創世記17章

 1.アブラムからアブラハムへ(1-8)

きょうは創世記17章から学びたいと思います。1節を見ると、「アブラムが99歳になったとき主はアブラムに現れ、こう仰せられた。」とあります。アブラムが不信仰によって失敗した出来事から早13年が経過していました。13年前にどんな出来事があったのでしょうか?アブラハムがカナンに来てから10年後に、彼はサライの女奴隷を通して彼女の中に入り子どもを儲けてしまいました。イシュマエルです。

神は、アブラハムが75歳の時、「あなたの生まれ故郷、あなたの家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)と命じられました。「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」(創世記12:2)と言われました。そして、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族はあなたによって祝福される。」(創世記12:3)と約束されました。

けれども、それから10年経っても何の実現の兆しも見えない中で、アブラハムは神様を疑ってしまったのです。そしてイシュマエルをもうけてしまったのです。それはアブラハムが86歳の時でした。それから13年、アブラハムは今99歳になっていました。そのとき主はアブラムに現れて仰せられたのです。

「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。」

 いったいなぜ神はこのように言われたのでしょうか。これは15章で語られた内容と同じものです。それは、これが人間的なものではなく、神の御業によるものであり、その成就すべき時がきたことを示すためでした。それにしても、あの出来事からすでに13年が経過していました。神が最初にアブラハムを召してから実に24年が経過していました。にもかかわらず、神の約束は一向に実現しようとはしていませんでした。神は全く沈黙しておられたのです。おそらくアブラハムの中には、もうダメだろうという思いがあったと思います。そのような時に神はこのように語られたのです。それは人間的には不可能なことでも、神にとっては可能であることを示すためでした。

 ここで神は、ご自身を「全能の神」「エル・シャダイ」であると言われました。「エル・シャダイ」の「エル」はヘブル語で神、「シャダイ」は「シャダット」、つまり「破壊する」「力を持つ」という意味のことばです。神は力の神、全能の神なのです。この全能の神という御名は、たとえ自然の秩序において、神の約束が成就される見込みが全くなく、また自然の力では約束を成就されることが保証できないときでも、神は、それを成就する力をもっておられることを示しているものです。神は、この重要な局面でその約束を成就する力をもっておられることを示されたのです。

 

 しかし、神がどんな力をもった「エル・シャダイ」であっても、それを受ける人間が信じなければ意味がありません。そこで神様はアブラハムに、「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。」と言われました。「全き者」とはどういう者のことでしょうか。これは創世記6章9節で神がノアに対して言われた言葉と同じです。ノアはその時代にあって全き人でした。それは彼が何の失敗もしない完全な人であったということではなく、神を信じ、神のことばに忠実に歩みました。彼はそのような意味で「全き人」であったのです。それと同じことがアブラハムに求められました。確かに彼は人間的には弱さがありました。失敗もしました。しかし、それでも彼の心が神様に向けられ、神のことばに信頼し、そのことばに生きることが求められたのです。つまり、信仰によって歩むようにということです。もちろん、不信仰による失敗もたくさんありました。それでも神に信頼していく。それが求められたのです。

 この契約において神は、それが確かなものであることの保証として二つのしるしを与えました。一つはアブラムとサライに新しい名前を与えたことです。そしてもう一つは割礼です。まず神様は、「あなたの名はアブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。」と仰せになられました。「アブラム」とは「高貴な父」という意味です。おそらく「高貴な族長」という意味でしょう。それが「アブラハム」と変えられました。意味は「多くの国民の父」です。よく名は体を表すとありますが、ここでアブラハムに新しい名前が与えられたということは、これまで語られたた約束(12:1-3,15:4-5)がいよいよもって実現する時がきたことを表しているものと思われます。

2.割礼を受けなさい(9-14)

 そんなアブラハムに対して、神はその契約が確かなものであることを示すために、そのしるしとして割礼を受けるようにと命じられました。それは彼だけでなく、彼に与えられた契約に預かるすべての子孫においても同じです。つまり神はこの契約のもとで、人々が肉体にしるしをつけることを望まれたのです。この「割礼」とは、男性の生殖器からその包皮の一部を切り取る儀式です。このような行為は早くからエチオピアやアラビヤなどで行われていましたが、それらは衛生を目的としたものでした。しかしここで命じられた割礼とは衛生を目的としたことではなくあくまでも宗教的な儀式でした。実際には衛生面もかねていたと思われますが、それが第一義的な目的ではなく、神の選民であるすべてのユダヤ人が、神の契約が代々にわたって続いていることを、思い出させるためだったのです。

 この契約がのちにイエス・キリストの贖いによって成就したとき不要なものとなりました。それはあくまでも神の選民であることの外的なしるしであって、神の恵を思い出させるためだったので、大切なのはそうした外的なしるしではなく、心に割礼を受けることでした。パウロはそれをこう言っています。「割礼を受けているかいないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(ガラテヤ6:15)しかし、ユダヤ人はあくまでもこの割礼にこだわり、割礼を受けていないものは救われないと説いたので、パウロとバルナバはそのことについてユダヤ主義的クリスチャンたちと戦わなければなりませんでした。救いのしるしとしての割礼ではなく、大切なのは心の割礼だということを受け入れることはほんとうに大変なことだったかと思いますが、それが神様のみこころだったのです。私たちも霊的にいつも柔軟でないと、こうした神様のみこころを理解できなくなって、自分の信仰に陥ってしまいます。大切なのは、神のみこころは何なのか、何が神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えることなのです。

 ところで、イスラエルは生まれて八日目に割礼を受けさせましたが、それは本人の信仰というよりは親の信仰告白に基づくものでした。それは両親の信仰告白でもあったのです。これが新約時代における幼児洗礼を授ける根拠にもなりました。私たちは幼児洗礼を否定します。信仰は親の信仰告白に基づくものではなく、あくまでも本人の信仰告白に基づくものだからです。しかし、この両親の信仰告白というのは重要です。それは両親の祈りとも言えるでしょう。そういう意味では幼児洗礼を授けるまでしなくとも、その子がやがて自分で信仰を告白することができるように育てていくという責任がゆだねられていることを覚え、そのように両親の神への信仰としてしっかりと信仰に歩めるように育てていかなければなりません。両親の信仰と祈りがその子の信仰に大きな影響をもたらすことは確かなことだと思います。

 3.サライからサラへ(15-21)

 さて、15節からのところには、サライもまた改名を命じられたことがしるされてあります。「サライ」は「サラ」と呼ばれるようになりました。「サライ」という名前は「わたしの女王」という意味ですが、それが「サラ」、女王になるのです。それは、国々の民の母となるからです。「わたし」に限定されないすべての国々の女王になるという意味です。

 しかし、17節を見ると、この時アブラハムは笑い、心の中で、「百歳の者に子どもが生まれようか。また、九十歳の女が子どもを産むことができようか」と言ったとあります。信仰の父ともあろう彼がいったいなぜこのようなことを言ったのでしょうか。それはアブラハムが不信仰であったからというよりも、それが彼の持っていた信仰の限界であったということでしょう。しかし、選ばれた者を最後まで忍耐し鍛錬される神は、そうした彼をやさしく取り扱い、彼らの考えを正しく正されました。ここには神のやさしさが感じられます。どんなに信仰の父と呼ばれるような者でも、所詮人間であることには変わりありません。しかし、そうした中にあっても神は私たちの手を取って助け、導かれる方なのです。そうした私たちに求められていることは、限界の中にあっても神に従うということです。

 23節を見ると、アブラハムは、その子イシュマエルと家で生まれたしもべ、また金で買い取ったすべての者に割礼を授けました。なかなか信じることができないという人間の弱さがあっても、彼は神に従ったのです。それが彼の義とみなされたのです。信仰と不信仰のはざまにあってもためらうことなく神のみことばに従うこと、それが、神が喜ばれる全き者の姿なのです。全き者というのは、このように神のみことばに従順な者のことなのです。それが神のあふれんばかりの祝福を得られる秘訣なのです。

 私たちもなかなか神のことばを信じることのできない弱さがありますが、その中にあってもただ神が語られることに従順に従う者でありたいと思います。それがアブラハム、サラの信仰に歩む者の姿であり、神が求めておられる全き者の姿なのです。

ヘブル人1章1~3節 「神の御子イエス・キリスト」

 きょうからヘブル人への手紙に入ります。この手紙はだれによって書かれたのかはわかりません。通常の手紙ですと、手紙の冒頭のところに、だれによって書き送られたのかが明記されていますが、この手紙にはそれがないからです。ある人は、これはパウロによって書かれたに違いないと言い、また、ある人はおそらくアポロによって書かれたものでしょうと言いますが、実際にはだれによって書かれたのかははっきりわからないのです。でもわからないからこそ、なお一層のことこの手紙が聖霊に動かされた人たちによって書かれた手紙であるということがクローズアップされているのではないでしょうか。そうです、この手紙の著者は聖霊なる神ご自身なのです 

 では受取人はだれでしょうか。これも書かれてありませんが、この手紙のタイトルを見ると「ヘブル人への手紙」とあるので、これはユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれた手紙であることがわかります。いったいなぜ書かれたのでしょうか?彼らはユダヤ教からキリスト教に回心した人たちでした。そこには相当の迫害や困難があったであろうということは容易に想像することができます。そうした苦難や困難に遭うことで、中には過去の生活に逆戻りする人たちもいたのです。そこで、そうした人たちを励ますために、そして、この信仰にしっかりととどまっているためにこの手紙が書かれました。 

 そうした人たちにとって、いったい何が励ましになったのでしょうか。それは主イエス・キリストご自身です。キリストがどのような方なのかを知り、この方をしっかりと見つめることが、そうした困難を乗り越える力となったのです。それゆえ、この手紙の著者はこう勧めるのです。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから、目を離さないようなしなさい。」(ヘブル12:2)それは、私たちにも言えることではないでしょうか。私たちも日々の生活の中で多くの問題に直面して苦しむことがありますが、そのような時でもキリストがどれほどすばらしい方であるのかを思い出し、この方を見つめるなら、大きな励ましを受けるのです。きょうは、この方がどれほど偉大な方であるのかをご一緒に見ていきたいと思います。 

Ⅰ.神は、預言者たちを通して語られた(1)

 

 まず1節をご覧ください。「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、」 

 この手紙は、いきなり「神は、」で始まります。「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られました」皆さん、まことの神は語られる方です。しかし、偶像はそうではありません。偶像は口があっても語ることができません。偶像は目があっても見ることができず、口があっても語ることができず、耳があっても聞くことができません。鼻があっても嗅ぐこともできないのです。詩篇115篇2~8節にはこうあります。

「2 なぜ、国々は言うのか。「彼らの神は、いったいどこにいるのか。」と。3 私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行なわれる。4 彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。5 口があっても語れず、目があっても見えない。6 耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。7 手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。8 これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」 

偶像は語ることができませんが、まことの神は語ることができる方です。目を造られた方は見ることができるように、口を造られた方は語ることができるのです。神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法によって語られました。 

いったいなぜ神は語られたのでしょうか。それはご自身を現しすためです。もし神が語ってくださらなければ、どうやって神を知ることができるでしょう。もし神を知ることができなければ、どうやって神を信じることができるでしょうか。人間の知恵によっては神を知ることはできません。この世の宗教はそれを物語っているのではないでしょうか。この世の宗教は自分の知恵や力でがんばって神を知ろうしますが、どんなにがんばっても知ることはできません。自分の努力や、難行、苦行によって悟りを開こうとしても、開くことはできません。ただ神の側から近づいてくださらなければ、神が語ってくださらなければ、神を知ることはできないのです。だから、神は語ってくださったのです。 

いったい神はどのようにして語られたのでしょうか。ここには、「神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して語られました。」とあります。「預言者たち」というのは、神のみこころを代弁して語る人たちのことです。神はご自分の語りたいことを、ある人たちを選んで語られました。それが預言者と言われる人たちのことです。預言とは遠い未来のことを予言する「予言」だけでなく、そのことも含んだ神のことば全体を預かり、それを語る人たちのことです。

また、「多くの部分に分け」というのは、部分的に、断片的に、段階的という意味です。神は、むかし先祖たちにご自分のみこころを、段階的に、断片的に語られました。それが旧約聖書です。旧約聖書は創世記からマラキ書まで全部で39巻ありますが、それは1,400年という歳月をかけ、いろいろな人たちによって語られたことがまとめられました。その中には農夫や漁師、羊飼いといった無学だと言われていた人々もいれば、学者や法律家のような学識者たちもいました。このように、旧約聖書は、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法によって語られたのです。ですから、ペテロはⅡペテロ1章21節でこう言っています。

「なぜなら、聖書は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」

 聖書は、決して人間の意志の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったものなのです。それゆえに聖書は神のことばであり、私たちがよって立つべき唯一の道しるべであると言えるのです。あなたはそのようにうけとめておられたでしょうか。 

 しかし、神は預言者たちを通してそのすべてを語ったのかというとそうではありません。それは部分的であり、また断片的なものであり、神の啓示のすべてではありませんでした。それは正しいものですが、それで完結していたのではありません。その完成のためにはある方の到来を待たなければなりませんでした。それが神の御子イエス・キリストです。 

 Ⅱ.神は御子によって語られた(2a) 

 そのことが2節の冒頭のところに述べられています。ここには、「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。」とあります。神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して語られましたが、この終わりの時には、御子によって語られました。御子とは神の御子イエス・キリストのことです。神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して語られましたが、この終わりの時には御子によって語られたのです。「終わりの時」というのは、救い主イエスが到来した時から始まった時代のことです。ですから、今はこの終わりの時でもあります。この終わりの時には御子によって語られました。どういうことでしょうか?つまり、神は初めご自分のみこころを部分的、断片的に見せてくださいましたが、この終わりの時には御子によってはっきりと示してくださったということです。

神の救いの計画は、最初の人アダムとエバが罪を犯した直後にすでに示されていました。創世記3章15節を見ると、神である主は蛇にこう仰せられました。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼はおまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

神は、女の子孫から出てくる方によって、敵である悪魔の頭を完全に踏み砕くと言われたのです。これが何を意味しているのはその時にははっきりわかりませんでした。しかし、やがて女子孫から生まれた神の御子イエス・キリストが十字架にかかって死なれ、三日目によみがえられたことによって、このみことばが成就したことがわかったのです。おまえは彼のかかとにかみつくということが十字架の預言であり、彼はおまえの頭を踏み砕くというのが復活の預言です。こうしてキリストは敵である悪魔に完全に勝利すると言われたこのことばが実現したのです。 

神はこれをもっと具体的に展開していきます。創世記12章に入ると、そのために神はアブラハムという一人の人物を選びこう告げるのです。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなる者としよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(12:1~3)

つまり、神はアブラハムの子孫から救い主を起こすと約束されたのです。地上のすべての民族は、彼によって祝福されるのです。 

そして、それはさらにダビデ王の子孫としてお生まれになる方だと告げられました。また、その方はユダヤのベツレヘムでお生まれになるとも語られました。そのようにしてお生まれになられた方こそ救い主がイエス・キリストだったのです。ですから、神は、むかし預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法によって語られましたが、この終わりの時には御子によって完全に語られたのです。御子は完全な神のかたちであり、神のことばの完全な現れだったのです。それゆえ、弟子のヨハネはこう証言しました。「わたしを見た者は、父を見たのです。」(ヨハネ14:9)イエスを見た者は、父を見たのです。イエスは見えない神かたちであり、神の栄光の現れです。イエスを見た者は目で見ることができなかい神を見たことと同じことなのです。 

 ですから、真の神がどのような方であるのかを知るには、このイエス・キリストがどのような方であるのかを知らなければなりません。キリストがどのような方であるのかを知れば、神がどのような方であるかがわかるのです。なぜなら、神は、御子によって私たちに語られたからです。 

 では、キリストはどのような方なのでしょうか。ある人は、キリストは偉大な教師だと言います。確かにそうです。けれども、キリストはそれだけにとどまりません。それ以上の方です。ある人は、いや、キリストは立派な道徳家だと言います。宗教家の一人だとも言います。そういう面もあるでしょう。けれども、キリストはそれ以上の方なのです。 

 Ⅲ.御子は神の栄光の輝き(2b-3) 

 ですから第三に、このキリストはどのような方なのかを見ていきたいと思います。2節後半から3節をご覧ください。ここには、「神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」

ここには、キリストがどのような方であるのか、その7つの特質が教えられています。

 第一に、キリストは、万物の相続者であります。ここには、「神は、御子を万物の相続者とし」とあります。子であれば親の財産を相続する特権にあずかっています。キリストは神の御子なので、父なる神の財産を相続する権利を持っておられるのです。

5節には、こうあります。「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。」これは詩篇2篇7節からの引用ですが、この「あなた」というのは、イエスさまにことです。イエスがヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた時、天が開け、神の御霊が鳩のように下り、天からこう告げる声が聞こえました。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ3:17)イエスは神の子であり、父なる神のすべてのものを相続する権利が与えられているのです。 

そして、そればかりではなく、このキリストを信じて神の子とされたクリスチャンもまた神の子とせられ、キリストとの共同相続人になったと言われています。ローマ人の手紙8章16~17節にはこうあります。「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」 

