きょうは「世界宣教の始まり」というタイトルでお話したいと思います。この使徒の働きは大きく分けて二つに分けられますが、一つは1章から12章まで、もう一つが13章から終わりまでの箇所です。いわばこの13章1節は、使徒の働きの分水嶺とも言われている箇所です。ここから第二部が始まっていくわけです。これまでも繰り返し確認してきましたが、この使徒の働きは1章8節で主イエスが語られたことばを軸に展開されてきました。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」
このみことばに従って、これまではエルサレムを中心に、またペテロをはじめとする使徒たちが主役となって、ユダヤ人を対象に福音が語られてきましたが、ここからは宣教の舞台がアンテオケに移り、ペテロではなくパウロの働きが中心に、しかも宣教の範囲は地の果てまでです。このようにこの13章からの箇所は、世界宣教の進展を描いた使徒の働きの第二部の始まりであると言えるのです。
いったいこの世界宣教はどのようにして始まっていったのでしょうか。きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、その世界宣教に大きく用いられたアンテオケ教会の信仰についてです。第二のことは、世界宣教の召しについてです。それはだれかにするようにと言われて始まったことではなく聖霊の召しによって始まった世界宣教でした。第三のことは、そのような召しに対して教会は、断食と祈りをして送り出したということ、すなわち、世界宣教は教会の祈りとともに始まっていったということです。
Ⅰ.信仰の一致(1節)
まず第一のことは、この世界宣教に用いられたアンテオケ教会の信仰についてです。1節をご覧ください。
「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。」
アンテオケ教会の設立については11章19節からのところで見てきましたが、この教会は設立されてまだ日の浅い若い教会でした。しかし、バルナバとパウロによる一年間の指導によって、急速に成長していました。そして、この日の浅い教会に預言者や教師と呼ばれていた指導者が立てられいました。ここに紹介されている指導者たちを見るだけでも最初の異邦人教会であったこのアンテオケ教会は実にバラエティーに富んだ人たちの群れであったかがわかります。
最初に紹介されているのは「バルナバ」です。彼についてはこれまでも何度か紹介されてきました。4:36には、「キプロス生まれのレビ人で、その名前の意味は「慰めの子」であるということ。そして、自分の畑を売ってはその代金を使徒たちの足下に置いたという敬虔で、信仰深い人物であったこと、さらには、9:26,27のところには、パウロが回心した際にエルサレムの仲間に入ろうと試みましたがだれも彼を信じることができず躊躇していたとき、その仲介役を買って出たのがこのバルナバでした。また、11:23には、このアンテオケ教会が誕生したときエルサレム教会から遣わされ、彼らが心を堅く保って、常に主に留まっているようにと励ましたのがこのバルナバです。バルナバはまさにアンテオケ教会の中心的な働きを担っていた人でした。彼がいなかったらアンテオケ教会はここまで成長することはではなかったのではないかと思われるほどの要の人物です。
次に出てくるのは、「ニゲルと呼ばれるシメオン」です。「ニゲル」というあだなは現在の「ニグロ」と同じ意味で、肌の色が当時の中東の人よりもさらに黒かった人のことです。すなわち、アフリカ系の黒人であったと推測されます。多くの人はキリスト教が欧米の宗教だと勘違いしていますが、この福音がアフリカにも渡ったことを考えると、彼の果たした貢献は大きかったと思います。
次は、「クレネ人ルキオ」です。クレネとは北アフリカにある町です。11:20には、そうした地方から当時ローマ第三の都市と言われていたこのアンテオケにやって来て救われると、彼らはユダヤ人以外にもギリシャ人にも福音を語りかけたと紹介されていますが、その一人であったのでしょう。ある人は、このクレネ人ルキオは、イエス様の代わりに十字架をかついでゴルゴタの丘まで歩いて行ったクレネ人シモンではないかという人がいますが、名前が違うので考えられないでしょう。いずれにしても彼は、そうした既成概念にとらわれない自由な考え方をもっていた人でした。
