヤ人のそうした選民意識は、いつのまにか彼らの固定概念となり、それとは違った考え方を持つことができなくなってしまっていたのです。

 しかし、ペテロはここで聖霊による気づきが与えられ、神の視点で物事を見ることを学びました。彼は、神はかたよった見方をされる方ではなく、どの国の人であっても、神を恐れ、神がお遣わしくださったひとり子イエス・キリストを信じ、神の目で正しいことを行うなら神は受け入れてくださるということが、はっきりとわかったのです。まさしく、イエス・キリストはすべての人の主であるということです。このペテロの証言は、彼個人の確信に留まるものではなく、キリスト教全体の普遍的な、信仰の確信でもあります。エペソ2:14~17には次のように書いてあります。

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自分において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬りさられました。それからキリストは来られて、遠くにいるあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。」

 このようにしてイエス・キリストの福音が、ユダヤからサマリヤ、小アジア、ヨーロッパ、全世界へと広がっていくことになったわけですが、そのきっかけとなったのがペテロに与えられた聖霊による気づきだったのです。それゆえに私たちは、このコルネリオの回心の物語を単に異邦人であったコルネリオの回心の出来事としてだけでなく、むしろペテロ自身が大きく変えられた出来事、いわばペテロの回心物語として見ていくことができる、いやもっと言うならばこの時救われたばかりのキリスト教会、ひいてはユダヤ人クリスチャン全体の回心物語であったとさえ言える出来事だったのです。ある歴史家が「分かる」ということは「変わる」ということだと言いました。本当に分かったならば、その人は必ず変わります。ペテロの気づきというものは、彼自身を大きく変えていった出来事だったのです。

 教会が新しい宣教に進んでいこうとする時、あるいは、教会が何か新しいことに取り組んでいこうとするときには、時として聖霊は私たちに変化を求められることがあるかもしれません。いやあるでしょう。そのような時に私たちはそうした変化を恐れずに、たえず聖霊が促しておられることに敏感でありたいと思います。そして「分かる」ことから「変わる」ことへの柔軟さとしなやかさをたえず持ち続ける者でありたいと思います。教会は絶えずみことばによって変革され続けていくものです。いつまでも変わらないみことばに導かれ、絶えず新しく変革され続けながら、そのようにして生きて成長していく主の宮として、私たちの教会も建て上げられていきたいと思うのです。

 Ⅱ.イエス・キリストの福音(37-43)

 では、すべての人の主であられるこのイエス・キリストとはどのようなお方なのでしょうか。イエス・キリストはすべての人の主であり、その福音が全世界へと広がって行くものであることを悟ったペテロは、続けて主イエス・キリストの福音について語ります。37~43節です。

「あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事がらを、よくご存じです。それは、ナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行われたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」

 ここでペテロが語っていることは、この地上での主イエスの歩みと、主イエスの御業の中心である十字架と復活です。これはペテロが異邦人に向けて語った最初の説教という点でとても興味深い内容ですが、その内容は彼がこれまでユダヤ人に語ってきたことと同じです。すなわち、このイエスをユダヤ人たちは十字架につけて殺しましたが、神はこのイエスをよみがえらせてくださったということです。つまり、このイエスは犯罪人どころか、何一つ悪いことをしたことのない正しい方であり、旧約聖書の中で預言されていた救い主であられるということです。しかし、これまでの彼の説教にはなかったことが一つだけ語られています。それは43節の、「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが得られる」ということです。すなわち、このイエス・キリストこそすべての人の主であるということです。完全で誤りのない旧新約66巻から成る神のことばである聖書が私たちに語りかけるメッセージの中心は、イエス・キリストはすべての人の主であるということに尽きるのです。これこそ2000年の間、多くの伝道者たちが汗水流して宣べ伝えてきたメッセージであり、多くの聖徒たちが涙の祈りとともに証ししてきた内容なのです。もしかすると、皆さんの中には、自分は救われるに値しない者だと思っている方がおられるかもしれません。しかし、神の思いは違います。神の思いは、だれでもこの方を信じる者は、その名によって罪の赦しが受けられるということです。もしかすると皆さんの中には、自分は救われるに十分値する者だと思っている方がおられるかもしれません。しかし、それは単なる誤解です。だれであってもこのイエスを信じなければ罪の赦しは得られないからです。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名は与えられていないからです。イエス・キリストこそ唯一の救い主であって、この方を信じる者はだれでも、罪の赦しを受けることができるというのが、昔も今も変わらない福音の真理なのです。

 アメリカ大陸にはロッキー山脈がありますが、この山脈の頂にある分水嶺は山頂に落ちた雨を東と西に分けます。東側に落ちた雨は、東側の斜面を下って川に合流し、やがて大西洋に、西側に落ちた雨は、同じように西側の斜面を下って、川に合流し、やがて太平洋へと流れていきます。最初に落ちたところは数メートルしか違わないのに、その結果は天と地の違いがあるのです。私たちの人生も同じです。私たちの人生の分水嶺、それは救い主イエス・キリストを信じるかどうかです。イエス・キリストを信じるなら、天の御国に向かって歩む者とされますが、そうでないと、地獄に向かって歩むことになるのです。私たちの人生における分水嶺、それはイエス・キリストを救い主として信じるかどうかなのです。このことをパウロは次のように言いました。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られるのです。それはかつてキリスト教を迫害していたサウロも例外ではありませんでした。彼には人間的には決して許されないであろう過去がありました。キリストに敵対し、キリストを信じていた者たちを捕らえては迫害していたのです。中にはそれによって命を落とした人もいるのです。絶対に許されないことです。しかし、そんな彼が神からあわれみを受けました。ダマスコという町に向かって進んでいたとき、そこで復活の主イエスと出会ったのです。「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」という天からの声に対して、彼は一瞬、言葉を詰まらせます。「あなたはどなたですか。」「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」その言葉を聞いたとき、彼は天と地がひっくり返るような衝撃を受けました。そして、そんなサウロであるにもかかわらず、キリストが彼に現れてくださったのは、ただ神のあわれみでしかないことを悟ったのです。そして彼は、ただちにこのキリストの福音を宣べ伝えたのです。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造り替えられるのです。その名によって罪の赦しと永遠のいのちを受けることができるのです。

