Ⅰテサロニケ3章1~13節 「クリスチャンの励まし」

きょうはⅠテサロニケ3章のみことばから「クリスチャンの励まし」について学びたいと思います。パウロはこの手紙においてずっと思い出すことに焦点を絞って語ってきました。彼ら自身の信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い出させ、また、パウロたちが激しい迫害の中でどのように主に仕えてきたのかを思い出させて、激しい苦闘の中にあっても、何とか主にとどまってほしいと願ったのです。その願いはこの3章においても続きます。しかし、ここでは思い出させることによってではなく、実際に同労者のテモテを彼らのところへ遣わして励まそうとします。ここにクリスチャンの励ましとはどのようなものなのかが教えられています。きょうはこのところからクリスチャンの励ましについて三つのポイントでお話したいと思います。

Ⅰ.パウロの励まし(1-5)

まず1節から5節までをご覧ください。

「1 そこで、私たちはもはやがまんできなくなり、私たちだけがアテネにとどまることにして、2 私たちの兄弟であり、キリストの福音において神の同労者であるテモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、3 このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。4 あなたがたのところにいたとき、私たちは苦難に会うようになる、と前もって言っておいたのですが、それが、ご承知のとおり、はたして事実となったのです。5 そういうわけで、私も、あれ以上はがまんできず、また誘惑者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦がむだになるようなことがあってはいけないと思って、あなたがたの信仰を知るために、彼を遣わしたのです。」

「そこで」とは、2章17節を受けての「そこで」です。2章17節には、「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので――といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、――なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。」とあります。パウロは彼らの顔をみたいと切に願っていたので、もはやがまんできなくなり、パウロたちだけがアテネにとどまり、テモテをテサロニケに遣わしたのでした。なぜそんなにも彼らの顔を見たいと思ったのでしょうか。彼らのことが心配だったからです。心配だったのでテモテを彼らのところへ遣わし、彼らが苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもいないように励まそうとしたのです。

私はここにクリスチャンの励ましとはどういうものなのかが教えられていると思います。それは、他の人たちの霊的状態に常に気を配り、彼らが様々なことで動揺し信仰から脱落することがないように励ますものであるということです。様々なこというのは、たとえばテサロニケの教会の場合はユダヤ人からの激しい迫害がありました。そうした苦難の中で信仰が動揺する人たちがいたのです。それは姿、形を変えて、現代の私たちクリスチャンも経験していることです。5節を見ると、「誘惑者があなたがたを誘惑して、私たちの労苦がむだになるようなことがあってはいけないと思い、あなたがたの信仰を知るために、彼を遣わしたのです」とありますが、パウロはちゃんと知っていたのです。彼らがそうした事態に直面したときどんなに気弱になるか、また、その弱さに付け込んで誘惑者であるサタンがどんなに巧妙に働きかけるのか・・・を。私たちは全能の神を信じる者として、神がいつもともにいて助けてくださるということを信じていますが、そうした事態に置かれるとすぐに躓いてしまうような弱い者なのです。特に、誘惑者であるサタンは、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを探し求めながら歩き回っています。私たちにはそうしたサタンの誘惑に勝利するだけの力はありません。神は力ある方だと信じていても、その神から離れてしまえば私たちには何の力もないのです。そのような時、いったい私たちはどうやって信仰に立ち続けていることができるのでしょうか。互いに励ますことによってです。クリスチャンは互いの信仰の状態や戦いについて無関心であってはなりません。互いの霊的状態に配慮しながら、動揺することがないように、信仰に堅く立ち続けることができるように励まし合わなければならないのです。

無理です!私は自分のことで精一杯なんですから・・。とても他の人のことまで配慮する余裕なんてありません。そう思っている方も少なくないと思います。しかし逆なんです。私たちが他の人のことを顧みて、その人が信仰に堅く立ち続けるように励ましいくなら逆に自分自身が恵まれ、自分自身が強められることになるのです。ですから、私たちは自分のことだけでなく他の人のことも常に顧み、パウロがテモテをテサロニケに遣わして励ましたように、具体的な行動をもって励ましていかなければならないのです。

信仰から離れていく人は、ある日突然そうなったのではありません。実はそれ以前から礼拝を休みがちになったり、クリスチャンとの交わりを避けるようになったりするなど、事前にそのシグナルを送っていたはずなのです。それを早期に発見し、手遅れにならないように励ましていれば、その中の相当数の方々は信仰にとどまっていることができたのではないでしょうか。ですから私たちは他のクリスチャンの霊的状態に常に気を配りながら、励ましていかなければならないのです。

3節を見ると、彼は「このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないように」テモテを遣わしたとあります。また、5節でも、「あなたがたの信仰を知るために、彼を遣わしたのです。」とあります。初代教会の交わりの豊かさは、このように実際に会って目に見える形での交わりにあずかりたいと熱心に願っていたことにあります。彼らはただメールでのやりとりや、「祈っています」といったお決まりの挨拶程度の交わりではなく、実際に会って顔と顔とを合わせ、手を握り合い、声を掛け合う交わりを求めていたのです。使徒ヨハネはその手紙の中でこう言っています。

「あなたがたに書くべきことがたくさんありますが、紙と墨でしたくはありません。あなたがたのところに行って、顔を合わせて語りたいと思います。私たちの喜びが全きものとなるためにです。」(Ⅱヨハネ12)

パウロもまた10節で、「私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。」と言っています。彼らの交わりは、顔と顔を合わせての交わりだったのです。私たちはメールやLINE、フェイスブックといった通信の便利な時代にあって、こうした交わりの原則を忘れがちになりがちですが、顔と顔を合わせての交わりの豊かさと祝福というものを大切にしていきたいものです。へブル人への手紙10章25節には、「いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」とありますが、なぜいっしょに集まることをやめたりしないのかというと、この顔と顔を合わせての交わりが重要だからなのではなでしょうか。

また、そればかりではなく、パウロはテサロニケの人たちにこう言っています。「あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難に会うように定められているのです。」

どういうことでしょうか。パウロははっきりと、クリスチャンの苦難は「定められている」ものであると断言しているのです。それは思いがけないことではなく、当然のことであるということです。また4節にあるように、それはまたテサロニケに滞在していた時にも前もって言っておいたことですが、それが今、果たしてその通りになっただけのことなのです。すなわち、こうした苦難は先刻承知のことなのですから、決してあわてふためいたり、信仰をぐらつかせたいしないでほしいということなのです。新しく信じた人や求道中の人に向かって私たちは、クリスチャン生活はすべてがバラ色であるかのような印象を与えやすいものですが、信仰を持ったことのために生じる困難もあるということを前もって語りながら、免疫をつけるというか、困難に対する心構えも同時に持つように勧めていく必要があります。その中で、キリスト教の救いがどんな確かで、苦難に勝ち得てあまりあるものであるかを力強くあかしして、励ましていかなければならないのです。

Ⅱ.パウロの生きがい(6-10)

次に6節から10節までをご覧ください。

「6 ところが、今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。7 このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。8 あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。9 私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。10 私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。」

テモテの報告をパウロたちが聞いたのは、彼らがコリントにいた時でした(使徒18:5)。そして、テモテの報告は実に喜ばしいものでした。テサロニケの教会は、パウロたちの予想をはるかに越えて、主にあって固く信仰に立っていました。そればかりではなく、彼らの互いの間に愛が満ち溢れていたのです。また将来の、キリストの再臨の希望を持っていました。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。」(Ⅰコリント13:13)テサロニケの教会には、この信仰と希望と愛が溢れていました。

仮にパウロが、テサロニケには大勢のクリスチャンはいたけれども、パウロが宣べ伝えた福音とは異なるものを信じていた、と聞いたらどうだったでしょう。きっとその心は苦しみもだえたことと思います。あるいは、彼らの間に愛がなかったとしたら、悲しんだことでしょう。将来の、輝けるキリストの再臨の希望もなかったとしたら、残念に思ったに違いありません。けれども、今テモテが持ち帰った報告は、こうした心配や不安を一掃するほどのすばらしい喜びの知らせだったのです。

また、彼らはパウロたちのことをいつも考えていて、パウロたちが彼らに会いたいと思っているように、彼らもまた、しきりにパウロたちに会いたがっているということを聞いて、この上もない喜びを感じました。それは遠く離れてはいても、彼らもまた祈りの中でパウロたちのことを思い出してくれていたことを示しているからです。

このようなわけで、パウロはテサロニケの人たちの信仰によって、慰めを受けました。パウロの宣教の働きは苦しみの患難の連続でしたが、そうした押しつぶされそうになるプレッシャーやストレスとの戦いの中にあっても、こうした彼らの信仰はオアシスのような慰めをパウロにもたらしてくれたのです。

このことから、クリスチャンの励ましについてのもう一つの大切な原則が教えられます。それはクリスチャンの励ましは決して一方通行ではないということです。クリスチャンの交わりは、互いに良いものを分かち合う関係なのです。ちょうど愛情を注いで子供を育てると、その子供からも多くの喜びと慰めを受けるように、クリスチャンの交わりも互いに良い者を分かち合う関係なのです。パウロほどの人物であれば、直接神から慰めを十分受けているのだから、人間からの慰めや励ましなど必要なかったのではないかと考えられがちですが、決してそうではないのです。ピレモンに対しても彼は、「あなたの愛から多くの喜びと慰めを受けました。」(ピレモン7)と言っています。激しい霊的戦いの中に置かれ、大きな責任を持っている人ほど、その孤独で厳しい働きのゆえに他の人からの励ましと慰めを何よりも必要としているのです。

そして、こうしたテサロニケの人たちのような信仰の姿を見ることは、彼にとっての生きがいでもありました。8節には、「あなたがたが主にあって固く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。」とあります。パウロの生きがいは、人々が主にあって堅く立っているということでした。それは何にも代えがたいほどの力と励ましをパウロに与えてくれるものだったのです。パウロにとって他の兄弟姉妹の信仰の成長を見ることなしには、生きる目的も喜びもなかったのです。彼は自分だけの信仰が保たれ、神との交わりが満たされて満足するような信仰ではありませんでした。主にある人々とのよき信仰の分かち合いを離れては、クリスチャンとして存在理由を見いだせないと思うほど、他の兄弟姉妹のことを思い、彼らが主にあって堅く信仰に立っていてくれることを生きがいとしていたのです。

あなたの生きがいは何ですか。私たちはパウロの生きがいを生きがいとしたいものです。自分の喜びや満足ではなく、他の兄弟姉妹が信仰に堅く立っていてくれることを喜び、そのことを切に祈り求める者になりたいと思うのです。

Ⅲ.パウロの祈り(11-13)

 

第三に、パウロの祈りです。11節から13節までをご覧ください。

「11 どうか、私たちの父なる神であり、また私たちの主イエスである方ご自身が、私たちの道を開いて、あなたがたのところに行かせてくださいますように。12 また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。13 また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。」

テモテの報告を聞き、テサロニケの人たちの信仰を知ったパウロは喜びにあふれ、神への感謝へと導かれました。しかし、それだけで終わってはいません。その感謝の祈りは新たな祈りへの導火線になっているのがわかります。試練の中にあるクリスチャンが一番危機に陥りやすいのは、試練の最中にある時ではなく、それを乗り越えたと思われる時であるからです。試練に直面している時は、多くのとりなしの祈りがささげられますが、解決の知らせが伝えられると、みな安心してさっと祈りの手を引っ込めてしまうからです。ですから、パウロは喜びの知らせを聞いたからこそ、なお一層テサロニケの人たちのために祈っているのです。

パウロはここで三つのことを祈っています。第一に、主イエスご自身が、道を開いて、彼らのところに行かせてくださるように。第二に、彼らの互いの間の愛が増しくわえられますように。そして第三に、キリストの再臨に備えて、彼らが主の前に聖い歩みをすることができるようにということです。

まずパウロたちがテサロニケに行くことができるように、主ご自身が道を開いてくださるようにと祈っています。これは2章18節のところで、パウロたちが彼らのところに行こうとしても行けないのはサタンがそれを妨げているからだと言っていますが、その障害を取り除いてくださるのは全能の神ご自身です。パウロは、人間のどのような熱意と願望をもってしても、神が道を開いてくださらなければそれは不可能であることを知っていました。また、逆に、それがどんなに難しい状況にあっても神が道を開いてくださるなら、必ず可能になると確信していました。すべては神のご計画と導きの内になされるのです。私たちも私たちの置かれている環境の中で、神が道を開いて導いてくださるならば必ずそうなるし、そうでなければ開かれることはないということを覚え、どんな小さなことでも祈りによって道が開かれることを求めていきたいと思います。

次にパウロは、彼らの互いの間の愛が増し加えられるようにと祈っています。苦難の中にある教会は、その問題が解決し良い方向へ動き出すと、兄弟姉妹相互の結束が深められ、これまでにない愛の一致を生み出されます。しかし、同時にそれは逆の作用を生み出すこともあるのです。たとえば、迫害する者に対して憎しみを持つことが正当化されたり、そうした苦しみの中で動揺する弱い信仰者をさばいてみたり、やっぱり自分が正しかったと片意地になった信仰に陥ってしまうこと等です。心にゆとりを与えないほどの困難な事態は、兄弟姉妹の間にさまざまなあつれきを引き起こしやすいのです。

だからパウロは、「あなたがたの互いの間の愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。」と祈ったのです。苦しみだけが満ちて愛が失われた群れは悲惨ですが、苦難が増すにつれて愛が満ちていく教会は、決して動揺したり倒れたりすることなく、そこに神の栄光が豊かに現されていくからです。

そしてパウロは、キリストの再臨についても祈っています。真の愛に満ちたクリスチャン生活とは、主が再び来られる日に備えて、聖く、責められるところのない者として整えられていく生活だからです。主イエスは終末の前兆として、多くの人たちの愛が冷えることを預言しました(マタイ24:12)。またパウロは終わりの日にやってくる困難な時代には、自分を愛したり、金を愛したり、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者が出てくると言いました(Ⅱテモテ3:1-3)。まさに今はそのような時代ではないでしょうか。愛と聖さが急速に失われている時代にあって、私たちはこの二つの特質をしっかりと追い求め、キリストの再臨に備えて主にある信仰の友がしっかりと整えられるように祈り求めていかなければならないのです。

私たちはますます、主によって心を強めていただかなければなりません。苦難は必ず訪れます。しかし、たとえ苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないように励ましていく。それがクリスチャンの真の交わりなのです。

創世記8章

創世記8章を学びます。神様はノアに仰せられたように、ノアの生涯の600年目の第二の月に、天の水門を開かれ、この地上のすべての生き物を消し去られました。ただ箱舟に入ったノアとその家族、そして地上の動物で一つがいずつの動物たちが生き残りました。それから水は150日間、地の上に増え続けました。

1.心を留められる神(1-5)

まず1節から5節までをご覧ください。「1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。3 そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、4 箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。5 水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。」

そのとき神は、ノアと箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とに心を留められました。「心を留める」とは、神が約束でその心を一杯にしておられるということです。神は真実なお方ですから、ご自分が民との間に立てた契約に対して誠実で、懲らしめの中にもご自分の民を覚えておられたことを表しています。神が民との間に立てた契約とはどのようなものだったでしょうか?それは6章13節から21節までのところにあります。神はノアに箱舟を作り、その中に入るように言われました。その約束の通りに神は、この地上のすべての生き物を滅ぼされました。しかしそれは同時に、箱舟に入ったノアたちにとっては、やがて神が洪水の水を退けて、再び乾いた土地で生活することをゆるされるということでもありました。そして神は時至ってそのとおりにされたのです。それは神のあわれみによるものでした。神は、そうした洪水の苦しみの中でもご自分の民を覚えていてくださり、顧みておられたのです。神がいかに真実な方であるかが表されていると思います。

さて、神がそのように心を留めておられたので、地の上に風を送って水を引かせました。この「風」とは神の霊をも表しています。神は風をとおして、新しい創造を始められました。大いなる水の源と天からの大雨がとどめられると、水は、しだいに地から引いていき、150日の終わりに減り始め、ついに箱舟がアララテ山の上にとどまったのです。おそらく、この大洪水の水は、海へ流れ出たのではないかと思いますが、そのように水が海に流れ出れば、後は水かさが次第に減っていくだけです。そのようにして陸が現れ、箱舟も地にとどまったのです。

2.ノアの従順(6-14)

