「天国か地獄か」 N043
Ⅰ.主の御名が遠くから来る(27-28)
これまでイスラエル(ユダ)を苦しめていたアッシリヤをさばくために主が来られる。その怒りは燃える炎のようで、向こう見ずの暴れ馬を手綱でギュと締めるようにアッシリヤを扱われる。そのようにして主は、神の民がそれ以上苦しむことがないように助けてくださるのだ。これは世の終わりの預言でもある。世の終わりにも主に戦いを挑むこの世の軍隊がハルマゲドンに集結するが、主は御口から出る剣によって完全に敵を打ち破られる。それはいつの時代も同じである。いつの時代でも主は、ご自分の民を苦しめる敵を打ち破るために来てくださる。あなたは、主が来られるのを待ち望まなければならない。
Ⅱ.喜びと楽しみを与えてくださる神(29)
主があなたのところに来られ敵を打ち破られるとき、「あなたがたは、祭りを祝う夜のように歌い、主の山、イスラエルの岩に行くために、笛に合わせて進む者のように心楽しむ。」(29)かつてイスラエルがエジプトから出たときもそうだった。エジプトから救われた彼らは紅海を目の前にして、追ってきたエジプト軍に何も成す術がなかった。まさに背水の陣である。しかし、神は紅海を真っ二つに分け、そこにかわいた道を作り、彼らが通って救われるようにしてくださった。その偉大な神の御業をみたとき、モーセとイスラエルは主に向かって、心からの賛美をささげた。またモーセの姉、女預言者ミリヤムは、タンバリンと踊りで主をほめたたえた。そのような喜びを与えてくださる。そして主はひとり子イエス・キリストによってもっと偉大なことをしてくださった。イエス・キリストによって人類を縛っていた罪の縄目から解放してくださったのである。そして、やがて天の御国で永遠に喜び楽しみながら、主をほめたたえるようにしてくださるのである。
Ⅲ.アッシリヤはおののく(30-33)
アッシリヤに対するさばきはイスラエルにとっては喜びの時であるが、アッシリヤにとってはそうではない。それは恐怖と嘆きの時である。アッシリヤに対する主の怒りは「威厳のある御声、激しい怒り、焼き尽くす火の炎、大雨、あらし、雹の石」(30)となる。アッシリヤは全く気力を失うようになる。そして、最後はトフェテに投げ込まれる。「トフェテ」とは「焼き場」のこと。ギリシャ語では「ゲヘナ」で、地獄のことである。そこには火とたきぎとが多く積んである。その火は永遠に消えることがない。永遠に燃える火の中で苦しみ続ける。それが地獄である。アッシリヤは、そこに投げ込まれる。このアッシリヤとは反キリストのことである。悪魔とその使いの悪霊たち、そしてその悪魔に従って神を拒み続けた者たちのことである。彼らはこのトフェテに投げ込まれるのである。神が愛ならどうして人を地獄に落とすようなことをされるのか?それは違う。地獄はもともと人間のために用意されたものではなく、サタンと悪霊たちのために用意されたものである。神はこんなひどい所に人間を送りたいなど微塵も思っていない。むしろひとりも滅びることを願わず、すべての人が救われることを望んでおられる。そのために神は御子をこの世に与えてくださった。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神はそれほどにこの世を愛してくださった。にもかかわらず地獄に行く人がいるとしたら、それはその人が行きたいと願っているからである。別に天国なんかに行かなくてもいい。どうせ死んだら終わりなんだから。天国も、地獄もない。あるのは中国だ。などと言って信じようとしないのである。そして、残念ながらその数は私たちが思っているよりも多い。
しかし、イエスを信じる者が地獄に行くことは決してない。イエスを信じる者はみな救われて天国に行くのである。だから今のうちに、チャンスがある今のうちに、天に宝をたくわえてほしい。イエスを救い主と信じて受け入れ、天国に入るために備えていただきたい。ほんとうに価値あるものは朽ちないものである。この朽ちないいのち、永遠のいのちを与えるために、イエスはあなたのところに来てくださった。その神の恵みを受け入れて、あなたも喜びと感謝に溢れて主をほめたたえる世界に入っていただきたいと切に願うものである。
まとめ(自分に適用してみましょう!)
・あなたは主が来られるのを待ち望んでいますか?今、主があなたのところに来られても大丈夫ですか?
・あなたには救いの喜びがありますか?目の前の困難に対してつぶやいたり、あきらめたりしていませんか?
・あなたはイエス・キリストを救い主として信じていますか?天国に行く備が出来ていますか?