使徒の働き9章21~31節 「前進し続ける教会」

 きょうは「前進し続ける教会」というタイトルでお話したいと思います。先週はクリスマス礼拝でしたので使徒の働きをお休みしましたから、きょうは、先々週の続きとなります。先々週のところでは、キリスト教を迫害していたサウロが奇跡的に回心した出来事を学びましたが、きょうの箇所は、その回心したサウロが、その後何をしたかが記録されてあります。そして、その結果どうなったのかが31節にまとめられ、次のように記されてあります。

「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進しつづけたので、信者の数が増えていった。」

 教会のわざは、何の理由もなしに進展していくものではありません。進展していくにはそれなりの理由があるはずです。それがこの「こうして教会は・・」ということばに表れているのです。つまり、サウロが回心した後に行ったこと、そして、彼を取り巻く教会の動きの中に、教会の平和と前進、増加の秘密が隠されているのです。では、どのようにして教会は前進していったのでしょうか。

 きょうは、そのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、ダマスコで回心したサウロは、イエスが神の子キリストであると、大胆に宣べ伝えたことです。第二のことは、そんなサウロを受け入れた教会についてです。彼はキリストの弟子たちの仲間に入ろうと試みましたが、みなは彼を弟子だとは信じることができなかったので、なかなか受け入れることができませんでしたが、そんなサウロをバルナバという人物が引き受け、使徒たちのところへ連れて行ってくれたので、彼は弟子の仲間入りを果たすことができました。その結果教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数が非常にふえて行きました。ですから第三のことは、主を恐れかしこんで生きようということです。

 
 Ⅰ.イエスは神の子、救い主

 まず第一に、ダマスコでキリスト教に回心したサウロが、イエスこそ救い主であると大胆に宣べ伝えたことにつて見ていきましょう。20,21節をご覧ください。

「これを聞いた人々はみな、驚いてこう言った。『この人はエルサレムで、この御名を呼ぶ者たちを滅ぼした者ではありませんか。ここへやって来たのも、彼らを縛って、祭司長たちのところへ引いて行くためではないのですか。しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた。』」

 「これを聞いた人々はみな」の「これ」とは、20節にあるように、サウロが、イエスは神の子であると宣言しているのを聞いて、ということです。サウロはアナニヤに祈ってもらうことによって目からうろこのような物が落ちて見えるようになると、ただちに、諸会堂で、イエスが神の子であると宣べ伝え始めました。イエスが神の子であると記されてあるのは、使徒の働きの中ではここだけです。主イエスと同時代に生きていた人は、来るべきメシヤは神の御子であると信じていましたから、このサウロの宣言は、イエスこそ父なる神と同じ性質を持っておられたひとり子の神であり、父なる神と永遠の交わりを持っておられながら、その神を啓示されたお方という意味でした。22節には、「しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して」いたとありますが、同じ意味です。キリストとは、神の油注がれた王、メシヤ、救い主という意味ですから、それはイエスこそ神の性質を持っておられた救い主であるという信仰告白だったのです。よくイエス・キリストという名前を名前と名字のように考えておられる方がおられますが、実はそうではなく、キリストというのは称号で、神の油を注がれた王、救い主という意味です。ですから、イエス・キリストというのは、イエスこそ神の子、救い主であるという信仰告白なのです。旧約聖書に精通していたサウロにとって、キリストという称号がどういう意味であるかというくらいは十分承知していましたから、彼はこれを好んで使っていたのでしょう。以前は、まさかイエスがキリストであるなどと全く考えも及ばなかったので、そのように主張していたクリスチャンを本気で潰しにかかっていたのですが、ダマスコで目からうろこのようなものが落ちて、はっきりと見えるようになった彼は、イエスこそキリストであることがわかり、逆に、それを伝えたのです。それにしてもなぜ彼は、そんなにもすぐに、また、熱心に宣べ伝えたのでしょうか。

 第一にそれは、これまでの長い間、キリスト教に反対し、きわめて熱心にクリスチャンを迫害していたからです。彼の迫害歴からすれば、ステパノが殉教したときのことを筆頭に、数知れぬ犠牲者が、教会には出ていたのです。それほど教会に反対していた者が、キリストに捕らえられ、回心した以上、神の前にも、人々の前にも、それまで以上の熱心さをもって、自分の立場が全く変わったことを、ことばと行動をもって、示す必要があったのでしょう。

 もう一つの理由は、何よりも彼の中に、そのように伝えずにはおられない喜びがあったからでと思います。それが信仰です。隠しておけるほどの小さな喜びなど、信じるに値しません。本当に信じ切ったほどのものであるならば、人に伝えずにはいられなくなるのはが普通ではないでしょうか。それは彼自身が、Ⅱコリント4:13で、「『私は信じた。それゆえに語った』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」と言っているとおりです。私たちの信仰そのものに、そうした性質があるのです。

 このことについては、旧約の預言者アモスが、次のようにおもしろいことを言っています。

「獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。」(アモス3:8)

 ライオンがほえたら、ぎくっとしない人がいるでしょうか。いません。それは反射的な反応なのです。神のことばをいただいた者が語り出すというのはそれと同じだというのです。神のことばをいただいたのなら、黙ってなどいられません。もし黙っていようものなら、とどめていようものなら、どうなりますか?エレミヤは次のように言いました。20:9です。

「私は、『主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい』と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じこめられて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。」

 どういうことかというと、もし神のことばをいただきながら語らなかったとしたら、疲れてしまい、精神衛生上よくないということです。そのことばが心のうちで、燃えさかる火のようになり、しまっておくのに疲れ果ててしまうからです。ですから、これを無理に押しとどめようとするのは不自然で、難しく、健康にもよくないというわけです。神のことばを語るということはそれほどに、救われた人にとっては反射的で、自然なことであり、健康的なことなのです。

 なのに、私たちがなかなかキリストを宣べ伝えることができないのは、どうしてなのでしょうか。恥ずかしいという思いがわいてくるからです。変な人だと思われたら恥ずかしいと思ってしまう。まあ、元々変な人なんだからそんなに気にしなくてもいいのですが、だれでもそういう思いがわいてきます。実は、サウロにもそういう思いがあったようです。ですから27,28節のところに、彼が「イエスの御名によって大胆に語った」と記されてあるのではないでしょうか。福音を伝える働きには、こうした大胆さとか、勇気といったものが必要だったからです。ローマ1:16でも彼は、「私は福音を恥とは思いません。」と言っていますが、なぜこんなことを言っているのでしょうか。「私は福音を誇りと思います」と言えばいいのに、わざわざ、「私は福音を恥とは思いません」と消極的に言ったのは、彼の中に福音を恥と思う思いがあったからではないでしょうか。パウロほどの人でも、福音を恥ずかしいと思う思いがあったということに、私たちは慰めを感じます。そうした中にあっても彼は、恥ずかしいと思う思いを押さえて、大胆に語る努力をしたのです。

 中には、福音そのものにはコンプレックスを感じてはいないけれども、どのように話したらいいのかわからないということから来る恥ずかしさがある方もおられるでしょう。22節には、「しかしサウロはますます力を増し、イエスがキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせた」とありますが、この「証明して」ということばは、結びつけるとか、組み合わせるという意味です。伝道というのは、イエスがキリストであるという命題を、旧約聖書の預言とイエスの出来事とを一つ一つ結び合わせ、組み合わせて立証していくことなのです。ですから、そんなに難しいことではありません。どんなに口べたな人にでもできるという希望があります。雄弁によってではなく、聖書のことばを読み聞かせればいいのです。

 かつて私が神学校で学んでいた頃、仙台にキャンパスクルセードの働きをしていた韓国人の宣教師がお話をするというので、どんな話をするのかと思って聞きに行ったことがあります。この方は金圭東(キム・ギュドン)という方で、後にウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会の韓国部礼拝から独立して、「ヨハン教会」という教会を創設した方です。「ヨハン教会」というのは、淀橋の「淀」と韓国の「韓」という字を韓国語で読んだ名前です。
 しかし、キム・ギュドン先生の話というのは、旧約聖書を何の抑揚もなく、淡々と話すだけで、特におもしろくないどころか、聞いていますと、だんだんと眠くなってくるのです。ところが、最後にその話がキリストへと結びついていくのです。まさにここでサウロが話していたように、イエスこそキリストであると論証していたわけです。
 そうしたキム・ギュドン先生の働きは大きく広がって行き、今では日本全国に広がっているほど大きな成長を遂げています。ですから、別に流暢にお話できなくても、雄弁でなくても、イエスがキリストであると論証できれば、すなわち、聖書のことばを読み聞かせすればいいのです。これならできそうですね。

 実際、サウロも、「ますます力を増して」証明した、と言われてように、そのように語っていれば、だんだんと慣れてくるだけでなく、少しずつ聖書にも精通して来て力を増し、大胆にもなれるのです。このように伝道することは自分が聖書の知識を増し、力も増していくという、まさに一石二鳥の成長法でもあるのです。回心したサウロがただちに、イエスが神の子、キリストであると宣べ伝えたので、教会は前進して行ったのです。

 Ⅱ.仲間に入ろうと試みた

 第二のことは、彼が仲間に入ろうと試みた点です。26~28節をご覧ください。

「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べ伝えた様子などを彼らに説明した。それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出入りし、主の御名によって大胆に語った。」

 回心したサウロがしたもう一つのことは、彼が、弟子たちの仲間に入ろうと試みたことです。26節を見ると、ダマスコで力強く伝道していたサウロを殺そうとしていたユダヤ人たちの陰謀を知ると、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町から脱出させ、エルサレムまで運びました。エルサレムに着いたサウロは何をしたでしょうか。彼は、弟子たちの仲間に入ろうと試みたのです。このことは既に、彼がダマスコで回心した直後にも見られた行動です。19節には、サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちちもにいた、とあります。サウロは、何とかして教会の仲間に加えてもらおうと試みたのです。教会の側には、まだサウロが回心したことを信じることができず、スパイとして潜入したのではないかと警戒する動きもあって、仲間に加えていくことにはかなり慎重で時間もかかりましたが、それでも彼は、教会の誤解と偏見や、警戒心がとけるまで、忍耐強く仲間に入ろうと努力をしたのです。彼には、ダマスコで伝道した結果、彼の弟子もできていましたが、それでも決して自分たちの分派を作ろうとはせず、あくまでもその仲間に入ろうとしたのです。

 一方、教会の側の態度にも感心させられます。27節を見てください。大迫害者サウロを仲間に入れることに慎重だったのは、教会として当然のことでしょう。しかしその中にあっても、何とか仲間に入れようとした人物がいました。誰ですが?バルナバです。バルナバは、エルサレムの教会がサウロを警戒し、仲間に入れることに慎重だった時に、彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、ダマスコで彼にあったことや、彼が救われてからダマスコでしたことなどを説明して、仲間に入れてくれるように説得したのです。この「引き受けて」ということばは、「手をとる」というまことに情のこもった世話のことです。しょうがなくて連れて行ったのではなく、心から受け入れ、温かい気持ちで、彼を仲間に入れようとしたのです。このバルナバのように、クリスチャンとクリスチャンが一致して仲間になることを助けようとする仲介の働きは、実に大きな働きであります。

 それだけではありません。バルナバのとりなしを聞いたエルサレムの使徒たちも立派でした。28節を見てください。彼らはバルナバの紹介状を信用しただけでなく、サウロがエルサレムの教会において自由に出入りできるように心を開いて彼を受け入れたのです。彼らには、このサウロを自分たちの仲間に入れることに対して、少しのためらいもありませんでした。サウロが自由に出はいりしていたという事実は、彼らがサウロに全く心を許せるほど受け入れていたという証拠でしょう。

 このように回心したサウロの側にも、また、仲介したバルナバの側にも、そして、教会の使徒たちや弟子たちの側にも、実に強い仲間意識が見られます。彼らにとって回心した信者が、一匹おおかみで信仰の旅を続けるというようなことは、全く考えられないことでした。回心したならば、どんなにきらわれのけ者にされても、その仲間に入ろうと試みていかなければなりませんし、また、もしその人が回心したということがわかるならば、どんな人であろうともその仲間に迎え入れ、自由に交わり、助け合っていかなければなりません。主が救いに召してくださった主のしもべを、だれひとりさばかない、はじき出したりはしないといった心の広さ、温かさが、当時の教会にはあったのです。いったいなぜこのような心の広さや温かさがあったのでしょうか。それは彼らがみな、主を恐れていたからではないでしょうか。主を恐れかしこみながら歩んでいたからなのです。というのは、みことばにそのように勧められているからです。

「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」(ローマ14:4)

 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。さばかれるのは主ご自身です。しもべが立つのも、倒れるのも、それは主人次第なのです。主が立たせようとしている人を倒すことは、主のみこころではありません。主のみこころは、私たちが互いに愛し合うことであり、互いに建て上げることです。それが31節の「築き上げられ」ということばに表されています。これは家が建て上げられる時に使われることばです。教会は、どのようにして建て上げられていくのでしょうか。それは主のみこころに従うことによってです。自分の意見や好みや感情といったレベルにとどまっていることによってではなく、あくまでも主のみこころに立つことによって、互いに愛し合い、築き上げられながら、平安を保ち、聖霊に励まされて前進していくことによって、建て上げられていくのです。要するに、教会の一致と前進は、私たちひとりひとりの主イエスの信仰と服従によってもたらされていくものなのです。

 Ⅲ.主を恐れかしこみ

ですから第三のことは、みんなで主を見上げ、主を恐れかしみながら、前進していきましょう、ということです。31節をご覧ください。

「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。」

 こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行きました。こうしてというのは、これまで見てきたように、キリスト教を迫害していたサウロが回心するや「ただちに」、キリストを宣べ伝えたことと、教会が、要注意人物と思われていたサウロを迎え入れたということによってです。しかし、それは、ただ単にサウロが教会に加入したからということではなく、サウロと教会の態度に示された考え方や信仰の本質があったことの結果なのです。つまり、サウロも教会も、教会は建て上げられ、前進していくものであるということを信仰によってしっかりと受け止め、主を恐れかしこみながら歩んでいたということです。このことが正しく理解されているならば、つまらない偏見や、狭い了見で仲たがいしている暇などないのです。結局のところ、教会が前進し、信者の数が増えて行くというのは、ひとりひとりが主に対してどのような信仰をもって歩んでいるのか、どのような考えて方を持っているkかによって決まるのです。

 であれば私たちは、ますます神様のみこころを求め、この神のみこころに従って生きることが大切です。教会の交わりにおいては、年齢の違いや、性格の違い、考え方の違いなどがあって、必ずしも自分の思うように動いていないと感じておられる方もいるかもしれません。しかし、だからと言ってそこからはじき出てはいけないのです。サウロのように、その仲間に入ろうと努力していかなければなりません。また、そういう人を見て、あの人は自分とは違うからと言ってはじき出してもいけない。バルナバのように、その仲間に入れようと労をとっていくことも大切なことです。いずにせよ私たちの中に、教会は建て上げられ、前進していくものであるということを覚えながら、必ずそうなると信じて、主を恐れながら歩むことが求められているのです。

 「健全なる肉体に、健全なる精神が宿る」という有名なことばがありますが、このことばをそのまま解釈すると、健康な体を持っている人にしか、健康な精神は宿らないということになります。しかし、それは違います。健康な体の人でも、健全な精神を持っていない人がいますし、逆に、健全な体でい人でも、健全な精神を宿しておられる方がいるからです。
 このことばの出所を調べてみると、どうやら元々の意味が正しく理解されていないことがわかります。この言葉を最初に言ったのは、1世紀のローマの賢人、ユヴェナリスという人ですが、実は、これは祈りの言葉だったのです。彼はこう祈りました。
「神よ、健全なる肉体に健全なる精神を宿らせ給え。」
 つまり、体が丈夫な人、病気一つしたことのない健康な人は、体の弱い人の弱さや痛みなどに対しては意外と鈍感なことが多いのです。だからそういう弱い人の弱さが分かるような心を私にも与えてください、という祈りだったのです。たぶんこのユヴェナリスという人も健康な人だったのでしょう。
 「神様、私に健康な体を与えて下さって感謝します。でも同時に私の中に、人の弱さや痛みの分かる謙遜な心、健全な心も与えてください。」
 彼はこのような意味で祈ったのだろうと思います。ですから、このもともとの意味は、「健全なる私の肉体に、健全なる精神も宿らせてください」という祈りの言葉です。
 それでは、健全な精神とは、どんな精神でしょうか。それはまさに「主を恐れる心」、主を恐れかしこんで生きることではないでしょうか。主を恐れかしこむとは、何も神様が怖いといった恐怖の心のことではありません。畏敬の念と言ってもいいでしょう。あるいは、心から神を愛して神に従いたいという思いともいえるでしょう。これが主を恐れかしこむということです。そして、このような心が教会を建て上げ、教会に平和をもたらし、聖霊に励まされるので、前進していくのです。

 アメリカの大リーグのナンバーワンピッチャーで、スーパースターだったランディージョンソンは、今から7年ほど前の絶頂を迎えていた頃にクリスチャンになりましたが、ある時、彼がこう証ししました。
 「今から3年ほど前に、非常に辛い経験をしました。私の父が亡くなったのです。当時私は、クリスチャンになろうかどうか迷っていました。しかし、父の死によって決心がつきました。その時、私はこう祈りました。主よ。私の命を捧げます。野球場の中でも外でも、あなたの栄光を現すような生活をさせてください。』と」
 そして彼はこう言っています。
 「私たちの生涯におけるたった一つの道、それは主に従って歩む道である。」 彼はシーズンオフになると、子どもたちを集めて野球を教え、そしてイエス・キリストのすばらしさを証ししています。あの健全なる肉体に、まさに健全なる精神が宿ったのです。主を恐れる心が宿ったのです。主を恐れる心が私たちの中に宿ると、私たちの魂は力をもらいます。そして、驚くほどのみ業が現されるのです。それは人生のどんな困難な山も登ることができる力です。教会も、主を恐れてかしこみながら生きるなら、こに大きな力が宿ります。初代教会はそういう教会でした。そしてそれは私たちの模範でもあります。私たちも主を恐れかしこみ、主に従い、聖霊に励まされながら、前進し続けていきたいと思います。

使徒の働き9章10~20節 「目からうろこ」

 きょうは「目からうろこ」というタイトルでお話したいと思います。18節に、「するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。」とあります。サウロとは、クリスチャンを迫害していた急先鋒のような人でした。そのサウロがクリスチャンを迫害するためにダマスコに向かっていったとき、そこで主イエスと出会いました。「あなたは、どなたですか」という問いかけに対して主は、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」とお答えになられたのです。そのイエスを信じる人たちを捕らえては牢屋に投げ入れていたサウロにとって、そのことばはどれほど衝撃的なことばだったかわかりません。彼はその主イエスとお会いしたとき地に倒れ、何も見えなくなってしまいました。そして、同行していた人に連れられてダマスコに入ったのです。

 一方ダマスコに、アナニヤという弟子がいましたが、あるとき主イエスがこのアナニヤに現れ、ご自分のみこころを示されました。それは、「まっすぐ」という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねるようにということでした。主は、いつでもすべてことをお膳立てしてくださいます。サウロの知らないところで働いていてくださり、彼の目が開かれ、立ち上がることができるように用意しておられたのです。そのアナニヤに祈ってもらうことによってサウロは、目からうろこのような物が落ちて、再び見えるようになりました。それは以前の見え方とは全く違う見え方でした。救い主イエス・キリストによって新しく生まれ変わった目で、物事を見ることかできるようになったのです。

 きょうは、このサウロの目からうろこが落ちて、目が見えるようになったことを通して、三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、神に焦点を合わせてということです。神様から「まっすぐ」という街路に行き、そこでタルソ人サウロを尋ねなさいと言われたアナニヤは、一瞬ためらいました。それはこのサウロがクリスチャンを迫害していた人物だったからです。そのアナニヤがサウロの元に行くようになったのはどうしてでしょうか。彼が人間の見方、考え方によってではなく、神の見方、考え方を持つことができたからです。いわば神に焦点を合わせたからでした。第二のことは、その結果です。私たちが神に焦点を合わせて生きるとき、神はご自身の御業を現してくださいます。神様は神に敵対していたサウロを救いへと導き、彼を福音の使者として用いられました。ここにキリスト教史上最大の伝道者が誕生したのです。ですから第三のことは、祈りなさいということです。すべは祈りによって導かれていきます。アナニヤが神に焦点を合わせることができたのは彼が祈っていたからであり、またサウロが変えられたのも、彼が祈りの中で神様のみこころを求めていたからです。祈りこそ私たちの目が開かれ、神に用いられていくために必要なことなのです。

 Ⅰ.神に焦点を合わせる

 まず第一に、神に焦点を合わせることです。10~16節までをご覧ください。

「さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、『アナニヤよ』と言われたので、『主よ。ここにおります』と答えた。すると主はこう仰せられた。『立って、「まっすぐ」という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者が入って来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。』しかし、アナニヤはこう答えた。『主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。』しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。』」

 クリスチャンを迫害するために、いきりたっていたサウロは、ダマスコまで出かけて行きましたが、ちょうどダマスコの町の近くまで来たとき、主イエスと出会い、捕らえられてしまいました。一方、ダマスコではというと、主はアナニヤという弟子に現れ、ご自分のみこころを示しながら、そのご計画を着々と進めておられました。

 このアナニヤという弟子は、聖書の中にはここにしか出て来ない人物で、サウロの回心の時にだけ用いられた器です。もちろん、これだけのことをした器ですから、忠実に証しをしていた信仰者であったに違いありません。彼がどれほど信仰に歩んでいた人であったかは、主が幻の中で彼に、「アナニヤよ」と呼びかけられたとき、彼がどのように答えたかを見ればわかります。彼は、「主よ。ここにおります」と答えています。これは、その昔アブラハムに、また、モーセに、そしてサムエルに語りかけられたとき、彼らが答えたことばと同じです。自分の名前を呼ばれて、「はい、主よ、ここにおります」と答えることのできる人は、「主よ。どんなことがあっても、あなたにお従いする用意ができています」という意志の表れであり、いつも信仰によって、神様の前を歩んでいる人です。アナニヤは、まさにそういう人だったのです。

 そのアナニヤに対して主は、「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。」と言われました。この「まっすぐ」という街路は、今でもダマスコにあるそうです。「ダルブ・アル・ムスタキム」と呼ばれていて、ダマスコの町を東西に走っている大通りで、1,800メートルもまっすぐに走っているため、このように名付けられたと言われています。この「まっすぐ」という街路に行くようにと、主は言われたのです。いったい何のためでしょうか。そこにサウロという人がいて、彼は、アナニヤという人が入って来て、自分の上に手を置くと、再び目が見えるようになるのを、幻で見ていたからです。

 しかし、さすがのアナニヤも躊躇します。なぜなら、このサウロこそ、エルサレムで多くのクリスチャンを苦しめてきた人であり、ダマスコに来たのも、「あなたの御名を呼ぶ者たち」、すなわち、クリスチャンを迫害するためだったからです。そのサウロが、いったいどうやって回心するようなことがあるでしょうか。そんなことは考えられないことです。そこでアナニヤはそのように主に申し上げると、主は次のように言われました。15,16節です。

