ヘブル11章32節 「信仰によって生きた人々」

きょうは、「信仰によって生きた人々」とタイトルでお話しします。このヘブル人への手紙11章には、信仰によって生きた人々のことが取り上げられていますが、きょうのところにはこのシリーズの締めくくりとして六人の名前を挙げられています。その六人とはギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、そしてサムエルです。実際にはその後に預言者たちについても言及されていますから、もっと多くの人々が挙げられていることになりますが、とりあえず名前として取り上げられているのはこの六人です。いったいなぜ彼らの名前が挙げられているのでしょうか。

 

時代的な順序で言うならバラク、ギデオン、エフタ、サムソン、サムエル、ダビデという順序になりますが、ここにはそれとは違った順序で取り上げられています。おそらく、この手紙の著者は、時代的な順序を念頭に置いて名前を挙げたのではなく、信仰に生きた人たちにもいろいろなタイプの人たちがいて、そういういろいろなタイプを取り上げたかったのではないかと思います。

 

それでは、これらの人たちがどのように信仰に歩んだのかを見ていきたいと思います。

 

Ⅰ.ギデオン-臆病者でも

 

まず、最初に出てくるのはギデオンです。皆さん、ギデオンという人についてご存知でしょうか。聖書を無料で学校や病院に贈呈している団体がありますが、その団体の名前は「国際ギデオン協会」と言って、この人から取られました。信仰の勇士であったギデオンのように勇ましく主に仕えようという思いが伝わってきす。しかし、聖書をよく見ると、彼は最初から勇士であったわけではありません。ギデオンについては旧約聖書の士師記6章に記されてありますが、4節には、彼はミデヤン人の襲撃を恐れ、酒ぶねの中で、隠れるようにして小麦を打っていた、とあります。そんな彼に、ある日、主の使いが現われてこう告げるのです。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」(士師6:4)これは、あなたは勇士なのだから、立ち上がってこれを迎え討ちなさいという意味です。しかし、彼はそれを素直に受け入れることができず、「主よ、もしあなたが私たちと一緒におられるなら、いったいどうしてこのようなことが起こるのでしょう。あなたは私たちとともにはおられません。あなたは私たちを捨てて、私たちをミデヤンの手に渡されたのです。」(同6:13)と答えました。

そんな彼に主は、「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。あたしがあなたを遣わすのではないか。」(同6:14)と告げるのですが、彼は尻込みして、なかなか従うことができませんでした。そして、だったらしるしを見せてくださいと、しるしを求めたのです。

 

最初は、彼が持って来た供えものを、主の使いが手にしていた杖の先を伸ばして触れると、たちまち岩から火が燃え上がって焼き尽くすというものでした(士師6:19-21)。

それでも確信がなかった彼は、次に、打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛の上にだけ露が落ちて濡れるようにし、土全体はかわいた状態になっていたら、そのことで、主が自分を遣わしておられることがわかりますと言うと、主はそのようにしてくださいました(士師6:36-38)。

けれども、それでも確信がなかった彼は、もう一回だけ言わせてくださいと、今度は逆に土全体に露が降りるようにして、羊の毛だけはかわいた状態にしてくださいと言うと、主はそのようにしてくださいました(6:39-40)。

 

このようにして彼は、主の勇士に変えられ、わずか三百人で、ミデヤン人とアマレク人の連合軍十三万五千人を打ち破ることができました。初めは臆病で疑い深かった彼を、幼い子の手を引いて引き上げてくれる両親のように引き上げてくださり、信仰の勇者となることができたのです。

 

皆さんの中にギデオンのような臆病な人がいますか。しかし、そんな人でも変えられます。信仰の勇士になることができるのです。もしあなたが、確かに主は生きておられると確信しそのみことばに従うなら、信仰によって勇士となり多くの敵を打ち破ることができるようになるのです。

 

Ⅱ.バラク-優柔不断な人でも

 

次に出てくるのはバラクです。バラクについての言及は士師記4章にありますが、ちょっと優柔不断な人でした。当時、イスラエルはカナンの王ヤビンという人の支配下にあって苦しめられていました。その将軍はシセラという人でしたが、彼は圧倒的な戦力を誇り、イスラエルは彼の前に何も成す術がありませんでした。

 

ところが、ある時、当時イスラエルを治めていた女預言者デボラに、タボル山に進軍して、このシセラの大軍と戦うように、わたしは彼らをあなたの手に渡す(士師4:6-7)とう主のことばありました。それで彼女はそれをバラクに告げるのです。

 

するとバラクはどうしたかというと、女預言者デボラに、「もしあなたが私といっしょに行ってくださるなら、行きましょう。しかし、もしあなたが私といっしょに行ってくださらないなら、行きません。」(士師4:8)と答えるのです。何とも、もじもじした男です。行くのか、行かないのかはっきりしない、まさに優柔不断な男だったのです。

 

するとデボラは、「私は必ずあなたといっしょに行きます。けれども、あなたが行こうとしている道では、あなたは光栄を得ることはできません。主はシセラをひとりの女の手に渡されるからです。」(士師4:9)と告げました。私はあなたといっしょには行くけれど、主は別の方法でシセラと倒すというのです。それはひとりの女の手によってだというのです。それで彼は、ゼブルンとナフタリから1万人を引き連れて、タボル山に進軍したのです。

 

これはちょっと不思議です。確かにデボラは彼といっしょに行くと約束しましたが、そこで栄光を受けるのはバラクではなく「ひとりの女」だというのに、彼は進軍したからです。この「ひとりの女」とは、この後でシセラのこめかみに鉄のくいを刺し通したヤエルという人です。彼女はバラクとの戦いで追い詰められたシセラが彼女の家に水を求めて立ち寄ったとき、熟睡していた彼のところに近づいて、彼のこめかみに鉄のくいを刺し通したのです。それで彼女は栄光を受けたのです。栄光を受けたのはバラクではなくこの女性でした。にもかかわらずバラクは進軍したのです。なぜでしょうか。

 

それは彼が信仰によってそのように決断したからです。普通だったらこのようなことを言われたら、「だったら、や~めた。骨折り損のくたびれもうけだわ」と言って止めるところですが、彼はそうではありませんでした。それでも彼は出て行ったのです。それは彼が自分の栄誉ではなく、主とその民イスラエルの勝利をひたすら求めていたからなのです。ここではその信仰が称賛されているのです。本来ならこんな優柔不断な男のことなどどうでもいいことですが、それでも彼のことが取り上げられているのは、こ

うした彼の信仰が評価されていたからなのです。皆さん、どんなに優柔不断な人でも、信仰によって生きるなら主はその人を大きく評価してくださるのです。

 

Ⅲ.サムソン-破天荒な人でも

 

次に取り上げられているのはサムソンです。サムソンについては皆さんもよくご存じかと思います。彼はロバのあご骨で千人のペリシテ人を打ち殺したが、最後はそのペリシテ人に捕らえられて目をえぐられ、足には青銅の足かせをかけられ牢の中で臼をひかせられるという苦しみを味わいました。しかし、その牢の中で悔い改めると再び聖霊が激しく彼に下り、ペリシテ人の神ダゴンの神殿の柱を引き抜いて、そこにいた三千人のペリシテ人を打ち殺しました。その数は生きていた時に殺した敵の数よりも、多かったと言われています。

 

しかし、ここに信仰の勇者としてこのサムソンのことが取り上げられていることには、全く違和感がないわけではありません。というのは、彼の生活にはかなりいかがわしいところがあったからです。彼はナジル人として、生まれた時から神のために聖別された者であったのに、異教徒であったペリシテ人と結婚したり、売春婦であったデリラという女性と夜を過ごすなど、破天荒な生活をしていたからです。そんな彼でもここに信仰の勇者として取り上げられているのは、神の民イスラエルの敵であったペリシテを打ち倒すという神の御心の実現に向かって、生涯をかけて戦い抜いたからです。

 

かつてはヤクザの世界に身を置いていた人が神の福音を聞き、悔い改めてイエス様を信じた人たちの話を聞いたことがあります。彼らは、イエス様を信じる前はいわゆる全うな道から外れ、破天荒な生き方をしていた人たちでしたが、しかし、イエス様がその罪を赦してくださったことを知ると罪を悔い改め、「親分はイエス様」と言って、自分のいのちをかけて主を証するようになりました。彼らは反社会的勢力として一般の社会からつまはじきにされてもおかしくないような人たちでしたが、イエス様を信じたことで全く新しい人に変えられ、神の御心の実現のために生涯をかけて戦う者へとなりました。

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

 

このような人たちの姿をみるとき、たとえどのような背景がある人でも信仰の勇者として用いられることがわかります。考えてみると、サムソンのことについて書かれてある箇所をみると、その随所に、「主の霊が激しく彼の上に降って」(士師14:6、19)とありますが、どんな人でも主の霊が臨むとき、その人は神の器として聖霊の力を受け、神の御心の実現のために大きく用いられるのです。

 

Ⅳ.エフタ-軽率な人でも

 

次に取り上げられているのはエフタです。エフタについては士師記11章に記されてありますが、彼はギルアデという父親と遊女との間に生まれた子どもです。そのため正妻の子どもたちによって家から追い出され、ごろつきどもと略奪をしていました。そんな彼がイスラエルの檜舞台に登場したのは、当時イスラエルにアモン人が攻撃しかけてきたときでした。そのとき、イスラエルの長老たちは、あのエフタなら何とかしてくれるかもしれないと、彼のもとに人をやって、自分たちを助けてくれるようにと頼むのです。過去のことでイスラエルを恨んでいたエフタはすぐには応じようとしませんでしたが、長老たちの切なる要請に応じて、アモン人と戦うことになりました。その時、エフタは主に誓ってこう言いました。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出てくる、その者を主のものといたします。」(11:30-31)こうして彼は出陣し、アモン人の大軍を打ち破って家に帰ってみると、何とその時最初に彼を出迎えたのは、彼のたった一人の娘でした。まさか彼の一人娘が出てくるなどとは夢にも思わなかったでしょう。それで彼は相当悩んだことと思いますが、それでも彼は、その誓いのとおりに自分の一人娘を主にささげたのです。彼は最初の誓いを最後まで貫いたのです。

 

ここで彼が自分の一人娘を主にささげたということが、いけにえとしてささげたということなのか、それとも主の働きのために結婚をせずに一生を過ごさせたということなのかについては見解が分かれるところですが、いずれにせよ、彼がここで信仰の勇者として取り上げられているのは、彼が主に誓ったことを最後まで誠実に履行したからなのです。もちろん、彼がイスラエルを導いてアモン人の大軍から民を救ったということも信仰の勇者として数えられていることの一因ではありますが、それ以上に、一度、神に対して誓った約束を最後までやり遂げたところに、彼の信仰の真骨頂が見られるのです。

 

時として私たちも軽率に主の前に誓うものの、自分の都合が悪くなるとそれを簡単に破ってしまうことがあります。誓約を守るということ、約束を果たすということはそれほど大変なことなのです。たとえば、結婚式の誓いにしても、常に相手を愛し、敬い、助けて変わることなく、その健やかなる時も、病める時も、富める時も、貧しき時もいのちの日の限り堅く節操を守ることを誓いますかと問われ、「はい、誓います。」と誓ったものの、実際に結婚してみると、「こんなはずじゃなかった。」と、いとも簡単に誓いから解かれようとします。そんなことなら初めから誓約などしない方がいいのに、それでも私たちが誓うのは、そこまでしても大切にしたいという思いがあるからです。

 

それは結婚だけではなく、私たちの信仰生活も同じです。ある意味で私たちの信仰生活はイエス様との結婚と同じです。イエス様が花婿であり、私たちはその花嫁です。聖書には教会がキリスト花嫁として描かれています。ですから、イエス様を信じた時どんなことがあってもあなたを愛し、あなたに従いますと誓ったはずなのに、私たちは自分に都合が悪くなると、いとも簡単にそこから解かれようとします。それは私たちに共通する弱さでもあるのです。

 

けれども、このエフタは違いました。彼は神に誓ったその誓いを、最後まで誠実に果たしました。その信仰が称賛されているのです。

 

Ⅴ.ダビデ-罪を犯しても

 

次に登場するのはダビデです。ダビデについてはもう説明がいらないくらい有名な人物です。彼はイスラエルの王であり、信仰の王でもありました。彼はいつも主に信頼し、その小さな体であるにもかかわらず、ペリシテの巨人ゴリヤテを石投げ一つで倒しました。そんな信仰の王であったダビデですが、実のところ、彼にも弱さがなかったわけではありません。彼の生涯における最大の汚点は、王の権力を笠に着た姦淫の罪と、それをもみ消そうとして犯した殺人の罪でした。どんなに偉そうに見える人にも弱さがないわけではありません。どんなに完全に見えるような人にも欠点はあるのです。しかし、ダビデの偉大さは、そのような弱さや欠点、罪や汚れがあっても、へりくだって神の御前に悔い改めたことです。彼は預言者ナタンによってその罪を指摘された時、自分の権力を笠に着て、それをごまかそうとしませんでした。彼は王の権力によって預言者ナタンの直言を退け、彼を処刑にすることさえできないわけではありませんでしたが、そのことばを受け入れ、神の御前に罪を悔い改めました。これは、そのときダビデが歌った詩です。

「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか、私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。」(詩篇51:1-2)

 

皆さん、このとき彼はイスラエルの王ですよ。王ともあろう者が自分の罪を認め、それを告白し、悔い改めるということは、王のメンツにかかわることでしたが、彼は王としてのメンツも何もかも捨てて、神の御前にへりくだったのです。それが彼の本当の意味での偉大さだったのです。

 

Ⅵ.サムソン-人はうわべを見る

 

最後に登場するのはサムエルです。彼は最後の士師として、また、祭司として、預言者として偉大な神の働きをしました。聖書を見る限り、彼は非の打ちどころがないほど完璧な人物として描かれていますが、そんなサムエルでも弱点がなかったわけではありません。彼の弱さはどんなところであったかというと、うわべで人を判断するという点でした。それは彼がサウルに代わるイスラエルの王を立てるとき、エッサイの家に生きましたが、長男のエリアブを見たとき、「確かに、主の前で油注がれる者だ」と思い、そうしようとしましたが、主は、そうではないと仰せられました。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(Ⅰサムエル16:7)と仰せられたのです。それでエッサイはその弟アビナダブ、シャマと進ませましたが、彼らも主が選んでいる器ではありませんでした。主が選んでおられたのは七人兄弟の一番末の弟でダビデでした。彼はまだ小さく羊の世話をしていましたが、彼が連れて来られたとき、主は、彼に油を注げと言われたので、サムエルはダビデに油を注いで王としたのです。

 

このようにサムエルとて弱点はありましたが、それにもかかわらず、ここに信仰の勇者として彼が名を連ねているのは、そのような中にあってもイスラエルの民を終始信仰によって指導し、エルサレムの神殿がペリシテ人によって破壊され、イスラエルの中心であった神の箱が奪われても、弱り果てたイスラエルの心を奮起させようと必死に取り組んだからです。神の箱がペリシテ人のものになっても、神はなおもイスラエルの民とともにおられることを示し、それを取り戻した時にはそれを人里離れた遠いところに置き、イスラエルの民の心が神の箱にではなく、神ご自身に向けられるように指導しました。

 

このように、サムエルはイスラエルの民の心がいつも主に向けられるように指導しました。預言者として、神の命令に背き自分勝手な道を進もうとするイスラエルに神のことばを語り、主に従うようにと励ますことは大変だったと思いますが、それでも彼は忍耐して、その働きを全うしました。それは、彼が信仰によって歩んでいたからです。その信仰が評価されたのです。

 

このように、彼らは生きていた時代や背景も違い、また、性格もいろいろでしたが、どの時代、どのようなタイプの人であっても、共通していたのは、信仰によって生きていたということです。それはここに名を連ねている人もいれば、いない人もいます。そうした多くの人たちが含まれているのです。それが良い時であれ、悪い時であれ、彼らはひたすら神に信頼し、信仰によって生きたのです。

 

それは私たちにも求められていることです。私たちの置かれているこの時代は良い時か、悪い時か、良い時もあれば、悪い時もあるかもしれません。しかし、それがどんな時であっても、私たちもまた信仰によって生きていこうではありませんか。ですから、聖書は私たちにこう告げるのです。ヘブル人への手紙12章1節です。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

 

信仰の旅は、決してひとりぼっちではありません。あなただけがこの信仰の戦いをしているのではないのです。神に誠実を尽くした偉大な聖人たちや無名な信仰者たちが手本となって、私たちを励ましてくれています。彼らが今、天の御国にいることも私たちの励ましです。ですから、私たちも信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないで、神に従った人たちに背中を押されながら、信仰の歩みを続けていくことができるのです。

ヘブル11章30~31節 「いのちがけの信仰」

きょうは、「いのちがけの信仰」というテーマでお話します。このヘブル人への手紙11章には、信仰に生きた人たちのことが語られています。これまでアベルとエノク、ノアの信仰について、そして次にアブラハムとその子イサク、そしてその子ヤコブ、ヨセフの信仰が取り上げられました。そして前回はユダヤ人にとって最も偉大な存在であるといっても過言ではないでしょうモーセの信仰について語られました。きょうは、エジプトを脱出したイスラエルが約束の地に入るにあたって直面したエリコの城壁の陥落と、そのエリコに住んでいた遊女ラハブの信仰から学びたいと思います。

 

Ⅰ.みことばに従った人々(30)

 

まず30節をご覧ください。「信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。」

 

これはヨシュア記6章に出てくる内容です。エジプトを出たイスラエルは四十年にわたる荒野の旅をするわけですが、その後、モーセの次の指導者ヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り、約束の地に入ります。そこで彼らが最初にしなければならなかったことは、エリコの町を攻略することでした。このエリコという町はあの取税人ザアカイが住んでいた町として有名ですが、世界最古の町として知られています。現在はヨルダン川西岸にあるパレスチナ自治区にありますが、かつてこの町にはかなり強固な城壁が巡らされていました。考古学者の発掘によると、この町の城壁は高さが7m~9m、厚さが2m~4mもあったと言われています。そんな城壁が彼らの行く手にはそびえ立っていたのです。そして、彼らが約束の地に入って行くためには、その壁を突破していかなければなりませんでした。いったい彼らはどのようにして突破したのでしょうか。

 

ヨシュア記を見ると、それは常識では考えられない方法、アンビリーバボーな方法でした。それは、一日に1回七日間、七日目には七回城壁の回りを回り、ときの声を上げるというものでした。すると城壁はくずれ落ちました。すなわち、彼らは武力によってではなく、信仰によって攻略したのです。彼らが神のことばに従って行動したので、神が御業を成されたのです。もし、彼らが神のことばに従わなかったらどうだったでしょうか。城壁はずっとそこにそびえ立ったままで、約束の地に入って行くことはできなかったでしょう。しかし、彼らは神のことばを額面通りに受け入れ、それに従って行動したので、壁は崩れ落ちたのです。これが信仰の働きです。たとえそれが自分の理性を越えたことであっても、あるいは今まで全く経験したことがないことであっても、神が示されたことであればそれに従うこと、それが信仰なのです。信仰によって、神のことばに従うなら、どんなに強固な城壁でも崩れるのです。