皆さん、私たちはキリストを信じたことで神の子としての特権をいただき、キリストとともに神の財産を相続する者とされたのです。すごい特権ではないでしょうか。私たちは以前まことの神を知りませんでした。ですから、普通に何でも拝んでいたわけです。八百万の神と言って、日本には八百万の神がいて、いくつもの神を掛け持ちで拝んでいました。きょうはこっちの神かと思ったら、明日はあっちの神です。自分にご利益を与えてくれるものなら何でも構わなかったのです。「鰯(いわし)の頭も信心から」ということわざがありますが、つまらないものでも、信仰の対象となれば有り難いと思われるような存在だと、何でも拝んでいたのです。私たちはかつて、そうやって生きていたのです。しかし、神のことばである聖書によってイエスが神の御子、キリスト、救い主であると信じた瞬間に、私たちは神の子とされました。そして神の子としての特権が与えられたのです。神の民でなかった者が神の子とされ、キリストとともに万物を相続する者となったのです。 

第二に、キリストは万物の創造者です。ここに、「また御子によって世界を造られました」とあります。皆さん、この世界は御子によって造られました。聖書の一番初めの創世記1章1節には、「初めに、神が天と地を創造した。」とあります。これはとても有名なみことばで、このみことばを読んだだけで聖書の神を信じたという方も少なくありませんが、この神とはイエス・キリストのことだったのです。いやもっと正確に言うなら、イエス・キリストを含む三位一体の神であったということです。すなわち、父なる神、子なる神、聖霊なる神です。この三位一体の神がこの世界を造られたのです。 

それはヨハネの福音書1章1~3節を見てもわかります。「初めに、ことばかあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」キリストは万物の創造者です。すべてのものは、この方によって造られたのです。 

第三に、キリストは神の栄光の輝き、神ご自身であるということです。どういうことでしょうか。キリストは神であるということです。

ある時、イエスがペテロとヨハネとヤコブの3人の弟子を連れて非常に高い山に上られた時、彼らの目の前で御姿が変わったという出来事がありました。御顔は太陽のように輝き、その衣は光のようになりました(マタイ17:1~2)。ペテロはそれを見て何を思ったのか、黙っていることができず、イエスさまにこう言ったのです。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、よろしければ、私が、ここに三つの幕屋を作ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」(マタイ17:4)

そのとき、モーセとエリヤが現れて何やらイエスと話し合っているのを見て、彼はここに三つの幕屋を作ると言ったのでした。けれどもそれは彼の間違いでした。このとき彼はイエスさまをモーセやエリヤと同じレベルにまで引き下げてしまったのです。確かにモーセもエリヤも旧約聖書の偉大な聖徒たちでした。モーセは律法の代表であり、エリヤは預言者の代表です。しかし、彼らがどんなに偉大な信仰者であっても所詮人間の域を出ることはできず、イエスさまと比べものにはならないのです。イエスは神ご自身であり、神の栄光そのものであられる方だからです。 

私たちも同じ失敗をしてしまうことがあります。イエスさまをこの歴史上の偉人たちの一人のように考えてしまうことがあるのです。アブラハム・リンカーやジョージ・ワシントンのようなレベルにまで引き下げてしまう危険性があるのです。しかし、キリストは彼らとは全く比較にならないお方です。次元が違います。キリストは神ご自身であり、神の栄光の輝きそのものだからです。 

第四に、キリストは神の本質の完全な現れです。どういうことでしょうか?これは、キリストは神ご自身であるということです。キリストは神の御子であると同時に、父なる神と等しい方なのです。

ヨハネの福音書10章30節をご覧ください、ここには、「わたしと父とは一つです」とあります。イエスを見れば、父なる神がどのような方であるかがわかります。なぜなら、イエスは神の本質の完全な現れであるからです。 

第五に、キリストは万物を保っておられます。キリストは万物を造られただけでなく、それを保っておられる方です。どのようにしてでしょうか。その力あるみことばによってです。皆さん、キリストのことばには力があります。キリストが、「光よ、あれ」と言うと、光が出来ました。嵐に向かって、「黙れ、静まれ。」と命じると、風はやみ、大なぎになります。汚れた霊に向かって、「この人から出て行け」と命じると、出て行きました。また、会堂管理者ヤイロの娘が死んだとき、「タリタ・クミ」、少女よ、あなたに言う起きなさいという意味ですが、そのように言うと、少女は生き返られました。キリストがことばを発せられると、すべてのものはそれに服従するのです。この権威あるみことばを聞いた当時の人たちはこう言いました。「いったいこの方はどういう方なのだろう」

その答えは何か、その答えはこうです。この方は神の御子キリストです。この方は神なので、すべてのものはこの方のみことばに従うのです。キリストはその力あるみことばによって、万物を保っておられるのです。 

第六のことは、キリストは罪のきよめを成し遂げられた方であるということです。どういうことでしょうか。キリストがこの世に来られたのは、私たちの罪の身代わりとして十字架で死ぬためであり、キリストはその御業を成し遂げられたということです。 

皆さん、人はどうしたら罪が赦されるのでしょうか。聖書には、血を流すことがなければ罪の赦しはないと教えられています。それで旧約聖書の時代には自分の罪の身代わりとして、多くの動物がほふられました。祭司がその動物のいけにえの血を携えて至聖所の神の臨在のもとに行き、それを契約の箱のふたに注ぎかけることによって、赦されるとされました。それでイスラエルの民はたくさんの動物のいけにえをほふり、その血を取って神にささげたのです。 

けれども、そこには問題がありました。それはどんなに動物の血をささげても、また罪が思い出されるということです。人間は不完全な者なのでいつも罪を犯してしまうため、何度も何度も繰り返して動物のいけにえをほふらなければならなかったのです。それは完全なものではなく不完全なものでした。本体ではなく影にすぎませんでした。ではその本体とは何でしょうか?それはイエス・キリストです。動物のいけにえは神の完全ないけにえであるイエス・キリストを指し示すものでした。神は私たちの罪を赦すために動物の血ではなく神ご自身の血、神のひとり子を十字架につけることによってその救いの御業を完成してくださったのです。神はひとり子キリストをこの世に送り、私たちの身代わりに罪として十字架につけてくださることによって、私たちが支払わなければならない罪の代価を支払ってくださったのです。そのことによって私たちの罪を贖ってくださいました。それは私たちの過去の罪だけではありません。現在の罪も、これから未来に犯すであろう罪のすべてを、十字架の上で贖ってくださったのです。ですから、あなたがこのイエスをあなたの罪の救い主と信じた瞬間に、あなたのすべての罪は赦され、あなたは神のみとに大胆に近づくことができるのです。 

それはキリストが十字架で息を引き取る直前こう発せられたことばからもわかります。キリストは十字架で最後にこう言われました。「テテレスタイ」。意味は、「完了した」です。あなたの罪のきよめは完了しました。あなたの罪は赦されました。キリストがあなたの身代わりとなって十字架で死んでくださり、罪のきよめを成し遂げてくださったからです。このイエスを信じる者は誰でも救われるのです。 

第七番目のことは、キリストはすぐれて高いところの大能者の右の座に着かれました。どういうことでしょうか。座ったというのは仕事が終わったということです。キリストは罪のきよめを成し遂げて、神の右の座、神の権威の座に着かれました。このキリスト以外に、あなたを救うことができるものはありません。このキリスト以外に他のいかなるものも付け加えてはいけないのです。この方を信じることによってのみ、私たちは救われるのです。キリストは神の御子であられ、王の王、主の主であられる方なのです。 

あなたは、この神の御子イエス・キリストを見ているでしょうか?もし見ているなら、あなたの生き方が変わるはずです。あなたの人生にはいろいろな問題が起こるかもしれませんが、もはや何も恐れる必要はなくなるのです。私たちはいつもいろいろなことを思い煩って心配します。何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと、いつも心配がつきません。でも大切なことはあなたが心配することではなく、イエス・キリストがどのような方であるのかをよく知り、この方に信頼して、すべてをゆだねることです。そうすれば、人の考えにまさる神の平安が、あなたの心と思いをキリスト・イエスにあって守っていただけるはずです。

あなたは何を見ているでしょうか。この栄光の神の御子イエス・キリストを見てください。この方は万物の相続者であり、創造者であり、栄光の輝き、神の本質の完全なあらわれです。万物の保持者であり、罪のきよめを成し遂げられた方であり、万物の主権者であられます。この方をよく見てください。この方はあなたとともにおられます。そして、この方は決してあなたを見離さず、見捨てることはなさいません。そのように約束してくださいましたから。このイエスを見て、このイエスを神の御子と認め、いつもこの方のことを思い、この方にすべてをゆだねたいと思います。そうすれば、あなたは何も心配することなく、日々安心して過ごすことができるでしょう。この神の御子イエスを、きょう聖霊によって見させていただきましょう。神の祝福があなたに豊に注がれますように祈ります。

民数記29章

きょうは民数記29章から学びます。

Ⅰ.ラッパが吹き鳴らされる日(1-11)

「第七月には、その月の一日にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。あなたがたはどんな労役の仕事もしてはならない。これをあなたがたにとってラッパが吹き鳴らされる日としなければならない。」

28章からイスラエルの民が約束の地に入ってささげなければならないささげものの規定が記されてあります。これはすでに以前にも語られたことですが、ここでもう一度取り上げられているのは、約束の地に入る直前に新しい世代となったイスラエルの民に対して語られているからです。そして28章には常供のいけにえの他に、新月ごとにささげられるいけにえ、そして春の祭り、すなわち過ぎ越しの祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭り、七週の祭りにおいてささげられるものについて語られました。この29章では、その例祭の続きですが、ここでは秋の祭りにおいてささげられるいけにえについて教えられています。それはラッパの祭り、贖いの日、仮庵の祭りの三つです。そしてこれらの祭りは何を表しているかというと、キリストの再臨とそれに伴う解放、そしてそれに続く千年王国です。そのときにささげられるいけにえはどのようなもなののでしょうか。

1節を見ると、七月の一日には聖なる会合を開かなければならないとあります。イスラエルのお祭りは全部で七つありますが、それは過ぎ越しの祭りからスタートしました。なぜ過ぎ越しの祭りからスタートするのでしょうか。それは、過ぎ越しの祭りが贖いを表していたからです。私たちの信仰のスタートは過ぎ越しの祭り、すなわち、キリストの十字架の贖いからスタートしなければなりません。そしてその年の七月の一日にはラッパが吹き鳴らされます。これは何を表しているのかというと、キリストの再臨です。その時には神のラッパが吹き鳴らされます。Ⅰテサロニケ4章16節には、「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。」とあります。神のラッパが吹き鳴らされるとき、キリストが天から下って来られるのです。その時にも、同じように全焼のいけにえをささげられます。

7節には、「この第七月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。」とあります。この日は贖罪日(『ヨム・キプール』(レビ記23:26~32)と言って、年に一度大祭司が至聖所に入って行き、イスラエルの民のために贖いをします。この日は戒める、すなわち、断食をしなければなりません。そして全焼のいけにえと穀物のささげもの、注ぎのささげものをささげます。

 

このラッパを吹き鳴らされる日は、キリストが教会のために再臨することを示しています。終わりのラッパとともに、私たちが一瞬のうちに変えられて、引き上げられて、空中で主と会うのです。そして贖罪日は、イスラエルが悔い改めて、その罪がきよめられる日です。教会が携挙されると、神は再びイスラエルに働きかけられます。イスラエルは、この地上で、これまでにないほどの苦難を受けますが、主が再び地上に戻ってきてくださり、イスラエルのために戦ってくださいます。そのとき彼らは、イエスこそが、待ち望んでいたキリストであることを知り、嘆いて悔い改めるのです。このときにイスラエルの贖いが成し遂げられ、「贖罪日」が実現するのです。

Ⅱ.仮庵の祭り(12-40)

 次に12節から40節までをご覧ください。ここには仮庵の祭りにおいてささげられるいけにえについて記されてあります。

「第七月の十五日には、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。あなたがたは七日間、主の祭りを祝いなさい。」

仮庵の祭りはもともと、イスラエルが約束の地に入るまで、神が彼らを守ってくださったことを祝う祭りです。この期間中、彼らは仮庵の中に住み、イスラエルを守られた神のことを思い起こすのです。けれども、ここにも預言的な意味があります。主が再び来られ、そして神の国を立てられて、この地上に至福の千年王国を樹立されるのです。仮庵の祭りは、この神の国を指し示しています。この祭りでは、一日ごとにたくさんのいけにえがささげられます。  「あなたがたは、主へのなだめのかおりの火によるささげ物として、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛十三頭、雄羊二頭、一歳の雄の子羊十四頭をささげなさい。これらは傷のないものでなければならない。それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛十三頭のため、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊二頭のため、雄羊一頭につき十分の二エパ、子羊十四頭のため、子羊一頭につき十分の一エパとする。罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは常供の全焼のいけにえと、その穀物のささげ物、および注ぎのささげ物以外のものである。」(13-16)  最初の日に全焼のいけにえとして雄牛13頭ささげられますが、二日目になると12頭になります。(17)そして七日目には、7頭の雄牛がささげられます。これは、最後の7に合わせて調整していたのかもしれません。35節を見ると、8日目には「きよめの集会」を開かなければならない、とあります。仮庵の祭りの初めの七日間は、祭司が水を流して、ハレル詩篇を歌います。けれども8日目には水を流しません。荒野の生活を終えてすでに約束の地に入ったからです。約束の地に入り、そこで神が与えてくださるすべての恵みを享受することができました

ヨハネの福音書7章37-38節を見ると、「さて、祭りの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の腹から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネ7:38)とありますが、これは、この仮庵の祭りの8日目のことです。この大いなる日に、イエスは立って、このように言われたのです。この生ける水の川とは、聖霊のことを指しています。キリストを信じる者には、生ける水の川が流れ出るようになるのです。イエスを信じた瞬間に神の聖霊が注がれ、神の恵みが注がれます。そしてやがてキリストが樹立する千年王国において、この約束が完全に成就するのです。  こうして仮庵の祭りには、いけにえがいつもよりも数多くささげられますが、いったいなぜでしょうか。それは仮庵の祭りが神の国を表しているからです。神の国では多くのいけにえがささげられるからです。つまり、神の国は、絶え間なく神を礼拝するところなのです。この地上においても私たちはこうして集まって主を礼拝していますが、やがてもたらされる栄光の神の国ではいつも神への礼拝がささげられます。黙示録7章には神に贖われた神の民の姿が慧可が枯れていますが、彼らは、神と小羊との前に立って、大声で叫んでこういうのです。

「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にあり。」

「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

天国は絶え間なく、神への礼拝がささげられるところなのです。ですから、礼拝したくないという人は天国に入ることはできないのです。入っても苦痛に感じるでしょう。けれども、神に贖われたクリスチャンにとってはそうではありません。神に与えられた聖霊によって、私たちは喜びと感謝をもって、私たちの救い主なる神に感謝し、賛美をささげるのです。私たちの持っているすべてをもって神をほめたたえるのです。それがやがて来る神の国で私たちが行うことなのです。仮庵の祭りでそれほど多くのささげものがささげられるのは、そのことを表していたからです。

このように、イスラエルは約束の地にはいり、相続地を得ても、いや得ているからこそ主を礼拝しなければなりません。これは私たちクリスチャンも同じです。私たちはすでに約束のものを手にしているのですから、積極的に自分を主におゆだねすることによって、それを自分のものとして本当に楽しむことができるのです。ささげることなしに、この霊的交わりは起こりません。イスラエルのように、私たちも大胆に、主におささげしましょう。

ピレモンへの手紙1~25節

 きょうからピレモンへの手紙を学びたいと思います。といっても、きょうで終わります。このピレモンへの手紙はパウロからピレモンに宛てて書かれた手紙です。これはパウロの手紙の中では一番短い手紙です。使徒の働き28章の最後のところに、パウロはローマで2年間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、主イエスのことを教えたとありますが、その時に書かれました。なぜ書かれたのかというと、コロサイという町に住んでいたピレモンに、オネシモという奴隷のことで赦しを請うためです。オネシモはピレモンの奴隷でしたが彼のものを盗んでローマに逃げて行きました。しかし、どういうわけかそのローマでパウロに出会い、クリスチャンになったのです。たとえクリスチャンになったといえども、彼は奴隷の逃亡者です。当時のローマ社会には奴隷は多く、こうした反逆行為をした奴隷に対しては厳罰が課せられ、場合によっては処刑されることもあったのです。そこでパウロは、ピレモンの下から逃亡したオネシモを赦し、彼を受け入れてくれるようにと手紙を書きました。ですから、この手紙の中には聖書の大きなテーマの一つである「赦し」というものがどのようなものなのかが教えられているのです。きょうはこのピレモンへの手紙を通して、神の赦しについてご一緒に学びたいと思います。 

Ⅰ.ピレモンの信仰と愛(1-7) 

まず、1節から7節までをご覧ください。まず3節までをお読みします。 

「キリスト・イエスの囚人であるパウロ、および兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンへ。また、姉妹アピヤ、私たちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