それでノアは陸地から水をひいたことを確かめます。6節から12節までをご覧ください。「6 四十日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、7 烏を放った。するとそれは、水が地からかわききるまで、出たり、戻ったりしていた。8 また、彼は水が地の面から引いたかどうかを見るために、鳩を彼のもとから放った。9 鳩は、その足を休める場所が見あたらなかったので、箱舟の彼のもとに帰ってきた。水が全地の面にあったからである。彼は手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のところに入れた。10 それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。12 それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。13 ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。14 第二の月の二十七日、地はかわききった。」

40日の終わりになって、ノアは、自分の造った箱舟の窓を開き、烏を放ちました。水が地の表から引いたかどうかを見るためです。ノアは、神が啓示されたさばきが行われている間に、窓を開いたりしませんでした。ロトの妻のように神のさばきを振り返って塩の柱になるような悲劇を求めず、飢えに耐えかねて長子の権利を売ったエサウのように軽々しい態度をとったりすることなく、神が言われることをしっかりと待ち望んだのです。彼は徹底して神のみことばに従い、真っ暗な箱舟の中で、40日間が過ぎてから窓を開けたのです。まだ神が箱舟から出るようにと言われていなかったので、鳥たちの助けを得て、水が引いたかどうかを調べたのでした。それは本当に慎重な信仰者の姿ではないでしょうか。時として私たちはこうした態度を忘れて、軽々しく行動してしまうことがあります。何かしないと悪いのではないかという焦りから、自分の思いで語ったり、動いたりしてしまいがちなのです。神が何を願っておられるのかを知り、そのために祈り、船底の暗闇の中にあってただ神を待ち望むことも必要なのです。いや、このバランスが必要なのです。

柏木哲夫先生の本に、動物と植物の名前の由来が書かれてありました。動物は動く物であるのに対して、植物は植えられる物。私たちの人生にはこの両面が必要だ・・・と。しかし、マルタではないけれども、どちらかというと動物的な面が強いのではないかと思います。そしてイライラしたりして・・・。そうではなく、時には船底の暗闇の中でじっと祈って待つことも必要です。孤独に思えるそのような中で、主が語ってくださることがあるのです。まさにノアはずっと神のさばきを待ち望み、神の時が来るまで慎重に行動したのでした。

それから七日経ったとき、ノアは再び鳩を箱舟から放ちました。するとむしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるのを見て、ノアは水が地から引いたのを知りました。そしてそれから七日経ってもう一度鳩を放ったところ、その鳩はもう彼のところには戻ってきませんでした。それでノアは箱舟のおおいを取って外を眺めてみると、地の表は乾いていたのです。

3.箱舟から出なさい(15-19)

そこで神はノアとその家族に、箱舟から出るようにと命じられました。15節から19節のところです。「15 そこで、神はノアに告げて仰せられた。16 「あなたは、あなたの妻と、あなたの息子たちと、息子たちの妻といっしょに箱舟から出なさい。17 あなたといっしょにいるすべての肉なるものの生き物、すなわち鳥や家畜や地をはうすべてのものを、あなたといっしょに連れ出しなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そしてふえるようにしなさい。」18 そこで、ノアは、息子たちや彼の妻や、息子たちの妻といっしょに外に出た。19 すべての獣、すべてのはうもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものは、おのおのその種類にしたがって、箱舟から出て来た。」

実に40日ぶりにノアに示された神からの啓示です。ノアの生涯というのは、まず主の命令があり、それに従うというものでした。5章32節と6章13-22節のところで、彼が500歳になったとき、箱舟を造るようにと命じられました。次に啓示があったのは約100年後の彼が600歳になったときでした。(7:1-5)、そして、洪水があり、地上のすべての生き物が滅ぼされ、新しい創造の中で、いよいよ箱舟から出るようにとの啓示があって、彼は地に降り立ったのです。神の啓示が与えられる度ごとに、人生の大きな目印が立てられました。ですから私たちもいつもこの神からの啓示を受けるために、みことばを黙想する者でなければなりません。みことはを黙想する人の人生の方向性は実にはっきりとしていて、その確信の中で進んでいくことができるのです。

4.ノアの礼拝(20-22)

さて、箱舟から出たノアたちは、最初に何をしたでしょうか?20節から22節までをご覧ください。「主のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちからいくつかを選び取って、祭壇の飢えで全焼のいけにえをさげた。21 は、そのなだめのかおりをかがれ、は心の中でこう仰せられた。「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。22 地の続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜とは、やむことはない。」

アダムの新しい創造であるノアは、礼拝によって新しい人生を始めました。ノアの心は、神が自分と自分の家族を守ってくれたことに対して、感謝の気持ちでいっぱいだったに違いありません。この「祭壇」についてしるされているのは、聖書の中でここが最初です。祭壇を築くということの中に、ノアの信仰がよく表現されていると思います。全焼のいけにえをささげるというのは、自分のすべてを神にささげることを表しています。つまり、ノアが箱舟から出て真っ先に行ったのは、神への礼拝だったのです。彼にとっては、確かに住居の問題や、衣服の問題、食物の問題、つまり生活の問題が差し迫っていたはずです。しかし、そうした中で彼は、神を礼拝することを第一にしたのです。

これは私たちの生活の中において何を第一にすべきかが教えられています。つまり、神の国とその義とを第一に求めていくことこそ、神が最も喜んでくださることなのです。私たちの生活の節目、節目に神を覚え、神に感謝して礼拝をささげていくこと、そのような信仰を神がどれほど喜ばれ、受け入れてくださることでしょうか。

事実、21節を見ると、「主は、そのなだめのかおりをかがれ、心の中でこう仰せられた・・・」とあります。もう決して再び人を滅ぼすまい・・と。すべての生き物に対する神のあわれみが約束されたのです。そしてこの神の約束は拡大され、一定の季節の移り変わりがもうけられ、人間や動物の食物を十分に保証すると言われたのです。神はこの約束を今日もなお守っておられることを考えますと、このときのノアの信仰、神礼拝というものが、いかに重要なことであるかがわかると思います。私たちも、私たちの生活の中に祈りの祭壇、礼拝の祭壇をもうけていつも神を覚え、神に感謝と礼拝をささげるものでありたと思います。そのとき神が働いてくださり、私たちに恵みを持って導いてくださるのです。

創世記7章

1.箱舟に入りなさい(1-5)

まず1節から5節までをご覧ください。

「1 はノアに仰せられた。「あなたとあなたの全家族とは、箱舟に入りなさい。あなたがこの時代にあって、わたしの前に正しいのを、わたしが見たからである。2 あなたは、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から雄と雌、一つがいづつ、3 また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取りなさい。それはその種類が全地の面で生き残るためである。4 それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」5 ノアは、すべてが命じられたとおりにした。6 大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。」

神の命令に従って箱舟を作ったノアに対して、神は箱舟の入るようにと命じられました。その際には、すべてのきよい動物の中から雄と雌、七つがいずつ、きよくない動物の中から一つがいずつ、また空の鳥の中からも雄と雌、七つがいずつを取らなければなりませんでした。それは、その種類が全地で生き残るためです。ここで七つがいという言葉が初めて出てきます。6章19-20節、それからこの後の9節と15節では雄と雌二匹ずつとあるのに、ここでは七つがいずつとなっているのはどういうことなのでしょうか。6章では、それらの動物が「生き残るために」とありますから、それらの動物の種が絶やされることがないために連れて来られたのです。では、ここで七つがいずつと言われているのはどういうことなのでしょうか。創造主訳聖書ではここを、「食用といけにえ用とするために、清い動物の中から七頭ずつ、また清くない動物は一つがいずつ、鳥は七羽ずつ入れなさい。これは、洪水後、あらゆる種類の生き物が、全地に生き残るためである。」(7:3-4)と訳しています。つまり、これは洪水の後に、人間が地上で新たな生活を始めるのに必要な食用の動物であり、また、その主にささげものをささげための動物であったというのです。雄と雌の二匹ずつではノアたちの食べ物がなくなってしまうので、それ以外に入れられたのでしょう。

ところで、4節には、「それは、あと七日たつと、わたしは、地の上に四十日四十夜、雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面から消し去るからである。」とあります。この七日とは何のための期間だったのでしょうか。これは最後の七日です。神様はそのさばきを遅らせようとしておられたのではなく、ノアとその家族が箱舟に入るために準備の期間を与えられたのです。いわばこれは神から与えられた最後のチャンスの時でもあったのです。やがてこの恵みの期間が終わり、入りたくても入れない時がやってきます。それが16節に記されていることです。「主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」ということです。これはその不信の世に与えられていた時が終了し、ノアとその家族の者たちがヤーウェイの守りのもとにおかれたことを示しています。ノアは多くの人々に来たるべき神のさばきと、罪を悔い改めて、神に喜ばれる生活をするようにと勧めてきましたが、その時代の人は誰もそれを聞き入れませんでした。ペテロの第一の手紙によると、大洪水が起こるまでノアが説教をしていたことが記されています(4:20)。人々は、箱舟が造られるのを見て、また、ノアの説教を聞いて、悔い改める機会が十分に与えられたのに、ひとりとして悔い改めませんでした。今の時代もノアの時代に似ています。聖書を読めば読むほど、聖書が定義している暴虐の行いを、現代社会で見る事ができます。救い主キリストを宣べ伝える者が現れても、それを空想話のようにしかとらえません。しかし、ノアの洪水と同じように、キリストがふたたび来られる時さばきが行われます。イエスは言われました。「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、嫁いだりしていました。そして、洪水が来てすべてのものをさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのもそのとおりです。」(マタイ24:37-39)

2.箱舟に入ったノアとその家族(7-10)

けれども、ノアとその家族は、神が命じられたとおりに箱舟に入りました。7節から10節までをご覧ください。

「7 ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟に入った。8 きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、9 神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところに入って来た。10 それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。」

彼は、次の神の御声を待ち、その神の命令に従って箱舟に入ったのです。この神の恵みの時に、箱舟にはいった敬虔な人たちは、ノアとその家族のわずか8人のみでした。それ以外の人は入りませんでした。やがて後ろの戸が閉められる時がやって来ます。Ⅱコリント6章1,2節には、「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」とあります。この終わりの時代にもこの七日が残されています。恵みの戸はまだだれに対しても開かれています。やがて神がその戸を閉ざされる前に、この箱舟に入らなければならないのです。この箱舟こそイエス・キリストであり、キリストのからだなる教会のことです。だれでもイエスを通って入るなら救われます。

3.大洪水(11-24)

その結果どういうことになったでしょうか?11節から24節までをご覧ください。

「11 ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。12 そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。13 ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟に入った。14 彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、入った。15 こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところに入った。16 入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、は、彼のうしろの戸を閉ざされた。17 それから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。水かさが増していき。箱舟を押し上げたので、それは地から浮かび上がった。18 水はみなぎり、地の上に大いに増し、箱舟は水面を漂った。19 水は、いよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべておおわれた。20 水は、その上さらに十五キュビト増し加わったので、山々はおおわれてしまった。21 こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も地に群生するすべてのものも、またすべての人も死に絶えた。22 いのちの息を吹き込まれたもので、かわいた地の上にいたものはみな死んだ。23 こうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。24 水は、百五十日間、地の上にふえ続けた。」

ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日に、巨大な大いなる水の源が、ことごことく張り裂け、天の水門が開かれました。「巨大な大いなる水の水源」とか「天の水門」というのは、創世記1章にある大空の上にある水のことです。神はこの時のために、大空の上にも水を用意しておられたのです。そして、大雨は四十日四十夜降り続きました。どしゃ降りの雨で、水かさが増していき、ついには箱舟が水面を漂うまでになりました。そして、水はいよいよ地の上に増し加わり、天の下にあるどの高い山々も、すべて覆われました。現在ヒマラヤ山脈に海洋生物の化石が発見されているのですから、これは本当に起こったのです。これは彼らの不信に対する神の審判の雨にほかなりませんでした。こうして地の上を動いていたすべての肉なるものは、鳥も家畜も獣も、またすべての人も死に絶えました。 現代の文献にはさまざまな地域で大洪水の記録が残されていますが、私たちの生きている世界は一も滅ぼされているのです。私たちは、現在自分がおかれている状態がずっと続くというような錯覚に陥りますが、世界は、神の直接の介入によって大異変を起こすようなもろいものなのです。この時、天の下にあるどの山々も、すべておおわれ、ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残ったのです。

これはまさに終末に起こることの型なのです。今の時代においてもこの終末的現実を読み通す洞察力をもっている人がどれだけいるでしょうか。ノアの洪水直前の末期的な様相が、そのまま今日の有様に通じることを覚えます。それはまさにⅡペテロ3章でペテロが警告していることです。彼らは、「自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」(3-4)しかし、やがて必ず終わりの時がやってきます。主の日は盗人のようにやって来て、その日には、天は大きな響きをたてて消え失せ、天の万象は焼けて崩れ落ち、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされるのです。

ですから、今の私たちに必要なことは、いつでも平安をもって御前に出られるように励むことです。主の忍耐は救いなのです。私たちの主であり救い主であられるイエス・キリストの恵みと知識において成長していけますように。

レビ記27章

いよいよレビ記の最後の学びとなりました。きょうは27章から学びたいと思います。まず1節から8までをお読みします。

1.自分を聖別しようと誓願を立てる場合(1-8)

「1 ついではモーセに告げて仰せられた。2 「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがってに特別な誓願を立てる場合には、3 その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。4 女なら、その評価は三十シェケル。5 五歳から二十歳までなら、その男の評価は二十シェケル、女は十シェケル。6 一か月から五歳までなら、その男の評価は銀五シェケル、女の評価は銀三シェケル。
7 六十歳以上なら、男の評価は十五シェケル、女は十シェケル。8 もしその者が貧しくて、あなたの評価に達しないなら、その者は祭司の前に立たせられ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じてその者の評価をしなければならない。」

ここには、ある人がその人の人身評価にしたがって、主に特別な誓願を立てる場合にはどうしたらよいかが教えられています。「誓願」とは、神や仏に誓いを立て、物事が成就するように願うことです。それを人身評価に従って行うわけです。どういうことかというと、創世記28章20節を見るとわかります。ここでヤコブは誓願を立てて、「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路を守り、食べるパンと切る着物を賜り、無地に父の家に帰らせてくださり、こうして主が私の神となられるなら、石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜る物の十分の一を必ずささげます。」と祈っています。これはヤコブが兄エサウから逃れて母の兄ラバンのもとへと向かう途上でのことです。いったいこの先どうなってしまうのかという不安と恐れの中で、彼は一つの夢を見ます。それは地に向けられて天からはしごが立てられているというものでした。その頂は天に届き、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていました。そのとき彼は、主が彼のかたわらに立っておられ、「決してあなたを捨てない」という御声を聞くのです。その時彼は眠りから覚め、そこに主がともにおられることに気が付くのです。そして、その場を「ベテル」神の家と呼びました。そして、その誓いを立てたのです。もし神がこの旅路を守ってくださり、無事に父の家に帰るようにしてくださるなら、主は私の神となられると・・・。ヤコブはもしそのようにしてくださるなら、自分を神にささげると誓ったのです。これを何というかというと、聖別すると言います。その代価がこの評価額なのです。

また、民数記3章44~47節には、イスラエルのうちのすべての初子は主のものですが、その初子の代わりに神のものとしたのがレビ人です。レビ人は主のものでなければなりませんでした。そのレビ人の数よりも初子の報が多かった場合は、それをシェケルで贖わなければなりませんでした。その場合の価格は、ひとりあたり5シェケルであると言われています。ですから、レビ記27章で言われている人身評価に従って主に特別な誓願を立てる場合というのは、彼らが主に誓願を立てるとき、その誓願がかなえられる時には自分を神にささげますという誓願を立てた場合に、その代価となる金額のことなのです。

それは年齢また性別によって異なりました。最も高いのは20歳から60歳までの男性で、銀50シェケルです。女の人なら30シェケル、5歳から20歳までなら、男なら20シェケル、女なら10シェケルです。生まれて1か月から5歳までなら、男なら銀5シェケル、女なら3シェケルです。60歳以上なら、男なら15シェケル、女なら10シェケルです。これを見て、「ああ、私は10シェケルしか価値がないんだ」とがっかりしないでください。これはあくまでも主に特別な誓願を立てる場合の、その代価の評価なのですから。なぜこのように年齢や性別によって評価が異なっていたかというと、労力に差があったからです。女より男のほうが、力があります。また老人より壮年や青年のほうが、力があります。興味深いのは、一歳から五歳までも評価があることです。もしその者が貧しくて、その評価に達しないなら、その者は祭司の前に立たせられ、祭司がその人の評価をしました。祭司は誓願する人の能力に応じて評価ししたのです。