 

あなたにはどのような城壁がありますか。自分の息子や娘のとの間に越えられない壁があるでしょうか。自分の親、兄弟との間に、あるいは、職場の同僚、上司との間に、友人、知人との間に人間的には超えることが不可能だと思えるような壁がありますか。しかし、それがどんな壁であっても、神は崩すことがおできになるのです。それは、あなたがだれかと相談したからではなく、あるいは、そのためにあなたが一生懸命に努力したからでもなく、ただ神のことばに従うなら、神がそれを崩してくださるのです。それはあなたが思い描いたような方法やタイミングではないかもしれません。けれども、神様は完全であって、その神の完全な時と方法によって最善に導いてくださるのです。ですから、私たちは神の最善を信じて、忍耐して祈り続けなければなりません。そうすれば、ちょうど良い時に神が働いてくださるのです。このようなことを、これまで私たちは何度か経験したことがあるのではないでしょうか。たとえば、これまでいくらイエス様のことを語ってもかたくなに受け入れようとしなかった人が急に心を開かれて信じるように導かれたとか、自分の力ではどうすることもできない問題が、不思議に解決したということが・・・。

 

ローマ人への手紙9章16節にはこうあります。「したがって、事は人間の願いや努力によるの ではなく、あわれんでくださる神によるのです。」

別に、人間の努力が必要ないと言っているのではありません。努力することに何の意味もないと言っているのでもないのです。けれども、私たちの人生には、自分の力ではどうすることもできないことがあるのです。しかし、神はおできになります。神にはどんなこともできるからです。その神に働いていたたくために私たちは自分を神に明け渡し、神が命じられたことに従わなければなりません。自分の思いや考えではなく、神のみことばに従わなければなりません。そうすれば必ず壁は崩れ、神の約束の実現に向かって大きく前進することができるのです。

 

Ⅱ.一致した信仰(30)

 

第二のことは、一致した信仰です。ここには、「信仰によって、人々が七日間エリコの城の周囲を回ると、その城壁は崩れ落ちました。」とあります。だれか特別な人の信仰によってではなく、人々が七日間エリコの城壁の周囲を回ることによって、人々の一致した信仰によって城壁は崩れたのです。

確かにそこにはヨシュアという強力なリーダーシップがあったのは事実ですが、ヨシュアのリーダーシップだけではなく、そのリーダーに従い、神のことばに従ったイスラエルの人々の一致した信仰があったので、エリコの町の城壁はくずれたのです。もしその中のだれかが、「そんなことしたって無駄だよ。崩れるはずがない。そんなの馬鹿げてる!」「くだらない。俺はそんなことをしている暇なんてない!」と言ったとしたらどうだったでしょうか。壁は依然としてそこにそびえ立っていたことでしょう。イスラエルの人々の一致した信仰がこのような神の御業を引き出したと言っても過言ではありません。

 

エペソ4章13節にはこうあります。「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」

神が私たちクリスチャンに求めておられることは信仰の一致と神の御子に関する知識の一致に達することです。人それぞれ考えが違います。しかし、その違いを信仰によって乗り越えなければなりません。自分がどう思うかではなく、神は何と言っておられるのかを聞かなければなりません。そして、神のみこころにおいて一致しなければならないのです。そうすることによって、私たちは完全におとなになって、キリストの御丈にまで達することができるからです。

 

ですから、あなたが霊的に成長したいと思うなら、成長してキリストのようになりたいと願うなら、キリストのからだである教会につながっていなければなりません。なぜなら、私たちはキリストのからだである教会の一員として召されているからです。いいえ、私は結構です、私は自分で聖書を読み、自分で祈り、自分で礼拝するので教会に行く必要はありません、ということがあったら、そういう人は真の意味でキリストの御丈にまで達することはできません。私たちがいくら自分で聖書を勉強しても、いくら信仰書を読んでも、どんなにセミナーに参加しても、私たちがキリストのからだである教会の一員として召されている以上、その中で養われ、育まれていかなければ、健全に成長していくことはできないからです。イエス様は、ふたりでも、三人でも、わたしの名によって集まるところに私もいると言われましたが、どんな小さな教会でも、キリストによって召された神の教会を通して、神はご自身の栄光を現してくださるのです。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところなのです。

 

ですから、霊的に完全なおとなになりたいと思うなら、神の教会につながって、そこでキリストの満ち満ちた身たけにまで達することを求めなければなりません。そこで信仰において一致するということが不可欠なのです。

 

ピリピ1章27節にはこうあります。「ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、」

 

福音のために心を一つにして共に奮闘しましょう。たとえそれが自分の思いや考えとは違っても、あるいは、自分がこれまで経験したことと違っていたとしても、クリスチャンは心を一つにすることが求められているのです。それがキリストの福音にふさわしい生活なのです。一人でぐるぐる回っていてもダメです。キリストのからだの一員として心を一つにして祈り、福音の前進のために助け合い、支え合って、ともに奮闘しなければなりません。その時、壁は崩れるのです。

 

日本にプロテスタントの宣教師が来て宣教を開始して160年が経ちますが、未だに1パーセントの壁を越えられないのはどうしてなのでしょうか?その要因はいろいろありますが、その中でも最も大きな要因はここにあるのではないかと思います。すなわち、キリストの福音のためにともに奮闘することです。それぞれが自分の考えがあるでしょう。けれども、キリストとその福音のために自分を捨てる覚悟がなければなりません。福音が全地に満ちるために自分の思いではなくイエス様の思いを持ち、イエス様の心を心として、イエス様のことばに従ってともに奮闘しなければなりません。それはこのヨシュアの時代のようにエリコの町を行進しなければならないということではないのです。それはその当時の、その状況の中で、神が示されたことであって、現代においても同じようにぐるぐると回れということではありません。回るか回らないかということではなく、神のことばに従って、福音のために心を一つにしなさいということなのです。

 

あなたも、この信仰の行進に招かれています。あなたも福音のために、心を一つにして、主の御名の栄光のために共に立ち上がろうではありませんか。それは信仰がなければでません。主よ、あなたが仰せになられることなら何でもします。どうか、この私を用いてくださいと、主の前に祈り求めるものでありたいと思います。

 

Ⅲ.いのちがけの信仰(31)

 

最後に、31節をご覧ください。ここには、遊女ラハブの信仰について語られています。

「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。」

 

イスラエルがこのエリコの町を占領し、そこに住んでいた人々を皆殺しにした時、遊女ラハブは助かりました。なぜでしょうか。それは彼女が、「偵察に来た人たちを穏やかに受け入れた」からです。これはヨシュア記2章にある出来事です。ヨシュアはこのエリコを攻略するにあたり、エリコの町を偵察するために二人の斥候を遣わしたのですが、彼らが向かったのがこのラハブの家でした。そのことがエリコの王の耳に入ると、エリコの王はこの二人を連れ出すためにラハブの家に人を送りました。その時ラハブはどうしたかというと、ふたりの斥候をかくまい、追って来た人に、「その人たちは確かにやって来ましたが、その人たちは、暗くなって、門が閉じられるころ、出て行きました。さあ、後を追ってごらんなさい。もしかすると、追いつけるかもしれません。」と言って、助けてあげたのです。

 

このとき、彼女には二つの選択肢がありました。彼らを受け入れる道と、拒む道です。もし彼女が自分たち家族の目先のことを考えたなら、拒んだ方が安全だったでしょう。けれども彼女はもう一つの道を選びました。それはかなり危険な道でもありました。もしそれが発覚したら、それこそ彼女と彼女の家族はエリコの町の敵として糾弾され、裁かれなければならなかったでしょう。場合によっては死刑にならないとも限りません。それでも彼女は、後者の道を選択しました。どうしてでしょうか。それは、彼女がイスラエルの神こそ唯一まことの神であることを知っていたからです。それを知った以上、この神に従い、この神を信じている人々と行動を共にすることが正しいことであると判断したからです。ヘブル書ではそれを「信仰によって」と表現しています。信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れたのです。その時のことを、ヨシュア記には次のようにあります。

 

「主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。あなたがたがエジプトから出て来られたとき、主があなたがたの前で、葦の海の水をからされたこと、また、あなたがたがヨルダン川の向こう側にいたエモリ人のふたりの王シホンとオグにされたこと、彼らを聖絶したことを、私たちは聞いているからです。私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。」(ヨシュア2:9-11)

 

そして彼女はさらにこう言いました。「どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。」(ヨシュア2:12)

このようにして、彼女は彼らを逃してやりました。彼女は自分のいのちがけで彼らをかくまい、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れたのです。ここでは、その信仰が称賛されているのです。

 

それにしても、このヘブル人への手紙11章には信仰に生きた人たちの名前が記されていますが、その中に彼女の名前が出ているのは不思議なことです。というのは、彼女はエリコの町に住んでいた異邦人で、しかも遊女だったからです。そのような女性が信仰の殿堂入りを果たすということなど考えられないことだからです。ここには17人の人たちの名前が出てきますが、そのうち15人が男性で、女性はたった2人しかいません。しかもそのうちの一人は、あの信仰の父と言われているアブラハムの妻サラです。アブラハムが信仰の父ならば、サラは信仰の母と言っても過言ではないでしょう。そういう女性ならわかりますが、ラハブはそれとは全く比べものにならない立場の女性です。そういう人がこの中に紹介されているというのは本当に首をかしげたくなります。しかも、このヘブル人の手紙はだれに書かれたのかというとユダヤ人クリスチャンに対して書かれました。当時迫害の中にあったユダヤ人クリスチャンがその信仰に堅く立ち続けるようにと励ますために書かれたのです。そしてユダヤ人の社会においては女性が称賛されることはまずありません。ですから、ここに異邦人の、しかも女性が称賛されていることは驚くべきことなのです。しかし、どのような身分、立場であっても、神のことばを聞いて生けるまことの神を信じ、いのちがけで主に仕えるなら、だれでも信仰の殿堂入りを果たすことができるということがわかります。彼女はこの信仰によって称賛されたのです。

 

このラハブの信仰でも際立っている言葉は、ヨシュア記2章21節のことばではないかと思います。それは、「おことばどおりにいたしましょう。」という言葉です。ふたりの斥候が、イスラエルが城壁を破壊してエリコの町に入って来たときには、それがラハブの家であることがわかるように、彼らを吊り降ろした窓に赤いひもを結び付けておくように、そして家族の者は全部、家の中にいるように、もし戸口から外に出るものがあれば、その者はこの誓いから外れる、また、このことをだれかにしゃべってもならないと言うと、彼女は、「おことばどおりにいたしましょう。」と答えたのです。

 

この言葉は、かつてイエス様の母マリヤも発した言葉です。御使いガブリエルがやって来て彼女に救い主の母になると告げられたとき、「どうしてそのようなことがこの身になるでしょう」と戸惑っていると、御使いが、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカ1:35)と告げました。するし彼女はこう言うのです。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)このようにしてマリヤは、救い主の母となったのです。

 

ここに登場しているラハブも同じです。彼女もふたりの斥候から告げられると、「おことばどおりにいたしましょう。」と言ってすべてを主にゆだねました。いいえ、そればかりではなく、この信仰によって彼女は救い主の系図の中に加えられたのです。その後、彼女はユダ族のサルモンという人と結婚しボアズを出産します。このボアズはルツと結婚し、あの有名なダビデ王の祖父オベデを生みます。そしてこの子孫から救い主イエスが誕生するのです。すなわち、ラハブが救い主の系図の中に加えられているということです。あり得ないことです。異邦人の、しかも女性で、売春婦であった人が救い主の系図に入っているなんて考えられないことです。しかし、救い主の系図の中に彼女の名前がちゃっかりと記録されているのです。マタイの福音書1章を見るとわかります。ここには四人の女性の名前が記されてありますが、大半は異邦人の女性です。タマル、ルツ、ラハブです。そしてもう一人がイエスの母マリヤですね。たとえ異邦人であっても、ラハブのようないのちがけの信仰があるなら、私たちも救いの中に招き入れられるだけでなく、偉大な信仰の勇者としてその名が神の記憶の中に刻み込まれるのです。

 

私は先週まで中国を訪問しましたが、ラハブのようにいのちがけで主に従っているクリスチャンとお会いし、本当に驚きとともに励まされて帰ってきました。この老姉妹はC先生といって、Oさんの教会の創設者の奥様で、家の教会の指導者のひとりです。現在87歳になられアルツハイマーで入院しておられるので、病院を訪問してお話しを伺いました。C先生が神学校を卒業した1950年頃でしたが、その頃は毛沢東による文化大革命が始まろうとしていた頃でした。神学校を卒業して南の島に赴任したその日にご主人は捕らえられ投獄されました。「さぞお辛かったことでしょう。その時どんなお気持ちでしたか。」とお尋ねすると、C先生はこう言われました。「イエスの弟子にとって苦しみを受けることは当たり前のことです。神学校で学んだ一つのことは、キリストの弟子は苦しみを受けるということです。その苦しみを呑み込むことでイエス様の弟子に加えられると思うと、むしろそれは光栄なことでした。」と言われました。ご主人が何度も捕らえられる中、家族を支えるために羊の世話からいろいろな仕事をしなければなりませんでしたが、イエス様の十字架の苦しみに比べたら、それはたやすいことだと思いました。ものすごい信仰です。

やがてC先生御夫妻はK市に移り、そこで家の教会を始めます。最初は6畳と台所、それに2階を足したような小さな家で始めましたがそこに入りきれなくなると、近くのマンションに移り礼拝を始めました。それがこの写真です。そこも入り切れなくなると政府と交渉してK市の北部のお墓の跡地に教会を建てる許可を受けました。それがこの会堂です。このように中国の家の教会が会堂を持つことは非常に珍しいことで、ほとんどは政府の圧力によって閉鎖に追い込まれますが、この教会は神様の奇跡的なご介入によって今も立ち続けています。しかし、もっとすごいのは、そこに脈々と流れ続けているキリストのいのちです。

 

これは私たちが中国に到着した日に空港からまっすぐ向かった家の教会です。私たちが来るということで、この家のご夫妻が美味しい中華料理を作ってもてなしてくださいました。この方は農家の方でそんなに裕福ではないように見えますが、私たちのために自分たちにできる最高のおもてなしをしてくださいました。

夜の集会はここでやるのかと思ったらそうではなく歩いて3分くらいの別の場所でやるということで移動しましたが、私たちは外国人ということもあり、教会が海外の教会とつながりがあることが判明すると危害が加えられる恐れがあるということで、万が一のことを考えて小さな車に乗せられて移動しました。

そこは石作りの倉庫のようなところで150人くらい入れるくらいのスペースがありました。この集会はこの家の御夫妻が30年前から5人で始められてずっと続けられてきた集会でした。これまでどれほどの危険を乗り越えてこられたかわかりませんが、そのようなことは微塵も感じさせないほどの喜びが満ち溢れていました。集会の合間にこのようにお茶をついでくれでもてなしてくださいました。

集会は7時から始まって9時まで続き、最初に祈りと賛美を30分くらいした後で、5人の人が使徒の働き8章26節から39節のみことばから教えられたことを証し、最後に長老がまとめるというものでした。そして 主の祈りをして解散しましたが、そこには生ける主が臨在しているかのようでした。

この家の集会では火曜日の夜の他に日曜日の午後、木曜日の夜にも集会が行われていて、その他は総教会で行われている日曜日の礼拝と水曜日の祈祷会、土曜日の夜の福音集会に参加しているため、週に5回は集会に参加しているとのことでした。ほとんどイエス様を中心とした生活をしているとのことでした。

 

木曜日の夜は、街の中で持たれている家の教会の集会に参加しました。それはマンションで行われていましたが、どうやって狭いマンションで集会が持てるのかと不思議に思っていましたが、実際に行ってみてわかりました。中が広いのです。日本のマンションと比べたら倍くらいの広さがありありました。50人くらいが座れるスペースです。また建物もしっかりしていて音が隣に漏れることもないようでした。これがこのマンションの持ち主です。そして、こんな感じで集会が持たれていました。内容は火曜日に訪れた集会とほとんど同じです。この日はヘブル11章23節から28節までのみことばからの説明や証が続きましたが、この箇所は、私が中国に来る前に説教した箇所でもあったのでよく覚えていましたが、私よりもずっとよく聖書をよく読んでいるなぁと感心しました。

 

そして、土曜日の夜は福音集会といって、新しい人たちのための集会がありました。それもすべて役員を中心とした信徒たちによって導かれた集会でした。祈りと賛美の後で4人の方々が福音について15分くらいずついろいろな角度から説明したり、証をしたりしました。集会の最後に今晩イエス様を信じたい人は最後の賛美歌を歌っている時に立ってくださいと促されると、40人くらいの人が立ち上がりました。これが毎週土曜日に行われているのです。単純に計算しても月に百人くらい、一年で五百人くらいの人たちが救われることになります。

 

これは日曜日の礼拝の様子です。礼拝堂に八百人くらいの座席がありますがそこは一杯で、その他のスペースに椅子が並べられ、モニターで礼拝していました。おそらく千五百人くらいの人が集っていたのではないかと思います。

 

いったいどうしてこのようなことが起こっているのでしょうか。勿論、これらのことはすべて神の御業なのです。しかし、いのちをかけて主に従ったC先生御夫妻の信仰に主が働かれ、御力を現してくだったからです。

 

しかし、それは中国だけのことでありません。私たちも信仰によって神のことばにいのちかけで従うなら、同じような事が起こると信じます。それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできるからです。しかし、そのためには私たちを完全に神に明け渡さなければなりません。私たちがどう思うかではなく、神がどのように思われるか、その神のみこころを知り、みこころに従わなければなりません。そうすれば、堅く閉ざされたエリコの城壁が崩れ落ちたように、この日本を覆っている霊的な壁は必ず崩れ落ちるのです。そして、ラハブが救い主の系図の中に記録されたように神のすばらしい祝福の中へと招き入れられるのです。

 

あなたはラハブのような覚悟がありますか。もし見つかれば自分のいのちの保証はないという危険の中でもいのちがけで主に従っていくという覚悟ができているでしょうか。神が喜ばれることは私たちが何をするかではなく、死に至るまで忠実であるということです。いのちがけで主に従いましょう。そして、主がなしてくださる御業を待ち望もうではありませんか。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。

申命記21章

 

 きょうは、申命記21章から学びます。まず1節から9節までをご覧ください。

 

 1.だれが殺したのかわからないとき(1-9

 

「あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられる地で、刺し殺されて野に倒れている人が見つかり、だれが殺したのかわからないときは、あなたの長老たちとさばきつかさたちは出て行って、刺し殺された者の回りの町々への距離を測りなさい。そして、刺し殺された者に最も近い町がわかれば、その町の長老たちは、まだ使役されず、まだくびきを負って引いたことのない群れのうちの雌の子牛を取り、その町の長老たちは、その雌の子牛を、まだ耕されたことも種を蒔かれたこともない、いつも水の流れている谷へ連れて下り、その谷で雌の子牛の首を折りなさい。そこでレビ族の祭司たちが進み出なさい。彼らは、あなたの神、主が、ご自身に仕えさせ、また主の御名によって祝福を宣言するために選ばれた者であり、どんな争いも、どんな暴行事件も、彼らの判決によるからである。刺し殺された者に最も近い、その町の長老たちはみな、谷で首を折られた雌の子牛の上で手を洗い、証言して言いなさい。「私たちの手は、この血を流さず、私たちの目はそれを見なかった。主よ。あなたが贖い出された御民イスラエルをお赦しください。罪のない者の血を流す罪を、御民イスラエルのうちに負わせないでください。」彼らは血の罪を赦される。あなたは、罪のない者の血を流す罪をあなたがたのうちから除き去らなければならない。主が正しいと見られることをあなたは行なわなければならないからである。」