 アメリカにロバート・ファンクさんという、アメリカ最大の牧畜業を営んでいる方がおられます。この方はプロのホッケーチームのオーナーでもあり、アメリカ最大の人材派遣会社の社長さんでもあられます。年間150万人くらいの人と面接して仕事を紹介している方です。
 この方のお母さんは熱心なクリスチャンでした。ですから、小さい頃から、いつも教会に連れて行かれたそうです。ところが学校を卒業してビジネスの世界に入った途端に、仕事が忙しくなって教会に行かなくなりました。でも彼は20年以上も教会に通っていたので、自分はクリスチャンだと思っていました。そして、聖書のこともよく知っているし、分かっていると思っていました。
 ところがある時、今世紀最大の伝道者と言われているビリー・グラハムの集会に行き、そこで彼の語るメッセージを聞いたとき、彼は非常に考えさせられたと言います。それはビリー・グラハムがこう言ったからです。「本当の信仰とは、聖書をどれだけ知っているか、何年教会に通ったかではなく、生ける神との個人的な関係によって築かれるものだ。あなたは神とそういう関係を持っていますか。」
 神との個人的な関係?もしそれが本当の信仰ならば自分にはそれがない、と彼は感じたのです。メッセージが終わったとき、「今日、キリストと個人的な関係を持ちたい人は、どうぞ前に出て来てください」という招きに応じて、前に出て行きました。

 だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られるのです。古いものは過ぎ去ります。すべてが新しくされるのです。このイエス・キリストこそすべての人の主であり、この方を信じる人はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられるからです。
昔も今も変わらない福音のメッセージ、それはイエス・キリストはすべての人の主であるということです。これまでの聖徒たちがそうであったように、私たちもまたこれから先、この大切な福音のメッセージを携え、証ししていく者でありたいと願うものです。

 Ⅲ.異邦人にも聖霊の賜物が(44-48)
 
最後に、主イエス・キリストがすべての人の主であるということの確証を見て終わりたいと思います。44-48節をご覧ください。
「ペテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。彼らが異言を話し、神を賛美するのを聞いたからである。そこでペテロはこう言った。『この人たちは、私たちと同じように、聖霊を受けたのですから、いったいだれが、水をさし止めて、この人たちにバプテスマを受けさせないようにすることができましょうか。』そして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。彼らは、ペテロに数日間滞在するように願った。」

 神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、受け入れて下さるという真理を気づいたペテロは、イエス・キリストの福音を語りましたが、その説教がまだ終わらないうちに、すなわち、彼がなおもこれらのことを話し続けているときに、それを聞いていた人たちの上に聖霊がお下りになりました。まさに、あの使徒の働き2章に記されたペンテコステの時のようにです。

 いったいなぜこの時に聖霊が下られたのでしょうか。それは45節にあるように、聖霊は今やイスラエルだけでなく、イエス・キリストを信じるすべての人に、すなわち、異邦人にも下るということを目に見える形で示すためでした。ですから45節のところには、「割礼を受けている信者で、ペテロといっしょに来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたの」を見て、驚いたのです。聖霊が注がれ、そのしるしとして聖霊の賜物が与えられる。人々は異言を話し、神を賛美する。これは異邦人の救いの確かさを証しする証人がペテロ一人ではなく、彼とともにやって来た他のユダヤ人たちにも証しとなるためだったのです。このことは彼らにとってどれほどの驚きだったかわかりません。この後、15章のところで、ユダヤ人クリスチャンたちが異邦人の救いの出来事というものをただすんなりと受け入れたわけではないことが出てきます。当初は様々な疑い、戸惑い、反発といったものが相当あったのです。特にユダヤ人たちにとっては割礼の有無や食卓の清さ、安息日の厳守といったことは自分たちの民族的なアイデンティティーとして深く刻み込まれていましたから、その壁を越えて、その枠を乗り越えて異邦人たちを自分たちの兄弟姉妹として受け入れることは、並大抵のことではないチャレンジだったのです。けれども今やペテロとともにヨッパからやって来たユダヤ人クリスチャンたちも、ペテロとともに異邦人コルネリオとその一族が救われた出来事を目の当たりにしたのです。そして彼らもまた異邦人の救いの証人として、すなわち、イエス・キリストはすべての人の主であるという確証の証人として立たせられたのです。

 人間の偏見というものには、実に根強いものがあります。その偏見が取り除かれるためには、相当の努力が必要です。それほど人間は保守的であり、古い考え方や、やり方から抜けることができません。そんな人の偏見を取り除くために、神はだれの目にも明らかな方法によって、異邦人の救いという門戸を開放しようとされたのでした。それは昔も今も変わらず、イエス・キリストこそすべての人の主であり、私たちの罪を赦してくださる方であるという証明なのです。私たちがどんなに罪に悩み、罪の奴隷であったとしても、このイエス・キリストを信じるならだれでもその罪が赦され、すべての罪から解放されるというメッセージこそほんとうの福音であり、私たちがしっかり握りしめ、宣べ伝え、証しし続けなければならないものなのです。

