使徒の働き6章8~15節 「御使いの顔のような人」

 きようは「御使いの顔のような人」というタイトルでお話したいと思います。15節のところに、「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた」とあります。このときステパノの顔が御使いの顔のようであったというのです。ステパノとは、七人の執事の一人です。初代教会の中にギリシャ語を使う外国育ちのユダヤ人がいて、彼らのうちのやもめたちの毎日の配給がなおざりにされているということで苦情を申し立てると、使徒たちはその問題の解決として七人の役員を選び、彼らにその奉仕をゆだねることによって、いのりとみことばの奉仕に専念できるようにし、それを克服しました。その七人の役員の筆頭の上げられたのがこのステパノです。ステパノという名前は、「冠」という意味のギリシャ語です。彼はどういう意味で「冠」だったのでしょうか。キリスト教史上最初の殉教者になったという意味においてです。彼にはそのような輝きがありました。それはまるで御使いの顔のようだったのです。きょうはそんな彼の姿から三つのことを学んでいきたいと思います。

 第一のことは、ステパノは恵みと力に満ちていたということです。第二に、彼は知恵と御霊に満ちていました。第三に、その結果彼の顔は御使いの顔のようであったということです。

 Ⅰ.恵みと力とに満ちた人

まず8節をご覧ください。ここには「さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。」とあります。この不思議なわざやしるしとは、人々がそれを見たとき驚き、それが神から与えられたものだということを裏付け後押ししているかのように感じ取れるほどの、この世の常ならぬ驚異的なわざです。それによって、イエスこそ神から遣わされた救い主であることをあかしするためです。これまではもっぱら使徒たちの手によって行われてきました(2:43,5:12)が、それを、使徒でもなかったステパノも行うことができたというのです。いったいなぜ使徒でもなかったステパノが、このようなわざを行うことができたのでしょうか。それは彼が恵みと力に満ちていたからです。「恵み」とは、本来、「容姿端麗なこと、人を引きつける素質、魅力」を表すことばです。どうして彼はそんなに魅力があったのでしょうか。それは彼が神の恵みに満たされていたからです。神の恵みに満たされていたからこそ、貧しいやもめたちの苦情を聞いて配慮することができ、また、病気などで苦しんでいた人を見てかわいそうに思っては、彼らをいやしてやったのです。それが彼の魅力だったわけです。こうした魅力はクリスチャンとして欠かすことのできない徳であり、大きな力でもあります。こうした人柄を身につけておくためにも、私たちは神の恵みに満たされる必要があります。エペソ人への手紙2章8節には、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」とありますが、それは、は神の恵みに触れることによってもたらされる賜物であることを覚え、いつもこの恵みにとどまっていなければなりません。

 また、ステパノは「力」に満ちていました。この「力」とは聖霊の力のことです。イエス様は、「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」(使徒1:8)と言われましたが、その力のことです。ステパノは、この聖霊の力に満ちていたのです。ですから、使徒たちと同じような驚異的なわざを行うことができたのです。ステパノは食卓のことに仕える奉仕においても、病人をいやす奇跡においても、力強い証人でしたが、そればかりでなく、みことばの宣教においても力ある証人でした。ですから10節を見ていただくとわかりますように、彼の語っていることに対して、だれも対抗することができなかったのです。彼の働きはそれほど力強いものでした。教会は牧師や役員が、また奉仕者一人一人がこうした力ある働きができるように、この力に満たされるように祈らなければなりません。

 Ⅱ.知恵と御霊に満ちた人

 第二に、彼は知恵と御霊にも満ち手いました。9節をご覧ください。

「ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリア人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。」

 ステパノが神の恵みと力によって、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていると、それにむ敵対する人たちがいました。リベルテンの会堂に属する人々です。「リベルテン」とは、「自由にされた人、解放奴隷」のことです。紀元前61年に、ローマの将軍ポンペイウスがローマに引き連れて行った大ぜいのユダヤ人奴隷が、まもなく解放されますと、その人たちとその子孫はリベルテンと呼ばれるようになりました。彼らはエルサレムに帰りますと、もともとエルサレムに住んでいた人たちとは別に会堂を持って礼拝をささげていました。それがリベルテンの会堂です。こうした人々は世界各地に散らされていたので、クレネ人とか、アレキサンドリヤ人とか、キリキヤ人、アジア人とか、世界中から集まって、それぞれのグループを形成していたのです。このように散らされたユダヤ人のことをディアスポラと呼びましたが、こうした人たちはエルサレムに住んでいたユダヤ人に比べてあまり熱心ではありませんでした。もともとのヘブル語ではなくギリシャ語の聖書を使っていたことや、神殿礼拝なしの生活を送っていたので、どちらかというとルーズで、リベラルな考え方を持っていたからです。しかし、そのような人たちの中でもわざわざエルサレムに戻り、神殿のおひざもとで礼拝していた人たちというのは、逆に非常に熱心な人たちが多かったのです。たとえば、後にキリスト教に回心し、キリスト教を世界に広めたパウロは、こうしたリベルテンの会堂に属する人でした。21章39節を見ると、彼はキリキヤのタルソという町の出身であったことがつ記されてありますが、非常に熱心なユダヤ教徒でした。あまりにも熱心すぎてステパノの殺害にも加わったほどです。(7:58)
それほどにこのリベルテンの会堂に属する人たちの中で熱狂的な人がいたのです。そして、そういう人たちの中から幾人かがステパノの議論を吹きかけてきたのです。おそらく律法に関する事についてだったでしょう。というのは、使徒たちはイエスがキリスト、救い主だと叫んでいましたから、それを受け入れられない彼らは、使徒たちが神を冒涜していると感が手いたに違いありません。しかし、ステパノが知恵と御霊によって語っていたので、彼らはそれに対抗することができませんでした。そこで彼らはどうしたでしょうか。彼らはある人々をそそのかし、偽りの証言をさせると、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、ステパノを議会にひっぱって行ったのです。これまでは長老や律法学者が先頭に立って使徒たちを迫害していたのに、ここではこうしたリベルテンの人たちが音頭をとり、騒ぎを起こしているという点で、これまでとは違った様相を呈しているのがわかります。しかも、箴言18章17節には、「最初に訴える者は、その相手が来て調べるまでは、正しく見える。」というみことばがありますが、最初に訴える者の方が、決定的に有利です。もし法廷が公正ならば訴えられた人があとから来て調べてもらえば、事の真相は明らかにもなるでしょうが、ステパノの立った法廷というのは、以前、使徒たちを迫害してきた法廷でしたから、ここで何かを立証するということは難しい状況でした。

 さて、彼らはステパノを議会に引っ張って行って、何をしたでしょうか。13,14節をご覧ください。彼らは、偽りの証人の立てて、このように言わせました。

「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と言うのを、私たちは聞きました。」

 聖なる所と律法とに逆らうことを言うことは、ユダヤの宗教裁判で死刑に値することでした。議論で対抗できなかった彼らは、ステパノを殺そうと思いました。それが彼らの最初からの魂胆でした。しかし、それが偽りであったことは明らかです。

 第一に、11節のところに、彼らはある人たちをそそのかして、「私たちは彼がモーセと神をけがすことばを語るのを聞いた」と言わせた」とありますが、それはもともと彼らがしくんだ罠でした。

 第二に、13節を見ると、ここに、「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません」とありますが、ここでステパノを指して使っている「この人」ということばは軽蔑をこめて用いられる「こいつ」とか「あいつ」といった表現のことばです。14節をみると、そのことばが「あのナザレ人イエス」の「あの」と同じことばが使われているわけですが、ステパノがイエス様に対してそのように用いたと言っていますが、ステパノがイエス様に向かってそんなことばを使うわけがないじゃないですか。ですから、彼らはステパノが言ったことばをそのまま証言しているのではなく、自分たちの憎しみとか敵意とかといった感情をここに移入していることがわかります。彼らはステパノのちょっとしたことばじりをとらえて、それを悪用しているだけです。それだけでも、彼らが偽りの証人であったことがわかります。

 しかし、もっと大きな偽りは、イエス様が「この聖なる宮をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう」と言われたのを聞いたということです。それは嘘です。イエス様はそんなことを言ってはおりません。イエス様が言われたのは逆で、この聖なる宮を建てるということでした。ヨハネの福音書2章19節をご覧ください。

「イエスは彼らに言われた。『この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。』」

 これは、13節からの文脈で読んでいけばわかりますが、彼らが聖なる祈りの家を強盗の巣にしていたことに対して言われたことばです。すなわち、彼らはそのようなことをして、神の宮を壊すようなことをしていたのです。それに対してイエスはそれを建てようと言われたのでした。そのようなイエス様の積極的建設的な主張を伏せたのには、彼らの中にそうした悪意があったからであるのは一目瞭然です。

 もう一つの偽りは、イエス様が言われた神殿とは、ご自分のからだのことでしたが、それを理解することができなかったというか、エルサレムの神殿にすりかえた点です。たとえ霊的に盲目であってイエス様が言われた真意を理解することができなかったとはいえ、それを理解できなかったというのも、実は、彼らの中にもともとそうした悪意や偽りがあったからなのです。イエス様に好意的であったら、それがどういうことなのかを聞いたことでしょう。聞きもしないで勝手にそのように決めつけたのは、彼らがただ自分たちの主張を正当化し、ステパノを攻める材料にしていたからなのです。

 弟子たちも当初はイエス様が言われたことの意味がわかりませんでしたが、ヨハネ2章22節にあるように、イエス様がよみがえらたとき、イエス様の言われたことを思い出し、聖書とイエス様が言われたことを初めて信じることができました。また、ステパノは7章48節を見ると、この後の説教で、まことの神殿とは何かということに言及し、それは復活の主のからだであって、手で造った宮ではないことを示していますから、この当時の人たちは徐々にでしたが、イエス様が言われたことを悟り始めていたのです。にもかかわらず、彼らがこのように証言したのは、彼らの中にステパノに対して敵意と憎悪があって、何とかして彼を葬り去りたいという思いがあったからだったのです。何と恐ろしいことでしょうか。しかし、注意しないと、私たちの中にもそのような思いが芽生えないとは限りません。もっと令婿に、また客観的に何が正しいことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません(ローマ12:1、2)。

 では、そうした敵の攻撃に対して、ステパノはどのように対処したのでしょうか。もう一度10節を見ると、ここには「しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので」とあります。彼は知恵と御霊によって語っていました。どういう点で彼は知恵と御霊によって語っていたのでしょうか。

 もう一度先ほどのステパノの説教の一部を見ていただきたいのです。7章48節です。ステパノはここで、

「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みにはなりません。預言者が語っているとおりです。」

と言っています。これはどういうことなのでしょうか。ここでステパノは、いと高き方は、どこに住まわれるのかについて言及しています。いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。これは何を指していたかというと、実はユダヤ教の会堂です。つまり、いと高き方がお住みになられるのは、このユダヤ教の神殿ではなく、キリストのからだなる教会なのだということを示していたのです。すなわち、イエス様が「三日でそれを建てよう」と言われたのは、キリストのみからだなる教会の建設のことでした。つまり、キリストの教会こそエルサレムの神殿に代わる真の神の家、神がお住みになられる所であると言いたかったのです。ここに彼の知恵があります。

「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」(コロサイ2:3)

「しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。」(Iコリント1:24)

 ステパノが人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行うことができた最も深い秘密がここにあります。それは彼がキリストに信頼していたことです。キリストこそ神の力、神の知恵であると信じ、そのキリストに生かされていたことです。それが彼の魅力となって表れていたわけです。

 教会は、どんな問題があったとしても問題ではありません。なぜなら、そこによみがえられたキリストを通して神のいのちが流れているからです。神がともにおられるなら、何を心配する必要があるでしょうか。問題はそのことに気づかずに、自分の力や感情で動いてしまうことです。もし自分の力で問題を解決しようとしたら、そこには何の恵みも力もなくなってしまうでしょう。ただ神のみことばとみこころに従っていこうという信仰のゆえに、どんな問題があってもそれをもろともせず、乗り越えていくことができるのです。それがステパノの信仰でした。ですから、彼は知恵と御霊に、恵みと力に満ちていたのです。ですから、たとえ、リベルテンの会堂に属する人たちのような強烈な批判や敵意の中にあっても、少しも動じることなく、深い平安を得ることができたのです。それが15節に出てくる彼の顔です。

 Ⅲ.御使いの顔のよう

「議会で席についていた人はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」

 これは驚くべき記録です。というのは、人はみな、普通穏やかな人でも、不当な中傷を受けたりすると激高するものだからです。しかしステパノはそうではありませんでした。彼はそうした憎しみとうその訴えに対しても、その心は乱されることなく、その表情は御使いの顔のようだったのです。かつて変貌山でイエス様の御顔が光り輝いたように、ステパノの顔も光り輝いていたのでしょう。それは彼が神の代弁者であり、聖霊に満たされていたからです。そうした敵意や非難の中にあっても、彼が御使いの顔のようでいられたのは、彼が心から主に信頼し、聖霊に満たされていたからだったのです。

 皆さんはどんな顔をしておられますか。よく娘からもらうメールに絵文字が使われていることがあります。涙を流した顔であったり、プンとふくれ面している顔もあります。怒ってるんでしょうね。どうしようと焦っているような顔もあります。その顔は顔の半分が青くなっているからわかります。中にはマスクまでしている顔もあります。体調が悪いんでしょうね。中には普通の顔、喜んだ顔、悲しんだ顔、叫んだ顔が一瞬のうちに変化する顔があります。意味不明です。また、頬が赤くなっている顔もあります。恥ずかしいんでしょうね。まあ、いろいろな顔があります。しかし、ステパノの顔は御使いの顔のようでした。今度携帯にもそういう顔を付け足した方がいいかもしれません。皆さんもそんな顔になりたいと思いませんか。ステパノはそういう顔を持っていました。それは彼が神の恵みと力に満ち、キリストの教会にこそ神が共にいてくださると信じ、そのいのちに生かされていたからです。

 私たちもキリストが三日でそれを建てようと約束してくださったこのご自身の教会を通してこのいのちにいつも触れさせていただき、みことばに歩み続けることによって聖霊に満たされ、たとえどのような状況にあっても、御使いのような顔でいられることを求めてまいりたいと思います。

 クリスチャン作家として社会に大きな影響を与え、数年前に天に召された三浦綾子さんの本に「道ありき」という本がありますが、その中で三浦さんを信仰に導くきっかけとなった前川という青年のことが紹介されています。彼は北大の医学部の秀才で、クリスチャンの素敵な男性でした。当時三浦さんは学校の先生をしておられましたが、日本が敗戦を迎えたとき、それまで「天皇陛下万歳」とこどもたちに教えていたのが、間違いだったと気づかされたとき、そして、そのようにして戦争に行って死んで行った子供たちのことを思うとき、本当に子供たちに申し訳なく思い、学校を辞めるのです。そして、学校を辞めるだけでは自分を許すことができず、オホーツクの冷たい海に入って自殺しようと考えたりもしましたが、クリスチャンであったその前川正さんが一生懸命にイエス様のことを伝えたのです。この地上には信ずることに値するものなんてありはしないと反発を繰り返す三浦さんに、前川さんは、真剣に、どんなに何を言われても、終始穏やかに接してくれたのです。それがきっかけで彼女の心が開かれていきました。
 それでも、なかなか信じないでいると、ある時、彼は三浦さんを旭川の小高い丘の上につれて行くのです。そして三浦さんがタバコに火をつけようとしたとき、彼は「綾ちゃん、そんなことをしたら死んじゃうよ」と、急にその場に座り込んで、石ころを拾って自分の足を打ち続けたのです。このとき三浦さんは美容器でしたから、そうした彼女のからだをいたわってのことでした。三浦産はそれを見て驚いて、「何をするの。正しさん。辞めて」と言うと、彼は叫びました。
「僕は一生懸命、イエス様のお話をして、綾ちゃんがまじめに生きるようにとお願いしているのに、綾ちゃんは僕の言うことを聞いてくれない。僕は自分の言葉の足りなさ、ふがいなさのゆえに、自分の足をたたいているんだ」と言ったのです。
 そのことばを聞いた三浦さんは心を開きました。間違ってもいい、こんな真実な生き方をしている彼。彼が信じている神様に従っていこう。そして、彼女の人生は変えられました。どのくらい変えられたかは、三浦綾子さんの本を読んだことのある方ならおわかりでしょう。三浦さんもイエス・キリストを信じて、永遠の祝福の中を歩み続けました。それは前川正という信仰に生きたひとりのクリスチャンの姿にふれたからです。前川さんの顔は、このときのステパノのように、実に御使いの顔のようだったのではないでしょうか。

 私たちもそうした人生を歩ませていただきたいものです。たとえ人から非難され、苦しみの中に置かれていても、イエス・キリストを信じる信仰によって神の臨在をいただき、御霊に満たされ、恵みと力に溢れた生涯を送ることができるのです。

使徒の働き6章1~7節 「祈りとみことばを第一に」

 きょうは「祈りとみことばを第一に」というタイトルでお話をしたいと思います。きょうのところは「そのころ」ということばで書き出されています。使徒の働きにおいて「そのころ」ということばが用いられているのは、新しい段階に入っていくことが表されているときです。これまでのところでは1章15節に出てきましたが、そのときはユダに代わる新しい使徒が選ばれ、教会が組織を充実させながらペンテコステ、すなわち教会の誕生とその後の働きに備えていくときでした。きょうのところはどういう意味で新しい段階に入っていこうとしているのかというと、教会に起こったある問題とその解決を通して、そこに出てくる七人の名前をリストすることによって、その後の宣教の展開の導入にしていこうという意図があったものと思われます。すなわち、ステパノの殉教、ピリポのサマリヤ伝道、そして、アンテオケの改宗者ニコラオの名をここに記することによって後にアンテオケ教会からパウロとバルナバを宣教に使わすことを通して異邦人伝道、すなわち、世界宣教へとその働きが広がっていくことを前提に、その序論とすべき箇所がここだったのではないかということです。そのきっかけとなった問題とは、ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤたちに苦情を申し立てたということです。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからです。教会は美しの門で生まれながらの足なえをいやしたことで外からの迫害を受けましたがそれを克服したとたかと思ったら、今度はアナニヤとサッピラの罪という内側からの問題に取り組まなければなりませんでした。そして、その問題も乗り越えると主を信じる者たちはますますふえ、エルサレム中に福音が広がっていきましたが、そのことで第二の迫害が起こります。それも神様の超自然的なみわざによって克服すると、今度はまた別の問題が起こってくるわけです。一難去ってまた一難です。教会はその創設期において迫害やトラブルに悩まされ、それを乗り越えて第二の段階に入ったらそれで問題が無くなり安定した平和な時を迎えられるのかというとそうではありません。教会がこの地上にある限り、問題は絶えないのです。しかし、教会に問題があること自体は問題ではありません。問題はそうした問題にどのように取り組んでいくかということです。なぜなら、そうした問題に取り組むところから多くの得難いものを見出し、さらに大きく成長していくことができるからです。きょうの箇所はまさにそのことを私たちに教えてくれるところです。

 きょうはこの箇所から三つのことをお話したいと思います。まず第一に、問題の本質です。エルサレム教会に起こった問題とはどういう問題だったのかということです。第二のことは、その問題の解決です。教会は、第一のものを第一にすることによってその問題を解決していきました。第三のことは、その結果です。そのように取り組むことによって教会はますます成長しただけでなく、多くの祭司たちも次々に信仰に入っていきました。

 Ⅰ.教会に対する苦情

まず第一に、教会の中に起こった問題そのものを見たいと思います。1,2節をご覧ください。

「そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。そこで、十二使徒たち全員を呼び集めてこう言った。『私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。』」

 今回の問題は、弟子たちがふえるにつれて起こってきました。教会がわずかな人数の時には以心伝心で通じ合っていたことでも、人が増えるにつれてそういうわけにはいかなくなることがあります。今日でも、教会が少し大きくなっただけで、「あの頃は楽しくて良かったね」などと、小さくまとまっていた頃のことを懐かしんだりすることがあります。当時の教会はすでに何万人という会員を有していましたから、そうした意志の疎通がうまくいかなくなっても不思議ではありませんでした。しかし、それ以上に問題だったのは、そのように弟子たちが増えるにつれて、いろいろな人たちが教会の中に加わるようになったことです。ここには「ギリシャ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた」とあります。「ギリシャ語を使うユダヤ人」というのは「ヘレニスト」という英語の語源になったギリシャ語で、ギリシャ風の人のことです。ここではへプル語を使うユダヤ人、つまりきっすいのヘブル人に対して、ギリシャ語を使う外国育ちのユダヤ人のことを指します。この人たちがギリシャ語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てたのです。なぜでしょうか。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給のことでなおざりにされていたからです。外国育ちのユダヤ人の多くは、年をとると、聖地エルサレムのおひざもとに葬られたいと願う人が多く、祖国に帰ってくる人がかなりおりましたが、こうした人々の多くは取り残される傾向がありました。というのは、もともとエルサレムに住んでいたユダヤ人ならば若い者たちといっしょに暮らしていましたから、身寄りがないということはほとんどなかったのですが、外国からやって来たユダヤ人の場合は、夫に先立たれた老妻が、身寄りのないやもめとして取り残されることがしばしばあったからです。そうしたことで、外国育ちのユダヤ人たちの側から、彼らのやもめたちが、毎日の生活の援助のことで、なおざりにされているという不満が起こったわけです。

 彼らの中からこうした不満が起こってきたのも無理もありませんでした。というのは、当時の教会はすべてが使徒たち中心であったからです。たとえば、4章
35節を見ると、教会の献金は使徒たちの足もとに置かれていたとあります。
十二人の使徒たちだけで何万人にも及ぶ人たちの世話をしていくこと自体が無理です。ましてやもめたちというのは身寄りがないわけですから、毎日の配給があらゆる面で必要でした。これだけ増えた会衆の世話を、毎日、しかも十二人の使徒たちがするとしたら、なおざりにされる人たちが出てきても、当然のことです。
そして、そのような事態はもっと深刻な問題を引き起こしていました。それは彼らがそうしたやもめたちの世話であまりにも忙しく、彼らが本来しなければならなかった神のことばに仕えることがあと回しになっていたことです。これでは本末転倒です。そこで十二使徒は弟子たち全員を集め、「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」と言いました。

 このエルサレムに起こった今回の問題をみると、そこから二つのことがわかります。一つのことは、教会に起こる問題は、必ずしも、だれかの罪や悪というものに起因して起こるとは限らないということです。今回の問題は、あのアナニヤとサッピラの場合のように、だれかの罪のせいでというのとは本質的に違います。弟子たちが増えるにつれて、そこにいろいろな人たちが加えられたことによって生じた問題でした。だから教会は小さい方がいいんだということではありません。教会に多くの人が加えられ、ますます発展していくことはすばらしいことであり、神様のみこころですが、そうした中にも問題は起こってくるのです。つまり、問題というのは、いつでも、どこにでも必ず起こってくるものであるということです。「神が教会を建てるとき、そのかたわらに悪魔もチャペル(会堂)を造る」ということわざがありますが、悪魔は、いろいろな方法によって問題を起こしてくるわけで、悪魔が利用できない事柄など、この世にはありません。であれば私たちは、やたらにその問題の責任を追及したり、その問題によって動揺したりする必要はなく、むしろ問題の所在を明らかにし、それを信仰の視点でとらえながら的確に対処していけばいいのです。中には問題だ、問題だと、問題をことさら大きく騒ぎ立てる人がいますが、その必要はないということです。

