使徒の働き23章1~11節 「きよい良心をもって」

きょうは「きよい良心をもって」というタイトルでお話したいと思います。今読んでいただいた箇所には、パウロがなぜユダヤ人に訴えられたのかを知ろうとした千人隊長が、ユダヤ人議会にパウロを連れて来た時の様子が記されてあります。この箇所は異邦人であった千人隊長によってユダヤ教の議会が招集されたり、そこでパウロが発言することが許されていることなど、普通では考えられないことが記されてあるので、使徒の働きの中でもその史実生が疑われている箇所ですが、しかしここに描かれているパウロの姿には、実に印象深いものがあります。パウロはユダヤ教議会の前に立たせられると、ユダヤ教の祭司長や長老たちを前にして、臆することなく、次のように言いました。1節です。

「パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」

パウロは、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来たと言いました。それはいたずらに人を恐れたり、人の顔色をうかがったり、媚びへつらったり心ではなく、神の御前で自らが信じるところに立って行動してきたという宣言です。周りがどう言おうと、上からどう押しつけられようとも、神の御前にあって「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言うことのできる精神の自由さです。それは24章16節のところに、「私はいつも、神の前にも人の前にも責められるところのない良心を保つように、と最善を尽くしています」と言われている良心の自由のことです。私たちも、このような良心の自由をもって生きることができたらどんなに幸いなことでしょうか。

きょうはこのきよい良心をもって生きることについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、クリスチャンの生き方は、「良心的」な生き方であるということです。神の前にも人の前にも責められるところのない良心もって生きること、それがクリスチャンの生き方の根本にあるものです。第二のことは、的はずれの良心についてです。ユダヤ教の指導者たちは、それぞれ自分にとって良かれと思って行動していましたが、結局それは的をはずした良心でした。キリストの十字架という基盤なしに、生まれながらの人間の良心というものは、結局、的はずれに終わってしまいかねません。第三のことは、しかし勇気を出しなさいということです。全くきよい良心を持って生きようとすればそこには戦いも生じますが、心配する必要はありません。神が共にいていて励ましてくださいますから。

Ⅰ.きよい良心をもって(1-3)

まず第一のことは、クリスチャンの生き方というのは良心的な生き方であるということについて見ていきたいと思います。1-3節をご覧ください。パウロは、ユダヤ人議会の前に立たせられると、議会の議員たちを見つめて、こう言いました。1節です。

「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」

これは実に大胆な主張でした。並み居るユダヤ教の祭司長や長老たちを前にして、自分が全くきよい良心をもって、神の御前を歩んできたというのですから・・・。パウロはかつてユダヤ教の律法については厳格な教育を受け、神に対しては熱心な者でしたが、その彼がクリスチャンを迫害するためにダマスコに向かっていたとき、そこで復活の主イエスに出会いました。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのですか」という声を聞いたとき、彼は地に倒れ、「あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」という声を聞いたのです。その時彼ははっきりわかりました。自分がこれまで正しいと思ってやっていたことが間違いであったということが。神であるはずがないと思っていたイエスが、実は神であり、救い主であるということがはっきりわかったのです。すると彼は直ちにキリストを宣べ伝えるようになりました。ナザレのイエスこそ神の子、キリストである・・・と。最初はだれも信じませんでした。あんなにキリスト教を迫害していたパウロが、手のひらを返したかのように、今度はイエスがキリストだと言うのですから。しかし、バルナバという人の仲介によって彼はクリスチャン仲間から受け入れられ、認められるようになると、アンテオケ教会から遣わされ、いのちをかけて神の福音を宣べ伝えたのです。そうした彼の行動のすべては、全くきよい良心に基づいたものであったというのです。その良心は、いたずらに人を恐れたり、人の顔色をうかがったり、人に媚びへつらったりするものではなく、神の御前で自らが信じているところに基づいての、人間の尊厳に関わる心です。周りの人がどう言おうと、上からどう押しつけられようと、神の御前にあって「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言うことのできる精神の自由さです。パウロは、そのような全ききよい良心をもって、神の前に生活してきたのです。

皆さん、キリスト教がほかの宗教と大きく違う一つの点はここにあります。すなわち、クリスチャンは良心的であるということです。クリスチャンがほかの人をだましたり、欺いたりしないのはなぜでしょうか。良心的に生きているからです。心の中まで見通しておられる神の御前において、良心的に生きようとしているからなのです。一般的にはそうではありません。一般的には、法律に引っかかるかどうかが、行動に基準となります。そして法律に引っかからなければ何をしても構わないと考えますが、クリスチャンはそうではありません。クリスチャンは、神の御前においてどうであるかが問われるのです。

私が小さい時、母はよく私にこう言いました。「いいかい。悪いことすっと罰が当たったかんない。」母はその頃はまだクリスチャンではありませんでしたから、ワンパクな私を育てようとしたとき因果応報的な考えによって躾けようとしたのでしょう。悪いことをすると必ず罰が当たるから、いい子でいなさい・・・と。確かに「悪いことをすると罰が当たる」と脅されると、なかなか悪いことができなくなるものです。しかし問題は、何が悪いことなのかがはっきりしていないこです。多く場合はそうではないでしょうか。先日那須で聖書入門講座が行われましたが、6回の学びが終わったときそこに参加されたお一人の方がこう言われました。「私は今まで自分が罪人だなんて考えたことがありませんでした。悪いことなんて何一つしていないいい人だと思っていたのに、ここに来て罪人だと聞いてぴっくりしました・・。」

多くの場合はそなんです。一般的な感覚や基準でみたら、法律で定められていることを侵さなければ罪人ではないと思っていますが、クリスチャンはそうではありません。クリスチャンは一般の法律もそうですが、それ以上に神様の目から見てどうなのかということが基準になるのです。私たちの心の中までもちゃんと見通しておられる方の前にどのように生きるのかが問われる。だから人をあざむいたり、だましたりできないのです。

ちょっと前に娘の誕生日があってプレゼントを探していたときのことです。車いすで家の中のいろいろなものを取ろうとするのは大変だからと、卓上の電気コンロやミキサーとかを置ける台を買おうということになりました。リサイクルショップを何軒か回り「あれがいいなぁ」と思うものに目星を付けて翌日買いに行ってみると、前日まで外に置いてむあったはずのテーブルがないのです。中に移したのかなと思って見たところちゃんと重ねて置いてありました。「良かった」と思って早速レジの定員さんに「あのテーブルください」と行って歩み寄ると、ほんの少し遅れて別の方も他の店員さんを連れてやって来て「このテーブルです」と指さしたのです。どうも同じテーブルが欲しかったようなのです。しかもよく見たらその方はよく知っているクリスチャンの老夫妻でした。「あら先生でしたか。教会の聖餐式に使うテーブルを探してまして・・」「でもいいんです。先生の方が早かったんですから、ご心配しないでください」と言われました。こっちは娘の誕生プレゼント、かたや教会の聖餐で使う台です。そう言われるとどうも平安がないのです。確かに私の方が5秒ほど早かったし、私がこれを買うことが決して悪いわけではありません。しかし「聖餐に・・」と言われると、神様のものを奪っているようで心が騒ぐのでした。店を出てからすぐに家内に電話しました。「聖餐の台に使うんだって。私の方が早かったのよ。決して悪いことをしているわけじゃないと思う。でも聖餐に使うと聞くと使えないよね」結局、電話して、もしお使いになるのでしたらどうぞ使ってくださいと申し上げました。すると、遠慮されたのかどうかわかりませんが、「あら、いいんですわよ。今別にないわけじゃなくて別のものを使ってるんですけど、それが小さいからもう少し大きいのにしようかと思って探していただけですから」と言われたので、「それじゃ、こちらで使わせていただきます」と言って使うことにしました。

悪くはありません。私の方が5秒早かったんですから・・。しかし、クリスチャンにはそういうこととは別の基準があるのです。それは神様から見たらどうかということです。神様がご覧になられて喜んでおられないならそれは良心が責められることになってしまいます。24章16節のところでパウロは、「神の前にも人の前にも責められるところのない良心を保つように、と最善を尽くしています」と言っていますが、これこそ私たちの行動の基準なのではないでしようか。

ところで、パウロがそのように言うと、大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じました。いったい何が問題だったのでしょうか。何が彼をそんなに怒らせたのでしょう。わかりません。おそらく、パウロがこれまで自分のやって来たことが神の御前に正しいことであるかのように言ったことが、彼の心に痛く響いたのでしょう。するとパウロはアナニヤに向かってこう言いました。3節です。

「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従ってわたしをさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」

「白く塗った壁」とは、しっくいで上塗りされた壁のような心のことです。つまり倒れかかった壁をしっくいで白く塗れば、その危険な状態が隠されてしまいますが、そういう壁のことです。それは今にも倒れそうな危険な状態なのに、ただそれが見えないようにカモフラージュしているだけなのです。かつてイエス様は律法学者やパリサイ人に向かって「あなたがたは白く塗った墓のようなものだ」と言われました(マタイ23:27)。墓はその外側が美しく見えても、内側はというと、死人の骨や、あらゆる汚れたものでいっぱいですが、まさに彼らは外側は正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだという意味です。ここでは白く塗った墓ではなく、白く塗った壁だとパウロは言いましたが、その意味はほとんど同じでしょう。外見を美しく装っても、内面は偽善と汚れ、ひびが入った壁のように今にも倒壊寸前の状態なのです。パウロはアナニヤに向かってそのように言ったのです。

これぞ神の御前にきよく、正しく生きている人の姿なのではないでしょうか。相手の人がどのような人であろうとも、そうした人にへつらうことなく、自分の良心にしたがって、自分が正しいと思うことをはっきりと申し上げたのです。それは彼が人に気に入られようとへつらうような生き方をしていたのではなく、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしていたからではないでしょうか。

私たちはどうでしょうか。時に相手によって自分の本心を偽ってしまうということがあるのではないでしょうか。ほらよく「本音と建前」という言葉があるじゃないですか。本音ではなく建前で行動してしまうのです。そんなことを言ったら悪いと思ってしまうからです。その結果、良心が責められるような言動を取ってしまうのです。私たちにとって必要なことは、パウロが神の前にも人の前にも責められるところのない良心を保つように最善を尽くしたように、この神の御前に全くきよい良心をもって歩むことではなのです。

Ⅱ.的はずれの良心(4-10)

次に、的はずれの良心について見ていきましょう。4~10節までをご覧ください。まず4~5節です。

「するとそばに立っている者たちが、「あなたの神は大祭司をののしるのか」と言ったので、パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない』と書いてあります。」

パウロが大祭司アナニヤに向かって、「白く塗った壁。・・あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法に背いて、私を打てと命じるのですか。」というと、すかさずそばに立っていた人が言いました。「あなたは神の大祭司をののしるのですか。」と。するとパウロは、「私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない」と書いてあります。」と。
パウロはほんとうにアナニヤが大祭司であることを知らなかったのでしょうか。良心の自由に従って、たとえ相手が大祭司であってもいいことは「いい」「悪いことは悪い」とはっきりと主張したはずのパウロが、ここに来てシュンと縮まっているかのような印象があるのはどういうことなのでしょうか。ある人はパウロが大祭司をののしった後で、それを注意されるとすぐに態度を翻してしまったのは彼の失敗だったと言っていますが、果たしてそうなのでしょうか。

そうではありません。パウロはアナニヤが大祭司であったことくらいちゃんと知っていました。知っていたからこそ、あれほどはっきりとものを言ったのです。そうであるとしたら、ここでパウロが「私は彼が大祭司だとは知らなかった」と言っているのはどういうことなのでしょうか。それは、かなり厳しい皮肉のことばであったと解するのがいいと思います。つまり、「あれでも大祭司なのですか」といった意味です。まさか彼が大祭司だとは知らなかった・・・という皮肉だったのだと思います。そう言わざるを得ないほど、彼の言動というのは大祭司のそれとはかなりかけ離れたものだったのです。ですからパウロは指導者を悪く言ったことを注意されたので手のひらを返したかのような態度を取ったのではなく、そのように言うことによって、彼らが自分たちの間違いに気づいて悔い改めることを願っていたのだと思います。

それは、その後のところで、パウロが彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、死人の復活についての望みについて語っていることからもわかります。ある人たちは、こうしたパウロの言動は議会を錯乱するためであって、自分の身を守るためだったのではなかったかと考えていますがそうではありません。ここでパウロが死人の復活の希望について取り上げたのは、彼らの本性を暴露するためだったのです。すなわち、彼らの宗教的な装いというのは、神の前の良心にしたがったものでなく、自分たちの都合のよい良心であったというこです。

ですから見てください。パウロがそのように言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れてしまいました。サドカイ人は、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、そのどちらもあると考えていたからです。そして騒ぎがいよいよ大きくなると、パリサイ派のある者たちは、「私たちはこの人には何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いが、彼に語りかけたのかもしれない」と言ったのです。
すなわち、パウロがあえて議会を構成するサドカイ派とパリサイ派というユダヤ教の二大派閥の間に論争を引き起こしたのは、それによって彼らの宗教的な装いの中に潜む俗なる部分を暴き出そうとしたからだったのです。つまり彼らの言動というのは良心から出たものではなく、彼らに都合がいいように、彼ら中心から導かれたところの言動であったということです。それは結局のところ良心に従って行動しているかのようですが、実際はそうでない的をはずした良心に従った行動だったと言えるでしょう。

多くの人は、自分は良心に従って行動していると言いながらも、このサドカイ人やパリサイ人に見られるような的をはずした良心に従っている場合が少なくありません。パウロだってキリストを知る前は自分では良心的な行動をしているはずだと思っていたのに、何と教会を迫害していたのです。自分は良心に従って正しい行動をしているとと思っていても、それが必ずしも正しいとは限りません。良心的行動が正しくあり得るのは、正しい基盤に立った時においてのみなのです。キリストの十字架という基盤なしに、生まれながらの人間の良心というのは、結局、このサドカイ人やパリサイ人の姿に見られるような的はずれに終わってしまうこともあるのです。いや、キリストを信じて生まれ変わったはずのクリスチャンであっても、キリストの十字架という基盤の上に立っているかと言うことを、絶えずみことばによってチェックされなければ、いつしか曲がった方向へ行ってしまわないとも限りません。キリストの十字架という基盤の上に立ちながら、絶えずみことばによってチェックされた全くきよい良心をもって歩む者でありたいと思うのです。

Ⅲ.勇気を出しなさい(11)

第三のことは、勇気を出しなさいということです。ユダヤ人議会での論争がますます激しくなると、パウロが引き裂かれるのではないかと心配になった千人隊長は、再び彼を兵営に連れてきました。するとその夜、主がパウロのそばに立って、このように言いました。11節です。

「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」

このときパウロはかなり落ち込んでいたと思います。血気盛んにエルサレムに乗り込み、いのちをはってあかししたものの、その効果というものはほとんどありませんでした。神殿ではユダヤ人たちの誤解によって大騒動が起こり、ユダヤ教議会においても混乱が生じて兵営に連れて行かれるはめになってしまいました。少しでもユダヤ人の救いのためにあかししたいと思ってやってきたのに、目の前に起こるのは混乱に次ぐ混乱で、相当疲労困憊して孤独の夜を過ごしていたのではないかと思うのです。そんな彼に突如として主が、幻を通して語りかけるのを聞いたのです。「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない」と。これまでも彼は、事あるたびに幻を通して主が語りかけるのを聞いていました。中でもあのコリントでの出来事は強く彼の心に残っていたことでしょう。18章9,10節です。

「ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。」

主は、いつでも必要なときに、必要なみことばをもって励まし、立ち上がらせてくださいます。コリントにいた時にはそうでした。しかし、この夜パウロが聞いた主の御声は、彼の心のさらに奥深く染み渡り、彼を深く慰め、励ましてくれるものだったと思います。主は、パウロのそばに立って「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかししなければならない」と語ってくださったのです。

それはかつてヤコブが兄エサウのもとを逃れておじのラバンのもとにむかっていた時のようだったでしょう。孤独と恐れの中にいた彼は、そのところで一つの石を枕にして横たわると一つの夢を見ました。それは、一つのはしごが天から地に向かって建てられているというもので、その頂は天に届き、神の使いがそのはしごを上り下りしているというものでした。そして主が彼のかたわらに立って仰せられたのです。

「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13~15)

それは孤独の中にいたヤコブをどれほど勇気づけたことかわかりません。あのときヤコブは、その場所の名前を「ベテル」と呼びました。意味は「神の家」です。だれもいなくても、神がともにいてくださるという現実に、勇気百倍受けたのでした。それと同じです。

主がここでパウロに与えてくださった励ましは、単なる景気づけではありませんでした。そこには確かな約束と使命がともなっていたものでした。この旅がエルサレムで終わることなく、さらにローマまで続くという約束です。しかもそれは「ローマでもあかししなければならない」とありますように、必ずそうなるという約束に基づいたものでした。このような神の約束と使命に裏付けられた勇気をいただき、それによって自らを奮い立たせ、立ち上がることができる人は、その神からの励ましと慰めによって同じように意気消沈し、落ち込んでいる人をも励まし慰めることができるようになるのです。その象徴的な出来事がこの後の27章23~26節に記されてあることかと思います。

「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。』
ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます。」

これは後にパウロがローマへ向かう途中で、乗船していた船が難破したときに語ったパウロの言葉です。このとき「勇気を出しなさい」と主から励ましを受けたパウロが、今度はその励ましによって嵐の中で恐れ惑っていた人たちに「元気を出しなさい」と励ましを与えることができたのです。

神の御前に良心の自由が与えられている人は、神の勇気によって励まされるだけでなく、同じような苦しみの中にある人をも励まし、力づける者とされて生きることができるのです。そのような人生に今、私たちも招かれていることを覚えて、この週もまた神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしてまいりたいと思います。

使徒の働き22章22~30節 「生きることはキリスト」

きょうは「生きることはキリスト」というタイトルでお話したいと思います。今読んだ聖書の箇所は、神殿で捕らえられたパウロがユダヤ人に弁明したとき、それを聞いていた群衆が激しく憤ったのを見た千人隊長が、なぜ人々がそんなにパウロに向かった叫ぶのかを知ろうとして、彼をむちで打って取り調べた時の様子が記されてあります。その時パウロは、自分が生まれながらのローマ市民であると、さも自慢するかのように言いました。いったい彼はどうしてそのように言ったのでしょうか。それはパウロが自分の生い立ちを自慢したかったからでも、それを利用してローマに行こうと考えていたからでもありません。パウロがそのように主張したのは、少しでも長く生き延びて伝道するためでした。すなわち、そのように主張することによって彼の命が守られ、神の福音が宣べ伝えられるためだったのです。パウロにとって生きることはキリスト、死ぬことも益でした。彼が望んでいたことは、生きるにしても死ぬにしても、彼の身によって、キリストの御名があがめられることだったのです。

きょうはこの「生きることはキリスト」ということについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、ユダヤ人たちはなぜそんなに怒り狂ったのかについてです。第二のことは、パウロがローマの市民であると主張したことについてです。そして第三のことは、どんな時でも恐れないということです。

Ⅰ.神から与えられている使命を忘れない(22-23)

まず第一に、パウロの弁明を聞いていたユダヤ人たちは、どうしてそんなに怒ったのかについて見たいと思います。22~23節をご覧ください。

「人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない」と言った。そして、人々がわめき立て、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らすので、」

22章1節からのパウロのあかし、弁明は静粛な中で行われました。彼が語ったことは、第一に、自分がクリスチャンになる前も後も律法に熱心な者であったということ、第二に、しかしその熱心は間違っていたということ。律法が与えられていた目的はイエス・キリストを信じるためであったのに、彼はそのイエスを迫害するということをしていたのですから。彼の熱心は的をはずしていた熱心でした。ですから第三のことは、悔い改めて、主イエスを信じ、主イエスをかなめとして生きていきましょうということでした。
パウロは、できるだけ彼らが感情的にならないようにと刺激を与えないように配慮して語りましたが、これを聞いていたユダヤ人たちは、着物を放り投げ、ちりを空中にまき散らしながら、叫んで言いました。「こんな男は、地上からのぞいてしまえ。生かしておくべきではない」と。いったいどうして彼らはこんなにも激しく怒り狂ったのでしょうか。

確かに彼らはパウロの話を聞いていて、それまでにも怒りが積み重ねられていたことでしょう。怒りというのはたいていの場合はそうです。初めはどんなことを言われてもある程度は我慢していても、それが限界に達すると、もはやじっとしていることができなくなります。そしてついには爆発するのです。しかしそうであってもやはり怒りが爆発する引き金となるような出来事があったのではないかと思うのです。この場合はどうだったのでしょうか。

もちろん彼らはパウロの話を聞いているうちに、だんだんと心が穏やかならぬものがあったでしょう。しかし、彼らがこれほどまでに激昂したのには、それなりの理由があったのです。それは、パウロが「主は私に、「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」と言われました。」と言ったからです。(21節)どうしてそれがそんなに彼らを刺激したかというと、彼らには選民意識があったからです。選民意識というのは、自分たちこそ神に選ばれた民であるという意識です。自分たちは選民なのだから、いつも神がともにいてくださる。したがってほかのどの民族よりもすぐれた者であり、自分たちだけが救われるのであって、他の異邦人が救われるためには、自分たちの一員にならなければならないというのです。問題は、彼らがそのように選ばれたのは何のためであったのかということを忘れてしまったことです。申命記7章6~8節を開いてみましょう。ここには、

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家からエジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」