「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」

 そのような危惧を抱いていたアナニヤに対して、主は「行きなさい」と言われました。なぜそのように言われたのでしょうか。なぜなら、「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器」だからです。あの人は、クリスチャンを迫害するために来たひどい人で、あんな人が救われるはずがないと考えるのは、ちっぽけな人間の経験に基づく知恵にすぎないことであって、主のお考えでは、そうではないのです。主は、そんなサウロを選び、ご自身の御名をすべての人たちの前に運ぶ器として選んでおられるのです。人間はいつも、自分の経験ですべてのことを割り出して考えるもので、なかなかその枠から抜け出すことができませんが、神様はそうではありません。神様は、そのようなちっぽけな枠に縛られずに、自由に考え、行動することがおできになる方なのです。この方は、人間的には全く救われる可能性がないようなサウロさえも捕らえ、彼をその名を宣べ伝える器に変えることがおできになるのです。

 これが神様のなさることです。神様は、私たちの思いや考えといったものをはるかに超えて偉大なことをなされます。大切なことは、そうしたちっぽけな自分の考えや感情に縛られるのではなく、神様に焦点を合わせ、神が何を願っておられるのかを知り、それに従って行くことです。

 今年ももうすぐクリスマスがやって来ます。神が人となってこの世に来てくださったということは驚くべきことです。ある人が言いました。それは人間が豚以上になることだ・・・と。全く聖い、聖なる、聖なる、聖なる神が、私たちと同じような肉を取られたのですから。しかし、このクリスマスが実現するために、どうしても見過ごしてはならないことがあります。それは、主イエスの母マリヤを妻として受け入れたヨセフの信仰です。処女マリヤが身ごもるなどということがどうして起こるでしょう。お産の専門家に聞いたら笑われてしまいます。そんなことは生物学的にあり得ない・・・と。それは生物学的にだけでなく、人間の常識を越えたことです。はじめヨセフもそう思いました。そして、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密にさらせようとしたのです。そんなヨセフがなぜ彼女を妻として受け入れることができたのでしょうか。それは、彼が神の言葉を聞いたからです。彼がこのことで思いめぐらしていたとき、主の使いが彼に現れて言いました。

「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているのは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスと名付けなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:20-21)

 そこで彼は、眠りから覚めると、主の使いが命じられたとおりに、その妻を迎え入れたのです。それは人間の常識を越えたものでしたが、そうした人間の常識を越えた神のみこころに焦点を合わせ、それに従ったとき、すばらしい神の御業が現れたのです。

 それは私たちの人生も、教会も同じです。自分の考えや思いにとらわれるのではなく、神のみこころに焦点を合わせて生きることです。たとえそれが自分の考えや感情に合わないことであったとしても、神様のみこころに合わせて生きるなら、私たちの思いをはるかに超えたすばらしいことを、神様はなさってくださるのです。では、このアナニヤに、神様はどんなすばらしいことをしてくださったでしょうか。17~19節をご覧ください。

 Ⅱ.目が見えるようになったサウロ

「そこでアナニヤは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。』するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた。」
 
 主のご命令のとおりに、アナニヤがユダの家に行くと、そこにサウロがいたので、アナニヤは、彼の上に手を置いて祈りました。「兄弟サウロ。あなたの来る途中、あなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです」と。

 ここでアナニヤはサウロを「兄弟」と呼んでいます。クリスチャンを迫害するために遠いダマスコまで追いかけてきたサウロは、教会にとっては最大の敵であったはずなのに、そのサウロを彼は「兄弟」と呼んだのです。教会に来るとよく・・兄とか、・・姉とかといった呼び方をしますが、それは霊の家族としての親しみを込めてのことです。アナニヤはここでサウロをその兄弟と呼んだのは、彼がそうなるべき人であることを示されていたからで、それを受け入れていたからでしょう。この時すでに、アナニヤの中にはサウロに対する人間的な見方、思いは無くなっていました。

 さて、アナニヤはサウロに対して「兄弟」と呼びかけると、自分がここに来た理由を語ります。それは、「あなたの来る途中、あなたに現れてくださった主イエスが、あなたの目が再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」これは何のことかというと、サウロが救われ、こころの目が開かれるために遣わされたということです。「目から鱗」ということわざがありますが、それは聖書のこの箇所から来ています。あることをきっかけとして急に物事の真相や本質がわかるようになることです。この「うろこ」ということばは英訳を見ると「fish scales(うろこ)」と書かれています。目からうろこが落ちるようなことがあるのかと、ある人はこれを医学的に調べ、これはきっとかさぶたみたいなものが落ちることだとか、白内障のことだなどと言った人がいますが、そういうことではありません。実際にサウロの目から何かの物質がボロッと落ちたのではなく、今まで見えなかったことが見えるようになった。その見えなかったものとは何かというと、霊的な真理です。サウロが迫害していたイエスとはだれなのか。この方こそ、聖書に約束されていた救い主、キリストであったということがはっきりわかったということです。ですから、ここでアナニヤは「あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです」と言っているのです。サウロの場合、肉眼が開かれることが、霊の眼が開かれることを象徴的に表していたのです。神様は、この時まで闇の中に生きていたサウロの人生を180度変え、回心に導き、キリストの喜びの証人へと変えてくださったのです。 私たちも、聖書のみことばの光に照らされるとき、目からうろこが落ちるという経験をすることがあるのです。

 さて、目からうろこが落ちる経験をしたサウロはどうなったでしょうか。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいたかと思うと、ただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝えました。クリスチャン、サウロ、伝道者パウロの誕生です。あれほど神に敵対し、教会を迫害していたサウロが救われたのです。それはまさにアメージングです。驚くべきことです。それはおそらく、創価学会の指導者がクリスチャンになるようなもので、考えられないことです。私も、これまで何度か他宗教の方に伝道したことがありますが、なかなか困難です。世界宣教でも、共産圏やイスラム圏に伝道するのが難しいと言われているのがわかります。ましてユダヤ教の律法学者として、それなりの地位にあったサウロが回心するということはなかなか考えられないことでしたが、そのサウロが救われたのですから、本当
に驚きです。いったいなぜこのようなことが起こるのでしょうか。

「それは、人にはできないことですが、神には、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」(マルコ10:27)

 それは人にはできないことですが、神にはできるのです。神にはどんなことでもできます。ですから、自分のちっぽけな考えや思いを捨てて、神のみ声に従わなければならないのです。アナニヤにとってサウロに会うということは相当の勇気が必要だったと思いますが、彼が自分の思いや感情にではなく、神のみこころに焦点を絞って生きていたからこそ、このような偉大なことが起こったのです。
私たちに必要なことは、アナニヤのように、いつでも、どこでも、どういう形でも主に用いられる者となるために、備えていなければならないということです。
では、どのようにして備えていたらいいのでしょうか。ですから第三のことは、祈りなさいということです。

 Ⅲ.彼は祈っています

もう一度10節を振り返ってみましょう。このアナニヤが神様からみ声をいただいたのはいつ、どんな時だったでしょうか。それは彼が祈っていた時でした。ここには、主が彼に幻の中で、「アナニヤよ」と言われたことが書かれてあります。彼が幻を受けたのは、彼が祈っていた時のことです。神様はアナニヤが祈っていたとき、ご自分のみこころを示してくださったのです。クリスチャンとは、祈りを通してすべきことを聞き、行動する人です。祈る人に主は、偉大な奥義を見させてくださるのです。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたの知らない大いなることをあなたに示そう。」(エレミヤ33:3)

とあるとおりです。

 それはサウロも同じでした。11節を見ると、「そこで、彼は祈っています」とあります。サウロはダマスコにいた三日間、何も飲み食いしませんでしたが、それは、彼の食欲がなかったからではありません。彼が飲み食いしなかったのは、祈っていたからだったのです。すなわち、サウロはダマスコにいた三日間、断食して祈っていた。その祈りの中で、アナニヤという人がやって来て、自分の上に手を置くと、目が見えるようになるということを、幻で示されていたのでした。サウロもアナニヤも、共に祈りの中で神様に導かれていたのです。このように、祈る人に神様は、ご自身のみこころを示し、導いてくださいます。そして、決して救われることがないと思われたサウロが救われるという、すばらしい御業をなさってくださるのです。ですから、私たちは神様のみこころを知り、そのみこころに従うために、祈らなければなりません。そのときに主は、私たちがすべきことを示し、導いてくださるのです。

 紀元354年、キリスト教最大の神学者アウグスティヌスが、アフリカのチュニジアで生まれました。彼の名は、昔の皇帝にちなんで、アウグスチヌスとつけられました。父はその地方の中産階級の地主で、死ぬ少し前にキリスト教に改宗。母モニカは熱心なキリスト者でした。両親はアウグスチヌスの出世を願ってせっせと勉強させ、その上で、身分の高い家からお嫁さんを迎えて一門の繁栄をはかりたいと考えていました。いわゆる”この世の幸福”を追いかけていたのです。  父の死後、アウグスチヌスは16歳になって、勉学のため、ひとりで、遠くの大きな町カルタゴへ行きました。しかし、その時代の性的にだらしない空気を吸って、たちまちに乱れた生活になり、ある身分の低い女性と同棲を始め、2年後には子供も生まれたのです。その上、あろうことか、マニ教に入信してしまったのです。母モニカは頭をガツーンと殴られた思いになりました。自分のそれまでの、この世的な信仰、虚栄を追う生き方の悔い改めを迫られたのです。
 マニ教は一見キリスト教に似てはいたのですが、その本質は、新興宗教でありました。ですから、母モニカは、息子の所に押しかけ、何度も言い聞かせ、マニ教から引き離そうとしました。しかし、息子はいくら言っても聞き入れませんでした。それが母モニカの信仰を冒涜するものにすら思えたので、食卓をともにすることを拒否したりもしました。モニカは、自分のこれまでのいい加減な生き方を悔い改めつつ、息子の立ち返りを、涙ながらに祈りました。毎日毎日、足元の地面がぬれるほどに、涙を流して祈りました。

 ある時、夢の中で、大きな大きな三角定規を見ました。その上にモニカが立っていると、輝くばかりの、晴れやかな青年がやってきて、にこやかに語りかけてきました。「モニカよ、なぜ泣いているのか。」と。そこでモニカが「息子の命が滅びるのを嘆いているのです。」と答えると、「安心して、よく見なさい。」というのです。そこでじっと見ると、大きな定規のはるか彼方の向こうの方に、小さい小さい人が立っているではありませんか。それはわが子アウグスチヌスのようでした。「あなたの立っている定規の上にいずれ彼もいるようになるでしょう。」と彼は言うのです。それで、少し希望が出てきて、慰められました。

 それでも、現実の事態は一向に良くなりません。そこでモニカは教会の司祭の所に行って、頼みこみました、息子に会って、マニ教の間違いをさとしてくれるように、と。すると、その司祭は、自分の体験を語りつつ、「今はそのままにしておきなさい、そして、主にひたすら祈りなさい」と言うのです。しかし、その言葉で安心できないモニカは、涙をながしながら、なおもその司祭に強くせがみました。すると、それを不愉快に思ったのかこう言いました、「さあ、帰りなさい。大丈夫。このような涙の子が滅びるはずがありません。」と。この言葉は天から響いたように、モニカには聞こえたのでした。

 それから9年間、息子は、マニ教にとらわれたまま。明けても暮れても変わる気配がありません。モニカには、息子が坂道を滅びに向かって下っているように見え、いつ立ち返るだろうか、と、嘆きつつ、祈り続けていました。
 そのうち、ある日、アウグスチヌスはマニ教の有名な指導者がカルタゴにやってくるというので、会いにでかけました。しかし、会ってみると、雄弁ではあっても、大事な点で無知であることがわかり、幻滅したのです。そこで、彼は、ローマへ行こうと計画したのです。

 母モニカはそれを伝え聞き、”ここでローマへやってしまったら、息子は永久に失われるのではないか”と恐れました。そして、ひどく嘆き悲しみながら、”ここは、是が非でも、息子を自分の町に連れ帰ろう”と堅く決心して、カルタゴの港に来ました。そして、彼を見つけて激しくつかまえて、”さあ、いっしょに帰ろう”と説得し、”帰らないなら自分も付いて行く”と言い張りました。それで困ったアウグスチヌスは、「今度、良い風が吹いて船が航海できるようになるまで出かけない、今夜は遅いので泊まろう」と嘘をついて、船着き場近くの、有名なキプリアヌス祈念堂に宿泊しました。ところが彼は、夜中にひそかに起きて、母を置き去りにして、早朝に出帆した船でローマに向かったのです。

 朝になって目を覚ましたモニカは、息子がいないことに気が付き、カルタゴの港を、船から船へと、息子の名を呼びながら探し回りました。しかし、アウグスチヌスの乗った船はもう見えなくなっていたのです。モニカは悲しみのあまり、狂気のようになって、いつまでも泣き叫んでいました。

 ローマに着いてから、アウグスチヌスは多くの立派なキリスト者と出会い、霊の眼が徐々に開かれていき、聖書の真の意味を理解できるようになっていきました。その後、仕事の都合でミラノに移り、そこであの有名な司教アンブロシウスに出会い、教えられ、聖書の語りかけが胸にひびくようになりました。しかし、そうなると、並行して、彼の中で、信じたい心と現実の悪い思いと間で戦いが起こり、苦悩が深まってきたのです。

 ある日、アウグスチヌスは下宿の裏庭に出て、悪い肉欲に抵抗できない自分の弱さが、つくづくとイヤになり、悲しくなり、木陰で倒れていました。すると、塀の向こうの隣りの家から、歌うような調子で、繰り返し「取って読め~、取ってよめ~」と言う、少年か少女のような声が聞こえてきたのです。このようなわらべ歌は一度も聞いたことがない、「その意味は何だろう?」と考えた次の瞬間、彼の顔色は変わりました。「そうだ!これは、聖書を開いて読め、という神の命令に違いない」と察したのです。彼は立ち上がって、すぐに部屋に入り、いつもの聖書を取って、さっと開いて、最初に目にとまったところを読みました。「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはなりません。」(ローマ13:13,14) それ以上は読もうとは思わず、その必要もありませんでした。ここを読み終わった瞬間、安心の光が心の中に注がれ、疑惑の闇が消え失せてしまったのです。

 このとき母モニカがミラノに来ていたので、彼は、早速そこへ行き、この回心を打ち明けました。すると、母は喜びのあまり泣き出し、大声で、”神様ありがとうございます”と感謝したのです。 彼が、受洗準備を経て、洗礼へと導かれたのは、それから間もなくのことでした。 このとき、アウグスチヌスは33歳。あのモニカが涙ながらに祈り始めたときから17年が経っていました。長い苦しい道のりでしたが、涙の祈りは確かにきかれたのです。

 それから、アウグスチヌスは、いろいろと思案した結果、アフリカに帰ることにして、ローマの港オステイアまで来たのですが、モニカはそこで急に亡くなくなりました。もう何の思い残すこともなく、感謝に満たされて、大安心を得て、天に召されたのでした。
 その後、アウグスチヌスは、たくさんの書物を著し、神学と哲学に素晴らしい貢献をして、史上最大の神学者になりました。モニカの祈りは特大の実を結んだのです。

 このような涙の子が滅びるわけがありません。涙して祈る祈りは、必ず答えられるのです。それがあの母モニカのように17年の歳月を要するような祈りかもしれませんが、神様は私たちの祈りに答えて偉大なことをしてくださるのです。アナニヤが祈りの中で主から幻をいただいたように、また、サウロが祈りの中で目が開かれる経験をしたように、私たちも祈りの中で神様からすべきことを教えられ、その示されたことに従うことによって、偉大な神の御業が現されていくのです。だから祈ってください。主が皆さんの人生にも、すばらしい御業をなしてくださるようにお祈りします。

使徒の働き9章1~9節 「イエスと出会った人」

 きょうは「イエスと出会った人」というタイトルでお話をしたいと思います。私たちはこれまで、ステパノの殉教をきっかけとして始まったキリスト教への迫害と、そのことで展開していったピリポのサマリヤでの伝道について学びました。ところが9章に入ってからルカは、サウロの回心の話を取り上げます。このサウロの回心はキリスト教の歴史にとってきわめて重大な出来事です。それは、この使徒の働きの中にこのことが三度も繰り返して記されていることからもわかります。(22:3-16、26:9-18)
 
 いったいどうなぜこの出来事がそれほどまでに重要なのでしょうか。第一に、これまでキリスト教を迫害していたサウロが回心しキリスト教に入信したことは、キリスト教そのものが真実なものであり、力があり、栄光に富んだものであるのかを示すのに十分な証拠になったという点です。第二に、この使徒の働きは1章8節のみことばにしたがって展開しているわけですが、それは彼らがエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、キリストの証人となっていくということでした。そして、このサウロの回心こそ、福音が地の果てにまでもたらされていくための始まりであったことです。そして第三に、私たちは先週までエチオピア人の宦官の救いについて学んできましたが、このサウロの回心はちょうどそれと対照的に描かれている点です。すなわち、あのエチオピア人の宦官は、自ら神を求め、遠く離れたエルサレムまで礼拝にやってきた、いわば神に対して非常に熱心な求道者で、聖書を読み、その解釈のためにはピリポを馬車の中に招くようなことまでした素直な入信者でしたが、それに引き替えこのサウロは、キリストを信じようとはこれっぽっちも思っていなかった人です。まったくの敵意と偏見しか持たず、クリスチャンに対しては話し合いをするどころか殺すことしか考えていなかった人なのです。そういう人でも回心させられた。この二つの回心の仕方には全くの違いがありますが、そのいずれも神の方法なのであって、神はいろいろな方法で導かれる方であることがわかります。そのことを示そうとしていたのではないかということです。

 では、このサウロはどのようにキリストに捕らえられていったのでしょうか。きょうは、そのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一に、サウロがキリストに出会う前の姿です。彼は熱心にクリスチャンを迫害していました。第二ことは、そんなサウロがキリストに捕らえられていった過程です。そして第三のことは、そのように捕らえられていく中で彼が経験した三日間の沈黙についてです。

 Ⅰ.クリスチャンを迫害していたサウロ

 まず第一に、クリスチャンを迫害していたサウロについてです。1-2節をご覧ください。

「さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺意に燃えて、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。」

 リビングバイブルによると、「さてサウロは、クリスチャンを全滅させてやろうと、闘志満々、エルサレムの大祭司のところへやって来ました」となっています。本気で伝道する人をね本気でぶち壊しにかかったということなのでしょう。どのようにぶち壊しにかかったのかというと、1節の「なおも」という言葉に表現されていると思います。サウロは、ステパノの殉教にも立ち会い、その後も教会を荒らし回っては、クリスチャンの家々に押し入り、男でも女でも引きずり出して、次々に牢に投げ入れていました。(8:3)しかし、クリスチャンに対する迫害の彼の熱意はそれで収まる程度のものではありませんでした。「なおも」主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えていたのです。その熱心さは、エルサレムから遠く約200キロメートルも離れていたダマスコまで手を伸ばしたほどです。エルサレムやユダヤにいるクリスチャンだけでなく、遠くに散らされて行ったクリスチャンまでも追いかけて迫害しようという執拗さです。さらに彼の熱心さは、大祭司のところへ行って、ダマスコの諸会堂あてに手紙を書いてくれるように頼んだことにもうかがえます。それは、このことが単に自分の一人の個人的な反対運動ではなく、正式な教会の戒規として、外地にいるユダヤ人クリスチャンを処罰したいがためでした。

いったいどうして彼は、それほどまでに主の弟子たちに対して敵対していたのでしょうか。それは、キリスト教を迫害することが、真の神に対して忠実を尽くす行為であると確信していたからです。彼は、徹底した律法学者であり、神と律法に対する忠実さにおいては、だれにも引けをとらないほどの自信があった人ですが、その彼の考えによると、十字架にかけられたような者はのろわれた者であるということでした。というのは、旧約聖書には、「木にかけられる者はすべてのろわれた者である」と書かれてあったからです。(申命21:23)それがよみがえっただの、神であるだのと言うことは考えられないことであり、神を冒涜すること以外のなにものでもなく、断じて許し難いことだったのです。そういうことは決して許しておいてはならないといった思いが、そうした狂気じみた行動へと走らせていたのです。サウロの間違った知識と間違った熱心は、彼の人生を間違った道へと導いていったのです。

 皆さん、熱心であることが必ず正しいこととは限りません。大切なことは、その熱心が正しい知識に基づいていることです。私たちはあまりにも熱心なあまりに、回りが見えないことがあります。そのために、その熱心さが思わぬ破壊的な結果をもたらしてしまうことがあるのです。ですから大切なことは、真理を知ることです。その上で進むべき道を悟りながら、その道を進んでいくことです。では、真理とは何でしょうか。イエスは次のように言われました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)

 イエスが道であり、真理です。いのちです。だれでも、イエスを通してでなければ神のもとに行くことはできません。神のもとに到達するための唯一の道は、イエスなのです。多くの人がこの道を見いだすことができずに彷徨っています。しかし、そんな目が見えず、耳がふさがれている弱い私たちに真理を示すために、イエスはこの世に来てくださいました。ですから、このイエスに出会うなら、真理を知り、進むべき道がわかり、なすべき使命をはっきりと見えるようになるのです。

 Ⅱ.イエスに出会ったサウロ

 第二に、そのサウロがイエスに出会った過程を見たいと思います。3-7節をご覧ください。

「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか』という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。」

 サウロとはアラム語の名前で、一般には、ギリシャ人がわかるように、パウロと言われています。そのサウロが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、そこで不思議な経験をします。天からの光を受けて地に倒れ、そこで「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いたのです。この点からの光は、太陽の光ではありません。26:13のところでルカは、「正午ごろ・・・・私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの周りを照らしたのです。」とあることからもわかります。それは太陽よりももっと明るい光で、同行している人には見えず、サウロひとりにだけ見えた超自然的な光でした。また、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声も、7節を見ると、この声は同行者にも聞こえましたが、だれも見えないので、ものを言わずに立っていたとありますから、これもまた、サウロだけに呼びかけた超自然的なことばであったと言えるでしょう。ある人たちは、この時サウロが見た光や声は、彼が暑い砂漠を旅する中で疲れ、日射病か何かにかかったために見たり、聞いたりした幻覚、幻聴ではなかったかと言う人がいますが、そうではありません。これはパウロ以外の何人かの人たちも目撃していたことからもわかるように、実際にあった出来事だったのです。

 ところで、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という言葉は、大変奇妙な表現です。サウロが迫害していたのは、クリスチャンや、その教会であって、主イエスに対してしたことではなかったからです。しかし、「これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25:40)とイエス様が言われたように、クリスチャンに手をつけるということは、即キリストに手をつけるということだったのです。ですから、主イエスははサウロに対して、「なぜわたしを迫害するのか」と言われたのです。

 するとサウロはすかさず尋ねます。「主よ。あなたはどなたですか」と。これまで主に対して忠実に、また熱心に奉仕してきたと思っていたサウロにとって、そのいわれもない言葉にびっくりしたのでしょう。「主よ。あなたはどなたなのですか」と尋ねたのです。すると主はこのように言われました。5-6節です。

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」

 この「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」の「私」と「あなた」という言葉は、原語ではとても強調されていることばです。すなわち、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」ということです。それはどういうことかというと、「わたし」と「あなた」という1対1の人格的な関係を表しているということです。つまり、イエス様はサウロとそうした1対1の人格的な関係の中で、彼の自己認識というものを変えようとしておられたのです。私たちは、自分を変えよう、変えようと思っていても、なかなか変えられるものではありません。そんな自分が変えられるのはどういう時かというと、自分とは違う他の人格と向き合う時なのです。他の人格と向き合うとき、初めて自分の姿が見えてくるのです。たとえば、よく人は思春期・青春期になって恋をすると、自分でも不思議なくらい、またはた目で見ていてもおかしいくらいに変わることがあります。それはどうしてかというと、そうした恋愛の中で他の人格と向き合っているからなのです。そうすることによって自分が見えてくる。その中で「こうしよう」という気持ちが起こってくるからです。この時も同じように、イエス様はサウロを「わたし」と「あなた」という1対1の人格的な関係の中に入れることによって、サウロがそれまで見ることのできなかった自分の姿を見せようとされたのです。