次は「国主ヘロデの乳兄弟マナエン」です。このヘロデとはヘロデ大王の子のヘロデ・アンティパスのことですが、そのヘロデと乳兄弟であったということは、彼と同じ宮殿で育てられていたということです。今でいう皇族の一人という立場にあった人です。かなり身分の高い家柄の出身だったのでしょう。
最後はサウロです。彼はキリキヤのタルソの出身で、きっすいのユダヤ人です。バリバリの律法学者で、中でもガマリエルという教師の門下生という非常に優秀な若きエリートでした。そんな彼がある日、キリスト者を捕らえようとダマスコに向かっていたときキリストに捕らえられました。「サウロ。サウロ。なぜわたしを迫害するのか」「あなたはだれですか」「わたしはあなたが迫害しているイエスである」復活の主イエスと出会い、彼は手のひらを返したかのように劇的に回心し、今度は熱烈なクリスチャンになったというのはあまりにも有名な話です。彼はクリスチャンになってからしばらくの間出身地のタルソで質素に暮らしていましたが、そんな彼をバルナバが捜し出しこのアンテオケ教会の霊的指導のために連れてきたのでした。
このように見ると、このアンテオケ教会には実にいろいろな出身の、いろいろな立場の、いろいろな人たちがいたことがわかります。しかし彼らはそうした人種や社会的な地位を越えて、信仰にあって一致していました。しかもよく見ると、この指導者たちの中には、十二使徒と呼ばれる人たちはひとりもいません。そのアンテオケ教会が世界宣教へと乗り出して行くのです。一流の人物がいるから主の働きができるのではない。気の合った仲間がいれば、主の働きができるのでもありません。アンテオケ教会に集められた人たちは、主が集めてくださったという信仰があったからこそ、多くの人間的な偏見や障害を乗り越えて、驚くべき主の働きをすることができたのです。
Ⅱ.世界宣教の召し(2節)
それでは、このようなアンテオケ教会が世界宣教を開始するようになったのはどうしてなのでしょうか。次にそのいきさつ、経緯について見ていきたいと思います。2節をご覧ください。
「彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われた。
このアンテオケ教会が、それ以前に、世界宣教をしようという願いを持っていたかどうかはわかりませんが、彼らが世界宣教を始めるようになったきっかけは彼らがそのようなアイディアを持っていて、それを教会で話し合い、相談し、会議して決めたからではありません。聖霊が彼らに、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と命じられたからです。聖霊がどのようにして命じられたのかはわかりません。おそらく、ある預言者を通してそのように語られたのでしょう。
しかし大切なことは、それがいつ、どんな時に語られたのかということです。ここには、「彼らが主を礼拝し、断食していると」とあります。聖霊が彼らに語られたのは、彼らが礼拝をしているときでした。考えてみたら、かつて主イエスが大宣教命令を語られた時も、弟子たちが主を礼拝していた時でした。ガリラヤに行って、イエスが指示された山に登り、そこでイエスにお会いしたとき、彼らは主を礼拝したのです。そのとき、主イエスは彼らに近づいて来て、こう言われました。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18~20)。
世界宣教の任務は、常に主を礼拝する教会に示されます。罪赦された者が集まって、主を神として、また王として礼拝する時、主はご自分の救いの計画と目標をその教会に示さずにはおられないのです。
ところで、ここにはただ「礼拝」とだけ書かれてあるのではなく、「礼拝し、断食していると」とあります。「断食」とは文字通り「食を断つ」ことを意味します。聖書にはこの断食がしばしば「祈り」との関係で記されてあります。3節にも「断食と祈り」とあります。それは祈りに専念するための補助手段であるからです。日常生活に必要なものであるにもかかわらずそれを一時中断して祈ることによって、神に心を集中する。祈りに専念するのです。ここで「礼拝して、断食していると」と記されてあるのも同じで、日常の生活から起こる雑念から解放され、心が主に向けられ、真に主を礼拝するために、断食して祈っていたということです。このように心が主にのみ向けられているとき、主の御霊である聖霊が語られることを聞くことができるのです。もちろん、今日御霊は常に、みことばとともに働いておられますから、私たちはそのみことばによって、聖霊が語ることを聞くことができるのです。