 もう一つのことは、このような問題に対する取り組みを通して、神様が新しいステージに私たちを導いておられることを信じなければならないということです。だれが考えることができたでしょうか。このような問題が生じたことでエルサレム教会が自分たちのあり方を見つめ直し、そこに七人の働き人を立てることによって、さらに大きく前進していくようになったということ・・・を。また、そこでステパノやピリポが立てられることによって、彼らの宣教がそのように導かれて行ったのです。
 前にもお話したことがありますが、私たちの人生には多かれ少なかれこうした問題が起こるものです。いわばちょっとした穴が開くのです。そうした穴が開いたとき人はいったいどういう態度を取るかというと、だいたい次の三つの対応を取ります。第一に、それを見て嘆くか、第二に、できるだけそれを見ないようにする、いわゆる現実逃避ですね、それとも第三に、その穴が開かなければ決して開かれることのない新しい世界を見ていくかです。時として神様は、こうした問題を通して、私たちが新たな世界を見出していくための機会していることがあるのです。この場合はまさにそうでした。そういう意味では教会の中に、あるいは私たちの人生の中に問題が起こったてもそれを悲観的なとらえて嘆くのではなく、その問題への取り組みを通して、神様がさらに新しい世界へと導いておられるのだと信仰をもって受け止めていかなければなりません。

 Ⅱ.祈りとみことばを第一に

さて、それでは使徒たちは、この問題に対してどのように対処していったでしょうか。次に、彼らの対処を見ていきたいと思います。3~6節までをご覧ください。

「『そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。』この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。」

 こうした問題が起こったとき、使徒たちは、教会の人たちを全員集めて、次のような提案をしました。すなわち、彼らの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選び、彼らにこの仕事に当たらせるということです。これは教会に役員が立てられ、組織化されていった最初だと言われています。問題は、彼らはいったいなぜこのようなことをしたのかということです。それは4節に書いてありますように、使徒たちが「祈りとみことばの奉仕」に専念するためでした。彼らが神のことばをあと回しにし、食卓のことに仕えるのはよくないことだと判断したからです。教会に弟子たちがふえるにつれ、そうした人たちの世話で時間が取られることで、彼らが本来すべきであった神のみことばに仕えることがおろそかになるのはよくないと考えたのです。何だって愛がないと思われますか。そうではありません。彼らがそのような人を立て、そうした人たちにその働きをゆだねていくことによって、彼らが抱えていた問題を解決することができるようになった、すなわち、そうしたことで悩んでいた人たちの問題を解決できるようになったばかりか、使徒たちにとっても、そうした重荷から解放されて、神のことばに専念できるようになったわけですから、これはすばらしいことなのです。

 かつてモーセがエジプトを出て神の山ホレブに宿営していたとき、しゅうとのイテロが彼らに会いに来たとき、モーセが朝から晩まで民の悩みを聞き、民をさばいている姿を見て心配して、彼にこう助言しました。
「あなたが民にしていることは、いったい何ですか。なぜあなたはひとりだけでさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたのところに立っているのですか。」(出エジプト18:14)
「あなたのしていることは良くありません、あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられますように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところへ持って行きなさい。あなたは彼らにおきてとおしえとを与えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせなさい。あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところへ持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷を担うのです。もしあなたがこのことを行えば、神があなたに命じられるのですが、あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」(同18:17~23)

 地上のどの人よりも謙遜で、柔和であったモーセはこのしゅうとの助言を聞き入れ、すべて言われたとおりにしました。そうするこで彼は、自分の重荷を軽くして200万人とも言われた民を約束の地に向かって導くことができたのです。
 
 「重荷を軽くする」ことは、教会が教会としての機能を果たし、もちこたえることかでき、平安のうちに前進していくために重要なポイントです。教会は牧師ひとりで戦う群れではなく、全員でその重荷を負いながら進んでいく群れです。教会はキリストのからだと言われていますが、それぞれの器官は違っても一つのからだとしてその機能を果たしながら成長していくものなのです。そういう意味で、使徒たちが何からかにまで自分たちだけでやろうせずに、こうして七人の執事を立てることによって重荷を分けたことは必要なことでした。

 そして、何よりも良かったことは、そのように重荷を分け合うことによって、彼らが本来すべきことに専念することができるようになったことです。「もっぱら祈りとみことばの奉仕に励む」ことができるようになったのです。彼らが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのはよくないからです。どうしてですか。なぜなら、祈りとみことば、すなわち、礼拝とみことばによる指導こそ教会の中心的なことだからです。皆さん、教会の中心は何でしょうか。教会の中心は、もちろんイエス・キリストです。ではそのイエス・キリストが中心であるとはどういうことなのでしょうか。それはこのイエス・キリストを救い主と信じ、キリストの教えに従うということです。それが私たちのいのちだからです。そしてその手段こそ礼拝とみことばの説教、指導なのです。

 使徒の働き20章32節のところでパウロは、エペソの教会の長老たちと別れるとき、このように言いました。
「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖別された人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」

 みことばには、教会を育て、神の国を継がせる力があるのです。なぜなら、みことばは神の意志、考えが記されたものだからです。ですから、私たちはこのみことばに従うことによってのみ神の意志に統率された神の教会になることができるのであって、人間的な方法によっては無理なのです。ただ神を礼拝し、神が教えてくださる方法によってのみ、神の教会が建て上げられていくわけです。教会がどんなに慈善事業を行っても、どんな大きな会堂を建てても、どんなに華々しいことを行っても、その中心的なことである礼拝とみことばを忘れてしまったら、それはもはや教会ではなくなってしまうのです。それは舵を失った船のようで、正しく進んでいくことができません。いのりとみことばこと教会にとって第一のことであり、中心的なことなのです。礼拝とみことばによる指導に専念できる人を確保できない教会は、残念ながら成長していくことはできません。あるいは、礼拝とみことばを指導する人が他のことであまりにも忙しく、教会でみことばを教えることがおろそかになったとしたら、教会はいのちを失ってしまうことになります。教会が教会としていのちに溢れたものであるためには、教会に礼拝と説教に専念できる人を確保することです。そのために教会が一丸となって取り組んでいく。それがこの教会の組織の目的だったのです。それは牧師だけが伝道し、あとの人たちは礼拝やその他の集会に主席していればそれでいいということを行っているのではありません。事実、ここに立てられたステパノにせよ、ピリポにせよ、あるいは他の5人にしてもそうだったでしょう。彼らは立派な伝道者でもありました。彼らも伝道に勤しみました。要するに、教会の中にみことばを高く掲げようという熱心と、みことばと礼拝のご用を第一に重んじるといった敬虔さがあるかどうかです。そうした思いが、万事につけて教会の動きを支配しているかどうかなのです。礼拝とみことばの奉仕という教会にとって中心的なことを第一にしていくことが、教会にとって重要なことです。

 さて、そのために立てられた七人の人たちはどういう人だったでしょうか。3節にはその人たちの条件というか、資格が次のように記されてあります。すなわち、「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち」です。御霊に満ちた人というのは、キリストにその生活のすべてが支配されている人のことです。自分の生活や仕事のいっさいが、キリストのみこころのうちに導かれることを願い、そのように営まれている人のことでしょう。また、知恵に満ちた人というのは、ここに御霊に満ちたということと一緒になっていることからもわかるように、御霊に満たされた結果としての実のことです。それは知識がある人とは違います。どんなに知識があっても知恵のない人がいます。というのは、この知恵はキリストに従い、御霊に満たされることによってもたらされるものだからです。知識も大切ですが、知識よりも知恵が求められます。知識は人を高ぶらせてしまうこともあるからです。知恵はそういうことはありません。この後でステパノのことが紹介されていますが、彼はこの知恵に満ちていました。「信仰と聖霊に満ちた人」とか、「恵みと力とに満ちていた人」とあります。また、この働きにふさわしい人は、評判の良い人です。「評判の良い人」というのは、単に世間の聞こえがいい人という程度のことではありません。このことばはもともと「あかしされている」人を指します。教会の内でも外でも、りっぱにあかしされている人なのです。

 つまり、ここに選ばれた七人の人というのは、配給の職務に優れた能力や素質があった人ではなく、御霊と知恵に満ちた人というのがその基準であったということです。それは、神の働きが、そうした人間の能力や資質にかかっているのではなく、聖霊に満たされているかどうかにかかっているからです。それは教会が人間の知恵や能力によって導かれていくものではなく、ただ神のみことばによる神の考え、意志といったものによって導かれていくものだからです。そういう意味でも教会は、常に祈りとみことばによって神のみこころを探っていこうとすること、それが最も重要なことなのです。

 Ⅲ.こうして神のことばは

第三のことは、その結果です。7節をご覧ください。

「こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子たちの数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。」

 教会が第一のものを第一とし、使徒たちが祈りとみことばに専念できるようにした結果、神のことばはますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行きました。教会のわざは、何の理由なしに伸展していくものではありません。伸展しているのにはそれだけの理由があります。それが「こうして」ということばに表れています。すなわち、牧師が礼拝とみことばの奉仕に専念できるように、教会のひとりひとりがその役割を果たしていくという、教会本来のあり方が確立されていくならば、教会は伸展していくのです。

 第一に、神のことばがますます広まって行きます。ここでは教会の勢力、教勢がどうこうということ以上に、「神のことば」が広まっていったという成果が強調されています。これは、使徒たちがもっぱら祈りとみことばの奉仕に励んだ結果と言えるでしょう。
 第二に、弟子たちの数が非常にふえて行きました。特にここでは「エルサレムで」とありますが、エルサレムは当時伝道がもっとも難しい所でした。周囲からの反対は激しいし、彼らの失敗の何もかも知っている人たちでした。そのような伝道が最もしにくいところでそのような成果を上げたということは、それが本物の成長であり、高く評価されるものでした。
 第三のことは、単に弟子たちの数が増えたというだけでなく、その中でも「多くの祭司たちが次々に信仰に入った」ということは注目すべき点です。祭司たちというのは反キリスト教勢力の中心であったはずだからです。そういう人たちまでもが信仰に入っていったということは、福音のもたらす力というか、影響力というものがいっそう強いものになったということです。

 このように、教会が礼拝とみことばの奉仕を第一に考え、そのために役員が立てられ、私たち一人一人が用いられていくとき、教会は必ず伸展していくのです。それは、伝道が最も困難だと思われていたエルサレムで弟子の数が非常に増えていっただけでなく、多くの祭司たちもが信仰に入るほどの勢いとなりました。神のみことばにはそれほどの力があるからです。私たちはこの原則に立ってまいりたいと思います。すなわち、礼拝とみことばに専念することです。こうして第一のものを第一とするとき、教会はいのちに溢れて力強く前進していくのです。また、教会にはできるだけトラブルや問題がない方がいいと考えがちですが、問題があるかないかということよりも、その問題に取り組む中で主が教え、導いておられるメッセージをしっかりと受け止めることによって、初代教会が強められて行ったように、まるで困難を跳び箱の踏み板のようにして飛躍していくものでありたいと思います。

使徒の働き5章33~42節 「御名のためにはずかしめられるに値する者」

 きょうは「御名のためにはずかしめられるに値する者」というタイトルでお話をしたいと思います。33節には、「彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った」とあります。これを聞いてというのは、使徒たちの弁明を聞いてということです。使徒たちの教え、すなわち、イエス・キリストの名こそ救われるべき唯一の御名であるという教えがエルサレム中に広まると、大祭司とその仲間たちはねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえて留置場に入れました。しかし、みことばが伝えられることの必要性をご存知であられた主は御使いを遣わしてその中から彼ら救い出し、このいのちのことばを語らせるわけです。すると早速当局から宮の守衛長や役人たちがやってきて彼らを再び捕らえ、議会の中に立たせて尋問しました。「あの名によって語ってはならないと命じておいたのに、いったいなぜ守らないのか」「そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている」と。

 それに対して使徒たちは、何と言ったでしょうか。29節です。人に従うよりも、神に従うべきです。あなたがたがだめだと命じても、神はこれをよしとし、いやむしろ語るようにと命じておられる。この神の命令に従うのです。また、私たちの神は、あなたがたが十字架につけて殺したイエスをよみがえらせ、救い主としてご自分の右の座に上げられました。それは、あなたがたが自分たちの悪事を悔い改め、罪の赦しを得ることが出来るためだったのです。そのように言いました。すると、この弁明を聞いていた人たちは怒り狂い、彼らを殺そうとしたのです。しかし、そうした中にあっても冷静沈着に対応した人もいます。ガマリエルという人です。また、使徒たち自身はというと、そうした中にあっても積極果敢に伝道を続けるわけです。ここにはそうした使徒たちの弁明に対して取られた三つの態度があったことが紹介されております。こうしたキリスト教への三つの対応というのは、いつの時代でも、どこの国においても見られるものですが、私たちは今朝、こうした三つの対応を学びながら、主が求めておられる態度とはどのようなものなのかをお話したいと思います。

 きょうお話する三つのことは、まず第一に、33節に見られる大祭司とその仲間たちの激しい敵対の態度です。第二は、34~40節に見られるガマリエルの提案です。それから第三は、41,42節に記されてある使徒たち自身の態度です。

 Ⅰ.怒り狂った人々

 まず第一に、怒り狂った人たちを見ていきたいと思います。33節をご覧ください。

「彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。」

 「彼ら」とは、大祭司とその仲間たちのことです。21節に「一方、大祭司とその仲間たちは集まって来て」とありますし、また、27節にも「大祭司は使徒たちを問いただして」とあることからもわかります。彼らは、使徒たちの弁明を聞くと、怒り狂い、使徒たちを殺そうとしました。この「怒り狂い」ということばには米印がついて、下の欄外の説明を見ると、「心をのこぎりで引き切る」と書かれてあります。怒り心頭に達するという意味で、頭も心も、のこぎりで引かれ切られるほど怒ったということです。皆さんの人生にも一度や二度はそういうこともあったでしょう。怒り心頭で、めまいがするくらい怒ったということが・・・。メスとサッと切られるのも痛いですが、そのような痛みとは違って、のこぎりでゴリゴリと引き裂かれるほどの苦痛が伴う激怒です。彼らはそれほど激怒したわけです。いったいなぜ彼らはそんなに怒り狂っていたのでしょうか。

 第一に、彼らの間違った教義的な先入観がありました。使徒たちは、自分たちの仕えているイエスこそメシヤであると主張しましたが、その根拠がどこにあるかというと十字架と復活でした。ですから30節のところで、「私たちの父祖の神は、あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、よみがえらせたのです。」と言っているのです。十字架で死んで、三日目によみがえられたイエスこそ救い主の証拠であるというわけです。ところが、そうした証拠が、彼らには全く通じませんでした。なぜなら、彼らはそうした奇跡を信じられない人たちだったからです。前にもお話したことがあるかと思いますが、サドカイ派の人たちというのは、合理主義的な立場に立っていて、自分たちの頭で理解できることは信じて受け入れましたが、そうでないことは神とモーセを除いてすべて否定したのです。ですから、イエスが復活したという話を受け入れることなど到底できなかっただけでなく、それこそ神に逆らう者たちであって、そういう人たちは殺すべきであると考えていたのです。死人の復活などあり得ないときめつけていたこうした彼らの先入観が、イエスの復活を否定し、イエスに従う道こそ神に従う道であるという論証全体を無意味なものとしていたのです。

 もう一つのことは、プライドです。彼らは宮で最高の権力を持っていた人たちでしたが、そういう人たちに向かって使徒たちが、「あなたがたはイエスを十字架にかけて殺した」と非難したわけですから、怒り狂うのも無理もありませんでした。自分たちの権威が否定され、そのメンツが傷つけられたとき、罪深い人間が取る態度というのはこうした怒りなのです。先日テレビでタモリが敦という芸人と対談している中で、妻と夫婦げんかしたらどういう態度を取るかという話しの中で敦が一言、「自分からは絶対に謝らないですね」と言いました。相手から謝って来るまでは自分からは一切連絡を取らない。相手が謝って来たときに、「そうか、じゃ許してやるよ」と優しくいうと、効果があると言うと、それを聞いていたタモリが、それは未熟だとバッサリと切り捨てました。プロはそういう態度はしない・・・と。プロはどうするかというと、プライドを捨てる。夫としてのプライドを捨てて、自分の方から悪かったと謝る。実はそういう人こそ成熟しているプロが考えることだよ・・・と言うわけです。私はそれを聞いていて、タモリっていう人は意外とわかってるなぁと思いました。未熟な人は自分の権威、立場に固執しますが、本当に成熟している人というのはそれを捨てられる人なのです。キリストは神の御姿であられた方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、自分を無にして、仕える者の姿を取り、人間と同じようになられました。いや、人としての性質をもって現れただけでなく、自分を卑しくし、死にまでも従い、実に十字架の死にまでも従われました(ピリピ2:6~8)。

 それにひきかえこの大祭司やその仲間たちというのは、自分の立場や権威を捨てることかできませんでした。彼らは自分が否定されるようなことを言われるとそれを受け入れるどころか、そういう人たちを必死になって潰そうとしたのです。自分の意見や考えで、そうした事実を変えることができるのではないかといった錯覚さえ抱きました。そしてそれができないと怒り狂うというヒステリックな状態に陥ってしまったのです。私たちに出来ることは彼らのように自分たちの力や権威によって事実を変えようとすることではなく、神がなさっておられることを謙虚に受け止めていくことです。その出来事がいったいどういうことなのかを霊的に見つめて解釈し、そこで語られている神からのメッセージを受け止め、謙虚になって神のみこころに従うことです。その時、私たちの心に本当の平安が与えられるのです。自分の思いに執着し、思い通りにならないと嘆いているのは、ちょうどラジオで、周波数を違うところにあわせていて、自分の聞こうとしている放送が聞こえないで焦っているようなものです。そういう状態では、いつまでも平安を得ることはできません。ただ神のみこころに焦点を合わせ、みこころに従うことによってのみ得られるのです。

 皆さんが怒るときはどうい時でしょうか。人に無視されたときでしょうか。あるいは、嘘のうわさを立てられたとき、自分のものを勝手に使われたとき、約束を破られたとき、人に裏切られるとき、自分よりもほかの人が尊ばれている時でしょうか。しかし、それがどのような時でも自分を捨て、すべてを支配しておられる神にゆだね、その事実を謙虚になって受け入れていくとき、そうした怒りから解放されていくのです。もちろん、悪に対しては毅然した態度を取るべきだと思いますが、ここに出てくる大祭司やその仲間たちのように自分の立場を守ろうとするために怒るようなことがあるとしたら、それはまだ未熟であることを現しているのであって、そうしたことに固執しておりますと人間として成長していくことができません。どのような中にあってもそれを霊的に意義付けし、そこに流れている神からのメッセージをしっかりとキャッチし、その神のみこころにすべてをゆだねて歩む人、それが成熟を目指している人の取る態度なのです。

 Ⅱ.ガマリエルの提案

第二の対応は、ガマリエルという人に見られる態度です。34~39節をご覧ください。

「ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。それから、議員たちに向かってこう言った。『イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。そこで今、あなたがたに申し上げたいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたは彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。』」

 ここに、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルという名のパリサイ人が登場します。彼は派閥から言うとパリサイ派に属し、律法学者でありましたが、普通の律法学者と違い、この人はすべての人に尊敬されている人でした。使徒22:3を見ると、この人はあの大使徒パウロの先生でしたから、大大先生でありました。当時のユダヤ教学界では最も人気のあったヒルレル学派に属していましたが、そのヒルレル学派を開いたラビ・ヒルレルという人の孫に当たる人でした。普通のユダヤ教の律法学者を先生という意味の「ラビ」という敬称を用いましたが、特に偉大なラビは「ラバン」と呼ばれていました。このラバンと呼ばれた教師はユダヤ教の歴史においても数人しか存在していませんが、そのラバンと呼ばれた最初の人がこのガマリエルでした。ユダヤ教の古い伝承の本に、「ラバン・ガマリエルが死んで以来、もはや律法への尊敬はなくなってしまった。同時に、純潔と節制も絶えてしまった」と記されているほどの人なのです。彼はそれほど尊敬されていたのです。

 そのガマリエルが議会の真ん中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じてから、サドカイ派の議員たちに向かって、使徒たちをどう扱うかは、よく気をつけるようにと言いました。というのは、ユダヤの革命家であり、ヨルダン川を裂いてみせるなどといって人の心を引きつけていたチゥダという男がいましたが、ついにローマ総督に殺され、彼についていた人たちもあとかたもなくなってしまったし、また民衆を率いて反乱を起こしたガリラヤ人ユダも、結局は滅びてしまったわけですから、使徒たちのことも放っておいた方がいい。もし、それが人から出たものであれば自滅してしまうでしょうし、しかし、もし神から出たものであるならば、どんなに頑張ってもあなたがたに彼らを滅ぼすことはではないでしょう。そんなことをしたら、あなたがたが神に敵対する者になってしまいます。

 彼はすべての人に尊敬されている律法学者と紹介されているごとく、まことに的を得た提案をしました。第一に、そこには神への深い信頼が読み取れます。自分の力で処理しようとしないで、神の摂理にゆだねようとする、神への深い信頼と従順です。第二に、彼にとって使徒たちというのは全く性質を異にする人たちですが、そうした自分と意見や信条が違う人に対しても、あくまでも寛容な精神を失わないようにしています。第三に、憎しみの的になっていた使徒たちをしばらく間外に出させることによって議場に冷静さを取り戻そうとしたことは、自分の感情を抑制しようした点で評価できます。すなわち、彼の態度というのは、神への深い信頼と従順、意見の異なる人たちへの寛容、自分の感情を抑えるという、あらゆる面において慎重さと礼節さに貫かれているのです。さすがはラバン、大先生です。
 シュライエルマッハーという人は、「主は他のだれに対してよりも彼こそ、『あなたは神の国から遠くない』と言いたかったろう」と言いました。また、古い教会の伝承の中には、ガマリエルはひそかにクリスチャンになっていて、のちに息子アビブとラビ・ニコデモとともに、使徒ペテロとヨハネとから洗礼を受けた、という作り話も生まれたほどです(偽クレメンス文書「再会」1:55)。

 圧倒的多数の反対意見の中にあっても、正しいことを主張し、神のみこころかどうかわからない時には忍耐して待つといった彼の姿勢は見事なものです。それがみこころかどうかの確信がないうちに行動しては失敗を繰り返してしまうような私たちにとっては、学ぶ点が多いのではないかと思います。また、彼のそのような発言がみんなが説得するほど力があったのは、彼の意見がただ単に論理的にすぐれていたからというよりも、彼の日常の生活がすべての人に尊敬されるようなものであったからでしょう。そういう意味で、私たちは神のことばに聞き従うことによっていつも聖霊に満たされ、聖霊の知恵と力をいただくことにより、回りの人たちに良い証しを立てることができるようにと求めていくべきです。