 

1)罪に対する責任(1-5

ここには、イスラエルの民が約束の地に入ったとき、そこで殺人事件が起こるも、だれが殺したのかわからないときどうしたらよいかにいて教えられています。その場合、その死体から一番近い町が、一時的な責任を負わなければなりませんでした。その長老たちは、まだくびきを負ったことがない雌の子牛を連れて来て、その雌の子牛を、まだ耕されたことも種を蒔かれたこともない、いつも水が流れている谷へ連れて行き、そこで首を折らなければなりませんでした。いったいなぜそのようなことが必要だったのでしょうか。

それは、一人の犯した罪に対して、その個人だけでなく、イスラエル全体がその責任を負わなければならなかったからです。罪を犯した人は勿論のこと、他の人にも、その罪に対する責任がないとは言えません。その罪に対する責任を痛感することが必要なのです。これが罪の処理における最初のステップです。

 

今年は戦後71年を迎えますが、この71年はいったいどのような時だったのでしょうか。それはちょうどイスラエルがバビロンに捕らえられて70年を過ごしたような、捕らわれの時だったのではないかと思うのです。勿論、主イエスによって罪から救われ罪の束縛から解放していただきましたが、戦時中にクリスチャンが犯した罪に対しては本当の意味で悔い改めがなされてこなかったのではないかと思います。それはあくまでもその時代に生きていたクリスチャンの責任であり、彼らが悔い改めなければならないことではありますが、それは彼らだけのことではなく、私たちの責任でもあるのです。

それは、たとえばネヘミヤ記1章に出てくる彼の祈りを見てもわかります。彼はエルサレムの惨状を耳にしたとき神の前にひれ伏してこう祈りました。

「どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も父の家も罪を犯しました。・・」(ネヘミヤ1:6-11

ネヘミヤはイスラエルの罪を自分の罪として告白して悔い改めました。それは先祖たちが勝手に犯した罪であって自分とは関係ないこととして考えていたのではなく、自分のこととして受け止めて悔い改めたのです。

この箇所で教えられていることも同じで、それはだれが犯したのかわからなくても、それを自分の罪として、自分たち全体の問題として受け止めなければならないということなのです。

 

そればかりではありません。6節から9節までをご覧ください。ここには、その罪の贖いのために

まだ使役されず、まだくびきを負って引いたことのない群れのうち雌の子牛を取って、まだ多賀谷貸されたことも種を蒔かれたこともない、きれいな水の流れている谷へ連れて行き、そこでほふるようにと教えられています。何のためでしょうか。その罪を贖うためです。だれが殺したのかわからない罪であってもそれを自分のこととして受け止め、贖罪がなされなければなりませんでした。そのとき彼らは、自分たちがその血を流さなかったことを証言し、罪の赦しを祈りました。そのようにすることによって罪が赦されたのです。

 

これはやがて完全な神の御子イエス・キリストの贖いを示すものでした。イエス様が私たちの罪の身代わりとして十字架で死んでくださったので、その流された血によって私たちのすべての罪を赦してくださったのです。ですから、罪が赦されるためには神の小羊であられるイエス・キリストを信じなければなりません。あなたがイエス様を信じるなら、あなたのすべての罪は赦され、雪のように白くされるのです。そのようにしてイスラエルから罪を除き去らなければなりませんでした。そのようにして私たちも、私たちの群れから罪や汚れを除き去らなければならないのです。

 

Ⅱ.健全な家庭生活(10-21

 

次に10節から21節までをご覧ください。10節から14節には次のようにあります。

「あなたが敵との戦いに出て、あなたの神、主が、その敵をあなたの手に渡し、あなたがそれを捕虜として捕えて行くとき、その捕虜の中に、姿の美しい女性を見、その女を恋い慕い、妻にめとろうとするなら、その女をあなたの家に連れて行きなさい。女は髪をそり、爪を切り、捕虜の着物を脱ぎ、あなたの家にいて、自分の父と母のため、一か月の間、泣き悲しまなければならない。その後、あなたは彼女のところにはいり、彼女の夫となることができる。彼女はあなたの妻となる。もしあなたが彼女を好まなくなったなら、彼女を自由の身にしなさい。決して金で売ってはならない。あなたは、すでに彼女を意のままにしたのであるから、彼女を奴隷として扱ってはならない。」

 

ここには、イスラエルの兵士が戦争中捕虜の中に美しい女性を見つけ、その女性と結婚したいと思うなら、その女を自分の家に連れて行き、そこで女は髪をそり、爪を切って、自分の父と母のために、一か月の間、泣き悲しまなければならないとあります。その後で、彼は彼女のところに入り、彼女と結婚することができました。どうしてでしょうか。それは、たとえ捕虜であってもその女性の人格を尊重し、彼女の悲しみや憂いを大切に取り扱わなければならなかったからです。また、そのようにすることによって、イスラエルの道徳的純潔を守らなければならなかったからです。兵士が心から願うなら、そのような手続きを踏まなければなりませんでした。この1か月の間、女性が感情的な問題を解決し、同時に兵士が、この結婚をより真剣に考える機会としたのです。それが健全な家庭の基礎となるからです。

 

ですから、結婚して嫌になったからと言って簡単に離婚することは許されませんでした。もし離婚したい時には、彼女を自由の身にしなければなりませんでした。決して金で売ってはならないし、彼女を奴隷として扱ってはいけませんでした。なぜなら、彼女はすでに彼によってはずかしめられたからです。それほど彼は結婚について慎重に祈り求める必要があったのです。

 

そればかりではありません。次に15節から17節をご覧ください。

「ある人がふたりの妻を持ち、ひとりは愛され、ひとりはきらわれており、愛されている者も、きらわれている者も、その人に男の子を産み、長子はきらわれている妻の子である場合、その人が自分の息子たちに財産を譲る日に、長子である、そのきらわれている者の子をさしおいて、愛されている者の子を長子として扱うことはできない。きらわれている妻の子を長子として認め、自分の全財産の中から、二倍の分け前を彼に与えなければならない。彼は、その人の力の初めであるから、長子の権利は、彼のものである」

 

聖書は一貫して一夫一婦制を原則としています。一夫多妻制にはいろいろな問題が生じます。ある妻は夫からの愛情を十分に受け、一方の妻はそうでなければ、そこには憎しみが生じます。そればかりではなく、その憎まれている妻から長男が生まれれば、問題は一層複雑になります。というのは、当時、長子は二倍の遺産を受け継ぐことになっていたからです。けれども、父親というのは、自分が愛した妻から生まれた長男に、より多くの愛情を注ぎたくなるものです。この問題は、遺産相続の時に、より一層露骨に現われます。しかし、この問題に対して神は、感情にとらわれず、憎まれている妻が生んだ長子であっても原則を守るようにと、みことばをもって明らかにしてくださいました。私たちの家庭生活においても、私たちの感情ではなく、神のみことばに従うことが優先されなければならないのです。

 

Ⅲ.厳しい警告(18-23

 

次に18節から21節までをご覧ください。

「かたくなで、逆らう子がおり、父の言うことも、母の言うことも聞かず、父母に懲らしめられても、父母に従わないときは、その父と母は、彼を捕え、町の門にいる町の長老たちのところへその子を連れて行き、町の長老たちに、「私たちのこの息子は、かたくなで、逆らいます。私たちの言うことを聞きません。放蕩して、大酒飲みです。」と言いなさい。町の人はみな、彼を石で打ちなさい。彼は死ななければならない。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。イスラエルがみな、聞いて恐れるために。」

 

ここには、かたくなで、両親に逆らう子に対してどのように対処すべきかが教えられています。その場合は、両親は彼を捕まえて、町の長老たちの所へ連れて行き、「私たちの息子は放蕩して、大酒のみです。」と言わなければなりませんでした。両親が扱うことができないことを認め、特別な対処を求めたのです。するとその息子は、町の長老たちから裁きを受けました。そして、町人たちはみな、彼に向かって石を投げ、死刑にしたのです。

 

何と恐ろしいことでしょうか。両親に逆らったくらいで石投げにされるというのではたまったものではありません。いったいこれはどういうことなのでしょうか。それは、このように一つの家庭で起こっていることはその家庭の問題だけでなく、イスラエルの共同体全体の問題として扱われたからです。彼が両親に逆らう息子であることが証明されたなら、彼は死ななければなりませんでした。それは神に対する罪でもあったからです。なぜなら、聖書には、「あなたの父と母を敬え」(申命記5:16)とあるからです。父母に対する反逆は殺人の罪と同じくらい怖い罪なのです。

 

今日、この神の命令をないがしろにされています。子供は親の言うことなど聞こうともしません。子供が親に従うのではなく、親が子供に従うというような逆転した状態になっています。やりたい放題で、歯止めが利かなくなっています。その結果、社会全体がおかくなっています。そのようなことはふさわしいことではありません。子どもを愛することと、子供に好きなようにされるのは全く違います。親は神のみこころを知り、子どもを訓練し、愛して、しつけなければなりません。そのようにしてイスラエルの中から悪を除き去らなければならないのです。それは、イスラエルがみな、聞いて恐れるためです。このような断固とした対応が、イスラエル全体の聖さを保つことになるのです。

 

最後に22節、23節を見て終わりたいと思います。

「もし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがこれを木につるすときは、その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木につるされた者は、神にのろわれた者だからである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地を汚してはならない。」

 

ここでは、死刑にされた人のその死体に取り扱いについて語られています。死刑になった者の死体は、しばらくの間、木の上につるして置かなければなりませんでした。それは、その死体を見ることによって罪を畏れるようにするためです。聖書は、私たちに、罪と罪の本質について生々しい結果を見せてくれています。私たちは自ら犯した罪が、どのくらい醜いものであるのか、覚えなければなりません。罪が人をどれほど悲惨にさせるのか、私たちはいくらでも見ることができます。これらすべてのものは、私たちに対する厳しい神の警告でもあります。私たちは、罪を軽々しく考えてはならないのです。

 

ところで、パウロはこのみことばを引用して、イエス様が、この神ののろいを受けてくださったことを語っています。

「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである。』と書いてあるからです。」(ガラテヤ3:13

いったいなぜキリストは神にのろわれたものとなって十字架で死なれたのでしょうか。それは、私たちのためでした。私たちは神にそむき、父母にそむき、自分勝手に生きるものでした。その結果、木につるされなければならなかったのです。それを見れば私たちがいかに醜いものであり、汚れた者であったかがわかります。しかし、イエス様はその汚れてのすべてを身代わりに受けて死んでくださいました。神ののろいとなってくださったのです。私たちは、このキリストにあって罪の贖い、永遠のいのちを受けることができました。であれば、私たちは律法によって義と認められようとする愚かなことがあってはなりません。御霊で始まった私たちの救いを、肉によって完成させるようなことがあってはならないのです。

 

このような真理をどのように理解し、受け止めているかが大切です。私たちも時として御霊で始められた救いを肉によって完成してようとしていることがあるのではないでしょうか。ペテロは、異邦人コルネリオをなかなか受け入れることができませんでした。しかし、夢を通して、「神が聖めたものをけがれていると言ってはならない。」日と示され、やっと受け入れることができました。それはペンテコステから約10年が経過してのことです。私たちに求められていることは、御霊によって始められた救いのわざを、御霊によって完成していくこと、すなわち、福音の正しい理解に立って、その中を生きることなのです。

ヘブル11章23~28節 「信仰によって選択する」

きょうは、信仰によって選択する、というテーマでお話します。私たちは、日々の生活の中でいろいろなことを選択しながら生きています。それは、毎日起こる小さなことから、人生における重大な決断に至るまで様々です。そして、「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)とあるように、どのように選択するかによって、その結果がきまりますから、どのような選択をするのかということは極めて重要なことなのです。

 

きょうの箇所に出てくるモーセは、まさに信仰によって選択した人と言えるでしょう。いったい彼は、どのように選択したのでしようか。きょうは、このモーセの選択からご一緒に学びたいと思います。

 

Ⅰ.信仰によって見る(23)

 

まず23節をご覧ください。「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。」

 

ここにはモーセの信仰ではなく、モーセの両親の信仰について記されてあります。モーセの両親については出エジプト記6章20節に言及されていますが、父親の名前はアムラムで、母はヨケベテです。彼女はアロンとモーセを産みましたが、モーセが生まれた時、大変な時を迎えていました。イスラエル人は多産で、おびただしくふえ、すこぶる強くなって、エジプト全土に満ちたとき、エジプトの王パロはこのことを恐れ、これ以上イスラエル人が増えないようにと、イスラエル人に赤ちゃんが生まれたら、それが男の子であれば皆殺しにするようにと命じられていたからです。そのような時にモーセが生まれました。さあ、どうしたらいいでしょう。モーセの両親は、モーセが殺されないようにと、三か月間隠しておきました。どうしてでしょうか。それは、「彼らはその子の美しいのを見たからです。」生まれたての赤ちゃんはだれの目にもかわいいものです。特に、お腹を痛めて産んだ母親にとってはかけがえのない宝物で、いのちそのものと言えるでしょう。よく自分の子どもは目の中に入れても痛くないと言われますが、それほどかわいいものです。しかし、生まれたての赤ちゃんをよく見ると、そんなにかわいくもないのです。顔はしわだらけで、毛もじゃらで、お世辞にも美しいとは言えません。それなのに、モーセの両親はその子の美しいのを見たのです。これはどういう意味でしょうか。それは客観的に見てどうかということではなく、彼らが信仰によって見ていたからということなのです。ここで注意しなければならないのは、モーセの両親は、信仰によって、モーセの美しさを見た、ということです。

 

このことは使徒7章20節にも言及されていて、それはステパノの説教ですが、そこでステパノはこう言っています。「このようなときに、モーセが生まれたのです。彼は神の目にかなった、かわいらしい子で、三か月間、父の家で育てられましたが、」ここでステパノはただかわいいと言っているのではありません。神の目にかなったかわいい子と言っているのです。つまり、それは神の目にかなった美しさであったということです。人間の客観的な目から見たらどうかなぁ、と思えるような子でも、神の目から見たら、かわいい子であったということなのです。これが信仰によって見るということです。このような目が私たちにも求められているのではないでしょうか。

 

あなたの目に、あなたの子どもはどのように写っているでしょうか。小さいうちはかわいかったのに、大きくなったら全然かわいくないという親の声を聞くことがありますが、どんなに大きくなっても神の目にかなった美しい子として見ていく目が必要なのです。うちの子はきかんぼうで、落ち着きがなくて、駄々ばかりこねて、かんしゃく持ちなんですと、見ているとしたら、それは不信仰だと言わざるを得ません。もし、あたなに信仰があるならば、神の目で子どもを見ていかなければなりません。表面的に見たらほんとうにかたくなで、問題児のように見える子でも、神の目から見たらそうではないからです。神の目から見たらほんとうに美しい子どもなのです。そのように信仰によって我が子を見ていかなければならないのです。

 

それは自分の子どもに限らず、だれであっても同じです。あなたがあなたの隣人を見るとき、あるいは、あなたの接するすべての人間関係の中で、このような目を持ってみることが必要なのであります。相手に多少欠点があっても、このような目で見ていくなら、そこにさながら天国のような麗しい関係がもたらされることでしょう。

 

それは、その後モーセがどのようになったかを見ればわかります。モーセは守られました。そして、やがてイスラエルをエジプトから救い出すためのリーダーとして用いられていくのです。同じように、あなたが信仰によって子どもを見るなら、やがて神に用いられる、偉大な神の人になるでしょう。そのままでは滅びてしまうかもしれません。けれども、信仰によって見ていくなら、決して滅びることなく必ず神に守られる人になるのです。

 

Ⅱ.はかない罪の楽しみよりも、永遠の楽しみを(24-26)

 

次に24~26節までをご覧ください。

「信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。」

 

本来であれば、ヘブル人の赤ちゃんは皆殺されなければなりませんでしたが、神の奇跡的な御業とご計画によって彼は助け出されただけでなく、何とパロの娘に拾われ、エジプトの王宮で王子として育てられました。ですから、モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。しかし、彼が成人した時、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。これはどういうことでしょうか?これは、「養母を拒んだ」ということではありません。「パロの娘の子」というのは一つの肩書であり、タイトルなのであって、つまり、モーセはエジプトのパロの後継者、エジプトの王子としての地位や名誉を捨ててということです。今日で言えば、皇太子が天皇陛下になることを拒むようなものです。まして当時エジプトは世界最強の国でした。世界最強のトップとしての地位や名誉を捨てたということは、この世の栄光を拒んだと言っても過言ではないでしょう。この世の富、この世の地位、この世の名誉といったものを拒み、神の民とともに苦しむことを選び取ったのです。その道とは信仰の道のことであり、苦難の道のことです。というのは、主に従うところには必ず苦しみが伴うからです。イエス様はこう言われました。

「あなたがたは、世にあっては患難があります。」(ヨハネ16:33)

また、Ⅱテモテ3章12節のところで、パウロもこのように言っています。

「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」

ですから、神の民として生きる道には苦しみが伴いますが、モーセはこの道を選び取ました。なぜでしょうか。

 

26節には、その理由が記されてあります。「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったからです。」とあります

モーセは、たとえそれが世界のすべてを手に入れるような栄光であったとしてもそんなものは、はかないと思ったからです。むしろ、キリストによって受ける報いはそれとは比較にならないほどの大きな富だと思いました。ここではこの世のはかない富とキリストによって受ける報いが天秤にかけられています。そして、キリストによってもたらされる天国での報いは、パロの娘の子として受けるこの世の罪の楽しみよりもはるかに重いと判断したのです。この「はかんない」という言葉は、Ⅱコリント4章18節では「一時的」と訳されています。この世の富は一時的なもので、はかないものなのです。エジプトの栄光は人間の目で見たらものすごく魅力的に見えますが、それは一時的で、はかないものにすぎません。永遠に続くものではないのです。今が楽しくて、永遠に苦しむのか、今は苦しくても、永遠を楽しむのか、その選択を間違えてはなりません。

 

イエスさまはこのように言われました。「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ7:13-14)

 

オランダにコーリー・テンブームという世界的に有名な婦人がいました。彼女は第二次世界大戦のとき、彼女の家族がユダヤ人をかくまったという 理由でドイツの収容所に入れられ、家族は拷問に耐え切れず収容所で死にましたが、彼女は九死に一生を得て国に帰ると、そこで神学を学び、献身して世界中を周って神の愛を語るようになりましたが、彼女はこのように言っています。