この手紙はパウロとテモテから、ピレモンに宛てて書かれた手紙ですが、パウロは彼のことを「私たちの愛する同労者ピレモン」と呼んでいます。また、「姉妹アピヤ」と、「戦友アルキポ」はそれぞれピレモンの妻と息子の名前ですが、こういう言い方をしているのです。普通だったら、奥さんのアピヤさんによろしくとか、息子のアルキポさんによろしくと書くと思いますが、姉妹アピヤとか、戦友アルキポというような言い方をしているのです。

それはおそらく彼の家がただのクリスチャンファミリーというだけでなく、そこが家の教会だったからでしょう。コロサイの教会はエパフラスという人によって始められましたが、同じコロサイに住んでいたピレモンは信仰に導かれると自分の家を開放し、家の教会を始めていたのです。初代教会には会堂がなかったため、こうした家々で集会や交わりが持たれていたのですが、ピレモンの家はそのために用いられていたのです。彼だけでなく彼の妻も、息子も一家そろってその働きの中心を担っていたのです。だから姉妹アピヤとか、戦友アルキポといった表現が使われているのです。彼らは自分たちの生活を守って満足するのではなく、キリストの教会のために自分の家を開放し、さらにそのことに付随するすべての犠牲を喜んで払っていたのです。これからの日本の福音伝道を考えると、こうしたクリスチャンファミリーが、自分たちのできる範囲で、工夫と信仰を持って、このような「家の教会」を生み出していくことが求められているのではないでしょうか。そういう意味でピレモンは、パウロの同労者だったのです。

次に4~7節までをご覧ください。ここには、パウロのピレモンに対する感謝が書かれてあります。

「私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。それは、主イエスに対してあなたが抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです。私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。私はあなたの愛から多くの喜びと慰めとを受けました。それは、聖徒たちの心が、兄弟よ、あなたによって力づけられたからです。」

パウロは、祈りのうちにピレモンのことを覚えて神に感謝しました。なぜなら、主イエスに対して彼が抱いている信仰と、すべての聖徒に対する彼の愛とについて聞いていたからです。このことをパウロに報告したのはおそらくエパフラスでしょう。この時彼はローマのパウロのもとにいましたが、同じコロサイにある教会のメンバーとして、ピレモンがいかに心から主に仕えているか見ていて、それをつぶさにパウロに報告していたのです。それにしても、このことを聞いたパウロはどんなにうれしかったことでしょう。伝道者にとって、自分が信仰に導いた人の良い信仰の評判を聞くことほどうれしいことはありません。それは親が自分の子どもの良い評判を聞いてうれしく思うのと同じです。パウロはそれをわがことのように喜びました。 

さて、パウロが聞いたピレモンについての良い評判ですが、それはまず主イエスに対する彼の信仰でした。彼がどのように信仰を持つようになったのかはわかりませんが、多分パウロがエペソで伝道していたとき、何らかのきっかけで主イエスの福音を聞き、信仰を持つようになったのではないかと思います。そして自分の奥さんも信仰に導き、さらには子供たちも信仰に導きました。ただ信仰に導いたというだけでなく、コロサイ4章17節を見ると、このアルキポはコロサイの教会で熱心に主に仕えていたことがわかります。ピレモンとその家族は熱心に主に仕え、人々からとても良い評判を得ていたのです。 

さらにピレモンは信仰ばかりでなく、愛においてもすばらしい人でした。それはすべての聖徒たちに対する愛で、イエス・キリストを信じることによって受けた神の愛です。自分のことだけでなく他の人のことも顧みる犠牲的な愛です。

イエス・キリストを信じると、その結果、神を愛するように変えられます。そして、神を愛するように変えられると、今度は兄弟を愛するように変えられるのです。以前は神に敵対し、自分のことしか考えられなかった者が、主イエスを信じたことによって神の愛を知り、自分のことばかりでなく、他の人のことも考えることができるようになるのです。 

今から約60年前の9月26日に、非常に大きな台風が日本を襲いました。そして青森と函館を結ぶ青函連絡船洞爺丸が沈没して、乗っていた乗客1,011人が亡くなるという大惨事が起こったのです。その中に二人のアメリカ人宣教師も入っていました。ストーンとリーバー宣教師です。船の中にどんどん水が入って来て沈みそうになったとき、乗っていた人たちは身近にあった救命道具を身に着け、海に飛び込み始めました。この二人の宣教師たちも、側にあった救命道具を身に着けて、飛び込もうとした時、若いカップルがパニックになっているのを見たのです。男性の方は救命道具がなく、女性の方は救命道具を持ってはいたのですが、壊れて使い物になりませんでした。そこで彼らはパニックになり、泣き叫んでいたのです。この二人を見た二人の宣教師は、自分たちの身に着けていた救命道具をすぐに脱いで、二人のカップルに差し出しました。それを手渡すとき、彼らはこう言いました。「これからの日本は、あなたがた若い人たちが作り上げていくべきです。そして、もしあなたがたが助かったなら教会に行ってください!」

どこの誰だかも知らない初めて会った人たちに、宣教師たちは、とっさに自分の来ていた救命道具を脱いで渡したのです。そうすれば、彼ら自身の命が助からないと知りながらです。なぜ彼らはそんなことをしたのでしょうか。別にしなくても良かったのです。彼らにも家族がいました。まだ小さな子どもたちがいたのです。アメリカからやって来て、やっと日本語を覚えて、これから神のために働こうとしていた矢先でした。まだ死ぬには早すぎます。でも彼らは自分たちのいのちを与えました。なぜそこまでしたのでしょうか。それは、彼らがカルバリの十字架で自分たちのためにしてくれた神の愛を知っていたからです。これがアガペーの愛です。自分を与える愛です。だからイエスがもしそこにいたとしたら、たぶんイエスがなされたであろうことをしただけなのです。そこには何の見返りもありませんでした。ここで、これをすれば、自分たちの名前が後世に残されるだろうなどということは全く考えませんでした。なぜなら、この若者たちだって死ぬ可能性があったし、たとえ助かったとしても、彼らが教会に行くかどうかなんてわからなかったからです。そうなれば、このうるわしい愛の物語も誰も知らないで終わってしまっていたはずです。だから、そうした見返りを期待したのではなく、ただイエス様だったらどうされるのかを考えて、しただけなのです。 

そして、それは彼らたけのことではありません。カルバリのあの十字架で死なれた主イエスの愛を知った人ならば、同じようにはできなくても、少なくとも、そのようにしたいという思いが起こされてくるのは当然のことではないでしょうか。ピレモンには、この神の愛が溢れていました。そしてパウロはこのピレモンの愛から多くの喜びと慰めを受けました。いいえ、それはパウロだけではありません。多くの聖徒たちの心が、彼によって力づけられたのです。彼の存在は、パウロばかりでなく、多くの聖徒たちにとっての喜びであり、慰めであり、励ましであったのです。あなたの存在はどうでしょうか。多くの聖徒たちにとって喜びとなっているでしょうか。慰めとなっているでしょうか。励ましとなっているでしょうか。そのような存在に聖霊を通して私たちもさせていただきたいと心から願う者であります。 

Ⅱ.ピレモンへの願い(8-17) 

 次に、この手紙を書き送った目的である本題に入ります。こうしたピレモンの信仰と愛を前提に、パウロは彼にオネシモのことで次のように書き送っています。8~17節までをご覧ください。まず12節までをお読みします。

「私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって少しもはばからず命じることができるのですが、こういうわけですから、むしろ愛によって、あなたにお願いしたいと思います。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている私パウロが、獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。」

 

パウロのピレモンに対する願いとは何でしょうか。ここでパウロは、獄中で生んだわが子オネシモのことをピレモンに願っています。獄中で生んだといっても、パウロが出産したというわけではありません。パウロによって救いに導かれ、新しく生まれたということです。彼は、以前ピレモンにとって役に立たない者でしたが、今は、役に立つ者となりました。どういうことでしょうか?このオネシモはピレモンのところにいた奴隷でした。主人であったピレモンは良い人でしたが、オネシモは役に立たない者でした。役に立たないどころか、主人に損害を与えるようなことをしました。彼は主人ピレモンの物を盗み、おまけに逃亡を企てたのです。どこに?ローマにです。ローマに行けばそこにはたくさんの人がいるので、その雑踏の中で身を潜めていることができると思ったのでしょう。でもそのローマで何とパウロに出会ってしまったのです。どのようにしてであったのかはわかりません。だれかに誘われてパウロのもとに行きそこでイエス様の話を聞いたのか、あるいは、逃亡生活に疲れ果て、むなしくなって、自主でもするかのように自分からパウロのもとを訪れたのか、どのようにしてかはわかりませんが、不思議な神の導きによって、あの大都会のローマでパウロに出会ったのです。本当に不思議ですね。私たちだってこの小さな町に住んでいて、教会の外でバッタリ出会うというのは稀です。たまにスーパーなどでであったりすると、「あら、何、やだ、」なんて言って驚きを隠せません。毎週礼拝で会っているのに外で会うというのは意外とないのです。それなのにオネシモは今でいうと東京みたいな大都会でパウロにばったり出会ったのです。そして、信仰に導かれました。本当に不思議なことです。そしてすばらしいことは、彼は以前「役に立たたない者」でしたが、今は、「役に立つ者」に変えられたことです。

 

オネシモという名前の意味は「役に立つ者」です。しかし、彼は以前は役に立たない者でしたが、今は、その名前のごとく役に立つ者になりました。なぜでしょうか?なぜなら、彼は自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じたからです。彼はキリストにあって新しく生まれ変わりました。「だれでもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

オネシモは、キリストにあって新しく生まれ変わったのです。以前の彼は役に立たないどころか、むしろ害を与えるような人間でしたが、しかし、福音のすばらしさは、そんなオネシモさえも「役に立つ者」に造り変えることができるということです。彼は悔い改めて救われ、主に仕えていたことで、彼の信仰が本物であったことがわかります。パウロは彼を「彼は私の心そのものです」と言っています。いい言葉ですね。「心そのものです」あなたは、私の心そのものです、なんて言われたら、どんなにうれしいことでしょう。そんなふうに言われてみたいものですが、パウロはオネシモをそのように言いました。彼はそれほどまでに変えられていたのです。 

このオネシモの姿は、私たち自身の姿でもあります。私たちもかつては罪の中に死んでいて、全く役に立たない者でした。けれども、あわれみ豊かな神は、その大きなあわれみによって、罪過の中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。かつては害虫のような者だった私たちを、キリストとともに生かし、新しい人に、役に立つ者に変えてくださいました。福音にはそれほどの力があります。福音は人を全く新しく造り替えることができるのです。私たちもオネシモのように神の役に立つ者とさせていただきたいと願うものです。 

ところで12節を見ると、パウロはここでこのオネシモを、ピレモンのもとに送り返すと言っています。本当は自分のところにとどめておき、ピレモンに代わって自分に仕えてもらいたいとも考えましたが、そのようにすることはしないで、主人ピレモンのもとに送り返すことにしたのです。なぜでしょうか?14節にその理由が記されてあります。それは、「あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。」 

ピレモンがオネシモを赦して、受け入れることは、強制されてすることではなく、自発的なものでなければいけないからです。当時のローマの奴隷制度では、奴隷が主人から逃げたとき、捕まえたら主人は奴隷を死刑にすることができました。奴隷は当時六千万人いたとされ、自由人よりもはるかに多かったのです。ですから、奴隷の反乱を押さえるためにも、逃亡には厳しい処置が取られていました。ですから、当時の常識からすると、ピレモンがオネシモをそのまま赦すことは考えられないことでした。彼にとっても自分に損害を与えたオネシモの名前は聞きたくなかったでしょう。けれども、パウロは今、ピレモンが奴隷を持つ主人である前に、キリストにある兄弟であり、同労者であり、キリストの愛を持っている人であることを前提に、オネシモを赦してくれるように嘆願しているのです。 

8節にあるように、本来であれば、パウロはそのことを主の命令としてピレモンに命じることもできたのです。でも仮に形式的に赦したとしてもそれが自発的なものでなければ意味がありません。聖書には、自ら進んでささげるささげ物について何度も強調させていますが、ピレモンがオネシモを赦すことも、自発的でなければならなかったのです。 

15~17節をご覧ください。ここでパウロは、オネシモが行った過去の不幸な出来事がどういうことだったのかを、神の永遠のご計画によるものであったと指摘しています。すなわち、オネシモがしばらくの間ピレモンから離されたのは、彼を永久に取り戻すための神のご計画であったということです。そこにも神の目的と計画があったのです。すごいですね。パウロはこのことをローマ8章28節でこのように言っています。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

私たちの人生にも本当にいろいろなことが起こります。信仰を持ったからすべてがバラ色になるということはありません。信仰を持ったらいつもいいことばかりではないのです。そうではないこともあるのです。いや、そうでないことの方が多いかもしれません。しかし、たとえそうであっても、神がすべてのことを働かせて益としてくださるのです。神を信じている人たち、すなわち、クリスチャンはこのことを知っているので、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝することができるのです。 

それはこのオネシモについても言えることでした。オネシモか逃げたことは主人のピレモンにとっては大きな損失でしたが、神はそれをさらに大きな利益に変えてくださいました。そのことによってオネシモは救われ、新しい人に変えられ、主の役に立つ者になったのです。 

そのオネシモをピレモンのもとに送り返すのです。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟として、彼を迎えてほしいというのです。それはオネシモが奴隷でなくなるということではありません。立場上は奴隷であっても、主にあって愛する兄弟姉妹となったということです。社会的な立場は変わりませんが、主にあって愛する兄弟姉妹となったのです。そのように受け入れてほしいと願ったのです。 

Ⅲ.ピレモンの赦し(18-25) 

さて、このようなパウロの願いに対してピレモンはどのように応答したでしょうか。ここには、ピレモンの取った行動がどのようなものであったかは書かれていませんが、確かに彼はパウロの願いを喜んで受け入れ、オネシモを心から赦したことでしょう。それは18節から22節までのパウロの言葉を見るとわかります。

「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。この手紙は私の自筆です。私がそれを支払います。・・あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。・・そうです。兄弟よ。私は、主にあって、あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください。私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。私の言う以上のことをしてくださるあなたであると、知っているからです。それにまた、私の宿の用意もしておいてください。あなたがたの祈りによって、私もあなたがたのところに行けることと思っています。」

ここまで言われたら、「嫌です」とか、「ダメです」なんて言えたでしょうか。「しょうがないなぁ。本当は赦したくはないけれど、パウロ先生がそこまで言うのなら赦してあげましょう。」というような態度を取れたでしょうか。取れなかったと思います。特に19節には、「あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが、そのことについては何も言いません。」とありますが、ピレモンの今があるのはパウロの働きがあってのことでした。パウロが伝えてくれたので、彼はキリストの救いにあずかることができたのです。その命の恩人ともいえる人の願いを無下に断ることなどできなかったでしょう。きっと彼は涙を流し、主が自分のためにしてくださった救いの御業に感謝して、心からオネシモを赦したに違いありません。私たちが他の人に対して赦す根拠はここにあります。それは人にはできないことです。しかし、私のために自分のいのちまでも投げ出して救ってくださった主の十字架の愛と恵みを思うとき、初めて人を赦すことができるのです。 

しかも、何よりも、ピレモンはキリストの心を心としていました。ピレモンはパウロを通してキリストの福音を聞いたとき、その愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを知りました。その愛の大きさに比べたら、自分のことなんてどうでもいいように思えたことでしょう。

パウロは18節で、「もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。」と言っています。いったいオネシモは主人ピレモンにどれだの損害を与えたのでしょうか。当時優秀な奴隷は500デナリの価値があったと言われています。オネシモがどれだけ優秀であったかわかりませんが、仮にオネシモが優秀な奴隷であって、その彼を損失したのであれば、彼は500デナリ相当の損害を受けたことになります。1デナリは1日分の日当ですから、500デナリというのは500日分の給料になります。約2年分の年収です。パウロはそれを支払うと言っているのです。年老いたパウロがどうやって支払うことができるでしょう。これは私の自筆ですと言って、絶対に支払いますと言っているのです。これを聞いたピレモンはどんな気持ちになったでしょうね。

「パウロ先生、もう十分です。損害だなんて、イエス様が私のために身代わりとなって十字架で支払ってくださったものは2年分の給料どころか、一生かかっても払いきれるような負債ではありませんでした。その負債を私は赦していただいたのです。だったら、そんな損害を請求する権利など私にあるでしょうか。ありません。私が今のようになれたのも、ただ神の一方的な恵みによるのです。そのような者にしてくださった神に心から感謝します。オネシモのことはパウロ先生、あなたにすべてお任せします。」そう言ったのではないでしょうか。 

私たちはみな、父なる神の御前に大きな借金を抱えていたような者です。それは罪の借金と言います。それは私たちが自分でどんなに頑張っても支払うことができるようなものではありませんでした。しかし、あわれみ豊かな神は私たちを愛してくださり、ひとり子イエス・キリストをこの世に遣わして、私たちの借金の身代わりとして十字架にかかって死んでくださいました。そして、だれでもこのイエスを救い主として信じるなら救われます。すなわち、その借金のすべてを免除していただけるのです。私たちが救われたのは、ただ神の恵みです。であれば、私たちはいったい何を主張することができるでしょうか。何もできません。私たちにできることは、主が私たちを赦してくださったように、私たちも互いに赦し合うことです。コロサイ3章13節を開いてください。ご一緒に読みましょう。