 しかし、このガマリエルの態度というのは、手放しに称賛されるようなものだったのでしょうか。というのは、彼の意見が本当に受け入れられたものであったのなら、どうして40節に見られるように、使徒たちをむちで打ち、イエスの名によって語ってはならないと厳しく命じたうえで彼らを釈放するというようなことがあったのでしょうか。それは放っておくことではありませんし、ガマリエルの提案に説得された人たちのすることではありません。いったいこれはどういうことだったのでしょうか。

 榊原康夫先生が書かれた注解書を見ると、ガマリエルが本当に理解のある人で、そのことばに彼らが本当に説得されていたのであれば、こんなことはしなかったのではないかと言っています。すべてを神様にゆだねて神様の導きを静かに待ち望んでいたはずだというです。彼らがこのようなことをしているのは、ガマリエルの放任政策というものが、実は私たちが考えているような物わかりのよい寛容政策ではなかったことを物語っているのではないかというのです。どういうことかというと、彼の寛容なまでのこの態度というのは、結局のところ、物分かりのいいように見える反面、実はそれは従う意志のない傍観主義にすぎなかったのです。というのは、もし使徒たちの働きが人から出たものなのか、それとも神から出たものなのかの二つに一つであったとしたら、そんなにのんきに「放っておきなさい」などと構えてなどいられなかったからです。もしそれが神から出たものであるならば、「あっ、そう、それは神から出たの。じゃ、どうしようかな。ちょっと待てよ。今は忙しいから、もう少し経ったら信じるから」なんて言えるでしょうか。言っていられないのです。少なくてもそうした可能性がある限り、それが神から出たものなのか、人から出たものなのかを必死に調べるのではないでしょうか。しかし、そうした態度が見られないということは、結局のところ彼もまた、従う意志がなかったことを表明していることになるのです。

 ですから、ガマリエルの態度というのは、一見、公平に見え、きわめてものわかりのいいように見えますけれども、実のところ、生ける神に対する敬虔さという点から見ると、問題があったのです。「放っておきなさい」といったひより見主義ではなく、「人に従うより、神に従うべきです」と使徒たちが言ったような、もっと積極的な関わりが求められていたからです。それは今日の私たちにも見られるのではないでしょうか。真理がはっきりと示されているにもかかわらず、そこから逃れるために、いつも第三者としてそのかたわらに立ち、それを傍観しているのです。その中に飛び込んでいこうとしないのです。それが日本人の姿でもあります。それは一見、良いようですが、しかし、真理に対してはそれに従うか拒否するかのどちらかであって、第三者の中立的な立場などはあり得ません。黙示録3章15~20節までを開いてみましょう。ラオデキヤにある教会に宛てて書かれた手紙の中で、主はこのように言っておられます。

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる。豊かになった。乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もまたわたしとともに食事をする。」

 主イエスは、私たちの心のドアを叩いておられます。自分に満足しないように。自分は富んでいる。豊かになった。乏しいものは何もないと言って、自分に満足したなまぬるい信仰から、真に豊かな者となるために、目薬を塗って、自分の姿をはっきりと見て、本当に乏しい者であることに気づきながら、熱心になって主にお頼りさせていただく。主はそのような者になることを願っておられるのです。そのために心のドアを叩いておられるのです。主が戸を叩いておられるのは、すでに救われたラオデキヤの教会の人たちが、自分の状態に甘んじて生ぬるい信仰でいることがないようにとの、主イエス様からの懲らしめでもあったのです。

 私は毎朝起きて最初にすることは熱いコーヒーを飲むことです。ソファーに座って一杯の熱いコーヒーを飲んでからその日の働きを始めます。祈ってからではないのです。コーヒーを飲んでからです。でも、そのコーヒーは熱くないとだめです。ぬるいコーヒーは飲めません。そういうコーヒーは「ブッ」と吐き出してしまいます。神様も同じです。 熱いか冷たいかであってほしいと願っておられる。傍観者的な信仰ではなく、主のチャレンジに積極的に応えていくような信仰を求めておられるのです。そういう意味では、ガマリエルの態度は一見、神への信頼と人への寛容、そして自分自身への冷静さという点で優れたものではありましたが、主が求めておられた対応ではなかったのです。では、主が求めておられた態度とはどのようなものだったのでしょうか。それが次に見る使徒たちに見られる態度です。

 Ⅲ.御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜  ぶ

 41,42節をご覧ください。
 「そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされた
 ことを喜びながら、議会から出て行った。そして、毎日、宮や家々で教え、
 イエスがキリストであることを宣べ伝えた。」

ガマリエルに説得された議会の人たちは、使徒たちを呼ぶと、彼らをむちで打ち、今後イエスの名によって語ってはならないと言い渡したうえで釈放しました。釈放された使徒たちはどうしたかというと、御名のためにはずかしめられるに値するものとされたことで喜び、議会から出て行くと、いつものように、宮や家々でみことばを宣べ伝えました。本当に不思議です。彼らは御名のためにはずかしめられるようなことをされても、それを悲しむどころか、むしろ喜びました。それは、御名のためにはずかしめられるということが、いかにも難しい貴重な体験であるという考え方がありました。イエス様がそのように教えられたからです。

「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。」(ルカ6:22,23)

また、ペテロもこう言っています。
「キリスト者として苦しみを受けるなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。」(Iペテロ4:14、16)

 御名のためにはずかしめを受けるということは、クリスチャンにとっては喜びなのです。なぜなら、それが神のみこころだからです。私たちにとっての喜びというのは、この神が与えてくださる喜びです。この神によって心が満たされることによってもたらされるものです。一般的に喜びというのは、自分が得をしたり、ほめられたりしたときにするもので、利己的なものです。そうした喜びというものは、自分の欲望が満足している時は喜べますが、そうでなくなるとすぐに消え去ってしまいます。しかし、イエス様が与えてくださる喜びはそうしたものとは違い、自分の置かれた状況などによって奪われたりするものではありません。パウロはピリピ人への手紙の中で、「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」(4:11)と言っていますが、彼がそのように言うことができたのは、彼の喜びがこうした利己的なものとは違う神が与えてくださるものだったからなのです。彼はその秘訣を次のように言っています。

「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する欠を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:12,13)

 彼の勝利の秘訣、それはイエス・キリストでした。イエス様によって心が満たされていることが喜びでした。サンヘドリンの人たちのように、自分の主張が通るとか自分の権威が認められることが喜びではなく、また、ガマリエルように、中立的な立場に立ってどちらからも悪く思われれないそつのなさが嫁媚びなのでもなく、ただただ「御名のため」にだけ生きることが喜びだったのです。

 これこそクリスチャンの特質であり、醍醐味です。たといどんなに大多数に受け入れられることがなく、歴史の動きに取り残されてはずかしめられているかのようであっても、イエス・キリストのためにはりんとして動揺しない確かさこそ、クリスチャンの喜びり根源なのです。この確かさに基づく喜びにおいて、クリスチャンは、世に勝つ者なのです。

 日本ホーリネス教団の村上宣道(むらかみのぶみち)先生のお父様も牧師であられたそうですが、時はちょうど戦時中、検挙されて留置されたことがありました。教会は解散させられ、集会は禁じられました。当時村上先生は青森に疎開しておられましたが、お母さんがリンゴの袋はりなどをして、留守の家庭を支えておられたそうです。村上先生はそのお母さんの苦労を間近で見て育ちましたが、子供心に不思議に思ったのは、お父さんが捕らえられ留置場に入れられているというのに、いつもお母さんの口からは賛美があふれ、その顔がにこにこしていることでした。別にお父さんのことが嫌いだったからではありません。そうじゃなくて、そうした苦しみがイエス様の御名のためだったからです。お母さんはよく言ったそうです。「お父さんは、イエス様のために苦しめられて、きっと喜んでいるよ。」時代が時代だけに、村上先生も学校では「スパイの子」とののしられたり、石を投げられたりしたそうですが、そんな時でもお母さんは、「きょうもイエス様のためにひどい目に遭ったね。でも、天国でのごほうびがまたたまったね。」と言って励ましてくれたそうです。お父さんは病弱だったこともあって数ヶ月で出所することができましたが、何人かの牧師は獄死した方もおられます。平和で自由な今の日本では考えられないことですが、戦時中はこういうことが実際にありました。

 これから将来、このようなことが起こらないとは限りませんし、また、そのようなはずかしめでなくとも、別の形で私たちもまたはずかしめを受けることがありますが、そのような時でも耐え、いや、使徒たちのように御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、しっかりとそれに備えていく者でありたいと思います。それこそどの時代でも、どこにおいても、主イエスが私たちに求めておられる態度なのです。

使徒の働き5章17~32節 「いのちのことばをことごとく語れ」

 きょうは、17節のところから「いのちのことばをことごとく語れ」というタイトルでお話したいと思います。先週まで私たちは、教会の内部に起こった初めての罪と、そのさばきについて学びました。教会が神を恐れて生きるとき、そこに神の聖さが現れることによって、人々の間に非常な恐れが生じ、主を信じる人たちがますます増えていきました。また、多くのしるしと不思議なわざによって、教会が地域のニーズに応えていくことによっても、教会はますます成長していきました。それは28節にあるように、エルサレム中に広まっていった、氾濫していったほどです。
 しかし、教会がそのように発展していきますと、それを快く思わない人たちもいて、そのような人たちによって迫害が生じてきました。この迫害は二度目の迫害ですが、前の時にはペテロとヨハネだけが捕らえられたのに対して、今度は使徒たち全員が捕らえられたという点で、いっそう危険なものでした。
 ところが、神様は主の使いを使わして、奇跡的に彼らを救出されました。そして言われたことがこうです。20節、

「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばをことごとく語りなさい。」

 きょうは、この主の使いが言われた「いのちのことばをことごとく語れ」ということについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、それは神の命令であるということです。彼らが牢獄から救い出されたのは、彼らがこのいのちのことばを語るためでした。第二のことは、このいのちのことばを語ることは神のみこころであるということです。第三のことは、聖霊があかししてくださるということです。

 Ⅰ.いのちのことばをことごとく語りなさい

 まず第一に、これは神の命令であるということです。もう一度17~20節までのところをご覧ください。

「そこで、大祭司とその仲間たち全部、すなわちサドカイ派の者はみな、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえ、留置場に入れた。ところが、夜、主の使いが牢の戸を開き、彼らを連れ出し、『行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい』と言った。」

 大祭司とその仲間たちが使徒たちを捕らえ、留置場に入れたのはこれが二度目です。一度目は4章2、3節にあるように、ペテロとヨハネがイエスのことを例にあげ死者の復活を宣べ伝えているのに困り果てた彼らが、使徒たちを捕らえて投獄しましたが、今度は、大勢の人々が使徒たちのところに集まって来て、彼らを捕らえて留置場に入れました。なぜかというと、ねたみに燃えていたからです。使徒たちが多くのしるしと不思議なわざを行ったことで、信じる人たちがどんどんと出て来たために、ねたんだのです。ねたみというのは、正当な理由から起こってくるものではなく、ある人があまりにもうまくいっているとき、それに対して沸いてくる感情です。ですから、これは利己的な思いの一つの表れであると言えるでしょう。ほかの人の成功を喜ぶことができないわけですから。そこには自分さえよければいいといった利己的な思いがあるからこそ、こうしたねたみが沸いてくるのです。で、こうした思いというのは罪人の私たちは多かれ少なかれ抱くものです。人と自分を比較する中で、自分が尊ばれればうれしいものを、そうでないと極端に落ち込んでしまうというのもまたこの心の表れでもあります。ところが、こうしたねたみがあまりにもひどくなりますと、ねたむ相手を陥れたり、傷つけたりといったことに発展しかねません。人間の罪の恐ろしさというものを、まざまざと見せつけられるようです。この場合も同様で、使徒たちの働きには何の問題もありませんでした。問題どころか、彼らは人々の悩みや苦しみを解決し、救おうとしていたわけですから、すばらしいことをしていたのです。問題は、そうしたことで自分の立場が脅かされるのではないかと心配した大祭司をはじめ、サドカイ派の人々の自己保身的な態度でした。

 ところが、神様は主の使いを遣わし、彼らを救出されました。この「主の使い」というのは、天使でも人間でも、神に用いられる使者を表すことばであることから、ある人たちはこれを牢獄の役人の関係者の中に、使徒たちに対して同情する人たちがいて、彼らを助け出したのだと言う人もいますが、そういうことではありません。なぜなら、23節のところには「獄舎は完全にしまっており、番人たちが戸口に立っていましたが、あけてみると、中にはだれもいませんでした。」とあるように、これはどうみても奇跡を行う天使の超自然的なわざであったと言えるからです。神様は天使を遣わして、牢獄にいた使徒たちを助け出されたのです。
それにしても、使徒たちの中でペテロとヨハネは以前も捕らえられたことがありましたが、その時にはこのような奇跡は行われませんでした。これから後、使徒たちが捕らえられることがあっても、いつも天使が助けてくれるとも限りません。そういう意味で、この時は特別であったと言えるでしょう。いったい神様はなぜ天使を遣わして彼らを助け出されたのでしょうか。その理由は20節にある天使のことばにあります。

「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちのことばを、ことごとく語りなさい。」 
 それは、行って、人々にこのいのちのことばを語るためでした。「いのちのことば」とは、Iテサロニケ2章13節に「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」とあるように、生きていて、私たちのうちに働き続けることばです。また信じる人にいのちを与えることばです。聖書は神のことばであり、信じるひとりひとりにいのちを与えることばなのです。このことばを部分的にではなく、ことごとく語らなければなりません。この段階ではそれがまだ一部分しか語られていませんでした。そういう状態で使徒たちが逮捕されればどういうことになるでしょうか。そうした働きがが途中で挫折することになってしまいます。神様はそのことに我慢できませんでした。ですから、天使を送って、奇跡的に彼らを救い出せたのです。

 ですから、21節を見てください。主の使いによって牢から救い出された使徒たちは何をしたかというと、夜明け頃宮に入って行って教え始めたのです。なぜ宮に行ったのでしょうか。そこにはほかの信者たちがいたからです。そこでこのみことばが語られなければなりませんでした。そのことばがことごとく語られることによって、養われていく必要があったからです。また、当時は宮は大ぜいの敬虔な市民たちがやってくる、かっこうの伝道の場所でしたから、そこでいのちのことばを語ることが、救いを得させる絶好の機会でもあったのです。

 しかし、彼らが宮に行ったのは夜明けのことでした。そんな早い時間に行ったって、いったいだれがいるというのでしょう。しかし、21節を見ると「教え始めた」とありますから、そこにはすでに何人かの人が集まっていいたことがわかります。当時の教会の気迫みたいなものを感じます。そういう人たちに向かって、彼らはこのいのちのことばを語ったのです。

 人々の中には、この時せっかく救い出されても、また捕らえられてしまうのだから、こんなことをしても意味がない、無駄だと思われる方もいるかもしれませんが、そうではありません。いつ捕まるかわからないといった緊迫した状況にあっても、このようにいのちのことばをことごとく語ることによって伝道と教育が成されていくことはとても大切なことなのです。パウロは、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい」(Ⅱテモテ4:2)と言っていますが、このようにどんな時でも、その与えられた時間と機会を用いて伝道していくなら、そのところに神様は働いてくださり、大いなるみわざを成してくださるのです。

 Ⅱ列王記5章には、アラムの王の将軍ナアマンが、悩んでいたツァラートという皮膚病がいやされたことが記されてありますが、彼がそのように救いに導かれたのはどうしてかというと、かつてアラムがイスラエルに勝利したとき、そこで捕らえて連れて来たひとりの若い娘がふと口にしたことばがきっかけでした。彼女は主人ナアマンの病を見て、「もしご主人様がサマリヤにいる預言者のところへ行かれたら、きっと、あの方がご主人様のツァラートを直してくださるでしょうに」とその女主人に告げたのです。そのサマリヤにいる預言者こそ神の人エリシャでした。彼は早速、イスラエルの王に手紙を書き、多くの金銀と晴れ着を持って出かけて行きました。そして、エリシャのことばに従ってヨルダン川で七度身を洗うことによってきよめられました。そのきっかけはあの若い娘のふとした一言だったのです。

 私たちのふとした一言が、もしかすると人々にいのちがもたらされていくきっかけとなるかもしれません。いや、必ずなるのです。自分にはとてもいのちのことばを語るなどといった大それたことなどできない言う方でも、「あの方のところに行けばきっと・・・」と言うことはできるでしょう。「教会に来られたら、きっと・・・」ということはできるのです。それはふとしたきっかけから生まれてくるものです。もしかしたら、また捕まるかもしれないといった中にあっても、そうした時間を、そうした機会を用いて語ることは、とても大切なことなのです。神様はこのいのちのことばをことごとく語ることを私たちに求めておられる。この天使による救出劇は、そのことを私たちに教えるためだったのです。

 Ⅱ.人に従うより、神に従うべきです

 第二のことは、そのように語ることは神のみこころであるということです。27~29節までをご覧ください。

「彼らが使徒たちを連れて来て議会の中に立たせると、大祭司は使徒たちを問いただしい、言った。『あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい、そのうえ、あの人の責任をわれわれに負わせようとしているではないか。』ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」

 使徒たちが宮に入って教え始めると、大祭司とその仲間たちは、議会を招集しました。そして、使徒たちを引き出して、そこで裁判にかけようとしたのです。ところが、役人たちが行ってみると、牢の中には使徒たちはおらず、しかも獄舎にはしっかりとかぎがかけてあり、戸口には番人たちがちゃんと立っていたのです。この報告を聞いた宮の守衛長や祭司長たちは、いったいこれはどういうことかと当惑しました。
 そこへある人々がやって来て、使徒たちが今、宮で人々に教えていることを告げました。それを聞いた宮の守衛長は役人たちと行って、使徒たちを連れてきました。しかし、彼らは自分たちを困らせた使徒たちに何一つ手荒なことはできませんでした。そんなことをしたら、今度は自分たちが石で打ち殺されるのではないかと思ったからです。

 議会に連れて来た使徒たちに対して大祭司は、二つのことについて彼らを問い正しました。一つは、あの名によって教えてはならないと命じておいのに、何ということだ。エルサレム中にあなたがたの教えが広まってしまったではないかということです。つまり、第一回目の迫害のときに命じておいた布教禁止命令に違反したという罪です。そしてもう一つのことは、そのうえ、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているということです。「あの人」とはイエスのことです。イエスを処刑するように総督ピラトに請うたとき、当局者はエルサレム市民をそそのかして、こう言いました。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」マタイ27:25)
 使徒たちはいま、あの罪を当局者なすりつけようとしているというのです。一方は、権威者への禁令への違反罪、もう一方は、権威者への責任転嫁の罪という形で、共に、権威者に反抗しているというのが、彼らの訴えの中心でした。

 それに対して、ペテロを中心とする使徒たちは、あざやかにこれらの非難を覆します。まず権威者に対する違反という罪の責めに対しては、「人に従うより、神に従うべきです」と言って、その正当性を主張しました。このペテロの答えは、権威とは何かということについての正しい解答であったと言えるでしょう。というのは、人が権威を持っているのは、その人がどれだけ高い地位にあるかとか、その人の振る舞いがどんなに地位が高い人のようであるかというような外的な理由によるものではなく、その人に権威を与えておられるところの神によるからです。家庭における両親であろうと、国家における首長であろうと、そうした人たちに権威があるのは神が立ててくださったからであり、神が権威を与えてくださったからなのです。ですから、究極的な権威はどこかにあるのかといったら神にであって、もしその人が神のみこころにかなわないことを命じるようなときには、その人に従うことを拒絶し、神に従うことを最優先にしなければならないのです。ペテロがここで言ってることは、そういうことです。今、ユダヤ教当局者は、明らかに神のみこころに反することを命じています。あの名によって教えてはならないときびしく命じておいたのに、何ということだ・・・というのが、神のみこころにかなったことなのでしょうか?いいえ、神のみこころはあの名によって語ることです。この教えを広めることなのです。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)
「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:19,20)
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(Ⅱテモテ4:2)
「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」(Iペテロ2:4)

 このように、神のことばである聖書は、私たちがこの名を宣べ伝えることを望んでおられるのであって、それは神のみこころなのです。それを禁止するようなことがあったとしたら、それこそ神のみこころではなく、そこにはすでに神の権威はないと言えるのです。であれば、このことばが適用されるてしょう。「人に従うよりも、神に従うべきです」私たちがいのちのことばを語るのはそれが正しいことだからであり、神のみこころだからなのです。人が何と言っても、これはどうしてもしなければならないことなのです。私たちが語るときにはいつも、この確信に立っていなければなりません。 

 中国には今、1億人とも1億5千万人とも言われるクリスチャンがいるますが、その多くは「家の教会」と呼ばれるグループに属する人たちです。1949年、中国に共産主義革命が起こると、政府の指導で三自愛運動が始まりました。三自愛運動とは、自給、自治、自伝をスローガンにしたものですが、その実態は共産党によるキリスト教のコントロールでした。その時に約6,000人いた宣教師たちは海外に追放され、教会も共産党の指導に従うグループと、あくまでもキリストだけを教会のかしらとするグループ、すなわち、三自愛運動に加わらないグループとに分かれました。そして、三自愛運動に加わらないグループの教会や指導者には激しい弾圧が加えられるようになりました。
 最近、そのグループに加わらないで、キリストだけをかしらとして仕えている方からお便りをいただきました。あと10日で訓練が終わろうとしていたとき、公安が突然入って来たのです。訓練生たちはちょうど夜の自習が始まる時間だったので、そのほとんどは教室にいて鍵をかけて静かにしていたので、まだ教室に行っていなかった3名の兄弟以外は発見されることがありませんでした。しかし、その3名とひとりの指導者は、公安局へと連れて行かれました。
 公安に連れて行かれると、「どうしてここに来たのか」とか、「派遣団体はどこか」といった質問を受けましたが、そんなことを言ったら他の人たちが捕らえられることになりますから、言えないわけです。結局、最後に局長が一言、「あなたたちのしていることは非法なので、宗教局に行って手続きをしてからするように」と言われただけでした。しかし、そんなことをしたら国の監視下におかれてしまいますからどうしてもできないわけです。人に従うよりも、神に従うことの方が大切だからです。
 帰りのパトカーの中で、その局長が賛美歌を1冊欲しいというので、喜んで承諾し、「イエス様があなたを愛しておられ、あなたを暗闇の権力から離れさせ、光の御音に入れてくださる」という賛美歌を歌ってあげると、「いい歌だねえ」と言うので、「悪いことをする人たちに、賛美歌を聴かせてあげれば、心が変えられると思います。彼らは心が渇いているから悪いことに走ってしまうんですよ。でももし心が満たされていれば、少しずつ変わるはずです。」と言うと、パトカーを運転していた別の警官がこう言ったそうです。
「悪い人たちどころか、私たちも含めてほとんどの人々がこういう良い歌を知らないんだ。」 
 訓練所に着いてから、局長に賛美歌と聖書を手渡し、映画「炎のランナー」の主人公であったエリック・リデルの生涯が紹介されてあるビデオをプレゼントすると、とても喜んで受け入れてくれたそうです。人に従うよりも、神に従うべきです。人の目には愚かなことのように見えても、神は完全な方であり、最善を成してくださるからです。