 ところで、主イエスはここで、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と言われました。いったいこれはどういう意味なのでしょうか。第一にそれは、十字架で死んだイエスが、今も生きておられるということです。あの十字架で死んだイエスが、復活しているということです。エルサレムで弟子たちが言っていたことはほんとうだったということであります。

 第二にそれは、このイエスがただ生きておられるというだけでなく、栄光の主であられるということです。これまで彼は、木にかけられた者は、のろわれた者であるという旧約聖書のみことばから、このイエスを主とも、キリストとも主張していたクリスチャンを迫害することこそ正しいことであり、神への奉仕であると信じていたのに、そのイエスが何と神からの祝福を受け、栄光のうちに生きておられるということは考えられないことであり、それまで自分のやってきたことが間違いであったということです。

 第三にそれは単に間違いであったいうだけでなく、神に対する大きな罪であったということです。たとえ知らないでしたこととはいえ、クリスチャンを迫害したことは、神であり、主でもあられるイエスを迫害することでもありましたから、それこそ神に対する最大の罪、最大の冒涜でありました。

 そして第四のことは、そうした大きな罪人である者に対しても、主イエスは深いあわれみと赦しをもたらしてくださったということです。サウロがこれまでやってきたことは主に対する反逆であったとしたら、どうしても赦されることのない悪と罪の窮みですが、そんな彼に対して主イエスは、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と語りかけてくださいました。長々とした説教ではなく、ただ一言「あなたが迫害している」「迫害してきたイエスである」・・と。それは、そのような彼でも赦されるに値する者であるという、神からの愛のメッセージだったのです。

 「あわれみ」とは、受ける資格のない者が受ける親切のことです。そういう意味で彼は、神からあわれみを受けるはずのない者でしたが、それでも主イエスは、彼を赦そうとしておられたのです。ですから彼は、次のように告白しました。

「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、みことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです」(Iテモテ1:15)

 罪人のかしらなような者でも愛され、赦されるとしたら、それはただ神のあわれみでしかありません。サウロはそのあわれみを受けたのです。それは彼だけでなく、主イエスを信じるすべての人への約束でもあります。どんな人でも、罪を悔い改め、主イエスを信じるなら、主はすべての罪を赦してくださるのです。

 サウロは、この復活の主イエスと出会った瞬間に、これまで抱いたいた彼の信念といったものが、こっぱみじんに砕かれ、彼の人生は完全にひっくり返りました。「こういうことはあり得ない」「こうでなければならない」と信じ切っていた人が、「実はそうではなかった」と、自分の知識の誤りや認識の足りなさ、視野の狭さといったものに気づかせられるということは、決して小さなショックではありません。特に知的に正直で良心的に生きてきた人には、それが2日も3日も考え込まされるほど、愕然とした驚きでありましょう。それはまた全生活の革命を引き起こすほどのものかもしれません。しかしそれは、私たちが神の人へと変えられていくためにどうしても必要な変革でもあるのです。そしてそれは、主イエスと出会うことによってのみもたらされていくのです。

 韓国の梨花女子大学名誉教授で、元韓国文化部の初代大臣であり、韓国で最も成功した10人のひとりに選ばれたイ・オリョンさんは、2007年に主イエスを受け入れ、洗礼を受けた人です。彼はその輝かしい経歴の中で、どうしてイエスを信じるようになったのかについて訪ねられたとき、次のように答えました。

「私はトマスです。目で見なければ信じない知識人です。しかし、トマスも水に溺れればじたばたもがき、大きな絶望に陥ればヨブのように叫ぶのです」

 彼は、自分の娘さんの病気を通して、自分にも限界があることを知り、そして主に叫んだ結果、主がその祈りに答えてくださり、娘をいやしてくださいました。その出来事を通して、完全に主の御前にへりくだることを学んだのです。
 そして彼は、「うさぎと亀」の童話を例に挙げてこう言いました。

「洗礼を受ける前はウサギでした。ただ自分を信じてしっかりしなければならないという思いで生きてきました。ところがそれは誤りで、実は私は亀なのです。これまで誤った人生を生きて来て、どれほど多くの不足があったことか。傲慢を捨てたことが最も大きな変化です。」

 彼はウサギから亀になりました。これまで抱いていた信念が、砕かれるという経験は大きな痛みが伴うものだったと思いますが、しかし、そのような経験を通して自分ではなく、神により頼むことを学ぶことかできたのです。彼は、主イエスに出会うことで、自我が砕かれ、神に信頼する者へと変えられたのです。

 イエス・キリストとの出会いは、今までのサウロの人生を根底から揺さぶりました。あらゆる経験、知識、信仰観、世界観などのすべてをひっくり返しました。私たちの人生もまた、真であられる主イエスに出会うときに変えられていくのです。真理であられるイエスに出会った瞬間に、人生のまことの価値を発見することができるようになるのです。私たちの信仰生活とは、日々、このイエスと出会うことなのです。

 Ⅲ.ダマスコでの三日間の経験 

 最後に、イエスに出会ったサウロが、どのように変えられたのかを見て終わりたいと思います。たいと思います。8-9節をご覧ください。

「サウロは地面から立ち上がったが、目は開いていても何も見えなかった。そこで人々は彼の手を引いて、ダマスコへつれて行った。彼は三日の間、目が見えず、また飲み食いもしなかった。」

 ダマスコの近くで光を見たサウロは、イエスが現れて「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と言われると、目が見えなくなりました。目が開いていても、何も見えなかったのです。それはイエス・キリストと出会った彼の中に、ものすごい衝撃が押し寄せてきたからです。その衝撃のあまりの強さに、サウロは何も見ることも、飲み食いすることもできませんでした。そして、このような現象は三日間続きました。聖書で「3」は完全数を表しています。イエス・キリストとの出会いは、サウロに三日間、死のような過程を通らせました。それはイエス・キリストが十字架で死なれ、葬られ、三日間よみにいたようにです。しかし、イエス様は三日目によみがえられました。ちょうどそれと同じように、サウロは、パウロになる前に、三日間、完全に低められる経験をしたのです。死ぬという経験です。それは私たちがキリストにある人となるためにも必要なことです。私たちはこの世の人からキリストにある神の人となるために、この世に対して完全に死ななければならないのです。そうしてこそ、イエス・キリストとの真実な出会いを経験することかできるからです。

 皆さんにとってのダマスコとは何でしょうか。サウロは神を喜ばせる人生を生きるために、自分の人生をささげた人でした。しかし、かつては間違った知識と価値観によって、間違った方向へと導かれていました。それがダマスコにおいて矯正されたのです。イエスがキリストであることがわかったのです。皆さんにはサウロのような間違った先入観はないでしょうか。皆さんが知っているイエスとはどのような方ですか。皆さんの人生において心を占めているものは何ですか。イエス・キリストを信じ、教会に通っていても、実際の生活の中でイエス・キリスト以外のものを追い求めていることはないでしょうか。もしそのようなことがあるとしたら、それこそ熱心にダマスコに向かっていたサウロと同じではないでしょうか。このサウロがパウロになるために、三日間のダマスコでの経験が必要であったように、私たちも歩みを止め、イエスの御声に耳を傾けなければならないのです。そこでイエスに出会わなければなりません。そこでサウロのように悔い改め、主に人生を明け渡さなければならないのです。そのときサウロがパウロに返られたように、私たちも神の器へと変えられていくのです。そして、今まで迫害していたイエスのために、いのちまでもささげるようになります。ですから、今日、イエスの御前に進み出て行きましょう。イエスのもとに出る者に、主は真理を示してくださり、栄光から栄光へと主と同じ姿へと変えてくださるのです。

使徒の働き8章26~40節 「救いの喜び」

 きょうは、「救いの喜び」というタイトルでお話したいと思います。きょうのタイトルは39節からとりました。「水からあがって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」

 ステパノの迫害によって散らされた信徒たちは、みことばを宣べながら、巡り歩きましたが、その一人ピリポはサマリヤの町に下って、そこでキリストを宣べ伝えますと、多くの人たちがイエス・キリストを信じて、バプテスマを受けました。そればかりでなく、その町で魔術を行って人々を驚かしていたシモンも信じるほどでした。

 そして、このピリポの伝道はさらに続きます。26節を見ると、主の使いがピリポを、今度はガザという荒れ果てた所へ導きます。彼はその道でエチオピア人に伝道して救いに導いたかと思ったら、39節では、また主の霊に連れ去られ、それからアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行ったのです。実にめまぐるしい巡回伝道旅行です。しかし、彼が次に登場するのは21:8-9ですが、そこにもまだカイザリヤに住んでいて、四人の成人した娘とともにいると記されてありますから、カイザリヤでやっと落ち着いたのでしょう。ともかく、このサマリヤで伝道した頃や、エチオピアで伝道した頃というのは、彼にとっても特に動きがあったというか、ドラマチックな伝道の働きが多かったのだと思います。
 そのピリポが次に遣わされた所は、ガザという所でした。そこでエチオピア人の宦官と出会い、彼に主イエスのことを宣べ伝えて、救いに導くわけです。

 きょうは、このエチオピア人の宦官が救いに導かれていった過程から、救いの喜びについて三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、ガザに導かれたピリポについてです。第二のことは、エチオピア人の宦官が救いに導かれていく過程です。第三のことは、彼が救われバプテスマに導かれた様子です。この三つのことを見ていきましょう。

 Ⅰ.ガザに下る道に出なさい

 まず第一に、ピリポがガザに導かれていった記述を見てみましょう。26,27節をご覧ください。

「ところが、主の使いがピリポに向かってこう言った。『立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。』(このガザは今、あれ果てている。)そこで、彼は立って出かけた。すると、そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためにエルサレムに上り・・・」

 エルサレムで多くの人々が主イエス様を信じたとき、突然主の使いが彼に、「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」と言われました。ガザは、エルサレムから南西に、直線距離にして80㎞にあります。日本語の訳ではこのガザについて、ルカが注釈を加えたかのようになっていますが、実際には下の欄外にあるように、「これは荒れ果てた道である」というだけのことです。つまり、エルサレムからガザに下る道はいくつかありましたが、私の言っているのは荒野に下る道のことだと付け加えているのです。それにしても、サマリヤでの伝道で大活躍していたピリポを、こんな人影少ない、荒野の道に下らせるというのは、人間の計算には合わない非能率的な配置転換であったかのように見えます。いったい神様はなぜこんなことをされたのでしょうか。

 それは27節を見るとわかりますが、主の使いに言われた通りにピリポが出て行きますと、そこにエチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人が通りかかります。そうです、神様はこのエチオピア人の宦官に出会わせるために、ピリポをわざわざこの荒れ果てた道へと遣わされたのです。ピリポにとってもこのエチオピア人にとっても、それは未知の遭遇であったかもしれませんが、すべてをご存知であられる神様は、明らかに二人がここで会うようにと導いておられたのです。

 時として神様は、私たちを荒野へと導かれることがありますが、けれども、そこには人間の考えや思いをはるかに超えた神様の導きがあるのです。であるならば、たとえ自分が思っていなかったような道に導かれたり、願ってはいないような道を歩くことがあっても、そのことを嘆いたり、つぶやいたりしないで、そうした中にも神様の導きがあると信じて、一歩一歩進んでいかなければならないのです。いったいそこにどんな意味があるのかわからなくても、やがて時が来て、神様はその意味についても示してくださることでしょう。ですから、たとえそれが荒野であったとしても、神様が示してくださったのならば、導かれるままに進んで行かなければなりません。そうすれば、そこに主が備えておられる人がいて、その人と出会わせてくださるのです。

 Ⅱ.どうか教えてください

 次に、このエチオピア人の宦官に救いに導かれていった過程を見ていきましょう。27~35節をご覧ください。

 ピリポがガザに下って行ったとき、そこで出会ったのはエチオピア人の女王カカンダケの高官で、女王の財産全部を管理していた宦官のエチオピア人でした。「カンダケ」とは、エジプトの王を「パロ」、ローマの皇帝を「カイザル」と言うように、エチオピア人の女王の称号です。この人はエチオピア人の女王から信任され、女王の財産全部を管理していた高官でした。どうして彼がこんな所にいたのかというと、彼は礼拝のためにエルサレムに上り、まさにいま馬車に乗って帰る途中だったからです。

 それにしても、このエチオピア人は宦官であったと紹介されています。宦官とは男性の生殖器官が切除された人のことです。古代では女王のそばで仕える官吏は、大概このように生殖器官が取り除かれた宦官でした。しかし、旧約聖書申命記23:1によると、このように生殖器官が取り除かれた人はみな汚れた者とみなされ、心で改宗していても割礼を受けることができなかったので、エルサレムの神殿の外庭からしか入ることが許されず、そこで礼拝するしかなかったのです。いわば、神から拒絶されていたかのようであったということです。そればかりではありません。彼が住んでいたエチオピアという所は、南の果ての異国とみなされていました。社会的にも見下げられていた人だったのです。にもかかわらず彼は、延々千数百㎞以上、日本でいえば九州から北海道まで旅をして巡礼したのですから、その求道心は並々ならぬものがありました。それほどの犠牲を払ってまで彼は、神を礼拝することに熱心でした。

 私たちがだれかを知ろうとするとき、一番手っ取り早い方法は、その本人と会うことです。それが昔の人であったとか、外国の人でなかなか会うことが難しいという場合は別ですが、会おうと思えば会うことができる近くにいる人でその人のことを知りたいと思うなら、まずその人のところに行って、その人の話を聞きます。神を知るときも同じです。私たちが神を知りたいと思うなら、神に会いに行くのが一番わかりやすく、正しい道です。その神に会う道こそ礼拝なのです。なのにその礼拝に行こうとしないで、まず一人で聖書を読んだり、キリスト教の書物を読み、だいたいわかってから礼拝に行こうというのは、その心構えからして間違っているのです。だいいち、キリスト教の書物の中にもいろいろな書物があって、どれを読んだらいいかすらわからないで悩んでしまうのが現実です。ですから、神を知りたいと思うなら、まず教会の礼拝に行って、そこで神に出会うのが一番いいのです。

 中には、いや、礼拝に行ってはみたけれど、何を言ってるのかチンプンカンプンで、何の益も得られなかったから、別に行く意味がないと性急な判断をされる方もおられますが、礼拝の益というのは、礼拝堂にいるうちからひしひしと感じ出すとは限りません。このエチオピア人にしても、果たして礼拝でどれほどの益を受けることができたでしょうか。神殿の外庭で、たたずんでいる感じで、日頃の疑問に解答を得たかというと、そうでもなかったのではないかと思います。彼はその帰路、イザヤ書という有名な聖書を読んでいても、「導く人がいなければ、どうしてわかりましょう」と言っています。彼は、聖書のきわめて基本的な事柄すら、わかりませんでした。こんな状態で礼拝に出たって、どれだけ光が得られたかわかりません。しかし、神様は彼をむなしく帰されはしませんでした。そこに伝道者を備え、待ち受けさせてくださったのです。つまり神様は、礼拝の帰り道で、すばらしい恵みをもって彼に会ってくださったのです。礼拝で神様に会えたらもっとすばらしいですが、たとえそうでなくても、礼拝で神様にお会いしたいという思いは、必ず報いられるのです。ですから、性急に判断しないで、執念深く礼拝に出席し続けることが大切です。

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(ルカ11:9,10)

 とあるとおりです。

 それから、このエチオピア人のすばらしかった点は、彼が求道者であったにもかかわらず、自分の聖書を持って、読んでいた点です。当時は、今日のように印刷された聖書が簡単に手に入る時代ではありませんでした。手で筆者された聖書は、かなりの高価なものだったに違いありません。ですから、だれもが入手できるわけではなかったのです。おそらく彼は、それをエルサレムで購入したのでしょう。それを馬車の上で読んでいたのです。今日のように舗装された道路ではないガタガタした道を走る馬車の上で、体を揺られながら、必死で読んでいた。このような求道者を、どうして神様がいつまでも見過ごされるというようなことがありましょうか。

 私は小さな頃教会学校に行っていましたが、それでも聖書そのものを読んだことはありませんでした。そんな私が最初に聖書を手にしたのは、中学生のときに校門の前で配られた赤い表紙の新約聖書でした。いま思うとそれは、国際ギデオン協会で配布してくださった聖書でした。私は聖書にはどんなことが書いてあるかと思って興味を持ち、友達から馬鹿にされないようにその聖書をそっとかばんの中に入れ、家に帰ってからわくわくしながら開きましたら、そこには次のようにかかれてありました。「アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、ユダに、タマルによってパレスとラザが生まれ・・・」(マタイ1:1~3)この箇所を読んだとき、「何だこれは・・」と思って、すぐに読むのを止めて寝てしまいました。それからというもの、滅多に聖書を開くということはありませんでしたが、不思議なことに、その後何度か家を引っ越すことがあっても、その聖書だけはずっと大事に取ってありました。本が嫌いな私が、いかにも学がありそうなふりをして、本棚をこっひりと飾っていたのです。
 しかし、どんなに難解な箇所があっても、何回読んでもわからない箇所でも、それでもコツコツと読んでいる人には、神様は必ず、聖書のあちこちの箇所を通して、真理を示してくださるのです。

 日本にプロテスタントが来日し宣教を開始してから今年で150年を迎えましたが、その前にもフランシスコ・ザビエルなど、いわゆるキリシタン・バテレンを通して1549年から始まっていましたが、徳川幕府の鎖国政策によって、キリスト教は忘れ去られ、信徒は隠れキリシタンとなり、宣教はなかなか進みませんでした。この日本における宣教の最大の失敗は、最初にキリスト教が日本に入ってきたときに、それを日本語に訳さなかったことにあるといっても過言ではないでしょう。そのために最初の人たちは自分たちで聖書を読むことができなかったのです。

 しかし、このエチオピア人はそうではありませんでした。彼が持っていたのはおそらくアレキサンドリヤで紀元前2世紀にギリシャ語に訳された、旧約聖書のギリシャ語訳、いわゆる「七十人訳聖書」だったと思いますが、それを購入し、それをコツコツと読んでいました。だからこそ、このような形でもっと理解する機会が与えられたのです。聖書のどこを読んだらいいのか、どのように読んだらいいのかについて、それを助けるための本も出ています。「リビングライフ」とか「幸いな人」です。そんなにいっぱい読めないという人のためには「アパールーム」というものも出ています。これはその日の箇所の中心的な1節だけを取り出し、それについて黙想できるようなコラムが掲載されています。どれがよいかはその人のレベルによっても違いますが、大切なのは、わかっても、わからなくても、それをコツコツと読んでいくことです。そうすれば、神様は必ず真理を示してくださるでしょう。

 それから、このエチオピア人の求道のすばらしかった点は、彼が導く人を求めたことです。29~31節には、御霊がピリポに、「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われると、ピリポは馬車に走って行って行きました。馬車に近づいていけるほどのスピードですから、かなり足が速かったんでしょうね。先の世界陸上男子100メートル決勝では、ジャマイカのウサイン・ボルトが9.58の驚異的な世界新記録で優勝しまたが、それに勝るとも劣らないスピードだったかもしれません。馬車に近づいていけたスピードだったんですから・・・。それで、馬車に近づいてみると、エチオピアの宦官は預言者イザヤの書を読んでいたので、ピリポは、「あなたは、読んでいることがわかりますか」と尋ねると、彼は言いました。「導く人がいなければ、どうしてわかりましょう」そして、馬車に乗って、いっしょにすわるようにとピリポに頼んみました。

 このエチオピア人は、みずから聖書を読みながらも、謙虚になって自分の無力さを認め、指導と解説を求めたのです。実際、自分で聖書を読めば読むほど、質問と疑問がわいてくるので、それを解説してくれる人の必要性というものを感じるものです。そして、そのような人は、必ず、説教から解答のヒントを得て帰ることができるのです。中には、別に教会に行って説教を聞かなくても、聖書辞典と聖書注解があれば自分で解釈できるという人がいますが、それは単なる思い上がりです。まずもって聖書辞典や聖書注解が必要だということ自体、導きが必要だということであって、また、神様がわざわざ教会をお建てになり、そこに説教者を置いてくださったということの恵みについての認識が不足していると言えるのではないでしょうか。というのは、なぜ神様はエチオピア人の宦官に、ピリポを送られたのでしょうか。御霊が直接エチオピア人に現れて、彼を直接回心させても良かったでしょうが、神様はそのようにはなさいませんでした。それは、求道者が直接御霊や天使から御声をかけられるよりも、人間のくちびるを通して解説してもらった方がよいとされたからだと思います。おそれおおい神様の御声に震え上がるよりも、伝道者と肩を並べて座りながら、気さくに話し合って、「どういうことですか。教えてください」と気がねなく質問できる方が良かったからなのです。神様は、このような宣教、あるいは、説教という方法を通して、ご自分のことを伝えることを願っておられるのです。

 ところで、ここでこのエチオピア人が読んでいたのは、預言者イザヤ書でした。宦官はピリポに向かって言いました。「預言者はだれについてこう言っているのですか。教えてください。」するとピリポは口を開き、この聖句から、イエスのことを彼に伝えたのです。つまり、福音を語ったのです。これは私たちが聖書を読むときのかなめです。すなわち、そこからキリストをとらえるということです。なぜなら、聖書の中心は、イエス・キリストだからです。イエスさまこそ、すでに預言者イザヤが預言していたとおり、大勢の人々を救うために、自分のいのちを捨て、身代わりに罪の罰を十字架の上で受けてくださいました。それは彼を信じる人が一人として滅びることなく、永遠のいのちを受けるためです。神は、それほどまでに、私たちを愛してくださいました。神様はそのためにピリポを遣わしてくださいました。このエチオピア人が救われるためにです。もちろん、これほど熱心に求道していたエチオピア人でしたから、ピリポの解き明かしを理解し、信じることができました。すると、このエチオピア人は何と言ったでしょうか。第三のことは、バプテスマです。バプテスマの恵みです。36~39節をご覧ください。

 Ⅲ.バプテスマの恵み

「道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。ご覧なさい。『水があります。私が水でバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。』そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」

 このエチオピア人の宦官はピリポの話を聞き、主イエスを信じてバプテスマを受けました。バプテスマとは、求道して主イエスを信じた結果授けてもらう儀式であると同時に、それはそれを受けることによってさらに恵みを受ける手段でもあります。ウエストミンスター小教理問答書の中に、「キリストが、あがないの恵みを私たちに伝達される外的な、そして普通の手段は何であるか。」という問いがありますが、そこにはこうあります。「キリストが、あがないの恵みを私たちに伝達される外的な、そして普通の手段は、キリストの規定、特に、御言葉と礼典と祈りであって、これらすべては、選ばれた者にとって救いのために有効とされるのである。」(第88問)ですから、御言葉という恵みの手段を忠実に用いてきたこのエチオピア人は、バプテスマを受けることによって、さらに恵みを受けたのです。

 バプテスマを受けるべき理由の第一は、ここにあります。すなわち、この儀式そのものはただ水の中に浸るだけのことで、特に何かの益をもたらすようなものではありませんが、キリストの御言葉に従ってバプテスマを受けることによって、さらなる恵みがもたらされるのです。たとえば、洗礼準備会などはその一つでしょう。洗礼の準備の中で指導者と交わり、特別の教育を受けることができるというのは恵みではないでしょうか。