いったいなぜこのようなことが教えられているのでしょうか。それは軽々しく誓願を立てないためです。箴言20章25節には、こう書いてあります。「軽々しく、聖なるささげ物をすると言い、誓願を立てて後に、それを考え直す者は、わなにかかっている人だ。」イエスさまが、誓ってはいけない、と言われたのは、このことを指しています。つまり、よく考えもしないで軽々しく、「私はこれこれをします。」と言ったりしますが、そのように言っておきながらもしそれをしないということがあったら、それは神の御名を汚すことになります(レビ19:12)。主に特別な誓願を立てる時には、それはきちんと果たされなければならないということです。

おもしろいことに、この誓いというのは決して強制的がなく、完全に自発的であるところに特徴があります。ささげることを全く行なわなくても、だれにも咎められたり、責められたりすることはありません。けれども、主が自分に成してくださったことを思うとき、感謝の思いからぜひささげてみたい、と願うようになります。だれに言われなくても、これは行ないたいという強い願いが与えられるのです。それに基づいてささげるのが、この誓願なのです。これはすばらしいことであり、奨励されるべきことであります。けれども、この誓願がいとも簡単に破られることがあるとしたら、それは主の御名が軽んじられ、汚されることになってしまいます。そういうことがあってはなりません。軽々しく誓ってはならないのです。誓いを立てる時には、それに伴う責任と自己犠牲というものをよく考えなければならないのです。

2.家畜をささげる場合(9~14)

次に9~14節をご覧ください。ここには、主へのささげ物として家畜をささげ場合どうなるかについて教えられています。その家畜がきよい動物であれば、それは礼拝に使ういけにえとなります。ですから、それらは「聖なるもの」、神のものになるわけです。後で自分が使いますので別の家畜にします、ということができません。もし他の家畜に替えようとするなら、元の家畜と代用の家畜のどちらも聖なるものとなり、主にささげられなければなりません。それは、「こっちの家畜のほうが価値が低いから取り換えよう」という欲を出さないようにするためです。

また、汚れた家畜、つまりひずめが分かれていなかったり、反芻をしない動物については、いけにえとしては捧げることはできませんが、買い戻すことができました。その場合、その家畜を祭司の前に立たせて評価し、その評価に五分の一を加えた金額で買い戻さなければなりませんでした。それはこうすることによって、「ああ、やっぱり自分でこの動物を使おう」と思わないようにするためです。

3.自分の家をささげる場合

次に14~25節までをご覧ください。

「14 人がもし、自分の家を主に聖なるものとして聖別するときは、祭司はそれを良いか悪いか評価する。祭司がそれを評価したとおり、そのようになる。15 もし家を聖別した者が、それを買い戻したければ、評価額に五分の一を加える。それは彼のものとなる。16人がもし、自分の所有の畑の一部を主に聖別する場合、評価はそこに蒔く種の量りによる。すなわち、大麦の種一ホメルごとに銀五十シェケルである。17 もし、彼がヨベルの年からその畑を聖別するなら、評価どおりである。18 しかし、もしヨベルの年の後に、その畑を聖別するなら、祭司はヨベルの年までにまだ残っている年数によって、その金額を計算する。そのようにして、評価額から差し引かれる。19 もしその畑を聖別した者がそれを買い戻したければ、評価額にその五分の一を加える。それは彼のものとして残る。20 もし彼がその畑を買い戻さず、またその畑が他の人に売られていれば、それをもはや買い戻すことはできない。21 その畑がヨベルの年に渡されるとき、それは聖絶された畑として主の聖なるものとなり、祭司の所有地となる。22 また、人がもしその買った畑で、自分の所有の畑の一部でないものを主に聖別する場合、23 祭司はヨベルの年までの評価の総額を計算し、その者はその日に、その評価の金額を主の聖なるものとしてささげなければならない。24 ヨベルの年には、その畑は、その売り主であるその地の所有主に返される。25 評価はすべて聖所のシェケルによらなければならない。そのシェケルは二十ゲラである。」

自分の家も主に聖なるものとしてささげることができます。そのときには祭司がその家を評価します。祭司が評価したとおりになりました。この場合祭司は不動産鑑定士みたいですね。家まで評価値するわけですから・・・。もし家を聖別した者が、それを買い戻したければ、家畜と同じように、評価額に五分の一を加えなければなりませんでした。それは、家であっても何であっても、主にささげるというときにはよく考えてささげなければならないということです。

土地も捧げることができました。けれども、土地の場合はヨベルの年に所有地に変換されることを覚えておかなければなりませんでした。その土地の評価は以前も学びましたが、ヨベルの年までの収穫量によって、その評価が決まりました。聖別したものを買い戻す時には、評価額の五分の一を加えて返さなければなりませんでした。もしその畑が他の人に売られていれば、それはもはや買い戻すことができませんでした。ヨベル年に渡されるとき、それは祭司の所有地となったのです。

4.義務的なささげもの(26~34)

 

最後に、26節から34節までのところを見て終わりたいと思います。25節までのところには進んでささげるささげもの、つまり、ささげてもよいし、ささげなくてもよい、自発的なささげものについて教えられていましたが、ここからはささげなければならないささげものについて語られています。

 

まず26~27節をご覧ください。

「26 しかし、家畜の初子は、主のものである。初子として生まれたのであるから、だれもこれを聖別してはならない。牛であっても、羊であっても、それは主のものである。27:27 もしそれが汚れた家畜のものであれば、評価にしたがって、人はそれを贖うとき、その五分の一を加える。しかし、買い戻されないなら、評価にしたがって、売られる。」

家畜の初子は、主におささげすることができません。なぜなら、すでにそれは主のものであるからです。主のものであるものを、主におささげすることはできません。覚えていますか、エジプトからイスラエルが出て行く時に、主がイスラエルの初子(長男)を救い出されました。ですから、初子は主のものなのです。主のものは、主にささげなければいけません。しかし、その家畜が汚れたものであれば、いけにえとしてささげることはできないので、その家畜の評価額に五分の一を加えた額を支払って買い戻すことができました。

次に聖絶のものについて語られています。28節と29節です。「28 しかし、人であっても、家畜であっても、自分の所有の畑であっても、人が自分の持っているすべてのもののうち主のために絶滅すべき聖絶のものは何でも、それを売ることはできない。また買い戻すこともできない。すべて聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。29 人であって、聖絶されるべきものは、贖われることはできない。その者は必ず殺されなければならない。」

聖絶すべきものとは、主によって完全に滅ぼされるべきものです。あるいは、聖所にささげられるべきものです。ですから、自分のものとしてはいけません。この戒めを犯したのが、ヨシュア記に出てくるアカンです。主は、エリコの町のものは聖絶されたものだ。それを分捕物としてはならない、と命じられていたにも関わらず、彼は高価な品を盗み出してしまいました。それで彼は死刑になりました。

最後に十分の一のささげものです。30~34節をご覧ください。「31人がもし、その十分の一のいくらかを買い戻したいなら、それにその五分の一を加える。32 牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。33 その良い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。もしそれを替えるなら、それもその代わりのものも共に聖なるものとなる。それを買い戻すことはできない。」

地の十分の一は、それが産物であっても、木の実であっても、必ずささげなければなりませんでした。なぜなら、それは主のものであるからです。主の聖なるものなのです。具体的にはそれはレビ人に与えられました。そして、そのレビ人の中から十分の一を祭司にささけられました。それを取り戻したかったら、これまでの誓願のささげものと同じように五分の一を加えて支払わなければなりませんでした。

おもしろいことに、牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなりました。良い羊だとか悪い羊だとか選り分けできませんでした。羊飼いの杖の下を十番目に通るものが、主の聖なるものとなったのです。羊飼いの杖を横にして、それを囲いの門のところで持ちます。その下を一匹ずつ羊を通らせるのですが、無条件で十番目の羊あるいは牛がささげられたのです。

十分の一のささげものという概念は、聖書全体に出てきます。アブラハムがメルキデゼクにささげ物をしましたが、それは十分の一でした。そして旧約聖書の最後のマラキ書には、こういう約束があります。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。・・万軍の主は仰せられる。・・わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。(マラキ3:10)」これは、行うなら祝福があります。なぜなら、それは主のものだからです。本来であれば、私たちのすべては主のものなのです。主のものを主のものとしてお返しするのは当然ですが、そのすべてをお返しすることはできないので、その信仰の表明として十分の一をささげたのです。

私たちが献金をするとき、主から与えられたもののささげるとき、その収入の十分の一をささげるという根拠はここにあります。これは、イエス様もおろそかにしないよう戒められていることです。「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。」(マタイ23:23)律法学者たちの問題は、十分の一をささげていればそれで神に従っていると錯覚していたことです。大切なのはその意味を理解して、心から神を愛し、神に従うことです。彼らにはそれがありませんでした。イエス様はそのことを叱責しておられます。しかし、他のほうもおろそかにしてはいけません。それは主のものであり、主に従うことなのです。私たちは小さなことにおいても神に喜ばれる道を歩みたいと思います。それが聖とさせていただいた者としての歩みなのです。

民数記2章

きょうは民数記2章から学びたいと思います。まず1~2節をご覧ください。

1.旗じるしのもとに宿営しなければならない(1-2)

「1 はモーセとアロンに告げて仰せられた。2 「イスラエル人は、おのおのその旗のもと、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない。会見の天幕の回りに、距離をおいて宿営しなければならない。」

1章では20歳以上の者で、軍務につくことのできる者が登記されました。その数の総計は603,550人でした。それは、これから約束の地に向かって進む彼らにとって、戦いに備える必要があったからです。そのように軍隊が組織されてこそ、敵と戦っていくことができます。ですから、その最初は軍隊を整えることだったのです。きょうのところには、その配置について教えられています。ここには、その父祖の家の旗じるしのもとに宿営しなければならない、とあります。イスラエルの民は、自分の好きなところにどこでも良いから宿営するのではありませんでした。部族ごと、決められたところにテントを張ります。そして、そのしるしがこの旗でありました。旗しるしのもとに宿営することになっていました。この旗は、それぞれ幕屋の周りの東西南北の4方向に掲げられています。12部族は、それぞれの方角に3部族ずつ割り当てられ、それぞれに代表の部族がいました。

ここでの「旗」とは部隊としての「旗」(デゲル)で、旧約聖書の中には14回使われていますが、そのうち13回がこの民数記で使われています。これは「旗をかかげる」「際立たせる」「群れをなして集まる」という意味があります。イスラエルの民は自分の属する旗のもとに宿営したのです。全体としては、12部族が「会見の天幕」を中心にして互いに向き合い、互いに寄り添い合う形となっています。この「旗」は自分の持ち場を知って、そこで「共に生き」、「共に歩み」、「共に進み」、「共に敵と戦い」、「共に仕える」ことを意識させるシンボルでした。

それは新約聖書ではキリストご自身のことであり、キリストのことばを象徴しています。私たちはその旗じるしのもとに集められた者であり、「キリストの名」のもとに集まり、とどまらなければなりません。キリストは次のように言われました。

「4 わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。5 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せて集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」(ヨハネ15:4-9)

イエスを離れては、私たちは何もすることができないのです。イエスにとどまってこそ、私たちは敵に勝利することができます。ですから、私たちはキリストにとどまることを学ばなければならないのです。

こうしてイスラエル人で軍務につく者の人数が数えられました。次に、彼らが宿営においてどこに位置するのか、その配置について書かれています。

2.東側に宿営する者(3-9)

では、それぞれの配置を見ていきましょう。まず東側に宿営する者です。3-16節までをご覧ください。

「3 前方、すなわち東側に宿営する者は、軍団ごとにユダの宿営の旗の者でなければならない。ユダ族の族長はアミナダブの子ナフションである。4 彼の軍団は、登録された者が、七万四千六百人である。5 その隣に宿営する者は、イッサカル部族であり、イッサカル族の族長はツアルの子ネタヌエルである。6 彼の軍団は、登録された者が、五万四千四百人である。7 ついでゼブルン部族がおり、ゼブルン族の族長はヘロンの子エリアブである。8 彼の軍団は、登録された者が、五万七千四百人である。9 ユダの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十八万六千四百人。彼らが先頭に進まなければならない。」

まず、東側から見ていきたいと思います。東側は宿営が前進していく方向です。そこにはユダ部族の旗が掲げられました。そして、この旗じるしのもとに右隣にイッサカル族が、左隣にゼブルン族が宿営しました。この三つの部族が幕屋の東に宿営したのです。その合計の人数は18万6400人です。後で他の方角の宿営地を見ますが、そのどれにもまさって、もっとも大きくなっています。9節後半をご覧ください。ここには、「彼らが先頭に進まなければならない。」とあります。これは、イスラエルが旅立つとき、東のユダ部族が先頭になって進んで行ったということです。いったいなぜでしょうか?それは、これがイエス・キリストを表していたからです。

創世記49章9~10節を開いてください。ここには、「9ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。10 王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。」とあります。シロとは犬の名前ではありません。シロとはメシヤのことです。これは王なるメシヤがユダ族から出て諸国の民を従わせるという預言なのです。メシヤなる方は、このユダ族から起こります。イエス・キリストは「ユダの獅子」なのです。このイエスが先頭に立って進んでくださるのでイスラエルは勝利することができるのです。

それは幕屋の構造を見てもわかります。幕屋の入り口はどの方向にあったでしょうか?東側です。東から入って西へ、至聖所、神の臨在へと至るのです。イエスは言われました。「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」(ヨハネ10:9)イエスが門なのです。だれでもイエスを通って入るなら救われるのです。イエスこそ神に至る道であり、私たちを神と結びつけることのできる唯一の仲介者なのです。ですから、ユダ族が先頭に立って進まなければならなかったのです。

3.南側に宿営する者(10-17)

次に 10~17節 をご覧ください。ここには南側に宿営する者がどの部族であるかが記されてあります。

「10 南側にはルベンの宿営の旗の者が、軍団ごとにおり、ルベン族の族長はシェデウルの子エリツルである。11 彼の軍団は、登録された者が、四万六千五百人である。12 その隣に宿営する者はシメオン部族であり、シメオン族の族長はツリシャダイの子シェルミエルである。13 彼の軍団は、登録された者が、五万九千三百人である。14 ついでガド部族がおり、ガド族の族長はデウエルの子エルヤサフである。15 彼の軍団は、登録された者が、四万五千六百五十人である。16 ルベンの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十五万一千四百五十人。彼らは二番目に進まなければならない。17 次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営は、これらの宿営の中央にあって進まなければならない。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならない。」

南側にはルベン族が宿営し、ルベン族の旗が掲げられます。その右隣にはガド族がおり、左隣にはシメオン族がいます。その総数は151,450人です。イスラエルが旅立つときは、ユダ族に続いて、二番目にこの軍団が出発しなければなりませんでした。

そして17節をご覧ください。ここには、次に会見の天幕、すなわちレビ人の宿営について記されてあります。彼らはこれらの宿営の中央にあって進まなければなりませんでした。彼らが宿営する場合と同じように、おのおの自分の場所について彼らの旗に従って進まなければならなかったのです。

レビ人の宿営、つまり幕屋の用具や付属品を運んでいる人たちは、三番目に進みます。これは、前方からも後方からも軍がおり、幕屋が敵から守られるためです。彼らが宿営する真ん中に幕屋があり、彼らが進んでいる真ん中にも幕屋があります。これはすばらしいことです。彼らの真ん中には常に主なる神が住んでおられたのです。また、彼らは常に主なる神を中心に生活を営んでいました。

4.西側に宿営する者(18-24)

次に18~24節までをご覧ください。

「18 西側にはエフライムの宿営の旗の者が、その軍団ごとにおり、エフライム族の族長はアミフデの子エリシャマである。19 彼の軍団は、登録された者が、四万五百人である。20 その隣にマナセ部族がおり、マナセ族の族長はペダツルの子ガムリエルである。21 彼の軍団は、登録された者が、三万二千二百人である。22 ついでベニヤミン部族がおり、ベニヤミン族の族長はギデオニの子アビダンである。23 彼の軍団は、登録された者が、三万五千四百人である。24 エフライムの宿営に属し、その軍団ごとに登録された者の総数は、十万八千百人。彼らは三番目に進まなければならない。」

ここには西側に宿営した部族について書かれています。西側は東側の反対、それはちょうど幕屋の裏側になります。そこにエフライム族が宿営し、エフライム族の旗が掲げられます。そして幕屋に向かって右隣にマナセ族、左隣にベニヤミン族が宿営しました。マナセではなくエフライムが中心になっているのはおもしろいですね。マナセが兄でエフライムが弟です。それなのにマナセ、エフライムではなく、エフライム、マナセの順になっています。なぜでしょうか?それはヤコブの預言のとおりだからです(創世記48:13-14)。マナセが兄であったのも関わらず、ヤコブは腕を交差させて、エフライムに長子の祝福を行ないました。そして、弟が兄よりも強くなることを預言しました。はたして、そのとおりになったのです。