「私は33年間、イエス様のことを64か国で語り告げてきましたが、その間たった一度も、イエス様に助けを求めて後悔したという人と会ったことがありません。」

これはものすごいことではないでしょうか。それこそ確かなものなのです。

 

エクアドルのアウカ族に伝道した宣教師のジム・エリオットは、1956年にアウカ族の槍によっていのちを奪われました。28歳の時です。それゆえ、彼はジャングルの殉教者とも言われていますが、彼が22歳の時に書いた日記にこういうことばが残されていました。

「失ってはならないものを得るために、持ち続けることができないものを捨てる人は賢いな人である。」

私たちも賢い人にさせていただきたいですね。モーセのように失ってはならないもののために、自分の手の中にあるものを喜んで手放す者でありたいと思います。

 

Ⅲ.信仰によって前進する(27)

 

次に27節をご覧ください。ここには、「信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。」とあります。これは、モーセがエジプト人を打ち殺した後にそのことがエジプトの王にばれたのではないかと恐れ、ミデヤンの地に逃れたことを語っています。出エジプト記を見る限りは、彼がエジプトを出たのはエジプトの王パロが彼のいのちをねらっていたので、そのことを恐れて出て行ったとあるのに対して、ここでは、モーセは、王の怒りを恐れないで出て行ったとあるので、矛盾しているように感じます。しかし、これは決して矛盾しているわけではありません。確かにモーセはエジプトの王が自分のいのちをねらっているのを知って恐れました。しかし、モーセがエジプトの地からミデヤンの地へ行ったのは、ただ恐れから逃げて行ったのではありません。そのことをここでは何と言っているかというと、「信仰によって」と言われています。それは信仰によってのことだったのです。彼は信仰によって、エジプトを立ち去ったのです。なぜそのように言えるのかというと、その後のところにこうあるからです。「目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。」現代訳聖書では、こう説明しています。「まるで目に見えない神がすぐそばにいてくださるかのように前進した。」モーセは、ただ恐れてエジプトから出て行ったのではなく、まるで目に見えない神がすぐそばにいてくださるかのようにして前進して行ったのです。

 

皆さん、私たちが信仰によって進路を選択する場合、恐れが全くないわけではありません。ほんとうにこの選択は正しかったのだろうか、この先いったいどうなってしまうのだろうか・・そう考えると不安になってしまいます。しかし、信仰によって神を仰ぎ決断するなら、もう恐れや不安はありません。なぜなら、神が最善に導いてくださるからです。問題は何を選択するかということではなく、どのようにして選択したかということです。もし信仰によって選択したのであれば、たとえ火の中、水の中、そこに主がともにいてくださるのですから、何も恐れる必要がないのです。

 

最初は自分の弱さを知って尻込みしたモーセでしたが、神から強められ偉大な指導者としてイスラエルを導くために、再びこのエジプトに戻って来ることになりました。いったいだれがそのような神のご計画を考えることができたでしょうか。これが神の御業なのです。だから、これから先どうなるだろうかと心配したり、このように進んで大丈夫だろうかと恐れたりする必要はありません。最も重要なことは、どのようにして決断したかということです。信仰によって決断したのなら、主が最後まで導いてくださいます。それが結婚や就職といった人生を大きく左右するような選択であればあるほど私たちは本当に悩むものですが、そのベースにあることは信仰によって選択するということです。

 

ここには、モーセが「王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。」とあります。私たちが何かを選択するときに問題となるのは、他の人にどう思われるか、何と言われるかということを恐れてしまうことです。しかし、人を恐れるとわなにかかると聖書にあります。しかし、主を恐れるものは守られるのです。モーセは、エジプトの王がどんなに怒っても、王宮の人たちからどのように思われようとも、そのようなことを恐れないで主に従いました。それが信仰によってということです。

 

もしかしたらそのことで他の人の怒りをかってしまうかもしれません。あるいは、変な人だと思われるかもしれない。そして、その人との関係も失うことになってしまうかもしれません。でも恐れないでください。信仰によって選択し、主に従って行くなら、主はあなたの人生にも、あなたが想像することができないような偉大な御業をなしてくださるのです。

 

Ⅳ.信仰によって、キリストを受け入れる(28)

 

第四のことは、信仰によって、キリストを救い主として信じ受け入れるということです。28節をご覧ください。

「信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行いました。」

これは、過越しの出来事を指しています。イスラエルがエジプトを出る時、神はイスラエルの民をエジプトから救い出するため、指導者であったモーセをエジプトの王の所に遣わし、イスラエルの民を行かせるように言うのですが、エジプトの王はどこまでもかたくなで、なかなか行かせようとしませんでした。それで神は十の災いのうち最後の災いとして、エジプト中の初子を殺すと仰せられたのです。ただし、イスラエルの民は傷のない小羊をほふり、その血を自分の家の入口の二本の柱とかもいとに塗っておくように、そうすれば主のさばきはその家を過ぎ越し、その中にいる人たちは助かったのでした。こうして彼らはエジプトを出ることができたのです。

 

これはどんなことを表していたかというと、神の小羊であるイエス・キリストの十字架の血を心に塗ること、すなわち、キリストを救い主として信じて心に受け入れることです。あなたがキリストを信じて受け入れるなら、神のさばきはあなたを過ぎ越して、滅ぼす者の手から救われるのです。キリストはこう言われました。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)

 

ユダヤ人哲学者のマルチン・ブーマーは、「人生には出会いで決まる」と言いました。人生には大切な出会いがたくさんありますが、その中で最も大切な出会いは、イエス・キリストとの出会いです。なぜなら、それによってあなたの永遠が決まるからです。あなたがイエスを主と告白するなら、

あなたが信仰によってイエスをあなたの人生の主として受け入れるなら、あなたも永遠のいのちを受けるのです。

 

Ⅴ.信仰によってバプテスマを受ける(29)

 

最後に、29節をご覧ください。ここには、「信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました。」とあります。これは何のことかというと、イスラエルがエジプトを出た後、追って来たエジプト軍から逃れようと、紅海を渡った出来事です。紅海が真っ二つに分かれ、その乾いた陸地を通って救われました。しかし、エジプト人も同じようにしましたが、彼らはその上に水がおおい、おぼれて死んでしまいました。

 

この出来事はいったいどんなことを表していたのでしょうか。Ⅰコリント10章2節には、「そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受け、」(Ⅰコリント10:2)をご覧ください。パウロはここで、それはモーセにつくバプテスマを受けたと言っています。ですから、あの紅海での出来事は、モーセにつくバプテスマのことだったのです。

 

バプテスマということばは「浸る」という意味のことばですが、浸るということで一つになること、一体化することを表しています。ですから、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるというのは、イエス・キリストと一つとなること、一体化することを表しています。きょうこの後でM姉のバプテスマ式が行われますが、それは何を表しているのかというと、イエス様と一つになることです。イエス様が十字架で死んだように自我に死に、イエス様が三日目に死からよみがえられたように、キリストの復活のいのちに生きることです。このようにしてキリストと一つにされ、まことの神の民として、約束の地を目指して進んでいかなければならないのです。

 

ですから、ここでイスラエルの民が紅海を渡って行ったというのは、そこで古いものを、自分の古い罪の性質を水の中に捨てて、そこから出て、神が導いてくださるところの新しい地に向かって進んで行ったということなのです。イエス・キリストとともに十字架につけられ、自分の罪はすべて葬られ古い自分はそこで死に、水から出てくる時には新しいいのちに、キリストとともに復活するのです。その信仰を表明するのがバプテスマ式です。イスラエルがエジプトを出て、古い性質を紅海に捨て、新しい地に向かって行ったように、私たちも古い性質をバプテスマのうちに捨て去り、イエス様とともに新しい性質を来て、そこから新しい地を目指し、新しい地に入る者として歩み出していきたいと思います。

 

きょうはMさんのバプテスマ式が行われますが、これはMさんだけのことではありません。私たちにも問われていることです。あなたは紅海で古い性質を捨て、神の民としての新しい性質を着ているでしょうか。あなたがバプテスマを受けたとき、あなたの古い自分を捨てて、キリストにある新しい性質を着たでしょうか。私たちはきょうそのことをもう一度自分自身に問いたいと思うのです。そして、捨てたはずの自分が、まだ自分の中心にあるなら、このバプテスマ式において、それを捨て去り、イエス・キリストと一つにされ、イエスのいのちによって新しい地に向かっての新たな一歩を歩み出していただきたいものです。これは信仰によらなければできないことです。

 

モーセは信仰によってそれを選び取ました。人間的に見たら、そこには大きな賭けがあるように見えます。ほかの人が進んでいく道を行く方が、ずっとやさしいことです。「赤信号、みんなで渡ればこわくない」とあるように、みんなが行く道を行った方がずっとやさしいのです。でも、そこにはいのちがありません。車が突っ込んできたら死んでしまうでしょう。ですから、より確かな道は、信仰によって、神が示してくださる道を行くことです。そこには大きな勇気と決断が必要ですが、信仰があれば、あなたにもできます。信仰によって生きたモーセとともに、いつも主がともにいて導いてくださったように、そうした人の人生にはいつも主がともにいて導いてくださるのです。

ヘブル11章17~22節 「死を乗り越える信仰」

ヘブル人への手紙11章から学んでいます。ここには昔、信仰によって生きた人たちのことが紹介されています。前回は、アブラハムの信仰から学びましたが、今回は、アブラハムとその子イサク、そして孫のヤコブの信仰から学びたいと思います。きょうのタイトルは、「死を乗り越える信仰」です。

 

この世に生きている人は、だれでも皆死にます。そういう意味で、人間は皆、死によって限定されていると言えます。ですから、死の問題が解決されていなければ、いつも死におびやかされていて、死んだらすべてはおしまいだという思いに捕らわれていて、本当の意味での自由がないのです。そういうわけで、死の問題を解決しておくことは、極めて重要なことであると言えるでしょう。いったいどうしたら、人はこの死の問題を解決することができるのでしょうか。今日は、信仰によってこれを乗り越えた人たちのことを学びたいと思います。

 

Ⅰ.死を乗り越えたアブラハム(17-19)

 

まず、17~19節をご覧ください。ここにはアブラハムの信仰について書かれてあります。

「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。」

 

これは、創世記22章に記されてあるアブラハムの生涯における最大の試練であった出来事です。それは、彼の最愛の子イサクを、神にささげるということでした。アブラハムにとってそれが特別に大きな試練であったのは、この命令が、以前神が語られた約束と矛盾するように思われたことでした。以前神は、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われましたが、ここでは、そのイサクをささげよ、というのです。それでは、いったいどのようにして神が約束されたことが実現するというのでしょうか。無理です。この子をささげてしまったらあの約束さえも反故にされてしまいます。それに、たとえ神によって与えられた命令であったとしても、その人を殺してまで神にささげよというのは普通ではありません。というのは、創世記9章6節には、「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。」とあるからです。そういうことを神があえてするようにと言われたとしたら、それはいったいどういうことなのかと悩んでしまいます。それなのに、神はイサクを完全に焼き尽くすいけにえとして、殺して、ささげるようにと言われたのです。その箇所を開いて確かめてみましょう。

 

創世記22章を開いてください。2節には、「神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に連れて行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」とあります。「全焼のいけにえ」とは、新共同訳聖書では「焼き尽くす献げ物」と訳されていますが、その名の通り煙になるまで焼き尽くすささげ物のことです。ヘブル語は「オーラー」と言いますが、もともとの意味は「上る」でした。それは、自分を神にささげ尽くす、献身を表明するささげ物だったのです。ですから、ここで神はアブラハムに、確かに彼の愛するひとり子を殺して、灰になるまで焼き尽くすようにと命じられたのです。

 

いったいなぜ神はこのようなことをアブラハムに命じられたのでしょうか。1節を見ると、「神はアブラハムを試練に会わせられた」とあります。これはテストだったんですね。ここには試練とありますが、試練とはテストのことです。私たちにもいろいろなテストがありますが、どうしても外せないテスト、それが信仰のテストです。どのような時でも神に従うかどうかのテストであり、そのことを通して信仰を磨き、称賛と光栄と名誉に至らしめるものなのです。ですから、ヤコブは、信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちていく金よりも尊いと言っているのです。そのために神はアブラハムを試されたのです。

 

そのテストに対してアブラハムはどのように応答したでしょうか。信仰によって、アブラハムは試練を受けた時、喜んでイサクをささげました。それがこの創世記22章3節以降に記されてあることです。3節には、「翌朝早く」とありますが、まず、彼はすぐに従いました。もちろん、彼とて血も涙もある人間です。どうして悩み苦しむことなしに、そのようなことができたでしょうか。相当悩んだはずです。しかし、聖書は彼がどんなに悩んだかということについては一切触れずに、彼がすぐに従ったことを強調しています。それは彼が全く悩まなかったということではなく、そうした悩みの中あっても神に従ったことを強調したかったからです。

 

いったい彼はなぜそのような中でも神に従うことができたのでしょうか。それは、「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考え」たからです。それは、創世記22章4、5節を見るとわかります。

「三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。それでアブラハムは若い者たちに、ここに残っていなさい。私と子どもはあそに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。」

日本語では少しわかりづらいのですが、ここには、「私と子どもはあそに行き、礼拝をして、戻って来る」とありますが、原文では、「私たちは、戻ってくる」となっています。英語ではわかりやすく、はっきりと「We」という言葉が使われています。「We will worship and then we will come back to you」です。

私たちとはもちろんアブラハムとイサクのことです。イサクをささげてしまったらイサクはもういないのですから「私たち」というのは変です。「私は」となるはずですが、「私たちは戻ってくる」と言ったのは、アブラハムの中にたとえイサクを全焼のいけにえとしてささげても、イサクを連れて戻って来るという確信があったからです。死んでしまった人間がどうやって戻って来るというのでしょうか。よみがえるしかありません。まさか幽霊になって戻ってくるわけにはいかないでしょう。つまり、アブラハムは、たとえイサクを全焼のいけにえとしてささげたとしても、神はそのイサクを灰の中からでもよみがえらせることができると信じていたのです。つまり、神には矛盾はないのです。矛盾しているかのように思われる二つの神の御言葉が、このような神の奇跡的な御業によって解決されていくのです。アブラハムはそういう信仰を持っていました。これが信仰であり、彼の信仰がいかに大きなものであったかがわかります。

 

ところで、へブル人への手紙を見ると、「これは型です」とあります。いったい何の型だったのでしょう。それはイエス・キリストです。アブラハムが愛するひとり子を全焼のいけにえとしてささげようとしたモリヤの山は、その二千年後に神の愛するひとり子イエス・キリストが、十字架で全人類の罪を取り除くために全焼のいけにえとしてささげらたゴルゴタの丘があった場所でした。すなわち、これはやがて神のひとり子が私たちの罪の身代わりとして十字架につけられ、全焼のいけにえとして神にささげられることの型だったのです。創世記22章の出来事が映画の予告編みたいなものならば、本編はイエス・キリストであったわけです。

 

この「モリヤ」という地名は、「神は先を見られる」という意味があります。神は先を見ておられる方です。神はそこでどんなことが起こるのかを十分承知の上で、それを十分踏まえたうえで、この出来事を用意しておられたのです。これはその型だったのです。すなわち、神はイエスを私たちの罪の身代わりとして十字架で死なせましたが、それで終わりではなく、このイエスを死からよみがえらせました。そして、このイエスを信じる者に永遠のいのち、死んでも生きるいのちを与えてくださるということを示していたのです。アブラハムは、その信仰によって、死者の中からイサクを取り戻しましたが、私たちもイエスを信じることによって、死者の中から取り戻されるのです。神を信じる者はもはや、死に支配されることはありません。イエスを信じる者は死んでも生きるのです。信仰によって、私たちは、私たちのいのちも死もつかさどっておられる神によって、死の恐れから全く解放していただくことができるのです。

 

ヘブル2章14、15節にはこのようにあります。

「そこで、子どもたちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになられました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれていて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」

イエス様が死なれたのは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれていた私たちを解放するためだったのです。そのために、イエス様は死んでよみがえられました。この先のことを見ることができる人にとって、死は全く問題ではないのです。なぜなら、そのような人にとって死は終わりではないからです。死んでもよみがえるからです。神はその先を見ておられます。いのちも死も支配しておられる主は、あなたを死から取り戻すことができる方なのです。この信仰によって、あなたも死の恐怖から解放されるのです。

 

Ⅱ.信仰によって祝福したイサク(20)

 

次に、20節をご覧ください。ここには、「信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。」とあります。どういうことでしょうか。子どもを祝福することは、信仰によらなければできないということです。この出来事は創世記27章にありますので、ここも開いて確認したいと思います。

 

1節には、「イサクは年をとり、視力が衰えてみえなくなったとき、長男のエサウを呼び寄せて彼に、「息子よ」と言った。すると彼は、「はい。ここにいます」と答えた。」とあります。いったい何のためにイサクはエサウを呼び寄せたのでしょうか。彼を祝福するためです。そこでイサクは、彼のために獲物をしとめて、彼の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て食べさせてくれるようにと言いました。するとそれを聞いていた妻のリベカが双子の弟ヤコブに、「いま私は、あなたのお父さんが、あなたの兄エサウにこう言っているのを聞きました。」と言って、兄のエサウになりすまして、その祝福を奪うのです。結局、イサクは兄のエサウではなく、弟のヤコブを祝福しました。エサウに対しては別の形で祝福したのです。

 

このことからわかることは、人間はどんなに年をとってもやれることがあるということです。その中でも最も重要なことは、子供や孫を祝福するということです。これは親や祖父母にとって最も重要な信仰の働きの一つではないでしょうか。というのは、ここには、信仰によって、イサクはヤコブとエサウを祝福したとあるからです。これは、信仰によらないとできないことなのです。ではいイサクはどのようにヤコブとエサウを祝福したでしょうか。創世記27章を開いて確認していきましょう。

 

まず26、27節を見ると、「父イサクはヤコブに、「わが子よ。近寄って私に口づけしてくれ」と言ったので、ヤコブは近づいて、彼に口づけした。」(26、27)とあります。

イサクはまずヤコブに口づけしました。日本人の習慣には、親が子どもをギュと抱きしめたり、触れ合うというかじゃれ合うという習慣はあまりありません。まして口づけするということはほとんどないでしょう。でもイサクはヤコブに、近づいて、口づけしてくれと言って、口づけしました。その国、その国によって文化や習慣は違いますが、それがどのような形であれ子供を祝福する時の大切な原則の一つは、親密な愛情を伝達するということです。忙しいから子どもと遊べないとか、忙しいから代わりに何かを買い与えることによってその穴埋めをしようとすると、結局のところ、祝福を失ってしまうことになるのです。時にはじゃれ合ってみたり、ギュと抱きしめたり、スキンシップでも何でもいいですが、十分に時間を取って過ごすことによって子どもの心は落ち着き、愛情を身に着けていくことができるのです。

 