「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」 

 これが、神が私たちに願っておられることです。あなたがだれかに不満を抱くようなことがあっても、あなたがだれかに損害を受けるようなことがあっても、主があなたを赦してくださったように、あなたもそのように赦してあげなければなりません。 

 皆さんは、コルベという宣教師のことをご存じでしょうか?彼は1919年にアメリカから日本にやって来た宣教師ですが、しだいに軍国主義化していく日本では、いろいろな面で圧力が加えられ、ついに1939年に日本を追われ、フィリピンへ行かざるを得ませんでした。ところがフィリピンで日本兵に捕えられ、処刑されてしまうのです。日本兵の隊長は彼らに、「これからお前たちを処刑するが、30分だけ時間を与える。だから、最後の別れを惜しむがよい」と言ったそうです。それで、コルベ宣教師夫妻は聖書を取り出して、新約聖書のマタイの福音書5章から7章まで1節ずつ交読しました。15分くらいかかって読み終えた後、二人で一心に祈りました。「よし、やめい」という隊長の号令とともに、二人は日本刀で首を切られてしまいました。

 この知らせを聞いた二人の娘マーガレットとアリスは、悲しみに打ちひしがれてしまいました。彼女たちは勉学のためアメリカに帰国していたので難を逃れましたが、あまりにも悲しくて、そのように両親を殺した日本人を絶対に赦せないと思いました。しかし、ある日、祈っている時、ふと、「でも、あのとき、両親はどんな気持ちだったのだろう」と思いました。そして、きっと自分たちを殺した日本人の救いのために祈っていたのではないかと思わされたのです。

 それでマーガレットはその日本人のために愛を示したいと思うようになりました。そして、捕虜収容所に日本の軍人がいることを耳にし、そこでボランティアとして彼らの身の回りの世話をすることにしました。「いったいあの女性は何者なんだろう。本当に親切にしてくれて・・」と日本兵の間で話題になりました。それで、ある軍人が尋ねたのです。「あなたはどうしてこんなに親切にしてくれるのですか」と。すると彼女は事の成り行きを話しましたが、日本人の捕虜たちにはさっぱり理解できませんでした。日本の軍人たちは「親の仇は子が打て。子が打てない仇は孫が打て」と聞いて育ちましたから、彼女たちの気持ちがわからなかったのです。

 そして、いよいよ終戦後、捕虜たちが捕虜交換船で日本に帰って来ました。これを出迎えた人々の中に、かつて太平洋戦争勃発のとき、真珠湾攻撃の爆撃隊長だった淵田美津雄という元海軍大佐がいました。彼はこの話を捕虜から聞くのですが、やはりその意味がさっぱりわからなかったので、マーガレットの人生を変えたという聖書を手にして読み始めました。そして、ルカの福音書23章34節のところまで来たとき、彼は電気に打たれたような衝撃を受けました。そこには、自分を殺そうとしていた人たちのために、十字架で祈られたイエスがこう祈られたことが書いてあったからです。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

 彼は、この聖書の言葉に捕えられてイエス・キリストを信じ、余生をクリスチャンとして過ごしました。また、コルベ宣教師のもう一人の娘のアリスは、自分が働いて得た一年分の給料を日本の伝道のためにささげました。彼らは自分の両親を殺した日本人への憎しみを、大きな悲しい損失を、神の愛によって赦し、その日本人の救いのためにささげたのです。

 

 「あなたもそうしなさい。」これは私たちにも求められている神のみこころです。いやいやながらではなく、強いられてでもなく、喜んで、心から、そのように人を赦す者でありたいと思います。それは、主があなたのために何をしてくださったのか、主があなたをどれほど愛し、あなたを赦してくださったのかということをあなたがどれだけ受け止めているかによって決まるのです。

Ⅱテモテ4章9~22節 「最後まで忘れられない名前」

きょうは、第二テモテの最後の箇所、これはこの地上におけるパウロの最後の手紙ですので、パウロの最後の言葉となります。この最後の言葉からご一緒に学びたいと思います。

パウロの手紙の最後には、よく親しい人たちに向けてのあいさつが書かれていることが多いですが、ここにも同じようにあいさつが書かれています。しかし、ただ親しい人たちに向けてのあいさつばかりではなく、不名誉ながら、パウロを苦しめた人たちの名前も記録されています。いい意味でも、悪い意味でも、彼らはパウロにとって最後まで忘れられない名前でした。しかし、どうせ残るなら、いい意味で記憶に残る者でありたいと思います。きょうは、いい意味で最後まで忘れられなかった人たちとはどういう人たちだったのかを見ていきたいと思います。

Ⅰ.最後までパウロのそばにいた人たち(9-13)

まず9節から13節までをご覧ください。

「あなたは、何とかして、早く私のところに来てください。デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい、また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行ったからです。ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。私はテキコをエペソに遣わしました。あなたが来るときは、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。」

ここには、最後までパウロのそばにいた人たちの名前が記されてあります。パウロはここでテモテに、「何とかして、早く私のところに来てください。」と言っています。それは21節でも繰り返して書かれてあります。しかも「何とかして」とか、「早く」とあるように、その思いが強く表れているのです。いったいなぜパウロはそんなにテモテに会いたかったのでしょうか。それは、自分の死期が近いことを感じていたからです。だれでも自分の死が近づくと、「あの人に会いたいなぁ」とか、「この人に会いたいなぁ」と思う人がいるものです。普段はなかなか会えない人でも、最後の時だから何とかして会いたいと思うものなのです。パウロにとってテモテはそういう人でした。パウロはテモテを「信仰によるわが子」と呼んでいますが、彼は実際の家族以上のつながりを持っていたのです。これまでずっと忠実に主に従ってきたテモテに、自分の最期の時をともにいてほしいと思ったのです。だれかの死が近づいたとき、あなたに会いたいと願う人がいるでしょうか。そのような存在になるためには、どうしたらいいのでしょうか。考えさせられますね。

10節をご覧ください。10節にはデマスという人について語られています。「デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行ってしまい」ました。ピレモンへの手紙24節を見ると、ここには「私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。」と書いてあって、彼は「同労者」と呼ばれていましたほどの人であったことがわかります。あれからわずか6~7年の間に、彼は信仰から脱落してしまいました。最後まで信仰の道を走りぬくことができなかったのです。なぜでしょうか?ここには、「デマスは今の世を愛し」とあります。彼は、キリストに対する愛をこの世に向けてしまったのです。キリストに対する愛をこの世に向けてしまうと、このように悲しい結果になってしまいます。しかしながらそれはデマスだけのことでしょうか。私たちも同じような弱さを抱えているのではないでしょうか。だから私たちは互いに集まることを止めたりしないで、かの日が近づいていることを知り、ますますそうしようではないかと勧められているのです。そうしようではないかというのは、互いに励まし合い、助け合おうではないかということです。私たちは強いようでも、実際は本当に弱い者であることを覚えておかなければなりません。一人では信仰を保つことさえもできないのです。だから互いに集まって、助け合い、励まし合うことが必要なのです。どんなに初めが良くても、最後が悪ければ、それまでのすべての行程が悪くなってしまいます。

次に出てくるのは「クレメンス」と「テトス」です。彼らはそれぞれガラテヤとダルマテヤ、これは今のユーゴスラビアのことですが、そこに行きました。この「行った」というのはデマスのようにパウロを見捨てて行ったということではなく、パウロに遣わされて行ったということです。なぜそこへ行ったのかはわかりませんが、テトスは次のテトスへの手紙の受取人ですので、彼はテモテと同じように、問題のある教会に遣わされてその立て直しのために尽力したのでしょう。

そして11節をご覧ください。ここには感動的な二人の名前が出てきます。一人はルカで、もう一人はマルコです。まずルカについてですが、ここには、「ルカだけは私とともにおります。」とあります。いったいルカはなぜパウロとともにいたのでしょうか?それは、彼は片時もパウロから離れたくないと思っていたからです。ここからルカがどういう人であったかがわかります。彼はパウロの最も愛すべき人物のひとりでした。というのは、この時パウロはローマの地下牢に捕えられ間もなく打ち首にされようとしていましたが、それでも彼はパウロから離れないで、使徒の働き27章1節を見ると、「さて、私たちが船でイタリヤへ行くことが決まったとき、パウロはほかの数人の囚人は、ユリアスという親衛隊の百人隊長に引き渡された。」とあります。ここに「私たち」とあるのは、この時ルカも一緒だったということです。というのは、この使徒の働きはルカによって書かれたからです。パウロが囚人としてローマに行ったとき、ルカも同行したのです。当時はこのように逮捕された囚人がローマで裁判を受けるために送られるときには、二人の奴隷が同行することが許されていましたが、その一人がルカ自身だったのです。すなわち、彼はローマの獄中にパウロに同行するために自分を奴隷として登録したのです。だからパウロがこのルカのことを感動的な愛をもって語っているのも無理はありません。確かにこれ以上の献身はあり得ないからです。ルカはパウロから離れるよりもむしろ彼の奴隷となり、彼に仕えたいと願ったのです。

このルカについて新約聖書の中ではっきりと言及されている箇所は、他に二つしかありません。一つはコロサイ人への手紙4章14節ですが、そこには、「愛する医者」として紹介されています。ルカは医者でした。パウロは何らかの病気を抱えていてそれで苦しんでいましたが、そんなパウロを看護したのがこのルカだったのです。そして、パウロの苦痛を少しでも和らげるために、その持てる技術を駆使したのです。そうした看護のおかげで、パウロは働きを続けることができました。ルカは、ほんとうに親切な人でした。彼は大説教者でも大伝道者でもありませんでしたが、個人的奉仕という点から貢献した人だったのです。彼は医師として自分に与えられた賜物を通して主に仕えました。こうした親切心は、特に心に残るものがあります。雄弁は忘れられても、こうした親切心はいつまでも人々の心の中にしっかりと生き続けるからです。

私たちは明後日から渡米しますが、滞在する先はほとんど以前来日して交わりのあった人たちです。私たちは特に何かしたわけでもないのに多くの方々が「ぜひうちに来て泊まってください」と言っていただけるのはほんとうに感謝なことです。それはその人たちの中に、そのようなことを通して私たちと共に主にお仕えしたいという思いがあるからです。ピレモンへの手紙24節を見ると、パウロは彼を「同労者」と呼んでいますが、まさに彼はパウロの同労者だったのです。

ルカについてのもう一つの言及はⅡコリント8章18節と19にあります。そこには、「また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、そればかりでなく、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会かの任命を受けたのです。」とあります。この兄弟がだれのことなのかははっきり書かれてありませんが、これはルカのことでしょう。なぜなら彼はパウロに同行し、パウロの働きを助けていたからです。彼は、この福音の働きによって、すべての教会で称賛されていたのです。彼は誰からも慕われる存在でした。彼は死に至るまで忠実なパウロの友だったのです。そのルカについてパウロはここで言及しているのです。「ルカだけは私とともにいます。」

あなたはだれのそばにいますか。だれのそばにいて、その労苦を分かち合おうとしておられるでしょうか。ルカのようにパウロとともにいて、パウロの友となり、パウロの働きを担い、その奉仕に献身したいと思うような、そんな人になりたいとは思わないでしょうか。彼のように親切な心をもって主の働き人を支えていくような、そんな人になりたいとは思わないでしょうか。そういう人は、誰からも良く思われるようなすばらしい生涯を送ることができるのです。

11節には、もう一人感動的な人の名前が記されてあります。それはマルコです。このマルコはマルコの福音書を書いたマルコです。このマルコについてパウロは、彼を伴って、いっしょに来てください、とテモテに頼んでいます。彼はパウロの働きに役に立つからです。しかし、これまでの経緯を知っている人なら、パウロがこのように言うことに驚きを隠せないでしょう。というのは、マルコはパウロの第一次伝道旅行に同行しましたが、どういうわけか途中で働きを止め、さっさと家に帰ってしまったからです(使徒13:13)。思ったよりも大変だったのか、その危険と苦難に耐えられなかったのか、その理由ははっきりわかりません。しかし、数年後にもう一度伝道旅行に出かけることになった時、バルナバはこのマルコを連れて行こうとしましたが、パウロは働きの途中で仕事を投げ出してしまうような者は神の働きにふさわしくないと、断固として反対したのです。それでバルナバとパウロは激しい反目となり、結局バルナバはマルコを連れて、パウロはシラスを連れて出かけて行くことになり、彼らは別々の道を行くことになったのです。あの時は「あいつは役に立たない」と言ったパウロですが、今は違います。ここには、「彼は私の務めのために役に立つからです。」と言っているのです。

これは私たちにとっても励ましではないでしょうか。かつては自分のわがままでその働きを途中でやめてしまうような中途半端な者でも、やがて立ち直って主のお役に立つ者となれるのです。過去においてどんなに失敗しても、それで終わりということはありません。失敗しても希望があるのです。この人がマルコの福音書を書いたマルコになりました。

次に12節をご覧ください。ここには「テキコ」という人のことが紹介されています。パウロはこのテキコをエペソに遣わしました。つまりエペソにいたテモテにこの手紙を届けさせたということです。彼はコロサイの教会にも手紙を届けました(コロサイ4:7)が、それは、それだけ彼がパウロに信頼されていたということです。信頼されていなかったら、自分の大事なものを託すことはしないでしょう。

そして13節には、「あなたが来るときには、トロアスでカルポのところに残しておいた上着を持って来てください。また、書物を、特に羊皮紙の物を持って来てください。」とあります。パウロは、テモテが来るときは、トロアスに残しておいた上着を持って来てほしいと頼んでいます。多くの学者はこの記述から、パウロはローマの軟禁生活から解放されイスパニヤにまで行ったあと、このトロアスに戻って来たときに再び捕えられたのではないかと考えているのです。だから急いでいたので、上着を持って来ることができなかったのだろうというのです。しかし、もうすぐ冬になるのでその前に何とか上着を持って来てほしいと頼んでいるのです。

それから書物も持ってくるようにと頼んでいます。この書物が何であったかはわかりませんが、おそらく旧約聖書だったのではないかと考えられています。というのは、ここに「特に羊皮紙の物を持って来てください」とあるからです。当時、羊皮紙に書かれたものは大切な文書か、神聖な書物であったからです。死を前にした彼は神のことばを読み、栄光の天の御国に思いを馳せたかったのでしょう。

パウロが、その人生の最期の瞬間に会いたいと願っていたのはこのような人たちでした。このような人がずっとパウロのそばにいて助けてくれた人たちでした。彼らはパウロの喜びだったのです。私たちもそのような人になりたいですね。ですから、最後まで信仰の道を走り続ける者でありたいと願います。

Ⅱ.パウロを助けてくれた主(14-18)

次に14節から18節までをご覧ください。まず16節までをお読みします。

「銅細工人のアレキサンデルが私をひどく苦しめました。そのしわざに応じて主が彼に報いられます。あなたも彼を警戒しなさい。彼は私たちのことばに激しく逆らったからです。私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。」

パウロはその生涯の終わりに、自分に仕え、支えてくれた人たちばかりでなく、逆に自分を苦しめた人たちの名前もあげています。そのひとりがアレキサンデルです。彼についてはⅠテモテ1章20節にも、信仰の破船にあった人と紹介されていました。彼は違った教えを説いて、パウロに激しく敵対しました。しかしパウロは、そんなアレキサンデルに対して個人的に恨むようなことをせず、神の怒りに任せました。「そのしわざに応じて主が彼に報いられます。」と言っています。そして、彼のことを警戒するようにとテモテに勧めています。

その他にもアレキサンデルのようにパウロを裏切り、彼を見捨ててしまった人はたくさんいました。16節には、「私の最初の弁明の最には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。」とあります。彼らはみな、パウロを見捨ててしまいました。けれども、パウロは、彼らが神によってさばかれることがないようにと祈っています。ここがパウロのすごいところです。人に恨まれても自分が恨むようなことはしませんでした。むしろ、そうした神のさばきから免れるようにと、罪の赦しのための祈りをささげているのです。なぜでしょうか?それは、彼も経験したことだからです。パウロはかつて主イエスを信じる人たちを迫害する者でした。そして、主の弟子であったステパノを殺す時には賛成もしたのです。そして、人々がステパノに向かって一斉に石を投げつけたとき、ステパノが祈った祈りを聞きました。ステパノはひざまずいて、こう叫びました。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」(使徒7:60)しかし、パウロはそんな声をかき消すかのように、その後ますます激しく迫害していくのですが、彼がダマスコに向かっていた時、復活の主イエスと出会いました。「あなたはどなたですか」「わたしはあなたが迫害しているイエスである。」それを聞いたとき、彼はあのステパノの祈りを思い出したのです。

しかし、それは主イエスの祈りでもありました。主イエスは十字架に付けられたとき、その十字架の上でこう祈られました。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でもわからないのです。」(ルカ23:34)ここでパウロも同じ祈りをしているのです。これは私たちの祈りでもあるべきです。人々があなたをさげすみ、あなたにひどいことをしたり、あなたを裏切って見捨てて行ってしまうとき、あなたは何を言うでしょうか。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でもわからないのです。」それでこそ、父なる神の子どもになれるのです。