5.北側に宿営する者(25-32)

次に北側に宿営する者です。25-32節をご覧ください。

「25 北側にはダンの宿営の旗の者が、その軍団ごとにおり、ダン族の族長はアミシャダイの子アヒエゼルである。26 彼の軍団は、登録された者が、六万二千七百人である。27 その隣に宿営する者はアシェル部族であり、アシェル族の族長はオクランの子パグイエルである。28 彼の軍団は登録された者が、四万一千五百人である。29 ついでナフタリ部族がおり、ナフタリ族の族長はエナンの子アヒラである。30 彼の軍団は、登録された者が、五万三千四百人である。31 ダンの宿営に属する、登録された者の総数は、十五万七千六百人。彼らはその旗に従って最後に進まなければならない。32 以上がイスラエル人で、その父祖の家ごとに登録された者たちであり、全宿営の軍団ごとに登録された者の総数は、六十万三千五百五十人であった。」

北側にはダン部族が宿営し、ダンの旗が掲げられました。その右隣にアシュル族が、左隣にナフタリ族がいました。

こうして、東西南北の4つの方角に整然とイスラエルが宿営している姿は、遠くから見たら、ほんとうにすばらしい光景であったでしょう。それにしても、なぜ神はこのような配置を取らせたのでしょうか。ここで各方角に宿営した部族の総人数に着目してください。9節を見ると、東側の総数は186,400人と一番多いことがわかります。そして、南と北がそれぞれ15万人強で、大体同じ人数です。同じ方角のレビ人の人数を数えて足すと、南も北も同じような人数になりです。そして、西がもっとも少ない135,400人です。ということは、これを上空から眺めると、つまり鳥の目で見ると、それは十字架のかたちになります。これは十字架のフォーメーションだったのです。十字架こそ荒野を旅するイスラエルにとって勝利の秘訣であったということです。もちろん、その時点ではそんなことに気付かなかったでしょうが、これはイエス・キリストご自身を指し示していたのです。

ここで民数記24章5~6節を開いてみたいと思います。イスラエルを呪うように預言するように雇われたバラムは、この神の宿営を見てこう言いました。「なんと美しいことよ。ヤコブよ、あなたの天幕は。イスラエルよ、あなたの住まいは。それは、延び広がる谷間のように、川辺の園のように、主が植えたアロエのように、水辺の杉の木のように。」(民数記24:5-6)バラムは、まじないによってイスラエルを呪うようにバラク王に雇われたのに、その美しいフォーメーションを見たとき、祝福してしまったのです。思わず・・・。十字架を見てだれも呪うことなどできません。それはかつて処刑の道具として用いられたおぞましいもので、呪われたものなのに、それが祝福のシンボルに変えられたのです。それは十字架こそ神が私たちを救うために用いられた神の愛の象徴だからです。よくアクセサリーで十字架のものが付けられています。十字架のネックレスとか、十字架のイヤリングとか・・。十字架は神と私たちのアクセスになってくりたのでアクセサリーになったのです。だれも十字架を呪うことはできません。だれでもイエスの十字架のもとに行くなら罪から救われ、永遠のいのちという祝福を受けるのです。

ところで、最後になぜイスラエルの12部族を4つの旗のもとに、4つのグループに分けたのかを考えて終わりたいと思います。その4つというのはユダ族、ルペン族、エフライム族、ダン族であるというのは、さきほど見ました。そして、それぞれこの4つの紋章を見ると、一つのことに気が付きます。それは、これが天的な存在であるケルビムを表しているということです。

まずユダ族ですが、ユダ族の旗じるしはライオン、獅子でした。それからルペン族は人間です。またエフライム族は雄牛です。そしてダン族は鷲ですね。聖書の他の箇所で、この四つの動物が出てくる箇所があります。それはエゼキエル1章と黙示録4章です。エゼキエル1章10節には、人間の顔、獅子の顔、牛の顔、鷲の顔をもった生き物が当時用します。これは黙示録4章7-8節を見ると、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と神を賛美している天使であることがわかります。そう、それはケルビムとか、セラフィムと呼ばれる天使たちのことであり、その類の生き物なのです。つまり、この4つの旗じるしをと通して、天国のイメージを表していたのではないかということです。

それからこの4つの生き物ですが、これは4つの福音書を表しているのではないかということです。その最初はマタイの福音書です。マタイの福音書はユダヤ人の王として来られたイエス・キリストを表しています。ですから、王としての系図が記されてあるのです。マタイの福音書はユダヤ人のために書かれたのです。動物の王といったら何でしょうか。百獣の王ライオンです。それはユダの紋章でした。ですから、ユダ族に対応するのがマタイの福音書です。

それからマルコの福音書は、しもべとしてのキリストが描かれています。しもべとして仕えるために来られたキリストの姿です。ですから、マルコの福音書には系図がないのです。エフライム族の紋章は雄牛でした。それはしもべの象徴です。ですから、エフライム族に対応するのがマルコの福音書なのです。

そして、ルカの福音書は人間としてのキリストの姿が描かれています。人の子としてのキリストです。ですから、系図はアダムまで遡って記録されています。ルペン族の紋章は何だったでしょうか。それは人間でした。ですから、これはルカの福音書に対応します。

そして、ヨハネの福音書は神としてのキリストが強調されています。それはダン族によって現されています。鷲のように空高く飛ぶことができる。それはまさに天的な存在を表していたのです。。イエスこそ神の子であるということです。

ですから、このイスラエルの宿営はイエス・キリストご自身と、その十字架が描かれていたのです。神の子として、人の子としてこの世に来られたイエス・キリストを受け入れるなら、私たちは救われ、圧倒的な神の臨在の中で勝利が与えられるということです。そのことが現されているのが福音書です。この福音を理解して、福音に生きるなら、私たちも勝利のうちに約束の地に行くことができるのです。

民数記1章

きょうから民数記の学びに入ります。「民数記」は英語で「Numbers」と言いますが、ヘブル語では『ベミドバル』、「荒野で」という意味です。これが「民数記」となっているのはイスラエルの民の人口調査に関する記述があることから、七十人訳聖書、これはヘブル語をギリシャ語に訳した聖書ですが、『アリスモイ』(数)と呼ばれたことから、民数記という名称がつけられました。しかし、元々は「荒野で」という名前で、エジプトから連れ出されたイスラエルが約束の地カナンに向かうその途上の荒野で、神がどんなことをしてくださったのかが記されたものです。この民数記は「不平不満の書」とか、「つぶやきの書」などとも言われていますが、それは彼らがこの荒野でつぶやいたことからつけられました。

Ⅰコリント10章はこの民数記の出来事が背景にありますが、その中でパウロはこう言っています。11節です。「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに望んでいる私たちへの教訓とするためです。」ですから、これは私たちへの教訓のために書かれたものなのです。私たちの信仰生活は天の御国に向かっての荒野の旅です。その旅路においては、かつてエジプトの奴隷の状態から連れ出されたことを忘れ、ちょくちょくつぶやくことがありますが、そのことによっていったいどういうことになったのか、結論から言うと、40年も荒野をさまようことになってしまったということです。そして、その時代の多くの人々は死に絶え、たった二人だけ、神に従ったヨシュアとカレブだけが新しい世代の人たちと約束に地に入ることができました。申命記1章2節を見ると、このホレブからカデシュ・バルネアまで、カデシュ・バルネアというのは荒野と約束の地の境にある地ですが、そこまではたった11日で行ける距離だったのです。にもかかわらず、彼らは40年も荒野をさまようことになってしまいました。なぜでしょうか?つぶやいたからです。彼らは神の単純な約束を信じることができなかったので、そのような結果になってしまったのです。具体的には12人の偵察隊を送ったとき敵は大きく強いので、そこに入って行くことはできないと言って嘆きました。不平不満を言って神につぶやいたのです。それで彼らは40年も荒野をさまよわなければなりませんでした。それは現代を生きる私たちクリスチャンに対する戒めでもあります。私たちの時代にも荒野があります。そこで神の約束のことばを信じるか、信じないかによって、その後の結果が決まります。信じるか、信じないかの差は大きいのです。民数記では、それが問われています。

民数記はモーセ五書の一つで、モーセによって書かれた四番目の書です。モーセによってずっと書かれているということは、それなりに流れがあるということです。まず創世記ですが、創世記のテーマは、神の民の選びと言えます。神は、罪に陥った人類を救うためにアブラハムを選ばれました。アブラハムから出る子を通して、人類を救おうと計画されたのです。それがイサクであり、ヤコブでした。ヤコブがイスラエルになりました。彼の12人の子どもたちを通してイスラエルの12部族を誕生させたのです。

創世記の次は出エジプト記です。出エジプト記のテーマは、神の民の贖いと言えるでしょう。神によって選ばれたイスラエルが飢饉に直面したとき、神はヨセフを通してイスラエルをエジプトに導かれました。しかし、新しいエジプトに新しい王が誕生したとき、彼らはエジプトの奴隷として仕えるようになりました。その奴隷の状態から救い出したのはモーセでした。神はモーセを通して430年も奴隷としてエジプトに捕えられていたイスラエルを解放したのです。

そして、前回まで次のレビ記を学びました。レビ記のテーマは何でしょうか。神の民の礼拝です。神によって贖われた神の民に求められていたことは、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない」ということでした。聖別することが求められていたのです。そのために彼らはいけにえをささげなければなりませんでした。神に近づくためには、神が定められた方法によらなければ近づくことはできなかったのです。それがいけにえであり、それは神の小羊であるイエス・キリストを象徴していたものでした。そして、その礼拝において聖なる者としての生き方とはどのようなものかが教えられました。

そして、その次が民数記です。民数記のテーマは、神の民の奉仕です。この場合の奉仕とは、戦いと言ってもいいでしょう。神の民として贖われ、聖なる者としてされた者が、実際に約束の地に向かって歩み出すのです。私たちの信仰生活には様々な戦いがあります。それは外敵との戦いだけでなく、自分の肉との戦いなどいろいろです。その戦いにどのように勝利して進んで行ったらいいのかを、この民数記から学ぶことができます。それでは本文を見ていきましょう。

1.人口調査(1-16)

まず1~16節までをご覧ください1節には、「人々がエジプトの国を出て二年目の第二月の一日に、はシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられた。」とあります。これはイスラエルの民がエジプトを出て二年目の第二月の一日に、主がシナイの荒野の会見の天幕でモーセに告げて仰せられたことです。エジプトを出てから1年間シナイ山に導きそこで十戒を与え、幕屋を建設されました。モーセはそのシナイ山のふもとの会見の天幕にいます。出エジプト記40章2節を見ると、イスラエルが会見の天幕である幕屋を建てられたのはエジプトを出て二年目の第一月の一日でした。したがって、ここに1ヶ月間の空白があることがわかります。この空白の1か月の期間に何があったのでしょうか。この期間にレビ記が入ります。神の幕屋が完成したとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちました(出エジプト40:34)。主はその会見の天幕からモーセを呼び寄せ、彼に告げて仰せられました(レビ1:1)。その内容がレビ記なのです。私たちはレビ記を学ぶのに半年くらいかかりましたが、実際は1か月です。その1か月の間に神の民としてのあり方を学び、そして今いよいよ約束の地カナンに向けて出発していくのです。その旅の準備が12章まで語られます。その準備の最初のことは何だったでしょうか?2節から16節までをご覧ください。

「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。また部族ごとにひとりずつ、父祖の家のかしらである者が、あなたがたとともにいなければならない。あなたがたの助手となるはずの者の名は次のとおりである。ルベンからはシェデウルの子エリツル。シメオンからはツリシャダイの子ナフション。ユダからはアミナダブの子ナフション。イッサカルからはツアルの子ネタヌエル。ゼブルンからはへロンの子エリアブ。ヨセフの子のうちからは、エフライムからアミフデの子エリシャマ、マナセからペダツルの子ガムリエル。ベニヤミンからはギデオニの子アビダン。ダンからはアミシャダイの子アヒエゼル。アシェルからはオクランの子パグイエル。ガドからはデウエルの子エルヤサフ。ナフタリからはエナンの子アヒラ。」 これらの者が会衆から召し出された者で、その父祖の部族の長たちである。彼らがイスラエルの分団のかしらたちである。」

ここで神はモーセに、イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ、と命じました。なぜでしょうか?戦うためです。これは20歳以上の者で、すべての軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えるためだったのです。戦うためには軍隊を整えなければなりませんでした。神の軍隊の陣営を組織し、その戦いに備えなければならなかったのです。部族ごとにリーダーが立てられ、それぞれの人数が数えられたのです。

エペソ人への手紙6章を見ると、クリスチャンの生涯にも悪霊との戦いであると言われています。私たちがクリスチャンとなり教会から出てこの世の中で歩もうとすると、必ず戦いがあります。その戦いにおいて悪魔の策略に立ち向かうために神のすべての武具を身に着けなければならないのです。

そのために選ばれのが父祖の家のかしらたちです。部族ごとにひとりずつ、父祖の家のかしらである者が選ばれ、モーセやアロンたちとともにいなければなりませんでした。すなわち、彼らの助手となる人たちです。モーセとアロンたちがそのすべてを行なうのではなく、部族ごとにかしらを立てて、彼らの助手となりました。それが5節から15節までに記されている人たちです。この人たちの名前をよく見てみると、「エリ」とか「エル」という名前が多いことに気づきます。この「エリ」とか「エル」というのは「神」という意味で、彼らの名前は神の名が入った複合体であることがわかります。そこに彼らの信仰が表われていると思います。彼らは皆、神に信頼し、神のために仕える勇士になるようにという願いが込められていたのです。

2.神に数えられている民(17-46)

次に17節から46節までをご覧ください。ここに20歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記しました。なぜ登記する必要があったのでしょうか?彼らがどこの家の出身の者で、どこに属しているのかを明らかにするためでした。イスラエルの民の中で、自分の家系がわからないという人は一人もいませんでした。

これは私たちにも言えます。私たちが戦いに出ていくためには、まず自分がどこに所属しているのかを明らかにしなければなりません。そうでないと戦えません。私たちの家系は何でしょうか?私たちはどこに所属しているのでしょうか?私たちの家系は神の家族です。クリスチャンという家系に所属しています。自分がクリスチャンかどうかわからないというのは問題です。神によって罪が贖われて神の民、クリスチャンになっているということがわからなくては戦うことができません。戦うためにはまず、自分が神の民であるということ、クリスチャンであるということを明らかにしなければならないのです。どうやって明らかにすることができるのでしょうか?いつも教会に行っていればクリスチャンでしょうか。洗礼を受けていればクリスチャンなのでしょうか。そうではありません。私たちが救われてクリスチャンであるかどうかは、神の御霊が証してくださいます。ローマ8章16節を開いてください。ここには、「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」とあります。クリスチャンの内には聖霊の内住があります。私たちが神の子どもであることは、その聖霊が証してくださいます。ですから、自分がクリスチャンであるかどうか確信のない人はどうか祈ってください。そうすれば、神の聖霊が証してくださいます。

神に仕えるためにはまずあなたが神の家族に登録されなければなりません。神の子どもであるということをはっきりさせなければならないのです。そうでなければ良い成果を上げることはできません。戦いに勝利することはできないのです。

それは同時に、あなたがどの家系に属しているのかをはっきりさせることでもあります。つまり、どの地域教会に属しているのかを明確にするということです。Ⅰコリント14章33節には、「それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです」とあります。この「平和の神」というのは「秩序の神」という意味です。神は混乱の神ではなく秩序の神です。一定の組織に加わっていることは自分を守ることにもなります。この荒野で敵から攻撃された時どこに属しているのかがわからなかったら、誰も助けてくれる人がいなかったとしたら、一緒に戦ってくれる人がいなかったとしたら、敗残兵となってしまいます。私はどこの教会にも入りたくない、だれの指示も受けない、私はイエスさまの指示だけ従うというのは聞こえがいいですが、自由気ままで無責任な態度なのです。アカンタビリティーということばがあいます。報告責任と訳される言葉ですが、どこかの群れに属していなければ、このアカンタビリティーを持つこともできません。クリスチャンは一匹狼では戦えないのです。どこかの群れに属していなければなりません。私たちが救われたのは戦いに勝利するためです。敗北感を味わうためではありません。孤独で、不安定で、満足のない歩みをするためではないのです。私たちが救われたのは、私たちが勝利するためなのです。そして、そのためには私たちは登記されなければなりません。私たちが神の子どもであるということ、また、私たちはどの地域教会に属しているのかを登記することによって、私たちの身分が明らかとなり、この世での戦いに勝利することができるのです。