 また、このようにバプテスマを受けることは、それが信仰の告白でもあるからです。36節を見ると、そこには星印が付いてありまして、下の方にその節の説明が記されてありますが、そこには、異本には「そこでピリポは言った。『もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。』すると彼は答えて言った。『私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。』」と挿入しているとあります。これはこのエチオピア人の信仰告白です。このように信仰を具体的に言い表すことは、クリスチャンにとって不可欠なことです。というのは、聖書に「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです。」(ローマ10:9,10)とあるからです。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです」とはどういう意味でしょうか。人は心に信じて義と認められますが、そのあがないの恵みを受ける手段がその信じていることの告白である、つまり、バプテスマであるという意味です。ですから主イエスは、「信じてバプテスマを受ける者は、救われます。」(マルコ16:15)と言われたのです。信じるだけで救われるはずなのに、なぜバプテスマを受ける必要があるのでしょうか。その理由がこれなのです。信じて、バプテスマを受けることによって、本当に私たちの心にあったモヤモヤていたものが無くなって、本当に救われたという確信を持つことができるからです。それこそクリスチャンの特権であり、喜びではないでしょうか。

 ですから、39節をご覧ください。このエチオピア人の宦官は、それから後ピリポを見ませんでしたが、喜びながら帰って行ったのです。この文章は、「宦官はそれから後彼を見なかったが、・・・」とありますが、もともとの文章では、「が」ではなく「なぜなら」という文章です。「それから後彼を見なかった。なぜなら、喜びながら帰って行ったからである。」という文章です。どういうことかというと、このエチオピア人が喜びながら帰って行ったのは、主の霊がピリポを連れ去って見えなくなったという物理的な理由によったのではなく、このエチオピア人自身に喜びが溢れていたからだったのです。ですから、ピリポが見えなくなっても、彼を捜し回ったりしませんでした。ピリポを失っても、彼の中に「喜び」があったからです。彼が、「喜び」を与えてくださる主イエス・キリストを持ったからです。

 このように主イエス・キリストを見い出し、主イエス・キリストを持つ人には、大きな喜びがもたらされるのです。その喜びは何ものにもかえがたいほどの喜びであります。彼は今、これまで官吏してきたエチオピア人の女王の財産全部にまさる宝を、手に入れたのです。ピリポを失うにせよ、友人を失うにせよ、身分と地位を追われるにせよ、イエス・キリストを得た喜びは、他の何にも比べられないほどの喜びなのです。

使徒の働き8章14~25節 「神の前に正しい心」

 きょうは「神の前に正しい心」というタイトルでお話したいと思います。ピリポによって、魔術師シモンの働きよりも、さらに力のあるめざましい働きが行われると、サマリヤの人たちは、ぞくぞくとピリポの宣べ伝えたキリストを信じるようになりました。すると驚いたのはエルサレムにあった教会です。エルサレムいた使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わしました。そこで一つの問題が生じます。ペテロとヨハネが行って、人々が聖霊を受けるように祈ると、彼らは聖霊を受けたのです。驚いたのは、あの魔術師シモンであります。もっともこの時には彼自身も信じてバプテスマを受けクリスチャンになっていたはずでしたが、彼はその様子を見て、使徒たちのところにお金を持ってやって来て、自分にもそのような権威を与えてほしいと言いました。それを聞いたペテロは次のように言って彼を叱責しました。20,21節です。

「あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについて何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。」

 彼の心は神の前に正しくありませんでした。金で神の賜物を手に入れようとしたからです。実はこのところから、教会において聖なる権能や職務などを、金銭などによって売買することを「シモニア」と呼ばれるようになりました。これは、腐敗した中世のローマ・カトリック教会によく見られましたが、注意しないと、私たちの中にもこの「シモニア」が入ってこないとも限りません。私たちはここでシモンが陥った間違いを注意深く学びながら、同じような過ちに陥らないように注意しなければなりません。いったいシモンが犯した過ちとはどんなことだったのでしょうか。

 きょうはそのことについて三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、聖霊はどのようにして与えられるのかということについてです。第二のことは、シモンの過ちです。彼は神の賜物である聖霊を、お金で手に入れようとしました。第三のことは、だから悔い改めて祈りなさいということです。そうすれば、心に抱いた思いも赦されるからです。

 Ⅰ.一方的な神の恵み

まず第一のことは、聖霊はどのようにして与えられるのかについてです。14~17節までをご覧ください。

「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。ふたりは下って行って、人々が聖霊を受けるように祈った。彼らは主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。ふたりが彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」

 さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人たちが神のことばを受け入れたということを聞くと、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わしました。おそらく視察のためだったのでしょう。このころはまだ、教会の全責任を使徒たちが負っていたので、信徒たちの伝道によって救われた人々を教え、訓練するために、彼らが遣わされたのだと思います。特にこのサマリヤという地方は、歴史的に特別な事情に置かれていた所でした。昔アッシリヤという国に侵略されたとき、サマリヤの人たちはアッシリヤ人と混血となってしまったために、ユダヤ人から蔑視され、交わりを持ってませんでした。そのサマリヤの人たちが主イエスを信じたということですから、使徒たちも黙って見ているわけにはいなかったのでしょう。彼らが出かけて行って、確かにサマリヤの人たちも救われたということを確認して、ユダヤの教会もサマリヤの教会も、キリストにあって一つであるということを示す必要があったのだと思います。

 ところで、ペテロとヨハネが遣わされて彼らのところへ行ってみると、サマリヤの人たちはバプテスマを受けていただけで、まだだれにも聖霊が下っていませんでした。そこでペテロとヨハネが聖霊を受けるようにと彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けたのです。なぜ彼らが聖霊を受けたのかということが分かったのかというと、おそろらく、聖霊を受けた人々の中には、あのペンテコステの日のような外的なしるしが起こったからでしょう。

 それにしても不思議です。彼らは既にピリポの伝道によって神のことばである福音を信じていたにもかかわらず、まだ聖霊を受けていなかったのです。聖霊を受けるとはインマヌエルなる神がともにいてくださることの保証であって、救われているということなはずです。ですから、彼らがピリポによって主イエスを信じて受け入れた時に、聖霊を受けるはずなのです。なぜなら、Iコリント12:3には、

「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、『イエスはのろわれよ』と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」

とありますし、同じIコリント12:13にも、

「なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。」

とあるからです。主イエスを信じるということは、一つの御霊によってバプテスマを受けるということです。ですから主イエスを信じた人の中には神の御霊が住んでおられるということです。なのに、サマリヤの人たちにはまだその御霊が下っていたなかったのです。

 このところからある人たちは、第二の恵みとしての聖霊のバプテスマを主張する人たちがいます。すなわち、イエス様を信じただけでは聖霊を受けることは出来ず、イエス様を信じた後にさらなる恵みとして聖霊を受けるのだ・・・と。その時にはこの時と同じような外的なしるしである異言が伴うのだ・・・と。しかし、そうでしょうか。

 このようなことは使徒の働きの中にはもう一度だけ出てきます。19:1~7です。パウロがエペソに来たとき、そこで幾人かの弟子たちに会ったとき、「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊が与えられることは聞きもしませんでした」と答えたので、「じゃ、どんなバプテスマを受けたのですか」と聞くと、「ヨハネのバプテスマです」と答えたので、パウロは、そのことについて説明し、主イエスの御名によってバプテスマを授け、彼らの上に手を置くと、彼らに聖霊が臨まれたのです。

 いったいこれはどういうことなのでしょうか。信徒であったピリポが伝道して彼からバプテスマを受けたときには聖霊を受けることが出来ず、エルサレムからペテロとヨハネがやって来て、彼らの上に手を置いて祈ったら聖霊が与えられたというのは、聖霊というお方は、そのように信徒の手によって与えられるものではなく、使徒たちによらなければ、使徒たちに祈ってもらわなければ与えられないということなのでしょうか。

 そうではありません。その証拠に、他の箇所には、聖霊は特に手を置かなくても下っておられるからです。たとえば、ペンテコステの時には、だれも手を置かなくても、一同に聖霊が下りましたし(2:4)、また、この後でペテロがコルネリオに説教している最中にも、突然彼に聖霊が下りました(10:44)。ですから、このように使徒たちがわざわざ手を置かなくても、聖霊は下るのです。ではいったいなぜ、ピリポの時には聖霊が下らず、ペテロとヨハネがエルサレムからやって来た時に下られたのでしょうか。

 わかりません。それは全くと言って良いほどの神様の主権的な働きであり、私たちの理屈や考えを超えたものです。しかし、あえて大胆に想像することが許されるとしたなら、この「サマリヤ」という特殊な場所と関係があったのではないではないかと思います。すなわち、先ほども申し上げたように、歴史的に忌み嫌われていたサマリヤの人たちが主イエスを受け入れたということで、サマリヤの教会とエルサレムの教会の二つの教会は別々の教会ではなく、一つの教会であるということを示すためではなかったかということです。ですから、わざわざエルサレムの教会からペテロとヨハネがサマリヤまでやって来たときに、聖霊は下られたのです。それまでずっと待っていたのではないでしょうか。そうした特別な事情の下に、ピリポがサマリヤで伝道し、多くの人々が主イエスを信じても、聖霊はまだ下られなかったのです。

 シモンのあやまちの一つは、この聖霊に対する誤解でした。そのように聖霊は、三位一体の神ご自身であって、信じる人々の中に一方的な恵みとして自由に働かれる方なのに、教会のある特別な資格を持った人の権威によってもたらされるものだと考えたのです。しかし、だれひとり人の信仰を支配したり、まして神の聖霊の受け渡しや差し止めをする権威を持っている人などは、いないのです。私たちの信仰の成長も、御霊の恵みも、ただ「神の賜物」として賜るものなのです。「賜物」とか「賜る」ということばは一般的にあまり使うことがなく昔のことばのようですが、それは、「いただいたもの」「ちょうだいしたもの」という意味です。プレゼントのことです。私たちが何かをしたからではなく、何もしなくても、一方的な恵みとして、神から与えられるものなのです。ですから私たちは、何か特別な資格や権能といったものを求めていくのではなく、ただ神の恵みをひとりひとりが求めていかなければならないのです。

 Ⅱ.小さなことをコツコツと

第二に、それをみていたシモンが、お金でその権能を買おうとした態度についてです。18~21節までをご覧ください。

「使徒たちが手を置くと御霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、『私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい』と言った。ペテロは彼に向かって言った。『あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。あなたは、このことについて何の関係もないし、それにあずかることもできません。あなたの心が神の前に正しくないからです。』」

 使徒たちが手を置くと、御霊が与えられるのを見たシモンは、使徒たちのところに金を持って来て、自分が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられることができるように、その権威を自分にも与えてくださいと頼みました。彼はそうした権能を、お金で買えると思いました。一体なぜ彼はそのように考えたのでしょうか。それはまず、先にお話したように、聖霊に対する間違った考えがあったからです。聖霊は神からの一方的な恵みによって与えられるものなのに、人間的に手に入れることができると考えた。その手段がお金だったのでしょう。しかし、そればかりでなく、彼が使徒たちのところにお金を持ってきて、自分にもその権威が与えられるようにとお願いしたのは、これまでの彼の生き方と非常に関係があったからです。すなわち、日々の小さな努力や信仰の取り組みをしないで、地位や名誉といったものを一挙に手に入れようとする思いです。彼はキリスト教に入信するまで、小さな者から大きな者に至るまで、この人こそ、大能と呼ばれる神の力だと、もてはやされていた人です。ですから彼が、普通のクリスチャンが持っていない、いや、洗礼を授けてくれたピリポ先生でさえ持っていない権威を、ペテロ大先生から手に入れることができたらと思ったのも、無理もありません。彼は今までずっと人々からあがめられてきたし、これからもいつも、人のトップを走って行きたいわけですから。

 人の上に立ちたいとか、人の先に立ちたいという思い自体は、必ずしも悪いことではありません。聖書にも、「競技場で走っている人たちは、みな走っても、賞を受けられるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」(Iコリント9:24)とか、「あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い人のようになりなさい。また、治める人は仕える者のようでありなさい」(ルカ22:26)ともあります。さらに、「人がもし監督の職につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである」(Iテモテ3:1)ともあります。このように上に立ちたいとか、監督の職につきたいと思うこと自体はすばらしいことであり、私たちすべてに求められている聖なる意欲でもあるのです。問題は、それをどのようにして達成していくかです。イエス様が言われたことは、「あなたがたの間で一番偉い人は一番年の若い者のようでありなさい」とか「治める人は使える人のようでありなさい」と教えられました。またパウロも、「監督の職につきたいと思う」ことはすばらしいことだが、監督は「自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、」「また信者になったばかりの人であってはいけません」とあります。(Iテモテ3:2,6)高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。ですから、一番偉くなるのは、時間をかけ、慎み深く、人に仕え続けることによってなのであって、ところがシモンは、これを一挙に手に入れようとしました。その手段がお金であったり、魔術であったりだったわけです。彼のまちがいは、そのように人がこつこつとじみに働いて到達する地位とか名誉といったものを、一挙に手にいれようとしたインスタント成功法を求めたことでした。

 しかし、それはシモンだけではないでしょう。ややもするとそうした過ちは、私たちの中にも入り込まないとも限りません。私たちの中にはこのシモンのようにお金で聖職を買おうといった大それた罪は見受けられないかもしれませんが、手っ取り早く効果を上げようという思いが巧妙に入り込んでくることがあるのではないでしょうか。たとえば、毎日こつこつと聖書を読んだり、お祈りをしたりといったデボーションを守ったり、集会を重んじるために懸命な努力をしたり、普段の生活の中で証しをしていくということをしないで、人が驚くような何かをいつも求めて走り回っているということはないでしょうか。リバイバルを求めるということはすばらしいことですが、そうしたリバイバルは、私たちの普段のこうした地道な努力や働きの結果としてもたらされるものなのであって、こうした基本的なことをなおざりにして、その代わりに人が驚くような何かを求める心は非常に危険です。こうした小さなことに取り組むことは一見やさしいことのように見えますが、実は続けていくのはなかなか容易なことではありません。しかし、そうした一つ一つの小さな取り組みを、コツコツと行っていくのなら、やがてそれは大きな働きとなって現れてくることでしょう。「塵(ちり)も積もれば山となるです。私たちはこうした日々の、小さな働きを、地味なようですが、コツコツと積み重ねていく歩みを心掛けていきたいものです。

  Ⅲ.悔い改めて祈りなさい

ですから、このシモンの誤りの根源は何かというと、彼が「心」を忘れたことです。ですからペテロは、21節のところで、「あなたの心が神の前に正しくないからです」と言いました。シモンがそうした使徒たちのような権威にあずかることができなかったのは彼が使徒ではなかったからではありません。彼の心が神の前に正しくないからだったのです。それが彼の根本的な問題だったのです。では、どうしたらいいのでしょうか。ですから第三のことは、悔い改めて祈りなさいということです。22~24節をご覧ください。

「だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。あなたがたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいることが、私にはよくわかっています。シモンは答えて言った。『あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」

 ペテロはここで彼に対して、「あなたはまだ苦い胆汁と不義のきずなの中にいる」と叱責しています。「胆汁」とは、肝臓で作られ一時胆嚢内に蓄えられ、総胆管を経て十二指腸に注がれる消火液のことです。これは非常に苦いそうですが、聖書ではこれを、偶像礼拝したイスラエルに対する呪いの結果を説明するために使われたことばです。(申29:17,18)ですからここでペテロは、シモンがまだ神の恵みの賜物を、以前の魔術師時代と同じ商取引の対象のように見る心があるのをみて、そのように叱責したのです。神の聖霊を自分の力で操ることができるかのように錯覚し、日々の地道な努力もしないで、お金でその力を得ようとした彼の思いは、まさに苦い胆汁でした。であれば、その悪事を悔い改めて、主に祈らなければなりません。神の御霊も、救いの恵みも、自分の手で買い取ることができるかのようなうぬぼれた高ぶった思いを悔い改め、ただ主の御前にへりくだった者とならなければなりません。もし、今私たちが受けているもののすべてが、本当に神から受けた恵みの賜物だと受け止め、それを感謝して生きるなら、シモニアのような罪はなくなることでしょう。

 おもしろいことに、ここでペテロは「あるいは」ということば使っています。「だから、この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。」と。普通ペテロはこのような言い方をしません。彼は、「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」と明言します。なのにここでは「あるいは」「かもしれません」というような曖昧な言い方をしています。いったいどういうことなのでしょうか。その悪事を悔い改めても、神は赦してくださらないということもあるのでしょうか。いいえ、ありません。悔い改めるなら、神は必ず赦してくださいます。ペテロがここで「あるいは」と言ったのは、シモンがまだ心から悔い改めていなかったからです。おもしろいことに、24節のところでシモンが、「私のためにも祈ってください」と言ったことばは、かつてエジプトの王パロがモーセに要請した時ときに言ったことばと非常によく似ています。(出8:8,28,9:28,10:17)しかし、やがてパロは心を翻し、再び心をかたくなにしたのでした。おそらくペテロはそうしたかたくなな心をこのシモンの中にみたのでしょう。だから、「あるいは」とか「もしかしたら」と言ったのです。しかし、心から悔い改めて、主に立ち返るなら、たとえそれが胆汁のように苦々しい罪であっても、主はその罪を赦し、雪のように白くしてくださるのです。

 その後シモンがどうなったかについては、聖書には何も記されてありません。
しかし、彼の歩みを通して私たちは、神の賜物である聖霊や、その権威についてはとうていお金では買うことができない絶大な価値のあるものだということを覚え、そのことに感謝し、それを私たちが一方的に与えられていることのゆえに、ただで賜っているのだといったへりくだりの心を、いつも見失うことがないように歩んでまいりたいと思います。それこそ神の御前に正しい心であり、神が私たちに求めておられることなのです。

使徒の働き8章1~13節 「キリストを宣べ伝える」

 きょうは「キリストを宣べ伝える」というタイトルでお話をしたいと思います。1節をみると、「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」とあれます。ステパノの殉教の死は、初代教会に大きな転機をもたらしました。すなわち、教会に対する迫害が本格化し、それにつれてクリスチャンたちも各地に散らされていったのです。しかし、不思議なことに、そのように散らされた人たちがキリストをを宣べ伝えたことによって、福音はかえって各地に広まり、信仰も伝道も本格的になっていきました。福音はこのようにして1章8節で主イエスが約束されたとおりに、エルサレムからユダヤとサマリヤへと広がっていったわけです。だれがこんなことを考えることができたでしょうか。しかし、これが神の為さることなのです。神は私たちの思いを超えて、ご自身のご計画を推進しておられるのです。きょうは、この散らされた人たちについてご一緒にみていきたいと思います。

 まず第一のことは、迫害によって散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いたということです。第二のことは、その具体的な例としてのピリポのサマリヤ伝道です。それはものすごい力ある働きでした。ですから第三のことは、みことばに信頼してということです。

 I.散らされた人たち
 
まず第一に、1~4節までを見ていきましょう。

「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。敬虔な人たちはステパノを葬り、彼のために非常に悲しんだ。サウロは教会を荒らし、家々に入って、男も女も引きずり出し、次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」

 「その日」とは、ステパノが殉教の死を遂げた日のことです。その日どんなことが起こりましたか?エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者がみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされたのです。何のためでしょうか。みことばを宣べ伝えるためです。4節をご覧ください。ここには、「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」とあります。この「他方」と訳されていることばは、「それゆえ」という接続詞です。エルサレムにあった教会が迫害されたので彼らは、散らされた先々でみことばを宣べながら、巡り歩いたのです。おもしろいですね。普通だったら、迫害されたらしょぼんとなってそこから逃れようとしたり、隠れたりするものですが、彼らはそうではありませんでした。迫害されたので、逆に、みことばを宣べ伝えたのです。どこにでしょうか。?ユダヤとサマリヤの諸地方にです。ユダヤとサマリヤという地名を聞くと、中にはピンと来て、あるみことばを思い出される方もおられるのではないでしょうか。そうです、使徒1:8の主イエス様のことばです。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 そうです、この主イエス様の約束は、初代教会に対する迫害が激しくなり、人々がいろいろな地方に散らされていくことによって成就していったのです。いったいそんなことを誰が考えることができたでしょうか。ステパノが殺されて大きな迫害が起こったことは悲しいことでしたが、そのことによってユダヤとサマリヤに福音が広げられ、神の約束が実現する契機となっていったことは驚くべき神の計画ではないでしょうか。また、ここに「サウロ」という人物が登場してきますが、彼こそ後に回心してキリスト教を地の果てにまで運んでいったパウロのことです。この時クリスチャンを迫害していたパウロが、後に全世界に福音を広げていくようになったということを考えても、すごいことだと思います。おそらくルカがここにサウロのことを取り上げたのは、そうしたことの伏線として描きたかったのだと思います。

 このように見ると、私たちの目の前に起こる不幸だと思えるような出来事も、実は神のご計画の実現のための一つのステップであることがわかります。皆さんは目の前の暗い状況を見て、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と嘆いたり、「神様は私に関心を持っておられない」とつぶやいたりしてはいないでしょうか。しかし神様は、皆さんが直面しておられるその状況を用いて実は福音を伝える絶好の機会にしようと願っておられるのです。であるならば、皆さんがおかれた状況さえも神の栄光のために用いられると信じて、それがどのように福音宣教のために用いられるのかを考えるべきではないでしょうか。

 私は、東北福島で教会を開拓し、20年間仕えさせていただきましたが、まあ、栃木も東北とあまり変わりがありませんが、このような地域に置かれた教会の抱える問題の一つに信徒の流出というものがあります。若者の多くが進学や就職のために都会へ出て行ってしまうため、教会がなかなか建て上げられていかないのです。私たちの教会も同じような問題を抱えたことがありました。開拓して7年が経とうとしていた時、教会がやっと20名になった1990年の年でした。その年の4月に5名の兄姉が就職や進学のため地元から離れることになりました。20名の内の5人は大きいですよ。全体の1/4でしょ。私の中にはやっとここまで来て、これからだという時だったので、なかなかその現実を受け止めることができませんでした。
 ちょうどそのような時に、神様は米沢から千田次郎という牧師を教会の修養会にに遣わしてくださいました。千田先生は恵泉キリスト教会の牧師ですが、山形県米沢市で牧会している中で同じような経験をされたことをその修養会の中で話されました。しかし、あるときから「信徒は出て行くのではない。主が自分たちを用いて若者を救い出し、育て上げ、遣わしてくださるのだ」と考えるようになりました。そして、その現状を恵みとして受け入れるようになったのです。それまで教会の名前は福田町キリスト教会という名前でしが、それから教会は恵みの泉を掘り起こしていく教会という意味で、恵泉キリスト教会としたのです。
 そして、この聖書の箇所に触れたとき、まさに初代教会は、迫害によって信徒たちが全世界に散らされ、それによって福音の宣教が拡大していったように、現在の日本では、就職や進学という形で、主は福音の拡大を計っておられると確信するようになったのです。
 それ以来、教会では3月になるとそれまでやっていた「送別会」をやめ、「派遣会」として、喜んで信徒を派遣することができるようになりました。そして、茨城県牛久に、千葉県関宿に、神奈川県湘南に、埼玉県戸田市にと次々に教会が建てられ、今ではそれらの教会が中心となってつくばや小平にも新たに宣教の働きが広がっているのです。何とすばらしいことでしょうか。これらのことは、教会に起こっている不幸かと思えるような出来事を、むしろ神の計画として信仰によってしっかりと受け止めた結果ではないでしょうか。