使徒の働き10章1~33節 「聖霊による出会い」

 きょうは「聖霊による出会い」というタイトルでお話をしたいと思います。「人生は出会いで決まる」と言ったのはマルチン・ブーマーという人ですが、きょうのところにはまさに、救いの恵みがユダヤ人から異邦人へと及んでいくきっかけとなった大きな出会いが記されてあります。それはペテロと異邦人コルネリオとの出会いです。この10章1節から11章18節にかけてのところには、コルネリオというイタリア隊の百人隊長が救いに導かれたことが記されてあります。たったひとりの救いの物語にこれだけのスペースを割いて記録しているのは他に例がありません。それはこの出来事が、キリストの救いがユダヤ人から異邦人へと広がっていったことを記したこの使徒の働きの重要なテーマの始まり、きっかけとなった出来事だったからです。ルカはこの事件を書き記すことによって、福音が持っている意味、すなわち、ユダヤ人であっても、異邦人であっても、どんな人でも、ただキリストを信じる信仰によって救われるという真理を伝えたかったのだと思います。そのきっかけとなったのがペテロと異邦人コルネリオとの出会いです。それはまさに聖霊による出会いでした。

 きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、御使いを通してコルネリオに語られたことばです。聖霊は彼に御使いを通して、これまで一度も会ったことのないペテロを招くために、ヨッパに人をやりなさいと語られました。第二のことは、ペテロに語られた主のことばです。主はペテロに夢を通してご自身のみこころを示されました。それは、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」ということでした。第三に、ペテロとコルネリオとの出会いです。二人の出会いはまさに聖霊による出会いでした。そのことによって人間には乗り越えることのできなかった隔ての壁を乗り越えることができ、神の国の天幕がいよいよ大きく広げられていく結果となりました。それが聖霊のなさる御業なのです。ですから私たちは古い価値観や民族的な伝統に縛られながら生きるのではなく、聖霊の導きに従いながら、神の国の広がりと豊かさを味わいながら、これを喜び、福音の持つ大きな祝福にあずかっていきたいと思うのです。

 Ⅰ.ヨッパに人をやって

まず第一に、異邦人コルネリオに語られた主のことばを見ていきましょう。1~8節までをご覧ください。1,2節には、この物語の主人公について簡単な紹介が記されてあります。

「さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という隊の百人隊長であった。彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、」

 カイザリヤとは、ユダヤ北方にある港町です。この町はその名が示す通り、ローマの皇帝カイザルの名にちなんで建てられた町です。そこにはローマの軍隊が駐留していましたが、それがイタリヤ隊という部隊です。これは600人によって構成されていたと言われていますが、その隊長がコルネリオでした。彼について聖書は、「彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた」と報告しています。敬虔で、神を恐れる人という表現は、当時のある定まった表現で、それは異邦人でありながらユダヤ教に帰依し、律法を守り、会堂での礼拝や日々の祈りを重んじていた人を指すことばです。異邦人でも割礼という儀式を受けて正真正銘のユダヤ教徒になった人は「改宗者」と呼ばれましたが、そこまではいかなくとも、ユダヤ教に親しみを感じその教えを守りながら生きていた人を「敬虔な人」とか、「神を恐れて歩んでいた人」と呼んだのです。16章には紫布の商人ルデヤという女性のことが記されてありますが、彼女もまた「神を敬う」人でした(16:14,15)。また、18章に出てくるテテト・ユストという人も「神を敬う人」でした。このようにコルネリオも異邦人であり、ローマの軍人でありながらも、旧約聖書の教えに親しみ、神を恐れ敬う人であり、支配下にいるユダヤ人たちにあわれみを注ぎ、いつも神に祈っていた敬虔な人でした。しかも家族揃ってです。全家族とともに神を恐れかしこむという、実に敬虔深い人でした。

 そのコルネリオに、主が御使いを通して語りかけました。3節~6節です。
「ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、『コルネリオ』と呼んだ。彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、『主よ。何でしょうか』と答えた。すると御使いはこう言った。『あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。』」

 使徒の働きの中には、たびたび主が直接的に現れ語りかけ、そして次の行動へと促していくという場面がくり返されて記されてありますが、ここもそうです。ここで不思議なことは、御使いがコルネリオに「ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい」と言われたことです。このシモンという人がどういう人なのか、あるいは、いったいなぜ招かなければならないのかといった理由には一切触れず、ただ「ヨッパに人をやって、シモンを家に招きなさい」とだけ言ったのです。なぜでしょうか。招いてみればわかるからです。ぐだぐだといちいち説明しなくても、御霊が示されるとおりにするならば、後でわかるようになる。それが信仰であり、聖霊の時代に神が働かれる方法なのです。

 ところで、主の使いがそのように語ると、コルネリオはどのように応答したでしょうか。7,8節です。「御使いが彼にこう言って立ち去ると、コルネリオはそのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、全部のことを説明してから、彼らをヨッパへ遣わした。」コルネリオは即座に応答しました。ちょうどルカの福音書7章に登場しているカペナウムの百人隊長のようです。あの百人隊長もがイエス様に命じられたときそれにすぐに応答したように、彼もまたすぐに応答し、三人の使者をヨッパに滞在中していたペテロのもとへと遣わしたのです。

 Ⅱ.神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない

 次に、ペテロに示された主の幻を見ていきましょう。9、10節までをご覧ください。

「その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時頃であった。すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。」

 場面は変わってヨッパへと移ります。ヨッパはカイザリヤから南へ48キロほど下ったところにある町です。コルネリオが三人の使者をこのヨッパに遣わした翌日、彼らが町の近くまで来たころ、このヨッパの町にいたペテロは、祈りをするために屋上に上って行きましたが、彼はそこで非常な空腹を覚えたので食事をすることにしました。ところが、その食事の準備をしている途中で彼はすっかり夢心地になって眠ってしまったのです。祈っているとこういうことがよくあります。急にお腹が空いてくる。そこで食事をしようと準備していると、今度はすっかり夢心地になって眠りこけてしまうということが・・・。しかし神様は、そのような人間の空腹という現実までも用いて、ご自身の幻を見せてくださいました。それは、天から布のような物が吊り下ろされて来て、その中に、あらゆる種類の四つ足の動物、はうもの、および空の鳥などが入っているものでした。そして、彼にこういう声がありました。13節です。