次に19節から46節までをご覧ください。ここにはそれぞれの部族の人数が記されています。ルベン部族46,500人、シメオン部族59,300人、ガド部族45,650人です。そして、ユダ部族74,600人です。イッサカル部族は54,400人、ゼブルン部族57,400人です。エフライム部族40,500人、マナセ部族32,200人、ベニヤミン部族35,400人です。そして、ダンは部族62,700人、アシェル部族41,500人、ナフタリ部族53,400人です。この12部族で合計60万3550人です。ものすごい数です。女や子どもを含めれば、おそらく300万人を越えていたでしょう。いったいなぜ、このように細かに人数が記録されているのでしょうか。

その大きな一つの理由は、アブラハムに対する約束が成就したことの確認です。創世記15章5節で、神はアブラハムを外に連れ出し、天を見上げさせ、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われました。神は彼の子孫を空の星、海辺の砂のように数多く増し加えると約束されたのです(同22:17)その約束がどのように成就したのかを、この民数記で見ることができます。ヤコブがエジプトを下るときにはたった70人しかいませんでした。それから約215年の歳月が経た今、その群れは20歳以上の男子で60万人以上おり、女性やこどもを含めると300万人以上に増えたことがわかります。神はアブラハムとイサクとヤコブに約束されたことがそのようになったのです。 これを見るとき、私たちは励まされるのではないでしょうか。神は約束されたことを一つもたがわず成就してくださる真実な方なのです。

このように軍務につく者が登記されました。彼らは兵士として戦うために、まず自分たちが兵士であると数えられなければいけませんでした。主は、だれが兵士なのかを数えるようにと命じられたのです。主はだれが戦うのかを知っておられその者たちにご自分の力と知恵と資格を与え、彼らが戦うときに、主ご自身が戦ってくださったのです。神は数えておられます。私たちの中には数など気にするべきではない、大切なのは質だ!ということをよく聞きます。しかし、数えることも大切なのです。使徒の働きをみると、そこにはちゃんと数えられていることがわかります。最初の教会には3,000人が加えられました。すぐに5,000人の群れに成長していきました。数えることも大切なのです。しかし、それは自分たちの教会がどれだけ大きいかとか、どんなにすばらしい教会か、どんなに優れているのかを自慢するためではありません。プライドを助長するために数えるのではなく、あくまでも祈るためです。集会にだれが出席され、だれが休まれたのかを数えることによって、そのために祈っていくことができます。そのために数えるのです。教会にはいてもいなくてもいいような人は一人もいません。みんな誰かのケアを必要としています。そのために互いに祈り合っていかなければなりません。だれが来たかなんて関係ない、自分さえちゃんとしていればそれでいいというのは、あまりにも自分よがりの信仰と言えます。互いにいたわり合って、互いに助け合って、互いに支え合っていくために、私たちは祈り合わなければなりません。そのために数えるのです。

Ⅰ歴代誌21章1節をご覧ください。ここにはダビデが人口調査をしたことが書いてあります。彼はいったい何のために数えたのでしょうか。「ここに、サタンがイスラエルに逆らって、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。」とあります。これはサタンの誘惑によるものでした。サタンはダビデに人口を調査させ、主の力よりも自分の力、自分の軍事力に頼らせようとしたのです。自分がいかに強いのかを見せて、いかに優れているのか、自分たちの教会がどんなに立派なのかを誇ろうとして数えさせたのです。それは主のみこころを損なわせました。それによって疫病が蔓延し7万人のいのちが奪われたのです。

ですから、このような動機で数えるなら罪です。自分たちの教会がどんなにすぐれているかとか、立派であるかを誇るための人口調査は神のみこころではないのです。しかし、互いに祈り合うために、相手の状態を知りながら、神に助けを求めていくために数えることは大切なことなのです。だから、数を数える時にはその動機に注意しバランスをよく考えなければなりません。ここで神が人口を調査したのは、イスラエルが軍隊を組織として荒野での戦いを戦っていくためだったのです。

3.レビ族について(47-53)

最後に47節から終わりまでのところを見てください。ここにはレビ人についての説明されています。
「しかしレビ人は、彼らの中で、父祖の部族ごとには、登録されなかった。はモーセに告げて仰せられた。「レビ部族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録してはならない。また、その人口調査もしてはならない。あなたは、レビ人に、あかしの幕屋とそのすべての用具、およびそのすべての付属品を管理させよ。彼らは幕屋とそのすべての用具を運び、これを管理し、幕屋の回りに宿営しなければならない。 幕屋が進むときはレビ人がそれを取りはずし、幕屋が張られるときはレビ人がこれを組み立てなければならない。これに近づくほかの者は殺されなければならない。イスラエル人は、軍団ごとに、おのおの自分の宿営、自分の旗のもとに天幕を張るが、レビ人は、あかしの幕屋の回りに宿営しなければならない。怒りがイスラエル人の会衆の上に臨むことがあってはならない。レビ人はあかしの幕屋の任務を果たさなければならない。」

レビ部族だけは、他のイスラエル人といっしょに登録されませんでした。なぜなら、彼らの奉仕は神の幕屋とそのすべての用具、およびそのすべての付属品を管理することだったからです。ですから、彼らは幕屋の回りに宿営しなければなりませんでした。それは、イスラエルの軍団が神の幕屋に近づくことがないためです。幕屋には主が住んでおられ、そこは聖なるところであったので、だれも近づいてはならなかったのです。ただレビ族だけは近づくことができました。彼らは神に一番近いところにいることができたのです。イスラエルは、このようにしてすべて主が命じられたとおりに行いました。彼らは約束の地カナンに向けて歩んでいくために軍隊を組織したのです。

それは、私たちの信仰の旅路も同じです。私たちも約束の地、天の御国に向かって進んで行くために、神が仰せられたように軍隊を組織して敵からの攻撃に備え、神のすべての武具をもって悪摩との戦いに勝利する者でありたいと思います。

Ⅰテサロニケ2章13~20節 「信じる者に働く神のことば」

きょうはⅠテサロニケ2章の後半の箇所からお話したいと思います。前半のところには、パウロの伝道に対して非難していた人たちに対する弁明が述べられていました。ここではそれを受けて、テサロニケの人たちがどのように神に従ったのかが記録されています。それはパウロたちにとって、本当に喜びでした。19節と20節のところでパウロはこう言っています。「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」いったいなぜテサロニケのクリスチャンたちはそのように受け止めることができたのでしょうか。きょうはこのことについて三つのポイントで見ていきたいと思います。

Ⅰ.神のことばとして(13)

まず13節をご覧ください。「こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」

「こういうわけで」というのは、今述べたように、パウロがどのように福音を語ったのかということを受けてのことです。彼は福音をゆだねられた者としてそれにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせようとして語りました。彼は決して人をだましたりするような不純な心やだましごとで語ったのではありませんでした。こういうわけで・・・です。こういうわけで、パウロたちとしても、そのような宣教の働きにこのテサロニケの人たちが真実に応答してくれたことに感謝しています。それは彼らが、パウロたちが語ったことばを聞いたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおり神のことばとして受け入れてくれたからです。神のことばとして受け入れるとは、ただ単に知的に認めるというレベルではなく、絶対的な真理として受け入れるということです。人間のことばのように、「こうではないか」、「ああではないか」といった憶測や、「こうあるべきだ」といった自分の考えを捨てて、神のことばのとおりに生きようとすることです。伝道者や牧師が語る聖書のことばを聞いてそれにどんなに感銘を受けたとしても、それが単に「良い話だった」とか「感動的な話だった」というレベルに留まっているかぎりは、まだ人間のことばとして受け止められているにすぎません。神のことばとして受け入れるとは、ただ聞くだけでなく、その聞いたことばのとおりに生きることなのです。まさにテサロニケの人たちはそのように受け入れました。それを自分たちが従うべき絶対的な真理として受け入れたのです。それは神のことばを語る側の者として、どれほど大きな慰めと励ましを受けたことでしょう。牧師なり、伝道者なり、福音宣教の働きに携わっている者がかえって励まされるという経験をよくしますが、テサロニケの人たちの福音に対する応答は、まさにパウロたちに励ましを与えるものでした。いやパウロたちだけでなく、それは神ご自身を喜ばせるものだったのです。

いったいそれを可能にしたのは何だったのでしょうか?それは聖霊の働きです。1章6節を振り返ってみましょう。ここには、「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」とあります。テサロニケの人たちは聖霊による喜びをもってパウロたちが語ったことばを神のみことばとして受け入れたのです。

その結果、どういうことが起こったでしょうか?どのような神の御わざが起こったのでしょうか?「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです」この神のことばが、それを信じた人たちのうちに働いたのです。この「働いている」ということばのギリシャ語は、「作用する」とか「動く」という意味のことばです。神のみことばがその人を動かして変化をもたらしたということです。リビングバイブルではここを、「信じる者の生活を一変させるのです」と訳しています。人を動かすのは山を動かすよりも難しいと言われますが、この神のことばはそれを受け入人の心に変化を起こすのです。その神のことばがその人の内に働いて、信じる人の生活を一変させるのです。

先日、Yさんを施設に訪問したとき、ご自分が救われた時のことを話してくれました。三人兄弟の末っ子として生まれたYさんは、実にわがままに生きておられました。そんな時一番上のお兄さんが結核で亡くなるのです。これまで自分をかわいがってくれた兄が亡くなったとき、心にぽっかり穴が開いたように、虚しくなりました。いったい自分は何のために生きているのか・・・。そんな時、渋谷駅の前で行われてキリスト教の路傍伝道に出会いました。そこで歌われていた賛美歌を聞いていると、胸がスーとするのを感じました。それでキリスト教にのめりこんで行ったのです。しかし、当時は耶蘇教と言われていた時代です。ご両親の反対はなかったのですか、と尋ねると、全然なかったと言うのです。むしろ、応援してくれた、と言います。なぜなら、イエスさまを信じてからのYさんの生活が一変したからです。それまでは両親に反抗的でしたが、イエスさまを信じてからは逆に素直になって、両親の言うことを聞くようになりました。それで両親はとても喜ばれ、「キリスト教はいい宗教だ」と応援してくれたというのです。そればかりも自分たちも教会に行ってみたいと言ってくれました。それはYさんの生活が一変したからです。神のことばは、それを信じる者たちのうちに働いて、その人の生活を一変させる力があるのです。

イエス様は種蒔きのたとえの中で、この信じる者に働く神の力がどのように偉大であるのかをお語りくださいました。「3種を蒔く人が種蒔きに出かけた。4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」(マタイ13:3-8)

みことばを聞く姿勢が重要です。どのように聞くかによって結果が違います。神のことばを聞いても悟らないと悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪っていきます。道端に蒔かれるとはこのような人たちのことです。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んでそれを受け入れますが、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばないのです。ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。この神のことばは、信じている人のうちに働くのです。三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのです。ですから、どのように神のことばを聞くのかが重要です。

クリスチャンとは人間が与える影響や感動によってではなく、根本的には神のみことばによって内面が変えられ続ける者です。この信じる者の内に働くみことばの力にどれだけその人があずかっているかということによって、クリスチャンの成長の度合いも異なってきます。テサロニケのクリスチャンたちは、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れました。その結果、その神のことばが彼らのうちに働いて、彼らの生活を一変させたのです。

Ⅱ.神の諸教会にならう者(14-16)

次に14節から16節までをご覧ください。14節のところでパウロは、「兄弟たち。あなたがたはユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったのです。彼らがユダヤ人に苦しめられたのと同じように、あなたがたも自分の国の人に苦しめられたのです。15 ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。16 彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。」

ここでパウロはテサロニケのクリスチャンたちを、ユダヤの、キリスト・イエスにある神の諸教会にならう者となったと言っています。どういう点でならう者となったのでしょうか。同国民であるユダヤ人に苦しめられたという点においてです。イエスさまもユダヤ人であり、またパウロもユダヤ人ですが、同胞のユダヤ人から迫害を受けました。彼らは主であるイエスをも、預言者たちも殺し、神に喜ばれるどころか、すべての人の敵となってしまいました。しかし、そのような中でもパウロたちはひるむことをせず、福音を語ることをやめませんでした。それと同じようにテサロニケのクリスチャンたちも激しい迫害があるかもしれませんが、それにひるむことをせず、福音を語り続けてほしい。そういう点においてもキリスト・イエスにある神の諸教会にならう者になってほしいと言っているのです。そういう前例があるから、それにならってほしいと言ったのです。

Ⅱテモテ3章12節にはこうあります。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3:12)キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願うなら、必ず迫害を受けるようになります。すばらしい約束です。キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願うなら、敬虔に生きていなくてもそのように願っただけで、その瞬間に、あなたは迫害を受けるのです。これは確かな約束です。逆に、迫害を受けていないとしたら問題です。敬虔に生きようと願うなら迫害を受けるのであれば、そのようには生きていないということになります。この世にどっぷりと浸かっていると何の迫害も受けません。でもキリストのように生きたいと願うなら、それができていなくても、そう願うだけで迫害を受けるのです。なぜなら、この世には確かにキリストの敵がいるからです。この敵の存在は現実であり、リアルです。悪魔、サタンはこの世の神と呼ばれ、この世の支配者とも呼ばれているのです。しかし、たとえそのような迫害を受けても、決してひるまないでいただきたいのです。なぜなら、それこそ真のクリスチャンであるということのしるしであり、正真正銘の救いを得たことにほかならないからです。それは紛れもなく神の諸教会にならう者となったという事実だからです。

皆さんはどうでしょうか。皆さんにはどんな迫害がありますか。しかしそれがどのようなものであっても、それはあなたが真のクリスチャンであることのしるしなのだと覚え、感謝をもって受け止めましょう。そして、私たちも神の諸教会にならう者とさせていただきましょう。

Ⅲ.クリスチャンの交わり(17-20)

最後に17節から20節を見て終わりたいと思います。「17 兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので―といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、―なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。18 それで私たちは、あなたがたのところへ行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。19 私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。20 あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」

パウロたちは、テサロニケには三週間ほどしか滞在できなかったので、どうしてもテサロニケに戻って来て彼らに会いたいと願っていました。それでパウロたちは一度ならず二度までも彼らのところに行こうとしたのですが、その実現には至りませんでした。なぜか?それはサタンがそれを妨げたからです。サタンが妨げたとはどういうことでしょうか?サタンの実在についてはさきほども触れましたが、常に私たちの働きを妨害してきます。このサタンの妨害が実際には何を指しているのかはわかりません。ある人は、それはパウロが抱えていた肉体のとげ(Ⅱコリント12:7)ではないかと考えていますし、ある人は、テサロニケ市当局の厳しい監視の目があったということを指しているのではないかと考えています。またある人はアテネ、コリントと伝道してくる中で生じた様々な問題の対応に追われていたということではないかと考えていまが、はっきりしたことはわかりません。しかし、それがいずれの理由であったにせよ、パウロはその背後にあって神の働きを必至になって妨害しようとするサタンの存在と巧妙なしわざであったと見て取っていたのです。それは私たちもよく経験することです。教会に行こうとしたら急に来客があって行けなくなったとか、聖書を読もうとしたら電話があって読めなかった、祈ろうとしたらどうも体がだるくて祈れない、そういったことがよくあります。ですから、私たちの背後にはサタンの巧妙な妨げがあるということを見て、戦っていかなければなりません。

しかし、そのような困難にもかかわらず、パウロは決して落胆しませんでした。なかなか打開できない状況にありながらも、彼らは感謝を抱き続けたのです。なぜでしょうか?第一に、それはクリスチャンの交わりというのは、たとい直接顔を合わせられなくても、心においてしっかりと結び合わされた交わりであるということです。17節でパウロは、「兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので―といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、」と言っています。顔を見て交わることはできないかもしれない。でも心においてではそうではありません。心において交わりを持つことができるのです。どのように?祈りを通してです。私たちには祈りによる交わりという賜物が与えられているのです。祈りを通して、全世界のまだ一度も会ったことのない兄弟姉妹と豊かな交わりを持つことができるのです。先の東日本大震災では世界中のクリスチャンが、まだ一度も会ったことのない人々から、たくさんの支援が送られてきました。また一度も会ったことはないけれども、それは彼らの祈りの中にあり、その祈りに答えて神が彼らの心を動かしてくださったのです。