 私たちの目の前には多かれ少なかれこのような出来事が必ず起こりますが、大切なことは、たとえどのようなことが起こっても、それらのことはすべて神様の深いご計画の中にあり、神様はそれらのことをとおして福音を広げようとしておられるということです。私たちはそのことを信じて受け止めながら、主がそれをどのように用いようとしておられるのかを知るために、もっと祈らなければなりません。

 ところで、ここには「使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」(1節)とあります。いったいなぜ使徒たち以外の者だけが散らされたのでしょうか。多くの学者は、それはこの散らされた人たちの多くがステパノと関連の深い人たち、すなわち、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンたちであったからだと考えています。彼らは宮と律方についてステパノと同じような考え方を持っていたので、ステパノが殺された後で、ギリシャ語を話すユダヤ人クリスチャンたちも、ユダヤ教の脅威になるのではないかと思い、それで彼らをも迫害したのだというのです。しかし、それがどのような理由であるにせよ、一つだけ確かなことは、迫害のために散らされていった人たちは、使徒たちのように特別な訓練を受けた指導者ではなく、いわゆる一般の平信徒たちであったということです。にもかかわらず彼らは、散らされた先々で福音を伝えました。

 この信徒による伝道が、これまでの教会の歴史にどれほど大きな結果をもたらしてきたかは、測り知れないものがあります。それまでは、みことばを語りしるしを行ってきたのは12使徒たちでしたが、ステパノの死とともに始まった大迫害は、そうした使徒たちの働きを封じ、一般平信徒に働きの場を提供していったのです。14節には、「さて、エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところへ遣わした。」とありますが、このような記述をみると、まるで、エルサレムに居残っていた使徒たちが虚を突かれ、平信徒たちが始めた新しい伝道の場に、あわてて引きずり出されて行ったかのような印象を受けます。このような記述は他にもあります。どこですか?11章です。19-22節のところにも同様のことが記録されてあります。それは、このステパノのことで散らされた人たちがフェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んでいき、それまではユダヤ人以外の人たちにはみことばを語りませんでしたが、アンテオケに来てからはギリシャ人にもみことばを語り、主イエスのことを伝えたのです。それで大勢の人が信じて主に立ち返りますと、慌てたのはエルサレムにいた使徒たちでした。その知らせを耳にした彼らは、何事が起こったのかとバルナバをアンテオケに派遣して状況把握に努めるわけです。
 
 いつも教会側はまさかサマリヤ人はイエス様を信じないだろうとか、ギリシャ人まで伝道する必要はないんじゃない?なんて考えていますが、信徒たちはそう考えません。彼らはその行く先々で新しい伝道対象者を発見しては、思いもよらない伝道の道を切り開き、さっさと成果まで上げてしまうのです。このような点で、教会の創造的な発展は、多く場合、信徒一人一人のエネルギーに負っているのです。ヘンドリー・クレイマーという神学者が「信徒の神学」という本を書きましたが、彼はその本の中で、教会は聖職者と平信徒の区別はなく、あるのは働きの違いだけであって、みんな神の民(ラオス)だと言いました。そして、信徒一人一人が神の働きに参与していってこそ、教会は大きく前進していくのだ・・と。まさにそのとおりです。神様は信徒一人一人を用いて福音を宣べさせ、その働きを広げようとしておられるのです。まさに信徒一人一人こそ伝道のエネルギーの大きな源なのです。

 Ⅱ.ピリポのサマリヤ伝道

 次に、そうした信徒による伝道の具体的な例として、ピリポのサマリヤ伝道を見たいと思います。5-11節をご覧ください。

「ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。汚れた霊に疲れた多くの人たちからは、その霊が大声で出て行くし、多くの中風の者や足のなえた者は直ったからである。それでもその町に大きな喜びが起こった。ところがこの町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、『この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ』と言っていた。人々が枯れに関心を抱いたのは、長い間、その魔術に脅かされていたからである。」

 ピリポとは、6章のところで、毎日の配給のことでなおざりにされていたということで、ギリシャ語を使うユダヤ人たちがヘブル語を使うユダヤ人たちに苦情を申し立てたとき、その問題解決のために立てられたあの七人の執事のひとりのピリポです。彼は会計と救済を担当するために選ばれた働き人でしたが、ステパノのように、福音を伝える働きもしました。彼が散らされて行った先はサマリヤでした。サマリヤとは、紀元前722年にアッシリヤに侵略された時、混血族になったため、同族のユダヤ人から捨てられ、蔑視されしたいた民です。というのは、ユダヤ人というのは、血の純血を特に重んじていたからです。そのサマリヤ人たちは、旧約聖書の初めの五冊だけを経典として信じ、ユダヤ人のエルサレムでの神殿に対抗してゲリジム山に神殿を建て、彼らなりにメシヤを待ち望んでいました。そのサマリヤの町でピリポは、キリストを宣べ伝えたのです。すなわちイエスこそその待望のメシヤであると語ったわけです。
 しかし、ピリポの働きは単に福音を宣べ伝えただけではありませんでした。彼は福音を伝えるとともに、悪霊を追い出し、多くの病人をいやしました。それはイエス様がなされた働きを継承し、神の国が到来していることを示すしるしでした。それでその町に大きな喜びが起こりました。

 それにしてもなぜ、ピリポの働きはそんなに大きな成果を収めることができたのでしょうか。それは、彼がキリストを宣べ伝えたからです。彼は自分の考えとか、ある種の治療を行ったのではなく、キリストを宣べ伝えたので、このキリストが救いをもたらし、人々を生まれ変わらせ、立ち上がらせたのです。キリストの福音にはそれだけの力があるからです。これは9節からのところに出てくる魔術師シモンと大きく異なる点です。シモンは魔術を行って、サマリヤの人々を驚かせ、自分は偉大な者だと話していましたが、ピリポが行っていたのはそうした魔術ではなく、本物の救いであるイエス・キリストを伝えたのです。そもそも「魔術」とは、人間的にはあり得ないことを、あっという間にやり遂げて、人々を驚かすテクニックにすぎません。

 先日、那須塩原駅前の道路を車で走っていたら、日本的なきれいな建物が建っていたので、何だろうと思ってよく見てみたら、何と崇教真光と言われる団体でした。皆さんは、このグループについてご存じでしょうか。このグループは、神道系の新興宗教で「テカザシ」を標榜する団体(のうちの1つ)です。健康、平和、富飲む三つを幸福の三原則と説き、この健・和・富の三拍子を得るための霊術が〈真光の業〉(まひかりのわざ)です。彼らの主張によると、病気や災難に見舞われるのは80%「霊障」のせいであり、それは「テカザシ」でしか解消できないというのです。よいことも悪いことも、テカザシを通してその光がもたらしたものとみなされていて、もしある人が「よく感じる」ことができれば、それは光が働いているとされ、もし「悪く感じる」ことがあれば、それは光が毒素を溶かし、毒素が排泄される過程で悪く感じるとされています。もし何も感じなければ、それは段階を経るために時間がかかっているのだとされるのです。
 だれがそんなインチキ宗教を信じるのかと思いますが、このようなことを信じている日本人は意外と多いのです。それは人はみな多かれ少なかれ悩みを持っていて、そうした悩みを解決してくれるものがあるとしたら、それがどのようなものであれ信じたいと思うからです。そして、自分の目の前で病気が治ったり、問題が解決したりしますと、「この人こそ大能と呼ばれる人であり、神の力だ」と思ってしまうのです。しかし、それは魔術にすぎず、本物の救いではありません。

 しかし、ピリポの宣べ伝えたのはそうした魔術ではなく、本物でした。それは魔術を越えた聖霊なる神の働きであり、現世利益を越えた聖霊による祝福の信仰であり、新しく生まれ変わるいのちの輝きであり、キリストを信じる信仰による人格と人生が変革が伴うものでした。

 皆さんには、このキリストが人を救い、人を苦しめるあらゆる病気、災いから解放してくださるという確信があるでしょうか。キリストもいいけど、あの人の話もうんと感動的でいいとか、キリストもいいけど、あっちでは病気が治ったんだと・・。などとる、そうしたものに心が引かれてはいることはないでしょうか。この終わりの時代には、そうした人々をあっと驚かすような不思議な奇跡を行う人や魔術を行う人が出てくることが聖書にも書かれてありますが、そうしたものに惑わされることがないように、霊の目をしっかりと開いて、それらを見分けていかなければなりません。

 Ⅲ.キリストに信頼して

 ですから第三のことは、キリストに信頼してということです。12~13節をご覧ください。

「しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。」

 ピリポが来るまで、サマリヤの人たちはみな、魔術師シモンに大きな関心を抱いていました。「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていたのに、ピリポがやってきて神の国とイエス・キリストの御名について語るのを聞くと、今度はそれを信じ、男も女もバプテスマを受けました。そればかりか、そのシモン自身までも信じて、バプテスマを受け、ピリポについて行くようになったのです。何ということでしょうか。いったいどうして彼らはみな、それまで信じていたシモンについて行くのを止め、ピリポについて行くようになったのでしょうか。イエスがキリスト、救い主であるという喜びの知らせは、それほどまでに人の生活を変える、神の力だったからです。

「十字架のことばは、滅びに至る人々にはおろかであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(Iコリント1:18)

 シモン自身が、ピリポの福音のメッセージを聞き、めざましいいやしの働きと数々の奇跡をじっくりと観察・熟視して、「これは本物だ」と結論づけました。「勝ち目はない」と悟ったのです。魔術はどこまでも魔術です。聖霊による使徒たちや教会の奇跡にかなうはずがないのです。力の対決において、どのような悪霊も、聖霊にはかなわない。かないっこないのです。私たち、キリストを信じる人たちの心の中にすんでおられる聖霊は、そのあたりをうろちょろしている悪霊の何倍も、何十倍も、何百倍も、何千倍も、何万倍、何億倍、何兆倍も強いのです。聖霊は全知全能の神なのです。サタンも悪霊も、その聖霊の完全な支配の下に置かれている存在にすぎません。福音にはそれほどの力があるのです。であれば、私たちはこの福音に生きることが大切です。あれもこれもではなく、キリストにだけ信頼して生きることが求められるのです。

 先日、東京のある牧師からお便りをいただきました。一度も面識のない先生で、大きな教会を牧会しておられるこの先生が、いったいなぜお手紙をくださったのかと内容を見たところ、どうも先日東京で首都圏青年キリスト教宣教大会という集会があったらしく、そこで愛喜恵がお話した証しに感動して、祈りとともにお手紙を書いてくださいました。そんな大きな教会の牧師がどこの牧師だかわからないような者にわざわざお手紙をくださったというその暖かい心に感動しながら、同時に、いったいどんな話をしたのかと心配になって本人に尋ねてみたら、「まぁ、人生いろいろなことが起こるけど、すべてのことに神のご計画があるということを信じて、乗り越えられる。だから皆さんもがんばってください、みたいな話かな」と言った後で、「ところで、グレースの話を聞いてた牧師さんたちが、君は話をまとめる力があるし、話し方も上手だから、将来牧師になった方がいいというから、将来は脳科学を勉強して、それから聖書も勉強しようかな」と言いました。
 それを聞きながら「そうだね」と言いながらも、心の中では「聖書もか」と思いました。「聖書も」ではなく、「聖書を」「聖書こそ」となったらすごいのになぁ・・・と。

 多くの人が同じように思っているのではないでしょうか。「聖書もいいけどあれもいい」とか、「聖書もいいけどあれもなかなか魅力的だ」とか。しかし、しかし、ピリポが伝えたのはキリストでした。このキリストが人を変え、人をいやし、人を立ち上がらせてくださり、いその町全体に喜びをもたらしました。みことばこそ人を救い、育て、助け、励ましてくださる力あるものなのです。であれば、このみことばに、キリストに信頼して生きるべきではないでしょうか。パウロはエペソの長老たちに次のように言いました。

「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を次がせることができるのです。」(使徒20:32)

 皆さんはどのようにみことばを聞き、それに従っておられるでしょうか。イエス様は種蒔きのたとえの中で、四つの畑について言及されました。まず道ばたです。道ばたに落ちた種は、鳥が来て食べしまったので、実を結ぶことができませんでした。次に岩地です。岩地に巻かれた種は、根が浅かったので、しばらくの間は聞いていましたが、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいました。三つ目はいばらの中です。いばらの中に蒔かれた種は、みことばを聞く聞きますが、この世の心づかいや富の惑わしがみことばをふさぐため、実をむすばないのです。しかし四つ目の良い地に蒔かれた種は、何倍もの実を結びました。それを聞いて悟るからです。それを聞いて悟る人は、何倍もの実を結ぶことができる。みことばに、それほとの力があるからです。

 皆さんは、どんな畑の心でしょうか。どうかみことばを聞いて、それを悟る人になってください。これが本物であると信じ、このみことばにかける人になってください。そうすれば、神の力が皆さんの中に充満することでしょう。それはそれまでサマリヤの人たちの心を支配していた魔術にも勝利するほどの力です。この福音の信仰こそ、私たちに、私たちのためではなくイエス・キリストのために生き、また死なせる力でもあるのです。この福音信仰が、魔術と迷信にとらわれている人々を救い力でもあるのです。この信仰が、どこに散らされて行っても、その散らされた先々で、独創的な工夫と力をもって福音を宣べ伝えさせる力なのです。

使徒の働き7章54~60節 「天を見上げて」

 きょうは「天を見上げて」というタイトルでお話したいと思います。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません」(6:13)という訴えに対してステパノは、そうではないということを証明するために異例とも思われる長い弁明をした後で、むしろ聖霊に逆らっているのはあなたがたであると、ズバッと切り返しました。彼らは神から遣わされた正しい方であるイエス・キリストを十字架につけて殺してしまったことで、神に逆らう者になったのだと責めたのです。するとそのことばを聞いていた人たちは、はらわたが煮えかえる思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしました。それだけでなく、彼らはステパノの語ることに耳をおおい、大声で叫びながら、いっせいにステパノに殺到し、石で彼を打ち殺してしまいました。キリスト教界における最初の殉教者です。ステパノという名前は「冠」という意味ですが、彼はどういう点で冠であったかというと、こうして殉教者になることによって神の冠となったわけです。

 きょうはこのステパノの殉教の様子を、彼が発した三つのことばを中心に学んでいきたいと思います。第一に、56節のみことばから、主イエスを見上げたステパノについて、第二に59節のみことばから、主イエスに自分の霊をゆだねたステパノについて、第三に60節のみことばから、敵のために祈ったステパノについてです。

 Ⅰ.主イエスを見たステパノ

まず第一に、主イエスを見上げたステパノについて見ていきましょう。54~56節までをご覧ください。

「人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の右に立っておられるイエスとを見て、こう言った。『見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます』」

 ステパノの話を聞いたサンヘドリンの人たちは、はらわたが煮えかえる思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしました。「はらわたが煮え返る」ということばは、前にも出てきましたが、下にもあるように、「心をのこぎりで切る」という意味のことばです。ナイフでちょっと切っただけでも痛いのに、のこぎりでぎりぎり切られたらどんなに痛いでしょう。彼らの怒りはそれほどに達していました。それは、彼らがステパノに向かって「歯ぎしりした」ということばにも表れていると思います。この「歯ぎしり」するというのは、怒りを表す表現です。詩篇35:16には、「私の回りの、あざけり、ののしる者どもは、私に向かって歯ぎしりした」とありますが、彼らは今にも襲いかかってくるかのように怒り狂っていたのです。

 それに対してステパノはどうだったでしょうか。そんな彼らとは対照的に、いかにも冷静であったことがわかります。聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」と言いました。人は見るものによって言動が決まります。もし相手の怒り狂った態度を見ていたら、恐れと不安に脅えてしまったでしょうが、ステパノはそうではありませんてじた。彼は聖霊に満たされ、天を見つめ、そこにおられる主イエスを見ていたので、彼らの態度にちっとも動揺することなく、「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言うことができたのです。これはステパノが見た幻です。彼らはこのとき議会の中にいましたから、天を見なさいと言われても、古ぼけた議会の天井しか見えなかったでしょう。しかし、ステパノの目には、天井を超えた、天にある神の御座が見えたのです。神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとが見えたのです。それはステパノだけのことではありません。信仰の目をもって見るならば、だれにでも見える光景なのです。

 ところで、ここでステパノが見たのは神の右に立っておられる主イエスでした。座っておられるイエス様ではなく、立っておられるイエス様です。聖書の中でこのようにイエス様が神の右に立っておられるという描写は極めてまれです。そのほとんどは、神の右に着座されたとなっているからです。たとえば、ヘブル1:3には、

「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」

とあります。イエス様は神の右の座に着かれたのであって座っておられるはずなのに、ここでステパノが見たのは立っておられるイエス様の姿でした。いつたいこれはどんなことを表していたのでしょうか。

 昔からキリスト教教父と言われる人たちは、ここに、神の座に座っておられたイエス様が、愛するしもべを迎えるために、その座から立ち上がり身を乗り出して受け入れてくださるイエス様の姿を見てきました。よくそのような絵画を見ることがあります。空の真ん中にイエス様が両手を開いて招いておられる姿が描かれているものを。そういうイメージです。すなわちステパノは、立ち上がって御手を伸べてくださるイエス様に、「主イエスよ。私の霊をお受けください」と祈りつつ、身をゆだねることができたのです。すばらしいじゃないですか。私たちが天の御国に入れられるとき、そうやって迎えてくださる方がおられるということは。天国に行ってはみたけれど、イエス様はじっと座ったままで微動だにしなかったとか、他のことをしてて忙しそうだったとしたら、何だか悪いような感じもしますが、そうやって御手を差し伸べ、「よく来たね。」「今までよく頑張った。」「さあ。安心しておいで」と言われれれば、「ありがとうございます。主よ。私の霊をあなたにゆだねます」と言えるのではないでしょうか。私たちにはそうやって御手を差し伸べてくださるイエス様がおられるのです。この世の愛する人から離れたったひとりの天国の旅路に向かう中で、そのように伴ってくださる方がおられるというのは大きな慰めです。

 また、ここでイエス様が立っておられるというのは、とりなしておられる姿を現しているのではないかという人もいます。ちょうどステパノが法廷に立っているように、イエス様もまた神の法廷に立ち、父なる神の前でとりなしておられるというのです。確かにイエス様は約束してくださいました。

「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしておられるからです。」(ヘブル7:25)

 イエス様が手を差し伸べていてくださるから安心して行ってみたら、父なる神様が「いや、君はあれこれと本当に悪いことばかりしてきたね。ちょっとどうかな。」ということはないと思いますけど、もしあっても大丈夫です。なぜなら、その脇でちゃんととりなしてくださる主イエス様がおられるからです。自分では罪に汚れていて、天国に入れていただくような資格がないような者であっても、イエス様が父なる神にこう言ってくださいます。「父よ。彼の罪は完全に聖められています。なぜなら、彼には私の血が塗られているからです。私が十字架にかかって死んだとき、その血潮を受け入れ、その血潮に信頼しました。彼の罪は完全に聖められているんですよ。」そのことばを聞かれる神様は、「そうか、だったら間違いない。あなたの罪は赦されている。さあ、あなたに約束されている御国を継ぎなさい。私の愛する子がそのように保証しているんだから・・・」

 ですから、ここでステパノが立っておられるイエス様を見られたというのは、この両方のことを指してのことでしょう。このように死のみぎわにあっても、天を見つめ、そこにある神の栄光と、そのに右に立っておられるイエス様を見つめる人には不安や恐れはないのです。イエス様が弁護し、イエス様が迎え入れてくださるのですから、安心してこのイエス様に我が霊をゆだねることができるのです。これがステパノの勝利の秘訣でした。

 Ⅱ.自分の霊をゆだねたステパノ

次に、主イエスに自分の霊をゆだねたステパノの姿を見たいと思います。57~59節をご覧ください。

「人々は大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺した。証人たちは、自分たちの着物をサウロという青年の足もとに置いた。こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』

 ステパノにとってのこうした慰めに満ちた幻の描写も、それを聞いていた彼らにとってはこの上ない神への冒涜だと思い、そんなステパノの声が聞こえないように、両手を耳を覆い、また、大声で叫びながら、いっせいにステパノに殺到しました。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺したのです。

 このような描写を読むと、ステパノの殺害はいかにもいきり立った彼らのリンチであったかのような印象を受けますが、実際はそうではなく、一定の手続きを踏んでのことであったのがわかります。それは彼らがステパノを町の外に追い出したことや、自分たちの着物をサウロという人物の足もとに置いたことからもわかります。当時、この石打の刑は、受刑者をこのように町の外へ引き出し、むちで打ってから、少なくても人の背丈の倍はあるような高い崖から突き落とすと、大人二人でないと持てない大きな石を囚人の胸元めがけて落とすのです。たいていの場合はこれで息絶えてしまいますが、それでも息が止まらない時には、他の人がいっせいに大小の石をぶつけて殺しのです。ステパノの場合、「彼らが石を投げつけていると」とありますから、崖からつき落とされた後で、人々から石を投げられたのでしょう。このとき、他の人まで石を投げる必要があったのかわかりませんが、そんな中で彼はひざまずい、こう言ったのです。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」

 これは、イエス様が十字架に付けられたときに、その十字架の上で発せられたのと、よく似ています。ルカ23:46には、イエスは大声で叫んで、こう言われました。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」そればかりでなく、最後の祈りも非常に似ていることがわかります。ステパノは、「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と祈っていますが、イエス様もまた「父よ。彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)と祈られました。ですから、そっくりなのです。これを書いたのはルカです。ルカがかってに脚色したことではなく、ステパノ自身がそのように祈ったということを聞いて、きっとそこにイエス様のお姿を表したかったのではないでしょうか。すなわち、このステパノという人は、イエスの様に生きた人であったということです。彼はイエス様の足跡を踏もうと生きていたということです。

 それにしても、そうした非常に似ているステパノの祈りですが、その中にもちょっとだけ違っているところがあることに気づきます。それは、イエス様が「父よ」と叫んだのに対して、ステパノは「主イエス様」と叫んだことと、イエス様が「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言ったのに対して、彼は「私の霊をお受けてください」と祈っている点です。このステパノの祈りはいったい何を意味していたのでしょうか。これは、イエス様こそ十字架で死んで復活し、今も生きておられるばかりか、死者の霊を受け取り、私たちの死後の運命も支配したもう神であられるという信仰の告白なのです。その信頼し愛しまつる主イエスに、自分の霊を全面的に明け渡そうした彼の思いがよく表されています。そこにあるのは死後のたましいをさばかれる恐ろしい神のさばきではなく、愛し慕いまつる方のもとに行けるという喜びであります。
 クリスチャンはだれでも、死に際して、ステパノのように、イエス様に向かって「主イエス様。私の霊をお受けください」と言って、安らかに、死ぬことができるのです。

 人はだれでもみな、安らかに死んでいきたいと思っていますが、いったいどうしたらそんな安らかな死を迎えることができるのでしょうか。奈良にぽっくり寺というお寺があるそうですが、ここにお参りすると、苦しまずにぽっくり死ねるということで、連日、各地から参拝人がバスを連ねて、押し寄せてくるそうです。ある時、このぽっくり寺に来たおばあさんが、お参りをすませた後で、バスの所へ返る途中の参道で脳卒中で倒れ、あっという間に亡くなってしまいました。それを見て一緒にお参りに来た人が、「ぽっくり寺もいいけれど、こんなによく効くんだったらお断りだ」と言ったそうです。まったく身勝手ですね。