第二に、創世記27章27節には、「ヤコブの着物のかおりをかぎ、彼を祝福した。」とあります。どういうことでしょうか。着物のかおりをかいで祝福するとは・・・。これは、健全な評価を伝達してあげることです。あなたのかおりはこれだと言ってあげることです。そこがお前のいいところだと言ってあげることですね。子どもは親がどう考えているのかを聞きたいのです。これは「臭いな、最後に風呂に入ったのはいつだ?」と聞くことではありません。正しい評価をしてあげることです。大抵の場合、親は子供がいないところで子どものことを話しますが、しかし、親同士で話し合うだけでなく、子供に向き合うことも必要です。子どもと向き合って、子どもの目をしっかりと見て、直接伝えてあげることも必要なのです。しかも子どもの悪いところではなく、良いところを見てです。とかく親は子供の悪いところばかり見がちです。あらさがしが得意なのです。弱いところばかり、足りないところばかり見て「まったくうちの子は・・・」と言ってしまう。しかし、子供には可能性があることを伝えてあげなければなりません。正しい評価を伝えてあげる必要があるのです。特に、子供に何ができたかということよりも、子どもの品性をほめてやるべきです。たとえば、あなたはこんなひどい状況の中でもよく忍耐をもって接することができたねとか、あの子が水溜りで転んだとき、「大丈夫? 」と声をかけて助けてあげたね、偉いよ・・といったことです。

 

第三に、創世記27章28節と29節には、「神がおまえに天の露と地の肥沃、豊かな穀物と新しいぶどう酒をお与えになるように。国民の民はお前に仕え、・・・」とあります。ここでイサクはヤコブの将来について預言しています。子どもは将来のことを知りたがっています。自分は何のために生きているのか、そのために何をしたらいいのかといった人生の指針を求めているのです。ですから、おまえの生きる目的はこれだ、と示してあげなければなりません。

ここでイサクはヤコブが将来農業の分野で成功をおさめ、多くの人たちの指導者になることを預言して祝福していますが、そのように具体的に祝福することはできなくても、その方向性は示してあげることができます。「あなたが生まれたのは神を喜び、神の栄光のためよ。あなたは、神に愛されているの。だから、そのために用いられるように備えていこうね。」というように、その将来が、神の栄光のためであること、そしてそれがどのような道であっても、そのためには努力を惜しまないで祈り、一生懸命に努力しようと励ましてあげなければなりません。

 

子供に将来を伝えていくことは、決して自分のエゴを押し付けることでも、自分ができなかったことを子供によって実現してもらおうとすることでもありません。子どもの個性と資質をじっくりとみて、主のみこころは何かを祈り求めながら、その子の将来のためにできることをしてあげることです。

 

救世軍の創始者であるウイリアム・ブースは、そのお母さんがいつもこういうのを聞いて大きくなったと言われています。「ビル、世界はあなたを待っているよ。早く大きくなり、立派な人になって、世界のために働く人になってちょうだい。」それを聞いてかどうかわかりませんが、ウイリアム・ブースは、世界中の貧しい人たちのために活躍するようになりました。

 

第四に、創世記27章37節を見ると、イサクがエサウにこのように言っています。「ああ、私は彼をおまえの主とし、彼のすべての兄弟を、しもべとして彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で、彼を養うようにした。それで、わが子よ。おまえのために、私はいったい何ができようか。」

イサクは、実の息子であるヤコブにだまされるというショッキングな経験をしました。もう何の祝福も残っていません。でもイサクはエサウに、私は、おまえのために、いったい何ができようか、と言っています。ヤコブにあざむかれても、何をされても、エサウに対する態度を変えませんでした。何があっても、最後まで、見捨てない、見離さないことは親にとってとても大切なことです。何があってもこどもの側に立ってあげること、何があっても子供の味方であり続けること、継続的にこどもをサポートしてあげること、最後まで子供のサイドに立ち続けること、これほど大きな励ましはありません。

 

でも、こどもは大きくなってしまったのでもう遅いと思っておられるあなた、大丈夫です。そんなあなたにもやることは残されているのです。そうです、こどもでは失敗したかもしれませんが、まだ孫がいますから、子供だけでなく孫に対してそのように接してあげたいものです。

 

イサクは、信仰によって、未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。年をとって、視力が衰え、目がかすむようになっても、まだやることがあります。信仰によって、イサクがヤコブとエサウを祝福したように、私たちも子供たちを、孫たちを、家族を、教会を祝福しなければなりません。もう年を取って、肉体的にも、精神的にも限界ですから、少し自由に生きさせてもいます、ではなくて、信仰によって子どもたちを祝福し続けていく働きが残されているのです。

 

Ⅲ.たとえ死の間際でも(21-22)

 

それは、ヨセフを見てもわかります。21節、22節にはこうあります。

「信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。」

 

イサウはエサウを祝福しようとしましたが、ヤコブを祝福しました。神に選ばれたのはエサウではなくヤコブでした。そのヤコブが晩年、死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福したとあります。これは創世記48章に記されてある出来事ですが、エジプトに下って行ったヤコブは、そこで十七年生きて、百四十七年の生涯を閉じます。その死の間際に、ヤコブはヨセフのふたりの息子マナセとエフライム、つまりヤコブの孫たちですが、信仰によって祝福しました。そのことを、ここでは、自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝した、と言われています。杖とは神の権威の象徴です。つまり、彼は自分の知恵や力によってではなく、神の権威、神の力により頼んで祝福したのです。すっかり年をとって、もう肉体的にも、精神的にもボロボロどころか、死の間際でもそうしたのです。皆さん、私たちは年をとっても、いや死の間際であってもすることがあるのです。それは子供たちのために、孫たちのために祝福するということです。死の間際に、自分の生涯を振り返り、その恵みを数えて感謝することもすばらしいことですが、もっとすばらしいことは、死の間際でも、わが子を、孫を祝福することです。

 

どうしたら、そんな死に方ができるのでしょうか。ここでは、信仰によって、と言われています。皆が皆、そのように死んで行けるわけではありません。それは信仰によらなければできません。もう死が近づいたから、もうこんなに年をとったからとあきらめないでください。年をとっても大丈夫です。もうすぐ死ぬからと言っても悲観する必要はありません。あなたは信仰によって、祝福することができるのです。死の間際にあっても、まだ成すべきことがあるのです。

 

また、ヨセフも臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。そんなのどうでもいいじゃないですか。自分が死んだら、自分の骨をどうしようが、家族がどこに行こうが、残された家族決めればいいことです。それなのにヨセフは、イスラエルの子孫の脱出と、自分の骨について指図したのです。なぜでしようか。主がそのようにするようにと仰せられたからです。ヨセフは臨終のとき、何もできないと思えるような時でも、信仰によって、そのように言ったのです。

 

皆さん、私たちも年をとって、もう死が近づいて、人間的には何もできないと思うような時があるかもしれませんが、悲観することは全くありません。信仰によって生きる人にとっては、死ぬことさえも益なのですから。生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。死はもはやクリスチャンを支配することはできません。私たちも信仰を強められ、昔、生きた信仰者たちのように、信仰の殿堂入りを果たせるような生き方を目指したいと思います。

ヘブル11章8~16節 「神の約束に生きた人」

ヘブル人への手紙11章から、「信仰」について学んでいます。知者は、信仰とは何ぞやということを述べた後で、信仰に生きた人たちを紹介しています。前回はアベルとエノクとノアについて見てきましたが、きょうは、信仰の父と称されているアブラハムの信仰から学びたいと思います。

 

Ⅰ.みことばに従う信仰(8-10)

 

まず、8-10節をご覧ください。8節をお読みします。

「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」

 

ここにはアブラハム生涯について紹介されていますが、アブラハムの生涯について聖書が最初に告げているのは、彼の信仰についてであります。最近「自分史」を書く人々が増えてきておりますが、普通、自分史を書く時は、自分の生い立ちから始めるものですが、アブラハムの場合は自分の誕生からではなく、信仰から始まっているのは注目に値します。「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」

 

先ほども申し上げましたが、アブラハムは信仰の父と称されている人ですが、いつ、どのようにしてそのように呼ばれるようになったのかは定かではありません。しかし、ここにそのように呼ばれるようになったゆえんがあると思います。それは、彼が神から相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けた時、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行ったという点です。これはアブラハムがカルデヤのウルを出て、カランという地にいた時のことです。神はアブラハムにこう言われました。

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたをのろうものをわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1~3)

 

これはアブラハムについて語るとき、とても有名な箇所です。アブラハムはカルデヤのウルというところに住んでいましたがそこから出てハランというところに住み着いていました。しかし、彼が75歳の時、神様から、「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地に行きなさい。」との召しを受けたのですが、彼はそこで得たすべての財産と、そこで加えられた人々を伴って、神が示される地、カナンに向かって出発しました。当時は部族社会で、部族の人数によってその勢力の優劣が判断された時代です。したがって故郷と父の家は、アブラハムにとっては家族を守る一種の砦(とりで)のようなものであり、そこから出ることは大変危険で、不安要素が多い選択でした。しかし、アブラハムは神から召しを受けたとき、その命令に従って出て行ったのです。ということは、どういうことかというと、彼にとって神の命令は絶対だったということです。

 

しかもここには、「どこに行くのかを知らないで、出て行きました」とあります。これは、行く先を知らないでということではなく、それがどういう所であるのかをよくわからないのに、という意味です。彼は神が示される地がどのような所かをよく知らないのに、出て行ったのです。

 

ここに、信仰とは何かということがよく教えられているのではいかと思います。つまり、信仰とは、人間の常識で行動することではなく、神の御言葉に従うことであるということです。多くの信仰者が信仰生活においてよく失敗するのは、神の言葉よりも自分の思いや常識を優先させてしまうところにあります。よくこのように言うのを聞くことがあるでしょう。「確かに聖書にはそう書いてあるけれども、現実はそうはいかないよね・・・」とか、「頭ではわかっているけどさ、そんなの無理に決まっているじゃない・・・」それは言い換えれば、聖書にはそう書いてあるけれども、実際の生活では無理だということです。現実の生活では、神様は働くことができないと言っているのです。つまり、信仰がないのです。頭ではわかっていても、それを実際の生活の中で働かせることができないのです。実際の生活においては神様よりも自分の考えの方が確かになるのです。もしからし種ほどの信仰があれば、この山に向かって、「動いて、海に入れ」と言えば、そうなるのです、とイエス様は言われました。問題は神様にはできないということではなく、私たちが信じられないということです。

 

これから先どうなっていくのかがわからないというのは不安なことですが、わかってから行動するというのは、信仰ではありません。信仰とは、これから先どうなるのかがわからなくても、神が行けと言われれば行くし、行くなと言われるなら行かないことです。つまり、自分の知識や経験を元にして造られた常識よりも、神が持っておられる知識の方がはるかに完全であると確信して従うことなのです。それこそ、信仰によって生きた人の根底にある考え方です。ですから、信仰によって生きるということは、危なっかしいものであるどころか、これ以上確かなものはないのです。いつまでも変わらない神の言葉に従って生きるのだから、これほど確かなものはないのです。アブラハムは、神から約束の地に行けとの命令を受けたとき、それに従い、そこがどういう所なのかわからなくても出て行きました。

 

さあ、神の約束に従って出て行ったアブラハムはどうなったでしょうか。9節を見ると、「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」とあります。あれっとぉもぃませんか。神の約束を信じて出て来たのに約束の地を所有することができるどころか、その地に天幕を張って住まなければなりませんでした。何ということでしょう。神が祝福するというのでそれに従って出て来たのに、定住することさえかなわなかったのです。ほら、見なさい、やっぱり無理じゃないですか・・・。考えてみると、これはおかしなことです。神が与えると約束された地に来たのであれば、どうしてその地に定住者として住むことができなかったのでしょうか。確かに、創世記を見てみると、12章では、あなたを祝福し、あなたの名を大いなる者にしようとは仰せられましたが、土地のことについては、それほどはっきれと言及されてはいませんでした。土地についてはっきりと言われているのは、その後アブラハムがエジプトに下り、そこから再び約束の地に戻ってからのことです。創世記13章14~17節にこうあります。

「ロトがアブラハムと別れて後、主はアブラハムに仰せられた。さあ、目を上げて、あなたがいるところから北と南、東と西を見渡しなさい。私は、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫に与えよう。わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることが出来よう。立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」

 

ここにはっきりと、「この地をあなたとあなたの子孫に与える」と言われているのですから、アブラハムはその地に定住することができたのです。しかし、それなのに彼は定住しませんでした。なぜでしょうか。それは10節にあるように、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都は神によって建てられた天の都です。アブラハムはこのように揺らぐことのない天の都を待ち望んでいたので、そのような天幕生活にも耐えることができたのです。

 

ある人たちはここから、クリスチャンは自分の土地とか家を持つべきではないと考える人たちがいます。アブラハムだって天の都を待ち望んでいたので、天幕生活をしたのだから、クリスチャンもそうすべきであって、一生涯借家生活をすべきだと言う人たちがいるのです。そういう生き方が決して悪いというわけではありませんが、それを他の人にまで強制し、そうでない人は信仰によって生きていないと言うのは、あまりにも極端な解釈だと言わざるをえません。確かにアブラハムやイサクやヤコブは、土地を取得したり、家を建てたりしないで、天幕生活をしていましたが、それは、家を建ててはならないということではないのです。現にイスラエルも、エジプトを出てからは約束の地に入り、その土地を自分たちのものとして所有しました。そして、そこに石造りの立派な家を建てて住んだからです。そして、そういう生き方をした人も、信仰の人として、後にその名前が出てくるからです。たとえば、ダビデはそうでしょう。彼は信仰の王様でしたが、立派な王宮を建てるようにと神様から命じられ、その子ソロモンが完成させました。ですから、この箇所からだけ、借家住まいこそ信仰的であるというのは、かなり偏った考え方だと言えるのです。

 

土地を持っていても、家を持っていてもいいのです。問題は、そこをあたかも永遠の住まいででもあるかのように思って生きることです。どんなに立派な家であっても、またどんなにみすぼらしい家であっても、また持ち家であっても借家であっても、私たちの永遠の住まいはこの地上にあるのではなく、天にあるのだということが一番重要なのであって、そのような考え方を持って生きていくのなら、それは信仰によって生きているのだということが言えるのです。

 

私たちの本当の住まいは天にあります。ここではそれを、「都」と呼んでいますが、それは神によって設計され、建設されたのですから、確かな住まいなのです。世界的に有名な建築家でも欠陥住宅を造ることがありますが、神が造られたものは完璧です。私は以前福島で会堂建設をしたことがあります。大きな立派な会堂です。その会堂を建設する際、私は一つのことだけ建築屋さんに頼んだことがあるのです。それは、絶対雨漏れしない建物を作ってくださいということでした、というのは、それまで私が住んでいた牧師館は雨漏れがしてひどかったのです。ですから、どうせ新しく造るなら絶対雨漏れだけはしんい建物にしてほしいと思ったのです。ところがです。できて数か月後に雨漏れがしたのです。新しく作ったばかりなのにどうして雨漏れがするのかと不思議に思ったというか、がっかりしましたが、人間がすることは、必ずどこかに欠陥があるのです。しかし、神が設計し、神が建設してくださった建物には欠陥はありません。それこそ、私たちが目指す所であります。

 

この世にあって、外国人のように天幕生活をしたということは、ある意味でいろいろな不便さや不都合さや困難があったということを意味しています。つまり、クリスチャンが旅人のようにこの地上で生活をしていこうとすれば、そこには必ず困難が伴うということです。しかし、それに耐えることができるのは、私たちの確かな住まいが天に用意されていることを知っているからです。その確かな住まいのことを、ここでは、「堅い基礎の上に建てられた都」と言っています。それは決して揺らぐことのない土台の上に建てられた住まいです。地震などによって壊れてしまうようなこの地上の住まいとは違い、この天にある住まいはどんなことがあっても決して壊れることがない確固たる住まいです。この地上において堅固な家に住もうと思えば、それこそかなりの資金が必要でしょう。けれども、この天にある確かな住まいは、そうした資金など全く必要なく、ただ信仰によって持つことができるのです。

 

アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。それは、必ずしも彼が望んでいたような安易な生活ではなかったかもしれませんが、彼にとってそんなことは全く問題ではありませんでした。状況がどうであれ、彼にとって神の命令は絶対でした。彼は自分の人生の方向と目標を立てるとき、自分の思いを捨てて、神の選択と意思に完全に従ったのです。これが信仰です。アブラハムが信仰の父と称されるゆえんは、ここにあります。それは神に従っていけば楽な生活をすることができるということではなく、でも、どんなことがあっても神が助け、守り、導いてくださるという信仰だったのです。

 

あなたはいかがですか。神様があなたに与えておられる召しは何ですか。もしそれが神からの召しであるなら、たとえどこに行くのかを知らなくても、たとえそこにどんなことが待ち構えているのかがわからなくてもこれに従うこと、それが信仰なのです。

 

Ⅱ.不可能を可能にする信仰(11-12)

 

次に11節と12節をご覧ください。ここには、「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天に星のように、また海ベの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。」とあります。

 

ここには年老いたサラのことが語られています。サラが神から約束の子を授かると言われた時に、彼女は子供を宿すために必要なことが止まっていたので、それは人間的には考えられないことでしたでしたが、最後まで神の約束を信じ、子を宿す力が与えられました。どのくらい年老いていたのかというと、何と89歳になっていました。彼女が89歳の時、三人の使いが彼女のところに現れて、こういうのです。「あなたに子どもが授かります」そんなこと言われても本気に信じる人は信じないでしょう。サラも同様に信じることはできませんでした。それで心の中で笑ってこう言いました。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」(創世記18:12)それは彼女の不信仰による笑いでした。

 

しかし、その後、彼女は信じました。たとえ自分の年を過ぎた身であっても、神は約束したことを守られる真実な方であり、それを成就する力があると堅く信じて、疑いませんでした。なぜそのように言えるのかというと、このヘブル人への手紙でそう言っているからです。そして、その言葉のとおり、その一年後に約束の子イサクが生まれました。彼女は最初は信じられなくて笑いましたが、最後は、その笑いは喜びの笑いに変わりました。それは彼女が信仰によって、神には約束してくださった方は真実な方なので、必ずそうなると信じたからです。

 

それはアブラハムも同じでした。ローマ人への手紙4章19節を見ると、「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。 彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、 神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」とあります。だから、それが彼の義とみなされたのです。

アブラハムも初めは信じられませんでした。そして笑って、心の中で言いました。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」(創世記17:17)しかし、その後彼が100歳になったとき、彼は神を信じ、不信仰によって神を疑うようなことはせず、反対にますます信仰が強くなって、神には約束されたことを成就する力があると堅く信じました。そのようにして、彼はイサクを得たのです。これは一つの型でした。それは、信仰によって義と認められるということです。アブラハムは、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じたので、それが彼の義とみなされましたが、それは彼のためだけでなく、私たちのためでもありました。つまり、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。その信仰とは、神は死んだ人をもよみがえらせることができるという信仰です。つまり、神は不可能を可能にする方であるという信仰であります。その信仰のゆえに、12節にあるように、アブラハムから天の星のように、また海辺の砂のように、数えきれない多くの子孫が生まれたのです。

 