家内は1979年にアメリカカリフォルニア州ガーデナ市にあるカルバリーバプテスト教会から遣わされて日本にやって来ました。その数年後私と結婚することになったので、私もアメリカに渡り挨拶をしながら、神が私たちを通して何をなそうとしておられるのかをお話ました。すると、そこにいた大勢の人たちが手放しで喜んでくれました。当時その教会の牧師で、今は天国に行かれましたが、キースターという牧師は、これは神さまのみこころだと信じますと言って、按手をして祈ってくれました。またユースのグループは自宅に私たちを招いて歓迎のパーティーをしてくれました。そのとき私は思いました。それまで私は一度も彼らと会ったことはありませんでしたが、ずっと祈られていたんだな・・と。ですから、初めて会ったような感じがしませんでした。もう何年も知っているかのような友のように感じたのです。それは祈りを通して交わっていたからです。クリスチャンはまだ一度も会ったことのない人でも祈りを通して豊かな交わりを持つことができるのです。教会には年齢や職業はもちろんのこと、趣味や考え方においても異なった人々が集まっていますが、目的において、また価値観においても一致することができるのは、そこに共通の土台が与えられているからです。聖書、祈り、信仰、聖霊の働きという共通の土台のゆえに、たとえ遠く離れていても、常に主にあって心は一つになることができる。それがクリスチャンの交わりなのです。

第二のことは、主イエスが再びこの地上に来られる時、必ず再会できるという約束があることです。19節を見てください。ここには、「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。」とあります。

いますぐに会うことはできないかもしれない、さまざまな妨げに会って会えないでいるかもしれない、でも必ず再会する時がやってきます。いつでしょうか。それはイエス・キリストが再び戻ってこられる時です。イエスが再臨する時です。その時には顔と顔とを合わせて会うことができるのです。その前に会うことができるかもしれませんが、たとえ会うことができなくても、その時には必ず会うことができます。なぜなら、クリスチャン死んでも生きる永遠のいのちが与えられているからです。ですから、この世で物理的に会えなくても、必ず天国で会えるのです。ですから、クリスチャンが死ぬとき、亡くなったとは言わないのです。肉体的には死んでも、霊においてはまだ生きているからです。ですから喪失感というものはありません。感情的には、この地上での別れいう寂しさはありますが、実際には、今も生きているのです。ですから私たちは失ったわけではないのです。

それはただ目に見えないだけで、一時的に会えないだけで、やがて必ず会う時がやってくるのです。この地上での別れは、天国での永遠の再会に比べれば、ほんのしばしの間の別れにすぎません。クリスチャンにとっては「天国でまた会いましょう」と言える再会を待つ希望の別れでもあるのです。これがクリスチャンの希望です。ですからパウロは今すぐに会えなくても、たとえサタンの妨害があって彼らのところに行くことができなくても、喜ぶことができました。彼は、「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りとなるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。」と言ったのです。それを知っていたからこそパウロは、会いたくても会えない悲しみ中でも、いつも神に感謝をささげることができたのです。

クリスチャンの交わりはこの希望で支えられているのです。たとえ離れていても、たとえ顔と顔とを合わせることができなくても、祈りによって交わることができるだけでなく、やがて主が再臨されるとき、文字通り顔と顔を合わせて交わることができる。その希望のゆえに、いつも心から主を待ち望むことができたのです。

私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。私たちもそう言われるように、キリストにある神の諸教会にならう者となりたいと思います。それは神のことばを神のことばとして受け入れるところから始まります。この神のことばは、信じている私たちのうちに働いているからです。

Ⅰテサロニケ2章1~12節 「福音をゆだねられた者」

きょうはⅠテサロニケ2章のみことばから、「福音をゆだねられた者」というタイトルでお話したいと思います。1章には、このテサロニケの教会の人たちがいかに信仰に歩んだかが語らました。彼らは、絶えず、神の御前に、信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐をもって歩みました。そのような彼らの姿は、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範となりました。いや、それはマケドニヤとアカヤにとどまらず、あらゆる所に響き渡ったほどです。

しかし、そんなすばらしい教会でしたが、問題が全くなかったかというとそうではなく、多少なりの問題がありました。パウロの働きに対する非難と誤解です。パウロが愛をもって教会を訪問しようとすると、自分たちを支配しに来るのではないかと思われたり、諸教会から献金を集めれば、献金をだまし取っていると中傷する人たちがいたのです。当時各地を回って偽りの教えを説いていた偽教師たちとパウロたちの働きを同一視し、パウロを悪しざまに非難する人たちがいたのです。

神に立たされた者がこのような非難を受けることはイエス様でさえ受けたことであって驚くべきことではありませんが、そのようなことよって教会の中が動揺することがあるとしたら避けなければなりません。なぜなら、そうしたことによって神の働きがそしられたり、福音が誤って伝えられてしまう恐れがあるからです。特に、誕生して間もないテサロニケの教会にとって、そうした悪いうわさはどんな悪影響を及ぼすか分かりませんでした。そこでパウロは、主の恵みのうちに成長しているテサロニケの教会が決してそのような愚かなことで動揺してほしくないという思いから、これが純粋な神の働きであることを弁明しているのです。

Ⅰ.神によって、大胆に(1-2)

まず1節と2節をご覧ください。

「1 兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。2 ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。」

どういうことでしょうか。1節でパウロは、彼らのところに行ったことはむだではなかったと言っています。なぜでしょうか。彼らのところに行って福音を伝えた結果として教会が誕生したからです。それは並大抵のことではありませんでした。そこには激しい苦闘があったのです。しかし、そうした激しい苦闘の中にあっても、彼らは大胆に神の福音を彼らに語ることができました。どうしてでしょうか。ここに「私たちの神によって」とありますが、そうです、そこに神の助けがあったからです。それがなかったらどうやって宣教活動を続けることができたでしょう。パウロたちの働きは全く不可能なことでした。それを可能にしたのは、ただ神の助けと守りがあったからなのです。神が彼らをテサロニケに遣わしてくださり、その働きを成し遂げてくださったのです。それは神の働きによるものだったのです。

ここには、パウロたちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたとあります。一人のマケドニヤ人の叫びを聞いてマケドニヤに渡って行ったその最初の宣教地がピリピでした。そこでは占いの霊につかれた若い女奴隷から悪霊を追い出したということで、もうける望みを失った彼女の主人から訴えられ、何度もむち打ちにされたあげく、牢屋の中にぶち込まれました(使徒16:12-40)。もしパウロたちがいい加減な伝達者であったなら、こうした度重なる迫害に直面したときさっさと退散し、伝道することなど止めていたことでしょう。ところが、それでも彼らは勇気を失わず、次の宣教地であるテサロニケに向かい、そこでも福音を語り続けることができました。それは、神がともにおられたからです。神がともにいて助けってくださったのです。パウロの働きは一貫して神によるものだったのです。

ここには、「激しい苦闘の中でも大胆に神の福音を語った」とあります。この「大胆に」というのは「雄弁に」という意味ではなく、「ありののままに」とか「自由に」という意味です。パウロは、神の福音をそのまま、ありのままに語ったのです。

私たちは、自分たちが福音を伝えるとき、それに対して反対者が起こったり非難されたりすると、できるだけ語らようにしようと思います。そしてできるだけ相手に合わせて、相手に受け入れられるようなことだけを語ろうとするのです。しかし、パウロたちはそうではありませんでした。彼らはたとえ迫害されても、たとえむちで打たれても、たとえ牢屋の中にぶち込まれてとも、大胆に神の福音を語りました。それは彼らの中に自分たちの働きが神によるものであるという確信があったからです。人を全く新しく創り変えることができるのはただ神のみことばだけであるという確信があったからなのです。みことばをそのまま伝えるとき、必ずそこに神のみわざが現されると信じていました。事実、彼らがテサロニケに行ったことは、決してむだではありませんでした。そこに神の教会が誕生したからです。

私たちも苦しみに会うと伝道するのはもうやめようとか、宗教の話はできるだけしない方がいいという誘惑にかられることがありますが、しかし、そうした激しい苦闘の中でも神の福音を福音として大胆に語るなら、神が働いてくださいます。そして、すばらしいみわざを現してくださるのです。その労苦は決してむだになることはありません。私たちは、この働きが神によって成されているという確信を持たなければなりません。そして、神によって、大胆に福音を語らなければならないのです。

Ⅱ.純粋な心で(3-6)

次に3節から6節までをご覧ください。ここにはパウロがどのような心で福音を語っていたのか、その動機が語られています。

「3 私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。5 ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実をもうけたりしたことはありません。神がそのことの証人です。6 また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。」

3節でパウロは、「私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません」と言っています。「迷い」とは、聖書の真理からさまよって、自分の意見を語ることです。また「不純な心」とは、純粋な心でないこと、つまり純粋な動機から出たものではないことです。そして、「だましごと」とは、人をだますような話しのことです。真実はそうではないのに、別のことを話してだますのです。昔も今も、こうしただましごとは絶えません。見かけではもっともらしいようでも、その中身はだましごとで満ちています。だから多くの人たちは宗教には関わりを持ちたくないと思うのです。宗教は怖い・・・と。しかし、パウロたちの勧めはそういうものではありませんでした。パウロたちの勧めは4節にあるように、人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせようとするものでした。なぜなら、神は自分たちの心をお調べになることがおできになられる方だからです。Ⅰサムエル16章7節に、「人はうわべを見るが、主は心を見る」とあります。人を外見だけで判断するのは危険です。故事に「外面如菩薩内心如夜叉(げめん にょぼさつ ないしん  にょやしゃ、Fair without, foul within.Fair face, foul heart)ということばがあります。顔は仏のように優しく美しいが、心は夜叉(残忍な鬼神)のように邪悪で恐ろしいという意味のことばです。人はそのように惑わされやすいのです。けれども、神は違います。神は外見ではなく、私たちの心までも見抜くことがおできになられる方だからです。神は人の心の内側のすべてを見抜き、心をお調べになられる方なのです。私たちは人をごまかすことはできても、神をごまかすことはできません。ですから、パウロは人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語ったのです。これがパウロの福音宣教の動機だったのです。これは、宣教における動機ばかりでなく、私たちの生活のあらゆる行動において求められている原則でもあります。Ⅰコリント10章31節には、

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」とあります。

神の喜びと栄光のために行動する、それがクリスチャンに求めてられている生き方です。私たちは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなければなりません。「いったい自分は何のためにこれをしているのか」「だれを喜ばせようとして今このことをしようとしているのか」ということを、いつも吟味しなければならないのです。

しかし、それは人に喜んでもらうことや自分自身の満足はどうでもいいということではありません。そのように極端に考える必要はないのです。神を喜ばせることを第一にするなら、その結果として、必ず人にも、自分にも正当で十分な喜びと満足が与えられるはずだからです。ただ、ここで言いたいのは、喜ばせるという動機がどこから出ているのかということです。もしそれが人を喜ばせようとするだけのものであれば、どうしてもそこには人におもねる心やへつらいの態度といったものが現れます。ですから、そこには何一つ良いものは生まれてこないのです。神様との正しい関係があってこそ、人との正しいあり方が生まれてくるからです。

パウロは、人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせようとして語りました。こんなこと言ったら相手が不快に思うのではないか、もしかすると嫌われるのではないかという心配もあったでしょうが、神の福音をゆだねられた者として、それにふさわしくはっきりと語ったのです。「あなたには罪があります。罪があれば決して幸せになることはできません。すべての問題の原因はこの罪です。あなたは自分の力ではどうすることもできません。この罪から救われることはできないのです。神を信じてください。神はあなたのためにイエス様を遣わしてくださいました。イエス様があなたの罪のために十字架で死んでくださって、あなたの罪を解決してくださいました。あなたがイエス様を信じるなら、すべての罪が赦されて天国に行くことができます。あなたはこの罪から救われるのです。」とはっきり言わなければなりません。

このようなことを言うと、ある人はこう言うかもしれません。「何だって、この私が罪人だって。とんでもない。私をだれだと思っているのか。罪人呼ばわりして、けしからん。私は無力で何もできない?とんでもない。私はこれまで必死で頑張ってきたんだ。そして、それなりに成功してきた。そんなこと言うなんて失礼だ。そんな宗教だれが信じるか。だからキリスト教は嫌いなんだ。だからだれも信じないじゃないか。たまにはもっといいことを言ったらどうなんだ。心に響くようなことを・・。」

人々が求めているのはその人の自我を満足させてくれるようなことばであって真理ではありません。伝道者にとって最大の誘惑の一つは、聞く人の気の入ることを語ろうとすることです。厳しいさばきのことばや罪について語るのを避け、奇跡をそのまま述べることをためらい、当たり障りのない、相手に合わせた福音を、まぁ、こういうのは福音とは言いませんけれども、そうした教えを語ろうという誘惑があるのです。しかし、パウロはこの誘惑に負けませんでした。5節にあるように、彼は、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりはしませんでした。もしパウロが町の人たちに取り入ろうとして伝道していたら、迫害や反発は起こらなかったでしょう。けれども、その代わりに困難な中でも明確に救われて、偶像から立ち返り、生けるまことの神に仕えるようになる人も起こされなかったでしょう。

6節を見ると、ここには、「また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。」とあります。

パウロは使徒としての権威を主張することもできました。この「使徒としての権威」とは、使徒として人々の尊敬を受けるということもそうですが、ここではそれよりも経済的な支援を受ける権利のことを指しているものと思われます。Ⅰコリント9:13-15には、「13 あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。14 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。15 しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。」とあります。

使徒、伝道者、牧師が福音の働きから生活の支えを得ることは間違いではありません。神はそのように定めておられます。ですから、それは伝道者の権利でもあるのです。しかし、パウロはその権利を主張しませんでした。なぜでしょうか?誤解されないためです。それを受けることによって他の人たちからの誤解を招き、神の働きがそしられないようにしたのです。そのために彼は自分の権威、名誉を放棄したのです。そして9節にあるように、彼らに負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、福音を宣べ伝えました。それは彼が神の前に純粋な動機をもって歩んでいたからです。

皆さんは、どのような心で歩んでおられるでしょうか。それが迷いや不純な心から出ていたり、だましごとであったりはしていないでしょうか。人を喜ばせようとするあまり、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしてはいないでしょうか。人はうわべを見るが、主は心を見られます。この主の前に純粋な心を持って歩み、人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせようとして語ろうではありませんか。それが神に認められて福音をゆだねられた者なのです。

Ⅲ.母のように、父のように(7-12)

第三のことは、そのふるまい方です。7節から12節までのところをご覧ください。ここには、「それどこか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。」とあります。人は子供が生まれて親になると、喜びとともに子供を育てる責任を感じます。テサロニケで多くの霊の子供たちの誕生をみたパウロも、その後の彼らの養育に全力を注ぎました。彼は母がその子供を養い育てるように、優しくふるまいました。母のように優しくふるまうとは、無条件に子供を包み込む母親の本質的なふるいまです。

旧約聖書に描かれているイスラエルの神にも、このような側面が表現されています。たとえば、イザヤ書66章13節には「母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。」とありますし、詩篇131篇2節にも、「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。」とあります。

まことに神は、母親のように慰め、無条件の愛で包み込んでくださる方です。その神の愛でパウロは優しくふるまったのです。それは8節にあるように、彼らのことを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったほどです。これはまさに母親の姿でしょう。自分と子供を同一化しているのです。自分のいのちまでも与えたいと思うほど愛していました。

そうかと思えば、11節、12節にあるように、父親がその子供に対して接するように、接しました。つまり、「勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じ」たのです。その父親の愛は、威厳を持って子供たちを正しい道に導くために訓戒する愛です。このような父親の愛は「あなたがたひとりひとりに」とあるように、ひとりひとりを重んじ、ねんごろに教え諭すという愛だったのです。決して十把一からげにまとめて訓戒するというものではありませんでした。ひとりひとりに、丁寧に、時間をかけて、細かな点にまで配慮して成されたのです。これのようなことには相当の時間と労力も必要だったのではないかと思います。パウロは後でエペソの長老たちに説教したとき、このように言いました。「私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりに訓戒し続けてきたことを、思い出してください。」(使徒20:31)それはまさに涙とともになされた祈りの訓戒だったのです

このようにパウロのテサロニケでの働きには母親のような優しさと、父親のような厳かさがありました。この両面があってこそ、テサロニケの教会は大きく成長することができたのです。それは今日の教会にも言えることです。今日の教会もこの両面が相伴わなければ、健全な成長は望めません。ともすれば、優しすぎたり、厳しすぎたりのどちらか一方に走ってしまい、そのバランスを欠いてしまいがちになりますが、厳しさの中にも優しさがあったり、優しさの中にも厳しさもあるといった主のバランスが求められているのです。