また、そのように同労者に見捨てかられても、彼らのためにパウロが祈ることができたのは、真に助けてくださる方に信頼していたからです。17節と18節のところでパウロはこう言っています。

「しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私はししの口から助け出されました。主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。」

すべての人がパウロを見捨ててしまった。一番助けてほしい、一番証言してほしい、そのような時に助けてくれるどころかみな去ってしまった。「しかし、主は」これはパウロが好んで使う表現です。「しかし、あなたは」「しかし、テモテよ」という表現がたくさん出てきます。状況はこうであっても、確かにそれで苦しいことがあっても、しかし、主は、パウロを見捨てることはしませんでした。パウロと一緒に立つ人はいなかったかもしれませんが、しかし、主は、ともに立ってくださり、力を与えてくださいました。それはパウロを通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。現に、この時パウロはローマ皇帝ネロの前に立ち、主を証することができました。彼は大胆に福音を語ることができたのです。主は彼をすべての悪のわざわいから助け出し、天の御国に入れてくださるという確信がありました。たとえこの地上の裁判の判決がどうであれ、たとえそれによって打ち首にされようとも、主は栄光の天の御国に入れてくださるということを思うと、もう賛美せずにはいられませんでした。彼は勝利の思いに満たされてこう賛美しました。「主に、御栄がとこしえにありますように。アーメン。」

これが信仰者の姿です。たとえあなたを苦しめる人がいても、あなたを見捨てて去って行く人がいたとしても、あなたはそのことでがっかりする必要はありません。しかし、主は、あなたとともに立ち、あなたに力を与えてくださり、すべての悪のわざわいから助け出して、天の御国に救い入れてくださるのですから、大いに喜び、賛美することができるのです。むしろ、あなたはそうした人たちのためにとりなし祈ることができるのです。何ということでしょうか。このことを思うとき、あなたは勝利の雄叫びを上げることができるのです。

あなたはどうでしょうか。あなたをひどく苦しめる人がいますか。あなたのことばに激しく逆らい、あなたを口汚くののしる人がいるでしょうか。もしそのような人がいるなら幸いです。喜びなさい。喜び踊りなさい。天において、あなたの受ける報いは大きいからです。神はあなたのためにすべてを働かせて益としてくださす。この神に感謝し、賛美しようではありませんか。

Ⅲ.すべては主の恵み(19-22)

最後に19節から22節までを見て終わりたいと思います。

「プリスカとアクラによろしく。また、オネシポロの家族によろしく。エラストはコリントにとどまり、トロピモは病気のためにミレトに残して来ました。何とかして、冬になる前に来てください。ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤ、またすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。主があなたの霊とともにおられますように。恵みが、あなたがたとともにありますように。 」

ここには、パウロの最後の挨拶が記されてあります。ブリスカとアクラは、パウロが行くところどこにでも行って、パウロの働きを助けてくれた夫婦です。そのパウロが捕えられて、彼らは今どこにいるかというと、この手紙を送っているテモテが牧会していたエペソにいました。パウロがいなくなった今、彼らはエペソにいてテモテを助けていたのです。そのプリスカとアクラによろしくとあいさつを送っています。

つぎはオネシポロの家族によろしくと言っています。オネシポロについては1章16節にも出てきましたが、そこには、彼はローマにいたパウロを捜して見つけ出し、パウロが鎖につながれていることなど何のその、恥とも思わず、パウロに仕え、パウロを励ましてくれた、とあります。そして、パウロはそのことをとても感謝し、「かの日には、主があわれみを彼に示してくださいますように。」と言っているのです。おそらくこの時オネシポロはすでに召されていたのでしょう。でもその栄誉に報い、そのオネシポロの家族によろしくと言っているのだと思います。

そしてエラストにもあいさつを送っています。エラストはコリントの町の収入役でした(ローマ16:23-24)。彼はパウロの働きをよく助けてくれました。そんな彼をパウロはコリントにとどまらせていたのです

トロピモへの挨拶もあります。トロピモは病気のためにミレトに残してきました。パウロにはいやしの賜物が与えられていて、彼の前かけに触れただけで多くの人々がいやされましたが、トロピモはいやされませんでした。信仰があればすべての病気がいやされるわけではありません。いやされることもあれば、いやされないこともあります。でもいやされないからといって、必ずしもそれが不信仰だというわけではないのです。いやされるのは主ご自身であり、主が必要に応じてご自身の御業を行ってくださるので、その主にすべてをゆだねて祈ることが大切です。

その他、21節には、ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤ、またすべての兄弟たちが、あなたによろしくと言っています。彼らも最後までパウロに従い、パウロにとってかけがえのない信仰の友でした。

そして、パウロの最後のことばです。22節をご一緒に読みましょう。「主があなたの霊とともにおられますように。恵みが、あなたがたとともにありますように。」

これがパウロの最後のことばです。最後にパウロはテモテの内側が強められるように祈りました。主があなたの霊とともにおられますように。神が彼に与えてくださったのは臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。その霊があなたとともにありますように。それはテモテばかりではありません。あなたも同じです。私たちの人生にもいろいろな問題が起こり、その度に、心が弱くなり臆病になってしまいがちですが、力と愛と慎みとの霊が、あなたとともにあって、あなたの心が強められるようにと祈っているのです。

そして、主の恵みが、あなたがたとともにありますようにと祈っています。すべては主の恵みです。主の恵みによって私たちは救われました。また、主の恵みによって主の働きをすることができます。すべては主の恵みなのです。主の恵みに始まり、最後までこの恵みの中を歩ませていただきましょう。そしてこの地上での生涯を賛美と感謝をもって全うさせていただきたいと思います。そういう人こそ最後まで忘れられない人なのです。

民数記28章

きょうは、民数記28章を学びます。

Ⅰ.主へのなだめのかおりの火によるささげもの(1-8)

まず1節から8節までをご覧ください。

「1 主はモーセに告げて仰せられた。28:2 「イスラエル人に命じて彼らに言え。あなたがたは、わたしへのなだめのかおりの火によるささげ物として、わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてわたしにささげなければならない。28:3 彼らに言え。これがあなたがたが主にささげる火によるささげ物である。一歳の傷のない雄の子羊を常供の全焼のいけにえとして、毎日二頭。28:4 一頭の子羊を朝ささげ、他の一頭の子羊を夕暮れにささげなければならない。28:5 穀物のささげ物としては、上質のオリーブ油四分の一ヒンを混ぜた小麦粉十分の一エパとする。28:6 これはシナイ山で定められた常供の全焼のいけにえであって、主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。28:7 それにつく注ぎのささげ物は子羊一頭につき四分の一ヒンとする。聖所で、主への注ぎのささげ物として強い酒を注ぎなさい。28:8 他の一頭の子羊は夕暮れにささげなければならない。これに朝の穀物のささげ物や、注ぎのささげ物と同じものを添えてささげなければならない。これは主へのなだめのかおりの火によるささげ物である。」

ここには、イスラエルの民が約束の地に入ってから、ささげなければならない火によるささげものの規定が記されてあります。このささげものの規定については15章でも語られたばかりですが、ここで再び語られていす。なぜそんなに繰り返して記されてあるのでしょうか?なぜなら、このことはそれほど重要な内容だからです。イスラエルが約束に地に入ってからもどうしても忘れてはならなかったこと、それは彼らをエジプトから贖い出してくださった神を覚えることでした。私たちはすぐに忘れがちな者ですが、そのような中にあっても忘れることがないように、何度も何度も繰り返して語られているのです。しかも、ここでは語られている対象が変わっています。エジプトから出た20歳以上の男子はみなヨシュアとカレブ以外全員死にました。彼らは神のみことばに従わなかったので荒野で息絶えてしまったのです。今そこにいたのは新しい世代でした。以前はまだ小さくて聞いたことのなかった子どもたちが大きく成長していました。彼らが約束の地に入るのです。そんなさかれらが忘れてはならなかったのは、彼らの父祖たちが経験した神の恵みを忘れないことだったのです。

ここで主は、かおりの火によるささげものとして、神への食物のささげ物をささげるようにとあります。かおりの火によるささげものには、三つの種類がありました。一つは、全焼のいけにえ、もう一つは、穀物のささげもの、そしてもう一つが、注ぎのささげ物です。全焼のいけにえは、小羊をすべて祭壇の上で焼きます。穀物のささげものは、油をまぜた小麦粉です。それから、注ぎのささげ物は、ぶどう酒です。全焼のいけにえをささげて、このいけにえに、穀物のささげものと注ぎのささげものを供えます。これらは常供のいけにえです。常供のいけにえとは、日ごとにささげるいけにえのことで、それは毎日、朝と夕暮れにささげなければなりませんでした。

それにしても、ここには、「わたしへの食物のささげ物を、定められた時に、気をつけてささげなければならない」とあります。どういうことでしょうか?主はこのささげ物を食べるというのでしょうか?主は私たちからのこのようなささげ物を必要としているということなのでしょうか?そういうことではありません。それは、神によって罪の中から贖い出された者としてこの恵みに応答し、感謝して生きなさいということです。

パウロはローマ書12章1節でこのように言っています。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」

「そういうわけですから」というのは、それ以前のところで語られてきたことを受けてのことです。そこには、神の恵みにより、キリスト・イエスを信じる信仰によって、価なしに義と認められたということが語られてきました。そのように罪から救われたクリスチャンに求められていることは、自分を神にささげることです。これこそ、霊的な礼拝なのです。神の喜びのために生きるということであります。神が求めておられるのは私たちの何かではなく、私たち自身です。私たちのすべてなのです。私たち自身が神と一つとなり、私たちを通して主の栄光があがめられること、それが主の喜びなのです。そして、それが現される手段が礼拝であり、ささげ物なのです。その時、私たち自身にも究極的な喜びがもたらされるのです。

今週の礼拝のメッセージはテモテ第二の手紙4章からでしたが、その中でパウロは、「私は今や注ぎの供え物となります。」(4:6)言っています。彼はそのように生きていたということです。彼の生涯は、自分のすべてを主にささげる生涯でした。彼は全く主に自分をささげていたのです。これを献身というのです。主が求めておられたのはこの献身だったのです。イスラエルは今神が約束してくださった地に入ろうとしていました。そんな彼らに求められていたことは、主に自分自身をささげるということだったのです。

Ⅱ.安息日ごとのささげもの(9-10)

次に9節と10節をご覧ください。

「9 安息日には、一歳の傷のない雄の子羊二頭と、穀物のささげ物として油を混ぜた小麦粉十分の二エパと、それにつく注ぎのささげ物とする。10 これは、常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えられる、安息日ごとの全焼のいけにえである。」

ここには安息日ごとのささげものについて記されてあります。安息日ごとのささげものは、常供のいけにえの他に加えてささげられます。ここで大切なのは「加えて」ということです。プラスしてです。私たちは日毎に、主の前に出ていかねばなりませんが、主の日にはそれにブラスして主の前に出て行かなければなりません。毎日礼拝していれば別に主の日だからといって礼拝する必要はないというのではなく、毎日礼拝していればなおのこと、主の日を大切にして、それに加えて主の前に出て行かなければなりません。あるいは、毎日忙しいので日曜日だけは礼拝するというのも違います。主の日が常供のささげものを代用することはできないのです。ですから、主の日に礼拝すれば自分の務めを果たしているとは言うことはできず、それは日ごとの礼拝の他にささげられる物で、むしろ日毎の礼拝の延長に、他の信者と集まっての礼拝があると言えるでしょう。

Ⅲ.新月の祭り(11-15)

次に、新月の祭りについてです。11節から15節までをご覧ください。

「11 あなたがたは月の第一日に、主への全焼のいけにえとして若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の傷のない雄の子羊七頭をささげなければならない。28:12 雄牛一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の三エパ。雄羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の二エパとする。28:13 子羊一頭については、穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉十分の一エパ。これらはなだめのかおりの全焼のいけにえであって、主への火によるささげ物である。28:14 それにつく注ぎのささげ物は、雄牛一頭については二分の一ヒン、雄羊一頭については三分の一ヒン、子羊一頭については四分の一ヒンのぶどう酒でなければならない。これは一年を通して毎月の、新月祭の全焼のいけにえである。28:15 常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物に加えて、雄やぎ一頭が、主への罪のためのいけにえとしてささげられなければならない。」

今度は、月の第一日、つまり新月にも供え物をするようにと命じられています。これは、民数記で新しく出てきた規定です。新月のささげものは全焼のいけにえが中心ですが、罪のためのいけにえもささげられます。しかしそれは全焼のいけにえと比べると非常に少ないことがわかります。この後のところに、例年行う祭りのささげ物の規定が出てきますが、そこでも同じです。罪のためのいけにえは全焼のいけにえと比べれば圧倒的に少なくなっています。これはいったいどうしてなのでしょうか?

それは、礼拝とは、「悔い改めにいくところ」ではないということです。毎日の生活で罪を犯してしまうので、その罪が赦されるために礼拝にいかなければいけない、ということではないのです。勿論、悔い改めるは重要なことですが、それが礼拝の中心ではありません。礼拝とは、自分自身を主にささげることであり、そこにある喜びと平和、そして聖霊による神の臨在を楽しむところなのです。イスラエルの民は新しく入るそのところで、自分たちを愛し、そのように導いてくださった主を覚え、日ごとに、週ごとに、そして月ごとに、すなわち、いつも主と交わり、主が良くしてくださったことを覚えて、主に心からの感謝をささげなければならなかったのです。

Ⅳ.春の祭り(16-31)

最後に、春の祭りの規定を見ておわりたいと思います。16節から31節までをご覧ください。まず16節から25節までをご覧ください。

「16 第一の月の十四日は、過越のいけにえを主にささげなさい。17 この月の十五日は祭りである。七日間、種を入れないパンを食べなければならない。18 その最初の日には、聖なる会合を開き、どんな労役の仕事もしてはならない。19 あなたがたは、主への火によるささげ物、全焼のいけにえとして、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなければならない。それはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。20 それにつく穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパをささげなければならない。21 子羊七頭には、一頭につき十分の一エパをささげなければならない。22 あなたがたの贖いのためには、罪のためのいけにえとして、雄やぎ一頭とする。23 あなたがたは、常供の全焼のいけにえである朝の全焼のいけにえのほかに、これらの物をささげなければならない。24 このように七日間、毎日主へのなだめのかおりの火によるささげ物を食物としてささげなければならない。これは常供の全焼のいけにえとその注ぎのささげ物とに加えてささげられなければならない。25 七日目にあなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。」

例祭、すなわち、毎年恒例の祭りは、過越の祭りからはじまりました。これがユダヤ人にとってのスタートだったのです。なぜ過越の祭りから恥じるのでしょうか?それは、これが贖いを表していたからです。私たちの信仰は贖いから始まります。だから、過ぎ越しの小羊を覚え、それを感謝しなければなりません。それは十字架に付けられたイエス・キリストを示していたからです。ペテロは、「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:18-19)と言いました。これが私たちの信仰土台です。それは新しいイスラエルの民が、新しい約束の地に入ってからも変わりません。彼らはこれまでと同じように、まず過ぎ越しの祭りから始めなければなりませんでした。

そして、この過ぎ越しの祭りに続いて、種なしパンの祭りが行われました。その時彼らは種を入れないパンを食べなければなりませんでした。なぜでしょうか?罪が赦されたからです。キリストの血によって罪が赦され、罪が取り除かれました。もうパン種がなくなったのです。だから、古いパン種で祭りをしたりしないで、パン種の入らないパンで祭りをしなければなりません。それが種を入れないパンの祭りです。すなわちそれは、キリストによって罪が取り除かれたことを祝う祭りのことだったのです。

次は、初穂の祭り、すなわち、七週の祭りです。26節から31節です。

「26初穂の日、すなわち七週の祭りに新しい穀物のささげ物を主にささげるとき、あなたがたは聖なる会合を開かなければならない。どんな労役の仕事もしてはならない。27 あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛二頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。28 それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。29 七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。30 あなたがたの贖いのためには、雄やぎ一頭とする。31 あなたがたは、常供の全焼のいけにえとその穀物のささげ物のほかに、これらのものと・・これらは傷のないものでなければならない。・・・・それらにつく注ぎのささげ物とをささげなければならない。」

初穂の祭りは、過ぎ越しの祭りの三日目、つまり過ぎ越しの祭りの後の最初の日曜日に行われました。これはキリストの復活を表していました。キリストは過越の祭りの時に十字架で死なれ、墓に葬られました。そして、安息日が終わった翌日の日曜日に復活されました。日曜日の朝早く女たちが、イエスに香料を塗ろうと墓にやって来くると、墓の石は取り除かれていました。そこに御使いがいて、女たちにこう言いました。「この方はここにはおられません。よみがえられたのです。」そうです、初穂の祭りは、イエス・キリストの復活を表していたのです。使徒パウロはこう言いました。コリント人への手紙第一15章20節です。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」キリストは、私たちのために死んでくださり、その血によって罪を赦し、きよめてくださっただけではなく、よみがえってくださいました。よみがえって、今も生きておられます。そのことを覚えて、主に感謝のいけにえをささげるのです。それは全焼のいけにえ、穀物のささげもの、そして注ぎのささげ物です。