 「安らかに死を支える」という本を書かれた医師の柏木哲夫先生は、これまで多くの臨終に立ち会い、様々な死を見てきたけれど、平安な死を迎える人がいれば、苦しみ、もだえながら死んでいく人といろいろいるけれど、その決めては何かといったら、人は生きてきたように死んでいくということでした。
 その本の中に73歳になられたひとりのご婦人の話が載っております。この方は直腸ガンが肺に転移し、すでに死期は目前でした。しかし、この方はクリスチャンで、死を全く受容しているかのようでした。召される一週間くらい前のことです。柏木先生が病室を訪れると、にこにこした顔で「先生。もうすぐイエス様に会えそうです。あと一週間くらいですかね。」と言われました。この方はもう死を受容しているなと思ったので、「そうですか。近づきましたか」と平静に語り合える間柄でした。
 その後、できるだけ毎日病床を訪ねるようにしていましたが、亡くなる二日前に訪問した時も、「先生。明日かあさっての感じですよ」とにこにこして言うと、「私にはわかります。目をつぶると天国が次第次第に近づいてくるんです。感謝ですねえ。」と言うではありませんか。しかし、まだイエス様のことを知らないご主人のことが気になるようで、「先生。一つだけお願いがあるんですけれども、聞いてもらえますか。」というので、「ええ、私にできることなら喜んでお聞きしますよ。」と言うと、「実はこの場で主人のために祈ってください」と言うのです。何とかしてご主人を導きたかったのですができなかったので、何とかご主人が神様を信じて救われてほしいと思われたのでしょう。そこで柏木先生が、その場で祈りました。「神様。Kさんはもうすぐあなたのみもとに帰ろうとしています。どうか数日の間、体の苦しみがなく、平安に守られますように」と祈り、「今、一番気がかりなのは、ご主人の救いのことであるとはっきりと言われました。どうか、あなたが働いてくださってご主人を救ってください。イエス・キリストのお名前によって祈ります。。アーメン」と祈ると、そのとき、隣にいたご主人が生まれて初めて、柏木先生の祈りに合わせて「アーメン」と言ったのです。その声を聞いたKさんの目からは涙がボロボロと流れ出ました。そして柏木先生に向かって「先生、ありがとうございました」と心から安心したように言いました。
 やがていよいよ臨終という時、徐々に薄れていく意識の中でKさんは、「天国が見えてきました」と静かに言って息を引き取られました。そこにいた人みんなが感動しましたが、特にその様子を見ていたご主人が感動し、その後教会へと通い始め、二ヶ月後には洗礼を受けたのです。
 人生の巡り合わせというのは不思議な者で、その後ご主人も一年とたたないうちに肝臓ガンになられました。自ら進んで柏木先生に主治医になってほしいと言われたので、診察をしたところ、その時には肝臓のほとんどがガンに冒され、腹部はかなり膨張していて、腹水がたまっている状態でした。そこでご本人に告げた方がいいと思ってお呼びしたところ、本人の方から「先生。ガンなんでしょ。」と言われました。「死ぬことは覚悟してますから、できるだけ苦しまないようにお願いしますね」と淡々と言われました。そして数日後、家族全員を連れて、自分が葬られる教会の納骨堂を見に行くと、遺書をしたためて入院されました。
 ある日、柏木先生が病室を訪問し、「どんな具合ですか」と聞きますと、「先生。もう長うないと思います。でも心に不安はありません。家内と一緒の所へ行けるんですから」。と言われました。そしてその言葉通りに、十日後に亡くなられました。それはとても平安な臨終だったと言います。
 この時、柏木先生は思ったそうです。信仰が本人に与える力は何と大きいことか・・・と。いつも自らが生かされていることを感謝し、人生の道、死ぬ時期、死に方をゆだねきった人生というものがどれほど平安に満ちたものなのかを見せていただいた死であった・・・と。

 クリスチャンにはみな、このような死に方が備えられています。ステパノが「主イエス様。私の霊をお受けください」と祈ったように、私たちの霊のすべてを支配しておられるイエス様にすべてをゆだねることができるのです。愛するイエス様のところへ行けるという喜びがあるのです。ステパノのこのことばには、そうした彼の信仰が溢れていたのです。

 Ⅲ.敵のために祈ったステパノ

第三に、敵のために祈ったステパノの姿です。60節をご覧ください。「そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」

 ステパノが最後に祈ったことばも、イエス様の時と似てますが、いくらか違いがあることがわかります。まずイエス様が「父よ」と祈ったのに対して彼は、「主よ。」と言いました。また、イエス様が人々の罪を赦していただく理由として、「彼らは何をしているのか自分でわからないのです」と祈ったのに対して、ステパノは、情状酌量の理由を述べていない点です。いったいどうしてでしょうか。どうして彼はそのように祈ったのでしょうか。

 おそらく、イエス様はすべての人の心を知っておられるお方でしたから、人々が無知の罪を犯しているということがよくわかっていましたが、ステパノの場合は、はっきりわからなかっのだと思います。そうしたはっきりしないことをあたかもそうであるかのように、自分の観測で物を言うのはよくないと思ったのでしょう。彼はただ、「この罪を彼らに負わせないでください」と祈ったのです。しかも、ここで「主よ」と言っていることからもわかるように、イエス様こそ人の心の奥底までも知ってさばかれる方であられるということを信じ、この方にすべてをおゆだねしたのです。しかも、そのさばき主には、赦しがあるということ恵み深い事実を信じていたのです。

 私たちは、日本人の死の通年から見て、この時にステパノが自分のことを祈らないでむしろ他人のために、しかも敵のために祈ったという事実に驚きを感じます。いったいだれが死の間際にこんな祈りをささげることができるでしょう。いったい彼はどうしてそのように祈ることができたのでしょうか。それは、彼が自分の死については既にちゃんと済ませていたからです。もちろん、私たちも自分の死については、理屈の上では済ませているつもりです。しかし、実際に死を迎えるときになると、心は迷い、信仰は動揺し、あわてふためいていろいろな迷信に走ってしまうということも少なくありません。ステパノが自分の死について解決していたというのは、そうした頭の中の理屈とか、口先だけの信仰によるものではなく、とうにイエス・キリストの福音の確かさを確信し、心底から解決していたからなのです。私たちも、人のために祈って死ねるとしたら、それは私たちが福音の確かさによって、自分自身のことを完全に解決している時だけなのです。あの偉大な神学者のアウグスティヌスは、「もしステパノが祈らなかったら、サウロは回心していなかっただろう」と言いました。58節を見ると、このとき青年サウロの足もとに、ステパノの着物が置かれたとあります。彼はステパノの殺害に加わったかどうかわかりませんが、少なくてもこの時点ではまだ神の敵でした。そんなサウロがキリストに捕らえられて回心し、やがてキリスト教の偉大な伝道者となっていくわけですが、そのためには、このステパノの祈りがなければなりませんでした。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」この祈りが、やがてサウロの回心へとつながっていくわけです。ここでのステパノの最後の祈りの一言も、むなしく地に落ちることはありませんでした。私たちも、死においても隣人をキリストのもとに導いていくことができるように、自分の救いというものに対して確信を持ち、解決していなければならない。イエスを救い主として信じ、ステパノのように、「主イエス様」と祈れるものでなければならないのです。

 こうしてみると、ステパノが見事な祈りをして殉教の死を遂げることができたのは、彼に栄光のみ姿を表してくださった主イエス・キリストがいたからだったのです。主イエスがおられるならば、明日も怖くはありません。死も怖くありません。キリストが、私たちの罪を負い、十字架にかかってあがないを成し終えてくださったのですから、私たちはその主イエスに向かって「私の霊をお受けください」と祈ることができるからです。主イエスが、罪深い私のために救い主となって死んでくださったからこそ、私たちもまた隣人のためにこう祈ることができるのです。「この罪を彼らに負わせないでください。」それはよみがえりの主イエスが、今は神の右の座にいて、とりなしていてくださるからです。私たちにとって必要なのは、この主イエスを見上げることなのです。

 皆さんは、今、どこを見ていらっしゃいますか。人は見るものによって言動が変わると言いましたが、その通りです。もし、皆さんが、十字架で死んでよみがえられ、今も生きておられる主イエスを見上げるなら、天を見上げるなら、そこにどんな悲しみや困難があっても、そのすべてを主イエスにゆだねて祈ることができるのです。

 キリスト教史上最初の殉教者となったステパノのは、生きるにしても死ぬにしても、そのことを生涯をかけて証ししました。それゆえに彼は真の意味で「冠」となったのです。どうか、皆さんもステパノのようにただ天を見上げ、そこに立っておられる救い主イエスを見てください。そして、手を差し伸べて迎えてくださる主に感謝しつつ、この地上での生涯を主を証していく者でありたいと思います。

使徒の働き7章44~53節 「まことの神の家」

 きょうは「まことの神の家」というタイトルでお話したいと思います。48節に、「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。」とあります。では、いと高き方は、どこにお住みになられるのでしょうか。それがきょうのテーマです。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません」(6:13)という理由で訴えられたステパノは、そうでないということを弁明するために異例とも思えるような長い説明を始めました。まず彼は、彼らか信じていた神とはどのような方かについて、アブラハムから始まったイスラエルの歴史を通して語ると、話はモーセの物語へと移りました。すなわち、あのモーセが指し示していた実体こそキリストであり、このキリストに従う満ちこそ神の道であるということでした。そして話はいよいよクライマックスへと入ります。すなわち、エルサレムにある神殿こそ神が住んでおられる聖なるところであって、それに逆らうことを言うことは間違っているということなに対して、ステパノは、そうではないと言ったのです。というのは、神様は偉大な方であって、人間が手で造ったような家にはお住みにならないからです。そのように「この神殿が・・・」と神殿に固執して彼らこそ、神のみこころから離れ、神に逆らっているのだと言いました。このことは、単に神殿がどうのこうのということ以上に、私たちの信仰の中心とは何なのかについて改めて教えていると思います。すなわち、律法ではなく福音であるということです。福音の恵みに立ち、その恵みに生かされることが神のみこころであるということです。

 きょうはこの「まことの神の家」について三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、あかしの幕屋についてです。まことの神の家はエルサレムに神殿ができるずっと前から、既に幕屋を通して存在していたという事実です。第二のことは、まことの神は手で造られた家に住まわれる方ではないということです。第三のことは、ではまことの神はどこに住まわれるのか。まことの神は、へりくだって、神とともに歩む人の中に住まわれるということです。

 Ⅰ.あかしの幕屋があった

まず第一に、幕屋について見ていきたいと思います。44,45節をご覧ください。

「私たちの父祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋がありました。それは、見たとおりの形に造れとモーセに言われた命令どおりに、造られていました。私たちの父祖たちは、この幕屋を次々に受け継いで、神が彼らの前から異邦人を追い払い、その領土を取らせてくださったときには、ヨシュアとともにそれを運び入れ、ついにダビデの時代となりました。」

 ステパノは、彼が律法と聖なる所とに逆らっているという訴えに対して、律法の中心であったモーセが指し示していた実体こそキリストであったということを説き明かすと、次に、聖なるところに逆らうことを語っているということについて、この聖なる所である神殿に固執することがナンセンスであることを示すために、モーセの時代に既に存在していた荒野について語ります。44節には「私たちの父祖たちのためには、荒野にあかしの幕屋があった」と言います。それはエルサレムに神殿ができた約400年前のモーセの時代のことです。それは、神がモーセに命じて造らせたものです。その時代に既に神殿の原型となった幕屋が存在していたというのです。どこに?荒野にです。であれば、どうしてエルサレムにある神殿に、それほど固執する必要があるのでしょうか。神様はいつの時代でも、どこにでもおられる方です。あのアブラハムがメソポタミヤにいたときに御声をかけて召し出されましたし、ヨセフの時代にも彼とともにおられた方です。そして、モーセの時代には、荒野にあかしの幕屋を作るように命じ、それを通して彼らとともにいてくださった方です。であるなら、どうしてエルサレムにある神殿にそれほど固執する必要があるでしょうか。

 そもそも幕屋とは何でしょうか。幕屋とはその昔モーセの時代に、神がイスラエルの民の中に住むために造られたものです。出エジプト25:8には、「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」とあります。神様はイスラエルに十の戒め、十戒を与え、その掟を守るなら、彼らとともにいて、彼らを守り、必要のすべてを与えてくださると約束されましたが、その律法に従わないのなら、彼らをさばかれると言われました。けれども、神の命令を完全に行える人などだれもおりません。私たち人間は罪を犯さずには生きていけないほど弱いものです。たとえ自分では律法を守っているかのようであっても、神の基準からみたら全く不完全な者にすぎません。たとえば、十戒には「殺してはならない」とあります(出エジプト20:13)。私たちのだれが、この戒めを破っていると思っているでしょうか。人を殺している人など、ほとんどいません。したがって私たちのだれもが、この戒めを破っているとは思っていませんが、神の基準から見たら違うのです。この「殺してはならない」と神が言われたことばの真意は、実際に人を殺したかどうかということではありません。マタイ5:21,22を開いてみましょう。このところでイエス様は、このことばの真意を正しく教えてくださいました。

「昔の人々に、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者には、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」

 ああ、何ということでしょうか。私たちは燃えるゲヘナに投げ込まれなければなりません。なぜなら、私たちは実際に人を殺すようなことはしていなくても、よく「ばか」というからです。私もこどもが小さい時に、こどもが人に向かって「ばか」なんて言うのを聞いてよく言いました。「なんで人に向かってバカって言うの。それはとっても悪いことばだから使っちゃだめだよ。バカ」そうなんです。私たちは神様の基準で見たら、とても神様のみこころにかなう者ではありません。神のさばきを受けて滅んでいかなければならないような罪深い者なのです。しかし、あわれみ深い神様は、そんな私たちが十戒を守ることができないことを十分承知のうえで、彼らが滅びることがないように、彼らとともに住まわれる道を用意してくださいました。それが幕屋だったのです。人々はそれによって聖なる神様に近づく方法を学ぶことになったのです。

 そしてここには「あかしの幕屋」とあります。この幕屋が「あかしの幕屋」と呼ばれているのは、神のあかしである十戒が書かれた二枚の石の板が収められた箱が置かれていたからです。それは契約の箱とか、あかしの箱と呼ばれていました。ですから、幕屋全体も「あかしの幕屋」と呼ばれていたのです。それから、この幕屋のもう一つの呼び名は、「会見の幕屋」「会見の天幕」でした。神がこの幕屋での礼拝を通して民と会見してくださるという意味です。イスラエルは、この幕屋で神を礼拝するとき、何一つ神の像を見ることはできませんでしたが、神と会見することができました。どのようにしてでしょうか。神のあかしのことばによってです。そのことばによって彼らは、神がともにおられること、神とはどのような方なのか、神が望んでおられることはどんなことなのかを知ることができたのです。

 ステパノは、それが荒野の時代に既にあったと言いました。38節を見てください。モーセはすでに荒野において、「シナイ山で彼に語った御使いや私たちの父祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、あなたがたに与えたのです。」この集会ということばには米印があります。下の欄外の説明には、これは「エクレシヤ」ということばだと記されてあります。「エクレシヤ」というギリシャ語は「「教会」のことです。ステパノは、このモーセの時代にすでに教会があったと言ったのです。なぜなら、教会とは生けるみことばを聞き、そこで神と会見する所だからです。たとえ荒野であっても、そこで生けるみことばを聞き、神と会見できるならば、それは教会なんだと彼は言ったのです。皆さん、教会とは何でしょうか。私たちは「教会」という言葉を聞くと、高い塔がそびえ立ち、中は美しく飾られた建物を創造しますが、それは教会堂であって教会ではありません。教会とは神のあかしを聞くことによって、神と対面させていただく所、神と会見するところです。いま、私たちはこうして神のことばにに触れ、神のあかしを聞くことによって、神と対面している。まさにこの教会の現実の中に置かれているのです。昔、イエス様の弟子であったアンデレは、兄弟シモンに会ったとき、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言って、彼をイエス様のみもとに連れて来ましたが(ヨハネ1:41)、そのように、私たちも「神とメシヤに会って来た」と言えるようなものでなければ、それは教会とは言えないのです。「どこに行って来たんですか」「はい、教会を見学してきました」では教会とは言えないのです。神が会見してくださったあかしの幕屋の中心に、神のあかし、神のことばが置かれていたように、教会の中心にはいつも神のあかしであるみことばが置かれ、みことばが語られなければならないという理由はそこにあるのです。その神の幕屋が次々に受け継がれ、ヨシュアの時代に今彼らが住んでいるカナンの地へと入って行き、ついにダビデの時代に入り、そこに神殿が建て上げられたのです。どういうことかというと、確かにモーセの時代に幕屋にあった幕屋はポータブルで一時的なものでありましたが、そこで神のあかしが語られ、神が会見してくださったいたのなら、それはエルサレムに建てられた神殿に勝るとも劣らぬ立派な神殿であっということです。それがモーセの時代からすでに存在していたという事実は、エルサレムの神殿にそんなに固執する必要はないということを物語っていたのです。

 Ⅱ.いと高き方は手で造った家には住まわれない

第二のことは、まことの神は、手で造られた家にはお住みになられないということです。46~50節までをご覧ください。

「ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの神のために御住まいを得たいと願い求めました。けれども、神のために家を建てたのはソロモンでした。しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。『主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所とは、どこか。わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。』」

 ステパノは、神殿崇拝に対する彼らの熱を冷やそうと、それがいかに間違った考えなのかを神殿そのものに対するこれまでの歴史の流れから説明を企てようとします。次に彼が取り上げたのは、ダビデが願い求め、ソロモンの時に建てられた神殿そのものについての話です。ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの神のために御住まいを得たいと願い求めましたが、神のために建てたのはソロモンでした。ここで彼が言いたかったのはどういうことかというと、神殿というのは絶対的に必要なものではないということです。だって、別にソロモンの時代まで待つことができたんでしょ。本当に必要だったなら、そんなに待つことなんてできなかったはずです。何としてもダビデの手で造りたかったでしょうが、そのダビデは神様から「造れ」と命じられ、発案をしただけで、実際に建てたのはその子ソロモンでした。ソロモンの時代まで待っても、イスラエルの神礼拝そのものにはそれほど影響を与えなかったとたしたなら、そんなに重要なものではなかったはずなのです。

 もう一つのことは、そのソロモンがこの神殿を建てたときに言ったことばです。ステパノはソロモンが神殿を完成しそれを神様に捧げた奉献の式で祈った祈りを引用し、「しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。」と言いました。ソロモンは神殿が完成したとき、天の神に向かって手を挙げ、次のように言いました。

「しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高きあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。しかしわが神、主よ、しもべの祈りと願いを顧みて、しもべがきょう、あなたの前にささげる叫びと祈りをお聞き下さい。あなたが『わたしの名をそこに置く』と言われた所、すなわち、この宮に向かってよる昼あなたの目をお聞きください」
(I列王記8:27,28)

 ここでソロモンは、たとえその神殿が人々の目を奪い、息も止まるような立派な建物であったとしても、いと高き神を入れることなんてとてもできないと告白しました。いと高き方は、天も、天の天も入れることのできない偉大なお方なのです。

 埼玉で伝道している友人の牧師が開拓伝道をして間もない頃、近くの木工所の部屋を借り、三日間の特別伝道集会を開いたことがありましたが、そのときに来られた講師の先生が、「聖書に書かれてある神様は、天地を造られた方であって、、一年に一度みんなにかつぎ出されて、御神酒(おみき)をぶっかけられて喜んでいるような方ではありません。」というと、その木工所の主人も話を聞きに来ていて、急に不機嫌になられ、「明日から集会所を貸すことはできない」と言い出しました。その木工所では祭りのための御神輿(おみこし)を作っていたからです。友人の牧師は何とか説得して集会を続けることはできましたが、意外にも人は、そうした小さな御輿に神が宿っていると本気で考えているのです。しかし、真の神様は、人が手で造ったような家に住むことができるような方ではないのです。天も、天の天も入れることができないほど偉大な方なのです。

 それは、預言者が語ってきたことでもあります。49節と50節を見てください。これはイザヤ書66章1,2節からの引用ですが、ここでステパノは、いと高き方が住まわれる家とはどのような家なのかを次のように言いました。

「主は言われる。天はわたしの王座、地はわたしの足の足台である。あなたがたは、どのような家をわたしのために建てようとするのか。わたしの休む所は、どこか。わたしの手が、これらのものをみな、造ったのではないか。」

 ステパノはここで、いと高き方が住まわれる家は、天地にはないと言いました。なぜなら、神様はあまりにも偉大で、大きいため、天も、天の天も、まして地も入れることができないからです。もし入れようとしたらどうなるでしょうか。はみ出してしまうのです。ちょうど育ち盛りの中学生が、前に来ていた洋服を着たときのようにです。何とか入れようとしても、きつくて入りません。手はつんつこてん、足はすねがまる見えで、おなかのところにはおへそが突き出てしまうことになるでしょう。それと同じように、天の天も、地の下にも、どこにも、まことの神を入れることはできないのです。

 Ⅲ.へりくだった心砕かれ、神のことばにおののく者に

 では、まことの神がお住みになられるのはいったいどんな所なのでしょうか。この49節と50節はイザヤ書からの引用であるということを申し上げましたが、実は、このイザヤ書を開いてみると、イザヤ書66章1,2節の全体から引用したのではなく、前半部分からの引用であったことがわかります。ちょっと開いてください。ここには、「天はわたしの王座、・・・・わたしのいこいの場は、いったいどこにあるのか。」という言葉の後で、次のように記されてあります。

「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」

 ステパノがどうしてこのことばを引用しなかったのかわかりません。尾山令仁先生は、その注解書の中で、この頃にはそれを聞いていたサンヘドリンの人たちやリベルテンの会堂に属する人たちの怒りがピークに達していて、今にも彼を殺そうとしていたので、最後まで引用できなかったのではないかと言っています。早く結論を言わなければならないと思っていたステパノは、この箇所をスキップして、結論である51節からのことばに移ったのではないかと言うのです。私はこう思うのです。おそらくステパノはこれを言う必要がなかったのだと思います。それは聞いている人たちにとって十分承知の話だったからです。そんなことを言わなくても、もう既に彼らが神と聖霊に逆らっているということを、ステパノは十分伝えていたので、わざわざ言うまでもなかったのだと思います。

 しかし、エルサレムの宮である神殿についてそれほど知らない私たちにとっては、神様がどこに住まわれるのか、まことの神の家とは何なのかをみことばからはっきりと知ることは大切なことだと思います。そしてそのみことばが、こう言うのです。「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」と。皆さん、神様が住まわれる所は、この被造物のどこにもありません。ただへりくだって心砕かれ、神のことばにおののく者の中にあるということです。へりくだって心砕かれ、神の救いであるイエス・キリストを信じて心に受け入れ、新しく造り替えられたクリスチャン一人一人の中におられるというのです。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、」(Iコリン6:19)

 これはものすごいことです。天も、天の天も入れることのできない全能の神が、キリストを信じる人たちの心の中に、聖霊を通して住んでくださるというのですから・・・。これが神様の御業なのです。そのために神は、今から2000年前に御子イエス・キリストをこの世に送ってくださったのです。それは御子を信じる者がひとりも滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。罪によって神との交わりが絶たれ、そのままでは永遠の滅びるしかなかった私たちが神との関係を回復し、永遠に神とともに生きることができるようになるためです。それがイエス・キリストでした。キリストは何の罪もありませんでしたが、私たちのために罪となり、身代わりとなって十字架で死んでくださり、三日目によみがえられました。それは御子を信じる者がいのちを得るためであります。このキリストにあって私たちは、神の臨在、神との交わりをいただくことができるのです。ですから、キリストは「インマヌエル」なる神として生まれてくださったのです。インマヌエルとは、「神ともにおられます」という意味です。このキリストによって私たちは罪が許され、神がともにいますという聖書の約束が実現したのです。そして、ペンテコステの後に、神は約束の聖霊を信じる一人一人の心に注いでくださり、いつも、いつまでも、ともにいてくださるようにしてくださったのです。ですから、大切なことは、へりくだって心砕かれることです。心砕かれて悔い改め、この方を救い主として信じて心に受け入れることです。そして、この方のことばにおののくこと、この方のことばを恐れ、敬い、従うことなのです。そういう人たちこそ神の家であり、神がともにいてくださる所なのです。