人間が成長するということは決まった材料を与えれば同じ結果が出てくるというようなものでは無いのが難しい所ですが、確かに子供が正しく成長していくためには、できるだけ良い環境に置くことが重要のようです。特に家庭環境が重要であることはだれもが思うことでしょう。今日、子供の非行の問題が大きな社会問題になっていますが、その大きな原因の一つは、父親と母親の役割が欠如しているところにあると言われています。少し前は厳しい父親がいて、父親が一言・・・だというと、皆それに従いましたが、今は違います。父親が言ってもだれも聞きません。それを知ってか、父親もできるだけ何も言わないようにしているのです。それがやさしさだと思っています。では母親はどうかというと、言いすぎるのです。言わなくてもいいことまで言ってしまいます。ガミガミ文句ばっかり言すのでうるさいのです。子供とどのように接するかは本当に難しい問題で、だれも完璧にできる人などいませんが、その基本は母親のやさしさと父親の厳しさというバランスにあると言えます。そうした環境で育てられて始めてこどもが健全に成長するように、教会もやさしさと厳しさのバランスがあって健全に成長していくのです。パウロはこの母親のように優しくふるまい、父親のように、ご自身の御国に召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。それに加えて彼は、先ほども申し上げたように、昼も夜も働きながら、神の福音を宣べ伝えました。それは、彼らのだれにも負担をかけまいとしたからです。そこにはなみなみならぬ労苦と苦闘があったでしょう。それはまさに涙の伝道でした。

ですから、パウロの伝道はまやかしやだましごとでも、何でもなかったのです。彼は純粋な心で、ただ神を喜ばせようとして語りました。たとえそこにどんな労苦と苦闘があっても、敬虔に、正しく、まただれからも責められるところがないようにふるまったのです。

それは、私たちの模範でもあります。福音宣教の働きには必ずこのような非難や中傷、誤解はありますが、そのような中にあっても私たちは常に純粋な心で、人を喜ばせようとしてではなく、ただ神の喜びのために語るという姿勢を忘れないようにしたいものです。それが神に認められて福音をゆだねられた者なのです。

Ⅰテサロニケ1章4~10節 「すべての信者の模範となった教会」

きょうは、テサロニケ人への第一の手紙1章4節から1章の終わりまでのところから学びたいと思います。1章3節でパウロは、彼らの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしていると言いました。そして、4節から3章の終わりまで、その彼らの信仰の働きがどのようなものであったかが語られます。それは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範となるような信仰でした。きょうはその信仰から学びたいと思います。

Ⅰ.聖霊によって伝えられた福音(4-5)

まず4節と5節をご覧ください。4節でパウロは、「神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。」と言っています。

彼らは、「神に愛されている兄弟たち」でした。それは彼らが神を愛したからではありません。神がまず彼らを愛し、彼らのためになだめの供え物としての御子を遣わしてくださったからです(Ⅰヨハネ4:10)。彼らは神に愛される資格など全くありませんでした。平気で罪を犯し、平気でキリストを十字架につけて殺すような者だったのです。にもかかわらず神は、彼らを愛してくださいました。なぜでしょうか。それは「あなたがたが神に選ばれた者」だからです。

彼らは神に愛されるように選ばれた者なのです。それは彼らだけではありません。私たちもそうです。イエス・キリストを信じたすべてのクリスチャンは皆、神に選ばれた者なのです。私たちはどこか自分で教会に来て、自分でイエス様を信じたかのような思いがありますが、実はそうではありません。神があなたを選んでくださったので、あなたは救われ、こうして教会に来ることができるのです。有名なヨハネの福音書15章16節には、次のようにあります。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」

また、エペソ人への手紙1章4節5節を見ると、このように書かれてあります。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。にしようとされました。」皆さん、私たちは生まれる前から、いや、世界の基の置かれる前から、救われるようにと定められていたのです。

このようなことを申し上げると、「じゃ、神は救われない人は、あらかじめそのように定められていたのか」とか、「信じていない人は救われないように定められているということなのか」「そんなの不公平じゃないか」という人たちがいます。しかし、決してそういうことではありません。Ⅰテモテ2章4節を開いてください。ここには、「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」とあります。皆さん、神はひとりも滅びることを願わず、すべての人が救われて真理を知るようになることを願っておられるのです。それなのに信じようとしないのはそれはその人の側の問題であって、神の問題ではないのです。差し出された救いを自ら拒んでいるだけなのです。神の救いはすべての人に差し出されています。神は、すべての人が救われることを望んでおられるのです。ですから、もしあなたがその差し出された救いを受け入れるならば、あなたも神に選ばれた人になるのです。テサロニケの兄弟たちは、差し出された神の救いを素直に受け入れました。それは彼らが神に選ばれた人たちだったからです。

5節をご覧ください。「なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。」

ここには、テサロニケの人たちが神に愛され、神に選ばれた人たちであると言える理由が語られています。それは、パウロたちによって彼らに伝えられた福音は、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。

どういうことでしょうか?Ⅰコリント人の手紙1章18節でパウロはこのように言っています。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Ⅰコリント1:18)

また、同じⅠコリント2章4節のところでも、こう言っています。「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(Ⅰコリント2:4)

パウロによって伝えられた福音はただのことばだけではなく、そこに御霊の力があったということです。それはここに、「私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。」とあることからもわかります。これはおそらくしるしや奇跡、いやしといった不思議なみわざもあったでしょうが、それ以上に、彼らの生活を通して、神の福音が力強く証されていたということでしょう。というのは、ここでパウロは福音のことを「私たちの福音」と言っているからです。「私たちの福音」とは何でしょうか。これは、私たちの所有となっている福音、私たちのものになっている福音という意味です。ただ私たちが信じた福音というだけでなく、その福音がすっかり板についていたということです。すなわち、彼らはこの福音に生き、福音に立って歩んでいたのです。そこにはものすごい聖霊の力が現れたことでしょう。その福音がテサロニケの人たちに伝えられたのです。

皆さんはどうでしょうか。「私の福音」になっているでしょうか。確かに福音によって救われたけれど、それは救われた時だけでした・・というようなことはないでしょうか。この福音が「私の福音」と言えるくらいになるまで、この福音にとどまり、福音に生き、福音によって成長していく人になりたいものです。そこに主の聖霊が力強く、豊かに働かれるからです。福音とは良い知らせ、グッド・ニュースです。神はあなたを愛しておられるという知らせです。どのように愛しておられるのでしょうか。神はあなたの罪を赦すために、ひとり子イエスを十字架につけてくださいました。それはあなたが滅びないで、永遠のいのちを持つためです。それは、あなたがどのようになっても変わらない永遠の約束なのです。たとえあなたが罪を犯しても、たとえあなたが道を踏み外したとしても、神は決してあなたを見捨てるようなことはなさいません。あなたの代わりにイエスさまが死んでくださったからです。だから、どんなことがあっても、あなたが救いを失うことは絶対にありません。あなたが悔い改めて神に立ち返るなら、神はあなたを赦してくださいます。その約束はどんなことがあっても変わりません。それは永遠の契約なのです。すばらしい約束ではないでしょうか。この神の愛にとどまり、福音に生き続けるなら、神はあなたにも御力を表してくださるのです。

Ⅱ.聖霊による喜びをもって受け入れられた福音(6)

次に6節をご覧ください。ここには、「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちと主とにならう者になりました。」とあります。

福音は、力と聖霊と強い確信とによってテサロニケの人たちにもたらされましたが、一方、テサロニケの人たちはそれをどのように受け止めたでしょうか。彼らもまた多くの苦難の中にあって、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れました。パウロたちのうちに働いた聖霊のみわざは、伝道の対象であったテサロニケの人たちにも同様に力強く働いたのです。テサロニケの人々は、当然迫害が予想される中でも、聖霊による喜びを持ってみことばを受け入れることができたのです。

皆さん、クリスチャンの歩みは、決して良いことずくめではありません。良いことがあれば悪いこともあります。クリスチャンになったら何もかもがバラ色になるというわけではないのです。イエスさまがいばらの冠を被らせられたように、クリスチャンの生涯にもいばらがあるのです。バラもあれば、いばらもあります。パウロは若き伝道者テモテにこのように書き送りました。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(Ⅱテモテ3:12)

また、イエスさまは弟子たちにこう言われました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)

しかし、そうしたいばらの中にあっても、クリスチャンは喜ぶことができるのです。なぜでしょうか。それは聖霊が与えてくれるからです。聖霊によって喜ぶことができます。たとえ外側からは多くの苦難があっても、聖霊によって内側から喜びが溢れます。

聖書が語っている喜びは、一般的に語られている喜びとは違います。聖書が語っている喜びはまわりの状況がどうであれ、決して奪い取られることがない喜びです。一般的には、健康の時には喜ぶことができても、いざ病気になったら、その喜びはすぐに吹っ飛んでしまいます。お金があれば喜べますが、無くなった途端に不安になります。友達がいれば喜べますが、友達に裏切られたり、見捨てられたりすると落ち込んでしまいます。それまで抱いていた喜びがいっぺんに吹っ飛んでしまうのです。しかし、聖書が与える喜びは、どのような状況にあっても奪い去られることはありません。それは聖霊による喜びなのです。テサロニケの人たちは、この聖霊による喜びをもっていたのです。

皆さんは、この聖霊による喜びを持っているでしょうか?いったいどうしたらこの喜びを持つことができるのでしょうか。それは信仰によります。クリスチャンは信仰によって、目に見える世界だけでなく、目に見えない世界も見ているのです。だから、たとえ現実の生活が苦しくても、喜ぶことができるのです。

使徒ペテロは、迫害によって散らされていたクリスチャンたちに対してこう書き送りました。

「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、7 あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」(Ⅰペテロ1:6-9)

「そういうわけで」というのは、イエスによって罪赦されて、永遠のいのちが与えられたので、ということです。そういうわけで、私たちは大いに喜んでいるのです。いまは、しばらくの間、さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。私たちはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。アーメン。

これは信仰の結果なのです。たましいの救いを得ているからなのです。それは人間の目で見ることはできません。それはただ信仰によって、聖霊がその真理を明らかに示してくださることによって見えるのです。それは信仰の結果なのです。だから、たとえ苦難にあっても喜ぶことができます。そして、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどることができるのです。

ですから、これが見えるか、見えないかは大きな違いです。信仰によってそれがはっきりと見えるなら、どのような苦難をもろともせずに、聖霊によって喜ぶことができますが、そうでないとまわりの状況に一喜一憂して悲しみに打ちひしがれてしまうことになります。ですから、この差は大きいのです。私たちはいつも聖霊による喜び、聖霊による力、聖霊の臨在にあふれるために、いつもこの信仰によって、自分たちに与えられている霊的祝福がどのように偉大なものなのかを見ていかなければなりません。

Ⅲ.聖霊によって広がり続けた教会(7-10)

第三に、その結果です。聖霊によって伝えられ、聖霊の喜びをもって受け入れられた福音は、いったいどのようになったでしょうか。7,8節をご覧ください。

「こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。」

すばらしいほめ言葉です。激しい迫害の中、わずか3週間しかテサロニケに滞在することができませんでしたが、テサロニケのクリスチャンたちは、そうした多くの苦難の中にあっても、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主とパウロたちにならうものになっていたのです。それを聞いたときパウロは、どれほど喜んだことでしょう。もう天にも上るような気持ちになったのではないでしょうか。この8節には、そんなパウロの喜びが表現されているように見えます。「主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなた方の信仰はあらゆるところに伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。」

この「響き渡った」ということばは、ラッパの響きが広がっていくのに似ています。彼らの信仰はマケドニヤとアカヤ地方だけでなく、すべての信者の励ましになって響き渡りました。この「響き渡った」ということばは実は完了形で書かれています。完了形というのは継続を表しています。つまり、響き渡り続けたということです。一時的に響いただけでなく、ずっと響き続け、広がり続けていったのです。

私たちの教会もそのような教会になりたいですね。私たちの主への信仰が、この大田原、那須ばかりでなく栃木県の全域に、いや日本全土に、そして全世界に響き渡り、多くのクリスチャンを励ましていくような、そんな教会になれたらと思うのです。絶対にそうなります。私たちは弱くても神は強い方だからです。聖霊には人を新しく作り替える力があります。この聖霊により頼むなら、かつてテサロニケでおこったことが、この大田原でも起こると信じます。かつての中国の教会がそうであったように、この日本の教会も多くの苦難の中で聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、主にならう者となるだけでなく、今度はここから出て行って、あらゆる所に響き渡るようにな、そんな教会になるように祈ろうではありませんか。

いったいそのためにはどうしたらいいのでしょうか。まず9節をご覧ください。「私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、」

パウロの宣教のことばが、神のことばとして彼らに受け入れられると、彼らは偶像から神に立ち返り、生けるまことの神に仕えるようになりました。回心にはこの二つのことが必要です。つまり、離れることと、向かうことです。彼らは偶像から離れ、神に向かいました。このテサロニケにはどれほど多くの偶像があったことでしょう。テサロニケの町からはギリシャの神々オリンポスの山を眺めることができたと言われています。たくさんのギリシャ神話の神々を信奉している人たちがいました。それはパウロがギリシャ文化の中心地アテネを訪れた時、そこにあったおびただしい数の偶像を見て怒りを感じたことからもわかります。同じギリシャの地方都市であったこのテサロニケにも相当の偶像があり、それに支配されていたものと思われます。しかし、彼らはパウロを通して語られた神のことばを受け入れたとき、そうした偶像から離れ、生けるまことの神に仕えるようになったのです。この「偶像から」の「から」は、偶像からの明確な分離を示しています。それは中途半端な決別ではありません。明確な、歴然とした方向転換だったのです。

日本人の中には、白黒をはっきりさせない曖昧さをよしとする傾向があります。お正月は神社に行き、お盆なるとお寺に行く。そしてクリスマスになると教会に行ってお祝いするということが平気でできるのです。そうした傾向はクリスチャンになっても引きずっている場合が少なくありません。そして、クリスチャンになってもなかなか偶像から立ち返ることができないでいるということがあるのです。

この偶像というのは単に木や石できたものばかりではなく、私たちの中で作り上げているものもそうです。神以外のものを神よりも大切にするものがあるとしたら、それはその人にとって偶像なのです。クリスチャンもこうした偶像礼拝に陥っていることがあるのです。それがなければ生きていけないとか、絶対に失いたくないと、縛られているとしたら、それはその人にとっての偶像なのです。それが何であったとしても、テサロニケのクリスチャンたちが偶像から立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになったように、私たちもそうした偶像と明確に分離し、生けるまことの神に仕える者とならなければなりません。

それから、もうひとつのことが10節に書かれてあります。「また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことはたの人々が言い広めているのです。」

これはどういうことかというと、テサロニケのクリスチャンたちは、キリストの再臨を待ち望んでいたということです。この「待ち望む」ということばは、赤ちゃんが生まれる時、両親がわくわくしながらそれを待望する姿に似ています。赤ちゃんが生まれてくるのがわかっているのでその備えます。いつ生まれてきてもいいように部屋の模様替えをしたり、ベビーベッドを用意したり、その脇にはオムツを交換する台を置いたり、暑ければエアコンを、寒ければ赤ちゃんの健康にいいヒーターを用意します。産着も、ベビー服も、おもちゃも、ミルクも、ちゃんと用意して待ちます。それと同じように、テサロニケのクリスチャンたちはイエスさまがいつ再臨してもいいように待ち望んでいました。いつ来られてもいいように、その備えをしていたのです。

皆さんはどうでしょうか。イエスさまがいつ来られてもいいように、備えておられるでしょうか。イエスさまがいつ来られてもいいように、イエスさまを信じて、その思いがイエスさまに向かっているでしょうか。偶像に仕える過去の生活から生けるまことの神に仕える現在の生活に一変させられ、そして将来はキリストの再臨の祝福にあずかる希望へと導かれるクリスチャンライフは、何と幸いなものでしょうか。テサロニケのクリスチャンたちはこのように歩みました。それはすべての信者の模範となるほど輝いていたのです。その信仰はあらゆる所に響き渡るものでした。それは私たちの模範でもあります。私たちも聖霊によって伝えられた福音を受け入れ、その喜びの中に入れられました。しかし、それだけで終わりではありません。福音は私たちの生活を一変させます。偶像から立ち返って、生けるまことの神に仕えるようにしてくれます。そこには明確な変化が伴います。そして、それはキリストの再臨の希望へとつながっていくのです。私たちもこのテサロニケのクリスチャンたちにならい、生けるまことの神に仕え、キリストの再臨を心から待ち望む者でありたいと思います。これが福音のもたらす大きな変化であり、祝福なのです。