それは初穂の日だけではありません。ここには七週の祭り、すなわち、ペンテコステにもささげ物をささげるようにと命じられています。それは聖霊が下られたことを記念する祭りです。もちろん、ユダヤ人にとってはこれが何を意味しているのかはわからなかったと思いますが・・・。

このように、イスラエルが約束の地に入っからも忘れずに行わなければならなかったことは、火による全焼のいけにえ、穀物のささげ物、そして注ぎのささげ物をささげなければなりませんでした。それは神への献身、神への感謝を表すものです。

これが、イスラエルが約束の地に入る備えでした。約束の地に入るイスラエルにとって求められていたことは、神へのいけにえをささげることによっていつも神を礼拝し、神と交わり、神に感謝し、神の恵みを忘れないだけでなく、その神の恵みに応答して、自分のすべてを主におささげすることだったのです。日ごとに、朝ごとに、そして夕ごとに。また、週ごとに、新しい月ごとに、その節目、節目に、主が成してくださったことを覚えて感謝し、その方を礼拝することが求められていたのです。

私たちはどうでしょうか?新しい地に導かれた者として、いつも主を礼拝し、主に心からの礼拝をささげているでしょうか?神があなたのためにしてくださった奇しい御業を覚えて、いつも主に感謝し、心からの礼拝をささげましょう。

Ⅱテモテ4章6~8節 「走るべき道のりを走り終え」

きょうは、第二テモテ4章6~8節の箇所から、「走るべき道のりを走り終え」というタイトルでお話したいと思います。この手紙はパウロが書いた最後の手紙です。その最後のところでパウロがテモテに命じたことは、「みことばを宣べ伝えなさい」ということでした。「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」そのようにして、自分の務めを全うしなければなりません。

きょうの箇所には、パウロがそれをどのように果たしたのかを語っています。きょうはこのパウロの生き方を通して、私たちも自分に与えられた務めを十分に果たしたいと思います。

Ⅰ.私が世を去る時(6)

まず6節をご覧ください。ご一緒に読みたいと思います。

「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。」

ここでパウロは現在、過去、未来の三つの観点から自分の生涯を振り返っています。まず現在です。パウロは自分が今置かれている状況をよく理解していました。それは、もうすぐ打ち首にされるということです。そのことを彼は、「今や注ぎの供え物となります」と表現しています。

「注ぎの供え物」という表現はあまり聞かない言葉ですが、これは旧約聖書の中で自分を神様にささげるときに使われた表現です。その時には動物のいけにえとともに、ぶどう酒による注ぎの供え物を祭壇に注ぎました。それは神への香りのささげものです。パウロはもうすぐ死ぬことが決まっていましたが、それはこの注ぎの供え物だと言っているのです。どういうことでしょうか。

ローマ人への手紙12章1節にはこうあります。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ここには、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」とあります。なぜでしょうか?「そういうわけですから」です。つまり、人はみな生まれながらに罪人であり、神の御怒りを受けるべき者でしたが、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいた私たちをキリストとともに生かしてくださったからです。神はこのキリストの上に私たちのすべての罪咎を負わせ十字架で死んでくださいました。そのことによって私たちのすべての罪を贖ってくださいました。だから、だれでもイエスを信じるなら救われるのです。それは私たちの行いによるのではありません。神からの賜物です。私たちは、この神の恵みのゆえに、信仰によって救われました。

「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」(ローマ3:23,24)

そういうわけだからです。そのようにあなたは神の一方的な恵みによって罪から救い出されたのですから、あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなければならないのです。

パウロはそのように生きました。そのことを彼はガラテヤ書2章20節でこう言っています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

彼は救い主イエス・キリストを信じたとき、古い自分に死に、キリストにあって生きると決めました。彼がこの世にあって生きているのは自分の喜びや満足のためではなく、自分を愛し、自分のために命までもお捨てになられた神の御子を信じる信仰によってでした。彼は自分のすべてを主に全くささげたのです。これ献身と言います。献身とはこのように神のために生かされていることを覚え、神にすべてをささげ、神のために生きることです。クリスチャンはみなそのように告白したはずです。献身こそ、私たちが神様に対してなすべき最も基本的な行為であり、最も大切な行為です。これがなかったら何も始まりませんし、何の変化も生まれてきません。私は神様によって贖われた者であり、神様のために生かされている者ですから、そのすべてはあなたのものであり、あなたにささげますという献身があるからこそ、私たちは神様のみこころにかなった歩みをすることができるのです。

アメリカの有名な伝道者D・L・ムーディは、ある時神の迫りを感じて、その献金皿が回ってきたとき、その上に、「D・L・ムーディ」と書いた紙切れを置いたと言われています。彼は、自分自身のすべてをささげたいという思いになったのでしょう。わたしのすべてをささげますと、そのように書いたのです。もう献金の皿の中に横になりたい気持ちだったのでしょう。私たちの献金袋は袋ですから、その中にもぐりこみたいという気持ちでしょうか。もぐりこむか、横になるかは別にしても、私たちのからだをささげるとはそういうことなのです。

パウロはそのように生きました。彼は自分の全生涯を神にささげたのです。そして今その生涯の最後の時を迎えようとしていました。そのように生きたパウロにとってふさわしい最後とはどのようなものだったのでしょうか。それは同じように注ぎの供え物となるということでした。彼にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益でした。彼の存在そのものが、香ばしい香としての神への注ぎの供え物だったのです。私たちもパウロのように、自分自身を神への注ぎの供え物としてささげ、神の栄光のために生き、また神の栄光のために死ぬ者でありたいと思います。

ところで、パウロは死をどのように受け止めていたのでしょうか。パウロはここで、「私が世を去る時はすでに来ました。」と言っています。この「去る」ということばは、農夫が一日の仕事を終えた牛やろばからくびきを外す時に使われた言葉です。一日の仕事を終えた牛さんに、「お疲れさん」と言ってそれから解放してあげる時に使われた言葉なのです。また、船が錨をあげて出航するときにも使われました。ともづなを「解く」という意味です。さらに、旅人がテントをたたんで次の目的地に向かう時にも使われました。テントのロープを緩めたり、解いたりする時に使われたのです。すなわち、パウロにとって世を去る時というのは、そうした労苦から解放され、主のみもとに凱旋すること、輝ける天の御国へ出発するときであると理解していたのです。

皆さんは「死」をどのように受け止めておられるでしょうか?一般的な日本人にとって死は悲しく不幸なものであり、忌むべきものです。なぜなら、すべてが終わってしまうからです。自分の存在が消えて無くなってしまうと思えばそれは悲しいことですが、パウロはそのようにはとらえていませんでした。パウロにとって死は肉体という地上のテントをたたんで、天にある家で永遠に住むために出発する時だったのです。だからそれは悲しいことではなく、むしろ喜びの時であり、感謝の時、希望の時だったのです。

皆さんはどうでしょうか。皆さんは死をどのように受け止めておられるでしょうか。これは100パーセント、だれもが経験することです。いわば私たちの生は死に向かって歩んでいるのです。その死に対する備えがなかったら、それほど恐ろしいことはないでしょう。なぜなら、私たちはそこで永遠を過ごすのですから・・・。そして、パウロはその死とは何なのかを、聖霊によってはっきり知っていました。それは永遠への入り口であるということを。救い主イエスを信じるものは、天国で永遠に過ごすのです。この地上のすべての労苦から解き放たれて自由になり、栄光の天の御国で神とともに永遠に生きるのです。それゆえに、死を恐れる必要はありません。たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても、わざわいを恐れなくてもいいのです。

先日、Fさんが78歳のこの地上の生涯を終えて天に帰られました。召される2週間前に病室を訪問したとき、彼女は「死ぬのが怖い」と言われました。ずっと前から教会に来てはいましたがイエス様を信じるには至りませんでした。しかし、今年2月にお見舞いに行ったとき、「イエス様を信じてください」と勧めたら、「はい」と素直に信じて洗礼を受けました。あれから4か月、なかなかお会いすることができず久しぶりの再会となりましたが、そこでイエス様の約束の言葉を読みました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)Fさんはこの言葉を信じました。すると翌週訪問したとき「どうですか」と尋ねると、「苦しいですが、平安はあります。」とお答えになられました。苦しいですが、平安があります。それは死に勝利されたイエス・キリストが与えてくださる天国の確かな希望だったのです。イエスを信じる人には、この平安と希望が与えられるのです。あなたもイエス様を信じてください。そして、苦しみの中にもある確かな平安をいただいていただきたいと思います。

Ⅱ.走るべき道のりを走り終え(7)

次にパウロの過去を振り返ってみたいと思います。7節をご覧ください。ここにはパウロの過去がどのようなものであったかが要約されています。「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」 彼は立派なボクサーのように信仰の戦いを勇敢に戦い、また、目標を目指して走るアスリートのように、走るべき道のりを走り終えました。

ピリピ3章13節と14節を見ると、そこにはこうあります。「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えていません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」

これはテモテへの手紙が書かれる数年前に書かれたものですが、その時にはまだゴールしていませんでした。彼は、神の栄冠を目指して一心に走っていました。しかしここでは違います。ここでパウロは、「走るべき道のりを走り終えた」と言っています。また、信仰を守り通したとも言っています。これはただ単に自分の信仰を最後まで貫いたというよりも、ゆだねられた神のことばである福音を偽りの教師たちと戦って、最後までその真理を守り通したということです。

このようなパウロの確信は、何か凱歌のように私たちの胸に響いてきます。私たちもパウロのように凱歌の詩を歌いながら、永遠の御国に帰って行けるように、日ごとのわざに励もうではありませんか。信仰の生涯で最も難しいのはその終わり方です。始めることは易しいことですが、それを最後まで全うすることは並大抵のことではありません。いったいどうしたら最後まで信仰の戦いを戦い抜くことができるのでしょうか。

パウロは、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです」と言いました。ここにその答えがあります。彼はキリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して走りました。彼は今自分を取り巻いている現実がどれほど困難なものであるのかを見ていませんでした。彼が見ていたのは、やがてもたらされる神の栄冠がどれほどすばらしいものであるのかを見て、それを目指して走ったのです。そういう期待感でいっぱいでした。だから今を乗り越えることができたのです。

これが現実の困難を乗り越える大きな鍵です。もし目の前の困難ばかりを見ていたら、その重圧に押しつぶされてしまうでしょう。しかし、その先にある栄光を見るなら、それがどんな困難であっても必ず耐えることができるのです

このことについてパウロはすでに2章でキリスト・イエスのりっぱな兵士のたとえをもって語りました。また、アスリートにもたらされる栄冠のたとえによっても語りました。そして、労苦した農夫にもたらされる収穫のたとえによっても語りました。「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある」( 詩篇30:5)のです。この喜びに目をとめるべきです。そうすれば、信仰の戦いを勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、最後まで信仰を守り通すことができるのです。

Ⅲ.義の栄冠(8)

では、やがてもたらされる栄光とはどのようなものなのでしょうか。8節をご覧ください。

「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

ここでパウロは、「今からは、義の栄冠が私のために用意されているのです。」と言っています。彼は、義の栄冠を受けることを確信していました。義の栄冠とは何でしょうか?それは、イエス・キリストを信じる者すべてに与えられる永遠のいのちことです。パウロの生きた時代、運動競技の勝利者には月桂樹の冠やオリーブの花輪が与えられましたが、それと同じように、イエス・キリストを信じ、最後までその信仰を守り通した人には「義の冠」が与えられるのです。これは先週お話したキリストのさばきとは違います。キリストのさばきとは、イエス・キリストを信じた者がこの地上で成したことに対する評価のことでしたが、この「義の冠」は、イエス・キリストを信じるすべての人にもたらされる栄光です。ヤコブ1章12節には「いのちの冠」と表現されていますが、それと同じものです。また、Ⅰペテロ5章4節には「しぼむことのない栄光の冠」とありますが、それとも同じものです。これはパウロだけでなく、彼と同じようにイエスを信じ、全身全霊をもってイエスに従い、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいるすべての人にもたらされる栄冠です。私たちはやがてこの栄冠を受けるのです。

これはテモテにとってどれほど大きな励ましであったことでしょう。しかし、それはテモテばかりでなく、パウロと同じように最後まで信仰を守り通したすべての人に約束されていることです。やがて将来においてこのような義の栄冠が与えられるという約束は、今を生きる私たちにとって大きな力になるのです。

織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名、高山右近(1552~1615年)が年内にも、マザー・テレサらと並ぶカトリック教徒の崇敬の対象である「福者(ふくしゃ)」としてローマ法王庁から認定されることになりました。高山右近は12歳で洗礼を受け、高槻城主時代の領民のうち約7割がキリスト教徒だったとされます。秀吉の側近、黒田官兵衛らに入信を勧めるなど、布教活動にも熱心でした。しかし、秀吉からのキリスト教を棄てるようにとの命令を受けそれを拒否したことから地位や領地を失い国外追放となりましたが、それでも信仰を捨てませんでした。彼は、「信仰のため国を追われた殉教者」となったのです。それが評価されて福者として認定されることになったのですが、福者として認定されるかどうかは別にしても、彼にはそれにふさわしい義の冠が用意されていることでしょう。彼は走るべき道のりを走り終え、最後まで信仰を守り通したからです。

ベルギーのダミアン神父もそうでした。ダミアン神父は、ハワイのモロカイ島でハンセン病患者を救うためにその生涯をささげました。当時ハンセン病は不治の病で伝染性が強いとされていたので、患者は家族から引き離され、モロカイ島に送り込まれていました。絶望的な患者で満ちていたこの島は、悲惨な様相を呈していました。そこへダミアン神父が単身でやって来たのです。彼は患者の心の友となり、伝道者、医師、裁判官、測量士、葬儀屋、墓堀りとして働きました。16年間に千六百人もの人々を葬り、千個の棺を自分の手で作りました。初めは冷たい目で彼を見ていた人々も、次第にダミアンの愛と偉大さがわかってきて、彼のことばを聞くようになって行きました。晩年、彼もハンセン病になりました。1889年4月15日朝8時、ダミアンは48年のこの地上の生涯を終えて天に召されました。死に臨んだ彼のことばが記録されています。「何もかも、持てる限りを与え尽くした私は幸福者である。今は貧しくて死んでゆく。自分自身の物と名の付くものは何もない。ああ何と幸福なことであろう。」

皆さん、どう思いますか。この地上の生涯を終えるとき、「私は幸福者だ」と言える人は本当に幸いではないでしょうか。人がその人生の最期に語る言葉というのは、その人の生きざまをよく表していると思います。最後に何を語るのかは、その人がどのように生きてきたのかということと深い関係があるからです。ダミアン神父のように、そしてパウロのように、「何もかも、持てる限りを与え尽くした私は幸福者である」と言えるような、また、「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」と言えるような、そんな生涯を全うさせていただこうではありませんか。今からでも決して遅くはありません。あなたがイエス・キリストを信じて、走るべき信仰の道のりを走り終えるなら、あなたにも栄光の義の冠が用意されているのです。

Ⅱテモテ4章1~5節 「みことばを宣べ伝えなさい」

きょうは、テモテ第二の手紙4章前半の箇所から、「みことばを宣べ伝えなさい」というテーマでお話します。これはパウロから弟子のテモテに、いや信仰によるわが子テモテに宛てて書かれた手紙です。この時パウロはローマの地下牢に捕えられていて、もう打ち首になることが決まっていました。そんなパウロがエペソの教会の牧会で疲れ果てていたテモテを励ますためにこの手紙を書いたわけですが、その最後の部分となります。自分がこの世を去って行く前に、父親として息子に残しておきたかった言葉とはいったい何だったのでしょうか。最後のことばですからとても重みのある、重要な言葉です。聖霊に動かされて書いたパウロの最後の言葉に、ご一緒に耳を傾けていきたいと思います。

Ⅰ.みことばを宣べ伝えなさい(1-2)

まず1節と2節をご覧ください。

「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」

パウロがその生涯の終わりに、どうしてもテモテに伝えたかったことは、みことばを宣べ伝えなさいということでした。「みことばを宣べ伝える」とは、神のことば、キリストの救いのメッセージを人々に宣言し、伝達することです。この「宣べ伝える」ということばは、王がその国民に何らかの布告を出したとき、それを宣言し、伝達することを表すのに用いられました。ですから、「私はこう思います」とか、「私はこのように感じます」といった自分の意見や考えを述べることではなく、神が言われることをそのまま脚色なしで伝えることなのです。

なぜ、みことばを宣べ伝えなければならないのでしょうか。なぜなら、人は神のみことばによって救いに導かれるからです。そのことをパウロはすでに3章15節でこのように語りました。「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」聖書は、あなたがキリストを信じるように、その救いに導いてくれるのです。

このことをペテロはこう言っています。Ⅰペテロ1章23~25節です。開いてみましょう。「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。「人はみな草の花のようで、その栄は、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。」

あなたがたに伝えられた福音のことばがこれです。あなたが新しく生まれるのは、とこしえに変わることのない神のことばによってであるということです。このみことばによってあなたは救われるのです。だから、この救いのみことばを宣べ伝えなければなりません。

そればかりではありません。そのように救いに導かれた人が霊的に成長し、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためにでもあります。そのことをパウロは3章16~17節でこう言いました。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」