宗教改革者のマルチン・ルターは、「神様を神様たらしめよ」と言いました。私たちが陥りやすい過ちの一つは、神を小さくしてしまうことです。神様を自分の考えに閉じこめてしまい、小さなことだけを行われる方として制限してしまい、その全能の力を認めないのです。しかし、神様はこの天地万物をお言葉によって創造された方であり、私たちに命を与えてくださった全能者です。神にとって、不可能なことは一つもありません。ですから、たとえ私たちには考えられないことであっても、神にはどんなことでもできると信じ、神の約束を待ち望む者でありたいと思います。

 

Ⅲ.天の故郷にあこがれる信仰(13-16)

 

第三に、アブラハムの信仰は、天の故郷にあこがれる信仰でした。13~16節をご覧ください。

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています。もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」

 

アブラハムとサラ、またイサクとヤコブの生涯を見ると、彼らに共通していたことは、彼らは約束のものを手に入れることはできなくとも、はるかにそれを見て喜び、この地上ではほんのしばらく過ごす旅人にすぎないことを自覚していたことです。それは、彼らが天の故郷を慕い求めていたからです。もしこれがこの地上の故郷のことであったなら、帰る機会はいくらでもあったでしょう。しかし、彼らは、さらにすぐれた故郷、天の故郷にあこがれていたので、なれない文化と習慣の中で、天幕生活を続けることができたのです。この地上での生活において嫌なことがあっても、じっと耐えることができました。このようにさらにすぐれた故郷、天の故郷にあこがれ、それを一点に見つめて離さない人は、この地上でどんなことがあっても感謝をもって生きられるのです。

 

昨年、寺山邦夫兄が天に召されましたが、その証には、76歳の8月11日に、医師から「胃癌と肝臓癌です。肝臓の周りにも腹水がたまっています」と告知されとき、一度も落ち込まなかったと言います。一度も落ち込むことなく、日々平安で、冗談を言いながら、笑いながら過ごすことができました。嘘でしょうと思われる方もいるかもしれませんが、そういう方は後で寺山姉にお聞きになられたらいいと思います。これは本当で、私がご自宅を訪問して一緒に祈った時も、満面の笑顔で、「もうすぐ天国に行けると思うとうれしくて・・」とおっしゃっておられました。どちらが病気なのかがわからないくらい、元気に見えました。いったいどうしてか?証にはこう綴られています。「永遠の命をイエス様から戴いて、主の御元に行くと分かっているからです。」死んでも永遠の命を頂いて、イエス様のもとに行くことができるということを、確信して疑わなかったからです。寺山兄は天の故郷にあこがれていたのです。

そこで「じゃ、祈りましょう」と祈っているとき、私がふと目を開けてみると、寺山兄は両手を手にあげ、涙を流しながら、「主よ。」と祈っておられました。それは決して悲しみの涙ではなかったはずです。これまでずっと慕い求めてきた天の御国、イエス様のもとにもうすぐ行くというその状況の中で、ご自分の思いのたけをすべて主に注いで祈っておられたからだと思います。私は、そんな寺山兄の姿を見て、「ああ、寺山さんは本当に天国を信じているんだぁ」と思わされました。

 

皆さん、この地上での歩みには実に様々なことがありますが、それは、神の永遠の目から見たらほんの点にすぎないのです。そのほんのわずかな期間に執着し、本当に大切なものを見失っているとしたら、それほど残念なことはありません。信仰によって生きる人は、この世ではなく永遠の御国に臨みを抱きます。世の財産や成功に執着するのではなく、御国の喜びと栄光に目を向けるなら、あらゆる試練を乗り越え、聖なる望みを実現するようになるのです。アブラハムやイサクやヤコブは、絶えず天の故郷を目指して進みました。足は地を踏んでいても、目はいつも天に向いていました。地上の富や栄光に執着せず、やがて帰るべき「さらにすぐれた故郷を見上げました。この世に心を奪われるより神に集中するとき、神の御国の相続者となれるのです。

 

16節には、「それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥じとなさいませんでした。」とあります。これは、本当に慰め深い言葉ではないでしょうか。信仰をもって生きる人を、神はこのように評価してくださるからです。

私たちは、これまで何度も何度も主に背き、主に怒りを抱かせるようなことをしてきたにもかかわらず、主を見上げ、主の御言葉を信じて生きて行こうとする人の神と呼ばれることを、神は恥じとはされないのです。

 

アブラハムも主の御心に背き、失敗をしました。約束の地カナンに入った時にききんに見舞われると、神の約束の地を離れ、さっさとエジプトに逃げて行ってしまいました。エジプトでは自分の妻サラを自分の妹であると偽り、自己保身的なことをしました。またゲラルでも懲りることなく同じ失敗を繰り返しました。サラを自分の妹だと偽ってアビメレクという王に召し入れたのです。

それにもかかわらず、彼らの生き方の根幹には、神の約束への御言葉への信仰がありました。だから、神は彼らの神と呼ばれることを、少しも恥じとされなかったのです。それは私たちも同じです。私たちも失敗を繰り返すような弱い者ですが、それでも、その生き方の根幹に神の約束の御言葉への信仰があれば、それでいいのです。神は私たちの神と呼ばれることを恥じとはされません。このことは、あなたにとっても大きな、慰めではないでしょうか。

申命記20章

 きょうは、申命記20章から学びます。まず1節から9節までをご覧ください。

 

 1.恐れてはならない(1-9

 

「あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの地から導き上られたあなたの神、主が、あなたとともにおられる。あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、彼らに言いなさい。「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。彼らのことでおじけてはならない。共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。つかさたちは、民に告げて言いなさい。「新しい家を建てて、まだそれを奉献しなかった者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者がそれを奉献するといけないから。ぶどう畑を作って、そこからまだ収穫していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が収穫するといけないから。女と婚約して、まだその女と結婚していない者はいないか。その者は家へ帰らなければならない。彼が戦死して、ほかの者が彼女と結婚するといけないから。」つかさたちは、さらに民に告げて言わなければならない。「恐れて弱気になっている者はいないか。その者は家に帰れ。戦友たちの心が、彼の心のようにくじけるといけないから。」つかさたちが民に告げ終わったら、将軍たちが民の指揮をとりなさい。」

 

ここには、イスラエルが約束の地に入ってから現実に直面する一つの問題、すなわち、戦いについて言及されています。イスラエルが入って行こうとしている地は、彼らがエジプトで奴隷としている間に多くの民が住み着いていたので、そこに入りその地を所有しようとすれば、戦いは避けられませんでした。そこで、そのような戦争が起こったとき、彼らがどのように戦いに臨まなければならないのかが語られています。

 

それはまず、「あなたが敵と戦うために出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。」ということでした。なぜなら、彼らをエジプトの地から導き上られた彼らの神、主が、彼らとともにおられるからです。エジプトで430年もの間奴隷として捕らえられ、苦役に服していた彼らにとってその中から救い出されることは人間的には全く考えられないことでした。しかし、全能の主が彼らとともにおられたので、彼らはその中から救い出され、約束の地へと導かれたのです。主が共におられるなら何も恐れることはありません。

 

私たちの問題は、すぐに恐れてしまうことです。仕事がうまくいかないので、このままでは倒れてしまうのではないか、職場をリストラになったが、この先どうやって生活していったらいいのだろう、職場や家庭、友達との関係に問題が生じたが、これから先どうなってしまうのだろう、最近、起きると半身がしびれるが、もしかしたら脳に腫瘍でもあるのではないか、そのように恐れるのです。戦いにおいて恐れは禁物です。恐れがあれば戦う前にすでに勝敗は決していると言ってもいいでしょう。ではどうしたら恐れに勝利することができるのでしょうか。

 

2節から4節までをご覧ください。「あなたがたが戦いに臨む場合は、祭司は進み出て民に告げ、彼らに言いなさい。

「聞け。イスラエルよ。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。弱気になってはならない。うろたえてはならない。共に行って、あなたがたのために、あなたがたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたがたの神、主である。」

ここでモーセは、イスラエルの兵士の士気を高めるために、彼らの目を主に向けさせました。向かってくる敵を見ておびえるのではなく、主を見て、主が自分たちのために戦ってくださることを信じて、勇敢に戦いなさい、というのです。

 

少し前に青年や学生たちとネヘミヤ記から学びましたが、ネヘミヤも同じでした。エルサレムの城壁再建に取り組むもそれに批判的であったホロン人サヌバラテとかアモン人トビヤといった者たちが、非常に憤慨して工事を妨げようとしました。しかし、イスラエルの民に働く気があったので工事は順調に進み、その高さの半分まで継ぎ合わされました。

すると反対者たちは非常に怒り、混乱を起こそうと陰謀を企てました。するとイスラエルの民はみな意気消沈してこう言いました。「荷を担う者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」(ネヘミヤ4:10)これは言い換えるとこういうことです。「もう体力の限界にきているというのに問題だらけだ。これでは城壁を築くことはできない・・・」つまり、彼らは意気消沈したのです。これこそ敵の思うつぼでした。やる気を失わせたのです。

そこでネヘミヤが取った行動は、彼らの目を神に向けさせることでした。ネヘミヤはおもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々にこう言いました。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」(ネヘミヤ4:14)すると彼らは奮起され、片手で仕事をし、片手に投げやりを堅く握って工事を進めたので、わずか52日間で城壁工事を完成させることができたのです。

 

ここでも同じです。イスラエルが敵と戦うために出て行くとき、あなたよりも馬や戦車や多くの軍勢を見て、とても自分たちの力では戦えないと恐れてしまうこともあるかもしれない。しかし、彼らを恐れてはいけません。うろたえてはならないのです。あなたが敵と戦って勝利を得させてくださるのはあなたがたの神であり、その神があなたがたとともにおられるのだから。問題はどのように戦うのかではなく、だれが戦うのかです。私たちと戦ってくださるのは主であり、この主がともにおられることを覚えて、恐れたり、うろたえたり、おじけたりしてはならないのです。

 

5節から9節までをご覧ください。ここには、彼らが戦いに出て行くとき、つかさたちはこれらのことを民に告げるようにと言われています。これはどういうことでしょうか。これは自分の生活のことで心配事がある人は、戦いに行ってはならないということです。なぜなら、戦友たちの士気が下がってしまうからです。新しい家を買った者は、その家のことが気になって戦いに影響をきたします。ぶどう畑にたくさんぶどうの実が結ばれていたら、そのぶどうのことが気になって戦いに集中することができません。婚約している人は、彼女のことが気になってしょうがないため、戦うことができません。そして、悪いことにそうしたことが同じように戦っている兵士の士気を下げてしまうのです。

 

主イエスはこのように言われました。「さて、彼らが道を進んで行くと、ある人がイエスに言った。『私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついて行きます。』すると、イエスは彼に言われた。『狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。』イエスは別の人に、こう言われた。『わたしについて来なさい。』しかしその人は言った。『まず行って、私の父を葬ることを許してください。』すると彼に言われた。『死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。』別の人はこう言った。『主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。』するとイエスは彼に言われた。『だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。』」(ルカ9:57-62

 

主の弟子となるということは、主だけに思いを集中して従うということであり、他のことで思い煩わないということです。そうでないと、戦友の心までもくじけてしまうことになるからです。主の弟子として生きていく上には多くの戦いが生じますが、それがどのような戦いであっても共通して言えることは、恐れてはならないということです。なぜなら、主がともにおられ、主が勝利を得させてくださるからです。

 

2.聖絶しなさい(10-18

 

 次に10節から18節までをご覧ください。

 

「町を攻略しようと、あなたがその町に近づいたときには、まず降伏を勧めなさい。降伏に同意して門を開くなら、その中にいる民は、みな、あなたのために、苦役に服して働かなければならない。もし、あなたに降伏せず、戦おうとするなら、これを包囲しなさい。あなたの神、主が、それをあなたの手に渡されたなら、その町の男をみな、剣の刃で打ちなさい。しかし女、子ども、家畜、また町の中にあるすべてのもの、そのすべての略奪物を、戦利品として取ってよい。あなたの神、主があなたに与えられた敵からの略奪物を、あなたは利用することができる。非常に遠く離れていて、次に示す国々の町でない町々に対しては、すべてこのようにしなければならない。しかし、あなたの神、主が相続地として与えようとしておられる次の国々の民の町では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたとおり、必ず聖絶しなければならない。それは、彼らが、その神々に行なっていたすべての忌みきらうべきことをするようにあなたがたに教え、あなたがたが、あなたがたの神、主に対して罪を犯すことのないためである。」

 

ここでモーセは、どのように約束の地を攻略するかを語っています。そして、イスラエルが町を攻略しようと、その町に近づいたときには、まず降伏を勧めなければなりませんでした。そして、降伏に同意して敵が門を開くなら、その中にいる者は、みな、イスラエルのために、苦役に服しました。しかし、もし、敵が降伏せず、戦おうとするなら、これを包囲して戦い、その町の男をみな、剣の刃で打たなければなりません。しかし、女、子ども、家畜、またその町の中にあるすべてのもの、そのすべての略奪物を、戦利品として取ることができました。それを利用することができたのです。ここで女や子どもを殺さなかったというのは人道的な理由からであると考えられます。イスラエルの敵は彼らに襲い掛かってくる者たちであって、その妻や娘たち、子どもたちではないからです。そのような者たちは、ある意味でイスラエルのために仕えることができたからです。

 

しかし、16節をご覧ください。主が相続地として与えようとしておられる次の国々、すなわち、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の町々では、必ず聖絶しなければなりませんでした。なぜてしょうか。18節にその理由が記されてあります。「それは、彼らが、その神々に行なっていたすべての忌みきらうべきことをするようにあなたがたに教え、あなたがたが、あなたがたの神、主に対して罪を犯すことのないためである。」

この場合の主に対する罪とは、異教の神々を拝む偶像礼拝の罪であり、主が忌みきらうべき異教的風習に生きることです。そのようにして、主に対して罪を犯すことがないように、必ず聖絶しなければなりませんでした。

 

「聖絶」とは、聖なる神の名のもとに敵を攻撃することですが、このような言葉を聞くと、多くの人は、「なぜ愛の神が、人々を殺すような戦争をするように命じられるのか。」という疑問を持ちます。イエスは、「敵をも愛しなさい」と言われたではないか・・・」と。その疑問に対する答えがここにあります。それは、一般的に言われている聖絶のとらえ方が間違っていることに起因しています。ここで言われていることは、もし彼らが主に対して罪を犯すようなものがあるなら、それを徹底的に取り除くべきであって決して妥協してはならないということであって、むやみやたらに異教徒と戦って彼らを滅ぼすことではないということです。つまり、ここで教えられていることは、私たちの魂に戦いを挑む肉の欲との戦いのことなのです。

 

Ⅰペテロ211節には、「愛する人たち、あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」とあります。これがこの地上での生活を旅人として生きるクリスチャンに求められていることです。クリスチャンはこの世、この社会でどのように生きていけばいいのか、どのように振舞うべきなのか、それは、「たましい戦いを挑む肉の欲を避けなさい。」ということです。この肉の欲を避けるというのは、肉体の欲望を抑えて、禁欲的な生活をしなさいということではありません。この「肉」というのは、人間が持つあれこれの欲望のことを言っているのではなく、堕落した人間の罪の性質のことを指しています。すなわち、たましいに戦いを挑む肉の欲とは、人間の中にある罪そのもののことなのです。人間は様々な欲望を持ちますが、そのような罪の支配を避けることこそが肉の欲を避けるということです。この世の中で生きている私たちには、たましいに戦いを挑む肉の欲が次から次へと襲ってきます。そのような中で「たましいに戦いを挑む肉の欲」を避け、「立派に生活する」ことが求められているのです。欲望に負けることなく清い生活に励むことを目指すならこの世の生活から遠ざかって、自分たちと同じような考えを持つ人たちだけで閉鎖的な集団を形成する方が楽かもしれません。けれどもペテロは、そうではなくて、「異教徒の間で立派に生活しなさい。」と勧めています。それは、努力して自分の力で倫理的な、清い「立派な生活を行うこと」ではなく、主イエス・キリストによって目に見える事柄やこの世における幸福よりももっと大事なことを見つめて生きることです。

 

パウロは、「ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」(コロサイ3:5と言いました。偶像礼拝は何も、目に見える偶像だけではありません。地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。これらのものこそ、たましいに戦いを挑む肉の欲なのです。ここでは、そうしたものに対して殺してしまいなさいと言われています。うまく共栄共存しなさいとは言われていません。殺してしまいなさい、と言われているのです。それらと分離しなければなりません。それが聖別という意味であり、その戦いこそが聖戦であり、聖絶なのです。

 

3.木を倒してはならない(19-20

 

 最後に、19節と20節を見て終わりたいと思います。

 

「長い間、町を包囲して、これを攻め取ろうとするとき、斧をふるって、そこの木を切り倒してはならない。その木から取って食べるのはよいが、切り倒してはならない。まさか野の木が包囲から逃げ出す人間でもあるまい。ただ、実を結ばないとわかっている木だけは、切り倒してもよい。それを切り倒して、あなたと戦っている町が陥落するまでその町に対して、それでとりでを築いてもよい。」

 

どういうことでしょうか。これは面白い教えです。彼らが町を攻め取るため包囲するときに、そこにある木をむやみに切り倒してはならないとうのです。どういうことかいうと、その町を攻略するのに何の益にもならないことをしてはならないということです。よく戦闘状態にあると興奮してしまい、やらなくてもいいことまでやってしまうのです。この場合は、木を切り倒してしまうということです。しかし、戦争だけでも荒廃をもたらすというのに、それ以上のことを行ったらどうなってしまうでしょうか。何もなくなってしまいます。まさか野の木が包囲から逃げ出すわけがないので、そうした無駄なことはしないようにという戒めなのです。そこには、人間の中にある過酷さを戒め、自然に対する優しさに配慮するようにという神の意図が表れています。

 

けれどもさらに面白いのは、実を結ばない木は切り倒してもよい、という命令です。神さまは非常に実際的な方であることがここで分かります。イエス様も、一度、実を結ばない木をのろわれて、枯らしてしまわれたことがありました。イエス様がベタニヤにおられたとき、お腹をすかして、いちじくの木に実がなっていないか見ておられたら、葉ばっかりで、全く実がないのを見て、「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」(マルコ11:12-25)と言われました。すると、翌朝、その木が根まで枯れていました。それは、外見ばかりで中身のない律法学者たちに対する警告だったわけですが、ここでも同じです。イスラエルは、外見では神を信じているようでも、もし中身がなければ切り倒されてしまうのです。

これは、私たちクリスチャンにも言えることです。イエスさまは、「わたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。・・・だれでも、わたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。」(ヨハネ15:5-6と言われました。神に対して実を結ぶことが、私たちに求められていることなのです。

ヘブル11章4~7節 「信仰によって生きた人」

きょうは、「信仰によって生きた人」というタイトルでお話します。これまで述べてきたことを受け、このヘブル人への手紙の著者は、前回のところで、信仰とは何かについて語りました。つまり、信仰とは望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。信仰によって、私たちは、この世界が目に見えるものによって造られたのではなく、目に見えないもの、つまり神のことばによって造られたということを悟るのです。

そこで、きょうの箇所では、昔の人々がどのように信仰に生きたのかという実例を取り上げ、信仰によって生きるとはどういうことなのかをさらに説明していきます。きょうはその中から三人の人を取り上げてお話したいと思います。それは、アベルとエノクとノアです。