「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」

 しかしペテロは、そのような促しに対して、「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありませんから」と言って拒みます。それは旧約聖書のレビ記に、地上の生き物の中に食べてよい物と食べてはならない物とが分けられてあり、その区別なしに食べてはならないと書かれてあったからです。(レビ11:4~23)ペテロは、その入れ物の中に汚れたものに属する動物が含まれていたので、断固としてそれを拒みました。ところが、そんなペテロに対して、主は次のように言われたのです。15節です。

「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」

 このことばは、ペテロにとってどれほどショックであったかわかりません。しかし、これはペテロの誤った考えや偏見を打ち砕くための神の御声でした。確かに、吊り下ろされてきた動物の中には、モーセの律法によるならば汚れているとされた物も混ざっていました。また、彼の宗教感情からしても、それを食べることはできなかったでしょう。しかし、神ご自身がそれらをきよい物とされ、食べるようにと命じておられるのです。それでもまだ、神のみこころではなく自分の感情に固執しているとしたら、それは正しい信仰ではありません。これは異邦人に対して抱いていたペテロの民族感情、いや、ペテロだけではなくユダヤ人ならだれもが抱いていた感情でした。彼らはクリスチャンであっても、救いはユダヤ人に限られたものであって、異邦人にまで及ぶとは到底考えられなかったし、受け入れることのできることではありませんでした。がしかし神は、こう言われたのです。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」と。これは、神の救いがユダヤ人から異邦人へと広げられていくことを暗示していた幻だったのです。確かに旧約の時代には、救われるためには律法を守ることが必要でした。そして律法を持っていたのはユダヤ人しかいませんでしたから、救いはユダヤ人に限られたものと思われていたのです。しかし今や、イエス・キリストの到来によって始められたこの恵みの時代には、救いは律法によらず、ただ恵みによって、イエス・キリストを信じる信仰によってもたらされるのであり、救われるのはユダヤ人だけでなく、彼らが汚れた民と思っていた異邦人もみんなその中に招き入れられたおり、そうした新しい時代が訪れているのだということを、この幻は示していたのです。

 にもかかわらず、ペテロは、「主よ。それはできません」と答えました。ここには三度もそのようなことがあった後に、その入れ物が天に引き上げられたとあります。こういうことが三度もあったのです。
「さあ、ほふって食べなさい。」
「いやです。主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがないんですから。」
「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」
「ですが、だめな物はだめでございます。私には無理です」
「何を言ってるのかペテロ。あなたは本当に頑固だな。その名前が「ペテロ」と言われるくらい頑固だこと」
「いくら言われてもできないものはできません。無理です」

そんなやりとりでしょうか。いったいなぜペテロは「できない」と答えたのでしょうか。それは「今まで一度も、したことがなかった」からです。このように律法に縛られた生き方とは、過去に縛られた生き方なのです。そこからは何も新しいものは生まれてはきません。しかし今や、イエス・キリストにあって生きる者には、律法からの自由が与えられているのです。確かにかつてそういうことは考えられなかったことかもしれませんが、イエス・キリストに救われ、いのちの御霊をいただいている今、そうした生き方とは全く違う生き方、世界、考え方がもたらされてるのです。パウロはこのことをローマ人への手紙の中で、次のように言っています。

「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ8:1,2)

 イエス・キリストを信じた人には、いのちの御霊が与えられます。そのいのちの御霊が、古い律法に縛られた罪と死の原理から解放し、自由と喜びと平安を与えてくださるのです。クリスチャンの生きる基準は何かというと、このいのちの御霊の原則であるというのです。

 チャールズ・シャルダンという有名な牧師の話です。あるとき彼が説教の準備をしていました。それは十字架の道を歩まれたイエス・キリストの生涯を説明しながら、私たちもその道を歩もうという内容のものでした。霊感溢れる説教原稿を書き進め、さあ仕上げだと思ったとき、そこに突然みすぼらしい姿をした人がやって来ました。この人は仕事を失って食べるのもなく生活に困窮していた人でした。「牧師先生、助けてください」と頼むと、チャールズ・シャルダンは突然かんしゃくを起こし「説教の準備で忙しい時に、なんで邪魔するの」と思い、その人を門前払いにしました。
 チャールズ・シャルダンは次の日に、用意した原稿で立派に説教しました。そのとき、また例の失業者が教会に現れて、自分の苦しみを訴えながら礼拝堂の入り口で倒れてしまいました。そして、何と彼はその数日後、息を引き取ってしまいました。
 シャルダンは強い衝撃を受けました。説教を準備し続けるのが良かったのか、それとも説教準備は放っておいて、彼を助けた方が正しかったのか。彼は胸を痛め、悔い改めました。「もしもイエス様だったらどうなさっただろうか。もう自分はこんな牧会をしてはいけない」と考え、新たに覚悟を決めました。それ以来、すべての状況の中で、「もしもイエス様ならどうなさるか」ということを、念頭に置いて生きるようになりました。そして自分だけでなく、すべての教会員たちにも同じ質問のもとに団結するようにと訴えました。その中で書かれたのが不朽の名著、「In his step」なのです。

 「イエス様ならどうなさるか」これこそ私たちが何かを判断していく基準です。それはもしかすると、これまで私たちが一度も経験したことがないようなことかもしれません。旧約聖書には「食べてはならない」とあるようなことかもしれない。私たちの習慣ではなかなか受け入れられないことかもしれません。しかし、大切なのは私たちの感情がどうであるかということではなく、イエス様ならどうされるのか、イエス・キリストにあるいのちの御霊が何と言っておられるかということです。

 ペテロにとっては、神の民としてのユダヤ民族という自覚とアイデンティティーを保って生きていくことは、たとえ彼がクリスチャンになったとしてもなお重要な意味を持つものでした。しかしあえてこう言わなければならないと思います。すなわち、たとえ旧約聖書の律法に生きることが自分自身の生まれながらのアイデンティティーであったとしても、クリスチャンになった今は、そのような古い自分や民族のアイデンティティーは根本的に乗り越えなければならいということです。大切なことは、福音によって生かされ、新しくされた者として生きることです。