 かつてダビデが神の箱を自分の家に運び入れようとしたとき、神の箱をにない棒で肩に担いだという箇所があります。(I列王記15:15)いったいなぜそんな面倒くさいことをしたのでしょうか。モーセが主の命令に従ってそのように命じていたからです。ダビデは本当に細かいことですが、自分の考えや人の考えによってではなく、神の考え、神の教えに従って生きたのです。
 私たちの人生も同じです。私たちの人生の中で私たちを倒すのは、そのような小さなものなのです。私たちはにない棒を得るために準備したり、にない棒を肩に担ごうとする労苦をしたがりません。そんなことをするより、車を利用した方が簡単だからです。しかしそれは神の考えではなく、自分の考えです。ダビデは神が重要であると思われることを重要視しました。人に従うよりも、自分に従うよりも、神に従うことを選んだのです。神が何と言われるのか、神に従うことを重要視してください。そうすれば、神が確かに導いてくださるのです。こうして神のことばをことごとく語るということは、神に従うことであり、神が望んでおられることなのです。

 Ⅲ.聖霊があかししてくださる

 最後に、聖霊があかししてくださるということを見たいと思います。30~32節をご覧ください。

「私たちの父祖たちの神は、あなたがたを十字架にかけて殺したイエスをねよみがえらせたのです。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」

 あの名によって教えてはならないときびしく命じておいのに、何ということだという大祭司の責めに対してペテロは、人に従うよりも、神に従うべきだと答えてその正当性を主張しましたが、もう一つの、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしているという権威者への責任転嫁という責めに対して、ペテロはここで弁論しています。すなわち、「私たちの父祖の神は、あなたがたが十字架につけて殺したイエスをよみがえせました。そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主としてご自分の右にあげられたました」というのです。「十字架につける」とは「木にかける」ということです。旧約聖書で「木にかける」というのはのろわれた罪人の死刑として定められていたものですから、ユダヤ教の当局者はイエスをのろわれた者として木にかけて殺したということになります。しかし、神の下した判定は彼らの判決とは全く違うものでした。神はこのイエスを死からよみがえらせ、ご自分の右の座に上げられるという二重のほまれをもって祝福されたからです。ここにも、禁止令を守れというユダヤ当局者の権威よりも、神の権威に従わなければならないという明瞭な根拠があるのです。
 
 しかし、このように神がイエスを死者の中からよみかせえらせご自分の右の座に着かせられたということは、ただイスラエルの彼らの間違いを暴露するためではありませんでした。それはここに記されてあるように、このイエスを君とし、救い主とするためであり、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるためだったのです。ユダヤ教の指導者たちに責任を転嫁するどころか、初めから彼らに責任があったことを認め、悔い改め、罪の赦しを得ることを、神が願っておられたからなのです。

 それは彼らだけに限ったことではなく、私たちも同じでした。私たちもかつては神をのろいイエスがだれなのかもわからなかったために軽んじていました。神の権威よりも自分の考えやこの世の権威者に従って生きていたのです。そういう無神論的な考え方や反キリスト教的な生き方がおかしいということに気づき、それを改めようとしても、なかなかできるわけではありません。「悔い改め」も「罪の赦しも」、実は、神が与えてくださる賜物としてだけ私たちの身に起こるのです。「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」(Iコリント12:3)とある通りです。ですから、伝道というのは、ただイエスの復活と昇天の歴史的事実を論証して、相手の知性を論破することではないのです。では、キリスト教の伝道というのはどういうことなのか。それが最後の32節に記してあるのです。ご一緒に読んでみたいと思います。

「私たちはそのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊もそのことの証人です。」

 ここには、私たち自身が、神の右に上げられた救い主イエス・キリストによって、悔い改めに基づく罪の赦しと永遠のいのちを与えられた実物見本つまり証人であり、この方を信じるすべての人に与えられる聖霊もそのことの証人なのです。いや、究極的にはこの聖霊様こそそのことの証人であられるのです。ですから、伝道というのは、人にではなく神に従うように新しく生まれ変わった、すべてのクリスチャンの生活全体を用いて自己表現しておられる聖霊のわざ、証言であるということなのです。聖霊様が私たちを集めてくださり、救いのみわざをなさり、聖徒の交わりを聖め、四六時中いつでも私たちの生活とことばを、いのちのことばを伝える器として用いておられるということです。

 であれば、私たちは目先のことに一喜一憂しないで、聖霊様がなさるみわざに期待しようではありませんか。ここに記されてあるような使徒たちの驚くべき力強い働きが今日も同じように起こるかどうかわかりませんが、どういう形であれ聖霊様は今日も生きて働いておられることを信じ、その証人としての務めを忠実に果たす者でありたいと思います。私たちに与えてられている使命は、このいのちのことばをことごとく語るということです。これが神のみこころです。このみこころに従って生きていくとき、聖霊様ご自身が証ししてくださるのです。

使徒の働き5章12~16節 「初代教会の発展の秘訣」

 きょうは、初代教会の発展の秘訣をご一緒に学びたいと思います。「使徒の働き」には、そのところどころに教会がどうなっていったのか、その様子が要約して書かれてあるところがありますが、きょうのところもその一つです。13節と14節のところには、

「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。」

とあります。このころ、主を信じる人たちがますます増えていきました。それは、ついには、人々は病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロが通りかかるときには、せめてもその影でも、だれかにかかるようにするほどでした。また、エルサレムの付近の町々から、大ぜいの人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人などを連れて来て、その全部がいやされたほどです。28節のところでは、そのことで腹を立てた大祭司が使徒たちに、「エルサレム中にあなたがたの教えを広めてしまい・・・」と言っていますが、この「広める」ということばは「満たす」という意味です。口語訳では「はんらんさせている」と訳していますが、それほどにものすごい勢いで教会は前進していったのです。いったいどうしてでしょうか。
 その一つは、先週学びました。アナニヤとサッピラの事件を通して、教会が神を恐れ、神を神として歩む、すなわち、教会の中に聖さというものがあって教会は真の意味で成長していくということでした。神は愛です。しかし、その愛とはこうした神の聖さから出たものであって、何でも受け入れるということではないのです。そうした聖書の上に立った愛と恵みによって、教会は成長していくのであって、それがなかったら成長していくことはできないのです。きょうのところは「また」という書き出しになっいます。「また」というのは、先週まで語られてきたことを受けて、それから「また」という意味です。そうした聖さのほかに、教会が教会として成長していった理由があったということです。いったいそれはどんなことだったのでしようか。

 きょうはそのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一に、初代教会の著しい発展の様子をもう少し詳しく見ていきましょう。第二に、そのように発展していったもう一つの理由は、そこに多くのしるしと不思議なわざがあったということです。第三のことは、その発展のもう一つの理由です。それは、みなが一つ心になっていたということです。

 Ⅰ.著しい教会の発展

まず第一に、初代教会の著しい発展の様子を見ていきましょう。13~16節までをご覧ください。ここで初代教会が発展していった様子をよく表しているとことばは、13節の「尊敬していた」ということばと、14節の「ますますふえていった」ということばではないかと思います。まず、13節です。

「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。」

 「ほかの人々」とは、教会以外の人々のことです。彼らは、ひとりもこの交わりに加わろうとしませんでしたが、それらの人々は彼らを尊敬していました。いや、その数はますます増えていきました。ひとりも加わろうとしなかったのに回りの人たちから尊敬されていたとか、ますます増えていったというのはおかしいということで、この文章を読み換えようとする学者もいますが、特に、そうする必要はありません。この「交わりに加わろうとしなかった」ということばは、マタイの福音書19章5節に出てくる「その妻と結ばれ」と訳されていることばで、「にかわ付けにされる」とか、「のり付けされる」という意味の、強い結びつきを表すことばです。町の人々は、教会に対してそれほどの強い結びつきを持とうとはしませんでしたが、尊敬していた様子がよく表されているからです。おそらく、あのアナニヤとサッピラの事件の後で、彼らの間には非常な恐れが生じ、ちょっとやそっとの生半可な気持ちではこの群れに加わることはできないと考えていたのでしょう。それでも心の中では彼らを尊敬していたのです。この「尊敬していた」ということばは「大きくする」とか「偉大だと思う」、「ほめたたえる」という意味です。人々は、キリスト教の集会を遠目で見ながら、その心中はというと、これが偉大な集団だと認めていたのです。これはすごいことでしょう。だれもその仲間に加わりたいとは思わないけれども、この世の人たちは、やっぱりクリスチャンってすごいなぁと思っているのです。私はよく人とお話をする時に、相手の方から「やっぱり牧師さんは、我々、俗の人間とは違って清い方だから」なんて言われることがあります。どこが清いのかわかりません。本当に汚れた者にすぎないのにそのように思っているというのは、彼らがキリスト教に対してそのようなイメージを抱いているからなのです。

 A.トフラーという人が、「傍観者の時代」という本を書きましたが、いつの時代でも傍観者はいるものです。1982年に発表されたNHKの宗教調査によると、「もし、将来あなたが宗教を選ぶとしたら、どれにするか」という質問に対して、実に全体の36%の人が「キリスト教」と答えました。実際には全人口の1%にも満たないと言われるこの日本で、キリスト教やクリスチャンに関心を持っている人は意外に多いのです。ただしそれは、あくまでも傍観者の域を出ないのでありますが・・・。けれども、それだけの人が感心を持っている、尊敬しているというのは励みになります。この時代の人々も、クリスチャンに関心があり、その交わりに強い結びつきは持とうとは思いませんでしたが、尊敬の目を持って眺めていたのです。

 リビングライフの今月号に衆議院議員の土肥隆一(どいりゅういち)さんが「日本宣教150周年にあたって」という文章を書いておられますが、その中で彼が政治家として、世俗の仕事をしながら不思議だと思うことは、牧師としてまたクリスチャンであるということを知られながらも、19年もの間受け入れてもらい、受け入れられてきたことです。これは社会学的現象として検討するに値すると言っています。それは、キリスト教あるいはクリスチャンが社会から信頼されているということなのです。じゃ、だからといってキリスト教の深い部分に触れようとするとかつというとそうではありません。信頼しつつも遠くから眺めているのというのが日本人だというのです。しかし、それは日本人に限らず、初代教会も同じでした。クリスチャンってすごいなぁ、いい人だなぁ、大したもんだいと思っていても、じゃ、自分はその中に入るかというとそうでもない。それが社会の取る態度です。しかし、そのような中でも、主を信じる人たちはますますふえていくのです。

 14節には「ますますふえていった」とあります。ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったのに、それでも信じる人たちはますます増えていった。矛盾しているようですが、特に問題はありません。アナニヤとサッピラの事件の後で神のさばきの恐ろしさに、人々は驚き恐れ、ちょっとやそっとの決心では、教会の交わりに加わる勇気は出ませんでしたが、しかし、病人のいやしを含む救いの奇跡がどんどん行われていく中で、彼らの中にも、神への恐れをもって、主を信じる人たちが現れてきたいたからです。この14節の「そればかりか」という接続詞は「そして」という意味の接続詞です。そうした非常な恐れの中にあっても、彼らは尊敬されていただけでなく、そして、です。そうした中でもこの交わりに加わろうとする人たちが多くいたのです。それは、15節と16節にあるように、ついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせ、ペテロがそこを通りかかるときには、せめて彼の影だけでも、だれかにかかるようにしたほどでした。人々はキリスト教会を大いなるものと認めていただけでなく、実際にその中に加わることによって、大きくふえていったのです。

 いったいなぜ最初の教会はそんなに力強く発展していったのでしょうか。次に、その要因を見ていきたいと思います。

 Ⅱ.多くのしるしと不思議なわざ  

 12節の前半の部分をご覧ください。ここには、

「また、使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議なわざが人々の間で行われた。」

とあります。初代教会の著しい発展の陰には、使徒たちによるしるしと不思議なわざがあったのです。いったいこれはどういうことでしょうか。というのは、狭い意味での「使徒」というのはこの聖書に出てくる12使徒だけであって、「使徒」と呼ばれる人がいない現代の教会においては、これをただまねるというのでは意味がないからです。もちろん、現代においてもこのようなしるしや不思議なわざはあるでしょう。イエス様は、「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりも大きなわざを行います。」(ヨハネ14:12)と言われました。イエス様を信じる者は、イエス様が行ったわざ、いや、翁わざを行うことができるのです。しかし、ここでもっと重要だと思われることは、そうしたわざを行えばいいということではなく、このようなしるしと不思議なわざが示していることは何ということです。

 第一に、それは彼らの祈りの応答であったということがわかります。4章30節を見ると、彼らは「御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしると不思議を行わせてください」と祈りましたが、そのとおりのことがここで起こったのです。彼らがここでこのようなしるしと不思議を行うことができたのは、そうした彼らの祈りの応答であったということです。ということは、教会は、たとえ使徒たちがいたとしても、祈りなしには何事もできなかったということです。とすれば、どうでしょう。今日の私たちはどんなに祈らなければならないかがわかると思います。世の尊敬を集められるほどの大いなるわざを成していくためには、祈らなければならないのです。

 第二のことは、このようなしるしと不思議なわざが、人々の尊敬と信頼を受け、信仰に入る人の数の増加につながっていったということは、それが単なる慈善事業ではなく、肉体的な面や物質的な面、あるいは霊的、精神的な面に至るまで、すべての領域においてその時代の人々が抱えていた悩みや、現実の問題を解決する働きであったということです。平たく言うならば、人々のニーズに応えていく中で、伝道が進められていったということです。それはどういうことかというと、彼らの伝道は、人々の現実の問題や悩みから離れた形で行われていたのではなく、また、現実の生活における悩みや問題を解決するだけで終わっていたのでもなく、その両面をしっかりと見据えたうえでの働きだったということです。そうした問題の解決を通して、真の解決であるところの霊の救いへと導いていくものであったわけです。これこそほんとうに人を救うわざです。このようなわざが行われていたからこそ教会は世間から多くの尊敬を受け、救霊の実を得ることができたのです。

 1982年にマザーテレサが来日したとき、彼女のお話に感動した学生が、ぜひ、カルカッタに行ってボランティアをしたいと申し出たとき、マザーテレサは、このように言われたそうです。
「わざわざカルカッタに来なくても、あなたがたの周辺のカルカッタで働く人になってください」
 私たちの周囲にあるカルカッタ、そこには物質的に飢え、病み疲れた人はいなくても、愛に飢え、仕事に疲れ、人間としての尊厳を失っている人がくさんおられます。そうした人たちの悩みや苦しみに寄り添いながら、そうした問題を解決していく中で、救霊の働きが進められていくとき教会は、世間から多くの尊敬と信頼を受けてその働きを力強く進めていくことができるのです。

 少し前にある方から、この地域の問題と、特別の祈りの課題を書いて送ってほしいと言われたとき、果たしてこの地域にはどんな問題があるのかと調べてみましたが、そんなに目立った問題は見あたりませんでした。しかし、そんな中でも自殺者と中絶の件数が多いことには驚きました。人口に対する自殺者の割合は、全国平均の2.4%であるのに対して、この地域は3.6%と高かったのです。自殺の原因には健康の問題や家庭の問題、経済の問題、人間関係の問題などが複合的に絡み合って引き起こされると言われていますが、実際には統計上に出てくる数値の10倍はいると言われます。そういう意味では私たちの周囲のカルカッタは重いのです。病んでいるのです。教会がそうした人たちの悩みや問題に向き合い、一緒になってその問題に取り組みながら、真の解決を与えてくださるイエス様に救いを求めていかなければならないのです。

 あのアッシジの聖フランシスコは、いつも次のように祈ったと言われています。「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
 憎しみのあるところに愛をもたらす人に、
 争いのあるところに許しを、
 疑いのあるところに信仰を、
 絶望のあるところに希望を、
 闇のあるところに光を、
 悲しみのあるところに喜びをもたらす人にしてください。
 主よ、慰められるよりも慰めることを、
 理解されることよりも理解することを、
 愛されるよりも愛することを求めることができますように。
 私たちは、人にあたえることによって多くを受け、
 許すときに許されるのですから。」

 私たちがこのような祈りをもってこの世に遣わされていき、その中で人々の悩みや苦しみ、痛みや悲しみに触れ、それが解決していくようにと共に祈っていくこと。それがカルカッタで生きるということなのではないでしょうか。そうした中で人々の光となっていく。この世からの尊敬を受け、たとえ神のさばきの恐ろしさという厳粛な中にあっても、その仲間に加えていただきたいと思うほどの魅力が溢れるようになるのです。多くのしるしと不思議なわざの示すものとは、こうした喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣くといった初代教会の愛のわざだったのです。

 Ⅲ.一つ心になって

教会が著しい発展を遂げていったもう一つの要因は、彼らが一つ心になって集まっていたことです。12節の後半のところをご覧ください。ここには、「みなは一つ心になってソロモンの廊にいた。」とあります。「ソロモンの廊」とは、初代教会が集会を持っていたところです。何万人とふえていた当時の教会員は、個人の家には入りきれず、エルサレム神殿の「ソロモンの廊」を集会所にしていたのです。今でいえば、創価学会が東京代々木のオリンピック競技場で全国集会を開いたり、エホバの証人が郡山のビックパレットで何千人の大きな集会を開くようなものです。そうした集会は、世間を驚かし、そのエネルギーに羨望の念を駆り立てられるように、この神殿の境内に集まっていた何万人という大集会は、参拝者たちの目を奪い、心を引きつけたに違いありません。

 いくらキリスト教会が神の国だと口先で言っても、またキリスト教徒が世に遣わされた神の民だと叫んだところで、それが一つに集まって具体的な姿を見せることがなければ、世の人々は、この地上に神の国が来ていることも、普段付き合っているあの人がクリスチャンだということにも、気づかずに終わってしまいます。クリスチャンが一つ心で集まること、これこそ、散らされたクリスチャンがまことに神の民であることの身分証明なのです。ヘブル人への手紙10章25節には、

「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」

とあるように、かの日が近づいていることを感ずれば感ずるほど、ますます集会を重んじなければなりません。逆に、こうした集会を持ち続けることこそ、かの日が近づいていることをこの世に最もよく証しする方法でもあるのです。

 今日、家庭でも、社会でも、学校でも、どこにおいも、みんなばらばらです。みんなてんでばらばらなことを言います。それぞれがそれぞれの意見を持っていること自体は問題はありませんが、何の従うべき基準がないために、それぞれの価値観と尺度で物を言うために、まとまりがないのです。しかし、クリスチャンは違います。クリスチャンには従うべき一定の基準があるのです。それが聖書です。神のみことばは、神のみこころが記されてありますから、それにみんなが従うのです。ですから、心を一つにすることができる。だれかが号令をかけて、統一を図っていくのとは違い、だれから言われることなく、内側から一致が生まれてくるのです。こうした一致には自由があるのです。そのようないのちと自由のあふれた交わりが、どれほどこの世の人たちにとってどれほど魅力的なものであった計り知れません。初代教会にはこうした一致があったのです。

 要するに、初代教会が世間からの尊敬を集め、次から次へと主を信じる人たちが増えていった背景には、こうした多くのしるしと不思議なわざに表された祈りと愛の行いが、また、一つ心になって集まり、祈っていたというクリスチャンの生活があったからだったのです。教会が発展していくために、あれやこれやといった人気とりのフェスティバル・ショーやPRではなく、ほんとうに人を救うわざがそこにあったということです。私たちが求めていかなければならないのは、このような教会なのです。

それは教会だけのことではなく、私たちが人として人を引きつけ、周りから尊敬された魅力的な者であるためにも言えることです。何かあったら主の前にひざまずいて祈り、隣人が悩んでいること、苦しんでいることに寄り添い、何とかそれに答えていけるように心を砕きながら求めていくとき、それはその人の心に必ず響くものです。また、自己中心や虚栄といった態度によって人を遠ざけ、人を顧みない心ではなく、へりくだって互いに人を自分よりもすぐれた者と思う、つまり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしていくように努める人は魅力があるのです。そういう人は家庭でも、職場でも、学校でも用いられる人になるでしょう。魅力的な人、魅力的な教会とは、そうした祈りと愛の心、志を一つにしようという一致の心から生まれてくるのです。

 それが初代教会が発展していった要因でした。私たちはそうした人、そうした教会を目指していきたいものです。そのような人に、そのような教会に神様の恵みがあって、初代教会のような著しい発展を見ることができるのです。

使徒の働き5章1~11節 「神を欺いてはならない」

 きょうは「神を欺いてはならない」というタイトルでお話したいと思います。今お読みした聖書の箇所は、「ところが」という書き出しで始まっています。それは、これまで語られてきた内容を受けての「ところが」です。これまでのところにどんなことが書かれてあったかというと、初代教会の麗しい交わりについてでありました。彼らは、心と思いを一つにしていたので、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてのものを共有にしていたのです。中でもバルナバと呼ばれていたヨセフは、自分の持っていた畑を売って、その代金を使徒たちのところに持って来ました。それほどに神の愛に動かされていたからです。神が愛してやまない教会という枠組みの中で、その必要のために自分にできることは何なのかと考えてのことでした。「ところが」です。そうした美しい愛の共同体の中に、それを破壊するような出来事が起こりました。それがアナニヤとサッピラという夫婦の事件でした。彼らはバルナバの行為に刺激されたのか、自分たちの持ち物を売り払い、その代金の一部を使徒たちの足もとに置いたのですが、その一部を自分のために残していたのです。このことでペテロは彼にこう言いました。

「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのでか。」

 確かに地所の代金を偽り、あたかもそれがすべてであったかのように装ったということは罪ですが、どうしてそれが聖霊を欺いたと言われるほどの罪だったのでしょうか。4節でペテロが言っているように、それはもともと彼らのものであり、売ってからも彼らの自由であったはずです。なのに聖霊を欺いたと言われなければならなかったのはいったいどうしてだったのでしょうか。

 このことを正しく理解することは大切なことです。というのは、福音の理解に関わる問題だからです。神様はどこまでも愛と恵みの神です。その神が、どうしてここに記されてあるようなことをされたのでしょうか。私たちはみんな罪人です。罪を犯さないで生きていけるような人などだれもいません。だからこそ救い主イエス・キリストを信じたのです。そうした罪のゆえに、本来ならさばかれても仕方ないのに、あわれみ豊かな神は、その大きなあわれみのゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださると約束してくださったからです。イエス・キリストを救いと信じる信仰のゆえに、それを信じるすべての人の罪を赦してくださったはずなのです。なのに、ここではアナニヤとサッピラが厳粛な神のさばきを受けているのです。いったいこれはどういうことなのでしょうか。

 私たちは今朝、この聖書のみことばを通して、この問題の本質を理解しながら、では、私たちはどうあるべきなのかを学んでいきたいと思います。第一のことは、この問題の本質です。アナニヤとサッピラの問題は何だったのでしょうか。第二のことは、彼らの罪に対する神のさばきです。第三のことは、だから神を恐れてということです。私たちの信仰生活のすべてはこの一つで決まります。それは神を恐れて生きるかどうかです。私たちが神を恐れ、神とともに歩むなら、神が私たちを祝福してくださいます。

 Ⅰ.アナニヤとサッピラの問題

まず最初に、アナニヤとサッピラの問題について見ていきましょう。いったい彼らの問題は何だったのでしょうか。1~4節までをご覧ください。

「ところが、アナニヤという人は、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。そこで、ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。』」