 なのに彼らはかたくなになって、その神のみこころに背きました。51~53節です。彼らは父祖たちと同様に、聖霊に逆らって、この正しい方、救い主、イエス・キリストを十字架につけて殺してしまったのりです。神に背いているのは自分ではなく、あなたがたの方です。彼らこそ心と耳とに割礼を受けていない人のように、神のみこころを悟らないで、聖霊に逆らっていたのです。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6)

と言われました。また、「わたしを見た者は父を見たのです」(ヨハネ14:9)

 イエスを通して神に会う道こそ、神がご計画しておられた道であり、へりくだって心砕かれた者の道なのです。もしイエス様を信じないで、まだ自分勝手に生きようとしているなら、それはこのユダヤ人たちとほとんど変わりません。かたくなで、聖霊に逆らっていることになるのです。ですから、神の救いであるイエス・キリストを信じてください。そうすれば、全能の神が、あなたとともにいてくださるのです。あなた自身がまことの神の家になるからです。また、キリストは私たちを律法から解放するために死んでくださったのに、まだ自分の力で何とかしようと、律法に縛られた生き方をしていることがあるとしたら、それはこのユダヤ人たちと同じです。パウロは、

「キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。」(ガラテヤ5:6)

と言いましたが、大切なのは、割礼を受けるか受けないかということではなく、愛によって働く信仰だけなのです。神の礼拝にすべてをゆだね、この聖霊に導かれた歩みなのです。

 覚醒剤を使用して逮捕され実刑を受けたK兄は、刑務所の中で妊娠中の奥さんとも離婚し、子どもの顔を見ることもなく、すべてを失うことになりましたが、そんな中、服役中に聖書と出会い、福音に心を開くようになりました。やがてイエス様を信じ、刑を終えて、心を悔い改め新しい出発をするために、さっそく教会に足を運び、リハビリも兼ねて、ホームレス伝道の手伝いを始めました。
 しかしK兄は、救われた後の薬物の後遺症やフラッシュバックなどに苦しみました。これからの生活の不安や、奉仕のストレスなどから、苦しくなると覚醒剤が恋しくなりました。そして、とうとう誘惑に負けて、売人を見つけ、久しぶりに薬を打ったところ、古い習慣が再び彼をとりこにしました。クリスチャンになったのに、罪の生活に舞い戻った自分に絶望して、彼は泣き崩れました。
 そんな中で彼が教えられたことは、自分は罪に対しては全くの無力な人間であるということ。そして、神様を信じていると言いながら
聖霊に自分自身をゆだねていなかったということでした。クリスチャンになっても、自分の力に頼って聖霊にゆだねていなければ、いつでも罪の生活に引き戻されるということを、体験的に知ったのです。祈りの中で聖霊がK兄に触れてくださり、罪の生活をやめられてないで苦しんでいる彼をも神がどんなに愛しておられるかを知って、彼は幼子のように、罪深いままの自分をありのままに御前に差し出しました。そのとき、深い聖霊の愛といやしを体験し、彼は本当の意味で薬物から解放され、自由になったのです。大切なのは、無新しい創造です。愛によって働く信仰だけなのです。もし、律法に縛られ、自分の力で生きることがあるとしたら、それは神が願っておられることではありません。すべてを神に明け渡し、聖霊の恵みの中に生きることこそ、神がともにおられ、神が住んでくださる所なのです。

 ですから、心をかたくなにしないでください。キリストを信じ、キリストが語られることに聞いてください。そうすれば、神の恵みがあなたの心を支配し、キリストにある自由と解放を享受することでしょう。それはあなた自身が神が住まわれるまことの家だからです。

使徒の働き7章19~43節 「モーセとキリスト」

 きょうは「モーセとキリスト」というタイトルでお話します。37節のところに、「このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる』と言ったのです。」とあります。「私のようなひとりの預言者」とはイエス・キリストのことです。「この人は聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめない」という理由で訴えられたステパノは、そうでないことを弁明するために異例とも思われる長い説明を始めました。その中で彼はまず、神がどれほど栄光に富んでおられる方かをアブラハム、ヤコブ、ヨセフの歴史を通して語ると、話はモーセの物語へと移ります。モーセの話をすることによって、彼が律法に逆らっていたのではなく、律法そのものが指し示していた実体であるところのイエス、すなわち、神に従っているということを証明しようとしたかったからです。それにしても私たち日本人がこの箇所を読みますと、正直、内容を理解するのに骨が折れます。旧約聖書に書かれてあるイスラエルの歴史についてそんなに詳しく学んだわけではないからです。しかし、当時のユダヤ人にとっては、だれもが暗記しているような、慣れ親しんだ歴史物語でしたから、このような話はピンときたのです。むしろ、親しみと懐かしさで共感し、その話の中にぐいぐいと引き込まれていったものと思います。そのモーセの話の中で彼は、モーセが指し示していた本当のモーセとはキリストのことであったと申命記からのみことばを引用して次の四浦言いました。37節です。

「このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のような預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる』と言ったのです。」

 きょうはこのモーセこそキリストであったということから、次の三つのことをお話したいと思います。まず第一のことは、モーセはキリストのひな型であったということです。紀元前1400年頃に生きたモーセの生き方というのは、実はキリストの姿を表していたのです。第二のことは、にもかかわらず神に背を向けたイスラエルの姿です。このように支配者また解放者として遣わされたモーセをイスラエルが拒んだように、イスラエルは神によって遣わされたイエスを拒み、十字架につけて殺してしまいました。第三のことは、そのような彼らに対する神のさばきです。すなわち、神に背を向け、聖霊に逆らってた彼らを神はバビロンのかなたに移されたように、イエスを信じないで神に逆らっている人を、神はさばかれるのです。ですから、私たちはこのモーセが指し示していたイエスを信じ、そのことばに従わなければなりません。

 Ⅰ.モーセはキリストのひな型であった

まず第一に、モーセはキリストのひな型であったということです。ひな型とは、実物をかたどって小さく作ったもの、模型のことです。17~22節をご覧ください。

「神がアブラハムにお立てになった約束の時が近づくにしたがって、民はエジプトの中に増え広がり、ヨセフのことを知らない別の王がエジプトの王位につくときまで続きました。この王は、私たちの同胞に対して策略を巡らし、私たちの父祖たちを苦しめて、幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。このようなときに、モーセが生まれたのです。彼は神の目にかなった、かわいらしい子で、三ヶ月の間、父の家で育てられましたが、ついに捨てられたのをパロの娘が拾い上げ、自分の子として育てたのです。モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。」

 ステパノは自分がモーセと律法に背いているのではなく、むしろモーセに従っていることを示すために、モーセが指し示していたものが何であったのかを説明しています。まず彼はモーセの生い立ちに触れて、その背景についてこう言いました。モーセの誕生は「神がアブラハムにお立てになった約束の時」と関係がありました。アブラハムにお立てになられた約束とは何でしょうか。それは5節にあるように、「この地を彼とその子孫に財産として与える」ということです。その約束の時が近づくにつれて、イスラエルの民がエジプト中に増え広がると、そのことを恐れたエジプトの王が策略を巡らし、イスラエルを苦しめ、幼子を生かしておけないようにしました。生まれてきた男の子はみなナイルの川に投げ込まれて殺されたのです。

 このような時に生まれたのがモーセです。モーセもまた殺される運命にありましたが、彼の母は産まれてきたモーセを見たとき、そのかわいいのを見て、三ヶ月の間隠しておかれたのですが、もう隠しきれなくなると、パピルス製のかごに入れて、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いたのです。するとたまたま水浴びをしようとナイルに降りて来たエジプトの王パロの娘がそのかごを見つけ、かわいそうに思い、拾い上げ、自分の子として育てたのです。そこでモーセはパロの娘の子として育ち、エジプトのあらゆる学問を教え込まれました。ですから彼は、ことばにもわざにも力があったのです。

 ところでステパノはモーセのことを語るのに、なぜこんなにも丁寧にモーセの生い立ちから語ったのでしょうか。それはステパノがただ単にモーセについての物語を言いたかったからではなく、そこにイエス・キリストとの類似性を描きたかったからです。このところを見ると、モーセが生まれたのは、エジプトの王がイスラエルを苦しめて、幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしていた時であったとか、生まれてきた子は、彼が神の目にかなったかわいらしい子であったこと、そして、彼はことばにもわざにも力があったということを記していますが、ステパノはそのモーセの姿こさキリストの姿であった言ったのです。モーセの姿をキリストに重ね合わせて見ていたのです。

 たとえば、マタイの福音書2章16節をみると、イエス様が生まれたときがどのようなときであっかがわかります。時の王であったヘロデは、ベツレヘムとその近辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺させていました。自分の王位が奪われるのではないかと恐れたためです。そのようなときにイエス様は生まれたのです。それは、モーセが生まれた時が、エジプト中にイスラエルが増え広がったため、エジプトの王が恐れて、エジプトにいたイスラエルの幼子を殺した時と同じです。また、モーセが生まれたとき、彼が神の目にかなった、かわいらしい子であったということも、ルカの福音書2章52節に「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」と書いてあるのと同じです。もちろん、モーセがエジプトであらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力があったというのも、ルカの福音書24章19節の「この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした」とあるイエス様の姿と重なります。このようにステパノは、モーセのことを語りながら、実はそこにイエス様の姿をたぶらせることによって、モーセが指し示していた実体が何であったのかを説明したかったのです。

それは23節からの出来事を見てもわかります。それはモーセが40歳になったときのことでした。彼は自分の兄弟であるイスラエル人がエジプト人に虐待されているのを見て、顧みる心を起こし、その人をかばい、エジプト人を打ち倒して、乱暴されている同胞の仕返しをしてやったのに、彼らはそのことを理解したかというとそうではなく、兄弟たちが争っているところに仲裁に入ると、「だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、私も殺す気か」言われ、モーセを押しのけたのです。結局彼はどうなったかというと、ミデヤンの荒野に逃れ、そこで40年間過ごすことになるわけです。

 これもまたイエス様も同じでした。ヨハネの福音書1章11節には、「この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」とあります。キリストはご自分の国に来られたのに、ご自分の民は彼を受け入れることができませんでした。そして、十字架につけて殺してしまったのです。

 しかし、ミデヤンの地に逃れたモーセを、神はお忘れになられたでしょうか。いいえ、違います。神様はモーセを片時も忘れることがありませんでした。ミデヤンの地に逃れ40年が経ったころ、神はシナイの荒野で再び彼に現れてこう言われました。32~34節です。

「わたしはあなたの父祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたの立っている所は聖なる地である。わたしは、確かにエジプトにいるわたしの民の苦難を見、そのうめきを聞いたので、彼らを救い出すために下って来た。さあ、行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう。」

 何と「だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか」と言って、人々が押しのけ、ミデヤンの荒野に追いやったモーセを、神は支配者としてまた解放者としてお遣わしになられたのです。このモーセを神は、彼らの支配者また解放者としてお立てになられたのです。ここでは「このモーセを」(35節)、「この人が」(36節)ということばが強調されています。なぜこんなにも強調されているのでしょうか。このモーセの姿こそキリストそのものを指し示していたからです。使徒の働き2章23~24節のところでペテロは、次のように説教しました。

「あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなどありえないからです。」

 「だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか」と言って人々が拒んだモーセを、神が燃える柴の中に現れて、彼を支配者としてまた解放者としてお遣わしになったように、イスラエルが拒み、十字架につけて殺してしまったイエスを神はよみがえらせ、罪と死の奴隷であった私たちを解放してくださったのです。このモーセが、彼らを導き、エジプトの地で、紅海で、また、四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ったように、神はまたイエスによって、彼らの間で力あるわざと不思議としるしを行われることによって、神は彼らに、この方のあかしをされたのです。(使徒2:22)

 ですからモーセについての結論はこうなのです。37~38節をご覧ください。ご一緒に読んでみましょう。

「このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる』と言ったのです。また、この人が、シナイ山で彼に語った御使いや私たちの父祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、あなたがたに与えたのです。」

 イエス様こそ「私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる」と彼自身が言った方であり、モーセが荒野の集会でみことばを授かり、それを民に与えたように、ご自身が天からのパンとして、荒野の教会でイスラエルに生けるみことばを与えてくださった方なのです。イエス様こそモーセが指し示していた実体であり、イスラエルが本当の意味で聞き従わなければならないお方なのです。そのことは、イエス様ご自身も言われたことです。

「わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。」(ヨハネ5:45-46)

ですから、ステパノがモーセを冒涜していたというのは間違いであって、むしろ彼が信じ、従っていたイエスの道こそモーセが指し示していたものであり、正しい道だったのです。なのに彼らはそのことを理解することができませんでした。どうして?どうして彼らは理解できなかったのでしょうか。聞く耳を持っていなかったからです。凝り固まった先入観と、自分たちの考えこそ正しいという思い込みがあったため、そうでないという考えを受け入れることができなかったのです。そのように主張していた相手を律法に従っているとして殺そうとしていたのです。何と恐ろしいことでしょうか。けれども、このようなことは私たちもあります。自分の考えに固執するあまりに他の人の話が聞けなかったり、回りが全く見えなかったするということがあるのです。また、自分ではそれが正しく良いことだと分かっていても、人にはなかなか理解してもらえずに誤解されることもあります。そんな時私たちは自分自身を見つめる時を持ち、「これはいったいどういうことなのか」ということを吟味しなければなりません。そして、絶えずバランスを持って物事を見ていかなければなりません。また、たとえなかなか人から理解してもらえない時でも、焦らないで、忍耐しつつ、説明していくことが求められます。どんな時でも愛と配慮をもって接する心が大切なのです。そうすれば、いつか必ず理解してもらえるときがやってくるはずです。
 
 Ⅱ.神に背いたイスラエル

 そのようなモーセに対して、彼らはどのように従ったでしょうか。既に23節のところで、モーセを押しのけた彼らの姿が描かれていました。その結果彼はミデヤンの荒野へと追いやられたのです。しかし、モーセに対する彼らの態度というものがもっと顕著に表れた出来事がありました。それが金の子牛を作り、それを拝んだという態度です。39~41節までをご覧ください。

「ところが、私たちの父祖たちは彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、エジプトをなつかしく思って、『私たちに、先だって行く神々を作ってください。私たちをエジプトの地から導き出したモーセは、どうなったのかわかりませんから』とアロンに言いました。そのころ彼らは子牛を作り、この偶像に備え物をささげ、彼らの手で作った物を楽しんでいました。」

 これはモーセがイスラエルをエジプトの苦役から救い出した後で、シナイの荒野で起こった出来事です。モーセがシナイ山で律法を授かっているとき、そのふもとにいたイスラエルの民はモーセ待ちきれずアロンのもとに集まり、先だって行く神を作ろうと、金の子牛の像を造り、それを拝んだのです(出エジプト32:4)。
イスラエルが実際に「エジプトをなつかしく思っ」(39節)たのはシナイ山の出来事よりもずっと後のことで、カデシュ・パルネアという所にいた時のことですが、ステパノはこれをこの金の子牛の像を拝んだ事件と一緒にしました。それはその根底に神への不信仰、不従順といった共通の罪が横たわっていたからでしょう。「エジプトをなつかしく思う」ということばは、「心中で振り向く」という意味です。彼らは荒野で生活が苦しくなると、「どうして自分たちをエジプトから連れ出したりしたんだ」とか、目の前に大きな障害があって前に進んで行くことができないと、「ああ、ひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」と言って嘆いたのです。それは不信仰から出た思いです。エジプトでの彼らの苦痛をご覧になられた神様が、その愛をもってその中から救い出してくださったにもかかわらず、それに感謝できず、すぐに不平を漏らしては、「エジプトにいた時の方がどんなに良かったか」というのですから、神様もどれほどがっかりされたかわかりません。人間はいつももとの生活を懐かしく思うような誘惑にかられますが、そのような誘惑に惑わされて本当の祝福を奪われることがないように注意しなければなりません。いつも神とその恵みにいつも目を留め、感謝することを忘れないようにすべきです。

 トミー・テニーという人が書いた「神が探される礼拝者として生きる49の方法」という本の中に、「あなたを感動させるものに注意してください」とあります。それがどのようなものであれ、あなたを感動させるものに、心がひかれていくからです。強い力があなたを引き寄せ、それを追わせます。そして、あなたが追うものは何でも、あなたの目的になってしまいます。だから感動させるものに注意してくださいというのです。それが富や快楽、名誉といったどんなものであれ、風のように跡形も無くなってしまうようなものに人生を費やすのではなく、永遠に消えない王とその御国を求め、そこに人生を費していかなければならないのです。

 19世紀に生きた偉大な信仰の人ジョージ・ミューラーは、イギリスのブリストルという所で狭く汚い路地で死んでいく孤児たちが多いのを見て驚き、孤児院を創設することにしました。みことばに対する確固たる信仰を持っていたジョージ・ミューラー夫妻は、クリスチャンが聖書を真剣に受け入れるなら、その人が神のために行うことにいかなる限界もないということを確信しました。そして彼らは、その生涯を閉じるまでに、孤児院で1万人以上の孤児たちを世話しました。しかしそこにはどれほどの苦労があったことでしょう。1万人以上の孤児たちを養ったと口で言うのは簡単ですが、実際には多くの困難と闘いがあったことと思います。時として、「こんなこと始めなければ良かった」と思うこともあったでしょう。しかし、彼らは神様だけを見上げ、神様だけに期待して祈りました。彼らは多くの人たちがするのとは違って、自分たちの経済的な必要を神のほか誰にも話しませんでした。しかし神はいつも、彼らの感謝の祈りと神を謙遜に待つ姿を通して必要なものを豊かに満たしてくださいました。ジョージ・ミューラーはこのように告白しています。
「心配の始まりは信仰の終わりです。まことの信仰の始まりは心配の終わりです。」

 心配の始まりは信仰の終わりなのです。なかなか自分の思うように進まないとき、金の子牛を作ってみたり、「何でこんな所に連れて来たのか」と嘆いてみたりして、安易な方法でその保証を得ようとしがちですが、そうではなく、神様に信頼しなければなりません。神様が与えてくださった聖書のみことばの約束を握りしめ、信仰によって歩んでいく者でありたいと思います。

 Ⅲ.イスラエルに背を向けられた神 

 最後にそのようなイスラエルに背を向けられた神について見て終わりたいと思います。42~43節です。

「そこで、神は彼らに背を向け、彼らが天の星に仕えるままにされました。預言者たちの書に書いてあるとおりです。『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた40年の間に、ほふられた獣と供え物とを、わたしにささげたことがあったか。あなたがたは、モロクの幕屋とロンパの神の星をかついでいた。それらは、あなたがたが拝むために作った偶像ではないか。それゆえ、わたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ移す。』」

 モーセに背いたイスラエルに対する神の刑罰は、第一に、イスラエルに背を向け、天の星に仕えるままにされたということです。「モロクの幕屋」とは、もともとエモリ人の仕えていた偶像でした。この偶像は青銅で作られており、頭は牛で、両手を広げて立っていました。一方、ロンパの神の星とは、エジプト人、アッシリア人、フェニキヤ人が崇拝していた星の偶像で、土星を指していたと言われています。神に従うことを好まず、かえってそれを退けようとする人たちに対する神のさばきは、彼らに背を向け、やりたいようにさせる。いわゆる無関心と冷淡です。

 神様の最も恐ろしい審判の一つは「放ったらかし」にすることです。ある人はこう言います。「私は神のことばとは無関係に生きてきたが、大満足の人生だ」。しかし、皆さん、これはその人が神の審判のまっただ中、のろいのまっただ中にいることの証拠なのです。たとえば、親の心を痛めるこどもがいるとしましょう。正しく育てようとして時には戒めます。むちを振るうこともあるでしょう。けれどもその子は親の言うことを聞こうともしません。するとその親は最後に子どもに何と言うでしょうか。「好きにしろ」。「勝手にしろ」と言うのではないでしょうか。これは子どもに自由を与えているということではなく、親として発しうる最も恐ろしい怒りを表現しているのです。それゆえ信仰を持たない人々が、その恐ろしい罪にもかかわらず人生がうまくいってるように見えても、全くうらやましがるには値しないのです。それは恐ろしい審判だからです。神様に捨てられた人は大忙しで、礼拝をささげる時間もありません。あくせくと的外れな努力をして、結局は地獄の一員に数えられるのです。

 私たちは神様の御前で好き勝手に生きられる存在でしょうか。決してそうではありません。神様は私たちを放ったらかしにはなさらないからです。思いのままに生きようとする私たちを、神様は決して放置なさいません。少しでも高慢になると、大きな病気やその他の方法でそれを扱われます。みこころにかなわないようなことをすると、試みや艱難が来て練られます。少しでも祈りを怠ると、火のような試みを通して心を引き締めてくださるのです。それこそ神様の祝福であり、まことの愛の表現なのです。箴言3章12節には、

「父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。」

とあります。主は愛する者をしかるのです。信じる者が従わないと神様から痛い目に遭うというのは、神が愛だからなのであって、何もないことが祝福ではありません。

 ある仲むつまじい夫婦がいました。子どもたちも健やかに育っていましたが、ある日夫人が体調が悪いからと、病院で診察を受けると、医師は病名を教えてくれず、家族を連れて来るようにと言いました。不安を抱いて夫ともに再度病院に行きますと、がんにかかっていて、回復の見込みは薄いと告げられました。それはまさに青天の霹靂でした。幸福な家庭に暗雲が立ち込めたのです。ご主人は居ても立ってもいられない姿が痛々しく見えました。子どもたちも勉強が手につかない様子でした。しかしあるとき、家族が信仰をもって祈り始めました。全員が早天祈祷会に出席して、神様に切に祈り始めました。涙とともに祈る姿は、すべての聖徒たちを感動させました。そして数日後、夫人は別の病院で再度診察を受けました。するとどうでしょうか。それが誤診であることがわかりました。夫人はがんではなく、単なる消化不良だったのです。
 この出来事を契機に、その家庭はすっかり変わりました。いつでもすべてのことについて、神様に感謝し、家庭をあげて神様に検診するようになりました。いつでも口を開けば、神様の恵みを誇る家庭となったのです。

 神様はその子に困難や試練を与えられるのは、子として扱っておられるからであり、その子を愛しているからです。もしそうでなかったとしたら、それこそ神のさばきのまっただ中にあると言えるでしょう。神に放っておかれること、やりたい放題することは、むしろ神の最大のさばきなのだということを覚えておきましょう。

 それから、そんなイスラエルに対する神のもう一つの審判は、彼らをバビロンのかなたへ移すということでした。これはもともとアモス書にあった預言の引用ですが、そこには「バビロンのかなた」ではなく「ダマスコのかなた」になっています。いったいステパノはなぜこれを「バビロンのかなた」と言い換えたのでしょうか。バビロンのかなたへ移すといったステパノのことばは、紀元前586年にイスラエルがバビロンへ捕らえ移されることによって成就しましたが、実は、ダマスコのかなたに移すとアモスが預言したことは、紀元前721年に北王国イスラエルがアッシリヤに捕らえ移されたことで成就していたのです。すなわちステパノは、モーセの時代にイスラエルが荒野で犯した罪も、紀元前721年にイスラエルをアッシリヤの捕らえ移された事件も、また紀元前586年にバビロンに捕らえ移された事件も、実はみんな同じ罪だと理解していたからではないでしょうか。すなわち、それはモーセと主に逆らって、自分の考えや自分の思いを優先させた罪だったのです。それは51節にあるように、「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち」の罪で、いつも聖霊に逆らっている人たちの罪です。それはまさに今ここでステパノを尋問しているサンヘドリンやリベルテンの会堂に属する人たちの罪なのだということを、ステパノはあばきたかったのだと思います。