それにしても、この聖霊が語られたことはとても衝撃的なことでした。なぜなら、バルナバとサウロを主が召した任務につかせなさいというのですから・・・。なぜこの二人だったのでしょうか。バルナバといったらアンテオケ教会の筆頭格です。彼を送り出すというのはいわば教会の主任牧師を宣教師として送り出すようなものです。かたやパウロ。このアンテオケ教会の指導にはどうしても彼の存在が必要だと、わざわざバルナバがタルソから捜して連れて来たほどの人です。なのになぜこの二人が行かなければならなかったのでしょうか。それは教会にとっては戸惑いを呼び起こすようなサプライズ人事であったかもしれませんが、しかしこの後の伝道旅行を追いかけていく中で、私たちはこれぞ聖霊の導きの中での絶妙の組み合わせであったことがわかるのです。それは突き詰めて言えば、主が召してくださったものであったということです。聖霊を通して与えられる使命。これ以外に、人が主の務めのために聖別されることはありません。主によって召されたという事実が、人にその一生涯を主のために捧げさせ、主の務めに献身させるのです。
特にここではサウロの召しということを考えておきたいと思うのです。あのダマスコ途上の回心の時に、復活の主イエスはアナニヤに、このサウロに対する召しの言葉をすでに語られました。9章15、16節です。
「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」
しかし実際には、その召された務めに就くまでには多くの時を待たなければなりませんでした。ではその間はサウロにとっては意味のない単なる浪費に過ぎなかったのかというと決してそうではありません。むしろこの間の時は、サウロの召命が確かめられ、深められる時であり、また同時に彼が教会から信頼を勝ち取り、その賜物が認められ、信任される時でもあったのです。教会が教会の働き人をその任に任ずるためのプロセスは、本人に与えられた内的召命を深め、確かめていく大切な営みなのです。そういう意味では、神様は決して無駄なことをなさらず、すべて時にかなって美しいことをされたと言えるでしょう。
Ⅲ.教会の祈りとともに(3節)
第三に、この主の召しに対する教会の応答を見たいと思います。3節をご覧ください。
「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」
聖霊によって「バルナバとサウロを、わたしが召した任務につかせなさい」と聞くと、彼らは断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、彼らを送り出しました。これはアンテオケ教会にとっては簡単なことではありませんでした。というのは、先ほども申し上げたように、この二人はアンテオケ教会の中心人物だったからです。いくら聖霊にそのように言われたからといっても、わざわざ彼らを送り出す必要はないと考えた人もいたでしょう。別の人を送った方がいいと言う人もあったかもしれません。しかし彼らはなぜバルナバとサウロを送らなければならないのかといったことを一切訊ねず、断食と祈りをして、ふたりを送り出したのです。このようにみことばに示されるままに行動する群れに、主は大きな責任と使命を与えてくださるのです。
ところで、教会が彼らを送り出したとき、断食と祈りをして、ふたの上に手を置いてから送り出したとありますが、いったいこれはどういうことなのでしょうか。断食と祈り、これは礼拝と断食のところで説明したように、日常の生活を断って祈りと礼拝に専念するために行われるものです。特に断食は食を断つわけですからそこには苦しみが伴います。韓国には「三日飢えて泥棒しない人はいない」ということわざがあるそうですが、三日間断食するのはかなり苦しいことです。私も牧師である以上、最低三日は断食しようと思って始めたことがありますが、一色抜いた時点で食べ物のことしか考えられなくなり、二食抜いた時には生きる意欲がなくなり、三食目の時には主の再臨が待ち遠しくなったほどです。