 ここには、アナニヤとサッピラという夫婦が登場します。彼らはバルナバの行為に刺激されたのか、自分たちの持ち物を売ってそれを使徒たちのところに持ってきました。この持ち物というのは8節で「地所」と置き換えられていますから、おそらく不動産であっただろうと考えられています。彼らは、自分たちの土地を売り、その代金を使徒たちのところへ持ってきたわけです。なかなかできることではありません。初代教会においては、福音宣教のために、多くの必要がありました。それは、ただ単に、教会に貧しい人々がいたというだけでなく、長い歴史を持たない教会が、力強く宣教をしていこうとすれば、そこに多くの必要が生じてくるのは当然のことです。使徒たちのような献身者の生活を支えるためにも、あるいは、集会をするための場所を確保するためにも、多くの必要があったのです。それは初代教会だけではありません。いつの時代でも同じです。私たちも集会の場所のことでは祈り、話し合ってきました。教会が前進していく過程においては、そのような問題は必ず起こってくるのです。ですから、バルナバをはじめ多くの信者たちが、自分の土地や財産を売って献金をしてまで支えようとしたのです。まあ、そのようにできることも感謝なことですが・・。あとでしたいと思ってもできなくなる時がやって来るわけですから、できるときに精一杯するというのはすばらしいことです。

 ところがです。彼らはその代金をささげる際に、その一部を自分たちのために残しておきました。そこでペテロが、「これがあなたの売った代金のすべてですか。」と尋ねると、アナニヤは「そうです」といかにもそれがすべてであるかのように偽ったので、ペテロは彼に次のように言いました。

「アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のたちめに残しておいたのか。それはもともとあなたのためであり、売ってからもあなたの自由になったのではないか。なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」

そう言うと、アナニヤは息が絶えて、死んでしまったのです。どうしてこのことが聖霊を欺いたと言われるほどの大きな問題だったのでしょうか。もともとそれはアナニヤとサッピラ夫婦のものだったのではないですか。彼らが自分たちの土地を売って、その一部をささげたということはすばらしい信仰の行為のようにも見えます。確かに、彼らが偽ったことは問題ですが、だからと言って、聖霊を欺いたと言われるほどの罪だったのでしょうか。いったい彼らの問題とは何だったのでしょうか。

 第一に、それは神のものを盗んだという点で、聖霊を欺く行為でした。どういうことかというと、確かにそれは彼らのものだったのですが、それを神にささげると決めた時点で、既に神のものであったのに、それを自分のものであるかのように取ってしまったのです。
 4章34、35節を見ると、「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じておのおのに分けられたからである。」とあります。初代教会では、このように地所や土地を売り、それを使徒たちのところに持ってくるということは、一般的に行われていた献金の姿でした。その一つの例がバルナバであり、もう一つの例がこのアナニヤとサッピラだったのです。彼らは同じように土地を売り、その代金を使徒たちの足もとに置きました。しかし、アナニヤとサッピラは、その代金の一部を自分たちのために残しておき、ある部分だけをささげたのです。それが彼らのものであったのなら問題はなかったでしょう。しかし、それは現金に換えられる前からすでに神様にささげられていた神のものだったのです。それをあたかも自分のものであるかのように思って取ってしまった。それが彼らの問題だったのです。

 それは2節と3節に出てくる「残しておく」ということばからもわかります。このことばは、もともと「着服する」という意味で、新約聖書の中には他に1回しか使われていないことばです。その1回はテトス2章10節に出てきますが、そこではどのように訳されているかというと、「盗む」と訳されているのです。ですから、口語訳ではこれを「ごまかす」と訳したのです。彼らは、神にささげた神のものの一部を自分のために取っておき、いかにもすべてを神にささげたかのようにごまかしたのです。それが彼らの問題だったのです。ですから、ペテロは、彼らは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだと言ったわけです。もし彼らが、それを売って神様にささげようと言わないで、これは神様から与えられたものだから感謝していただこうと言ったのだったら、それほど問題ではなかったでょう。しかし、神にささげたものをまだ自分のものであるかのように思いその一部を取ったことで、神のものを盗むことになってしまったのです。あるいは、神から与えられているものをあたかも自分のものであるかのように思い込んでいたことで、ペテロは、聖霊を欺いたと断罪したのです。

 この出来事を考えるとき、その昔、ヨシュアがエリコを攻撃したとき、すべてを聖絶せよと命じられたのにもかかわらず、イスラエルの一兵卒であったアカンがこっそりと自分のために金服晴れ着などを着服した話を思い出します。その事件はヨシュア記6章に記されてありますが、イスラエルがエリコの町を攻撃し、神がその町を自分たちに与えてくださったなら、その町と町中のすべてのものを、主のために聖絶するようにと命じたにもかかわらず、アカンが、聖絶のものに手を出し、そのいくらかを取ってしまったのです。それで主の怒りがイスラエル人に向かって燃え上がり、やがて彼らがアイと戦ったとき、こてんぱんにやられてしまうのです。いったいどうしてそんなことになったのかとイスラエルが神に祈ったとき、神様はこのアカンの罪を指摘されました。「そんなことをしたらアカン」と。それでアカンとその所有物の全部がアコルという谷で石打ちによって滅ぼされてしまったのです。なぜにそれほどのさばきを受けなければならなかったのでしょうか。聖絶のものに手を出したことです。神のものを盗んだからなのです。それは聖霊を欺く罪だったのです。

 このアナニヤとサッピラの罪も同じです。彼らは、主にささげたものを着服したのです。それが問題でした。それはもともと彼らのものであり、売ってからも彼らのものであったはずです。しかし、それを神様にささげると言って誓った以上、神のものとなっていたのです。それを盗んだことが問題だったのです。
 
 初代教会は決して献金を強要したり、強制したりはしませんでした。それでも教会では、自発的に多額の献金をささげる人々がどんどん現れていたのです。神の愛に生かされていたからです。滅ぼされても当然の者が生かされているのはただ神の恵み以外のなにものでもないと、感謝に溢れていたからです。そうした思いの中で、彼らは心と思いを一つにし、だれひとり自分の持ち物を自分のものだと言わず、すべてのものを共有にしていたのです。そのよい例がバルナバでした。彼は、教会にそれだけの必要があることを感じていたので、思い切ってささげました。アナニヤとサッピラも同じでした。彼らも初めはそうした純粋な動機から、自分たちのものをささげたいと思ったのです。しかし、彼らがそのように思ったとき、サタンが彼らの心を惑わしました。売却金の一部を自分たちのために取って置いても問題ないし、だれにも分かりはしないと誘惑してきたのです。その昔、アダムとエバがエデンの園にいたとき、ヘビを通してサタンが誘惑してきたようにです。「これで食べても死なない。いや、これを食べるそのとき、あなたの目は開かれ、あなたは神のようになるんですよ。」と。そして、本来神にささげるべきものを、自分のものとして着用したのです。

 ですからそれは単に売上金の一部を着服したとか、その代金を偽ったとかといったことではないのです。そうではなく、もともと神にささげたものを自分のものにしようとし、神のものを盗んだという罪だったのです。そうやっていかにも自分が霊的であるかのように見せかけようとした。すなわち、人を欺いたのではなく、神を欺いた。それが彼らの問題だったのです。それは9節の「主の御霊を試みた」ということからもわかるでしょう。

 それからもう一つのことは、彼らのそうした罪は、愛の共同体である教会を欺く罪でもありました。この箇所をみると、4章32~37節までのところと見事に対照になっているのがわかります。4章のところには、初代教会が心と思いを一つにして、だれひとり自分の持ち物を自分のものと言わないで、すべてのものを共有にしていました。せめて貧しい人がいないようにと、それぞれが心を砕いてささげている中で、説教者バルナバまでもが自分の畑を売って献金する必要があると判断してささげていたほどでした。なのにここに登場しているアナニヤとサッピラはそうではありませんでした。彼らは教会の人たちと心と思いを一つにしていたのではなく、夫婦で心を合わせていたのです。ですから見てください。2節には「妻も承知の上で」とありますが、これは「共謀して」という意味です。また、9節にも「心を合わせて」とあります。彼らは神の交わりである教会という枠組みの中で過ごしていたのではなく、自分たちの思いの中で動いていたのです。いわば彼らの罪は、心と思いを一つにしていなかったのです。教会の中に生活に困っている人がいてもそうしたことに心を閉ざし、心と思いを一つにしないで、そのような思いとは全く別の方向を向いていたこと、つまり、クリスチャンの新しいいのちに生きていなかったことが問題だったのです。ほとんど完璧に見えた教会の交わりにおいて、彼らの私利私欲、ごまかし、偽善といったものは、そうした教会の交わりを破壊するものであり、神を欺く行為であったのです。

 Ⅱ.神のさばき

 第二に、そうした彼らの罪に対する神のさばきを見たいと思います。5,6節をご覧ください。

「アナニヤはこのことばを聞くと、倒れて息が絶えた。そして、これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。青年たちは立って、彼を包み、運び出した。」

 ペテロの指摘や叱責を聞いたアナニヤは、即、倒れて、息が耐えてしまいました。それにしても恐ろしいことです。このような神への欺きが、即、死刑ということになるならば、いったいどこに救いがあるというのでしょうか。これがすべてのクリスチャンにも適用されるとしたら、死刑にならないで生きられる人はひとりもいないでしょう。銀貨30枚で主イエスを裏切ったイスカリオテのユダでさえ、神は自らさばかれることをしませんでした。彼が悔い改めることを忍耐をもって待ち望みましたが、結局、彼はみずから首をつって死ぬことを選んだのです。ペテロの場合はどうでしょう。彼はキリストの予告にもかかわらず、3度も主を拒絶しました。「知らない」と。それはここに出てくるアナニヤとサッピラの比どころではありません。しかし、神はペテロを裁かれませんでした。彼にも悔い改めの機会を与え、回復に導かれたのです。このことについて聖書はいったい何と言ってるでしょうか。ガラテヤ6章1節には、

「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和なここでその人を正してあげなさい。」また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。」

とあります。これが福音の世界、恵みの世界です。あるとき、姦淫の現場で捕らえられた女性がイエス様のところに連れて来られたときも、イエス様は彼女を裁くことをせず、「あなたがたの中で、罪のない人からこの人に石を投げなさい」と言われました。すると、だれひとり彼女に石を投げる人はいませんでした。そこでイエス様は彼女に言われました。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」と言われました。これが福音の世界、恵みの世界です。ですから、現代の教会がこの恵みから離れ、ここでペテロが叱責したように、「どうしてあなたは神を欺いたのだ」と言ってさばくようなことがあるとしたら、それこと大きな問題なのです。ではいったいこれはどういうことなのでしょうか。

 ある人はこれを、「みせしめ」の神罰として説明する人がいます。アカンの事件と同じように、罪に対する神の刑罰がどれほど恐ろしいものであるかを示すために下された「みせしめ」だったというのです。しかし、福音の光を通してみる限り、こうした「みせしめ」が行われるとは考えられません。なぜなら、「みせしめ」というのは平等を欠くことであって、不当な扱いをすることになるからです。神は、このようなことをなさないために、そのひとり子であられるイエス様をこの世に遣わされたのではありませんか。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。そういう意味では、「みせしめ」ならイエス様だけで良かったのです。ではこれはどういうことなのでしょうか。

 岸義紘先生はその注解書の中で次のように言っておられます。「それにしても、この事件は難しい。夫婦そろって、たちどころにショック死してしまうとは、普通ではあり得ないことだ。しかもペテロにも青年たちにも、感情の動きがない。驚きもなく、慌てふためいた素振りもない。実に不気味である。動揺のかけらも見られないのだ。その上、家族にも親族にも教会全体にも知らせず、あたかも予定通りのできごとであったかのように冷静に対処し、即、埋葬して片付けてしまった。人間の血が通っていない不可解な事件、ナゾの記述である。いったい著者ルカの意図は何だったのか?この歴史の現実は、神学の通りに流れていかないことも起こり得る。」(P184)

 岸先生は、これはもう神学を超えていると言ってるわけです。でも、そうでしょうか。尾山令仁先生の「使徒の働き」の注解書を見ると、尾山先生はこのところを次のように解説しておられます。「ここにまだ旧約的経綸の残存を見るのです。旧約における神の経綸は、救い主イエスがこの世に来られることによって終わり、新約の経綸に移ったはずなのですが、新約聖書がまだ完成していなかった当時は、こうした旧約的経綸が残っていたのです。」(p182)

おもしろいと思いませんか?何がおもしろいかというと、何を言ってるのかさっぱりわからないのがおもしろいのです。おそらく、尾山先生もこの箇所の解釈には苦労されたのではないかと思います。しかし、言ってることはこうです。すなわち、旧約聖書においてはそういうことが確かにあった。罪によって神を怒らせ、そのことで即、死に至るということがよくあったのです。創世記38章7,10節には、「ユダの長子エルは主を怒らせたので、主は彼を殺した」とあります。また、第二サムエル6章7節にも、ダビデが神の箱をバアラというところから自分の町に運ぼうとしたとき、ウザが神の箱に手を伸ばして、それを押さえたとき、牛がそれをひっくり返そうになりましたが、そのとき主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼はその場で打たれて死にました。そういうことが旧約聖書にはよく記されてあるのです。そして、そういう箇所を読むとき、私たちは神様って恐ろしい方だなぁという印象を受けるのです。しかし、新約聖書に入りますと、そうした世界から恵みの世界、赦しの世界へと入っていくわけです。神が私たちをどれほど愛しておられるのかが、キリストの十字架を通して示されるわけです。このアナニヤとサッピラの事件というのは、その旧約から新約へと移行する過渡期であって、まだ新約聖書が完成されていない時期だったので、その残存が見られるのだと言ったのです。

 でもそういうことなのでしょうか。私は、どうして死ななければならないほどのさばきがここで行われたのかはわかりませんが、一つだけ確かなことがあります。それは5節の後半のことばです。ここには、

「これを聞いたすべての人に、非常な恐れが生じた。」

とあります。同じこと11節にも記してあります。「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」この恐れというのは、怖いといった恐れのことではなく、聖い恐れです。神は生きておられるという厳粛な思いです。教会にはこの聖い恐れが必要でした。教会が調子よく進んでいきますと、いつしかこの聖い恐れというものを感じなくなってしまうことがあります。神を神とも思わなくなってしまうのです。そうなったらさまざまな腐敗や罪がはびこるようになって内側から崩壊することになってしまいます。なぜなら、教会はキリストのからだであり、神のいのちである聖霊の宮だからです。教会は神を恐れて生きる時のみ、大きく前進していくことができる。このアナニヤとサッピラの事件は、そうした罪の恐ろしさと、その罪がもたらす影響というものを示しながら、そういうこものを取り除いていく必要性を訴えていたのです。

 Ⅲ.神を恐れて

 ですから第三のことは、神を恐れて生きようということです。13~14節をご覧ください。
 
「ほかの人々は、ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったが、その人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますますふえていった。」

 教会が神を恐れ、厳粛な思いで歩んでいくと、この世の人たちはひとりもこの交わりに加わろうとしませんでしたが、彼らを尊敬していました。そればかりでなく、主を信じる人たちがふえていったのです。ひとりもこの交わりに加わろうとしなかったのに、主を信じる人がふえていったというのは変な表現です。ある人たちは、これでは意味が通じないからと、この文章を書き換える作業をする人たちがいますが、その必要はありません。この「交わりに加わる」ということばは、「にかわ付けにされる」とか、「のり付けされる」という意味で、夫婦の結び付きなどを表すのに用いられることばですが、町の人たちは、この事件の後で、神のさばきの恐ろしさに、ちょっとやそっとの決心ではこの交わりに加わることはできないと思っていましたが、むしろ、教会が自分のえりを正そうとした真摯な姿に心が打たれ、彼らを尊敬し、その交わりに加えられていったということだからです。教会のこうした姿は、世間の人たちから見ても非常に魅力的で、彼らの尊敬と信頼を勝ち取り、さらに力強く前進していく要因の一つでもあったのです。

 日本に初めてキリスト教が伝えられたとき、その数はかなりの数で、フロイスという歴史家によると、ここ数年で日本はキリスト教国になるのではないかと言われたほどです。それで豊臣秀吉、徳川家康の時代になって禁令となり、多くの人が殉教していくようになりましたが、それでもクリスチャンは少なくなるどころかますますふえて行きました。どうしてそんな迫害の中にも力強く前進していったのかというと、魅力があったからです。初代教会にはそうした魅力がありました。それは神を神として生きるところから生み出された魅力です。どんなことがあっても神に従っていくところからにじみでる魅力です。神のことばはいつまでも変わることのない真理です。このみことばに従うことが、すべての祝福の鍵なのです。

 イスラエルの王で、伝道者ソロモンは、このように言いました。
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)

 結局のところ、これがすべてです。神を恐れ、神の命令を守ることです。そうすれば、主はその歩みを確かなものとし、祝福してくださいます。神を神とせず、神を欺きながら、利己的に生きようとするなら、そこにはいろいろな乱れが生じてくるでしょう。ですからソロモンは、結局のところ、神を恐れることがすべてだと言ったのです。私たちはただ神を恐れ、神のみこころに歩む者でありたいと思います。また、神が愛してやまない教会という枠組みの中で、心と思いを一つにして使えていく者でありたいと思うのです。

使徒の働き4章32~37節 「心と思いを一つにして」

 きょうは「心と思いを一つにして」というタイトルでお話したいと思います。ペンテコステの日以来、教会は驚異的に成長を遂げてきました。ペンテコステの日にペテロが大胆に説教すると一度に3,000人が救われ、生まれつき足のきかない男がいやされたことが契機となって再びペテロが説教すると、今度は男だけで5,000人もの人たちに教会に加えられるというようなことが起こりました。教会は外からのいろいろな迫害にも屈することなく大胆に神のことばを語ったので、力強く成長することができたのです。

 きょうの箇所には、そんな教会の内側はどうであったのかが描かれています。そして、教会はただ単に人々の数が増えて大きくなっていっただけだなく、そこにはまとこに麗しい愛の交わりがあったことがわかります。いや、そのような愛の交わりがあったからこそ、教会は大きく成長を遂げて行ったのでしょう。

 きょうは、そんなの初代教会の愛の交わりについてみことばから学びたいと思います。第一のことは、教会は愛の共同体であるということです。第二のことは、そのような愛の共同体は宣教の力につながっていくということです。そして第三のことは、愛の共同体の一員として生きようということです。

 I.教会は愛の共同体である 

まず第一に、教会は愛の共同体であるということです。32節をご覧ください。

「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」

 ここに、信じた者の群れがどのような生活をしていたかが紹介されています。信じた者の群れは、心と思いを一つにして、すべてを共有にしていました。ここに記されてあるのと同様のことが、2章43~44節にも記されてあります。信者となった者たちはみないっさいのものを共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していたのです。これらの記事を見て、中には、初代教会が自分の財産を売りその代金を分け合ってみんなが平等に生活していたように、クリスチャンもそのようにすべきだと、いわゆる共産主義的な考えや生活を主張する人がいますが、ここで言われていることはそういうことではありません。なぜなら、もしこれが財産の共有生活のことの勧めであったなら、どうしてここに、わざわざ「その持ち物」とは書句必要があったのでしょうか。ここには、「だれひとりその持ち物を自分のものと言わず・・・」とあります。もし自分の持ち物を共有していたのなら、ここでわざわざ「その持ち物」などとは言わなかったはずなのです。なのにここで「その持ち物」と書いたのは、それぞれがちゃんと自分の持ち物をもっていたからなのです。

 また、5章のところには、アナニヤとサッピラの話が出ていますが、彼らのあやまちはいったい何だったのでしょうか。彼らのあやまちは土地を自分のものとして取っておいたことではないのです。彼らのあやまちは、その売った土地の代金の一部を自分たちのために残しておいたことです。神の聖霊を欺いて、いかにも信仰深そうに振る舞っていたかのようでしたが、それが全部であるかのように偽ったことだったのです。別にそんなことをしなくてもよかったはずです。なぜなら、4節を見るとわかるように、それはもともと彼らのものであり、売ってからも彼らが自由にできたものなのです。別に嘘をついてまでささげるような性質のものではなかった。なのに彼らは代金の一部を自分のために残していた。それが問題だったのです。

 また、34節のところには、「彼らの中には、ひとりとして乏しい者がなかった」とありますが、もしこれが財産の共有生活を奨励していたのでしたら、何とも不自然です。というのは、もし財産の共有生活を表すとしたら、「彼らは平等であった」と書いた方が自然だからです。なのに「ひとりも乏しい者がいなかった」というのは、やはり富める者も貧しい者もいましたが、それでも生活に事欠くような人はだれもいなかったということを表しているのではないでしょうか。

 ですから、ここでは、いわゆる共産主義的な財産の共有制度について勧められているのではないのです。では、ここで言われていることはいったいどういうことなのでしょうか。それは考え方です。財産の共有生活を強制しているのではなく、自発的に、自分から進んで、だれひとり自分のもの自分のもと言わないような思いに溢れていたということなのです。そのような考え方をもっていたので、それが行動に表れていたのです。それが「心と思いを一つにして」ということばに現れているのではないでしょうか。彼らは、心と思いを一つにしていたので、だれひとりその持ち物を自分のもの言わず、必要に応じて分け合うことができたのです。貧しい人たちに物を分配したというのは、こうした心の思いの自然な表現であったわけです。私たちの行動が現実になって表れるためには、いつもそのような考えや思いを持っていなければなりません。

 イエス様は、マタイの福音書12章34節で、「心に満ちていることを口で話すのです」と言われましたが、大切なのは、私たちが何を語るかではなく、何を考えているかです。なぜなら、人は心に満ちていることを話すからです。同じように、私たちが物を共有していくためには、そのような考え方を持っていなければなりません。初代教会の人たちはそうでした。すなわち、彼らは心と思いを一つにしていたということです。そういう考え方、思想を持っていたのです。聖書に、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)とありますが、彼らの交わりというのは、喜びも悲しみもともにする交わりでした。ちょうど、からだが一つであるのようにです。私たちのからだは一つですが、そこに多くの器官があるように、私たちはキリストにあってひとりのからだに属している者なのです。虫にさされて足の先がかゆくてしかたがないとき、頭は「あっ、そう、かゆいの。我慢しなさいよ」と言うでしょうか。「手さん、足さんがかゆいって言ってるから、かいてあげなさい」と言うのではないでしょうか。それで真っ赤になるくらい赤くなるのです。私たちの体にはいろいろな器官があって、その一部が痛むとからだ全体が痛むように、教会も同じなのです。教会は、キリストのからだであり、私たちは互いにそのからだの器官なのです。それを結んでいる帯は愛なのです。初代教会は、この愛に溢れていました。彼らは心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にすることができたのです。そうしなければならないということではなく、その中にある愛が、そのように表れたのです。自分の生活さえ守られたらいいといった利己的な考えがはい込まないほど、愛の共同体としての信仰を持っていたということなのです。
 イエス様は、受けるよりも、与える方が幸いであると言われましたが、そのような考えを持った人がどれほど輝いているかを皆さんは想像することができるでしょう。自分のことしか考えていない利己的な生き方よりも、世のため、人のためと捨て身で生きておられる方にはいのちの輝きというか、エネルギーを感じます。