とあります。ここには、彼らが神によって選ばれた聖なる民であり、宝の民であるとあります。神にとって特別な民です。そして、そのように彼らが選ばれたのは、彼らの数が多かったからでも、彼らが力があったからでもありません。そのように彼らが選ばれたのは、主が彼らを愛されたからであり、彼らの先祖たちに誓われた誓いを守られたからです。それは具体的に言うなら、その昔、彼らの先祖であるアブラハムに語られた約束です。創世記12章1~3節です。

「主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福されます。」

ユダヤ人の祖先はアブラハムです。神はアブラハムを選び、彼に、自分の生まれた家を出て、神が示される場所に行くようにと命じられました。そうすれば、彼を大いなる国民とし、彼を祝福する・・・と。そして、地上のすべての民族は、彼によって祝福される・・と。それでアブラハムは自分の生まれ故郷を出て、神が約束された地カナンに出て行ったのです。それは彼を祝福するだけでなく、地上のすべての民族が、彼によって祝福されるためでした。すなわち、アブラハムは地上のすべての民族の祝福の基となるために選ばれたのです。なのにユダヤ人は自分たちが選ばれた目的を見失い、自分たちが祝福されることしか考えられなくなってしまいました。自分たちが選ばれたのは生けるまことの神を、全世界の人々にあかしすることであるということをすっかり忘れてしまったのです。ですからパウロが「行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす」と言われたことを聞いたとき、選民である自分たちを差し置いて、異邦人たちが救われるとは何事だ、そんなことなんて考えられないと怒ったのです。

ここに、民族や人種差別を行う人間の罪の姿というか、本質を見るような気がします。人はみな自分の立場が脅かされると必ず相手を蹴落として、自分を守ろうとするものです。人種差別とかいうようなものは、そういうところから起こってくるのではないでしょうか。ユダヤ人の誤った選民意識も、結局は、そうした自己保身的な罪人の表れにほかなりません。自分たちに与えられた特権を、自分たち以外の民族に侵されたくなかったのです。

最近テレビでハーバード大学のマイケル・サンデルという教授が東大の安田講堂でさまざまなテーマで学生たちに議論させる「白熱教室in JAPAN」という番組が放映されていますが、先週のテーマの中にこの民族意識についての討論がありました。すなわち、大災害で二人の人が負傷しました。一人は同じ民族の人で、もう一人は他の民族の人であったとしたら、しかもどちらか一方しか助けられないとしたら、あなたはどちらの人を助けますかという質問でした。多くの学生は同じ民族の人を助けると答えました。なぜ?同じ民族だからです。しかしこの民族意識が、それにつながらない人々が疎外感を持つというような問題を引き起こしているのではないでしょうか。すなわち、小さくは親族、財閥、派閥といった党派意識から、広くはかつて日本がアジヤで虐殺行為を繰り返したような問題にです。

最近、二人の科学者がノーベル化学賞を受賞しましたが、メディヤはこぞって日本人はこうした化学に強いとか、優秀な民族であるということを強調していましたが、それも同じです。化学の分野で優れた功績を残されたということはすばらしいことだと思いますが、それがこのような民族の優位性を強調することにつながるとしたら、それはまさに選民意識に凝り固まってその本来の目的を見失ってしまったこのユダヤ人たちと何ら変わりがありません。

私たちはこのような民族性を超えたもっと大きな視野でその目的をとらえていかなければなりません。それは、地上のすべての民族はあなたによって祝福されるという視点です。もし自分たちに何らかの才能や能力が与えられているとしたら、地上のすべての民族はあなたによって祝福されるとあるように、それを地上のすべての人たちのために用いるべきなのです。同じ民族だからではなく、この地上のすべての民族は同じ民族であるという視点が必要なのです。

それは私たちがクリスチャンとして選ばれていることについても言えることです。いったい私たちは何のためにクリスチャンとして選ばれたのでしょうか。それは私たちを通して、すべての人が救われるためです。私たちは救いの基して選ばれているのです。ペテロ第一の手紙2章9節をご覧ください。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださったかたのすばらしいみわざを、あなたがたがたが宣べ伝えるたるためなのです。」

私たちが王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民となったのは、私たちをやみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを宣べ伝えるためです。それなのに、自分たちが選ばれたことに満足して、その目的を見失ってしまたら、それこそ、自分を守るというきわめて利己的、自己保身的な罪にとどまることになってしまいます。ですから私たちは、自分たちが神に選ばれてクリスチャンになったのは何のためなのかを常に思い起こし、その使命を確認することは大切なことです。

そうした事実を忘れたユダヤ人たちは、目覚めたパウロを殺そうとしましたが、それは現代でも同じです。集団意識、民族意識を超えて神の使命に生きようとすれば必ず大きな抵抗にもあいますが、しかし、神様のみこころは、「あなたを遠く、異邦人に遣わす」ことであり、「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」ことです。ですから、間違った選民意識を捨てて、地上のすべての人たちの救いのために生き、存在しているということをしっかりと覚えていたいと思います。

Ⅱ.生きることはキリスト(24~28)

第二のことは、パウロがローマ市民であると主張したことについてです。24~28節までをご覧ください。

「千人隊長はパウロを兵営の中に引き入れるように命じ、人々がなぜこのようにパウロに向かって叫ぶのかを知ろうとして、彼をむち打って取り調べるようにと言った。彼らがむちを当てるためにパウロを縛ったとき、パウロはそばに立っている百人隊長に言った。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。これを聞いた百人隊長は、千人隊長のところに行って報告し、「どうなさいますか。あの人はローマ人です」と言った。千人隊長はパウロのところに来て、「あなたはローマ市民なのか、私に言ってくれ」と言った。パウロは「そうです」と言った。すると、千人隊長は、「私はたくさんの金を出して、この市民権を買ったのだ」と言った。そこでパウロは、「私は生まれながらの市民です」と言った。」

パウロに対して荒れ狂った群衆の様子を見ていた千人隊長は、すぐにパウロを兵営の中へ引き入れるように命じました。パウロが問題の張本人であることはわかりましたが、彼らがなぜそんなに騒ぎ立てるのかがわからなかった千人隊長は、彼をむちで打って取り調べようとしたのです。これは取り調べではありません。拷問です。拷問にかけて白状させようというわけです。このむち打ちは当時、かなりひどいもので、中には死ぬ者もいたほどです。というのは、このむちは、皮ひもの先に金属片や動物の骨が結びつけられていたので、それで打たれると、その金属片や動物の骨が皮膚を打ち破り、内臓とかといった臓器が飛び出すほど威力があったからです。

さあ、そのむちを当てるためにパウロを縛ったとき、彼は何と言ったでしょうか。25節です。「ローマ市民である者を、裁判にもかけずに、むち打ってよいのですか。」パウロは、自分がローマ市民であることを主張しました。いったいなぜパウロはこのように主張したのでしょうか。もちろん、当時のローマの法律では、正当な裁判をすることなくローマ市民をむちで打つことは固く禁じられていました。もしこれを破ったとしたら、重罪を免れることができなかったほどです。それにしても死をまで覚悟していた彼がそのような特権を主張しむち打ちを逃れたのは、どうしてだったのでしょうか。

キャンベル・モルガンという有名な保守的な注解者などは、ここでパウロがローマの市民権を周知用したのは彼の弱さからであって、彼の失敗であったと言っています。パウロとて人間だったのだから、そのような弱さを抱えていたのだ・・・と。しかしそうなのでしょうか。そうした弱さからこれを主張したのでしょうか。そうではありません。パウロがこのように主張したのは、神から与えられた使命に生きるためでした。パウロはエペソにいたころ、御霊によって示されていたことがありました。それはマケドニヤとアカヤを通ってエルサレムに行き、そこからローマに行くことです。19章21節です。彼は「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言いました。それが神から与えられていた使命だったのです。その使命を果たすために彼はエルサレムに行き、長年待望していた同胞ユダヤ人の救いのために精一杯あかしをし、もう思い残すところは何もありませんでした。あとはローマです。ローマに行って福音を伝えなければなりません。そのために彼は、少しでも生き延びなければならないと思ったのです。それがここでのローマの市民権の主張となって表れたのでした。それは決して自分の身の安全のためではありませんでした。福音のあかしのためにそうしたのです。彼が願っていたことは、生きるにしても死ぬにしても、キリストがあがめられることだったのです。

「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。」(ピリピ1:20~21)

パウロが願っていたことは、どんな場合にも恥じることなく、いつものように大胆にキリストをあかしすることでした。生きることはキリストだったのです。イチローのプロ野球安打記録を塗り替えて、214本の新記録を樹立したマック・マートンは、その日のインタビューでもやはり言いました。「神様は私の力です。」いつでも、どんな時でも、キリストがあがめられることを願って生きていた彼の生き方が見事に表れていると思うのです。パウロも同じです。生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。いつでも、どんな場合にも、恥じることなく大胆にキリストをあかしし、キリストがあがめられることを求めていきたいものです。

Ⅲ.どんな時にも恐れない(29)

第三のことは、どんな時にも恐れないということです。パウロがローマの市民権があることを主張すると、パウロを取り調べようとしていた人たちはどうしたでしょうか。29節です。

「このため、パウロを取り調べしようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引いた。また千人隊長も、パウロがローマ市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れた。」

このことがわかると、パウロを取り調べようとしていた者たちは、すぐにパウロから身を引きました。また千人隊長も、パウロがローマの市民だとわかると、彼を鎖につないでいたので、恐れました。今、状況は逆転し、むしろパウロを取り調べていた人たちが恐れるようになったのです。なぜでしょうか。そのような状況さえも神様の御手の中にあったからです。

人生の荒波が吹き荒れ、危険にさらされるようなことがあっても、その荒波もまた神の御手の中にあるのです。どのような状況にあっても神のうちにいる限り恐れる必要はありません。イエス様はこのように言われました。

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は1アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイ10:28~31)

そんな雀の一羽でも、天の父のお許しがなければ地に落ちることはないのです。私たちはほんとうにちっぽけなものですが、天の父に覚えられているのです。であるなら、いったい何を恐れる必要があるでしょうか。私たちが真に恐れなければならないのは、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方、唯一の神だけなのです。

南アフリカのアパルトヘイト、人種差別撤廃に尽力し、27年間も独房で過ごしたネルソンマンデラは、南アフリカ共和国大統領就任演説(1994年)の中で、次のように言いました。

「最も深い恐れ」
私たちの最も深い恐れは無力であることではない。
私たちの最も深い恐れは量り知れずパワフルであるということである。
私たちを最も脅かすものは闇ではなく光である。
立派で華麗で有能ですばらしいなら、私は一体誰なのかと私たちは自問する。
だが実際には、あなたがそうでないなら、誰なのだろうか。

あなたは神の子である—
あなたの卑小な振る舞いは世界に貢献しはしない。
萎縮していては啓発されるものなど何もないので、
他の人々はあなたの回りにいても不安を感じはしないだろう。

私たちは内にある神の栄光を現すために生まれてきた。
それは何人かの中だけにあるというものではない。
それは誰の中にもある。

そして私たちが自分自身の光を輝かせる時、無意識のうちに同じようにしても良いのだという許可を他の人々にも与えているのである。
自分自身の恐れから解き放たれる時、私たちの存在は自ずと他者をも解き放つのである。」

神は私たちにその恐れに打ち勝つ光を与えてくださいました。それは神の光、聖霊の光です。神がともにいてくださるなら、いったい何を恐れる必要があるでしょうか。イザヤ書12章2節、

「見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。」

もし、恐れのめがねをかけて状況を見たら、すべて心配と不安ばかりです。しかし、私たちの救い主を信じ、みことばに信頼して生きるなら、すべてが感謝と賛美に変わるのです。重要なことは、状況や環境ではなく、神を仰ぎ見続けることです。そういう信仰のめがねをかけることなのです。皆さんはどんなめがねをかけて今の状況を見ていますか。

すべての状況にたじろぐことなく対処しましょう。苦難と危険を前にしても、主がともにいてくださることを信じましょう。恐れを神に告白してください。神は私たちの避け所、とりで、より頼むべき方なのです。生きることはキリスト、このお方に信頼して、どんな時にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることを求めていきましょう。私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益だからです。

使徒の働き22章1~21節 「イエス・キリストをかなめとして」

きょうは、イエス・キリストを私たちの人生のかなめとしましょうというお話をしたいと思います。「かなめ」とは、ある物事の最も大切な部分、要点という意味です。扇子で言うと、骨を閉じ合わせるために、その末端に近い部分に穴をあけてはめ込む釘のことです。それがなかったらすべてがバラバラになってしまいまう重要な部分のことです。私たちの人生においてもこのかなめをかなめとしないと、的はずれな生き方になってしまいます。そのかなめとは何でしょうか。イエス・キリストです。すべてのかなめは、主イエス・キリストであって、この方を私たちの人生のあらゆる思いと行動の中心に据えなければなりません。

きょうは、このイエス・キリストをかなめとすることについて、三つのことをお話したいと思います。第一のことは、ただ神に対して熱心なだけではだめです。その熱心が真の知識に基づいたものでなければなりません。第二のことは、神のみこころはどこにあるのかというと、イエス・キリストです。第三のことは、だからイエス・キリストをかなめとして歩みましょうということです。

I.神に対して熱心な者(1-5)

まず第一に、神に対して熱心なだけではだめだということを見ていきたいと思います。1~5節までですが、まず1~2節をご覧ください。

「兄弟たち、父たちよ。いま私が皆さんにしようとする弁明を聞いてください。 パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。」

パウロは、ユダヤ人クリスチャンの手前、エルサレム神殿できよめの儀式に加わっている間に、ユダヤ人に捕らえられ、ローマ軍の兵営に連れて行かれようとしましたが、その時「一言お話してもよいでしょうか」と千人隊長に尋ねると、千人隊長がそれを許したので、ユダヤ人の民衆に向かって語りました。それがこの22章1~21節に記されてあることです。

パウロは、「兄弟たち、父たちよ。」と彼らに呼びかけると、自分の生い立ちから語り始めます。3~5節です。

「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳粛な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。」

まず彼は生まれからいうと、キリキヤのタルソで生まれたユダヤ人です。つまり、いま彼を打ちたたいた者たちと同じユダヤ人であるということです。このようにエルサレムから少し離れたところに住んでいたユダヤ人は「ディオスポラ」離散した民という意味ですが、そのように呼ばれていました。パウロはキリキヤのタルソで生まれたディアスポラのユダヤ人でした。

それから育ちはというと、律法学者ガマリエルの門下生で、律法について厳格な教育を受け、神に対して非常に熱心な者でした。どれだけ熱心であったかは、4,5節を見ればわかります。それはクリスチャンを迫害し、男も女も縛って投獄し、死にまでも至らせたほどです。それは大祭司も長老たちも証言してくれるほどのお墨付きのものでした。こうした彼の熱心さについては、知らぬ人がひとりもいないほどだったのです。

それにしてもなぜパウロはここまでも自分の過去をさらけ出したのでしょうか。それは一つには、このように弁明することによって、相手と自分との共通点を見いだし、心と心のコンタクトをはかろうとしたからだと思います。ですから彼は、当時の公用語であったラテン語やギリシャ語で語るのを避け、ヘブル語で語っているのです。これはたとえばフィリピンなどでの公用語は英語ですが、家族やごく親しい人たちの間ではタガログ語が使われているそうです。パウロがここでヘブル語で語っているというのは、ちょうどフィリピンの人が英語ではなくタガログ語で語っているようなものです。そのように語ることによって、相手の心が開かれ、救い主を受け入れやすいように道そなえをしたのです。まさにユダヤ人にはユダヤ人のようにです。

しかし、それだけではありません。パウロがこのように自分の生い立ちなど、回心前にどれだけ律法に熱心であったのかを語ったのは、6節から始まる彼の回心物語を彼らの心の中により鮮明に印象づける目的があったからなのです。すなわち、神への熱心さという点では彼らと同じようにキリスト教を迫害するほどでしたが、熱心さだけではだめだということです。そのような熱心がもろくも崩れる時があったのです。クリスチャンを迫害するためにダマスコに向かっていたときです。そのとき復活の主イエスに出会いました。そして、これまで正しいと思ってやってきたことが間違いであったということに気づかされたのです。先日、ある方とお話していたら、その方はかつて統一協会というキリスト教の異端のグループに所属していたそうです。しかし、ある時家族の協力の中、牧師の話を聞いていたとき、それまで正しいと思い込んでいたことが、間違いだったということに気づいたのです。それはまさに砂の城が一気に崩れ落ちるような経験だったと言っておられましたが、まさにパウロにとってそれは砂の城が一気に崩れ落ちるような経験でした。

ユダヤ人というのは、ほかの人種と比べると、非常に信心深い熱心な民です。それは中途半端ではありません。がゆえに、彼らがなし得ることももう人間のわざとは思えないほどすごいのです。しかし、そのようにまじめで、熱心で、信心深ければそれでいいのかというとそうではありません。問題は何を信じているかです。その信じていることを間違えるととんどてもない方向へ行ってしまうことになります。ユダヤ人たちの熱心というのは、自分が正しいと思った道についての熱心であって、決して神が何をするようにと決めておられるとか、神が何を喜ばれるのかといったみこころに基づいていたものではなかったのです。

ある宣教師が日本に来て、「日本人は非常に勤勉で、意欲的な国民なのに、驚きました」と言いました。確かに、あるアンケートによると、「今、あなたは、毎日非常に忙しいと感じていますか」という問いに対して、「非常に忙しい」と答えた人が圧倒的に多数でした。日本人は非常に忙しい民族なんです。では、暇な一日ができたら、のんびり休みますか。それとも何かせずにいられないと感じますか」と問うと、実に60~70%の人が、「何かせずにはいられないと答えているのです。私もその一人かなぁと思うのですが、これでは、結局、自分で忙しさを作り出していることになります。こういう人は勤勉、熱心、行動的だと評されますが、実のところ自分でわけもわからないままきりきり舞いをしていることがあるのです。その熱心が真の知識に基づいていないなら、それは的はずれな熱心だと言えるでしょう。わが道を行くのではなく主の道を行くのでなければ、正しい熱心も人生の生き甲斐も持てないのです。

Ⅱ.神のみこころイエス・キリスト(6-15)

では真の知識に基づいた熱心とは何なのでしょうか。主の道とはどのような道なのでしょうか。次に、その道がどのような道なのかについて見ていきたいと思います。6~16節までのところをご覧ください。まず6~8節に注目してみましょう。

「ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞きました。そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ』と言われました。」

パウロにとっては、キリスト教などというものは、最も神を冒涜する宗教だと思っていました。ナザレのイエスが自分が神の子だとか、救い主であると主張していたからです。彼にとってはナザレのイエスなどはただの人間にすぎないという前提がありました。それが神だの、キリストだのと主張するとしたら、それは神を冒涜することであり、放っておくことができなかったのです。まじめでしたから・・・。それでダマスコに行き、イエスを信じる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰しようとしたのです。

ところが、旅を続けて、ダマスコに近づいたとき、天からまばゆいばかりの光が彼の周りを照らしたかと思うと、そこから声が聞こえてきました。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」そこで彼が「主よ。あなたはどなたですか」と言うと、その方は、「わたしは、あなたが迫害しているイエスだ」と言われたのです。どういうことでしょうか。

これはパウロやユダヤ教徒の前提が決定的に誤りであったことを示すものでした。彼らは、ナザレのイエスが神の子、キリスト、救い主であるはずがないし、そう言うのは神を冒涜する以外の何ものでもないと思っていましたが、パウロが迫害していたイエスこそ、実は主ご自身であられたのです。

旧約聖書の律法に熱心で、ガマリエルの門下生として聖書を学んでいたパウロが、どうしてこのことがわからなかったのでしょうか。パウロは、その理由を次のように言っています。ローマ人への手紙10章4節です。

「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」

この「終わり」とは、物事の完成とか目標を意味します。つまり、神の律法の目標はキリストだったのであり、この方が来られたとき、キリストは律法を完成し、終わらせたのです。なのに彼らは、この律法の完成であり、目標であったイエス・キリストを知らなかったのです。それはちょうど木を見て、森全体を見ていないのと同じです。それはアナニヤのことばによく表されています。14節です。

「彼はこう言いました。『私たちの父祖たちの神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。」
パウロが「先祖の律法について厳格な教育を受けて」きたと思っていたら、その先祖の神は、パウロにみこころを示されるとき、義なる方を見させ、その方の口を通して御声を聞かせようとお定めになられたというのです。この義なる方こそキリストであり、神のみこころだったのです。このことがわからなかった。この方が見えませんでした。

それはちょうど地図のようなものです。私たちが地図を広げるのは何のためかというと、どのように行ったら目的地にたどりつけるのかを知るためです。なのに、地図に書き込まれた数々の目印ばかりに気がとられ、肝心の行き先を忘れてしまったとしたら、地図を見ることに何の意味があるのでしょう。「あっ、ほんとうだ。ここにコンビニがある」とか、「ちょっと待てよ。これなんだろう。へぇ、ここにこんなパン屋さんがあるんだ。今度来てみよう。」、「へぇ、ここがみんなが言ってた公園か。何があるんだろう」とか言って、「ところで、どこに行くんだっけ」というのでは、地図の意味がないのです。律法というのは、人がそれに従って行動すべき地図のようなものです。ところが、その地図を大切にしていたのはよかったのですが、そこに書かれた数々の目印ばかりに気が取られてしまい、肝心の行き先を忘れていたのです。その行き先こそキリストでした。パウロはダマスコでアナニヤ会い、彼を通してこのことを聞いたとき、そのことがはっきりわかりました。自分が迫害していたナザレのイエスこそ神の子であり、神のみこころであるということ、そして、自分に与えられている使命はこのことの証人として、すべての人にあかしすることであるということが・・。