結局、一日ももったことがありません。それどに食を断つということは苦しいことなのです。その食を断って祈り、彼らを送り出したということは、送り出す側の教会もまた宣教の苦渋に共にあずかる決意をしたということです。教会はただバルナバとサウロの二人だけを宣教の旅に送り出すのではない。そこでは教会もまた彼らとともに遣わされて行くのであり、二人は教会から離れた存在ではなく、むしろ教会そのものの派遣をその身に担って遣わされていくのです。教会は彼らのために祈り続けていかなければならない。自らも食を断ち、祈りに集中してこれから遣わされていく伝道者たちのためにとりなして祈り続けていかなければならないのです。
パット先生から聞いた話です。彼女が神学生の頃に、彼女の友人が通っていた教会で、いくつかのスモール・グループが宣教師を支える働きをしていたそうです。その教会では2~3の家族をチームで数年間アフリカに遣わしたのですが、その家族の生活をそれぞれのスモール・グループが支えていたというのです。スモール・グループといっても3~4の家族です。その家族が一つの家族を支えていくというのはかなり大変なことです。そこでメンバーは自分たちの生活費を切り詰めてその分を宣教師に送って支えたのです。
それはこのアンテオケ教会が断食と祈りをして、バルナバとサウロを送り出したことと同じです。それは決して送り出される二人だけの働きではなく、教会もまた彼らとともに遣わされていたのです。遣わされていく人は教会から離れた存在なのではなく、むしろ教会そのものの派遣をその身に担って遣わされていくのです。バルナバとサウロは教会の祈りの中に遣わされていきます。それは遣わされていく二人にとっても、遣わす教会にとっても、そして遣わされた二人を通して福音を聞く人たちにとっても大きな祝福です。バルナバとサウロの二人にしてみれば、恐れや不安を抱く要素は数知れずあったことでしょう。けれどもその背後に教会の祈りがあるので、彼らは遣わされていくことができるのです。二人を遣わすアンテオケ教会にしても、教会を導く大切な牧者二人を送り出すことには大きな戸惑いがあったことでしょう。けれども、そのような犠牲を払うことなしに福音の進展はありません。そうやって神の国の進展のために祈りの中に遣わし、遣わされていくとき、主はそこで捧げられた多くの犠牲を補って余りあるほどの祝福をもって教会を祝福し、主にある働き人たちを祝福してくださるのです。
パット先生を日本に遣わしてくださったアメリカの教会はカルバリー・バプテスト教会といいますが、かつてその教会の牧師をしておられたキュースター先生は、まさにそのようなスピリットをもっておられました。このキュースター先生は今から二、三年前に亡くなられましたが、私たちが結婚して日本で宣教することを聞いたとき、それを心から喜び、祈りで支えてくれました。大きな教会の牧師でありながら、私たちがアメリカに戻る時にはいつも大歓迎で迎えてくれました。最後にお会いした時には牧師を退いて15年ほど経っていましたが、同居していたカールソン牧師夫人が喘息で体調を崩し、多くの人とお会いできない中で「あなたたちだけは別だ。あなたたちは私の家族だ。あなたたちはスペシャルだから」と言って、ヨセミテの自宅に招いてくれました。そして、しばし談笑した後に、「何か祈りが答えられたものとか、新しいリクエストがあったらこれに追加してください」と言って、ボロボロになった1枚の紙を差し出しました。それは私たちが福島で開拓をして数年した頃に教会に送った祈りのリクエストが書かれてものでした。いつ送ったことさえ忘れてしまったものを、キースター先生は毎日祈りに覚えていてくれたのです。そのとき私は思いました。自分たちの働きは自分たちだけが担ってきたかのように思っていましたが、実は背後にある祈りによって支えられてきたんだということが。
この神の国の不思議で、しかし確かでダイナミックな法則を、私たちもまたこの身をもって体験する者とさせていただきたいと思います。新しい年、この教会からもバルナバやサウロのように世界宣教に遣わされていこうとしている家族がいます。私たちはこの霊的な原則を体験できるすばらしい機会が与えられています。聖霊は人を召し出し、その務めをゆだねられ、教会を通して派遣される。そしてその祝福はさらに豊かになって教会を満たすようになるのです。