 先日、深いい話という番組で、島田紳助がゴルフのタイガー・ウッズの話を紹介していましたが、タイガー・ウッズはゴルフの試合の時、相手がこのパターを外せば自分が優勝するという時でも、決して「外すように」とは思わないそうです。そのように思うとマイナスのモチベーションが働いていいプレーができなくなるからです。ですから彼はそんな時でも、「入れ」と祈るようにしているのです。そうすると、プラスのモチベーションが働いて、自分自身に返ってくるのです。ですから、愛は力なんです。相手のことを慮る(おもんぱかる)ことは、自分の祝福にもつながることなのです。まさに初代教会はそうだっでした。心と思いを一つにして、だれひとり自分の持ち物を自分のものと言わないような思いが、彼らの祝福のかぎであったわけです。それは次の節を見てもわかります。33節には、

「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」

とあります。

 Ⅱ.愛の交わりは宣教の力となる

 すなわち第二のことは、こうした愛の交わりは宣教の大きな力になっていくということです。

 信じた者の群れが、心を一つにして、だれもその持ち物を自分の物と言わず、すべてのものを共有にしていた、そうした愛の交わりがあったとき、使徒たちは、非常に力強く主イエスをあかしすることができました。この「非常に強く」ということばは、教会における美しい愛の交わりこそ、福音宣教の原動力であったことを強調しています。かつてイエス様は、父がイエスにおり、イエスが父にいるように、キリストを信じる人たちがみな一つであるようにと祈られました。そのことによって、神がイエスを遣わされたということを、世が信じるためです。(ヨハネ17:21)

 いったい私たちはどれほど愛し合っているでしょうか。イエス様がこのように言われたことを私たちは知っています。

「『目には目を、歯には歯を』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、私はあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。自分の隣人を愛し、自分の敵を憎めと言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:38~44)

 しかし、どれだけの人がこのことばを実行しているでしょうか。かつて公民権運動を展開したマルチンルーサー・キングは、このイエスの教えから非暴力によって、その権利を勝ち取りましたが、そうしたことはまれです。「目には目を、歯には歯を」に従って行動していることが少なくありません。
 聖書を学んでいる中で、求道者の方から一番多く受ける質問は何かというと、キリスト教が正しいなら、どうして世界中で戦争が起こっているのかということです。キリスト教が正しいのなら、聖書がいつまでも変わらない真理であるなら、そうした人を殺すようなことはしないで、その人たちのために祈るはずではないかと言うのです。その通りだと思います。戦争のことはとても深く、複雑な問題が絡んでいますので、それがいいか悪いかということをここで無論じることは難しいと思います。しかし、一つだけ言えることは、クリスチャンでない人たちは、クリスチャンの言動というものをよく見ているということです。そして、イエス様が言われた通りに、聖書が語っている通りに、私たちが実践し、互いに愛し合うなら、この世は、神がキリストを遣わしてくださったことを知るようになるのです。大きな恵みがその人の上にあるのです。なのに、もし私たちが互いに憎み合ったり、そねみあったりしていたらどうなるでしょうか。この世の人たちはますます混乱し、まことの神から遠ざかってしまうことになるのではないでしょうか。私たちが互いに愛し合うこと、それが神の命令なのです。そのように教会が互いに愛し合う群れであったら、非常に力強く主イエスを証しすることができるだけでなく、大きな恵みがそのすべての者の上にあるのです。

 韓国のオンヌリ教会の牧師であるハ・ヨンジュ先生が書かれた「使徒の働きの教会を目指して」という本の中に、先生がロンドン・インスティテュートで学んだ時のことが紹介されています。ロンドンインスティテュートでは、ジョン・ストット牧師の講義が終わると、みんな食卓に座り、一緒に朝食をとることになっていました。ある日ハ先生は奥様と息子さんとともに招かれ共に昼食をとっていた時のことです。その日ハ先生はジョン・ストットの隣に座って食事をしていました。すると急に奥様が食卓の下から派先生の足を蹴られたのです。その瞬間あわてて状況を見回すと、どうもハ先生が音をたてながらスープを飲んでいたようなのです。西洋では食事の時には音を立てないで食べるのがマナーです。ですから、私などはアメリカで食事をするとき大変です。ラーメンを食べる時のように音を立てるので、家内から「あなたは豚じゃないか」といつも注意されます。家内はラーメンを食べる時でさえ、決して音を立てません。それが食事のマナーだからです。
 ところで、ハ先生がそのように音を立ててスープを飲んでいたので、奥様が「あなた、みっともないわよ。やめなさい」とサインを送ってくれたのです。ところが、そのときジョン・ストット先生はどうしたと思いますか。ジョン・ストットはハ先生よりももっと大きな音を立ててスープを飲んだのです。そればかりではなく、何と器毎取り上げて飲み始めたのです。そして、「音を立てながら飲むと、もっとおいしいですね」と言ったのです。そればかりか、自分の皿の上にあったご飯をハ先生の皿の上に置いたのです。西洋ではそういうことはしません。ジョン・ストットは「たくさん食べてください。これは東洋式の愛の表現です」とさりげなく言われました。東洋から来た慣れない田舎牧師に恥を欠かせないようにと、西洋人が決してしないような食事のマナーを見せたのです。
 美しい話ではないですか。相手のことを慮るというか、相手の立場になって物事を考えておられるジョン・ストット牧師の信仰が、人柄が表れていると思うんです。

 このハ先生が、ある日、講義が終わり、ロビーで本を読んでいたとき、そのジョン・ストット牧師が再び現れ、「はい。ラブレター」と一つの封筒を渡してくれたさうです。何だろうと思って中を見てみると、簡単な手紙とともに50ポンドのお金が入っていたのです。「勉強が大変でしょう。このお金は私が書いた本の著作料の一部です。どうぞこれで本を買ってください」と書いてありました。ジョン・ストットはすでにその場から立ち去っていましたが、ハ先生は、しばらくその場を離れることができないほどの深い感動を覚えました。「ああ、こういうお金の使い方もあるんだ」と大変教えられたというのです。

 愛は深い感動をもたらします。そしてそのところには大きな恵み現れるのです。主イエスの復活を証する力になるのです。私たちはジョン・ストットのような偉大な者ではありませんが、ジョン・ストットが持っていた心は持つことができるはずです。それが愛の心です。それが、私たちのすべての働きにおいて、大きな祝福をもたらしていくかぎなのです。

 Ⅲ.愛の共同体の一員として
 
ですから第三のことは、愛の共同体の一員として生きようということです。34~37節までをご覧ください。まず、34節と35節です。

「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。」

 そのように、初代教会の人たちはみんな心と思いを一つにしていたので、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていました。教会の中で乏しい人がいると思ったら、地所や家を売って、その代金をささげたからです。ささげられたお金は、必要に応じて分けられました。そのようにして、乏しい人にも分けられたので、足りない人がだれもいなかったのです。乏しい人がひとりもいなかったというのはすごいことだと思いますが、そうした表面的な状態がどうのこうのというよりも、彼らがかそうした愛に生きようとしていたということがすばらしいことだと思います。

 ところで、続く36節と37節には、バルナバと呼ばれるヨセフについて紹介されています。「キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」

 このバルナバと呼ばれるヨセフという人物は、やがてあの大使徒パウロを教会に紹介し、彼を表舞台に引っ張り出した人です。教会を迫害して教会から恐れられていたサウロを、教会に受け入れてもらえるように働きかけることは、並大抵のことではなかったと思います。そこで彼はエルサレムの教会ではなく、アンテオケの教会に迎え入れてもらいました。というのは、彼はエルサレムの教会からアンテオケ教会に遣わされていたからです。そして、このアンテオケ教会がやがて世界宣教に人を遣わしていこうとしたとき、彼は迷わずこのパウロを推薦しました。そのことによって、福音が世界へと宣べ伝えられていったのです。パウロこそキリスト教を世界宗教へと広めていった張本人ですが、そのパウロをそのような働きの場に導いたのがバルナバだったのです。そういう意味でも、彼は「慰めの子」と呼ばれるにふさわしい人です。

 しかし、これを書いたルカは、いったいどうして彼のことをここに記したのでしょうか。一つには、今申し上げましたように、後にたびたび出てくるこのバルナバつにいて、あらかじめここに紹介しておきくというねらいがあったからでしょう。ご存じのように、使徒の働きはペテロ中心の歴史からパウロによる世界宣教へと舞台が移っていきます。その中で、その橋渡しをする重要な人物がこのバルナバでした。彼がいなかったら、福音がこのように世界に広がっていくことはなかったでしょう。それほど重要だった彼を、ここで紹介しておきたかったのだと思います。バルナバという人物の特質である「慰め」を、ここで紹介しておきたかったのだと思います。

 もう一つの理由は、34節と35節に書かれてあるすばらしい愛の交わりの例としてバルナバを取り上げ、彼がいったいどうしてそのような愛のわざを行うことができたのかを伝えたかったのではないかと思います。すなわち、この初代教会にはそのように自分の地所や家を売り、その代金を携えて来る人たちがいたけれども、その中にあのバルナバもいたんですよ。いったいレビ人である彼が、いったいどうやってそんな愛のわざができたのかということです。

 レビ人というのは、イスラエル12部族の一つの部族に属していましたが、彼らはもともと自分たちの地所を持っていませんでした。神に仕える者として、神ご自身が相続だったからです。ですから、彼らは他の11部族がそれぞれささげる10分の一を受けることによって、それを相続財産として神から受けていたのです。しかし、そうした中でこうしたレビ人の中でも相当の不動産を持っている人たちがいました。たとえば、エレミヤも祭司の子で預言者でしたが、彼はアナトテにあるおじの畑を買ったと書かれてありますし(エレミヤ32:9)。ですから、それから500年も経ったこの初代教会の時代には、相当の不動産を持っている人がレビ人の中にいたのです。バルナバはそうしたレビ人の中の一人だったのでしょう。相当の不動産を持っていたようです。そうした不動産を、彼は売って、その代金を使徒たちのところへ持って来たのです。いったいなぜ彼はそのようなことができたのでしょうか。

 それは、そのように貧しい人、生活に苦しい人を見てかわいそうに思ったからではありません。彼のそうした莫大な献金は、ただセンチメンタルな同情心や博愛主義の精神から出たものではないのです。じゃ何なのか?それは彼が、主イエスの愛に生かされていたからなのです。主イエスの愛に生かされながら、神が愛してやまない教会という枠組みの中で、心と思いを一つにして祈っていたからなのです。福音を宣べ伝え弁証し論じ合うといった中で、確かに教会にそれだけの必要があると判断し、聖霊によってそのように示されたからこそ、こうした大決断ができたのです。そうでなかったらこのようなことはできないのです。その人がどれだけ財産を持っているかということと全く関係がないのです。その人がどれだけ神の愛に生かされ、心と思いを一つにして祈っていたからなのです。
 
 聖書の中に、イエス様がベタニという所におられたとき、ひとりの女の人が、非常に高価なナルドの香油の入った石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエス様の頭に注いだという話しがあります。それを見ていた何人かの人は、「何のためにこんなむだなことをするのか」と憤慨して言いました。「この香油なら300デナリ以上に売れて、貧しい人に施しをすることができたのに・・・」そう言ったのです。
 ところがイエス様は、このように言われました。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。この人は、私の埋葬のためにと、前もって油を塗ってくれたのです。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のしたことが語られて、この人の記念になるでしょう」(マルコ14:6~9)

 このような愛のわざは、計算してはできません。愛は計算を度外視するのです。そこに実際的な神の愛を必要としている人がどれだけいるか。そのような状況を見て、必要とあらば、そのために喜んで自分をささげることができました。そこに働いていたのはただ、滅びるしかなかった者が神によって愛され、生かされていることの恵みでした。実際、当時のエルサレム教会には、それだけの必要があったのです。それほど貧困者が救済の手を待ちわび、人々の切り売りくらいではとうてい間に合わないくらいの需要の声が、満ちていたのです。

 バルナバはそれに答えたのでした。彼のそうした愛のわざは、だれからも、何からも強制されることがなかった、主イエスの愛によって揺り動かされた信仰から生まれたものだったのです。ルカはそれを伝えたかったのです。彼らはただ持ち物を共有していたのではない。それは彼らが心と思いを一つにしたところから生まれた感謝の心からにじみ出たわざであったということです。それがバルナバという名前だったのでしょう。ここではわざわざその意味まで紹介されています。訳すと、慰めの子です。この「慰め」ということばには米印がついておりますが、そこには、別役で「勧めの子」です。つまり、彼は単に慰めるだけの人ではなかったのです。彼は勧めの子、奨励をする人でもありました。パウロとともに最初の伝道旅行をし、ユダヤ主義という異端と論争し、あのパウロとさえ激論を交わすほど気性の激しい人でした。そのバルナバのこうした献金の姿というのは、単なる同情心や人間的なものから出たのではなく、神の愛に突き動かされたところから生まれた愛と信仰によるものであったのです。

 ですから、私たちがバルナバのような生き方をしたいと思うなら、教会が愛の共同体であることを理解し、その教会の中に流れている神の愛に生かされ、動かされていることが必要なのです。そのためにも私たちは、主イエスの心を心とし、主イエスの思いを思いとして歩んでいきたいと思います。また、私たちがその主の愛の共同体の一員であることを覚え、心と思いを一つにして祈る者でありたいと思います。

使徒の働き4章23~31節 「初代教会の祈り」

 きょうは、初代教会の祈りからご一緒に学びたいと思います。生まれつき足のきかない男をいやしたことで、ペテロとヨハネはユダヤ教最高議会サンヘドリンでの尋問を受けました。結局、脅かされはしたものの、釈放されることになりました。釈放された二人は、仲間たちのところへ行って、祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告しました。トーマス・マコーリという人は、「人のほんとうの性格というものは、その人が絶対に見つからないことがわかっている時に何をしようとするか、によって測られる」と言いましたが、ペテロたちが自由の身になったとき、彼らが自然に仲間たちのところへ行ったということは、彼らの生活の中に教会生活がしみついていて、空気や三度の食事をするように、それなしでは生きていけないほどの必需品になっていたということでしょう。

 ところで、彼らが仲間の所へ行き、自分たちに起こったことを報告すると、彼らはいったいどういう態度を取ったでしょうか。24節を見ると、「これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。」とあります。これは何を表しているかというと祈りです。彼らは「大変だったでしょう」といった慰めのことばをかけたり、「これからどうするか」といったことで協議したのではなく、反射的にとさえ言えるほど、また、だれからということもなく、いっせいにみなの口をそろえて祈りが出てきたのです。それほどに彼らは祈りというものが板についていたのです。きょうのところには、その祈りの内容が記されてあります。これまでも、初代教会はよく祈っていたということは見てきましたが、それがどのような祈りであったのかはそれほど詳しく記されてはいませんでした。そういう意味でこの箇所は、初代教会がどのように祈っていたのかを知るうえで、とても貴重な箇所だと言えると思います。それを学ぶことはとても興味深いことでもあります。いったい彼らはどのように祈っていたのでしょうか。

 きょうはそのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一に彼らは、神様がどのような方であるのかを告白して祈りました。第二のことは、彼らが置かれていた迫害という状況がいったいどういうことなのかをみことばに照らし合わせて解釈し(受け止めて)告白しました。第三のことは、彼らはみことばを大胆に語らせてくださいと祈りました。それは彼らが、自分たちに与えられていた使命が何であるかを確信していたからです。

 Ⅰ.神の主権を認める祈り

 まず第一に、彼らは神がどのような方であるかを告白して祈りました。24節をご覧ください。

「これを聞いた人々はみな、心を一つにして、神に向かい、声を上げて言った。『主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。」

 ここで彼らは神に向かって、「主よ」と呼びかけました。この「主よ」という呼びかけは、普通祈りの時に神に呼びかけることばとは違う珍しいことばが使われています。普通、「主」を表す時はギリシャ語の「キュリオス」ということばを使いますが、ここで使っていることばは「デスポテース」ということばです。この「デスポテース」ということばは、英語の「Despot」の語源になったことばで、「専制君主」を意味することばです。すなわち、ここで彼らは自分たちの主を呼ぶとき、それは絶対的な主権を持った神であるという信仰を表していたのです。ですから、英語のRSVの訳では「Sovereign God」(主権者なる神よ)と訳しているのです。
 それはその後に続く彼らの祈りからもわかります。彼らは「主よ」と叫んだ後で次のように言いました。「主よ。あなたは天と地と海とその中に住むすべてのものを造られた方です。」彼らは、自分たちの信じている神様が、この天と地と海とその中に住むすべてのものを造られ、人間の歴史を支配しそれを導いておられる方であり、その支配は今も同じように続いていると認めて祈ったのです。

 いったい彼らはなぜこのように祈ったのでしょうか。それはこの時彼らが置かれていた状況を考えてもわかると思います。29節には、「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり・・・」とありますが、この時彼らは脅かされていたのです。ユダヤ教の最高議会に、今後だれもこの名によって語ってはならないとか、そんなことをしたらどうなるかわかってるだろうとか言われておどされていたのです。そのような脅かしの中で必要なことは何だったのでしょうか。そうした状況を見ないで、すべてを支配しておられる神に目を向けることでした。そのような脅かしの中にあっても、自分たちを支配しておられる方は絶対的な支配者であり、そうした出来事さえも支配しておられる方であると信じることが必要でした。そうすることで、大胆にみことばを語ることができたからです。

 イエス様はは12人の弟子たちを宣教に遣わされるとき、次のように言って励まされました。
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはいけません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売られているでしょう。そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。」(マタイ10:28~31)

 私たちの置かれた状況を見たら、恐れと不安で足がすくんでしまうでしょう。大胆にみことばを語るなどということはできません。しかし重要なのは、そうした状況に目を留めるのではなく、神がどのような方であるかを思いめぐらすことです。問題を見るのではなく、神の偉大さを見つめることです。私たちの信じている神はこの天地万物を造られた全地の主であり、すべてを支配しておられる神であるということを覚えるとき、どんな状況にあってもそれを克服する力が与えられるからです。

 このような初代教会への迫害は、ペテロとヨハネが生まれつきの足なえの男をいやしたことに端を発していますが、彼らが最初にその男を見たとき、何と言って立たせたのでしょうか。彼らはこのように言いました。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」(使徒3:6)このとき彼らが言ったことばをよく聞いていただきたいのです。彼らは、自分たちには金銀はないけど、自分たちにあるものをあげようと言いました。それは、この天と地と海とその中に住むいっさいのものを造られた全能の神であり、死からよみがえられた復活の主です。今も生きて働きこの歴史を支配しておられる方を見なさいと言ったのです。彼らは自分たちにそのような力があるから、それに期待しなさいとはいいませんでした。私の中におられるイエス・キリストを見てくださいと言ったのです。私たちに必要なのはこのような信仰です。つまり、パウロが言ったように、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)と信じることです。

 アメリカにロバート・シューラーという牧師がいらっしゃいますが、この方の娘のキャロルさんは、若い時オートバイ事故で大けがをされました。全身を打ち、骨折し、めちゃめちゃな状態になりました。七ヶ月間入院して、治療しましたが、結局、片方の足は膝の下から切断し、義足を余儀なくされました。しかし、義足だからということで、好きなことをやめたりしませんでした。もともとスポーツが大好きだった彼女は、以前から所属していたソフトボールのチームに戻りました。30°の角度までしかひざを曲げられない状態で、歩くのもままならないのにどうやって走るのかと両親は心配したのですが、そんな両親に彼女は、「もしホームランを打ったら、走らなくてすむでしょう」というと、本当にホームランを打ったのです。
 また、彼女は足を切断して6回もの手術を受けましたが、スキーも始めました。そして、資格検定レースで金メダルを取るという目標を掲げると、1983年3月に、18歳の若さでその目標を達成しました。
 彼女は、いったいどうしてそんなことがなしえたのでしょうか。ある時、ハワイ諸島を巡る一週間の船旅の出たときです。その船旅では最後の夜に、恒例のタレントショーが開かれることになっていました。乗客はだれでも参加することがてぎました。そのショーにキャロルさんは参加することになりました。大きく飾られたカクテル・ラウンジのステージの上に立ったキャロルさんは、くるぶしまでのロングドレスに身を包み、マイクのところまで歩いて来ると、そこで話し始めました。
「わたしは、実のところ、自分にどんなタレントがあるのかわかりませんが、今夜のタレントショーは、皆様に対してどうしてもしなければならないことをするよい機会だと思いました。それは一つの説明です。この一週間、皆様は、私が義足を付けているのを見て不思議に思われたことと思います。それで何があったのかをお話すべきだと思いました。
 私は、オートバイ事故に遭い、死にかけたのです。でも、お医者様が輸血してくださったので、脈がまた打ち始めました。お医者様は、私の足をひざの下から切断し、あとになって、ひざの真ん中から切断しました。七ヶ月、病院生活を送りました。その間、ずっと抗生物質を静脈に注射しながら、感染症と闘いました」そのとき、キャロルさんは一呼吸おいて、また続けました。
「私に才能が一つだけあるとしたら、それは、あの病院生活の間に、私にとって信仰が本当に現実のものとなったということです」
「私は、びっこなんかひかないで歩いている女の子を見ると、あんなふうに歩けたらいいなぁと思います。でも、私はあることを学びました。それを皆様にお伝えしたいと思います。それは、大切なのはどんなふうに歩くかではないということです。大切なのはだれがあなたとともに歩くのか、そして、あなたはだれとともに歩くのかである、ということです」
 そこで彼女はことばを切り、こう続けました。
「わたしの友、イエス。キリストについての歌を歌いたいと思います。」
 主はわたしとともに歩み、
 わたしと語り、
 わたしを愛す
 祈りのひととき
 分かち合う
 新しい喜び・・・
大切なのはだれとともに歩くのかということです。もしあなたがこの天地を造り、今も生きておられる全能の主イエス・キリストともに生きるなら、たとえ人には不可能に見えることでも、神には不可能なことはないのです。

 問題は、みんな同じようにやってきます。しかし、そのような問題の中で、私たちがどこに目を向けるのか、何を見つめて生きるのかが問われているのです。初代教会の人たちは、激しい迫害や脅かしの中にあっても、この天地を創造され、すべてを支配しておられる神が生きて働いておられることを認めて祈ったのです。

 Ⅱ.みこころを確信する祈り

すなわち第二のことは、そのようなことでさえ神の御手の中にあるということです。25~28節までをご覧ください。

「あなたは、聖霊によって、あなたのしもべであり私たちの父であるダビデの口を通して、こう言われました。
『なぜ異邦人たちは騒ぎ立ち、もろもろの民はむなしいことを計るのか。地の王たちは立ちあがり、指導者たちは、主とキリストに反抗して、一つに組んだ。』事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人はイスラエルの民といっしょに、あなたが油をそそがれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行いました。」

 このところで教会は、詩篇2篇のことばを引用して祈っています。いったい彼らはなぜこのように祈ったのでしょうか。それは、彼らが自分たちの直面している迫害の意味を、この詩篇のみことばの中に見出したからです。つまり、自分たちが受けている迫害は、何か思いがけない、突拍子な出来事ではなく、旧約の時代のずっと昔から預言されていたことであったということです。それがこのみことばでした。その頂点として具体的な形で現れたのがあの十字架であったと、彼らは悟ったのです。それが27節に書いてあることです。すなわち、神に反逆して立ち上がる地の王たちの代表にヘロデの名をあげ、「主とキリストに反抗して、一つに組んだ」指導者たちの代表としてポンテオ・ピラトをあげ、彼らが異邦人やイスラエルの民といっしょに、神が油を注がれた聖なるしもべを十字架につけて殺したというのです。しかし、それはずっと昔から神によって定められていた神の計画であったというのです。