 これは日本というこの国で生きている私たちにとっても同じではないでしょうか。自分の中に染みついるこれまでこれまで培われてきた価値観や宗教性、民族性といったものでも、福音によって必ず乗り越えられるのだという確信を持っていなければならないということです。確かに、この国でクリスチャンとして生きることはたやすいことではありません。特に家族の中で、職場の中で、地域社会の中で生きていくことは、いやが上にも日本人としてのアイデンティティーとクリスチャンとしてのアイデンティティーがぶつかりあうことを避けることはできません。生まれてから死ぬまでの人生の通過儀礼において、また、冠婚葬祭全般において、そして、子どものお宮参り、七五三、お葬式や法事、地域のお祭りや神社の寄付金等、あるいは、会社あげての神事への参列をはじめ、仏壇やお墓の問題、そういう一つ一つの事柄に於いて、私たちは絶えずチャレンジを受けるのです。しかしそういう時にこそ私たちは日本人であるという前提でクリスチャンとして生きるのではなく、その逆で、クリスチャンであるという前提の上でこの国で生きているのだという自覚を新たにしたいのです。つまり、日本人クリスチャンとしてではなく、クリスチャンとして、天に国籍を持つ者として、この地上の国でどう生きるのかということであります。そして、この地上にあっては「イエス様ならどうなさるのか」を考えながら、福音の力に励まされつつ、自由に、そして大胆に主を告白していく者でありたいと願うのです。

 Ⅲ.福音の持つ広がりと豊かさ

 最後に、ペテロが自分の価値観や考え方、感情といったものではなく、あくまでも主のみこころに従っていった結果どうなったかを見て終わりたいと思います。17~20節をご覧ください。

 ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことかと思い巡らしていたとき、コルネリオから遣わされた三人の使者がペテロを訪ねます。そのとき御霊が彼に、このように言われました。20節です。

「さあ、下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。彼らを遣わしたのはわたしです。」

 やがて訪れるであろうペテロとコルネリオとの出会いの前にペテロが彼らと出会ったことは、まさに神のお取り扱いの中で聖霊によってもたらされた出会いでした。なぜなら、もしこれが当人同士のことであったなら決して出会うことがなかったであろう人たちだったからです。いや、仮に出会ったとしても、そこには互いに乗り越えることができなかったであろう壁があったからです。彼らの置かれていた状況は全く異なっていました。かたやキリスト教会ではそれなりに知られていた人物とはいえ、ユダヤ人やローマ側からすればガリラヤ湖の一漁師にすぎず、あの憎むべき十字架で死んだイエスの弟子であり、今やそのイエスを宣べ伝えて人々を惑わしている弟子たちのリーダー。一方、コルネリオはユダヤを支配するローマ帝国の百人隊長です。そこには何の接点も見いだせず、彼らの本来の生き方からすれば、一つの共通点も見いだすことが不可能であったといえるでしょう。しかし、そんなペテロに聖霊は「下に降りて行って、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさい。」と促されたのです。聖霊はそのように全く交わを持たなかった両者を、ものの見事に引き合わせてくたせさったのです。

 この一連の出来事を読んで気づくことは、これらの出来事の主導権をとっておられたのは聖霊なる神ご自身であられたということです。ヨッパに人をやって、ペテロを自分の家に招きなさいとコルネリオに命じられたのも、また、ためらわずに、彼らといっしょに行きなさいと命じられたのも、同じ御霊ご自身であられたということです。コルネリオがペテロに会って福音を聞きたいと願ったのでもなく、ペテロがコルネリオを救いに導こうと行動を起こしたのでもない。むしろこのすべての出来事の主人公は主ご自身であられたのです。彼らの背後にはそのような主の導きがあったのです。彼らはただそれに従っただけでした。しかし、その結果、ものすごいことが起こったのです。23~33節までをご覧ください。

 明くる日、ペテロは彼らといっしょに出かけ、「その翌日」(24節)カイザリヤのコルネリオのもとに到着しました。親族や親しい友人たちを呼び集めてペテロの到着を待っていたコルネリオは、ひれ伏して拝むほどの丁重さをもって迎えました。「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言って彼らを起こすと、ペテロはその理由を彼らに尋ねます。28,29節です。

「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」

 そこでコルネリオは、やはり自分も神の幻と御告げを受けて、ペテロのもとに使者たちを遣わしたことを話すと、彼らは互いに、そこに不思議な、しかし確かな神の導きがあったことを悟ったのです。つまり、聖霊ご自身が人間には決して乗り越えることのできなかったユダヤ人と異邦人という隔ての壁を乗り越えさせ、神の国の天幕をいよいよ大きく広げてくださり、そこに人々を招き入れてくださる準備を整えてくださったということです。それはもしかすると私たちのこれまでの考え方や価値観といったものを揺るがすようなことだったかもしれません。「私にはできない。そんなことは今まで一度もしたことがない」というようなことと直面させられるかもしれません。けれども、聖霊がその壁を乗り越えさせてくださることによって神の国の天幕の四隅は押し広げられ、神の国がまた一歩前進していくことができるようになるのです。