また、使徒の働き20章32節にはこうあります。「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」

何があなたがたを育成するのでしょうか。何がすべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのでしょうか。神のことばです。神のみことばはあなたがたを育成し、すべての聖なる人々の中にあって御国を継がせることができます。これ以外に私たちクリスチャンを霊的に成長させることはできません。だから私たちは神のことばを熱心に聞かなければならないのです。

ところで、第二テモテ4章に戻っていただきまして、1節を見ると、ここに、「神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思って、私はおごそかに命じます。」とあります。どういうことでしょうか。何度も申し上げておりますように、この時パウロはローマの地下牢に捕えられていました。彼は自分がもうすぐこの世を去り、神の御前に出ることを知っていたのです。そして、キリストのさばきの座に出ることを知っていました。キリストのさばきの座とは何でしょうか?これは黙示録20章11節にある白い御座のさばき、すなわち、キリストを信じなかった者にくだされる最後の審判のことではありません。これは第二コリント5章10節にあるキリストのさばきの座のことです。ちょっと開いてみましょう。Ⅱコリント5章10節です。

「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」

ここに「キリストのさばきの座」という言葉が出てきます。私たちはみな、このキリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになります。それがいつなのかというと、キリストの現れの時です。これはイエス・キリストの再臨の日のことです。このとき、私たちクリスチャンがみなさばきを受けます。このさばきは、天国に行くのか、地獄に行くのかというさばきのことではありません。なぜなら、クリスチャンはみな天国に行くことが決まっているからです。イエス・キリストはこう言われました。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)

ですから、あなたがイエス・キリストを信じているのなら、絶対に地獄に行くことはありません。もう死からいのちに移っているのです。必ず天国に行きます。

ここで言われているさばきとはキリストのさばきのことです。キリストが再臨するとき、クリスチャンはみな天に引き上げらます。まずキリストにあって死んだ人たちです。彼らは墓から出て栄光のからだによみがえり、キリストのもとに引き上げられるのです。次にキリストを信じて生き残っている人たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に引き上げられ、空中で主と会うのです。それがいつなのかはわかりません。それがいつなのかはわかりませんが、キリストが再臨される時キリストにあって死んだ人たちと生き残っている人たちはみな天に引き上げられ、空中で主イエスと会うのです。そのことを、ここでは「生きている人と死んだ人とをとばかれる」と表現されているのです。私たちはみな、キリストが再臨されるとき、そのさばきの座で、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に報いを受けるのです。ですからこの「さばきの座」というのは、その人が天国にふさわしいのか、地獄にふさわしいのかというさばきのことではなく、天国にふさわしい人が、与えられたその命や人生をどのように使ったのかを評価される時のことなのです。

皆さんは美人コンテストを見たことがありますか。あの美人コンテストに参加している人はみな美人です。あれは、美人かどうかを決めるコンテストではありません。みんな美人ですが、その中からその人の持っている特技とか内面性をアピールして、美人にふさわしい人を決めているコンテストなのです。この「キリストのさばきの座」もよく似ています。そこに集まっているのは、みんな「義人」です。みんに義とされた人たちなのです。ただそのクリスチャンたちが、与えられた永遠の命を、この地上でどのように使ったかのかを評価されるのです。

パウロはこのことを第一コリント3章で建物のたとえを用いてこう言っています。「与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」(Ⅰコリント3:10-15)

土台はキリストです。この土台であるキリストの上にどのように建てるかについては注意しなければなりません。もし、だれかがこの土台の上に、それぞれ金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするからです。どのように明らかになるのでしょうか。金、銀、宝石で建てるなら永遠に残りますが、木、草、わらなどで建てますと、それらは火によって燃えてしまいます。この材料の違いは、私たちが何かをする時の動機です。すなわち、神の栄光のためにしたのか、自分の名誉のためにしたのか。神を喜ばすためにしたのか、ただ自分が喜びたいからしたのか。その動機が問われているのです。クリスチャンとして神を信じてから天に帰るまで、この地上で何一つ神に喜ばれることをしたことがない人でも、イエス・キリストを信じたら必ず天国に行きます。アーメン。天使が大喜びであなたを天国に迎え入れてくれるでしょう。しかし、もし何もしなかったという人がいるとしたら、その人はちょうど家が火事になった時に 火の中をくぐるようにして助かるようなものです。家財道具はすべて焼け、着の身着のままに焼け出され、顔はすすだらけの状態になりです。でもその人は助かったのです。助かるのと助からないのでは雲泥のちがいです。天国と地獄はまったく違います。ですから、助かったということはそれだけでものすごい恵みなのです。どんな形でも天国に入ることができれば、その人は人生の成功者です。でも、そのようにして助け出されるよりも、無傷で助け出された方がいいに決まっています。ですから、金や銀、宝石といった火に燃えないもので家を建てる必要があるのです。

アメリカのリック・C・ハワードという人が「キリストの裁きの御座」という本を書きました。彼はこの本の最後の方に、ウィリアム・ブースという人が見た幻を紹介しています。ウィリアム・ブースという人は、イギリス人で、救世軍というクリスチャンの世界的な組織を建て上げた人です。救世軍は、世界の貧しい人々のために、あるいは身寄りのない子供たちのために、救いの手を伸ばそう、という主旨で始まった大きなグループです。彼は小さな時に、人と比べて、自分はかなり熱心なクリスチャンだと思っていました。毎週、日曜日の礼拝は欠かしたことがなく、毎朝聖書は読むし、祈るし、そして教会でもたくさんの奉仕をしているから、自分はもう十分に、立派なクリスチャンだと思っていたそうです。そんな時に、神は天国の幻を見せてくださいました。彼が天国に着くと、神の御座の回りで多くの人々が行進していく幻を見たそうです。神の軍隊のように、勝利の凱旋の行列のように、多くの人々が、目の前を通って行きました。その行進している人の顔を見たら、ほんとうに喜びと栄光に輝いていました。この人たちはずらしいクリスチャンだということが一目でわかり、この人たちと自分を比べた時に、もし自分が天国に着いたら、この義を行列にはふさわしくないと感じました。自分はこの人たちほど神を愛していないことに気がついたのです。がっかりしている時に、イエス様が彼のところにやって来て、こうおっしゃったそうです。

「地上に戻りなさい。私はおまえにもう一度チャンスを与えます。自分が、わたしの名にふさわしい者であることを証明してきなさい。おまえがわたしの聖霊を帯びていることを、行いによって、この世の人々に示してあげなさい。そして、わたしの代理者として、人々を救いに導きなさい。その勝利の戦いを済ませて、再び戻って来なさい。そうすれば、お前も、わたしが勝ち取ったこれらの者たちの行列の中に加えてあげよう。」

こうして彼は天国の幻から帰ってきました。そして、彼はその後、神のために一生懸命に働きました。

何度も言いますように、ただ、イエス様を信じるだけで救われます。救われて、天国に行くことができます。それは神の一方的な恵みなのです。そのために神は私たちには何の行いも要求されません。でも、「ただ自分が救われて良かった」「ああ自分の家族も救われて良かった。もうこれでいい。あとは天国に行くのを待とう」「罪も赦されたし、平安だし、問題もそんなにないし、あとは天国を楽しみにして待っていよう」といって座り込んでいるのではなく、やがてキリストが再臨され、そのさばきの座で正しくさばかれるその時に、神からの栄冠を受けるために、私たちはどうあるべきなのかを考え、そのように生きるべきだとチャレンジしているのです。そして、それにふさわしい生き方とはどのようなものなのでしょうか。それは、「みことばを宣べ伝えなさい。時がよくても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えずお家ながら、責め、戒め、また勧めなさい。」ということです。

これはテモテに対してばかりでなく、その後に続くすべてのクリスチャンにも命じられていることです。私たちは、みことばを宣べ伝えなければなりません。時がよくても悪くても、寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなければならないのです。

皆さん、今はどんな時ですか?良い時ですか?それとも悪い時でしょうか?テモテの時代は悪い時でした。外からはローマ皇帝ネロによる激しい迫害がありました。また、教会の内部にも違ったことを教えて混乱を引き起こす人たちもいました。みことばを宣べ伝えたくてもそれを妨げるさまざまな障害があったのです。しかし、そういう時でも、いやむしろそういう時だからこそ、しっかりとみことばを宣べ伝えなければなりません。なぜなら、みことばによって人は救いに導かれ、キリストが現れるその時に、神から正しい評価を受けることになるからです。そのみことばを伝えなければ、いったい人はどのようにしてそのことを知ることができるでしょうか。信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。その知らせを宣べ伝える人がいなければ、だれも聞くことができません。だからみことばを宣べ伝えなければなりません。時が良くても悪くても、寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなければならないのです。

Ⅱ.真理から耳をそむける時代(3-4)

なぜ、みことばを宣べ伝えなければならないのでしょうか。もう一つの理由が3節と4節にあります。

「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」

なぜ、みことばを宣べ伝えなければならないのでしょうか?積極的な意味では、それによって人々が救いに導かれ、霊的に成長していき、やがてキリストの現れの時に、正しくさばかれる神の御前で、その報いを受けるためですが、消極的な意味では、人々が健全な教えに耳を貸そうとしないからです。そういう時代がやって来ます。いや、もうすでにそのような時代が来ているのです。

このことについてパウロは前の章で、終わりの時代には、人々がどうなっていくのかについて語りました。その時に人々は「自分を愛する者」になります。世の終わりが近くなると、人々はまず自分を愛するようになるのです。神を愛するよりも自分を、隣人を愛するよりも自分を愛するようになるのです。不法がはびこるので愛が冷えてくるからです。牧師、伝道者が健全な教えを語っても、そういう話は聞きたくありません。なぜなら、そこには自分を捨てることが求められるからです。イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マルコ8:34)と言われました。だれでもイエスについて行きたいと思うなら、自分を捨てことが求められます。もちろん、イエス様を信じたらその愛と恵みの大きさに感動し、喜んで自分を捨て神の道に従いたいと願うものですが、しかし、本質的に自己中心的な私たちは、このようなことを嫌がる傾向があるのです。健全な聖書の教えに耳をかしたくありません。そして、自分に都合の良いことを言ってもらう牧師や教師を次々に捜し歩き、自分たちのために寄せ集めるのです。すると真理ではなく、空想話にそれていくようになります。

だから、みことばを宣べ伝えなければなりません。そうした時代になっていくからこそ、真理のことばである神のことばをまっすぐに説き明かさなければならないのです。人がどう考え、どのように思い、何を言っているかではなく、神のことばである聖書は何と言っているのかを聞かなければならないからです。

Ⅲ.自分の務めを十分に果たしなさい(5)

ですから、結論としてはこうです。5節をご一緒読みましょう。

「しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」

「しかし、あなたは」とは、これまでパウロが語ってきたように、終わりの日が近くなると、人々は健全な教えに耳を貸そうとせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理からそれて、空想話にそれて行くようになりますが、しかし、あなたは、です。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たさなければなりません。テモテに与えられた務めとは何でしょうか?みことばを宣べ伝えることです。テモテに伝道者としての力があったかどうかはわかりません。彼が力強い牧会者であったかどうかもわかりません。ただわかることは、みことばを宣べ伝えることが、彼に与えられた務めであったということです。そのために彼は召されたのです。その務めを十分に果たさなければなりませんでした。

それは私たちも同じです。私たちも自分たちに与えられた務めを十分に果たさなければなりません。皆さんはどうでしょうか。皆さんに与えられている務めとは何でしょうか。皆さんは、その務めを十分に果たしておられるでしょうか?

私はここに一冊の記念誌を持ってきました。これは保守バプテスト同盟の山形福音伝道隊65周年を記念してまとめられたものです。現在山形には約20の保守バプテスト同盟の教会がありますが、その最初は1948年に山形で宣教を開始したジョセフ・G・ミーコ宣教師ご夫妻の働きによるものが大きいのです。先生は「いちご伝道」といって、いちごが実を結ぶとき、実を結ぶ前に次のところにつるを伸ばして実を結ぶように、開拓伝道を始めたら、同時に次のところの準備も始め、同時に実を結ばせようとして、その結果、多く教会を生み出して行ったのです。先生は持病で1948年から10年後に一時帰国し、再び来られたのは1973年でした。そして帰国した1979年までの16年間に、本当に多くの教会を生み出していったのです。私が実践している開拓伝道はこのいちご伝道がモデルになっています。それにしても、戦後の混乱期にあって、しかも持病を抱えながら伝道することはどれほどのご苦労があったことかと思います。

このミーコ先生と一緒に働いたジョー・グーデンという宣教師が、ミーコ先生についてこのように語っています。「私はあの日のことを決して忘れない。山形盆地、そこに教会が一つもない沢山の町々村々があった。小高い山からそれらの村々を見ながら、彼は32か所を指さしていた。私がもっと彼に近づいてよく見ると、彼の目には涙が浮かんでいた。彼の声は震えて、「私はあの一つ一つの所に教会でも、聖書研究会でも、あればと願っている。ジョー、私と一緒に働いてくれないか。あなたと私は人柄も才能も違う。私にはあなたが必要なのだ。お互いに助け合えばきっとよい成果がある。どうか私と一緒に働きに来てください。」そして、ジョー・グーデン宣教師は彼のもとに来たのでした。そして、ミーコ先生の宣教の情熱、一人の魂に対する愛、ねばり強さ、若者の心をとらえたい心、主のためなら何でも平気だという図太い神経、そして、彼の重荷を見たのでした。

ミーコ先生は天に召されるまで日本に残された、まだ福音の伝わっていない地のことを思っていました。もう痛みも絶頂に達していたとき、その痛みをおして、彼の伝道を背負っている日本の牧師たちと話し合うために来日しましたが、来るたびに、これが最後にかもしれないと思われた中で、最後の教訓を残して成田から去って行かれたのでした。ミーコ先生は、自分に与えられた務めを十分に果たしました。今ごろ天国で義の栄冠を受け、主イエスからこのような報いを受けておられるでしょう。

「よくやった。良い忠実なしもべただ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」(マタイ25:21)

それはミーコ先生だけではありません。キリストのみことばに従って自分の務めを十分に果たしたすべてのクリスチャンにもたらされる約束でもあるのです。ここには、「自分の務めを十分に果たしなさい」とあります。それは途中であきらめるなという意味です。あきらめないで、最後まで走り続けなければなりません。神があなたにゆだねられた使命を果たし終えるまで、最後まで走り続けなければならないのです。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」「しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」これがこの世を去る直前にパウロがテモテにどうしても伝えたかったことであり、二千年の時を越えて、今もなお私たちに語り続けている命令なのです。お祈りしましょう。

民数記27章

きょうは、民数記27章から学びたいと思います。前回の学びで、モーセとアロンがシナイの荒野で登録したときのイスラエル人はみな荒野で死に、ヨシュアとカレブのほかには、だれも残っていなかったという現実を見ました。残された民が、神が約束してくだった地を相続します。そして、その相続の割り当てについて語られました。すなわち、大きい部族にはその相続地を多くし、小さい部族にはその相続地を少なくしなければならないということです。きょうの箇所には、その相続に関する神様のあわれみが示されます。

Ⅰ.ツェロフハデの娘たち(1-11)

まず1節から11節までをご覧ください。

「 さて、ヨセフの子マナセの一族のツェロフハデの娘たち・・ツェロフハデはヘフェルの子、ヘフェルはギルアデの子、ギルアデはマキルの子、マキルはマナセの子・・が進み出た。娘たちの名はマフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァであった。彼女たちは、モーセと、祭司エルアザルと、族長たちと、全会衆との前、会見の天幕の入口に立って言った。「私たちの父は荒野で死にました。彼はコラの仲間と一つになって主に逆らった仲間には加わっていませんでしたが、自分の罪によって死にました。彼には男の子がなかったのです。男の子がなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」そこでモーセは、彼女たちの訴えを、主の前に出した。すると主はモーセに告げて仰せられた。「ツェロフハデの娘たちの言い分は正しい。あなたは必ず彼女たちに、その父の兄弟たちの間で、相続の所有地を与えなければならない。彼女たちにその父の相続地を渡せ。」あなたはイスラエル人に告げて言わなければならない。人が死に、その人に男の子がないとは、あなたがたはその相続地を娘に渡しなさい。もし娘もないときには、その相続地を彼の兄弟たちに与えなさい。もし兄弟たちもいないときには、その相続地を彼の父の兄弟たちに与えなさい。もしその父に兄弟がないときには、その相続地を彼の氏族の中で、彼に一番近い血縁の者に与え、それを受け継がせなさい。これを、主がモーセに命じられたとおり、イスラエル人のための定まったおきてとしなさい。」

ここに、ヨセフの子のマナセの一族のツェロフハデの娘たちが出てきます。彼女たちは、モーセと、祭司エルアザルと、族長たちと、全会衆との前、会見の天幕の入り口に立って、自分たちにも所有地を与えてください、と言いました。どういうことでしょうか?26章33節を見ると、ここにツェロフハデの娘たちの名前が記されてあります。彼女たちの父ツェロフハデには息子がなく、娘たちしかいませんでした。ということは、ツェロフハデには何一つ相続地が与えられないということになります。ですから、彼女たちは、そのことによって相続地が与えられないのはおかしい、とモーセに訴えたのです。