私たち日本人は、ユダヤ人のように旧約聖書(律法)をもっていなかったので、それはユダヤ人だけのことであるかのように思いがちですが、実は、そうではないのです。神が定められたこの義なる方からはずれ、ゴーイング・マイ・ウェイ式の生き方をしているとすれば、それは目的地を忘れて地図に集中する過ちを犯していたパウロと何ら変わりはありません。エレミヤ8章7,9節には、こうあるからです。

「空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は主の定めを知らない。・・・知恵ある者たちは恥を見、驚きあわてて、捕らえられる。見よ。主のことばを退けたからには、彼らに何の知恵があろう。」

ここで何が言われているかというと、こうのとりも、山鳩も、つばめも、つるも、自分の帰る時を知っているというのです。どのように?その本性に刻まれた渡り鳥の本性によってです。それと同様に、私たち人間にもそのような本性があるのです。それはたとえば自然の法則であったり、善悪の判断や良心の呵責といったものです。人の行動に一定の秩序が保たれるのは、こうした律法、法則があるからなのです。人が人であるかぎりは、こうした法則は人間の本性に刻まれているのです。にもかかわらず、主の定めを知らないと言って、自己中心的な生き方をするとしたら、「彼らに何の知恵があろうか」何の知恵のない、全く愚かなことだと言えるのです。ですからそれはユダヤ人だけに言えることではなく、実は私たち日本人にも言えることなのです。神によって造られてた人間。神のかたちら造られた者として、神を知り、神を喜び、神に祈り、神と交わるように造られた者が、その神を神としないで、自己中心に生きているとしたら、それは律法の目的を忘れたユダヤ人と何ら変わりはないのです。全く知恵のない熱心であり、空回りした歩みになってしまいます。

昔、ダビデがイスラエルの王位に着く時、彼が使えた先の王であるサウル王が戦死しました。サウル王のひとりの家来は、倒れたサウル王の首を切り落として、ダビデのもとに走り、「あなたのライバルの首を取ってきた」とダビデに差し出したとき、ダビデはどうしたでしょうか。ダビデは、その主君サウルの首を、さもてがらのように名乗り出たその家来を殺しました。その理由は、サムエル記第二1章16節にあります。

「そのとき、ダビデは彼に言った。「おまえの血は、おまえの頭にふりかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油そそがれた方を殺した』と言って証言したからである。」

ダビデに言わせれば、この家来は、ただ、サウルとダビデと自分という人間的レベルの行動の法則を考えて、自分では良いことをしたと判断し、熱心に行動しましたが、「主に油を注がれた者」はだれかという神との垂直関係、行動の中心点を見失っていたのです。

私たちも、あれこれの宗教もなかなか良いことを考えるとか、一般の人たちもクリスチャンと大差なく、いやもっと立派なことをしてくれるとか、感心しがちですが、このメシヤという中心人物を見失っていては、いくら人間の法則に熱心でも、何にもなりません。イエス・キリストこそ律法の中心であり、神礼拝の目標です。この方を知ることこそ、人の行動と生活の全法則の焦点を合わせることになるのです。

Ⅲ.キリストをかなめとして(16-21)

ではどうしたらいいのでしょうか。ですから第三のことは、このキリストをかなめとしましょうということです。16~21節までをご覧ください。16節、

「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』」

キリストを見失い、自己流に生きることによって、まったくピンぼけのように生きていたパウロに、アナニヤは、「なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」と言いました。罪とは「的はずれ」のことです。律法の中心、的であられるキリストからはずれていれば、イエス・キリストの御名を呼んでバプテスマを受け、その罪を洗い流さなければなりません。ピンぼけの人生を立て直し、自分のあらゆる思いと行動の中心を、私たちの罪をあがなうために天から下ってこられた主イエス・キリストに置かなければならないのです。この方を人生のかなめとしないで、私たちはどうやって的はずれでない生き方をすることができるでしょうか。これで良かれと思ってしていたことが、実は全然見当違いであったということがあるのです。実際パウロも、神に対して熱心な者でしたが、その熱心がキリスト抜きであったために、全然見当違いことをしていました。そうではなく、キリストをかなめとして、この方を中心として歩まなければなりません。その具体的な例が17節以降に記されてあります。

「こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす』と言われました。」

パウロがエルサレムに帰り、宮で祈っていたとき、夢ごこちになり、そこで主を見ました。その時に主が語られたのはこうです。「急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。」アナニヤのことばに示されて自分の間違いに気づいたパウロは、そのことを率直に認め、悔い改めて、主をあかししました。そうすれば、ユダヤ人たちのみなが自分と同じように気づいて、自分の誤りに目が覚めるだろうと思ったのですが、しかし実際はそうではありませんでした。少なくても、主のお考えはそうではありませんでした。主のお考えは、「エルサレムを離れなさい」ということだったのです。彼らはそう簡単に自分の考えというものを変えることはないからです。むしろ、神のみこころは、彼が異邦人のところに出て行くということでした。

そうです。私たちは自分の考えで事を図り、決すべきではありません。パウロもかつてはそうでしたが、悔い改めて主イエス・キリストをその人生のかなめとした時、自分の考えから、主イエス・キリストに導かれる人生を選択するようになりました。私たちに求められていることは、イエス・キリストを人生のかなめとして生きることです。そうすれば、人の思いをはるかに超えたキリストの栄光に満たされることでしょう。

皆さんはいかがでしょうか。自分が、自分で、自分の思うようにと、自分を中心においていることはないでしょうか。それが人間的に正しいことのようでも、実はピントがずれているということもあるのです。「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」ピンぼけの人生を立て直し、自分のあらゆる思いと行動の中心を、このナザレの主イエス・キリストに置きましょう。確かな主の御声を聞いてそれに導かれながら歩んでいきたいと思います。それが主が喜んでくださる熱心なのです。

使徒の働き21章17~40節 「すべては福音のために」

きょうは「すべては福音のために」というタイトルでお話したいと思います。いま読んでいただいた聖書の箇所は、第三次伝道旅行を終えたパウロがエルサレムへ上って行ったときに起こった出来事が記されてあります。エルサレムに上って行ったパウロの身にいったいどんなことがあったのでしょうか。なわめと苦しみです。パウロはここで捕らえられ、裁判にかけられ、そしてローマへと護送されて行くわけですが、その受難物語が、ここから使徒の働きの終わりまで続きます。これを書いたルカは、その様子を描くのに実に全体の四分の一のスペースを割いています。ペンテコステの日に、聖霊降臨をもって始まった「使徒の働き」は、ダマスコ郊外においてパウロが救われたことによってその働きが拡大され、やがてエルサレムで逮捕され、ローマに送られ獄中生活もって結ばれていくのです。ですから、このエルサレムでの出来事は、使徒の働き全体の中では起承転結の「転」に当たる箇所で、ここから一気に最後の結びへとつながっていくわけです。きょうは、そのエルサレムでパウロが捕えられた出来事から、すべては福音のために生きたパウロの姿から三つのことをお話したい思います。第一のことは、クリスチャンの自由についてです。パウロはだれに対しても自由でしたが、より多くの人を獲得するためにすべての人の奴隷となりました。第二のことは、そこに神の助けがあるということ、そして第三のことは、いつでも、どんな時でも福音を宣べ伝えるということについてです。

Ⅰ.より多くの人を獲得するために(17-26)

まず第一にクリスチャンの自由について見ていきましょう。21章17~26節までをご覧ください。

パウロ一行がエルサレムに着くと、教会の兄弟たちは喜んで彼らを迎え入れました。そして翌日には、エルサレム教会の牧師であったヤコブのところへ行きますと、そこに集まっていた教会の長老たちが集まっている中で、パウロを通して神が異邦人の間でなされたすばらしいみわざを報告しました。もちろんこの時に、マケドニヤの諸教会から与った献金も手渡したことでしょう。その報告を聞いた長老たちはみな神をほめたたえました。教会は一つです。たとえそれが自分たちの手によって成されたことでなくとも、同じ主がほかの人たちの手を通して成されたみわざを喜び、感謝したのです。このようにほかの人たちを通して成された主のみわざを共に喜ぶ思いは大切なことです。

ところが、そうでない人たちもいました。ユダヤ主義者と呼ばれていた人たちです。この人たちはユダヤ人でありながら信仰に入った人たちで、律法に熱心な人たちでした。この人たちは、数から見たら必ずしも多くはありませんでしたが、律法に熱心であったがゆえに、パウロに対してあからさまに反対し、攻撃してきたのです。というのは、彼らは主イエスを信じるだけでは救われず、律法も守らなければ救われないと考えていたからです。21節にあるとおりです。

「ところで、彼らが聞かされていることは、あなたは異邦人の中にいるすべてのユダヤ人に、子どもに割礼を施すな、慣習に従って歩むな、と言って、モーセにそむくように教えているということなのです。」

ユダヤ人で信仰に入ったすべての人がそうであったわけではありません。その中のある人たちだけですが、彼らは律法に熱心であったがゆえに、そうした過去の古い習慣から抜け出すことができなかったばかりか、全体が見えずに、自分の考えという殻に閉じこもっていたのです。

このようなことは意外と私たちにもあるのではないでしょうか。熱心であるがゆえに周りが見えなくなってしまうのです。特に、その道のことをよく学び、修得した人は、自分の判断が正しいものだと思い込んでしまい、状況を正しく見ることが出来なくなってしまう傾向にあります。

ところで、ここで起こってきた問題というのは、すでにアンテオケ教会でも起こっていて、そのことについてはすでに解決していたはずです。15章1節を見ると、ユダヤから下って来た人たちが、アンテオケの兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなかだは救われない」と言ったことで大混乱になり、結局パウロとバルナバがエルサレムに行き、使徒たちや長老たちとこの問題について検討したのです。いわゆるエルサレム会議です。そこで決まったことはどういうことであったかというと、神は異邦人にも同じ聖霊を与え、何の差別もつけずに、彼らを信仰によってきよめてくださったのだから、律法のくびきを負わせるようなことをさせて彼らを悩ましてはいけないということでした。人が救われるのはイエス・キリストを信じる信仰によるのであって、律法の行いによるのではありません。ただそうした人たちにも配慮するという観点から、偶像に備えられた物と不品行と絞め殺した物は避けるようにしましょうということになったのです。ところが、そのようにすでに解決したはずの問題が、エルサレムで再び問題になったのです。しかもパウロがそのようなことを教えているというのです。これはまったくのデマです。確かに彼は、異邦人が救われるためには割礼は必要ないと説き、エルサレムの指導者たちにも認められていましたが、だからといってユダヤ人たちに割礼をするなとか、律法の慣習に従って歩んではならないとは一言も言いませんでした。彼が言っていたのは、救いはイエス・キリストにあるということ。ただイエス様を救い主として信じるなら、あなたは救われるということなのです。イエス様こそ救い主であり、この方を信じて受け入れるならば救われるということこそ信仰の本質であり、パウロが強調していたことでした。

そこで、これが根も葉もないデマであることを知っていたエルサレムの指導者たちは、次のような提案をしました。23~25節です。

「ですから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てている者が四人います。この人たちを連れて、あなたも彼らといっしょに身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい。そうすれば、あなたについて聞かされていることは根も葉もないことで、あなたも律法を守って正しく歩んでいることが、みなにわかるでしょう。信仰に入った異邦人に関しては、偶像の神に供えた肉と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けるべきであると決定しましたので、私たちはすでに手紙を書きました。」

ここに記されてある「誓願」が何の誓願なのかはっきりわかりませんが、おそらく、ナジル人の誓願のことだと思います。これは以前も出ていましたが、最も短くて30日間、酒を断ち、死体から遠ざかり、汚れた食べ物を避け、頭にはかみそりをあてません。そして誓願の期間が終わると、神様の前で髪を切り、和解のいけにえをささげ、それから自由の身になるというものでした。もしその人たちの費用を出してやれば、パウロたちも律法をちゃんと守って正しく歩んでいることが、みんなにわかるに違いないというのです。

さあ、そのような提案に対してパウロは、どのように応答したでしょうか。26節です。

「そこで、パウロはその人たちを引き連れ、翌日、ともに身を清めて宮に入り、清めの期間が終わって、ひとりひとりのために供え物をささげる日時を告げた。」

パウロはすぐにその提案に賛成し、さっそくその翌日に神殿に行き、誓願のためにいっしょに身をきよめ、頭をそる費用を出してやりました。そして、それは見事に功を奏しました。そして、七日間が過ぎるまで何事もなかったのです。しかし、ここで問題になるのは、救われるためには律法を守るといった善いわざは必要なく、ただイエス・キリストを信じる信仰だけでいいのだと教えていたパウロが、どうして誓願などに参加したのかということです。つまり、パウロは首尾一貫した行動をとらなかったのではないかという疑問です。果たしてパウロの行動は、そのようなものだったのでしょうか。彼が常日頃から言っていたことと矛盾したことを行ったのでしょうか。

そうではありません。パウロは確かに、人が救われるのは律法を守ることによってではなく、イエス・キリストを信じる信仰によってであり、神が恵みによって救ってくださるのだと主張していました。そして彼は、そのためにいのちをかけてきたのです。しかし、ユダヤ人が昔からの慣習に従っていることについては、少しも反対しませんでした。なぜでしょうか?彼らがつまずかないためです。彼らも救われてほしいと思っていたからです。パウロは譲ることのできない福音の本質に関わることでは、一歩も譲歩しませんでしたが、事が中心的なことではなく、いわばどうでもいいようなことについては、喜んで譲ったのです。Ⅰコリント6章12節を開いてみましょう。

「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。」

皆さん、クリスチャンはすべてのことが許されています。自由です。その自由をいったいどのように用いたらいいのか。パウロはこう言うのです。弱い人たちのつまずきにならないように制限する。皆さん、これが愛ではないでしょうか。自分には何をする自由も与えられているけれども、その自由をすべての人の益のために用いたのです。そして、パウロはこのように言いました。

「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、―私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが―律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(Ⅰコリント9:19~23)

これがパウロの精神でした。人々が救われるために、ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のようになりました。福音の中心点は決して譲りませんでしたが、そうでないことについては、喜んで譲ったのです。そのような正しい福音の理解と、自己犠牲こそ成熟したクリスチャンのあかしではないでしょうか。

ファッションモデルにとって一番重要なのは減量だと言われています。しかし、17世紀から18世紀に描かれた絵画を見てみると、美女というのは細い人ではなく太った人でした。歴史が始まって以来、常に太っている人が美女だったのです。ところが、モデルという職業が現れた頃から考え方が変わってきました。やせている人が美女だと思われるようになったのです。どうしてだかわかりますか?ぽっちゃりした人が服を着ると、服ではなくその人に注目が行ってしまうからです。しかし、やせた人が服を着ると、人よりも服に視線が行くのです。そしてデザイナーの服が100%以上生きるわけです。それでモデルはみんなやせているのです。やせていることが美しいのではなく、やせることによって服が注目されるためです。

クリスチャンも同じではないでしょうか。私たちが生きているのは、キリストのすばらしさが現れるためです。生きることはキリスト、死ぬこともまた益なのです。そのキリストが生きるためには、私たちもまた減量が必要です。その減量とは、いわゆる自己犠牲です。自分が好きなように生きるのではなく、キリストのすばらしさが現れるように、私たちは喜んで自分を否定するのです。それがパウロの生き方でした。パウロがユダヤ人にはユダヤ人のように生きたのは、一人でも多くの人が救われるためだったのです。私たちに必要なのは、このパウロのように生きることです。

ところで、このように譲歩することは妥協することではないのでしょうか。違います。パウロの譲歩は妥協とは違うのです。なぜそのように言えるのでしょうか。第一に、ここでパウロもエルサレムの指導者たちも、かつてエルサレム会議で決まったことを再確認しています。つまり、救いは律法の行いを守ることによってではなく信仰によるのだということです。25節の「私たちはすでに手紙を書きました」というのは、そのことを表しています。パウロは、エルサレム教会の立場というものが、この福音の理解にしっかりと立っていることを知っていたからこそ、安心して、神殿礼拝や誓願の儀式に加わったのであって、このようにキリスト教の根本的な教理が正しく受け止められている時にだけ、譲歩することができるのです。このことがはっきりしていなかったら、それは妥協することになってしまいます。しっかりとした福音の理解にとどまりながら、その状況をよく見極めて行動するなら、それは妥協ではなく譲歩なのです。

第二に、何のために譲歩するのかという目的、あるいは動機が重要です。パウロは、こうしたことにとてもセンセティブなユダヤ人をつまずかせないで何とか救いたいという思いから、あえて譲歩したのです。大切なのはそうした過去の習慣がどうのこうのということよりも、イエス・キリストを信じて救われることです。よく自分はこれこれができないから信じられないと言われる方がいらっしゃいますが、重要なことはそうした聖書の教えを守れるかどうかではありません。重要なことは信じることです。信じるなら、みことばに従えるような力が与えられるからです。仮に従えない事があったとしても、悔い改めてもう一度やり直すなら、従えないからと言って信じないよりも、神様は喜んでくださるのです。もちろん、最初から素直に信じ、みことばに従えるなら、それに越したことはありません。しかし、たとえそれができないからといって信じないというのでは本末転倒です。ですから、まず信じることです。そうすれば古い習慣や悪の道から離れることができるようになるのです。パウロが切に求めていたことは、彼らが救われることでした。そしてそのために妨げになっているものがあるとしたら、それをできるだけ取り除こうと思ったのです。この目的、あるいは動機が重要です。それが単にただ人のつまずきにならないためにというだけで、そこにキリストの福音が宣べ伝えられないということならば、結局それは自己満足にすぎず、妥協することになってしまいます。この違いを正しく理解する必要があるでしょう。

現代の教会にも時としてどうでもいいことのためにつまらない争いを引き起こすユダヤ主義者が入ってきたり、逆に、自分たちに都合がいいような解釈によってこの世と妥協してしまうという両極端な考えが入ってくることがありますが、私たちはこうした教えに警戒し、福音の正しい理解に立ちながら、ユダヤ人にはユダヤ人のようにという愛の心をもって、キリストの福音を宣べ伝えていく者でありたいと思うのです。

Ⅱ.そこに神の助けがある(27-36)

次にそこに神の助けがあるということを見ていきましょう。27~36節までをご覧ください。

「ところが、その七日がほとんど終わろうとしていたころ。アジヤから来たユダヤ人たちは、パウロが宮にいるのを見ると、全群集をあおりたて、彼に手をかけて、こう叫んだ。「イスラエルの人々、手を貸してください。この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています。」彼らは前にエペソ人トロピモが町でパウロといっしょにいるのを見かけたので、パウロが彼を宮に連れ込んだのだと思ったのである。そこで町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕らえ、宮の外へ引きずり出した。そして、ただちに宮の門が閉じられた。彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長に届いた。彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめた。千人隊長は近づいてパウロを捕らえ、二つの鎖につなぐように命じたうえ、パウロが何者なのか、何をしたのか、と尋ねた。しかし、群集がめいめい勝手なことを叫び続けたので、その騒がしさのために確かなことがわからなかった。そこで千人隊長は、パウロを兵営に連れて行くよう命令した。パウロが階段にさしかかったときには、群集の暴行を避けるために、兵士たちが彼をかつぎ上げなければならなかった。大ぜいの群集が「彼を除け」と叫びながら、ついて来たからである。」

さて、パウロが誓願の費用を出し、誓願をしていた四人の人たちといっしょに身をきよめて神殿に入りますと、それが功を奏し、ユダヤ主義者たちからの攻撃はありませんでした。ところが、予期せぬところから問題が起こってきました。それはユダヤ主義者たちからではなく、ユダヤ教徒たちによるものでした。ユダヤ主義者というのはあくまでもユダヤ人でありながらクリスチャンになった人たちのことで、かつてのユダヤ教の慣習、しきたりを重んじていた人たちですが、ユダヤ教徒というのはまだキリストを受け入れていない人たちです。そのユダヤ教徒からの問題です。彼らはパウロが宮の中にいるのを見ると、全群衆をあおりたて、彼を捕らえてしまいました。トロピモという異邦人を宮の中に連れ込んで、聖なる場所を汚していると思ったからです。それはかつてパウロがエペソにいたとき、このトロピモといっしょにいたのをユダヤ人たちが見ていて、そのパウロを見たとき、てっきりトロピモも一緒だと思ったのです。神殿は、神の民であるユダヤ人にとって非常に重要な所でした。それは、神が自分たちとともにいてくださることのしるしであり、そこに神がご臨在していると信じていたからです。ですから、だれでも中に入れるというわけではありませんでした。そこには「異邦人の庭」と呼ばれていたところがあり、異邦人はそこまでしか入ることが許されていませんでした。それ以上中に入るものなら、それは神聖な神の宮を汚す者として、裁かれなければなりませんでした。パウロはそこに異邦人トロピモを連れ込んだと思ったのです。

けれども、それはまったくの誤解でした。トロピモがいっしょにいたというだけで、彼らはパウロがトロピモまでも宮の中に連れ込んだと思ったのですから・・・。彼らは偏見に凝り固まっていました。そして、そのような偏見が誤解を生み、憶測が憶測を呼んで、パウロを罪人に仕立て上げてしまいました。そして、町中が大騒ぎとなり、大混乱に陥ってしまったのです。ほんとうに誤解や偏見といったことは恐ろしいものです。そのような見方に凝り固まってしまい、状況を正しく見つめることができなくなってしまうからです。