 アメリカにウイロークリークという教会がありますが、その教会の牧師ビル・ハイベルズは、次のように言いました。

「教会が教会らしい時、この世のどんなものも教会に代えることはできない。」

「教会が教会らしい時」とはどんな時なのでしょうか。彼が牧会しているウイロークリーク教会は、毎週日曜日に開かれている伝道集会と、まだ一度も教会に来たことのない人々に伝道して成長している教会として有名ですが、実はそうした伝道集会によって成長したわけではないのです。その教会が多くの人々を救いに導くことができたのは、教会が聖書的に機能する共同体になろうと努力した結果でした。たとえば、その教会のリーダーシップには多くの有色人種の人々が含まれていますが、それは人種的な差別を無くそうと努めているからです。小グループはまるで家族のように互いに顧み、弱さを担い合いながら、互いの秘守義務を守りながら尊重しています。つまり、聖霊の導きに従って歩んだ結果だったのです。
 多くの人たちは、この教会が世俗的だと非難します。服装がカジュアルで、現代的な音楽やドラマ、先端技術を使っているので、そのように見えるからです。しかし、中味は違います。服装がカジュアルとか、音楽がどうのこうの、どういうやり方をしているかといったことは外側のことであって、中味は違うのです。中味は祈りとみことばによって導かれ、中和した共同体として生活できるように努力している。それゆえに多くの人たちがこの教会に惹かれて来ているのです。

 私たちは今、福音による自由の中に生かされています。あれをしてはならない、これをしてはならないといった律法の束縛から解放され、これまでの生活の中で染みついた古い自分の罪の性質や様々な習慣、古い価値観や民族的な伝統といったものから自由にされているのです。私たちに求められているのはただ、いのちの御霊に聞き従うことです。それゆえに「神がきよいと言った物をきよくないと言ってはないない」し、「さあ、ためらわずに行きなさい」と言われたら、そのみことばに従って行かなければならない。そのとき、聖霊が出会わせて下さる人々の元へと遣わされて行き、神の国の広がりと豊かさを味わらせていただきながら、これを喜び、福音の持つ大きな祝福にあずかっていくことができるのです。

使徒の働き9章32~43節 「イエス・キリストがいやしてくださる」

 新年あけましておめでとうございます。新しい年も主を見上げ、神にある希望を仰ぎながら、歩んでまいりたいと思います。きょうは「イエス・キリストがいやしてくださる」というタイトルで、主イエスによっていやされた二人の人の姿から、主イエス・キリストのいのちに生かされることの幸いについてご一緒にみことばから学びたいと思います。きょうお話する三つのことは、まず第一に、中風で8年間も床についていたアイネヤがいやされたことから、イエス・キリストがいやしてくださるということです。第二のことは、病気で死んだタビタが生き返り、起き上がった出来事から、イエス・キリストが起き上がらせてくださるということです。そして第三のことは、だからキリストのいのちに生かされながら歩んでまいりましょうということです。

 Ⅰ.イエス・キリストがいやしてくださる

 まず、32~35節までをご覧ください。

「さて、ペテロはあらゆるところを巡回したが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。彼はそこで、八年間も床についているアイネヤという人に出会った。彼は中風であった。ペテロは彼にこう言った。『アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。』すると彼はただちに立ち上がった。ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った。」

 ここに再びペテロが登場します。彼は8章25節でサマリヤの地を後にして以来、しばらく姿を見せていませんでしたが、ここに再び登場してまいります。教会への迫害者であったサウロがダマスコへの途上で劇的な回心を遂げ、使徒の働きはいよいよペテロからサウロにバトンタッチしていくのかと思いきや、ルカはこの9章後半から10章にかけて再びペテロの姿を描きます。それはパウロによる本格的な異邦人伝道の前に、ペテロの果たした役割を私たちに印象づける目的があったかったからでしょう。サママリヤを去ったペテロは己の召しに従い、福音を携えて「あらゆる所を巡回し」ては、様々な地方にいた信仰者たちを励まし、教え、導いていったのです。きょうの箇所に登場するルダ、サロン、ヨッパというのはいずれもエルサレムから北西に進んで行った所に位置している町々で、やがてペテロの行程は地中海の北の港町カイザリヤへと進んで行くのでした。

 そのようなペテロの伝道旅行の最中に、彼はルダという町で一人の人物と出会います。それは、中風で8年間も床に着いていたアイネヤという人です。そのアイネヤに向かって、ペテロはこのように言いました。

「『アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。』すると、彼はただちに立ち上がった。」

 そこで起こった出来事の大きさに比べて、実に淡々とした描写です。聖書の中には実に多くの奇跡物語や癒しの記事がありますがその中でも実にあっさりとした書き方で、ずいぶん拍子抜けしてしまう書き方のように感じます。がしかし、だからといってこの出来事が何か軽々しいことや、簡単な出来事であったわけではありません。むしろこのような簡潔な表現の中に、一番明らかにされなければならないことが十分に語り尽くされているのです。それは何かというと、イエス・キリストがいやしてくださるということです。すなわちこのいやしの主人公は、主イエス・キリストご自身であられるということです。ペテロは言いました。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を取り上げなさい。」ここでペテロは、あたかもイエス様ご自身が今、アイネヤに触れて下さっておられるかのように振る舞っているのがわかります。

 第一に、ペテロは「アイネヤ」とその名前で呼びかけています。それはちょうどかつてイエスご自身が失われた人ザーカイを捜し出してくださった時のようです。だれからも顧みられなかったザーカイに向かってイエス様は、「ザーカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」(ルカ19:5)と呼びかけられました。そのとき彼がどんなにうれしかったかは、彼が急いで降りて来て、大喜びでイエスを迎えたということばからわかります。人は自分の名前を呼ばれることに特別の喜びを感じます。それはその人に愛され、喜ばれ、受け入れられていると感じるからです。そのように名前を呼んだペテロのことばに、彼は主イエスの愛を感じたに違いありません。

 第二に、イエス・キリストがあなたをいやしてくださると語ったことです。すでに十字架につけられて死なれ、よみがえられて今は天におられる主イエスが、あたかも今アイネヤに触れて下さっておられるかのように、ペテロはアイネヤをいやしてくださるのは他ならぬ主イエス・キリストご自身であることをはっきりと示したのです。このことばには、いやしてくださるのはイエス・キリストであり、彼にはいやす力があるというペテロの信仰が表れています。