 それはこの時代のユダヤ人に限らず、いつの時代でも、どこにでもいます。心をかたくなにして、聖霊に逆らっている人はみな、ここに出てくるユダヤ人たちと同じなのです。ですから、私たちは心をかたくなにすることを止めて、聖霊が語っておられることに耳を開き、心を開かなければなりません。昔、モーセが指し示していた実体こそイエス様であるというステパノの証言に耳を傾けながら、この方に聞き従うことが求められているのです。そして、この神の怒りから逃れるために、ただイエス・キリストの血潮を信じなければなりません。それが神の怒りから私たちが逃れる唯一の道なのです。

「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:9)

 私たちの救いの道は、イエス・キリストの血潮をおいて他にありません。この救いの血潮を証しすることに力を尽くす聖徒でありたいと思います。それがここでステパノが語っていたことだったのです。

使徒の働き7章1~16節 「栄光の神が現れて」

 きょうは「栄光の神が現れて」というタイトルでお話をしたいと思います。きょうの箇所は、ユダヤ教の議会に訴えられたステパノの弁明が記されてあるところです。ヘレニスト・ユダヤ教徒が訴えのは、彼が神とモーセを冒涜したということと、聖所と律法とに逆らうことばを語ったということでした。それに対して大祭司が「そのとおりか」と尋ねると、それに対してステパノが答えたのです。それにしても、このステパノの弁明は53節まで続いていきます。使徒の働きの中では最も長い紙面をさいて記録されているのです。今にも殺されるかもしれないという緊迫した状況の中にあるとは思えないほど、のんきで、だらだらしているような感じがします。息詰まるような対決ムードを伝えているのは51~53節の結論部分くらいで、それまでは旧約の歴史を淡々と語っているだけなのです。

 しかしこのステパノの説教は、彼にとっては最後の、しかも議会での証言という最も公の舞台での演説ですから、ただ訴えに対して弁明しているというだけでなく、時間の許すかぎり自分の信条を宣言しようした一世一代の大演説であったことがわかります。この中で彼は、神に逆らっているということと、モーセとその律法に逆らっているということ、そして、聖所を打ちこわすという三つの訴えに対して、イスラエルの歴史を三つに大別して、それぞれについての論証を試みました。そして、きょうのところでは、彼が神に逆らっているのではないかという訴えに対して、アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフといういわゆる族長たちの歴史を通して、神がどのような方であるのかを示すことによって、そうではないということを弁明しています。彼はそれを2節のところで「栄光の神」ということばで表現しました。それは彼が神をどのようにとらえていたかの信仰の告白でもあります。

 きょうはステパノが信じていたこの栄光の神について三つのことをお話したい
 第一にこの方は、いつでも、どこにでもおられる方です。第二にこの方は、約束を実現してくださる方です。そして第三にこの方は、歴史を支配し導いておられる方です。

 I.いつでも、どこにでもおられる方

まず第一に、この栄光の神は、いつでも、どこにでもおられる方です。2~3節をご覧くたざい。

「そこでステパノは言った。『兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け」と言われました。」

 ステパノは、「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。」と言って語り出しています。このことばは、相手に対して敬意を表す丁寧なことばです。それは彼が、この弁明が単に議会の権威にたてつく目的で語っているのではなく、何とかして同胞の彼らにまことの神について知ってほしいという気持ちが込められていたからだと思います。そして、このような丁寧な呼びかけに続いて始まる本論の冒頭のところで彼が述べた最初のことばは、自分たちの父アブラハムが、まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が現れて、「あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしが示す地に行け」と言われたということでした。

 この3節のことばは創世記12章1節の引用ですが、創世記をみると、これはアブラハムがカルデヤ人のウルにいたとき、すなわち、メソポタミヤにいたときではなく、ハランにいたときに語られたことばであったことがわかります。しかしここでは、アブラハムがハランにいた時ではなく、ハランに住む以前の、まだメソポタミヤにいたときに語られたことばであったということから、ステパノが間違って語ったのではないかと考える人がいますが、そうではありません。「メソポタミヤ」とは「二つの川の間の土地」に付けられた名前で、現在のイラクにあるティグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域を指します。創世記11章
31節を見ると、アブラハムはこのメソポタミヤ地方のカルデヤ人のウルという町に住んでいて、その後父テラといっしょにハランに移り住みましたが、そのウルにいた時に神は同じようにアブラハムを呼び出されたことは明らかです。したがって、ここに書いてあるように、アブラハムはハランに住む以前、メソポタミヤにいたときに神からの召しが与えられたと考えるのは妥当なことでしょう。ウルで与えられた神の召しと同じものがハランで与えられたものと同じであったと考えるのは自然なことだからです。問題は、いつ神がアブラハムに現れたのかということです。このところによると、それは彼がまだハランに住む以前のメソポタミヤにいたときでした。これはどういうことかというと、ここでステパノが訴えられのは、彼がこの聖なる場所を軽んじて神を冒涜したからということでしたが、それに対してステパノは、イスラエルの栄光の神は、「この聖なる所」といった一定の場所や土地に拘束されるような方ではなく、いつでも、どこにでもおられる方であり、そのご栄光を現される方であるということを言いたかったのです。

 皆さん、イスラエルの神、私たちの全能の神は、一定の土地や場所に拘束されて、身動きできないような方ではありません。いつでも、どこにおいても、その栄光を現される方なのです。それはアブラハムがまだメソポタミヤにいたときに、彼に現れてくださっただけでなく、アブラハムがハランにいたときも同じです。神は彼をそこから今彼らが住んでいるカナンへと移してくださいました(4節)。また、9節を見てもわかるように、ヨセフがエジプトに売りとばされたときにも、彼とともにおられた方です。あるいは29節を見ると、そこには、モーセがミデヤンの地に身を寄せた時にも共におられたということがわかります。さらに、
36節を見ると、エジプトから救い出したイスラエルを導き出し、エジプトの地で、紅海で、荒野でも、ともにおられた方であることがわかります。神は、ヨセフとともにおられただけでなく、イスラエルの歴史のどの段階、どの場面、どの舞台をとってみても、彼らとともにおられたインマヌエル(神われらとともにいます)なるお方なのです。

 そもそもステパノが神を冒涜しているということで訴えられのは、彼が今の無神論者のように神の存在を否定していたからではありません。そうではなく、「この聖なる所・・・・に逆らうことばを語った」からであり、神殿礼拝にまつわるモーセの慣例を変えてしまったということがきっかけでした。エルサレムの聖所などは、長いイスラエルの歴史の中ではついこの間できたばかりの物にすぎないのです。それ以前はというと、幕屋の時代がありましたが、そこでも神はご自身の栄光を現してくださいました。また、その幕屋以前には割礼の契約しかありませんでしたが、それでも神は、アブラハムに現れ語ってくださいました。要するにステパノは、神という方を、場所に拘束されず、儀式慣例に束縛されず、生ける自由な主権的な栄光の神であると信じていたのです。

 これは、もちろん、神が気まぐれにどこにでも現れるとか、神礼拝は人間の気ままかってにどうにでもしてよいという意味ではありません。そうではなく、彼が言いたかったことは、神が歴史のある時期の、ある段階に、違った形で自分を啓示し、交わってこられたということなのです。歴史的に見ると、神の啓示の方法や礼拝の形にも違いや発展があったことがわかります。したがって、もしメシヤの時代が来ているとしたら、聖所や律法がすたれ新しい形の宗教が生まれるのは当然である、と彼は言いたかったのです。そして、それは来たのです。それが救い主イエス・キリストでした。この方が来るときどういうことが起こるのでしょうか。あのサマリヤの女に対してイエス様はこう言いました。

「あなたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが、霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する物は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21~24)

 神が永久に一つの場所や儀式に束縛されないと信じるステパノのような場合、その信仰生活が、神殿にしがみついているユダヤ教徒と大幅に異なってくるのは当然です。しかし、それは神を冒涜していることではなく、神を礼拝する方法が違うだけなのです。方法を固定化してしまうのは、いつでも人間であり、神は決して固定化されるような方ではありません。生けるまことの神を、神の方法によって信じ、礼拝し、あがめなければなりません。神は、今日、キリストによって礼拝することを求めておられるのです。

 パウロはローマ人への手紙12章1,2節のところで、「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」と言いました。

 このところによると、霊的な礼拝には二種類あることがわかります。一つは、イエス・キリストの御名で会衆が教会に集まってささげられる礼拝と、もう一つは、教会の外で私たちの生き様を通してささげられる礼拝です。前者の礼拝は、教会の中でささげられるものですが、自分をいけにえとしてささげてしまうと書かれてあるように、それは自分の自我に死んで、神の思いに満たされることを意味します。礼拝を通して自我に死に、神様の御力だけが臨むように願うのです。もう一つの礼拝は、教会の外で私たちの生き様をとおしてささげる礼拝のことです。この世と調子を合わせるのではなく、神のみこころは何か、何が完全で神に受け入れられることなのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えることが礼拝だというのです。
 すべての人々が忙しいと言って、世のことに埋没している中で、みことばを慕い求め、その中に浸ることが礼拝です。「みんなごまかして、適当に脱税しても、
私は正確に税金を納める」と決心して実行する心が礼拝です。「世の人々がみんな不正を働いても、自分だけは神様のみことばの前に正しく生きよう」というのが礼拝なのです。自分の生き様を通して礼拝をささげようとすること、それが霊的な礼拝なのです。

 私たちの問題点は何でしょうか。教会では礼拝をささげておいて、外では礼拝とは関係のない二元論的な生き方をしていることです。ある教会でリバイバル聖会がありました。聖会の最終日、ある役員の奥様が布団を持ってきてこう言いました。「うちの夫は教会にいる時は天使ですけど、家に戻ってくると悪魔になります。だから教会で暮らそうと思います。」これはジョークですが、私たちの生き方の問題点を象徴しているかもしれません。教会の中では天使でも、外に出ると野獣に変わるというのが私たちの姿ではないでしょうか。しかし主は、私たちが教会の中だけでなく、外でも礼拝者として生きることを願っておられるのです。なぜなら、私たちの栄光の神は、聖所に拘束されておられる方ではなく、いつでも、どこにでもおられる方だからです。

 人生の現場を福音伝道の機会にしていく、感動的な話を聞いたことがあります。この方は理容師で、一年に百人くらいに伝道します。この人は神様が自分の職業を通して、多くの人々を救ってくださると信じました。散髪は時間がかかりますから、話す機会はいくらでもあります。それで散髪をしながら福音を語るのです。始めは福音の基礎知識から、イエス様の十字架と復活について説明し、次第に自分の証しを混ぜて話すようにします。「私は・・教会に通っているのですが、神様の恵みを味わってみると、以前の人生が悔やまれます。でも今の人生はどんなに感動的で、喜びに満ちているかわかりません。」と伝えると、相手が静かにうなずきながら聞いています。そこで最後に、「今度教会に一緒に行きましょう。イエス様を信じてください」というと、かなりの人々がイエス様を受け入れるのだそうです。この人はこの方法で一年に百人以上も救いに導いておられるのだそうです。これはまさに生き方を通して礼拝です。

 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、生きた、供え物としてささげなさい。それこそ、霊的な礼拝です。この世と調子を合わせないで、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえしるために、心の一新によって自分を変えなさい。これが霊的な礼拝なのです。私たちの神は教会という建物や場所に釘づけられておられる方ではなく、いつでも、自由に生きて働いておられる栄光の神だからです。ステパノが言いたかったのは、この点だったのです。

 Ⅱ.約束を実現される方

第二に私たちの神は、約束を実現される方です。4,5節をご覧ください。

「そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住みました。そして、父の死後、神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりましたが、ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どもがなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。」

 神の召しにしたがって、アブラハムが目指して場所は、「今あなたがたの住んでいるこの地」でした。どういうことかというと、神がアブラハムに与えられた約束は今や成就し、彼の子孫が所狭しとこの地に住むようになったという事実です。しかしアブラハムにとっては、それはまだ「約束の地」でしかありませんでした。彼がその土地を所有することは決してありませんでした。「足の踏み場となるだけのものさえも」、相続財産として彼には与えられていなかったのです。それは、足の裏で踏むほども与えられていなかったという意味です(申命記2:5)。それほどに、神の約束の実現はほとんど不可能に思われたということです。なぜでしょうか。なぜなら、このとき彼には子供がいなかったからです。子供がいなければ、いくらこの地を彼とその子孫に与えようと言われても、不可能なことです。もちろん彼には、イサクの他にもこどもがいましたが、これらのこどもは約束のこどもではありませんでした。アブラハムが約束の子であるイサクをもうけるには、ただ神の直接的な介入しかなかったのです。それでも神は、彼とその子孫にこの地を与えてくださると約束してくださったのです。

 それだけではありません。6,7節を見ると、神はまた、彼に次のように約束されました。「彼の子孫は外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待される。』そして、こう言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしがさばく。その後、彼らはのがれ出て、この所で、わたしを礼拝する。』」

 これは、イスラエルがやがてエジプトの奴隷として400年間仕えることを預言したものです。しかし、神は彼らを奴隷にする民をさばき、彼らをその中から救い出されると約束してくださいました。そして、彼らはこの所で、神を礼拝するようになると言われたのです。これは出エジプト3章12節のみことばの引用で、神がモーセに語られたことばです。イスラエルがエジプトを出るとき、イスラエルは「この山」でつまり、ホレブで神を礼拝するようになると言われたことばですが、ステパノはそれを「この所」つまりカナンの地に置き換えました。れはアブラハムに語られたのと同じ内容を、このことばに言い換えたのです。

 さらに8節には「割礼」の話が出てきます。神はアブラハムに割礼の契約をお与えになりました。割礼とは、男子の性器の先端の皮を切り取るという儀式ですが、それは神のことばに従うことの、神への献身のしるしでした。それは、神がアブラハムとその子孫を特別に保護し、その約束を実現してくださるという契約だったのです。この時アブラハムは99歳、その妻であったサラは90歳でした。100歳の人に子供が生まれるはずがありません。けれども、アブラハムは信じたのです。その結果、どうなったでしょうか。神が約束してくださったとおりに、イサクが生まれたのです。

 アブラハムが約束の地を受け継ぐということ、その子孫が外国で400年間奴隷として仕えた後にそこから救い出され、「この所」で神を礼拝するようになるということ、そして、100歳と90歳の夫婦にこどもが与えられるということなと、人間的に信じることはできません。がしかし、神が約束してくださったことは必ず実現するのです。アブラハムを通して現れた栄光の神は、その約束を完全に成就する力のある方であるということです。アブラハムはそれを信じたのです。ローマ人への手紙4章18~22節に、

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが真だも同然であることと、サラの胎の死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」

とあります。アブラハムが義とみなされたのは、神には約束されたことを必ず成就する力があると信じて疑わなかったからです。それは、彼のためだけではなく、私たちのためでもありました。すなわち、神は、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせてくださった信じるためです。私たちの主イエスは、私たちの罪のために死なれ、私たちが義と認められために、よみがえられました。死んだ人がよみがえるなんて信じられないことですが、実際にあったのです。神はどんなことでもおできになられますから、死んだ人を生き返らせることも可能なのです。つまり、アブラハムの信じた神様とは、死者さえも生かされる全能の神でした。不可能を可能にする神であり、私たちの髪の毛さえも数えることのできる方です。

 私たちの信仰は、その人がどんな神様を信じているかによって左右されます。死んだ神様を信じている人は、その信仰も死んだものであり、生きておられる神様を信じる人は、その人の中に生きて働かれる神様のみわざがどんどんと現れてきます。皆さんは、自分の信じている神様が全能であると信じていますか。生きておられ、できないことのない神様であると信じていますか。そうならば、落ち込む必要はありません。神様がともにいてくれさえすれば、すべてのことが可能になるからです。宗教改革者のマルチン・ルターは、「神様をして神様たらしめよ」と言いました。私たちが犯しがちな罪の中でも最も大きな罪は、神様を小さくしてしまうことです。神様を教会の中だけに閉じこめて、小さいことだけを行われる方として制限してしまい、その全能の力を認めないことです。

 私たちはしばしばこのような錯覚をします。「神様にも難しいことはあるだろう」。本当にそうでしょうか。神様にとって、風邪を治すことは優しいことでしょうか。では、がんを治すことはどうでしょう。私たち人間の目で見ると、風邪が癒されると少々感謝をささげ、がんがいやされると教会中が大騒ぎしますが、神様にとっては、風邪を癒すのもがんを癒すのも朝飯前なのです。私たちは、イエス様が死人を生き返らせたときはいつもより強く祈っただろうと考えがちですが、これは錯覚です。私たちは神様にはできないことはないと信じて、いつでも、大胆に、主に頼って進み出ることが必要なのです。私たちの周辺にまだ救われていない人がいますか。どんなにかたくなな人でも、全能の神様を信じて進み出るならば、神様はその魂をやすやすと獲得してくださると信じましょう。

 アブラハムの信仰の特徴は、神が「あなたの子孫はこのようになる」と言われたとき、そのとおりに信じたことです。これが信仰です。全能の神様を信じる人は、必ず神様のみことばを心の中心に置きます。全能の神様を信じることは、神様のみことばの力を信じることです。神様が語られたことは、必ず実現すると信じ切る、確信することなのです。

 ロサンゼルスに、有名なおばあさんがいるそうです。このおばあさんは道を歩くとき、いつもぶつぶつと言いながら歩くのだそうです。不思議に思った人が、「あなたはどうしてぶつぶつ言いながら歩いているのですか」と尋ねると、このおばあさんは、このように言いました。「あたしゃもう年を取って、神様のお仕事をすることもできないし、子孫のためにできることもないのよ。でもヨシュア記1章3節に書いてあるように、「あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている」ってあるから、そのまま信じて歩いているんだよ」
 すると不思議なことに、このおばあさんが足で踏んで歩く所には、ユダヤ人の店が建ち並び、ユダヤ人たちがその不動産を取得しているのだそうです。

 アブラハムが「あなたの子孫はこのようになる」と言われたとき、それを疑わないで信じたように、私たちも神が語られたことは必ず実現すると信じることが大切です。 

 Ⅲ.歴史を支配し導いておられる方

最後に、私たちの栄光の神は、その歴史を支配し、導いておられる方です。 9節と10節をご覧ください。

「族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、あらゆる艱難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王の家全体を治める大臣に任じました。」

 いよいよ話は族長たち、すなわち、ヤコブの12人の息子らの話へと移っていきます。その中でもステパノが取り上げたのは、ヨセフとその兄弟たちの話です。ヨセフの兄弟たちが彼をねたんで、エジプトに売りとばしたという話です。いったいステパノがなぜこの話を取り上げたのかはわかりません。おそらく、神様がアブラハムに約束されたあの「彼の子孫は外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待される」という預言が、どのように成就していったのかを表したかったのかもしれません。いずれにせよ、エジプトに売られていったヨセフが、あらゆる艱難から救い出され、エジプトと王の家全体を治める大臣に任じられたのは、神様の導きによるものでした。それは、そのようにしてイスラエルがエジプトに下り、そこで四百年もの間奴隷として仕え、虐待されるようになるという預言が成就するためでもありました。いったいだれがそんなストーリーを考えることができたでしょうか。全く考えられないようなことですが、神が彼とともにおられたので、神は彼をあらゆる苦難から救い出し、恵みを注いでくださったのです。イスラエルの神は、そのようにして歴史を支配し、導いておられたのです。であれば、こうした神の摂理と導きに全面的にたよりきることが大切です。ローマ人への手紙8章28節には、

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」

とあります。クリスチャンとは、神様が自分の道を導いてくださるという確信を握って、揺らぐことなく歩んでゆく人です。私たちの目の前にあるすべての困難や艱難は、過ぎてみれば皆、神がすべてのことを働かせて益としてくださる要素なのです。このみことばの約束を信じて歩む人は、恐れや心配に落ち込むはずがないのです。そして決して焦ることもありません。クリスチャンは、病気や失敗、困難が襲って来ても、それらすべてが神様の愛だと確信しています。主に召された人の人生は、すべてを働かせて益としてくださる主のみわざの中にあることを信じているからです。

 時々、イエス様を信じている人の中に、毎日「大変だ」と言いながら大げさに振る舞っている人がいます。実際に聞いてみると大したことはないのですが、信仰がないので大したことに見えてしまうのです。神様がともにおられ、すべてを働かせて益としてくださるのに、何が大変なのでしょうか。イエス様とともに舟に乗っていたペテロは、大風が起こって、舟が転覆しそうになったときどれほど驚いてことでしょう。彼は、「イエス様。何やってんですか。私たちがおぼれそうなのを見ても、何とも思わないのですか」と叫びました。ところがペンテコステに聖霊の力を体験したペテロは、やがて投獄され天使がやって来て彼を助けようとした時でも、深く眠り込んでいて、それに気づかなかったと言います。天使がいくら「起きろ」と言っても起きなかったので、彼の脇腹をたたいたらやっと起きたと記録されています。これがクリスチャンの余裕です。自分の前に死刑の宣告があっても、どんなに大きな危険、失敗があろうとも、すべてを働かせて益としてくださる神様が私を守り導いてくれているのだから、私は何の心配もいらない。これがクリスチャンの余裕なのです。困難や失敗が襲って来ても、それは神様が私たちを祝福してくださるための計画の一部なのです。そう信じて堂々と立っているのが、クリスチャンです。

 最後にあるお話をして終わりたいと思います。ある漁村から沖へ出た漁船が、折りからの大風の中、真夜中になっても戻ってきませんでした。村人たちは心配して、舟の持ち主の家に集まりました。「いつ夫は戻って来るかしら。いつお父さんは戻るかしら」。特に家族は気をもみながら無事を祈って待っていました。しかし、そのような中で子どもがろうそくを倒してしまい、その家が火事になってしまったのです。村人が消火作業におおわらわです。ああ、なんという災難!゛主人は大風で海から戻れず、家は火事で燃えてしまう。なんと過酷な試練でしょう。
 しかし、一夜明けて朝になりました。すると待ちわびていた船が帰ってきました。漁船に乗っていた人たちはこう言うのです。「大風で船が方向を失って危なかったとき、突然、陸地に火の手が上がるのが見えたんですよ。それで航路を定めて戻ることができました。」あの火災は災いだったのでしょうか?いいえ、火事が起こらなかったら、ご主人は亡くなっていたでしょう。あの火事があったからこそ、無事に戻ることができたのです。

 ですから、一つの現象だけを見て、「ああ、何かの間違いだ」「破滅だ」「神様が私を見捨てた証拠だ」などと言ってはいけないのです。クリスチャンは、すべてのことを働かせて益としてくださる神様のみこころを信じる者です。試みや病気、障害が臨むとき、短いスパンで見れば、それは単なる不幸かもしれませんが、救い主イエス様の視点で見ると、必要な導き以外の何物でもありません。私たちはこの神の後支配と導きというものを信じて、そこにすべてをゆだねて歩む者でありたいと思います。私たちの神は、そのように栄光に満ちた方だからです。