 

Ⅰ.信仰によって神にいけにえをささげたアベル(4)

 

まず、4節をご覧ください。

「信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」

 

まず、最初に紹介されているのはアベルです。アベルは最初の人アダムとエバの子どもで、二人息子の弟です。ここには、信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得た、とあります。どういうことでしょうか。

 

この話は創世記4章に記されてありますので、そこを開いて確認したいと思います。1節から7節です。

「人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た。」と言った。彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。」そこで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」(創世記4:1~7)

 

ここには、カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者になりましたが、ある時期になった時、彼らは神にささげ物をささげるためにやって来た、とあります。「ある時期」というのは、収穫の時期のことだと思われます。自分たちが一生懸命に働いて得たその収穫の一部を神にささげるためにやって来たのでしょう。そして、カインは土を耕す者でしたので、その作物の中から主へのささげ物を、一方のアベルは、羊を飼う者だったので、その羊の中から主にささげ物を持ってきました。しかし、主はアベルとそのささげ物には目を留められましたが、カインとそのささげ物には目を留められませんでした。なぜでしょうか。アベルは正しく行ったのに対して、カインはそうではなかったからです。どういう点でアベルは正しくて、カインは正しくなかったのでしょうか。それはささげ物をささげ姿勢です。アベルは羊を飼う者となり、その中から主へのささげ物を持ってきましたが、ただ持って来たというのではなく、羊の初子の中から、それも最上のものを持ってきました。同じ新改訳聖書でも第二版では、「それも最良のものを、それも自分自身の手で、もって来た。」とあります。つまり、彼は心からささげたのです。それに対してカインはというと、「地の作物から主へのささげ物を持って来た。」とあるだけで、それがどのようなものであったのかについては触れられていません。というとこは、アベルのように最良のもので、自分自身の手で持って来たものではなかったということです。アベルのように心から神にささげたのではなく、一種の儀式として形式的にささげたのです。

 

ここに彼らの信仰がよく表れていると思います。彼らは神の存在を信じ、神にささげ物をささげたという点ではどちらも同じで、宗教的であったと言えますが、しかし、宗教的であるということと信仰的であるということは必ずしも同じことではありません。神を礼拝し、神にささげ物をささげても、それが必ずしも、信仰的であるとは言えないのです。確かに二人とも神を礼拝していましたが信仰的であったのはカインではなく、アベルの方でした。そのささげ物によって、そのことが証明されたのです。

 

アベルが信仰によって生きていたことが証明されたのが、彼のささげ物をささげる姿勢、つまり礼拝の姿勢であったということは注目に値することです。というのは、礼拝の姿勢というものは、日ごろの生き方がそこに表れるのであって、いつも信仰に生きている人は、礼拝をする時もそのような姿勢になりますが、適当に信仰生活をしている人は、どんなに熱心に礼拝しているようでも、それは心から神を礼拝しているとは言えず、ただ形式的に礼拝しているにすぎません。そのような礼拝においては少しも神とお出会いすることができず、その結果、神に喜ばれる者に変えていただくことはできないのです。

 

しかし、ここでアベルが信仰によって神にいけにえをささげたというのは、そうした彼の礼拝の姿勢が正しかったというだけではなく、彼が神の方法によっていけにえをささげたからでもあります。その方法とは何でしょうか。それは、彼は羊をほふり、その血を注ぎ出して、神にささげたという点です。「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからです。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」(レビ17:11)とあるからです。いのちとして贖いをするのは血です。これがささげ物をささげる時の神の方法でした。アベルは自分が罪人で、自分の力ではその罪を贖うことができないということを知っていたので、神が示された方法でいけにえをささげたのです。けれども、カインはそうではありませんでした。彼は自分の方法によっていけにえをささげました。それは、彼が自分の育てた作物の中からささげ物を持って来たということではありません。神は地を耕して育てた作物を好まれないということはないのです。彼が正しくなかったのは、彼が神に喜ばれる方法によって神を礼拝したのではなく、あくまでも自分の考えで、自分のやり方で、神に受け入れられようとしたことです。それが問題だったのです。だから、神は彼のささげものを退けられたのです。

 

それはアダムとエバが罪を犯したとき、いちじくの葉をつづり合わせたもので自分たちの腰のおおいを作ったのと同じです。そんなものはすぐに枯れて何の役にも立たないのに、彼らはそのようにすれば何とか自分たちの裸をおおうことができると考えました。しかし、いちじくの葉はすぐに枯れてしまったのでしょう。神は、彼らの罪をおおうために、皮の衣を作り、それを彼らに着せてくださいました。(創世記3:21)なぜ、皮の衣だったのでしょうか。皮の衣によらなければ、罪をおおうことができなかったからです。神は動物をほふり、その皮を剥ぎ取って、彼らに着せてくださったのです。それが神の方法でした。そうでなければ、神に受け入れられることはできなかったのです。

 

そして、これはやがて来られる神の小羊イエス・キリストを指し示していました。人はイエス・キリストによらなければ、だれも神に近づくことはできません。私たちは、だれか困っている人がいたら助けてあげたり、貧しい人がいれば施しをしたり、優しく、親切に生きれば神に受け入れられるのではないかと考えますが、そのような方法によっては神に受け入れられることはできません。確かにそのような業は善いことですが、そうしたことによって自分の罪を消すことはできないのです。私たちの罪は、ただ神が私たちのために用意してくださった小羊の血によってのみ赦されるのであって、それ以外の何をもってしても赦されることはありません。

 

「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

 

「信仰によって」とはそういうことです。アベルは、神の方法とはどのようなものなのかを知っていて、そのようにささげました。信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえをささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得たのです。

 

私たちも信仰によって、神にささげ物をささげましょう。あくまでも自分の思いや考えに従うのではなく、神のことばを聞き、神のみこころは何かを知り、それに従うものでありたいと思うのです。それが信仰なのです。

 

Ⅱ.神に喜ばれていたエノク(5-6)

 

次に5節と6節をご覧ください。ここには、「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」とあります。

 

信仰によって生きた人として次に取り上げられているのは、エノクです。エノクという人物は、創世記5章に記されているアダムの子孫の中に登場する人物です。そこにはアダムの系図が記録されていますが、それらは皆決まった形で紹介されています。すなわち、「・・の生涯は○○であった。こうして彼は死んだ。」です。たとえば、5節には、「アダムはは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。」とあります。8節にはその子セツについて書かれてありますが、それも、「セツの一生は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。」とあります。また、11節にはエノシュについて書かれてありますが、それも同じです。全員が同じように記録されていますが、エノクだけはそうではありません。24節を見ると、「神が彼を取り去られたので、彼はいなくなった。」とあります。神が彼を取り去られたので、彼はいなくなったとはどういうことなのか?ヘブル書にはそのことを次のように説明しています。「エノクは死を見ることがないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。」とあります。エノクが取り去られたのは、死を見ることがないように、神に取り去られたというのです。この箇所からほとんどの人は、らエノクは死を経験することなく天に引き上げられたのだと考えていますが、ある人たちは、いや、アダムが罪を犯したことで死が全人類に入って来たのだから、エノクと言えども死なずに天国に行ったのは考えられない、と言う人もいます。しかし、このヘブル人への手紙を見る限り、彼がいなくなったのは、彼が死を見る事がないように天に移されたとあるので、彼は死を経験しないで引き上げられたのだろうと思います。しかし真相はどうであろうと、確かなことは、彼の地上での生涯はそれで終わったということです。

 

創世記5章の系図を見ると、ほとんどの人が九百歳ぐらいまで生きたのに対して、エノクは三百六十五歳しか生きませんでした。彼は意外に短命であったことから、彼の一生は不幸な一生だったのではないかと考える人もいますが、そうではありません。確かに彼の生涯は当時の一般的な人たちと比べたら短いものでしたが、それは死を見ることがないように天に移された幸いな生涯だったのです。人の一生はその長さで測られるものではありません。人の一生の善し悪しは、その人がどのような生涯を送ったのかという中身で測られるものです。それが神とともに歩んだ生涯であるなら、たとえそれがどんなに短いものであっても、幸いな徹宵だったと言えるのです。エノクの一生は三百六十五年という短いものでしたが、それは神とともに生き歩み、神に喜ばれたものであることがあかしされるすばらしい一生だったのです。

 

それでは、彼はどのような点で神に喜ばれていたのでしょうか。それは、彼が信仰によって生きていたという点です。エノクが生きていた時代は、ノアの時代と同じように、人々の心が悪いことばかりに傾いているような時代でした。その中でも彼は、神がおられることを信じていました。神がおられることを信じていたので罪から離れた歩みをしていたばかりでなく、常に神を求めて生きていました。彼は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを信じていたのです。

 

God is not Deadという映画をみました。 日本語のタイトルでは「神は死んだか」というタイトルです。あるクリスチャンの大学生が大学の授業で哲学のクラスを受けるのですが、その授業を始める前に教授が生徒たちに「神はいない」と紙に書くよう に強制し、書かなければ単位をあげないというのです。単位が取れないことを危惧した生徒たちは言われるままに書いて提出するものの、納得できないジョシュだけは拒否します。それなら神の存在を証明するように、もしできなかったら落第だと告げられました。ジョッシュは悩みながらも必至で神が存在しているという説明を試みるも、それはかなりハードなことでした。しかし、彼は最後に教授にこう言うのです。「あなたが神を憎んでいるということ。それこそ神が存在している一番大きな事実です。もし神がいなかったら、どうして神を憎むということなどあるでしょうか。」それは大きなかけでもありました。もし証明できなければ大きなリスクを負ってしまうことになりますが、逆に、もしそれを証明することができたら、それこそ多くの人たちにとっての証となります。彼は神の存在を疑いませんでした。神がおられることと、神を求めるものには報いてくださる方であるということを信じたのです。

 

あなたはどうですか。この地上の歩みにおいて、エノクのように、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であるということを、信じているでしょうか。エノクは天に引き上げられましたが、今日も、キリストのうちにある者は、主が天から再び戻って来られるとき、空中に引き上げられるという約束が与えられています。その成就が限りなく近いことをつくづく感じます。それはもしかしたら、私たちが生きている時代に実現するかもしれません。そうすれば、私たちはエノクが経験したように、死を見ることなく天に移されるかもしれません。仮にそれが、私たちが死んだ後であっても、その一生は主とともに生きたすばらしい一生であったと証されることでしょう。そのような生涯を共に歩ませていただきたいものです。

 

Ⅲ.信仰によって箱舟を作ったノア(7)

 

信仰によって生きた人として三人目に取り上げられているのは、ノアです。7節にはこうあります。「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」

 

ノアが生きていた時代がどのような時代であったかは、創世記6章に記されてあります。6章11節、12節を見ると、「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。」とあります。しかし、ノアは、主の心にかなっていました。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人でした。つまり、彼は、いつも神とともに歩んだのです。

 

そこで、神はノアに対して、間もなく世界中の人々を滅ぼす洪水を起こされると言われました。しかし、ノアとその家族の者たちは救うので、大きな船を作るようにと命じられたのです。その船は、長さ百五十メートル、幅二十五メートル、高さ十五メートルの箱舟で、一万トン級の大きな船でした。彼はそれまでそんな大洪水を経験したことがなければ、船を作ったこともありませんでした。そんな一万トン級の船を作るということにでもなれば、この先何年かかるか、全くわかりません。気の遠くなるような話です。しかし彼はその御言葉を信じて受け入れたのです。今日のようにチェーンソーがあったわけではありません。どのようにして大木を切り倒したのでしょうか。ノアと三人の息子の四人だけで造ったとしても、おそらく百二十年はかかったでしょう。創世記6章3節には、「それで人の齢は、百二十年にしよう。」とありますが、これは人の寿命が百二十年に定められたというだけでなく、その日から大洪水が起こるまでの年数であったとも考えられます。それは気の遠くなるような大仕事でした。しかし、ノアは信仰によってそれに挑戦したのです。すなわち、ノアはたとえ常識では考えられないようなことでも、主によって命じられたことであれば、それをそのとおりに受け止めて実行したのです。それが信仰です。来る日も来る日も、彼らは山へ行き、何日もかかって木を伐採しました。それを見ていた回りの人たちは、どんなにバカにし、嘲笑ったことでしょう。「ノアもとうとう気が狂っちゃったんじゃないの」と思ったことでしょう。

 

皆さんさんだったらどうですか。全く雨が降らない時代に、神がこの地上のものを滅ぼすので、あなたは箱舟を造りなさいと言われて、「はいよ」と言って造るでしょうか。最近私は、一年前の母の日に娘が家内に贈ってきた小物入れのラックを組み立てました。それを組み立てるのに要した時間は約30分です。たった30分なのになかなか組み立てられませんでした。組み立てる気がなかったからです。だから、それを組み立てるのに一年もかかってしまいました。まして、ノアに与えられたプロジェクトは

120年もかかる大仕事でした。どんなに暇でも造る気にはなれないでしょう。

しかし、ノアにとって神のことばは絶対でした。彼は、神によって語られたことは必ず起こると信じていました。つまり、大洪水は必ず起こると信じていたのです。しかも、それは世の罪をさばくための神のさばきとしての大洪水です。ですから、創世記6章22節には、ノアは箱舟を作り、その中に入って救われるようにと神から言われた時、「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。」とあるのです。たとえ自分の常識の枠の中に納まらないことであっても、神の御言葉に従うのが信仰であり、それが神に喜ばれる道なのです。

 

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神のみもとに来る人はだれでも、神が存在することと、神を求める人には必ず報いてくださる方であるということを信じなければなりません。アベルやノアやエノクのような生き方こそ、神のみもとに来る人です。彼らは神が存在すること、つまり神が生きておられるということと、神に求めることには必ず答えてくださる方であるということを信じました。つまり、神は生きて働いておられる方であると信じ、そのことばに従ったのです。

 

私たちもそうありたいですね。聖書には天国があると書いてあるけど本当かなと疑ってみたり、信じようとしないのではなく、神の約束の言葉は必ず実現すると信じて、その言葉に自分の人生をかける者でありたいと思います。それが信仰です。義人は信仰によって生きる。神はそのような人を喜んでくださるのです。

申命記19章

きょうは、申命記19章から学びます。まず1節から7節までをご覧ください。

 

 1.のがれの町の制定(1-7

 

「あなたの神、主が、あなたに与えようとしておられる地の国々を、あなたの神、主が断ち滅ぼし、あなたがそれらを占領し、それらの町々や家々に住むようになったときに、あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられるその地に、三つの町を取り分けなければならない。あなたは距離を測定し、あなたの神、主があなたに受け継がせる地域を三つに区分しなければならない。殺人者はだれでも、そこにのがれることができる。殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である。たとえば、木を切るため隣人といっしょに森にはいり、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだ場合、その者はこれらの町の一つにのがれて生きることができる。血の復讐をする者が、憤りの心に燃え、その殺人者を追いかけ、道が遠いために、その人に追いついて、打ち殺すようなことがあってはならない。その人は、以前から相手を憎んでいたのではないから、死刑に当たらない。だから私はあなたに命じて、「三つの町を取り分けよ。」と言ったのである。」

 

ここには、イスラエルの民が約束の地を占領しそれらの町々や家々に住むようになったとき、その地に三つの町をとりわけなければならない、とあります。何のためでしょうか。殺人者がのがれることができるためです。つまり、ここにはのがれの町が制定されているのです。のがれの町とは何でしょうか。これはすでに民数記35章で学んだように、知らずに人を殺してしまった者が、のがれることができるように定められた町です。知らずに人を殺してしまった場合とはここに一つの事例が紹介されているように、たとえば、木を切るため隣人といっしょに森にはいり、木を切るために斧を手にして振り上げたところ、その頭が柄から抜け、それが隣人に当たってその人が死んだような場合です。このような場合、彼は故意に人を殺したわけではないので、殺された人の家族などが憤りに燃えその殺人者を追いかけ打ち殺すことがないように、のがれの町を用意されたのです。もしそれが故意の殺人であったならその者は必ず殺されなければなりませんでしたが、そうでなかったら、その人が殺されることがないように守らなければならなかったのです。なぜなら、殺された者の家族なり、親しい人が、それが故意によるものであろうとなかろうと関係なく、怒りと憎しみが燃え上がり復讐するようになるからです。そういうことがないように神はこれを定められたのです。

 

2.憎しみからの殺人(8-14

 

 次に8節から14節までをご覧ください。

 

「あなたの神、主が、あなたの先祖たちに誓われたとおり、あなたの領土を広げ、先祖たちに与えると約束された地を、ことごとくあなたに与えられたなら、・・私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令をあなたが守り行ない、あなたの神、主を愛し、いつまでもその道を歩むなら・・そのとき、この三つの町に、さらに三つの町を追加しなさい。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとしておられる地で、罪のない者の血が流されることがなく、また、あなたが血の罪を負うことがないためである。しかし、もし人が自分の隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかり、彼を打って、死なせ、これらの町の一つにのがれるようなことがあれば、彼の町の長老たちは、人をやって彼をそこから引き出し、血の復讐をする者の手に渡さなければならない。彼は死ななければならない。彼をあわれんではならない。罪のない者の血を流す罪は、イスラエルから除き去りなさい。それはあなたのためになる。あなたの神、主があなたに与えて所有させようとしておられる地のうち、あなたの受け継ぐ相続地で、あなたは、先代の人々の定めた隣人との地境を移してはならない。」

 

8節からの教えは、主が、イスラエルの先祖たちに与えると約束された地を、ことごとく彼らに与えられてからのことです。7節には、「だから私はあなたに命じて、「三つの町を取り分けよ」と言ったのである。」とありますので、これはヨルダン川の東側、もうすでに彼らが獲得し、ルベン人とガド人、そしてマナセ半部族が相続していた地でのことでした。それと同じように、これから入って行って、占領すべき地においても同じように三つののがれの町を設けるようにと命じています。なぜでしょうか。それは、「罪のない者の血が流されることがなく、また、あなたが血の罪を負うことがないため」です。

 

しかし、もし人が自分の隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかり、彼を打って、死なせ、これらの町の一つにのがれるようなことがあれば、彼の町の長老たちは、人をやって彼をそこから引き出し、血の復讐をする者の手に渡さなければなりませんでした。彼は死ななければならなりませんでした。故意に人を殺してしまった場合は、殺してしまった者は、死をもって報いなければならなかったのです。たとえ彼が逃れの町に入っても、そこから引きずり出して、血の復讐をする者の手に渡さなければなりませんでした。

 

なぜでしょうか。それは殺人者への憎しみのためではありません。神の正義のゆえです。神は義なる方であり、その正義のゆえに、人を殺してしまった者に対してはその死をもって報いなければならないのです。この正義によるさばきと、憎しみのよる復讐とは、まったく別物であり、区別しなければなりません。新約聖書において、たとえば、ヤコブの手紙の中には次のように記されてあります。「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(1:20私たちが怒って行なったことは、神の正義を実現するものではありません。たとえば、日本において、死刑制度の是非がよく問われますが、それは被害者の家族の感情から主張されることが多いですが、そのような動機によって、人をさばいてはいけません。人はあくまでも、神の正義のゆえに、また神の秩序のゆえにさばかれなければならないのです。ここでは明らかに自分の隣人を憎み、計画的に人を殺しとあるので、情状酌量の余地はありません。そういう人は死ななければなりませんでした。そのようにしてイスラエルから悪を取り除かなければなりませんでした。それがあなたのためになったからです。そのような悪を取り除くことによって、それがパン種のようにイスラエル全体に広がることを防いだからです。もしこれを野放しにしたら、憎しみの連鎖がイスラエル全体に広がり、まったく神の秩序が保てなくなるでしょう。このようにして悪を取り除くことによって、彼らは神の正義をしっかりと保つことができたのです。

 

3.偽りの証言(15-21

 

 次に15節から21節までをご覧ください。

「どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行なわないであろう。あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。」

 

17章で学んだように、どんな咎でも、どんな罪でも、すべての人が犯した罪は、ひとりの証人によって立証されてはなりませんでした。必ずふたりか三人の証言によって、そのことが立証されなければなりませんでした。もしその証言が食い違った場合は、どうしたら良いのでしょうか。そのような時には、相争うこの二組の者が主の前に出て、祭司たちとさばきつかさたちの前に立ち、調査をされなければなりませんでした。そして、偽りの証言者は、厳しく罰せられなければなりませんでした。彼にあわれみをかけてはなりませんでした。ここでこの有名なことばが出てきます。「いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。」

 

これがさばきをするときの基準です。加害者が、その与えた害と等しいものを刑罰として受ける、という原則です。目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足です。そしていのちにはいのちです。それ以上のものを要求することはできませんでした。人間は往々にして目を取られたら憎しみのあまり耳も、鼻も、手も、足も、いのちも奪おうとします。しかし、目には目なのです。そして、歯には歯です。それ以上は赦されていません。

 

しかし、イエス様はこう言われました。「目には目で、歯には歯で、と言われるのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打たれたら、左の頬も向けなさい。」(マタイ5:38-39どういう意味でしょうか?