 第三のことは、それだけでなくペテロがここで「立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」と語っていることです。それはかつて同じようにイエス様のところに中風で寝たきりの人が運ばれて来た時と同じようにです。その時にはあまりにも大勢の人で家の中に入ることができなかったため、4人の友人たちはその家の屋根に上り、屋根に穴を開け、そこから病人を寝かせたままイエス様の前に吊り下ろしましたが、その中風の人に向かってイエス様は、「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」(マルコ2:11)と言われました。それと同じようにペテロは、ここでこの中風の人に向かって「立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」と言ったのです。それはペテロの頭の中にきっとあの時の出来事があって、それを思い出していたからでしょう。しかしそれだけでなく、アイネヤの中に何とかしていやされたいという願いを植え付けるためでもあったのではないかと思います。だれでも8年もの間床に着いていたらそれがあたりまえであるかのように思ってしまい、いやされたいという願いさえも消え失せてしまうものです。そうした人にとって必要なことは何かというと、主イエス・キリストはいやすことができる方であると信じ、自分で寝床を整え、自分で立ち上がっていこうとすることです。そのような意欲があるならたとえそれで体がいやされなくても問題ではありません。問題は体が病気になることによって心までも病気になってしまうことです。そういう意欲までも失せてしまうことです。そういうことがないために大切なことは、ペテロがここで言っているように、主イエスにはいやす力があることを信じ、自分はその主のいやしを信じて立ち上がっていこうとする姿勢です。

 さて、ペテロがそのようにアイネヤに語りますと、彼はどうなったでしょうか。34節にはその結果についても端的に記されてあります。「すると彼はただちに立ち上がった。」すると彼は「ただちに」「たち上がった」のです。何という神さまの御業でしょうか。最近は、引きこもりや鬱で、5年も10年も立ち上がれないでいる人が大勢いると聞きます。しかしそのような人々がこの中風の人のように立ち上がることができたら、どんなに感謝なことでしょうか。いや、できます。イエス様にはそれができるのです。そしてこのイエス様の御業は聖霊の時代である今日も、聖霊なる神によって、教会を通し、主にある聖徒たちを通してイエス・キリストご自身の御業と何ら変わることなく、続いているのです。イエス様にはそのような力があるのです。

 Ⅱ.タビタ。起きなさい

 次に、起き上がったタビタについて見ていきましょう。36~39節をご覧ください。

「ヨッパにタビタ(ギリシャ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。ところが、その頃彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたりのところへ送って、『すぐに来てください』と頼んだ。そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。」

 続いてペテロはヨッパの地で、もう一人の人と出会います。それはタビタという女の弟子です。ここにはギリシャ語でドルカスという名前であったと紹介されていますが、それは彼女が異邦人教会の間でそのように呼ばれていて、覚えられていたからでしょう。ドルカスとは「かもしか」という意味で、旧約聖書では美しさややさしさ、すばやい者の比喩として用いられています。彼女にはそのような愛らしい、きびきびした美しさがありました。それは彼女が、「多くの良いわざと施しをしていた」という言葉に表れています。

 そのドルカスが病気で死にました。すると人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いたのです。なぜでしょうか。一般的にユダヤ人は、人が死にますと、その日のうちに埋葬したといわれています。それは亡骸を長時間放置しておくことが、故人に対して不敬であると考えられていたからです。人は土から取られたのだから早く土に返すことが故人に対する礼儀であり、たましいは既に神のもとに帰ったのに、肉体が生ける者の地に留まっているのは、故人に対する冒涜、遺族にとっては恥であるとされていたのです。なのに彼らは、タビタが死んでもすぐに葬ることをしませんでした。それはルダにペテロがいることを聞いていたからです。ルダはヨッパに近かったので、そこにペテロがいると聞いていた弟子たちは、ペテロのもとに二人の人を送り、「すぐに来てください」と頼んだのです。

 するとペテロは、迎えに来た人たちといっしょに出かけていきました。ペテロが到着するとどうでしょう。彼女は既に死んで屋上の間に安置されていました。もう既に死んでしまったのに、いったい彼らはなぜわざわざペテロをヨッパに迎えようとしたのでしょうか。もしかすると、自分たちによくしてくれたタビタの葬儀に際して、ペテロ先生を招き、みことばを中心とした神礼拝をすることが彼女の葬りにもっともふさわしいと考えたからかもしれません。しかし、それ以上に人々は、ペテロがルダでアイネヤをいやされたことを聞いて、ペテロに何かの奇跡を期待したいたのではないでしょうか。このように何かの奇跡を期待するにせよ、みことばの慰めを期待するにせよ、神にある望みを仰ぎつつ、神を見上げ、神に期待するということは大切なことです。この新しい一年が、このヨッパの人たちのように、常に神を仰ぎ、神に期待する一年であるようにと祈ります。

 さて、ペテロがヨッパに到着すると、彼らは屋上の間に案内しました。するとやもめたちはみな泣きながら、彼のそばにやって来て、ドルカスがいっしょにいたころ、彼女が作ってくれた下着や上着の数々をみせました。この「見せる」という言葉は「自らみせる」という意味で、「この上着」、「この下着」と言って見せたということです。おそらく彼らは、ペテロに、「今着ているこの下着、今身につけている、ほれ、この上着も、彼女のおかげです」と言って、涙にくれながら見せたのでしょう。ドルカスは病気で死にもうこの地上にはいませんが、生前彼女がした多くの良いわざと施しは、こうした人たちの心に深く刻まれ、彼女が死んでからも彼女の回りに多くの人たちわひきつけ、捕らえて止まなかったのです。まさにヘブル11:4に、「彼は死にましたが、その信仰によって、今なお語っています。」とある通りです。教会の歴史は、このように主に忠実に従い、主の愛を分かち合って生きた多くの信仰者たちの愛の証によって刻まれていくのです。41節を見ると、彼女が生き返った後に家族が出てきておりませんから、もしかすると彼女は結婚もしていなかったか、それとも結婚はしていたものの夫に先立たれ彼女自身もまたやもめであったのかもしれません。そんな中でも彼女はその生涯を主イエスと主の教会に捧げ尽くし、貧しいやもめたちのために、苦しんでいる人々のために、多くの良いわざと施しを通して献身的に奉仕していたのでしょう。彼女の周りで涙を流す人々の姿が、彼女の献身の生涯がどれほどのものであったのかを表しています。