Ⅰテサロニケ1章1~3節 「テサロニケ人への手紙」

きょうから、テサロニケ人への手紙から学んでいきたいと思います。この手紙はパウロからテサロニケ人の教会に宛てて書かれた手紙ですが、パウロが書いた手紙の中で一番初めに書かれた手紙です。新約聖書の手紙の多くはパウロによって書かれましたが、その中でも最も初期に書かれた手紙なのです。

なぜこの手紙が書かれたのでしょうか?パウロがテサロニケを訪問したのは、彼の第二回伝道旅行の時でした。アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたパウロは、フルギヤ・ガラテヤの地方を通ってムシヤに面した所に来ましたが、それからビテニヤの方に行こうとしたら、イエスの御霊がそれをお許しにならなかったのです。それでムシヤを通ってトロアスに下ると、彼はそこで一つの幻を見ます。それは、ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」(使徒16:10)と懇願するものでした。パウロはその幻を見たとき、それは神が自分たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるためだと確信し、ただちにマケドニヤに出かけていくことにしました。こうして福音がエーゲ海を渡り、初めてからヨーロッパへともたらされることになったのです。

マケドニヤに渡ったパウロたちは、まずピリピで伝道します。そこでは紫布の商人ルデヤとその家族が救われましたが、その一方で占いの霊につかれた女から悪霊を追い出したことで、もうける望みがなくなった主人がパウロたちを訴えたので、パウロとシラスは捕えられ、投獄されるという苦しみを体験します。しかし、神はそうした中にも力強いみわざをなされ、大地震を起こし、看守とその家族全員が救われるというみわざを行われました。「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:30-31)そうやって看守一家が救いに導かれたのです。

その次に向かったのが、このテサロニケです。テサロニケでの伝道の様子は使徒の働き17章にありますので、後で読んで確認しておいていただきたいと思いますが、パウロたちはここにあまり長くはいませんでした。いなかったというよりも、いられなかったのです。パウロはいつもしているように、ユダヤ教の会堂に入って行って、聖書に基づいてイエスこそキリスト、救い主であると宣言すると、彼らのうちの幾人かはよくわかって、信仰の道に入りましたが、他のユダヤ人たちはねたみにかられて騒ぎを起こしました。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにも入り込んでいます。」(使徒17:6)と言って。このままではどうなってしまうのかわからないので、兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスを隣の町のベレヤへ送り出したのです。ですから、彼らはわずか一か月くらいしかいられなかったのです。

それにしてもパウロが気がかりだったのはテサロニケのクリスチャンたちのことでした。彼らはまだ救われたばかりです。しかも、パウロたちはそこに一か月くらいしか滞在することができなかったので、神のみことばをそんなに教えることができませんでした。誕生したばかりの教会にとって激しい迫害の中で、しっかりと信仰に立っていることができるだろうか。中には信仰から離れてしまう人もいるのではないか。もしかしたら、根こそぎにされているかもしれない・・・。そんな不安と恐れの中で、パウロはアテネからテモテをテサロニケに遣わすのです。

テモテがテサロニケから戻ってきたのは、パウロたちが次の伝道地コリントにいた時でした。パウロはテモテから、テサロニケのクリスチャンたちは激しい迫害の中にあっても固く信仰に立っているということ、そして彼らもパウロたちと再会することを心待ちにしているということを聞いて、とても喜びます。しかし、中には再臨について誤って理解していることから、混乱している人たちもいるということを聞きました。そこでパウロは迫害に苦しんでいるテサロニケの人たちを慰め、励ますために、また、福音の基本的な教えを彼らに伝えるためにこの手紙を書いたのです。

皆さん、聖書を正しく理解することは大切なことです。なぜなら、それによって信仰生活が決まるからです。何を、どのように信じているかによって、そのライフスタイルが決まるのです。特に生まれたばかりのクリスチャンにとって福音の基本的な教えを正しく理解することは、その後の信仰生活に大きな影響を及ぼしていきますから、とても重要なことであると言えます。きょうは満喜人兄と桂珍姉のバプテスマ式を行いましたが、これからの信仰生活が祝福されたものとなるために、聖書のみことばを正しく理解することは重要なことなのです。きょうからこのテサロニケの手紙から聖書の基本的な教えを一つ一つ学んでいきたいと思います。

Ⅰ.神および主イエス・キリストにある教会(1)

まず1節をご覧ください。まず、パウロはいつものようにあいさつから手紙を書き始めます。

「パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。恵みと平安があなたがたの上にありますように。」

ここでは、差出人がパウロだけでなくシルワノ、テモテからとなっています。シルワノとはシラスのことです。シラスは使徒の働き15章22節、32節を見ると、エルサレム教会の指導者の一人であり、預言者であったことがわかります。彼はパウロの第二回伝道旅行で、バルナバに代わってパウロの同行者となりました。テモテは、パウロの第二回伝道旅行の途中、ルステラで一行に加わりました。彼はギリシャ人を父とし、ユダヤ人を母とする評判の良い弟子でした。そのシルワノとテモテの名前も一緒に書き記されているのです。なぜでしょうか。実際にこの手紙を書いたのはパウロです。ですから、パウロからテサロニケ人の人たちへ、で良かったはずですが、わざわざシルワノとテモテの名前も書き記されているのです。

一つには、このテサロニケでの伝道はパウロ一人によって行われたのではなく、そこにシラスもテモテもいました。そのシラスとテモテの名前も書くことで、それを受け取ったテサロニケの人たちが当時のことを思い出し、大きな慰めがもたらされたに違いありません。

もう一つの理由は、このテサロニケでの働きはパウロ一人によるものではなく、そこにはシラスやテモテもいて、彼らとの協力によって成された働きであったということです。つまり、宣教の働きは決してパウロ一人によるものではなく、シルワノやテモテ、あるいはここに名前も記されないような人たちのチームワークによるものであるということです。パウロがいて、またそれを支えるパートナーやサポーターがいて、そのような人たちが互いに祈り合い、助け合ってこそ、成し得ることができるのです。特に、背後で祈ってくれる人たちの働きはどれほど大きな力であったことでしょう。伝道というと、実際にそれに携わる人たちだけの働きのように見えますが、実はこうした背後にある人たちの祈りや、側面からのサポートなど、それを支える人たちの協力があってこそ力強く前進していくものなのです。

1節をもう一度ご覧ください。ここにはテサロニケ人の教会へ、とあります。これはパウロからテサロニケ人の教会に宛てて書かれて手紙なのです。しかし、ただのテサロニケ人の教会へのではありません。ここには、「父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケの教会へ」とあります。どういうことでしょうか?それはこのテサロニケの教会は神とキリストの教会であるということです。この教会はパウロが開拓した教会ですがパウロの教会ではなく、神の教会なのです。たとえそれがパウロたちによって立てられた教会であっても、キリストにある神の教会なのです。ですから、教会を構成しているクリスチャン一人一人は神とキリストのうちにあって結ばれ、生かされてこそ成長することができるのです。たとえその教会の設立にどんなに貢献した人であっても、その教会にどんなに長くいて貢献した人がいても、神とキリストの地位に取って代わることはできません。教会はキリストのからだであり、神ご自身のものなのです。それゆえ、教会は神とキリストに固く結びついてこそしっかりと立ち続けることができるのです。パウロたちは、このテサロニケに1か月しかいられませんでした。そして、残された教会は激しい迫害の中にありました。しかしそれでも彼らがしっかりと信仰に立ち続けることができたのは、パウロが宣べ伝えた神と主イエス・キリストにしっかりととどまっていたからだったのです。

そのテサロニケの教会のためにパウロは祈っています。「恵みと平安があなたがたの上にありますように。」この「恵みと平安」という順序が大切です。恵みがあって平安がもたらされるのであって、その逆ではありません。神の恵みを知らなければ平安はないということです。神の恵みとは何でしょうか。それはイエス・キリストです。イエス・キリストによる救いです。それは一方的な神の恵みによってもたらされました。「あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。」(エペソ2:5)。何の功績もない者が救われました。ただ救い主イエス・キリストを信じただけで救われたのです。自分の力ではどうすることもできませんでした。ただイエスさまを救い主と信じただけで救われたのです。それは恵みではないでしょうか。この恵みがわかると平安がもたらされます。なぜなら、この平安は神から罪が赦され神との平和が与えられたことによってもたらされるものだからです。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

神が私たちに与えてくださる平安は、世が与えるのとは違います。世が与える平安は一時的なものです。しかし、神が与えくださる平安はどんな悩みや苦しみにあっても、どんな恐れや不安があっても、決して奪い取られることのない平安です。それは確固たる平安なのです。主イエスはそのような平安を与えてくださいます。それは主イエスを信じることによって神との敵対関係が解消され、神が共にいてくださることによってもたらされるものなのです。

Ⅱ.祈りとみことば(2)

次に2節をご覧ください。パウロはテサロニケの人たちにあいさつを送ると、今度は彼らのために祈ります。

「私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、」

パウロはいつもテサロニケの人たちのために祈っていました。彼の祈りは時々思い出したかのような気まぐれの祈りではありませんでした。また、ほんの少数の人たちのためにとりなすことで満足するような祈りでもなかったのです。パウロの祈りはいつも、彼らすべてのためにとりなして祈る祈りでした。このような祈りは、神との交わりと祈りに十分時間を割かなければできないことです。テサロニケの教会はこうした祈りによって生まれたのです。また、パウロが聖書からイエスこそキリスト、救い主であると語ったことを彼らが理解したことによって生まれたのです。そうです、教会の土台は祈りとみことばであり、教会は祈りとみことばによって生まれ、立て上げられていくのです。

この情報過多な時代にあっては、こうした情報の収集に時間がとられ、祈りとみことばに打ち込むことがとても難しくなっていますが、教会が成長していくためには、あるいは、私たちの信仰が成長していくためには、いつも、すべての人のために、心を合わせ、一つになって祈り、みことばによって私たち自身が新しく創り変えられる必要があるのです。

Ⅲ.信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐(3)

1. 信仰の働き

第三のことは、パウロの祈りの内容です。3節をご覧ください。ここには、「絶えず、私たちの父なる神の御前に、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こしています。」とあります。

パウロはいつも彼らの信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐を思い起こして祈っていました。「信仰の働き」とは何でしょうか?この言葉は一見、矛盾しているようにも聞こえます。なぜなら、信仰は信じることであって、働くことではないからです。信仰と働きとか、信仰と行いというのは、相容れないもののように感じるのです。いったいこれはどういうことでしょうか?

「信仰も、もし行いがなかったら、それだけでは死んだものです。」(ヤコブ2:17)

これはどういうことかというと、私たちが救われるためにはただ信じればいいのですが、その信仰に行いがなかったら、そのような信仰は死んだものだ、というのです。しかし、これは当然と言えば当然なのです。神の恵みがわかり、イエス・キリストによって救われた人なら、喜びと感謝に満ち溢れ、それに応答して喜んで自分を差し出したいと思うようになるでしょう。本当の信仰にはそのような応答が伴うからです。それがないとしたら、何の喜びもないとしたら、何の感動もないとしたら、その人の信仰に問題があるか、あるいはまだ救いを経験していないかのどちらかです。ここでヤコブが言っていることはそういうことです。

信仰は行いによるのではありません。私たちが何をしたかによってもたらされるものではなく、一方的な神の恵みによるものです。しかし、そのような恵みに触れた人は必ず良い行いが伴うようになります。それがないとしたら、その信仰は死んでいるか、どこかに問題があるのです。本物の信仰にはそうした働きが伴うからです。テサロニケの人たちの信仰には、こうした働き、行いが伴っていたのです。それは彼らが本物の信仰を持っていたからです。

2. 愛の労苦

それだけではりません。彼らには「愛の労苦」がありました。この「労苦」と訳されたことばは「打つ」とか「たたく」、「切る」という意味から来たことばです。つまり、痛みか伴うということです。

皆さん、愛には痛みが伴います。愛しても、愛しても報われないとしたらどうでしょう。痛いです。苦しいです。それは打ちたたかれ、切られたかのような気持ちになるのと同じです。本当の愛には労苦が伴うのです。それは神の愛を考えるとわかります。神はひとり子イエスをこの世に与えてくださいました。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。それなのにこの神の恩を仇で返すようなことがあったとしたらどうでしょう。どんなに悲しまれることかと思います。それなのに、この世は彼を受け入れませんでした。それほど悲しいことはありません。愛には労苦が伴うのです。

しかし、愛することをやめてはなりません。なぜなら、私たちはこの愛で救われたからです。たとえ報いが得られなくても、たとえ感謝されなくても、このような愛で愛することを止めてはならないのです。ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛さなければならないのです。(Ⅰヨハネ3:18 )。テサロニケのクリスチャンたちには、このような真実な愛があったのです。

3.望みの忍耐

そしてもう一つは、「主イエス・キリストへの望みの忍耐」です。主イエス・キリストへの望みの忍耐とは何でしょうか?これは主イエス・キリストが再び来られるという再臨の希望のことです。イエス様が再臨されるとき、私たちは一挙に雲の中に引き上げられ、空中で主と会うようになります。そのようにして、私たちは、いつまでも主とともにいるようになるのです。これが本当の希望です。そのとき私たちは朽ちることのないからだ、栄光のからだに変えられます。今のからだは朽ちていきます。そして、みな土にかえるのです。いつまでも若々しく、ピチピチしているということはありません。いつまでも輝いているわけではないのです。年をとれば肉体は衰えていきます。いつの間にか髪も白くなり、薄くなったり、無くなったりします。顔にもしみやしわが出てきます。この肉体がいつまでも続くということはないのです。

しかし、やがてキリストが天から再び来られるとき、私たちは御霊のからだ、栄光のからだに変えられ、いつまでも主とともにいることになります。もう病気になることもなく、障害になることもありません。罪を犯すこともなくなるのです。完全なからだ、栄光のからだによみがえるのです。。これは希望ではないでしょうか。その日が来るとすべての問題が解消されます。今は苦しいことばかりでも、その時にはそうした苦しみから完全に解放されるのです。これは希望です。

「16ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:16-18)

ですから、私たちは勇気を失いません。この希望があるからです。この希望こそ私たちを慰め、励ましてくれるのです。

パウロはこのテサロニケの人たちを励ますために、この主の再臨の希望を何度も何度も語っていることがわかります。このテサロニケ人への第一の手紙の各章の終わりには、必ずこの再臨のことガム語られているのです。(1:9-10,2:19-20,3:11-13,4:13-18,5章全体)

いったいなぜパウロはこんなにも主イエス・キリストの再臨について語っているのでしょうか。それは一つには彼らの中に再臨について誤って理解している人たちがいたからですが、それ以上に、この主の再臨こそ私たちクリスチャンにとっての真の希望であり、慰めであり、励ましであると確信していたからです。

しかし、この主イエス・キリストの望みを持つためには忍耐が求められます。それが近いということはわかっていても、それがいつなのかがはっきりわかりません。いつまで歩くのか、どこまで行くのか、全くわからない中でずっと我慢することはたやすいことではありません。しかし、そのような中にあっても私たちは、忍耐をもって主イエス・キリストが再び来られる時を待ち望まなければなりません。それがあるからこそ私たちはあきらめたり、投げ出したり、絶望したりしないで、最後まで耐え忍ぶことができるからです。

最後にⅠコリント13章13節を開きたいと思います。ここには、「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です」とあります。これは結婚式でもよく読まれる箇所で、なじみのある聖書の言葉ですが、この信仰と希望と愛こそが、私たちを固く立たせてくれるのです。

信仰のない働きはむなしいです。愛のない労苦、望みのない忍耐は長続きしません。どんなにがんばって働いても信仰がなければ意味がないのです。どんなに労苦しても愛がなければ報われることはありません。どんなにがんばっても、望みがなければ長続きはしないのです。いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。テサロニケの教会には、この信仰と希望と愛がありました。信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐がありました。そして、それが彼らの励ましとなり、慰めとなり、希望となり、激しい迫害の中にあっても信仰に固く立ち続けることができたのです。たった3週間、あるいは1か月だったかもしれませんが、それでパウロが、シルワノが、テモテがその地を離れて行かなければならないという状況の中でも、彼らがしっかりと信仰に固く立ち続けることができたのは、この信仰と希望と愛があったからなのです。

その人が若いかどうか、どれだけ経験があるか、どれほど能力があるかといったことは全く関係ありません。若くても用いられます。たとえ経験がなくても、どんなに能力がなくても、用いられるのです。信仰の働き、愛の労苦、主イエスキリストへの望みの忍耐があれば、私たちも励まされ、用いられるのです。

私たちの教会もこのテサロニケの教会のように、信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐によって、固く信仰に立ち続ける教会であるように祈りたいと思います。