この訴えに対して主は何と言われたでしょうか。6節です。主は、この訴えは正しい、と言われました。そして、主は彼女たちの訴えに基づいて、父が子を残さなかったときについての相続の教えを与えられました。子がいないという理由で相続地がないということがあってはならないというのです。その相続地を娘たちに与えなければなりません。娘たちもいなければ、それを彼の兄弟たちに、彼に兄弟がいなければ、それを氏族の中で、彼に一番近い血縁の者に与えて、それを受け継がせなければならない、と言われたのです。

これはどういうことでしょうか?このことについては、おもしろいことに、ここで話が終わっていません。36章を見ると、マナセ族の諸氏族のかしらたちがモーセのところにやって来て、この娘たちが他の部族のところにとついだならば、マナセ族の相続地が他の部族のものとなってしまうので、彼女たちはマナセ族の男にとつぐようにさせてください、と訴えているのです。そしてその訴えを聞いたモーセは、「それはもっともである」と、彼女たちは父の部族に属する氏族にとつがなければならない、と命じるのです。そのようにして、イスラエルの相続地は、一つの部族から他の部族に移らないようにし、おのおのがその相続地を堅く守るようにさせました。そして、この民数記は、この娘たちが主が命じられたとおりに行ったことを記録して終わるのです。

つまり、彼女たちの行為は信仰によるもので、約束のものを得るときの模範になっているということです。そうでなければ、このことが聖霊に導かれてモーセが記録するはずがありません。主が、アブラハムの子孫に、この地を与えると約束されたので、彼女たちは、その約束を自分のものとしたいと願いました。けれども、相続するためには男子でなければなりません。しかし、そうした障害にも関わらず、彼女たちは主の前に進み出て大胆に願い出ました。ここがポイントです。ここが、私たちが彼女たちに見習わなければいけないところなのです。つまり、私たちは、その約束にある祝福を、自分たちの勝手な判断であきらめたりしないで、彼女たちのように信仰によって大胆に願い求めなければならないのです。

あのツロ・フェニキヤの女もそうでした。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません。」「子どもたちのパンくずを取り上げて、子犬にやるのはよくないことです。」と言われた主イエス様に対して、彼女は、「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」(マタイ15:27)と言いました。そして、そのとおりになりました。信仰をもって、あきらめないで願い出るなら、主は惜しみなく与えてくださるのです。もちろん、その願いは自己中心的なものではなく、主のみこころにかなったものであることが重要ですが、しかし、あまりにもそれを考えすぎるあまり求めることをしなければ、何も得ることはできません。「求めなさい。そうすれば、与えられます。」(マタイ7:7)私たちは、キリストにあってすべてのものを施してくださるという神の約束を信じて、神に求める者でありたいと願わされます。

Ⅱ.モーセの死(12-14)

次に12節から14節までをご覧ください。

「ついで主はモーセに言われた。「このアバリム山に登り、わたしがイスラエル人に与えた地を見よ。それを見れば、あなたもまた、あなたの兄弟アロンが加えられたように、あなたの民に加えられる。ツィンの荒野で会衆が争ったとき、あなたがたがわたしの命令に逆らい、その水のほとりで、彼らの目の前に、わたしを聖なる者としなかったからである。」これはツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のことである。」

これは、モーセも他のイスラエルの民と同様に約束の地に入ることができないという、厳粛な主の宣告です。この宣告は、イスラエルの民以上に、彼にとってどんなに辛かったことでしょう。彼はこの120年間、ただイスラエルの民が解放され、約束の地に導かれることを夢見てきました。しかし、彼自身はそこに入ることはできないのです。なぜでしょうか?それは14節にあるように、ツィンの荒野で会衆が争ったとき、主の命令に従わなかったからです。

どういうことでしょうか?もう一度民数記20章を振り返ってみましょう。これはイスラエルがツィンの荒野までやって来たときのことです。そこでモーセの姉ミリヤムが死にました。そこには水がなかったので、彼らはモーセとアロンに逆らって言いました。それで主はモーセに杖を取って、彼らの目の前で岩に命じるようにと言われました。そのようにすれば、岩は水を出す・・・と。ところが、モーセは主の命令に背き、岩に命じたのではなく、岩を二度打ってしまいました。それで主はモーセとアロンに、彼らが主を信じないで、イスラエルの人々の前で聖なる者としなかったので、彼らは約束の地に入ることができないと言われたのです。

Ⅰコリント10章4節には、この岩がキリストのことであると言われています。その岩から飲むとは、キリストにあるいのちを受けることを示しています。そのためには、その岩に向かってただ命じればよかったのです。しかし、彼らは岩を打ってしまいました。モーセとアロンは、主が仰せになられたことに従いませんでした。彼は自分の思い、自分の感情、自分の方法に従いました。それは信仰ではありません。それゆえに、彼らは約束の地に入ることはできない、と言われたのです。あまりにも厳しい結果ですが、これが信仰なのです。信仰とは、神のことばに従うことです。そうでなければ救われることはありません。私たちが救われるのはただ神のみことばを信じて受け入れること以外にはないのです。御霊の岩であるイエスを信じる以外にはありません。彼らは神と争い、神の方法ではなく自分の方法によって水を得ようとしたので、約束の地に入ることができませんでした。それは他のイスラエルも同様です。彼らもまた不信仰であったがゆえに、だれひとり約束の地に入ることができませんでした。ただヨシュアとカレブだけが入ることができました。彼らだけが神の約束を信じたからです。神の約束を得るために必要なのは、ただ神のことばに聞き従うということなのです。

Ⅲ.モーセの後継者(15-23)

しかし、話はそれで終わっていません。それでモーセは主に申し上げます。15節から23節までをご覧ください。

「それでモーセは主に申し上げた。「すべての肉なるもののいのちの神、主よ。ひとりの人を会衆の上に定め、彼が、彼らに先立って出て行き、彼らに先立ってはいり、また彼らを連れ出し、彼らをはいらせるようにしてください。主の会衆を、飼う者のいない羊のようにしないでください。」主はモーセに仰せられた。「あなたは神の霊の宿っている人、ヌンの子ヨシュアを取り、あなたの手を彼の上に置け。彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼を任命せよ。あなたは、自分の権威を彼に分け与え、イスラエル人の全会衆を彼に聞き従わせよ。彼は祭司エルアザルの前に立ち、エルアザルは彼のために主の前でウリムによるさばきを求めなければならない。ヨシュアと彼とともにいるイスラエルのすべての者、すなわち全会衆は、エルアザルの命令によって出、また、彼の命令によって、はいらなければならない。」モーセは主が命じられたとおりに行なった。ヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命した。」

モーセは、自分が約束の地に入れないことを思い、であれば、イスラエルの民がそこに入って行くことができるように、だれか他のリーダーを立ててくださいと言いました。そうでなかったら、彼らは羊飼いのいない羊のようにさまよってしまうことになるからです。皆さん、羊飼いのいない羊がどうなるかをご存知でしょうか?羊飼いのいない羊はどこに行ったらよいのかがわからずさまよってしまうため、結果、きちんと食べることもできないので、死んでしまいます。それは霊的にも同じです。牧者がいない羊たちはめいめいが勝手なことをするようになり、その結果、滅んでしまうことになるのです。士師記を見るとよくわかります。彼らは指導者がいなかったときめいめいが勝手なことをしたため、霊的に弱くなり、たえず敵に脅かされてしまいます。それで彼らが叫ぶと主はさばき司を送られたので立ち直ることができました。ですから、リーダーがいないということは群れにとっては致命的なことなのです。モーセはそのことを心配していました。

それに対して主は何と言われたでしょうか。主はモーセに、ヌンの子ヨシュアを取り、彼の上に手を置き、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、彼らの見ているところで彼をその務めに任命するように、と言われました。

主はヨシュアを、モーセの後継者としてお選びになりました。主はヨシュアが「神の霊の宿っている人」と言っています。ヨシュアにはどのように神の霊が宿っていたのでしょうか?このヨシュアについてそのもっとも特徴的な表現は、出エジプト記24章13節の、「モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり」という表現です。彼はいつもモーセのそばにいて、彼に従い、彼を助けました。出エジプト記17章には、イスラエルがエジプトを出て荒野を放浪していたときにアマレクと戦わなければなりませんでしたが、その実働部隊を率いたのがこのヨシュアでした。また、彼はあのカデシュ・バルネヤから12人の偵察隊を遣わした中にもいて、カレブとともに他の10人の偵察隊が不信仰に陥って嘆いた時も、「ぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」と進言しました。彼はとくに、めざましい働きをしていたわけではありませんでしたが、常にモーセのそばにいて、モーセの助手として彼を支え、彼に仕えていたのです。いわば彼は、モーセのかばん持ちだったわけです。モーセに言われたことを守り行ない、モーセが猫の手を借りたいときには猫の手になり、難しい仕事も不平を言わずにこなし、とにかくモーセを助けていました。Ⅰコリント11章28節には、「助ける者」という賜物がありますが、ヨシュアには、こうした助けの賜物が与えられていて、モーセに仕えていたのです。ですから、ヨシュアこそモーセの後継者としてふさわしい人でした。

モーセは主が命じられたとおりに行ないました。彼はヨシュアを取って、彼を祭司エルアザルと全会衆の前に立たせ、自分の手を彼の上に置いて、主がモーセを通して告げられたとおりに彼を任命しました。彼は約束の地に入ることはできませんでしたが、アバリム山に登り、イスラエル人に与えられた約束の地を見て、その後を後継者にゆだねたのでした。

創世記16章

今日は、創世記16章から学びたいと思います。

1.不信仰による失敗(1-3)

前回は、アブラハムの信仰について学びました。アブラハムは老年になって、サラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まるどころかますます強くなり、神には約束されたことを成就する力があると信じました。主が彼を外に連れ出して天の星を見上げさせ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われたとき、アブラムはその神の言葉を信じました。それゆえに神は、それを彼の義とみなしてくださったのです。ところが、きょうのところにはそれほどの信仰をもっていたアブラハムが不信仰に陥ったことが記されてあります。まず、1~4節前半のところをご覧ください。

「アブラハムの妻サライは、彼に子どもを産まなかった。彼女にはエジプト人の女奴隷がいて、その名をハガルといった。サライはアブラムに言った。「ご存じのように、主は私が小どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。アブラムはサライの言うことを聞き入れた。アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。彼はハガルのところに入った。そして彼女はみごもった。」

ここでサラはアブラハムに、女奴隷ハガルのところに入るようにと言っています。なぜでしょうか?彼女は、主が自分には子どもを産むことができないと考え、だったら自分の女奴隷によって子をもうけようとしたのです。彼女は神のことばに信頼してその御業を待ち望むというより、人間的な方法によって子どもを得ようとしました。一方、アブラハムはどうだったでしょうか。彼はサラがそのように言うのを聞いて、あったさりとそれを受け入れました。なぜでしょうか?3節には、「アブラムがカナンに住んでから10年後に・・・」とあります。彼もまた神が約束してくださったことが実現しないのを見て、自分たちで何とかしなければならないと思ったのです。

しかし、それは大きな間違いでした。神は私たちの助けを必要とされる方ではないからです。私たちにとって必要なことは、ただ黙って神を待ち望むことです。しかし、神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐なのです(ヘブル10:36)。

2.不信仰の結果(4-6)

さて、その結果どんなことが起こったでしょうか。4b~6節までのところをご覧ください。

「彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになった。5 そこでサライはアブラムに言った。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。私自身が私の女奴隷をあなたのふところに与えたのですが、彼女は自分がみごもっているのを見て、私を見下げるようになりました。主が、私とあなたの間をおさばきになりますように。」6 アブラムはサライに言った。「ご覧。あなたの女奴隷は、あなたの手の中にある。彼女をあなたの好きなようにしなさい。」それで、サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。」

アブラムがハガルの所に入ったので、彼女はみごもりました。すると彼女は自分がみごもったのを知って、自分の女主人を見下げるようになりました。そこでサライはアブラムに言います。「私に対するこの横柄さは、あなたのせいです。」つまり、彼らが不信仰に陥った結果、彼らの関係に亀裂が生じたのです。アブラハムとサライは、ハガルから子孫をつくることは良い考えだと思っていたでしょう。けれども、どんなに優れた考えでも、それが神のみこころでなければ、そこには混乱や争いが生じます。私たちの生活の中で、そのようなプレッシャーを感じている部分はないでしょうか。それは多くの場合、肉の行いが原因で起こります。ですから、神に心を尽くしてより頼む事が最善なのです。箴言には、「心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行くところどこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:6)とあります。

3.女主人のもとにかえりなさい(7-12)

ところで、女主人のもとから去ったハガイはどうなったでしょうか?7~9節をご覧ください。

「7 主の使いは、荒野の泉のほとり、シュルへの道にある泉のほとりで、彼女を見つけ、8 「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか」と尋ねた。彼女は答えた。「私の女主人サライのところから逃げているところです。」9 そこで、主の使いは彼女に言った。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」

神様は人生の裏街道を歩いている者をも、決して見過ごされる方ではありません。ハガルは主人の家から、実に理不尽なやり方で追い出され、ひとり寂しく生まれ故郷のエジプトに向かっていました。そこは荒野で、途中にオアシスがあり、泉がわき出ていましたた。ハガルはそこで旅路の疲れをいやそうと腰をおろすと、そこに主の使いが現れて、こう言いました。「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」なぜなら、彼女はサライの女奴隷だからです。これは、彼女がどのような者であり、どこから来たのか、どこに行くのかを告げている言葉です。彼女はサライの女奴隷であって、彼女のもとに戻り、身を低くして仕えることが彼女に与えられていた使命であり、彼女にとって最も幸福な道だったのです。

それにしても、なぜ主はそのようにハガイに言われたのでしょうか?それは、どんな理由があるにせよそのように主人を見下げることは主のみこころではなかったからです。確かに問題はアブラムとサライにありました。彼らが神のことばを疑って人間的になってしまったことがすべての間違いの原因です。しかし、だからといって奴隷の立場であったハガルが自分の立場を忘れ愚かにも女主人を見下げるということは、奴隷としてあってはならないことでした。彼女はどんなことがあってもりっぱに行動すべきだったのにそれができませんでした。だから悔い改め、女主人サライのもとに戻って、彼女のもとで身を低くし、その手に自分の身をゆだねるように、と言われたのです。

そればかりではありません。主はそんなハガルを見捨てることをせず、彼女を顧みてくださる方だからです。10~12節をご覧ください。

「10 また、主の使いは彼女に言った。「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる。」11 さらに、主の使いは彼女に言った。「見よ。あなたはみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞き入れられたから。12 彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。」

ここで主は彼女の子孫を数え切れないほどに増やしてくださると約束してくださいました。胎の実は神からの報酬であると信じられていた時代にあって、この約束はどれほど大きな慰めであったことかわかりません。そればかりではありません。そして、その名を「イシュマエル」と名づけるようにと言われました。意味は、「神は受け入れられる」です。人が彼女を見捨てても、神は見捨てる方ではありません。神はどこまでも受け入れてくださいます。

しかし、神はこのイシュマエルについて、次のようなことも言われました。「彼は野生のろばのようになり、その手は、すべての人の手も、彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵対して住むようになる」どういうことでしょうか?「野生のろば」は、荒々しい性質を表しています。彼はすべての人に逆らい、敵対して住むというのです。なぜ神がこのようなことを預言されたのかはわかりませんが、おそらく、ハガルによって生まれてくる子がサラによって生まれてくる子供と本質的に違っていることを示したかったのでしょう。すなわち、サラの子どもが神の約束のこどもであったのに対して、ハガルの子どもそうではないということです。

このイサクとイシュマエルの対比は、パウロがガラテヤ人への手紙4章28~31節までのところで論じられています。すなわち、イシュマエルが女奴隷の子どもであり肉の子どもであったのに対して、イサクは約束の子どもであったということです。つまりハガルの子どもは肉の子どもであったのに対して、サラの子どもは御霊によって生まれた子どもだったということです。すなわちハガルは肉的な誕生しかしていない人の象徴であるのに対して、イサクはイエス・キリストの十字架の贖いによって新しく生まれた人を現していたのです。

このイシュマエルはアラブ民族の祖先となりました。イシュマエルの子孫は、歴史を通じて他の民族に、とくにイスラエル民族に敵対して生きてきたことを思うと、この預言が確かなものであったことがわかります。しかし、これは単にアラブ民族に対する預言というよりも、イエス・キリストを信じないすべての人のことを指し示しているのであり、イエス・キリストを信じない肉のままの人は、霊的な意味でこのアラブの系統にある人なのです。それは逆に、たとえアラブの人であってもイエス・キリストを信じて約束の子どもとされた人は、みなイサクの子どもになるのです。

そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ」と呼びました。エル・ロイとは、神は見ておられるという意味です。ベエル・ラハイ・ロイは、生きて見ておられるお方の井戸、という意味です。彼女は苦しみの中で、神が自分を見ておられることを知りました。また、神が自分の叫びを聞き入れてくださるのも知ったのです。私たちが苦しみを持っているとき、だれも自分を省みてくれない、神でさえも省みられないと思ってしまうことがありますが、神は私たちに聞き入り、その苦しみをご覧になっておられるのです。