 けれども、アイネヤを病の床から立ち上がらせた主イエスは、この主の弟子タビタ、ドルカスを過ぎ去った過去の証人のままで終わらせことをなさいませんでした。40,41節をご覧ください。

「ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そして遺体のほうを向いて、『タビタ。起きなさい』と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。」

 屋上の間に到着したペテロは、みなの者を外に出すと、ひざまずいて祈りました。そして死んでそこに横たわっていたタビタに向かって、「タビタ。起きなさい」と言いました。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がったので、ペテロは手を貸して彼女を立たせました。このペテロのやり方は、かつて会堂管理者ヤイロの娘が死んでしまったとき、主イエスが彼女を生き返らせたやり方とそっくりです。(ルカ8:41-56)。主イエスがその家に入られると、ペテロとヨハネとヤコブ、それにその子の両親以外のほかは、だれもいっしょにいることをお許しにならず、みんなを外に出されました。それから、ここで言われた言葉もそっくりです。主イエスは「タリタ、クミ」、「少女よ、あなたに言う。起きなさい」と言われました。さらに、主イエスが彼女を立たせたとき、手をとって立たせられましたが、それも同じです。何もかもそっくりなのです。

 しかし、一つだけ違いがありました。しかもその一つの違いはこの奇跡の根幹にかかわる大きな違いです。それは何かと言うと、主イエスはご自分の力で娘を生き返らせたのに対して、一方のペテロは、ひざまずいて祈り、主に願ってから「タビタ。起きなさい」言っている点です。つまり、主イエスの「タリタ、クミ」は、「わたしが立たせるから、少女よ、起きなさい」と言われたのに対して、ペテロの「タビタ、クミ」は、「主が立たせてくださるから、タビタよ、起きなさい」という命令でだったのです。そういう意味では、アイネヤを立ち上がらせたとき、ペテロは彼に「アイネヤ。イエス・キリストがあたなをいやしてくださるのです」と言いましたが、この奇跡はそれと全く同じ内容だったわけです。それはどういうことかというと、この奇跡を行った主人公はペテロではなく主イエスご自身であられたということです。主イエスには人を立たせ、死人の中から生き返らせるほどの力があるということです。ペテロではありません。主イエスです。主イエスは会堂管理者ヤイロの娘を起き上がらせた時と同じように、ペテロを用いて彼女にいのちを取り戻させ、ご自身がかつて死者の中から初穂としてよみがえられたように、彼女をその床から起き上がらせなさったのであります。

 Ⅲ.キリストのいのちに生かされて

ですから第三のことは、キリストのいのちに生かされてということです。42節をご覧ください。

「このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。」

 これはペテロがタビタを生き返らせた目的です。このことがヨッパ中に知れ渡りますと、多くの人々が主を信じました。「今から後、主にあって死ぬ者は幸いである。」とあるように、また、「しかり。彼らはその労苦から解き放たれて休むことができる」とあるように、タビタにとっては死のかなたでいこわせていただいた方がずっと幸せなことだったのに、なぜ生き返らされなければならなかったのでしょうか。それは、そこに彼女の死を嘆き悲しむ人たちがいたからです。彼女なしには教会が大きな傷手を被るからです。ですから、ペテロはタビタが生き返った時彼女を彼らに見せたのです。(41節)これまで主に忠実に仕えてきた生涯を突然の病によって終え、今はただ人々の思い出の中でしか生き続ける存在でなかったタビタ。永遠の希望のない世界では、結局のところ、人の生涯は決して死の現実を乗り越えることができませんが、そんなタビタを主イエスが再び死の床から起き上がらせてくださることによって、単に人々の思い出の中に生き続ける過去の人としてではなく、今生きておられる主イエス・キリストのいのちによって生かされることの恵みと力を証しする人として、死の絶望の中から再び起き上がらせられたのです。

 それはアイネヤの奇跡も同じです。35節を見ると「ルダとサロンに住む人々はみな、アイネヤを見て、主に立ち返った。」とあります。中風で8年間も寝たきりの生活をしていた彼は、将来に夢も希望も持てず、ただ人々の慰めや気休めの言葉にすがり、人々の助けや施しを当てにして生きるほかない者でしたが、そんなアイネヤを主イエスが立たせてくださることによって、それを見た多くの人に希望をもたらすことになりました。それは、主イエスは私たちをいやすことができる方であるという希望です。

 しかし、それはアイネヤやタビタだけではありません。彼らを立ち上がらせ、起き上がらせた主イエス・キリストは今なお、聖霊を通して、あるいは主の復活の証人たちを通して、その証人たちの周りにいる人たちをもこのいのちに生かすことがおできになるのです。聖書が語り続けてやまない良き知らせ、福音のメッセージ。それは主イエス・キリストを信じることによって人はまことのいのちに生きることができるということです。罪の中に死んでいた私たちの心が、タビタのようにもう一度生きる者とされるのです。さまざまな病気や悩み、傷によって縛られたいた私たちの心が解放され、アイネヤのように立ち上がることができる。そのスタートはどこからでも始まります。たとえそれが絶望と死の床からでも、主イエスを信じるなら、人はこのいのちによって絶望の床から立ち上がり、死の床から起き上がることができるのです。そのことを見て、そのことを聞いて、多くの人々が主に立ち返り、主を信じたように、この朝、皆さんにもぜひこのいのちを受け取っていただきたいと思うのです。そして新しく始まるこの一年が、主によって生かされる一年であっていただきたいと切に願うものです。