 であれば、イエスに従い、イエスの十字架を伝えようとする人たちに迫害は付きものであります。イエスは、ヨハネ15章18~20節で次のように言われました。

「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。かし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。しもべはその主人にまさるものではない、とわたしが言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったら、あなたがたのことばも守ります。」

 ですから、彼らは「迫害をやめさせてください」とか、「迫害に遭わないようにしてください」というような祈りはしませんでした。むしろ、「彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」と祈ることができたのです。それは彼らが、そうした迫害もまた神の計画の中に位置付けられているのだということを、みことばによって確信していたからなのです。

 しかし、それは迫害だけでなく、私たちの人生のすべてにおいて言えることではないでしょうか。私たちの人生には突然にして、穴が開くような出来事が起こります。思いがけないような出来事に遭遇することがあるのです。「突然病気になった、入院しなければならない」とか、「事故に遭ってしまった」、「会社が倒産した」、「会社は大丈夫だけれども、私が失業した」あるいは、「愛する人を突然亡くした」というようなことです。人生には思いがけなくポッカリと穴が開くことが起こります。そんな時に、いったいどうしたらいいのでしょうか。だいたい人は、次の三つの対応を取ります。
 第一に、その穴をじっと見て、嘆き悲しんで人生を送るという反応です。「どうして私の人生にこんなことが起こってしまったんだろう。ああなんて私はかわいそうな人間なんだろう」と、ずっとそれを見ながら、それを引きずって人生を過ごすのです。
 第二は、その穴を直視しないようにすることです。それを見ないようにして生きるのです。「そういうことはなかったことにしよう。考えても解決がないから・・・」というふうに。こういうのを現実逃避と言います。
 第三は、その穴をしっかりと見て、その穴が開かなかったら決して見ることのできなかった新しい世界を、見出していくのです。これこそが、すべてが神の御手の中にあると受け止めて生きる積極的な人生の生き方だと思います。

 社会心理学者の斉藤勇先生が、このようなことを言っておられます。「現代の心理学で大切なポイントは、『気づく』ということだ。『気づき』、これこそ、最も重要なキーポイントである。どんな絶望的な状況の中にも、必ず希望がある。どんなピンチの中にも、必ずチャンスがある。それに気づくことが大切である。『気づく』ことがキーワードだ。」

 シドニーオリンピックでアメリカ選手団の旗手を務めたのは、ほとんどの人が知らない無名の人でした。クリフ・メイデルという人です。あの選手団の中にはスーパースターと言われるような人たちがずらっといたのに、そういう人を押しのけて、彼が旗手に選ばれたのです。。
 彼が出場した競技はカヌーです。競技時代がマイナーな感じがします。ですから、彼の名前を知っている人でさえ、ほとんどいませんでした。なのにいったいなぜ彼が選ばれたのでしょうか。
 実は、彼は特殊な体験をしたことがあります。二十歳の頃配管工の見習いの仕事をしていましたが、作業中に誤って、3万ボルトの高圧線に接触してしまったのです。そして、そのショックで全身が麻痺してしまいました。彼はその時、サッカーの選手でしたが、下半身がやられてしまったので、プレーの出来ない体になってしまったのです。でも、彼はスポーツをあきらめることができませんでした。ですから、一生懸命にリハビリをした結果、上半身が回復しました。
 そこで彼は考えました。「上半身だけでできるスポーツはないだろうか。そして、彼はカヌーを選びました。一生懸命にトレーニングに励み、とうとうアメリカの代表選手に選ばれるまでになりました。実は、彼はその前のアトランタオリンピックでも選ばれていました。アメリカ選手団は、シドニー五輪で彼を旗手に選んだのです。彼は、自分の人生の中で出来た穴をしっかりとみながら、その中で自分にできることはないだろうかと考えた結果、そのように導かれたのです。

 私たちの人生にはいろいろなことが起こりますが、そうした出来事の一つ一つを神様の御手の中でとらえ、その意味を見出していくとき、そこにちょっとした気づきが与えられていくのです。まさに初代教会はそうでした。彼らは自分たちが直面している迫害や脅かしという状況を、神のみことばの中でとらえ、その意味を見出していきました。そのとき、そうした迫害が単に自分たちを苦しめているものではなく、ずっと昔から神を愛する者たちに与えられるものとして示されていた神のみこころであると悟ることができ、むしろ大胆にみことばを語らせてくださいと祈ることができたのです。

 Ⅲ.使命を確信する祈り

 第三に彼らは、使命を確信して祈りました。29~30節をご覧ください。

「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしると不思議なわざを行わせてください。」

 彼らは、「迫害をやめさせてください」とか、「迫害から守ってください」とは祈りませんでした。彼らはここで、二つのことを祈りました。第一に、彼らの脅かしをご覧になってくださいということです。迫害や脅かしの中に、彼らの知らない神の深いご計画があるのですから、その本当の意味を知っておられる主が、そうした脅かしを見てくださればそれで十分なのです。
 子どもはしばしば理不尽なやり方で、いじめられるということがあります。自分は正しいことをしているのに、ずるい子どもがずるいやり方で、いじめるということがあるのです。そんなとき、たとい自分は正しいことをしていると思っても、自分ひとりだけでは心細いものです。そのくやしさは耐え難いほどのものがあるでしょう。しかしその一部始終を、親にしろ、先生にしろ、じっと見てくれる人がいるとき、その子どもはそれに耐えることができるのです。それとちょうど同じです。神が目を留めてくださり、ご自分の御旨の実現のために、摂理の御手をもってすべてを導いてくださるならば、それで満足なのです。

 もう一つの祈りは、「あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください」というものでした。どのようにでしょうか。「御手を伸ばしてしるしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御なよって、しるしと不思議なわざを行」うことによってです。今し方彼らは、美しの門で生まれながらの足なえをいやしたことで捕らえられ、「今後だれもこの名によって語ってはならない」と厳命されていたにもかかわらずです。そんなことをしたら、また次々と迫害や脅迫が起こることが目に見えていたのに、そんなことは彼らの眼中になく、彼らはこのように大胆に祈ったのです。いったい彼らはなぜこのように祈ったのでしょうか。

 それは、それは彼らが自分たちに与えられていた使命がどんなものであるのかをよく知っていたからです。彼らは安全で、平安な人生を求める代わりに、使命を全うすることを願いしました。ただ生きておられる神のみことばを証することにすべての望みを置いたのです。それはイエス様も同じでした。イエス様はさまざまな迫害と脅かしの中でも、屈することなく、大胆にみことばを伝えました。なぜなら、そのために遣わされていたからです。ルカの福音書4章43節には、イエス様が寂しいところに行かれ、そこでひとり静かに祈っているのを見つけた弟子たちが、何とか自分から離れないように引き止めておこうとしたとき、次のように言われたことが記録されています。

「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされているのだから。」

 イエス様はご自分がこの世に遣わされた目的を明確に知っておられました。それは神の国を宣べ伝えることです。イエス様はそのために遣わされてきたのです。そのイエスは、私たちにも同じようにすることを願っておられます。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:19~20)

 これが神のみこころなのです。ですから、彼らはみことばを大胆に語らせてくださいと祈ったのです。

 彼らがそのように祈るとどんなことが起こったでしょうか。彼らがそのように祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出しました。神が、昔、シナイ山を震わせたように、彼らが集まっていた場所を揺るがせました。それは神の臨在の顕著な現れでした。山々ならぬ祈りの部屋が、神の臨在で満たされたのです。その結果、彼らは聖霊に満たされ、大胆に神のみことばを語ることができました。彼らが命の危険に身をさらされながらも、このように大胆にみことばを語ることができたのは、彼らの持ち前の勇気や力によったのではなく、彼らのこうした祈りが答えられ、聖霊に満たされたからだったのです。祈って聖霊に満たされること、これこそ、神のみことばを大胆に語るために必要な絶対的な条件なのです。

 初代教会は、このように祈りました。まず神の主権を認め、神は目には見えなくとも、すべてを支配しておられる方であり、この歴史の背後で働いておられる方であると信じました。そればかりでなく、彼らが受けている迫害や脅かしでさえ、実は、そうした神の深いご計画のよるのであり、神がみこころのうちに進めておられるのです。であれば、何を臆する必要があるでしょうか。私たちに必要なことは、神のみこころに従って大胆にみことばを語ることです。それが神のみこころだからです。私たちがその使命に立って、聖霊に満たされるように祈るなら、神が共にいてくださり、ご自身の聖霊で満たしてくださるのです。私たちに必要な祈りは、そのような祈りなのです。単に迫害から守ってくださいというのではなく、そうした迫害の中にあっても、大胆にみことばを語ることができるように、そして、神の栄光が現されるようにと、祈ることが求められているのです。

 パウロは、「私たちは、四方八方ら苦しめられていますが、窮することはありません。途方に暮れていますが、行き詰まることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。」(Ⅱコリント3:8~10)と言いましたが、私たちも同じです。四方八方から苦しめられることはあっても、窮することはなく、途方に暮れるようなことがあっても、行き詰まることはなく、迫害されていても、見捨てられることはありません。倒されても滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが明らかに示されるためなのです。私たちも、私たちの身において、イエスのいのちが明らかに示されることを求めていきたいものです。そのために、聖霊に満たされ、大胆にみことばを語ることができるように祈りたいと思います。

使徒の働き4章13~22節 「大胆に語るために」

 きょうは「大胆に語るために」というタイトルでお話をしたいと思います。生まれつきの足なえをいやしたことで捕らえられ、ユダヤ教の最高議会であるサンヘドリンで、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問されると、ペテロとヨハネは聖霊に満たされて、それは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからですと、大胆に語りました。それを見た民の指導者たち、ならびに長老の方々はどんなに驚いたことでしょう。彼らが無学で、普通の人であるにもかかわらず、そのように大胆に語ったからです。このように、みことばを大胆に語るというのは、初代教会の特徴でした。4章29,30を見ると、彼らは「みことばを大胆に語らせてください」と祈ったとありますが、彼らはみことばを大胆にみ語ることができるようにと祈り、そして、それを実行しました。(13:46,14:3,18:26,19:8,26:26,28:31)

 いったいなぜ彼らはそんなに大胆に語ることができたのでしょうか。きょうは、そのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、主イエスがともにおられたからです。彼らは自分たちの力によってではなく、イエスの力によって大胆に語ることが出来たのです。第二のことは、そこに救いの証拠がありました。ただ語っただけでなく、その語ったことばによって実際に今まで立てなかった人が立てるようになったり、それを見た人たちが神様をあがめるようになったということが実際に起こったのです。第三のことは、彼らはそれが神の前に正しいことであるという確信がありました。どんなに偉大な議会であっても、その命令に聞き従うことよりも、神に従うことの方が正しいことなのです。それで彼らは、自分たちの見たこと、聞いたことを、話さないわけにはいきませんでした。

 I.イエスとともにいた

 まず第一に彼らが大胆に語ることがてきたのは、彼らが主イエスとともにいたからです。13節をご覧くだい。

「彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。」

 ユダヤ教サンヘドリンは、ペテロとヨハネの大胆さを見て、とても驚きました。というのは、彼らが無学な、普通の人であるのに、大胆にイエスのことを宣べ伝えていたからです。この「無学で、普通の人」というのは、「文盲で、無知な人、字を書いたり、読んだりできない人」を意味する言葉ですが、C・H・ドットという新約学者が言っているように、これは「律法を専門的に学んだことのない人」を表していると考えた方が適当です。彼らはユダヤ教の教師であるラビの目から見たら、律法について特別な教育を受けたことがなく、律法の細かなことについてそれほど詳しく知っていた人々ではありませんでした。現代的に言えば「田舎者」といったところでしょう。そんな彼らが、普通ならおじけついてしまいそうな聴衆を前に、大胆に、また自由に語ったわけですからおどろいたのは当然です。いったい彼らはなぜそんなに大胆に語ることができたのでしょうか。ここには次ように記されてあります。

「ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た」

 これはいったいどういうことでしょうか。この「わかって来た」ということばは「認識した」という意味の言葉です。この時彼らは、使徒たちがイエスとともにいたという事実を認識した、理解したということです。すなわち、この時の使徒たちの大胆さは、このイエスから与えられたものであったということです。おそらく彼らは、使徒たちが大胆に語るのを見て、生前、イエスが同じように振る舞っていたのを思い出したのでしょう。ヨハネ7章15節を見ると、「ユダヤ人たちは驚いて言った。『この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか』」とあります。イエスが宮に上って教えておられるのを見て、ユダヤ教の律法の教師たちはとても驚いたのです。それと同じような態度がここに見られるのです。よく生徒はその教師に似てくると言われています。その教会の信徒さんが話すのを聞いていると、話し方がだんだんと牧師に似てくるのです。あるとき、私の教会の信徒さんがメッセージしているのを聞いていて、「何であんな話し方するんだろうね」と家内に言ったら、「あら、あなたもそうよ」と言われたのに驚いたことがあります。いつも一緒にいると、考え方や行動様式が似てくるということなのでしようか。同じように、使徒たちはイエスとともにいたので、イエスと同じように大胆に語ることができたのです。それは彼ら自身の力によったのではなく、イエスと深い関係にあった使徒たちが、聖霊の力によって語ったからなのです。私たちも同じです。私たちは弱くても、イエスは強いのです。イエスとともにいるならば、聖霊によってイエスが力を与えてくださり、大胆にみことばを語ることができるようにしてくださいます。

 イギリスにチャールズ・スポルジョンという有名な説教者がいました。彼の語る説教には力があり、多くの人たちが教会に集まっていました。しかし、ある聖日、彼は失望感に襲われました。説教の途中で口ごもっただけでなく、なぜかうろたえてしまったのです。彼は説教に失敗したという挫折感にさいなまれました。そこで帰宅の途中でひざまずき、祈りました。「主よ。ないものをあるもののようにされる主よ、私の力のない説教を祝福してください。」
 彼は一週間そのように祈り続けました。ある時は夜中に起きて祈った時もありました。そして、次の聖日にはすばらしい説教をして、失った自信を回復するという決心をしました。その祈りのとおり、次の日曜日にはすばらしい説教をすることができました。礼拝が終わると人々が押し寄せて来て熱烈に賞賛してくれました。満足して家に帰ったとき、彼はこう自分に問いかけました。「あれっ、ちょっと待てよ。失敗したと思った先週の説教の時には41人の人が回心したのに、あんなに賞賛されたきょうの説教では回心者がひとりもいなかったというのはどういうことか」彼の結論はこうでした。「私たちの弱さを助けてくださる聖霊の力がなくては何もすることができない」ということです。

 そうです、私たちは、私たちを助けてくださる聖霊の力がなければ何もすることができないのです。どんなに無力で、普通の人でも、イエスとともにおり、そのイエスの力を聖霊によって受けるとき、大胆にみことばを語ることができるようになるのです。あなたは自分が無学で、普通の人であることに失望してはいませんか。神はそのような人を用いられるのです。あなたが無学で、普通の人であることに感謝しましょう。なぜなら、弱い者、足りない者であるという自覚があるかにこそ、そういう人はもっと主により頼もうとするからです。そして主の力によって大胆にみことばを語ることができるようになるからです。

 Ⅱ.いやされた人が立っている

 彼らが大胆に語ることができた第二の理由は、そこにうごかぬ証拠があったことです。それは救われた事実、変えられた事実です。14節をご覧ください。

「そればかりではなく、いやされた人がふたりといっしょにいるのを見ては、返すことばもなかった。」

 議会におけるやりとりが、ただの議論の応酬だたけだったとしてら、ペテロたちは相手が相手だっただけに、やり込められていたかもしれません。しかし、最高の権威筋を向こうに回しながらも、一歩も引くことなく大胆に語ることができのは、美しの門でいやされた人がペテロとヨハネといっしょに立っていたからです。彼らの宣教にはこのような裏付けが伴っていたのです。そのような証拠を前に、さすがのサンヘドリンも何も言うことができませんでした。返すことばがなかったのです。21節を見ると「それはみなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので」とありますように、この出来事を見た多くの者が、神をあがめるようになったという変化が起こったのです。

 教会がいくら「この方以外には、だれによっても救いはありません」と叫んでみても、そこに現実に救われる人がいて、その人たちが生き生きと喜びに輝いた生活をしているという事実がなければ、その伝道は弱々しく力がないものになってしまいます。しかし、実際に救われた人がそこにいて、喜びに満ちあふれているだけでなく、心から神をあがめるような生活を送っているのをみたら、その宣教は言葉以上に力があるのです。結局のところ、力のある伝道というのは、語った福音がその人の中で生きて働き、それによって救いに導かれたり、感謝に溢れた生活へと変えられるといった実証が伴うことによって裏付けられるのです。言い換えると、伝道は、説教者ひとりが叫んだところでは始まらないということです。それは救われた人みんなが、忠実な教会生活ときよい日常生活をもって説教者のそばに立たなくてはならないということです。

 よく「エホバの証人」の人たちのことを耳にすることがあります。小さいこどもをお連れして家々を訪問してはいるグループです。傍目で見る限り、ああいう人たちにはなりたくないと思っているのに、かなり多くの人たちがそこに入っていくのはどうしてでしょうか。それが真理だからではないのです。そうではなく、表面的にでも以前と違う自分に変えられたという体験があるからなのです。そのように人が変えられるということはそれが必ずしも正しいことを意味するものではありませんが、説得力が伴うのは確かです。エホバの証人の教えでさえそのように変えられるのであれば、まして福音によって救われ、真理を知るようになったクリスチャンによってもたらされる影響はどれほどのものがあるでしょう。この男の人はイエスの御名によって立ち上がることができました。そして、それをみた多くの人たちが神をあがめるようになった。それが復活したイエスが今も生きて働いておられるという動かすことのできない確固たる証拠でした。だからペテロとヨハネは大胆に語ることができたのです。

 アメリカにスティーブ・ライダーという有名な伝道者がおられますが、この方は救われる前に、銀行強盗で逮捕され、9ヶ月の間、独房に入れられたことがありました。彼は太陽を見ることができず、他の囚人とも完全に隔離されていたので何もすることがなく、ずっと聖書だけを読んでいたのです。その中で聖霊にとらえられ、イエスを救い主として信じました。しかし、9ヶ月後、彼は刑務所の本部に移されますが、そこで大きな試練を受けます。食べ物にガラスを混ぜられたり、いじめに遭ったりと、同じ収容者からさまざまな嫌がらせを受けるのです。彼は精神的にも肉体的にも限界を感じ、あるとき野球のバットで2人の囚人を傷つけてしまいました。彼は自分が本当に悪いことをしてしまったと思い、神様に悔い改て祈ります。「神様は、私は本当に悪いことをしました。」そのときです。独房の中で、はっきりと神様の声を聞くのです。「あなたは御霊に満たされる必要がある」彼は、刑務所の独房の中でひざまずきました。そして知らないうちに手をあげて「イエス様、どうぞ私をあなたの御霊で御霊で満たしてください」と祈りました。すると突然、御霊に満たしを体験しました。
 それからというもの、彼の生活はすっかり変わりました。キリストの愛が心にあふれ、大胆さが与えられて、福音を恥じることがなくなりました。そして刑務所の中でキリストの愛をもって人々に仕え始め、3週間のうちにこのイエスの愛と喜びを刑務所内の全部署に伝えました。聖霊の満たしを受けたことで、彼は大胆に福音を伝えることができるようになったのです。やがて、神様は刑務所長までも変えてくださいました。彼は模範囚として釈放されると、彼の全生涯を主にささげ、若者伝道に仕えるようになりました。主は彼を通して多くの奇跡や不思議をなさり、神のことばがさらに広まっていったのです。

 このような事実は、人を引きつけていくのです。たた語るのではなく、その語ったみことばが人を変えていくからです。私たちの伝道にもそのような裏付けというか、証拠が伴わないとその伝道には力がありません。そのためには、まず私たち自身がこの福音に生かされ、その恵みと力を体験する者でなければなりません。そうすることによって、この福音には人を変え、人を生かす力があることを知り、大胆にこれを語ることができるようになるのです。それは聞いている人が返すことばもないほど力のあることばとなるのです。

 Ⅲ.神の前に正しいこと

 第三のことは、それが神の前に正しいとこであるという確信があったことです。19,20節をご覧ください。

「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。『神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。』」

 結局、返すことがなかったサンヘドリンの議員たちは、いったん彼らに退場を命じると、互いに協議しました。そして、その奇跡の事実を否定することができませんでしたが、これ以上この話が民の間に広がらないために、今後いっさいイエスの御名によって語ったり、教えたりしてはならない、と命じました。サンヘドリンにとって彼らがイエスの名によって語ることは、自分たちの立場が危うくなることだったからです。そこで彼らは自分たちが問われている責任の矛先を、ほかの人へと向けて、自分たちの責任逃れをしようとしたのです。とにかく、イエスの名によって語ったり、教えたりしてはいかん・・・と。

 それに対してペテロとヨハネは何と答えたでしょうか。彼らは次のように言いました。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」これはものずこいことでした。当時、このサンヘドリンが言うことは、ユダヤ教の最高議会として、神の声を代弁していました。ですから、神を信じていたユダヤ人は、このサンヘドリンに服従することによって、神に服従しているとみなされていたのです。なのに彼らはそのサンヘドリンに聞き従うことと、神に聞き従うことでは、どちらが正しいか判断してほしいと彼らに訴えたのです。もちろん、サンヘドリンの決定に従うことは重要なことです。「人はみな、上に立つ権威に従うべき」だからです。「神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられもの」(ローマ13:1)だからです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのであって、そのような人は自分の身にさばきを招くことになるのです。しかし、その上に立てられた権威が、神のみこころと違う場合があるのです。そういう場合はどうしたらいいのでしょうか。そういう場合は、あくまでも究極的な権威者であられる神に従わなければなりません。この場合はそうでした。神によって立てられたはずの神の権威であるサンヘドリンが、神のみこころとはちがった決定をし、それを彼らに要求してきたのです。そういう時にはたとえそれが上の権威であっても、あくまでも神に従わなければなりません。そこでペテロとヨハネは、神に従うことと、あなたがたに従うことの、どちらが神の前に正しいことなのか判断してほといと彼らに訴えたのです。そして、たとえその判断がどうであろうとも、神によってイエスの復活の証人になるように召された彼にとって、「自分たちの見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいかない」と言って、議会の禁令にもかかわらず、イエスの名によって語りつづけたのです。