ところで、そのような事態に陥ったとき、どのように解決が図られたでしょうか。31節からのところを見てください。彼らがパウロを殺そうとしていたとき、エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告が、ローマ軍の千人隊長のところに届けられると、彼らはただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて、彼らのところに駆けつけました。すると人々は千人隊長と兵士たちを見て、パウロを打つのをやめたのです。もしもローマ軍の到着が少しでも遅れていたら、パウロは彼らに殺されていたかもしれません。怒り狂っていた群衆は、パウロを殺そうと思っていたからです。しかし、監視をしていた兵隊の知らせで、そのことが千人に隊長のもとに届けられ、その迅速な対応によって、パウロは死を免れることができたのです。それは彼らがパウロのことを助けようと考えていたからではなく、そのような騒ぎを起こすと、自分たちの首が吹っ飛ぶかもしれないという恐れがあったからですが、しかし、この千人隊長のとった機敏な処置のおかげで、パウロはいのち拾いをすることができたのです。

神はご自身に信頼し、神のために生きようとしている人を安易に滅ぼすようなことはなさいません。神は必ずそのような所から助け出してくださるのです。神は命の危険の中にあったパウロを助けるために、この千人隊長を用いられたように、私たちを助けるために、人の目には意外と思えるようなことをもお用いになられるのです。それはパウロにはなお福音を宣べ伝えるという使命が残されていたからです。

Ⅲ.あらゆる機会に福音を宣べ伝える(37-40)

最後に、パウロの弁明を見て終わりたいと思います。千人隊長がやってくると、彼はパウロに近づいて彼を捕らえ、二つの鎖につなぐように命じると、群衆にパウロが何者なのか、何をしたいのかと尋ねましたが、群衆はてんでバラバラなことを叫びつづけたので、確かなことがわからず、パウロを兵営に連れていくことにしました。そして、兵士たちがパウロを兵営の中に連れ込もうとしたとき、パウロが千人隊長に、「一言お話してもよいでしょうか」と尋ねました。パウロがギリシャ語で話したことに驚いた隊長は、あなたはギリシャ語を知っているのか。以前暴動を起こして、四千人の刺客を荒野に引き連れて逃げたあのエジプト人ではないのか」と尋ねると、パウロが「いや違う。自分はタルソ出身のユダヤ人で、れっきとした町の市民です」と言うと、千人隊長はパウロが語ることを許したので、彼は階段の上に立ち、民衆に向かって手を振って、すっかり静かになったとき、ヘブル語で彼らに語りかけました。

それにしても、いまさっき大混乱に遭ったばかりです。そんなに危ない目に遭いながらも、パウロは絶望せず、「一言お話してもよろしいでしょうか」と、千人隊長に語りかけたのです。いったい何を話しかけたかったのでしょうか。あかしです。福音のあかしです。その詳しい内容は来週見たいと思いますが、パウロはそういう機会をも生かしてあかししたのです。なぜでしょうか。福音を伝えることが彼にとってもっとも重要なことだからです。人はその考えていることに従って行動すると言われています。福音を伝えることをもっとも重要だと考えている人は、どのような機会でもそのために用いようとしますし、そのための好機とするのです。

プロ野球セリーグのペナントレースたけなわの後半戦、中日ドラゴンズと阪神タイガース、そして読売ジャイアンツが熾烈な首位争いを展開していますが、その天王山とも言える9/23に行われた阪神と中日の試合で、阪神のマット・マートン選手が外国選手としては二人目となる200安打を達成し、勝利に貢献しました。そのお立ち台でマートン選手が、おめでとうございますというインタビューのことばに対して、「神様は、私の力です」と言いました。驚いてインターネットで確認したところ、彼は熱心なクリスチャンだったのです。
彼は、身につける野球道具に新約聖書エペソ人への手紙6章10,11節を記しています。それはこういうみことばです。「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」神のすべての武具で悪魔に立ち向かうように、神の大能の力によって強められているのです。またバットには祈りを込めてGod bless youとサインしています。
それは彼にとって野球選手であることが一番ではないからです。優先順位では神様が人生のナンバーワン、二番目が家族、ベースボール(仕事)その次だからです。この優先順位がどうであるかはとても重要なことです。それによってその人の生活が決まってしまうからです。マートン選手にとってベースボールよりも神様が第一なので、どんな時でも神様をあかしすることを忘れません。それは野球だけではありません。どの仕事、どの領域においても同じです。ですからサインする時も聖書のことばです。コリント人への手紙第一9章26節、「ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方をしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。」です。それは、走るとは、人生を通してキリストを示すことであり、続けて彼を求め続けること。また、賞というのは、永遠のいのちイエス・キリストだからです。そしてその向かうべき方向・ゴールもイエス・キリストです。イエス・キリストにある永遠のいのちを受けるために、その目標に向かって必死で走るという信仰を告白しているのです。それは彼にとってイエス・キリストが最も重要な方だからです。

パウロは福音を伝えることを最も重要だと考えていたので、あらゆる機会を生かしてそれを分かち合おうとしました。皆さんにとって最も大切なことは何でしょうか。私たちもパウロのように常に神を第一にし、神のために生きるものでありたいと思います。私たちが生かされているのはこの福音を宣べ伝えるためであることを覚え、いつでも、どんな時でも与えられた機会を用いてこの福音をあかししていく者でありたいと思います。

使徒の働き21章1~16節 「主のみこころのままに」

きょうは、「主のみこころのままに」というタイトルでお話をしたいと思います。ミレトでエペソの教会の長老たちと別れを惜しんだパウロは、いよいよエルサレムを目指して一路進んで行くことになります。それは、主イエスのエルサレムに上る最後の旅が決死の旅であったように、その前途に暗雲が漂っているものでした。それでも彼をエルサレムへと進ませたものは何だったのでしょうか。それは主のみこころであったということです。

きょうは、この主のみこころに生きたパウロの姿から三つのことを学びたいと思います。第一のことは、パウロは自分に与えられていた使命に生きていたということです。第二のことは、パウロは覚悟を決めていました。どんな覚悟でしょうか。死ぬ覚悟です。第三のことは、パウロはすべて主にゆだねていました。

Ⅰ.使命に生きる(1-6)

まず第一に、パウロは神から与えられた使命に生きていました。1~6節までのところですが、まず3節までをご覧ください。

「私たちは彼らと別れて出帆し、コスに直航し、翌日ロドスに着き、そこからパタラに渡った。そこにはフェニキヤ行きの船があったので、それに乗って出帆した。やがてキプロスが見えて来たが、それを左にして、シリヤに向かって航海を続け、ツロに上陸した。ここで船荷を降ろすことになっていたからである。」

ミレトを出帆したパウロはコスに直行し、翌日ロゴスに着くと、そこからパタラに渡りました。ここでフェニキヤ行きの船に乗り換えるとシリヤに向けて航海を続け、ツロに上陸しました。ここで船荷を降ろすことになっていたからです。このツロに上陸したパウロ一行は、船が積荷を降ろす間の一週間、ここに滞在することになりました。この間、彼らは何をしたでしょうか。4節です。

「私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。」

彼らはこのツロの町で、弟子たちを見つけ出してそこに滞在しました。使徒11章19節に、「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行った」とありますが、このツロには、かつてステパノの迫害の時に、エルサレムから散らされた人たちの伝道によって、多くの弟子たちがいたからです。それにしても、なぜ彼らはわざわざ弟子たちを見つけ出して、そこに滞在しようと思ったのでしょうか。この「見つけ出して」ということばは、「あちこちを尋ね回ってやっと見つけ出す」という意味です。今日のように住宅表示や電話帳などがあって、簡単に人を探せるような時代とは違い、人を捜すには、かなり苦労しなければならなかった時に、どうしてそこまでして捜し回る必要があったのでしょうか。それは彼らが滞在する場所がなかったからではありません。それほどまでしても、そこにいる弟子たちと会いたい、交わりたいと思ったからです。それが信仰者の交わりというものです。

そうした兄弟姉妹との交わりは一週間にも及びましたから、実に深いものがあったでしょう。最初は互いに遠慮していも、2~3日も一緒にいるうちに、次第に心が溶け合ってきていたと思います。そのように時、このツロの人たちに御霊によってあることが示されました。それは、パウロがエルサレムに上って行くと、そこでなわめと苦しみが待っているということでした。そこで彼らはパウロに、エルサレムに上って行かないようにと、しきりに忠告しました。ツロの人たちにとっては、エルサレムでの迫害によって散らされた伝道者によって信仰に導かれた経緯がありましたから、かつて自分たちを救いに導いてくれた人たちの苦しみや困難というものは、自分のことのように身近に感じていたのかもしれません。それだけに迫害に人一倍敏感だったものと思われます。そういう彼らがパウロの身を案じ、エルサレムに上って行かないようにと忠告するのは当然のことでした。しかし、パウロはそれでもエルサレムへの旅を続けます。5~6節です。

「しかし、滞在の日数が尽きると、私たちはそこを出て、旅を続けることにした。彼らはみな、妻や子どももいっしょに、町はずれまで私たちを送って来た。そして、ともに海岸にひざまずいて祈ってから、私たちは互いに別れを告げた。それから私たちは船に乗り込み、彼らは家へ帰って行った。」

ツロの弟子たちによって上って行かないようにと忠告を受けたにもかかわらず、それでもエルサレムを目指して旅を続けることにしたのはどうしてだったのでしょうか。それは、それが神のみこころだったからです。彼がエペソに滞在していたときに御霊に示されていたことを思い起こしてみましょう。19章21節です。そのところには、

「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとで、エルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」と言った。」

とあります。また、その後ミレトの港でエペソの長老たちに語ったことばの中にも次のような言葉がありました。20章23節です。

「ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。」

パウロがエルサレムに行くこは神のみこころでした。そこでなわめと苦しみが待っていることくらい百も承知です。それでも彼がエルサレムに行かなければならなかったのは、諸教会から集めた献金を届けることによって聖徒たちの交わりに与りたいと思っただけでなく、最終的にはローマに立たなければならないと思っていたからなのです。それが神のみこころでした。ですから、そこにどんな障害が置かれていようともそれらを乗り越えて上っていくことこそ、神が喜んでくださることだと確信していたのです。

それでは、この4節のところで、このツロの人たちが「御霊に示されて」忠告したというのはどういうことなのでしょうか。しかも後でアガポという預言者も登場し彼は実演付きで、エルサレム上京の危険を語っています。エルサレムに行くことと、それを引き止めることのいったいどちらが主のみこころだったのでしょうか。確かにツロの人たちや預言者アガポなど、パウロがエルサレムに行くことに反対した人々は、パウロがエルサレムに行けば迫害を受けるようになるということを御霊によって示されましたが、エルサレムに行っては行けないとは言われていませんでした。それは彼らがパウロのことを思うあまりに出てきた人間的な思いだったのです。パウロは、そんなことは百も承知。事実、彼自身、御霊によって、そのように示されていました。にもかかわらず、それでも彼がエルサレムに上っていかなければならなかったのは、単に彼が行きたかったからではなく、どうしてもしなければならないことだったからなのです。それは20章23,24節の彼のことばによく現されていると思います。

「ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

それが彼に与えられていた使命でした。その使命を果たし終えることができるなら、彼のいのちは少しも惜しいとは思わなかったのです。自分に与えられた使命に生きようとする思いが、たとえそこに大きな困難があるということがわかっていたとしても自らを進ませていく原動力となるのです。

皆さん、皆さんにはどんな使命が与えられているでしょうか。その使命がまだはっきりしていないという方は、おぼろげながらでもいいです。それを確立することが大切です。しかもそれは自分がしたいことではなく、神様が自分にしてほしいと願っておられることです。自分はこのために生きているというものです。オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、真に自分らしく生きるために必要なのは未来への希望だと言いましたが、クリスチャンにはこの希望が与えられています。それは天国の希望です。それが私たちにとって最もすばらしい使命です。それと同時に、この残された生涯が本当に意味あるものであるために、この自分に与えられている使命を思いめぐらすということは有意義なことなのです。パウロが、「この任務を果たし終えることができるなら」「自分の走るべき行程を走り尽くし」と言っているように、私たちもまた、自分に与えられている任務はこのことですと具体的に言えたら、どんなに幸いなことかと思うのです。

Ⅱ.覚悟を決める(7-13)

第二のことは、覚悟を決めるということです。7~13節までのところに注目してみましょう。ツロの弟子たちに別れを告げたパウロたちは、そこからトレマイに向かい、そこで一日滞在すると、その翌日にはカイザリに着きました。そこにはあの七人の伝道者のひとりであるピリポがいたので、そこに滞在しました。このピリポとは、8章に出ていた人物です。8章40節には、「それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤへ行った」とあります。あれ以来彼は、ずっとこのカイザリヤで伝道していたのです。その間に家庭を持ち、四人の娘さんも与えられ、それぞれ主に仕える者になっていました。そんな折り、アガポという預言者がパウロのところに来て、次のように言いました。10~12節です。

「幾日かそこに滞在していると、アガボという預言者がユダヤから下って来た。
彼は私たちのところに来て、パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される』と聖霊がお告げになっています」と言った。私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。」

このアガボという人物も使徒11章27節のところに登場していた人ですが、ピリポのところに滞在していたパウロのところにやって来て、「聖霊がお告げになっています」と言って、エルサレムで待ちかまえている危険について、「こんなふうになる」と実演付きで生々しい仕方で警告を与えたのです。先のツロでの警告に続いて、二度目の警告です。しかも今度は「こんなふうになる」ともっと現実味を帯びた警告です。パウロに同行していた人たちはさすがに今度ばかりはと、その土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムに上らないようにとお願いするのでした。それまではらはらしながらも黙ってパウロを見ていた一行も、ついにこの引き止め工作に身を乗り出したわけです。カイザリヤは、ユダヤ地方都市の駐在都市でしたから、ここまで来ればもう目的も果たしたも同然だから、献金は自分たちがエルサレムの教会に届けますから・・・・とでも頼んだのでしょう。しかし、パウロの返答は意外なものでした。13節です。

「するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでえなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた」

何とそうした人たちの願いも振り払って、それでもエルサレムに行くと言ったのです。いったいパウロはなぜそのように言ったのでしょうか。ある人たちは、パウロはエルサレムに行くことにおいて躍起になりすぎて、弟子たちの忠告と御霊の示しに背く罪を犯してしまったと考えます。そうだとすると、14節のところで彼が聞き入れようとしなかったとき、彼らが「主のみこころのままに」と言って黙ってしまったのは、だだっ子のような気ままなパウロに手を焼いて、「もうどうにでもなれ」と突き放したのだと考えます。しかし、果たしてそうなのでしょうか。そうではありません。なぜなら、パウロにとっては、主イエスの御名のためならば、エルサレムで縛られることはおろか、死ぬことさえも覚悟していたからです。パウロにとって最も重要だったことは縛られることから逃れたり、死ぬことから逃れることではなく、主のみこころのままに生きることだったからです。パウロはローマ6章5節で、次のように言っています。

「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。」

また、ピリピ人への手紙3章10,11節でも、次のように言っています。
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中から復活に達したいのです。」

パウロの願いは、イエス様のようになることでした。イエス様のようになるとはどういうことでしょうか。キリストの死と同じ状態になることです。そのイエス様はどうだったのか。ルカの福音書13章33節を開いてみましょう。

「だが、わたしは、きょうもあすも次の日も進んで行かなければなりません。なぜなら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです。』

これは、あるパリサイ人がイエス様に、「ヘロデがあなたを殺そうとしているから、ここから出てほかの所へ行きなさい」と言ったことばに対して、イエス様が言われたことばです。たとえだれかが自分を殺すようなことがあっても、エルサレムに向かって進んで行かなければならない。きょうも、明日も、次の日もです。なぜなら、人の子がエルサレム以外の所で死ぬことなどあり得ないからです。同じようにパウロは、きょうも、明日も、次の日もエルサレムに向かって進んで行かなければなりませんでした。彼はイエス様の死と同じような状態になりたかったからです。

昔からクリスチャンの必読の書とされてきたものに、トマス・ア・ケンピスが書いた「キリストにならないて」という本がありますが、クリスチャン生活というのは何かというと、それはせんじつめればキリストのようになることなのです。キリストにならいて、キリストのように、キリストのイミテーション・コピーになることです。パウロはまさに、キリストに習って生きようと決意していたのです。主のみこころならば、たとえそこで死ぬようなことがあったとしても、それに従おうとするのがキリストに習うクリスチャンの姿です。問題はそういう覚悟があるかどうかです。

実際、この時パウロはかなり動揺していたと思います。それが定められた道だとひたすらエルサレムに向かって進んで行こうとしているのに、身近な信仰者から、いや、同労の仲間かたちからもしきりに「行かないように・・」と言われたらわけですから。もし皆さんがこの時のパウロの立場だったらどうでしょう。愛する夫、あるいは妻から、あるいは家族から、「お願いだから、わざわざ苦しむようなことはしないでちょうだい。」と泣いてせがまれたら、その願いを振り払ってまでも進んでいこうとするでしょうか。この時パウロは「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。」と言っていますから、彼らの言葉によってパウロ自身相当動揺していたし、心がくじかれるような思いであったのは確かです。それでも彼が、エルサレムに向かって進んで行こうとしていたのはどうしてだったのでしょうか。それは、彼がキリストに捕らえられていたということがありますが、それだけでなく、「御名のためなら」とい人生の方向付けがあったからです。キリストの御名のためなら、たとえ辛いこと、苦しいことがあっても、いやそれで死ぬようなことがあったとしても、進んでいくという覚悟があったのです。どれだけ覚悟があるかです。それは信仰生活だけのことではなく、私たちの人生のすべて局面で言えることです。

数年前に娘の体が動かなくなって、車いす生活を余儀なくされたとき、正直、私は心の中でこれからどうしようかと思いました。娘も不自由だろうけれども、自分も身動きがとれなくなってしまうのではないか。果たして自分にそんなことができるかどうかと悩みました。その時私に与えられた思いは、この「覚悟を決める」ということでした。できるかできないかではなく、できるだけのことをすると覚悟する。そうすればきっと道が開かれると。問題はその覚悟ができないことです。自分のことであれこれと考えて思い悩んでしまう。そうではなく、すべてのことに主が働いておられ、主が最善に導いてくださると信じて、目の前に置かれた一つ一つのことを行っていくのです。そうした覚悟があれば、必ず道が開かれるのです。パウロは「御名のためなら死ぬことも」という覚悟があったからこそ、そういう方向付けがあったから、エルサレムに向かって進んで行くことができたのです。

Ⅲ.すべてを主にゆだねて(14-15)

第三のことは、パウロはすべてを主にゆだねました。14,15節をご覧ください。

「彼が聞き入れようとしないので、私たちは、「主のみこころのままに」と言って、黙ってしまった。こうして数日たつと、私たちは旅仕度をして、エルサレムに上った。」

パウロは、自分の人生のすべてを神にゆだねました。つまり、自分の判断に頼らず、周りの勧めにも動かされず、すべてを主にゆだねたのです。そのようなパウロの決断に対していっしょにいた弟子たちも、その意志を止めることができないと知り、すべてを主のみこころにゆだねました。私たちを創造し、私たちを救われた神に、私たちの進むべき道をゆだねなければなりません。信仰者の道は決して楽ではありませんが、神にゆだねた人の人生は、神がちゃんと責任を取ってくださいます。私たちの生も死も、そして生き方もすべで神にゆだね、みこころのままに進んで行かなければならないのです。

パウロは20章24節のところで、「自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証する任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」と言っています。つまり、自分の生涯はキリストに捕らえられ、聖霊に縛られた生涯なんだから、その生涯の走るべき行程がエルサレムまでならエルサレムまで、ローマまでならローマまで、イスパニヤまでならイスパニヤまでと、とにかく走り抜くところまで走り抜く、それがパウロを突き動かしていた人生観だったのではないでしょうか。エルサレムであろうがローマであろうが、はたまたイスパニヤであろうが、いずれの地に行ってもいのちの危険はあります。イエスの死をいつもこの身に帯びています。けれども主イエスの御名のために生きるようにと主イエスによって捕らえられ、キリストの十字架の死によって死んでいたはずの自分のいのちが生かされた以上は、とにかく与えられた走るべき行程は何があっても走り抜くというのが彼の生き方だったのです。あとは神にゆだねます。結果はどうであれ、それが自分に与えられた道ならば、その道を走り抜くというのが彼の人生だったのです。

キリストによって与えられた私たち一人ひとりの人生もまた、とにかく神によって与えられた走るべき行程は何があっても走り抜くというパウロの生き方にならって、ただ主のみこころのままに進んでいきたいと思うのです。そして、このようにパウロを生かしめたキリスト・イエスのご愛の大きさに思いを馳せながら、弱い私たちのうちに働いてこの道を歩ませてくださる聖霊の神に信頼して、私たちのエルサレムに向かって進んで行きたいと思うのです。

使徒の働き20章28~38節 「良い牧者」

きょうは、「良い牧者」というタイトルでお話したいと思います。きょうの箇所には、先週に引き続きミレトにおけるパウロの説教が記されてあります。先週はその説教の最初の部分から、福音をあかしする者とはどういう者なのかについて学びましたが、きょうは、神の教会のリーダーとはどうあるべきなのかを学びたいと思います。28節をご覧ください。ここには、