これは、復讐に生きるのではなく、神の愛と神の義に生きるようにということです。それは人間の思いをはるかに超えた基準です。しかし、神の愛によって贖われた者は、その大いなる神のあわれみを経験した者として、この神の愛に生きることができる。それが神の民の生き方であり、そのように導くものが神のみことばとご聖霊の力なのです。

 

ところで、こののがれの町については、すでに民数記でも語られていましたが、それが指し示していたのは何だったのでしょうか。それは、イエス・キリストによる赦しです。民数記35:25-28には、次のようにありました。

「会衆は、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、会衆は彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならない。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。もし、その殺人者が、自分が逃げ込んだのがれの町の境界から出て行き、血の復讐をする者が、そののがれの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺しても、彼には血を流した罪はない。その者は、大祭司が死ぬまでは、そののがれの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後には、その殺人者は、自分の所有地に帰ることができる。これらのことは、あなたがたが住みつくすべての所で、代々にわたり、あなたがたのさばきのおきてとなる。」

 

それは、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、やがて彼が、自分の所有地に帰ることができるようにするためでした。いつ自分の所有地に帰ることができたのでしょうか。それは大祭司が死んでからです。それまではそこにとどまっていなければなりませんでした。誤ってその境界から出てはなりませんでした。出るようなことがあれば、殺されても何も文句を言うことはできませんでした。ずっとそこにとどまり、やがて大祭司が死ねば、自分の所有地に戻ることができたのです。大祭司の死は、その在任中に殺された被害者の血を贖うのに十分なものだったからです。

 

つまりこののがれの町は、イエス・キリストを指し示していたのです。私たちは故意によってであっても、偶発的であっても、罪を犯す者でありますが、しかし、私たちの大祭司イエス・キリストの死によって、彼のもとに逃れて来た者たちが罪によって失われた約束を受けるに足る者となり、キリストが約束された永遠の住まいに帰ることができるようになったのです。このすばらしい神の恵みに感謝して、この恵みにしっかりととどまり続ける者でありたいと思います。

ヘブル11章1~3節 「信仰とは」

きょうは、へブル人への手紙11章前半の箇所から、「信仰とは」というタイトルでお話します。このヘブル書の著者は10章18節まで述べてきたことを受けて、三つのことを勧めました。それは、全き信仰をもって、真心から神に近づこうということ、そして、動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではないかということ、そして、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではないかということです。それは一言で言えば、義人は信仰によって生きるということです。キリストの血によって救われた者は、信仰によって生きなければなりません。恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者でなければならないのです。

そこで、それに続く今回の箇所には、それでは信仰とは何ですかというテーマを取り上げ、信仰によって生きた人を紹介しながら、信仰によって生きるとはどういうことなのかが述べられています。

 

Ⅰ.信仰とは(1)

 

まず、1節をご覧ください。

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

 

ここで著者は初めに、信仰とは何であるかを説明しています。そして、信仰とは望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものであると言っています。どういうことでしょうか?それはまず、「望んでいる事がらを保証する」ことです。「望んでいる事がら」というのは、自分が望んでいることではありません。それはこれまでも何度か出てきましたが、神ご自身、あるいはキリストご自身のこと、そして、神によってもたらされる天における報いことを意味していることがわかります。たとえば、 10章35節には、「ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。」とありますが、それは信仰によって歩んだ人が天において受ける報いのことを指していることがわかります。天において受ける大きな報い、それこそ私たちの希望なのです。そしてその希望を保証するもの、それが信仰なのです。ですから、信仰とは無闇やたらに信じる盲信とは違い、確かな証拠があって、それを認識することにほかなりません。

 

この「保証する」という言葉は、「下から立たせる」という意味があります。たとえば、建物を建築する際には契約書を交わしますが、その条項など、物事を成り立たせるための根拠や実体のことです。建物はそれによって成り立っているわけです。したがって、信仰が望んでいる事がらの実体であるというのは、この天における報いは信仰をとおして成り立つものであり、信仰がなければまったく成り立たないものである、という意味です。信仰の反対語は疑いとか恐れですが、私たちが、神がおられること、また神が約束してくださっていることを、疑いながら聞いているとしたら、あるいは、そんなことを信じたら人に変に思われるのではないかという恐れを抱いているとしたら、それは私たちを支える希望ではなくなってしまいます。すなわち、天の希望は、信仰があってのみ、生きて働くものなのです。

 

次に、ここには、目に見えないものを確信させるものです、とあります。どういうことでしょうか?創造主訳聖書では、「将来に起こることを確かなものとしてつかむ手であり」と訳しています。とてもわかりやすい表現だと思います。私たちが希望として持っている事がらは、みな目に見えないものです。たとえば、神とか、キリストとか、そして天にあるものはみな、物理的に見ることはできません。それらは科学的に検証することもできません。しかし、私たちはやがてこの地上での生活を終えた後、天国へ行くことができると確信しています。それはどのようにしてかというと、信仰によってです。それをしっかりとつかむことができる手こそ信仰にほかなりません。

 

なぜそのように確信することができるのかというと、それは、私たち信じる側に何らかの根拠があるからではなく、信じている対象である神が確かな方であられるからです。科学的に物事を認識しようとする人は、目で見て、耳で聞いて、手で触れて確かめますが、信仰という目で見る人は、肉眼で見ることができないものでも、そこに確かな証拠を見ることができるのです。それは神の確かさです。それは、神が私たちを救ってくださったということによってわかります。なぜなら、神はそのためにひとり子さえも犠牲にして、本来、私たちが受けなければならない罪の身代わりとして十字架で死んでくださったほどに私たちを愛してくださった方だからです。その方が私たちのために約束してくださるのが、この聖書ですから、そこには確かな証拠があると言えるのです。将来起こることは目で見ることはできませんが、神が約束してくださったこの聖書によって確かなものとしてつかむことができるのです。

 

したがって、「信仰」とは、自分が願っているものを何回も自分に言い聞かせて、それがかなえられるようにと神に押し付けることではなく、神が言われたこと、また神が願っておられることを、そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑いもせず、そのとおりになると確信することなのです。

 

そして、そのような信仰をもって生きるということがどれほど確かな生き方であるかは、その結果をみれば明らかです。この自然界とか、この世の現象しか信じない人は、今見ているものとか、手でさわることができるもの、あるいは耳で聞こえるものしか確かなものと思っていませんから、将来起こる事や超自然的な事については、何もわからないのです。ですから、そういう人は、いつも将来のことについて不安があり、思い煩わなければなりません。将来、何があるかなんてたれにもわからないのですから、いくら将来のことについて計画を立てても、自分にとって不都合なことはその中には入れていないので、いざそういうことが起こると、どうしていいかわからなってしまうのです。たとえば、何歳の時に大病するかとか、何歳になったら失業するかとか、何歳の時に家族の間に大きな問題が起こってくるかといったことは全くわかりません。わからないのですから、考えようがないわけです。ところが、私たちの人生には思いがけないことが起こってくるものです。

ある人が人生には三つの坂があると言いました。一つは上り坂、もう一つは下り坂、そして三つ目の坂はまさかです。そのまさかということが起こってくることがあるのです。そして、あわてふためくことになるわけです。そのような時に備えて、ある人は生命保険に入っていたり、損害保険に入っているから大丈夫だという人がいますが、そうしたものが心の問題までケアしてくれるでしょうか。

それでは、どんなことが起こっても大丈夫だという心備えはどのようにして出来るかというと、それこそ信仰によってなのです。私たちがこの地上での生活をしていく時、突然にして大きな問題が起こってくることがありますが、そのような時に、自分の知恵や力ではどうしようもないということが分かっていても、なおこの地上の何かを頼りにしていたのでは、生きる根底が揺らいでしまっている以上、どうしようもありません。ところが、信仰を持つということは、この有限の世界、相対の世界、自然界というものを越えた永遠で、無限で、絶対で、超自然の世界である神の国の確かさに立って生きるということですから、その人を生かす力は過ぎ行くこの世からではなく、動くことのない永遠の世界から来るということです。ですから、どんなことが起こっても、揺らぐことはないのです。

 

あなたはこの手を持っていますか。将来に起こることを確かなものとしてつかむ手です。どうかそのような手を持ってください。そして、どんなことがあっても揺り動かされることがない確かな人生を歩もうではありませんか。

 

Ⅱ.信仰によって称賛される(2)

 

次に2節をご覧ください。ここには、「昔の人々はこの信仰によって称賛されました。」とあります。

 

「昔の人々」とはだれのことでしょうか。これは神を信じて生きた昔の人々、つまり、旧約聖書の中で信仰に生きた人たちのことです。具体的にはこの後に列挙されています。4節にはアベルという人物のことが、5節にはエノク、7節にはノア、8節以降はアブラハム、20節にはイサク、21節ではヤコブ、23節にはモーセ、30節ではヨシュア、31節にはラハブ、そして32節には、「これ以上、何を言いましょうか。」と、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエルと続きます。これらの人々については次回から少しずつ見ていきたいと思いますが、ここではその総括として、次のように言われています。

「昔の人々はこの信仰によって称賛されました。」

 

「称賛」という言葉は、下の説明には※がついていて、直訳で「あかしを得たのです」とあります。信仰によって生きる人は、彼らがいかに生きたのかというあかしを残したということです。それほど良い評判を得ました。その良い評判とは、まず何よりも神からの良い評判であり、それはまた、人々からの良い評判でもありました。それは今日でも同じで、信仰によって生きる人は神からも、人からも良い評判を得るのです。

 

なぜ信仰に生きる人はこのような称賛を受けるのでしょうか。なぜなら、神によって生きる人は神のようになるからです。キリストにあって生きる人はキリストのようになるはずだからです。この世のように自分中心の生き方ではなく、キリストのように他の人のことを考え、自分を犠牲にしてまで他の人のために生きるので、多くの人の心を引き付けるのです。

 

ルカの福音書10章27節には、黄金律と呼ばれている聖書の言葉があります。それは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(ルカ10:27)という言葉です。

ある人がエルサレムからエリコに下る道で、強盗に襲われ、半殺しにされました。そこにたまたま、祭司がひとり、通りかかりましたが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行きました。

次にレビ人がそこを通りかかり、彼を見ましたが、同じように反対側を通り過ぎて行きました。

ところが、サマリヤ人といってそこに倒れている人と敵対関係にあった人がそこに来合わせると、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやりました。そして、翌日、彼はデナリ硬貨と言って1デナリは1日分の給料に相当しますから約5,000円くらいでしょうか、それを2枚取り出して、宿屋の主人に渡してこう言いました。「この人を介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。」

さて、この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったでしょうか。その人にあわれみをかけてやった人です。

そこでイエス様はこう言われました。「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカ10:37)

 

これが神を信じて生きる人の生き方です。キリストはそれを文字通りなされました。私たちのために自らの命を捨てて、十字架で死んでくださることによって、神の愛を明らかにしてくださいました。そのような人が人々から尊敬され、称賛を受けるのは当然のことです。

 

あの3.11の後で宮城県の沿岸地方や岩手県の三陸地方にいち早く入り復旧作業をしたのは、サマリタンパースというクリスチャンの団体でした。彼らは特に津波で流されたり、壊れた家屋を直したりするのを手伝いました。するとその地の住民はその愛の心と行動に感動し、彼らが働きを終えて帰国する時、教会にやって来て心からの感謝を表しました。それは、彼らが自分を犠牲にしても人々に仕える生き方の中に本物の愛を感じ取ったからです。キリストを信じ、キリストのように生きる人に人々の心は引き付けられ、称賛されるのです。

 

それならどうして多くの人たちがイエス様を信じないのでしょうか。そこには二つの理由が考えられます。一つは、多くの人たちは聖書の神を知らないからです。聖書の神がどんなにすばらしい方であるかがわかったら、そのような神を信じたいと思うはずです。しかし、日本人の多くは、さわらぬ神にたたりなしで、逆に宗教には関わらない方が良いと思っているために、こんなにすばらしい神様のことがわからないのです。

もう一つの理由は、イエス様を信じたらからといってすぐにキリストにある成人として成長していくかというとそうではなく、そのためには時間がかかるのです。そのためには自分をキリストに明け渡し、自分の心をキリストによって支配していただくように願い求め、それを日々の生活の中に適用していくという訓練が求められます。そのためには時間がかかるのです。しかし、どんなに時間がかかってもキリストのようになることを祈り求めるなら、必ずそのように変えられ、その信仰によって神からも、人からも、良い評判を得るようになるのです。

 

Ⅲ.神のことばを信じることから(3)

 

最後に、3節をご覧ください。

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」

 

どういうことでしょうか?ここには、神が天地を創造された時、どのようにしてそれを成されたかが語られています。そして、それは神のことばによってです。神が「光よ。あれ。」と仰せられると、そのようになりました。この世界のすべてのものは、神の御言葉一つによって造られました。ということはどういうことかというと、この世界のすべてのものは、何も無いところから神が創造されたということです。目に見えるものはすべて、見えないものからできているのです。

 

このように神が創造者であられるということは、私たち人間を含めすべてのものが神の支え無しには生きていけない存在であるということを意味しています。このことが本当に分かれば、私たちはもっと神を恐れ、神に信頼して生きるようになるのではないでしょうか。

 

イエス様は、こう言われました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)。神の国とその義とをまず第一に求めるなら、それに加えて、これらのもの、これらのものとは衣食住のことを指していますが、これらのものはすべて与えられるのです。

 

皆さん、私たちは優先するべきものを間違えてはいけません。何を食べるか、何を飲むか、何を着るかといったものは異邦人、つまり神を知らない人たちが切に求めているものです。しかし、天の神様は私たちがそれらのものを必要としている事をよく知っていらっしゃいます。だから神の国とその義とをまず第一に求めなければならないのです。イエス様は、その順序を間違えてはならないと教えて下さったのです。

 

もしかすると私たちは、この神の国の一員とされているということの意義をあまり深く認識していないかもしれません。「ああ、救われて良かった。天国に行けるようになった。」とそれを将来のことに限定してしまい、現在この地上にあっても神の恵みと力に与れるようにして下さっているということにそれほど気付いていないのかもしれません。しかし、神の国はあなたがたのただ中に来ました。私たちはこの神のご支配の中に生かされているのです。それはものすごい恵みであり、祝福なのです。しかし、そのことを知らなければ、何も出来ません。

 

アメリカでの話ですが、ある農家の方がいまして、土地がやせていて少しも儲からないので、ある日「あなたの土地を掘削させて下さい。」という人が訪問した時、「あそこは肥料をやっても何も育たないやせ衰えた土地だからどうぞ勝手にやって下さい」と言いました。日も経ずしてそこからは巨大な油が出てきたのです。一日にして、彼は億万長者になってしまいました。ずっと前からその祝福は与えられていたのですが、彼らはそれを知らなかったのです。だから貧しい生活に甘んじなければなりませんでした。

 

もしかしたら私たちもそのようなことがあるのではないでしょうか。神の国のすばらしい恵みと祝福を受けていてもそれを小さく考えてしまい、限定してしまっている為に、その恵みを十分に味わえないでいるということがあるのではないでしょうか。折角神様を知ったのですから、この神の国の豊かさに与っていく者でありたいと思います。本当に多くの方が悩み苦しみの中にあってもなお喜ぶ事が出来るそういうクリスチャンにならせていただく事が大切なのではないでしょうか。「どうしてクリスチャンの人たちってあのように平安でいられるのでしょうね?」と言われる者にならせていただきたいですね。

 

それは、神の国とその義とを第一に求めることから始まります。その順序を間違えてはなりません。もし私たちが心から神様にお従いするなら、そこはまさしく神の国となるのです。信じるという事はそこに従うという意味も含まれているのです。神様に心から「お従いします」という心の中において歩む人たちの中には神の国がそこに現われていきます。そして、そこには色々な形で神様の奇蹟が現れてくるのです。

 

キリストの弟子であったシモン・ペテロはどうだったでしょうか。彼はガリラヤ湖の漁師でした。ですから、ガリラヤ湖の事でしたら何でも知っていました。どこが浅くて、どこが深いか、いつ、どこに網を下ろせば魚をとることができるか。でも彼らは一晩中網を下ろしても一匹の魚も取れませんでした。その時イエス様が、「船の右側に網を下ろしてみなさい。」と言われました。皆さんならどうしますか?イエス様とはいえ、漁に関してはペテロの方がプロです。でもペテロはその時、「夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばとおりに、網をおろしてみましょう。」(ルカ5:5:)と言って網をおろしました。するとたくさんの魚が入り、網が破れそうになっただけでなく、二そうとも沈みそうになりました。これ神の御力です。

 

「また神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1章19節)

 

信じる者に働く神のすぐれた力が、あなたの内にも宿っています。イエス様を信じたことで神の国があなたのところにも来たのですから、あなたにもこの力が宿っているのです。問題はあなたがそのことを知って、信じるかどうかです。神様の御言葉に信頼し、その御言葉に従うかどうかという事なのです。

 

信仰はこの神の言葉を信じることから始まります。あなたが信仰に立つなら、神様はそこに御業をなされます。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。どうか、将来起こることをつかむ手をもって神の約束をしっかりと握りしめてください。