 これは初代教会にとっても、最古参のペテロとヨハネにとっても、初めての経験でした。国の最高権力者から布教を禁じられたのです。私たちの国では宗教の自由が憲法で保障されていますから、こういうことはありませんが、憲法が制定される以前には、同じような困難に直面したことがあります。また、中国や共産主義国家では、今でも国に布教が禁じられているところもあります。そのような状況にもかかわらず、イエスの御名を宣べ伝えるということは、きわめて困難な大事業です。そうした中に立たされながらも、イエスの御名を宣べ伝けるために必要なことはいったい何なのでしょうか。これが神の前に正しいことであり、神のみこころであるという確信を持っていることです。この方以外にはだれによっても救いはありません。この御名のほかには、私たちが救われるべき名は人間に与えられていない。この御名こそ私たちが救われるべき名として、神が与えてくださった名であり、だれが何と言おうとも、これを伝えていくことが神のみこころなんだといった使命感を持たなければならないのです。ペテロたちは、そうした確信を持っていました。単なる彼らの思い込みによるものではなく、みことばによって裏付けられていたことでした。彼らはそのことをすでに主イエスの口を通してそのことを聞いていたのです。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイ28:19,20)

 ですから、彼らはこのように主張することができたのです。まことに、私たちがどんな状況にあっても、たとえ迫害されるように脅されたり、あるいはどれほどの実績が伴わなくても、みことばを宣べ伝えていくのは、それが神のみこころだからなのです。伝道することが神の前に正しいことであり、神の願いとすることであり、私の義務であると信じることこそ、私たちが大胆にみことばを語っていくために必要なことなのです。

 パウロは、コリント第一の手紙9章16節で「もし福音を伝えなかったら、私はわざわいに会います」とまで言っています。なぜパウロはそのように言うことができたのでしょうか。それは召命感があったからです。神様が自分を福音宣教のために呼んでくださったという確信です。だからこそ、これはどうしてもしなければならないことだったのです。

 アメリカに、アルバート・マクマキンという、主をとっても愛した農夫がいました。彼はイエス様を信じたばかりなのに、伝道の情熱に燃え、いつもたくさんの人をトラックに乗せては伝道集会に連れて行きました。ところが、彼がどんなに誘っても、頑として応じない一人の友人がいました。その人は見るからにハンサムで、いろいろな女の子と恋愛を楽しむのに忙しくて、キリスト教などにはまるで関心がないかのようでした。しかし、1924年のある日、当時24歳だったマクマキンは、そのハンサムボーイに「悪いけどトラックに乗って集会場までうんてんしてくれないか」と頼むことで、彼を会場まで引っ張り出すことに成功しました。そのハンサムボーイは、会場の前で中に入るのを少しためらいましたが、不思議なことに中に入ることを決心しました。そして、まるで魔法にかけられたかのように、彼は新しい価値観に魅了されました。そしてその後も何度も集会に参加し続けて、ついにある日、招きに応えて人生をイエス・キリストに明け渡したのです。そのハンサムボーイこそ、20世紀最大の伝道者ビリー・グラハムでした。自分はビリー・グラムのような偉大な伝道者にはなれないかもしれませんが、アルバート・マクマインのような役割なら果たすことができるのではないでしょうか。しかし、それがビリー・グラハムであってもアルバート・マクマインであっても、そこに共通する確信があるのです。それは、この方以外にはだれによっても救いはないということ、そして、このすばらしい救いを紹介していくという使命が、自分たちに与えられているということです。

 それは私たちにも言えることなのです。すてのクリスチャンは、この使命が与えられています。これは私たちに対する神のみこころなのです。それがどういう方法であろうとも、私たちはこの確信に立つことが求められています。そのとき私たちも、ペテロやヨハネのように、ほかの人が何と言おうとも、自分たちが見たこと、聞いたことを話さないではいられなくなるのです。それが神のみこころ、神の願いだからです。

使徒の働き4章1~12節 「この方以外には救いはない」

 きょうは「この方以外には救いはない」というタイトルでお話をしたいと思います。
 以前、ロサンゼルスに住む韓国人の眼鏡屋の店主が、テレビにある広告を出しました。その広告とは、その眼鏡屋の店主がなれない口調で「私は眼鏡のことしか知りません」とただ一言だけ言うものでしたが、当時、大ヒットし、広告の大賞まで受賞しました。眼鏡屋で眼鏡のことしか知りませんと言えることは誇りであるということです。それは、クリスチャンにも言えることではないでしょうか。クリスチャンにとって「この方だけ」と、イエスだけを求め、イエス様だけを誇れることは幸せなことなのです。

 きょうのところでペテロは、この方だけと告白しました。「この方以外には、だれによっても救いはありません」と言いました。この方以外には、私たちが救われるべき名としては人間に与えられていないからです。私たちが救われ、私たちが頼れる唯一の希望はイエス・キリストだけなのです。きょうはこのことについて三つのことをお話したいと思います。第一のことは、主イエスの復活の力です。ペテロとヨハネがユダヤ教の指導者たちに捕らえられてしまったのは、彼らがこの主イエスの復活を宣べ伝えていたからです。主イエスの復活の力は、それほど力があったのです。第二のことは、本当の権威とは何かということです。ユダヤ教の指導者たちは、何の権威によって、だれの名によってこんなことをしたのかとペテロとヨハネに尋問しました。彼らの問題は本当の権威を持っておられる神をないがしろにし、自分たちにそれがあると思い込んでいたことでした。第三のことは、この方以外には救いはないということです。私たちに救われるべき名として与えられているのは、このイエスの御名だけです。この方だけを信じなければなりません。

 I.主イエスの復活の力

まず第一に、イエスの復活の力です。1~4節をご覧ください。ここには、ペテロとヨハネが捕らえられるという事件が起こります。これはキリスト教会における最初の迫害です。それがいったいなぜ起こったのかというと、彼らが主イエスの復活を大胆に宣べ伝えていたからです。

「彼らが民に話していると、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来たが、この人たちは、ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えているのに、困り果て、彼らに手をかけて捕らえた。そして翌日まで留置することにした。すでに夕方だったからである。しかし、みことばを聞いた人々は大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。」

 「美しの門」のところで生まれつき足のきかない男をペテロとヨハネがいやしたことで、いったいそれがどういうことかを話していると、そこへ祭司たち、宮の守衛長たち、またサドカイ人たちがやって来て、彼らに手をかけて捕らえてしまいました。ペテロとヨハネが民を教え、イエスのことを例にあげて死者の復活を宣べ伝えてるいのに、困り果てたからです。ここに出てくる祭司たちや宮の守衛長、またサドカイ人たちというのは、みんなサドカイ派に属する人たちでした。ユダヤ教には大別して三つの派がありました。パリサイ派、サドカイ派、エッセネ派です。エッセネ派というのは神秘主義でしたので、聖書にはほとんど出てきませんが、パリサイ派とサドカイ派についてはよく出てきます。そしてこのサドカイ派の特徴は復活をはじめ、超自然的なことを信じていなかったということです。彼らは神とモーセは信じていましたが、奇跡はすべて否定していたのです。いわゆる現実主義者で、自分たちの理性で受け入れられないものは信じましたが、そうでないもの、たとえば、奇跡やしるしとか、天使とか、霊といった存在は信じていませんでした。ですから、死者が復活するというようなことは到底受け入れられないことでした。ところが、ペテロとヨハネが宣べ伝えていたのはイエスの復活のことでしたから、彼らとしては困り果ててしまったわけです。そこで彼らはペテロとヨハネに手をかけて捕らえてしまったのです。

 しかし、逆に言うならば、ペテロとヨハネの話というのは、こうした人たちが恐れ、困り果て、ついには手をかけずにはいられないほど影響力があったのです。そのような力はいったいどこから得ていたのでしょうか。それは聖霊の力でした。3章15、16節のところでペテロは、「いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、・・・この人を強くしたのです。」と言っています。この復活したイエスを信じる信仰によって、彼らは大胆に語ることができたのです。実に、イエスの復活の力こそ、いのちがなくなってしまったかのように弱り果てている人を立ち上がらせることのできる力の源であり、このように大胆に福音を宣べ伝えることができる秘訣だったのです。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」
                             (使徒1:8)

 彼らは初めからそのような力があったわけではありません。13節を見てもわかるように、もともとは無学な、普通の人でした。ガリラヤ湖畔で魚を捕って生計を立てていたようなごく普通の人たちだったのです。そんな彼らがイエスと出会い、イエスに付き従って行くことによって、その人生が大きく変えられました。人生の目標と生きる希望が与えられました。しかし、そのような希望がズタズタに引き裂かれる出来事が起こります。そうです、主イエスが十字架に付けられて殺されるということです。その出来事によって、彼らの夢と希望は潰えたかに見えました。ペテロはイエスが逮捕された時、イエスが言われたとおり三度もイエスを否認しました。そんな弱い人間でした。自分の弱い信仰に彼は涙したほどです。そして故郷に戻り、漁師としての生活をしようとしました。しかしあわれみ豊かなイエス様は、復活された後、ペテロのところを訪ねてくださり、再び彼を立ち上がらせてくださいました。主の愛と赦しによってペテロは再び弟子として生きる力を得、さらに聖霊のすばらしい力が与えられました。聖霊の恵みを経験したペテロはもはや、自分の都合のために自分を守る卑怯な人ではありませんでした。主のためにいのちをささげることができる、信仰の人になったのです。死の危機の前でも力強くキリストの福音を伝える証し人になりました。彼らが大胆にキリストの復活を宣べ伝えることができたのは、この聖霊の力に満たされていたからなのです。

 生まれながらの人間は、主イエスを裏切ったペテロと少しも変わりません。しかし、死者の中からよみがえられたイエス・キリストを信じる信仰によって、大胆に福音を伝える者になれるのです。そして、それを聞いた人々が大ぜい信じるといった神様のみわざが起こるのです。

 Ⅱ.本当の権威

 次に本当の権威とは何かということについて見てみましょう。5~7節までをご覧ください。

「翌日、民の指導者、長老、学者たちは、エルサレムに集まった。大祭司アンナス、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな出席した。彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。」

 その翌日、民の指導者、長老、学者たちが、エルサレムに召集されました。民の指導者というのは、宗教的指導者のことで、大祭司、宮の守衛長、祭司たちのことです。ここに祭司と長老と学者が集められたということは、ここにユダヤ教の最高議会であるサンへドリンが召集されたということです。そこには大祭司とその一族も出席しました。彼らは使徒たちを取り囲むかのように真ん中に立たせて「あなた方は何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しました。

 しかし、この尋問の内容を見ると、少し変わっていることに気づきます。ペテロとヨハネが捕らえられたのは彼らがイエス・キリストの復活を宣べ伝えていたからでしたが、ここで彼らが尋ねたことは、「何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」ということでした。それはここにパリサイ人たちも集っていたからです。彼らは死者の復活はあると信じていたので、そのことについて尋問することはできませんでした。そこで彼らはその矛先を変え、彼らがしたことの合法性と正当性について尋ねたのです。「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」というようにです。こんなことというのは、もちろん、彼らが生まれながらの足なえをいやしたということです。彼らの主張によると、このような奇跡のわざをするには、サンへドリンの許可が必要であり、また、宮で教える時には宮の責任者である大祭司や宮の守衛長たちの許可が必要だったというのです。それがなかったではないか、あなたがたは勝手な行動をしたのだと責めました。それが秩序ということから考えると、当然のことかもしれません。しかし、彼らがどうしてそのような質問をしたのかを考えると、そこには彼らの思い違いというものがあったのがわかります。すなわち、彼らは自分たちに権威があると思い込んでいましたが、本当の権威者を見失っていたということです。つまり、彼らは外見的な権威だけを主張するも、真に神を恐れ、神に従うという実体を失っていたということです。それが問題でした。そのため彼らの考えも生活もすべてが形骸化していました。彼らの関心は神よりも自分たちにあったのです。自分たちは神のために働いていると考えていましたが、実は自分の利益のために神を利用しているにすぎませんでした。それが問題だったのです。

 しかし、それは彼らだけのことではありません。私たちの中にも、自分の益のために神の名を利用するも、その神に従っているかというとそうでもないことがあるのです。神が何と言っているかということよりも、自分の考え、自分が満足することを求めていることが少なくないのです。

 先日、アンビリーバボーという番組で、韓国が世界に誇るNo1テノール歌手のベー・チェチョルさんのことが放映されました。チェチョルさんは世界的にも貴重な「リリコ・スピント」という声質で、100年に一人の越材と絶賛されていた人です。オペラの本場イタリアで声楽を学んだ後、ヨーロッパ各地の聖楽コンクールで優勝・入賞を重ねる中、数々の歌劇場で主役を演じるなどして大きな成功を収めました。しかし、2005年に甲状腺のがんであることが判明し、その手術とともに声を失います。いったいなぜ自分なんだと悩み苦しむ中、翌年、京都で甲状軟骨形成手術を行い、奇跡的に声を快復しました。しかし、その声は以前のような声ではありませんでした。けれども彼は、そのことを大きなことを学ぶのです。それまでは、自分が1番になるために歌っていましたが、本当の歌はそれを聴いてくれる人が喜ぶためであるということを知るのです。そして、少しずつ声のリハビリに励み、2008年12月には、新しい声で神に賛美をささげるべくニューアルバム「輝く日を仰ぐとき」を作りました。これは、愛と祈りに満ちた賛美の歌声が、聴く人たちに深い感動をもたらしているのです。以前の彼は自分のために歌っていましたが、その病を通して自分が歌うことの真の意味を知りました。それは自分にいのちを与え、自分を生かし、そのような賜物を与えてくださった神の栄光のためであり、それを聴いて喜んでくださる聴衆のためである・・・と。

 神のためにと言いながら、知らず知らすのうちにその神を利用し、実は自分のために生きているということが多いのです。もし本当に神の栄光を求めているのなら、自分を捨てることなど難しくないのです。外側だけで神に従うような信仰ではなく、神の御声を聞き、その御声に従うといった中味の伴った信仰が求められているのです。 

 Ⅲ.この方以外に救いはない

第三のことは、この方以外には救いはないということです。8~12節までのところに注目していただきたいと思います。何の権威によって、また、だれの名によってこんなことわしたのかという議会からの質問に対して、ペテロはこのところで答えています。彼は聖霊に満たされて言いました。8~10節です。

「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行った良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです」

 ペテロはまず、自分たちが取り調べられているのが死人が復活したことの有無ではなく、また、宮の秩序を乱したとかということではなく、生まれつき足のなえていた人がいやされたという「このこと」であるなら、それは病人に行った良いわざであって、そのことで罰せられるいわれなどないと言いました。では何の権威によってこれらのことをしたのかというならば、それは、あなたがたが十字架につけて、神が死者の中からよみがえらせてくださったナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。このナザレ人イエス・キリストは、彼らが十字架につけて殺した人です。ユダヤ教の最高議会であるサンヘドリンがそのように決めたからです。しかし、神様はそんな彼らの権威をあざ笑うかのように、彼らが十字架で殺したイエスをよみがえらせたのです。なぜなら、このイエスこそ真の権威と死者の中からよみがえらせる力を持った方だったからです。この方が、あの足なえをいやしたのです。

 では、いったいだれの名によってこんなことをしたのでしょうか。その質問に対してペテロは、それは「ナザレ人イエス・キリストの御名によるのです」とはっきりと答えました。だから、悔い改めて、神に立ち返らなければなりませんでした。このイエスの御名を信じなければならないのです。しかし、それが奇跡だからといっても、イスラエルではその結果だけを見て簡単に信じてはいけませんでした。なぜなら、偽預言者でも同じようなことを行っては惑わすことがあるからです。そこで旧約聖書では、そのようなことがないようにと警告されていました。申命記13章1~3節です。ではどうしはたらいいのでしょうか。そのためには、イエスの御名によって奇跡が起こったこととは別に、イエスの御名がほかの神々のような偶像や、迷信、邪教などの呪文でなはないことを立証しなければなりませんでした。そこでペテロは詩篇118篇11~12節を引用して次のように言いました。11節です。

「あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった」というのはこの方のことです。」

 これは何のことを言ってるのかといいますと、神殿の礎の石のことです。かつてソロモンによって建てられた神殿がバビロンによって滅ぼされましたが、神は、バビロンに捕らえ移されていたユダヤ人を、ペルシャの王クロスによってエルサレムに帰国させました。帰国したユダヤ人は、そこで最初に何をしたかというと、神殿の再建です。かつてソロモンによって建てられたようなあの豪華な神殿ではありませんでしたが、宮の礎を据え、約20年かかってその宮を完成させたのです。その感性の様子がエズラ記に記されてありますが、彼らは感激のあまり泣きました。神殿を建てるということは、それほど大きなことでした。その工事中のことですが、そこに一つの大きな石が切り刻まれて運ばれてきました。しかし、その石は大きかったためどこにもはまりませんでした。そこで民はその石をどうしたかというと捨てたのです。ところが、後で分かったことは、実は、その石こそ、二つの壁をつなぐ上でどうしてもなくてはならない「隅のかしら石」であったということです。詩篇の作者はそのことを歌ったわけです。そしてその隅のかしら石こそイエス・キリストのことを指していたのです。すなわち、隅のかしら石がユダヤ人たちによって一度は捨てられたように、イエスはユダヤ教指導者たちによって捨てられ十字架につけられて殺されましたが、この石こそなくてはならないものでした。神はこのイエスを死者の中からよみがえらせたのです。なくてはならない方だったからです。この石こそ一度は捨てられたもののやがて最も栄光に満ちた隅のかしら石となったからです。すなわち、このイエスこそなくてはならない方、あの隅のかしら石、聖書の中で何千年も前から預言されていた救い主であったということです。ですから、ペテロは結論として次のように言ったのです。12節です。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

 この方以外に、私たちを罪から救うことのできる方はおられません。この方こそ、私たちを罪の刑罰から救い、永遠のいのちを与えることのできる唯一の救い主なのです。ですから、私たちはこの御名を信じなければ救われないのです。

 皆さんには、このような確信があるでしょうか。ペテロたちが困難とはずかしさにもめげず、熱心にキリストの御名を宣べ伝えたのは、この方以外にはだれによっても救いはないという確信があったからでした。そうでなくて、たとえば孔子の教えを信じてそれを実践して倫理的に正しく生きたら救われるとか、仏の教えに従って信心深く生きたら救われるとか、あるいは、キリスト教が伝えられなかった時代や地方の人たちは、信じようがなかったのだから別の道で救われているのだろうと考えたなら、このような確信はなかったと思います。実は、そのような考えほど危険なものはありません。私たち日本人の中には、ここに記されてあるような「このしか」とか「この方以外には」といった表現を、排他的だと言って嫌う傾向があります。私たち日本人は、あれも神、これも神、たぶん神、きっと神だと、どの神でも信じるなら救われるとか、広く人類を愛する博愛主義やヒューマニズムのあまり、あるいは人を滅ぼす神など信じられないといった神の愛へのめくらめっぽうな期待から、どんな人でも救われるのだという万人救済主義を唱える人が少なくありません。クリスチャンでも、ノンクリスチャンでも、結局は全人類が、あれやこれやの経路を経てみんな救われるというのです。もしそうだとしたら、どうして布教や伝道などをする必要があるでしょうか。

 かつて私が福島にいた時、仏教系の新興宗教の道場でお話をさせていただいたことがあります。その宗教では毎月1のつく日を他宗教から学ぶ日としていたのです。そこでキリスト教からも学ぼうということで招いてくださったのでした。広い畳敷きの部屋に300人くらいの方が座って熱心に話を聞いてくださいました。話の後で、「皆さんの中でイエス様を信じたいと思われる方がおられますか。おられましたらその方のためにお祈りをさせていただきたいと思いますので、手をあげてくださいますか」と言いましたら、驚いたことに、何人かの方が手をあげられました。「では、その方のために祈りましょう」と言って祈りましたところ、すぐにその会堂の長と言われる方が来られ、必死に説得されました。「皆さん、いいお話でしたね。それぞれ信じている道は違っても、最終的に同じところに行きますから大丈夫ですよ。ほらこういう歌があるでしょう。『分け登る麓の道は多かれど、同じ高嶺の月を見るかな』この歌のように登る道は違っても、みんな同じ高嶺に行くんですよ」

 これが日本人の宗教観なのです。どの宗教もみな同じ、大切なのは信じることだ。いやたとえ信じなくても、みんな同じ所に行くから大丈夫・・・と。しかし、聖書はそのように語ってはおりません。聖書が言っていることは、

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名は人には与えられていないからです。」

私たち人間が救われるべき名として与えられている名は、このイエス・キリストの名だけであるということです。最初の人間アダムは罪を犯したので、その末はみんな罪人なのです。その罪のゆえに、キリスト教が伝わっても伝わらなくても、私たち人間はみんな滅んで当然なのです。しかし、あわれみ豊かな神様は、そのあわれみによってご自身のひとり子イエス・キリストをお与えくださいました。このキリストのみ名だけが、例外的に、救いの道を開いてくださったのです。

ですから、私たちは一日も早くひとりでも多くの人が救われるために、この御名を宣べ伝えなければならないのです。「もし良かったら信じてください」という程度のものではなく、この御名によらなければ救われないことをはっきりと伝えなければならないのです。

 かつて自分のおばあちゃんが亡くなったけど、そのおばあちゃんはいったいどこに行ってしまったのかを知りたいと教会に来られた方がおられました。その方は、おばあちゃんはイエス様を信じなかったけど、死んだらみんな同じところに行くと思う、と言われました。牧師さん、聖書には何と書いてあるのですかというのです。このような質問に応えることは本当に厳しさを感じます。その方の慰めのためならなるべくそうしたことには直接的には答えない方がいいのではないかという思いも沸いてきます。しかし、このことについて聖書ははっきりと言っているのです。
 そこで私は、このように言いました。「私は、皆さんが言うような曖昧なことは言いたくありません。もし、あなたがそのことについて聖書を開き、聖書が何と言ってるのかを本当に知りたいと思うなら、今、いっしょに聖書を開いてみることができますが、どうなさいますか。」
すると彼女は言いました。「今の私には、それを受け止める余裕がないと思います。でも、キリスト教が日本でなかなか増えない理由がわかるような気がしました。このような教えを受け入れることは難しいと思います。」

 それはあまりにも厳粛すぎるかもしれません。しかし、永遠に変わることのない聖書が、はっきりとそう告げているのです。大切なことは、この現実から目をそらして考えないようにするのではなく、聖書が言っているこのイエス・キリストを信じて、心に受け入れることなのです。

 救世軍の創立者、ウィリアム・ブース(William Booth)が晩年、臨終を前に床に臥していたとき、子どもの一人が書類の入った封筒を持ってやってきました。「お父さん、どんなに大変でもお父さんの財産を整理するためには、この書類にサインをしなければならないのです」そこでブースはその書類にざっと目を通すと、かろうじてペンを持ちサインしました。そして書類を封筒に入れ、自ら封をしてこどもに渡しました。彼が世を去った後で、子供たちはその封筒を開き中に入っていた書類を見てびっくりしました。なぜなら、その書類には自分の名前ではなく、「イエス様が主です」と書いてあったからです。
 彼が最後まで残したかった名は、イエス・キリストの名前でした。彼の全財産の所有者はイエス・キリストだと宣言したかったのです。最後の署名を通して彼が証ししたかったのは、イエス・キリストでした。このイエス・キリスト以外には救いはないからです。このイエスの名こそ、私たちが死ぬ前に呼ぶべき名であり、また死んでからも握りしめている名なのです。

 あなたは、この御名を信じていますか。信じて救われているでしょうか。どうか、この御名を信じてください。そして、永遠のいのちを受け手ください。この方以外には、だれによっても救いはないからです。