「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。」

とあります。あなたがたとは、エペソ教会の長老たちのことです。その長老たちのことをここでは何と言われているかというと、神の教会を牧させるために群れの監督として立てられた人たちです。聖書の中に、イエス様がご自分のことを「わたしは、良い牧者です。」(ヨハネ10:11)と言われたことから、プロテスタントの教会では聖職者たちのことを牧師と呼ぶようになりましたが、それは、こういうところにも現れています。よく「カトリックでは神父と呼ぶのに対して、プロテスタントではどうして牧師と呼ぶのですか」という質問を受けることがありますが、それはこの聖職者の立場がどのようなものなのかの理解の違いにあります。カトリック教会では、司祭は父の如く信者の霊魂の世話をするということから神父と名づけられました。実際、スペインやイタリアでは父を意味するパドレ(padre)、英語圏ではファーザー(father)と呼ばれています。カトリックでは父のように世話をするのです。しかし、プロテスタントは違います。、プロテスタントでは牧者、羊飼いのように仕えるのです。そういう違いがありますが、その働きは同じです。私はよく近くのカトリック教会のバルトロ神父と会って一緒に食事をすることがありますが、まさに父のように信徒さんに接しておられます。しかしここでは単なる牧者に対して勧められているだけでなく、エペソの教会を治めるために選ばれた牧師や長老など、いわゆる教会のリーダーに対して、どのように神の教会を牧したらいいのかが語られているのです。

イスラエルに行ったことのある牧師からこんな話を聞いたことがあります。ある場所に多くの人たちが集まっていたので、何があるのかなぁと思って行ってみたら、その真ん中に美しくて立派な一頭の牛がいたそうです。この牛の前には立て札があって、このように書かれてありました。「この牛を泣かせた人にこの牛を差し上げます。」そこで多くの人たちが試してみましたが、牛はウンともツンとも泣きませんでした。するとそこへ老年の牧師が出て来て、牛の耳でなにやらひそひそと話しました。すると突然、牛は涙をボロボロ流したというのです。それで人々は驚いて、「いったいどんな話をして、あんなに牛を泣かせたのですか。」と聞きました。するとその老人は答えました。「30年間牧会しながら苦しくて悔しくて悲しかったことを話しただけです。」また、他の場所にも行ってみると、そこにも一頭の牛がいて、そこにはこういう立て札がありました。「牛をまっすぐに歩かせた人にこの牛を差し上げます。」すると今度もあの老年の牧師がやって来て、何やら牛の耳元でつぶやきました。すると牛がまっすぐに一目散に逃げて行きました。それを見て驚いた人ちがまた尋ねました。「いったい何と言って牛をまっすぐに歩かせることができたのですか。」するとその老人がこのように答えました。「私と一緒に牧会しようと言ったら逃げて行きました。」

神の羊を飼う、神の教会を牧するというのは、それほど大変なことだということなのでしょう。しかし、見方を変えるとそれは、神の羊を養うということはそれほどやりがいもあるということなのです。では、いったいどうしたら神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧会することができるのでしょうか。

きょうはこの箇所から、神の教会を牧する良い羊飼いとはどのような者なのかについて、三つの点から見ていきたいと思います。第一のことは、良い羊飼いは、自分自身と群れの全体とに気を配る人であるということ、第二のことは、良い羊飼いとは、神とその恵みのみことばにゆだねる人であるということ、そして第三のことは、良い羊飼いとは、受けるよりも与える人は幸いであると言われたイエス様のお言葉に生きる人であるということです。

Ⅰ.自分自身と群れの全体とに気を配りなさい(28-30)

まず、28~30節までをご覧ください。

「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。私が出発したあと、凶暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。」

神の教会を牧させるために、群れの監督として立てられたエペソのリーダーたちにパウロが語った第一のことは、「あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい」ということでした。「気を配る」とは“注意を集中する”とか“留意する”という意味です。すなわち、自分自身と羊の群れのために気を付けなさいということです。なぜでしょうか。29,30節、なぜなら、パウロが出発したあとで、凶暴な狼がやって来て、群れを荒らし回ることを知っているからです。そればかりではありません。その群れの中からも、いろいろなことを言って、羊たちを惑わし、自分たちの方に引き込もうとする者たちが起こるからです。
信じる人々を惑わす悪しき勢力は、教会が始まったばかりのこの時からすでにありました。このような悪しき勢力は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を荒らし回ります。ですから、そのような勢力に対抗して、教会が教会としてしっかりと立っていくたくために、自分自身と群れの全体とに気を配らなければなりません。

まず、あなたがた自身に気を配らなければなりません。どういうことでしょうか。ほかの人の世話や事務的なことに気をとられているうちに、自分の足下が危なくなるとこのないように、自分自身を立て上げていかなければならないということです。もちろん、そのためにはリーダー自身の能力やアイデヤといったことも必要でしょうが、それ以上に、いつもみことばによって養われていなければなりません。ですから、自分自身を立て上げるとは、神のみことばによって、ご聖霊の助けをいただきながら、霊的に成長させていただくことなのです。教会のリーダーは、人々を養う前にまず自分自身を養わなければならないのです。

それから、群れ全体とに気を配らなければなりません。これは「神の教会を牧する」ということです。牧者に求められていることは何でしょうか。羊が草を食べたり水を飲んだりして、成長していけるように、牧草地や水辺に連れて行ったり、あるいは、猛獣の餌食にならないように守ることです。また、「監督」というのは見張り人のことです。凶暴な狼が群れの中に入り込んで来て、群れ全体を荒らすことがないように見張らなければなりません。つまり、自分たちに任せられた人々を深く愛して、仕えることです。群れのリーダーに求められているのは、そのような心を持つことです。

アメリカ南北戦争後、アメリカテネシー州、アラバマ州、ミズーリ州で説教者として活躍したE..M.バウンズは、この牧会者の心を持つことについて次のように言っています。

「偉大な働き人たちは、偉大な心を持つ人々でした。羊飼いは羊の群れを打ちますが、教会の羊の群れを祝福し牧者としての職を全うできるのは「良い牧者」の心を持つ牧会者だけです。良い牧者は人々からのいくつものほめ言葉よりも、神に一言ほめられることを喜びます。良い牧者はたましいを愛する情熱をもって、祈りの場から逃げません。私たちを愛し、ひとり子をお与え下さった父なる神の大きな愛、その愛が私たちを通して現される時、世は神が生きておられることを知るでしょう。」(「祈りの力」から)

教会に仕えるリーダーとして、神が任せてくださった兄弟姉妹に、私たちはどのように仕えているでしょうか。あなたがた自身と群れ全体とに気を配りなさい。群れ全体に気を配り、群れを愛する牧者の心をもって仕えていく者でありたいと思います。

Ⅱ.神との恵みのみことばとにゆだねます(31-32)

第二のことは、良い牧者は群れを神とその恵みのみことばとにゆだねるということです。31,32節をご覧ください。

「ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」

そのような外からの狂暴な狼に対して、また、内からの偽教師の働きかけに対して、いったいどのように対処していったらいいのでしょうか。そのためにまず目をさましていなければなりません。そして、与えられた群れを神とその恵みのみことばとにゆだねなければならないのです。32節です。

「いま私は、あなたがたを神とその恵みのことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」

ここにパウロの最も深い確信と、最も強いメッセージが記されているのではないでしょうか。それは、これまでに彼が語ってきたどんな勧めの言葉や命令の言葉、警告の言葉よりも、またどれほど自分の生き様を模範として示して来たことよりも強い確信です。それは、結局のところ、最後にゆだねなければならないのは神とその恵みのみことばであるということです。なぜなら、みことばがクリスチャンを育成し、御国を継がせることができるからです。決して人間の知恵や力によって教会が建て上げられるのではありません。そうしたものは一時的なしのぎにはなるかもしれませんが、教会を建て上げていくことはできないのです。ただ神とその恵みのみことばだけが、教会を建て上げ、すべての聖なる人々の中にあって、御国を継がせることができるのです。

かつてユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、敵がエルサレムを攻撃するためにやって来たことがありました。城壁に囲まれたエルサレムが敵の軍勢に囲まれ、絶体絶命のピンチにあったのです。その時に、エルサレムの政治的な指導者たちは、この難局をどうやって乗り切ろうかと考えました。知恵を出し合って、いろいろと相談しました。様々な作戦も考えました。敵と和睦するべきだろうか。いくら払ったら包囲網を解除してくれるだろうか。あるいはもっと強い国と同盟関係を結んで、その国に助けてもらった方がいいだろうか、等々。
その時に、イザヤは、彼らにこう警告したのです。「あなたがたは、自分の知恵に頼ってはならない。そもそも、なぜこのような事態に陥ったのかを考えるべきだ。それは、あなたがたが、真の神を捨てて偶像の神に走ったからだ。だから、この危機的な状況から逃れる道は一つしかない。人間の知恵ではなく、神の知恵に従うこと。あなたがたは悔い改めてもう一度、真の神のもとへ立ち返りなさい。そうすれば、主ご自身が、あなたを救ってくださる。人間の知恵に頼ってはならない。主に信頼せよ。」そう語ったのです。これがイザヤの警告でした。
しかし、エルサレムの指導者たちは、イザヤの警告に耳を傾けませんでした。彼らはどこまでも自分たちの知恵で、この難局を乗り切ろうとしたのです。その結果、どうなったでしょうか。エルサレムが滅んでいったのです。神のことば、神の知恵に頼らなかったからです。

それは今日の教会にも言えることではないでしょうか。教会がみことばから離れて人間的になり、人の知恵によって進んで行ったら、かつてイスラエルが経験したように崩壊してしまうことになります。しかし、神とその恵みのみことばにゆだねるなら、決して滅びることがありません。みことばは、天地が滅び失せない限り、一点一画でもすたれることがないからです。ですから、みことばは何と言っているのかを正しく理解し、それに従うことが重要なのです。

パウロは、神とその恵みのみことばこそ教会を建て上げ、信者に御国を継がせることができると信じていたがゆえに、愛する神の教会をみことばにゆだていくことができたのです。それはこのエペソの教会ばかりでなく、いつの時代のどの教会にも言えることです。私たちは、教会を育て、教会を建て上げてくださるお方は神であり、神がそのみことばを聖霊とともに働かせてくださることによってのみ成長していくことができるのだということを心に刻みながら、このみことばに従う群れでありたいと思うのです。

Ⅲ.受けるよりも与える方が幸いである(33-35)

良い牧者の第三のことは、受けるよりも与える方が幸いであると主イエスが言われたみことばを実践する人です。33~35節をご覧ください。

「私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

エペソの長老たちに対してパウロが語った最後のことは、どのようにして弱い人々を助けることができるかということです。そのためには、主イエスが語られたことばを思い出さなければなりません。すなわち、「受けるよりも、与える方が幸いである」というみことばです。このことばは福音書を見る限りイエス様が語られたことばとしては記されてありませんが、イエス様の生き方やイエス様が他に語られたことばをみると、確かにイエス様がこのようなことを言われたのは明らかです。たとえば、ルカの福音書6章38節には、

「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

とあります。また、ヨハネの福音書12章24,25節にも、

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」

とあります。イエス様はこのことばのとおりに、まさに一粒の麦として地に落ちて死んでくださいました。十字架の上で。それは、そのことによって多くの人たちが生きるためです。豊かな実を結ぶためです。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに入るのです。イエス様のご生涯は、実に与える生涯だったのです。ですからイエス様は、

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(ヨハネ10:11)

と言うことができたのです。イエス様は良い羊飼いです。なぜなら、私たちのためにいのちを捨ててくださったからです。悪い羊飼いはいのちを捨てません。狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行くのです。それで、狼は羊を奪い、また散らします。それは彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。けれども、良い羊飼いは違います。良い羊飼いは、羊のためにいのちを捨てるのです。イエス様はその良い羊飼いです。そして、このイエス様につき従って行く私たちもまた、受けるよりも、与えることを幸いとしなければならないのです。

この世にあって多くの人々は逆に考えています。与えるよりも受ける方が幸いだと思っているのです。生まれながらに利己的な私たちは、たとえどのようなものであっても、何かを人からもらうということに対して喜びを感じるものです。お金や物がたくさんたまっていくということ、名誉や地位が与えられるということを喜ぶのです。しかし、それはほんとうに喜ぶべきことなのでしょうか。お金や物や名誉や地位が自分のものとなっていくということは嬉しいことかもしれませんが、それによって人間として重要なものを失っているのではないでしょうか。

皆さんは、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」という作品を読んだことがあるでしょうか。ドストエフスキーはその作品の中で、若き日のゾシマ長老のところに訪ねて来た謎の客のことばとして、次のようなことを言っています。

「現代の人は、すべて箇々の分子に分かれてしまって、誰も彼も、自分の穴の中に隠れています。誰も彼もお互いに遠く隔てて、姿を隠し合っています。持ち物を隠し合っています。そして結局、自分で自分から他人を切り離すのが落ちです。ひとりひそかに富を蓄えながら、おれはいまこんなに強くなった。こんなに物質上の保証を得たなどと考えていますが、富を蓄えれば蓄えるほど、自殺的無力に沈んでいくことは、愚かにも気づかないでいるのです。なぜというに、我一人を憐れむことに馴れて、一箇の分子として全体から離れ、彼の扶助も人間も人類も、何ものも信じないように、己の心を教え込んで、ただただ己の金や己の獲得した権利を失いはしないかと戦々兢々としているからです。」

この謎の客のことばには含蓄があります。富を蓄えれば蓄えようとするほど、全体を離れ我一人の世界に馴れることによって、自殺的無力に沈んでいってしまうからです。

オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、次のように言いました。「不幸な人は、自分の喜びばかり考えている人です。憂鬱な時、どうしたら他人に喜んでもらえるかを考えることです。」受けるよりも、与える方が幸いなのです。神と人のためにいかに自分を与えることができるかと考える人は、多くのものを受ける祝福された人なのです。

パウロは、コリント第二の手紙の中で献金について触れ、それは「恵みのわざ」だと言いました。(Ⅱコリント8:7、19)与えることは神の恵みであり、恵みのわざなのです。それは、献金がただ単にお金をささげることではなく、生ける神との交わりと神への奉仕の表れだからです。ですから、献金は恵みなのです。パウロは喜んでささげたのです。労苦して弱い者たちを助けなければならないということ、また、主イエスが受けるよりも与える方が幸いであると言われたみことばを思い起こしながら、そのような生き方に徹ることができたのです。そして、いつも喜びに満ちあふれていました。彼には霊的スランプというものがあまりなかったのです。彼はいつも神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、人々の必要のためにも労苦して働きました。

惜しまずに与え、報いを望まず、なすべきこと忠実にを淡々とこなし、神とその恵みのみことばにすべてを委ねて、自分自身と群れの全体とに気を配る。これが神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、群れの監督として立てられた者たちに求められている姿であり、クリスチャン一人一人が祝福を受ける道なのです。

ところで、このエペソの教会はその後どうなったでしょうか。黙示録2章を見ると、このエペソの教会が1世紀末までにどうなっていったかを知ることかできます。2章1~5節です。

「エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」

2節を見るとこのエペソの教会は、パウロの教えを守り、使徒と自称している者たちの偽りを見抜いたとあります。つまり、みことばを守り抜く戦いにおいて、この教会は勝利していたのです。しかし、彼らには避難すべきことがありました。それは、「初めの愛から離れてしまった」ことです。すなわち、弱い羊を助け、羊たちを守るという愛から離れてしまった。ですから、それがどこから落ちたのかを思い出して、悔い改めて、初めの行いをしなければなりませんでした。

皆さん、このエペソの教会はどこから落ちてしまったのでしょうか。まさにここから落ちたのです。受けるよりも与える方が幸いであると言われた、あの主イエスのことばに生きることができず、自分のことしか考えられなくなってしまったのです。教会が神のひとり子の血をもって買い取られた神の教会であり、弱い羊も、小さな羊も、神がご自身の血をもって買い取られた尊い神の羊であるという理解から離れ、だれかが、いつか、どこかで何とかしてくれるでしょうといった他人事のようにしか考えられなくなってしまったのです。すなわち、初めの愛から離れてしまったのです。

皆さん、愛がないなら、何の値打ちもありません。私たちの教会がみことばに基づいたあつい愛と、暖かい母の愛と涙をもった神の教会として、天の御国まで建て上げられていく教会であるために、私たち一人一人が、与えられた役割を忠実に果たしていくことができますように。イエス様やパウロに習って、喜んで自分を与えていくことができますように。この愛に生きる牧会者でありたいと思うのです。それこそイエス様やパウロに見られる良い牧者、良い羊飼いの姿なのではないでしょうか。

使徒の働き20章17~27節 「福音をあかしする者」

 きょうは「福音をあかしする者」というタイトルでお話をしたいと思います。パウロは第三回伝道旅行を終えて、いまエルサレムに向かっています。この第三回伝道旅行の中心はエペソでの伝道でした。そこでの約3年間にわたる働きを終えるとマケドニヤに向かい、そして3ヶ月を過ごしてからエルサレムへと向かったわけです。途中トロアスでユテコが窓から転落して命を落とすというハプニングもありましたが、神は彼を生き返らせることによって、そこにいた多くの人たちを慰めました。そしてアソス、ミテレネに行き、それからサモスに、そしてその次の日にはミレトに着きました。ミレトに着いたパウロは何をしたでしょうか。彼はそこからエペソに人を送り教会の長老たちを呼び集めると、彼らに説教しました。できれば五旬節にはエルサレムについていたいと思い先を急いでいたので、エペソに立ち寄りたくなかったからです。

 きょうの箇所は、そのミレトでエペソの長老たちにパウロが語った説教が記録されてあります。これまでに彼が語った説教のいくつかが聖書に記録されてありますがその多くはユダヤ人や異邦人に語られたもので、このようにクリスチャンに対して語られたものは極めて希です。そういう意味でこの説教はとても貴重であり、また感動的な内容でもあります。この説教は35節まで続きますが少し長いので、これを2回に分けて学ぼうと思います。このパウロの説教を大きく分けると三つの部分に分けられます。18~21節までと、22~27節まで、そして28~35節までです。彼はこれまでの自分の働きを振り返りながら、いまの心境を語り、最後にこれからどうしたらいいかについて勧めているのです。

 きょうはこの前半の二つの部分から「福音をあかしする者」の心構えについて、三つのポイントでお話したいと思います。まず第一に福音をあかしする者は、仕えるしもべのようであるということです。第二に福音をあかしする者は、使命を最優先にして生きるということ。そして第三のことは、福音をあかしする者は、ゆだねられた責任を果たすということです。

 Ⅰ.仕えるしもべとして(18~21)
 まず第一に、パウロはしもべのようになって仕えました。18~21節までをご覧ください。

「彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。」

 ここには、これまでパウロがどのように過ごして来たのかが記されてあります。いわゆる彼の生涯を貫いていた基本的な生き方、生き様とはどのようなものであったのかということです。そしてそれは、「主に仕えた」生涯でした。主イエス・キリストの奴隷、しもべとして、福音に仕え、教会に仕えたのです。その具体的な姿がここに描かれています。

 彼はまず、謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。謙遜の限りを尽くしとは、自分が前面に出ることを極力控えて、イエス様だけが表に出るようにしたということでしょう、また、涙をもってというのは、31節に「涙とともに」という表現にあるように、相手の身になって、相手の救いと益のために夢中になって働いたということです。つまり、謙遜と愛と忍耐をもって、ただひたすらに主に仕えたのです。

 ではその方法はというと、益になることは少しもためらわずに知らせ、人々の前でも、家々でも、悔い改めと主イエスに対する信仰を主張するというものでした。「人々の前で」とは、ユダヤ教の会堂やツラノの講堂、またその他の公の場所を指しているのでしょう。一方の「家々でも」というのは、家庭訪問や家庭集会のことを表しているのでしょう。そして「あなたがたを」というのは、口語訳では「あなたがたひとりひとりを」と訳されてあるように、個人伝道のことを指しているのだと思います。賛美歌に「まぶねの中に」という賛美があります。(新聖歌99番)その2,3節に、次のような歌詞があります。

「食する暇も うち忘れて 虐げられし 人を訪ね
 友なき友の 友となりて 心くだきし この人を見よ

 すべてのものを 与えしすえ 死のほかなにも 報いられで
 十字架の上に 上げられつつ 敵を赦しし この人を見よ」

 パウロの生涯は、実に仕える生涯でした。彼は、いつでも、どこでも、だれにでも、口でも、からだでも、その人の救いのためには自分を殺し涙を流さんばかりに、神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰(福音)を語ったのです。そういう生活だった。彼の生活、いや彼の命は、全く神に集中していました。神に独占されていたのです。もし彼から神を取り去ったとしたら、パウロという人間が空っぽになってしまうほどに、彼の心は神に支配されていたのです。24節のところで彼は、「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしすることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」と言っていますが、それはうそ偽りのない心境だったでしょう。現に彼は、これからエルサレムに行くけれど、そこで何が起こるかわからない。わかっていることは、なわめと苦しみが自分を待っているということ。しかし、たとえそのようなことがあったとしても、自分のいのちは少しも惜しいとは思わないとまで言い切れたのです。彼はひたすら主に仕えるという生き方に集中し、一途にその道を歩み続けたのです。パウロがこのようなことを語ったのは、彼らにもっと自分のことを理解してもらい、同情してもらうためではありませんでした。彼がこのように語ったのは、福音に仕える者の生き方を身をもって示すためだったのです。彼はしばしば「私にならう者になってほしい」と言っていましたが、そのならうべき生き方の中心にあったのは、この「主に仕える」という生き方だったのです。この主に仕える者の生き方にあるひたむきさ、一途さといったものを、私たちも今朝しっかりと受け取っておきたいと思うのです。

 Ⅱ.キリストの霊に縛られて(22~25)

 次に、パウロの説教は彼が置かれている今の状況と、これから彼が遭遇するであろうことについて話が移ります。22~25節までをご覧ください。

「いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。」
 
 主に仕えてきたパウロが、まさにそうであり続けることができた一番のポイントがここに記されてあります。それは「心縛られて」という言葉です。これは直訳すると「霊に縛られて」です。新改訳の「心縛られて」という訳では、それを縛る者が何者なのかがはっきりわかりませんが、元々の文章ではそれが明確に書かれてあるのです。すなわちそれは「霊」によってであるということです。その霊とは何かというと、もちろんキリストの霊、聖霊のことですから、聖霊に縛られてということになるわけです。パウロはキリストに捕らえられていたのです。キリストの霊である聖霊に縛られていたので、これからエルサレムに行って、たとえそこで何が待ちかまえているのかはわからなくとも、いいえ、それがなわめと苦しめであったとしても、そこから逃げるようなことはせず、次のように言うことができたのです。24節です。ご一緒に読んでみましょう。

「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」

 パウロは、何よりも自分に与えられた使命を最優先しました。自分のことよりも主の御思いを優先するなかで、自分自分の生も死もとらえていこうとしたのです。事実、この後でパウロがエルサレムに行くと、そこで捕らえられ、鎖につながれて、投獄されます。囚われのパウロ、縛られたパウロです。しかし、真に縛っていたのは何だったのでしょうか。パウロはこう言うのです。それは鎖ではなく、聖霊の神であった・・・と。彼は主イエス・キリストに捕らわれたがゆえに、今キリストのために囚われの身になってエルサレムに行くのです。そこで何があるかは関係ない。何があっても自分が進むべき道は、神が示してくださる道であり、それこそ自分が最優先にして進んでいく道だったのです。パウロは、キリストに捕らえられたがゆえに、キリストの霊に縛られたがゆえに、この道を行くしかないのです。この道を走り抜けるしかありません。それがキリストによって捕らえられた者、しもべの姿であるということをエペソの教会の長老たちに示したのです。

 皆さんはどうでしょうか。キリストに捕らえられているでしょうか。それとも何かほかのものによって心が縛られているということはないでしょうか。それが仕事のことであれ、学校のことであれ、家庭のことであれ、将来のことであれ、キリストに捕らえられ、キリストの霊に縛られたものでなければ、全く意味がありません。それはただの自己実現でしかないからです。それがどんなことであれ、自分に与えられた環境や働きを通して、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしするという使命を覚え、それを最優先にして生きることが重要です。

 数年前に洗礼を受けられた大学生で、マクドナルドに勤めておられる方のあかしを読みました。その方は、会社で行われた関東の大会で優勝しましたが、その方が目指しているのはもっと上に行くことだというのです。どうしてかというと、その方が目指しておられるのは、マクドナルドのリバイバルだからです。マクドナルドのリバイバルというのはマクドナルドが儲かることではありません。マクドナルドの多くの人たちが救われることです。ですからもっと頑張って上に行きたいのです。上に行かないと、社長さんにも会ってもらえません。ですから上に行って、リーダーの方々や社長にお会いし、どうしても福音を伝えたい。そういうチャンスが自分に与えられているのだからそれを目指したいというのです。立派です。自分に与えられた環境を通して、何とかして福音を伝えたいと願う心、姿こそ、キリストによって捕らえられた人の姿ではないでしょうか。

 パウロは、「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」(Ⅱコリント5:14)と言いました。私たちもキリストの愛が取り囲んでいるから、聖霊によって心が縛られているから、キリストが願っておられることを最優先に取り組んでいきたいという者でありたいと思うのです。それがキリストのしもべの姿なのです。

 Ⅲ.ゆだねられた責任を果たす(26~27)

 キリストのしもべとして生きる第三のことは、自分にゆだねられた責任を果たすということです。26~27節をご覧ください。

「ですから、私はきょうここで、あなたがに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」

 ここでパウロは、「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません」と言っています。しかもここには米印がついていて、直訳では「すべての人の血について責任がない」となっています。これはどういうことでしょうか。旧約聖書のエゼキエル3章16節からのところを開いてみましょう。21節までのところです。

「七日目の終わりになって、私に次のような主のことばがあった。人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。わたしが悪者に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、悪者に悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、その悪者は自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。もしあなたが悪者に警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。もし、正しい人がその正しい行いをやめて、不正を行うなら、わたしは彼の前につまずきを置く。彼は死ななければならない。それはあなたが彼に警告を与えなかったので、彼は自分の罪のために死に、彼が行った正しい行いも覚えられないのである。わたしは、彼の血の責任をあなたに問う。しかし、もしあなたが正しい人に罪を犯さないように警告を与えて、彼が罪を犯さないようになれば、彼は警告を受けたのであるから、彼は生きながらえ、あなたも自分のいのちを救うことになる。」

 これはエゼキエルにあった主のことばです。ここで神はエゼキエルをイスラエルの家の見張り人にしたと語られました。見張り人の働きとは何でしょうか。それは主のことばを聞いた時、主に代わってそれを民に伝えるということです。民がその警告を受け入れるかどうかはわかりません。仮に、たとえ受け入れなかったとしても、その見張り人がその血の責任を負うことはありません。見張り人に必要なことは、主によって語られたことを伝えるということだからです。それが見張り人の責任でした。

 おそらく、ここでパウロが「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません」と言っているのは、このような理由からだと思われます。パウロにとって問われたことは、主によって語られたことを伝えたかどうかです。神の恵みの福音を語るという責任を果たすなら、その血の責任を問われることはないのです。たとえそれを聞いた人たちが信じなかったとしても、それはその人たちの責任であって、語った者の責任ではありません。私たちに与えられている責任は、神の恵みの福音を伝えるということです。

 先週、西山宣教師ご一家の派遣式の中で、このことについて奥山先生がみことばからお話してくださいました。マタイの福音書24章14節、

「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」

いつ終わりの日が来るんですか?いつイエス様が再臨なさるのでしょうか?それはすべての人が救われた時ではありまん。すべての人にこの御国の福音があかしされた時なのです。私たちにゆだねられている責任は、この福音をすべての人にあかしすることなのです。

 いったいなぜパウロはそんなに命をかけてまで福音を伝えたのでしょうか。それは「これらの人たちの血の責任がある」と意識していたからです。クリスチャンは、自分が天国に行ければそれでよろしいというのではありません。この責任を果たしていかなければならないのです。私たちの家族に、親族に、友達に、パウロのように、「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」と言えるように、余すところなく神の福音を伝えていきたいと思うのです。

 イエス様は、「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」と言われました。(ヨハネ4:35)と言われました。私たちは、まだ色づいていないから収穫の時期が来ていないと思うのですが、収穫の時期はもう来ているのです。「この人が救われるのはまだまだだ」と思っている人が、本当に神様の救いを受ける用意が出来ている場合があるのです。

 榎本保郎先生が病院伝道でトラクト(キリスト教のパンフレット)を配っていたら、この人には渡すのをやめようと思った方が1人いたそうです。やくざの組長の方で、こんな人に渡しても意味がないだろうと、そっと素通りしようと思ったら、その人に呼び止められました。「おい、そこの、俺にもくれや」と。それで持っていたトラクトを渡しました。そしたらその後すぐに、子分を通して「牧師を呼んで来い。」と言うのです。実はその病院中で一番神様に近かったのはその組長だったのです。

 私達は「この人は無理だ。」と遠ざけてしまうのですが、思いがけない人がすぐ側まで来ているのです。私達は躊躇せず大胆に種蒔きをするべきです。すると種蒔きをするつもりが、いつの間にか刈り取りをもすることになります。種蒔きをしたなら待たなければなりませんが、今は恵みの時代だから種蒔きと刈り取りを神様は用意して下さっているのです。 私たちは「今救われなければ」と”今”を強調しますが、パウロのように、いつでも、誰にでも、イエス様を分かち合うことが大切です。そうすればいつの日にか、そこから実を結ぶようになっていくのです。そして種蒔きと刈り取りが同時に起こるようになるのです。私達の目には「この家族にはだめだ」とか「あの人はだめだ。」と思うのですが、こちらもあちらも色づいているのです。私達はその色づきに気付き大胆にお伝えしていく者になりたいと思います。神様はその中で主の業をなさって下さる。しかし信じるかどうかはその人自身です。私達は「信じさせなければばらない」と思ってしまいますが、私達は伝えるだけでいいのです。その方が受け取り信じたならば永遠の生ける水の川が流れるようになる。その時までは「しつこいな」と思われるだけで感謝はされないでしょうが、それでも私達はそれをしていきたいと思うのです。

 「目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」この主のことばに励まされながら、いつも目を上げて畑を見て、主の御業に励みましょう。パウロのように、キリストに捕らえられ、いつでも、どこでも、だれにでも、口でも、からだでも、その人の救いのためには自分を殺し涙を流さんばかりに、この恵みの福音を宣べ伝えていきたいと思うのです。その結果がどうであれ、それが私たちにゆだねられている責任だからです。

使徒の働き20章1~12節 「クリスチャンの慰め」

きょうは「クリスチャンの慰め」についてお話したいと思います。ここには、第三次伝道旅行を終えてエルサレムに上るまでに起こったことが記されてあります。1節には、「騒ぎが治まると」とありますが、これは先週見たように、エペソでのアルテミス神殿を巡っての騒ぎのことです。その騒ぎが治まるとパウロはどうしたでしょうか。彼は弟子たちを呼び集めて励ますと、別れを告げて、マケドニヤへ向かって行きました。彼の関心はコリントの教会でした。コリントの教会にはいろいろな問題があって、その解決のために手紙を書き送りましたが、なかなか解決には至らなかったので、自らコリントに赴き、その後でエルサレムに戻ろうと考えていたのです。そこで彼はエペソからマケドニヤに行き、そこからギリシャに行って3ヶ月を過ごしました。このギリシャとはアカヤ州のことを指しますが、コリントの教会のことです。そこで3ヶ月を過ごしてから、シリヤ(エルサレム)に向けて船出したかったのですが、多くのユダヤ人の陰謀があったため、もう一度陸路マケドニヤに引き返し、そこからトロアスへ行き、そしてアソスから船に乗ってエルサレムに戻るのです。その間約1年くらいの年月が流れていますが、ルカはこの間の働きについて真新しいことはほとんど告げておられず、告げているのは何かというと、クリスチャンの励ましや慰めについてです。1節には、「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし・・・」とあり、2節にも、「そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから・・」とあります。さらに7節からのトロアスでの青年ユテコの居眠り事件です。礼拝中に居眠りをして3階の窓際から下に落ちて死んでしまったユテコが生き返ったのを見た人々は、ひとかたならず慰められたのです。

きょうはこのことからクリスチャンの慰めと励ましについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、クリスチャンの励ましのベースは福音のことばであるということです。第二のことは、兄弟姉妹への配慮を大切にということです。力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきであるということです。第三のことは、弱い兄弟さばくのではなく、いたわり思いやるという姿の中にこそ、クリスチャンの慰めがあるということです。

Ⅰ.みことばによる励まし(1-2)

まず第一に、クリスチャンの励ましのベースは福音のことばであるということを見ていきましょう。1~2節をご覧ください。

「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。」

3年に及ぶエペソでの伝道は、アルテミス神殿の大騒動という出来事で幕が閉じられました。その大騒動が治まると、パウロは、3年間、夜も昼も涙ながらにみことばを語りつづけてきたエペソの兄弟姉妹に別れを告げマケドニヤに向けて出発しましたが、その際に、弟子たちを呼び集めて励ましの言葉を語るのでした。どのように励ましたのかはわかりませんが、それはおそらくあの第一次伝道旅行で信仰に入った弟子たちに語った言葉と同じ響きを持ったことばだったことでしょう。開いてみたいと思います。14章22節です。

「弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言った。」

教会に与えられる励ましや慰めというのは、それは単に景気のよい力づけの言葉ということよりも、神の国に向かわしめる言葉、そこに至るための苦難を耐え忍ばせ、希望を抱かせる言葉です。その言葉をもってパウロはエペソの教会を励まし、さらにこのエペソを出発すると第二次伝道旅行で訪れたマケドニヤの町々を旅しながら、そこでも多くの勧めと励ましの言葉を語ったのです。2節に、「多くの励ましをして兄弟たちを励ましてから」とありますが、これは直訳では「多くの言葉で彼らを励ます」になります。他の日本語の訳では「言葉を尽くして人々を励ます」となっています。言葉を尽くしての言葉とは何でしょうか。そうです、その言葉とは福音の言葉であるみことばにほかなりません。教会は何によって励まされ、何によって力づけられるのでしょうか。その一番の励ましはみことばではないでしょうか。もちろん私たちは誰かの言葉によっても励ましを受けることがあるでしょう。しかし、人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようです。草はしおれ、花は散ります。「しかし、主のことばは、とこしえに変わることが」ありません。「あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。(Iペテロ1:24,25)

皆さん、私たちはいろいろなことで心が折れそうになることがありますが、いったいどうやってその中から立ち上がることができるのでしょうか。福音のことばです。皆さんの中に意気消沈している方がおられますか。そういう人はヘブル13:5,6を読んでください。そこには、

「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」

とあります。中には、いろいろなことで心配している方がおられますか。そういう人はIペテロ5:7をご覧ください。

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

試練の中におられる方がいますか。その方はIコリント10:13をご覧ください。

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」

いろんなことで心が疲れたという人がいたら、ぜひマタイの11:28~29を開いてください。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。」

自分はどこを開いたらいいかわからないというような人は、ギデオン協会贈呈用の聖書をご覧ください。その中に「おりにかなった助け」~その時あなたはここを読んでください~と丁寧に箇所が紹介されています。牧師や信仰の先輩たちに聞くのもいいでしょう。どのような方法であれ、私たちはこの福音のことばを通して真の慰めと励ましを受けることができるということを覚えておきたいと思うのです。

Ⅱ.兄弟姉妹への配慮を大切に(3-6)

第二のことは、兄弟姉妹への配慮を大切にということです。3~6節までをご覧ください。

「パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピモは、パウロに同行していたが、彼らは先発して、トロアスで私たちを待っていた。種なしパンの祝いが過ぎてから、私たちはピリピから船出し、五日かかってトロアスで彼らと落ち合い、そこに七日間滞在した。」

ギリシャにやって来たパウロは、そこで3ヶ月を過ごすと、シリヤに向けて船出しようとしましたが、彼に対する陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにしました。そのときに同行した人たちの名前が4節に出てきます。プロの子であるベレヤ人ソパテロ、テサロニケ人アリスタルコとセクンド、デルベ人ガイオ、テモテ、アジヤ人テキコとトロピコの七人です。それに5節のところに再び「私たち」という言い方が出てはますから、ここでルカも合流したことがわかります。この「私たち」は、16章17節のピリピでの伝道の最中で消えていますから、ルカは、あの後ずっとピリピにとどまり、そこで兄弟たちを励ましていたのです。しかし今、パウロたちがエルサレムに帰る途中、このトロアスで合流したのです。神様はパウロの進む旅路を孤独なものとせず、そこに共に歩む人たちを備えてくださいました。それはパウロにとって、どれほど励まされることだったでしょうか。福音を宣べ伝える旅は時に困難を伴い、孤独を感じるものですが、そのような時にこのように共に歩む仲間を備えていてくださったのです。

ところで、ここに記されてある人々とはいったいどんな人たち何だったのでしょうか。まず筆頭に登場しているソパテロは、ベレヤ人であった記されてあります。ベレヤというのはパウロが第二次伝道旅行の時に訪れた町の一つです。それからアリスタルトとセクンドはテサロニケ人であると記されてあります。テサロニケも同じようにパウロが第二次伝道旅行で訪れた町でした。それからガイオとテモテはデルベ人だと記されてあります。デルベというのはパウロが第一次伝道旅行で訪れた町の一つです。そしてテキコとトロピモはアジヤ人でした。あのエペソの町があったアジヤ州です。それにルカがピリピ教会からやってきて合流しています。ですから、このパウロの同行者たちというのは、かつてパウロが訪れた町々の教会の代表者たちだったのです。

いったいうなぜ彼らはパウロに同行したのでしょうか。もちろんパウロの旅路のことを考えて、彼を助け支えるという目的もあったでしょうが、そうした人たちがわざわざ同行するということには、それ以上の理由があったはずです。それは何だったのでしょうか。それを知るためには、この時彼らがどこに向かっていたのかを考えるとわかります。そうです。エルサレムです。19章21節を見ると、「このことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした」とあります。いったい何のためでしょうか。それは前にもお話したことがあるかと思いますが、エルサレムの兄弟姉妹たちに献金を届けるためでした。彼らは今その目的のためにエルサレムに行こうとしていたのです。その旅にそれぞれの地域の代表者たちが同行したのです。ということは、単に献金を手渡すということだけでなく、その献金に託された彼らの思いを通して、その交わりの恵みに預かろうとしていたことがわかります。

しかし、このように各教会から派遣された代表者たちがわざわざエルサレムに向かったというのは、単に交わりの恵みに預かりたいと思ったからだけではありませんでした。彼らがそのようにパウロの旅に同行し、わざわざエルサレムにまで行ったのは、弱い信仰者たちへの配慮のためでした。ご存じのようにパウロがコリントにいた時、彼はそこで天幕作りをしながら伝道していましたが、それは、パウロは信者たちから献金をだまし取っているのではないかとといった誤解があったからでした。そういうスキャンダルがある中で、彼は信者たちの誤解がないようにと自ら働いて伝道したのでした。まして今度は海の向こうのエルサレムに献金を届けようとしているのです。どんなスキャンダルを流す人がでないとも限りません。それにつまずく兄弟も出ないとは限りません。それを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。そうしたお金にパウロが関わらないことです。彼は諸教会からの献金の取り扱いについては、自分が入るようなことをせず、その教会が立てた代表者たちの手で運ぶようにしたのです。

教会には、牧師の許可をもらったり、役員会の承認をとったり、領収書をきちょうめんにとったりと、とても煩雑な事務があります。神の家族、兄弟姉妹の間で、どうしてこんな面倒で他人行儀のようなことが必要なのかと思えるかもしれませんが、それはそのようなことでつまずく弱い兄弟姉妹がいるからで、そのような方々への配慮からなのです。ただ、事の能率や手間の節約といった点だけを考えるなら必要ないと思われることでも、実は、そうしたことでつまずいてしまう兄弟姉妹がいることを考えると、きちんとしておく必要があったわけです。このことをパウロはⅡコリント8:20~21で次のように言っています。

「私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。」

これがパウロの姿勢でした。どんなことでもそのことでつまずく人がないように、神の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうとしたのでした。

7月に来られたフレッド・タニザキ牧師は、かつて公認会計士をなさっていたという経歴をもっていることから、くお金の相談を受けることが多いのですが、彼がフィリピンかどこかの国に行って教会の会計システムを聞いたとき、何と牧師が一人で全部むやっていたというのです。しかもそれを帳簿に記入しないで、お金があればその中から支払いをするというようなことをしていたのだそうです。それでパスター・タニザキはそれを指摘しました。「いいですか。献金は一度そのまま銀行に預けてください。そこにちゃんと数字が印字されますから、それが一つの証拠となるんです。支払いはその後にするようにお願いします。」

小さなことのようですが、つまずいてしまう弱い兄弟姉妹を配慮して、できるだけ誤解を生むことがないようなすること、それは私たちの信仰にとって大事な心得と教訓でもあるのです。ローマ人への手紙15:1~3に、つぎのような勧めがあります。

「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。」

これはキリストのお姿でもありました。このキリストに見習うことから、キリスト者の慰めもまた生まれくるのではないでしょうか。

Ⅲ.いたわりと思いやる心(7~12)

第三のことは、いたわりと思いやりの心を持つことの大切さです。7~12節までをご覧ください。

「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんともしてあった。ユテコというひとりの青年が窓のところに腰を掛けていたが、ひどく眠けがさし、パウロの話が長く続くので、とうとう眠り込んでしまって、三階から下に落ちた。抱き起こしてみると、もう死んでいた。パウロは降りて来て、彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります。」と言った。 そして、また上がって行き、パンを裂いて食べてから、明け方まで長く話し合って、それから出発した。人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」

一行がそのトロアスに七日間滞在していたときのことです。週の初めの日に、パンを裂くために集まりました。この「パンを裂く」というのは、愛餐のことではなく、聖餐のことです。すでに、もうこの頃から週の初めの日である日曜日に礼拝が行われていたことがわかります。しかもこの集会は、夜行われていました。というのは、当時の異教社会では日曜日が休みではなかったからです。それで人々は一日の労働を終え、主の復活を祝うために、夜集会に集まっていたのです。それはちょうどパウロが翌日に出発を控えていたときのこどてした。パウロの説教にも自然と熱が帯びてきて、夜中まで語り続けました。するとそこへさユテコという青年がやって来て、窓のところに腰を掛けて聞いていたのですが、パウロの話があまりにも長く続いたのか、とうとう眠り込んでしまい、3階から下に落ちてしまったのです。彼を抱き起こしてみると、もう息はありませんでした。死んでしまったのです。パウロは説教を止めて下へ降りて行き、彼の上に身をかがめると、「心配することはない。まだいのちがあります」と言いました。これはこの青年が死んでいなかったいわゆる仮死状態であったということではありません。医者であったルカは「もう死んでいた」と死亡診断書を書いていますから、彼は死んでしまったのです。その青年が生き返ったということです。そこで人々はまた上がって行って、パンを裂き、それを食べてから、明け方まで話し合い、それから出発しました。では、この出来事はいったい何のためにわざわざ書かれたのでしょうか。

ある人々は、これは礼拝中に居眠りすることの罪に対する警告として書かれたのだと考えます。礼拝中に居眠りするなんて不謹慎だというわけです。しかし、ユテコの居眠りがどうして起こったのかを考えると、必ずしもそのことを責めることができないことがわかります。というのは、夜中まで続いた集会を寝ないでずっと聞き続けることはそんなに易しい事ではないからです。特に当時の社会は日曜日が休みではありませんでした。ですから昼間働いたクリスチャンは、こうしてこのように夜の集会に出かけて行ったのです。ユテコが、昼の勤労の疲れから、夜明けまで続く集会で居眠りしたのも無理もありませんでした。私たちは日曜日の午前中に、前日十分休養を取ったとしても、ついつい居眠りしてしまうものです。それに比べたら一日中働いて疲れたままで集会にやって来て、しかもそれが延々と夜中まで続いていたとしたら、居眠りしない方が不思議でしょう。むしろ、居眠りしてでも集会に出ようというユテコの信仰は立派なものでした。

そのうえ、彼が「窓のところに腰を掛けていた」ということを見ると、どうも部屋が満員で本来の座席でない窓辺に追いやられていたのかもしれません。しかもともしびがたくさんともしてあったとしたら、油の煙や人の息で部屋の酸素が不足し空気が汚れていてよけいに眠気を誘ったのかもしれません。しかも、彼が最初から寝るのには最も不適切な窓のところに腰を掛けていたということは、初めから寝る気で集会に参加していていたわけではなかったことがわかります。彼は寝る気は無かったし、眠ってはいけないと思っていたからこそ、一番眠りにくい場所を選び、なるべく眠らないような工夫をしたのではないでしょうか。ですから、これは礼拝中に眠りこけてしまう不敬虔な人に対する神のさばきを描こうとしていたのではないのです。では、この出来事を通してルカは、何を言いたかったのでしょうか。

ある人々は、ここに死人をも生き返らせることのできる神の偉大さが現されていると考えます。確かに、死んだ人が生き返るといった奇跡は、ものすごいことですし、全能の神様を信じる人には、このような偉大な業が現されるということが言えます。しかし、このところをよく見ると、死んだことが生き返ったことをそれほど大げさには書いてはいないことに気がつきます。むしろ、淡々と描かれているのです。青年ユテコが窓から下に落ちて死んでしまった。パウロが行ってみると、確かにもう死んでいたが、パウロは彼の上に身をかがめ、彼を抱きかかえると、「心配することはない。まだいのちがある」と言って生き返らせ、そしてまた上に上がって行き、集会を続けているのです。死人が生き返るということなど当たり前のことなんだよと言わぬばかりです。ここには死人を生き返らせ、罪人を赦す救い主イエス様がおられるんだから、これくらいのことで驚いて礼拝を中止することはないという信仰がみなぎっています。

では、この出来事を通してルカが最も伝えたかったこととはどんなことだったのでしょうか。12節をご覧ください。

「人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められた。」

人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められたということです。パウロの偉大さでもない、ユテコの幸運でもありません。ユテコの死を悲しんだ教会員全員が、大いに慰められたというところに、この出来事が記された意義があったのです。それは当然のことですよ。死んだ人が生き返ったら、だれだって慰められるに決まっている・・・と言ってはなりません。必ずしもそうではありません。

ある小学校の修学旅行の最中に、ひとりの急病人が出たために、その旅行の日程を変更して早めに学校に帰ったという話がありました。友達も父兄たちもみんな心配して、帰宅した後で、病気の生徒を見舞い、回復すると、「よかった、よかった」と皆で喜び合っていましたが、その直後にトラブルが起こりました。受け持ちの先生からは見舞いの一言葉もあるわけでなく、それどころか、その生徒一人のために全員に迷惑をかけたのだから、親は校長やPTA会長のところに行っておわびをするようにと言ったのです。病気が治ったのは善かったけれど、その病気のせいで自分たちが迷惑を受けたというわけです。病気が治ったということを素直に喜ぶことができなかったのです。

同じような気持ちが教会に起こらないとも限りません。もし私たちの教会の礼拝の途中で子どもが窓から身を乗り出して転落したとしたら、いったい私たちはどのようにそれを受け止めるでしょうか。救急車を呼んで、何とか一命は取りとめた聞いたら「よかった、よかった」と口では言うかもしれません。しかし、心の中では「あの子は何を考えているんだろう。あんなふざけて窓のところで遊んでいるからあんなことになったんだよ。しかも礼拝中なんだから、親ももうちょっと考えないとね。第一、親のしつけがなってない。しつけが悪いからあんなことになったんだよ。それで迷惑するのはこっちだし、そんなことをしていたら証しにもならないよ。」なんて言うのではないでしょうか。

このようにして考えると、人々は生き返った青年を家に連れて行き、ひとかたならず慰められたということはすごいことであることがわかります。それは何かというと、このひとりの軽率な若者までも愛してやまなかった心が、教会全体に浸透していたということです。彼らの中には、いのち君であられるキリストがおられるだけではない。あの100匹の羊を持っていた人がいて、そのうちの1匹をなくした時、99匹の野原に残しておいてでも、その1匹を見つけるまで探し歩く羊飼いの姿が、ここに見られるのです。この羊飼いは、いなくなった1匹の羊を見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友達や近所の一たちを呼び集め、「いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください」と言うのです。それと同じ羊飼いキリストの愛の心を、彼らの中にも見るのです。
「なんだって落ち着きのない羊だ。いつもそうなんだから。なんでそうなるの」といった批判的な言葉、態度、思いは見られません。

パウロはトラブル・メーカーの青年ユテコの上に身をかがめ、抱き起こして、自分のからだといのちで抱き締めるようにして、彼を生き返らせました。人々もまた、このひとりの生き死にを、わがことのように抱え込み、ともに泣き、ともに喜んだのです。ここにクリスチャンの慰めの姿を見ることができるのではないでしょうか。

「慰める」ということばは「かたわらに呼ぶ」という意味の言葉で、弱い人をかたわらに置いて呼びかけ、慰め励ますことです。パウロは、信仰に歩むクリスチャンの心を強め励ますために彼らのかたわらに立ち、みことばによって励ましただけでなく、強くない者の弱さをにない、つまずかないように、献金を届ける時でさえ最大の配慮をしましたが、同時にまた彼は、このように勤労の疲れから居眠りをしてトラブルを起こした一人の弱い青年を抱きかかえて立ち上がらせたのです。兄弟たちもまた、弱い者から受ける迷惑よりも、弱く失われた1匹の羊が連れ戻されたことを喜び合います。このいたわりと思いやりこそ、クリスチャンが兄弟を慰め、また兄弟から慰められるところの「慰め」の姿です。教会は本来このようにあるべきなのです。私たちもまたキリストの心を心として、このような慰めを与える者になりたいものです。

使徒の働き19章21~41節 「この道に歩む」

 きょうは「この道に歩む」というタイトルでお話したいと思います。23節には「そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が起こった」とあります。「この道」とは、キリスト教のことです。ヘブル10:20には、この道は「新しい生ける道」とも言われていますが、クリスチャンとは、この道を歩む人たちのことです。しかし、クリスチャンがこの道を歩もうとする時には、時として思わぬ騒動が起こってくる場合もあります。しかし、クリスチャンはそれでもこの道を歩むのです。いや、単に歩むというだけでなく、そのことによってこの道が生ける唯一の道であって、力に満ちあふれた祝福の道であることをこの世に示していかなければなりません。

 きょうは、この道を生きることについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、この道を歩んで行こうとする時には、必ずといってよいほどそこに問題も起こるということです。第二のことは、そうした問題の根本的な原因は何かということです。それは、表面的には人間の私利私欲が絡んだ罪が原因ですが、言い換えると、キリストの福音によって人々が変えられたことに起因します。すなわち、福音には人を全く変える力があるということです。ですから第三のことは、神に信頼しましょう、ということです。私たちの神は生ける、まことの神です。この神が、この道を歩もうとしている人に起こる一つ一つの問題を解決してくださいます。

 Ⅰ.ただならぬ騒動(21-23)

 まず第一にクリスチャンがこの道を歩もうとする時には、必ずといってよいほどそこに問題も起こってくるということを見ていきたいと思います。21~23節をご覧ください。

「これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。」

 エペソにおけるパウロの伝道も、いよいよ終止符が打たれる時が来ました。彼はこの町で約3年間、昼も夜も、涙ながらに福音を語り続けてきましたが、それが一段落すると、御霊の示しによって、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムへと行くことにしました。なぜ彼はマケドニヤとアカヤに行こうとしたのでしょうか。そこにはあのコリントの教会があつったからです。聞くと教会の中にいろいろな問題があるというではありませんか。そこで彼は何度か手紙を送って解決を図ろうとしましたが、それでもなかなかうまく解決することができませんでした。そこで彼は自らが訪問して、そうした問題の解決を図ろうとしただけでなく、彼らと直接会って励まそうとしたのです。しかし、彼の計画はそれで終わりではありませんでした。彼はそこからエルサレムに行き、そして、ローマに行こうと考えていました。エルサレムに行こうとしたのは、第二回の伝道旅行の時と同じように伝道の報告をするためであったとともに、マケドニヤとアカヤから集めた献金を手渡すためでした。ではローマも見なければならないというのはどういうことなのでしょうか。

 それは、当時の世界ではローマが世界の中心であったということもあれますが、それだけでなく、実はローマこそ当時のいわゆる「地の果て」であったからなのです。そして、この地の果てまでに福音を宣べ伝えていくということが神様のみこころでした。それは使徒の働きは1章8節に、

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

とあることからもわかります。このキリストの約束のことばが実現するためには、「地の果て」であるローマに立たなければなりませんでした。それが神のみこころだったのです。ですからここに、「パウロは御霊の示しにより」とあるわけです。ルカは、そのことを言いたかったのです。しかし、パウロがみこころに従ってエルサレム、ローマへと向かって進んで行こうとしていたとき、一つの問題が起こったことを聖書は告げています。テモテとエパフラスを先にマケドニヤとアカヤへ遣わし、パウロはその後で行こうと、なおしばらくの間エペソに留まっていたわけですが、その時にこの町でただならぬ騒動が起こったのです。デメテリオという銀細工人がいて、その銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたのですが大勢の人がキリストを信じたことで商売が成り立たなくなつたため、騒ぎを起こしたのです。せっかくパウロが福音の前進のためにマケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに、そしてローマに行こうとしていたのに、そういうときに、それを妨げるようなことが起こったのです。いったいなぜそんなことが起こるのでしょうか。そうなんです。私たちが福音の前進、御国の拡大のために取り組もうとすると、必ずといってよいほと、それを妨げるような問題が起こるのです。

 西山宣教師ご一家が、宣教地に向けていよいよ出発することになりました。これまでその準備を着々と進めてまいりましたが、その中で一つの問題が起こりました。先方の学校から就学ビザのための通知が来なかったのです。それでどうしてかと訪ねてみたところ、どうもこちらから送った資料を紛失したというのです。そんなことがあのか、随分いい加減な国だなぁと思いましたが、後で電話で確かめたところ、「まず観光ビザでこちらに来てください。それから観光ビザに切り替えましょう」ということになって、まだ就学ビザは下りていないのですが、進行によって行くことになったわけです。御国のために進もうとするときには、必ずこのようなこともまた起こってくるのです。

 紀元前445年頃、エルサレムに帰還したネヘミヤが、そこで神殿の城壁を築いた時もそうでした。反対者たちの攻撃に遭ったのです。サヌバラテとか、アモン人トビヤといった人たちでした。彼らは、城壁が修復されているのを聞くと激しく怒り、敵対してきたのです。アモン人トビヤは「おまえたちが建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣を崩してしまうだろう」と言って嘲笑しました。それでも工事が進んでいくと、その怒りは激しさを増してきました。その工事を妨害しようと陰謀を企てたのです。そのときイスラエルはどうしたでしょうか。片手で仕事をし、片手に投げやり(武器)を持って仕事を続けたのです。そうやって52日間で完成したのです。神様は、この工事が何の妨げもなしに再建されることをお許しになりませんでした。むしろ、そのような妨げを乗り越えて完成するように導かれたのです。

 それは私たちも同じです。Ⅱテモテ3:12には、「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」とあります。パウロはどれほどの迫害を受けたことでしょう。私たちが御国の前進のために取り組んで行こうとすると、必ずそこに何らかの妨げが起こるのです。けれども、たとえそれがどんな障害であっても真の勝利者というのは、それを乗り越えるのです。重要なのは、そのような迫害を受けながらそれをどのように乗り越えるかということです。パウロはどうしたでしょうか。

 Ⅱ.福音の力(24~32)

 次に、そのような騒動が起こったとき、パウロはそれをどのように乗り越えたかについて見たいと思います。24~34節までのところに注目してみましょう。

「それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。」

 パウロの宣教が引き金となって、エペソの人々の中に大変な騒動が持ち上がりました。それはエペソの宗教であった大女神アルテミスを巡ってのことでした。デメテリオという銀細工人が銀でアルテミス神殿の模型を作り職人たちにかなりの収入を得させていたのですが、パウロが、手で作った物など神ではないと言ったたために、商売が繁盛しなくなってしまったのす。それで彼はこれでは商売あがったりと、騒ぎを起こしたのです。このアルテミスとは、本来ギリシャのオリンポスの神々の一つで狩猟の神とされていましたが、このエペソでは、この地方に古くから伝わる豊饒の神と結びついて、豊饒の神として、またその御神体が多くの乳房を持つ女性の姿をしていたことから、多産の神としても崇拝されるようになっていました。このアルテミスの御神体を祭った神殿、アルテミス神殿は、実に絢爛豪華(けんらんごうか)なもので、エペソの宗教と経済に大きな影響を及ぼしていました。エペソの町はこの神殿に関わる様々な祭儀を中心に成り立った町であると言われていたほどです。祭りの時期には多くの巡礼者や観光客が訪れ、それはエペソに大きな経済的繁栄をもたらすものでもありました。神殿の回りには様々な店が建ち並び、中でもアルテミス神殿の模型はお土産品として多く売られており、一大観光地の名産品となっていたようです。そのようにしてエペソの多くの人々がアルテミス神とのつながりの中で生活を成り立たせていたのです。先日、ギャスリー先生が来会されたとき日光東照宮へお連れしましたが、日光もそうでしょう。そこには多くのおみやげやさんやレストランが建ち並んでいました。日光東照宮があるおかげで、その町の人たちの生活が成り立っているのです。それがなくなったら大変です。それがこのエペソの町に起こったわけです。
パウロがやって来て、このような手で作ったものなど神ではないと言ったので、多くの人たちがまことの神に立ち返ったので、そんなアルテミスの女神と神殿の模型など必要なくなりました。それでそれを売って商売していたデメテリオは、売り上げが非常に落ち込んでいるのに気づき、同業の人たちを召集してパウロを訴えたのです。おそらく彼は、この組合のボス的存在だったのではないかと思われます。

 彼の訴えは、まず第一に自分たちが繁盛しているのはこの仕事のおかげであり、第二にパウロが手で作ったものなど神ではないと言い広めたことで、この大女神アルテミスの神殿が顧みられなくなっているばかりか、この大女神のご威光も地に落ちてしまいそうであるということ、そして第三に、その結果自分たちの仕事も信用を失う危険があるということでした。つまりここでデメテリオが問題にしたのは何かというと、自分たちの生活が脅かされるということだったのです。彼は一見アルテミス神の威光が損なわれることを問題にしているようですが、実際のところはそうではなく、彼らの商売が成り立たなくなることへの危機感のゆえに、こうした騒動を起こしたのです。それはパウロがピリピで伝道していたときも同じでした。あの占いの霊につかれていた若い女奴隷たちから、占いの霊を追い出してやったとき、その主人たちが役人たちに訴えたのと同じです。彼らは、そのことで多くの利益を得ていましたが、もうける望みがなくなってしまったので、役人たちに訴えたのでした。(使徒16:19)あるいは、イエス様がゲラサ人の地で、レギオンという名の多くの悪霊を追い出した時もそうでした。悪霊が豚の群れに乗り移ったので、その土地の人たちはイエスに土地から離れてくれるようにと申し入れたのです。(マルコ5:16~17)多くの人は、神への敬虔を利得の手段と考えていますが、このデメテリオもそうでした。彼は、口先では「偉大なのは、エペソ人のアルテミスだ」と言いながらも、腹の中では、結局、自分の利益のことしか考えていなかったのです。そして悲惨なことに、この騒動はさらにエスカレートして、町中が大騒ぎとなり、人々はパウロの同行者であったマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一段となって劇場へとなだれ込み、大混乱に陥ったのです。大多数の物は、なぜ自分たちがここに集まっているのかさえわからなかったほどです。もうほとんど手の着けられないほどの集団ヒステリー状態のようになりました。そこには騒ぎに便乗した野次馬たちも紛れ込んで、どんどん大きくなり、もう収集不可能な状態に陥ったのです。

 しかし、よく考えてみますと、こうした暴動の引き金になったのは何かというと、パウロが福音を語ったからなのです。パウロの語った福音がそれを信じたエペソの人たちの心を変え、アジヤの巡礼者たちの心を変えたからなのです。パウロの語った福音を受け入れた人々が、もう大女神アルテミスを必要としなくなり、神殿の模型も必要としない人間に造り替えられたからなのです。そうでしょ?福音にはそれほどの力があるのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。それは、死んだ状態から生ける神に立ち返られせるほどの力です。それはのちにローマ帝国が、大々的にキリスト教を迫害するようになった大きな理由でもありました。キリスト教は何の実力行使もしませんが、その語る福音によって、異教の神殿に仕え、それによってもうけていた商人たちの商売がもうからなくなった、客足がつかなくなったほどに、生活も趣味も何もかもを変えてしまうほどの力があるのです。そういう道なのです。そういうところには、このような問題が起こることもやむを得ないことです。生活がかかっているわけですから・・。しかし、大切なのは自分の生活がどうのこうのということよりも、人を救いに至らしめる真理は何であるかということです。そして、それまで歩んできた道が間違っていたならば、たとえ生活がかかっていることでも辞め、正しい道に立ち返ることです。そうすれば、主が守ってくださいます。

 ところで、ここでちょっと32節に注目していただきたいのです。ここに「集会」という言葉があるのにお気づきかと思いますが、この「集会」という言葉は、下の欄外にある注釈をご覧いただくとわかりますが「エクレシヤ」という言葉が使われているのです。この「エクレシヤ」という言葉は聖書ではキリスト教会を表す専用語になっている言葉ですが、元来は、このようにギリシャの都市国家を意味する言葉だったのです。その集会が今やどうなってしまったのでしょうか。もう収集困難となって、大混乱に陥ってしまったのです。ということはどういうことかというと、そうしたエクレシヤではない、キリストによってもたらされるところの新しいエクレシアこそ、真の命と力に満ちたエクレシヤであって、まことの神であることを表しているのです。

 皆さん、私たちの信じている神こそまことの神であり、人を全く新しく造り替えることのできる力のある神です。私たちは、そのような福音によって新しく生まれ変えられたのです。であれば、福音が語られるところには確かに戦いも生じますが、しかし、それは同時に、この福音にはそれだけの力があるといことの表れあるのですから、たとえそれによってどんなに大きな問題が引き起こされたとしても恐れる必要はないのです。救いを得させる神の力である福音を信じ、この福音に堅く立っていればいいのです。

 Ⅲ.生ける神に信頼して(33~41)

 ですから第三のことは、生ける神に信頼してということです。33~41節までをご覧ください。

「ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と二時間ばかりも叫び続けた。町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」こう言って、その集まりを解散させた。」

 ところで、わけも分からないまま劇場になだれ込むと集会は大混乱に陥り、収集困難な状態になりました。そして、ユダヤ人たちがアレキサンデルという人を前に押し出したので、彼が会衆に弁明しようとしましたが、彼がユダヤ人だとわかると、みながいっせいに声をあげ、偉大なのはエペソ人のアルテミスだと2時間も叫び続けたため、解決になりませんでした。このような状態を静めたのは誰かというと、町の書記役でした。彼は群衆を静めるとこのように言いました。

「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。」(35,36節)

 彼はまず、このエペソの町が、大女神アルテミスと天からくだったその御神体との守護者であることを確認して満足させ、決して軽はずみなことをしないようにと注意を促すと、次に、「皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。」と、彼らがここに連れて来られたクリスチャンたちが何の犯罪も犯した人たちではないことを確認し、38,39節で実際的な提案をしました。それは、もしこのことで何らかの文句があるならばちゃんと裁判の日もあるんだから、そこに訴えらいいということ、そうした合法的な手続きもなしに騒ぐことは、逆に、騒擾罪(そうじょうざい)に問われる恐れがあるのだから、注意しなければならないということでした。

 この書記役の言葉は、表面的にはエペソの人々の対面を保ったのか、群衆の心をなだめることに成功しました。とは言っても、彼自身がアルテミスへの宗教心を持っていたかどうかはわかりません。ただ騒ぎを大きくして騒擾罪に問われ、自分たちの生活が脅かされるようになったら大変なことになるという思いがあったようです。そういう点では、この書記役も、あのデメテリオと何ら変わらない人物であったと言えるでしょう。

 しかし、この一連の流れをよく見てみると、おもしろいことに気づくのではないでしょうか。それはここにはデメテリオをはじめとするエペソの群衆たちと書記官とのやりとりが記されていますが、パウロの姿は一切出ていないということです。パウロ不在です。彼はここで一言の言葉も発しないばかりか、何一つしていないのです。パウロは、その集団の中に入って行こうとしましたが、アジヤ州の高官でパウロの友人である人たちが入っていかないようにと頼んだので、彼はどこかに待機していたのです。だから何もしませんでした。何もしなくても、何も言わなくても、彼らが勝手に騒いで、いつの間にか終わってしまったのです。どういうことですか?おそらくこれを書いたルカは、このエペソのアルテミスを巡る騒動を通して、真に偉大な神はだれなのかを伝えようとしたのではないでしょうか。つまり、忌まわしい偶像を祭る神殿とそれを取り巻く人間のさまざまな思惑がうずめく中で、人の手によって作られる偶像礼拝の空しさや、宗教を利用して結局は自分の利益をむさぼろうとする人間の浅ましい姿を通して、むしろ唯一のまことの偉大な神のお姿というものをくっきりと描き出そうとしていたのではないでしょうか。

 そして、唯一の生けるまことの神は人の手によってでなければ作られず、顧みられず、そのご威光も地に落ちてしまうような神ではなく、あるいは、自分たちの仰が脅かされるからといって暴力的になって他の信仰を攻撃し圧倒しなければ、立ち行きできなくなってしまうような神でもなく、人の仲裁や調停がなければ他の信仰と共存できないような人間の力頼みのような神でもないのです。まことの神とは、人々が頼りにしていた魔術本から解放し、家々に祀るために買い求めていた神殿模型から解放し、そのようにして空しい偶像礼拝、物言わぬ神々に寄りかかっていきていたような生き方に決別させ、みことばと聖霊のご支配によって罪の赦しと、死に対するほんとうの解決を与え、世のあらゆる事柄を越えた真理を示し、空しい富以上の確かな宝である天の御国をお与えになって、真の自由と平和をもたらすことのできる方なのです。そのようなお方は、人間のあらゆる業を越えて、人間が指一本触れなくてもこのような大混乱から脱出を与えることができる方なのです。これがまことの生ける神です。このまことの神は、目には見えなくても、今も生きて働いておられる力強い方なのです。私たちが信頼しなければならないのは、このお方なです。私たちがこの道に歩んで行こうとするときには、確かに多くの困難もあるでしょう。しかし、同時に、そこにこの偉大な神の助けと守りもあるのです。私たちは信仰によってこの神を見上げ、神に祈り、神に信頼して生きること、それこそ困難を乗り越えていく最大の秘訣なのです。イエス様は、

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6:31~34)

と言われました。問題は何を第一にするかです。私たちの人生にはほんとうに心が引き裂かれるような数多くの出来事に取り囲まれています。そうしたことをいちいち数え上げたら心配の材料は尽きることはないでしょう。しかし、神の国とその義とを第一に求めるなら、それに加えて、これらのものはすべて与えられるのです。大切なのは心配することではなく、信頼することです。なぜなら、私たちの神は偉大な生ける神であって、この方に信頼し、この方に従って歩もうとする人に目を留め、心を配っておられるからなのです。このただならぬ騒動もパウロが指一本触れることがありませんでしたが、完全に解決したではありませんか。
私たちの神様は、今も生きておられる偉大な神なのです。その方に信頼しなければなりません。

 アメリカ第16代大統領アブラハム・リンカーンは、ほんとうに神様に信頼して生きた大統領だったと言われています。彼は祈る大統領でした。それは、彼が自分の能力や努力だけでは、何もすることができないと考えていたからです。彼が大統領に当選した後、ワシントンに向かって立つ日の朝、見送りのためにやって来た市民たちに、次のような別れのあいさつをしたと言われています。

「愛する皆さん!私はスプリングフィールドで、皆さんから多くのものを頂ました。私たちは皆、神様なしには決して成功することはできません。私はこの場を離れますが、私のために祈ってくださるようお願いします。私は、かつてワシントン大統領のり肩の上に乗っていた重荷よりも、さらに重い荷を負っている気持ちでここをたちます。神様が助けてくだされば、どんな困難も乗り越えることができると信じています。私のために祈ってください!」

 彼は神様に祈ることこそ、ほかのどんな仕事よりも優先させることであり、多くの事を成し遂げるための方法であると考えていたのです。そしてその結果、国が北と南に分裂していた状態を統一し、奴隷解放を成し遂げることができたのです。

 それは私たちも同じなのです。私たちの歩もうとしている道は決して平坦なものではなく、多くの障害が横たわっているような道かもしれませんが、たとえそれがどんな道であろうとも、神に祈り、神に信頼して進むなら、必ず神が解決を与えてくださるのです。神の国とその義とを第一にするなら、神は、それに加えてすべてのものを与えてくださるからです。私たちの信じている神は偉大な神だからです。ですから、この神に信頼して、この道を一歩一歩歩んで行こうではありませんか。エペソに起こったただならぬ騒動は、そのことを私たちに伝えたかったのではないでしょうか。

使徒の働き19章8~20節 「みことばの力」

 きょうは、「みことばの力」というタイトルで、共に恵みを受けたいと思います。先週からパウロの第三回伝道旅行におけるエペソでの伝道の様子を学んでおります。8節には、「それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。」とあります。エペソにおける伝道そのものは、まずユダヤ教の会堂で3ヶ月の間行われました。それから、9,10節には、ツラノの講堂における伝道が2年間続いたとありますから、全部で2年3ヶ月となります。ところが、22節を見ますと、その後もしばらくエペソにとどまっていましたから、20章31節でパウロがエペソの長老たちに語ったように、全部で約3年間となります。パウロは約3年の間、夜も昼も、涙とともに、このエペソでみことばを語り続けたのです。

 しかし、このエペソでの3年にもわたる伝道の様子は、ほんのわずかしか紹介されておりません。先週見たように、ヨハネのバプテスマのことしか知らなかった幾人かの弟子たちが主イエスの御名によってバプテスマを受けたとき聖霊を受けたということと、さきほど読んでいただいた内容、そして、来週学びたいと思いますが、21節から終わりまでに記された内容です。3年も伝道し続けたのにその内容がこれだけであるというのはどういうことなのでしょうか。それは、これらの出来事が19章20節に記されてある結論を導き出すために選び出されたものだからなのです。すなわち、「こうして、主のことばは驚くほど広がり、ますます力強くなって行った」ということです。つまり、これを書いたルカは、主のことばがどれほど力強く広がって行ったのかということを伝えることに主眼点を置いていたというなのです。

 では、その主のことばはどのようにして力強く広がって行ったのでしょうか。きょうはこのことについて、三つのポイントで見ていきたいと思います。まず第一のことは、ツラノの講堂におけるパウロの伝道です。彼はそこで約2年の間、毎日みことばを語りました。そのようにパウロが、ひたすらにみことばを語ったので、アジアに住む者がみな主のことばを聞きました。第二のことは、力あるわざです。神はパウロの手によっておこなわれた驚くべき奇跡です。そして第三のことは、そのことによって生じた神への恐れです。こうして、主のことばは驚くほど広がり、ますます力強くなって行ったのです。

 Ⅰ.ツラノの講堂で(8-10)

 それではまず、約2年にわたるツラノの講堂におけるパウロの伝道の様子から見ていきましょう。8~10節をご覧ください。

「それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。」

 エペソにやって来たパウロは、いつものようにユダヤ教の会堂に入ってみことばを語りました。その町にユダヤ教の会堂がある時にはまずそこで語るというのが、パウロの常套手段でした。しかし今回は、それが3ヶ月も続くという異例の長さです。以前この町に立ち寄ったときには、その会堂の人々がパウロに「もっと長くとどまるように頼んだ」(18:20)ことからすると、パウロの説教はよほど歓迎されたようです。それでパウロも大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようとしましたが、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れなかったばかりか、会衆の前で、この道をののしったりしたので、9節にありますように、彼らから身を引き、ツラノの講堂で伝道することになりました。

 この「ツラノ」というのは人の名前ですが、この人がどのような人であったのかはわかりません。おそらくこの講堂の持ち主か、ここで講義をしていた教師の中の中心的な人だったのかもしれません。「講堂」とは、ギリシャ語で「スコレー」という言葉ですが、英語の「スクール」の語源になった言葉で、人々が互いに話し合ったり、論じ合ったりしながら時を過ごす場所を意味していました。つまり、余暇を過ごす場所だったのです。今でいう公民館や市民会館の一室のような所だったのでしょう。人々は、お昼頃まで(写本では午前11時ままでとなっている)まで仕事をし、午後の時間は余暇の時間として過ごしていたようです。その余暇の時間に人々は何をして過ごしていたのかというと、ある人は昼寝をしたり、ある人は趣味に勤しんだりしましたが、ある人たちはその時間を勉学に励みました。町中が昼寝をしていた余暇の時間に、みことばを聞くためにこのツラノの講堂に集まった信徒や求道者たちの熱心さにも頭が下がります。彼らは、自分たちの余暇をそっくりそのままみことばの学びに費やしたのです。昼寝よりもみことばを愛したのです。もちろん、信仰は、余暇やレジャーでするようなものではありません。しかし、そのような時間があればそれをみことばの学びに費やしたいという彼らの信仰が、いかに熱心であったかがわかります。というのは、人は、余暇ができるや否や寸暇を惜しんで飛びつくものが何であるかによって、その人の本性や生き方がわかるからです。寸暇を惜しんで、ちょっとの余暇にもみことばの学びに集まるクリスチャン。そういうクリスチャンこそどこに行っても良い働きができる信徒伝道者なのです。パウロはそういう人たちと、毎日、論じたのです。

 ところで10節を見ると、このようなことが2年も続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシャ人も主のことばを聞いたとあります。これは驚くべきことです。おそらくこの間に、コロサイ、ラオデキヤといった教会や、あの黙示録に出てくるアジヤにある七つの教会も生まれたのではないかと思います。ツラノの講堂で論じていたことが、どうしてそのようにアジヤ全土に広がって行ったのでしょうか。

 一つには、このエペソという町の特殊性がありました。エペソは、今日の東京のような大都会だったので、地方から多くの人たちが集まっていたのです。そういう人たちがここでみことばを聞いた後、また地方へ散らされて行ってみことばを語ったのです。そういう人たちは、散らされて行った各地でほんとうに良い働きをしました。たとえば、コロサイの教会はパウロが一度も行ったことのない町ですが、どうしてそこに教会が出来たのかというと、彼らは「エパフラス」からそれを学んだからです。(コロサイ1:7)おそらく、エパフラスがこのエペソに来たとき、ツラノでみことばを語っていたパウロからそれを聞き、コロサイに帰って、それを宣べ伝えたのでしょう。つまり、このツラノの講堂での働きが、アジヤ州における伝道センターの役割を果たしていたのです。

 これは大都会の大田原(那須)でも言えることです。大田原が大都会だと聞いて心の中で笑っておられる方が3人くらいいますが、これは事実なのです。こんな田舎のような所でも、今は交通やインターネットの進歩によって、都会と何ら変わらない生活ができるようになれました。ということは、毎週行われるこの教会の礼拝で語られるみことばはとても重要であるということです。なぜなら、そのようにして語られたことばを聞いた人たちが各地に散らされて、そこで効果的に証しをしていくならば、それがやがて全国にまき散らされ、各地で教会の芽となり根となり、やがて実を結ぶようになっていくからです。私たちはそういうことを視野に入れながら伝道の裾野を広げていかなければなりません。

 もう一つのことは、2年にわたり、粘り強くみことばを語り続けたパウロの姿です。ここに改めて、主のことばを宣べ伝えるということは、根気強い働きであることがわかります。その成果をすぐに求めることはできませんし、それが成功であったか失敗であったかといった評価も性急に下すことはできないのです。来る日も来る日も、たゆまずに、ひるまずに、ただひたすら語り続けるという根気強さが求められのです。12節には「パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして」とありますが、これは、パウロが天幕作りをしながら伝道していたということでょう。午前中はみんなと同じように働き、午後の余暇の時間を利用して主のことばを語っていましたが、あまりにも忙しくて手ぬぐいや前掛けを取る時間がなかったのでしょう。仕事着のままでツラノの講堂にやって着ては伝道していたのです。この時の様子を彼は、後にエペソの長老だちを集めて説教した際に、次のように言いました。

「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。」(使徒20:18-21)

「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。」(同20:31)

 それは涙なしにできることではありませんでした。パウロは、昼も夜も、涙とともに訓戒し続けたのです。その結果、アジヤに住むすべての人がみな、主のことばを聞くということにつながって行ったのです。大切なのは、どのような状況にあっても、主のことばを語ることをやめてはならないということです。あのコリントの町で主が幻の中で語りかけてくださったことばが、いつもパウロの心の中に鳴り響いていたのだと思います。

 Ⅱ.力あるわざ(11-16)

 では次に11~16節に注目したいと思います。主のことばがそのように広がって行ったのは、そうしたパウロの涙の伝道によっただけではありませんでした。そこに驚くべき神の業があったからです。まず11~12節をご覧ください。

「神はパウロの手によって驚くべき奇跡を行われた。パウロの身につけている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。」

 エペソに滞在していたパウロは、会堂やツラノの講堂で、主のことばを語っていただけでなく、驚くべき奇跡も行いました。このように彼がみことばによる伝道とともに驚くべき奇跡を行ったのは、このエペソという町の憂うべき霊的状況があったからです。この後23節からのところを見るとわかるのですが、このエペソの町は女神アルテミスを祀った神殿を中心とする偶像の町、悪霊のうごめく町でした。そのような状況の中でパウロの宣教が単にみことばの宣教だけでなく、そのみことばともに働く聖霊の御業によって推し進められていったこともうなずけます。

 ここでパウロが行った奇跡とは、ふつうの奇跡ではなく、めったに起こらない奇跡という意味で、非常に驚くべきものでした。具体的には12節にありますように、パウロが身につけていた手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行ったというものです。これはかつてペテロが行ったいやしのわざに似ています。人々は病人を大通りへ運び出し、ペテロが通りかかるときには、せめてその影でも、だれかにかかるようにしたほどでした。(5:15)ここでは影ではなく、パウロが身につけていた手ぬぐいや前かけでした。それを病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行ったのです。

 なぜこのような奇跡を行う必要があったのでしょうか。それは先ほども申し上げたように、このエペソという町がアルテミスという女神を拝んでいた偶像の町であって、そうした町では目に見える形での霊の戦いが必要だったからでしょう。しかし、それだけではなく、そのことが契機となって、つぎの事件へとつながって行ったからだったのです。13~16節までをご覧ください。

「ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。」

 ここにユダヤ人の魔よけ祈祷師が登場します。このエペソの町は、アジヤ州の首都でありながら偶像と迷信に満ちていた町でしたから、そこには当然魔よけ祈祷師なる者もうようよしていました。パウロを通して神が驚くべき奇跡をされるとこれを見ていたそうしたユダヤ人の魔よけ祈祷師のある者たちが、自分たちもパウロのようにやってみたいと思い、ためしに悪霊につかれている人に向かって主イエスの御名によって命じてみたのです。「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる・・・」するとどうでしょう。15節を見ると、悪霊がこう言ったと記されてあります。「自分たちはイエスを知っているし、パウロも知っている。けれどおまえたちのことは知らない。おまえたちは何者だ」そう言って、彼らに飛びかかったというのです。そしてこのふたりを押さえて、みなを打ち負かしてしまったので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出してしまったのです。そういうことをしたのはだれでしょう。不名誉にも14節には、そのようなことをした人たちの名前まで記録されています。「そういうことしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たち」です。

 彼らの誤りはどんなことだったのでしょうか。彼らの誤りは、「イエス」という名前に何か特別な効力があると思ったことです。それは一つの呪文のように、何かを唱えると不思議なことが起こると考えたり、お札のように、それさえあれば願いが叶うと考えることと同じです。あの魔法使いサリーが、「マハリク マハリタ ヤンバラ ヤンヤンヤン」と唱えると何でも思うとおりになるように、「イエス」の御名を使えば、何でも自分の思うとおりになると考えたのです。そのような考えはこの日本でもよく見られるものです。何無妙法連華経と唱えてさえすれば厄払いができると考えたり、交通安全のお札を、自動車の運転席にぶら下げておきさえすれば、交通事故から免れると考えるのと同じです。しかし、そのようなことを機械的にやったからといって、特別な効能があるわけではないのです。よく交通事故に遭った車を見かけることがありますが、意外にその車の後ろには「交通安全 ○○不動尊」などというステッカーが貼られてあるのを見ることがあります。そうしたお札やステッカー、呪文に、特別な効能があるわけではないのです。むしろ、そのようにすることが、あまりにも神を冒涜することになるのではないでしょうか。生けるまことの神を相手に、人間が勝手に作り出した考えを押し付けようとするのですから・・・。

 しかし、悪霊も馬鹿ではありません。ユダヤ人の祈祷師たちが、おそるおそる、「パウロの宣べ伝えているイエスの御名によって、おまえに命じる」と宣言すると、「ハァ~、あんたはだれだ?自分はイエスを知ってるし、パウロも知ってるが、おまえたちのことは全然知らない」そう言って、彼らに飛びかかったのです。人間の世界では、人の目をごまかすことができた祈祷師たちでも、霊の世界ではうとかったのです。彼らは、霊の世界ではごまかしが効かないということを知りませんでした。悪霊に飛びつかれ、押さえ付けられ、打ち負かされ、傷を負い、その家から逃げ出して行ったのです。このことは偶像の町エペソにものすごい衝撃が走りました。17節をご覧ください。

 Ⅲ.みな恐れを感じて(17-20)

「このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。」

 この事件は、パウロの驚くべき奇跡以上に、人々を驚かせました。そして、このことがエペソに住んでいたすべての人々、すなわち、ユダヤ人とギリシャ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主の御名をあがめるようになったのです。この「恐れ」は怖いといった恐れではなく、生ける唯一のまことの神の存在の前に抱く畏敬の念です。それまでは華々しい魔術やご利益があるような魔よけ祈祷師に人々は集まってきましたが、生ける唯一のまことの神以外に神はいないということを示されると、人々の心に恐れが生じ、主イエスの御名をあがめるようになったのです。そればかりではありません。18,19節をご覧ください。ご一緒に読んでみましょう。

「そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

 何と、イエス様のことを知らない人たちだけでなく、すでに信仰に入っていた多くのクリスチャンもやって来て、自分たちのしていることをさらけ出しして告白し、魔術を行っていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てたのです。その値段を合計すると、何と銀貨5万枚、日本円で約300万円ですが、それだけの額にのぼる魔術の本が焼き捨てられたのです。パウロはエペソ5:8~12で、

「あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。――光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。―― そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。
実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。」

と勧めました。クリスチャンでもこのように口にするのも恥ずかしいことを続けている場合があります。実を結ばない暗やみのわざを続けていることがあるのです。それはエペソのクリスチャンだけのことではなく、私たちにも言えることではないでしょうか。もし私たちがそのような暗やみのわざを行っているなら、さらけ出し、それがどんなに高価なものであっても捨てなければなりません。なぜなら、光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実だからです。神はそのことを願っておられます。そうした罪を悔い改めて神に立ち返るなら、それがどんなに大きな罪であっても、主は赦してくださるのです。それこそここでパウロによって成された驚くべき奇跡の目的だったのです。そして、そのような神への恐れと、真の悔い改めが起こった結果、みことばがものすごい勢いで広がって行ったのです。それがエペソのリバイバルの要因だったのです。

「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」

  つまり、パウロが偶像のうごめくエペソの町で、ただひたすらみことばを語り続けたこと、そして、神の驚くべき御業によって悪霊との戦いに勝利したこと、そして、そのことがきっかけとなってユダヤの祭司長スケワの七人の息子たちが悪霊に打ち負かされたことで人々の心に神への恐れが生じ、次々と信仰や悔い改めに入っって行ったことによって、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行ったのです。このようにすればいいのです。

 グアテマラにアルモロンという小さな町があります。この町は福音が宣教された後で、急激に変わった町として有名です。それまで0%だったクリスチャンの人口が92%になりました。犯罪率が非常に高く、偶像崇拝と貧困、アルコール中毒が蔓延していましたが、その後は犯罪率が急激に落ち、アルコール中毒者たちもほとんどなくなり、多くの家庭が回復しました。いつからか、土壌も肥沃になりました。依然は毎月トラック6台ほどの農作物を収穫する程度でしたが、その後は生産量が奇跡的に増え、一日の収穫量だけでトラック50台も収穫するようになりました。この町がこのように激変したので、それはいったいどうしてかとその原因を調査するため、多くの国々が農業専門家を派遣して調査しました。
 しかし、誰もその原因を発見することができませんでした。そのような変化の中心には、1974年からその村のためにいのちをかけて祈り、働いていたマリアノという牧師がいましたが、誰もその存在を知らなかったからです。マリアノ牧師は多くの脅しといのちの危機にされされながらも、その地域に福音を伝え、激しい霊的戦いを繰り広げました。荒れくれた男たちが牧師を引いて行き、牧師の口に銃口を押し込み、引き金を引いたりもしました。しかし、神が守られ、銃口から弾が発射されずに、カチッという音をするということだけが繰り返されたのです。それで逆に、男たちが恐ろしさのあまり逃げ出したほどです。このようにいのちをかけた激しい霊的戦いを通して、その町は神の力強い働きを経験したのです。その結果、アルモロンは文字通り、乳と蜜の流れる祝福の地に変えられたのです。

 それはこの日本も同じです。時として、自分が取り組んでいる伝道の働きが本当にちっぽけなように感じ、全く徒労であるかのように思え、空しさだけが心に迫り、焦る気持ちや挫折感にさいなまれることもあるかもしれませんが、しかし、そのような中にあっても、謙遜の限りを尽くし、涙をもって、ただひたすらみことばを語り続け、主の御業に励むなら、やがて人々の心に神への恐れと悔い改めが生じ、次から次に信仰に入って行くようになるのです。そう信じて、この主の御業に励んでまいりましょう。